20150109 柄谷行人講演会「批評と移動」@紀伊国屋書店:メモ
2015年1月9日の講演で柄谷は、文学と哲学(主にカント)との関係をうまくまとめていた(定本4のスミス関連、定本1の中国語版あとがきが内容的にリンクしていた)。文学の役割の終わりを、サルトルなど第三の道の不可能性と結びつけていた。ただ、現代のネーションは文学ではなく音楽を手段にしており、帝国は映画を手段にしているだろう(共に想像力として位置付けられるので柄谷理論の範囲内だが)。言及のなかったインターネットなどは二重性を秘めているが、それを可能性とは柄谷は考えていないようだ。実際の移動が未だに重要だということだろう。「言語・数・貨幣」を完成させたいという発言が反響を呼んだようだが、個人的には韓国テレビドラマ*への言及(文学終焉説の反響がそこにあったという)が興味深かった。
韓国ドラマ界からの柄谷行人(近代文学の終わり2004年)への反論
■韓国ドラマ『姉さん(姉貴)』*(全55回)2006年 MBC
*
『姉さん』第31話DVDvol.11 chapter2より
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1203737336653086722/pu/vid/640x480/DbLjmJO9Zn5o-V-7.mp4
「文学は新しい倫理を生む」
(문학 은 새로운 윤리 를 낳는다)
*
■韓国ドラマ『姉さん(姉貴)』(全55回)2006年 MBC
大西巨人文選4
『大西巨人文選4 遼遠1986-1996』(1996.7、296~7頁)に以下の記述がある。
《講談社一九八五年刊・柄谷行人著『内省と遡行』の「あとがき」に、
「むろん私は後をふりかえようとは思わない。いいかえれば、自分の過去の仕事
に、私的な意味づけを強いようとは思わない。」という雄雄しい断言があり、私
は、その断言を我流に解釈して、たいそう同感同意している。》(「自作再見」1990.7.9)
【19:00~】第254回新宿セミナー@紀伊國屋書店
「柄谷行人 講演会『批評と移動----トランスクリティーク』」
ニーチェの神の死とか、フーコーの人間の消滅とか。柄谷行人さんはフーコーのふのじも言わないけど。そういう根源的な消滅とのリンクで、文学の死、文学からのりだつを語るんだ。ここでいう文学はブンガクじゃなくて。リアルな二項対立の時代にのみいみがあったとくべつな知性のことです。
柄谷行人さんの本はいちど徹底してよんだことあります。最初期の文芸批評から、可能性の中心からの起源、内省と遡行からの探求、トランスクリティークらへんまで。その後すこしみうしなってた。なのでばたばたと予習してたけどひつようなかったな。もっと長期的な話だったから。
柄谷行人さんの講演会りだつ。紀伊国屋ホール満員だった。わたしはホンモノの話きくの二度め。まえのはちいさなアンダーグラウンドな白熱。きょうのはおおきなフォーマルな重層的な内容。いろいろ補完できました。
柄谷行人と村上龍が対談したとき、龍より無名の柄谷の方が偉そうにしてたってのは、懐かしき笑い話だが、「純文学」が存在するってのはそういう状態なんよね。しかし今はそういう時代じゃないからね。
紀伊国屋ホールの柄谷行人講演を聞いて帰る。柄谷さんには珍しく、過去を振り返る話。面白すぎてノートをとりまくったよ。なんと、かつて放棄された「言語、数、貨幣」を書き終えようと思っているんだそうだ。昔からのファンはぞくぞくしてしまうね。
柄谷先生は「帝国の構造」や「世界史の構造」といった本で、交換様式も観点から歴史を捉え直した方なんですけど、立ち読みで凄く面白そうと思って(かつ、ちょっと読む余裕ないかもと思って)講演会に申し込みました。
RT @aniooo: 「革命とは、新しいものを創出することではない。それはすでにおこっている「変化」に追いつくことである。人間は目的的にたちむかうとき、実は「遅れ」を過剰にとりもどそうとしているのである。」柄谷行人『マルクス、その可能性の中心』
RT @_sunclear: 柄谷とデリダの並行性 1.柄谷は「マルクスその可能性の中心」以降、十年に渡って「形式体系をより徹底化することで自壊させる」仕事を進めている。形式体系の外部へ出ようとする柄谷は、「構造とその外部」という安易な二元論の再来を避けるため、構造の内部にゲー…
RT @yamada_isak: @yamada_isak 彼らは「意識しないが、そう行なう」というとき、実はマルクスはほぼフロイト的な意味で「無意識」について語っている。たとえば、ジャック・ラカンは、無意識は言語と同じように構造化されているといっている。柄谷行人「マルクス、そ…
RT @yamasakikoutaro: 「スターリニズムに対して、マルクスのヒューマニズムを対置させる考えほど愚かなものはない。スターリニズムの暴力性・非人間性は、人間の主体性を否認するところからくるものではなく、逆にそれを絶対化するところからくるのだ。」(柄谷行人『マルクス…
以下、定本『隠喩としての建築』より。
たとえば、ここにオレンジ、すいか、テニスボール、フットボールがある。
それらを記憶にとどめるためには分類するほかない。
A __________
/ \
/ \
| (果物) |
______|___ ___|______
/ |オレ \ / | \
/ \ ンジ\ /すいか/ \
| \___|__|___/ |
| (小) ___|__|___ (大) |
| /テニス| |フット\ |
\ /ボール/ \ボール\ /
\______|___/ \___|______/
| (ボール) |
| |
\ /
\__________/
ある人は、それらをオレンジとすいか(果物)、テニスボールとフットボール(ボール)に分けるだろうし、
他の人は、それらを形態によって、オレンジとテニスボール(小)、すいかとフットボール(大)に分ける
だろう。
いずれの分類もそれだけではツリーになる(図BおよびC)。
B ◯ C ◯
/\ /\
/ \ / \
/ \ 小さな球◯ ◯大きな卵形
/ \ / \ / \
果物◯ ◯ボール / \/ \
/ \ / \ / /\ \
/ \ / \ / / \ \
◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯ ◯
オレンジ すいか テニス フット オレンジ すいか テニス フット
ボール ボール ボール ボール
二つを合わせると、セミ・ラティスになる(図D)。
D __◯__
__/ /\ \__
_/ / \ \_
果物◯ 小◯ ◯大 ◯ボール
|\ / \ / \ /|
| \/ \/ \/ |
| /\ /\ /\ |
|/ \ / \ / \|
◯ ◯ ◯ ◯
オレンジ すいか テニス フット
ボール ボール
それらを集合論的に示すと、図Aのようになる。しかし、後者は視覚化するのが難しいので、
一般に、われわれが明瞭に視覚化できるのは、ツリーであり、実際、自然都市のようにその
内部で集合がオーヴァーラップするようなセミ・ラティス構造を思いうかべねばならないと
き、それをツリーに還元してしまう傾向がある。
(略)
もしツリーが厳格に守られると、都市も組織も荒廃せざるをえない。現代都市計画はその
ようなものだとアレグザンダーはいう。ブラジリアのような人口都市における生活の荒廃感
はよく知られている。『いかなる有機体においても、過度の区画化と内的要素の解離は、き
たるべき崩壊の最初のしるしである。解離は社会においては混乱であり、個人においては分
裂病とさしせまった自殺の徴候である』(Chiristopher Alexander "A city is not a tree"
「都市はツリーではない」1965)。
(定本『隠喩としての建築』53〜59頁より)
以下、「都市は~」より
一つ例をあげよう。次の四つのものを頭にうかべるとしよう。オレンジ、メロン、フットボール、テニスボール。この四つのものを頭に、即ち心の目にどのようにして留めておくだろうか。いずれにしてもそれらをグループに分けて記憶するであろう。オレンジとメロンの果物を一組とし、フットボールとテニスボールの二つのポールを一組とする人もいるだろう。なかには形状が似ているという理由で前とは違ったグループ分けをする人もいるだろう。即ち小さな球形をしたオレンジとテニスボールを一組とし、大きな玉子形をしたメロンとフットボールを一組とする方法もある。両方に気がつく人もいるだろう。グループ分けは一つ一つ見ればツリー構造である。二つが合わさるとセミラチスとなる。図10。-
(図をクリックすると拡大)
四つのセットは重なり合っているので、二通りのグループ分けを具体的な図式に表わそうとしても、四つのセットを同時に頭に描くことはできない。セットを一組ずつに描くことはできる。又この二組を交互に素早く描くこともできる。あまり素早くできるので二つを同時に頭に措けると錯覚しやすい。だが実際四つのセットをいっしょに一度で描くことは不可能である。セミラチス構造を一度の思考操作で形に表わすことはできない。一度の思考操作ではツリーを措くことしかできない。これは我々デザイナーが直面している問題である。我々はかならずしもー度の思考操作で全体像を描きたいと思っているわけではないが、結局は同じことになる。ツリーは頭に描きやすく扱いやすい。セミラチスは描きにくく、従って扱いにくい。
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春秋の花/大西巨人 |
唯物論とは、言語や関係の外在性=物質性を認めること、それらを思惟によって内面化しえないものとみなすことにほかならない。
柄谷行人
批評家。本名は善男《よしお》。兵庫県生〔一九四一〔昭和二八〕~)。東大経済学部卒・同大学院(英文学専攻)修士課程修了。『意味という病』、『マルクスその可能性の中心』、『日本近代文学の起源』、『ヒューモアとしての唯物論』など。
*注意すべきことは、概して、ヒューモアは、一見してそうでないような思想家にこそ見いだしうるということである。〔エッセイ『ヒューモアとしての唯物論』より〕
エッセイ集『終焉《しゅうえん》をめぐって』〔一九九〇〕所収『死語《しご》をめぐって』の断章。その論攷《ろんこう》中には「日本の近代文学の内面性とは、闘争の回避であり闘争の放棄を闘争と見せかけることである。」という鋭利な指摘も見られる。たとえばマルクスの「観照的唯物論、すなわち感性を実践的活動として把握せぬ唯物論の到達点は、たかだか個個の個人ならびに市民社会の観照でしかない。」という言葉が私におのずと思い合わせられる。むろん掲出断章は間然《かんぜん》するところのない命題であり、人類の今日および明日における中心当為《とうい》の一つは如上命題の実行実現でなければならない。ただ、そのためには有形無形の真正な勇気が決定的に要請せられる。 |
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3月21日(土)早稲田大学大隈記念講堂
第1部 13:00〜16:05
開催主旨 中谷礼仁
「世界集落の発見」 原広司
「夢の世界建築史」 中川武
第2部 16:20〜17:20
「世界建築史をめぐって」(柄谷行人・原広司・中川武)
http://www.lah-waseda.jp/news/post/132.html …
中川武教授 最終講義・記念シンポジウム
建築は世界を語り、夢にまでいたる。
《世界建築史をめぐって》と題して、早稲田大学・中川武教授の最終講義・記念シンポジウムを行います。
師の幅広く緻密な開拓によって、日本、エジプト、アジアとたくさんの研究領域・成果が生まれ、育ちました。
そして、建築を発見的に作り、語りつづけた先達、原広司・建築家・東京大学名誉教授をお招きします。
座談会では、さらに柄谷行人先生にご参加頂き、原広司先生・中川武先生の世界建築体験を展開させ、建築史の魅力と可能性および未知の建築の可能性を、次世代に伝えようとするものです。
※事前申込は不要です。
問合せ連絡先
井野朋也 12/12 ベルク本文庫本化! @Bergzatsuyoten · 12時間 12時間前
返信削除昨日、柄谷行人さんとベルクで5時間半も飲んでいた。夢のような時間だった。
途中から筑摩書房の編集の方がメモをとられていたが、一冊の本になるような内
容だったかも。(興味津々な)オフレコも一杯あったが。ベルクはいつもデモの帰
りに立ち飲みして下さるとか。昨日は初めて座れたと喜んでられた。
井野朋也 12/12 ベルク本文庫本化! @Bergzatsuyoten · 12時間 12時間前
小林秀雄と福田恆存が柄谷さんのマクベス論を読んで誉めたらしい。そう話す
柄谷さんの最高に幸せそうな笑顔が印象深かった。今でもそれが励みになって
いることに驚いた。今でこそ小林は単なる右翼のおじさん、柄谷さんは単なる
左翼のおじさんと見られているが、そういうことじゃない。読めばわかるが。
井野朋也 12/12 ベルク本文庫本化! @Bergzatsuyoten · 11時間 11時間前
ピケティのことはピカチュウとおっしゃっていた。まあその頃はかなりお酒が
回っていたので、ちゃんとした批判ではなく、ちゃかす感じだったが。でも恐
らく柄谷さんとしては、ピカチュウ、いやピケティ読むならマルクス読めとお
っしゃりたいのだろう。
井野朋也 12/12 ベルク本文庫本化!
@Bergzatsuyoten
柄谷さん気を悪くされるかなと思いながら、最初、私にとって父のような存
在でと申し上げたら、ニコッと受け入れて下さった。どうも自分を乗り越える
べき父としてぶつかってくる人が多い、うんざり、素直に父と言ってもらえる
のは嬉しいという感じだった。そんな所で戦うつもりはないということだろう。
吉永剛志 @take4luckylong · 12時間 12時間前
実は柄谷行人さんは頭数の1人として告知も感想も印象も書かず、地味
に官邸前によく行っている。その辺はえらいなと思う。認知・承認され
るために行っているわけではないからそりゃそうだろうけど。しかし、
しゃべらないから誰も気がつかない(笑)。
文学は他メディアとではなく資本と戦っている
返信削除記号と事件でドゥルーズが明言している
20130207トークイベント:メモ : 関本洋司のブログ
返信削除http://yojiseki.exblog.jp/17287748/
20130207トークイベント終了。
キュロス王の二面性、トルコのアジア性、
探究1への言及が感慨深い。
台湾での囲い込み運動説明の話も興味深かった。
だが、想起説の説明はあれでいいのか?
トラクリは勿論、哲学の起源からも一歩進んだわかりやすい説明だったが(精神分析における非対称性との類似)。
さらに、フランスの内乱の引用だけは納得できない。
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」(全集17.320頁)
内在的な革命は当事者しかわからないはずだが、マルクスは常に外部にいて構造を俯瞰する。
また、プルードンの交換銀行が必要だったことは明白なのにマルクスはそれを圧殺する。
//////////
僕の本には書いてないんですけど…
想起ということの問題を改めて考えました。
思い出すというのは、ソクラテス問答法というのは…
相手が思い出すのを助ける
自分は何もしない…精神分析も医者は関係ない
患者が思い出すだけです…後になって理論的にまとめたのは医学用の話で…
そのことを痛む?しかない…
僕はそのことで思うのは、
それは革命の問題もみな同じではないか。
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品ではないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っているんです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…
それを思い出せばいいだけです。
返信削除韓国ドラマにおける柄谷行人(近代文学の終わり)への反論
■韓国ドラマ『姉さん(姉貴)』*(全55回)2006年 MBC
*
http://blog.livedoor.jp/creampan2005/archives/50868724.html
https://vimeo.com/116675822
『姉さん』第31話DVDvol.11 chapter2より
https://video.twimg.com/ext_tw_video/1203737336653086722/pu/vid/640x480/DbLjmJO9Zn5o-V-7.mp4
返信削除https://video.twimg.com/ext_tw_video/1203739964631969792/pu/vid/640x480/c1Wr5Y6P4j2zrebL.mp4
返信削除
返信削除《…みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品ではないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っているんです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…
それを思い出せばいいだけです。》
20130207紀伊国屋書店柄谷行人トークイベントより
956 考える名無しさん[] 2020/03/02(月) 01:57:12.99 ID:0
返信削除>「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつあ
>る古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
(『フランスの内乱』全集17.320頁)
返信削除《[台湾で]…みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品ではないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っているんです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」※
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…それを思い出せばいいだけです。》
2013年2月7日紀伊国屋書店柄谷行人トークイベントより
※ 『フランスの内乱』全集17.320頁