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日曜日, 6月 21, 2015

柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』より


柄谷行人『遊動論 柳田国男と山人』第二章脚注より



柳田によれば、社倉を理論化し実行したのが南宋の朱子である。朱子に関するこのような見方は、日本の江戸思想史には見当たらない。徳川幕府公認のイデオロギーである朱子学では、朱子は観念的な道義や正統性を説く哲学者だと見なされている。しかし、朱子はきわめて実践的であり具体的であった。また、国家による政策ではなく、民間の自治を説いた。朱子の思想は、科挙制度が全面的に実現された南宋の社会から生まれた。それは、どんな階級の出身でも試験に通れば支配層に入れるという制度を背景にしている。また、この制度は、宋代における南方開拓とともに植民した農民が土地所有権を得るようになった経済的変化にもとづいている。そこから生まれた「士大夫」階級から、自由思想家が輩出し、その一人が朱子であった。しかし、そのような社会は南宋以前にはなく、南宋の滅亡後にも二度となかった。朱子学は明代で隆盛を極めるようになったが、科挙の必須科目となって固定化・形骸化してしまった。宋代にあったような実践的な性格が失われたのである。(戻る)


以下、柄谷行人『柳田国男と山人』より

《注5.柳田によれば、社倉を理論化し実行したのが南宋の朱子である。朱子に関するこのよう

な見方は、日本の江戸思想史には見当たらない。徳川幕府公認のイデオロギーである朱子学

では、朱子は観念的な道義や正統性を説く哲学者だと見なされている。しかし、朱子はきわ

めて実践的であり具体的であった。また、国家による政策ではなく、民間の自治を説いた。

朱子の思想は、科挙制度が全面的に実現された南宋の社会から生まれた。それは、どんな

階級の出身でも試験に通れば支配層に入れるという制度を背景にしている。また、この制度

は、宋代における南方開拓とともに植民した農民が土地所有権を得るようになった経済的

変化にもとづいている。そこから生まれた「士大夫」階級から、自由思想家が輩出し、その

一人が朱子であった。しかし、そのような社会は南宋以前にはなく、南宋の滅亡後にも二度

となかった。朱子学は明代で隆盛を極めるようになったが、科挙の必須科目となって固定化

・形骸化してしまった。宋代にあったような実践的な性格が失われたのである。》




玉音放送にも抜粋引用された『近思録』(朱熹/朱子と呂祖謙)で紹介された張横渠の言葉(下Dのみ)、


《A天地の爲に心を立て、B生民の爲に道を立て、C去聖の爲に絶學を繼ぎ、D萬世の爲に太平を開く。》『近思録』2為学より

爲学95
爲天地立心、爲生民立道、爲去聖繼絶學、爲萬世開太平。


(岩波文庫、新釈漢文大系及び中国古典新書も2行目(B)が「命」ではなく「道」となっている。

出典『横渠文集』に忠実なのかはわからないが、中国では「命」が一般的のようだ。)


近思録』構成
     /C学2_3_4_11\
 B道1〈 A徳5_6_7_12 〉総合14
     \D政8_9_1013/

朱子自身は違う構成を述べているが、10までは同じ。
朱子学は当初実学だったが、孔子にあった対話主義がなくなって行く。
それはカントからヘーゲルへの移行に似ている。
ちなみに、社倉に関して以下のサイトを見ると、600石がβ=1だろう。
14年で最終的に、β=5~8.3?

 <その心ありてその政なきを徒善といい、その政ありて心なきを徒法という>(孟子注)
参考文献:『中国の人と思想8・朱子』佐藤仁著 集英社
http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/month?id=7246&pg=200507

 こうして地方はますます疲弊し、暴動が頻発した。朱子が住んでいた地方でも一揆が横行し、彼の身辺にまで及ぼうとしていた。そこで、朱子は県や府に申請して、官米6百石を貸与して貰い、それを農民達に配給した。朱子がこうしたことができたのは、彼の説得が真に迫っていたことにくわえて、彼がそのころ枢密院編修官という中央政府の肩書きをもっていたことも大きかったようだ。

 その年の冬の収穫で朱子は借りた6百石を返却するかわりに、借用証書を提出し、6百石はそのまま備蓄米として「社倉」に保管した。そして翌年の夏、朱子はこれを10分の2という安い利息で希望する農民に貸し出した。このとき朱子はもし不作であれば無利子にするという条件をつけている。

 これを14年間続けるつづけるうちに、最初に借りた官米を返してもなお「社倉」のなかには3千石以上の米が備蓄されることになった。そこでこれ以後は利息米をとることをやめて、1石につき二升ずつの損料をとるだけにした。それでもやがて備蓄米は5千石に達し、この地方はもはや飢饉の年でも農民が困ることはなくなったという。

 朱子がはじめた「社倉」制度のすぐれているところは、その運営を朱子と村人の共同管理で行ったことだ。そして米を出し入れするときだけ監視役として役人を呼んだ。朱子の「社倉」については、これは「青苗法」をまねるものだという批判があったが、これはまちがいである。その管理を役人にまかせず、農民が主体になっている点で、まったく別の発想に立つものだというべきだろう。

 朱子はこうした実践をふまえて、「社倉事目」という社倉の運営管理に関する条例を作って政府に上申している。どうじに朱子は「条例」だけではだめで、いかにそこに魂を入れるかが問題だと述べている。

 そして魂とは「民を愛する心」だという。また、いくら心があっても「政」がともなわなけば、これも何の役にも立たないという。これは朱子が尊敬した孟子の思想だった。

 <その心ありてその政なきを徒善といい、その政ありて心なきを徒法という>(孟子注)

 朱子の「社倉法」は江戸時代に「朱子学」とともに日本にもたらされ、各地で実施されたという。それらの一部は現在も「文化財」として大切に保存されているようだ。民俗学者である柳田国男は「日本における産業組合の思想」という論文のなかでこれを取り上げ、社倉法を現在の信用組合制度の先駆けとして高く評価している。

参考文献:「中国の人と思想8・朱子」 佐藤仁著 集英社

同書140頁によると社倉は朱子の友人魏掞之(ぎえんし(元履))のアイデアで、魏掞之は利子を取る朱子に批判的だった。朱子は社倉事目という条例を作った。

政事2
伊川答人示奏藁書云、觀公之意、專以畏亂爲主。頤欲公以愛民爲先、力言百姓飢且死、丐朝廷哀憐。因懼將爲寇亂可也。不惟告君之體當如是、事勢亦宜爾。公方求財以活人。祈之以仁愛、則當輕財而重民。懼之以利害、則將恃財以自保。古之時、得邱民則得天下。後世以兵制民、以財聚衆。聚財者能守、保民者爲迂。惟當以誠意感動、覬其有不忍之心而已。
【読み】
伊川人の奏藁を示せしに答うる書に云う、公の意を觀るに、專ら亂を畏るるを以て主と爲す。頤は公の民を愛するを以て先と爲し、力めて百姓の飢えて且[まさ]に死せんとするを言ひ、朝廷に哀憐を丐[こ]わんことを欲す。因りて將に寇亂を爲さんとするを懼れしめば可なり。惟に君に告ぐる體の當に是の如くなるべきならず、事勢も亦宜しく爾[しか]るべし。公は方に財を求めて以て人を活さんとす。之に祈[もと]むるに仁愛を以てせば、則ち當に財を輕んじて民を重んずべし。之を懼れしむるに利害を以てせば、則ち將に財を恃み以て自ら保たんとす。古の時、邱民を得れば則ち天下を得たり。後世は兵を以て民を制し、財を以て衆を聚む。財を聚むる者は能く守るとし、民を保んずる者は迂なりとす。惟當に誠意を以て感動せしめ、其の忍びざる心有らんことを覬[ねが]うべきのみ、と。

*近思録には社倉の具体的記述はない。

前近代文明の三重構造の地政学的型(抜粋): 

|中心  | 朝  |
|    | 鮮  |
| 中国 | 半  |
|    | 島  |
|   /    /
|__/ベ   /
|   ト  /  
|周辺 ナ /   日
|___ム/    本
|亜周辺__________

 ユーラシアの東   

(中心) 中国
(周辺) 朝鮮半島・ベトナム
(亜周辺)日本

(湯浅 赳男 『 「東洋的専制主義」論の今日性—還ってきたウィットフォーゲル 』より)
http://yojiseki.exblog.jp/6583022/

柄谷行人『世界史の構造』『帝国の構造』では日本の文化政治的特色が亜周辺という
地政学的特徴によって説明される。
ただし、これらは中華思想の補強ではない。柄谷行人は非公式に次の覇権国家は中国ではなくインドが有力と述べている
(これは高齢化社会を危惧するエマニュエル・トッドと同意見)。
「元は中国の王朝であるよりも、モンゴルの世界帝国の一部」(『帝国の構造』4-4,123頁参照)。
 ちなみに、ユーラシア西においては、
古代以降、ペルシア→(ヘレニズム)→ローマ→イスラム と中心が移行したと考えられる。
帝国は帝国主義として復活したかに見えるがそれは不可能だとも柄谷行人指摘する。
例えば大日本帝国の不可能性…

柄谷行人交換図は、ストックとフローを明確にする。

ストック フロー
ーーーー十ーーーー
フロー  ストック

社倉はB(A,C)からDへの転換。

//////

ローマという中心の亜周辺にゲルマン,西ヨーロッパがあるとも考えられる(『世界史の構造』180頁他)。なお東ローマ帝国と西ローマ帝国の統治方法の差異は中心と亜周辺の差異として説明される(p93,3-6)。
これは上の図ではローマがイスラムに場を譲ることで説明される。
また、「圏外」には狩猟採集民が残った(『世界史の構造』161頁)。

上記は以前紹介した図だが、『帝国の構造』ではもうひとつ、モンゴル(中国)を中心にした図が必要になる。上記一番右の図の左半分と考られる。

         亜周辺| ヨ        亜周辺|  |中心  | 朝  |
  アテネ   ____| | 西ヨーロッパ____|  |    | 鮮  |
       /ア   | ロ      /バ   |  | 中国 | 半  |
古 ローマ / ナ 周辺| ッ     / ル 周辺|  |    | 島  |
典    / リト   | パ    / 半カ   |  |   /    /
古   /  ア  __| 中   /  島ン __|  |__/ベ   /
代  /キ    /  | 世  /イ    /  |  |   ト  /  
社 | プ   /ペルシア 社 | ベ   /イスラーム |周辺 ナ /   日
会 | ロ  |帝国 中心 会 |半リ  |帝国 中心  |___ム/    本
__|_ス__|____| __|島ア__|____|  |亜周辺__________

ユーラシア西1         ユーラシア西2       ユーラシアの東   

(中心) ペルシア帝国     |イスラム帝国        |中国
(周辺) キプロス・アナトリア |バルカン半島・イベリア半島 |朝鮮半島・ベトナム
(亜周辺)アテネ・ローマ    |西ヨーロッパ        |日本
      =古典古代社会   | =ヨーロッパ中世社会   |

(湯浅 赳男 『 「東洋的専制主義」論の今日性—還ってきたウィットフォーゲル 』より)
http://yojiseki.exblog.jp/6583022/

ローマという中心の亜周辺にゲルマン,西ヨーロッパがあるとも考えられる(『世界史の構造』180頁他)。なお東ローマ帝国と西ローマ帝国の統治方法の差異は中心と亜周辺の差異として説明される(p93,3-6)。
これは上の図ではローマがイスラムに場を譲ることで説明される。
また、「圏外」には狩猟採集民が残った(『世界史の構造』161頁)。

上記は以前紹介した図だが、『帝国の構造』ではもうひとつ、モンゴル(中国)を中心にした図が必要になる。上記一番右の図の左半分と考られる。


C天地の爲に心を立て、A生民の爲に道を立て、B去聖の爲に絶學を繼ぎ、D萬世の爲に太平を開く。

(岩波文庫、新釈漢文大系及び中国古典新書も、2行目が「命」ではなく「道」となっている。出典『横渠文集』に忠実なのかはわからないが、中国では「命」が一般的のようだ。)


近思録』構成
     /B学2_3_4_11\
 A道1〈 C徳5_6_7_12 〉総合14
     \D政8_9_1013/

           |           
   国家      | ネーション     
   B       | A                
           |          平
 __________|__________
           |          等   
           |           
   資本      | アソシエーション   
   C       | D   X     
           |           
          自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。


前近代文明の三重構造の地政学的型(一部のみ): 

         亜周辺| 
  アテネ   ____| 
       /ア   | 
古 ローマ / ナ 周辺| 
典    / リト   | 
古   /  ア  __| 
代  /キ    /中心|  
社 | プ   /ペルシア
会 | ロ  |   帝国 
__|_ス__|____| 
   ユーラシア西1          

(湯浅赳男 『 「東洋的専制主義」論の今日性—還ってきたウィットフォーゲル 』より)

古代以降、ペルシア(p74,3-3)→(ヘレニズムp99,3-7)→ローマ(p99)→イスラム(p131,4-6)と
中心が移行すると考えられる。
『帝国の構造』ではさらにもうひとつ、モンゴル(中国)を中心にした図が必要になる。

|中心    |  周辺| 亜周辺
|      | 朝  |
| モンゴル | 鮮  |
|   (中国) 半  |
|唐→宋x→元| 島  |
|           | 日本
 \  イラン\____/ベ    / 
  \/ ムガール帝国  ト   /  
   \ (インド)   ナ  /   
    \________ム_/    
___________________________
      近世以降ユーラシア全体 4-4~6,5-1,7-1

「元は中国の王朝であるよりも、モンゴルの世界帝国の一部」
(「現代思想」2013.08,『帝国の構造』4-4,123頁参照)
 
「大航海時代」(p142,5-2)のジェノア(p149,5-3)、スペイン(p141,5-2、p149,5-3)を経て、帝国以後は以下、

b循環的な様相  
__________________________________________
     |~1750|1750〜|1810〜|1870〜|1930〜|1990〜 
     |     |1810 |1870 |1930 |1990 |  
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______
ヘゲモニー|オランダ |     |英国   |     |米国   | 
国家   |     |     |     |     |     |
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______
世界資本 |自由主義的|帝国主義的|自由主義的|帝国主義的|自由主義的|帝国主義的
主義   |     |     |     |     |     |
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______

      世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』6-2,181頁より)
           |           
   国家      | ネーション     
   B       | A                
           |          平
 __________|__________
           |          等   
           |           
   資本      | アソシエーション   
   C       | D   X     
           |           
          自 由

『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。


前近代文明の三重構造の地政学的型(一部のみ): 

         亜周辺| 
  アテネ   ____| 
       /ア   | 
古 ローマ / ナ 周辺| 
典    / リト   | 
古   /  ア  __| 
代  /キ    /中心|  
社 | プ   /ペルシア
会 | ロ  |   帝国 
__|_ス__|____| 
   ユーラシア西1          

(湯浅赳男 『 「東洋的専制主義」論の今日性—還ってきたウィットフォーゲル 』より)

古代以降、ペルシア(p74,3-3)→(ヘレニズムp99,3-7)→ローマ(p99)→イスラム(p131,4-6)と
中心が移行すると考えられる。
『帝国の構造』ではさらにもうひとつ、モンゴル(中国)を中心にした図が必要になる。

亜周辺| 周辺 |  中心    |  周辺| 亜周辺
   |    |        | 朝  |
キエフ|ロシア |   モンゴル | 鮮  |
公国 |_   |     (中国) 半  |
   |オスマン|  唐→宋x→元| 島  |
   |トルコ  \      /     | 日本
    \  イラン\____/ベ    / 
     \/ ムガール帝国  ト   /  
      \ (インド)   ナ  /   
       \________ム_/    
___________________________
      近世以降ユーラシア全体 4-4~6,5-1,7-1

「元は中国の王朝であるよりも、モンゴルの世界帝国の一部」
(「現代思想」2013.08,『帝国の構造』4-4,123頁参照)
 
「大航海時代」(p142,5-2)のジェノア(p149,5-3)、スペイン(p141,5-2、p149,5-3)を経て、帝国以後は以下、

b循環的な様相  
__________________________________________
     |~1750|1750〜|1810〜|1870〜|1930〜|1990〜 
     |     |1810 |1870 |1930 |1990 |  
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______
ヘゲモニー|オランダ |     |英国   |     |米国   | 
国家   |     |     |     |     |     |
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______
世界資本 |自由主義的|帝国主義的|自由主義的|帝国主義的|自由主義的|帝国主義的
主義   |     |     |     |     |     |
_____|_____|_____|_____|_____|_____|______

      世界資本主義の諸段階(『帝国の構造』6-2,181頁より)



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18 人中、15人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。投稿者 Das Eismeer 投稿日 2007/12/3
形式: 単行本
受験生時代に出会い、自分に衝撃を与えた参考書。今なお色あせない、現存する最高の世界史参考書と言ってもいいし、一般書として出版すべき内容の惜しい本とも言える。「憲法」とは何か。「権利」とは何か。「民主主義」とは何か。またそれらの由来は?あなたははっきり答えられるだろうか。この本は上記に挙げた専門用語の説明に重心を置きつつ、近代ヨーロッパの政治・経済・国際関係を概覧している。この時代の激動の諸現象が、前近代からどのように発展し、そして現代の諸問題と結びついているか。それが解き明かされたとき、目から鱗が落ちるであろう。読み物としても十分におもしろい。さすがに著書二冊目とあって、文章もこなれている。

ただし気をつけるべき点を二点だけ挙げておく。この参考書はE・ウォーラステインの「国際分業体制・近代世界システム論」という思想を元に書かれているので、これが標準的な高校世界史の解釈というわけではない。単に一つの論理を軸に論述試験を解けば高得点が得られやすいので、それにウォーラステインを利用しているに過ぎない。また、(だからこそ読み物としておもしろいのではあるが)受験参考書にしては異例なほど著者のイデオロギーにあふれており、特に左翼が大嫌いで(授業内での発言ではあるが)ソ連を「悪の帝国」とののしっているなど、思想的偏りが見られる。純真な受験生諸氏には、くれぐれもかぶれないように気をつけながら学習していただきたい。

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