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NAMs出版プロジェクト: 「悟性」と「知性」
http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/blog-post_26.html?m=0:本頁< 三 理性の内なる仮象(虚仮)の問題
「内懐虚仮(ないえこけ)~~内はうちといふ、こころの
うちに烦悩を具せるゆゑに虚なり。
虚はむなしくして実ならず、仮はかりにし
て真ならず」(『唯信鈔文意』*)
一
近代において、理性について深く探るものカントとヘーゲルにしくものはない。カントのいう理性( Vernunft )における仮象(Schein )の問題を考えてみる場合、まず問題になるのは、いったい理性という語で Vernunft が、仮象という語で Schein がどのくらいまで言い表わされているかということである。カントの研究者の間では「理性」「悟性」「感性」などの訳語はー定したものとして用いられていること大正時代以来のことであるが、このように並んでいるこれらの訳語が、果してカント及びドイツにおける秀れたカント解釈者たちが理解したところのものにどのくらいまで近づいているのであろうかと、今更ながら常に疑われるのである。「悟性」の原語であるVerstand はverstehenと離して理解されるものでなく、Vernunft がその語意の中に stehen なる意味を少しももつものでなく、従ってそれのGegenstand への顧慮なくしてその意義を完うするのと異って、Verstand は Gegenstand へのたえざる関係あるものとしてでなくしては、その語義を完うするものではない。かようにそれぞれ本来の語義をもつ原(もと)の用語が日本語の「理性」「悟性」などの訳語となっては、カントが狙っている哲学的なものを他に伝えようとすることの、たとえ言語慣習上の不便にもとづくとはいえ、如何にも難しいことに考え及ぶのである。Vernunft におけるSchein の問題、これはカントの第一批判の解釈において最も肝要なものと思われるが、この問題を解こうとするとき、直ちに右の従来の訳語の不便至極を痛切に感ずるのである。しかし、このことは単にカント研究者の間の訳語上のー問題でなくて、今日では、日本において成り立つこれからの哲学の根本間題が当然その解決を迫るものと思う。私のこの一小論文はそうした根本問題の提説のー端にも触れる性質のものかと考える。
私たちは Vernunftは「理性」、Verstand は「 知性 」と読んでゆくことにする。
…>
【6】 ^「▲*
「不得外現賢善精進之相」といふは、 浄土をねがふひとは、 あらはに、 かしこきすがた、 善人のかたちをふるまはざれ、 精進なるすがたをしめすことなかれと也。 そのゆへは「内懐虚仮」なればなり。 「内」はうちといふ。 こゝろのうちに煩悩を具せるゆへに虚なり、 仮なり。 「虚」はむなしくして実ならず。 「仮」はかりにして真ならず。 しかれば、 いまこの世を如来の御のりに末法悪世とさだめたまへるゆへは、 一切有情まことのこゝろなくして、 師長を軽慢し、 父母に孝せず、 朋友に信なくして、 悪をのみこのむゆへに、 世間・出世みな「心口各異、 言念无実」なりとをしえたまへり。 「心口各異」といふは、 こゝろとくちにいふこと、 みなおのおのことなりと。 「言念無実」といふは、 ことばとこゝろのうちと実なしといふ也。 「実」はまことゝいふことばなり。 この世のひとは無実のこゝろのみにして、 浄土をねがふひとはいつわり、 へつらいのこゝろのみなりときこえたり。 世をすつるも名のこゝろ、 利のこゝろをさきとするゆへ也。 しかれば、 われらは善人にもあらず、 賢人にもあらず。 精進のこゝろもなし、 懈怠のこゝろのみにして、 うちはむなしく、 いつわり、 かざり、 へつらうこゝろのみつねにして、 まことなるこゝろなきみとしるべし。
^「▲
「斟酌すべし」といふは、 ことのありさまにしたがふて、 はからふべしといふことばなり。
<…‥わたくしの研究にとって導きの糸として役立った一般的結論は、
簡単につぎのように公式化することができる。人間は、その生涯の社会的生産において、一定の、
必然的な、かれらの意志から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸カの一定の発展段
階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっ
ており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、
一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、
政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのてはなくて、逆
に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。(社会の物質的生産諸力は、その発展があ
る段階にたっすると、いままでそれがそのなかで働いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法
的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生涯諸力の発展諸形態
からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。)経済的基礎の変化に
つれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。このような諸変革を考察
するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革
と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の
諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とをつねに区別しなければならない。(ある個人を
判断するのに、かれが自分自身をどう考えているかということにはたよれないのと同様、このよ
うな変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識
を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説
明しなければならないのである。[一つの社会構成は、すべての生産諸力がそのなかではもう発展
の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産
諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとって
かわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる課題だけであ
る、というのは、もしさらにくわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条
件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生
するものだ、ということがつねにわかるであろうから。])大ざっぱにいって、経済的社会構成が進
歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生産様式をあげる
ことができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵
対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形
態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこ
の敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって。人間社
会の前史はおわりをつげるのである。>
(マルクス『経済学批判』岩波文庫13~15頁より。『世界史の構造』4-5頁参照)
マルクスは『経済学批判』の序言で唯物史観を定式化し、これを自らの「導きの糸」と呼んでおり、その内容は以下である。
人間は、その生活の社会的生産において、一定の、必然的な、かれらの意思から独立した諸関係を、つまりかれらの物質的生産諸力の一定の発生段階に対応する生産諸関係を、とりむすぶ。この生産諸関係の総体は社会の経済的機構を形づくっており、これが現実の土台となって、そのうえに、法律的、政治的上部構造がそびえたち、また、一定の社会的意識諸形態は、この現実の土台に対応している。物質的生活の生産様式は、社会的、政治的、精神的生活諸過程一般を制約する。人間の意識がその存在を規定するのではなくて、逆に、人間の社会的存在がその意識を規定するのである。
社会の物質的生産諸力は、その発展がある段階にたっすると、いままでそれがそのなかで動いてきた既存の生産諸関係、あるいはその法的表現にすぎない所有諸関係と矛盾するようになる。これらの諸関係は、生産諸力の発展諸形態からその桎梏へと一変する。このとき社会革命の時期がはじまるのである。経済的基礎の変化につれて、巨大な上部構造全体が、徐々にせよ急激にせよ、くつがえる。
このような諸変革を考察するさいには、経済的な生産諸条件におこった物質的な、自然科学的な正確さで確認できる変革と、人間がこの衝突を意識し、それと決戦する場となる法律、政治、宗教、芸術、または哲学の諸形態、つづめていえばイデオロギーの諸形態とを常に区別しなければならない。ある個人を判断するのに、かれが自分自身をどう考えているのかということにはたよれないのと同様、このような変革の時期を、その時代の意識から判断することはできないのであって、むしろ、この意識を、物質的生活の諸矛盾、社会的生産諸力と社会的生産諸関係とのあいだに現存する衝突から説明しなければならないのである。
一つの社会構成は、すべての生産諸力がその中ではもう発展の余地がないほどに発展しないうちは崩壊することはけっしてなく、また新しいより高度な生産諸関係は、その物質的な存在諸条件が古い社会の胎内で孵化しおわるまでは、古いものにとってかわることはけっしてない。だから人間が立ちむかうのはいつも自分が解決できる問題だけである、というのは、もしさらに、くわしく考察するならば、課題そのものは、その解決の物質的諸条件がすでに現存しているか、またはすくなくともそれができはじめているばあいにかぎって発生するものだ、ということがつねにわかるであろうから。
大ざっぱにいって経済的社会構成が進歩してゆく段階として、アジア的、古代的、封建的、および近代ブルジョア的生活様式をあげることができる。ブルジョア的生産諸関係は、社会的生産過程の敵対的な、といっても個人的な敵対の意味ではなく、諸個人の社会的生活諸条件から生じてくる敵対という意味での敵対的な、形態の最後のものである。しかし、ブルジョア社会の胎内で発展しつつある生産諸力は、同時にこの敵対関係の解決のための物質的諸条件をもつくりだす。だからこの社会構成をもって、人間社会の前史はおわりをつげるのである。
< 三 理性の内なる仮象(虚仮)の問題
返信削除「内懐虚仮(ないえこけ)~~内はうちといふ、こころの
うちに烦悩を具せるゆゑに虚なり。
虚はむなしくして実ならず、仮はかりにし
て真ならず」(『唯信鈔文意』*)
一
近代において、理性について深く探るものカントとヘーゲ
ルにしくものはない。カントのいう理性( Vernunft )におけ
る仮象(Schein )の問題を考えてみる場合、まず問題になる
のは、いったい理性という語で Vernunft が、仮象という
語で Schein がどのくらいまで言い表わされているかという
ことである。カントの研究者の間では「理性」「悟性」「感性」
などの訳語はー定したものとして用いられていること大正時
代以来のことであるが、このように並んでいるこれらの訳語
が、果してカント及びドイツにおける秀れたカント解釈者た
ちが理解したところのものにどのくらいまで近づいているの
であろうかと、今更ながら常に疑われるのである。「悟性」の
原語であるVerstand はverstehenと離して理解されるもの
でなく、Vernunft がその語意の中に stehen なる意味を少
しももつものでなく、従ってそれのGegenstand への顧慮な
くしてその意義を完うするのと異って、Verstand は Gegen-
stand へのたえざる関係あるものとしてでなくしては、その
語義を完うするものではない。かようにそれぞれ本来の語義
をもつ原(もと)の用語が日本語の「理性」「悟性」などの訳語となっ
ては、カントが狙っている哲学的なものを他に伝えようとす
ることの、たとえ言語慣習上の不便にもとづくとはいえ、如
何にも難しいことに考え及ぶのである。Vernunft における
Schein の問題、これはカントの第一批判の解釈において最
も肝要なものと思われるが、この問題を解こうとするとき、
直ちに右の従来の訳語の不便至極を痛切に感ずるのである。
しかし、このことは単にカント研究者の間の訳語上のー問題
でなくて、今日では、日本において成り立つこれからの哲学
の根本間題が当然その解決を迫るものと思う。私のこの一小
論文はそうした根本問題の提説のー端にも触れる性質のもの
かと考える。
私たちは Vernunftは「理性」、Verstand は「 知性 」と
読んでゆくことにする。
…>
「哲学に関する思索」(三枝博音著作集第一巻294頁1973年、初出は1944年)
stehen=立つ、居る
Gegenstand=もの、品
< 三 理性の内なる仮象(虚仮)の問題
返信削除「内懐虚仮(ないえこけ)~~内はうちといふ、こころの
うちに烦悩を具せるゆゑに虚なり。
虚はむなしくして実ならず、仮はかりにし
て真ならず」(『唯信鈔文意』*)
一
近代において、理性について深く探るものカントとヘーゲルにしくものはない。カントのいう理性( Vernunft )における仮象(Schein )の問題を考えてみる場合、まず問題になるのは、いったい理性という語で Vernunft が、仮象という語で Schein がどのくらいまで言い表わされているかということである。カントの研究者の間では「理性」「悟性」「感性」などの訳語はー定したものとして用いられていること大正時代以来のことであるが、このように並んでいるこれらの訳語が、果してカント及びドイツにおける秀れたカント解釈者たちが理解したところのものにどのくらいまで近づいているのであろうかと、今更ながら常に疑われるのである。「悟性」の原語であるVerstand はverstehenと離して理解されるものでなく、Vernunft がその語意の中に stehen なる意味を少しももつものでなく、従ってそれのGegenstand への顧慮なくしてその意義を完うするのと異って、Verstand は Gegenstand へのたえざる関係あるものとしてでなくしては、その語義を完うするものではない。かようにそれぞれ本来の語義をもつ原(もと)の用語が日本語の「理性」「悟性」などの訳語となっては、カントが狙っている哲学的なものを他に伝えようとすることの、たとえ言語慣習上の不便にもとづくとはいえ、如何にも難しいことに考え及ぶのである。Vernunft におけるSchein の問題、これはカントの第一批判の解釈において最も肝要なものと思われるが、この問題を解こうとするとき、直ちに右の従来の訳語の不便至極を痛切に感ずるのである。しかし、このことは単にカント研究者の間の訳語上のー問題でなくて、今日では、日本において成り立つこれからの哲学の根本間題が当然その解決を迫るものと思う。私のこの一小論文はそうした根本問題の提説のー端にも触れる性質のものかと考える。
私たちは Vernunftは「理性」、Verstand は「 知性 」と読んでゆくことにする。
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かくして、「日本という方法」に関するあらかたの基礎準備は三枝が了えてくれていたと言うべきだろう。ともかく、諸君も、そう思ってほしい。そのことは、三枝を読んだことがなくとも、中央公論社の『三枝博音著作集』全12巻の構成を見てもらえれば、よくわかるはずである。日本の思想文化が「日本という方法」に向かっていくための踏み台は、ここに大半充填されている。
返信削除構成は次のようになっている。とくとご覧いただきたい。ちなみに『著作集』の編集は林達夫(336夜)・吉田光邦(401夜)・飯田賢一の3人による。申し分のない3人だった。
1巻「認識論」
ディルタイ論、資本主義の分析、プラグマティズムについての批評、志向と直観など。
2巻「論理の哲学」
ヘーゲル弁証法についての論考を含む。
3巻「日本の思想 I」
日本における哲学的観念論の変遷を追っている。日本の唯物論者として、貝原益軒・荻生徂徠・太宰春台・富永仲基・三浦梅園・皆川淇園をあげ、唯物論に近づいた思想者として鎌田柳泓・山片蟠桃・安藤昌益をあげた。また近代の先駆者として、福沢諭吉・森有礼・中江兆民・幸徳秋水・内村鑑三・井上哲次郎・井上円了・河上肇・戸坂潤をピックアップした。ぼくは『著作集』のなかでは、当初はこの巻と5巻に埋没した。
4巻「日本の思想 II」
弁証法に関するさまざまな論考。日本宗教思想史(とくに空海・最澄・円仁・得一・栄西・道元・浄土真宗・陰陽道)。富士川游についての、めったに聞けない話もたっぷり収録されている。
5巻「三浦梅園・日本文化論」
梅園についてのすべてはこの1巻にことごとく集約されている。それと本書の内容、および富士谷御杖論(これは見逃せない)。
6巻「文学論」
文学をフィジカとメタフィジカで論ずる「小説と論理」、梅園と鴎外の比較、デカルトと啄木の比較、日本文学における「気」の問題、ヴィーコについてなど。
7巻「人間論」
文化が危機に瀕することへの警告。ブルジョア主義批判。女性と技術の関係(これはジェンダー論としても先駆的)。ベーコン・ディルタイ・ハイデガーの比較。生活美学論。
8巻「哲学・技術」
哲学史入門(ベーコン、デカルト、スピノザ、ライプニッツと進み、そこからロック、バークリー、ヒューム、コンディヤック、ラ・メトリと展開する)。形而上学批判(シェーマ主義の問題を扱った)。フィヒテ論、フォイエルバッハ論、マルクス論。
9巻「技術と技術家」
日本では珍しい技術史をまとめている。「技術家列伝」には欧米からグーテンベルク、ダ・ヴィンチ、アグリコラ、ジーメンス、ノーベル、ライト兄弟ら27人が、日本からは平賀源内・伊能忠敬・佐久間象山・鍋島直正・高峰譲吉・小花冬吉・豊田佐吉・池貝正太郎・岸敬二郎など22人がとりあげられている。
10巻「技術の歴史 I」
日本人の知性と技術がどのように結び合わさってきたのかを、初めて通史的にも、個別的にも論じた瞠目の1巻。
11巻「技術の歴史 II」
技術史の研究全般。とくに『デ・レ・メタリカ』と『天工開物』の比較。『日本化学古典全書』の解説のすべて。
12巻「日本と西欧・雑纂」
この巻は本書(第5巻)と併せて読みたい。とくに「西欧化日本の研究」、富士谷御杖についてのエッセイ、ハーン・ロチ・ベルツ・フェノロサの日本論についての論評は、見逃せない。
『三枝博音著作集』全12巻+別巻
附記¶三枝博音は昭和38年(1963)、横浜市鶴見の生麦待ちあたりの横須賀線の列車事故、いわゆる鶴見事故で亡くなった。追悼葬儀がただちに横浜市立大学でおこなわれたのは、三枝が長らく学長の座にいたからだった。日玉浩史クン、三浦梅園を発見したのは三枝博音だったのだよ。
http://1000ya.isis.ne.jp/1211.html
三枝博音
返信削除日本の思想文化
中公文庫 1978
はたして日本には
ヨーロッパに伍する思想がなかったのか。
自然哲学や科学思想はなかったのか。
もし、そうであるなら、その理由はどこにあるか。
「日本という方法」にとって、
この問題を避けて通るわけにはいかない。
では、空海は? 三浦梅園は? 福沢諭吉は?
この難問を最初に
一手に引き受けたのが、三枝博音だった。
そんな大それたことを、日本人は思索してきたのであろうか。大それたわけではなかった。アリストテレスやベーコンのようなことは、日本ではまったくおきてはいない。体系には挑んでいない。しかし、そのかわり、眼前の出来事や変化に「自然と歴史」が生成され、編集されていた。
たとえば、『万葉集』に「経(たて)もなく緯(ぬき)も定めず少女らが織れる紅葉に霜な降りそね」という歌がある。この歌には、自然と歴史を現在においてとらえて、そこに世界(小さな世界ではあるが)の軸を感得しようとしている傾向が見られる。これはそのまま道元などにもあてはまることで、とくに「山水経」では、朕兆未萌の自己が過去と未来を「山」の存在によってとらえるということを成功させている。
また、三浦梅園の自然哲学(条理学)には、その冒頭で「天」(テン)と「神」(シン)というものが措定されているのだが、これはハイデガー(916夜)が「一」をザインとみなし、「他」をツァイトとみなしたのに匹敵して、みごとに自然と歴史の両方に思想の軸をおいている例だった。