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水曜日, 5月 21, 2014

中山元訳『資本論』:目次(第一部のみ、全四冊、日経)、付冒頭翻訳各種


                (マルクスリンク::::::::::

http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/blog-post_21.html:本頁


中山元訳『資本論』:目次(第一部のみ、全四冊、日経)


剰余価値と普通訳されるところを増殖価値と訳すなどの工夫がある。

以下に、その辺に関しての詳しい批評がある。
http://chikyuza.net/archives/23500


目 次

資本論 第1巻 1

第一版への序文 

 第1部 資本の生産過程 

 第1篇 商品と貨幣 

 第1章 商品  
  第1節 商品と二つの要素 使用価値と価値(価値の実体、価値の大きさ)  
  第2節 商品に表現された労働の二重性  
  第3節 価値形態または交換価値    
   A 単純で、個別の(あるいは偶然的な)価値形態     
    一 価値形態の二つの極ーー相対的価値形態と等価形態     
    二 相対的価値形態      
     a 相対的価値形態の内容       
     b 相対的価値形態の量的な規定性  
    三 等価形態     
    四 単純な価値形態の全貌 
    B 全体的な価値形態または展開された価値形態     
    一 展開された価値形態    
    二 特殊な等価形態   
    三 全体的な価値形態または展開された価値形態の欠陥  
   C 一般的な価値形態     
    一 価値形態の性格の変化     
    二 相対的価値形態と等価形態の発展関係     
    三 一般的価値形態から貨幣形態への移行   
   D 貨幣形態  
  第4節 商品のフェティッシュな性格とその秘密

  第2章 交換過程 

  第3章 貨幣または商品の流通  
  第1節 価値の尺度  
  第2節 流通手段   
   a 商品の変身   
   b 貨幣の流通   
   c 鋳貨、価値の記号  
  第3節 貨幣   
   a 貨幣の退蔵   
   b 支払手段   
   c 世界貨幣 

 第2篇 貨幣の資本への変容 
 第4章 貨幣の資本への変容    
  第1節 資本の一般的な形態   
  第2節 資本の一般形式の矛盾  
  第3節 労働力の購入と販売 

第二版のあとがき 
フランス語版の序文とあとがき 
第三版に寄せて 
英語版への序文 
第四版に寄せて 
訳者あとがき

資本論 第1巻 2

第3篇 絶対的増殖価値の生産  

 第5章 労働過程と価値の増殖過程   

  第1節 労働過程   
  第2節 価値の増殖過程     

 第6章 不変資本と可変資本  

 第7章 増殖価値率   

  第1節 労働力の搾取度   
  第2節 生産物の比例部分における生産物価値の表示   
  第3節 シーニョアの「最後の一時間」   
  第4節 増殖生産物     

 第8章 労働日   

  第1節 労働日の限界   
  第2節 増殖労働への渇望。工場主とボヤール   
  第3節 搾取を法的に制限しないイギリスの産業分野   
  第4節 昼間労働と夜間労働、交替制   
  第5節 標準労働日をめぐる闘争。 
一四世紀半ばから一七世紀末にいたる労働日延長のための強制法   
  第6節 標準労働日をめぐる闘争。強制的な法律による労働時間の制限。 
一八三三~一八六四年におけるイギリスの工場立法   
  第7節 標準労働日をめぐる闘争。イギリス工場法の他国への影響   
 
 第9章 増殖価値率と増殖価値量 

第4篇 相対的増殖価値の生産  

 第10章 相対的増殖価値という概念について    

 第11章 協業  

 第12章 分業とマニュファクチュア   

  第1節 マニュファクチュアの二重の起源   
  第2節 部分労働者とその道具   
  第3節 マニュファクチュアの二つの基本形態
ー異種的なマニュファクチュアと有機的なマニュファクチュア   
  第4節 マニュファクチュアの内部での分業、社会の内部の分業   
  第5節 マニュファクチュアの資本制的な性格    

http://ec.nikkeibp.co.jp/item/contents/mokuji/m_P48790.html


目 次

資本論 第1巻 3

●目次 
第4篇 相対的増殖価値の生産(承前)      

 第13章 機械類と大工業     
  第1節 機械類の発展     
  第2節 機械類から生産物への価値の移転     
  第3節 機械の操業が労働者に及ぼす直接の影響       
   a 資本による補助的な労働力の獲得。女性労働と子供の労働       
   b 労働日の延長         
   c 労働の強化     
  第4節 工場     
  第5節 労働者と機械のあいだの闘争     
  第6節 機械類によって駆逐された労働者の補償理論     
  第7節 機械経営の発展にともなう労働者の吸収と排除。木綿産業の恐慌     
  第8節 大工業によるマニュファクチュア、手工業、家内労働の革命       
   a 手工業と分業に依拠した協業の廃止       
   b 工場制度がマニュファクチュアと家内労働に遡及的に及ぼす影響       
   c 近代的なマニュファクチュア       
   d 近代的な家内工業       
   e 近代的マニュファクチュアと家内工業の大工業への移行。工場法がこれら
   の経営方式に適用されたことによる変革の促進     
  第9節 工場立法(保健条項と教育条項)、イギリスにおける普及     
  第10節 大工業と農業     

第5篇 絶対的増殖価値と相対的増殖価値の生産 

 第14章 絶対的増殖価値と相対的増殖価値 

 第15章 労働力価格と増殖価値の量的な変動      
  第1節 労働日の長さと労働の強度が不変量で(与えられた量)、労働の生産力
     が可変量である場合     
  第2節 労働日と労働生産力が不変で、労働の強度が可変である場合     
  第3節 労働の生産力と労働の強度が不変で、労働日が可変な場合      
  第4節 労働時間の長さ、労働の生産力、労働の強度が同時に変化する場合 

 第16章 増殖価値率のさまざまな定式 

第6篇 労働賃金      

 第17章 労働力の価値または価格の労働賃金への変容   
   
 第18章 時間給の賃金 
     
 第19章 出来高賃金    
  
 第20章 国による労働賃金の格差
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/contents/mokuji/m_P48800.html


目 次

資本論 第1巻 4

第7篇 資本の蓄積過程 

 第21章 単純再生産 

 第22章 増殖価値の資本への変容 
 第1節 拡大された規模での資本制的な生産過程。商品生産の所有法則の資本制的な取得法則への転換 
 第2節 拡大された規模の再生産についての経済学の誤謬 
 第3節 増殖価値の資本と収入への分割、節制理論 
 第4節 資本と収入への増殖価値の配分比率とは独立して、蓄積の規模を決定する諸要因。 労働力の搾取度、労働の生産力、投資された資本と消費された資本の差額の拡大、前払い資本の大きさ 
 第5節 いわゆる労働の原資 

 第23章 資本制的な蓄積の一般法則 
 第1節 蓄積にともなう労働力の需要の増加ーー資本の構成が一定の場合 
 第2節 蓄積とそれにともなう集積が進行する際に発生する可変資本部分の相対的な減少 
 第3節 相対的な過剰人口ないし産業予備軍の漸増的な生産 
 第4節 相対的な過剰人口のさまざまな存在形態。資本制的な蓄積の一般法則 
 第5節 資本制的な蓄積の一般法則の例示 
  a 一八四六~一八六六年のイギリス 
  b イギリスの産業労働者階級の低賃金層 
  c 移動民 
  d 恐慌が労働者階級のもっとも賃金の高い層に及ぼす影響 
  e イギリスの農業プロレタリアート 
  f アイルランド 

 第24章 いわゆる原初的な蓄積 

 第1節 原初的な蓄積の秘密 
 第2節 農村住民からの土地の奪取 
 第3節 土地を収奪された人々にたいする一五世紀末以降の血の立法。労働賃金を引き下げる法律 
 第4節 資本家的な借地農の誕生 
 第5節 農業革命が工業に及ぼした影響。産業資本のための国内市場の形成 
 第6節 産業資本家の誕生 
 第7節 資本制的な蓄積の歴史的な傾向 

 第25章 近代的な植民地理論
http://ec.nikkeibp.co.jp/item/contents/mokuji/m_P48810.html

_______________


『資本論』冒頭翻訳各種:

 "Das Kapital" 
<Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine ungeheure Warensammlung, die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.>
(1867年初版。MEW Bd. 23, S.49)

 "Le Capital" 

La richesse des sociétiés dans lesquelles règne le mode de production capitaliste s’annonce comme une 《immense accumulation de marchandises.》L’analyse de la marchandise, forme élémentaire de cette richesse, sera par consequent le point de départ de nos recherches.>
(1872年、J・ロア訳、マルクス自身の校閲によるフランス語訳)
http://monsieurk.exblog.jp/17300334/

 "Capital:Critique of Political Economy" 

<The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity. >
1887年英語版

<資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの「厖大な商品集成」として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。>
(昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社、35頁)

<資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。>
(向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年 第一巻67頁)

<資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。>
(平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店、国民文庫第一巻71頁。全集第23a巻47頁)

<資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
(鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

<資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の集積物(1)」として現われている。したがって、この富の要素形態である商品の分析は、われわれの研究の出発点である。

  (1)カール,マルクス『経済学批判』、ベルリン、一八五九年、三ぺージ。>
(江夏美知千穂/上杉聰彦訳、法政大学出版『フランス語版資本論上』、1979年、3頁)

<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる。>
(平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)

<資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品の集合体」の姿をとって現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる。したがってわれわれの研究は商品の分析からはじまる。>
(今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション Ⅳ 資本論 第一巻(上)』筑摩書房、2005年)

資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現れ、この富を構成している
のがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析から始まる。
(超訳、祥伝社2008年)

<資本制生産様式が支配的な社会においては、社会の富は「一つの巨大な商品の集まり」として現れ、ここの商品はその要素形態として現れる。だからわたしたちの研究もまた商品の分析から始まる。>
(中山元訳、日経、第一部全4巻第一巻27頁、2011年)


<資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》として(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として(als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始まる。>
(内田弘「『資本論』の自然哲学的基礎」2012年より。pdf公開されているこの論文で内田は集合-要素の対概念が大事だと強調する。その観点から新日本出版社訳が推奨される。法政、筑摩、日経訳もこれにあてはまるだろう。)

新日本出版社、新書
岩波文庫
大月国民文庫
河出書房新社
筑摩(1のみ)
日経(1のみ)
超訳祥伝社(要約)



<資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現はれ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。

(一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>

(高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)

http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html




マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照(定本310頁)。
その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。
マルクスはgoldによって集合論的矛盾を回避していると思う。

<それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成している獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているようなものである>
(定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年。27頁)

http://fourier.ec.kagawa-u.ac.jp/~kosuke/ideology.pdf


             G
      D:  ◎ 貨幣形態
          ◯ 
      C: /| 一般的価値形態
        ☆☆☆  
        ☆☆☆     
      B:|/  拡大された価値形態
        ◯ 
  形態一、A:◯=☆ 単純な価値形態
(相対的価値形態 = 等価形態)

価値形態論とゲーデルの不完全性定理を比べるとよくわかるが、マルクスはゲーデルの半分しか叙述していない。不完全性定理においてゲーデル数が王権を得たまま固定することはあり得ない。これは時間というものを自らの歴史観に無意識に依拠しつつ扱ったマルクスの不備に起因する。価値形態A~Dは全て同時に存在し得るというのがゲーデルからマルクスへの答えである。

~~~~~~~~~~~~~~~

電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
アプリが不十分、ダウンロード不可?で推奨出来ない。やはり(誤植は多いようだが)ibooksを推奨する。大月のon lineは検索機能だけでも画期的。ただコピペは出来ない。
CamScannerHD等scanアプリを使う手もあるが、、、、




94 件のコメント:

  1. 第2分冊
    第一版序文(Vorwort zur ersten Auflage)
    ■第1部 資本の生産過程

    第1篇 商品と貨幣     
      第1章 商品     
      第2章 交換過程     
      第3章 貨幣または商品の流通

    第2篇 貨幣の資本への変容     
      第4章 貨幣の資本への変容
    第二版への後書き
    フランス語版の序文と後書き
    第三版に寄せて 英語版の序文
    第四版に寄せて

    第3分冊
    第4篇     
      第13章 機械類と大工業 第5篇 絶対的増殖価値と相対的増殖価値の生産     
      第14章 絶対的増殖価値と相対的増殖価値     
      第15章 労働力価格と増殖価値の量的な変動     
      第16章 増殖価値率のさまざまな公式 第6篇 労働賃金     

      第17章 労働力の価値または価格の労働賃金への変容     
      第18章 時間賃金     
      第19章 出来高賃金     
      第20章 国による労働賃金の格差

    第4分冊
    第7篇 資本の蓄積過程     
      第21章 単純な再生産     
      第22章 増殖価値の資本への変容     
      第23章 資本主義的な蓄積の一般法則     
      第24章 いわゆる原初的な蓄積     
      第25章 近代の植民理論

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  2. 河出世界の大思想版『資本論』より

    英語版への序言
    * 英語版の章別はフランス語版のそれと一致する。マルクスは、フランス語版では、第四章(これは同時に第二篇である)の諸節を諸章とし〔ここで章の数が二つ増した〕、第二四章を第八篇に、そしてその諸節を諸章に変更した〔ここで章の数が六つ増し、かくして全体が八篇三三章となっている〕。──編集者。

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  3. マルクスの思考回路


     絶対的
    拡大十単純
     相対的

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  4.           
     マルクス『資本論』            商品と
     ___________剰余価値______貨幣~3
    |資本の変態|(資本の |絶対|資本|拡大|単純|
    |  と循環| 循環過程)的_|へ4|価値形態論1
    | 1~6 |1、2、3|相対~16一般的|貨幣|
    |__資本の流通過程__|的_資本の生産過程__|
    |    <二> 18~|時間| <一> 資本の|
    |資本の回転|社会的21|_労 賃_| 蓄積過程|
    | 7~17|総資本20|17~20|21~25|
    |_____|再生産表式|出来高__|_本源的蓄積24
    平均、利潤率|     |     |資本|労働|
    低下 利潤 |     |生産過程 |_三位一体48
    商人1~20|    <三> 49 |  |土地|
    資本へ___資本主義的生産の総過程への転化|__|
    |     |絶対、差額|競争の  資本家|労働者
    |  利子 |  地代 |外観50 |_諸階級52
    |21~36|37~47| 分配と |  |地主|
    |複利24_資本主義的地代_生産51|__|__|
    信用27
    恐慌30


            
     ________________マ_ル_ク_ス_『資_本_論』________________   
    |拡大 単純|     |GーW買い1     |三5〜9 |二    |交換過程 |拡大 単純1  
    |再生産 ・|貨幣資本1|  GーWーPm   |絶対的剰余|貨幣の資本| 2   <価値形態論>  
    |生産資本2|     |     \A生産2、|価値の生産|への転化4|     一般的 貨幣|  
    |_一資本の諸変態と__|    WーG売り3 |_労働日8|_ロドス_|_一商品と貨幣1〜3_|  
    |  それらの循環1〜6| (資本の循環過程1)|四相対的 |五絶対的お|     |     |  
    商品資本3、まとめ4  |(G貨幣、W商品   |剰余価値・|よび相対的| 貨幣または商品流通3|  
    |流通5、6|     |Pm生産手段、A労働)|10〜13|・〜16 |     |     |  
    |____第2部:資本の流通過程________|協業11_第1部:資本の生産過程_|_____|  
    |     |周期9  〜21   |     |     |     〜25   |     |  
    労働期間12|固定、流動|拡大再生産|単純再生産| 時間18|労賃への |拡大再生産|単純再生産|  
    生産期間13|資本7〜11 2、21| 2、20|     | 転化17|  22 |   21|  
    |_二資本の回転7〜17|_三社会的総資本の__|____六労賃____|__七資本の_____|  
    |     |拡大 単純| 再生産と流通18〜21    17〜20  |  蓄積過程21〜25|  
    流通期間14|再生産 ・<再生産表式>〜規準20|出来高19|国民的相違|窮乏化 本源的蓄積24|  
    |    剰余価値の流通|固定資本償却、蓄積21|     |   20|法則23 植民理論25|
    |_____|___17|_スミスv+mのドグマ19____|_____|___________|
    |二    |一    |           |           |     |     |  
    |平均利潤へ|利潤率への|           | 生産過程の分析49 |資本:利潤|労働:労賃|  
    |転化8〜12転化1〜7|           |  <再生産表式>  |     |     |  
    |__<利潤>1〜20_|           |      _____|__三位一体定式48_|  
    |三利潤率の|四商人資本|           |  競争の外観50  |     |     |
    |傾向的低下|への転化 二つの道20      |     |__|__|     |土地:地代|
    |13〜15|16〜20|           |     |  |  |     |     | 
    |_____|_第3部:資本主義的生産の総過程への転化___|_七諸収入とその源泉48〜52__|  
    (利子21〜)     |     |     |〜52       <階級>   |     |  
    |五利子と企業者利得とへ|絶対地代 |差額地代 |           | 資本家 | 労働者 |  
    | の利潤の分裂    |  45 |38〜44|     生産51  |     |     |
    | 利子生み資本21〜36___<地代>____|           |____諸階級52__|
    |   <利子>    | 六超過利潤の    |   分配と     |     |     |
    |貨幣資本と現実資本30| 地代への転化37〜47           |     | 地 主 |
    〜32景気循環、恐慌30(独占地代)|資本主義的|           |     |     |
    |複利24_信用27__|__46_|地代の生成47__________|_____|_____|
          資本主義以前36  生産物地代|労働地代
                    _____|_____
                 (大土地所有制度)資本主義的
                     貨幣地代|<地代>

    返信削除
  5. 貨幣
    流通
    分配-階級

    返信削除
  6.           
     マルクス『資本論』            商品と
     ___________剰余価値______貨幣~3
    |資本の変態|(資本の |絶対|資本|拡大|単純|
    |  と循環| 循環過程)的_|へ4|価値形態論1
    | 1~6 |1、2、3|相対~16一般的|貨幣|
    |__資本の流通過程__|的_資本の生産過程__|
    |    <二> 18~|時間| <一> 資本の|
    |資本の回転|社会的21|_労 賃_| 蓄積過程|
    | 7~17|総資本20|17~20|21~25|
    |_____|再生産表式|出来高__|_本源的蓄積24
    平均、利潤率|     |     |労働|  |
    低下 利潤 |     |生産過程 |_三位一体48
    商人1~20|    <三> 49 |資本|土地|
    資本へ___資本主義的生産の総過程への転化|__|
    |     |絶対、差額|競争の  労働者|  |
    |  利子 |  地代 |外観50 |_諸階級52
    |21~36|37~47| 分配と 資本家|地主|
    |複利24_資本主義的地代_生産51|__|__|
    信用27
    恐慌30


            
     ________________マ_ル_ク_ス_『資_本_論』________________   
    |拡大 単純|     |GーW買い1     |三5〜9 |二    |交換過程 |拡大 単純1  
    |再生産 ・|貨幣資本1|  GーWーPm   |絶対的剰余|貨幣の資本| 2   <価値形態論>  
    |生産資本2|     |     \A生産2、|価値の生産|への転化4|     一般的 貨幣|  
    |_一資本の諸変態と__|    WーG売り3 |_労働日8|_ロドス_|_一商品と貨幣1〜3_|  
    |  それらの循環1〜6| (資本の循環過程1)|四相対的 |五絶対的お|     |     |  
    商品資本3、まとめ4  |(G貨幣、W商品   |剰余価値・|よび相対的| 貨幣または商品流通3|  
    |流通5、6|     |Pm生産手段、A労働)|10〜13|・〜16 |     |     |  
    |____第2部:資本の流通過程________|協業11_第1部:資本の生産過程_|_____|  
    |     |周期9  〜21   |     |     |     〜25   |     |  
    労働期間12|固定、流動|拡大再生産|単純再生産| 時間18|労賃への |拡大再生産|単純再生産|  
    生産期間13|資本7〜11 2、21| 2、20|     | 転化17|  22 |   21|  
    |_二資本の回転7〜17|_三社会的総資本の__|____六労賃____|__七資本の_____|  
    |     |拡大 単純| 再生産と流通18〜21    17〜20  |  蓄積過程21〜25|  
    流通期間14|再生産 ・<再生産表式>〜規準20|出来高19|国民的相違|窮乏化 本源的蓄積24|  
    |    剰余価値の流通|固定資本償却、蓄積21|     |   20|法則23 植民理論25|
    |_____|___17|_スミスv+mのドグマ19____|_____|___________|
    |二    |一    |           |           |     |     |  
    |平均利潤へ|利潤率への|           | 生産過程の分析49 |労働:労賃|     |  
    |転化8〜12転化1〜7|           |  <再生産表式>  |     |     |  
    |__<利潤>1〜20_|           |      _____|__三位一体定式48_|  
    |三利潤率の|四商人資本|           |  競争の外観50  |     |     |
    |傾向的低下|への転化 二つの道20      |     |__|__|資本:利潤|土地:地代|
    |13〜15|16〜20|           |     |  |  |     |     | 
    |_____|_第3部:資本主義的生産の総過程への転化___|_七諸収入とその源泉48〜52__|  
    (利子21〜)     |     |     |〜52       <階級>   |     |  
    |五利子と企業者利得とへ|絶対地代 |差額地代 |           | 労働者 |     |  
    | の利潤の分裂    |  45 |38〜44|     生産51  |     |     |
    | 利子生み資本21〜36___<地代>____|           |____諸階級52__|
    |   <利子>    | 六超過利潤の    |   分配と     |     |     |
    |貨幣資本と現実資本30| 地代への転化37〜47           | 資本家 | 地 主 |
    〜32景気循環、恐慌30(独占地代)|資本主義的|           |     |     |
    |複利24_信用27__|__46_|地代の生成47__________|_____|_____|
          資本主義以前36  生産物地代|労働地代
                    _____|_____
                 (大土地所有制度)資本主義的
                     貨幣地代|<地代>

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  7.           
     マルクス『資本論』            商品と
     ___________剰余価値______貨幣~3
    |資本の変態|(資本の |絶対|資本|拡大|単純|
    |  と循環| 循環過程)的_|へ4|価値形態論1
    | 1~6 |1、2、3|相対~16一般的|貨幣|
    |__資本の流通過程__|的_資本の生産過程__|
    |    <二> 18~|時間| <一> 資本の|
    |資本の回転|社会的21|_労 賃_| 蓄積過程|
    | 7~17|総資本20|17~20|21~25|
    |_____|再生産表式|出来高__|_本源的蓄積24
    平均、利潤率|     |     |  |労働|  
    低下 利潤 |     |生産過程 |_三位一体48
    商人1~20|    <三> 49 |資本|土地|
    資本へ___資本主義的生産の総過程への転化|__|
    |     |絶対、差額|競争の  |  | 労働者
    |  利子 |  地代 |外観50 |_諸階級52
    |21~36|37~47| 分配と 資本家|地主|
    |複利24_資本主義的地代_生産51|__|__|
    信用27
    恐慌30


            
     ________________マ_ル_ク_ス_『資_本_論』________________   
    |拡大 単純|     |GーW買い1     |三5〜9 |二    |交換過程 |拡大 単純1  
    |再生産 ・|貨幣資本1|  GーWーPm   |絶対的剰余|貨幣の資本| 2   <価値形態論>  
    |生産資本2|     |     \A生産2、|価値の生産|への転化4|     一般的 貨幣|  
    |_一資本の諸変態と__|    WーG売り3 |_労働日8|_ロドス_|_一商品と貨幣1〜3_|  
    |  それらの循環1〜6| (資本の循環過程1)|四相対的 |五絶対的お|     |     |  
    商品資本3、まとめ4  |(G貨幣、W商品   |剰余価値・|よび相対的| 貨幣または商品流通3|  
    |流通5、6|     |Pm生産手段、A労働)|10〜13|・〜16 |     |     |  
    |____第2部:資本の流通過程________|協業11_第1部:資本の生産過程_|_____|  
    |     |周期9  〜21   |     |     |     〜25   |     |  
    労働期間12|固定、流動|拡大再生産|単純再生産| 時間18|労賃への |拡大再生産|単純再生産|  
    生産期間13|資本7〜11 2、21| 2、20|     | 転化17|  22 |   21|  
    |_二資本の回転7〜17|_三社会的総資本の__|____六労賃____|__七資本の_____|  
    |     |拡大 単純| 再生産と流通18〜21    17〜20  |  蓄積過程21〜25|  
    流通期間14|再生産 ・<再生産表式>〜規準20|出来高19|国民的相違|窮乏化 本源的蓄積24|  
    |    剰余価値の流通|固定資本償却、蓄積21|     |   20|法則23 植民理論25|
    |_____|___17|_スミスv+mのドグマ19____|_____|___________|
    |二    |一    |           |           |     |     |  
    |平均利潤へ|利潤率への|           | 生産過程の分析49 |     |労働:労賃|  
    |転化8〜12転化1〜7|           |  <再生産表式>  |     |     |  
    |__<利潤>1〜20_|           |      _____|__三位一体定式48_|  
    |三利潤率の|四商人資本|           |  競争の外観50  |     |     |
    |傾向的低下|への転化 二つの道20      |     |__|__|資本:利潤|土地:地代|
    |13〜15|16〜20|           |     |  |  |     |     | 
    |_____|_第3部:資本主義的生産の総過程への転化___|_七諸収入とその源泉48〜52__|  
    (利子21〜)     |     |     |〜52       <階級>   |     |  
    |五利子と企業者利得とへ|絶対地代 |差額地代 |           |     | 労働者 |  
    | の利潤の分裂    |  45 |38〜44|     生産51  |     |     |
    | 利子生み資本21〜36___<地代>____|           |____諸階級52__|
    |   <利子>    | 六超過利潤の    |   分配と     |     |     |
    |貨幣資本と現実資本30| 地代への転化37〜47           | 資本家 | 地 主 |
    〜32景気循環、恐慌30(独占地代)|資本主義的|           |     |     |
    |複利24_信用27__|__46_|地代の生成47__________|_____|_____|
          資本主義以前36  生産物地代|労働地代
                    _____|_____
                 (大土地所有制度)資本主義的
                     貨幣地代|<地代>

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  8.    絶対的
     時間 | 法則
    拡大__|__単純
     効率 | 総合
       相対的

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  9. 資本論邦訳

    新日本新書
    岩波
    大月国民文庫
    河出書房新社
    筑摩(1のみ)
    日経(1のみ)
    超訳祥伝社(要約)

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  10. 河出書房
    訳 者 長谷部文雄1972年

     資本制的生産様式が支配的に行なわれる諸社会の富は、一つの「尨大な商品集成」として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。
      一 カール・マルクス『経済学批判』、ベルリン、一八五九年、三頁〔ディーツ版、一九五一年、一九頁〕。

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  11. 大月

     資本主義的生産様式が支配的に行なわれている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現われ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現われる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる。

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  12. 超訳

     資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現れ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析から始まる。

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  13. 内田弘

    「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》として(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として(als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始まる」。5)

    『資本論』の自然哲学的基礎 (Adobe PDF) -htmlで見る
    ir.acc.senshu-u.ac.jp/index.php?...
    最初に,『資本論』冒頭文節を引用し「差異論文」と『資本論』の内面的な関連を示す。 冒頭文. 節はこうである。 「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの 巨魔的な商品集合》として(als eine ,,ungeheure Warensammlung'')現われ,個々の ...

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  14. 内田弘引用元

    5)Das Kapital, Erster Band, Dietz Verlag,1962,S.49.資本論翻訳委員会訳『資本論』新日本出版社,第1分冊,1982
    年,59頁。訳語「巨魔的」・「集合」・「要素形態」は引用者。引用文の「要素形態(Elementarform)」は,初版ではゲシ ュペルト表記で『資本論』体系構成の基本形態である,《集合(Sammlung),かつ要素形態としての商品》を強調した。 第二版以後ではその表記は取り消され,その意図は明示されていない。マルクスは『資本論』第二版後書で自分の記述 法に言及しつつも,それを本文では隠す。自分の記述を圧縮し記述法を隠すことを好んだマルクスの韜晦であろう。こ れまでの訳,「商品集成―元基形態」(長谷部文雄訳,河出書房,1964年)・「商品の集まり―基本形態」(岡崎次郎訳,大 月書店,1968年)・「商品集積―基本形態」(岡崎次郎訳,国民文庫,1972年),「商品のかたまり―構成している[もの]」
    (的場昭弘訳,祥伝社,2008年)などは「集合―要素」の関係が鮮明ではない。それらの訳では訳者が対概念「集合―要 素」に気づいていないことにならないだろうか。そのような不適訳・誤訳に気づかず,その訳を前提した冒頭文節の解 釈,さらに『資本論』の体系解釈は誤解に導かれないだろうか。その中で,資本論翻訳委員会訳の「商品の集まり―要 素形態」(平井規之訳,新日本出版社,1982年)は「集合―要素」の関係をほぼ正確に訳している。

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  15.   先ず、原著者カール・マルクス自身叙述の英語版を転載しよう。これは日本の翻訳者すべてが採用してきたサミュエル・ムーアとエドワード・エーヴリングによって第3のドイツの版から英語に翻訳され、フレデリック・エンゲルスによって編集された「英語版」のことである。

      The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity.

      小生が、これを翻訳の唯一原則とする「直訳体=外国語をその原文の字句や語法に忠実に翻訳すること(広辞苑)」で日本語化した結果は、つぎのとおりとなる。

      「およそ諸社会の富は、なかんずく、生産の資本家様式が優先する社会においては、それ自身を『商品の膨大な集積』として現す、その単位がたった一つの商品でありながら。我われの研究はそれ故に一個の商品の分析とともに始めなければならない」。と。

      この文章の簡潔にして流麗であること、惚れ惚れするくらいだ。そのポイントは「なかんずく」と「たった一つの・・・でありながら。」にある。これがもたらす高揚した雰囲気で、よーし俺も、たった1個の商品の分析にとりかかるか! という調子がでてくる。ガラパゴス化した従来の和訳本ではこのエネルギーが沸くどころか、何ダこんなギクシャクした物言いは、苦労ばかり背負い込んで成果なしのくたびれもうけになるのではないか? と遅疑逡巡の憂いを醸成するばかりであろう。

      その憂鬱の原因となった今までの和訳の標本とも言うべき文書、三つを紹介しよう。

      一つは、昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社
    「資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの『厖大な商品集成』として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる」(35p)。

      次に、平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店
     「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの『巨大な商品の集まり』として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」(71p)。

      二つに共通する冒頭の「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は」という表現は原文とは無縁の勝手な作文である。まして前者の文の「諸社会の富」という複数表現は「支配的に行われる」という専有語と矛盾すること明白だ。また「原基形態」という生物用語は不適応も甚だしい。「原基」を広辞苑でひいてみるがいい。又後者の文が採用する「基本形態」の「基本」も「単位がたった一つ」に対応するには漠然も甚だしい。ここでは「たった一つの商品」が研究の出発点なのに、その意味がまったく理解されていないようだ。

      三つ目は、的場昭弘の荒っぽさを象徴する翻訳文、超訳 「資本論」2008年第1刷、祥伝社
    「資本主義的生産様式を支配している社会的富は、『巨大な商品のかたまり』として現れ、この富を構成しているのがこの商品である。われわれの研究は商品の分析から始まる」(52p)。
    とんだ文章である。そもそも、社会的富が資本主義的生産様式を支配する、などということは何処から出てくる寝言なのか? 『巨大な商品のかたまり』という大岩石はどうやって作られ現れるのか? そんなでかいことを指摘した以上どうして研究を「かたまり」から始めないのか? まさに、気違い沙汰の文章でとらえどころがない。これでも「博士」なのだから今の大学のレベルも急降下して低落したものだ。こんな「超訳」を読んでマルクスを勉強したなどとバンザイする学生ドモは国を滅ぼす元凶だ。


    http://shihonron999.blog.fc2.com

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  16.  「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる」新日本出版社、1982年、59頁。

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  17. 岩波、向坂逸郎訳

     資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。

    67頁

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  18.  新日本出版社、新書全11巻?
    「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる」新日本出版社、1982年、59頁。

    岩波、向坂逸郎訳 文庫全9巻?

     資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。

    昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社
    「資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの『厖大な商品集成』として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる」(35p)。

      次に、平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店
     「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの『巨大な商品の集まり』として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」(71p)。

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  19. 昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社
    「資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの『厖大な商品集成』として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる」(35p)。


    岩波、向坂逸郎訳 文庫全9巻?1969年
     資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。


      次に、平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店
     「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの『巨大な商品の集まり』として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」(71p)。


     新日本出版社、新書全13巻?1989年
    「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる」新日本出版社、1982年、59頁。

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  20. 資本論冒頭翻訳各種

    Marx eröffnet den ersten Band von "Das Kapital" mit den Sätzen:

    "Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine ungeheure Warensammlung, die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware." (MEW Bd. 23, S.49)


    1887年英語版*
      The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity.

    昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社
    「資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの『厖大な商品集成』として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる」(35p)。


    岩波、向坂逸郎訳 文庫全9巻?1969年
     資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。


      次に、平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店
     「資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの『巨大な商品の集まり』として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる」(71p)。


     新日本出版社、新書全13巻?1989年
    「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、『商品の巨大な集まり』として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる」新日本出版社、1982年、59頁。


    「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》として(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として(als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始まる」。5)






      先ず、原著者カール・マルクス自身叙述の英語版を転載しよう。これは日本の翻訳者すべてが採用してきたサミュエル・ムーアとエドワード・エーヴリングによって第3のドイツの版から英語に翻訳され、フレデリック・エンゲルスによって編集された「英語版」のことである

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  21. Marx eröffnet den ersten Band von "Das Kapital" mit den Sätzen:

    <Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise herrscht, erscheint als eine ungeheure Warensammlung, die einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.> (MEW Bd. 23, S.49)


    1887年英語版*
     <The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity. >


    <資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの「厖大な商品集成」として現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの研究は商品の分析をもって始まる>

    (昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社、35p)


     <資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現われ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商品の分析をもって始まる。>

    (岩波、向坂逸郎訳 文庫全9巻 1969年 第一巻67頁)


    <資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集まり」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は商品の分析から始まる>

    (平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店、71p)



    <資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品の分析から始まる>

    (新日本出版社、1982年、59頁、新書全13巻)


    「資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》として(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として(als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始まる」。5)






      先ず、原著者カール・マルクス自身叙述の英語版を転載しよう。これは日本の翻訳者すべてが採用してきたサミュエル・ムーアとエドワード・エーヴリングによって第3のドイツの版から英語に翻訳され、フレデリック・エンゲルスによって編集された「英語版」のことである


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  22. "Das Kapital"
    <Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise
    herrscht, erscheint als eine ungeheure Warensammlung, die einzelne Ware als seine
    Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.>
    (1867年初版。MEW Bd. 23, S.49)

    <The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails,
    presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single
    commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity. >
    (1887年英語版)

    <資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの「厖大な商品集成」とし
    て現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの
    研究は商品の分析をもって始まる。>
    (昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社、35頁)

    <資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現わ
    れ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商
    品の分析をもって始まる。>
    (岩波、向坂逸郎訳 文庫全9巻 1969年 第一巻67頁)

    <資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集ま
    り」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われ
    われの研究は商品の分析から始まる。>
    (平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店、国民文庫第一巻71頁)

    <資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現
    れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品
    の分析から始まる。>
    (平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)

    <資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現
    れ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析
    から始まる。>
    (超訳、祥伝社2008年)

    <資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》とし
    て(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として
    (als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始ま
    る>
    (内田弘訳。「『資本論』の自然哲学的基礎」より。pdf公開されているこの論文で内
    田は集合-要素の概念が大事だと強調する。その観点から新日本出版社訳が推奨され
    る。)

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  23. <資本制生産様式が支配的な社会においては、社会の富は「一つの巨大な商品の集まり」として現れ、ここの商品はその要素形態として現れる。だからわたしたちの研究もまた商品の分析から始まる。>
    (中山元訳、日経、第一部全4巻第一巻27頁、2011年)

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  24. 『資本論』冒頭翻訳各種:

    "Das Kapital"
    <Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise
    herrscht, erscheint als eine ungeheure Warensammlung, die einzelne Ware als seine
    Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.>
    (1867年初版。MEW Bd. 23, S.49)

    <The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails,
    presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single
    commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity. >
    (1887年英語版)

    <資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの「厖大な商品集成」とし
    て現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの
    研究は商品の分析をもって始まる。>
    (昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社、35頁)

    <資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現わ
    れ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商
    品の分析をもって始まる。>
    (岩波、向坂逸郎訳 文庫全9巻 1969年 第一巻67頁)

    <資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集ま
    り」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われ
    われの研究は商品の分析から始まる。>
    (平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店、国民文庫第一巻71頁。全集第23巻47頁)

    <資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現
    れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品
    の分析から始まる。>
    (平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)

    <資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品の集合体」の姿をとっ
    て現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる。したがってわれわ
    れの研究は商品の分析からはじまる。>
    (今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション Ⅳ 資本論 第一巻
    (上)』筑摩書房、2005年)

    <資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現
    れ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析
    から始まる。>
    (超訳、祥伝社2008年)

    <資本制生産様式が支配的な社会においては、社会の富は「一つの巨大な商品の集ま
    り」として現れ、ここの商品はその要素形態として現れる。だからわたしたちの研究も
    また商品の分析から始まる。>
    (中山元訳、日経、第一部全4巻第一巻27頁、2011年)

    <資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》とし
    て(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として
    (als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始ま
    る。>
    (内田弘訳。「『資本論』の自然哲学的基礎」2012年より。pdf公開されているこの論
    文で内田は集合-要素の対概念が大事だと強調する。その観点から新日本出版社訳が推
    奨される。筑摩、日経訳もこれにあてはまるだろう。)

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  25. 『資本論』冒頭翻訳各種:

    "Das Kapital"
    <Der Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Produktionsweise
    herrscht, erscheint als eine ungeheure Warensammlung, die einzelne Ware als seine
    Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.>
    (1867年初版。MEW Bd. 23, S.49)

    <The wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails,
    presents itself as “an immense accumulation of commodities,” its unit being a single
    commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity. >
    (1887年英語版)

    <資本制的生産様式が支配的に行われる諸社会の富は、一つの「厖大な商品集成」とし
    て現象し、個々の商品は、こうした富の原基形態として現象する。だから、われわれの
    研究は商品の分析をもって始まる。>
    (昭和39年(1964)初版、長谷部文雄訳、河出書房新社、35頁)

    <資本主義的生産様式の支配的である社会の富は、「巨大なる商品集積」として現わ
    れ、個々の商品はこの富の成素形態として現われる。したがって、われわれの研究は商
    品の分析をもって始まる。>
    (向坂逸郎訳、岩波文庫全9巻 1969年 第一巻67頁)

    <資本主義的生産様式が支配的に行われている社会の富は、一つの「巨大な商品の集ま
    り」として現れ、一つ一つの商品は、その富の基本形態として現れる。それゆえ、われ
    われの研究は商品の分析から始まる。>
    (平成3年(1972)第1刷、岡崎次郎訳、大月書店、国民文庫第一巻71頁。全集第23巻47頁)

    <資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現
    れ、個々の商品はその富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの研究は、商品
    の分析から始まる。>
    (平井規之訳、新日本出版社、1982年、第一巻59頁、新書全13巻)

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  26. <資本制生産様式が君臨する社会では、社会の富は「巨大な商品の集合体」の姿をとっ
    て現われ、ひとつひとつの商品はその富の要素形態として現われる。したがってわれわ
    れの研究は商品の分析からはじまる。>
    (今村仁司、三島憲一、鈴木直訳『マルクス・コレクション Ⅳ 資本論 第一巻
    (上)』筑摩書房、2005年)

    <資本主義的生産様式が支配している社会的富は、「巨大な商品のかたまり」として現
    れ、この富を構成しているのがこの商品である。だから、われわれの研究は商品の分析
    から始まる。>
    (超訳、祥伝社2008年)

    <資本制生産様式が支配的な社会においては、社会の富は「一つの巨大な商品の集ま
    り」として現れ、ここの商品はその要素形態として現れる。だからわたしたちの研究も
    また商品の分析から始まる。>
    (中山元訳、日経、第一部全4巻第一巻27頁、2011年)

    <資本主義的生産様式が支配している諸社会の富は,《一つの巨魔的な商品集合》とし
    て(als eine ,,ungeheure Warensammlung’’)現われ,個々の商品はその富の要素形態として
    (als seine Elementarform)現われる。したがって,われわれの研究は商品の分析から始ま
    る。>
    (内田弘訳。「『資本論』の自然哲学的基礎」2012年より。pdf公開されているこの論
    文で内田は集合-要素の対概念が大事だと強調する。その観点から新日本出版社訳が推
    奨される。筑摩、日経訳もこれにあてはまるだろう。)

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  27. <La richesse des sociétiés dans lesquelles règne le mode de production capitaliste
    s’annonce comme une 《immense accumulation de marchandises.》L’analyse de la
    marchandise, forme élémentaire de cette richesse, sera par consequent le point de
    départ de nos recherches.>
    (1872年、マルクス自身によるフランス語訳)http://monsieurk.exblog.jp/17300334/


    参考サイト:
    http://shihonron999.blog.fc2.com 他

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  28. <La richesse des sociétiés dans lesquelles règne le mode de production capitaliste
    s’annonce comme une 《immense accumulation de marchandises.》L’analyse de la
    marchandise, forme élémentaire de cette richesse, sera par consequent le point de
    départ de nos recherches.>
    (1872年、マルクス自身によるフランス語訳)http://monsieurk.exblog.jp/17300334/


    参考サイト:
    http://shihonron999.blog.fc2.com 他

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  29. <La richesse des sociétiés dans lesquelles règne le mode de production capitaliste
    s’annonce comme une 《immense accumulation de marchandises.》L’analyse de la
    marchandise, forme élémentaire de cette richesse, sera par consequent le point de
    départ de nos recherches.>
    (1872年、マルクス自身によるフランス語訳。フランス語版からの邦訳も数種類ある
    が未確認。)

    参考サイト:
    http://monsieurk.exblog.jp/17300334/
    http://shihonron999.blog.fc2.com 他

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  30. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。>

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。

    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555

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  31. http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33

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  32. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。>

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。

    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

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  33. <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、中公世界の名著43,98頁)

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  34. <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)



    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。>

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。

    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)




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  35. <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)



    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>

    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)




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  36. マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照。
    定本310頁

    マルクスはgoldによって集合論的矛盾を回避していると思う。

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  37. マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照。
    定本310頁

    上記柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。

    マルクスはgoldによって集合論的矛盾を回避していると思う。

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  38. 以上の機制は種と類という観点から言い換えることができる。リンネル (種) が商品世界からの 排除によって価値 (類) の現象形態と取り違えられ、商品世界の諸商品の使用価値 (種) はその相似 性=価値 (類) をリンネル (種→類) によって表現されるようになる。この事態をマルクスは『資本 論』初版において次のように言い表わしている。「形態 III においては、リンネルは全ての他の商 品にとっての等価物の類形態として現われる。それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな 類、種、亜種、科、等々を形成している獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並ん で、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在して いるようなものである」(Marx[14]S.27)。ここで、リンネル (類) は他の商品 (種) を表現している のであり、その意味で、形態 III は提喩的であると言えよう10。

    [14] ———, Das Kapital, Band I, Erste Auflage, Hamburg Verlag, 1867. 岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年。

    http://fourier.ec.kagawa-u.ac.jp/~kosuke/ideology.pdf



    以上の機制は種と類という観点から言い換えることができる。リンネル (種) が商品世界からの 排除によって価値 (類) の現象形態と取り違えられ、商品世界の諸商品の使用価値 (種) はその相似 性=価値 (類) をリンネル (種→類) によって表現されるようになる。この事態をマルクスは『資本 論』初版において次のように言い表わしている。「形態 III においては、リンネルは全ての他の商 品にとっての等価物の類形態として現われる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな 類、種、亜種、科、等々を形成している獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並ん で、かつそれらのほかに、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在して いるようなものである>
    (定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976 年。27頁)



    」(Marx[14]S.27)。ここで、リンネル (類) は他の商品 (種) を表現している のであり、その意味で、形態 III は提喩的であると言えよう10。

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  39. <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>

    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照(定本310頁)。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわ
    かる。
    マルクスはgoldによって集合論的矛盾を回避していると思う。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976
    年。27頁)

    参考:http://fourier.ec.kagawa-u.ac.jp/~kosuke/ideology.pdf

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  40. <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照(定本310頁)。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわ
    かる。マルクスはgoldによって集合論的矛盾を回避していると思う。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976
    年。27頁)

    参考:http://fourier.ec.kagawa-u.ac.jp/~kosuke/ideology.pdf

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  41. http://chikyuza.net/archives/38820

    価値形態は主語(相対的価値形態)の述語(等価形態)への一方的関係である。交換過程はすべての商品が自己以外の商品を述語にしようとする競争過程から貨幣が彼らが意図しない結果として生成する。各々の商品は価値形態の第二形態で連鎖しあい、『資本論』初版のいう「第4形態」をなす。全部でn種類の商品が交換過程に参加しているとすれば、各々の商品には一般的等価形態(貨幣)になる可能性は1/nある。全部でn種類の商品が存在し各々に1/nの可能性がある。商品世界全体ではn×(1/n)=1の可能性=必然性がある。商品世界からは必ず貨幣が生成する。貨幣は自己以外のn-1種類の商品の価値を自己の使用価値(自然物質・金)で表現=鏡映する。貨幣=金は商品世界の価値鏡であり自己の価値を自己を除く商品群の使用価値で表現=鏡映する。鏡映するものも自己の鏡に鏡映されるものに鏡映される。鏡映関係の対称的推論構造こそ、価値形態=交換過程論が論証する世界である。そこに「要素変換に対して不変の対称的構造」が潜在する。

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  42. http://www.office-ebara.org/modules/xfsection02/article.php?articleid=9

     商品とは人間がそれに意志をあずけることができる概念的存在でした。だが今まで述べてきたことは、社会関係の論理を解明しうる文化知の方法からの接近であって、現実の意志支配の様式ではありませんでした。進んで現実の意志支配の様式に迫ってみましょう。
     意志支配の様式は商品世界からの貨幣の生成のメカニズムのなかにひそんでいます。マルクスは『資本論』初版本文価値形態論で、価値形態の発展を論じ、そして交換過程論で貨幣の生成を説いています。それに従ってみましょう。
     先にとりあげた1台のテレビ=2着のスーツという価値等式は簡単な価値形態と呼びます。この関係が展開され、1台のテレビがスーツだけでなく、他の色々な商品と価値関係をとり結ぶとき、この多くの価値等式を展開された価値形態と呼びます。次にこの関係を逆から見れば、スーツやコーヒーやお茶、といった諸商品が全て単一の商品テレビと価値等式をとり結んでいることになります。これはあらゆる商品が単一の商品で価値を表現していますから、等価価値にある商品テレビは価値一般の代表となり、この形態を一般的価値形態と呼びます。
     以上三つの形態の他に初版本文価値形態論では、『資本論』現行版では省略されてしまった第4形態が置かれています。それは形式としては、個々の商品の展開された形態(第2形態)が並列されているものですが、この形態の意味は、全ての商品が一般的価値形態の等価形態の位置に収まろうとすることの帰結だ、というところにあります。つまり、一般的価値形態で等価形態に置かれた商品は、他の全ての商品と直接交換可能な形態にあり、直接的に社会的形態をとっているわけですから、どの商品にとっても、それは到達目標だったからです。ところが全ての商品が一般的価値形態になろうとすれば、第4形態が生じてしまい、ここでは商品世界は分断されて、それぞれが小宇宙を形成してしまうことになります。商品世界はそのままでは統一的なものになれず、従って社会的に妥当な形態にたどりつけません。とはいえ、3番目の一般的価値形態の形がとれれば、全ての商品が、単一の商品を価値の化身とすることでお互いを社会的なものとして表現し、統一的な秩序を形成できることも判明しています。
    貨幣生成のメカニズム


     マルクスの貨幣生成論のハイライトは交換過程で述べられていますが、その内容はほとんど理解されていません。その理由の一つは文献学的根拠にもとづいています。初版本文価値形態論と現行版価値形態論とでは、第4形態がちがっている(現行版では貨幣形態となっている)にもかかわらず、交換過程論は初版と変わっていないのです。現行版では価値形態論で貨幣形態がすでに出てきているので、これと、まだ出てきていない初版の価値形態論とのつながりで書かれた交換過程論とを結びつけて理解することは出来ないのです。
     交換過程論をあくまでも初版本文価値形態論とのつながりで読み、初版の第4形態から出発して論をつなげていくと、そこに意志支配の様式が浮びあがってきます。
     商品の価値とは商品の社会性であり、それは商品世界を統一的な社会的形態にしようとする衝動をはらんでいます。商品の価値形態の展開のなかで、この統一的な社会形態が存在し得ることが確認されました。問題は現実にこの形態を獲得することだけです。
     商品の現実の交換過程では、商品所有者が登場します。商品所有者たちが、自分の商品で他の商品を買おうとする限りでは、第4形態が生じ、一人よがりの世界しか生まれませんでした。ところが商品所有者たちが、単一の商品となら自分の商品を売ってもよい、というように共同して売り手の立場に立てば、一般的価値形態が成立し、一般的等価物、つまり貨幣を生成させることができます。
     だが商品所有者たちは、契約してこのような共同行為を行なうわけではなりません。彼らは全然意識しないところで、それぞれが同じ行為をなし、結果として共同行為が形成されるのでした。
     だからマルクスは、貨幣の生成を、商品所有者が自らの意志を商品に宿すこととみなしました。統一的な社会的形態に達したい、という価値の本性に商品所有者たちが意志支配されることで、貨幣生成の共同行為が現実のものとなるのです。この共同行為は商品所有者にとっては無意識のうちに行なわれる本能的な共同行為となる他はありません。
    無意識のうちでの本能的共同行為


     さて、貨幣生成について、マルクスから一寸はなれて再論してみましょう。その際、無意識のうちに行なわれる本能的共同行為ということに注目しましょう。
     一たん意志の自由が確立した社会では、同意にせよ、他人に意志を支配されれば、服従の行為は意識化されざるをえません。しかし、商品の場合は、人格ではなく単なる物として現われます。従ってそれへの服従は人間にとっては社会的な自然法則への順応と観念され、服従という意識は生じません。だからそれは無意識のうちに行なわれる身体の本能的行為と同じレベルの本能的な社会的行為となります。そして、個々の商品所有者が同じ行為を行なう結果、共同行為が形成されます。
     この貨幣生成の共同行為によって貨幣が生成されれば、商品の物神性が貨幣の物神性へと発展し、貨幣は、共同行為の結果として直接交換可能性をもつにすぎないにもかかわらず、貨幣商品それ自体に直接的な購買力が付着しているように見えてきます。そして、貨幣にねうちがあるから自分の商品で貨幣を得ようとする商品所有者の日常的意識が一般化していきます。
     この日常的意識に則して、貨幣生成のメカニズムを見てみましょう。

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  43. 各種形態[編集]
    初版において、第一、第二と番号付けされていたので番号で呼ばれることも多い。初版とは若干の違いがあるが、ここでは再版において於いて論じられる方式で記述し、()に初版での番号を付す。
    A.簡単な、個別的または偶然的な価値の形態[編集]
    (第一形態)
    x量の商品A = y量の商品B (または x量の商品A は y量の商品Bに値する)
    B.総体的または展開された価値形態[編集]
    (第二形態)
    z量の商品A= u量の商品B または
      〃   = v量の商品C または
      〃   = w量の商品D または .....
    C.一般的な価値形態[編集]
    (第三形態)
    u量の商品B=z量の商品A
    v量の商品C=  〃
    w量の商品D=  〃    .....
    D.貨幣形態[編集]
    (初版には第四形態があるが、それは貨幣形態ではない。したがってこのD項を第四形態と呼ぶのは要らぬ混乱をもたらすであろう。)
    z量の商品A=2オンスの黄金
    u量の商品B=  〃
    v量の商品C=  〃
    w量の商品D=  〃     .....



    http://ja.wikipedia.org/wiki/価値形態

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  44.              G
          D:  ◎ 貨幣  
              ◯ 
          C: /| 一般的 
            ☆☆☆  
            ☆☆☆     
          B:|/  拡大
            ◯ 
      形態一、A:◯=☆ 単純 
    (相対的価値形態 = 等価形態)

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  45. 1860年代から1880年代までマルクスは、ヘーゲル『大論理学』に示唆された「原始関数と導関数の比率」の問題から「微分可能性=連続性問題」を研究し、そこに「対称性(Symmetrie)」を確認している。[22] この確認は「要素(経済学範疇)変換に対して不変の対称的構造」が近代資本主義の編成原理であることマルクスが把握していたことを示している。(以上)

    [22] 前掲のつぎの頁を参照せよ。K.Mаркс, Maтeмaтичecкиe Pукoписи, Haукa,1968,стр.176;Marx’s Mathematical Manuscripts, translated by C. Aronson, M. Meo, and R. A. Archer, New Park Publications, 1983,p.99.;マルクス『数学手稿』菅原仰訳、大月書店、1973年、82頁。

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  46. 河出

    貨幣形態の概念における困難は、一般的な等価形態を、つまり一般的な価値形態一般を、形態Ⅲを、概念ずることだけである。形態Ⅲは、逆の連関では形態Ⅱ、すなわち開展された価値形態に帰着する。そして形態Ⅱの構構成要素は、形態Ⅰ、すなわち、20エルレの亜麻布=1枚の上衣 あるいは、x量の商品A=y量の商品B である。だかだから、簡単な商品形態は貨幣形態の萌芽である。

    1:1:1
    第三節D

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  47. 河出

    貨幣形態の概念における困難は、一般的な等価形態を、つまり一般的な価値形態一般を、形態Ⅲを、概念ずることだけである。形態Ⅲは、逆の連関では形態Ⅱ、すなわち開展された価値形態に帰着する。そして形態Ⅱの構構成要素は、形態Ⅰ、すなわち、20エルレの亜麻布=1枚の上衣 あるいは、x量の商品A=y量の商品B である。だかだから、簡単な商品形態は貨幣形態の萌芽である。

    1:1:1
    第三節D

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  48. 河出

    貨幣形態の概念における困難は、一般的な等価形態を、つまり一般的な価値形態一般を、形態Ⅲを、概念することだけである。形態Ⅲは、逆の連関では形態Ⅱ、すなわち開展された価値形態に帰着する。そして形態Ⅱの構構成要素は、形態Ⅰ、すなわち、20エルレの亜麻布=1枚の上衣 あるいは、x量の商品A=y量の商品B である。だかだから、簡単な商品形態は貨幣形態の萌芽である。

    1:1:1
    第三節D

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  49. 河出

     貨幣形態の概念における困難は、一般的な等価形態を、つまり一般的な価値形態一般を、形態Ⅲを、概念することだけである。形態Ⅲは、逆の連関では形態Ⅱ、すなわち開展された価値形態に帰着する。そして形態Ⅱの構構成要素は、形態Ⅰ、すなわち、20エルレの亜麻布=1枚の上衣 あるいは、x量の商品A=y量の商品B である。だかだから、簡単な商品形態は貨幣形態の萌芽である。

    1:1:1
    第三節D

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  50. 電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
    アプリが不十分、ダウンロード不可?で推奨出来ない。やはりibooksを推奨する。
    大月のon lineは検索機能だけでも画期的。ただコピペは出来ない。
    CamScannerHD等scanアプリを使う手もあるが、、、、

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  51. 個→特殊→一般(→貨幣)

    というヘーゲルの論理が見られる


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  52. 特殊(偶然)→個→一般(→貨幣)

    というヘーゲルの論理が見られる


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  53. 特殊(偶然)ab→一般c→個(貨幣)d

    ?

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  54. B、全体的な・または開展された・価値形態
    一、開展された相対的価値形態
    二、特殊的な等価形態
    三、全体的な・または開展された・価値形態の欠陥


    個→特殊→一般(→貨幣)

    というヘーゲルの論理が見られる




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  55. B、全体的な・または開展された・価値形態
    一、開展された相対的価値形態
    二、特殊的な等価形態
    三、全体的な・または開展された・価値形態の欠陥


    個→特殊→一般

    というヘーゲルの論理が見られる




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  56. 第四形態のズレはヘーゲル回帰を意味する

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  57. 電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
    ブラウザ対応の反面、アプリが不十分、ダウンロード不可?で推奨出来ない。やはりibooksを推奨する。
    大月のon lineは検索機能だけでも画期的。ただコピペは出来ない。
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  58. <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照(定本310頁)。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976
    年。27頁)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
    ブラウザ対応の反面、アプリが不十分、ダウンロード不可?で推奨出来ない。やはりibooksを推奨する。
    大月のon lineは検索機能だけでも画期的。ただコピペは出来ない。
    CamScannerHD等scanアプリを使う手もあるが、、、、

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  59. >>
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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関してはトラクリの価値形態に関する考察を参照(定本310頁)。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976
    年。27頁)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』(一)として現は
    れ、個々の商品(1)はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。

    (一)拙著『経済学批判』(ベルリン、一八五九年刊、第四頁)(2)。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976
    年。27頁)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現は
    れ、個々の商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以
    つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本トラクリ318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976
    年。27頁)

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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本TC318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976
    年。27頁)

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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本TC318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976年。27頁)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックスでも割安ででているはずだが、
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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
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    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本TC318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976年。27頁)

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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本TC318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976年。27頁)

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  66. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (定本TC318頁。岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976年。27頁)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックストアでも割安ででているはずだが、
    ブラウザ対応の反面、アプリが不十分、ダウンロード不可?で推奨出来ない。
    大月のon lineは検索機能だけでも画期的。ただコピペは出来ない。
    CamScannerHD等scanアプリを使う手もあるが、、、、

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  67. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976年、27頁。定本TC318頁。)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックストアでも割安ででているはずだが、
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  68. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976年27頁。定本TC318頁。)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックストアでも割安ででているはずだが、
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  69. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555
    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)、1976年27頁。定本TC318頁。)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックストアでも割安ででているはずだが、
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  70. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
    (高畠素之訳、1925年大正14年、新潮社、のちに改造社他)
    http://awatasan.web.fc2.com/kansoku/kyuuban/capital/01_01.html
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    http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/971555/33 (国会図書館デジタルコレクション)

    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』、大月書店 (国民文庫)1976年27頁。定本TC318頁。)

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  71. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
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  72. <資本制生産方法が専ら行はれる社会の富は『尨大なる商品集積』として現はれ、個々の
    商品はその成素形態として現はれる。故に我々の研究は、商品の分析を以つて始まる。>
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    <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大なる商品集積」(マルクス
    『経済学批判』一八五九年)としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態として
    あらわれる。だからわれわれの研究は、商品の分析からはじまる。>
    (鈴木鴻一郎訳、1973年、中公世界の名著43,98頁)

    マルクスと集合論に関しては定本『トランスクリティーク』(310頁)の価値形態に関する考察を参照。
    その柄谷の考察によって、初版にあった集合論的矛盾の記述↓は以降削除されたことがわかる。

    <それは、ちょうど、群をなして動物界のいろいろな類、種、亜種、科、等々を形成し
    ている獅子や虎や兎やその他のすべての現実の動物たちと相並んで、かつそれらのほか
    に、まだなお動物というもの、すなわち動物界全体の個別的化身が存在しているような
    ものである>
    (岡崎次郎訳『資本論 第1巻初版』大月書店 (国民文庫)1976年27頁。定本TC318頁参照。)

    なお、電子書籍版、河出書房新社世界の大思想はyahooブックストアでも割安ででているはずだが、
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  73. エチカ4:付28 第二八項 しかしこれを調達するには、人間が相互に助け合わない限り、個々人の力だけではほとんど十分でないであろう。ところですべての物が簡単に貨幣で代表されるようになった。この結果として通常貨幣の表象像が大衆の精神を最も多く占めるようになっている。人々は、金銭がその原因と見られないような喜びの種類をほとんど表象することができないからである。

    「身体を必要なだけ養うためには,本性を異にする多様な養分を取らなければならない。...
    しかしこれを調達するには,人間が相互に助け合わない限り,個々人の力だけではほとんど
    十分ではないであろう。ところで,すべての物が簡単に貨幣で代表されるようになった。こ
    の結果として通常,貨幣の表象像が大衆の精神を最も多くを占めるようになっている。人々
    は,金銭がその原因と見られないような喜びの種類をほとんど表象することができないから である」。100)



    100)Spinoza Opera, vol.II, p2. 74.『神学・政治論』畠中尚志訳,1951年,岩波文庫(下巻)93頁。


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  74. 2)マルクスによるライプニッツのモナド概念批判
    「カントのアンチノミーは止揚される」という観点から,マルクスはライプニッツの「モナド (Monade, monad)」という独自な存在論を検討する。ライプニッツは,宇宙は「モナド」からな り,すべての「モナド」には種差=個体差がある,という。ライプニッツはすべてのモナドは偶然 的存在であり,それらを必然的存在に転化する究極の根拠は神の恩寵(=宗教的要因)であるとみ る。ライプニッツは,究極の存在根拠を神にもとめる点では,カントの天界論と同じである。マル
    クスは「差異論文」執筆のために,ライプニッツの「哲学原理,あるいはオイケン公のためテーゼ」 をノートして,つぎの拙訳のボールド体の部分にサイド・ラインを引いて注目する。
    !!! !!!!!
    「モナドは...合成されると消滅する単純な実体である。単純なものとは部分がないもののこ
    とである。...単純な実体が生成し,実体が合成体を生成すること必須のことである。部分が
    ないところでは,延長も形態も部分もない。モナドは自然の真の原子であり...事物の諸要素
    である。モナドは創造なしでは始まらないし,否定作用なしでは中断できない。同じように,
    いかなる方法でもっても,消滅も生成も説明できない。それはちょうど,モナドが形態を変
    えられないことや,それに内在するものが他の被造物によって変化できないことと同じであ
    !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
    る。実体も偶有性も外部からモナドに侵入することはない。それでもなお,モナドが何らか の固有性をもちながら,しかもいかなる存在でもないということは必須のことである。実際,
    !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
    任意のどのモナドもその他のどのモナドからも区別されるということは必須のことである。
    すなわち,その本性上,ある存在が他の存在と完全に合致するような二つの存在はけっして
    ないのである。ある任意の内的な区別,あるいは,ある内的な規定にもとづく区別が発見で
    !!!! !!!! !!!!!!!!!!!!
    きないということはない。どの任意[のモナド]に対しても変化が先行することは不可能で
    !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
    ある。モナドの自然な変化はある内的な原理に由来すると推論される。たしかにそこでは或 る外的な原因さえその内的な作用であとづけることはできない。変化をもたらす原理を除い て,いかなる力もないのである」。73)

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  75. ライプニッツは,モナドは各々が相互に区別し合う単純な実体であり,同じモナドは存在しない,
    モナドは内部に部分をもたない,という。モナドそれ自体が区別の単位なのである。モナドは自ら
    !
    が単位として合成体(das Zusammengesetzte)をなす。ライプニッツは,合成体を「単一体の集 !
    合(ein Aggregat von Einfachem)にほかならない」(『モナドロジー』§2)という。74) すでにみた ように,カントもマルクスも「Aggregat」語を「集合」の意味で用いている。彼らは或る共通の問 題圏に少なくとも部分的には関わる点で考えているのである。事物はモナドという不変の構成要素 の集合である。事物の変化は,モナドという不変な「構成要素」の組み合わせ=「集合」の変化で ある。注目すべきことに,マルクスは,上の引用文の特にボールド体でしめした部分を念頭に,ラ イプニッツのモナドの概念規定の自己矛盾をつぎのように指摘する。
    「もしもそれぞれの原子が特殊な形態をもつとすれば,無限の大きさの原子が存在しなけれ ばならないことになるだろう。なぜなら,原子は,ライプニッツのモナドのように,或る無 限の区別を,すなわち,すべての残余のものから(von allen übrigen)なる或る無限の区別 をそれ自身において持つことになるだろうからである。それゆえ,どんな二つの物も相互に
    等しくはないというライプニッツの主張はくつがえされる。同じ姿態の無限に多くの原子 (unendlich viele Atome von derselben Gestalt)が存在するのである。このことによって明 らかに姿態の規定がふたたび否定されている。こうして,もはや他のものから区別されない
    或る姿態なるものは,姿態ではないのである」[M(I)43,W288―289.訳218―219]。75) マルクスは「無限概念」の視点から,ライプニッツがいう「すべての原子(モナド)は相互に等し くない」という命題は成立しないと主張しているのである。その主張をつぎのように三段階に分け
    で検討しよう。
    [1] ライプニッツのいう「無限の区別」には,!「無限に多くの特殊な形態[=特殊性]のモ
    ナドを要素とする無限集合」と,"無限集合それ自体の「無限に大きい特殊性」とが存在するはず である。!の集合の内部にはすべての特殊性が存在するはずであるから,!の集合の内部には"の 集合自体の特殊性と同じ特殊な要素(モナド)が存在するはずである。!の内部に存在するはずのそ の或る特殊性と"の特殊性は同じである。「存在するモナドはすべて異なる」と前提しながら,分 析の結果,「同じモナドが存在する」ことになった。これは矛盾である。
    [2] 上の!と"の順序を入れ替えても,同じ自己矛盾に帰着する。"の集合自体の特殊性を前 提すると,!のすべての特殊性を要素として内包する集合の内部にも"の特殊性と同じ特殊性が存 在するはずである。これも上と同じ自己矛盾である。これは,「!無限に多くの特殊性を構成要素 として内包する,"無限に大きな特殊性をもつ無限集合それ自体」が自己矛盾する概念なのである。 これは「内包的無限集合の自己矛盾」である。
    [3] ライプニッツのモナドには,さらに別の自己矛盾が潜在する。すなわち,上の"「無限に 大きい特殊性をもつ無限集合それ自体」を想定する場合,その無限集合の「外部」に「すべての残 余のもの」が考えうる。「すべての残余のもの」とは,「無限に大きな《特殊性》をもつ集合それ自 体"」以外の集合のことであるから,「無限に大きな《一般性=区別が捨象された同一性》の集合」 である。では,何と同一の集合なのか。それは《「無限に大きな《特殊性》をもつ無限集合"」と 同一の集合を要素として含む無限集合》である。「すべての残余のもの」の正体はこれである。《区 別=特殊性の無限集合》と《同一性=一般性の無限集合》とは同じ論理空間に同時に存在する。こ の外延的な意味でも,ライプニッツのいう「特殊な形態の無限の集合」は自己矛盾する概念である。 これは「外延的無限集合の自己矛盾」である。
    ライプニッツのモナド概念の自己矛盾は,本稿の初めでみた,資本主義的な商品集合(『資本論』 冒頭文節)がもつ自己矛盾と同じである。すなわち,商品の価値という抽象的個別性を表現するた めに無限に多くの異なる具体的な使用価値を要求することは,永遠に未決のアポリアである。その アポリアは一般的等価形態=貨幣という姿態になって運動する。貨幣は,ヘーゲル推論第3格,す なわち,「無限に多くの特殊性(区別=使用価値・構成要素)を,一般性(抽象的同一性=価値) が媒介になって包含する個別性(或る区別=集合)」(特殊性→一般性→個別性)である。無限の内 包的・外延的な区別はその区別の媒態を論理必然的に要請する。その意味でマルクスの貨幣概念は モナド概念批判を含む。貨幣はその永遠に未決の自己矛盾を内包する運動形態である。この自己矛 盾が資本主義的技術革新の動因である。いわゆる「アニマル・スピリット」はその自己矛盾の人格 化である。

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  76. 「もしもそれぞれの原子が特殊な形態をもつとすれば,無限の大きさの原子が存在しなけれ ばならないことになるだろう。なぜなら,原子は,ライプニッツのモナドのように,或る無 限の区別を,すなわち,すべての残余のものから(von allen übrigen)なる或る無限の区別 をそれ自身において持つことになるだろうからである。それゆえ,どんな二つの物も相互に
    等しくはないというライプニッツの主張はくつがえされる。同じ姿態の無限に多くの原子 (unendlich viele Atome von derselben Gestalt)が存在するのである。このことによって明 らかに姿態の規定がふたたび否定されている。こうして,もはや他のものから区別されない
    或る姿態なるものは,姿態ではないのである」[M(I)43,W288―289.訳218―219]。75)
    40巻218~219頁

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  77. 2)マルクスによるライプニッツのモナド概念批判
    「カントのアンチノミーは止揚される」という観点から,マルクスはライプニッツの「モナド (Monade, monad)」という独自な存在論を検討する。ライプニッツは,宇宙は「モナド」からな り,すべての「モナド」には種差=個体差がある,という。ライプニッツはすべてのモナドは偶然 的存在であり,それらを必然的存在に転化する究極の根拠は神の恩寵(=宗教的要因)であるとみ る。ライプニッツは,究極の存在根拠を神にもとめる点では,カントの天界論と同じである。マル
    クスは「差異論文」執筆のために,ライプニッツの「哲学原理,あるいはオイケン公のためテーゼ」 をノートして,つぎの拙訳のボールド体の部分にサイド・ラインを引いて注目する。


    「モナドは...合成されると消滅する単純な実体である。単純なものとは部分がないもののこ
    とである。...単純な実体が生成し,実体が合成体を生成すること必須のことである。部分が
    ないところでは,延長も形態も部分もない。モナドは自然の真の原子であり...事物の諸要素
    である。モナドは創造なしでは始まらないし,否定作用なしでは中断できない。同じように,
    いかなる方法でもっても,消滅も生成も説明できない。それはちょうど,モナドが形態を変
    えられないことや,それに内在するものが他の被造物によって変化できないことと同じであ
    る。実体も偶有性も外部からモナドに侵入することはない。それでもなお,モナドが何らか の固有性をもちながら,しかもいかなる存在でもないということは必須のことである。実際、任意のどのモナドもその他のどのモナドからも区別されるということは必須のことである。
    すなわち,その本性上,ある存在が他の存在と完全に合致するような二つの存在はけっして
    ないのである。ある任意の内的な区別,あるいは,ある内的な規定にもとづく区別が発見できないということはない。どの任意[のモナド]に対しても変化が先行することは不可能である。モナドの自然な変化はある内的な原理に由来すると推論される。たしかにそこでは或 る外的な原因さえその内的な作用であとづけることはできない。変化をもたらす原理を除い て,いかなる力もないのである」。73)
    73)MEGA, IV/1,S.189―193,Apparat, S.758―762.傍点強調は原文イタリック。


    1)Josef G. Thomas, Sache und Bestimmung der Marx’schen Wissenschaft, Peter Lang, Frankfurt am Mein,1987,S.73.訳 文・ボールド体強調・[ ]は引用者。以下で訳注がない引用は拙訳。
    2)「差異論文」の「本文」・「七冊の準備ノート」のテキストは,Marx/Engels Gesamtausgabe(MEGA),Dietz Verlag Berlin,1975,I/1,S.11―91;1976,IV/1,S.596―689による。詳しくは本稿の「[!]〈差異論文〉における〈カント のアンチノミー・誤謬推論問題〉」の冒頭で示す。本稿への引用の仕方については,注(7)を参照。
    3)内田弘「マルクス・エピクロス・ヘーゲル」(『専修経済学論集』第3巻第3号,19年3月)。工藤秀明『原・経済 学批判と自然主義』(千葉大学経済研究叢書1,1997年)は,「差異論文」にマルクスの「自然主義的人間主義」という その後の経済学批判の視座の定礎を検出している。
    4)初版1867年・第2版1872年。第3版1883年・第4版1890年はエンゲルス編集。
    5)Das Kapital, Erster Band, Dietz Verlag,1962,S.49.資本論翻訳委員会訳『資本論』新日本出版社,第1分冊,1982
    年,59頁。訳語「巨魔的」・「集合」・「要素形態」は引用者。引用文の「要素形態(Elementarform)」は,初版ではゲシ ュペルト表記で『資本論』体系構成の基本形態である,《集合(Sammlung),かつ要素形態としての商品》を強調した。 第二版以後ではその表記は取り消され,その意図は明示されていない。マルクスは『資本論』第二版後書で自分の記述 法に言及しつつも,それを本文では隠す。自分の記述を圧縮し記述法を隠すことを好んだマルクスの韜晦であろう。こ れまでの訳,「商品集成―元基形態」(長谷部文雄訳,河出書房,1964年)・「商品の集まり―基本形態」(岡崎次郎訳,大 月書店,1968年)・「商品集積―基本形態」(岡崎次郎訳,国民文庫,1972年),「商品のかたまり―構成している[もの]」
    (的場昭弘訳,祥伝社,2008年)などは「集合―要素」の関係が鮮明ではない。それらの訳では訳者が対概念「集合―要 素」に気づいていないことにならないだろうか。そのような不適訳・誤訳に気づかず,その訳を前提した冒頭文節の解 釈,さらに『資本論』の体系解釈は誤解に導かれないだろうか。その中で,資本論翻訳委員会訳の「商品の集まり―要 素形態」(平井規之訳,新日本出版社,1982年)は「集合―要素」の関係をほぼ正確に訳している。
    6)「本の特性は...《一即二即多即》,すなわち,本を開けば左右のページが《対》をなし,本を閉じれば《一》になる。 本は《一》であって《二》。《二》であって《多》。そして《多》であって《一》である。一冊の本には身体性があり, 多数の物質や観念の集合体として生まれでる」(杉浦康平『図書新聞』第3041号201年12月10日)。
    7)「差異論文」は Marx Engels Werke では第40巻に「本文・注」および「ノート」が収められているが,Marx Engels Gesamtausgabe(MEGA)では「本文・注」が第 I 部第1分冊(I/1)に,「差異論文」作成のための「準備ノート」は 第 IV 部第1分冊(IV/1)にそれぞれ収められている。以下,「差異論文」の「本文」からの引用は,拙稿本文への引 用の末尾に,[M(I)38,W283,訳212]のように略記する。「準備ノート」からの引用は,[M(IV)17,W31,訳29]のよう に略記する。訳文は『全集』第40巻所収の岩崎允胤訳による。なお,「本文・注」については,『マルクス・コレクショ ン』筑摩書房,2005年,第1分冊所収の中山元訳も参照した。

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  78. Notes
    1 Accepting Gerhardt's opinion that this work, and not the Monadology, was written for Prince Eugene (G. VI. 483).

    http://www.ditext.com/russell/leib1.html

    The reasons why Leibniz did not embody his system in one great work are not to be found in the nature of that system. On the contrary, it would have lent itself far better than Spinoza's philosophy to geometrical deduction from definitions and axioms. It is in the character and circumstances of the man, not of his theories, that the explanation of his way of writing is to be found. For evervthing that he wrote he seems to have required some immediate stimulus, some near and pressing incentive. To please a prince, to refute a rival philosopher, or to escape the censures of a theologian, he would take any pains. It is to such motives that we owe the Theodicee, the Principles of Nature and of Grace1, the New Essays, and the Letters to Arnauld. But for the sole purposes of exposition he seems to have cared little. Few of his works are free from reference to some particular person, and almost all are more concerned to persuade readers than to provide the most valid arguments. This desire for persuasiveness must always be borne in mind in reading Leibniz's works, as it led him to give prominence to popular and pictorial arauments at the expense of the more solid reasons which be buried in obscurer writings. And for this reason we often find the best statement of his view on some point in short papers discovered among his manuscripts, and published for the first time by modern students, such as Erdmann or Gerhardt. In these papers we find, as a rule, far less rhetoric and far more logic than in his public manifestoes, which give a very inadequate conception of his philosophic depth and acumen.

    Nature and of Grace1

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  79. 著作集9
    246?

    理性に基づく

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  80. オイケンx

    オイゲンo

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  81. マルクス著『経済学・哲学草稿』「第三草稿 貨幣」 より引用と個人的にわかりやすく意訳したものを。

    わたしが学問をするという天分をもってはいるが、その為の貨幣を全く持っていないとすれば、何ら学問をするという天分を、すなわちなんらの効果のある天分を持たないということになる。それに反して、私は現実的に学問をするという天分をなんらもってはいないが、その意志および貨幣を持っているとすれば、学問をするための効果のある天分を持っているということになる。 貨幣は、表象を現実にし、現実を単なる表象にするところの一般的手段および能力、人間としての人間からも社会としての人間的社会からも由来するのではない外的な一般的手段および能力として、一方では現実的な人間的および自然的本質諸力をたんに抽象的な表象へ、それゆえ不完全なものへ、悩みにみちた妄想へと返じ、また他方では、現実的な不完全性や妄想を、つまり事実上では無力でただ個人の想像の中でのみ実存するような本質諸力を、現実的なほんや能力へと変ずるのである。したがって、すでにこの規定からみても、貨幣は諸々の個性の全般的な転倒であって、個性をその反対のものに逆転させ、そしてそれらの属性に矛盾する属性を付与するのである。 言い換えれば、 学問をする才能があっても、貨幣を全く持っていないとすれば、何ら学問をするという才能を持たないということになる。それに反して、学問をするという才能をなんらもってはいないが、その意志および貨幣を持っているとすれば、学問をする才能を持っているということになる。 外からこのことを見ると貨幣があれば頭の中と現実を反対物に転ずることができるということ。 そしてTwitterのマルクスbotにもある言葉を照らしあわせるとよりわかりやすくなる。

    私は醜い男である。しかし、私は自分のために最も美しい女性を買うことができる。だから、私は醜くない。というのも、醜さの作用、人をしてぞっとさせるその力は貨幣によって無効にされているからだ。

    醜いものでも貨幣を使えば美しい女を買うことができてしまう。 この背景はどうも気に食わないですが、 貨幣とは不思議で恐ろしいものだということがよくわかった一日でした。


    http://dyki01.tumblr.com/post/26127283948

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  82. 光文社

    お金

    わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まることではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。

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  83.  シェイクスピアはお金の本質を見事に描写している。かれの言うところを理解するために、まずはゲーテの詩句の解釈から始めよう。
     お金によってわたしの手に入るもの、わたしの支払うもの、お金で買うもの、それがお金の所有者たるわたしそのものだ。お金の力の大きさがわたしの力の大きさだ。お金の特性がわたしの──お金の所有者の──特性であり、本来の能力だ。わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まることではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。


    経済学・哲学草稿
    第三草稿
    六、お金


     シェイクスピアはお金の本質を見事に描写している。かれの言うところを理解するために、まずはゲー
    テの詩句の解釈から始めよう。
     お金によってわたしの手に入るもの、わたしの支払うもの、お金で買うもの、それがお金の所有者たるわ
    たしそのものだ。お金の力の大きさがわたしの力の大きさだ。お金の特性がわたしの──お金の所有者の
    ──特性であり、本来の能力だ。わたしがなんであ
    り、なにができるかは、わたしの個性によって決まることではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美
    しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわ
    れるが、その力がお金によって消滅しているのだから。




    https://itunes.apple.com/jp/book/jing-ji-xue-zhe-xue-cao-gao/id775690160?mt=11
    iTunes でブックをチェック:

    経済学・哲学草稿
    マルクス & 長谷川宏
    経済, ブック, ビジネス/マネー
    2010年6月20日
    アイテムを表示
    働くほど、なぜ人は貧しくなるのか? 勃興する資本主義を鋭く分析・批判し、のちに『資本論』に結実する経済学的思考。そしてヘーゲル批判から発し、労働の意味を肯定的に捉え直そうとする哲学的思考。この二つの思考が交わるところで、26歳のマルクス青年は革新的な思想を打ち立てた。輝くような、そして生き生きと躍動する思考の瑞々しさが、明晰な訳文で鮮やかに再現される。
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  84.  お金によってわたしの手に入るもの、わたしの支払うもの、お金で買うもの、それがお金の所有者たるわたしそのものだ。お金の力の大きさがわたしの力の大きさだ。お金の特性がわたしの──お金の所有者の──特性であり、本来の能力だ。わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まることではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。


    経済学・哲学草稿
    第三草稿
    六、お金


     シェイクスピアはお金の本質を見事に描写している。かれの言うところを理解するために、まずはゲー
    テの詩句(引用者注:ファウストのメフィストフェレスのセリフ)の解釈から始めよう。
     お金によってわたしの手に入るもの、わたしの支払うもの、お金で買うもの、それがお金の所有者たるわ
    たしそのものだ。お金の力の大きさがわたしの力の大きさだ。お金の特性がわたしの──お金の所有者の
    ──特性であり、本来の能力だ。わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まる
    ことではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜
    くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。




    https://itunes.apple.com/jp/book/jing-ji-xue-zhe-xue-cao-gao/id775690160?mt=11
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    経済学・哲学草稿
    マルクス & 長谷川宏
    経済, ブック, ビジネス/マネー
    2010年6月20日
    アイテムを表示
    働くほど、なぜ人は貧しくなるのか? 勃興する資本主義を鋭く分析・批判し、のちに『資本論』に結実する経済学的思考。そしてヘーゲル批判から発し、労働の意味を肯定的に捉え直そうとする哲学的思考。この二つの思考が交わるところで、26歳のマルクス青年は革新的な思想を打ち立てた。輝くような、そして生き生きと躍動する思考の瑞々しさが、明晰な訳文で鮮やかに再現される。

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  85. 『経済学・哲学草稿』(光文社文庫)
    第三草稿 六、お金

     シェイクスピアはお金の本質を見事に描写している。かれの言うところを理解するために、まずはゲー
    テの詩句(引用者注:ファウストのメフィストフェレスのセリフ)の解釈から始めよう。
     お金によってわたしの手に入るもの、わたしの支払うもの、お金で買うもの、それがお金の所有者たるわ
    たしそのものだ。お金の力の大きさがわたしの力の大きさだ。お金の特性がわたしの──お金の所有者の
    ──特性であり、本来の能力だ。わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まる
    ことではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜
    くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。

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  86. 以上に述べたことからして、すでにお金は、個性をその反対物に転じたり、個性の特質に矛盾する特質を賦与し
    たりして、個性を転倒させる一般的な力である。

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  87. 『経済学・哲学草稿』(光文社文庫より)
    第三草稿 六、お金

     シェイクスピアはお金の本質を見事に描写している。かれの言うところを理解するために、まずはゲー
    テの詩句(引用者注:ファウストのメフィストフェレスのセリフ)の解釈から始めよう。
     お金によってわたしの手に入るもの、わたしの支払うもの、お金で買うもの、それがお金の所有者たるわ
    たしそのものだ。お金の力の大きさがわたしの力の大きさだ。お金の特性がわたしの──お金の所有者の
    ──特性であり、本来の能力だ。わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まる
    ことではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜
    くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。

    以上に述べたことからして、すでにお金は、個性をその反対物に転じたり、個性の特質に矛盾する特質を賦与し
    たりして、個性を転倒させる一般的な力である。

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  88. 『経済学・哲学草稿』(光文社文庫より)
    第三草稿 六、お金

     シェイクスピアはお金の本質を見事に描写している。かれの言うところを理解するために、まずはゲー
    テの詩句(引用者注:『ファウスト』のメフィストフェレスのセリフ)の解釈から始めよう。
     お金によってわたしの手に入るもの、わたしの支払うもの、お金で買うもの、それがお金の所有者たるわ
    たしそのものだ。お金の力の大きさがわたしの力の大きさだ。お金の特性がわたしの──お金の所有者の
    ──特性であり、本来の能力だ。わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まる
    ことではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜
    くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。

    以上に述べたことからして、すでにお金は、個性をその反対物に転じたり、個性の特質に矛盾する特質を賦与し
    たりして、個性を転倒させる一般的な力である。

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  89. 『経済学・哲学草稿』第三草稿 六、お金(光文社文庫より)

     シェイクスピアはお金の本質を見事に描写している。かれの言うところを理解するために、まずはゲー
    テの詩句(引用者注:『ファウスト』のメフィストフェレスのセリフ)の解釈から始めよう。
     お金によってわたしの手に入るもの、わたしの支払うもの、お金で買うもの、それがお金の所有者たるわ
    たしそのものだ。お金の力の大きさがわたしの力の大きさだ。お金の特性がわたしの──お金の所有者の
    ──特性であり、本来の能力だ。わたしがなんであり、なにができるかは、わたしの個性によって決まる
    ことではまったくない。わたしは醜いが、飛び切り美しい女性を買うことができる。とすれば、わたしは醜
    くない。醜さは相手をたじろがせる力となってあらわれるが、その力がお金によって消滅しているのだから。

    以上に述べたことからして、すでにお金は、個性をその反対物に転じたり、個性の特質に矛盾する特質を賦与し
    たりして、個性を転倒させる一般的な力である。

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  90. 5つ星のうち 4.0 ヘーゲル的トリアーデの採用, 2014/5/26


    Amazon.co.jpで購入(詳細)
    レビュー対象商品: 経済原論 (岩波全書) (単行本)
    昔は馬鹿にしていたが宇野弘蔵『経済原論』(岩波全書、全227頁)はいい。
    資本の定義を蓄積された労働価値としないで、商品、生産要素、貨幣のどれとも切り離せないものとする(88頁)。
    この三つは『経済原論』の各三篇(流通論/生産論/分配論)に対応し得るだろう。
    普通『資本論』第三部は個別資本を扱った部分が強調されるが、この方がスッキリする。利子が最後に叙述されるのも納得できる。
    第二部もつなぎとしての意味よりも重要性が増している。
    労働価値説が後退したかのように感じる人もいるだろうが、再生産表式こそ生産要素分析の王道であることが明確になる。
    ヘーゲル的トリアーデの採用(著作集第一巻版ほど明確ではない)には賛否両論あるが、意識的に読むなら有効だ。
    柄谷行人『トランスクリティーク』とまた少し違った(マルクスという固有名のない~マルクスの名は脚注に回される~)『資本論』の活かし方がある。
    参照される岩波文庫の頁数が旧版のものであるのが残念。

    参考:
                   /\
                  /  \
                 / 利子 \
                /______\
               /\ <分配論>/\
              /  \    /__\
             / 利潤 \  / 地代 \
            /______\/______\
           /\              /\
          /  \    宇野弘蔵    資本の\
         / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
        /______\        /______\
       /\<流通論> /\      /\ <生産論>/\
      /  \    /  \    /  \    /  \
     / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
    /______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\

    ヘーゲル論理学と資本論との対応はもっと細かい。松村一人訳のヘーゲル『小論理学』目次に宇野が書き込んだメモのファクシミリ版が『『資本論』と私』(2008年、お茶の水書房)に載っている。『資本論五十年』(上472頁)でも語られる。

    宇野弘蔵『経済原論』目次:


    序論
    第一篇 流通論
     第一章 商品
     第二章 貨幣
     第三章 資本

    第二篇 生産論
     第一章 資本の生産過程
      第一節 労働=生産過程
      第二節 価値形成=増殖過程
      第三節 資本家的生産方法の発展
     第二章 資本の流通過程
     第三章 資本の再生産過程
      第一節 単純生産~~資本の再生産と労働力の再生産
      第二節 拡張再生産~~資本家的蓄積の現実的過程
      第三節 社会総資本の再生産過程~~価値法則の絶対的基礎

    第三篇 分配論
     第一章 利潤
      第一節 一般的利潤率の形成~~価値の生産価格への転化
      第二節 市場価格と市場価値(市場生産価格)~~需要供給の関係と超過利潤の形成
      第三節 一般的利潤率の低落の傾向~~生産力の増進と景気循環
     第二章 地代
     第三章 利子
      第一節 貸付資本と銀行資本
      第二節 商業資本と商業利潤
      第三節 それ自身に利子を生むものとしての資本
      第四節 資本主義社会の階級性

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  91. 5つ星のうち 4.0 ヘーゲル的トリアーデの採用, 2014/5/26


    Amazon.co.jpで購入(詳細)
    レビュー対象商品: 経済原論 (岩波全書) (単行本)
    昔は馬鹿にしていたが宇野弘蔵『経済原論』(岩波全書、全227頁)はいい。
    資本の定義を蓄積された労働価値としないで、商品、生産要素、貨幣のどれとも切り離せないものとする(88頁)。
    この三つは『経済原論』の各三篇(流通論/生産論/分配論)に対応し得るだろう。
    普通『資本論』第三部は個別資本を扱った部分が強調されるが、この方がスッキリする。利子が最後に叙述されるのも納得できる。
    第二部もつなぎとしての意味よりも重要性が増している。
    労働価値説が後退したかのように感じる人もいるだろうが、再生産表式こそ生産要素分析の王道であることが明確になる。
    ヘーゲル的トリアーデの採用(著作集第一巻版ほど明確ではない)には賛否両論あるが、意識的に読むなら有効だ。
    柄谷行人『トランスクリティーク』とまた少し違った(マルクスという固有名のない~マルクスの名は脚注に回される~)『資本論』の活かし方がある。
    参照される岩波文庫の頁数が旧版のものであるのが残念。

    参考:
                   /\
                  /  \
                 / 利子 \
                /______\
               /\ <分配論>/\
              /  \    /__\
             / 利潤 \  / 地代 \
            /______\/______\
           /\              /\
          /  \    宇野弘蔵    資本の\
         / 資本 \  『経済原論』  /再生産過程
        /______\        /______\
       /\<流通論> /\      /\ <生産論>/\
      /  \    /  \    /  \    /  \
     / 商品 \  / 貨幣 \  /資本の \  /資本の \
    /______\/______\/_生産過程_\/_流通過程_\

    ヘーゲル論理学と資本論との対応はもっと細かい。松村一人訳のヘーゲル『小論理学』目次に宇野が書き込んだメモのファクシミリ版が『『資本論』と私』(2008年、お茶の水書房)に載っている。『資本論五十年』(上472頁)でも語られる。

    宇野弘蔵『経済原論』目次:


    序論
    第一篇 流通論
     第一章 商品
     第二章 貨幣
     第三章 資本

    第二篇 生産論
     第一章 資本の生産過程
      第一節 労働=生産過程
      第二節 価値形成=増殖過程
      第三節 資本家的生産方法の発展
     第二章 資本の流通過程
     第三章 資本の再生産過程
      第一節 単純生産~~資本の再生産と労働力の再生産
      第二節 拡張再生産~~資本家的蓄積の現実的過程
      第三節 社会総資本の再生産過程~~価値法則の絶対的基礎

    第三篇 分配論
     第一章 利潤
      第一節 一般的利潤率の形成~~価値の生産価格への転化
      第二節 市場価格と市場価値(市場生産価格)~~需要供給の関係と超過利潤の形成
      第三節 一般的利潤率の低落の傾向~~生産力の増進と景気循環
     第二章 地代
     第三章 利子
      第一節 貸付資本と銀行資本
      第二節 商業資本と商業利潤
      第三節 それ自身に利子を生むものとしての資本
      第四節 資本主義社会の階級性

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  92. <資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の集積物(1)」として現われている。したがって、この富の要素形態である商品の分析は、われわれの研究の出発点である。

    (1)カール,マルクス『経済学批判』、ベルリン、一八五九年、三ぺージ。>
    (江夏美知千穂/上杉聰彦訳、法政大学出版『フランス語版資本論上』、1979年、3頁)

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  93. 宇野弘蔵『経済原論』(ヘーゲル論理学対応)

                                   /\
                                  それ自身として
                                 /利子を生むものとしての
                                /_資本___\
                               /\      /\
                              /*恐慌<利子>/商業資本と
                             貸付資本と\ 流通\商業利潤
                            /_銀行資本_\資本の\/商業利潤と商業資本の倒錯性
            資本家的生産方法の内的矛盾の展開\       資本化    /\
                      ☆一般的利潤率の            /__\
                         低落の傾向\  <<分配論>> /絶対地代\
          生産力の増殖による超過利潤の追求 \一般的\生産価格と   /__\/__\
                   利潤率の傾向的低下の法則/市場価格 差額地代と     /\
                      /__\<利潤>資本の競争 その資本形態<地代>/__\
              ☆剰余価値の利潤への転化\☆一般的利潤率の形成/としての\  /差額地代の
                 *利潤率__\/__\/異れる/商品\/_第一形態_\/_第二形態_\
                   /\        部門の 価格の               /\
                  /  \     利潤形成の 生産価格の           社会総資本の
                 /    \       形態 転化              /再生産過程
                /______\                        /__\/__\
               /\      /\         宇野弘蔵         /\<資本の  /\
              /  \<資本>/  \     <<<経済原論>>>   単純生産 \再生産過程>_\
             /    \  /    \                資本の再生産と\  /\拡張再生産
            /______\/______\                /__\蓄積_\/資本家的蓄積の現実的過程
           /\              /\         *剰余価値率\              /\
          /  \            /  \       資本家的生産方法\            /__\
         /貨幣形態\  <<流通論>> / 貨幣 \          /の発展 \ <<生産論>>  /剰余価値の流通
        /__=価格_\        /______\  生産的労働の/______\        /__\/__\
       /\      /\      /\      /\  社会的規定\<資本の  /\      /\<資本の  /\
      /  \<商品>/  \    /  \<貨幣>/  \    /  \生産過程>  \    /__\流通過程>__\
    商品の二要因\  /交換価値\  /価値尺度\  /流通手段\ 労働=生産過程  /価値形成\  資本の価値\  /資本の回転
    /______\/=価値形態_\/としての貨幣\/としての貨幣\/労働_労働の\/=増殖過程_\/と流通費用_\/__\/__\ 
                                     過程 二重性


    上記は宇野が実際に参照したヘーゲル小論理学とは訳語が違う。また経済原論は新旧2種があり、上記はあくまで宇野の手書きメモに(ほぼ)従った。誤読があるかも知れない。おおよそ著作集第一巻の旧版の方に依拠しており、こちらがヘーゲルの影響を色濃く残している。
    利子と地代の順序変更は原理を重視した場合には合理的だ。宇野の方が地代が資本主義に組み込まれた事例を沢山知っていたということかも知れない。そうすれば利子が最終部に来るのは正解だ。
    生産論と流通論の名を逆にした意図はもう少し考えたい(著作集第一巻24頁参照)。
    (宇野の案だとマルクスの単純・拡張再生産が生産論に収まるわけだから間違いではない。かえってマルクス『資本論』↓の方が逆になる。)
    なお「恐慌の必然性」は第三篇第三章利子の第一節「貸付資本」(3-3-1-3-2)で叙述される。これは『資本論』とほぼ同じ。

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