https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhKqD5-8UcijBNNbC4QzjFqkHCV9TkMv7hl9qcT037TSCXcQqNVZ8fmgNXt2ZdfLmN1EN2T4ewn5N7JEMFF8MjxljcsKtkEgb3E1Wvbl8Fl9_AkRsTpuihncBGqoiqjBUVGkJOeXg/s640/blogger-image--62028558.jpg
上記図(ハイデッガーが講堂の黒板に描いた図形、現存在の図示としておそらく唯一の物
と思われる図形)のハイデガー自身の解説:
「次ページの図は、人間の実存がその本質根拠において、決してどこかに事物的に存在している
対象ではなく、ましてや、それ自身の内で完結した対象ですらないということを明示するための
ものでしかない。 (略)現存在として実存するとは次のことを意味する。現存在が「開け」られて
いることからもろもろの所与がそれに向かって語りかけてくるが、その意味指示性を認取しうる
ことによってある領域を開けたままにしておくというのがその意味である。人間の現存在は、
認取しうることの領域として、決して単に事物的に存在する対象ではない。反対にそれはそもそ
も決して、もともと決していかなる場合であろうとも、対象化すべき何かではない。 」
ハイデッガー『ツォリコーン・ゼミナール』(みすず書房1991年,p3) より
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