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日曜日, 6月 15, 2014

プルードンとユダヤ人

プルードンの「日曜励行論」に始まるユダヤ人批判は内在的である。
それは後年のスピノザへの言及からも分かる…


NAMs出版プロジェクト: プルードンとユダヤ人
http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/blog-post_15.html:本頁

プルードンがナポレオン三世と会談した際、次のような会話があったと言われている。

ナポレオン三世「いったい君はどのような社会を望んでいるのかね?」
プルードン「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」
(『コンミューンの炬火 −ブランキとプルードン− 』S.モリニエ他  現代思潮社より) 
プルードンは「ユダヤ人」という著作の構想を持っていたようだが、
内容はよくわからない。マルクスに応答したものであったと推測される。
ただ、プルードンにとって当時のライバルはナポレオン三世であってマル
クスではないし、当時のオートバンクと呼ばれる個人金融業者 内において
ユダヤ資本がどの程度占めていたかは不明。
公式に開示された範囲でプルードンのユダヤ人観、というよりそのユダヤ
教観を紹介するなら、それは以下のようなものであった。

「ユダヤの立法者の目的が,第7日目の礼拝に関するかぎり,4重
であるということ,すなわち同時に市民的,家庭的,道徳的かつ衛生を考
慮したものであるこの目的は,したがって,国民の創立者の思想が包括す
ることのできるもっとも広大でもっと普遍的なものであるということをわ
たくしが確証することに首尾よく成功するならば,…‥わたくしは課題
のすべての条件を満足させることになると信ずる。そしてモーゼの諸制度
の崇高さを示すことによってわたくしはわたくしの検討する問題の深みに
達するであろう。」(懸賞論文『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.37) 16頁

「宗教は…理性に話しかけることをやめてしまった。…そのことで宗教を
責めようとは思わない…宗教は新しい事態に順応しまたはそれと調和する
時をいまだもっていない。」(『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.47) 20頁

「イスラエル人たちは……住所を変えること,過度に裕福にな
ったり破産したりすることはできなかった。その理由を発見するのは容易
である。かれらのあいだでは,少なくとも相続財産分配の不安定性や思わ
ぬ出来事が許す範囲で,不動産は平等であった。家族の財産が他の家族
の手に移るのを禁止する法律もあった。……初めから土地は平等な分配に
従わされていた。…」(『日曜礼拝論』未翻訳、原著p.54) 26頁
(以上、「初期プルードンにおける経済学的諸命題について」(後藤修三)
「中京商学論叢」vol.14.3.1967年より孫引き)

プルードンはユダヤ教の戒律における平等主義を自らの集合力(『資本論』
の用語では「結合労働力」)理論の根拠とすることで、その言論活動を開始
したことになる。

追記:
オートバンクに関しては、
「フランスにおける企業金融:19世紀後半から第一次大戦まで」佐藤, 朋子
http://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/bitstream/2115/31238/1/22%281%29_P103-139.pdf

プルードンのジェンダー観については以下、

http://www.kagomma.net/saito/travaux/vive.html
(6)プルードンは性差のアンチノミーにもこだわる。彼は男女の異質性と相補性の意義を強調し、価値の一元化を拒否したのだが、彼の考え方は当時のフェミニストからも激しく批判された。なるほど、彼が性別役割分業の固定化を承認するような言い回しをしていることに問題があるけれども、彼の真意は多様性に対する寛容の呼びかけであった。
(3)「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところはここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな二項との間でバランスをとる」(『正義論』第二巻、155頁)。

 プルードンの日記に、以下の記述があった、ということらしい。 
 http://www.marxists.org/reference/subject/economics/proudhon/1847/jews.htm 
  
 訳すと、 
 1847 年 12 月 26 日: ユダヤ人ども。この民族について一言書いておくこと、こいつらは他者と交わることなく何にでも首を 
 突っ込んできては一切をその毒で犯す、と。フランス女性と結婚した奴以外はフランスから駆逐すべき。シナゴーグは廃止 
 させ、一切の職業から放逐すべき。いずれはこの宗教そのものを撲滅すべき。キリスト教徒がこいつらを神殺しと非難する 
 のも自業自得だ。ユダヤ人こそは人類の敵である。中東に追い返すか、さもなくば根絶やしに。殺戮でも焼き討ちでも追放 
 でもいいから、とにかくユダヤ人はいなくなれ。 
Pierre Joseph Proudhon 1847

On the Jews


Source: Carnets de P.J. Proudhon. Paris, M. Rivière, 1960;
Translated: for marxists.org by Mitchell Abidor.
Translator’s note: Though some twentieth century writers have maintained that Proudhon was not an anti-Semite, we find in his notebooks proof of the contrary. In this selection from his notebooks Proudhon’s anti-Semitism goes far beyond that of Marx at approximately the same time, calling not for the end of what Jews represent, i.e., capitalism, but of the Jews as a people. Proudhon’s privately expressed thoughts were elaborated on in the same year as this entry by his follower Alphonse Toussenel in his “Les Juifs, Rois de l’Epoque,” The Jews, Kings of the Era. After reading the passage translated here it can come as no surprise that the founder of the royalist group Action Française, the Jew-hater Charles Maurras, drew inspiration from Proudhon.

December 26, 1847: Jews. Write an article against this race that poisons everything by sticking its nose into everything without ever mixing with any other people. Demand its expulsion from France with the exception of those individuals married to French women. Abolish synagogues and not admit them to any employment. Finally, pursue the abolition of this religion. It’s not without cause that the Christians called them deicide. The Jew is the enemy of humankind. They must be sent back to Asia or be exterminated. By steel or by fire or by expulsion the Jew must disappear.
  
 英語版 Wikipedia でも言及されてる。 
 http://en.wikipedia.org/wiki/Proudhon#Anti-semitism_and_sexism  *

プルードンにとってあらゆるネーションが呪詛の対象だった。 

「ひとはいう,ローマはイタリア人たちのものだ,と。わたくしは答える,ちょうど 
ナポリがナポリ人たちのものでありパリがパリ人たちのものであるように 
ローマはローマ人たちのものだ,イタリア人たちというのは,フランス人 
たちと同様に,1つの抽象(une abstraction)であって,真実なのは 
フランスという国をもつ政治的一大集団(une grande agglomération 
politique)が現時点に存在しているということである,しかしそうかとい 
ってこの事実はアルプスのむこう側にその集団の対応物〔統一イタリア〕 
を作り出すための理由では全然ない,まったく反対である,と。」 
(「イタリアにおける連邦と統一(3)」後藤修三「中京商学論叢」通巻第43号1967年 105頁)



He was not consistently libertarian in his ideas, tactics and language. His personal bigotries are disgusting and few modern anarchists would tolerate them – Namely, racism and sexism. He made some bad decisions and occasionally ranted in his private notebooks (where the worst of his anti-Semitism was expressed). While he did place his defence of the patriarchal family at the core of his ideas, they are in direct contradiction to his own libertarian and egalitarian ideas. In terms of racism, he sometimes reflected the less-than-enlightened assumptions and prejudices of the nineteenth century. While this does appear in his public work, such outbursts are both rare and asides (usually an extremely infrequent passing anti-Semitic remark or caricature). In short, "racism was never the basis of Proudhon's political thinking" (Gemie, 200-1) and "anti-Semitism formed no part of Proudhon's revolutionary programme." (Robert Graham, "Introduction", General Idea of the Revolution, xxxvi) To quote Proudhon: "There will no longer be nationality, no longer fatherland, in the political sense of the words: they will mean only places of birth. Man, of whatever race or colour he may be, is an inhabitant of the universe; citizenship is everywhere an acquired right." (General Idea of the Revolution, 283)
—Iain McKay, "Property Is Theft! A Pierre-Joseph Proudhon Anthology. AK Press UK – Edinburgh, 2011" p. 36

「もはや、政治的意味にかける国籍や祖国は存在せず、ただ出生の土地があるだけとなる。人間は、どんな人種に属し、
どんな皮膚の色をしていようと、現実に、この普遍的世界の土着の住民であり、彼はどこででも市民権を手に入れ
る。自治体がその区域の境界内で国を代表し、その権限を行使するのと同じく、地球上の各国民はそれぞれ人類を
代表し、自然がこの国民に割り当てた境界内で、人類を代表して活動する。外交も、会談もなしに、諸国民のあい
だでは調和が支配する。以後、何ものもこの調和を乱すことはできないであろう。」
(プルードン『十九世紀における革命の一般理念』第七研究,原著1851年、邦訳三一書房303頁)

6 件のコメント:

  1. 「もはや、政治的意味にかける国籍や祖国は存在せず、ただ出生の土地があるだけとなる。人間は、どんな人種に属し、
    どんな皮膚の色をしていようと、現実に、この普遍的世界の土着の住民であり、彼はどこででも市民権を手に入れ
    る。自治体がその区域の境界内で国を代表し、その権限を行使するのと同じく、地球上の各国民はそれぞれ人類を
    代表し、自然がこの国民に割り当てた境界内で、人類を代表して活動する。外交も、会談もなしに、諸国民のあい
    だでは調和が支配する。以後、何ものもこの調和を乱すことはできないであろう。」
    (『十九世紀における革命の一般理念』第七研究 三一書房303頁)

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  2. 「もはや、政治的意味にかける国籍や祖国は存在せず、ただ出生の土地があるだけとなる。
    人間は、どんな人種に属し、どんな皮膚の色をしていようと、現実に、この普遍的世界の
    土着の住民であり、彼はどこででも市民権を手に入れる。自治体がその区域の境界内で国
    を代表し、その権限を行使するのと同じく、地球上の各国民はそれぞれ人類を代表し、自
    然がこの国民に割り当てた境界内で、人類を代表して活動する。外交も、会談もなしに、
    諸国民のあいだでは調和が支配する。以後、何ものもこの調和を乱すことはできないであ
    ろう。」(『十九世紀における革命の一般理念』第七研究 三一書房303頁)

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  3. 「もはや、政治的意味にかける国籍や祖国は存在せず、ただ出生の土地があるだけとなる。
    人間は、どんな人種に属し、どんな皮膚の色をしていようと、現実に、この普遍的世界の
    土着の住民であり、彼はどこででも市民権を手に入れる。自治体がその区域の境界内で国
    を代表し、その権限を行使するのと同じく、地球上の各国民はそれぞれ人類を代表し、自
    然がこの国民に割り当てた境界内で、人類を代表して活動する。外交も、会談もなしに、
    諸国民のあいだでは調和が支配する。以後、何ものもこの調和を乱すことはできないであ
    ろう。」(プルードン『十九世紀における革命の一般理念』第七研究 三一書房303頁)

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  4. プルードンがナポレオン三世と会談した際、次のような会話があったと言われている。

    ナポレオン三世「いったい君はどのような社会を望んでいるのかね?」
    プルードン「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」
    (『コンミューンの炬火 −ブランキとプルードン− 』S.モリニエ他  現代思潮社より)

    プルードンは「ユダヤ人」という著作の構想を持っていたようだが、
    内容はよくわからない。マルクスに応答したものであった と推測される。
    ただ、プルードンにとって当時のライバルはナポレオン三世であってマル
    クスではないし、当時のオートバンクと呼ばれる個人金融業者 内において
    ユダヤ資本がどの程度占めていたかは不明。
    公開された範囲でプルードンのユダヤ人観、というよりそのユダヤ教観を紹
    介するなら、それは以下のようなものであった。

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  5. プルードンがナポレオン三世と会談した際、次のような会話があったと言われている。

    ナポレオン三世「いったい君はどのような社会を望んでいるのかね?」
    プルードン「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」
    (『コンミューンの炬火 −ブランキとプルードン− 』S.モリニエ他  現代思潮社より)

    プルードンは「ユダヤ人」という著作の構想を持っていたようだが、
    内容はよくわからない。マルクスに応答したものであった と推測される。

    ただ、プルードンにとって当時のライバルはナポレオン三世であってマル

    クスではないし、当時のオートバンクと呼ばれる個人金融業者 内において

    ユダヤ資本がどの程度占めていたかは不明。
    公式に公開された範囲でプルードンのユダヤ人観、というよりそのユダヤ
    教観を紹 介するなら、それは以下のようなものであった。

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  6. プルードンがナポレオン三世と会談した際、次のような会話があったと言われている。

    ナポレオン三世「いったい君はどのような社会を望んでいるのかね?」
    プルードン「私は私が保守主義者としてギロチンにかけられる社会を夢見ています」
    (『コンミューンの炬火 −ブランキとプルードン− 』S.モリニエ他  現代思潮社より)

    プルードンは「ユダヤ人」という著作の構想を持っていたようだが、
    内容はよくわからない。マルクスに応答したものであった と推測される。
    ただ、プルードンにとって当時のライバルはナポレオン三世であってマル
    クスではないし、当時のオートバンクと呼ばれる個人金融業者 内において
    ユダヤ資本がどの程度占めていたかは不明。
    公式に公開された範囲でプルードンのユダヤ人観、というよりそのユダヤ
    教観を紹 介するなら、それは以下のようなものであった。

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