「ザビーナ・シュピールラインはすでにこの考え方(引用者注:「死の欲動」)をうちだしている。その論文は内容も思想も豊富だが、残念ながらわたしは完全には理解できない」(フロイト『快感原則の彼岸』一九二〇 の脚注より)
2011年公開予定のクローネンバーグによるフロイト伝記映画『デンジャラス・メソッド』のスチール写真及び撮影風景。
(近年再評価の声が高い)ザビーナ・シュピールライン(*)をキーラ・ナイトレイが演じるようです。
http://www.filmshaft.com/very-interestink-more-images-from-a-dangerous-method/
http://eiga.com/news/20100312/3/
以下上記サイトより
デビッド・クローネンバーグ監督とビゴ・モーテンセンが、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」「イースタン・プロミス」以来3度目となるタッグを組むことが分かった。クローネンバーグ監督の新作「The Talking Cure」から当初キャスティングされていたクリストフ・ワルツが降板したため、モーテンセンが代役で出演する。
同作は、クリストファー・ハンプトンの同名戯曲を映画化するもので、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトとカール・ユング、そして患者として知り合ったユングと恋に落ち、のちに自身も精神分析家となる美女ザビーナ・シュピールラインの3人の複雑な人間関係を描く。フロイト役をモーテンセン、ユング役をマイケル・ファスベンダー、そしてザビーナ役をキーラ・ナイトレイが演じる。5月中旬のクランクインを予定。
*
以下、wikiより
ザビーナ・シュピールライン(Sabina Spielrein 1885年 - 1942年)はロシア出身の精神分析家。
ロストフの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ育つ。父ニコライは商人、母エヴァは当時のロシアでは珍しい大学卒(歯学部)の女性だった。
ロストフの女子ギムナジウムを経て、1904年8月17日、統合失調症患者としてチューリヒ近郊のブルクヘルツリ精神病院に入院し、ここで医師として働いていたユングと知り合い、恋に落ちる。1905年6月1日に退院した後、チューリヒ大学医学部に入学し、1911年、統合失調症に関する論文を提出して医学部を卒業するまでユングとの関係は続いた。ユングは彼女が学位論文を書くにあたっての助言者だったが、同時に彼自身もザビーナから学問的に多大な影響を受けた。しかし既婚者のユングが、彼の子を産みたいというザビーナの希望を撥ねつけたため、二人の愛は破局を迎えた。同じ1911年、ウィーンでフロイトと会い、ウィーン精神分析学協会に参加。ユングとの恋愛体験に基づく論文『生成の原因としての破壊』は、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
1912年、ロシア系ユダヤ人医師パヴェル・ナウモーヴィチ・シェフテルと結婚し、ベルリンで暮らした。第一次世界大戦中はスイスで暮らしたが、1923年、ソヴィエト政権下のロシアに帰国し、ロシア精神分析学協会に参加すると共に、モスクワにて幼稚園を設立。なるべく早い時期から子供たちを自由人として育てることを旨とした幼稚園であり、スターリンが息子ヴァシリーを偽名で入園させたこともあったが、3年後、幼児たちへの性的虐待という冤罪をかけられたため、閉鎖を余儀なくされた。背後には、精神分析学に対するスターリン政権からの弾圧があった。
1936年、大粛清の最中に夫が病死し、ザビーナと娘たちは1942年に故郷ロストフにて、侵攻したナチの手で殺害された。
2002年、『私の名はザビーナ・シュピールライン』と題するドキュメンタリーがスウェーデンの映画監督エリザベト・マルトンによって作られ、2005年には米国でも封切られた。近年、精神分析学に対する彼女の貢献に関して再評価が進みつつある。
http://www.linkclub.or.jp/~kiri/r29.html
以下上記サイトより
「アルド・カロテヌート『秘密のシンメトリー』について
1977年、スイスのジュネーヴで、女性精神分析家ザビーナ・シュピールラインの1909年から1912年にかけての「日記」と彼女の「手紙類(ユング宛、フロイト宛書簡を含む)」が偶然発見され、イタリアのユング派精神分析家アルド・カロテヌートが、それらの資料に「秘密のシンメトリー」と題した一文を付して、80年にイタリアで出版した。内容は欧米で反響を呼び、数か国語に翻訳されたという。この日本語版には、他にシュピールラインの生前の論文『生成の原因としての破壊』(1912年『精神分析学・精神病理学年報』)と英語版から訳出されたフロイト派の精神分析家ブルーノ・ベッテルハイムの解説文『ベッテルハイムのコメント』(1983年「ニューヨークレビュー紙」)を加えたものとなっている旨が、あとがきにことわられている。
おそらく精神分析運動史の研究者でもなければ、その名を知ることもないであろう一女性分析家の半世紀以上も前に残した手紙や日記をまとめた書物が、なぜ欧米でことさら話題になったのかといえば、とりあえずは資料が分析心理学の創始者カール・グスタフ・ユングとザビーナ・シュピールラインとの間に生じた不幸な恋愛事件についての記録(スキャンダル)をあかすものだったからだとはいえよう。また、そうした暴露的興味とは別に、彼女がユングやフロイトに与えた思想的な影響ということに関して、フロイト派とユング派の研究者たちに激しい解釈上の対立を投げかける内容となっていることがあげられるかもしれない(註1)。
(略)
(註1)ユング派のカロテヌートは「シュピールラインはこの論文(「生成の原因としての破壊」1912年)で、フロイトが1920年に『快感原則の彼岸』の中で提出する概念を、ほとんどそっくり先取りしている」と指摘しており、フロイト派のベッテルハイムは、アニマの概念にとどまらず、ユング心理学の多くの基礎概念が「直接または間接的にシュピールラインに負うものである」ことが明白になったという論旨を展開している。解説者が、互いの属する学派の始祖の思想の核心となるような概念の独創性に疑念をはさんで辛辣にやりあっていることの意味や切実さは、私などにはとうてい了解できない。 」
追記:
フロイト関連映画では、(ヒッチコックやダグラス・サークなどの精神分析的映画もいいが)ジョン・ヒューストン監督、モンゴメリー・クリフト主演の伝記映画"Freud: The Secret Passion"(1962)がお勧めなのですが、残念ながら日本語版DVDは出ていないようです。
サルトルの書いたシナリオ第一稿は邦訳が出版されているのですが、、、
追記の追記:
ざっと『秘密のシンメトリー』を読んだ感想としては、一人の女性(の転移)に翻弄された二人の医師というよりも、二人の偉大な思想家の中間点を探った女性という印象だ。ユングの集合無意識とフロイトの破壊衝動の中間点として、シュピールラインは個人的体験と違って種族的体験は自己犠牲的な死を自ら選ぶ場合があることを主張している(395頁)。三角関係に関しては、ユングの手紙が遺族によって公開を拒否されているのでよくわからない。
ブログ冒頭に掲げたフロイトの記述は(ちくま『自我論集』186頁の訳はニュアンスが少し違う)結果的に死の欲動におけるシュピールラインのプライオリティーを認めているが、同時にシュピールライン自身も語るユングのプライオリティー(参照:ユング『変容の象徴』**ちくま学芸文庫下294頁)を隠蔽しているところに複雑さがある(ジャネに対するフロイトの対抗心とも似ている)。
参考:http://www.shosbar.com/works/crit.essays/spielrein.html
**注:
シュピールラインが1912年の論文冒頭で引用したユングの『リビドーの変容と象徴』は、日本語版と少し訳文が違うようだ(内容的には重複するが「二重の母」という章はない)。多分『生命力の発展』(世界大思想全集44所収の方だと思われる)。
「情熱的な欲望にもふたつの面がある。それはすべてを美化するがまた事情によってはすべてを破壊することもある力である。‥」(ちくま学芸文庫『象徴と変容 上』「五 蛾の歌」225頁の訳)
参考:http://nirc.nanzan-u.ac.jp/Hito/watanabem/links/jungbib-b.htm
追記:
日本語版トレーラー
カットされていないバージョン
2011年公開予定のクローネンバーグによるフロイト伝記映画『デンジャラス・メソッド』のスチール写真及び撮影風景。
(近年再評価の声が高い)ザビーナ・シュピールライン(*)をキーラ・ナイトレイが演じるようです。
http://www.filmshaft.com/very-interestink-more-images-from-a-dangerous-method/
http://eiga.com/news/20100312/3/
以下上記サイトより
デビッド・クローネンバーグ監督とビゴ・モーテンセンが、「ヒストリー・オブ・バイオレンス」「イースタン・プロミス」以来3度目となるタッグを組むことが分かった。クローネンバーグ監督の新作「The Talking Cure」から当初キャスティングされていたクリストフ・ワルツが降板したため、モーテンセンが代役で出演する。
同作は、クリストファー・ハンプトンの同名戯曲を映画化するもので、精神分析学の創始者ジークムント・フロイトとカール・ユング、そして患者として知り合ったユングと恋に落ち、のちに自身も精神分析家となる美女ザビーナ・シュピールラインの3人の複雑な人間関係を描く。フロイト役をモーテンセン、ユング役をマイケル・ファスベンダー、そしてザビーナ役をキーラ・ナイトレイが演じる。5月中旬のクランクインを予定。
*
以下、wikiより
ザビーナ・シュピールライン(Sabina Spielrein 1885年 - 1942年)はロシア出身の精神分析家。
ロストフの裕福なユダヤ人の家庭に生まれ育つ。父ニコライは商人、母エヴァは当時のロシアでは珍しい大学卒(歯学部)の女性だった。
ロストフの女子ギムナジウムを経て、1904年8月17日、統合失調症患者としてチューリヒ近郊のブルクヘルツリ精神病院に入院し、ここで医師として働いていたユングと知り合い、恋に落ちる。1905年6月1日に退院した後、チューリヒ大学医学部に入学し、1911年、統合失調症に関する論文を提出して医学部を卒業するまでユングとの関係は続いた。ユングは彼女が学位論文を書くにあたっての助言者だったが、同時に彼自身もザビーナから学問的に多大な影響を受けた。しかし既婚者のユングが、彼の子を産みたいというザビーナの希望を撥ねつけたため、二人の愛は破局を迎えた。同じ1911年、ウィーンでフロイトと会い、ウィーン精神分析学協会に参加。ユングとの恋愛体験に基づく論文『生成の原因としての破壊』は、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
1912年、ロシア系ユダヤ人医師パヴェル・ナウモーヴィチ・シェフテルと結婚し、ベルリンで暮らした。第一次世界大戦中はスイスで暮らしたが、1923年、ソヴィエト政権下のロシアに帰国し、ロシア精神分析学協会に参加すると共に、モスクワにて幼稚園を設立。なるべく早い時期から子供たちを自由人として育てることを旨とした幼稚園であり、スターリンが息子ヴァシリーを偽名で入園させたこともあったが、3年後、幼児たちへの性的虐待という冤罪をかけられたため、閉鎖を余儀なくされた。背後には、精神分析学に対するスターリン政権からの弾圧があった。
1936年、大粛清の最中に夫が病死し、ザビーナと娘たちは1942年に故郷ロストフにて、侵攻したナチの手で殺害された。
2002年、『私の名はザビーナ・シュピールライン』と題するドキュメンタリーがスウェーデンの映画監督エリザベト・マルトンによって作られ、2005年には米国でも封切られた。近年、精神分析学に対する彼女の貢献に関して再評価が進みつつある。
http://www.linkclub.or.jp/~kiri/r29.html
以下上記サイトより
「アルド・カロテヌート『秘密のシンメトリー』について
1977年、スイスのジュネーヴで、女性精神分析家ザビーナ・シュピールラインの1909年から1912年にかけての「日記」と彼女の「手紙類(ユング宛、フロイト宛書簡を含む)」が偶然発見され、イタリアのユング派精神分析家アルド・カロテヌートが、それらの資料に「秘密のシンメトリー」と題した一文を付して、80年にイタリアで出版した。内容は欧米で反響を呼び、数か国語に翻訳されたという。この日本語版には、他にシュピールラインの生前の論文『生成の原因としての破壊』(1912年『精神分析学・精神病理学年報』)と英語版から訳出されたフロイト派の精神分析家ブルーノ・ベッテルハイムの解説文『ベッテルハイムのコメント』(1983年「ニューヨークレビュー紙」)を加えたものとなっている旨が、あとがきにことわられている。
おそらく精神分析運動史の研究者でもなければ、その名を知ることもないであろう一女性分析家の半世紀以上も前に残した手紙や日記をまとめた書物が、なぜ欧米でことさら話題になったのかといえば、とりあえずは資料が分析心理学の創始者カール・グスタフ・ユングとザビーナ・シュピールラインとの間に生じた不幸な恋愛事件についての記録(スキャンダル)をあかすものだったからだとはいえよう。また、そうした暴露的興味とは別に、彼女がユングやフロイトに与えた思想的な影響ということに関して、フロイト派とユング派の研究者たちに激しい解釈上の対立を投げかける内容となっていることがあげられるかもしれない(註1)。
(略)
(註1)ユング派のカロテヌートは「シュピールラインはこの論文(「生成の原因としての破壊」1912年)で、フロイトが1920年に『快感原則の彼岸』の中で提出する概念を、ほとんどそっくり先取りしている」と指摘しており、フロイト派のベッテルハイムは、アニマの概念にとどまらず、ユング心理学の多くの基礎概念が「直接または間接的にシュピールラインに負うものである」ことが明白になったという論旨を展開している。解説者が、互いの属する学派の始祖の思想の核心となるような概念の独創性に疑念をはさんで辛辣にやりあっていることの意味や切実さは、私などにはとうてい了解できない。 」
追記:
フロイト関連映画では、(ヒッチコックやダグラス・サークなどの精神分析的映画もいいが)ジョン・ヒューストン監督、モンゴメリー・クリフト主演の伝記映画"Freud: The Secret Passion"(1962)がお勧めなのですが、残念ながら日本語版DVDは出ていないようです。
サルトルの書いたシナリオ第一稿は邦訳が出版されているのですが、、、
追記の追記:
ざっと『秘密のシンメトリー』を読んだ感想としては、一人の女性(の転移)に翻弄された二人の医師というよりも、二人の偉大な思想家の中間点を探った女性という印象だ。ユングの集合無意識とフロイトの破壊衝動の中間点として、シュピールラインは個人的体験と違って種族的体験は自己犠牲的な死を自ら選ぶ場合があることを主張している(395頁)。三角関係に関しては、ユングの手紙が遺族によって公開を拒否されているのでよくわからない。
ブログ冒頭に掲げたフロイトの記述は(ちくま『自我論集』186頁の訳はニュアンスが少し違う)結果的に死の欲動におけるシュピールラインのプライオリティーを認めているが、同時にシュピールライン自身も語るユングのプライオリティー(参照:ユング『変容の象徴』**ちくま学芸文庫下294頁)を隠蔽しているところに複雑さがある(ジャネに対するフロイトの対抗心とも似ている)。
参考:http://www.shosbar.com/works/crit.essays/spielrein.html
**注:
シュピールラインが1912年の論文冒頭で引用したユングの『リビドーの変容と象徴』は、日本語版と少し訳文が違うようだ(内容的には重複するが「二重の母」という章はない)。多分『生命力の発展』(世界大思想全集44所収の方だと思われる)。
「情熱的な欲望にもふたつの面がある。それはすべてを美化するがまた事情によってはすべてを破壊することもある力である。‥」(ちくま学芸文庫『象徴と変容 上』「五 蛾の歌」225頁の訳)
参考:http://nirc.nanzan-u.ac.jp/Hito/watanabem/links/jungbib-b.htm
追記:
日本語版トレーラー
カットされていないバージョン
ザビーナ・シュピールライン
wikiより
ユングとの恋愛体験に基づく論文『生成の原因としての破壊』は、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
wikiより
ユングとの恋愛体験に基づく論文『生成の原因としての破壊』は、フロイトのタナトス概念に影響を与えた。
Commented by yojisekimoto at 2010-10-24 05:39
http://d.hatena.ne.jp/you999/comment?date=20100421§ion=p3#c
ザビーナ・シュピールラインの悲劇
―― フロイトとユング,スターリンとヒトラーのはざまで ――
ザビーネ・リッヒェベッヒャー
田中 ひかる 訳
■体裁=四六判・上製・カバー・474頁
■定価 5,250円(本体 5,000円 + 税5%)
■2009年10月29日
■ISBN978-4-00-023028-5 C0011
若きユングの最初の患者にして恋人,後に独創的な精神分析家としてフロイトからも高く評価される先駆的な業績を残したシュピールライン.しかし母国ロシアに戻った彼女を待っていたのは,スターリンによって弟三人を粛清され,自らもドイツ軍によって娘二人とともに虐殺されるという残酷な運命だった.最新の研究により,その知られざる生涯と学問を丹念に跡付けた力作.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/X/0230280.html
ザビーナ・シュピールラインの悲劇
―― フロイトとユング,スターリンとヒトラーのはざまで ――
ザビーネ・リッヒェベッヒャー
田中 ひかる 訳
■体裁=四六判・上製・カバー・474頁
■定価 5,250円(本体 5,000円 + 税5%)
■2009年10月29日
■ISBN978-4-00-023028-5 C0011
若きユングの最初の患者にして恋人,後に独創的な精神分析家としてフロイトからも高く評価される先駆的な業績を残したシュピールライン.しかし母国ロシアに戻った彼女を待っていたのは,スターリンによって弟三人を粛清され,自らもドイツ軍によって娘二人とともに虐殺されるという残酷な運命だった.最新の研究により,その知られざる生涯と学問を丹念に跡付けた力作.
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/X/0230280.html
Commented by yojisekimoto at 2010-10-24 05:41
秘密のシンメトリー―ユング・シュピールライン・フロイト [単行本]
アルド カロテヌート (著), 入江 良平 (翻訳), 小川 捷之 (翻訳), 村本 詔司 (翻訳)
まだカスタマーレビューはありません。 最初のレビューを書く
内容(「BOOK」データベースより)
深層心理学の歴史を一人の女性が変えた。ユングとシュピールライン、フロイトの秘められた関係を新発見の文書から解明し、世界に論争の渦を巻き起した問題作。
登録情報
単行本: 460ページ
出版社: みすず書房 (1991/06)
ISBN-10: 4622030454
ISBN-13: 978-4622030454
発売日: 1991/06
アルド カロテヌート (著), 入江 良平 (翻訳), 小川 捷之 (翻訳), 村本 詔司 (翻訳)
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内容(「BOOK」データベースより)
深層心理学の歴史を一人の女性が変えた。ユングとシュピールライン、フロイトの秘められた関係を新発見の文書から解明し、世界に論争の渦を巻き起した問題作。
登録情報
単行本: 460ページ
出版社: みすず書房 (1991/06)
ISBN-10: 4622030454
ISBN-13: 978-4622030454
発売日: 1991/06
Commented by yojisekimoto at 2010-10-24 06:14
(註1)ユング派のカロテヌートは「シュピールラインはこの論文(「生成の原因としての破壊」1912年)で、フロイトが1920年に『快感原則の彼岸』の中で提出する概念を、ほとんどそっくり先取りしている」と指摘しており、フロイト派のベッテルハイムは、アニマの概念にとどまらず、ユング心理学の多くの基礎概念が「直接または間接的にシュピールラインに負うものである」ことが明白になったという論旨を展開している。解説者が、互いの属する学派の始祖の思想の核心となるような概念の独創性に疑念をはさんで辛辣にやりあっていることの意味や切実さは、私などにはとうてい了解できない。
http://www.linkclub.or.jp/~kiri/r29.html
http://www.linkclub.or.jp/~kiri/r29.html
Commented by yojisekimoto at 2010-10-25 19:32
ユングからシュピールラインへの手紙は、ユングの遺族が公開を拒否した。
http://www.shosbar.com/works/crit.essays/spielrein.html
http://www.shosbar.com/works/crit.essays/spielrein.html
Commented by yojisekimoto at 2010-10-25 19:33
シュピールラインは学位論文を書き上げた後、ウィーンに移り、一九一一年十月に初めてフロイトに会った。ウィーン精神分析学協会に正式に入会し、フロイトのグループの会合に出席するようになったシュピールラインは、十一月二十五日に、フロイト、ランク、タウスク、シュテーケルらを前にして、『生成の原因としての破壊』と題する論文の一節を読んだ。この翌日、フロイトはユングに宛ててこう書いている、「昨日、シュピールライン嬢が自分の論文の一節を発表しそれにつづいて刺激的な討論が交わされました。彼女はなかなか素晴らしい。わたしは彼女のことがやっとわかってきました」(15)。
Commented by yojisekimoto at 2010-10-25 19:35
これはひじょうに興味深い論文で(16)、シュピールラインはまず、どうして性本能はポジティヴな結果だけでなく、苦悩とか嫌悪といったネガティヴな結果をも生むのかという疑問を掲げる(この背後にユングとの苦しい恋愛体験があったことは容易に察することができる)。彼女は、それは性本能にたいする社会的抑圧によるのだという諸家の説をしりぞけ、人間の根底には生の本能と破壊本能とがあるのだという考えをうちだす。彼女はそれに生物学的根拠をあたえ(すなわち、生殖の瞬間、両性の性細胞は「破壊」され、合体して胚を形成する。人間の二大本能はこの事実に起因するというのだ)、さらに例証として神話における誕生と死について述べている(この論文は翌年の『精神分析学・精神病理学研究年報』に載った)。
シュピールラインのいうこの破壊本能が、フロイトの「死の衝動」という概念に直接影響をあたえたことはほぼ間違いない。フロイトがこの概念をはじめて公けにしたのは、『快感原則の彼岸』(一九二〇)であるが、註においてフロイトはこう述べている。
Commented by yojisekimoto at 2010-10-25 19:35
「ザビーナ・シュピール・ラインはすでにこの考え方をうちだしている。その論文は内容も思想も豊富だが、残念ながらわたしは完全には理解できない」(17)。
いっぽうユングは『変容の象徴』の中の、「すべてを破壊する母親」「のみこむ母親」について述べた部分の註に、「この事実をもとに、わたしの弟子だったシュピールライン博士は死への衝動という思想を発展させた。これをのちにフロイトが採りいれた」と書いている(18)。。おそらく彼女は、精神分析学創成期における開拓者のひとりとして歴史に名をとどめるべき人物である。
いっぽうユングは『変容の象徴』の中の、「すべてを破壊する母親」「のみこむ母親」について述べた部分の註に、「この事実をもとに、わたしの弟子だったシュピールライン博士は死への衝動という思想を発展させた。これをのちにフロイトが採りいれた」と書いている(18)。。おそらく彼女は、精神分析学創成期における開拓者のひとりとして歴史に名をとどめるべき人物である。
Commented by yojisekimoto at 2010-10-25 19:35
実際、シュピールラインはその論文に、ユングの『リビドーの変容と象徴』から、「情動的欲望、すなわちリビドーは、二つの局相をもつ。つまりリビドーは、すべてを美化する、だがある種の状況のもとではすべてを破壊しうる力をあらわしているのである」という一節ではじまる、リビドーの破壊的側面を論じた部分を長く引用して、自分の考えがユングの思想にもとづいていることを明言している。ユングは死の本能あるいは衝動という言葉を用いないが、ユング──シュピールライン──フロイトという、死の衝動をめぐる線を引くことができよう。
シュピールラインは、学位論文とこの破壊衝動についての論文を含め、三十一の論文を発表した。どれもほとんど歴史の埃の中に埋もれていたわけだが、今後、再評価がすすむことだろう(19)
Commented by yojisekimoto at 2010-10-25 19:36
(15) The Freud/Jung Letters, p.469. これに先立って、十一月十二日にフロイトはユングに、「このあいだの会合で、シュピールライン嬢が初めて発言しました。彼女はとても知的で、理路整然としていました」と書いている。(The Freud/Jung Letters, p.458)
(16) 以下の粗述はカロテヌートの著書の仏語版による(註5参照)。
(17) フロイト『快感原則の彼岸』、人文書院版『フロイト著作集』第6巻、一八六ページ。
(18) ユング『変容の象徴』野村美紀子訳、筑摩書房、六六二ページ。
(19) とくに娘が生まれて以降の幼児研究は、メラニー・クラインの先駆として重要である。
Commented by yojisekimoto at 2010-10-25 23:04
いっぽうユングは『変容の象徴』の中の、「すべてを破壊する母親」「のみこむ母親」について述べた部分の註に、「この事実をもとに、わたしの弟子だったシュピールライン博士は死への衝動という思想を発展させた。これをのちにフロイトが採りいれた」と書いている(18)。。おそらく彼女は、精神分析学創成期における開拓者のひとりとして歴史に名をとどめるべき人物である。
(18) ユング『変容の象徴』野村美紀子訳、筑摩書房、六六二ページ。
ちくま学芸文庫下294頁
Commented by yojisekimoto at 2010-10-30 02:46
フロイトはユングへの手紙でシュピールラインの破壊本能説が「個人的要因に規定されすぎている」と批判している。(邦訳『秘密のシンメトリー』257頁)
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