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月曜日, 7月 07, 2014

(二人の)ホワイトヘッドとスピノザ

リンク::::::::::スピノザ本頁

ホワイトヘッドには有名なラッセルと共闘したとホワイトヘッドとトポロジー関連のホワイトヘッドと二人いる...

確かに集合論を数字に適応したホワイトヘッドはトポロジーの人とは別人だが共通点がある。

ふたりとも離散の人なのだ。
以下の図は弁証法とは何の関係もない。

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http://mathworld.wolfram.com/images/eps-gif/WhiteheadLink_1000.gif
http://en.wikipedia.org/wiki/Whitehead_link


         
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         D

スピノザによる無限の説明(書簡12,50より)   
http://yojiseki.exblog.jp/5748440/
  

上はスピノザ自身による無限の説明。『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)、『デカルトの哲学原理』に採用されている。 
円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。 
これは、契約における実定法と自然権、歴史における真理と教義、主体における意識と無意識(またはその代理表象)、証明における思惟と延長といった、即時的(同時的)かつダブルバインド的な二項にそれぞれ相当するだろう。
「二つの円」と「二つの円の比率」の関係は、「実体」と「人間に認識できる二つの属性(思惟と延長)」の関係ということもできる。 
(参照:『精神の眼は論証そのもの』上野修) 
赤線、青線はドゥルーズ、マシュレーによる任意の教義の恣意性の説明に対応する(参照:『ヘーゲルかスピノザか』マシュレー)。 

下は『論理学史』(山下正男)p208より。 


         I(全論理空間)
         ◯
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      /     \ 
a=b=S/       \a/=b/=M
    ◯         ◯
 Sは実体\       /Mは様態
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         ◯
         O(空なるクラス)



デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。 
上の図と下の図との対照に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。

追記;
冒頭の図は『デカルトの哲学原理』の表紙↓にも使われている。


デカルトは力学的、スピノザは数学的だが、後者は光学的とも言える。

ところで、集合論は無限に濃度という連続性を与えた。

しかし、連続対仮説が証明されていないように、今日において数学の離散性は重要度を増し、スピノザの思惟と延長も、ホワイトヘッドのリンクのように離散的に乖離し続ける。(無理に弁証法的用語を使うなら)アンチノミーは維持される。





1 件のコメント:

  1. 確かにホワイトヘッドは集合論を数字に適応したがトポロジーの人でもある。
    離散の人なのだ。
    以下の図は弁証法とは何の関係もない。

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    http://mathworld.wolfram.com/images/eps-gif/WhiteheadLink_1000.gif
    http://en.wikipedia.org/wiki/Whitehead_link


             
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    スピノザによる無限の説明(書簡12,50より)   
    http://yojiseki.exblog.jp/5748440/
      

    上はスピノザ自身による無限の説明。『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)、『デカルトの哲学原理』に採用されている。
    円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。
    これは、契約における実定法と自然権、歴史における真理と教義、主体における意識と無意識(またはその代理表象)、証明における思惟と延長といった、即時的(同時的)かつダブルバインド的な二項にそれぞれ相当するだろう。
    「二つの円」と「二つの円の比率」の関係は、「実体」と「人間に認識できる二つの属性(思惟と延長)」の関係ということもできる。
    (参照:『精神の眼は論証そのもの』上野修)
    赤線、青線はドゥルーズ、マシュレーによる任意の教義の恣意性の説明に相応する(参照:『ヘーゲルかスピノザか』マシュレー)。

    下は『論理学史』(山下正男)p208より。



    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    上の図と下の図との対照に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。

    追記;
    冒頭の図は『デカルトの哲学原理』の表紙↓にも使われている。



             I(全論理空間)
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    a=b=S/       \a/=b/=M
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     Sは実体\       /Mは様体
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             O(空なるクラス)


             I(全論理空間)
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    a=b=S/       \a/=b/=M
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     Sは実体\       /Mは様体
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