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土曜日, 4月 18, 2015

リカード『経済学および課税の原理』(On the PrinciplesofPoliticalEconomy,and Taxation)

              (経済学マルクスリンク::::::::::

リカード『経済学および課税の原理』(On the Principles of Political Economy, and Taxation)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/on-principles-of-political-economy-and_25.html@

スミスとリカードの比較 佐藤有史論考
http://jshet.net/docs/conference/81st/ricardo.pdf
ベイリー、リカード批判関連
http://www.eonet.ne.jp/~bookman/19seiki/bailey.htm
塩沢由典 比較優位
https://nam-students.blogspot.com/2019/04/blog-post_20.html
サミュエル・テイラー・コールリッジ(Samuel Taylor Coleridge, 1772~1834)(穀物論争関連)
https://nam-students.blogspot.com/2019/07/samuel-taylor-coleridge-17721834.html
 表1『国富論』と『原理』の理論編の各章対応表

    スミス『国富論』第1編     リカードウ『原理』第2, 3版 
第5章商品の実質価格と名目価格について  第1章 価値について
第6章商品の価格の構成部分について
                    第2章 地代について
                    第3章 鉱山の地代について
第7章 商品の自然価格と市場価格について 第4章 自然価格と市場価格について
第8章 労働の賃金について        第5章 賃金について
第9章 資本の利潤について        第6章 利潤について
第10章 労働と資本の異なった用途に
    おける賃金と利潤について
第11章土地の地代について
         x          第7章外国貿易について

                         (出典)Ricardo [1817] 1951: xxiv
      

           表2 Sraffa (1951)解釈
『国富論』第5編第2章第2節        『原理』第2.3版
___________________________________
前書き 租税とは            第8章 租税とは
      x             第9章 原生産物税
___________________________________
第1項  賃料税
    地代税             第10章 地代税
    土地生産物税          第11章 十分の一税
                    第12章 地租
                    第13章 金に対税
    家賃税             第14章 家屋税
___________________________________
第2項 利潤税             第15章 利潤税
    特殊な職業の利潤税
___________________________________
第3項 賃金税             第16章 賃金税
___________________________________
第4項 各種収入に無差別にかかる租税
    人頭税
    消費税            第17章 非原生産物税
__________________________________
        x          第18章 救貧税


『経済学および課税の原理』(On the Principles of Political Economy, and Taxation)とは1817年に発表したイギリスの経済学者デヴィッド・リカード(英: David Ricardo、1772年4月19日 - 1823年9月11日)による研究である。

リカード経済学の体系――四本の柱

1投下労働価値説 
2差額地代論 
3賃金の生存費
4収穫逓減の法則
 リカードの「収穫逓減」は、端的にいえば、「土地」の収穫逓減のことですが、リカード経済学では、この法則は、資本の蓄積と人口の増大に伴って、耕作が生産性の優る土地から生産性の劣る土地へと進まなければならないという「動態」経済に固有のものだと捉えられています。
 以上の四つを「道具箱」に入れると、リカード経済学を次のように簡潔にまとめることができます。――資本の蓄積と人口の増大が進むにつれて、耕作はより劣等な土地へとシフトしていかなければならないが、それは、限界地での生産費で決まる穀物価格の上昇→(自然)賃金の上昇と利潤のシェアの低下をもたらす。そして、最終的には、利潤(=[全生産額―地代]―賃金総額)がゼロとなる「定常状態」が訪れるだろうと。
根井64~9頁

リカードの理論は,われわれがそれぞれ「限界原理」と「剰余原理」と名づけるところの二つの独立の原理に基づいていた。「限界原理」は地代の分前を説明するために,そして「剰余原理」は残余のものの,賃金と利潤への分配を説明するために役立つ。リカード派のモデルを説明するためには,われわれはまず経済を二つの広い部門,すなわち農業と工業とに分かち,それからリカードの仮定のもとで,農業において作用する諸力が工業における分配の決定に,いかに役立つかを示さなければならない。
カルドア3頁

NAMs出版プロジェクト: 経済成長と分配理論 カルドア
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/blog-post_29.html

Alternative Theories of Distribution (Adobe PDF) -htmlで見る piketty.pse.ens.fr/files/Kaldor1955.pdf Author(s): Nicholas Kaldor ... between Ricardo and Keynes
http://piketty.pse.ens.fr/files/Kaldor1955.pdf
カルドアによるリカード経済学の図解あり
根井雅弘『入門 経済学の歴史』ちくま新書70頁参照
  |。  。
 穀|    。  。
  |_______。__。
 物|    地代総額  | 。平均生産物(穀物産出量/労働投入量)
  |__________
  |    利潤総額  | 。
  |__________|  。限界生産物(穀物生産量増加分/労働投入量一単位)
  |    賃金総額  
 0|_______________
      労働投入量












カルドア
7:
そしてこの定常状態においては,単に「資本家が彼らの資本を生産的に雇用するにあたって必然的に遭遇せざるをえないところの労苦と危険に対して十分な補償(以上のものを資本家に)与えないはど利潤が低い」*ために,蓄積は停止してしまうのである。
(*原理スラッファ編p.122)


デイヴィド・リカアドウ David Ricardo 吉田秀夫訳 経済学及び課税の諸原理 PRINCIPLES OF POLITICAL ECONOMY AND TAXATION
https://www.aozora.gr.jp/cards/001164/files/43670_18988.html
6利潤について
44
 私は既に、この価格の状態が永久的ならしめられる遥か前に、蓄積に対する動因はなくなるであろうが、それはけだし何人も、彼れの蓄積を生産的ならしめんと考えることなくして蓄積する者はなく、また蓄積が利潤に影響を及ぼすのは、それが生産的に用いられる時に限るからである、と述べた。動因がなければ蓄積はあり得ず、従ってかかる価格の状態は決して起り得ないであろう。農業者も、製造業者も、労働者が労賃なくしては生活し得ないと同様に、利潤なくしては生活し得ない。彼らの蓄積に対する動因は利潤が減ずるごとに減少し、そして、彼らの利潤が、彼らの労苦と彼らがその資本を生産的に用いるに当って必然的に遭遇しなければならぬ危険とに対して、彼らに適当な報償を与えない時には、全然止んでしまうであろう。


kardor
p87
Taxation and agricultural protection thus tend to accelerate the tendency (which is in any case inevitable-unless continued technical progress manages to shift the p-Ap and p-Mp curves to the right sufficiently to suspend altogether the operation of the Law of Diminishing Returns) to that ultimate state of gloom, the Stationary State, where accumulation ceases simply because " profits are so low as not to afford (the capitalists more than) an adequate compensation for their trouble and the risk which they must necessarily encounter in employing their capital productively"*2 
2 Ricardo, Principles, p. 122 (Sraffa Edition). 

On The Principles of Political Economy and Taxation, by David Ricardo, 1817
https://www.marxists.org/reference/subject/economics/ricardo/tax/ch06.htm
I have already said, that long before this state of prices was become permanent, there would be no motive for accumulation; for no one accumulates but with a view to make his accumulation productive, and it is only when so employed that it operates on profits. Without a motive there could be no accumulation, and consequently such a state of prices never could take place. The farmer and manufacturer can no more live without profit, than the labourer without wages. Their motive for accumulation will diminish with every diminution of profit, and will cease altogether when their profits are so low as not to afford them an adequate compensation for their trouble, and the risk which they must necessarily encounter in employing their capital productively.


 
 

経済学及び課税の原理 (PDF) (日本語) 翻訳(小笠原誠治)
http://www.gci-klug.jp/ogasawara/ricardo1.pdf

目次
序文
お知らせ
第1章 価値について   ☆A
第2章 地代について
第3章 鉱山の地代について
第4章 自然価格と市場価格について
第5章 賃金について
第6章 利潤について
第7章 海外貿易について__☆B__
第8章 課税について
第9章 原生産物に対する税
第10章 地代に対する税
第11章 十分の一税
第12章 地租
第13章 金に対する税
第14章 家屋に対する税
第15章 利潤に対する税
第16章 賃金に対する税
第17章 原生産物以外の商品に対する税
第18章 救貧税___________
第19章 投資先の突然の変化について
第20章 価値と富、その性質の違い
第21章 利潤と利子に及ぼす資本蓄積の効果
第22章 輸出奨励金と輸入制限
第23章 生産奨励金について
第24章 地代に関するアダムスミスの教義
第25章 植民地貿易について
第26章 粗収入と純収入について
第27章 通貨と銀行について
第28章 豊かな国と貧しい国の金、穀物、及び労働の相対価値について
第29章 生産者によって支払われる税
第30章 価格に及ぼす需要と供給の影響について
第31章 機械について
第32章 マルサス氏の地代論


第21章(100)
生産物は常に生産物または勤労によって購買され 、貨幣は単に交換が行われる媒介物に過ぎない 。
定本トランスクリティーク233頁


http://www.amazon.co.jp/dp/4003410912/
 経済学および課税の原理〈上巻〉 (岩波文庫): D. リカードウ, 羽鳥 卓也, 吉沢 芳樹: 本
アダム・スミスを批判的に継承しマルクスの批判理論へつなぐ思考
投稿者 kudo shuji トップ500レビュアー 投稿日 2011/6/6
 古典派経済学者で、アダム・スミスに次ぐ存在として名を挙げられるリカードウの、主著といわれる著作。全31章で、全体は三部に分かれ、それぞれ「経済学の原理」の部分(第一章から第七章まで)、「課税の原理」の部分(第八章から第十八章まで)、以上の二つの原理に則った学説批評(対マルサス他)(第十九章から第三十一章まで)となり、上巻には第十五章まで収録している。

 読み進めると、やはりアダム・スミスが「国富論」でまとめ上げた問題系に全面的に依拠した立論と展開ながら、いくつかの面では明確にスミスの意見に反対している。一番有名なのは今でも貿易論の例に用いられるイギリスとポルトガルの貿易に見る比較優位論で、アダム・スミスが第四篇で外国貿易が概して国富を増加させないといった意見に鮮やかな反論を示しているが、そのほかでも地代に関する位置づけや利潤と賃金の相反する関係の詳細など、アダム・スミスの議論が大雑把に見えてくる指摘を時に数値例を用いて示している。(算術程度の例だが。)

 第二部の課税の原理では、第一部で自らが示した「経済学の原理」を用いながら、アダム・スミスが第五篇でまとめた体系を精細にする仕事をしている。課税はしょうがないとしながら、経済学の原理から見て経済活動に一番差し支えのない課税方法を模索している。
 マルクスが「資本論」で採っている論述スタイルととても似ている。

______

参考:
アダム・スミス
http://nam-students.blogspot.jp/2014/06/smith-adam.html


比較優位 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E8%BC%83%E5%84%AA%E4%BD%8D
絶対優位と比較優位の比較
絶対優位比較優位
提唱者アダム・スミスデヴィッド・リカード
生産要素労働量資本力労働生産性
生産要素を誰と比較するか他者自分自身
他の経済主体と何を比較するか労働生産性(最大化)労働投入係数(最小化)
何に特化するか他の経済主体より得意な分野自身の得意分野

社会思想:再生産の経済思想 リカードの経済学
岡 敏弘
http://www.s.fpu.ac.jp/oka/ricard99.pdf

1.1 穀物論争
イギリスでは、1688年(名誉革命)以来、穀物の輸入は関税によって事実上禁止され、輸出は奨励金交付
によって促進されていた。18世紀中葉以降、産業革命による急速な人口増加によって、イギリスは穀物輸
入国に変化したが、既得の農業権益の保護によって穀物価格は上昇傾向にあった。輸出奨励金は1773年に
軽減され、1814年には廃止されたが、1804年の新しい穀物条例では、小麦の国内価格が1クオータあたり
63シリングに上昇するまでは輸入が禁止されていた。
1815年、小麦価格は60シリングに上昇した。63シリングになれば、海外から安い穀物が輸入されるか
もしれない。そこで、地主と借地農の関心は、輸入価格を引き上げることにあった。輸入価格を80シリン
グに引き上げる穀物条例案をめぐって、論争が燃え上がった。
リカードは、1815年2月24日『穀物の低価格が資本の利潤におよぼす影響についての試論』を出版し、
マルサスに対する論駁の形をとりながら、
穀物の輸入価格引き上げを策する地主階級に対して、穀物の自由貿易による穀価の低下が利潤
率を高め、資本蓄積を促進することによって地主を除く社会階級一般に有益である所以を論証
し、同時に
資本間の競争によって利潤率の低下傾向を説くスミスの学説の離脱を図った。
マルサスの立場は、
・農業と工業との適当なバランスがあること
・穀物の輸入を介する自国と海外との相互依存関係が戦争によって破綻する危険性をもつこと
・政治や経済は「特性と幸福」を得るための手段にすぎず、そうした目的にとって、農業と工業との黄
金分割が存在すること
を強調するものであった。
これに対して、リカードは、工業化を軸にした資本主義化こそ、イギリスの国益に適合すると信じたの
である。
穀物条例は1815年に下院を通過、成立したが、1827年に穀物関税のスライド制が導入され、1846年に
撤廃された。

参考:
菱山泉『経済学者と現代2 リカード』(日本経済新聞社、1979年)


毛織物の量をx、ぶどう酒 の量をyとすると、貿易がないとき、イギリスで消費可能な毛織物とぶどう酒との組み合わせは
  100x + 120y≦1000
を満たすxとyとの組によって与えられる。ポルトガルでのそれは、
  90x + 80y≦1000
を満たすxとyとの組によって与えられる。それは図1のそれぞれ直線ABおよびDEとその下側の領域に よって示される。
これらの直線(ABおよびDE)の傾きは、両国での国内相対価格を示している。ポルトガルがぶどう酒の 生産に特化し、毛織物を輸入するということは、100/8単位のぶどう酒を国内で生産(点Dで示される)し、 そのうちいくらかを国際交換比率1で毛織物と交換することを意味する。その交換は直線DFに沿った移動 によって示される。したがって、ポルトガルは、ぶどう酒の生産に特化し、毛織物を輸入することによっ て、消費可能な両商品の組み合わせの集合を、国内生産だけのとき(ODE)よりも広げることができるので ある。イギリスも同様に、毛織物に特化することによって消費可能な両商品の組の集合をOABから外へ広 げることができる。

________

リカードはマルサスと論争(穀物条例論争、穀物論争)を繰り広げた。

参考:
マルサス『人口論』初版、目次:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2015/04/blog-post_16.html


_____
斎藤他マクロ:
















マクロ経済学の歴史1 56
リカードの中立命題について
 15-4-2で紹介している「消費の租税に関する中立性」、あるいは「租税と国債の等価」の考え方は、D. リカード(D. Ricardo、1772-1823、英国人)が『経済学および課税の原理』(1817年、第2版、On the Principles of Political Economy and Taxation)の第17章においてはじめて展開されたことから、リカードの中立命題、あるいは、リカードの等価命題と呼ばれるようになった。 非常に興味深いことに、リカード自体は、租税と国債の等価性が人々に字義通りに受け取られることに懸念を抱いていた。リカードは、いくつかの場所で、自分の財政に関する理論は、巨額の政府支出を国債で調達することを正当化するためのものでないことを断っている。
  リカードの中立命題は、R. J. バロー(R. J. Barro、1944-、米国人)が1974年に『政治経済学誌』(Journal of Political Economy)に公刊した「国債は純資産なのか?」("Are government bonds net wealth?”)によって、現代的なマクロ経済理論のコンテキストでリバイブした。

(リカードの中立命題を阻むいくつかの要因)先にも述べたように、仮想的な前提の上にリカードの中立命題が成り立っているので、「現在の減税が現在の消費に結びつくことはない」というリカードの中立命題を阻む要因は、比較的に簡単に挙げることができるであろう。 第1に、徴税手段として一括税を用いることができない場合には、多くの場合、リカードの中立命題がストレートには成り立たなくなる。特に、累進所得税のように消費者の間で所得再分配効果を伴う課税は、マクロレベルの消費に影響を与える可能性が高い。たとえば、低所得者層の限界消費性向が高所得者層の限界消費性向よりも高ければ、高所得者層から低所得者層への所得移転は、経済全体の消費レベルを引き上げる。 48
リカードの中立命題について

タイトル  デイヴィド・リカードウ全集 第4巻 後期論文集1815-1823
出版者   雄松堂書店
出版年   1970.4
大きさ等  22cm 512p
注記    編者:P.スラッファ 協力:M.H.ドッブ
NDC分類 331.44
内容    リカードウのパンフレット類の各版本の対応ペイジ表:p509~512

「金額はいくらでもいいのだが、かりに二万ポンドを所有している人に年額五〇ポンドを永久に支払いつづけることと、一〇〇〇ポンドの租税を一度に支払うの とは負担としては同額だと信じさせるのは難しいであろう。彼は、年額五〇ポンドが子孫によって支払われるのであり彼が支払うのではないであろう、という漠 然とした考えをもつのである。しかし、もし彼がその財産を息子に残し、しかもその財産とともに永久的な租税をも残すとすれば、彼がこの租税負担付きの二万ポンドを息子に残すことと、租税負担なしの一万九〇〇〇ポンドを残すことにどんな違いがあるというのであろう?」(磯村隆文訳「公債制度論」『リカードウ全集Ⅳ 後期論文集』雄松堂出版,227-228ページ.)

___

《アダム・スミスの『国富論』(1776, Book IV, Chap.2)には、次のような有名な叙述がある。「もし外国が、我々自身が生産するよりも安い価格で商品を提供してくれるならば、我々が生産方法で優位性をもつ自国産業の産物の一部と引き替えにその商品を購入するのが得になる」。スミスの主張は簡単な原理に基づいている。富を増やすためには最も生産的な分野、すなわち最も低い費用で、最も多くの生産物を生み出す分野で、生産活動を行うべきである。これは比較優位の原理と呼ばれている。》
移民の経済学#2


《もしある外国がわれわれにある商品を、われわれが自分でそれをつくることができるよりもやすく、供給しうるならば、われわれがある利点をもっているやりかたで使用された、われわれ自身の勤労の、生産物のある部分をもって、かれらからそれをかう方がいい。》

国富論4:2 世界の大思想版

「見えざる」と同じ章にある。


リカードは相互的視点を加えた点が新しい。

____

リカード理論 「絶対優位」と「比較優位」の誤解 - 高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会 
http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-645.html?sp
   

(1)誤解

絶対優位を比較優位と勘違いしている

 誤解とは「絶対優位なものに特化し、交換(輸出)する」です。


 アダムスミス山岡洋一訳『国富論(下)』2007日本経済新聞出版社

 賢明な家長なら、買う方が安くつくものは自分の家で作らないようにするのが当然である。仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。農民は靴も服も自分では作らず、それぞれの職人に注文する。みな、近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になることを知っている。…自国で生産するより安い価格で外国から買える商品があれば、自国の労働は自国が多少とも優位にある産業に投じ、自国の生産物の一部でその商品を外国から買う方がいい。


 この説明、「比較優位」に見えますね。靴屋は靴屋、仕立て屋は仕立て屋、農民は農民、それぞれ優位にあるものに特化して交換する。

 違います。これは「絶対優位」論です。貿易相手国より安く生産できるものに特化して、互いに交換することが利益をもたらす・・・。
 
この考え方にたつと、以下の思想にまっしぐらです。

 日本は中国に安さでかなわない・・・。日本と中国は、競争をしている・・・。日本は負ける・・・。

 あらゆる分野で生産技術の劣っている国(絶対劣位国)が、優れている国(絶対優位)と貿易をしても、経済的に損害をこうむるのだ。貧しい発展途上国は、日本のような先進国と交換しても、利益はない。

 TPPを巡る論など、典型的ですよね。

 
 この、「絶対優位」に基づく誤解は、「相手国」と「自国」を比べて「優位だ、劣位だ」と言っていることにあります。



















55 件のコメント:


  1. マルサス
    5.6版 人口論3:12

    第十二章 穀物条例について 、輸入制限

    一八一七年に第五版 、一八二六年に第六版

    返信削除

  2. リカードは地主ではなく産業資本家を擁護したが産業資本家も広く言えば労働者だ
    だから労働価値説、稀少性を考慮したそれを選んだのは当然だ

    返信削除
  3. http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-207.html?sp
    比較優位=三角形の傾き:

       ア国              イ国
    A財              A財(生産、消費量)
     |               |\b
     |               | \ 
     |               |  \ 
     |               |   \
     | ̄-_            |    \
     |    ̄-_         |     \ 
     |       ̄-_  a   |      \ 
     |_________ ̄-__  |_______\_____
     0        B財     0     B財(生産、消費量)

     このような,三角形の違いがあれば,貿易による利益が発生することは,皆さんはすでにお分かりだと思います。ア国はB財に比較優位があり,イ国は,A財に比較優位があります。貿易によって,a点と,b点を結べば,両国の三角形は大きくなります。

    返信削除

  4. ゾンビ経済学127頁
    「バローは経済学におくる初の偉大な定式理論家デヴィッド・リカードの成果をベースにした。」

    Barro 1974


      バロー中立命題

    第2期消費           第2期消費
     |\ \            |\ \  
     | \ \           | \ \
     |  \ \          |  \ \
    Y2___o➡︎\        Y2___o \ 
     |   |\ \        |   |\⬇︎\
     |   | \ \       |   | \ \
     |   |  \ \      |   |  \ \
     |___|___\_\___  |___|___\_\____
         Y1 第1期所得       Y1  第1期所得

    (1)若者期に国債を   (2)若者は、将来の  (3)予算線は、
       発行し所得を増やす ➡︎  増税を見越して  ➡︎  元に戻る
       (政府支出増)      消費を減らし、
                    貯蓄を増やす

          [予算線不変=三角形不変]⬅︎[財政政策は無効]

    菅原晃『図解 使えるマクロ経済学』2014年,中経出版より
    NAMs出版プロジェクト: RBC、DSGEモデル:メモ
    http://nam-students.blogspot.jp/2015/05/blog-post_78.html

    返信削除
  5. https://ja.m.wikipedia.org/wiki/リカードの等価定理

    リカードの等価定理(リカードのとうかていり、Ricardian equivalence theorem)とは、財政赤字による公債の負担が現在世代と将来世代では変わりがないことを示した定理。ジェームズ・M・ブキャナンがその定理をデヴィッド・リカードに遡って示したことから彼の名が冠されている。

    合理的期待形成学派のロバート・バローによって再定式化されたため、リカード=バローの定理と呼ぶこともある。

    目次
    概要
    問題点
    反証
    参考文献
    脚注
    関連項目
    概要 編集

    財政赤字になって、その分を穴埋めする公債の発行が増えた経済を考える。公債の負担は将来世代にかかる税によって償還されなければならない。このとき、公債の市場利子率と民間資金の割引率が同じであれば、生涯所得は変わらない。人々は将来の増税を見越して現在の消費を少なくするであろう。そうすると、現在世代は税負担と同じ効果を節約という形で受けているわけであり、将来世代の負担が重くなるということはない。リカードが提唱したこの考え方が、バローによってさらに発展させられた。

    国家の歳入を租税で賄うか、公債で賄うかは、それぞれの場合の予算制約式を解くことによって現在から将来への負担転嫁が起こるかどうかがわかる。実際に解くと、前者と後者で予算制約式は一致するので、公債発行は経済に中立的とした[1]。

    バローは、世代を超えたモデルを再度構築し、遺産を含めた公債の負担転嫁が将来世代に及ばないことを示した。

    問題点 編集

    リカードの中立命題は全ての人間は常に経済合理性のみに従って動くという仮定(合理的期待形成仮説)の下に構築されている理論だが、現実に人々がそのように動くとは必ずしも言えず、実証においてこの命題の成否を確認する必要がある。人々は合理的ではなく、将来の増税に備えることなく減税分の大半を消費に回してしまうという反論がある[2]。経済学者の浜田宏一は「誰もが子や孫を持っているわけではないし、国民全員が子や孫の事を考えて合理的に行動するとは限らない」と指摘している[3]。

    ジェームズ・トービンらによれば、政府の社会保障関連の支出増で、民間の任意加入保険への支出が増えるという研究結果が提示されている[4]。この現象は政府による赤字財政支出の増加が民間部門の投資減退を招くというリカードの等価定理と矛盾する結果であり、リカードの中立命題は実証性に乏しいとしている。

    ポール・クルーグマンはこのリカードの等価定理を「疑わしい教義、dubious doctrine」と形容している[5]。またこの等価定理自体は、単に「政府が減税をすると将来の増税予知により民間消費が抑制されること」を言っているに過ぎず、政府が国債を発行してインフラストラクチャーなどに投資をしても民間投資が減少して政府の財政支出の効果が減退することを示唆しているわけではない。つまり等価定理で使われる議論は国債発行とは関係がない。この点でロバート・ルーカスは彼の教義を誤って理解している。

    クルーグマンは、リカード自身はこの定理には懐疑的であり、統計が示すところでは1990年代の欧州の民間貯蓄の低下という現象がこの定理によって説明されるのは多分に無理があるとしている[6]。

    ベン・バーナンキは「将来の税負担と現在の財政拡大のつながりを絶つ」ためには、財政政策と金融政策の協調(ポリシーミックス)が有効であるとしている[7]。

    京都大学工学研究科教授の藤井聡は、中立命題は国債償還を税金でまかなうことを前提としているが、実際は中央銀行による紙幣増刷での国債償還が可能であるため成り立たない、と主張している[8][要高次出典]。

    反証 編集
    リカードの等価定理は仮説に過ぎないことがローレンス・サマーズらによる実証研究で示唆されている[9]。米国は1980年代にロナルド・レーガン政権の下で減税を行い、税収減により米国政府の財政赤字は拡大した。1976年から1980年までの平均の税収対潜在GNP比は10.1%であったが[9]、1981年からその後5年間では8.86%にまで落ち込んだ。第二次世界大戦から1981年までは米国の財政赤字対潜在GNP比が4%を越えることはなかったが、1981年後はその後5年間定常的に4%を上回った。1982年から1986年では、物価上昇率を加味して算出した実質的な財政赤字についても過去より大きな数字であった。仮にリカードの等価定理が正しいとすれば、理性的な人々は、この政府財政の悪化を心配し、将来の増税を予想して貯蓄を増やすはずである[誰?]。しかし現実には、民間貯蓄対GNP比は1976年から1980年の期間で平均8.55%であったものが、1981年からその後5年間では7.47%まで低下した[9]。政府債務増加が民間貯蓄減少を引き起こす事実はリカードの等価定理と矛盾する[誰?]。

    だが、この事実に対して以下のような反論も可能である[誰?]。

    リカードの等価定理を反証する結果が得られたのは、将来の所得水準が上昇すると人々が期待し、民間支出を増やしたためである[誰?]。この反論への再反論は、向こう10年の予測平均経済成長率が1978年の時点では3.5%であり、これが1980年では3.1%、1982年で3.2%、1984年で2.9%、1986年においては2.6%と低下傾向が見られることである[9][誰?]。
    参考文献 編集

    浅子和美・加納悟・倉澤資成『マクロ経済学』新世社、1993年、289-290頁。
    脚注 編集

    ^ 予算制約式の証明については、例えば貝塚啓明『財政学 第2版』東京大学出版会、242-244ページ。
    ^ 岩田規久男 『マクロ経済学を学ぶ』 筑摩書房〈ちくま新書〉、1996年、86頁。
    ^ 浜田宏一 『アメリカは日本経済の復活を知っている』 講談社、2012年、197頁。
    ^ Debt neutrality: A brief review of doctrine and evidence W.H. Buiter, J. Tobin, social security versus private saving, Ballinger pub. co. (1979)
    ^ A note on the Ricardian equivalence argument against stimulus Paul Krugman, the conscience of a liberal, 2011年12月26日
    ^ P.R. Krugman, M. Obstfeld クルーグマンの国際経済学 理論と政策(下)金融編
    ^ 田中秀臣 『デフレ不況 日本銀行の大罪』 朝日新聞出版、2010年、73頁。
    ^ 日刊建設工業新聞コラム。ここでも読める。
    ^ a b c d J. Poterba and L. Summers, Journal of Monetary Economics 20, 369 (1987), North-Holland
    関連項目 編集

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  6. In "Essay on the Funding System" (1820) Ricardo studied whether it makes a difference to finance a war with £20 million in current taxes or to issue government bonds with infinite maturity and annual interest payment of £1 million in all following years financed by future taxes. At the assumed interest rate of 5%, Ricardo concluded that in terms of spending the two alternatives amounted to the same value. However, Ricardo himself doubted that this proposition had practical consequences. He followed up the initial exposition with a claim that individuals do not actually evaluate taxes in such a manner and, in particular, take myopic view of the tax path.[2]

    ^ a b c David Ricardo, "Essay on the Funding System" in The Works of David Ricardo. With a Notice of the Life and Writings of the Author, by J.R. McCulloch, London: John Murray, 1888

    The Works of David Ricardo (McCulloch ed.) - Online Library of Liberty
    http://oll.libertyfund.org/titles/1395/83020


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  7. ESSAY ON THE FUNDING SYSTEM,↩



    WRITTEN FOR THE
    SUPPLEMENT TO THE SIXTH EDITION OF THE “ENCYCLOPÆDIA BRITANNICA.”

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  8. The Works of David Ricardo (McCulloch ed.) - Online Library of Liberty
    http://oll.libertyfund.org/titles/1395/83020


    リカードの中立命題(等価定理)は2つある! | もう一度よく考え直してみて ...
    hatano1113.wix.com/blog#!リカードの中立命題(等価定理)...
    精読するまでもなく、ここには世代の議論は出てこない。リカードの中立命題にとって 重要なのは『経済学および課税の原理』ではなく、1820年に発表された「Funding System」(公債制度論)という論説だ( 注3 )。 少し長くなるが、該当箇所を ...
    デヴィッド・リカード (David Ricardo) - Cruel.org
    cruel.org/econthought/profiles/ricardo.html
    すばらしいイギリスの経済学者デヴィッド・リカードは、経済理論の発展において最も 重要な人物の一人だ。かれは政治経済学(=今の経済学)の「古典」体系 ..... "Funding System", 1820, Encyclopedia Britannica (Supp.) On Protection in Agriculture, 1822.

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  9. http://hatano1113.wix.com/blog#!%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E4%B8%
    AD%E7%AB%8B%E5%91%BD%E9%A1%8C%EF%BC%88%E7%AD%89%E4%BE%A1%E5%AE%9A%E7%90%
    86%EF%BC%89%E3%81%AF%EF%BC%92%E3%81%A4%E3%81%82%E3%82%8B%EF%BC%81/c1tye/DA380D
    AA-1E8D-4490-996B-FE0C87FA93D3


    リカードの中立命題(等価定理)は2つある!
    Tuesday, February 28, 2012
     前エントリー「リカードの中立命題とバローの中立命題」の最後で、リカードの中立命題とバローの中立命題の違いを説明することは不可能だと指摘した。そのことについて確認しよう。
     リカードの中立命題とバローの中立命題の違いを尋ねる問題で想定されている答えはすでに説明した。その説明によれば、公債の発行・償還が同一世代内で完 結しているケースはリカードの中立命題、異世代に渡っているケースはバローの中立命題ということになる。しかし、この答えは誤りだ。リカードは世代交代に 言及しており、本質的にバロー教授の議論と同じことを述べているのだ(注1)。
     リカードの主著『経済学および課税の原理』を紐解くと、第17章(87)において国債の中立性(租税と国債の等価性)について論じた箇所を確認することができる(注2)。精読するまでもなく、ここには世代の議論は出てこない。リカードの中立命題にとって重要なのは『経済学および課税の原理』ではなく、1820年に発表された「Funding System」(公債制度論)という論説だ(注3)。
     少し長くなるが、該当箇所を引用してみる(注4)。

    「金額はいくらでもいいのだが、かりに二万ポンドを所有している人に年額五〇ポンドを永久に支払いつづけることと、一〇〇〇ポンドの租税を一度に支払うの とは負担としては同額だと信じさせるのは難しいであろう。彼は、年額五〇ポンドが子孫によって支払われるのであり彼が支払うのではないであろう、という漠 然とした考えをもつのである。しかし、もし彼がその財産を息子に残し、しかもその財産とともに永久的な租税をも残すとすれば、彼がこの租税負担付きの二万ポンドを息子に残すことと、租税負担なしの一万九〇〇〇ポンドを残すことにどんな違いがあるというのであろう?」(磯村隆文訳「公債制度論」『リカードウ全集Ⅳ 後期論文集』雄松堂出版,227-228ページ.)

      リカードが次世代に遺産を残す可能性に言及していることは明らかだ。しかも、租税負担のあるなしを比較している。これはバロー論文の骨子とまったく同じアイディアだ。リカードの中立命題には世代を考慮していないバージョンと世代を考慮したバージョンの2つが存在するのだ。
     むろん、ここで強調したいことはリカードの凄さではない。リカードの中立命題とバローの中立命題の違いを説明させるような問題は公務員試験(に限らず全ての試験)には不適切ということだ。これまで、この出題で合否が決まっていないことを祈るばかりだ。
     私の講義ではリカードの中立命題とバローの中立命題を同じ定理として教えている。テキストである『財政学をつかむ』もそのような説明を採用している(注5)。しかし、公務員試験受験者の便宜を考えると、リカードの中立命題とバローの中立命題の違いを説明できるような指導も行う必要がありそうだ。

    [注]
    1:『財政学をつかむ』332ページのコラム19も参照。
    2:岩波文庫版の上・下(羽鳥卓也・吉沢芳樹訳、1987年)、雄松堂書店のデイヴィド・リカードウ全集の第1巻(堀経夫訳、1972年)がアクセスしやすい。一穂社による岩波文庫復刻版(小泉信三訳、オリジナルは1952年)は日本語が古めかしい。吉田秀夫訳も1948年で古いが、ネット上で全文を読むことができる(青空文庫)。
    3:1992年のバロー教授自身によるコメント論文(ユージン・ガーフィールド教授のCitation Classics)でも「Funding System」の重要性が強調されている。
    BARRO, R.J. (1992) "RICARDIAN EQUIVALENCE - A CITATION-CLASSIC COMMENTARY ON ARE GOVERNMENT BONDS NET WEALTH," CC/ART HUMAN (2): 16-16 JAN 20 1992.
     ブキャナン教授のコメント論文では『経済学および課税の原理』が文献リストに含まれているのに対して、「Funding System」は脚注で触れられているに過ぎない。
    Buchanan, James M. (1976) "Barro on the Ricardian Equivalence Theorem," Journal of Political Economy, Vol.84, No.2: pp.337-342.

    4:利子率の想定は5%であると推察される。原文は以下のとおり。
    It would be difficult to convince a man possessed of 20,000l., or any other sum, that a perpetual payment of 50l. per annum was equally burdensome with a single tax of 1000l. He would have some vague notion that the 50l. per annum would be paid by posterity, and would not be paid by him; but if he leaves his fortune to his son, and leaves it charged with this perpetual tax, where is the difference whether he leaves him 20,000l., with the tax, or 19,000l. without it? (Sraffa, Piero ed. (1951) The Works and Correspondence of DAVID RICARDO, Volume IV Pamphlets and Papers 1815-1823, p.187)

    5:ただし、私もかつて誤りを書いた(下記論文67ページ)。この論文をもとにした2009年の著書では修正を施した。
    畑農鋭矢(2004)「財政赤字のマクロ経済効果―カルマン・フィルタによる中立命題の検証―」『フィナンシャル・レビュー』第74号:65- 91ページ.
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    財政

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  10. 17
    87
    もしある戦争の経費が年々四千万であり、かつある人がその年々の経費に対して寄与しなければならぬ分前が、一〇〇磅であるとすれば、彼は、一時にその分担の支払を求められる時には、速かに彼れの所得から一〇〇磅を貯蓄せんと努めるであろう。公債の方法によるならば、彼は単にこの一〇〇磅の利子、すなわち年々五磅の支払を求められるに過ぎず、そこで彼はその支出からこの五磅を貯蓄するをもって足ると考え、かくて彼は以前と同様に富んでいるという信念で自ら欺くのである。

    青空文庫

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  11. マクロ経済学の歴史1 56


    リカードの中立命題について
     15-4-2で紹介している「消費の租税に関する中立性」、あるいは「租税と国債の等価」の考え方は、D. リカード(D. Ricardo、1772-1823、英国人)が『経済学および課税の原理』(1817年、第2版、On the Principles of Political Economy and Taxation)の第17章においてはじめて展開されたことから、リカードの中立命題、あるいは、リカードの等価命題と呼ばれるようになった。 非常に興味深いことに、リカード自体は、租税と国債の等価性が人々に字義通りに受け取られることに懸念を抱いていた。リカードは、いくつかの場所で、自分の財政に関する理論は、巨額の政府支出を国債で調達することを正当化するためのものでないことを断っている。
      リカードの中立命題は、R. J. バロー(R. J. Barro、1944-、米国人)が1974年に『政治経済学誌』(Journal of Political Economy)に公刊した「国債は純資産なのか?」("Are government bonds net wealth?”)によって、現代的なマクロ経済理論のコンテキストでリバイブした。

    (リカードの中立命題を阻むいくつかの要因)先にも述べたように、仮想的な前提の上にリカードの中立命題が成り立っているので、「現在の減税が現在の消費に結びつくことはない」というリカードの中立命題を阻む要因は、比較的に簡単に挙げることができるであろう。 第1に、徴税手段として一括税を用いることができない場合には、多くの場合、リカードの中立命題がストレートには成り立たなくなる。特に、累進所得税のように消費者の間で所得再分配効果を伴う課税は、マクロレベルの消費に影響を与える可能性が高い。たとえば、低所得者層の限界消費性向が高所得者層の限界消費性向よりも高ければ、高所得者層から低所得者層への所得移転は、経済全体の消費レベルを引き上げる。 48

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  12. http://www.econ.hit-u.ac.jp/~makoto/education/Part_4_ch_15.pdf

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  13. リカードの中立命題について

    タイトル  デイヴィド・リカードウ全集 第4巻 後期論文集1815-1823年
    出版者   雄松堂書店
    出版年   1970.4
    大きさ等  22cm 512p
    注記    編者:P.スラッファ 協力:M.H.ドッブ
    NDC分類 331.44
    内容    リカードウのパンフレット類の各版本の対応ペイジ表:p509~512

    「金額はいくらでもいいのだが、かりに二万ポンドを所有している人に年額五〇ポンドを永久に支払いつづけることと、一〇〇〇ポンドの租税を一度に支払うの とは負担としては同額だと信じさせるのは難しいであろう。彼は、年額五〇ポンドが子孫によって支払われるのであり彼が支払うのではないであろう、という漠 然とした考えをもつのである。しかし、もし彼がその財産を息子に残し、しかもその財産とともに永久的な租税をも残すとすれば、彼がこの租税負担付きの二万ポンドを息子に残すことと、租税負担なしの一万九〇〇〇ポンドを残すことにどんな違いがあるというのであろう?」(磯村隆文訳「公債制度論」『リカードウ全集Ⅳ 後期論文集』雄松堂出版,227-228ページ.)

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  14. ヘクシャー=オリーン・モデル(HOモデル、英語: Heckscher–Ohlin model)は、国際貿易の一般均衡モデルである。ストックホルム商科大学のヘクシャーとオリーンによって開発された。HOモデルは、リカードの比較優位理論の上に築かれ、貿易地域間の生産要素賦存に基づき貿易パターンを予測する。HOモデルは、本質的には、各国はその国に豊富な生産要素を用いて生産される財を輸出し、その国に希少な生産要素を用いて生産される財を輸入すると考えている。

    目次
    モデルの概要
    モデルの理論的発展
    原著
    2×2×2モデル
    拡張
    ヘクシャー=オリーン理論の仮定
    両国とも同一の生産技術を持つ
    生産は規模に関して一定で行われる
    2財を生産するための生産技術は異なる
    国の中での労働移動
    国の中での資本移動
    国の間での資本の移動不可能性
    国の間での労働の移動不可能性
    財はどこでも同一の価格である
    国内の完全競争
    モデルの結論
    ヘクシャ=オリーン定理
    リプチンスキー定理
    ストルパー=サミュエルソン定理
    要素価格均等化定理
    HOモデルの定理の計量経済学的テスト
    関連項目
    参考文献
    外部リンク
    モデルの概要 編集

    生産要素(土地、労働、資本)の相対的な賦存量が、各国の比較優位を決定する。各国は、その国に相対的に豊富に存する生産要素を必要とする財に比較優位を持つ。これは、財の価格は究極的にはその投入物の価格によって決定されるからである。その国に豊富に存する投入物を必要とする財は、その国に希少に存する投入物を必要とする財に比べて、生産することは安価だろう。例えば、資本と土地が豊富だが労働は希少な国は、資本と土地を多く必要とする財(例:穀物)に比較優位を持つだろう。もし資本と土地が豊富であれば、それらの価格は低いだろう。資本と土地は穀物の生産において主要な生産要素であるので、穀物の価格もまた低いだろう。だから、穀物の価格は国内消費と輸出の双方に魅力的である。他方、労働は希少でその価格は高いので、労働集約財の生産は大変高くなるだろう。そのため、その国は、労働集約財は輸入した方がよりよい。

    モデルの理論的発展 編集

    比較優位のリカード・モデルは、異なった技術を用いることで生じる労働生産性の違いによって、貿易が究極的に引き起こされていると考えていた。HOモデルは、国の間で異なる生産技術を必要としていない。そして、単純化のために、HOモデルは、すべての国で同一の生産技術が用いられていると考える。リカードは、生産要素として労働を考え、国の間での技術の違いがなければ、比較優位は生じないと考えていた(すべての国は閉鎖経済となり、互いに貿易する理由は存在しない)。HOモデルは、技術の違いを除いて、異なる資本賦存量を導入し、内生的に国の間での労働生産性の差異を生じさせている(リカード・モデルでは、労働生産性の差異は外生的に与えられるものであった)。資本賦存量の国際間の差異と異なる生産要素比率を必要とする財がある下で、資本所有者の利潤最大化の解として、リカードの比較優位が生じる(資本所有者が直面する意思決定は、異なる生産技術への投資に対するものである。HOモデルでは、資本は私的に所有されると仮定されている)。

    原著 編集
    オリーンは、1933年に理論を初めて説明する本を出版した。オリーンはその本を一人で書いたが、その問題への初期の作品と、ヘクシャーが審査・指導したオリーンの博士論文の多くのアイデアのために、ヘクシャーはモデルの共同開発者として引用された。『地域間・国家間の貿易』(Interregional and International Trade) 自体は、数学的に研ぎ澄まされたものであるよりも、むしろ冗長で、新しい洞察のために魅力的なものである。

    2×2×2モデル 編集
    元々のHOモデルは、国の間の唯一の違いは、労働と資本の相対的な豊富さだけであると仮定していた。元々のHOモデルは、2財を生産できる2国を想定していた。2つの生産要素があるので、HOモデルはしばしば2×2×2 モデルと呼ばれる

    HOモデルは、国の間で異なる生産要素比率を仮定している。先進国は、途上国に比べて、比較的に高い資本労働比率を持っている。これによって、先進国は途上国に比べて相対的に資本豊富であり、途上国は先進国に比べて労働豊富になる。この唯一の違いのもとで、2つの財と2つの生産技術を用いることで、オリーンは比較優位の新しいメカニズムを議論できた(1つの技術は資本集約産業のものであり、もう1つの技術は労働集約ビジネスのものである)。

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  15. リカードは同論文で基金をなくせば戦争が起きにくいと言っている
    238頁~

    軍備は政府購入であり
    国債名目であり
    政府赤字でもある

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  16. 経済学及び課税の諸原理
    by デイヴィッド リカード, 吉田 秀夫


    リカード原理7:47
    勤労を刺戟し、器用さに報酬を与え、かつ自然の与える力を最も有効に使用することによって、それは最も有効にかつ最も経済的に労働を分配し、他方、生産物総量を増加することによって、それは一般的便益を公布し、そして利益と交通という一つの共通の紐帯によって、文明世界を通じて諸国民の普遍的社会を結成する。葡萄酒はフランス及びポルトガルにおいて造らるべく、穀物はアメリカ及びポウランドにおいて栽培さるべく、かつ金物その他の財貨は英国において製造せらるべきである、ということを決定する所のものは、この原理である。

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  17. TPPの背景には以下のようなリカードの思想がある。マルクスもリカードを受け継いだので根本的反論が出来ない。
    マルサスーリカードの穀物論争も関係する。左翼はアナーキーな自立分散型、循環型社会を実現すべきだろう。

    経済学及び課税の諸原理 by デイヴィッド リカード, 吉田 秀夫
    7:47
    《勤労を刺戟し、器用さに報酬を与え、かつ自然の与える力を最も有効に使用することによって、それは最も有効にかつ最も
    経済的に労働を分配し、他方、生産物総量を増加することによって、それは一般的便益を公布し、そして利益と交通という
    一つの共通の紐帯によって、文明世界を通じて諸国民の普遍的社会を結成する。葡萄酒はフランス及びポルトガルにおいて
    造らるべく、穀物はアメリカ及びポウランドにおいて栽培さるべく、かつ金物その他の財貨は英国において製造せらるべき
    である、ということを決定する所のものは、この原理である。》

    参考:
    http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-207.html?sp
    比較優位=三角形の傾き:

       ア国              イ国
    A財              A財(生産、消費量)
     |               |\b
     |               | \ 
     |               |  \ 
     |               |   \
     | ̄-_            |    \
     |    ̄-_         |     \ 
     |       ̄-_  a   |      \ 
     |_________ ̄-__  |_______\_____
     0        B財     0     B財(生産、消費量)

     このような,三角形の違いがあれば,貿易による利益が発生することは,皆さんはすでにお分かりだと思います。
    ア国はB財に比較優位があり,イ国は,A財に比較優位があります。貿易によって,a点と,b点を結べば,両国の
    三角形は大きくなります。

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  18. TPPの背景には以下のようなリカードの思想がある。マルクスもリカードを受け継いだので根本的反論が出来ない。
    マルサスーリカードの穀物論争も関係する。左翼はアナーキーな自立分散型、循環型社会をこうした思想に対置し
    実現すべきだろう。

    経済学及び課税の諸原理 by デイヴィッド リカード, 吉田 秀夫 7:47
    《勤労を刺戟し、器用さに報酬を与え、かつ自然の与える力を最も有効に使用することによって、それは最も有効にかつ最も
    経済的に労働を分配し、他方、生産物総量を増加することによって、それは一般的便益を公布し、そして利益と交通という
    一つの共通の紐帯によって、文明世界を通じて諸国民の普遍的社会を結成する。葡萄酒はフランス及びポルトガルにおいて
    造らるべく、穀物はアメリカ及びポウランドにおいて栽培さるべく、かつ金物その他の財貨は英国において製造せらるべき
    である、ということを決定する所のものは、この原理である。》

    参考:http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-207.html?sp
    比較優位=三角形の傾き:

       ア国              イ国
    A財              A財(生産、消費量)
     |               |\b
     |               | \ 
     |               |  \ 
     |               |   \
     | ̄-_            |    \
     |    ̄-_         |     \ 
     |       ̄-_  a   |      \ 
     |_________ ̄-__  |_______\_____
     0        B財     0     B財(生産、消費量)

     このような,三角形の違いがあれば,貿易による利益が発生することは,皆さんはすでにお分かりだと思います。
    ア国はB財に比較優位があり,イ国は,A財に比較優位があります。貿易によって,a点と,b点を結べば,両国の
    三角形は大きくなります。

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  19. 編集このページをウォッチする
    ヘクシャー=オリーン・モデル
    ヘクシャー=オリーン・モデル(HOモデル、英語: Heckscher–Ohlin model)は、国際貿易の一般均衡モデルである。ストックホルム商科大学のヘクシャーとオリーンによって開発された。HOモデルは、貿易地域間の生産要素賦存に基づき貿易パターンを予測する。HOモデルは、本質的には、各国はその国に豊富な生産要素を用いて生産される財を輸出し、その国に希少な生産要素を用いて生産される財を輸入すると考えている。HOモデルは、一般にリカードの比較優位理論の延長上にあると説明されるが、その考え方には大きな断絶がある[1]。


    ヘクシャー=オリーン・モデル - Wikipedia
    2×2×2モデル 編集
    元々のHOモデルは、国の間の唯一の違いは、労働と資本の相対的な豊富さだけであると仮定していた。元々のHOモデルは、2財を生産できる2国を想定していた。2つの生産要素があるので、HOモデルはしばしば2×2×2 モデルと呼ばれる

    HOモデルは、国の間で異なる生産要素比率を仮定している。先進国は、途上国に比べて、比較的に高い資本労働比率を持っている。これによって、先進国は途上国に比べて相対的に資本豊富であり、途上国は先進国に比べて労働豊富になる。この唯一の違いのもとで、2つの財と2つの生産技術を用いることで、オリーンは比較優位の新しいメカニズムを議論できた(1つの技術は資本集約産業のものであり、もう1つの技術は労働集約ビジネスのものである)。

    拡張 編集
    HOモデルは、1930年代までに多くの経済学者によって拡張されてきた。それらの拡張は、国際貿易をもたらす生産要素比率の違いの根本的な役割を変えるものではなかったが、モデルの予測力を高めるために、あるいは政策選択肢を議論する数学的方法として、HOモデルに様々な現実世界の要素(例:関税)を付け加えた。

    著名な貢献は、ポール・サミュエルソン、ロナルド・W・ジョーンズ(英語版)(Ronald W. Jones)、ジャロスラフ・ヴァネク(英語版)(Jaroslav Vanek)による。そのため、HOモデルの変型版は、新古典派経済学の中で、しばしば、「ヘクシャー=オリーン=サミュエルソン・モデル」あるいは「ヘクシャー=オリーン=ヴァネク・モデル」と呼ばれている。

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  20. [1] ^ 竹森俊平は、これを「ヘクシャー=オリーン的世界観」と「リカード的世界観」として対比している。竹森俊平『国際経済学』東洋経済新報社、1996年、p.112。

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  21.            

    カレツキがやったようにマルクス再生産表式の生産部門を投資と消費の二つに分ければ、
    有効需要が導かれるのだから、マル経、近経を必要以上に分けなくていい。
    今日では近経の方が貨幣の持つ信用へ懐疑的になりつつあるし…

    ピケティ(『21世紀の資本』☆)は所得フローという用語で可変資本vを表している。通常の近経(下図右)
    とズレる。
    ピケティは下の図で言えば左の資本の価値構成寄りで、なおかつ産業資本に思考を限定していない。
    効率としての資本の有機的構成という概念(不変資本/可変資本)を産業利潤=企業ではなく
    価値概念として社会全体(資本/所得比率)に拡張している。
    マルクスよりマルクス的だ。マルクスが指摘するに留めた本源的蓄積の分析に帰納法的、統計学的に
    切り込んでいる。

         不変資本c/可変資本vとストック/フローβの関係:
     <資本の価値構成>     ←      <資本の技術的構成>
    価値増殖過程での     生産諸要素      再生産過程[回転の仕方]
    資本機能区別                  での資本機能区別

            ┏━建物、機械等(労働手段)━━━━固定資本(ストック)
     不変資本c━━┫
            ┗━原料、補助材料(労働対象)━┓
                            ┣━流動資本(フロー)
     可変資本v━━━━労働力━━━━━━━━━━━┛
    http://ykbdata.la.coocan.jp/DAS_KAPITAL/DAS_KAPITAL_029.htm
      (ゲゼルの減価マネーは右の原理を踏まえ、同時に左に切り込む。)

    ピケティ略語:
           所得の中の資本シェアα、
         資本収益率r、          
         資本/所得比率β、   貯蓄率s、
                     成長率g
       α=r×β (☆56頁,1章)、β=s/g (173頁,5章)

    マルクスは資本/所得比率を10くらいに想定(固定)していた。
    http://1.bp.blogspot.com/-rM_WkUy2Gic/TrTQVwYfZSI/AAAAAAAADOs/1a2B13rXWic/s1600/9eb71472.jpg
    「固定資産のうち価値増殖過程に入らない部分は省略されている。」
    (大月書店マルクス資本論草稿第9巻589頁)

    ちなみにマルクスピケティ両者は共にバルザック好き。バルザックは日本でなら井原西鶴に対応する。



    _______

    ________

    http://fourier.kasairyoun.com/2015/11/books.html
    金融小説名篇集(藤原書店)
    オノレ・ド・バルザック
    売れっ子作家であったにもかかわらず、ファッションに旅行に、女優との交際にと、放蕩三昧のおかげで借金に苦しむ。バルザック自身がそんな人物だったのだから、お金に関する小説が面白くないはずがない。…

    ☆#7
    《…私の分析はすべてが十分位数(上位10パーセント、中位40パーセント、下位50パーセントなど)といった統計概念に基づいている。これは社会がちがってもまったく同じように定義できるからだ。》

    ピケティのマルクスに対する優位は中間層の存在を統計的に認めたことである。マルクスは三位一体の定式なども導入したが基本は二元論であり、現実に対応していない。

    ちなみにピケティはジニ係数に批判的だ。

    21c#7
    《経済学者の著作や、国民の論議に登場する所得格差の統計指標は、労働と資本の格差というまったく異なる要素を混ぜ合わせたジニ係数のような総合指標であることが多いため、格差の多様な様相とそこで働いているメカニズムをはっきり区別できない。これに対し、私はこれらの要素を可能なかぎり厳密に区別して考えよう。》

    《下流、中流、上流階級
     誤解のないように言っておくと、私が表7−1─7−3で使用した「下流階級」(下位50パーセントと定義)、「中流階級」(中位40パーセント)、そして「上流階級」(上位10パーセント)という呼称はもちろんまったく恣意的なものであり、異議もあるだろう…》

    《……私の分析はすべてが十分位数(上位10パーセント、中位40パーセント、下位50パーセントなど)といった統計概念に基づいている。これは社会がちがってもまったく同じように定義できるからだ。》

    とはいえ1%の支配階級と残りの99%という二元論をピケティが使うこともある。

    エマニュエル・サエズとトマ・ピケティの共著論[*]のデータによって作成された、アメリカ合衆国における所得上位1%の所得が国民総所得に占める比率の推移を示すグラフ。

    ^ Pikkety, Thomas; Emmanuel Saez (2006). "The Evolution of Top Incomes: A Historical and International Perspective" (PDF). AEA Papers and Proceedings 96 (2): 200–205. Retrieved 2012-06-03.
    Facundo Alvaredo, Anthony B. Atkinson, Thomas Piketty, and Emmanuel Saez (2013).
    The Top 1 Percent in International and Historical Perspective
    http://pubs.aeaweb.org/doi/pdfplus/10.1257/jep.27.3.3
    ^ "Tax Data Show Richest 1 Percent Took a Hit in 2008, But Income Remained Highly Concentrated at the Top. Recent Gains of Bottom 90 Percent Wiped Out." Center on Budget and Policy Priorities. Accessed October 2011.

    BC
    AD
    第 II 部 資本/所得比率の動学3~6  第 III 部 格差の構造7~12 
    ----------------+----------------------
    第 I 部 所得と資本1~2 はじめに  第 IV 部 21世紀の資本規制13~16 おわりに


    21世紀の資本:みすず書房
    (21せいきのしほん、仏: Le Capital au XXIe siecle 、英: Capital in the Twenty-First Century)は、フランスの経済学者トマ・ピケティ(Thomas Piketty)の著書。2013年に フランス語で公刊され、2014年4月には英語訳版が発売。2014年12月日本語版発売。
    http://www.amazon.co.jp/dp/4622078767
    http://www.msz.co.jp/book/detail/07876.html


    BA
    CD

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  22. G-W-G(1-t)
    W-G-W(1-t)
    商品と同じく貨幣も価値を減じる必要がある。

    ーーーー

    前者の帰納、後者の演繹は相補的。
    (小田中 直樹 『ライブ・経済学の歴史』あたりの読み物が両者をつなぐだろう。)

    また、国富論は様々なアイデアの宝庫。

    《公共事業および公共施設の費用について  主権者または国家の、第三のそしてさいご
    の義務は、つぎのような公共施設および公共事業を設立し維持するという義務であって、
    …》(河出『国富論』第五篇第三部。国防、司法に続く部)

    以上は社会的公共資本の元。
    以下は行動経済学の元。

    《だれもが利得の機会を多少とも過大評価し 、またたいていの人は損失の機会を多少と
    も過小評価する 》 (国富論1:101岩波書店版1, 190頁 )

    マルクスの協働理論は国富論のピンづくりから(1:1)、ジェボンズの限界効用のアイデアは
    ダイヤと水価格論議(1:4)から批判的に生み出された。

    参考:
    http://blog.goo.ne.jp/sotashuji/e/c1b0ef259a3649a15eefb9660c776ce1
    間宮陽介著「市場社会の思想史」評

    ケインズに関しては、それをモデル化したヒックスの1937年論評↓(pdfで邦訳同時公開済み)と
    出来れば『価値と資本』(岩波文庫)を見ればケインズが現代経済学の元とわかる。
    http://genpaku.org/generaltheory/hicksislm.pdf
    マクロとミクロを分けたのもケインズだ(一般理論#21:1)。

    ついでに、読まなくてもいいからリカードとマルクスも持っておくといい…かも。

    ちなみにリカードは、比較優位(7:47)、中立命題が有名。
    マルクスは特にその資本論第二巻再生産表式がカレツキの(ケインズに先立つ)有効需要の発見、レオンチェフの産業連関分析に影響を与えた。

    経済学及び課税の諸原理 by デイヴィッド リカード, 吉田 秀夫 7:47
    《勤労を刺戟し、器用さに報酬を与え、かつ自然の与える力を最も有効に使用することによって、それは最も有効にかつ最も
    経済的に労働を分配し、他方、生産物総量を増加することによって、それは一般的便益を公布し、そして利益と交通という
    一つの共通の紐帯によって、文明世界を通じて諸国民の普遍的社会を結成する。葡萄酒はフランス及びポルトガルにおいて
    造らるべく、穀物はアメリカ及びポウランドにおいて栽培さるべく、かつ金物その他の財貨は英国において製造せらるべき
    である、ということを決定する所のものは、この原理である。》

    参考:http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-207.html?sp
    比較優位=三角形の傾き:

       ア国              イ国
    A財              A財(生産、消費量)
     |               |\b
     |               | \ 
     |               |  \ 
     |               |   \
     | ̄-_            |    \
     |    ̄-_         |     \ 
     |       ̄-_  a   |      \ 
     |_________ ̄-__  |_______\_____
     0        B財     0     B財(生産、消費量)

     このような,三角形の違いがあれば,貿易による利益が発生することは,皆さんはすでにお分かりだと思います。ア国はB財に比較優位があり,イ国は,A財に比較優位があります。貿易によって,a点と,b点を結べば,両国の三角形は大きくなります。

    リカードの中立命題について
    (『租税…』#17にも中立命題はあるが世代論がない。)

    タイトル  デイヴィド・リカードウ全集 第4巻 後期論文集1815-1823年
    出版者   雄松堂書店
    出版年   1970.4
    大きさ等  22cm 512p
    注記    編者:P.スラッファ 協力:M.H.ドッブ
    NDC分類 331.44
    内容    リカードウのパンフレット類の各版本の対応ペイジ表:p509~512

    「金額はいくらでもいいのだが、かりに二万ポンドを所有している人に年額五〇ポンドを永久に支払いつづけることと、一〇〇〇ポンドの租税を一度に支払うの とは負担としては同額だと信じさせるのは難しいであろう。彼は、年額五〇ポンドが子孫によって支払われるのであり彼が支払うのではないであろう、という漠 然とした考えをもつのである。しかし、もし彼がその財産を息子に残し、しかもその財産とともに永久的な租税をも残すとすれば、彼がこの租税負担付きの二万ポンドを息子に残すことと、租税負担なしの一万九〇〇〇ポンドを残すことにどんな違いがあるというのであろう?」(磯村隆文訳「公債制度論」『リカードウ全集Ⅳ 後期論文集』雄松堂出版,227-228ページ.)

    もう一度よく考え直してみてよ Try to reconsider carefully | リカードの中立命題(等価定理)は2つある!
    http://hatano1113.wix.com/blog#!%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%81%AE%E4%B8%AD%E7%AB%
    8B%E5%91%BD%E9%A1%8C%EF%BC%88%E7%AD%89%E4%BE%A1%E5%AE%9A%E7%90%86%EF%BC%89%E3%81%
    AF%EF%BC%92%E3%81%A4%E3%81%82%E3%82%8B%EF%BC%81/c1tye/DA380DAA-1E8D-4490-996B-FE0C87FA93D3


    リカードの中立命題(等価定理)は2つある! | もう一度よく考え直してみて ...
    hatano1113.wix.com/blog#!リカードの中立命題(等価定理)...
    リカードの主著『経済学および課税の原理』を紐解くと、第17章(87)において国債の 中立性(租税と国債の等価性)について論じた箇所を確認することができる( 注2 )。精読 するまでもなく、ここには世代の議論は出てこない。リカードの中立命題 ...

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  23. http://www.aozora.gr.jp/cards/001164/files/43670_18988.html
    17章(八七)生産的企業に対する課税の影響に関する枝話。債務の利子に対し課せられた課税は、一人から他のもう一人へのある富の移転に過ぎない



    (八七)戦費を支弁する目的でまたは国家の通常の経費として、一国に賦課せられ、そして主として不生産的労働者の支持に当てられる所の、租税は、その国の生産的産業から徴収される。そしてかかる経費が節約され得るごとに納税者の資本は増加しないとしても、一般に所得は増加するであろう。一年間の戦費として二千万が公債によって調達される時には、その国民の生産資本から引き去られるのはその二千万である。この公債の利子を支払うために租税によって調達される年々の一百万は、単に、それを支払う者からそれを受取る者に、納税者から国家の債権者に、移転されるに過ぎないものである。真の経費は二千万であって、それに対して支払わるべき利子ではない(註)。利子が支払われようと支払われまいと、国はより富みもせずより貧しくもならないであろう。政府は二千万を租税の形で一時に要求したかもしれない。その場合には年々の租税を一百万に当るだけ引上げる必要はなかったであろう。しかしながら、このことは取引の性質を変えはしなかったであろう。一個人は、年々一〇〇磅ポンドの支払を要求されずして、時に二、〇〇〇磅ポンドを支払うを余儀なくされたであろう。より大なる額を彼自身の資金から割くよりもむしろ、この二、〇〇〇磅ポンドを借入れ、その債権者に利子として年々一〇〇磅ポンドを支払う方が、また彼の利益に適したかもしれない。一方の場合にはそれはAとBとの間の私的取引であるが、他方の場合には、政府がBに、等しくAによって支払わるべき利子の支払を保証するのである。もしこの取引が私的性質のものであったならば、それについては何らの公の記録も作られず、そしてAがBに対して忠実に彼れの契約を履行しようと、または不当にも年々一〇〇磅ポンドを彼自身の所有に保留しておこうと、それはこの国にとっては比較的にどうでもよい事柄であろう。国は契約の忠実な履行に一般的利害関係を有つであろうが、しかし国民的富に関しては、それは、AとBとの中うちいずれがこの一〇〇磅ポンドを最も生産的ならしめるかについてより以外には、何らの利害関係をも有っていない。しかしこの問題については、それは決定すべき権利もなければ能力もないであろう。もしAがそれを彼れの使用のために保留しておくならば、彼はそれを無益に消費するかもしれず、またもしそれがBに支払われるならば、彼はそれを彼れの資本に加え、それを生産的に用いるかもしれない、ということも有り得よう。そしてその反対もまた有り得よう。すなわちBはそれを浪費するかもしれず、またAはそれを生産的に用いるかもしれない。富のみを目的とするならば、Aがそれを支払うことも支払わぬことも、同等にまたはより以上に望ましいかもしれない。しかしより大なる功利たる正義及び誠実の権利は、より小なる功利のそれに従属すべく強制されてはならない。従ってもし国家の干渉が要求されるならば、裁判所はAを強制して彼れの契約を履行せしめるであろう。国家によって保証された債務はいかなる点においても上の取引と異る所はない。正義と誠実とは、国債の利子が引続き支払わるべきことを、及びその資本を一般的利益のために前払した者は便宜という口実の下にその正当な権利を抛棄すべく求められてはならないことを、要求するのである。
    (註)『ムロンは曰く、一国民の負債は右手が左手に対する負債であり、それによって身体は弱められない、と。全体の富が未償還負債に対する利子支払によって減少されぬということは、真実である。利子は納税者の手から国家債権者へ移転する一価値である。それを蓄積しまたは消費するのが国家債権者であろうとまたは納税者であろうと、それは社会にとってほとんど大したことではないということには、私は同意する。しかし負債の元金――それはどうなったのであるか? それはもはや存在しない。公債に伴う消費は一資本を無くしてしまい、それはもはや収入を生み出さないであろう。社会は利子額を奪われはしないが、けだしそれは一方の手から他方の手に移るのであるからである。しかし、社会は破壊された資本からの収入を奪われている。この資本は、もし国家にそれを貸した人が生産的に使用したならば、同じく彼に一つの所得を齎したであろうが、しかしその所得は真実なる生産から得られたものであって、同胞二三の市民の懐中から供せられたものではなかったであろう。』セイ、第二巻、三五七頁、これは経済学の真精神で理解されかつ言い表わされている。

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  24.  しかしこの考察を別にしても、政治的功利が政治的廉直を犠牲にして何物かを得るであろうということは、決して確実ではない。国債の利子の支払を免除された当事者が、それを当然受くべきものよりもより生産的に使用するであろうということには、決してならない。国債を破棄することによって、ある人の所得は一、〇〇〇磅ポンドから一、五〇〇磅ポンドに高められるかもしれないが、しかし他の人のそれは一、五〇〇磅ポンドから一、〇〇〇磅ポンドに低められるであろう。これらの二人の所得は今二、五〇〇磅ポンドであるが、その時にもそれはそれ以上ではないであろう。もし租税を徴収することが政府の目的であるならば、一方の場合には、他方の場合と正確に同一の課税し得る資本と所得とがあるであろう。しからば、一国が困窮せしめられるのは国債に対する利子の支払によってではなく、またそれが救済され得るのはその支払の免除によってではない。国民的資本が増加され得るのは、所得の貯蓄と支出上の節減とによってのみである。そして国債の破棄によっては、所得も増加せられず、また支出も減少されないであろう。国が貧窮化するのは、政府及び個人の浪費と負担とによってである。従って、公私の節約を助長せんがためのあらゆる方策は国の困窮を救済するであろう。しかし、真実の国民的困難が、正当にそれを負担すべき社会の一階級の肩から、あらゆる公平の原則に基いて彼らの分前以上負担すべきではない他の階級の肩に、それを転嫁することによって除去され得ると想像するのは、誤謬でありかつ妄想である。
     上述せる所からして、私は借入金の方法をもって国家の非常費を支弁するに最もよく適合せるものと考えていると、推論されてはならない。それは吾々を、より不倹約ならしめるところの、――吾々をして自分の実情に盲目ならしめるところの、傾向ある方法である。もしある戦争の経費が年々四千万であり、かつある人がその年々の経費に対して寄与しなければならぬ分前が、一〇〇磅ポンドであるとすれば、彼は、一時にその分担の支払を求められる時には、速かに彼れの所得から一〇〇磅ポンドを貯蓄せんと努めるであろう。公債の方法によるならば、彼は単にこの一〇〇磅ポンドの利子、すなわち年々五磅ポンドの支払を求められるに過ぎず、そこで彼はその支出からこの五磅ポンドを貯蓄するをもって足ると考え、かくて彼は以前と同様に富んでいるという信念で自ら欺くのである。全国民は、かくの如く推理し行動することによって、単に四千万の利子すなわち二百万を貯蓄するに過ぎず、かくの如くして、四千万の資本が生産的に使用された場合に与える利子または利潤のすべてを失うのみならず、更に彼らの貯蓄額と支出額との差額たる三千八百万をも失うのである。もし、前述の如く、各人が自己の借金をして国家の緊急費に対してその全分前を寄与しなければならなかったのであるならば、戦争の終了するや否や、課税は止み、そして吾々は直ちに物価の自然的状態に復帰するであろう。Aは、彼れの私的の資金から、彼が戦争中にBから借入れた貨幣に対する利子を、彼をして戦費に対するその分前を支払い得せしめるために、Bに支払わなければならないかもしれないが、しかしこれは国民の与あずかり知る所ではないであろう。
     大きな負債を累積した国は、最も不自然な地位に置かれる。そしてたとえ租税の額と労働の価格との騰貴とは、その国を、それらの租税を支払うという不可避的な不利益を除けば、諸外国との関係において、他の何らの不利益な地位にも置かないかもしれぬし、また置かないであろうと私は信ずるとはいえ、しかもこの負担から免れてこの支払を自分自身から他人に転嫁するのが、あらゆる納税者の利益となる。そして彼自身と彼れの資本とをかかる負担を免れる他国に移そうという誘惑はついに不可抗的のものとなり、そして彼の出生地との若き聯想の場面を去るに当って各人が感ずる当然の念を克服する。この不自然な制度に伴う困難に陥った国は、その負債を償還するに必要なその財産のある部分を犠牲にして、この困難から免れるのが賢明な遣り方である。一個人にとって賢明なことは一国民にとってもまた賢明なことである。五〇〇磅ポンドの所得を齎す一〇、〇〇〇磅ポンドを持ち、その中から年々一〇〇磅ポンドを負債の利子に支払わなければならない人は、真実には単に八、〇〇〇磅ポンドの財産を有つに過ぎず、そして彼が引続き年々一〇〇磅ポンドを支払おうと、または一時にただの一囘限り二、〇〇〇磅ポンドを支払おうと、その富の程度は同じであろう。しかし、この二、〇〇〇磅ポンドを取得するために彼が売らなければならぬ財産の買手はどこにいるであろうか? と問われる。その答は明白である。この二、〇〇〇磅ポンドを受取るべき国家債権者は、その貨幣の放資国を求めるであろう。そしてそれを地主または製造業者に貸付けるか、または彼らからその処分しなければならぬ財産の一部を購買する気になるであろう。かかる支払に対しては公債所有者達自身も大いに寄与するであろう。この計画はしばしば推奨され来ったものであるが、しかし吾々はそれを採用するに足る知識も有たなければまた勇気も有たない。しかしながら平和の時には、吾々の不断の努力は、戦争の間に契約された負債部分の返済に向けられねばならぬこと、また楽になりたいという誘惑や、現在の――そして望むらくは一時的の、困窮から逃れんとの願望のために、その大目的に対する吾々の注意を緩めてはならぬことが、承認されなければならない。
     いかなる減債基金も、もしそれが歳出に対する歳入の超過から得られるのでないならば、負債を減少する目的に対しては有効であり得ない。この国の減債基金が単に名目的に過ぎないのは遺憾のことである。けだし支出に対する収入の超過は全くないからである。それは節約によって、その名の如きものに、すなわち真に有効な負債支払のための基金たらしめられなければならぬ。もし将来戦争の勃発せる際に、我国の負債が著しく減少せしめられていないならば、その全戦費は年々徴収される租税によって支弁されなければならぬか、しからざれば、その戦争の終了前ではないにしても、その終了の時に、吾々は国民的破産に陥らなければならぬかの、いずれかである。吾々は公債の著しい増加に堪え得ないであろうというのではない。一大国民の力に限界を置くことは困難であろう。しかし、個々人が、単に彼らの故国で生活するという特権に対して、永続的課税の形において甘んじて支払う価格には確かに限界があるのである(註)。
    (註)『信用は一般的には、資本に、それが有用に用いられない人々を去って生産的たらしめられる人々に移るのを許すから、よいことである。すなわちそれは資本を、公債放資の如き、単に資本家にとって有用であるにすぎない用途から移転させ、それを産業に従事せる人々の手において生産的ならしめる。それはすべての資本の使用を便宜ならしめ、使用されない資本をなからしめる。』――『経済学』、四六三頁。第二巻、第四版――これはセイ氏の看過に相違ない。公債所有者の資本は決して生産的ならしめられ得るものではない、――それは事実上資本ではない。もし彼がその公債を売り、それに対して得た資本を生産的に使用するとすれば、彼はその公債の買手の資本を生産的用途より引離すことによってのみ、このことをなし得るのである。(編者註――この誤りは第五版で訂正された。第三巻、六〇頁。これは第三版にはなかったものである。第二巻、四四四頁。)

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  25.  いかなる減債基金も、もしそれが歳出に対する歳入の超過から得られるのでないならば、負債を減少する目的に対しては有効であり得ない。この国の減債基金が単に名目的に過ぎないのは遺憾のことである。けだし支出に対する収入の超過は全くないからである。それは節約によって、その名の如きものに、すなわち真に有効な負債支払のための基金たらしめられなければならぬ。もし将来戦争の勃発せる際に、我国の負債が著しく減少せしめられていないならば、その全戦費は年々徴収される租税によって支弁されなければならぬか、しからざれば、その戦争の終了前ではないにしても、その終了の時に、吾々は国民的破産に陥らなければならぬかの、いずれかである。吾々は公債の著しい増加に堪え得ないであろうというのではない。一大国民の力に限界を置くことは困難であろう。しかし、個々人が、単に彼らの故国で生活するという特権に対して、永続的課税の形において甘んじて支払う価格には確かに限界があるのである(註)。


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  26. デイヴィド・リカアドウ David Ricardo 吉田秀夫訳 経済学及び課税の諸原理 PRINCIPLES OF POLITICAL ECONOMY AND TAXATION
    http://www.aozora.gr.jp/cards/001164/files/43670_18988.html
    (四七)しかしながら異る国において生産された貨物は、一国から他国へ生産要素を移動せしめ得ないために、生産費によっては交換されない。各国は最大の便益を有つ貨物を生産している

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  27. (四七)一国における貨物の相対価値を左右すると同一の規則は、二つまたはそれ以上の国の間に交換される貨物の相対価値を左右しはしない。
     完全な自由貿易の制度の下においては、各国は当然にその資本及び労働を各々にとり最も有利な職業に向ける。この個人的利益の追求は全体の普遍的幸福と驚嘆すべきほどに結びついている。勤労を刺戟し、器用さに報酬を与え、かつ自然の与える力を最も有効に使用することによって、それは最も有効にかつ最も経済的に労働を分配し、他方、生産物総量を増加することによって、それは一般的便益を公布し、そして利益と交通という一つの共通の紐帯によって、文明世界を通じて諸国民の普遍的社会を結成する。葡萄酒はフランス及びポルトガルにおいて造らるべく、穀物はアメリカ及びポウランドにおいて栽培さるべく、かつ金物その他の財貨は英国において製造せらるべきである、ということを決定する所のものは、この原理である。
     同一国内においては、利潤は、一般的に言えば、常に同一の水準にあり、または資本の用途の安固と快適との大小に従って異るのみである。異れる国の間ではそうではない。
     もしヨオクシアにおいて用いられている資本の利潤が、ロンドンにおいて用いられている資本のそれを超過するならば、資本は急速にロンドンからヨオクシアに移動し、そして利潤の平等が達せられるであろう。しかしもし資本及び人口の増加によって英国の土地における生産率の減少せる結果、労賃が騰貴しそして利潤が下落しても、資本及び人口が必然的に英国から、利潤のより高いオランダやスペインやロシアへ移動するということには、ならないであろう。
     もしポルトガルが他国と何らの商業関係をも有たないならば、この国は、その資本及び勤労の大部分を、葡萄酒――それをもってこの国は他国の毛織布や金物を自国自身の使用のために購買するのであるが、――の生産に用いずに、その資本の一部をかかる貨物のの製造に向けざるを得ないであろうが、かくてこの国はおそらく質並びに量において劣れるものを取得することになろう。
     この国が英国の毛織布と交換に与えるであろう葡萄酒の分量は、もし双方の貨物が英国において製造されるかまたは双方がポルトガルにおいて製造される場合の、その各々の生産に投ぜられる労働の各分量によっては、決定されない。
     英国は、毛織布を生産するに一年間に一〇〇名の人間の労働を必要とする状態にあるであろう。そしてもしこの国が葡萄酒を造ろうと企てるならば、同一期間に一二〇名の人間の労働を必要とするであろう。英国は従って、葡萄酒を輸入し、そしてそれを毛織布の輸出によって購買するのが、その利益であることを見出すであろう。
     ポルトガルにおいて葡萄酒を生産するには一年間に単に八〇名の労働を必要とするのに過ぎぬであろうし、また同一国において毛織布を生産するには、同一期間に九〇名の労働を必要とするであろう。従ってこの国にとっては、毛織布と交換に、葡萄酒を輸出するのが有利であろう。ポルトガルが輸入する貨物が、英国におけるよりそこでより少い労働をもって生産され得るにもかかわらず、この交換はなお行われるであろう。この国が九〇名の労働をもって毛織布を製造し得ても、この国はそれを生産するに一〇〇名の労働を必要とする国から、それを輸入するであろう、けだしこの国にとって、その資本の一部分を葡萄の栽培から毛織布の製造に移すことによって生産し得るよりもより多くの毛織布を英国から取得するであろうところの、葡萄酒の生産に、その資本を用いる方が、むしろ有利であるからである。
     かくて英国は、八〇名の労働の生産物に対して、一〇〇名の労働の生産物を与えるであろう。かかる交換は同一国の個人の間では起り得ないであろう。一〇〇名の英国人の労働は、八〇名の英国人のそれに対して与えられ得ない、しかし一〇〇名の英国人の労働の生産物は、八〇名のポルトガル人の、六〇名のロシア人の、または一二〇名の東印度人の労働の生産物に対して、与えられ得よう。一国と多くの国との間のこの点に関する相違は、資本がより有利な職業を求めて一国から他国に移動する困難と、同一国において資本が常に一つの地方から他の地方に移る敏速さとを考慮すれば、容易に説明されるのである(註)。
    (註)しからば、機械及び技術に極めて著しい便益を有し、従ってその隣国よりも極めてより少い労働をもって貨物を製造し得る国は、たとえその土地がより肥沃であり、そしてそこから穀物を輸入する国におけるよりも、より少い労働をもって穀物が栽培され得るとしても、その消費のために必要とされる穀物の一部分を製造貨物と引換に輸入するであろう。二名の人が共に靴と帽子とを造ることが出来、そして一方はこの両職業において他方に優越しているとし、ただし帽子を造る上では、彼はその競争者に単に五分の一すなわち二〇%優れているに過ぎず、そして靴を造る上では、彼は競争者に三三%優れているとする、――優越せる人はもっぱら靴の製造に従事し、そして劣れる人は帽子の製造に従事するというのが、双方の利益ではないであろうか?
     英国の資本家と両国の消費者にとっては、かかる事情の下においては、葡萄酒と毛織布との双方がポルトガルにおいて造られ、従って毛織布の製造に用いられている英国の資本と労働とがその目的のためにポルトガルへ移されるのが、疑いもなく有利であろう。その場合には、これらの貨物の相対価値は、一方がヨオクシアの産物であり他方がロンドンの産物である場合と、同一の原理によって左右されるであろう。そしてあらゆる他の場合において、もし資本が最も有利に用いられ得る国へ自由に流入するならば、利潤率の差違はあり得ず、また貨物が売却されるべき種々なる市場へそれを運搬するに必要な労働量の附加以外の、貨物の真実価格すなわち労働価格の差違はあり得ないであろう。
     しかしながら経験は、その所有者の直接的統制下にない時の資本の想像上のまたは真実の不安固と、並びにあらゆる人が自ら生れかつ諸関係を有っている国を棄てて彼れの固定せる習慣の一切を持ちながら異る政府と新しい法律とに身を委ねることを嫌う自然的性情は、資本の移出を妨げるものであることを、示している。かかる感情は、私はそれが弱められるのは遺憾なことと思うが大部分の財産家をして、外国民の間で彼らの富に対するより有利な用途を求めるよりもむしろ、自国内で低い利潤率に満足せしめるのである。

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  28. リカードの経済学 分配と成長の一般均衡理論
    著者名等  森嶋通夫/著  ≪再検索≫
    著者名等  高増明/〔ほか〕訳  ≪再検索≫
    出版者   東洋経済新報社
    出版年   1991.9
    大きさ等  22cm 266p
    注記    Ricardo′s economics./の翻訳
    NDC分類 331.44
    件名    リカード デビット
    件名    Ricardo David.
    目次    第1部 価格と地代(価格とリカーディアンの限界理論;差額地代);第2部 賃金およ
    び利潤(賃金、利潤と一般均衡;均等な利潤率と搾取率);第3部 経済成長(リカード
    的成長;国際貿易);第4部 セイ法則(セイ法則;機械);第5部 3パラダイムの比
    較(反セイ法則の体制へ向かって;リカード、ワルラス、ケインズ;リカード経済学の時
    代)
    ISBN等 4492311920
    書誌番号  3-0190381962


    森嶋通夫著作集 6 リカードの経済学
    著者名等  森嶋通夫/〔著〕  ≪再検索≫
    出版者   岩波書店
    出版年   2003.11
    大きさ等  22cm 306p
    注記    Ricardo’s economics./の翻訳
    NDC分類 330.8
    件名    経済学  ≪再検索≫
    内容    マルクスとワルラスの共通の先導者としてリカードを捉え、その理論体系を数学的に定式
    化、セイの法則を検討してケインズ経済学への移行を論じる。リカード、ワルラス、ケイ
    ンズの経済学を位置づけた論争提起の書。
    ISBN等 4-00-092596-2

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  29. サミュエルソン経済学体系 9 / ポール・アンソニ・サミュエルソン/篠原三代平 - 紀伊國屋書店ウェブストア
    https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784326548408
    ホーム > 和書 > 経済 > 経済 > ケインズ経済学
    サミュエルソン経済学体系 〈9〉 リカード,マルクス,ケインズ…

    サミュエルソン経済学体系 〈9〉 リカード,マルクス,ケインズ…

    ポール・アンソニ・サミュエルソン/篠原三代平

    勁草書房(1979/10発売)
    ただいまウェブストアではご注文を受け付けておりません。
    サイズ A5判/ページ数 379p/高さ 22cm
    商品コード 9784326548408
    NDC分類 331.74

    出版社内容情報
    経済学の成立を担った古典派経済学より現代の種々の学派にいたるまでの経済学の潮流と経済学の巨人たちの業績・生涯を,現代の巨人たる教授が鋭く論評する。

    【目次】
    第1部 古典派経済学
     賃金と利子―マルクス経済モデルの現代的解剖
     賃金と利子―マルクス経済モデルの現代的解剖:返答
     リカード経済学の現代的分析Ⅰ
     リカード経済学の現代的分析Ⅱ

     経済学としてのマルクス経済学
     マルクス的搾取概念を理解する:マルクス的価値と競争価格との間のいわゆる
     転化問題の総括
     マルクスの「価値」から競争「価格」への「転化」:廃棄と置き換えの過程
     ブルジョア的利潤率を導入した合理的計画のための新しい労働価値論

    第2部 人物評論
     経済学者と思想の歴史
     ケインズ卿と『一般理論』
     教師および経済理論家としてのシュムペーター
     数理経済学者ハロルド・ホテリング
     D・H・ロバートソン
     トーシュテン・ゴードゥルンド著『クヌート・ヴィクセルの生涯』
     回答
     60歳のA・P・ラーナー
     アーヴィング・フィッシャーと資本理論
     ジョセフ・シュムペーター
     会長講演「経済学者の道」
     思い出を語る

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  30. リカード理論 「絶対優位」と「比較優位」の誤解 - 高校生からのマクロ・ミクロ経済学入門 政治経済 現代社会 
    http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-645.html?sp


    (1)誤解

    絶対優位を比較優位と勘違いしている

     誤解とは「絶対優位なものに特化し、交換(輸出)する」です。


     アダムスミス山岡洋一訳『国富論(下)』2007日本経済新聞出版社

     賢明な家長なら、買う方が安くつくものは自分の家で作らないようにするのが当然である。仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。農民は靴も服も自分では作らず、それぞれの職人に注文する。みな、近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になることを知っている。…自国で生産するより安い価格で外国から買える商品があれば、自国の労働は自国が多少とも優位にある産業に投じ、自国の生産物の一部でその商品を外国から買う方がいい。


     この説明、「比較優位」に見えますね。靴屋は靴屋、仕立て屋は仕立て屋、農民は農民、それぞれ優位にあるものに特化して交換する。

     違います。これは「絶対優位」論です。貿易相手国より安く生産できるものに特化して、互いに交換することが利益をもたらす・・・。
     
    この考え方にたつと、以下の思想にまっしぐらです。

     日本は中国に安さでかなわない・・・。日本と中国は、競争をしている・・・。日本は負ける・・・。

     あらゆる分野で生産技術の劣っている国(絶対劣位国)が、優れている国(絶対優位)と貿易をしても、経済的に損害をこうむるのだ。貧しい発展途上国は、日本のような先進国と交換しても、利益はない。

     TPPを巡る論など、典型的ですよね。

     
     この、「絶対優位」に基づく誤解は、「相手国」と「自国」を比べて「優位だ、劣位だ」と言っていることにあります。

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  31. 実験ミクロ

    自給自足経済の実験

    ある島に住む住民たちは、その北側と南側に分かれて暮らしている。この住民たちは魚と果物を食料としている。そして、魚1尾と果物1個で1人の人間が養えるとする。北側の住民も南側の住民もそれぞれ20時間働くことができる。北側では1時間で魚を1尾獲れるが、果物1個を採るには1.5時間必要である。南側では魚を1尾獲るのに3時間必要で、果物1個採るのに2時間が必要である。実験では、まず被験者を北側と南側の住民に分ける(たとえば、10名と20名)。そのうえで、各自は自分の労働時間である20時間を、魚を獲るか、果物を採るかに割り当てる。割り当ては1時間単位で行うものとする。時間の割り当てが決まったら、採取した魚と果物の数を数える。魚1尾と果物1個で1人の人間が養えるので、魚と果物の数のうち少ないほうの数だけの人が養えることになる。被験者には、なるべく多くの住民が養えるように時間を配分するように指示する。●南北での物々交換の実験この実験での設定は基本的に先ほどの実験1.Aと同じである。違いは、南北の住民の間で物々交換ができる点である。各自の時間の割り当てが決定した後、北側と南側の住民を1人ずつペアにする。ペアはあらかじめランダムに決めた席順に従って組んでもよいし、被験者同士が好きな相手を見つけるのでもよい。ペアができたら、採取された魚と果物の取引をする。取引をしないでもかまわない。取引は原則として魚2尾と果物3個を交換するというような、整数単位での交換のみが許される。交換取引が終了したら、最終的に手に入れた魚と果物の数を数える。魚と果物の数のうち少ないほうの数だけの住民が養えることになる。被験者には、なるべく多くの人が養えるように時間を配分するように指示する。



    ●均衡予測島の北側と南側では、魚と果物を生産している。各財の生産に必要な労働時間は、それぞれに次の表のようになっている。

       北  南
    魚  1  3
    果物 1.5 2

    どちらの財についても、北側のほうが南側よりも少ない労働時間で生産可能である。この意味で、北側は魚についても果物についても南側に対して絶対優位であるという。次に、北側では、果物を1単位生産するのに必要な1.5時間を魚の生産に投入すれば1.5単位生産可能である。同様に、南側では、果物を1単位生産するのに必要な2時間を魚の生産に投入すれば、魚1単位の生産には3時間必要だから、2/3単位生産可能である。したがって、北側のほうが南側よりも魚を効率的に生産可能である。この意味で、北側は魚の生産について南側に対して比較優位であるという。また、北側では、魚を1単位生産するのに必要な1時間を果物の生産に投入すれば1/1.5=2/3単位生産可能である。同様に、南側では、魚を1単位生産するのに必要な3時間を果物の生産に投入すれば3/2単位生産可能である。したがって、今度は南側のほうが北側よりも果物を効率的に生産可能であることがわかる。この意味で、南側は果物の生産について北側に対して比較優位であるという。リカードは、ここからそれぞれが比較優位である財に特化した生産を行い、それを輸出し、比較優位でない財を輸入することで貿易による利益が得られるため、貿易が生じるという比較生産費説を唱えた。自給自足経済の状況では、魚1尾と果物1個で1人の人間が養えるという実験の設定の下で、20時間の労働を使ってなるべく多くの人を養おうとすると、北側の住民は魚と果物をそれぞれ8単位生産することになり(8単位×(1時間+1.5時間)=20時間)、南側の住民は魚と果物をそれぞれ4単位生産することになる(4単位×(3時間+2時間)=20時間)。北側の住民が10名で、南側の住民が20名とすると、島全体では魚と果物がそれぞれ160単位ずつ生産されることになる。つまり、南北で合わせて160名を養うことができる。南北で物々交換が実施されるようになると、北側では自給自足の状況では比較優
    位でない8単位分の果物に費やされていた12時間(=8単位×1.5時間)を、比較優位である魚の生産に投入すれば、さらに12単位の魚が得られる。つまり、合計で8+12=20単位の魚が得られる。同じく、南側も比較優位でない魚の4単位分の生産に費やされていた12時間(=4単位×3時間)を、比較優位である果物の生産に投入すれば、さらに6単位の果物が得られる。つまり、合計で4+6=10単位の魚が得られる。北側の住民が10名で、南側の住民が20名とすると、島全体では魚と果物がそれぞれ200単位ずつ生産されることになる。つまり、南北で合わせて200名を養うことができる。こうして、北側と南側がそれぞれ比較優位な財の生産に特化し、それを物々交換することによって、社会全体の富が増加することがわかる。これが交換によって生じる利益である。


    自給自足経済に関する実験1.Aと南北での物々交換に関する実験lBは、Bergstrom andMiller(2000)から採った。
    ◎参考文献,.c and■I Miller 1200は島η″″Zrsンッj`み2"ο″ιP′j“″Jas′“d NewYork:McGraw―Hin.



    Experiments with Economic Principles : Microeconomics / T.C....
    www.researchgate.net/.../39021514_Experiments_with_...
    2018年2月17日 ... Bergstrom and Miller (2000) provide a collection of pen-and-paper experiments within an introductory course to microeconomic principles. Experiments are designed such to allow and motivate discussions before, during and ...
    Experiments with Economic Principles: Microeconomics, 2nd Edition
    econ.ucsb.edu/~tedb/eep/eep.html
    Who's the guy in the picture? Experiments with Economic Principles: Microeconomics, 2nd Edition. by Theodore Bergstrom and John H. Miller. Preface. Taking a course in experimental economics is a little like going to dinner at a cannibal's ...

    table
    http://econ.ucsb.edu/~tedb/eep/anntoc2.html
    Experiment 2: Shifting Supply and Demand
    This experiment illustrates the method of comparative statics with a shifting supply curve in a hypothetical fishing village. The experiment also forces students to grapple with the concept of sunk costs. The discussion section presents real-world examples of shifts in supply and/or demand. This discussion is intended to teach them to determine in applications which curve shifted, and to distinguish shifts in a demand or supply curve from movements along the curve.

    実験2:需要と供給のシフト
    この実験は、仮説的漁村における供給曲線の変化を伴う比較統計量の方法を示している。 この実験はまた、学生に沈み込みコストの概念を抱かせるよう強制します。 ディスカッションのセクションでは、供給や需要の変化の現実的な例を紹介します。 この議論は、カーブがシフトしたアプリケーションを決定し、需要曲線または供給曲線のシフトをカーブに沿った動きから区別するように教示することを目的としています。

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  32. 〇厚生分析

    均衡において実現する結果が、果たして経済全体の厚生(富や豊かさ)を最大にするのかを分析するのが厚生分析である。
    にするのかを分析するのが厚生分析である。ミクロ経済学では、この厚生分析にはパレート効率性という基準を用いる。ここで、パレート効率的であるとは、相手の利得を減らさないでは自分の利得を増やすことのできない状態をいう。これが、日常語での効率性、すなわち、「無駄がないこと」と同義であることは、次のように考えてみればわかる。いま資源を2人で無駄なく分け合っているとする。このとき、二方のプレーヤーが自分の取り分を増やそうと思えば、相手の取り分を奪うしかない6この状況は、まさに先ほど述べたパレート効率性の基準にかなっている。逆に、相手の利得を下げないでも自分の利得を上げられる場合、パレート効率的ではない。一般に、各プレーヤーの利得の和を最大にする結果がパレート効率的になる。もちろん、パレート効率性以外にも厚生を測る尺度はいろいると提案されている。たとえば、有名なものにマキシミン基準がある。マキシミン基準では、実現可能な各配分について、最も効用(あるいは利潤)が低い主体に着目する。そのうえで、この最低レベルにいる主体の効用水準(あるいは利潤)力S最も高くなるような配分を社会全体では採用すべきだとするものである。たとえば、経済には3人の主体がいて、実現可能な配分がスyの2つだとする。それぞれの配分において各主体が享受する効用水準をそれぞれχ=(60,90,120)、y=(150,30,120)とする。配分χで最低レベルの効用水準は60であり、配分yで最低レベルの効用水準は30なので、マキシミン基準では配分Xを選ぶことになる。一方、3人の効用の和が最大になるのは配分yなので、パレート効率性の基準では配分yを選ぶことになる。ミクロ経済学では、市場取引における均衡分析がその中心的な課題である。では、なぜ人は市場で取引を行うのだろうか。これについては、古典派経済学者デビッド・リカードが、なぜ国々の間で貿易が行われるかを説明した比較生産費説に8っぃて考えてみるのがよい。0

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  33. カルドア

    7:
    マルクス派理論は本質的にはリカードの「剰余理論」を改造したものである。主要な分析的相違はつぎのごとくである。すなわち,(1)マルクスは収穫逓減の法則に何らの注意も払わなかった(そしてそれを信じなかった)。それゆえに地代と利潤の間に何らの分析的区別をしなかった。(2)マルクスは労働の供給価格(労働の「再生産費」)を穀物のタームではなく,商品一般のタームにおいて一定であるとみなした。それゆえにかれは産出に占める利潤の分前(地代を含む)を単に,労働1単位当りの生産物が労働の供給価格(すなわちコスト)をこえる剰余ーーすなわち生産に必要な消費に対する生産の剰余によって決定されるものとみなした。

    9
    マルクスは,またリカードおよび一般的に古典派経済学者から,資本蓄積の進展に伴い利潤率が低下するという観念を受け継いだ。しかし古典派の場合には,これは収穫逓減法則にしっかりと基づいていたのに,マルクスはその法則を放棄したので,それに対する確固たる基礎をもたなかった。かれ自身の説明は,流動資本に対する固定資本(マルクス的用語においては可変資本に対する不変資本)の比率が資本主義の発展と共に増大するという仮定に基づいていた。しかし若干の論者たちが指摘したように,利潤率低下の法則は本当は資本の「有機的構成増大」の法則からは導き出すことががきない。マルクスは,資本の有機的構成,それゆえに1人当り産出量が増大するときにも,労働の供給価格は商品のタームにおいて不変に留まると仮定しているゆえに,「有機的構成」の増大が利潤率の騰貴をもたらすよりも,むしろその低下を生ずるであろうと仮定すべきより多くの理由はない。何となれば,たとえ1人当り産出が1人当り(「不変」プラス「可変」)資本よりもより緩慢に増大すると仮定されたとしても, 1人当り「剰余価値」(1人当り産出が労働の再生産費をこえる超過分)は必然的に1人当り産出よりもより急速に増大するであろうし,かくてそれは,たとえ労働1単位当りの固定資本が継続的に追加されるために,生産性が逓減するとしても,利潤率の上昇を保証するであろうからである。
    6:
    全体の構造を論理的に首尾一貫せしめるためには,賃金は「穀物」のタームで確定されるのみならず,それはすべて「穀物」に支出されると仮定することが必要である。何となれば,もしそうでなければ工業と農業の価格関係に生ずる何らかの変化が実質賃金(商品一般のタームによる)を変ずるであろうし,かくて「剰余」の大きさと資本利潤率とは,一般的にもはや「穀物矛り潤率」一一限界地において作業する労働の生産物と労働の費用の間の関係からは,導き出せないからである。


    スラッファの先駆


    3:
    リカードの理論は,われわれがそれぞれ「限界原理」と「剰余原理」と名づけるところの二つの独立の原理に基づいていた。「限界原理」は地代の分前を説明するために,そして「剰余原理」は残余のものの,賃金と利潤への分配を説明するために役立つ。リカード派のモデルを説明するためには,われわれはまず経済を二つの広い部門,すなわち農業と工業とに分かち,それからリカードの仮定のもとで,農業において作用する諸力が工業における分配の決定に,いかに役立つかを示さなければならない。


    リカード理論を図式化する

     リカード経済学は、体系的に構成されているので、経済理論家による数理モデル化に適した特徴をもっています。実際、著名な経済学者がリカード理論の数理モデル化を試みた例は探せば幾らでもあるのですが、難解な数学は使いたくないので、ここでは、 ニコラス・カルドア(一九〇八―八六)というイギリスのケインジアンが簡単な図を使ってリカード経済学を見事に表現することに成功した例を取り上げてみましょう(図1を参照のこと)。

    図1

     P|。  。
    穀 |    。  。
     C|_______。__。D
    物 |    地代    | 。Ap
     B|__________。A
      |    利潤    | 。
     W|__________|K 。Mp
      |    賃金    |
     0|__________|M____
          労働          X

     図1では、縦軸に穀物(Corn)の産出量が、横軸に労働投入量(Labour)が測られていますが、リカードは「土地」の収穫逓減を仮定しているので、「限界生産物」Mp(正確には、十九世紀後半の「限界革命」のあとに登場する概念ですが、ここでは、労働投入量一単位の増加によってもたらされる穀物産出量の増加分と考えて下さい)が右下がりに描かれています。限界生産物が逓減していくので、「平均生産物」Ap(穀物の産出量を労働投入量で割ったもの)も逓減していくことは言うまでもありません。
    いま、労働投入量がOMであれば、穀物の産出量はOCDMとなりますが、この場合、RENT(地代総額)はBADCの部分となります。なぜなら、労働投入量がOMであれば、限界地での限界生産物はMAでかり、それと平均生産物MDとの差額が地代となるので、全体では、BADCの部分が地代総額となるからです。そして、賃金率がOWで一定ならば、WAGES(賃金総額)はOMKWとなるので、PROFITS(利潤総額)は残りのWKABとなるでしょう。
     容易に予想がつくように、耕作がさらに劣等な土地へと進んでいくと、地代総額の増大によって、利潤総額と賃金総額にあてられる部分が減少していきますが、賃金総額は一定の賃金率に労働投入量をかけた大きさなので、最終的には、利潤総額がゼロとなるような状態が訪れるでしょう。これが、古典派の「定常状態」であることは、もはや繰り返す必要はないでしょう。
     数理化にせよ図式化にせよ、何らかのモデル化をおこなう場合は、どこかには単純化の仮定を置かなければなりませんが、カルドアが考案した図は、リカード経済学を視党的にわかりやすく説明することに成功していると思います。


    リカード経済学の体系――四本の柱


    1投下労働価値説 
    2差額地代論 
    3賃金の生存費
    4収穫逓減の法則
     リカードの「収穫逓減」は、端的にいえば、「土地」の収穫逓減のことですが、リカード経済学では、この法則は、資本の蓄積と人口の増大に伴って、耕作が生産性の優る土地から生産性の劣る土地へと進まなければならないという「動態」経済に固有のものだと捉えられています。
     以上の四つを「道具箱」に入れると、リカード経済学を次のように簡潔にまとめることができます。――資本の蓄積と人口の増大が進むにつれて、耕作はより劣等な土地へとシフトしていかなければならないが、それは、限界地での生産費で決まる穀物価格の上昇→(自然)賃金の上昇と利潤のシェアの低下をもたらす。そして、最終的には、利潤(=[全生産額―地代]―賃金総額)がゼロとなる「定常状態」が訪れるだろうと。

    根井64~9頁

    返信削除
  34. 7:

    そしてこの定常状態においては,単に「資本家が彼らの資本を生産的に雇用するにあたって必然的に遭遇せざるをえないところの労苦と危険に対して十分な補償(以上のものを資本家に)与えないはど利潤が低い」ために,蓄積は停止してしまうのである。

    原理スラッファ編p.122

    返信削除
  35. kardor

    p87

    Taxation and agricultural protection thus tend to accelerate the tendency (which is in any case inevitable-unless continued technical progress manages to shift the p-Ap and p-Mp curves to the right sufficiently to suspend altogether the operation of the Law of Diminishing Returns) to that ultimate state of gloom, the Stationary State, where accumulation ceases simply because " profits are so low as not to afford (the capitalists more than) an adequate compensation for their trouble and the risk which they must necessarily encounter in employing their capital productively"*2
    2
    Ricardo, Principles, p. 122 (Sraffa Edition).

    6:59 午後 削除
    Blogger yoji さんは書きました...
    On The Principles of Political Economy and Taxation, by David Ricardo, 1817
    https://www.marxists.org/reference/subject/economics/ricardo/tax/ch06.htm

    I have already said, that long before this state of prices was become permanent, there would be no motive for accumulation; for no one accumulates but with a view to make his accumulation productive, and it is only when so employed that it operates on profits. Without a motive there could be no accumulation, and consequently such a state of prices never could take place. The farmer and manufacturer can no more live without profit, than the labourer without wages. Their motive for accumulation will diminish with every diminution of profit, and will cease altogether when their profits are so low as not to afford them an adequate compensation for their trouble, and the risk which they must necessarily encounter in employing their capital productively.


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  36. デイヴィド・リカアドウ David Ricardo 吉田秀夫訳 経済学及び課税の諸原理 PRINCIPLES OF POLITICAL ECONOMY AND TAXATION
    https://www.aozora.gr.jp/cards/001164/files/43670_18988.html

    6利潤について

    44
     すべてのこれらの計算において、私は、単に原理を闡明せんめいしようと希望しているのであって、私の全基礎が勝手に仮定されているのであり、しかも単に例証のために過ぎないことを述べる必要はほとんどない。増加しつつある人口によって必要とされる穀物逐次の分量を獲得するに必要な労働者数の差違を説明する際に、労働者の家族が消費する分量、等々を、述べることで、私がいかに正確に叙述を始めようとも、その結果は、程度こそ異ろうが、原理においては同一であったであろう。私の目的は問題を簡単にすることであった、だから私は、労働者の食物以外の他の必要品の価格騰貴を考慮に入れなかったが、この増加は、それによってそれらが造られる粗生原料品の価値騰貴の結果であり、またもちろん労賃を更に騰貴せしめ利潤を低下せしめるものであろう。
     私は既に、この価格の状態が永久的ならしめられる遥か前に、蓄積に対する動因はなくなるであろうが、それはけだし何人も、彼れの蓄積を生産的ならしめんと考えることなくして蓄積する者はなく、また蓄積が利潤に影響を及ぼすのは、それが生産的に用いられる時に限るからである、と述べた。動因がなければ蓄積はあり得ず、従ってかかる価格の状態は決して起り得ないであろう。農業者も、製造業者も、労働者が労賃なくしては生活し得ないと同様に、利潤なくしては生活し得ない。彼らの蓄積に対する動因は利潤が減ずるごとに減少し、そして、彼らの利潤が、彼らの労苦と彼らがその資本を生産的に用いるに当って必然的に遭遇しなければならぬ危険とに対して、彼らに適当な報償を与えない時には、全然止んでしまうであろう。

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  37. デイヴィド・リカアドウ David Ricardo 吉田秀夫訳 経済学及び課税の諸原理 PRINCIPLES OF POLITICAL ECONOMY AND TAXATION
    https://www.aozora.gr.jp/cards/001164/files/43670_18988.html

    6利潤について

    44
     私は既に、この価格の状態が永久的ならしめられる遥か前に、蓄積に対する動因はなくなるであろうが、それはけだし何人も、彼れの蓄積を生産的ならしめんと考えることなくして蓄積する者はなく、また蓄積が利潤に影響を及ぼすのは、それが生産的に用いられる時に限るからである、と述べた。動因がなければ蓄積はあり得ず、従ってかかる価格の状態は決して起り得ないであろう。農業者も、製造業者も、労働者が労賃なくしては生活し得ないと同様に、利潤なくしては生活し得ない。彼らの蓄積に対する動因は利潤が減ずるごとに減少し、そして、彼らの利潤が、彼らの労苦と彼らがその資本を生産的に用いるに当って必然的に遭遇しなければならぬ危険とに対して、彼らに適当な報償を与えない時には、全然止んでしまうであろう。

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  38. デイヴィド・リカアドウ David Ricardo 吉田秀夫訳 経済学及び課税の諸原理 PRINCIPLES OF POLITICAL ECONOMY AND TAXATION
    https://www.aozora.gr.jp/cards/001164/files/43670_18988.html
    6利潤について
    44
     私は既に、この価格の状態が永久的ならしめられる遥か前に、蓄積に対する動因はなくなるであろうが、それはけだし何人も、彼れの蓄積を生産的ならしめんと考えることなくして蓄積する者はなく、また蓄積が利潤に影響を及ぼすのは、それが生産的に用いられる時に限るからである、と述べた。動因がなければ蓄積はあり得ず、従ってかかる価格の状態は決して起り得ないであろう。農業者も、製造業者も、労働者が労賃なくしては生活し得ないと同様に、利潤なくしては生活し得ない。彼らの蓄積に対する動因は利潤が減ずるごとに減少し、そして、彼らの利潤が、彼らの労苦と彼らがその資本を生産的に用いるに当って必然的に遭遇しなければならぬ危険とに対して、彼らに適当な報償を与えない時には、全然止んでしまうであろう。


    kardor
    p87
    Taxation and agricultural protection thus tend to accelerate the tendency (which is in any case inevitable-unless continued technical progress manages to shift the p-Ap and p-Mp curves to the right sufficiently to suspend altogether the operation of the Law of Diminishing Returns) to that ultimate state of gloom, the Stationary State, where accumulation ceases simply because " profits are so low as not to afford (the capitalists more than) an adequate compensation for their trouble and the risk which they must necessarily encounter in employing their capital productively"*2
    2 Ricardo, Principles, p. 122 (Sraffa Edition).

    On The Principles of Political Economy and Taxation, by David Ricardo, 1817
    https://www.marxists.org/reference/subject/economics/ricardo/tax/ch06.htm
    I have already said, that long before this state of prices was become permanent, there would be no motive for accumulation; for no one accumulates but with a view to make his accumulation productive, and it is only when so employed that it operates on profits. Without a motive there could be no accumulation, and consequently such a state of prices never could take place. The farmer and manufacturer can no more live without profit, than the labourer without wages. Their motive for accumulation will diminish with every diminution of profit, and will cease altogether when their profits are so low as not to afford them an adequate compensation for their trouble, and the risk which they must necessarily encounter in employing their capital productively.

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  39. 佐藤論考より


     表1『国富論』と『原理』の理論編の各章対応表

        スミス『国富論』第1編     リカードウ『原理』第2, 3版
    第5章商品の実質価格と名目価格について  第1章 価値について
    第6章商品の価格の構成部分について
                        第2章 地代について
                        第3章 鉱山の地代について
    第7章 商品の自然価格と市場価格について 第4章 自然価格と市場価格について
    第8章 労働の賃金について        第5章 賃金について
    第9章 資本の利潤について        第6章 利潤について
    第10章 労働と資本の異なった用途に
        おける賃金と利潤について
    第11章土地の地代について
             x          第7章外国貿易について

                             (出典)Ricardo [1817] 1951: xxiv
          

               表2 Sraffa (1951)解釈
    『国富論』第5編第2章第2節        『原理』第2.3版
    ___________________________________
    前書き 租税とは            第8章 租税とは
          x             第9章 原生産物税
    ___________________________________
    第1項  賃料税
        地代税             第10章 地代税
        土地生産物税          第11章 十分の一税
                        第12章 地租
                        第13章 金に対税
        家賃税             第14章 家屋税
    ___________________________________
    第2項 利潤税             第15章 利潤税
        特殊な職業の利潤税
    ___________________________________
    第3項 賃金税             第16章 賃金税
    ___________________________________
    第4項 各種収入に無差別にかかる租税
        人頭税
        消費税            第17章 非原生産物税
    __________________________________
            x          第18章 救貧税

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  40. http://www.eonet.ne.jp/~bookman/19seiki/bailey.htm
    BAILEY, R. , A Critical Dissertation on the Nature, Measures, and causes of Value; Chiefly in Refernce to the writings of Mr.Ricardo and his followers. , London, Printed for R. Hunter, 1825, ppxxviii+255

     サムエル・ベイリー著『価値の性質、尺度、及び原因に関する批判的論文、主としてリカード氏及び彼の追随者たちの諸著作に関連して』、初版。
     著者(1791-1870)は、イングランドのシェーフィルド生まれの商人・銀行家。一時商売のためアメリカ合衆国に渡った他、ほぼ生涯を生地で過す。若くして半ば事業から身を引き、広い範囲に亘って著作をしたアマチュア学者。政治・経済・銀行業・哲学の著作の他シェークスピア研究の本もある。南方熊楠が理想としたlaymanとは、このような人のことか。

     最初に本題の理解の便宜のために、主に批判の対象となったリカード価値論の概要を、少し記してみる。リカードによれば、商品の価値は投下労働量によって決り、利潤・賃金とも価値の中から支払われる。賃金の騰落は価値に影響しないとされるから、価値(投下労働量)が同一である限り、賃金の高騰は価値の労働者取分を増やし、資本家の取分である利潤が減ることとなるだけである。繰り返せば、あくまで、投下労働量によって価値は決定されるのである。
     もっとも、時間的差異のためというか(一般)利潤率の成立によって、各商品生産に必要な固定資本・流動資本比率等が異なるため、賃金率の変動により労働価値説に修正が必要となることは、リカードも認めている。晩年に至るに従って、賃金率(利潤率)の変更が価値に及ぼす影響をますます重大視するようになったが、最後まで労働価値説は放棄していない。しかしながら、なぜ投下労働量が価値の原因であるかは、スミスの説を引いたりするものの、もうひとつ明確な説明はない。

     本書は、匿名の書として出版された。交換比率の背後にあって、他物とは独立にその物に内在しているとするリカード流の価値(絶対価値論)を、ベイリーは批判し、価値は相対的概念であるとする。価値とは、二物の交換される商品としての関係にすぎないとして、「一物が他物との関連なしにそれ自身で価値をもつことができないのは、あたかも一物が他物の関連なしにそれ自身で距離をもつことができないが如くである」(邦訳p.4)。絶対価値論では、Bの価値はAに対し不変のままで,Aの価値がBに対し上がり得ると説明するが、それは、あたかも太陽から地球の距離は変動するが地球から太陽の距離は変わらないとするのと同じことだと批判する(本書、第1章)。価値は他の商品との交換関係を表すから、比較される商品に従い、貨幣価値・穀物価値・布価値等無数に存在し、それらはみな同等である(第2章)。
     著者からすれば、同時代の商品のみが相互に交換できるから、価値はあくまで同時代の商品間の関係である。従って、リカードが時代を超えて、同一労働によって生産される商品の価値は同一と云うとき、異時点の価値を比較することになる誤謬を犯していることになる。不変の価値尺度となる商品もありえないのである(第5章)。
     徹底した相対主義者として、リカードの絶対価値の概念と不変の価値尺度論に対する批判を展開し、ミルやトレンズに影響を与えたことは、よく知られるところである。しかし、本書の論点はその他にも、多伎にわたる。セリグマンの次の一文が、本書の内容をよく尽くしていると思う、「労働価値説への反対、価値の一要素としての時間にたいする協調、地代概念の拡延、地代が価格にいりこまぬという論述の批判、価値に影響する生産性に与えられた重要性――すべてこれらは経済科学の現段階における重要諸学説を構成する。これらの者が1828年に明言され、ついで表面上忘れ去られねばならなかった」(セリグマン1955年、p.53-4)。
     マルクスは、『資本論』、『剰余価値学説史』で、ベイリーを批判しているが、批判の要点は、ベイリーが絶対価値を否定したことにあるようだ。日本では、戦前からのリカード研究は、福田徳三→小泉信三と、対するに河上肇→堀経夫→(森耕二郎)と続く二つの流れがあった。後者はマルクスの『剰余価値学説史』の立場からの研究であるため、ベイリーに対しては厳しい。最近の本を見ても、日本(玉野井芳郎『理論経済史』)でも、外国(ドッブ『価値と分配の理論』)でも、マルクスの流れを汲む学者は、ベイリーに一定の評価は与えるものの、概して否定的である。
     一方、シュンペーターの評価を見るに、ベイリーは価値論の基本原理に関する限り、論ずべきことのほとんどすべてを、論じ尽くしていて、「著者を科学的経済学の歴史における第一級の地位またはその近くに位置せしめるに充分なものである。」(『経済分析の歴史』としている。  

     上記のようにベイリーは、価値を二点間の距離にたとえたが、マルクスには価値を重量にたとえた個所(『資本論』第一巻第一章第三節A三 等価形態)がある。目に見えず、触ることもできぬが、存在するとのことであろう。
     「距離」対「質量」といえば、思いつくのはマッハの力学のことである。マッハは、観測できない量、観測の手がかりのない量は物理学から排除する。そして、ニュートン力学の質量の定義は、同義反復だとする。マッハ流には、質量は、加速度したがって距離の変化(の変化)から定義するのである。
     なにか、ベイリー絶対価値論批判とマッハのニュートン力学批判には相似形を感じる。こんなことを言えば「マッハ主義者」として叱られるのかもしれないが、そこは素人の気楽さ、そんなことを書いた本がないかと探してみたが、見つけられなかった。もっとも、最近文庫化したマッハ『力学史』も、ざっと目を通してみたが、なかなか歯が立たないのであるから、偉そうなことは言えない。

     英国の左翼系書店から購入。買う前に写真をメールで送付して貰ったところ、表題紙に「森」と読める蔵書印が認められた。蔵書印をめぐるミステリといえば柴田翔『されど我らが日々』を思い浮かべ(年代が知れるか)て、気になって購入した。私の知る範囲では、戦前のリカード研究家に九州帝大教授の森耕二郎がいるが、その蔵書印だろうか。ちなみに、中国にも少数民族の希少姓だが、森姓はあるようである。もしも、日本人の蔵書印とすれば、一旦英国に里帰りした後,再来日したことになる。こういう想像を巡らしてみるのも、集書の余得である。

    (主要参考文献)
    サミュエル・ベイリー著 鈴木鴻一郎訳 『リカアド価値論の批判』日本評論社 1941年
    セリグマン著 平瀬巳之吉訳 『忘れられた経済学者たち』未来社 1955年
    堀経夫『リカアドウの価値論及びその批判史』 評論社 1950年
    真実一男『増補版 リカード経済学入門』 新評論 1983年
    内井惣七『空間の謎・時間の謎』 中央公論新社 2006年


    (拡大可能)
    (H20.7.21記.B)


    稀書自慢 西洋経済古書収集 copyright@bookman

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  41. 1,3:14
    (一四)アダム・スミスが述べている初期の状態においてすら、狩猟者をしてその鳥獣を殺すことを得しめるためには、おそらく彼自身によって作られかつ蓄積されたものであろうとはいえ、ある資本が必要であろう。ある武器がなければ、海狸も鹿も殺され得なかったであろう、従ってこれらの動物の価値は、それを殺すに必要な時間と労働とだけによってではなく、狩猟者の資本、すなわちその助力によってそれを殺す所の武器を、作るに必要な時間と労働とによってもまた、左右されるであろう。
     海狸を殺すに必要な武器は、それに近づくことが鹿に近づくよりもより困難であり、従って標準がより正確であることが必要であるために、鹿を殺すに必要な武器よりも遥かにより多くの労働をもって作られたと仮定せよ。一匹の海狸は当然に二頭の鹿よりも価値がより多いであろう。そしてそれはまさに全体としてより以上の労働がそれを殺すために必要であるという理由の故である。または両方の武器を作るに同一の分量の労働が必要であるが、しかし両者は非常に耐久力が異ると仮定せよ。耐久的な器具からはその価値のわずか一小部分が貨物に移転されるであろうが、より耐久的ならざる器具からは、それがその生産に寄与する所の貨物に、その価値の遥かにより大なる一部分が実現されるであろう。
     海狸及び鹿を殺すに必要なすべての器具は一階級の人々に属し、そしてそれを殺すために用いられる労働は他の階級によって提供されることもあろう。しかも両者の比較価格は、資本の形成と動物の捕殺との両者に投ぜられた現実の労働に比例するであろう。資本が労働に比して豊富でありまたは稀少であるという、事情の異る場合においては、人間の生活に欠くべからざる食物及び必要品が豊富でありまたは稀少であるという事情の異れる場合においては、同一の価値の資本を一つのまたは他の事業に提供した者は、取得された生産物の半分、四分の一、または八分の一を得、残りは労賃として労働を提供した者に支払われるであろう、しかしこの分割は、これらの貨物の相対価値には少しも影響を及ぼし得ないであろうが、それはけだし資本の利潤が多かろうと少かろうと、それが五〇%であろうと、二〇%であろうと、一〇%であろうと、または労働の労賃が高かろうと低かろうと、これらは両方の事業に一様に作用するであろうからである。

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  42. Alternative Theories of Distribution (Adobe PDF)
    Nicholas Kaldor
    http://piketty.pse.ens.fr/files/Kaldor1955.pdf
    邦訳は『経済成長と分配理論』カルドア所収
    リカード経済学の図解あり
    https://i.gyazo.com/29cd9ee88d6cabb4cdd8632eacc2995c.png
    以下の根井雅弘『入門 経済学の歴史』ちくま新書70頁参照

    リカード理論を図式化する…

    図1

     P|。  。
    穀 |    。  。
     C|_______。__。D
    物 |    地代    | 。Ap
     B|__________。A
      |    利潤    | 。
     W|__________|K 。Mp
      |    賃金    |
     0|__________|M____
          労働          X

     図1では、縦軸に穀物(Corn)の産出量が、横軸に労働投入量(Labour)が測られていますが、リカードは
    「土地」の収穫逓減を仮定しているので、「限界生産物」Mp(正確には、十九世紀後半の「限界革命」のあとに
    登場する概念ですが、ここでは、労働投入量一単位の増加によってもたらされる穀物産出量の増加分と考えて下さい)
    が右下がりに描かれています。限界生産物が逓減していくので、「平均生産物」Ap(穀物の産出量を労働投入量で
    割ったもの)も逓減していくことは言うまでもありません。
     いま、労働投入量がOMであれば、穀物の産出量はOCDMとなりますが、この場合、RENT(地代総額)は
    BADCの部分となります。なぜなら、労働投入量がOMであれば、限界地での限界生産物はMAであり、
    それと平均生産物MDとの差額が地代となるので、全体では、BADCの部分が地代総額となるからです。
    そして、賃金率がOWで一定ならば、WAGES(賃金総額)はOMKWとなるので、PROFITS(利潤総額)は
    残りのWKABとなるでしょう。
     容易に予想がつくように、耕作がさらに劣等な土地へと進んでいくと、地代総額の増大によって、利潤総額と
    賃金総額にあてられる部分が減少していきますが、賃金総額は一定の賃金率に労働投入量をかけた大きさなので、
    最終的には、利潤総額がゼロとなるような状態が訪れるでしょう。これが、古典派の「定常状態」であることは、
    もはや繰り返す必要はないでしょう。
     数理化にせよ図式化にせよ、何らかのモデル化をおこなう場合は、どこかには単純化の仮定を置かなければ
    なりませんが、カルドアが考案した図は、リカード経済学を視党的にわかりやすく説明することに成功している
    と思います。
      

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  43. Alternative Theories of Distribution (Adobe PDF) Nicholas Kaldor
    http://piketty.pse.ens.fr/files/Kaldor1955.pdf
    邦訳は『経済成長と分配理論』カルドア所収。リカード経済学の図解あり
    https://i.gyazo.com/29cd9ee88d6cabb4cdd8632eacc2995c.png
    以下の根井雅弘『入門 経済学の歴史』ちくま新書70頁「リカード理論を図式化する」を参照

    図1

     P|。  。
    穀 |    。  。
     C|_______。__。D
    物 |    地代    | 。Ap
     B|__________。A
      |    利潤    | 。
     W|__________|K 。Mp
      |    賃金    |
     0|__________|M____
          労働          X

     図1では、縦軸に穀物(Corn)の産出量が、横軸に労働投入量(Labour)が測られていますが、リカードは
    「土地」の収穫逓減を仮定しているので、「限界生産物」Mp(正確には、十九世紀後半の「限界革命」のあとに
    登場する概念ですが、ここでは、労働投入量一単位の増加によってもたらされる穀物産出量の増加分と考えて下さい)
    が右下がりに描かれています。限界生産物が逓減していくので、「平均生産物」Ap(穀物の産出量を労働投入量で
    割ったもの)も逓減していくことは言うまでもありません。
     いま、労働投入量がOMであれば、穀物の産出量はOCDMとなりますが、この場合、RENT(地代総額)は
    BADCの部分となります。なぜなら、労働投入量がOMであれば、限界地での限界生産物はMAであり、
    それと平均生産物MDとの差額が地代となるので、全体では、BADCの部分が地代総額となるからです。
    そして、賃金率がOWで一定ならば、WAGES(賃金総額)はOMKWとなるので、PROFITS(利潤総額)は
    残りのWKABとなるでしょう。
     容易に予想がつくように、耕作がさらに劣等な土地へと進んでいくと、地代総額の増大によって、利潤総額と
    賃金総額にあてられる部分が減少していきますが、賃金総額は一定の賃金率に労働投入量をかけた大きさなので、
    最終的には、利潤総額がゼロとなるような状態が訪れるでしょう。これが、古典派の「定常状態」であることは、
    もはや繰り返す必要はないでしょう。
     数理化にせよ図式化にせよ、何らかのモデル化をおこなう場合は、どこかには単純化の仮定を置かなければ
    なりませんが、カルドアが考案した図は、リカード経済学を視党的にわかりやすく説明することに成功している
    と思います。
      

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  44. http://blog.izumishobo.co.jp/sakai/2011/04/post_1150.html
    当時のイギリスは、イングランド銀行が金本位制停止によって紙幣を増発したのが原因で、インフレーションを
    招いていました。これに対してリカードは『地金の価格高騰について』という論文を1810年に発表して、金本位制へ
    の復帰を主張、経済学者として有名になりました。さらに、穀物の輸出入に制限を加えて地主や農民を保護しようと
    した法律「穀物条例」が1815年に成立すると、これを支持するマルサスと真っ向から対立して条例廃止を主張する
    論文を著わし、2年後には主著となる『経済学および課税の原理』を刊行、自由貿易による利潤蓄積の増大が国富を
    増進させること、資本主義社会においては富はどのように分配するべきかといった分配法則や、地代どうするべきか
    など、独自の学説を明らかにしています。

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  45. リカードの中立命題
    「金額はいくらでもいいのだが、かりに二万ポンドを所有している人に年額五〇ポンドを永久に支払いつづけることと、
    一〇〇〇ポンドの租税を一度に支払うの とは負担としては同額だと信じさせるのは難しいであろう。彼は、年額五〇
    ポンドが子孫によって支払われるのであり彼が支払うのではないであろう、という漠 然とした考えをもつのである。
    しかし、もし彼がその財産を息子に残し、しかもその財産とともに永久的な租税をも残すとすれば、彼がこの租税負担付きの
    二万ポンドを息子に残すことと、租税負担なしの一万九〇〇〇ポンドを残すことにどんな違いがあるというのであろう?」
    (磯村隆文訳「公債制度論」『リカードウ全集Ⅳ 後期論文集』雄松堂出版,227-228ページ.)

    「バローは経済学におくる初の偉大な定式理論家デヴィッド・リカードの成果をベースにした。」(『ゾンビ経済学』127頁)

    バロー中立命題(Barro 1974)

    第2期消費           第2期消費
     |\ \            |\ \  
     | \ \           | \ \
     |  \ \          |  \ \
    Y2___o→\        Y2___o \ 
     |   |\ \        |   |\↓\
     |   | \ \       |   | \ \
     |   |  \ \      |   |  \ \
     |___|___\_\___  |___|___\_\____
         Y1 第1期所得       Y1  第1期所得

    (1)若者期に国債を   (2)若者は、将来の  (3)予算線は、
       発行し所得を増やす →  増税を見越して  →  元に戻る
       (政府支出増)      消費を減らし、
                    貯蓄を増やす

          [予算線不変=三角形不変]←[財政政策は無効]

    菅原晃『図解 使えるマクロ経済学』2014年,中経出版より

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  46. https://lh3.googleusercontent.com/-94Jz54yhNIM/VVlu1OtmHrI/AAAAAAAAukU/wsWq4AJMfkg/s640/blogger-image-591565437.jpg

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  47. リカードの中立命題
    「金額はいくらでもいいのだが、かりに二万ポンドを所有している人に年額五〇ポンドを永久に支払いつづけることと、
    一〇〇〇ポンドの租税を一度に支払うの とは負担としては同額だと信じさせるのは難しいであろう。彼は、年額五〇
    ポンドが子孫によって支払われるのであり彼が支払うのではないであろう、という漠 然とした考えをもつのである。
    しかし、もし彼がその財産を息子に残し、しかもその財産とともに永久的な租税をも残すとすれば、彼がこの租税負担付きの
    二万ポンドを息子に残すことと、租税負担なしの一万九〇〇〇ポンドを残すことにどんな違いがあるというのであろう?」
    (磯村隆文訳「公債制度論」『リカードウ全集Ⅳ 後期論文集』雄松堂出版,227-228ページ.)

    「バローは経済学における初の偉大な定式理論家デヴィッド・リカードの成果をベースにした。」(『ゾンビ経済学』127頁)

    バロー中立命題(Barro 1974)

    第2期消費           第2期消費
     |\ \            |\ \  
     | \ \           | \ \
     |  \ \          |  \ \
    Y2___o→\        Y2___o \ 
     |   |\ \        |   |\↓\
     |   | \ \       |   | \ \
     |   |  \ \      |   |  \ \
     |___|___\_\___  |___|___\_\____
         Y1 第1期所得       Y1  第1期所得

    (1)若者期に国債を   (2)若者は、将来の  (3)予算線は、
       発行し所得を増やす →  増税を見越して  →  元に戻る
       (政府支出増)      消費を減らし、
                    貯蓄を増やす

          [予算線不変=三角形不変]←[財政政策は無効]

    菅原晃『図解 使えるマクロ経済学』2014年,中経出版より
    https://lh3.googleusercontent.com/-94Jz54yhNIM/VVlu1OtmHrI/AAAAAAAAukU/wsWq4AJMfkg/s640/blogger-image-591565437.jpg

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  48. 比較優位
    TPPの背景には以下のようなリカードの思想がある。マルサスーリカードの穀物論争も関係する。

    以下『経済学及び課税の諸原理』 by デイヴィッド リカード, 吉田 秀夫 7:47より
    《勤労を刺戟し、器用さに報酬を与え、かつ自然の与える力を最も有効に使用することによって、それは最も有効にかつ最も
    経済的に労働を分配し、他方、生産物総量を増加することによって、それは一般的便益を公布し、そして利益と交通という
    一つの共通の紐帯によって、文明世界を通じて諸国民の普遍的社会を結成する。葡萄酒はフランス及びポルトガルにおいて
    造らるべく、穀物はアメリカ及びポウランドにおいて栽培さるべく、かつ金物その他の財貨は英国において製造せらるべき
    である、ということを決定する所のものは、この原理である。》

    参考:http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-207.html?sp
    比較優位=三角形の傾き:

       ア国              イ国
    A財              A財(生産、消費量)
     |               |\b
     |               | \ 
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     |               |   \
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     |       ̄-_  a   |      \ 
     |_________ ̄-__  |_______\_____
     0        B財     0     B財(生産、消費量)

     このような,三角形の違いがあれば,貿易による利益が発生することは,皆さんはすでにお分かりだと思います。
    ア国はB財に比較優位があり,イ国は,A財に比較優位があります。貿易によって,a点と,b点を結べば,両国の
    三角形は大きくなります。
    https://i.imgur.com/UwTJ4DS.gif

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  49. リカードの中立命題
    「金額はいくらでもいいのだが、かりに二万ポンドを所有している人に年額五〇ポンドを永久に
    支払いつづけることと、一〇〇〇ポンドの租税を一度に支払うの とは負担としては同額だと信じ
    させるのは難しいであろう。彼は、年額五〇ポンドが子孫によって支払われるのであり彼が支払う
    のではないであろう、という漠 然とした考えをもつのである。
    しかし、もし彼がその財産を息子に残し、しかもその財産とともに永久的な租税をも残すとすれば、
    彼がこの租税負担付きの二万ポンドを息子に残すことと、租税負担なしの一万九〇〇〇ポンドを残す
    ことにどんな違いがあるというのであろう?」
    (磯村隆文訳「公債制度論」『リカードウ全集Ⅳ 後期論文集』雄松堂出版,227-228ページ.)

    「バローは経済学における初の偉大な定式理論家デヴィッド・リカードの成果をベースにした。」
    (『ゾンビ経済学』127頁)

    バロー中立命題(Barro 1974)

    第2期消費           第2期消費
     |\ \            |\ \  
     | \ \           | \ \
     |  \ \          |  \ \
    Y2___o→\        Y2___o \ 
     |   |\ \        |   |\↓\
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     |___|___\_\___  |___|___\_\____
         Y1 第1期所得       Y1  第1期所得

    (1)若者期に国債を   (2)若者は、将来の  (3)予算線は、
       発行し所得を増やす →  増税を見越して  →  元に戻る
       (政府支出増)      消費を減らし、
                    貯蓄を増やす

          [予算線不変=三角形不変]←[財政政策は無効]

    菅原晃『図解 使えるマクロ経済学』2014年,中経出版より
    https://lh3.googleusercontent.com/-94Jz54yhNIM/VVlu1OtmHrI/AAAAAAAAukU/wsWq4AJMfkg/s640/blogger-image-591565437.jpg

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  50. 比較優位:

    TPPの背景には以下のようなリカードの思想がある。マルサスーリカードの穀物論争も関係する。

    以下『経済学及び課税の諸原理』 by デイヴィッド リカード, 吉田 秀夫 7:47より
    《勤労を刺戟し、器用さに報酬を与え、かつ自然の与える力を最も有効に使用することによって、
    それは最も有効にかつ最も経済的に労働を分配し、他方、生産物総量を増加することによって、
    それは一般的便益を公布し、そして利益と交通という一つの共通の紐帯によって、文明世界を
    通じて諸国民の普遍的社会を結成する。葡萄酒はフランス及びポルトガルにおいて
    造らるべく、穀物はアメリカ及びポウランドにおいて栽培さるべく、かつ金物その他の
    財貨は英国において製造せらるべきである、ということを決定する所のものは、この原理である。》

    参考:http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-207.html?sp
    比較優位=三角形の傾き:

       ア国              イ国
    A財              A財(生産、消費量)
     |               |\b
     |               | \ 
     |               |  \ 
     |               |   \
     | ̄-_            |    \
     |    ̄-_         |     \ 
     |       ̄-_  a   |      \ 
     |_________ ̄-__  |_______\_____
     0        B財     0     B財(生産、消費量)

     このような,三角形の違いがあれば,貿易による利益が発生することは,皆さんはすでに
    お分かりだと思います。ア国はB財に比較優位があり,イ国は,A財に比較優位があります。
    貿易によって,a点と,b点を結べば,両国の三角形は大きくなります。
    https://i.imgur.com/UwTJ4DS.gif

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  51. 比較優位
    参考:
    http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-207.html
    http://blog-imgs-34.fc2.com/a/b/c/abc60w/20091013203901871.jpg

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  52. まず比較優位はスミスの説いた絶対優位とは違う
    絶対優位はトランプのような国家間の勝ち負け論になってしまうが比較優位はwin-winを想定し得る
    マンキューはソローの「私は理髪店に対して慢性的な赤字だ。彼は私から何も買おうとしないからね」
    という言葉を紹介し、《しかし、そのことでソローが収入に応じた暮らしをやめることはないし、必要に
    なればいつでも彼は理髪店に行くのである。》と付け加えている
    マンキューマクロ入門篇200頁

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  53. 絶対優位と比較優位
    http://abc60w.blog16.fc2.com/blog-entry-645.html
    https://nam-students.blogspot.com/2019/04/blog-post_28.html@


     アダムスミス山岡洋一訳『国富論(下)』2007日本経済新聞出版社[4:2]

     賢明な家長なら、買う方が安くつくものは自分の家で作らないようにするのが当然である。仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。農民は靴も服も自分では作らず、それぞれの職人に注文する。みな、近隣の人たちより、多少とも優位に立っている仕事に専念し、生産物の一部かその対価で、必要とするものを買うのが自分の利益になることを知っている。…自国で生産するより安い価格で外国から買える商品があれば、自国の労働は自国が多少とも優位にある産業に投じ、自国の生産物の一部でその商品を外国から買う方がいい。

    《…仕立て屋は靴を自分で作ろうとせず、靴屋で買う。靴屋は服を自分で作ろうとせず、仕立て屋に注文する。…》アダム・スミス『国富論』4:2下

     この説明、「比較優位」に見えますね。靴屋は靴屋、仕立て屋は仕立て屋、農民は農民、それぞれ優位にあるものに特化して交換する。

     違います。これは「絶対優位」論です。貿易相手国より安く生産できるものに特化して、互いに交換することが利益をもたらす・・・。
     


    国富論4:2
    第二章 国内で生産されうるような、財貨の諸外国からの輸入にたいする、諸抑制について

    かうよりもつくる方がたかくつくであろうものを、けっしてうちでつくろうとくわだてないというのが、すべての慎慮ある一家の主人の、原則である。したて屋は、かれ自身の靴をつくろうとくわだてないで、靴つくりからそれをかう。靴つくりは、かれ自身の衣服をつくろうとくわだてないで、したて屋を使用する。農業者はそのどちらをもつくろうとはくわだてないで、それらのちがった手工業者を使用する。かれらのすべては、かれらの勤労の全体を、かれらがその隣人たちにいくらかまさっているやりかたで使用し、それの生産物の一部あるいは、おなじことだがその一部の価格をもって、かれらが必要とする他のものをなんでも購買するのが、かれらの利益になることをしるのである。


    もしある外国がわれわれにある商品を、われわれが自分でそれをつくることができるよりもやすく、供給しうるならば、われわれがある利点をもっているやりかたで使用された、われわれ自身の勤労の、生産物のある部分をもって、かれらからそれをかう方がいい。


    http://webpark1746.sakura.ne.jp/jafee2015/pdf/YoshiiSatoshi.pdf
    “By means of glasses, hotbeds, and hot walls, very good grapes can be raised in Scotland, and very good wine too can be made of them at about thirty times the expence for which at least equally good can be brought from foreign countries. Would it be a reasonable law to prohibit the importation of all foreign wines merely to encourage the making of claret and burgundy in Scotland? But if there would be a manifest absurdity in turning towards any employment thirty times more of the capital and industry of the country than would be necessary to purchase from foreign countries an equal quantity of the commodities wanted, there must be an absurdity, though not altogether so glaring, yet exactly of the same kind, in turning towards any such employment a thirtieth, or even a three-hundredth part more of either” (Smith 1776, vol. 1, p.423). 4:2

    温室、温床、温壁によれば、きわめてすぐれたぶどうを、スコットランドで栽培することができるし、またきわめてすぐれたぶどう酒も、すくなくともおなじくすぐれたものを諸外国からもってくることができる費用の、約三十倍をかければ、そのぶどうからつくることができる。スコットランドでクラレット〔ボルドー赤ぶどう酒〕やブルゴーニュをつくるのを奨励するためだけに、あらゆる外国のぶどう酒の輸入を禁止するのは、妥当な法律であろうか。だが、もとめられている諸商品のひとしい量を、諸外国から購買するのに必要であるだろうよりも、三十倍おおくのその国の資本と勤労を、なにかの業務にふりむけることに、明白なばからしさが存在するならば、どちらかを三十分の一おおく、あるいは三百分の一おおくでさえ、なにかそういう業務にふりむけることには、それほどまったくひどいものではないが正確におなじ種類の、ばからしさが存在するにちがいない。

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  54. アダム・スミス (著), 山岡 洋一 (翻訳)
    https://www.amazon.co.jp/dp/4532133270/
    下巻も上巻に引き続き書いてある記述が歴史的にも貴重な資料と言えますが経済学に精通する人以外には「退屈」かも知れません。

    そういう人にはP.549の解説から読む方がいいし理解も早いでしょう。

    国富論はあまりにも書いてある内容が広範囲なために読む章によってでも焦点がボケてしまいがちだが

    解説から知れば

    第1編は「ミクロ経済学」

    第2編は「マクロ経済学」

    第3編は「経済史」

    第4編は「経済政策論」

    第5編は「財政学」と要約されていてわかりやすい。

    はじめに下巻末の解説から読み、次に上巻から読み進める

    読み方としては問題集ドリルの答えから先にみるようで正しくはないかもしれないが

    こっちのほうが挫折しないで読み終えられるかもしれません。

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  55. リカード貿易問題の最終解決――国際価値論の復権 単行本 – 2014/3/28
    塩沢 由典 (著)


    5つ星のうち5.0塩沢流「経済学批判」
    2015年1月5日
    形式: 単行本
     タイトルからして『リカード貿易問題の最終解決』である。「最終」、「解決」。サブタイルが「国際価値論の復権」である。「復権」。こんな風なタイトルを付けられる著者は、〇〇か、そうでなければ△△であるに違いない。そして、著者が〇〇であることは、中身を読めば分かる。

     実際に中身を読むと、テクニカルな議論(特に数学的な処理)も多くて、必ずしも読みやすい本ではない。それに、もう一つ読者を遠ざける理由がある。これは経済に関する本ではあるが、これから景気はどうなるかとか、日銀の今の政策は正しいのかとか、そういう意味での「経済書」ではなく、経済「学」の本であり、同時に、経済学批判の書だからである。
     中身は、タイトル通り、リカードが残した問題を解決しようとする(そして、実際に解決してしまった)本である。著者によると、このリカードの問題が重要なのは、これが解決できなかったことで、経済学のあり方が根本的に変わってしまったからである。簡単に言えば、主流の経済学は新古典派ということになってしまったが、これはリカードらの古典派とは全く別物で、経済学というよりも、経済を覆い隠してしまうようなものである。そのため著者の塩沢氏は、この問題を解決することで、古典派経済学、あるいは、国際価値論を復権しようとするのである。

     著者の塩沢氏が、実際的な問題に無関心でないことは他の著書からも分かるが、この本はそういう本ではない。そういう意味でこの本は読者を選ぶだろう。まともな経済学者ならこの本を無視することはできない(なにせ、「最終解決」なのだから)が、同時に、うかつな評価をしても恥をかくだけだからだ。だから、この本は読者を選ぶし、読者を評価する。
     
     もう一つ。本書を読者から遠ざけているのは、この値段である。著者がそれを望むかどうか分からないが、読者としては、こうした本物を、出来れば、手軽に触れられる形で出して欲しいと思う。
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    ヒデボン
    VINEメンバー
    5つ星のうち4.0今の日本は「正則領域」かな?
    2014年5月23日
    形式: 単行本
     経済学の教科書には必ずと言っていいくらいに載っているのが、あの例のいわゆる一つのD.リカードの「比較生産費説」。サミュエルソンですらビックらこいた例の4つの魔法の数字で示されたイギリスの毛織物とポルトガルの葡萄酒の貿易。初めて学習した時には、思わず「あっ!」と驚き、「わっ!」と感動した・・・・・

     その後、リカードが「残した」問題をJ.S.ミルが「間違って解決」してしまったがゆえに、今に続く新古典派価値論を生み、純粋な「古典派」は無視され続けてきた・・・・・
     で、「古典派」の理論的背景のもと、「正しく解決した!」と大ミエを切り、自信満々なのが本書、ということになる。タイトル通り、「最終解決」ということらしいが・・・・・

     リカードは何を問題点として「残して」きたのか、で、どういう風にミルは間違えたのか、で、著者はどう考えるのか、ということが何度も同じことを繰り返し述べつつ、延々と、諄々と説きほぐしてゆく。
     学者のみならず、学生、社会人、TPP参加者も読んでほしいと、著者は言っているように、なかなか面白い読み物にはなっている。ただし、第3章までで議論は尽くされているので、ここまででいいかもしれない。特に第5章は凸多面体論なんていう高等数学が理解できてないとダメみたい・・・・
     著者のいう「正則領域」ということが重要ということのようだけど、これがなかなかの曲者。しかし、じっくり取り組めば、著者の言いたいことはよくわかる、決して文章は難しくはない。

     でも残念なのは、肝心の貿易政策への応用をどうするのか?っていうことの議論が尽くされてない。今後の課題かも!って言っているくらいなので、これはちょっと?って感じ。TPPどうするの?って突っ込みたくもなるし、「いかなる過程が進行しうるのかを分析する最初の手がかりを与えている!」っていうだけでは、どうもこうも如何ともしがたい。
     塩沢先生はとにかく「定義」ないし「定理」を設定するのがお好きなようで、これらの繰り返しが延々と続く・・・・・

     それはそうと、この著者の好みなのか、編集者の趣味なのか、ひらかなの使用が相当多い。つうじょう、きんねん、さいてい、ちょくせつ、ひかくてき、とうめん、げんざい、ひょうめんじょう、たい・・・・・とキリがない。まあ、内容面に関してはどうでもいいことだけど・・・・・
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