経済学者ヒューム
ヒューム:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_07.html
NAMs出版プロジェクト: ヒューム再考
http://nam-students.blogspot.jp/2014/11/blog-post_23.html
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NAMs出版プロジェクト: ヒューム再考
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NAMs出版プロジェクト: 経済学者ヒューム
http://nam-students.blogspot.jp/2015/09/blog-post_28.html (本頁)
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ロック『利子・貨幣論』… the Lowering of Interest and the Raising the Value of Money, John Locke 1691
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ヒュームは熾烈な反重商主義だった。富というのは、その国の財のストックで計測されるべきで、お金のストックで計測されるのではないと確信していた。また、 貨幣数量説 と貨幣中立説を比較的うまく説明した(「お金は交易の車輪などではない。それは車輪の動きをなめらかで容易にする潤滑油なのだ」Of Money, 1752)。重商主義者とはちがって、ヒュームは低金利はお金がたくさんあるせいではなく、商業が絶好調だからだ、と考えた。金利の融資可能資金理論を始めて考案した人物で、金利は融資の需要と貯蓄の供給で決まるのだ、と論じている。低金利はこのように、好調な商業経済の症状であり、抜け目なさと利益や貯蓄の欲求がそこでは主流になるために金利が下がるというわけだ。だが、短期的には(そして短期的にだけ)お金の供給(マネーサプライ)を増やすと産業によい影響があることは認めた。
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川村論考
「機械的貨幣数量説」および正金の自動調節作用という考え方には,ヒュームの先駆者がいる。学説史的研究からは,数重説をはじめて定式化したとされるジョン・ロック,ヒュームと同時代で影響を受けたモンテスキューがあげられる。また,数蛍説と正金の自動調節作用をヒュームが組み合わせたことについては,当時はあまり知られていなかった叙述家であるが,マルクスによってヒュームとの関連が指摘されたヴァンダーリントがあげられる。
ハイエクらが評価したのは「連続的影響説」の方
ヒュームは熾烈な反重商主義だった。富というのは、
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川村論考
「機械的貨幣数量説」および正金の自動調節作用という考え方には,ヒュームの先駆者がいる。学説史的研究からは,数重説をはじめて定式化したとされるジョン・ロック,ヒュームと同時代で影響を受けたモンテスキューがあげられる。また,数蛍説と正金の自動調節作用をヒュームが組み合わせたことについては,当時はあまり知られていなかった叙述家であるが,マルクスによってヒュームとの関連が指摘されたヴァンダーリントがあげられる。
ハイエクらが評価したのは「連続的影響説」の方
彼は絶対的な貨幣の価値を疑った。マルクスはそこにブルジョア経済学を見た☆。
http://nam-students.blogspot.jp/2015/02/httpnam-students.html#refka
☆☆『ヒューム 政治論集』 (近代社会思想コレクション04): ヒューム, 田中 秀夫: 本 2010
http://www.amazon.co.jp/dp/4876989621
「貨幣について」1752
http://www.eonet.ne.jp/~bookman/zenkotennha/hume.html
《この現象を説明するためには、われわれはつぎのことを考察しなければならない。すなわち、財貨の高価格は、金銀の増加の必然的結果であるけれども、しかしこの増加につづいてただちに生じるものではなく、貨幣が国家の全体に流通し、その影響がすべての階級の人びとに及ぶまでには、いくらかの時間が必要である。最初は、何らの変化も感じられないが、まず一つの財貨から他の財貨へと次第に価格が騰貴して行き、ついにはすべての財貨の価格がこの国にある貴金属の新しい量ちょうど比例する点に到達する。私の意見では、金銀の量の増加が勤労にとって有利なのは、貨幣の獲得と物価の騰貴との間の間隙、あるいは中間状態においてだけである…》(同p.42)。
☆☆『ヒューム 政治論集』 (近代社会思想コレクション04): ヒューム, 田中 秀夫: 本 2010
http://www.amazon.co.jp/dp/
「貨幣について」1752
http://www.eonet.ne.jp/~
《この現象を説明するためには、
《貨幣が国家全体を流れていくのを巡ることはたやすい。その場合、貨幣は労働の価格を騰貴させるよりも前に、まずあらゆる個人の勤労を増大させるにちがいない。》(同p.46)。
(マンキュー邦訳第3版入門編1:3:7,281頁、邦訳第2版応用編2:3:8,256頁参照。『市民の国について (下) 』57~8頁(岩波文庫.ヒューム, 小松 茂夫)参照。)
(マンキュー邦訳第3版入門編1:3:7,281頁、
☆
経済学批判要綱 - Wikipedia
マルクスは本文の一部である「貨幣にかんする章」をもとにした原初稿(Urtext)を執筆し、さらにこれを改稿して、翌1859年に『経済学批判』☆を出版した。『経済学批判』の序言(Vorwort、「序説」とは異なる)で述べられる、資本・土地所有・賃労働・国家・外国貿易・世界市場の全6部からなる経済学批判の著述計画は、1857-58年の経済学草稿の執筆のなかで構想されたものである。その後、彼の研究の進展を受けてこの計画は変更され、1867年に『資本論』第1巻が出された。したがって、この草稿はマルクスが本格的にまとめた経済学研究の最初の成果であり、『経済学批判』を経て主著『資本論』へと至る彼の経済学研究の中心部分の構想を展開した最初の原稿と見なされる。他方で、『経済学批判』や『資本論』には反映されなかった議論もあり、この草稿の独自の価値も存在する。
☆
ヒュームへの言及
大月全集第13巻
デビッド・ヒューム (David Hume), 1711-1776.
西洋史上最大の哲学者の一人で、さらに一流歴史家、経済学者、終生の懐疑主義者で好人物。デビッド・ヒュームはスコットランド啓蒙主義 最大の一人で、アダム・スミスの親友。ヒュームの経済学への貢献はもっぱら『政治論集』 (1752) にあり、これは後に『道徳・政治・文学論集』 (1758) に組み込まれた。
ヒュームは熾烈な反重商主義だった。富というのは、その国の財のストックで計測されるべきで、お金のストックで計測されるのではないと確信していた。また、 貨幣数量説 と貨幣中立説を比較的うまく説明した(「お金は交易の車輪などではない。それは車輪の動きをなめらかで容易にする潤滑油なのだ」Of Money, 1752)。重商主義者とはちがって、ヒュームは低金利はお金がたくさんあるせいではなく、商業が絶好調だからだ、と考えた。金利の融資可能資金理論を始めて考案した人物で、金利は融資の需要と貯蓄の供給で決まるのだ、と論じている。低金利はこのように、好調な商業経済の症状であり、抜け目なさと利益や貯蓄の欲求がそこでは主流になるために金利が下がるというわけだ。だが、短期的には(そして短期的にだけ)お金の供給(マネーサプライ)を増やすと産業によい影響があることは認めた。
ヒュームの最大の貢献は国際貿易面でのものだ。 重商主義者とはちがって、ヒュームは貿易がゼロサムゲームだとは思わず、相互に利益があるのだと論じた。国際貿易の総量はまったく固定されたものではなく、あらゆる国の多様性と富に直接関連しているのだ、とヒュームは論じた。その結論に曰く「したがって私は、一人の人間としてのみならずイギリス臣下として、ドイツ、スペイン、イタリア、そしてフランスさえも、それ自体の商業の開花を祈念するものである」 (Of the Jealousy of Trade, 1758)。
ヒュームはまた自動「価格-正金フロー」メカニズムと「reflux principle」を提唱した。その基本的な議論は、黄金正貨の国内流入は対外貿易収支を操作することで実現できるという、古い重商主義政策提案を否定することだった。ヒュームによれば、正金の流入は貨幣数量説により国内価格上昇をもたらし、相手国に対する交易条件を変える。したがって外国での輸出品需要が下がり、対外貿易収支は逆転して、正金はこんどは流出してしまう。ヒュームはまたこの論理を使い、物価上昇が賃金上昇のせいだという発想を否定した。具体的には、もしイギリスで賃金上昇からくる物価上昇があれば、イギリスと他の国との交易条件は、イギリスの輸出品に不利な形で変化し、他国からの輸入品には有利になる。これによってお金はイギリスから流出し、したがってイギリスのお金のストックを減らして、するとイギリスでの物価水準はまた下がる。
ヒュームの国際貿易における自動フローメカニズムは、国々の間の貿易には「自然なバランス」があって、意図的な政策ではこれを変えたり否定したりはできないという発想に裏付けを与えた。だがヒュームは同時代の政治社会哲学者たちに人気のあった「自然法」や「社会契約」を信じてはいなかった。政治面でも哲学面でも、ヒュームは徹底した経験論者だった。道徳についての快楽主義的な理論は、効用主義の基盤となった。倫理や制度、社会慣習の「進化」に関する理論は、ハイエクやその後の進化的理論に大きく影響した。ヒューム思想の他の具体面については デビッド・ヒューム入門を参照。
ヒュームは熾烈な反重商主義だった。富というのは、
ヒュームの最大の貢献は国際貿易面でのものだ。 重商主義者とはちがって、ヒュームは貿易がゼロサムゲームだとは思わず、相互に利益があるのだと論じた。国際貿易の総量はまったく固定されたものではなく、あらゆる国の多様性と富に直接関連しているのだ、とヒュームは論じた。その結論に曰く「したがって私は、一人の人間としてのみならずイギリス臣下として、ドイツ、スペイン、イタリア、そしてフランスさえも、それ自体の商業の開花を祈念するものである」 (Of the Jealousy of Trade, 1758)。
ヒュームはまた自動「価格-正金フロー」メカニズムと「reflux principle」を提唱した。その基本的な議論は、黄金正貨の国内流入は対外貿易収支を操作することで実現できるという、古い重商主義政策提案を否定することだった。ヒュームによれば、正金の流入は貨幣数量説により国内価格上昇をもたらし、相手国に対する交易条件を変える。したがって外国での輸出品需要が下がり、対外貿易収支は逆転して、正金はこんどは流出してしまう。ヒュームはまたこの論理を使い、物価上昇が賃金上昇のせいだという発想を否定した。具体的には、もしイギリスで賃金上昇からくる物価上昇があれば、イギリスと他の国との交易条件は、イギリスの輸出品に不利な形で変化し、他国からの輸入品には有利になる。これによってお金はイギリスから流出し、したがってイギリスのお金のストックを減らして、するとイギリスでの物価水準はまた下がる。
ヒュームの国際貿易における自動フローメカニズムは、国々の間の貿易には「自然なバランス」があって、意図的な政策ではこれを変えたり否定したりはできないという発想に裏付けを与えた。だがヒュームは同時代の政治社会哲学者たちに人気のあった「自然法」や「社会契約」を信じてはいなかった。政治面でも哲学面でも、ヒュームは徹底した経験論者だった。道徳についての快楽主義的な理論は、効用主義の基盤となった。倫理や制度、社会慣習の「進化」に関する理論は、ハイエクやその後の進化的理論に大きく影響した。ヒューム思想の他の具体面については デビッド・ヒューム入門を参照。
デビッド・ヒュームの主要著作
- A Treatise of Human Nature, Being an attempt to introduce the experimental method of reasoning into moral subjects, 1739-40.
- An Abstract of a Book Lately Published, 1740 - (discovered by J.M. Keynes and P. Sraffa in 1938)
- Essays, Moral and Political, 1741-1742
- A Letter from a Gentleman to His Friend in Edinburgh, 1745.
- Three Essays, Moral and Political, 1748
- An Enquiry Concerning Human Understanding, 1748.
- An Enquiry Concerning the Principles of Morals, 1751.
- Political Discourses, 1752
- Essays and Treatises on Several Subjects, 1754 (4 vols; 1 - 1748 ed. of Essays; 2 - 1748 Enquiry; 3 - 1751 Enquiry; 4 - 1752 Discourses)
- The History of England, from the invasion of Julius Caesar to the Abdication of James II, 1688, 1754-1762.
- Four Dissertations, 1757.
- Essays: Moral, Political and Literary, 1758
- Part I - 1741-42 Essays (several essays omitted) + 1748 Three Essays + two of the 1757 Four Dissertations
- Part II - 1752 Political Discourses + new essays:
- "Of the Jealousy of Trade"
- "Of the Coalition of Parties"
- A Concise and Genuine Account of the Dispute between Mr. Hume and Mr. Rousseau, 1766.
- My Own Life, 1776.
- The Latter-Will and Testament of David Hume, 1776
- Essays and Treatises on Several Subjects 1777, (4 vols, as in 1754; Vol. 1 is the 1758 Essays plus the following:
- "Of the Origin of Government" included in Part I of Essays
- All essays omitted in 1758 included as Part III of Essays
- Two Essays, 1777 (incl. in Part III of 1825 ed. of Essays)
- "Of Suicide"
- "Of the Immortality of the Soul"
- Dialogues Concerning Natural Religion, 1779. - copy
- The Philosophical Works of David Hume, 1825 Edinburgh ed. (American ed., 1854)
デビッド・ヒュームに関するリソース
- HET ページ: デビッド・ヒューム入門, ヒューム著作の書誌, お金へのスコットランド的アプローチ
- Letter from Adam Smith to William Strahan on David Hume, 1776
- The David Hume Archives @ IEP
- Hume: a. Life and Writings
- Hume: b. Metaphysical and Epistemological Theories
- Hume: c. Moral Theory
- Hume: d. Writings on Religion
- Hume: e. Essays, Moral, Political and Literary
- "David Hume" by James McCosh, 1875 in Scottish Philosophy
- "David Hume" by G.W.F. Hegel, 1892, Lectures on the History of Philosophy
- "David Hume" by Alfred Weber, 1908, History of Philosophy
- The Hume Society
- Hume Page at McMaster
- Hume Page at Akamac.
- Bibliography of Hume's works at McMaster.
- Britannica.com Hume page
- Hume timeline
2 Comments:
ヒックスの景気循環論によれば、ヒュームはモンテスキューを意識していた
またアメリカからの銀流入を念頭に入れていた
ロック
ジョン・ロック(John Locke、1632年8月29日 - 1704年10月28日)は、イギリスの哲学者。哲学者としては、イギリス経験論の父と呼ばれ、主著『人間悟性論』(『人間知性論』)において経験論的認識論を体系化した。また、政治哲学者としての側面も非常に有名である。『統治二論』などにおける彼の自由主義的な政治思想は名誉革命を理論的に正当化するものとなり、その中で示された社会契約や抵抗権についての考えはアメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。
ヒューム
デイヴィッド・ヒューム(David Hume、ユリウス暦1711年4月26日(グレゴリオ暦5月7日) - 1776年8月25日)は、イギリス・スコットランド・エディンバラ出身の哲学者である。ジョン・ロック、ジョージ・バークリーらに続き英語圏の経験論を代表する哲学者であり、歴史学者、政治哲学者でもある。生涯独身を通し子供もいなかった。
重商主義の経済思想(続きの続き)(2003年度経済学史)
park.saitama-u.ac.jp/~yanagisawa/het03/money.html
ただし、ロックは開放経済(貿易が行われている経済)では、貨幣数量説は妥当しにくいと考えていた。 ヒュームの貨幣論ヒュームも後期重商主義に分類するのが普通である。 ただし、私見では古典派経済学に近いので ...
ヒュームの貨幣論の背景 (Adobe PDF) -htmlで見る
kokushikan.repo.nii.ac.jp/index.php?...block...
ヒュームの貨幣論に並存するといわれる「機械的貨幣数量説」と「連続的影. 響説」をまずはそれぞれを呈示し ... るジョン・ロック]'1,ヒュームと同時代で影響を受けたモンテスキュー'2}があ. げられる。また,数蛍説と正金 ...
貨幣はどこに消えたのか? : 貨幣数量説の再検討 (Adobe PDF) -htmlで見る
kwansei.repo.nii.ac.jp/index.php?...block...
貨幣数量説は 1930 年代の大恐慌の時代にはケインズの批判に遭い. 一旦は後退した ... 他にもジョン・ロックやモンテスキューなども同様. の指摘をして ... イギリスのヒューム とされる。その関係は ...
スチュアートとヒュームの貨幣数量説 | 秋山のブログ
ameblo.jp/chichukai/entry-12163533765.html
貨幣数量説は重商主義の時代からのもののようだ。経済思想史に面白い記載があった。抜粋して、引用する。
デビッド・ヒューム (David HUME) - Cruel.org
cruel.org/econthought/profiles/hume.html
また、 貨幣数量説と貨幣中立説を比較的うまく説明した(「お金は交易の車輪などではない。それは車輪の動きをなめらかで容易 ...
マルクスの貨幣数量説批判 - 駒澤大学学術機関リポジトリ (Adobe PDF) -htmlで見る
repo.komazawa-u.ac.jp/opac/.../all/.../rkz047-3-06-miyata.pdf
イタリアの経済学者にも散見されるが、ロック. <論 説>. マルクスの貨幣数量説 ... さて、このようなヒュームの貨幣数量説は古.
ヒュームの経済思想――『政治論集』を読む(3/5): 主体性確立のための ...
dialectic.seesaa.net/article/453089264.html
つまり、ヒュームの貨幣論は、古典派経済学の貨幣数量説を先駆的に主張するものであった、といえるわけです ...
金貨幣の合理性に関する考察 - 政策科学学会|ホームページ (Adobe PDF) -htmlで見る
www.apsj.org/nenpou/00_01.pdf
ロックによる貨幣数量説の形成とヒューム. による貨幣=道具説の確立と重商主義批判としての貨幣数量説の完成。フィッシャー ...
D・ヒュームにおける貨幣と権力 - Core (Adobe PDF)
core.ac.uk/download/pdf/35424146.pdf
この想定は,古典派経済学の生成期に貨幣数量説とともに登. 場したと理解されている。 しかし,本稿で ..... こうしてヒュームの貨幣理論は、. ロックから現代のマネタリストに至る貨幣数量説の発展の文脈でのみ位置づ.
1 (Microsoft Word) -htmlで見る
www3.econ.fukuoka-u.ac.jp/~yamazaki/chapter1.doc
ヒュームの議論の背景には、ロックによって最初に唱えられたといわれる貨幣数量説がある。ロックはこの考え方を、一晩で国民 ...
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