「和歌ではない歌(うたではないうた)」(wikiへのリンク付き)
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1909年(明治42年)5月5日 - 1942年(昭和17年)12月4日
以下、wikiより
「和歌でない歌」は日本の作家、中島敦の作品、連作詩の題名。以下の「遍歴」はその冒頭の詩。
54人ほどの偉人、歴史上、伝説上の人物が全55行のなかに言及、引用されている(引用者注:東洋人が11人でそのうち日本人が4人、中国人が6人、インド人?が1人)。中島敦の圧倒的な教養とバランス感覚を伺い知ることができる(英訳がなく、海外研究者に知られていないのが残念だ)。
以下はふりがなを()内に入れ、ワ+(プラス)濁点をすべてヴァ*に変えた。[]内は先の固有名詞を一般的なものに変え追記した。
原文に記号としての()及び[]は存在しない。青色人名のリンクはすべてwikiに飛ぶようにしてある。
追記:
「ある時は整然として澄みとほるスピノザに來て眼(め)をみはりしか」の「來て」は「似て」の誤植かと思ったが、元原稿が存在しないので校訂された全集版にしたがった。
和歌でない歌
中島敦
遍歴
ある時はヘーゲルが如萬有をわが體系に統(す)べんともせし
ある時はアミエルが如つゝましく息をひそめて生きんと思ひし
ある時は若きジイドと諸共に生命に充ちて野をさまよひぬ
ある時はヘルデルリン[ヘルダーリン]と翼(はね)竝べギリシャの空を天翔りけり
ある時はフィリップ[シャルル・ルイ・フィリップ]のごと小(ち)さき町に小(ちひ)さき人々(ひと)を愛せむと思ふ
ある時はラムボー[ランボー]と共にアラビヤの熱き砂漠に果てなむ心
ある時はゴッホならねど人の耳を喰ひてちぎりて狂はんとせし
ある時は淵明(えんめい[陶淵明])が如疑はずかの天命を信ぜんとせし
ある時は觀念(イデア)の中に永遠を見んと願ひぬプラトンのごと
ある時はノヴァ*ーリス[ノヴァーリス]のごと石に花に奇しき祕文を讀まむとぞせし
ある時は人を厭ふと石の上に默(もだ)もあらまし達磨の如く
ある時は李白の如く醉ひ醉ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
ある時は王維をまねび寂(じやく)として幽篁の裏(うち)にひとりあらなむ
ある時はスウィフトと共にこの地球(ほし)のYahoo[ヤフー]共をば憎みさげすむ
ある時はヴェルレエヌ[ヴェルレーヌ]の如雨の夜の巷に飮みて涙せりけり
ある時は阮籍(げんせき)がごと白眼に人を睨みて琴を彈ぜむ
ある時はフロイド[フロイト]に行きもろ人の怪(あや)しき心理(こころ)さぐらむとする
ある時はゴーガン[ゴーギャン]の如逞ましき野生(なま)のいのちに觸ればやと思ふ
ある時はバイロンが如人の世の掟(おきて)踏躪り呵々と笑はむ
ある時はワイルドが如深き淵に墮ちて嘆きて懺悔せむ心
ある時はヴィヨンの如く殺(あや)め盜み寂しく立ちて風に吹かれなむ
ある時はボードレエル[ボードレール]がダンディズム昂然として道行く心
ある時はアナクレオンとピロンのみ語るに足ると思ひたりけり
ある時はパスカルの如心いため弱き蘆をば讚(ほ)め憐れみき
ある時はカザノヴァ*[カサノヴァ]のごとをみな子の肌をさびしく尋(と)め行く心
ある時は老子のごとくこれの世の玄のまた玄空しと見つる
ある時はゲエテ[ゲーテ]仰ぎて吐息しぬ亭々としてあまりに高し
ある時は夕べの鳥と飛び行きて雲のはたてに消えなむ心
ある時はストアの如くわが意志を鍛へんとこそ奮ひ立ちしか
ある時は其角[宝井其角]の如く夜の街に小傾城などなぶらん心
ある時は人麿[柿本人麻呂]のごと玉藻なすよりにし妹をめぐしと思ふ
ある時はバッハの如く安らけくたゞ藝術に向はむ心
ある時はティチアン[ティツィアーノ]のごと百年(ももとせ)の豐けきいのち生きなむ心
ある時はクライストの如われとわが生命を燃して果てなむ心
ある時は眼(め)・耳・心みな閉ぢて冬蛇(ふゆへび)のごと眠らむ心
ある時はバルザックの如コーヒーを飮みて猛然と書きたき心
ある時は巣父の如く俗説を聞きてし耳を洗はむ心
ある時は西行がごと家をすて道を求めてさすらはむ心
ある時は年老い耳も聾(し)ひにけるベートーベンを聞きて泣きけり
ある時は心咎めつゝ我の中のイエスを逐ひぬピラトの如く
ある時はアウグスティン[アウグスティヌス]が灼熱の意慾にふれて燒かれむとしき
ある時はパオロ[パウロ] に降(お)りし神の聲我にもがもとひたに祈りき
ある時は安逸の中ゆ仰ぎ見るカントの「善」の嚴(いつ)くしかりし
ある時は整然として澄みとほるスピノザに來て眼(め)をみはりしか
ある時はヴァ*レリイ[ヴァレリー]流に使ひたる悟性の鋭(と)き刃(は)身をきずつけし
ある時はモツァルト[モーツァルト]のごと苦しみゆ明るき藝術(もの)を生まばやと思ふ
ある時は聰明と愛と諦觀をアナトオル・フランス[アナトール・フランス]に學ばんとせし
ある時はスティヴンソン[スティーヴンソン]が美しき夢に分け入り醉ひしれしこと
ある時はドオデェ[ドーデ]と共にプロヴァ*ンスの丘の日向(ひなた)に微睡(まどろ)みにけり
ある時は大雅堂[池大雅]を見て陶然と身も世も忘れ立ちつくしけり
ある時は山賊多きコルシカの山をメリメとへめぐる心地
ある時は繩目解かむともがきゐるプロメテウスと我をあはれむ
ある時はツァラツストラ[ツァラトゥストラ、ザラスシュトラ]と山に行き眼(まなこ)鋭(す)るどの鷲と遊びき
ある時はファウスト博士が教へける「行爲(タート)によらで汝(な)は救はれじ」
遍歴(へめぐ)りていづくにか行くわが魂(たま)ぞはやも三十(みそぢ)に近しといふを
出典:
青空文庫:http://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/43043_17363.html
なお、Yahoo知恵袋に、中島敦の「悟浄出世」が、「いろいろな師に教えを請いながらも、どの思想にも安住できずに放浪を続ける主人公の悟浄は、この「遍歴」の中島敦とそのまま重なります」という指摘がある。
上記サイトや日本語版wikiでもピロンに関する情報が少ないが、著名なところでは『カラマーゾフの兄弟』(上/第三篇 淫蕩な人たち/八 コニャクを飲みながら)で父親によって言及される。
by yojisekimoto | 2010-10-26 23:38 | 文学 | Trackback | Comments(1)
それにしても、何が主人公すなわち中島をして、M氏に関心をもたせたのか。中島はオ ルダス・ハックスリィを自ら翻訳しているが、その中に、『スピノザの虫』というのがあ る。その「虫」は、血液中に住む架空の虫なのだが、その虫が世界をどう捉えているかと いうと、たぶん血液の流れそのものを全世界と捉え、人間の生命を支える一部分に過ぎな いことを知らないだろうというのである。いうまでもなく、これは人間の暗喩であって、 人間もまた、知られざる宇宙の中の一個の生物として存在しているに過ぎないわけである。 M氏も、M氏を「愚昧」な人間として嘲弄してやまない我々もまたその一員にしか過ぎな い。ハックスリィは、虫たるをやめて蝶々になったらさぞかし「愉快なことだろう」と述 べている。しかし、せっかくなるんだったら、鳥の方がいいと思う人もでてこようし、鳥 でも不十分で、飛行機のある現在、やはり人間が一番だという人もでてこよう。要するに、 こういうことはきりがない。ということは、これは相対的な問題で、何になったら幸福か をいっているに過ぎず、幸福をいうなら、最初に戻って、血液中の虫だって、充分に幸福 かもしれないのである。
僕の前に道はない
返信削除僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄(きはく)を僕に充たせよ
この遠いDTのため
この遠いDTのため