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日曜日, 4月 19, 2015

J.S.ミル『経済学原理』:簡易目次&メモ

              (経済学マルクス論理学リンク::::::::::

J.S.ミル『経済学原理』:簡易目次およびメモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_62.html (本頁)
NAMs出版プロジェクト: 複数均衡 Multiple equilibria
http://nam-students.blogspot.jp/2017/12/multiple-equilibria.html
(複数均衡のアイデアはミルが最初)
自由論(自由について)On Liberty
https://open-shelf.appspot.com/OnLiberty/index.html
フンボルト『国家活動の限界を決定するための試論』
https://nam-students.blogspot.com/2018/11/the-limits-of-state-action.html

ちなみにミルの言う公共財としての灯台費用負担(後述)についてはコースが邦訳主著#7で言及している
NAMs出版プロジェクト: コースの定理 Coase's theorem
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/coase-theorem.html
J・S・ミルの政府職務論 森七郎 #2国家職務論について
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/7977/1/020%E3%80%80J%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%
9F%E3%83%AB%E3%81%AE%E6%94%BF%E5%BA%9C%E8%81%B7%E5%8B%99%E8%AB%96.pdf

ミルはあくまで国家に対して自由主義者だが『経済学原理』最終部において
政府職務論の範囲内で7つの例外を提示している
1教育事業
2要介護者について
3離婚手続き
4独占となりやすい水道、鉄道などの事業
5労働時間短縮、植民地支配制限などへの干渉
6救貧法制定等
7灯台、道路、学校などの維持建設

以下の八~十四
Image from Gyazo



どこかサーカーを想起させる
サーカーのプラウト主義経済社会は、バームクーヘン状である。
 ____________________         
|      国際社会          |        
|  ________________  |              
| |    国内社会        | |
| |  ____________  | |       
| | |  地域社会      | | |
| | |  ________  | | |
| | | |行政      | | | |
| | | |教育、医療=国営| | | |
| | | |________| | | |
| | |  職場=協同組合   | | |
| | |  農業=消費組合   | | |
| | |____________| | |
| |    工業=労働組合     | | 
| |________________| |  
|  営利企業(ベンチャー)=株式会社  |   
|____________________|
       (世界政府=環境問題)


あるいは、
 ____________________         
|     国際社会=法人従業員株主   |        
|  ________________  |              
| |   国内社会=医療教育無料  | |
| |  ____________  | |       
| | |  地方=公共事業運営 | | |
| | |  ________  | | |
| | | | 農業=消費組合| | | |
| | | | 職場=労働協同組合| | | 
| | | |________| | | |
| | |小企業分野=公平な競争 | | |
| | |____________| | |
| |       土地政策     | | 
| |________________| |  
|         環境問題       |   
|____________________| 

参照:

ミルの自由論はフンボルト等へ影響を与えているがそう単純ではない。
マルクスはそれを以下のように折衷論と呼ぶが特に協同組合に関しては少なくともマルクスより具体的ではある。

《大陸における一八四八〔─四九〕年の革命はイギリスにも反応があった。なお科学的意義を要求した、そして支配階級の単なる詭弁学者・追従屋以上のものたろうと欲した人々は、資本の経済学を、プロレタリアートの今やもう無視すべからざる要求と調和させようと試みた。かくして、ジョン・ステュアート・ミルによって最もよく代表されているような、生気のない折衷論が生じた。これは、ロシアの偉大な学者で批評家たるN・チェルヌィシェブスキーが、その著作『ミルによる経済学の大要』ですでにりっぱに解明したように、「ブルジョア」経済学の破産の宣告である。》
マルクス資本論第2版あとがきより

チェルヌイシェフスキーによるミル批判、荒川繁論考
http://s-ir.sap.hokkyodai.ac.jp/dspace/bitstream/123456789/2312/1/61-2-zinbun-02.pdf

______

J.S.ミル『経済学原理』1848

The Principles of Political Economy
       with
 some of their applications to
    social philosophy
         1848
    by John Stuart Mill
     (1806 〜 1873)

ジョン・スチュアート・ミルによる『経済学原理』(1848年)はマーシャル(Alfred Marshall,1842-1924)による同じ邦題の『経済学原理』(Principles of Economics ,1890年)が出版されるまで経済学の規範とされた。当初からマルクスには批判され過渡的と言われたが。

以下、ミル『経済学原理』岩波文庫1959〜1960年、全5冊①〜⑤ 構成および概略目次

  構 成
第一編 生 産 ①
第二編 分 配 ②
第三編 交 換 ③
第四編 生産および分配に及ぼす社会の進歩の影響 ④
第五編 政府の影響について ⑤

 概略目次(本来、文庫版目次*はもっと詳細): 

序  文 ①
緒  論 
第一篇 生 産
 第一章 生産要件について
 第二章 生産要因としての労働について
 第三章 不生産的労働について
 第四章 資本について
 第五章 資本に関する根本的諸命題
 第六章 流動資本と固定資本とについて
 第七章 生産諸要因の生産性の大小を決定する原因について
 第八章 協業、すなわち労働の結合について 
 第九章 大規模生産と小規模生産とについて
 第十章 労働増加の法則について
 第十一章 資本増加の法則について
 第十二章 土地からの生産増加の法則について
 第十三章 前記の法則からの帰結

第二篇 分  配 ②
 第一章 所有について
 第二章 引き続き同じ主題について
 第三章 生産物が分配されてゆく諸々の階級について
 第四章 競争と慣習について
 第五章 奴隷制について
 第六章 自作農について
 第七章 同じ主題のつづき
 第八章 分益農について
 第九章 入礼小作人について
 第十章 入札小作制廃止の方法
 第十一章 賃銀について
 節十二章 通俗的な低賃銀匡正方法について
 第十三章 いま一度低賃銀匡正方法を考察する
 第十四章 職業の差異による賃銀の相違について
 第十五章 利潤について
 第十六章 地代について

第三篇 交 換 ③
 第一章 価値について
 第二章 需要供給と価値との関係について
 第三章 生産費と価値との関孫について
 第四章 生産費の究極的分析
 第五章 地代と価値との関係について
 第六章 価値倫の契約
 第七章 貨幣について
 第八章 貨幣の価値が需要供給に依存する場合について
 第九章 貨幣の価値が生産費に依存する場合について
 第十章 複本位制および補助鋳貨について
 第十一章 貨幣の代用物としての信用について
 第十二章 信用が物価に及ぼす影響
 第十三章 不換紙幣につして
 第十四章 供給の過剰について
 第十五章 価値の尺度について
 第十六章 価値の特殊な場合若干について
 第十七章 国際貿易について
 第十八章 国際的価値について
 第十九章 輸入商品としての貨幣について
 第二十章 外国為替について
 第二十一章 商業世界における貴金属の分配について
 第二十二章 通貨が為替および外国貿易に及ぼす影響
 第二十三章 利子率について
 第二十四章 兌換紙幣の調節について
 第二十五章 同一の市場における種々なる国の競争について
 第二十六意 分配が交換から影響を受ける場合について

第四篇 生産および分配に及ぼす社会の進歩の影響 ④
 第一章 富の増進しつつある状態の一般的特性
 第二章 産業の進歩および人口の増加が価値および価格に及ぼす影響
 第三章 産業の進歩および人口の増加が地代、
     利潤および賃金に及ぼす影響
 第四章 最低限ヘ赴こうとする利潤の傾向について
 第五章 最低限へ赴こうとする利潤の傾向から生ずる帰結
 第六章 停止状態について
 第七章 労働諸階級の将来の見通しについて ☆

第五篇 政府の影響について ⑤
 第一章 政府の機能一般について
 第二章 課税の一般的原理について
 第三章 直接税について
 第四章 商品に対する租税について
 第五章 その他の租税若干について
 第六章 直接課税と間接課税との比較
 第七章 国債について
 第八章 政府の通常の機能の経済的作用について
 第九章 同じ主題のつづき
 第十章 誤った学説を根拠とする政府の干渉について
 第十一章 自由放任主義あるいは不干渉主義の根拠と限界について


柄谷行人がマルクスに絡めて言及したのは、
「第四篇 第七章 労働諸階級の将来の見通しについて」内の「五〔労働者が資本家との間に共同組織をつくった実例〕」(「世界危機の中のアソシエーション・協同組合」『柄谷行人 インタヴューズ 2002-2013』161ページ参照)。

《…マルクスは協同組合を称賛しながら、同時 に、その限界について指摘しています。そして、それは正しい、と思います。
  たとえば、ジョン・スチュアート・ミルは『経済学原理』(第七章)で、労働者管理型 企業を提案しています。人々はそのような企業で働くことを好む、ゆえに、賃金が低くて 効率的となりうる、ゆえに、資本正義企業との競争に勝ち、平和的にとってかわるだろ う、と考えた。しかし、全くそうなっていない。そのような企業は、資本制企業との競争 に勝てないからです。マルクスは、労働者管理型企業に反対しないでしょう。しかし、そ れが自然に成り立つ、と考えることを批判するでしょう。》

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『原理』の構成は次のとおりである。

 第一編 生産 
第二編 分配 
第三編 交換 
第四編 生産および分配に及ぼす社会の進歩の影響 
第五編 政府の影響について 

ミルはセーの三分法(生産・分配・消費)と父ミルの四分法(生産・分配・交換・消費)を踏襲している。 理論構成の最大の特色は,生産と分配を峻別したことである。この点についてのミルの説明は,「富の生産,すなわち大地の有する材料から人間の生活維持および享楽の道具を引き出すことは,明らかに恣意的になしうる事柄ではない。それには各種の必然的条件がある。そしてこれらの条件の,あるものは物理的であって,…このような条件は,経済学はこれを研究せず,その根拠については物理的科学または一般経験に譲るということを断って,これを仮定する。経済学は,このような外的自然の諸事実と人性に関する諸真理とを組み合わせ,もって第二次的法則を,または富の生産を決定し,またそのなかに過去,現在の貧富の差の説明と,将来用うべき富の増加の根拠とを蔵しているところの法則を,尋ねようとするものである」(61―2ページ)。従って生産論は,人間の意のままに動かせないものであると結論する。 それに対して分配論についてミルは,次のように規定する。「生産の法則と異なって,分配の法則は,一部は人為的制度に属する。何となれば,ある特定の社会において富が分配される様式は,そこに行われている法規もしくは慣習に依存しているからである。…そもそも政府または国民が富の分配に対して有する支配力は,いかなる条件に依存しているものであるか,また社会がもっとも適当と考えて採るところの種々なる行動方法によって,分配はいかなる影響を受けるか,これらの問題は,物理的自然法則のいずれにも劣らず,科学的研究の題目となるものである」(62ページ)。分配制度の可変性をミルは,強
調していることがわかる。



























第 10 章 過渡期の経済学―J.S.ミル 1.ミルとその時代 1)イギリス資本 ...

(Adobe PDF)


www.aomori-u.ac.jp/staff/totsuka/pdf/cap10.pdf
資本家,地主(土地所有者),賃金労働 ... この点について後年ミルは,自伝で「父は,何を 教えるにあたっても,私のな ... ミル経済学. 1)『原理』の目的と構成. 理論的目的として ,ミルは『原理』の「序文」で「経済学の理論においては,. 最近いくつかの改善が見られた ...

西洋経済古書収集ーミル,『経済学原理』
http://www.eonet.ne.jp/~bookman/19seiki/millprinciples.htm
 本書は、「生産」、「分配」、「交換」、「生産および分配に及ぼす社会の進歩の影響」、「政府の影響について」、なる標題を有する5篇からなる。最初の4篇が理論篇であり、第五篇は『国富論』の第五篇に対応する応用篇である。そして、理論篇のうち最初の3篇が静態の理論で、第四篇が動態の理論である。
 ここで、静態論は静止的・不変的・均衡的な理論で、動態論は前進的で変化の理論である。動態・静態の区分はミルによって初めて経済学に導入された。ミルはこの区分を「数学で使われる成句の適切な一般化」(邦訳Ⅳ,p.9)であるという。しかし、シュンペーターいわく、ミルは親交のあったコントからこの語を取り、さらにコント自身は動物学者ブランヴィルの用語法から借用している。「その最終の貸主は力学ではなくて動物学であった」と(シュンペーター,1957,p.877)。とまれ、コントは、社会の構造論を静態論、社会の歴史を動態論としていたのである。
 本書の構成について、さらに続けると、分配は交換と貨幣メカニズムに媒介されて行われるので、交換論は分配論の続編に位置付けられている。また、生産・分配・交換の静態論の区分は、セイの『経済学概論』の3分法に同じ(但し、セイは第三が消費)で、父ミルやマカロックの4分法(第四は消費)に近い。
 本書内容について、篇を追って見てみよう。ミルは「生産」(第一篇)について、人間ができるのは、自然力が働けるように対象を妥当な位置に置くことだけで、後は自然力=物質の性質が総ての仕事をなすとする。そしてその自然の代表である土地に分量と生産性の限度があることこそ、生産の真の制限となる。「それは、富裕勤勉なる社会に何ゆえに貧困があるかという、その原因の問題の全部を含んでいる。そしてこの一事を完全に理解しないかぎり、われわれの研究をこのうえさらに進めることは無駄となるのである」(邦訳Ⅰ,p.328)。特に土地生産性による制限=収穫逓減の法則に重きを置き、それに対抗する生産改良策および人口制限の必要を提唱している。
 第二篇「分配」に入って、その序説で、ミルの名と共によく知られる「生産と分配の二分法(ダイコトミーというのだそうである)」が出て来る。およそ、富の生産は物理的法則によって制限され人間が自由に変更できないが、富の分配は人間の造った歴史的な制度によるもので変更可能であるとする考えである。「富の生産に関する法則や条件は、物理的真理の性格をもち、人間の意のままに動かしうるものは何もないものである。…ところが、富の分配はそうではない。それはもっぱら人為的制度の上の問題である。ひとたび物が存在するようになったならば、人間は、個人的にも集団的にも、それを思うままに処分することができる」(邦訳Ⅱ,p.13-14)。この点を、古典派経済学者として初めて、私有財産制度の一過的性格を明らかにしたものと評価するむきもある。――私はむしろ、生産は限界原理にもとづき、分配は国家が支配する、市場社会主義(競争的社会主義)を思い浮かべます。
 続いて分配篇は、私有財産制を社会主義(共産主義はその極限とするが、区別は明確ではない)と関連付けて論じる。次に私有財産制の分配要因として競争と慣習をあげる。慣習を分配要因とするのが奴隷制、自作農、分益農であり、競争を要因とするのが入札小作農、三階級制(労働者・資本家・地主階級)である。慣習による共同体経済と競争による市場経済について述べている。そして、賃金論・地代論・利潤論でこの篇を終わる。
 この分配篇では、初の部分である社会主義思想を論じた箇所、一種の比較経済体制論をもう少し見ておく。その論調は、版を重ねる毎に、これらの社会主義思想に対する同情が深まって行った。ミルは、共産主義よりも社会主義、サン・シモン主義よりはフーリエ主義の方に好意的である。フーリエ主義は、全員に最低限の生活資料を分配した後、残余の生産物を労働、資本、および才能の三要素へ割り当てるものである。
 ミルは、資本主義(私有財産制)と共産主義とを比べる場合、とかく資本主義は現実のもの、共産主義は理想的なもの(「今日観念上に存在するに過ぎない」)を取り上げ比較しがちで、不公平であるとする。今日のような実質上労働者の移動・職業選択の自由がない社会、女性が隷属している(資本主義)社会は比較の対象ではない。また自らの労働と制欲の果実以外を保証するのは私有性の本質ではない。
 最善の社会主義と理想的な私有財産制を比較してみた場合、どちらが人類社会の最終形態となるのかを決するのは、「ただひとつ、二制度のうちどちらが人間の自由と自主性の最大量を許すか」(邦訳Ⅱ,p.31)という点にある。問題となるのは「共産制には個性のための避難所が残されるか、世論が暴君的桎梏とならないかどうか、各人が社会全体に絶対的に隷属し、社会全体によって監視される結果、すべての人の思想と感情と行動が凡庸なる均一的なものになされてしまいはしないか」(邦訳Ⅱ,p.32-33)である。
 結局ミルが望んだのは、所有の廃止や平等化ではなく「だれもが生計のために働き、適度な財産を享受し、自分の心を向上させるだけの余暇をもつような全体のブルジョア化」(トマス、p.104)ではなかったか。
 第三篇交換論は、価値論(価格論)である。部分均衡論による需要・供給説で説明したものである。この篇には、著名な国際価値論等が展開されているが、詳しい内容紹介は省略する。
 第四篇は、先述の動態理論の部である。その第六章が、よく知られた「停止状態について」である。富の増加は無際限ではく、経済進歩の終点には停止状態がある。最も富裕にして繁栄している国も、生産技術の進歩が止まり、可耕地が開拓し尽くされ、後進国への資本流失が終われば、停止状態に達する。それは不可避である。これまで、経済学者は進歩的状態を経済的に望ましい事と同等と考えて来た。ミルは次の如く、停止状態に積極的評価を与える。「旧学派に属する経済学者たちが…示していたところの、あのあらわな嫌悪の情をもって、見ることをえないものである。私はむしろ、それは大体において、今日のわれわれの状態よりも非常に大きな改善となるであろう、と信じたいくらいである。」(邦訳Ⅳ,p.104-105)
 現在の産業的進歩の状況では、人びとは、自らの地位の向上のため、互いに他人を踏付け、押倒し、押退け、している。しかし、人間性にとって最善の状態は、誰も貧しい者はおらず、そのためもっと富裕になりたいと思わず、他人に抜け駆けしようとあくせくすることのない世界である。あるいは、自ら獲得蓄積したもの以外に多くの財産を持たず、荒々しい労苦や機械的な煩雑な事柄から免れて、人生の美質を自由に探求できる状態といえようか。これは、「ただに停止状態と完全に両立しうるというばかりでなく、また他のいかなる状態とよりも、まさにこの停止状態と最も自然に相伴うようである」(邦訳Ⅳ,p.107-108)。
 さらには、むしろ進んで早めに、停止状態に入るにしくはない。というのは、人間が思索や人格を深めるためには孤独(人口稠密では不可能)が必要であることを考え、そして食糧増産のため、家畜以外の動物は絶滅させ、可耕地にするため豊かな自然が掘り返され、草花は引き抜かれるようなことになるのであれば、「しかもその目的がただ単に地球により大きな人口――しかし決してより優れた、あるいはより幸福な人口ではない――を養うことを得しめることだけであるとすれば、私は後世の人たちのために切望する、彼らが必要に強いられて停止状態にはいるはるか前に、自ら好んで停止状態にはいることを」(邦訳Ⅳ,p.109)――産業革命時代に、若い頃野花をつんだ田園が、ロンドンの市街と化したのを目の当たりに見たミルの感慨もあるのであろう。停止社会では、産業上の改良が富の増大に奉仕するのではなく、労働を節約するのに使用されるとも評価している。
 続く第七章「労働諸階級の将来の見通しについて」は、ミル自身が云うように、「他のどの章にもまさって世論に大きな影響を与えた」ものであり、また「完全に妻に負うものであって、同書の最初の草稿にはあの章はなかった」(ミル,1960,p.213)ものである。
 時代の要請は分配の改善と労働に対する報酬増加である。もはや、人類を雇用者と被雇用者という二つの世襲的階級に永遠に区別しておくことはできない。この二階級区分の形態を取らずとも、集団の結成が持つ文明化力と大規模生産が持つ効率は生かせる。それが、共同組織(アソシェーション)である。それは資本家と労働者の協同組織となり、あるいは労働者同志の協同組織という形態を取る。
 労資間の協同組織は、すでに以前から実行されている。「出来高払い」あるいは「利潤参加」方式といわれるものである。労働者同志のものも、英仏の成功例を詳細に書いている(それは、第二篇のフーリエ主義に対応するものではないかと思う)。そして、結局においては、労働者が共同所有し、自らのリーダーを選ぶ後者の組織が支配的になると予想した。そこでは、報酬に対し最少の仕事をする資本家の下の労働と異なり、報酬に対し最大の仕事をなし、生産性が増大する。優秀な労働者はアソシェーションを組織するので、ついには資本家は残った劣等な労働者を雇って苦労するより、資本を協同組織に貸与して利子を受け取る方を選ぶ。「結局、しかもおそらくは予想以上に近い将来において、私たちは、協同組合の原理によって一つの社会変革にたどりつく道を・・・もちうるであろう」。協同組織はその成功を得るための唯一の手段である(邦訳Ⅳ,p.176,下線は記者)。
 しかしながら、深井英吾(注2)の著書と推定される「現時之社会主義」が早くも明治26(1893)年にいったように、ミルの未来社会予測は当たらず、社会改造もなされなかった。いかに偉大な人物によるものであれ、とかく予言は実現し難い。マルクスしかり、スペンサーしかり(杉原,1980,p.179-180)。
 第五篇の内容についても略す。
 
 以前、革装美本の初版をオーストラリアの書店から購入した。ただし、上巻だけであった。下巻の出るのを待っていたから、安い揃い本が出ても見逃すことが続いた。なかなか、別々に揃えることは難しいと思い知らされた。しかし、幸いに元装のままの更に安い上下揃い本に巡り合って、ようやく買うことができた。アメリカ古書店よりの購入。

(注1)ファーブルとは、ハリエットの死後、知遇を得る。ファーブルが借家を追い出された時、ミルは金銭援助をした。度々、植物採取行を共にしている。日本ファーブル会のHPには、ミルを英国の植物学者!としている
(注2)ここは、確認せず記憶で書くが、深井は徳富蘇峰の外遊時の秘書を勤めた人。蘇峰と同じく同志社の出身。日銀に入りその見識は他を圧したという。後日銀総裁になる。
(参考文献)
  1. 小泉仰 『J.S.ミル イギリス思想叢書10』 研究者出版、1977
  2. 四野宮三郎 『J.S.ミル 経済学者と現代3』 日本経済新聞社、1977年
  3. 杉原四郎 『J.S.ミルと現代』 岩波書店、1980年
  4. 杉原四郎他編 『古典派の経済思想 経済思想史1』 有斐閣、1977年
  5. シュンペーター 東畑精一訳 『経済分析の歴史 3』 岩波書店、1957年
  6. W・トマス 安田隆司・杉山忠平訳 『J.S.ミル』 雄松堂出版、1987年
  7. イヴ・ドゥランジュ ベカエール直美訳 『ファーブル伝』 平凡社、1992年
  8. ブローグ 久保芳和他訳 『経済分析の歴史 上 古典派』 東洋経済新報社、1966年
  9. ブローグ 中矢俊博訳 『ケインズ以前の100大経済学者』 同文館、1989年
  10. 馬渡尚憲 『J.S.ミルの経済学』 お茶の水書房、1997年
  11. ミル 末永茂喜訳 『経済学原理(一)~(五)』 岩波文庫、1959-1963年(邦訳と表示、一部翻訳を改めた箇所あり)
  12. ミル 朱牟田夏雄訳 『ミル自伝』 岩波文庫、1960年






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25 件のコメント:



  1. R.G.ホートレーの経済学
    著者名等  古川顕/著  
    出版者   ナカニシヤ出版
    出版年   2012.5
    大きさ等  22cm 268p
    NDC分類 331.233
    要旨   
    ケインズを凌駕しながら忘れ去られた経済学者。貨幣・信用理論や金融・財政政策論など
    広い分野で現代にも通用する理論を残した、ホートレー経済学を復権する。
    目次   
    第1章 ホートレーの経済学―序論的考察
    第2章 信用の経済学
    第3章 J.S.ミルの貨幣・信用理論 ☆
    第4章 I.フィッシャーの景気循環論
    第5章 ホートレーの金融・財政政策論
    第6章 ホートレーと国際金本位制度
    第7章 ホートレーのマクロ経済学
    ISBN等 4-7795-0606-9

    ☆97頁
    フィッシャーは貨幣を、ホートレー(Currency and Credit, 1919)は信用を重視する。



    ケインズ、フィッシャーも言及しているホートレー(ケインズの友人であり批判者)はヴィクセルの影響を受けている。



    J,S.ミルと貨幣数量説ミルは『経済学原理』第3篇第7章において貨幣の機能について触れ,貨幣の最も重要な機能は「流通の媒介物」としての貨幣の機能にあるとして次めように述べている。「流通の媒介物(Cttulating Medium)なるものの多種多様な機能を理解するには,われわれがこのような媒介物をもっていなかった場合に経験するであろう主要な不利不便がどのようなものであるか,ということを考察するよりよい方法はない。それらの不便のうち,第1の,そしてもっとも明白なものは:種類を異にする諸種の価値に対する共通の尺度の欠如, ということであろう」(Mm[1878]邦訳103頁)。つまり,貨幣の最大の機能は価値尺度としての機能(計算貨幣としての機能)であると言う。彼は,貨幣が財の価値を測る共通の尺度として機能するがゆえに分業の利益が得られるとして次のように述べる。「しかし,このような利益〔価値尺度としての貨幣の利益〕は,貨幣の使用から生ずる経済的利益の,わずか一部分に過ぎない。物々交換の不便は元来すこぶる大きいものである。それは,交換を実際に行なうという何らかのより便利な方法を採用しないでは,分業第3章JSミルの貨幣・信用理論 47

    もかなりの範囲に達するものを行なうということがほとんど不可能となるほど大きいものである」(邦訳105頁)。そして,「それ〔貨幣〕は,その人が好むところの店舗において支払いをなすために提示することができ, またそれによって一定の価値を有する,好むところの商品を受け取ることができるところの,一種の切符あるいは指図証書(a sOrt of ackets or orders)なのである」(邦訳111頁)。そうした性格をもっているがゆえに,「貨幣は, どこへでもそれが流れて行くところへ,その購買力をもってゆく」(邦訳388頁)。以上の貨幣の機能についてのミルの説明は,スミスと何ら変わらない。スミスは,「ある特定地域の人々が,ある特定の銀行業者の財産,誠実さ,慎重さに深い信頼を寄せていて, 自分の約束手形をいつなんどき提示しても,この銀行業者がつねに要求におうじて支払ってくれる用意がある, と信じているとしよう。その場合にはこの手形は,それと引換えにいつでも金・銀貨が入手できるという信頼から,金・銀貨と同一の通用性をもつようになる」(Smitll[1789]邦訳447-448頁)と説明する。

    ミルは,以上のような貨幣の機能に基づいて,古典派以来の貨幣数量説的な考え方を展開する。

    「もしも流通界にある貨幣の総額が2倍となったならば,価格も2倍となるであろう。もしも貨幣がわずか4分の1だけ増加するだけであれば,価格も4分の1だけ騰貴するだろう。世のなかには4分の1だけ多量の貨幣が存在し,それのすべてが,何らかの種類の財貨を購入するために使用されるであろう。このような貨幣供給の増加分があらゆる市場に達するだけの,あるいは(普通に用いられる比喩によれば)流通のあらゆる水路に浸透するだけの時間が与えられたならば,あらゆる価格は4分の1だけ騰貴するであろう」(邦訳120121頁)と述べ, さらに「貨幣の価値は,他の事柄が同じであるならば,その数量に反比例して変化する。すなわち,その数量の増加はいつの場合もその価値を, しかも正確に等しい割合において引き下げ,数量の減少は,いつも正確に等しい割合においてその価値を引き上げるものである」(邦訳121頁)と言う。しかもミルは, ヒューム(Hume[1752])に代表される以上のような単純な貨幣数量説にとどまらず,流通速度概念を導入し,貨幣の価値は流通速度にも依存するとして次のように指摘する。

    「もし売りに出されている財の数量48と, これらの財が再販売される回数とを一定とした大きさであると仮定するならば,貨幣の価値は,その数量および各貨幣がその過程において所有者を変更する平均回数に依存するであろう。販売された財の総量は,貨幣の総量にそれぞれの貨幣が平均してなすところの購買の数を乗じたものと交換されたことになる」(邦訳123頁)。

    「したがって,財と売買取引との総量が同じであるから,貨幣の価値は,その数量に流通速度(the rapidity of circulation)とよばれるところのものを乗じたものに反比例することになる。そして流通界にある貨幣の数量は,販売されるすべての財の貨幣価値を流通速度を表現するところの数をもって除したものに等しい」(同)。以上の流通速度概念に立脚する貨幣数量説は改めて指摘するまでもないが,I.フィッシャーの『貨幣の購買力』(1911年)における有名な公式αγ=2のとまったく同じである。

    すなわち, ミルは,流通界にある貨幣の数量(″)は,販売されるすべての財の貨幣価値(Pr)を,流通速度を表現するところの数(7)をもって除したものに等しい(″=F3//7)と指摘しているが, これはフィッシャーによって定式化された表現を言葉によって説明したものにはかならない。ミルがフィッシャーに先立つこと60年以上も前に貨幣の流通速度概念に着目し,それを用いた貨幣数量説を提示していることは大いに注目される。3 信用概念と購買力の重視ミルは,以上のような(標準的な)貨幣数量説に立脚して次のように述べる。「一般物価は流通界にある貨幣の数量に依存するという関係にらぃての,われわれが先に記した命題は,貨幣(すなわち金または銀)が唯一の交換手段であって,かつ購買ごとにある人の手から他の人の手へと実際に転々し,信用はそのいかなるものも行われていないという事態――このような事態にのみ当てはまると解釈しなければならない」(邦訳125頁)。つまり,購買力を運ぶ手段として貨幣しか存在しないような社会において,はじめて貨幣数量説が成立するというのである。彼によれば,「信用が手持ちの貨幣とはまったく別個に購買手段として作用するようになると,後に見るように,物第3章 JSミルの貨幣・信用理論 49

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  2. 経済学原理 3
    叢書名   岩波文庫  ≪再検索≫
    著者名等  ステュアート/〔著〕  ≪再検索≫
    著者名等  中野正/訳  ≪再検索≫
    出版者   岩波書店
    出版年   1980.8
    大きさ等  15cm 293p
    注記    An inquiry into the principles of politi
    cal oeconomy./の翻訳
    NDC分類 331.34
    件名    経済学  ≪再検索≫
    件名   

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  4. 岩波文庫は
    以下と紛らわしい


    経済学原理 3
    叢書名   岩波文庫  ≪再検索≫
    著者名等  ステュアート/〔著〕  ≪再検索≫
    著者名等  中野正/訳  ≪再検索≫
    出版者   岩波書店
    出版年   1980.8
    大きさ等  15cm 293p
    注記    An inquiry into the principles of politi
    cal oeconomy./の翻訳 [1767]
    NDC分類 331.34
    件名    経済学  ≪再検索≫
    件名    重商主義  ≪再検索≫
    書誌番号  3-0190047972

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  5. EditWatch this pageRead in another language
    James Steuart (economist)
    Sir James Steuart, 3rd Baronet of Goodtrees and eventually 7th Baronet of Coltness; late in life Sir James Steuart Denham, also called Sir James Denham Steuart (/ˈstjuːərt/; 8 October 1707, Edinburgh – 26 November 1780, Coltness, Lanarkshire) was a prominent Scottish Jacobite and author of "probably the first systematic treatise written in English about economics"[1] and the first book in English with 'political economy' in the title.[2][3][4] He assumed the surname of Denham late in life; he inherited his cousin's baronetcy of Coltness in 1773.[5]

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  6. もう一人のスチュアート


    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB

     リカードウもまた、『経済学および課税の原理』序文にチュルゴー等とともにステュアートの名をあげるが(しかも綴りを誤記)、これらの著者は分配問題には満足すべき知識を与えてくれないと書くのみで、本文には一切その名は出てこない。しかし、シュンペーター(1956、p.542)が強調するように(外延的)収穫逓減の法則の発見がステュアートの大きな業績だとすれば、リカードウは地代理論形成について大きな影響を受けていたかも知れないのである。こうして本書は本国英国では無視され忘れられてゆくのであるが、欧州特にドイツおよび米国では細々と読み継がれていった。資本主義成立の本源的蓄積期にある、後発資本主義にとっては参考になったのであろう。
     こうした風潮の中でステュアートを評価したのは、マルクスである。その『経済学批判』において、「ブルジョア経済学の全体系をあみだした最初のイギリス人」(1956、p.65)とし、「特にかれが関心をもっていたのは、ブルジョア的労働と封建的労働の対立であり、…交換価値を生み出す労働の性質は、特殊的ブルジョア的なものであることを、くわしく証明している。」として高く評価した(1956、p.66)(注2)。古典派経済学にはない歴史的視点を持ち、実物面だけでなく貨幣面も重視する点を評価したのである。しかしながら、他方でマルクスは、剰余価値の発生が、生産過程からではなく「純粋に交換から、商品をその価値よりも高く売ることから、説明されている。サー・ジェームズ・ステュアートはこの偏狭さから抜け出ておらず」、結局「ステュアートは重金主義と重商主義との合理的表現である。」(『剰余価値学説史』第一章)とも批判した。こうしたことから、マルクス経済学者にも『原理』は軽視され、関心も薄れてゆくのである。というより、元々関心を持たれることがなかったという方が近いかもしれない。
     次のステュアート再評価の大きな流れは第二次大戦後、ケインズ経済学の隆盛とともに起こった。その有効需要論を述べるに当たり、「ケインズは、重商主義者やマルサスに先達を求めようとしたが、どうしたことか、自分にぴったりあっていたであろうと思われるジェームス・スチューアートを見逃してしまった」(ロビンソン=イートウェル、1976、p.68)。ケインズ自身はステュアートを知らなかったか、あるいは無視したが、ケインジアンにとっては、ステュアートとケインズの類似性は明らかであろう。S・R・セン等に始まるステュアート研究の流れである。
     確かにケインズ『一般理論』に親しんだものであれば、『原理』のいたるところにケインズ的分析用語を発見するであろう。貨幣等の「退(保)蔵(hording)」(上p.296)あるいは、「消費傾向(propensity to consume)」(上p.296)(注3),「有効需要(effectual demand)」(上p.107:『一般理論』は、effective demand)等々。ケインズ理論の核心を流動性選好説に求めるにせよ、乗数理論に求めるにせよ、用語の内容も、ほぼ『一般理論』と同一であると思わせる。
     もう少し、類似性を見るために、ステュアートが公兆事業を論じた所を引く。ケインズの所説((注4)を参照のこと)と比較されたい。


    http://www.eonet.ne.jp/~bookman/zenkotennha/steuart.html

    7:09 午後 削除

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  7. ミルの業績の中でもとりわけ彼の名が刻まれているのは政治哲学での貢献であろう。ミルの著わした『自由論』(1859年)は自由とは何かと問いかけるものに力強い議論を与える。ミルは、自由とは個人の発展に必要不可欠なものという前提から議論を進める。ミルによれば、私たちの精神的、道徳的な機能・能力は筋肉のようなもので、使わなければ衰えてしまう。しかし、もしも政府や世論によっていつも「これはできる。あれはできない。」と言われていたら、人々は自らの心や心の中に持っている判断する力を行使できない。よって、本当に人間らしくあるためには、個人は彼、彼女自身が自由に考え、話せる状態(=自由)が必要なのである。ここで、ミルの功利主義はその提唱者であるベンサムとはたもとを分かつ。簡単に述べると、ミルの功利主義は、快楽について、ベンサムが唱えた量的なものよりも質的な差異をみとめ精神的な快楽に重きを置いた。それは次のミルの有名な言葉で表されている。

    「満足な豚であるより、不満足な人間である方が良い。
    同じく、満足な愚者であるより、不満足なソクラテスである方が良い。 そして、その豚もしくは愚者の意見がこれと違えば、それはその者が自分の主張しか出来ないからである。 」

    — 『功利主義』第二章
    ミルの『自由論』は個人にとって自由とは何か、また社会(国家)が個人に対して行使する権力の道徳的に正当な限界について述べている。『自由論』の中でも取り分け有名なものに、彼の提案した「危害の原理」がある。「危害の原理」とは、人々は彼らの望む行為が他者に危害を加えない限りにおいて、好きなだけ従事できるように自由であるべきだという原理である。この思想の支持者はしばしば リバタリアンと呼ばれる。リバタリアンという言葉が定義するものは広いが、通常は危害を加えない行為は合法化されるべきだという考え(=「危害の原理」)を含む。現代において、この「危害の原理」を基盤に幾人かのリバタリアンが合法化されることを支持するものとしては売春や現在非合法の薬物も含めた薬物使用がある。

    ヴィルヘルム・フォン・フンボルト「国家活動の限界を決定するための試論」(1851年、刊行)はミルの「自由論」にも大きな影響を与えた。ミルは『自由論』において、政府がどの程度まで国民の自由を制限できるか、国民はどの程度の客観的証拠による注意によって、自らの自由な注意によってどの程度まで政府に干渉されずに、自由な意思決定をなすべきなのか考察を行なった。例として毒薬の薬品の注意書きは政府によって命令されるべきか、自らの自由な意思によって注意すべきかを挙げて考察している。もし自らの意思によって注意すべきであるならば、政府は注意書きをつけるように強制すべきではないが、それが不可能ならば政府は注意書きを強制すべきであると論じ、国民の能力の問題をも取り上げることとなった。 酒や、タバコの注意書きや、それと類似に経済学的に意味がある酒税や、タバコ税の意味についても同じことがいえる。もし注意すべきではないということになれば夜警国家となるであろうし、一方リバタリアンのように経済的なことのみに注意すべきであるということも可能であろうし、またスウェーデンのような福祉国家を主張することも可能であるということになる。

    ミルは自由論の中でオーギュスト・コントの実証主義哲学を次のように解釈している。

    M. Comte, in particular, whose social system, as unfolded in his Système de Politique Positive, aims at establishing (though by moral more than by legal appliances) a despotism of society over the individual, surpassing anything contemplated in the political ideal of the most rigid disciplinarian among the ancient philosophers.

    コントは特に『実証主義政治システム(Système de Politique Positive)』の中で展開したように、古代の哲学者たちのあいだで最も厳格なしつけ主義者の政治的理想として目論まれていた、いかなるものも超克することによって(法的な適用によるよりも、むしろ道徳によって)個人に対しての社会の専制主義を確立する社会システムを目指した。

    — 『自由論』
    このヴィルヘルム・フォン・フンボルトとコントの考え方がミルの自由論の根底にあったのである。

    アイザイア・バーリンは、これをさらに押し進めた。バーリンが用いた積極的自由、消極的自由という概念に従えば、ミルの『自由論』の議論の多くは消極的自由についてとなる。バーリンが提唱する消極的自由とは、障害、妨害、強制(抑圧)の欠如を意味する。また一方の積極的自由とは、行為できる(可能性的なものも含めた)能力、自由であるための必要条件 - 物質的資源、(ある人における)啓蒙の度合い、参政の機会など - の存在を指す[1]。

    この思想は明治時代においては「自由之理」として中村正直に翻訳され、大隈重信の立憲改進党の思想に大きく影響を与えた。

    ミルは、他者に危害を加えない行為をするために、個人の自由な行ないを邪魔する法などの障害を取り除くのは政府の役目であると説いている。ミルは実際の自由の行使 - 例えば貧しい市民が生産的な仕事を得ること - を許す必要条件については議論を展開せず、それにはその後のチャーティスト運動に待たなくてはならなかった。

    その後、『自由放任の終焉』を書いた経済政策の ケインズなどに代表される20世紀の思想家の登場を待たなければならなかった。しかしニューディール政策を含め自由主義の運動には常にミルの自由論が大きく影響を与えたことは否めないといいうる。

    また、ミルは『女性の隷属』(1861年)、『代議政治論』なども著わしている。実際の政治家(下院議員)としてのミルについては上段を参照せよ。

    論理学におけるミル 編集
    論理学の分野では、『論理学体系』(1843年)を著わした。同書においてミルは、因果関係と真理性の問題を解明する目的を持ちつつ、「ミルの方法」と呼ばれる帰納の方法を五つ提唱している。

    ミルは、実証主義的な社会科学方法論の確立をめざし、帰納法によって発見された経験法則を再度現象の予測に適用して法則の真理性を確認するという、オーギュスト・コントの歴史的方法を基にした逆演繹法を確立した。

    経済学におけるミル 編集

    Essays on economics and society, 1967
    リカード後の古典派経済学の代表的な経済学者であり、『経済学原理』(1848年)を著わす。この長大な著作は古典派経済学の代表的な教科書として、マーシャルの「経済学原理」の登場(1890年)まで君臨したと言える。ただし、厳密にはミルの著作のタイトルは政治経済学 political economy の教科書であり、マーシャルのそれは経済学 economics の教科書だった。その後、新古典派や、マルクスとその後継者たちによって、「過渡期の経済学」としてさまざまな批判にさらされたが、近年では再評価が進んでいる。

    ミルの経済学は、おおまかに言えばリカード以来の古典派経済学モデルのフレームワークに従っている。19世紀の英国は、産業革命や植民地獲得競争の勝利で、急激に物質的な豊かさを獲得した。しかし、そうした史上空前の繁栄にもかかわらず、貧富の格差や植民地の増加などの社会変化の中で、古典派元来の自由放任政策は行き詰まりを見せていた。経済学者ミルの課題は、そうした当時の「豊かな先進国」イギリスの社会問題に対して、具体的で実現可能な処方箋を書くことにあった。(例えば、同時代のディケンズの描く貧困層のスケッチなどを見よ。)

    基本的にミルは自由放任政策の支持者であったが、ロバート・オウエンなどのユートピア社会主義者の潮流の影響を受けて社会主義的な色合いを帯びており、マルクスとはしばしば対比される。『経済学原理』の版によってその社会主義への接近の度合いは変動し、最終版では社会主義に対してやや距離を置いている。これは、勃興する急進的な社会主義運動の実勢に、ミルが幻滅したためではないかと考えられている。社会主義体制の持つであろう恣意的な分配、表現の自由の圧殺などの考えられる弱点について、手厳しく、かつ先見性に富む予言をしている。

    ミルは、生産が自然の法則によって与えられる のに対して分配は社会が人為的に変更可能であることに着目し、政府の再分配機能によって、漸進的な社会改革を行なうことに期待している。その意味では「大きな政府」によるセーフティ・ネットの構築に、激化する階級対立の処方箋を見出したと言える。長い時間はかかったが、おおよそ英国社会はマルクスの激越な革命の予言ではなく、ミルの書いた穏健な処方箋の方向へ徐々に進んだともいえる。

    後にフェビアン協会へと連なっていく英国の社会民主主義に、具体的な、正統派経済学からの理論的裏づけを与えた最初の経済学者の1人としても評価できる。 なお、現代経済学の中では、アマルティア・センの平等主義的な経済学文献の中にも、しばしばミルの引用が見られる。

    経済成長を自明のものとしなかったため、いわゆる「定常型社会」論の先駆と見なされることもある。また、当時の英国に深刻な不安を投げかけていたマルサス『人口論』以来の人口問題については、労働者階級の自発的な出生率の抑制による出生率の制御に期待する、という考え方(新マルサス主義)で臨んでいた。

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  8. 1859年に出版された初版の表題紙
    『自由論』(じゆうろん、英: On Liberty)は、ジョン・スチュアート・ミルによる自由についての政治学の著作。1806年にイギリスで生まれたミルは、現実政治について批判する著作を発表しており、1859年の本書『自由論』は当時のヨーロッパ、特にイギリスの政治・社会制度の問題を自由の原理から指摘することを試みた。ここで論じられている自由とは国家の権力に対する諸個人の自由であり、これを妨げる権力が正当化される場合は他人に実害を与える場合だけに限定され、それ以外の個人的な行為については必ず保障される。なぜならば、ミルによれば文明が発展するためには個性と多様性、そして天才が保障されなければならない。また当時参政権の拡大をもたらしていた民主主義の政治制度は大衆による多数派の専制をもたらす危険性があり、これをミルは警戒していた。

    目次
    構成 編集
    第1章 - 序論
    第2章 - 思想と討論の自由
    第3章 - 幸福の一要素としての個性について
    第4章 - 個人に対する社会の権威の限界について
    第5章 - 応用
    翻訳 編集
    中村正直が最初に訳した(1872年)。当時は『自由之理』という書名であった。

    日本語訳 編集
    『自由論』 塩尻公明・木村健康訳、岩波文庫
    『自由論』 山岡洋一訳、光文社古典新訳文庫、2006年
    新版『自由論』日経BP社、2011年
    『自由論』 斉藤悦則訳、光文社古典新訳文庫、2012年。山岡訳の移行による新訳
    「自由論」 早坂忠訳、『世界の名著38 ベンサム/ミル』 中央公論社、1967年
    脚注・出典 編集
    関連項目 編集
    功利主義論
    外部リンク 編集
    自由について(日本語訳)

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  9. https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-15K03387/
    J.S.ミルの貿易思想
    研究課題

    研究課題/領域番号 15K03387
    研究種目
    基盤研究(C)
    配分区分 基金
    応募区分 一般
    研究分野 経済学説・経済思想
    研究機関 大阪学院大学
    研究代表者
    藤本 正富 大阪学院大学, 経済学部, 教授 (30330103)
    研究期間 (年度) 2015-04-01 – 2018-03-31
    研究課題ステータス 完了(2017年度)
    配分額 *注記
    1,690千円 (直接経費 : 1,300千円、間接経費 : 390千円)
    2017年度 : 520千円 (直接経費 : 400千円、間接経費 : 120千円)
    2016年度 : 520千円 (直接経費 : 400千円、間接経費 : 120千円)
    2015年度 : 650千円 (直接経費 : 500千円、間接経費 : 150千円)
    キーワード J.S.ミル / 相互需要説 / 国際価値 / 比較生産費説 / 互恵主義 / 相互需要 / 自由貿易 / 関税 / ロバート・トレンズ / 植民 / 幼稚産業保護
    研究実績の概要
    最終年度はJ.S.ミルの貿易思想を“J. S. Mill’s Idea of International Trade: The Inheritance from Ricardo’s Free Trade and Torrens’ Reciprocity”にまとめ、編者を務めたS.Senga, M.Fujimoto, T. Tabuchi(eds.). Ricardo and International Trade (Routledge 2017)で出版した。また、ミルの関税論について、学会報告”J. S. Mill’s Analysis for Tariffs and Criticism for Robert Torrens’ Reciprocity.” 経済学史学会第81回大会(徳島文理大学 2017年6月3-4日)を行った。
    本研究の目的は、J.S.ミルの貿易思想を、経済理論とその応用という枠組の中で、その本来的な意義をとらえていくことにあり、ミルが世界的生産量の拡大とその分配を分析し、国際貿易を通じた人類の知的・道徳的進歩まで視野に入れた体系をもっていたことを、ミルの貿易思想として描き出すことにあった。これまでの研究によって、この目的は達成されたと思われる。
    本研究の特色は、ミルの貿易思想を、自由貿易対保護貿易というこれまでの対立軸の中ではなく、ミル自身が『経済学原理』でイメージしていた、経済理論をベースとした社会哲学として描くことにある。その根底にあるのは、世界的な富の拡大と分配、人類の知的・道徳的進歩への貢献という貿易思想であり、ミルの貿易思想の全体像を提示する研究として意義あるものと考えられる。
    植民地論と幼稚産業保護論については、ミルの自由貿易思想の中で例外的な位置づけにあることは示唆されたが、ウェイクフィールドやケアリーの貿易論を精査することが必要がある。
    報告書 (3件)

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  11. いふことは、著しく社会に有効であって、これぞ政府の干渉を最も必要とするものなると同時に'政府の干渉にEiiZ15‖り報ゆるところ最も多きものである。」からであるとする。第七には'地理的または科学的探険・燈台の建造・浮標の設置・学者階級の維持・道路・船渠・港湾・運河・濯概工事・病院・学校・印刷所の仕事のように'個人では行うことができないがしかし一般の利益にとっては重要な事柄についても'矢張政府が干渉し'政府があえてこれを行う方が望ましいLtまた必要でもあるという。以上'七つの場合をあげてミルは'政府の「随意的職務」=自由放任主義の例外として'政府の干渉が行われる方が望ましいものとしているが'その根底に共通して流れる-ルの基本的な考え方は'「およそ人類またはその子孫の一般利益のために'または外部からの援助を要する階級の現下の利益のために行ふの望ましきものにLEid611-て'両も個人またはその団体の之を行ふも報酬を得ることなきものは'政府これを行ふを適当とする。」というものであった。このように若干の点についての政府の干渉を-ルは認めてはいるがtLかしだからといって-ルはその個人主義・自由主義を否定し去ったわけではない。基本的にはミルは矢張個人主義・自由主義を堅持しているが'ただ古典的形態でこれを維持してゆくことができず'政府の干渉によってこれを修正し'維持してゆこうとしたにすぎなかった。したがってミルによって認められる政府の干渉は'あくまでも個人主義・自由主義を育成・発達せしめるようなものでなければならなかったし、そしてまたイギリス資本主義の発達にとって必要不可欠のものでなければならなかった。したがってこれらに反する政府の干渉に対しては'-ルは激しく批判し、反撰する。mJ.S,Mill;PrinciplesofPoliticalEconomy.WithSomeoftheirApplicationtosociatPhilosophy,1848.戸田正雄3

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  13. いふことは、著しく社会に有効であって、これぞ政府の干渉を最も必要とするものなると同時に'政府の干渉にEiiZ15‖り報ゆるところ最も多きものである。」からであるとする。第七には'地理的または科学的探険・燈台の建造・浮標の設置・学者階級の維持・道路・船渠・港湾・運河・濯概工事・病院・学校・印刷所の仕事のように'個人では行うことができないがしかし一般の利益にとっては重要な事柄についても'矢張政府が干渉し'政府があえてこれを行う方が望ましいLtまた必要でもあるという。以上'七つの場合をあげてミルは'政府の「随意的職務」=自由放任主義の例外として'政府の干渉が行われる方が望ましいものとしているが'その根底に共通して流れる-ルの基本的な考え方は'「およそ人類またはその子孫の一般利益のために'または外部からの援助を要する階級の現下の利益のために行ふの望ましきものにLEid611-て'両も個人またはその団体の之を行ふも報酬を得ることなきものは'政府これを行ふを適当とする。」というものであった。このように若干の点についての政府の干渉を-ルは認めてはいるがtLかしだからといって-ルはその個人主義・自由主義を否定し去ったわけではない。基本的にはミルは矢張個人主義・自由主義を堅持しているが'ただ古典的形態でこれを維持してゆくことができず'政府の干渉によってこれを修正し'維持してゆこうとしたにすぎなかった。したがってミルによって認められる政府の干渉は'あくまでも個人主義・自由主義を育成・発達せしめるようなものでなければならなかったし、そしてまたイギリス資本主義の発達にとって必要不可欠のものでなければならなかった。したがってこれらに反する政府の干渉に対しては'-ルは激しく批判し、反撰する。mJ.S,Mill;PrinciplesofPoliticalEconomy.WithSomeoftheirApplicationtosociatPhilosophy,1848.戸田正雄3


    ヽ-~ノ3′_..ゝ初IHU-n∫一5lHHlHHrJHHHlhHu6円■■川H【ヽ、~′7nHtJU価価㈹旭閏的価的姻訳「経済学原理」第五分冊春秋社版昭和二十三年六貢右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊右同第五分冊二四三頁二四六真二四七貢二五二貢二五五真二五七真二六三貢二六六真二六七貢二七〇貢二七二貢二八二貢二八九貢二九一東三〇二貢330≡政府の干渉に対するミルの諸批判「抑々事柄の中には、政府の須らく干渉すべきものもあれば、干渉すべからざるものもある。しかし'たとひ干渉そのものが良いにせよ悪しきにせよ'苛も政府にしてその干渉する主体を諒解せずに干渉をなして悪結果をEid1招来するときは'この干渉たるや不都合といはなければならぬ。」として'ミルは、その主著「経済学原理」第五

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  14. 森論考
    自由の例外

    J・S・ミルの政府職務論 <神奈川大学創立三五周年記念論文集>森七郎1983-12-10 Book
    http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/7977/1/020%E3%80%80J%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB%
    E3%81%AE%E6%94%BF%E5%BA%9C%E8%81%B7%E5%8B%99%E8%AB%96.pdf

    自由放任主義にも、次の七つの例外があるとミルはいう。したがってこの七つの例外の場合における政府の干渉こそ政府の「随意的職務」として認められるべきものであるとする。…

     第一は教育事業であるという。すなわち「教育こそは'原則として'政府が人民のために債へて宜しきものの一つである。この場合は'無干渉主義の道理に必ずしも支配されない場合の一つで】ⅣH】8ある。」としている。しかし「ここに強く主張すべき事柄が一つある。すなはち政府は初等たると高等たるとを問EiiZ9はずおよそ教育の独占を主張してはならぬ。」…
     第二には狂人・痴者・幼児・未熟者・奴隷・下等動物など'自分で適当な判断をなしえない者について…
     三には'結婚のような永久的契約については、個人の判断が経験に先んじねばならないため'その判断が'後で経験によって覆えされてからも'その契約を取消すことができないというのでは不都合であるから'充分な理由がある場合は'契約解除を認めるべきであり'そのための政府の干渉は認められるべきものであるという…
     第四には、独占事業となりやすいガス・水道・舗装・清掃・道路・運河・鉄道のような事業…
     第五には'労働時間の短縮やウェ-クフィールド式植民主義(植民地における土地所有の制限)などは'個人が唯一人でこれを実現し'有効にすることは不可能であるから'これらに対しても政府が干渉して'それらを有効にLt実現することは認められるべきであるとする。…
     第六には'救貧法や植民のように'個人の行為が,自利のためではなく'他人の利益のためにする行為の場合に於けるこれへの政府の干渉もまた認められねばならないという。…
     第七には'地理的または科学的探険・燈台の建造・浮標の設置・学者階級の維持・道路・船渠・港湾・運河・濯概工事・病院・学校・印刷所の仕事のように'個人では行うことができないがしかし一般の利益にとっては重要な事柄についても'矢張政府が干渉し'政府があえてこれを行う方が望ましいLtまた必要でもあるという。…

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  16. 歴史サイクル説と柄谷交換図

    https://yojiseki.exblog.jp/8245790/

    サーカーの理論を参考にすると、歴史サイクルは、兵士(武)→商人(富)→知識人(知)→労働者(労)、と回る*。
    サーカーの範疇は柄谷の範疇の臨界点、もしくは結節点であり、ボロメオの環ならぬサーカーの環?とも言えよう。
    弟子のバトラは労働者の範疇を除外し、範疇を3つにしている。         
             |
      国家(官僚) 武    宗教
             |
    __富______|_____労____
             |
             |
      資本     知     X


    本来、武→知→富→(繰り返し)がバトラの主張だから図だと右回りをバトラは主張していることになる。
    サーカーだと武→知→富→労働者→(繰り返し)で、∞状になる。

    なお、サーカーの社会観は、バームクーヘン状である。


     ____________________         
    |      国際社会          |        
    |  ________________  |              
    | |    国内社会        | |
    | |  ____________  | |       
    | | |  地域社会      | | |
    | | |  ________  | | |
    | | | |行政      | | | |
    | | | |教育、医療=国営| | | |
    | | | |________| | | |
    | | |  職場=協同組合   | | |
    | | |  農業=消費組合   | | |
    | | |____________| | |
    | |    工業=労働組合     | | 
    | |________________| |  
    |  営利企業(ベンチャー)=株式会社  |   
    |____________________|
           (世界政府=環境問題)


    また、サーカーのプラウト(進歩的活用理論 PROgressive Utilzation Theory)経済に付いては『世界同時大恐慌』(バトラ)の最後の30頁くらいで充分だろう。
    武→知→富→(繰り返し)、といった社会サイクル論がわかりやすい。
    それ以上知りたければ『サーカーの思想1』をすすめる(簡潔にまとまったわかりやすいサイトも他にある)。
    用語がわかりにくいが、協同組合を導入する際の心理的な問題や分権についてはこちらの方が詳しい。
    こちらをよく読むと、武→知→富→労働者!→武→(繰り返し)、だと読める。


    追記:
    ラビ・バトラ氏は、プラウト主義の経済社会を
    1医療、2教育、3自営または小企業分野、4法人分野、5公共分野
    の5段階の分野に分ける。
    http://blog.livedoor.jp/s88888888/archives/cat_604340.html

    1[医療・教育分野] 国家によってすべて無料で提供されます。
      所得や富の差が、受けられる医療と教育の差につながることがあってはならない。

    2[自営または小企業分野] プラウト主義経済では、社会のサービス分野・商業部門を担当する分野。
      政府によって、癒着等無い完全な競争が保障されています。

    3[農業分野] 農業は先に挙げた、自営または小企業分野。
     農産物の生産者と消費者が直結した「協同組合方式」を採用します。生産地と季節にあった安全な
     作物が作られ、直接消費者に送られ消費されるのです。

    4[法人分野] 消費財を生産する部門が、この分野を担当。現行の株式会社・大企業に相当。
     株式の所有は、現在のように富裕者に独占させるのではなく、少なくとも51%の株はその企業の従
    業員が所有し、経営権は資本家ではなく従業員たちが持つことになります。

    5[公共分野] エネルギー、工業用原材料の生産、交通、通信などが公共分野に属する産業と言います。
     公共事業分野は官僚主義に陥りがちな中央政府ではなく、地方自治体が直接運営します。
     法人分野の営利目的とは全く異なった目的が、これら公共事業では要求されます。公共的な資源の
     適切な配分が目的となります。


    (まとめ)
     いままでの消費型経済システムの、「自由」というものを過度なまでに尊重したことによっての歪み=
    過度な「自由」に対するマイナス面を吟味せず、「無限の存在」への憧れを精神でなく物質的なものに追
    い求めたことで、富は一極集中し、貧困・食糧難を生み出し、環境はあまりにも大きく破壊されることに
    なりました。
    「有限な物質・知識」を無限に活用できるようなシステム(カウンターテクノロジーや再資源化・再利用
    化など)を作ることによって、システムの中での無限性を再現し、「永続可能な社会=資源循環」を形成
    することが大切。

    プラウト主義経済社会は、バームクーヘン状である。
     ____________________         
    |    4国際社会=法人従業員株主   |        
    |  ________________  |              
    | |  1国内社会=医療教育無料  | |
    | |  ____________  | |       
    | | | 5地方=公共事業運営 | | |
    | | |  ________  | | |
    | | | |3農業=消費組合| | | |
    | | | | 職場=労働協同組合| | | 
    | | | |________| | | |
    | |2小企業分野=公平な競争  | | |
    | | |____________| | |
    | |       土地政策     | | 
    | |________________| |  
    |         環境問題       |   
    |____________________|

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  17. 森論考
    自由の例外

    http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/7977/1/020%E3%80%80J%E3%83%BBS%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB%E3
    %81%AE%E6%94%BF%E5%BA%9C%E8%81%B7%E5%8B%99%E8%AB%96.pdf

    326


    の仕事や利益を'政府よ-よく会得しよく心配するものであると。この諺たるや人生の仕事の大部分を通じて真なるものであって'苛もその真なる限りは'これに反する政府の干渉は悉-排すべきものである。たとへば普通EidLr)の産業または商業を見渡しても'政府の事業はいづれも劣等であって'このことは事実の物語るところである。」ときめつけている。第四には、一般大衆が労働・工夫・判断・自制を大いにはたらかすことによって'共同行為をなす習慣を養うという建前からも'政府の権力的干渉や事業は排斥されるべきであるという。なぜならば「およそ知性および才能が'政府部内に高度に保たれてあり'しかも政府以外に於ては滑渇し池喪してゐるといふ事態ほどへ人間の幸福にとって危険なる事態はない.かくの如き制度たるや'およそ他の如何なる制度よりも完全.llHt6に'専制政治の観念を具体化するものである。」からである。けだし「人民にしてその事柄を政府に任せず自分自身の積極的干渉によって処理するに慣るるにつれ'その欲望は圧制へ傾くよりはむしろ'圧制の排斥へと傾-辛Eid7うになる。」からであるという。そしてこの第四の理由こそ'政府の権力的干渉を排斥する最大の「根拠」であるという。以上の四つの「根拠」に基づいて、ミルは改めて「自由放任主義を以て一般原則とすべし」と宣言する。

     とはいえ自由放任主義にも、次の七つの例外があると-ルはいう。したがってこの七つの例外の場合における政府の干渉こそ政府の「随意的職務」として認められるべきものであるとする。自由放任主義に対する例外'すなわち政府の「随意的職務」の第一は教育事業であるという。すなわち「教育こそは'原則として'政府が人民のために債へて宜しきものの一つである。この場合は'無干渉主義の道理に必ずしも支配されない場合の一つで】ⅣH】8ある。」としている。しかし「ここに強く主張すべき事柄が一つある。すなはち政府は初等たると高等たるとを問EiiZ9はずおよそ教育の独占を主張してはならぬ。」「政府たるものは全人民に対し'或事柄につき教育を受くべしてふ


    ・iとを要求することは差支ないが'しかし、これを受くる方法または先生を規定するやうなことをしてはならな0㌧」と。このようにミルが教育事業に対する政府の干渉を認めたのは'一八四〇年代のイギリス産業資本が'絹業・鉄道建設を中心に近代的技術を修得した労働者を必要とするようになったことのみならず'労働力の一般的水準の向上が要求されてもいたからである。いいかえればミルにあっては、単純に労働者階級の地位向上といった要求から'教育を重視したのではなく'あ-までも産業資本の側に立っての上での労働力の質の向上という見地から教育事業を重視したのである。技能と知識をもって'労働の生産力を決定する一因とした-ルは'労働の生産力を高めるという立場から'すなわち社会改良主義の立場から'教育もまた重視されねはならぬものとしたのである。教育による労働力の改良は'明日の利潤増加を約束するものと見倣されていたからであった。第二には狂人・痴者・幼児・未熟者・奴隷・下等動物など'自分で適当な判断をなしえない者については'自由放任主義も根底から崩壊し'政府がこれらに対して干渉・保護を加えるべきであるとする。と-に「児童の場合に於ては'契約の自由は即ち強制の自由にほかならぬ」から'「未成年の幼児や少年をして過度の労働をなさEid11しむることは'政府はその眼および手のとどく限り'これを防止すべきである。」と幼少年の保護を説-が'婦人に対しては'とくに保護を加えるようなことは'男女間の不平等を是認Ltこれを増大せしめることにしかならないから'婦人と幼少年とを同列におくことは弊害があるとしている。そして「婦人の状態を改良するためには'婦人に向かって既に悉くまたは一部分開かれてある独立的産業をば閉鎖せず'却って之に近接しやすからしむる.11日121ことをこそ努むべきである。」という。第三には'結婚のような永久的契約については'個人の判断が経験に先んじねばならないため'その判断が'後で経験によって覆えされてからも'その契約を取消すことができないというのでは不都合であるから'充分な理由がある場合は'契約解除を認めるべきであり'そのための政府の干渉は3

    認められるべきものであるというひ第四には、独占事業となりやすいガス・水道・舗装・清掃・道路・運河・鉄道のような事業に対しては'その独占の弊害を除-ため'政府はこれに干渉し'場合によっては公営事業とした方がよいという。第五には'労働時間の短縮やウェ-クフィールド式植民主義(植民地における土地所有の制限)などは'個人が唯一人でこれを実現し'有効にすることは不可能であるから'これらに対しても政府が干渉して'それらを有効にLt実現することは認められるべきであるとする。しかしこの点(とくに労働時間の短縮の問題)については'-ルは産業資本家階級に遠慮して'「尤も私はtか-の如き法律を推称せんとの意見をここに述べてゐるものではなくまたか-の如き法律は、未だ嘗て我国に於て必要とされたることもなく'私も覗状に於ては連も之を推薦できないことを信ずるものである。併しながら'労働階級がその利益に関して抱く合意をば'有効なものとするがためには'銘々その競争者が自分と同じコースをゆきつつあると確信することが必要JlJt31であるが'そのためには法律の補助が必要ではあるまいかといふことの'例を述べたまでである。」というようにきわめて控え目な表現で述べていることが注目される。第六には'救貧法や植民のように'個人の行為が,自利のためではなく'他人の利益のためにする行為の場合に於けるこれへの政府の干渉もまた認められねばならないという。というのは救貧制度は、他面では個人の勤勉・自立をそこなうというマイナスの作用もあるから'「私見によれば'窮迫なる強壮者に対しては'その救他を個人の自発的慈善に任すよりもむしろ'法律を以て確実に【id41これを養ふ方が'遥かに結構である。」となす。さらに植民事業も'先見・達識の立法者の下においてなすべきで'これを個人にまかしてお-ことはよ-ないという。けだし「植民の事業に政府の干渉するといふ問題は'文明そのものの将来および永久の利害を意味する問題であ-'純粋経済上の此較的狭小な限界を遥かに超出せるものでぁる。しかし'この純粋経済上の点からのみ見るも'人口を地球上の過剰のところから未占居のところへ移すと

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  18. 7灯台、道路、学校などの維持建設

    どこかサーカーを想起させる
    https://yojiseki.exblog.jp/8245790/
    サーカーのプラウト主義経済社会は、バームクーヘン状である。
     ____________________         
    |     国際社会=法人従業員株主   |        
    |  ________________  |              
    | |   国内社会=医療教育無料  | |
    | |  ____________  | |       
    | | |  地方=公共事業運営 | | |
    | | |  ________  | | |
    | | | | 農業=消費組合| | | |
    | | | | 職場=労働協同組合| | | 
    | | | |________| | | |
    | | |小企業分野=公平な競争 | | |
    | | |____________| | |
    | |       土地政策     | | 
    | |________________| |  
    |         環境問題       |   
    |____________________|

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  19. 宇沢弘文の経済学

    ジョン ・スチュア ート ・ミルの 『経済学原理 』と定常状態スミスの 『国富論 』に始まる古典派経済学の本質をきわめて明快に解き明かしたのが 、 1 8 4 8年に刊行されたジョン ・スチュア ート ・ミルの 『経済学原理 』 ( P r i n c i p l e s o f P o l i t i c a l E c o n o m y )である 。その結論的な章の 1つに O n S t a t i o n a r y S t a t e s (定常状態について )がある 。ミルのいう s t a t i o n a r y s t a t eとは 、マクロ経済的にみたとき 、すべての変数は一定で 、時間を通じて不変に保たれるが 、ひとたび社会のなかに入ってみたとき 、そこには 、華やかな人間的活動が展開され 、スミスの 『道徳感情論 』に描かれているような人間的な営みが繰り広げられている 。新しい製品がつぎからつぎに創り出され 、文化的活動が活発に行われながら 、すべての市民の人間的尊厳が保たれ 、その魂の自立が保たれ 、市民的権利が最大限に保証されているような社会が持続的 ( s u s t a i n a b l e )に維持されている 。このようなリベラリズムの理念に適った s t a t i o n a r y s t a t eを古典派経済学は分析の対象としたのだとミルは考えたのである 。国民所得 、消費 、投資 、物価水準などというマクロ的諸変数が一定に保たれながら 、ミクロ的にみたとき 、華やかな人間的活動が展開されているというミルの s t a t i o n a r y s t a t eは果たして 、現実に実現可能であろうか 。この設問に答えたのが 、ソ ースティン ・ヴェブレン ( T h o r s t e i n B u n d e V e b l e n )の制度主義の経済学である 。それは 、さまざまな s o c i a l c o m m o n c a p i t a l (社会的共通資本 )を社会的な観点から最適なかたちに建設し 、そのサ ービスの供給を社会的な基準にしたがっておこなうことによって 、ミルの s t a t i o n a r y s t a t eが実現可能になるというように理解することができる 。現代的な用語法を用いれば 、 s u s t a i n a b l e d e v e l o p m e n t (持続的開発 )の状態を意味したのである 。 【参考文献 】 ─ ─ ○宇沢弘文 ( 1 9 8 9 ) 『経済学の考え方 』岩波新書 ○宇沢弘文 ( 2 0 0 0 ) 『社会的共通資本 』岩波新書

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  20. ミルの定常状態、ソローの成長理論には階級闘争がない
    グッドウィルのように労働者が捕食し、
    カレツキのように資本家側を浪費者と投資家に分けるべきだ

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  21. ミルの定常状態、ソローの成長理論には階級闘争がない
    階級闘争はある
    ただしグッドウィルのように労働者側が捕食するのだし
    カレツキのように資本家側を浪費者と投資家に分けるべきだ

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  22. ミルの定常状態、ソローの成長理論には階級闘争がない
    現実に階級闘争は確かにある
    ただしグッドウィルのように労働者側が捕食するのだし
    カレツキのように資本家側を浪費者と投資家に分けるべきだ

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  23. ミルの定常状態、ソローの成長理論には階級闘争がない
    現実に階級闘争は確かにある
    ただしグッドウィルのように労働者側が捕食するのだし
    カレツキのように(名目は労働者側の種類を増やすように見えたが)
    資本家側を浪費者と投資家に分けるべきだ

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  24. 西洋経済古書収集ーミル,『経済学原理』
    http://www.eonet.ne.jp/~bookman/19seiki/millprinciples.htm

     続いて分配篇は、私有財産制を社会主義(共産主義はその極限とするが、
    区別は明確ではない)と関連付けて論じる。次に私有財産制の分配要因とし
    て競争と慣習をあげる。慣習を分配要因とするのが奴隷制、自作農、分益農で
    あり、競争を要因とするのが入札小作農、三階級制(労働者・資本家・地主階級)
    である。慣習による共同体経済と競争による市場経済について述べている。
    そして、賃金論・地代論・利潤論でこの篇を終わる。
     この分配篇では、初の部分である社会主義思想を論じた箇所、一種の比較
    経済体制論をもう少し見ておく。その論調は、版を重ねる毎に、これらの
    社会主義思想に対する同情が深まって行った。ミルは、共産主義よりも社会主義、
    サン・シモン主義よりはフーリエ主義の方に好意的である。フーリエ主義は、
    全員に最低限の生活資料を分配した後、残余の生産物を労働、資本、および
    才能の三要素へ割り当てるものである。
     ミルは、資本主義(私有財産制)と共産主義とを比べる場合、とかく資本主義は
    現実のもの、共産主義は理想的なもの(「今日観念上に存在するに過ぎない」)
    を取り上げ比較しがちで、不公平であるとする。今日のような実質上労働者の
    移動・職業選択の自由がない社会、女性が隷属している(資本主義)社会は
    比較の対象ではない。また自らの労働と制欲の果実以外を保証するのは私有性
    の本質ではない。

    「結局、しかもおそらくは予想以上に近い将来において、私たちは、協同組合の
    原理によって一つの社会変革にたどりつく道を・・・もちうるであろう」。協同組織は
    その成功を得るための唯一の手段である(邦訳Ⅳ,p.176)。

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  25. 
ミルの定常状態、ソローの成長理論には階級闘争がないが
現実に階級闘争は確かにある

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