NAMs出版プロジェクト: ピグーの不遇:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_78.html(本頁)
ピグー効果 pigou effect:補記
https://nam-students.blogspot.com/2019/04/blog-post_75.html
NAMs出版プロジェクト: マーシャル,Alfred Marshall
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/alfred-marshall.html
NAMs出版プロジェクト: パレート最適:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_82.html
ケインジアンの交差図
http://nam-students.blogspot.jp/2015/03/blog-post_12.html
NAMs出版プロジェクト: コースの定理 Coase's theorem
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/coase-theorem.html
http://nam-students.blogspot.jp/2016/07/coase-theorem.html
アマルティア・セン
ピグー
雇用を増やすためには賃金を下げるべきだとピグーは主張し、
ケインズにバカにされたが(諸説ある)、
ワークシェアを主張したと思えば的外れではない。
それが難しいというだけの話で。
ピグーの不遇は、まだ続いている。
『富と厚生』(1912年,『厚生経済学』1920年の前身)1:3☆☆におけるマーシャル評価、国民分配分の評価はピケティにつながる。☆☆
参考:
下記邦訳初版519頁でワークシェアの難しさが論じられている。
ローマー『上級マクロ経済学』(Advanced Macroeconomics by David Romer)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/advanced-macroeconomicsdavid-romer.html
NAMs出版プロジェクト: ピケティ関連:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_30.html
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_30.html
ピグー効果
解説
物価と貨幣賃金が十分に下落すれば、消費者が保有している資産の実質的な価値が上がることにより、消費が増大(IS-LMモデルで言えば、IS曲線が右にシフト)し、雇用と生産が増え、完全雇用が達成される[4]とアーサー・セシル・ピグーは考えた。すなわち、ピグー効果を前提に考えると、仮に経済が不景気に陥り、失業(貨幣賃金の低下)が発生すると、デフレ状態になり、ピグー効果によって消費の増大(需要の増大)が起こり、そして雇用の増大がなされ、経済は自動的に(自己修正的に)景気回復へ向かうだろうということが言える。このピグー効果という用語は新古典派経済学者であるアーサー・セシル・ピグーの名前をとってドン・パティンキンが1948年に使いはじめた[5][6][7]。
しかしながら、G.バーバラーやT.シトフスキーはピグー以前にも同じ所得効果を指摘しており、現在では実質残高効果や資産効果と呼ぶことも多い[8]。ピグー効果が示された論文として有名なのは1943年のピグーの論文「The Classical Stationary State」である。なお、ピグーは新古典派の経済学者であることに留意する必要がある。
ここで、資産(wealth)とは、ピグーによって、マネーサプライと国債の和を物価で割ったものと定義されている[1]。ピグーは、賃金引下げによって物価(生産物の貨幣価格)が下がることによって、資産の実質価値が大きくなり、その実質購買力の増加が生ずるので、これが支出(特に消費支出)を刺激し、雇用が拡大すると論じた[9]。これがピグ―効果である。
彼は次の点が明記されていないジョン・メイナード・ケインズの『一般理論』は不十分であると論じた。すなわち、実質残高と現在の消費のつながりと、このような富効果が総需要の落ち込みに対して、ケインズが予測したよりも経済をより「自己修正的」にするだろうという点である[1]。
ケインジアンとの論争
古典派の経済学者であったピグーは、彼ら古典派経済学者の基本的な信念である「技術等の諸条件が一定のもとで、もし労働者が競争的賃金政策に従うならば、経済体系は最終的には必ず完全雇用-定常状態に向かう」[10]という命題を論証する論文「The Classical Stationary State」を1943年に発表した。その中で述べられたのがピグー効果である。すなわち、貨幣賃金の引き下げが起こったとしても、ピグー効果によって(貨幣賃金および貨幣価値が完全に伸縮的であれば)自動的に完全雇用が達成されるというものである。
しかしながら、この「貨幣賃金の引き下げが結果的に雇用を拡大する」というアイデアに対しては、「不況や失業を克服するためには政府が積極的に介入するべき」という立場を取るケインジアン達から批判が起こった。本郷亮 (2013)によれば、ピグーとケインジアンの論争は第一期と第二期に分けられるが[11]、第一期はピグーとケインジアンであるニコラス・カルドア(およびジョン・メイナード・ケインズ)の論争である。ピグーとケインジアンの学者達は1937-38年の間に失業論争と呼ばれる論争を繰り広げた[12]。ピグーは1937年に「貨幣賃金の引き下げが完全雇用を達成させる」という趣旨の「Real and Money Wage Rates in Relation to Unemployment」という論文を発表し、これが失業論争の発端となった。この1937年の論文では、ピグーは暗黙のうちに彼自身が1933年に発表した論文「The Theory of Unemployment(失業の理論)」から踏襲していた「貨幣賃金の下落は利子率を上昇させる」という立場を取っていた(一方でケインズは一般理論において貨幣賃金の下落は利子率を下落させるという主張をしていた)。ピグーは1933年の「The Theory of Unemployment(失業の理論)」のときから、次のような議論に反対していた。すなわち、貨幣賃金が下がったとしても、同様に物価が下がってしまうので、実質賃金は下落せず、雇用の拡大は起こらないという議論である[13]。ピグーはこの議論に反対し、所得が産業活動に直接の影響を受けない「固定所得階級」を想定すれば、貨幣賃金の切り下げは雇用を拡大するとした[12]。すなわち、もしそのような固定所得階級が存在するなら、貨幣賃金が切り下げされても、物価の下落の程度は常に貨幣賃金の下落の程度よりも小さくなる。すると、貨幣賃金の切下げによって実質賃金が下落することになり、労働力が割安となるため、雇用が拡大する、というのがピグーの主張である。この前提によって、ピグーは平均貨幣賃金の下落が常に総雇用を上昇させるモデルを設定した[12]。この考えの下、ピグーは、貨幣賃金の切り下げは、固定所得階級が存在することで経済を直接的に活性化させるため、総貨幣需要を増加させ、結果として、貨幣賃金の切り下げは利子率を上昇させると彼は考えた。ピグーは1937年の論文「Real and Money Wage Rates in Relation to Unemployment」でも暗黙のうちに「貨幣賃金の切り下げは利子率を上昇させる」という立場を取っていた[12]。
しかし、このピグーの論文に対してカルドアとケインズは同じく1937年に「Prof. Pigou on money wages in relation to unemployment」というピグーに反論する論文を発表している(2人は同じ題で論文を載せたが、ケインズの論文とカルドアの論文は別々のものであり、ケインズの論文にカルドアの論文が添付されるというような形式で提出されたため、共同研究というわけではない)。ケインズは、「ピグーは貨幣賃金と利子率の間に直接の関連があることを見逃しており、ピグーの理論が正しくあるためには、貨幣賃金率が平均貨幣供給量の変動に応じて変化していなければいけない」[14]と述べた。 しかしながら、ピグーが認めたのはケインズの反論ではなく、カルドアの反論だった。カルドアは数学的な手法を使い、ピグーのモデルは貨幣賃金の下落が利子率の下落を伴わない限り雇用を増大させないことを数学的に証明した[14]。また、カルドアの反論は、J.R.ヒックスが1937年に創始したIS-LMモデル[15]によって説明することができる。すなわち、貨幣賃金が下落し、物価が下落したとすると、IS-LMモデル上ではLM曲線が右にシフトすることになる。しかし、もし流動性の罠が発生しているならばLM曲線が右にシフトしても利子率は下落せず、投資も増えることはなく、雇用も増えない。ピグーは1938年のカルドアへの返答論文で自身の誤りを認めた。このカルドアの論文はケインズとの連名で提出され、経済誌であるEconomic Journal47巻の743ページから753ページに掲載された[16]。なお、743-745ページがケインズによるもので[17]、745-753ページがカルドアによって書かれたものである[18]。
本郷亮 (2013)によれば、第二期は1941年に発表されたピグーによる論文「Employment and Equilibrium」以後のものである[11]。この第二期の議論は1941-50年の間に展開されたが、これらの議論はマーシャル体系とケインズ体系の一般化をめざす試みとして理解されている[19]。1943年にはピグーによって冒頭の「The Classical Stationary State」が発表された。この論文ではピグーは次のようにピグー効果を説明している。つまり、たとえ経済が流動性の罠に陥っていても、十分に貨幣賃金が下がり、物価が下がることで、資産の実質価値が上昇する。すると、この実質価値の上昇が、資産の実質購買力の上昇をもたらすため、支出(特に消費支出)が刺激され、その結果、雇用が拡大するというものであった[20]。この新しいルートであれば、たとえ利子率が下がらずとも支出が刺激され増加し、雇用が増大する[20]。IS-LMモデルで言えば、IS曲線が右にシフトし、完全雇用が達成される。ドン・パティンキンはこのような物価下落のもたらす消費の増大を「ピグー効果」と名付けた。これは実質残高効果とも呼ばれる。実質残高効果に対する反論としてはケインジアンであるミハウ・カレツキの1944年の論文 「Professor Pigou on “The Classical Stationary State”: A Comment」などがある。
モデルによる説明
日本のデフレとピグー効果
消費者物価指数で見ると、日本は90年代後半から10年以上デフレに陥っていた[24][25]。ピグー効果を考慮するなら、(たとえ流動性の罠に陥っていたとしても)日本経済は物価下落によって消費の増大がもたらされていたはずであろう。しかしながら、デフレによって日本の家計の消費が刺激されることはほとんどなく、内閣府は以下のようにまとめている[26][27]。
家計全体では、借金よりも預金等の金融資産の方が多いため、物価下落による実質資産残高効果(保有資産の実質価値が増加する効果)により、消費を増加させることが考えられる。しかし、これまでの研究によれば、我が国の場合、家計の実質資産残高効果はあまり大きくない。また、(…中略…)消費者物価が下落している99年以降、ローン返済家計の消費の減少度合いが大きいことからも、家計全体での実質資産残高効果はさほど大きくないと考えられる。 — 内閣府、平成13年度 年次計画財政報告[26]
こうした資産・債務を通じた効果とは別に、デフレは、人々に物価下落が継続するという見通しを生み、経済の先行きに対する不透明感を高めることによって、消費等への買い控えを引き起こすといった可能性も考えられる。 — 内閣府、平成13年度 年次計画財政報告[26]
わが国の貯蓄水準は高く、デフレ不況が続く中でも高い水準を維持している。物価の下落は貯蓄の実質的な価値を高める効果があり(実質資産残高の増加)、また、消費者物価の下落を考慮した実質金利も90年代後半以降名目金利を上回っている。デフレはこのような経路を通じて、貯蓄を持つ人々の支出を増加させると考えられるが、現実にはどうであろうか。日本銀行「生活意識に関するアンケート調査(第16回)」(2003年3月)によれば、1年前と比べて支出を減らしている理由として、「低金利で金利収入が少ないから」と答える人が18.3%となっており、実質的な貯蓄の増減よりも手取り収入を意識している人が多い。このような錯覚が生じることの影響などから、実質資産残高の増加による消費の刺激効果は小さいと考えられる。 — 内閣府、国民生活白書[27]
脚注
- ^ a b c Pigou effect(英語)(July. 10, 2014, 19:53 UTC)参照
- “資産効果とは”. 金融・経済用語辞典. 2014年8月25日閲覧。
- “資産効果”. 金融用語辞典. Infobank マネー百科 by ARTIS. 2014年8月25日閲覧。
- 本郷亮 2013, p. 185.
- Patinkin, Don (September 1948). “Price Flexibility and Full Employment”. The American Economic Review 38 (4): 543-564.
- Hough, Louis (June 1955). “An Asset Influence in the Labor Market”. Journal of Political Economy 63 (3): 202-215.
- Takami, Norikazu (April 2011). “Managing the Loss: How Pigou Arrived at the Pigou Effect”. HOPE Center Working Papers.
- 本郷亮 2013, p. 192.
- 漆崎健治 1982, p. 153.
- 本郷亮 2013, p. 189.
- ^ a b 本郷亮 2013, p. 190.
- ^ a b c d 高見典和 2010, p. 96.
- 高見典和 2010, p. 95.
- ^ a b 高見典和 2010, p. 97.
- J. R. Hicks (April, 1937)“Mr. Keynes and the Classics – A Suggested Interpretation”. Econometrica 5: 147–159
- J.M.Keynes & N.Kaldor 1937.
- J.M.Keynes & N.Kaldor 1937, p. 743-745.
- J.M.Keynes & N.Kaldor 1937, p. 745-753.
- 本郷亮 2013, p. 191.
- ^ a b 漆崎健治 1982, p. 152.
- 高見典和 2010, p. 99-100.
- 高見典和 2010, p. 99.
- 高見典和 2010, p. 100.
- 中沢正彦 (2010-02). “(シリーズ「日本経済を考える」(1))デフレと日本経済” (PDF). ファイナンス: 71.図表1参照
- IMF World Economic outlook 2014 April edition
- ^ a b c 内閣府 (2001年12月). “平成13年度 年次経済財政報告(経済財政政策担当大臣報告)”. 2014年8月25日閲覧。
- ^ a b 内閣府 (2003年). “(第1章 デフレ下の国民生活 第6節 デフレと金融資産の選択行動の変化)「実質資産残高効果による消費刺激は小さい」”. 平成15年版 国民生活白書~デフレと生活-若年フリーターの現在(いま)~. 2014年8月25日閲覧。
参考文献
- 高見典和「ピグー効果の形成過程―ケインズ一般理論前後におけるピグー失業率の連続性 (PDF) 」 『経済学史学会大会報告集 第74回 全国大会』、経済学史学会、2010年、 95-100頁。
- 本郷亮「<翻訳>A.C.ピグー「古典派の定常状態」(1943年)-邦訳と解題- (PDF) 」 『経済学論研究』第62巻第2号、2013年、 177-197頁。
- A. C. Pigou (1943). “The Classical Stationary State”. Economic Journal 53 (212): 343-351.
- J.M.Keynes; N.Kaldor (1937). “Prof. Pigou on Money Wage in Relation to Unemployment”. Economic Journal 47: 743-753.
- 漆崎健治 (1982). “貨幣供給と資産効果” (PDF). 商學論集 (福島大学経済学会): 151-185.
関連項目
ピグー税
Pigovian tax - Wikipedia
https://en.wikipedia.org/wiki/Pigovian_tax- Pigou, A.C. II, Chapter IX: Divergences Between Marginal Social Net Product and Marginal Private Net Product in The Economics of Welfare (1932)
Pigou, The Economics of Welfare, Part II, Chapter 9 | Library of Economics and Liberty
http://www.econlib.org/library/NPDBooks/Pigou/pgEW20.html#Part%20II,%20Chapter%209%7CPart
厚生経済学 2
著者名等 ピグウ/著
著者名等 気賀健三/〔ほか〕共訳
出版者 東洋経済新報社
出版年 1954.4
大きさ等 22cm 422p
注記 The economics of welfare. 4th ed./の翻訳 監修
:永田清
NDC分類 331.74
件名 厚生経済学
内容 内容:第2部国民分配分の大きさと各種用途間の資源の配分
書誌番号 3-0190335903
邦訳『富と厚生』2:7に対応。
《10 明らかに,今考察したような種類の私的純生産物と社会的純生産物の乖離は,借地法による乖離のように,契約を結ぶ当事者間の契約関係の変更によっては緩和できない。なぜなら前者の乖離は,契約当事者以外の他人が被る用役や負の用役によって生じるからである。しかし政府は,その気になればどんな分野でも,その分野の投資に対する「特別な奨励」や「特別な抑制」によって,その乖離をなくすことができる。これらの奨励や抑制がとるだろう最も明白な形態は,むろん補助金および租税という形態である。この両面からの介入政策の一般的例証は,容易に挙げられる。アルコール飲料の生産や流通に対する投資の私的純生産物は,その社会的純生産物に比べて過度に大きい。したがってほとんどすべての国で, これらの産業には特別の税が課せられている。マーシャル博士が提案したのは,同じ原理を,密集地域のさらなる建築に向けられる資源の場合にも適用することだつた。》180~1頁
東洋経済厚生経済学2では80頁#13に対応している。
2冒頭、ピグーはアダム・スミスを引用し、反論を付け加える形で「見えざる手」に対抗する。
《こうして、異常な奨励によって特定種類の産業へ、その社会の資本のうちで自然にそこへいったであろうよりもおおきなわけまえを、ひきよせようと努力するか、あるいは、異常な抑制によって特定種類の産業から、資本のうちで、さもなければそこで使用されたであろうあるわけまえを、むりにひきだそうと努力するかする、あらゆる体系は、じっさじっさいは、それが促進しようとおもう大目的を破壊するのである。それは、その社会がほんとうの富と偉大さにむかって進歩するのを、加速するかわりに阻止するのであり、その土地と労働の年々の生産物のほんとうの価値を、増大させるかわりに減少させる。》国富論4:8(河出版)
ピグウ厚生経済学2
128頁
2:8
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アーサー・セシル・ピグー - Wikipedia
アーサー・セシル・ピグー(Arthur Cecil Pigou、1877年11月18日 - 1959年3月7日)は、イギリスの経済学者。経済学者アルフレッド・マーシャルの後継者であり、「厚生経済学」と呼ばれる分野の確立者として知られる(その名称は、彼の主著『厚生経済学』初版1920年に由来する)。
兄弟弟子であったジョン・メイナード・ケインズが反古典派経済学であるケインズ経済学を立ち上げ、それに真っ向から対立し古典派経済学を擁護した。古典派経済学が影響力を失っていくなかで最後まで古典派の立場に立ち擁護したことから「古典派最後の経済学者」と称される。
///////////
☆
厚生経済学の第一、第三命題
(1) 他の事情が不変ならば,国民分配分の増大は経済的厚生を増大する傾向がある(成長),(2)… 略…(平等),
(3) 国民分配分の変動が少くなるほど経済的厚生が増大する傾向がある(安定),
将来消費C2
|
|
|o
| o
| o
| ↗︎ o
| ↗︎
| o
|_______o____現在消費C1
C1とC2とで異なる世代の消費。↗︎は成長。
(図解は本郷亮『ピグーの思想と経済学』名古屋大学出版会 2007年,129頁)
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厚生経済学(こうせいけいざいがく)とは - コトバンク
https://kotobank.jp/word/%E5%8E%9A%E7%94%9F%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-62429
厚生経済学 こうせいけいざいがく The Economics of Welfare
イギリスの経済学者 A.C.ピグーの主著で,厚生経済学の古典。 1920年刊。 A.マーシャルの経済学に基づいて基数的効用,個人間の効用比較を前提とする厚生経済学を確立した。ピグーは実質国民所得を国民分配分と呼び,次の3つの規範的命題,すなわち (1) 他の事情が不変ならば,国民分配分の増大は経済的厚生を増大する傾向がある(成長),(2) 他の事情が不変ならば,国民分配分のうち貧者に属する部分が増加し,分配がより平等になるほど経済的厚生が増大する傾向がある(平等),(3) 国民分配分の変動が少くなるほど経済的厚生が増大する傾向がある(安定),を判断基準として,それらを実現するように公共政策を提案した。
*
ピグーの三命題は富と厚生の1:2☆
邦訳63,66,72頁成長、平等、安定。それぞれの優先度は変化する。本郷178頁。
シジウィック(一元的)→ムーア(多元的)は、ピグー→ケインズと対応する。本郷281頁。シジウィックは二元論のような気もするが…
厚生経済学の第二基本定理
http://d.hatena.ne.jp/eliya/20080407/1207528138
2008-04-07
消費者余剰 鉄工場の利潤 漁民の損失 政府の税収
+)__A____B+C+Y___-C____-Y____
A + B(総余剰)
《ピグー税を使ってもピグー補助金を使っても、総余剰はA+Bで同じであ
るが、その分け方が違う…》(神取4:1,264頁)
http://sticerd.lse.ac.uk/seminarpapers/psych24052017.pdf
1For a review of the history of theories of discounting see Loewenstein (1992).
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厚生経済学の第二基本定理
厚生経済学の第2定理・・・財の総量を一定としたときの任意のパレート最適な配分は、適当な初期保有量の再分配から出発する市場均衡として達成される。
(上記定義は、ドーフマン、サミュエルソン、ソロー『線型計画と経済分析』1958年より)
|\ o
| \
x2| \ o X
|o \
| o\o
| o\o
| Y o\ o o
| o\
|______o_\____
x1
X消費、Y生産。一致点がある。
(上記定義は、ドーフマン、サミュエルソン、ソロー『線型計画と経済分析』1958年より)
|\ o
| \
x2| \ o X
|o \
| o\o
| o\o
| Y o\ o o
| o\
|______o_\____
x1
X消費、Y生産。一致点がある。
上記図は、神取道宏『ミクロ経済学の力』(502頁~)より
参照:NAMs出版プロジェクト: 『ミクロ経済学の力』神取道宏 著(2014年):書評&目次
http://nam-students.blogspot.jp/2015/02/blog-post_82.html
http://nam-students.blogspot.jp/2015/02/blog-post_82.html
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厚生経済学の基本定理(こうせいけいざいがくのきほんていり、英: Fundamental theorems of welfare economics)とは、以下のパレート効率性と競争均衡配分の関係について述べた2つの定理のことである。1950年代にケネス・アローとジェラール・ドブルーが厳密な数学的証明を与えた。
厚生経済学の第一基本定理:
消費者の選好が局所非飽和性を満たせば、競争均衡によって達成される配分はパレート効率的である、というものである。局所非飽和性とは、どんなにわずかにでも消費量の増減が許されるならば、より好ましい消費量を実現できるという仮定である。
厚生経済学の第二基本定理
局所非飽和性に加え選好の凸性などのしかるべき追加的条件の下で、任意のパレート効率的配分は、適当な所得分配を行うことによって競争均衡配分として実現可能であるというものである。
厚生経済学の第一基本定理:
消費者の選好が局所非飽和性を満たせば、競争均衡によって達成される配分はパレート効率的である、というものである。局所非飽和性とは、どんなにわずかにでも消費量の増減が許されるならば、より好ましい消費量を実現できるという仮定である。
厚生経済学の第二基本定理
局所非飽和性に加え選好の凸性などのしかるべき追加的条件の下で、任意のパレート効率的配分は、適当な所得分配を行うことによって競争均衡配分として実現可能であるというものである。
第一定理の解釈::
私的所有制完全競争経済において、需給法則に基づく価格メカニズムを通じてパレート効率性という望ましい資源配分が実現できることを示しているというのが、厚生経済学の第一基本定理に対する有力な見方である。この定理はアダム・スミスの「(神の)見えざる手」を資源配分の文脈で理論的に再構成しているという見方もある。
このような見方に基づいて、パレート効率性を達成するためには、特に政府は経済に介入すべきではないという結論が引き出される事が多い。但し、このような政策を正当化するには、競争均衡が実体経済で実現するという想定が適当か否かを考える必要がある。例えば、完全競争の想定は適当であるか、私有制が確立しているのか(所有権の明確性)、なんらかの要因で市場は欠けていないか、経済に競争均衡が存在する為の条件がみたされているのか(規模に関する収穫非逓増、選好の凸性など)などについて検討する必要がある。また、外部性や公共財がある経済は、古典的な私的所有制経済には含まれないため、この定理の大前提は成り立たず、競争均衡は一般にパレート効率性を達成しない(このような状態を市場の失敗という)ことにも注意しなければならない。
私的所有制完全競争経済において、需給法則に基づく価格メカニズムを通じてパレート効率性という望ましい資源配分が実現できることを示しているというのが、厚生経済学の第一基本定理に対する有力な見方である。この定理はアダム・スミスの「(神の)見えざる手」を資源配分の文脈で理論的に再構成しているという見方もある。
このような見方に基づいて、パレート効率性を達成するためには、特に政府は経済に介入すべきではないという結論が引き出される事が多い。但し、このような政策を正当化するには、競争均衡が実体経済で実現するという想定が適当か否かを考える必要がある。例えば、完全競争の想定は適当であるか、私有制が確立しているのか(所有権の明確性)、なんらかの要因で市場は欠けていないか、経済に競争均衡が存在する為の条件がみたされているのか(規模に関する収穫非逓増、選好の凸性など)などについて検討する必要がある。また、外部性や公共財がある経済は、古典的な私的所有制経済には含まれないため、この定理の大前提は成り立たず、競争均衡は一般にパレート効率性を達成しない(このような状態を市場の失敗という)ことにも注意しなければならない。
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厚生経済学の基本定理
詳細は「厚生経済学の基本定理」(前出↑)を参照
「競争的市場で均衡が達成されるときは、他の誰かの厚生を引き下げないかぎり、もはや誰の厚生も高めることができない状態にある」ということを「厚生経済学の基本定理」という。いいかえると、「すべての競争均衡はパレート最適点であり、すべてのパレート最適点は競争均衡である」と表すことができる。
この定理を前半と後半に分けて、「厚生経済学の第1定理」と「厚生経済学の第2定理」と呼ぶこともある。
- 厚生経済学の第1定理・・・完全競争で達成される市場均衡は、パレート最適である。
- 厚生経済学の第2定理・・・財の総量を一定としたときの任意のパレート最適な配分は、適当な初期保有量の再分配から出発する市場均衡として達成される。
歴史的な3つのアプローチ
広義の厚生経済学は、新古典派厚生経済学、新厚生経済学、新新厚生経済学という3つのアプローチがある。
- 新古典派厚生経済学では、マーシャル、エッジワース、シジウィック、ピグーなどがこの分野を開拓した。効用が基数性を持つ、つまり体積のように2倍とか1.5倍とか示せると考え、さらに同じ効用が何度も消費されるとそこから得られる快感が減る(限界効用逓減)、とも考えた。すべての個人が求める効用は性質が等しい、したがって一方の人の欲求と他の人の欲求を比較することは可能である。この仮定は、すべての個人の効用を合計することによって、社会厚生の最大値を算出することができる、という結論へ導く。彼らはベンサムの「最大多数の最大幸福」という格率(公理)を受けいれ、経済活動における合理的な選択と個人と社会の利益が一致することを確信していた[1]。
- 新厚生経済学によるアプローチは、パレート、ヒックス、カルドアの仕事に基礎をおいている。彼らは、効率と分配を明確に区別し、それぞれを別に扱っている。効率の問題は「パレート効率」や「カルドア=ヒックス補償テスト」のような基準が想定され、所得分配の問題は社会政策により不平等を是正することで解決する。効率は、効用の量的な尺度を必要としない。効率を分析するには序数、つまりどれを先に満たすかという優先順位であらわせる効用のみで十分なのだ、とする立場をとる。
- 新新厚生経済学は、バーグソンとサミュエルソンが社会的厚生関数を導入して発展させた理論である。社会的厚生関数を導入すれば、資源配分の効率性の面からはパレート最適を実現している上、その中でも最も高い社会的厚生関数に到達する点を見出すことで、社会的最適点を決定できる。このことから、これ以降の厚生経済学の展開を新新厚生経済学ということがある。
参照文献
- 小島寛之 『使える!経済学の考え方 : みんなをより幸せにするための論理』 筑摩書房〈ちくま新書〉、2009年。ISBN 9784480065094。
- 本郷亮『ピグーの思想と経済学』名古屋大学出版会 2007年
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経済学者のための?グラフツールGeoGebra - eliyaの日記http://d.hatena.ne.jp/eliya/20080407/1207528138
2008-04-07
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参考:ピグー税とピグー補助金
4:4 ピグー政策と余剰の分配
公害を出す鉄生産者への課税or公害対策への補助金を出すケースの図解。
被害者である漁民への損失補填(Cと同額がベスト)もあり得る。MCは限界費用。Dは需要曲線。
(a)ピグー税下の余剰
|
|\ 社会的限界費用
| \ /
|A \ /
鉄の価格|___\/
| /\ MC
|B / |\/
| / |/\
|/ピグー/ \D
|C 税/|
| / |
| / |
|/___|_________
Q*
最適生産
消費者余剰 鉄工場の利潤 漁民の損失 政府の税収
+)__A_____B_____-C_____C____
A + B(総余剰)
(b)ピグー補助金下の余剰
|
|\ 社会的限界費用
| \ /
|A \ /|
鉄の価格|___\/ ←ピグー補助金
| /\ |
鉄|B / |Y/MC
工| / |/\
場|/ / |\D
の|C /| |
収| /X| |
入| /生産| |
|/コスト|_|________
Q* Q**
最適生産
4:4 ピグー政策と余剰の分配
公害を出す鉄生産者への課税or公害対策への補助金を出すケースの図解。
被害者である漁民への損失補填(Cと同額がベスト)もあり得る。MCは限界費用。Dは需要曲線。
(a)ピグー税下の余剰
|
|\ 社会的限界費用
| \ /
|A \ /
鉄の価格|___\/
| /\ MC
|B / |\/
| / |/\
|/ピグー/ \D
|C 税/|
| / |
| / |
|/___|_________
Q*
最適生産
消費者余剰 鉄工場の利潤 漁民の損失 政府の税収
+)__A_____B_____-C_____C____
A + B(総余剰)
(b)ピグー補助金下の余剰
|
|\ 社会的限界費用
| \ /
|A \ /|
鉄の価格|___\/ ←ピグー補助金
| /\ |
鉄|B / |Y/MC
工| / |/\
場|/ / |\D
の|C /| |
収| /X| |
入| /生産| |
|/コスト|_|________
Q* Q**
最適生産
消費者余剰 鉄工場の利潤 漁民の損失 政府の税収
+)__A____B+C+Y___-C____-Y____
A + B(総余剰)
《ピグー税を使ってもピグー補助金を使っても、総余剰はA+Bで同じであ
るが、その分け方が違う…》(神取4:1,264頁)
なお、奧野ミクロでは違う図で説明をしている。
奧野ミクロ320頁,図表集pdf38頁
(ピグー税とピグー補助金は全く逆の操作だが同じ効果を持つ。神取ミクロはもっとシンプルな図を採用していたが、奥野はマクロ的な変換をしている。)
CiNii 論文 - ピグー厚生経済学の一側面 : 初期ピグーにおけるH.シジウィックの影響
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000050822
ピグー厚生経済学の一側面 : 初期ピグーにおけるH.シジウィックの影響
On the Contribution of H.Sidgwick to Pigouvian Welfare Economics
本郷 亮 Hongo Ryo 関西学院大学経済学研究科
以下の説明の方がいい、
公務員試験 最初でつまずかない経済学 ミクロ編 - 実務教育出版
106~7頁
ピグー税
外部不経済発生企業に対して「課税」を行う場合(これをピグー税またはピグー的課税という)、課税というコストの上昇によって、その企業は製品の価格を上げざるをえません。
【外部経済と政府の政策】
P|
|\ (本来あるべき)SMC社会的限界費用
| \ /
| \ /
|パレー\/↖︎ピグー税
|ト最適/\ /PMC私的的限界費用
| / |\/
| / |/\
|/ / \
| /| \D
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| / |
|/___|_________
0 Q
|\ (本来あるべき)SMC社会的限界費用
| \ /
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|パレー\/↖︎ピグー税
|ト最適/\ /PMC私的的限界費用
| / |\/
| / |/\
|/ / \
| /| \D
| / |
| / |
|/___|_________
0 Q
ピグー的補助金
一方、外部不経済に対して「補助金支給」を行う場合(これをピグー的補助金またはピグーによる補助金という)、補助金の支給を受けたその企業は、資金面で楽になったので価格を引き下げて、生産(サービス)を増加させることができます。
つまり、私的限界費用曲線PMCの下方シフトによって、社会的限界費用曲線SMCと需要曲線が一致する。本来あるべき均衡点で生産(供給)することができれば、パレート最適が達成されます。
【外部経済と政府の政策】
P|
|\ PMC私的的限界費用
| \ /
| \ /
| \/ピグー的補助金
| /\ ↘︎/(本来あるべき)SMC社会的限界費用
| / |\/
| / |/\パレート最適
|/ / \
| /| \D
| / |
| / |
|/___|_________
0 Q
|\ PMC私的的限界費用
| \ /
| \ /
| \/ピグー的補助金
| /\ ↘︎/(本来あるべき)SMC社会的限界費用
| / |\/
| / |/\パレート最適
|/ / \
| /| \D
| / |
| / |
|/___|_________
0 Q
以下、
リチャード・セイラー著 遠藤真美訳『行動経済学の逆襲』早川書房、2016年関連
2017年5月24日 ... Pigou (1920) similarly observed “that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right ... upcoming pothole and estimates that it is small. ... imperfect foresight makes agents appear to behave more impatiently than implied by their ...... (1921 ), both of whom are quoted in the introduction of this paper.
Pigou (1920) similarly observed
“that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right explanation is proved by the fact that exactly the same diminution is experienced when, apart from our tendency to forget ungratifying incidents, we contemplate the past.1”
Pigou believed that our imperfect ability to forecast the future mirrors our imperfect ability to recall the past.
http://sticerd.lse.ac.uk/seminarpapers/psych24052017.pdf
1For a review of the history of theories of discounting see Loewenstein (1992).
Alfred C. Pigou - 2006 - プレビュー - 他の版
But this preference for present pleasures does not — the idea is self-contradictory — imply that a present pleasure of given magnitude is ... It implies only that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right explanation is proved by the fact that exactly the same diminution is experienced when, apart from our tendency to ...- The Economics of Welfare, 1920.
- 「それ[経済学]は、人間生活の改良の道具である。我々の周りの貧苦と惨めさ、数百万のヨーロッパ人の家庭で消えようとしている希望の明かり、一部の豊かな家庭の有害な贅沢、多数の貧しい家庭を覆う恐るべき不確実性、これらは無視するにはあまりにも明白すぎる悪である。我々の科学が追い求める知識で、これらを統御することができる。暗黒から光を!」(ピグー『厚生経済学』序文)
- Thaler, Richard H. 2015. Misbehaving: The Making of Behavioral Economics. New York: W. W. Norton & Company. ISBN 978-0-393-08094-0.
- リチャード・セイラー著 遠藤真美訳『行動経済学の逆襲』早川書房、2016年
- 1921年
「将来を見透すわれわれの望遠能力には欠陥があり……したがって、将来の快楽は小さく見えてしまう」というピグーの言葉はよく知られている(5)。
5 Pigou (1932),時間選好の概念の変遷が見事に概括されているLoewenstein (1992)に引用.
Loewenstein, George. 1992. “The Fall and Rise of Psychological Explanations in the Economics of Intertemporal Choice.” In George Loewenstein and Jon Elster, eds., Choice Over Time,. 3-34. New York: Russell Sage Foundation.
p.15
#11
異時点間選択の〝現代的〟理論を最初に提示したのが、アーヴィング・フィッシャーである。1930年に発表された古典的著作『利子論』で、いまではミクロ経済学を教えるときの基本ツールとなっている無差別曲線を使い、所与の市場金利の下で、個人が異なる2つの時点において消費をどのように選択するかを示した。フィッシャーの理論は、分析に使われているツールでも、理論が規範的であるという点でも、現代的理論と呼ぶ…
1776年のアダム・スミスを見ても、1930年のアーヴィング・フィッシャーを見ても、経済学者がヒューマンを見据えて異時点間選択を考えていたことはまちがいない。
1930
Fisher, Irving. 1930. The Theory of Interest: As Determined by Impatience to Spend Income and Opportunity to Invest It. New York: MacMillan. [『利子論』気賀勘重・気賀健三訳,日本経済評論社]
#22
合理的な世界では、取引量はそれほど多くならないだろう。むしろほとんどないはずである。経済学者はしばしばこれを「グルーチョ・マルクスの定理」と呼ぶ(1)。グルーチョはアメリカの昔の喜劇俳優で、「自分をメンバーに迎えるようなクラブなんて入りたくない」という名言を残している。このジョークには、経済学バージョンがある。「他の合理的経済主体が売りたがるような株式なんて買いたくない」──だ。案の定というか、ジ
第22章 1 このアイデアはMilgrom and Stokey (1982)で定式化された.
シジウィックと現代功利主義
返信削除著者名等 奥野満里子/著 ≪再検索≫
出版者 勁草書房
出版年 1999.05
大きさ等 22cm 313,18p
注記 並列タイトル:Sidgwick and the contemporary uti
litarianism
NDC分類 133.4
件名 シジウィク ヘンリー
Sidgwick Henry.
要旨 シジウィックはまだ超えられていない。自愛・博愛・正義の三原理を提起し、厳密な分析
を施したシジウィックの仕事を検証、翻って現代倫理学の不備を衝く。
目次 1 シジウィックの倫理学説(「倫理学」の射程;『倫理学の諸方法』の概略;基本的な
道具立て;基本概念の分析 ほか);2 現代功利主義の再検討(道徳的直観に訴えない
アプローチ;快楽説再考;選好強度の個人間比較と、効用の総和最大化;「実践理性の二
元性」の調停 ほか)
線型計画と経済分析〈第2〉 (1959年)
返信削除R. ドーフマン著
エディション: -
5つ星のうち 4.0 「厚生経済学の基本定理」, 2015/4/28
レビュー対象商品: 線型計画と経済分析〈第2〉 (1959年)
「厚生経済学の基本定理」はこの下巻の第14章に含まれてる。
全体としてはレオンチェフの投入産出のフロー表の検証が主題だが、最後の方でゲーム理論にも触れられている。マクロからミクロへといった構成になっている。
線型計画と経済分析〈第2〉 (1959年)
返信削除R. ドーフマン著
エディション: -
5つ星のうち 4.0 「厚生経済学の基本定理」, 2015/4/28
レビュー対象商品: 線型計画と経済分析〈第2〉 (1959年)
「厚生経済学の基本定理」はこの下巻の第14章:7に収められている。
この卷はレオンチェフの投入産出のフロー表の検証を主題としているが、最後の方でゲーム理論にも触れられている。
全体としてはマクロからミクロへといった構成になっている。
「厚生経済学の基本定理」はこの下巻の第14章:7に収められている。
返信削除この卷はレオンチェフの投入産出のフロー表の検証を主題としているが、最後の方でゲーム理論にも触れられている。
(「投入産出分析は、これは線型計画の特別な場合、一旦最終産出量の望ましい型がきまると、もはや選択の余地が残っていないような特別な場合と考えてよい」上巻5頁より)
全体としてはマクロからミクロへといった構成になっている。
返信削除http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1490263.html
厚生経済学の基本定理について
質問者:jeffsbuggy質問日時:2005/07/04 01:32
気になる0件
ミクロ経済学の厚生経済学について、全くわからないのですが、基本定理や第一の定理や第二の定理とはなんでしょうか?大変申し訳ないのですが、経済学はド素人なので教えてもらえませんでしょうか?
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A 回答 (2件)
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No.2ベストアンサー
回答者:guowu-x 回答日時:2005/07/04 09:57
厚生経済学の第一基本定理:
競争的均衡(ワルラス均衡)は存在するならば、それはパレート最適である。
厚生経済学の第二基本定理:
凸環境のもとで、各々の主体がすべての財の量を正の値で所有するような任意の配分は、所得を適切に再配分することによって、競争均衡として実現可能である。
0件通報する
No.1ベストアンサー
回答者:at9_am 回答日時:2005/07/04 01:56
厚生経済学第一定理:全ての競争均衡はパレート最適である。
厚生経済学第二定理:全てのパレート最適な点は適当な初期賦存の再配分の元で競争均衡として実現しうる。
第一定理は、全ての競争均衡は、ある人の効用を他者に害を与える事なしに大きくすることが出来ない点(パレート最適な点)として存在していることを示していますが、各人の平等性その他については全く言及していません。
それに対して第二定理は、望ましいパレート最適な点は適当な再配分を行えば競争均衡として実現できるということを示しています。
http://mikumaku.com/01/micro04.htm
返信削除一問一答(簡易版)のまとめ
4.一般均衡理論
(1)パレート効率性
資源配分において、他の人の効用を減少させないことには、ある人の効用を増加させることができない状態のことを(パレート効率的)であるという。他の人の効用を減少させずに、ある人の効用を増加させることができるような変化のことを(パレート改善)という。エッジワースのボックス・ダイアグラムにおいて、2人の個人の無差別曲線の(接点)ではパレート効率的な資源配分が達成されている。ここから、パレート効率性の条件として、(ある個人の限界代替率=他の個人の限界代替率)があげられる。これらを結んだ曲線を(契約曲線)という。
(2)厚生経済学の基本定理
交換が直接おこなわれなくても、価格調整でパレート効率的な資源配分が達成される。このような均衡を(競争均衡〔ワルラス均衡〕)という。競争均衡の条件は(ある個人の限界代替率=別の個人の限界代替率=価格比)である。厚生経済学の第1定理。(完全競争市場)ではパレート効率的な資源配分が達成される。厚生経済学の第2定理。最初に政府が適切な(所得分配)をおこなえば、任意のパレート効率的な資源配分を達成させることができる。
Amazon.co.jp: 経済学の本質と意義 (1957年): ライオネル・ロビンズ, 辻 六兵衛: 本
返信削除http://www.amazon.co.jp/dp/B000JAYESK/ref=cm_cr-mr-title
最も参考になったカスタマーレビュー
7 人中、7人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
厚生経済学の重要文献
投稿者 Knight 投稿日 2010/12/28
形式: -
マーシャルの後継者であるピグーが創始した厚生経済学を批判し、厚生経済学を創設10年で崩壊させたといわれるのが本書です。本書の利用者が経済理論の研究をしようとする人にほぼ限られそうなので、やや専門用語をふくみますが、学史的にレビューします。
ミクロ経済学で効用について学習する基数的・序数的という考え方がこの本にはかかわってきます。ピグーは厚生を基数的可測性をもち、個人間で比較可能であると考えていました。この社会的厚生判断の情報的基礎を批判し、序数的で個人間比較不可能だとロビンズは批判したわけです。
本書でこの批判が現れているのは第6章です。この批判により、ピグーの厚生経済学は【旧】厚生経済学と言われるようになってしまいました。
その後、このロビンズの批判を受け、厚生経済学はヒックス、カルドア、サミュエルソンらが「補償原理」と「社会的厚生関数」を発明することで【新】厚生経済学として再建され始めました。しかし、またここで衝撃的な批判が提起されました。それがあのケネス・アローの一般不可能性定理です。厚生経済学は実に波乱万丈なのです。
本書を読むにはミクロ経済学と経済学史の知識が必要です。読者はミクロ経済学や厚生経済学を真剣に学ぼうとするひとに限られるかもしれませんが経済学の歴史上重要な文献でしょう。厚生経済学の歴史についてのまとめとしては『経済思想〈第2巻〉経済学の現在〈2〉』に収録の鈴村興太郎「厚生経済学の系譜」が読みやすいです。
2 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
返信削除経済学と価値判断
投稿者 RKD 投稿日 2013/8/12
形式: -
ロビンズは、「諸目的と代替的用途を持つ希少な諸手段との間の関係としての人間行動を研究する科学」として経済学を定義する。この希少性というキーワードと共に、経済学の「科学」化、いわゆる価値判断からの切り離しを説いた人物として、ロビンズを位置づけていたため、本書を今日読む意義は薄いだろうと考えていた。しかしこの書籍を通読し、その印象は大きく変わった。
ロビンズは「科学」としての経済学を説いたが、その背後にはヒトラーの独裁政治に代表される、人間の尊厳・自由に対する冒涜への、激しい嫌悪が透けて見える。それらと対峙するために、経済学の科学的体系化は急務であった。間接的であろうと直接的であろうと、あるいはその法則に限界が存在しようと、経済学がより「よき」社会の実現に寄与することを「期待」するならば、それは価値判断と無関係ということはありえない。「…結局経済学は、その存在のためにではなくても、少なくともその意義のために、まさに究極的な価値判断──合理的なこと、そして知識をもって選択しうること、が望ましいという断言──に依存する」とロビンズは言う。
今日、学説史的な興味を除いて本書が顧みられることはあまりないように思われるが、今なお重要な示唆に富む良書である。一点、昭和三十年代の訳であるためか、邦訳だけ読むと非常に意味の取りづらい部分が散見される。原著(邦訳は二版であるので注意)と合わせてご覧になることをお勧めする。
43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/19(水) 23:10:02.63 ID:eW0xXInD
返信削除ピグー『厚生経済学』1920
「ピグーの3命題」…成長、分配、安定
第2命題が成立する理由
「比較的に豊かな人から比較的に貧しい人へ所得を移転するとすれば、それは相対的に強くない〔富者の〕欲望を犠牲にして、いっそう強烈な〔貧者の〕欲望を充足させることができるから、欲望充足の総計を増大させるに違いないことは明らかである。
かくして古い限界効用逓減の法則から確実に次の命題が導かれる。
すなわち、貧者の手中にある実質所得の絶対的分配分を増加させるいかなる原因も、もしそれが国民分配分〔全体〕の規模を縮小させないのであれば、一般に経済的厚生を増大させるであろう、という命題がそれである。」(p.89)
厚生経済学から新厚生経済学へ
ロビンズ『経済学の本質と意義』1932
ピグーの限界効用逓減の法則に基づく第二命題を否定
「かりにAの選好について意見の相違が生じたとせよ。
わたくしは、ある種の価格において彼がmよりもnを選好すると考え、あなたは、同一の価格において彼がnよりもmを選好すると考えたとせよ。
われわれの相違を純粋に科学的な方法で解決することは容易であろう。
われわれはAに頼んでいずれが望ましいかを言ってもらうことができるであろう。……
しかしわれわれが、千ポンドの所得からAが得る満足とその2倍の大きさの所得からBが得る満足とについて意見が違ったとせよ。
かれらにたずねることはなんの解決をもたらさないであろう。
かれらの意見が違ったとして、Aは限界においてBよりも大きい満足を得ると主張するかもしれない。
一方Bは、これと反対に、Aよりも大きい満足を得ると主張するかもしれない。
われわれは、この場合にいかなる科学的証拠もまったくない……。
Aの満足とBの満足と比較してその大きさを検査する手段は全くない。
……異なった人の満足を比較する方法はないのである。
……限界効用逓減の法則の拡張〔ピグーの第二命題〕は非論理的なものである。
したがって、それに基づいた議論は科学的根拠に欠ける。
……それは倫理的な仮定としては興味深いが、純粋理論の実証的な仮定からはぜんぜん出てこないものである。」。
新厚生経済学の誕生
・効用の個人間比較可能性を否定
・基数的効用(cardinal utility)から序数的効用(ordinal utility)へ
・資源配分問題(allocation)と分配問題(distribution)を分離
・価値判断はパレート効率性基準に則って行う
・資源配分問題に特化――市場の失敗=公共財、外部性など
分配問題に関しては社会的厚生関数は必須
・では、社会的厚生関数は、なんらかの民主主義的手続に基づいて、導出することは可能なのか?
・我々が、すべての個人が、いかに複数の社会経済状況(たとえば分配状況)に対して順序づけるのかを知っているのであれば、この情報を使って、異なる社会経済状況(分配状況)に対して、順序づけることができるのではないか?
・結論から言えば、そうした望ましい順序づけの方法は、存在しない――アローの不可能性定理
アローの不可能性定理
・推移律
・無関係な選択対象からの独立性
・広範性
・ただし、民主主義とは、非独裁的選択
・アローの不可能性定理
・もし社会的決定メカニズムが上述の最初の3つを満たすならば、それは独裁制にほかならない。
つまり、すべての社会の選考順序は1人の個人の選考順序と等しくなる。
分配問題と価値判断
・民主主義手続のもとでは、社会的な選好は導き出せない。
ハンドブック公共選択の展望 第1巻
返信削除著者名等 デニス・C.ミューラー/編 ≪再検索≫
著者名等 関谷登/訳 ≪再検索≫
著者名等 大岩雄次郎/訳 ≪再検索≫
出版者 多賀出版
出版年 2000.01
大きさ等 22cm 296p
注記 Perspectives on public choice.
NDC分類 331
件名 経済学 ≪再検索≫
目次 公共選択展望;第1部 協力の必要性と形態(国家の経済理論;市場でも国家でもなく:
集合的行動領域での変換過程を結びつけること;連邦主義の政治経済学;国際組織の公共
選択;立憲的公共選択);第2部 投票ルールと選好の集計(循環と多数決ルール;多数
決ルール;集団選択と個人の判断;選好集計のいくつかパラドックス;公共事業に対する
投票と選好顕示)
内容 内容:公共選択展望 デニス C.ミューラー/著.協力の必要性と形態 国家の経済理
論 ラッセル・ハーディン/著.市場でも国家でもなく:集合的行動領域での変換過程を
結びつけること エリノア・オストロム/著 ジェイムス・ウオーカー/著.連邦主義の
政治経済学 ロバート P.インマン/著 ダニエル L.ルビンフェルド/著.国際組
織の公共選択 ブルーノ S.フライ/著.立憲的公共選択 デニス C.ミューラー/
著.投票ルールと選好の集計 循環と多数決ルール ジェームス M.エネロウ/著.多
数決ルール ダグラス W.リー/著 エリック・シックラー/著.集団選択と個人の判
断 H.ペイトン・ヤング/著.選好集計のいくつかパラドックス プラサンタ K.パ
タナイク/著.公共事業に対する投票と選好顕示 T.ニコラス・タイドマン/著
内容 .
ISBN等 4-8115-5721-2
書誌番号 3-0200005263
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2017年5月24日 ... Pigou (1920) similarly observed “that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right ... upcoming pothole and estimates that it is small. ... imperfect foresight makes agents appear to behave more impatiently than implied by their ...... (1921 ), both of whom are quoted in the introduction of this paper.
Pigou (1920) similarly observed
“that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right explanation is proved by the fact that exactly the same diminution is experienced when, apart from our tendency to forget ungratifying incidents, we contemplate the past.1”
Pigou believed that our imperfect ability to forecast the future mirrors our imperfect ability to recall the past.
http://sticerd.lse.ac.uk/seminarpapers/psych24052017.pdf
1For a review of the history of theories of discounting see Loewenstein (1992).
The Economics of Welfare - 25 ページ
https://books.google.com/books?isbn...
Alfred C. Pigou - 2006 - プレビュー - 他の版
But this preference for present pleasures does not — the idea is self-contradictory — imply that a present pleasure of given magnitude is ... It implies only that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right explanation is proved by the fact that exactly the same diminution is experienced when, apart from our tendency to ...
The Economics of Welfare, 1920.
「それ[経済学]は、人間生活の改良の道具である。我々の周りの貧苦と惨めさ、数百万のヨーロッパ人の家庭で消えようとしている希望の明かり、一部の豊かな家庭の有害な贅沢、多数の貧しい家庭を覆う恐るべき不確実性、これらは無視するにはあまりにも明白すぎる悪である。我々の科学が追い求める知識で、これらを統御することができる。暗黒から光を!」(ピグー『厚生経済学』序文)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%
82%B7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%B0%E3%83%BC
Thaler, Richard H. 2015. Misbehaving: The Making of Behavioral Economics. New York: W. W. Norton & Company. ISBN 978-0-393-08094-0.
リチャード・セイラー著 遠藤真美訳『行動経済学の逆襲』早川書房、2016年
1921年
「将来を見透すわれわれの望遠能力には欠陥があり……したがって、将来の快楽は小さく見えてしまう」というピグーの言葉はよく知られている(5)。
5 Pigou (1932),時間選好の概念の変遷が見事に概括されているLoewenstein (1992)に引用.
Loewenstein, George. 1992. “The Fall and Rise of Psychological Explanations in the Economics of Intertemporal Choice.” In George Loewenstein and Jon Elster, eds., Choice Over Time,. 3-34. New York: Russell Sage Foundation.
#11
異時点間選択の〝現代的〟理論を最初に提示したのが、アーヴィング・フィッシャーである。1930年に発表された古典的著作『利子論』で、いまではミクロ経済学を教えるときの基本ツールとなっている無差別曲線を使い、所与の市場金利の下で、個人が異なる2つの時点において消費をどのように選択するかを示した。フィッシャーの理論は、分析に使われているツールでも、理論が規範的であるという点でも、現代的理論と呼ぶ…
1776年のアダム・スミスを見ても、1930年のアーヴィング・フィッシャーを見ても、経済学者がヒューマンを見据えて異時点間選択を考えていたことはまちがいない。
1930
Fisher, Irving. 1930. The Theory of Interest: As Determined by Impatience to Spend Income and Opportunity to Invest It. New York: MacMillan. [『利子論』気賀勘重・気賀健三訳,日本経済評論社]
#22
合理的な世界では、取引量はそれほど多くならないだろう。むしろほとんどないはずである。経済学者はしばしばこれを「グルーチョ・マルクスの定理」と呼ぶ(1)。グルーチョはアメリカの昔の喜劇俳優で、「自分をメンバーに迎えるようなクラブなんて入りたくない」という名言を残している。このジョークには、経済学バージョンがある。「他の合理的経済主体が売りたがるような株式なんて買いたくない」──だ。案の定というか、ジ
第22章 1 このアイデアはMilgrom and Stokey (1982)で定式化された.
ピグーMyopia and Discounting - STICERD (Adobe PDF)
返信削除sticerd.lse.ac.uk/seminarpapers/psych24052017.pdf
2017年5月24日 ... Pigou (1920) similarly observed “that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right ... upcoming pothole and estimates that it is small. ... imperfect foresight makes agents appear to behave more impatiently than implied by their ...... (1921 ), both of whom are quoted in the introduction of this paper.
Pigou (1920) similarly observed
“that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right explanation is proved by the fact that exactly the same diminution is experienced when, apart from our tendency to forget ungratifying incidents, we contemplate the past.1”
Pigou believed that our imperfect ability to forecast the future mirrors our imperfect ability to recall the past.
http://sticerd.lse.ac.uk/seminarpapers/psych24052017.pdf
1For a review of the history of theories of discounting see Loewenstein (1992).
The Economics of Welfare - 25 ページ
https://books.google.com/books?isbn...
Alfred C. Pigou - 2006 - プレビュー - 他の版
But this preference for present pleasures does not — the idea is self-contradictory — imply that a present pleasure of given magnitude is ... It implies only that our telescopic faculty is defective, and that we, therefore, see future pleasures, as it were, on a diminished scale. That this is the right explanation is proved by the fact that exactly the same diminution is experienced when, apart from our tendency to ...
The Economics of Welfare, 1920.
「それ[経済学]は、人間生活の改良の道具である。我々の周りの貧苦と惨めさ、数百万のヨーロッパ人の家庭で消えようとしている希望の明かり、一部の豊かな家庭の有害な贅沢、多数の貧しい家庭を覆う恐るべき不確実性、これらは無視するにはあまりにも明白すぎる悪である。我々の科学が追い求める知識で、これらを統御することができる。暗黒から光を!」(ピグー『厚生経済学』序文)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82
%BB%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%94%E3%82%B0%E3%83%BC
Thaler, Richard H. 2015. Misbehaving: The Making of Behavioral Economics. New York: W. W. Norton & Company. ISBN 978-0-393-08094-0.
リチャード・セイラー著 遠藤真美訳『行動経済学の逆襲』早川書房、2016年
1921年
「将来を見透すわれわれの望遠能力には欠陥があり……したがって、将来の快楽は小さく見えてしまう」というピグーの言葉はよく知られている(5)。
5 Pigou (1932),時間選好の概念の変遷が見事に概括されているLoewenstein (1992)に引用.
#11
異時点間選択の〝現代的〟理論を最初に提示したのが、アーヴィング・フィッシャーである。1930年に発表された古典的著作『利子論』で、いまではミクロ経済学を教えるときの基本ツールとなっている無差別曲線を使い、所与の市場金利の下で、個人が異なる2つの時点において消費をどのように選択するかを示した。フィッシャーの理論は、分析に使われているツールでも、理論が規範的であるという点でも、現代的理論と呼ぶ…
1776年のアダム・スミスを見ても、1930年のアーヴィング・フィッシャーを見ても、経済学者がヒューマンを見据えて異時点間選択を考えていたことはまちがいない。
1930
Fisher, Irving. 1930. The Theory of Interest: As Determined by Impatience to Spend Income and Opportunity to Invest It. New York: MacMillan. [『利子論』気賀勘重・気賀健三訳,日本経済評論社]
#22
合理的な世界では、取引量はそれほど多くならないだろう。むしろほとんどないはずである。経済学者はしばしばこれを「グルーチョ・マルクスの定理」と呼ぶ(1)。グルーチョはアメリカの昔の喜劇俳優で、「自分をメンバーに迎えるようなクラブなんて入りたくない」という名言を残している。このジョークには、経済学バージョンがある。「他の合理的経済主体が売りたがるような株式なんて買いたくない」──だ。案の定というか、ジ
第22章 1 このアイデアはMilgrom and Stokey (1982)で定式化された.
>>282
返信削除43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2012/09/19(水) 23:10:02.63 ID:eW0xXInD
ピグー『厚生経済学』1920
「ピグーの3命題」…成長、分配、安定
第2命題が成立する理由
「比較的に豊かな人から比較的に貧しい人へ所得を移転するとすれば、それは相対的に強くない〔富者の〕
欲望を犠牲にして、いっそう強烈な〔貧者の〕欲望を充足させることができるから、欲望充足の総計を増大
させるに違いないことは明らかである。
かくして古い限界効用逓減の法則から確実に次の命題が導かれる。
すなわち、貧者の手中にある実質所得の絶対的分配分を増加させるいかなる原因も、もしそれが国民分配分
〔全体〕の規模を縮小させないのであれば、一般に経済的厚生を増大させるであろう、という命題がそれである。」(p.89)
ロビンズ『経済学の本質と意義』1932 (1957年)
http://www.amazon.co.jp/dp/B000JAYESK/
ピグーの限界効用逓減の法則に基づく第二命題を否定
「かりにAの選好について意見の相違が生じたとせよ。
わたくしは、ある種の価格において彼がmよりもnを選好すると考え、あなたは、同一の価格において彼がnより
もmを選好すると考えたとせよ。
われわれの相違を純粋に科学的な方法で解決することは容易であろう。
われわれはAに頼んでいずれが望ましいかを言ってもらうことができるであろう。……
しかしわれわれが、千ポンドの所得からAが得る満足とその2倍の大きさの所得からBが得る満足とについて意見が
違ったとせよ。
かれらにたずねることはなんの解決をもたらさないであろう。
かれらの意見が違ったとして、Aは限界においてBよりも大きい満足を得ると主張するかもしれない。
一方Bは、これと反対に、Aよりも大きい満足を得ると主張するかもしれない。
われわれは、この場合にいかなる科学的証拠もまったくない……。
Aの満足とBの満足と比較してその大きさを検査する手段は全くない。
……異なった人の満足を比較する方法はないのである。
……限界効用逓減の法則の拡張〔ピグーの第二命題〕は非論理的なものである。
したがって、それに基づいた議論は科学的根拠に欠ける。
……それは倫理的な仮定としては興味深いが、純粋理論の実証的な仮定からはぜんぜん出てこないものである。」。
新厚生経済学の誕生
・効用の個人間比較可能性を否定
・基数的効用(cardinal utility)から序数的効用(ordinal utility)へ
・資源配分問題(allocation)と分配問題(distribution)を分離
・価値判断はパレート効率性基準に則って行う
・資源配分問題に特化――市場の失敗=公共財、外部性など
一般効用理論から買物理論へ
返信削除村井明彦
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/16866/017066060009.pdf
…
Ⅰ 効用理論史はふつう限界革命当時の素朴な基数主義が序数主義からの異議提出で動揺して無差別曲線と
限界代替率の分析に移行し,他方で無差別曲線の不十分さを指摘したゲーム理論によって再び基数主義が
呼び戻されたプロセスとして理解されている。だがこうした理解は十分なものではない。基数主義と序数
主義の関係はきれいな交代劇としては描き出せず,むしろ効用の「測定」という問題に向き合う中で19世紀
においてすでに序数主義への志向を示しながら効用関数の確定が模索された。その最終結論が正の一次変換
に対して一意性を持つ効用集合を「基数的」とみなす現代基数主義であった。この点を正確に理解するなら
それを「指数効用理論」とでも呼ぶことが望まれる。
Ⅱ ところがこうした学史修正主義は,効用理論がこだわった効用「関数」という基底概念
を用いない純粋に序数主義的な効用理論の水脈があったことも同時に
浮彫りにした。それはメンガーとミーゼスが開拓し,ロスバードが定式化した。効用理論にせよ選択理論に
せよ財の数量増減に伴う総効用の変化を軸に展開されてきたが,ロスバードは総効用概念を撤廃して限界
効用概念に一本化し,自らの考え方を簡明な「ロスバード図」で表した。通説を土台ごと揺さぶる同図の
革新性は残念ながらほとんど理解されていない。本稿では効用理論史の中でその再評価を試みる。
一般効用理論から買物理論へ
返信削除村井明彦
https://doors.doshisha.ac.jp/duar/repository/ir/16866/017066060009.pdf
…
Ⅰ 効用理論史はふつう限界革命当時の素朴な基数主義が序数主義からの異議提出で動揺して無差別曲線と
限界代替率の分析に移行し,他方で無差別曲線の不十分さを指摘したゲーム理論によって再び基数主義が
呼び戻されたプロセスとして理解されている。だがこうした理解は十分なものではない。基数主義と序数
主義の関係はきれいな交代劇としては描き出せず,むしろ効用の「測定」という問題に向き合う中で19世紀
においてすでに序数主義への志向を示しながら効用関数の確定が模索された。その最終結論が正の一次変換
に対して一意性を持つ効用集合を「基数的」とみなす現代基数主義であった。この点を正確に理解するなら
それを「指数効用理論」とでも呼ぶことが望まれる。
Ⅱ ところがこうした学史修正主義は,効用理論がこだわった効用「関数」という基底概念を用いない純粋に
序数主義的な効用理論の水脈があったことも同時に浮彫りにした。それはメンガーとミーゼスが開拓し,
ロスバードが定式化した。効用理論にせよ選択理論にせよ財の数量増減に伴う総効用の変化を軸に展開さ
れてきたが,ロスバードは総効用概念を撤廃して限界効用概念に一本化し,自らの考え方を簡明な
「ロスバード図」で表した。通説を土台ごと揺さぶる同図の革新性は残念ながらほとんど理解されてい
ない。本稿では効用理論史の中でその再評価を試みる。
ピグー補助金と経済学の力|安田 洋祐|note
返信削除https://note.com/yagena/n/n949e5882076a
ピグー補助金と経済学の力
2020/05/06 21:33
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本日の日経新聞に社会学者である橋爪大三郎氏の論考
「疫病の文明論③緊急時の社会学」
が掲載されていました(電子版はこちら)。そこで
“補償は、景気対策でも経済の話でもない。公益のため払ったコストへの埋め戻しにすぎない。そして補償はすぐ払うべきだ。… こんなことは経済学の教科書のどこにも書いてない”
と、経済学に対して手厳しい批判が書かれています。最初に少しだけ反論させて頂くと(ただし、以下で述べるように反論がこの記事の主旨ではありません)、「経済学の教科書のどこにも書いてない」というのは少し言い過ぎだと感じます。なぜなら、
・負の外部性(=感染拡大)を抑えるために、行動制限を行うことに対して補償する
というのは、ケインズの兄弟子(師匠はアルフレッド・マーシャル)としても有名な、偉大な経済学者であるピグ―が提唱した「ピグ―補助金」そのもので、きちんと記述している教科書も珍しくないからです。(ピグー税やピグー補助金については、こちらのスライドもご参照下さい。恩師である神取道宏氏の名著『ミクロ経済学の力』の内容を整理したものです)
しかし、橋爪氏ほどの知識人にも、外部性やその対処法がきちんと伝わっていないのだとすると、経済学を教える側も反省すべきかもしれません。実際に、「ピグー補助金」(アメ)については、同じ外部性を抑える政策である「ピグー税」(ムチ)と比べて教科書での扱いが小さく、言及すらしていない場合もあります。そもそも、
・汚染を広げた人に罰則を
というのは理解しやすくても、(本来は出していたはずの)
・汚染を抑えた人にご褒美を
という理屈は、あまり直感的ではないのかもしれません。【注】
また、教科書に書かれているように、限界的なインセンティブ効果“だけ”に注目すると、ピグー税とピグー補助金の効果は同じですが、これらの政策が対象者の所得へ与える影響は真逆です。こうした発想から、対象者の所得制約が厳しい、今回のコロナ騒動下における自粛要請のような場合には
・補助金(アメ)の方が税金(ムチ)よりも望ましい
ことは、ちょっと考えれば分かり、「あっ、ピグー補助金の出番だな」と気付きます。ただ、この種の「所得効果」を考慮した外部性の分析は、おそらくミクロ経済学や財政などの標準的な教科書には書かれていません。(これからは教科書に、ぜひこのトピックを盛り込むと良いと思います)そのため、パッとは気付かない、という方もいらっしゃるでしょう。
教える側からすると、教科書に直接書かれていなくても自分の頭で考えて欲しい、と思わなくはありません。ただ、現実問題として、こうした応用思考を身に着けている経済学部生・卒業生はそこまで多くない印象です。これは、「経済学の力」をきちんと伝えることができていない、教える側の責任ではないでしょうか。次の世代に、経済学に対して、誤解や敵意を抱く知識人を生まないためにも、教え方・伝え方を改善していかなければいけない、と自戒を込めて感じました。
【注】ところで、以前環境省の審議会でピグー税とピグー補助金のハイブリッドのようなカーボンプライス(相対的に炭素削減に成功した企業には補助金、そうでない企業は税になるような仕組みです)を提案した際、異分野の専門家はもちろん、官僚の皆さんも理解にかなり時間がかかっていました。ピグ―補助金的な発想は、ある程度経済学的なトレーニングを積んだ方であっても、すぐに理解するのが難しい考え方なのかもしれません。