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水曜日, 4月 22, 2015

再掲:『百科全書』の口絵

          (美術歴史学博物学リンク::::::::::
NAMs出版プロジェクト: 『百科全書』の口絵:再掲
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_49.html(本頁)
NAMs出版プロジェクト: 『百科全書』の口絵
http://nam-students.blogspot.jp/2010/10/1verite-5memoire-7-botanique.html




想像力が左、理性が中央上、記憶が右(中央端)というように配置されている。
下の目次(table)とは左右が逆。
中央下及び左下は赤のみで色分けするべきだが、芸術家を含むという解釈をした。
あまり強調されないが全学問の初めに世界史、歴史がある。




真理、理性
   神学


                               /銅版画
                              /__\
                             /\建築/\
                            /__\/__\
                           /\      /\
                          /__\ その他/__\   
                         /\絵画/\  /\彫刻/\ 
                        /__\/__\/__\/__\
                       /\              /\
                      /比喩\   想像=詩(芸術) /__\ 
                     /(寓話詩)          /\  /\
                    /__\/__\        /器楽\/声楽\
                  小説\  詩   /牧人劇    /\      /\
                  風刺劇(:世俗詩)歌劇\    /__\ 音楽 /__\
                 /\物語/\  /\劇 /\  /\理論/\  /\実践/\
          (宗教詩:)叙事詩\/恋歌\/悲劇\/喜劇\/__\/__\/__\/__\     
               /\                              /\
              /技術\                            化学、錬金術
             自然の利用\                          /特殊物理学
            /__\/__\                        動物学\/宇宙学、植物学
           /\      /\        百科全書          /\      /\
          /天文\自然の歴史__\         =悟性        /__\自然の学/__\
        自然の斉一性\  /自然の逸脱                 物理学、身体学等 /\数学/\
        /__\/__\/__\/天体\    、           /__\/__\/幾何学/__\
       /\              /\              /\              /\ 
      /__\            /__\            /__\            /__\
     /\  /\  記憶=歴史   /\  /\          /\  /\   理性=哲学  /\道徳学\
    /__\/__\        /__\/__\        /__\/__\        /一般\/特殊\
   /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\      /\
  /__\教会、神/__\    /__\人間の歴史__\    /__\ 神学 /占い\    /__\人間の学/伝達\
 /預言者/\  /\教会/\  /\市民/\  /\文学/\  /\存在論\  /\神学/\  /精神論/\  /\論理学\
/__\/__\/__\/__\古代史\/近代史/__\/__\理性的\感情的\/自然\/啓示\/理性\/感性\/思考\/保持\ 
                                                        分析/総合


8 件のコメント:

  1. ルソーの政治経済論は百科全書の一項目として書かれた

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  2. 1742 : 『音楽のための新記号案』 (Projet concernant de nouveaux signes pour la musique)
    1743 : 『近代音楽論究』 (Dissertation sur la musique moderne)
    1750 : 『科学と技芸についてのディスクール』日本語訳『学問芸術論』[164] (Discours sur les sciences et les arts)
    1751 : 『英雄の徳とはなにか』 (Discours sur la vertu du héros)
    1752 : 『幕間劇、村の占い師』 (Le Devin du village — Opéra représenté à Fontainebleau devant le roi le 18 octobre 1752. C'est un succès. Première représentation à l'Opéra le 1er mars 1753, c'est un désastre.)
    1752 : 『ナルシス まえがき・ナルシス、またの名、おのれに恋する男』 (Narcisse ou l’Amant de lui-même, comédie représentée par les comédiens ordinaires du roi, le 18 décembre 1752).
    1755 : 『人間不平等起源論』[165] (Discours sur l'origine et les fondements de l'inégalité parmi les hommes)
    1755 : 『政治経済論』 (Economie Politique) (『百科全書』の中の一項)
    1756 : 『ラモー氏が『「百科全書」の音楽に関する誤謬』と題された小冊子で主張する二つの原理を吟味する』 (Examen de deux principes avancés par M. Rameau)
    1755 : 『フィロポリス氏への手紙・サン=ピエール師の永久平和論』 (Jugement du Projet de paix perpétuelle de Monsieur l'Abbé de Saint-Pierre)
    1758 : 『法律に関する書簡』 (Lettres morales, écrites entre 1757 et 1758, publication posthume en 1888)
    1758 : 『真理に関する書簡』 (Lettre sur la providence)
    1758 : 『付録 - ダランベールによる「ジュネーヴ」の項目』 (J.-J. Rousseau, Citoyen de Genève, à M. d'Alembert sur les spectacles)
    1761 : 『ジュリ または新エロイーズ』[166] (Julie ou la Nouvelle Héloïse)
    1762 : 『エミール または教育について』[167] (Émile, ou De l'éducation, dans lequel est inclus La profession de foi du vicaire savoyard au livre IV.)
    1762 : 『社会契約論』[168] (Du contrat social)
    1762 : 『マルゼルブ租税法院院長への四通の手紙』 (Quatre lettres à Monsieur le président de Malesherbes)
    1764 : 『山からの手紙』 (Lettres écrites de la montagne)
    1764 : 『コルシカの法律に関する書簡』 (Lettres sur la législation de la Corse)
    1771 : 『ポーランド統治論』 (Considérations sur le gouvernement de Pologne)
    1771 : 『ピグマリオン』 (Pygmalion)
    1781 : 『言語起源論』[169] (Essai sur l'origine des langues (posthume))
    1765 : 『コルシカ国制案』または『コルシカ憲法草案』(遺作) (Projet de constitution pour la Corse (posthume))
    1767 : 『音楽辞典』 (Dictionnaire de musique (écrit à partir 1755 il paraît à Paris en 1767))
    1770 : 『告白』[170] (Les Confessions (écrites de 1765 à 1770, publication posthume))
    1777 : 『ルソー、ジャン=ジャックを裁く - 対話』 (Rousseau juge de Jean-Jacques (posthume))
    1778 : 『孤独な散歩者の夢想』[171] (Les Rêveries du promeneur solitaire (posthume))
    1781 : 『エミールとソフィ または孤独に生きる人たち』 (Émile et Sophie, ou les Solitaires (publication posthume en 1781, la suite inachevée de l'Émile))

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  3. https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%EF%BC%9D%E3%82%
    B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%82%BD%E3%83%BC

    ジャン=ジャック・ルソー

    ジャン=ジャック・ルソー(Jean-Jacques Rousseau、1712年6月28日 - 1778年7月2日)は、フランス語圏ジュネーヴ共和国に生まれ、主にフランスで活躍した[1]哲学者、政治哲学者、作曲家[2][3][4]。



    百科全書派との断交 編集

    ヴォルテール
    ルソーが名を馳せるようになったことが縁で、一時期では『百科全書』に「政治経済論」を執筆・寄稿している。しかし、1755年に10万人の死傷者を出す大災害リスボン地震が発生、ヨーロッパに衝撃が広まった。ヴォルテールは『リスボンの災禍にかんする詩』において神の存在性と慈悲に対する批判をおこなった。これに対して、ヴォルテールに手紙を書いて自説を展開させている。ルソーは地震の災厄が深刻化したのは神の非情さではなく、都市の過密によるものであり、これは人災であるという見方を提示した。文明への過度の依存が持つリスクに対して警鐘を鳴らすとともに自然と調和することの必要性を説いてヴォルテールの見解に異論を唱えたの

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  4. のである。こうした論争の中で対立関係は決定的なものとなった。

    次の『演劇に関するダランベールへの手紙』(La Lettre à d'Alembert sur les spectacles, 1758)に至ってヴォルテール、ジャン・ル・ロン・ダランベール、ディドロら当時の思想界の主流とほとんど絶交状態となった。ダランベールが『百科全書』の「ジュネーヴ」の項に町に劇場がないことを批判する一文を載せた。カルヴァンが町に劇場を建てることを禁じたため、劇場がなかったのである。ルソーはジュネーヴでの劇場の建設は市民の徳を堕落させるもので有害であると見解を示した。そして、こうした立場の故、ヴォルテール、ディドロら他の啓蒙思想家たちの無神論的で文明賛美的な傾向との違いが顕著となり、彼らとの関係は決定的に破局した。これは思想的な対立によるものだけでなく、感情的な反感も含まれている。ディドロはルソーの引き篭もりと田舎暮らしを批判し、またデピネ夫人との確執に首を突っ込み、ルソーの家族を引き離そうと画策した。こうした争いの結果、ルソーはかつての友人たちと仲違していく[73]。

    彼の思想は壮年期の大作にしてベストセラーとなった書簡体の恋愛小説である『新エロイーズ』(Julie ou La Nouvelle Héloïse, 1761)が発表される。この手紙体の長編小説は自然への回帰による人間性、家族関係、恋愛感情、自然感情等の調和的回復を謳い、熱狂的な反響を呼んだ[74]。

    『社会契約論』と『エミール』 編集
    1762年4月、彼の思想は『社会契約論』(Le Contrat social, 1762)によって決定的な展開、完成を示した。

    ルソーは、『人間不平等起源論』の続編として国家形成の理想像を提示しようとする。ホッブスやロックから「社会契約」という概念を継承しながら、さまざまな人々が社会契約に参加して国家を形成するとした[75]。そのうえで、人々の闘争状態を乗り越え、さらに自由で平等な市民として共同体を形成できるよう、社会契約の形式を示した[76]。まず、社会契約にあたっては「各構成員の身体と財産を、共同の力のすべてを挙げて守り保護するような、結合の一形式を見出すこと。そうしてそれによって各人がすべての人々と結びつきながら、しかも自分自身にしか服従せず、以前と同じように自由であること」を前提とした上で、多人数の人々が契約を交わして共同体を樹立するとした[75]。ルソーによると、暗黙に承認されねばならない「社会契約」の条項は次のたった一つの要件に要約される。それは、これまで持っていた特権と従属を共同体に譲渡して平等な市民として国家の成員になること[77]。そのうえで市民は国家から生命と財産の安全を保障されるという考えを提示した[75]。

    社会契約によってすべての構成員が自由で平等な単一の国民となって、国家の一員として政治を動かしていく[78][79]。だが、めいめいが自分の私利私欲を追求すれば、政治は機能せず国家も崩壊してしまう[80]。そこで、ルソーは各構成員は共通の利益を志向する「一般意志」のもとに統合されるべきだと主張した[81]。公共の正義を欲する一般意志に基づいて自ら法律を作成して自らそれに服従する、人間の政治的自律に基づいた法治体制の樹立の必要性を呼びかけた[80][82]。

    このように、主権者と市民との同一性に基づく人民主権論を展開し[83]、近代民主主義の古典として以後の政治思想に大きな影響を及ぼした。そして政府は人民の「公僕」であるべきだと論じつつ[84]、国民的な集会による直接民主制の可能性も論じた[85][86]。ただし、人民の意志を建前に圧政がしかれる可能性があり、『社会契約論』には過酷な政治原理が提唱されていると指摘する論者もいる。そのため、この著書には今日でも賛否両論が存在している[87]。

    1762年5月、小説的な構成をもつ斬新な教育論『エミール』(Émile ou De l'éducation, 1762)が刊行される。

    『エミール』では理想となる教育プランを構想している。ルソーは自分を教師として位置付け、架空の孤児「エミール」をマン・ツー・マンで育成する思考実験を行い、教育を理論化しようとした。社会からの余計な影響を受けないよう家庭教師による個別指導に徹するべきだと主張した[88][89]。そのうえで、「自然による教育、人間による教育、事物による教育」という三つの柱を示した。自然による教育だが、これは子どもの成長のことである。人間による教育は、教師や大人による教育である。最後に事物による教育は外界に関する経験から学ぶということである[90]。また、教育期間の段階も三段階に整理した。第一に、12歳までの子どもを感覚的生の段階にあるとし、身体の発育(自然による教育)と外界に見られる因果律についての経験(事物による教育)を中心に成長とする。第二に、12歳から15歳までは事物の効用の判断を鍛えて、有用性のために技術や学習をする功利的生の段階を経る。最後に15歳以降、神や自然、社会に関する知識と洞察が開かれ、道徳と宗教を身につける理性的道徳的生の段階へと至る[91]。

    ルソーは「子どもを小さな大人」として見る社会通念を否定し、「子どもは大人ではない。子どもは子どもである」とする立場を打ち出した[92][93]。そして、子どもの自主性を重んじ[94]、子どもの成長に即して子どもの能力を活用しながら教育をおこなうべきだという考えを示した[95][96][90]。

    ルソーは、子どもは年齢に応じた発達段階に合わせて、教訓や体罰によらず危険なことからは力(保護)で制止し、有用な知識は読書ではなく自分の経験から学習させ教育していくべきだと考えた[97][98]。幼い子ども(5歳以下)に対しては情操面の発達を重んじ[99]、児童期(5~12歳)には感覚や知覚で理解できる範囲を経験で教えていく[100][98]。自然人として理想的な状態をつくっていくことを目標とした。ルソーは「私たちは、いわば、二回生まれる。一回目は存在するために、二回目は生きるために。」と語っている[101]。成人すると社会で生きていく必要があるので社会人になれるような教育を行う必要がある。感覚教育から理性教育の段階へと移行していく。

    子どもが思春期(12~15歳)に入って理性に目覚めると「理性の教育の時代」が始まり、本格的な教育を受けるべきだと考えた[102]。ルソーはエミールに野外へと連れていき、迷わずに周囲を巡るには太陽の位置などを参考に方位を手がかりとして地図を読むなど、天文や地理に関する基本的な知識や情報が必要になることを教える[103]。ルソーは生活のために役に立つ知識を出発点にして専門的な学問へとエミールの関心を刺激し、自ら体系的な理解や知識を構築していく力を鍛えることへ注意を向けさせる重要性を指摘した。青年期(15歳以降)に入ると道徳感情から社会を学んだり[104]、自然の法則から神の存在を確信して[105]、やがて宗教から生きる意味を考えたり[106]、歴史に関する知識も与えられていく。このように、成長と共に教育を受けて人間としても市民としても相応しい大人となっていく過程が描かれた[107]。

    『人間不平等起源論』、『社会契約論』、『エミール』は三部作の関係である。

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  5. 言語
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    社会契約(しゃかいけいやく、英: social contract、仏: contrat social)は、政治学や法学で、ある国家とその市民の関係についての契約を指す用語。

    目次
    概要 編集
    社会契約の概念は、フランス革命でヨーロッパで普及し、近代進歩主義の理論的な基礎であるとされる。 国家の正当性の契機を契約ないし市民の同意に求める理論を社会契約論ないし社会契約説という。 日本国憲法も社会契約説に基づいていると解釈する憲法学者も多い。

    社会契約論にも様々なものがあるが、近代的社会契約論の内容は、「国家」(state)が成立する前の「社会」(society)の原始的な自然状態を仮定した上で、国家の正当性の契機を契約に求めるものだが、仮定する自然状態と、そこから国家を正当化する理論展開に多数の類型がある。もっとも、国家の正当性が成立する契機は、社会契約論のすべての立場で契約であり、王権神授説に基づく君主主権ないし国王主権と王権神授説は否定される。

    社会契約論の原型は、古代ローマ、中世の西洋社会にもみることができ(参照:アーブロース宣言)、更には、古代イスラエルや古代ギリシャにもみることができるとの見解もあるが、いずれにせよ、「社会」の比重は現代の理論ほど大きく、古代・中世の社会契約論は社会と法律がこの契約によって初めて成立するものとはしていないことに着眼して、「契約」思想というべきものであるとみなせる。

    歴史 編集
    古代 編集

    プラトン

    ソクラテス
    古代の契約思想は、プラトンの著作である『クリトン』(『ソクラテスの弁明』の続編)において、典型的に垣間見ることができる。この著作では、死刑判決を言い渡され、刑の執行を待つ身であるソクラテスに対し、弟子のクリトンが国外逃亡を促す。しかし、ソクラテスは、自分がアテナイという国家を望んでいなかったのならば、若いうちに国外に移住することもできたのに、自分は老年に至るまでこの国家に留まり、家庭まで設けたのであり、それ故に、自分とアテナイの国家・国法の間には合意(契約)が成立しており、それを侵すことはできないし、それを侵して少しばかり延命したとしてもそんな人生には価値は無いとして、クリトンの催促を断固拒否する。この文脈での契約の内容は、人民に法の遵守を求める服従契約であり、法を作り出す主権の主体は、人民ではありえず、いわばノモス主権論を前提としていた。

    中世 編集
    中世の契約思想は、キリスト教の自由意思の伝統に従いスコラ学において発展したが、主権ないし「ポテスタス」は自然法に基づくものであり、王が行使する権力は人民の同意に基づき譲渡されたものであるとして、自然法と契約思想を結びつけ、近代的社会契約論と近代的人民主権論の原型となるべきものを明確に主張したのは、スペインのイエズス会士フランシスコ・スアレスである。スアレスの人民主権論は、近代的人民主権論と異なり、神から直接授けられるという点では王権神授説と共通し、契約の内容は服従契約であって、王制を否定するものではなかったが、スアレスの著作『カトリック信仰の擁護論』は、国王の権威を無視するものとして禁書とされ、焼かれた。

    近代 編集
    グローティウス、プーフェンドルフらの古典的社会契約論は、自然状態では人は自然権を有するとともに、自由で平等な人間が社交性を持ち集団で牧歌的・平和的に暮らしていたと仮定する。その上で、人の社交性の延長として、自然発生的に、臣民が自己の庇護を求めて王に服従する「統治契約」(contract of government)を締結したことによって国家が成立したとみる。中世的社会契約論からは一歩踏み出して、自然権の保障を目的とするなどその内容は、啓蒙思想と一定の接点を有していたが、契約の一方当事者は王であり、既にある王政を必然的に正当化するための理論であった[1]。

    ホッブズは、自然状態では、諸個人は自然権を有していたが、自然法が十分に機能しなかったため、万人の万人に対する闘争状態が生じていたと仮定する。その上で、この闘争状態を克服するためにやむを得ず、諸個人が自然的理性の発現をさせて、自然状態で有していた自然権を放棄して社会契約を締結し、その契約に基づき発生した主権によって国家が成立したとみる。契約の当事者に王は含まれておらず、理論的には、王政、貴族政、民主政とも結びつき得る点で古典的社会契約論と異なる。その特徴である人の本性としての社交性と中世封建的な服従契約を否定し、近代的な個人の概念を社会契約の基礎に置いた点で革命的な発想の転換であったといえる。しかし、ホッブズは、主権は万能であるだけでなく、分割・譲渡不可能なものなので、社会契約によって王が一旦主権を有することになった以上、これを変更することはできないとして王政のみならず、国王主権をも正当化した。


    ジョン・ロック

    ジャン・ジャック・ルソー
    このようなホッブズの理論を批判しつつも、発展的に継承したのはジョン・ロックとジャン・ジャック・ルソーであるが、両者の論理展開の内容は相当に異なる。

    ロックもルソーも、自然状態は、闘争状態とするホッブズを批判し、むしろ自然法が貫徹されて人は自由で平等であったと仮定する。その点では古典的社会契約論と同じであるが、人の本性としての社交性と服従契約を否定して個人的な契約概念を前提とする点ではホッブズと共通する。

    しかし、ロックは、諸個人が自由と平等を享受していたにもかかわらず、様々が不都合が生じたことから、自然発生的に、自然状態で有していた自然権を一部放棄し、遠い過去に「始源的契約」(original compact)である社会契約を締結したことによって国家が成立したとみる。契約の当事者に王は含まれておらず、人民主権論にたったが、人民の「信託」(trust)に基づき政府を作ることができるとされたので、理論的には、王政、貴族政、民主政のいずれとも結びつき得るものであった。しかし、国家は、自然権を保障するため、人民の信託に基づき設立されたものであるから、社会契約には一定の「契約の条件」があり、その手段として権力分立を採用しなければならないとして、ホッブズの万能かつ分割不可能であるという主権の概念を批判した。そして、政府が信託の趣旨に反し、自然権を侵害して専制を行うときは、そもそもの主権者である人民は抵抗権を行使できるものとして、一定の留保を付けたが、政府が存続する限り、立法権を有する主体が主権者であるとして国会主権を唱えつつも、他方で、自然発生的な古典的社会契約論を承継して既存の王政を擁護し、立憲君主制のような混合政体がベターな政体であるとした。ロックの社会契約論は、政治的には、名誉革命を擁護するための理論であった[2]。

    これに対し、ルソーは、諸個人が自由と平等を享受していたが、より自由で平等な状態、共通善を最大化するため、自然発生的ではなく、積極的に社会契約を締結したことによって国家が成立したとみる[3]。その契約当事者である市民のみならず、その集合体である人民こそが主権者であり、個々人の特殊意思を超えた、一般意思(volonté général)によって作り出された主権によって国家が成立したとみる。契約の当事者に王は含まれておらず、主権者は人民でしかあり得ないとして国王主権のみならず、ロックの国会主権も否定したが、従前の社会契約論が既に記憶のない遠い過去の契約締結を問題にしていたのに対し、現にある政体を否定し、新に社会契約を締結し得るという革命的発想を含んでいた。その上で、主権は万能かつ分割・譲渡不可能なものであるとする点はホッブズと共通しており、ロックの権力分立制も代表制も否定したが、社会契約には一定の「契約の条件」(condition de contrat)があるとした点はロックと共通しており、特殊意思を排した一般意思による「法の支配」を採用しなければならないとした。ルソーの社会契約論は、後のフランス革命に影響を与えたとされる[4]。

    日本において最初の社会契約論の紹介は、1882年、中江兆民によるルソーの主著『社会契約論』の部分訳である『民約訳解』の刊行であり、この訳書は自由民権運動に大きな影響を与えた。

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  6. 解説 編集
    近代的社会契約説は、イマヌエル・カント、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルらを経て、ジョン・ロールズらの現代的社会契約論に承継・発展されている。

    近代的社会契約説の基礎は、本性的に自由で孤独な個人として生まれたひとが、しかし自然状態では維持不可能となり、集団生活、社会が必要となることによって、社会契約を結ぶという構図であり、これは、17世紀のトマス・ホッブズやジョン・ロック、18世紀のジャン=ジャック・ルソー、そして20世紀のジョン・ロールズやロバート・ノージックに至るまで、社会契約説を唱える哲学者に伝統的に継承されている。[5]

    ジョン・ロールズは、社会契約説を、自然法、自然権という古典的概念を回避して、一般化抽象化し、国家が成立する前の仮定的な社会について、次のような思考実験を行なう。ロールズは、その社会は、合意後に成立する国家に関する情報については、その構成員全員が全て公正に「無知のヴェール」に覆われた「原初状態」にあるとした上で、その状態の下では、自由・平等で道徳的な人は、利己的で相互に無関心な性向を持つ人々であっても、合理的な判断として、人々が公正に最悪の状態に陥ることを最大限回避する条件で合意するはずであるとして構成員の合意による国家の成立を導き出し、かつ、その条件が実現している理想的な社会を「秩序ある社会」とした上で、その条件を可能ならしめる原理を公正として正義の原理として、格差原理、マキシミン原理という正義に関する二つの価値原理を導き出したのである。

    日本では、ホッブズ・ロック・ルソーの3者の理論を、近代的な個人を基礎にする国家が成立するまでの国家の正当性に関する理論として、社会契約論を説明するのが通常であるが、そのような説明は戦後の日本における国策の一種に過ぎず、理解はあくまで限定的であるとする見解がある。

    源流を辿る場合、職能や身分制度、思想の相違を含めて、誤解が大きくなる。各論者の主要な論述との相違を含めて、現代の行政官やアナリストの意向としての性質を考慮するべきである。

    批判 編集
    アメリカ独立戦争、フランス革命を通じて打ち立てられたの概念に最も初期に明確な批判を加えたのがバークである。バークは革命政府やその同調者が唱えるの契約の欺瞞性を糾弾し、社会において伝えられ・保持されてきたとは、憲法制定会議や人民公会に集合した人々が自由な意志や理性などにより容易に締結でき、変更できるようなものではないとした。

     一方、マルクスは、近代以降の社会契約論に共通する「自由な諸個人の間で契約を結び社会を形成している」という前提そのものに批判の目を向ける。歴史的には「われわれが歴史を遠くさかのぼればさかのぼるほど、ますます個人は、したがってまた生産をおこなう個人も、独立していないものとして、あるより大きな全体に属するものとして、現われる。すなわち、最初はまだまったく自然的な仕方で家族のなかに、また種族にまで拡大された家族のなかに現われ、のちには、諸種族の対立や融合から生ずる種々の形態の共同体のなかに現われる」のであって、個人は社会に先立って存在するものではないと指摘する[6]。個人が歴史上に登場するのは中世社会の崩壊に伴う現象であり、エーリッヒ・フロムは「封建社会という中世的社会の崩壊は、社会のすべての階級にたいして、一つの重要な意味を持っていた。すなわち個人はひとりとりのこされ、孤独に陥った。かれは自由になった。しかしこの自由は二重の意味をもっていた。人間は以前に享受していた安定性と疑う余地のない帰属感とをうばわれ、経済的にも精神的にも個人の安定を求める要求をみたしてくれた外界から、解き放たれたのである。かれは孤独となり、不安に襲われた。しかしかれはまた自由となり、独立して行動し考えることができ、自己の主人となることができた。また自分の生活を人から命じられるようにではなく、自分がなしうるようにとりはからうようになった」[7]とその経緯を描写している。

     このようにマルクスは近代以降の社会契約論の前提となる理論を「一八世紀の個人―一面では封建的社会形態の解体の産物、他面では一六世紀以来新しく発展した生産諸力の産物―が、すでに過去の存在になっている理想として」、つまり「一つの歴史的な結果としてではなく、歴史の出発点として」おり、「錯覚」であると批判している[8]。

    脚注 編集
    ^ 『社会契約論』229頁
    ^ 『市民政府論』245頁
    ^ 『社会契約論』28頁
    ^ 『社会契約論』236頁
    ^ 東浩紀、『一般意志2.0』、講談社、2011年、36頁、参照。
    ^ 「(経済学批判への)序文」(マルクス・エンゲルス全集13-616[MEGA]表記)
    ^ 『自由からの逃走』106~107頁
    ^ 「(経済学批判への)序文」(マルクス・エンゲルス全集13-615[MEGA]表記)
    参考文献 編集
    塩野谷祐一「ロールズの社会契約論の構造」『一橋大学研究年報. 人文科学研究』21、1981年11月25日、125-218頁。
    ジャン=ジャック・ルソー『社会契約論』桑原武夫訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1954年1月。ISBN 9784003362334。
    ジョン・ロック『市民政府論』鵜飼信成訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1968年。
    ホセ・ヨンパルト「古代・中世社会契約論:スアレスの思想を中心として」『法哲学年報1983』日本法哲学会、1984年。
    ホッブズ『リヴァイアサン 1』水田洋訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992年2月。ISBN 4003400410。
    ホッブズ『リヴァイアサン 2』水田洋訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1992年8月。ISBN 4003400429。
    ホッブズ『リヴァイアサン 3』水田洋訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1982年5月。ISBN 4003400437。
    ホッブズ『リヴァイアサン 4』水田洋訳、岩波書店〈岩波文庫〉、1985年6月。ISBN 4003400445。
    マルクス『(経済学批判への)序文』大月書店〈マルクス・エンゲルス全集〉。
    E.フロム『自由からの逃走』日高六郎訳、東京創元社、2007年11月20日。ISBN 9784488006518。
    文献情報 編集
    関谷昇『近代社会契約説の原理-ホッブス、ロック、ルソー像の統一的再構成』東京大学出版会、2003年。ISBN 9784130362139。
    ディヴィッド・バウチャー、ポール・ケリー編『社会契約論の系譜-ホッブズからロールズまで』飯島昇蔵・佐藤正志ほか訳、ナカニシヤ出版、1997年。ISBN 9784888483483。
    関連項目 編集
    自然状態
    主権
    人民主権
    暴力の独占
    国家有機体説
    外部リンク 編集
    Contractarianism (英語) - スタンフォード哲学百科事典「契約説」の項目。
    Contemporary Approaches to the Social Contract (英語) - 同「社会契約に対する現代的アプローチ」の項目。

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  7. 政府と家計は違うとルソーは言う

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