確かに集合論を数字に適応したホワイトヘッドはトポロジーの人とは別人だが共通点がある。
ふたりとも離散の人なのだ。
以下の図は弁証法とは何の関係もない。
_
_ / \ _
/ \ / \ / \
/ \| / \
| | /| |
| |\ / | |
| | \ | |
| | \ | |
| |/ \ | |
| / \| |
\ /| | /
\_/ \ / \_/
\_/
http://mathworld.wolfram.com/images/eps-gif/WhiteheadLink_1000.gif
http://en.wikipedia.org/wiki/Whitehead_link
____A____
/ | \
/ | \
/ __|__ \
| / B \ |
| / \ |
| | | |
| | | |
| | | |
| \ / |
\ \__C__/ /
\ | /
\____|____/
D
http://en.wikipedia.org/wiki/Whitehead_link
____A____
/ | \
/ | \
/ __|__ \
| / B \ |
| / \ |
| | | |
| | | |
| | | |
| \ / |
\ \__C__/ /
\ | /
\____|____/
D
スピノザによる無限の説明(書簡12,50より)
http://yojiseki.exblog.jp/5748440/
上はスピノザ自身による無限の説明。『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)、『デカルトの哲学原理』に採用されている。
円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。
これは、契約における実定法と自然権、歴史における真理と教義、主体における意識と無意識(またはその代理表象)、証明における思惟と延長といった、即時的(同時的)かつダブルバインド的な二項にそれぞれ相当するだろう。
「二つの円」と「二つの円の比率」の関係は、「実体」と「人間に認識できる二つの属性(思惟と延長)」の関係ということもできる。
(参照:『精神の眼は論証そのもの』上野修)
赤線、青線はドゥルーズ、マシュレーによる任意の教義の恣意性の説明に対応する(参照:『ヘーゲルかスピノザか』マシュレー)。
下は『論理学史』(山下正男)p208より。
I(全論理空間)
◯
/ \
/ \
/ \
a=b=S/ \a/=b/=M
◯ ◯
Sは実体\ /Mは様態
\ /
\ /
\ /
◯
O(空なるクラス)
デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
上の図と下の図との対照に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
追記;
冒頭の図は『デカルトの哲学原理』の表紙↓にも使われている。
デカルトは力学的、スピノザは数学的だが、後者は光学的とも言える。
ところで、集合論は無限に濃度という連続性を与えた。
しかし、連続対仮説が証明されていないように、今日において数学の離散性は重要度を増し、スピノザの思惟と延長も、ホワイトヘッドのリンクのように離散的に乖離し続ける。(無理に弁証法的用語を使うなら)アンチノミーは維持される。
確かにホワイトヘッドは集合論を数字に適応したがトポロジーの人でもある。
返信削除離散の人なのだ。
以下の図は弁証法とは何の関係もない。
_
_ / \ _
/ \ / \ / \
/ \| / \
| | /| |
| |\ / | |
| | \ | |
| | \ | |
| |/ \ | |
| / \| |
\ /| | /
\_/ \ / \_/
\_/
http://mathworld.wolfram.com/images/eps-gif/WhiteheadLink_1000.gif
http://en.wikipedia.org/wiki/Whitehead_link
____A____
/ | \
/ | \
/ __|__ \
| / B \ |
| / \ |
| | | |
| | | |
| | | |
| \ / |
\ \__C__/ /
\ | /
\____|____/
D
スピノザによる無限の説明(書簡12,50より)
http://yojiseki.exblog.jp/5748440/
上はスピノザ自身による無限の説明。『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)、『デカルトの哲学原理』に採用されている。
円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。
これは、契約における実定法と自然権、歴史における真理と教義、主体における意識と無意識(またはその代理表象)、証明における思惟と延長といった、即時的(同時的)かつダブルバインド的な二項にそれぞれ相当するだろう。
「二つの円」と「二つの円の比率」の関係は、「実体」と「人間に認識できる二つの属性(思惟と延長)」の関係ということもできる。
(参照:『精神の眼は論証そのもの』上野修)
赤線、青線はドゥルーズ、マシュレーによる任意の教義の恣意性の説明に相応する(参照:『ヘーゲルかスピノザか』マシュレー)。
下は『論理学史』(山下正男)p208より。
デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
上の図と下の図との対照に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
追記;
冒頭の図は『デカルトの哲学原理』の表紙↓にも使われている。
I(全論理空間)
◯
/ \
/ \
/ \
a=b=S/ \a/=b/=M
◯ ◯
Sは実体\ /Mは様体
\ /
\ /
\ /
◯
O(空なるクラス)
I(全論理空間)
◯
/ \
/ \
/ \
a=b=S/ \a/=b/=M
◯ ◯
Sは実体\ /Mは様体
\ /
\ /
\ /
◯
O(空なるクラス)