NAMs出版プロジェクト: ケア、クーラの神話:再掲
NAMs出版プロジェクト: ハイデガー「クーラの神話」『存在と時間』#42
第四十二節 現存在の前存在論的自己解釈にもとづく、気遣いとしての現存在の実存論的な学的解釈の確証
「気遣い」としての現存在の以下のような自己解釈は、或る古い寓話のうちに記されているものである(1)。
カツテくーら〔気遣い〕ハ川ヲ渡ルヤ、粘土ノ土地ヲ見ツケタ。
思イニフケリツツくーらハソノ一塊ヲ取リアゲ、形ヅクリ始メタ。
スデニ作リアゲテシマッタモノニ思イヲメグラシテイル間ニ、ゆぴてるガヤッテ来タ。
ゆぴてるニくーらハ、形ヲエタソノ一塊ノ粘土ニ精神ヲ授ケテクレ、ト願イ、ゆぴてるハヨロコンデソノ願イヲカナエテヤッタ。
トコロガ、ソノ像ニくーらガ自分自身ノ名前ヲツケヨウトシタトキ、
ゆぴてるハソレヲ禁ジテ、自分ノ名前コソソレニ与エラレルベキダ、ト言イハッタ。
くーらトゆぴてるトガ名前ノコトデ争ッテイル間ニ、大地(てるす)モマタ立チアガッテ、
自分ノ身体ノ一部ヲソノ像ニ提供シタカラニハ、自分ノ名前ガソレニツケラレルベキダト望ンダ。
彼ラハさとぅるぬす〔時間〕ニ裁キヲアオギ、彼ハモットモダト思エル次ノヨウナ裁キヲクダシタ。
「ナンジゆぴてるヨ、ナンジハ精神ヲ与エタユエ、コノ像ガ死ヌトキニハ精神ヲ受ケ取リ、
ナンジてるすヨ、ナンジハ身体ヲ授ケタユエ身体ヲ受ケ取ルベシ。
ダガ、くーらハコノモノヲ最初ニ作リアゲタユエ、ソレガ生キテイル間ハ、くーらガソレヲ所有スルガヨイ。
トコロガ、ソノ名前ニツイテナンジラガ争ッテイル以上、
ソレハ明ラカニふーむす(地)カラ作ラレテイルノダカラ、ほも〔人間〕ト名ヅケルガヨカロウ」。
(1)著者は、K・ブールダハの『ファウストと気遣い』という論文をつうじて、現存在を気遣いとして実存論的・存在論的に学的に解釈するための以下のような前存在論的な証例に突き当たったのである。『文芸学と精神史とのためのドイツ季刊誌〔*〕』第一巻(一九二三年)一ページ以下。ブールダハが示しているのは、ゲーテがヒギヌスの寓話二二〇番として伝承されているクーラ寓話をヘルダーから受けついで、彼の『ファウスト』第二部のために改作したということである。とりわけ、前掲論文四〇ページ以下参照。──以下にかかげる原文はF・ビューヘラーの『ライン学報』第四十一巻(一八八六年)五ページに従って引用し、翻訳はブールダハの前掲論文四一ページ以下によっている。 〔*〕「季刊誌」の原語が、第一版、第四版、第七版、第十四版などでは Vierteljahrsschrift、第十五─十七版では Vierteljahresschrift と表記されている。ドイツ語ではいずれの表記も可能。訳文には影響がない。
かつてクーラ〔気遣い〕は川を渡るや、粘土の土地を見つけた。
思いにふけりつつクーラはその一塊を取りあげ、形づくり始めた。
すでに作りあげてしまったものに思いをめぐらしている間に、ユピテルがやって来た。
ユピテルにクーラは、形をえたその一塊の粘土に精神を授けてくれ、と願い、ユピテルはよろこんでその願いをかなえてやった。
ところが、その像にクーラが自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、自分の名前こそそれに与えられるべきだ、と言いはった。
クーラとユピテルとが名前のことで争っている間に、大地(テルス)もまた立ちあがって、
自分の身体の一部をその像に提供したからには、自分の名前がそれにつけられるべきだと望んだ。
彼らはサトゥルヌス〔時間〕に裁きをあおぎ、彼はもっともだと思える次のような裁きをくだした。
「なんじユピテルよ、なんじは精神を与えたゆえ、この像が死ぬときは精神を受け取り、
なんじテルスよ、なんじは身体を授けたゆえ身体を受け取るべし。
だが、クーラはこのものを最初に作りあげたゆえ、それが生きている間は、クーラがそれを所有するがよい。
ところが、その名前についてなんじらが争っている以上、
それは明らかにフームス(地)から作られているのだから、ホモ〔人間〕と名づけるがよかろう」。
《「クーラ」の「二重の意味」が指しているのは、被投された企投というその本質上の二重構造をとる一つの根本機構なのである。》
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返信削除中公クラシックス
ハイデガーの生涯と『存在と時間』の思想 渡邊二郎
死の三年前の一九七三年秋にハイデガーは、それまでの公刊著述や講義録や未発表論文や覚え書き草稿群などの膨大な全著述を、自家最終版としての『ハイデガー全集』として刊行する方針を定め、「存在への問い」をめぐって展開されたみずからの全成果を、「もろもろの道であって──作品ではない」と謙しつつ、しかし人々に存在への思索を訴えて公刊する準備を整え終えた。しかし一九七六年初頭、ついに死の間近いことを悟ったハイデガーは、同郷出身のフライブルク大学キリスト教宗教哲学教授ベルンハルト・ヴェルテを自宅に呼んで、自分の葬儀の仕方を種々依頼した。それにもとづいて、その年の五月二十六日に満八十六歳八ヵ月でハイデガーが死去したその二日後に、故郷メスキルヒでハイデガーの埋葬が行われた。
儀式は甥(弟の次男)のカトリック司祭ハインリッヒ・ハイデガーが執り行い、弔辞はヴェルテが読み上げ、開かれたままの墓の前で、息子(次男)のヘルマン・ハイデガーが、あらかじめ生前のハイデガー自身によって選び抜かれたヘルダーリンの五つの詩句を、ハイデガーが定めたとおりの仕方で、ゆっくりと簡素に、野辺の送りに集まった親族と親友のために朗読した。その詩句は、ヘルダーリンの言葉に託して、ハイデガーの深い心境を語り明かすものとなった。
第一の詩句は、「至福のギリシア」を偲び、その「光り輝く」世界はいま「どこに」消えてしまったのかと問いかける。第二の詩句は、夢見る「愚かな子供」を「嘲ってはならない」と言い、ドイツ人である「われわれは、思いばかりが満ちれて、行動の下手な」者だと自認し、果たして、いつの日にか、ほんとうに、「思想」から「行為」が生まれ、「静かな書き物」に続いてその「果実」が稔ってゆくのであろうかと問う。第三の詩句は、「しかし、一つの神 [ein Gott] が現われるとき、天空と大地と海原の上には、あらゆるものを刷新する光輝が降り注ぐ」と歌う。第四の詩句は、「けれども、いまはその時ではない」と述べ、「神的なものは、かかわりのない者どもを射当てることはない」と告げる。第五の詩句は、「われわれは、開かれた場 [das Offene] を見つめ」、「たとえどんなに遠くとも、一つの固有なもの [ein Eigenes] を求めよう」と訴え、「一つのものだけが確固としている」と述べ、「万人に共通な一つの尺度がつねに存立しており、しかしそれぞれの者にはまた固有のものが授けられており、誰もがそれぞれ、おのれの進みうるところへと進み、帰り来たりうるところへと帰り来たるのだ」と歌っている。ここに、ハイデガーの全生涯を貫く深い信念と心情が、その愛惜してやまないヘルダーリンの詩句に仮託されて、二重写しに告白されていることは一目瞭然である。
ハイデガーの墓碑には、十字架ではなく星印が付けられている。ハイデガーはすでに生前の著作で、「星のほうに向かって行くこと、ただそれのみ」と書き、「思索することは、いつもこの世の天空に星のようにとどまり続ける一つの思想に、ひたすら専念することである」と書き記していた。「老いたけるということは、思索の道を貫くただ一つの思想が、その枠組みのなかへと定着しおえたその場所で、折もよし、心静かに休息するということである」とハイデガーは書いている。ハイデガーは、八十六年の一筋の思索の道を歩み終えて、故郷メスキルヒで静かに永遠の眠りに就いたのである。
生前ハイデガーが長く住んだフライブルクのレーテブックヴェーク四七番地の住居(最晩年はその裏手のフィリバッハ通りに転居した)の玄関口の扉の上には、妻エルフリーデが彫らせたと言われる『旧約聖書』箴言中のルター訳ドイツ語の一つの言葉が掲げられ、訪れる人の眼を射た。「あらゆる努力を尽くして汝の心を大切に守り抜くように。なぜなら、そこからこそ、いのちの源泉が滾々とれ出るからである [Behüte dein Herz mit allem Fleiß, denn daraus quillt〔gehet〕das Leben]」と。深い心と情熱を抱いて一筋の道を歩みとおすことのなかでのみ、人生と思索の果実は稔ると言わねばならない。
http://yojiseki.exblog.jp/6388324/
返信削除後期ハイデガー:メモ
後期ハイデガーは老子をドイツ語訳し、言葉の円環のなかに住まおうとした。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
天
神々 人間たち
大地
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
トートナウベルクには日本人留学生に教えた謝礼金で造った山小屋があったのだ。
そしてドイツとギリシアをつなぐ媒介に選ばれた詩人がヘルダーリンだった。
以下、年譜におけるハイデガーの葬儀(=1976年5月28日、死去は26日)の記述より。
<死の少し前、ヘリングラード編のヘルダーリンの詩句を、「私の墓へ告別の挨拶としてゆっく
りと単純に朗読する」ことを望み、ヘルダーリンの讃歌では「ドイツ人に寄す」、「宥和する者」、
「巨人たち」から、悲歌では「パンと葡萄酒」から選ぶことを望んだ。(略)ヘルマン・ハイ
デッガーは父の意志通りにヘルダーリンを朗読した。その結びは「パンと葡萄酒」第三節のもの
であった。>
(人類の知的遺産75『ハイデガー』芽野良男、講談社p313より)
上記に挙げられた詩はすべて全集第2巻に所収されている。以下、その一節を引用する。
童児を嘲ってはいけない、鞭を手に 拍車をつけて
かれが木馬にまたがり 自分を雄々しい
偉大なものと思っているときも。
なぜならドイツ人諸君よ、君たちも
思想に富んで行為に貧しい者なのだから。(以下略)
「ドイツ人に寄せる」 ヘルダーリン(手塚富雄訳)
(『ヘルダーリン全集2』河出書房p10より)
Spottet nimmer des Kinds, wenn noch das alberne
Auf dem Rosse von Holz herrlich und viel
sich dünkt,
O ihr Guten! auch wir sind
Thatenarm und gedankenvoll!
"An die Deutschen" Hölderlin
http://www.hoelderlin-gesellschaft.de/index.php?id=137
(ドイツ、ヘルダーリン協会サイトより)
ラジオ、テレビ、映画(『羅生門』に関して日本人との会話で触れている)との関わり(*)が端的に指し示すような、その技術論とともにこうした民族主義も後期ハイデガーを読む上で重要になるだろう。
*追記:
ハイデガーがヘルダーリンの詩を朗読したCDが現在販売されている。
返信削除<死の少し前、ヘリングラード編のヘルダーリンの詩句を、「私の墓へ告別の挨拶としてゆっく
りと単純に朗読する」ことを望み、ヘルダーリンの讃歌では「ドイツ人に寄す」、「宥和する者」、
「巨人たち」から、悲歌では「パンと葡萄酒」から選ぶことを望んだ。(略)ヘルマン・ハイ
デッガーは父の意志通りにヘルダーリンを朗読した。その結びは「パンと葡萄酒」第三節のもの
であった。>
(人類の知的遺産75『ハイデガー』芽野良男、講談社p313より)
上記に挙げられた詩はすべて全集第2巻に所収されている。以下、その一節を引用する。
童児を嘲ってはいけない、鞭を手に 拍車をつけて
かれが木馬にまたがり 自分を雄々しい偉大なものと思っているときも。
なぜならドイツ人諸君よ、君たちも
思想に富んで行為に貧しい者なのだから。(以下略)
「ドイツ人に寄せる」 ヘルダーリン(手塚富雄訳)
(『ヘルダーリン全集2』河出書房p10より)
Spottet nimmer des Kinds, wenn noch das alberne
Auf dem Rosse von Holz herrlich und viel sich dünkt,
O ihr Guten! auch wir sind
Thatenarm und gedankenvoll!
"An die Deutschen" Hölderlin
http://www.hoelderlin-gesellschaft.de/index.php?id=137
(ドイツ、ヘルダーリン協会サイトより)
《儀式は甥(弟の次男)のカトリック司祭ハインリッヒ・ハイデガーが執り行
返信削除い、弔辞はヴェルテが読み上げ、開かれたままの墓の前で、息子(次男)のヘ
ルマン・ハイデガーが、あらかじめ生前のハイデガー自身によって選び抜かれ
たヘルダーリンの五つの詩句を、ハイデガーが定めたとおりの仕方で、ゆっく
りと簡素に、野辺の送りに集まった親族と親友のために朗読した。その詩句
は、ヘルダーリンの言葉に託して、ハイデガーの深い心境を語り明かすものと
なった。
第一の詩句は、「至福のギリシア」を偲び、その「光り輝く」世界はいま
「どこに」消えてしまったのかと問いかける。第二の詩句は、夢見る「愚かな
子供」を「嘲ってはならない」と言い、ドイツ人である「われわれは、思いば
かりが満ちれて、行動の下手な」者だと自認し、果たして、いつの日にか、ほ
んとうに、「思想」から「行為」が生まれ、「静かな書き物」に続いてその
「果実」が稔ってゆくのであろうかと問う。第三の詩句は、「しかし、一つの
神 [ein Gott] が現われるとき、天空と大地と海原の上には、あらゆるものを刷
新する光輝が降り注ぐ」と歌う。第四の詩句は、「けれども、いまはその時で
はない」と述べ、「神的なものは、かかわりのない者どもを射当てることはな
い」と告げる。第五の詩句は、「われわれは、開かれた場 [das Offene] を見つ
め」、「たとえどんなに遠くとも、一つの固有なもの [ein Eigenes] を求めよ
う」と訴え、「一つのものだけが確固としている」と述べ、「万人に共通な一
つの尺度がつねに存立しており、しかしそれぞれの者にはまた固有のものが授
けられており、誰もがそれぞれ、おのれの進みうるところへと進み、帰り来た
りうるところへと帰り来たるのだ」と歌っている。ここに、ハイデガーの全生
涯を貫く深い信念と心情が、その愛惜してやまないヘルダーリンの詩句に仮託
されて、二重写しに告白されていることは一目瞭然である。》
中公クラシックス1
ハイデガーの生涯と『存在と時間』の思想 渡邊二郎 より
死の三年前の一九七三年秋にハイデガーは、それまでの公刊著述や講義録や未発表論文や覚え書き草稿群などの膨大な全著述を、自家最終版としての『ハイデガー全集』として刊行する方針を定め、「存在への問い」をめぐって展開されたみずからの全成果を、「もろもろの道であって──作品ではない」と謙しつつ、しかし人々に存在への思索を訴えて公刊する準備を整え終えた。しかし一九七六年初頭、ついに死の間近いことを悟ったハイデガーは、同郷出身のフライブルク大学キリスト教宗教哲学教授ベルンハルト・ヴェルテを自宅に呼んで、自分の葬儀の仕方を種々依頼した。それにもとづいて、その年の五月二十六日に満八十六歳八ヵ月でハイデガーが死去したその二日後に、故郷メスキルヒでハイデガーの埋葬が行われた。
儀式は甥(弟の次男)のカトリック司祭ハインリッヒ・ハイデガーが執り行い、弔辞はヴェルテが読み上げ、開かれたままの墓の前で、息子(次男)のヘルマン・ハイデガーが、あらかじめ生前のハイデガー自身によって選び抜かれたヘルダーリンの五つの詩句を、ハイデガーが定めたとおりの仕方で、ゆっくりと簡素に、野辺の送りに集まった親族と親友のために朗読した。その詩句は、ヘルダーリンの言葉に託して、ハイデガーの深い心境を語り明かすものとなった。
第一の詩句は、「至福のギリシア」を偲び、その「光り輝く」世界はいま「どこに」消えてしまったのかと問いかける。第二の詩句は、夢見る「愚かな子供」を「嘲ってはならない」と言い、ドイツ人である「われわれは、思いばかりが満ちれて、行動の下手な」者だと自認し、果たして、いつの日にか、ほんとうに、「思想」から「行為」が生まれ、「静かな書き物」に続いてその「果実」が稔ってゆくのであろうかと問う。第三の詩句は、「しかし、一つの神 [ein Gott] が現われるとき、天空と大地と海原の上には、あらゆるものを刷新する光輝が降り注ぐ」と歌う。第四の詩句は、「けれども、いまはその時ではない」と述べ、「神的なものは、かかわりのない者どもを射当てることはない」と告げる。第五の詩句は、「われわれは、開かれた場 [das Offene] を見つめ」、「たとえどんなに遠くとも、一つの固有なもの [ein Eigenes] を求めよう」と訴え、「一つのものだけが確固としている」と述べ、「万人に共通な一つの尺度がつねに存立しており、しかしそれぞれの者にはまた固有のものが授けられており、誰もがそれぞれ、おのれの進みうるところへと進み、帰り来たりうるところへと帰り来たるのだ」と歌っている。ここに、ハイデガーの全生涯を貫く深い信念と心情が、その愛惜してやまないヘルダーリンの詩句に仮託されて、二重写しに告白されていることは一目瞭然である。
ハイデガーの墓碑には、十字架ではなく星印が付けられている。ハイデガーはすでに生前の著作で、「星のほうに向かって行くこと、ただそれのみ」と書き、「思索することは、いつもこの世の天空に星のようにとどまり続ける一つの思想に、ひたすら専念することである」と書き記していた。「老いたけるということは、思索の道を貫くただ一つの思想が、その枠組みのなかへと定着しおえたその場所で、折もよし、心静かに休息するということである」とハイデガーは書いている。ハイデガーは、八十六年の一筋の思索の道を歩み終えて、故郷メスキルヒで静かに永遠の眠りに就いたのである。
生前ハイデガーが長く住んだフライブルクのレーテブックヴェーク四七番地の住居(最晩年はその裏手のフィリバッハ通りに転居した)の玄関口の扉の上には、妻エルフリーデが彫らせたと言われる『旧約聖書』箴言中のルター訳ドイツ語の一つの言葉が掲げられ、訪れる人の眼を射た。「あらゆる努力を尽くして汝の心を大切に守り抜くように。なぜなら、そこからこそ、いのちの源泉が滾々とれ出るからである [Behüte dein Herz mit allem Fleiß, denn daraus quillt〔gehet〕das Leben]」と。深い心と情熱を抱いて一筋の道を歩みとおすことのなかでのみ、人生と思索の果実は稔ると言わねばならない。
返信削除http://www.azlyrics.com/lyrics/bobdylan/joey.html
BOB DYLAN LYRICS
Send "Joey" Ringtone to your Mobile
"Joey"
Born in Red Hook Brooklyn in the year of who knows when
Opened up his eyes to the tune of an accordion
Always on the outside whatever side there was
When they asked him why it had to be that way "Well" he answered "just because".
Larry was the oldest Joey was next to last
They called Joe "Crazy" the baby they called "Kid Blast"
Some say they lived off gambling and running numbers too
It always seemed they got caught between the mob and the men in blue.
Joey, Joey
King of the streets child of clay
Joey, Joey
What made them want to come and blow you away.
There was talk they killed their rivals but the truth was far from that
No one ever knew for sure where they were really at
When they tried to strangle Larry, Joey almost hit the roof
He went out that night to seek revenge thinking he was bulletproof.
The war broke out at the break of dawn it emptied out the streets
Joey and his brothers suffered terrible defeats
Till they ventured out behind the lines and took five prisoners
They stashed them away in a basement called them amateurs.
The hostages were trembling when they heard a man exclaim
"Let's blow this place to kingdom come let Con Edison take the blame"
But Joey stepped up, and he raised his hand and said, "We're not those kind of men
It's peace and quiet that we need to go back to work again".
Joey, Joey
King of the streets child of clay
Joey, Joey
What made them want to come and blow you away.
The police department hounded him, they called him Mr. Smith
They got him on conspiracy, they were never sure who with
"What time is it" said the judge to Joey when they met
"Five to ten" said Joey. The judge says, "That's exactly what you get".
He did ten years in Attica, reading Nietzche and Wilhelm Reich
They threw him in the hole one time for trying to stop a strike
His closest friends were black men 'cause they seemed to understand
What it's like to be in society with a shackle on your hand.
When they let him out in '71 he'd lost a little weight
But he dressed like Jimmy Cagney and I swear he did look great
He tried to find the way back into the life he left behind
To the boss he said, "I've returned and now I want what's mine".
Joey, Joey
King of the streets child of clay
Joey, Joey
What made them want to come and blow you away.
It was true that in his later years he would not carry a gun
"I'm around too many children", he'd say, "they should never know of one"
Yet he walked right into the clubhouse of his lifelong deadly foe
Emptied out his register, said, "Tell 'em it was Crazy Joe".
One day they blew him down in a clam bar in New York
He could see it coming through the doors as he lifted up his fork
He pushed the table over to protect his family
Then he staggered out into the streets of Little Italy.
Joey, Joey
King of the streets child of clay
Joey, Joey
What made them want to come and blow you away.
Sister Jacqueline and Carmela and mother Mary all did weep
I heard his best friend Frankie say, "He ain't dead he's just asleep"
Then I saw the old man's limousine head back towards the grave
I guess he had to say one last goodbye to the son that he could not save.
The sun turned cold over President Street and the town of the Brooklyn mourned
They said a mass in the old church near the house where he was born
And someday if God's in heaven overlooking his preserve
I know the men that shot him down will get what they deserve.
Joey, Joey
King of the streets child of clay
Joey, Joey
What made them want to come and blow you away.
返信削除第四十二節 …
「気遣い」としての現存在の以下のような自己解釈は、或る古い寓話のうちに記されている
ものである。
かつてクーラ[気遣い]は川を渡るや、粘土の土地を見つけた。
思いにふけりつつクーラはその一塊を取りあげ、形づくり始めた。
すでに作りあげてしまったものに思いをめぐらしている間に、ユピテルがやって来た。
ユピテルにクーラは、形をえたその一塊の粘土に精神を授けてくれ、と願い、ユピテルは
よろこんでその願いをかなえてやった。
ところが、その像にクーラが自分自身の名前をつけようとしたとき、
ユピテルはそれを禁じて、自分の名前こそそれに与えられるべきだ、と言いはった。
クーラとユピテルとが名前のことで争っている間に、大地(テルス)もまた立ちあがって、
自分の身体の一部をその像に提供したからには、自分の名前がそれにつけられるべきだと
望んだ。
彼らはサトゥルヌス[時間]に裁きをあおぎ、彼はもっともだと思える次のような裁きを
くだした。
「なんじユピテルよ、なんじは精神を与えたゆえ、この像が死ぬときは精神を受け取り、
なんじテルスよ、なんじは身体を授けたゆえ身体を受け取るべし。
だが、クーラはこのものを最初に作りあげたゆえ、それが生きている間は、クーラがそれ
を所有するがよい。
ところが、その名前についてなんじらが争っている以上、
それは明らかにフームス(地)から作られているのだから、ホモ[人間]と名づけるがよ
かろう」。
…「クーラ」の「二重の意味」が指しているのは、被投された企投というその本質上の二重
構造をとる一つの根本機構なのである。…
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
返信削除天
神々 人間たち
大地
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
天、サトゥルヌス
神々 クーラ 人間たち、ホモ
ユピテル
大地ーテルス
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
返信削除天
神々 人間たち
大地
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
天、サトゥルヌス
神々 クーラ 人間たち、ホモ
ユピテル
大地、テルス
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
天
神々 人間たち
大地
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
こちらのほうがいい
天、サトゥルヌス
神々 クーラ 大地、テルス
ユピテル
人間たち、ホモ
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
返信削除あるとき「気遣い」が川を渡っていて、粘土質の土地を見かけた。「気遣い」は思うところがあって、その
ひとかたまりを手にとって、形を作り始めた。自分が作ったものについて思いをめぐらせていると、ユピテルが
やって来た。「気遣い」はユピテルに、自分が形を与えた土くれに精神を授けてやってほしいと頼んだところ、
ユピテルは快く応じた。ところが、「気遣い」が自分の捏ね上げたものに自分の名前を付けようとすると、ユ
ピテルはそれを禁じて、これには自分の名前が与えられて然るべきだと言った。名前について「気遣い」と
ユピテルとが争っていたところ、テルス(地)もまた立ち上がって、その像に生身の一部を与えたのは自分な
のだから、自分の名をそれに与えるように求めた。争う者らは、サトゥルヌスを裁き手に仕立てたところ、
サトゥルヌスは次のような、どうやら公平とおぼしき裁きを与えた。「ユピテルよ、おまえは精神を与えたの
だから、これが死ぬときに精神を取るとよい。また、地よ、おまえは体を与えたのだから、体をもらうとよい。
「気遣い」は、このものに最初に形を作ってやったのだから、これが生きているかぎりは「気遣い」がそれを
持っているとよい。しかし、名前について争いがあるのだから、それは見てのとおりフムス(土)から作られ
ているゆえ、ホモ(人)と呼ぶのがよいだろう」。
高田訳SZ#42,295~6頁
この寓話に全てがある。
気遣い
ユピテル(精神) テルス(地) サトゥルヌス(時間)
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
天
神々 人間たち
大地
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
天、サトゥルヌス
神々 クーラ 人間たち、ホモ
ユピテル
大地、テルス
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
それは以下の図式を持ち、古代ギリシアを理想化するものだった。
天
神々 人間たち
大地
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
こちらのほうがいい
天、サトゥルヌス
神々 クーラ、人間たち、ホモ
ユピテル
大地、テルス
大地の隣にシュヴァルツヴァルト(黒い森)、トートナウベルクの位置する森が付け加えられてもよいだろう。
原注より
返信削除現存在を気遣いとする実存論的かつ存在論的な解釈を前存在論的に裏付ける証拠として以下に紹介する寓意詩を
著者が知ったのは、K・ブルダッハの論文「ファウストと気遣い」(『文芸学と精神史のためのドイツ季刊誌』第
一巻(一九二三年)、1ページ以下)においてである…
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