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月曜日, 8月 14, 2017

リカード、ヒックス、プルードン

森島が参照したのはhicksの
Sraffa and Ricardo: A critical view", 1985, in Caravale, Legacy of Ricardo .

w=1/a^n(1+r)^tn hicks


それではもう一度だけ「分配」について説明しておく (これまでのように君には理解できないだろうが、一応書いてみる)

「分配とその影響」の分析こそが経済学の主題である
それを問題にしないのは、支配労働価値説(スミス)→新古典派→ミクロ経済学であり
するのが、投下労働価値説(リカード)→マルクス経済学、有効需要論(マルサス)→ケインズ→マクロ経済学、厚生経済学である
マクロ経済学でば、GDPは国民所得と等価である、GDP=家計の収入+企業の収入+政府の収入
GDPとは、国内の企業が1年間に作り出した付加価値の総額であり、これが三面等価の原理によって家計・企業・政府に分配されるのである
その所得分配と経済成長の関係を分析する
厚生経済学とは、資源配分の効率性(パレート最適)と所得分配の公正という二つの価値基準から国民経済を分析し、経済政策に規範を与える規範分析の経済学である
「分配」などは政治であり経済学ではないなどと言っているのは、まさに新古典派的な反マルクス的な主張なのである

次に、「労働価値説」と「分配」の関係をもう一度説明すると

価値分解説= 労働者の労働によって作り出された価値(付加価値)が、賃金・利潤・地代に分割される
価値構成説= 所得としての賃金・利潤・地代の合計が価値を規定する
価値分解説では、価値は、分解される前に、生産過程の投下労働量で規定されていなければならないので、投下労働価値説に基づく
価値構成説では、それぞれの所得(賃金・利潤・地代)は、投下労働ではなく、労働・資本・土地それぞれ独立して、流通過程における需給で決まるから、支配労働価値説に基づく
したがって、価値分解説・投下労働価値説では、分配が問題になり、価値構成説・支配労働価値説では問題にならない 

[つづき]

穀物法改正論争
大陸からの穀物輸入制限強化のための法改正についての論争で、これは、現在の日本にも当てはまるもので理解しやすいと思う
この穀物法論争は、労働者、資本家、地主の経済的利害対立を明るみに出し、諸階級への所得分配と国民経済の発展との相互連関の解明が急務となった
それは、穀物価格の上昇が賃金・利潤・地代の相互関係にどう影響するか、分配の変化の国民経済の発展に対する影響の解明である
リカードは、穀物価格の上昇にともなう賃金の騰貴は、利潤率の低下をもたらし、経済発展を阻害すると考えた
これを論証するのに必要なのが、投下労働価値説(価値分解説)と労働の自然価格の概念である
労働の自然価格は、労働者の生活必需品の価格できまる、当時はそれの大半を占めるのが穀物であった
したがって穀物価格が上がると、労働の価格(賃金)が上がり、利潤率が減少する
それに対して、価値構成説をとるマルサスは、賃金の上昇は、生産物の価格に転嫁され、利潤率の減少は起きず、経済成長を阻害しないと主張した

リカードについては、森嶋通夫著『リカードの経済学 分配と成長の一般均衡理論』(1991)(原著の英語版は1977)が必読である

リカードは、「資本蓄積と所得分配との関係を分析するのが経済学の中心課題で、この理論的考察のすべてが労働価値説を基礎において構築されねばならないという見地を確立した」と評価されるが
重要ポイントは、労働価値説と平均利潤率(一般利潤率)・生産価格(自然価格)との関係である
スミスもリカードもこれを解明することに成功しなかった
スミスは支配労働価値説に逃げ、リカードは投下労働価値説の部分的修正で説明できるとした
古典派経済学者たちができなかったのを、「剰余価値」と「資本の有機的構成」という概念を使うことで解明することに成功したのがマルクスである
いやマルクスも成功してないぞ、というのがいわゆる「転形問題」というやつである 


平均利潤率について
W=C+V+M (M;生産物 C;生産手段 V;労働力 M;剰余価値とする)
M/Vは剰余価値率、M/(C+V)は利潤率になる
M/Vは、資本家と労働者の間の分配問題で、これは階級闘争といった政治問題と言えなくはない
君のように無知で無学な労働者たちは、単に給料増やせ分配増やせと政治的に叫んでいるだけだろうが、その闘争を指導する指導者たちは、経済学的分析で理論武装しているんだよ
M/(C+V)は、資本家の間の利潤の分配問題であり、古典派以来の純粋な経済学の問題であり、マルクスが解明し、古典派経済学者が解明できなかった重要ポイントである
これを理解していないということは、マルクスについて何も分っていないと言うに等しい
生産部門間の資本の有機的構成(CとVの比率)の違いで価値と価格との乖離に差が出るが、社会全体から見ると総剰余価値と総平均利潤、総価値と総生産価格は等しくなる
各資本家は、投下した資本量の全体の資本量に占める割合に応じて、総剰余価値から分配を受けるのである
これにより、資本家による労働者の搾取は、個々の資本対労働ではなく、資本家全体による労働者全体に対する搾取という関係にあることが解明された
これが階級闘争の理論的根拠である 

>資本家全体による労働者全体に対する搾取という関係にあることが解明された

ここから出る答えが世界政府だったりストライキだから本末転倒になる
宇野経済学の要約としては正しいのかもしれないが
マルクスの結論はthink globally,act locally、つまり協同組合だ
(利潤率が正でも搾取率が正ではない例外は協同組合社会にしかない)
これは唐突なので理解されていない
これはマルクスにも非がある
価値形態論は集合論的には中途半端だし
再生産表式もそれを勘案すると結論が変わる
何よりもマルクスは集合労働力を相対的と命名し、二次的なものに貶めてしまったから
自主管理の展望が見えなくなった
ゲゼルが言うようにマルクス主義者は権力を握っても何も出来ない
所詮国家資本主義しか展望がない



>資本家全体による労働者全体に対する搾取という関係にあることが解明された


ここから出る答えが世界政府だったりストライキだったりするから本末転倒になる

宇野経済学の要約としては正しいのかもしれないが

マルクスの結論はthink globally,act locally、つまり協同組合だ

(利潤率が正でも搾取率が正ではない例外は協同組合社会にしかない)

これは唐突なので理解されていない

それはマルクスにも非がある

価値形態論は集合論的には中途半端だし

再生産表式もそれを勘案すると結論が変わる

何よりもマルクスは集合力(結合労働力)を相対的と命名し、二次的なものに貶めてしまったから

自主管理の展望が見えなくなった

ゲゼルが言うようにマルクス主義者は権力を握っても何も出来ない

所詮国家資本主義しか展望がない

マルクス主義者は官僚になるしかない



リカードの経済学 分配と成長の一般均衡理論
 著者名等  森嶋通夫/著  ≪再検索≫
 著者名等  高増明/〔ほか〕訳  ≪再検索≫
 出版者   東洋経済新報社
 出版年   1991.9
 大きさ等  22cm 266p
 注記    Ricardo′s economics./の翻訳
 NDC分類 331.44
 件名    リカード デビット
 件名    Ricardo David.
 目次    第1部 価格と地代(価格とリカーディアンの限界理論;差額地代);第2部 賃金およ
び利潤(賃金、利潤と一般均衡;均等な利潤率と搾取率);第3部 経済成長(リカード
的成長;国際貿易);第4部 セイ法則(セイ法則;機械);第5部 3パラダイムの比
較(反セイ法則の体制へ向かって;リカード、ワルラス、ケインズ;リカード経済学の時
代)
 ISBN等 4492311920
 書誌番号  3-0190381962


森嶋通夫著作集 6 リカードの経済学
 著者名等  森嶋通夫/〔著〕  ≪再検索≫
 出版者   岩波書店
 出版年   2003.11
 大きさ等  22cm 306p
 注記    Ricardo’s economics./の翻訳
 NDC分類 330.8
 件名    経済学  ≪再検索≫
 内容    マルクスとワルラスの共通の先導者としてリカードを捉え、その理論体系を数学的に定式
化、セイの法則を検討してケインズ経済学への移行を論じる。リカード、ワルラス、ケイ
ンズの経済学を位置づけた論争提起の書。
 ISBN等 4-00-092596-2

ジョン・ヒックス (John Hicks)

http://cruel.org/econthought/profiles/hicks.html

ジョン・ヒックス卿 (Sir John R. Hicks), 1904-1989

原ページ
 
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Photo of J.Hicks

 20 世紀で最も重要で影響力ある経済学者の一人であり、絶えず異種融合を試み続けたジョン・ヒックスの痕跡は、経済学理論のいたるところに見られる。オックスフォード大卒ながら、「本当の」教育が始まったのは1920年代末にロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに赴任して、ライオネル・ロビンスらの奨めで多くのヨーロッパ言語能力を活かし、大陸ヨーロッパの経済理論を吸収しはじめたときだった。こうして ワルラス派オーストリア学派スウェーデン学派を身につけたジョン・ヒックスは、1930年代に英米経済学における マーシャル派の独占を切り崩し始めた——このサイトでパレート派の大波と呼んでいるもので、50年前に始まった 限界革命の集大成だ。

 その急先鋒となったのがジョン・ヒックスの古典的な『価値と資本』 (1939) だ。この本の要所はあちこちで発表済みだった。ミクロ経済側では、1930年の論文と1932年の著書『賃金の理論』は、限界生産性理論の慎重かつ完全な語り直しの試みだった (有名な「代替の弾性」が初登場したのもここだ)。R.G.D. アレンと共著した有名な1934年論文で、ヒックスは需要を代替と所得効果にスラツキー分解し、代替と相補を明確に定義して、英語圏の経済学者に対して無差別曲線と予算制約を使った需要曲線の導出、代替の限界比率と相対価格を改めて説明しなおしたのだった。

 「独占」に関するレビュー論文 (1935) は各種の不完全競争理論をまとめるために "conjectural variations" の知識を導入したが、この問題についてはこれが最初で最後の取り組みとなった。「レオン・ワルラス」に関する論文 (1934) は、当時は忘れられていたローザンヌ学派再興の試みだし、ミュルダールの業績レビュー (1934) はストックホルム学派に注目を集めようとする同様の試みだ。

 マクロ経済学側では、1931年のナイト理論に関する論文と、ハイエクに影響されたビジネスサイクルに関する 1933 年論文がマクロ経済学分野での初の業績だ——どちらも L.S.E. 的な色彩が強い。1935 年の「お金の理論単純化の提案」は、お金の理論と価値理論を統合しようという大胆な提案だった——単純な 貨幣数量説 を離れて、もっとワルラス的な、選択理論に基づくものにしようというのだ。これはケインズの「流動性選好」に近いし、また実は後のポートフォリオ理論にも近い。注目すべき点として、お金に関する研究とビジネスサイクルに関する研究はまったく無関係だった。ヒックスは金融理論にすさまじい貢献をしたにも関わらず、生涯を通じてマクロ変動の源は「リアル」な現象に見いだすべきだという立場を保った。

 この信念に挑戦をつきつけたのは、 J.M. ケインズ『一般理論』だった。これに対するヒックスの1936年レビュー論文は実に優秀だったが、ヒックスがIS-LM モデル (および「例の」グラフ) を導入して、ネオケインズ派総合の発射台を用意したのは 1937年の「ケインズ氏と古典派たち」論文だった。またこの論文で、ヒックスは「流動性の罠」の概念を導入している。

 1939 年にヒックスはこうした各種の学派の思想をまとめあげて『価値と資本』 (1939) を発表した。現代ミクロ経済学と 一般均衡理論のほとんどはこの本がルーツだ。「composite commodity」の発想と一般均衡安定条件がここで述べられたし、効用に基づく需要の理論も完全に再定式化されている。 1935 年の「示唆」とケインズに関する研究 (1936, 1937) はマクロ経済学の一部となった——特に流動性選好と金利の融資可能資金理論がそうだ。またストックホルム学派が利用していた「一時均衡」の概念 (ヒックス的「週」のシーケンスと、それを割る期待で定義される) も開発した。さらに資本の定式化をスウェーデン=オーストリア学派的な形で行おうとしたが、こちらはあまり成功しなかった。

 1939 年の論文で、ヒックスは「新厚生経済学」に本気で突入することになる。ここでヒックスは、いまや分配の序列を決めるための「ヒックス補償基準」と呼ばれるものを導入する。続く一連の論文 (1940, 1941, 1942, 1944, 1946, 1958) と、その集大成としての『需要理論改訂』 (1956) で、ヒックスは消費者余剰という マーシャルの発想を復活させ、厚生変化の指標として「compensating variations」「equivalent variations」を導入し拡張した。

 1950年代には、一般向けの教科書(『社会的枠組み』1942年) を書いて、各種の政策関連の試みに足を突っ込みながらも、ヒックスはマクロ経済学の研究を続け、こんどは成長理論とサイクル理論に目を向けた。ロイ・ハロッドの研究 (ヒックスはこれを1949年にレビューしている) に注目したヒックスは、『交易サイクルの理論への貢献』 (1950) を世に問うた。ここでかれは、ハロッド的な乗数アクセラレーターメカニズムに天井と床を設け、ハロッドの不安定性問題を制約して、周期的なふるまいを生み出した。まだ興味を抱き続けていたヒックスは、均衡と不均衡成長過程の問題に専念し続けた。フォン・ノイマン成長モデルと、それに関連した サミュエルソンソローの発想に出会ったヒックスは、「線形理論」に関する1960年の実に明解な検討を発表し、最も重要な点として、フォン・ノイマン・ターンパイクに関する1961年の論文を執筆した。

 成長と資本についてのヒックスの考え方は、当時ケンブリッジ資本論争で批判にさらされていた (この問題についてのヒックスの考えは 1960, 1961 を参照)。自分の考えをまとめようとしてヒックスが問うたのが『資本と成長』 (1965) だった。この第2の大著で、ヒックスはそれまでのケインズ、ハロッド、フォン・ノイマン、資本理論に関する研究をまとめあげ、さらにかなり リンダール風味をまぶして、成長理論の包括的な再検討を試みた。ヒックスの分類法——モデルを固定価格と柔軟価格に分類——はさらなる考察につながり、特に「トラバース」 (ある成長均衡から別の成長均衡への移行)の問題が出てきた。『資本と成長』第一部が書き直されて、1985年に『経済動学の手法』として改めて刊行された。

 資本と成長に関するヒックスの考察は、当時はお金を考慮していなかった (1962年論文は例外)。これを採り上げたのは、1967年の『金融理論批判的エッセー』だった。ここでヒックスはお金について、同じように明確化と最低指揮下を個於呂見た。こうした理論がどれも部分的にしか正しくないと感じたヒックスは、経済史をあさってもっとよいお金の概念を探そうとして、これにより驚異的な『経済史の理論』 (1969) と死後出版『お金の市場理論』 (1989) をまとめた。これらは、当時としては目新しい交換の融資理論を強調している。

 それでも、資本と成長は相変わらずヒックスの主要な関心だった。1970 年に少し先鞭をつけてから、ヒックスは オーストリア派経済学に目を向けて、1973年の著書『資本と時間』でオーストリア学派の資本理論再興を一人で試みた。固定資本と循環資本の両方を持つ、オーストリア学派的な資本理論を定式化しようとする試みだ。

 その後また方向性を変えたヒックスは、成長と資本の研究を続けるうちにたまってきた、重要な手法面での問題について探求を始めた。まずは時間——それも特に、時間の不可逆性と時間の中の因果関係だ。これは1976年のジョージェスイク=ローゲン記念論集への寄稿論文と、1979 年の著書『経済学における因果律』の主題となった。この本や、1974年「ケインズ経済学の危機」、1980年論文「IS-LM: 説明」など(1981-3, 1984, 1988) で、ヒックスはまさに自分が誕生を支援した新古典派ケインズ総合の前提、手法、理論を糾弾し、もっとポストケインズ派に近い方向での新しい発展を主張した。その後の一生、ヒックスは手法や経済学史の研究を中心に進めた。

 ヒックスほど広く深い遺産を残した経済学者を、どう評価したものだろうか。かれは文句なしの「経済学者の経済学者」であり、新しい「学派」を創設したとは言えない——ただしその透徹した慎重な研究に刺激された、異種融合的で批判的なネオワルラス派理論家たちの世代、たとえば森嶋ハーン根岸などを学派と考えることはできるが。でもヒックスは概ね一匹狼的な学者であり、あらゆる学派に属し、つまりはどの学派にも属していない。強いて言うなら、ヒックスの学派とは「経済学」そのものだった。

 ヒックス自身は、自分は新しい経済学なんか何も創りだしておらず、大陸学派やケインズ学派のアイデアを定式化して伝達し、自分自身の歴史的、哲学的、実務的な考察を加えただけだと主張している。ある意味で、その通りではある——だがヒックスはそれらを有益で刺激的な形で分析拡張し、その過程で経済学をも大きく変えたのだった。

 多くの点で、ヒックスの学問的な業績は、経済学かくあるべしというお手本のようなものだ。お気に入りの理論に無用な肩入れもせず、イデオロギーに拘泥することもなく、自分自身の最も厳しい批判者であり続け、どこの誰からでも学び続け、絶えず新しいアイデアを探し求めつつ、どこにもはまることがない。経済学に対するヒックスのアプリーチは、科学者、詩人、哲学者、実務家のそれぞれ最高の性質に裏打ちされていたが、こうした性質のどれか一つが過剰に出しゃばって他を圧倒することは許さなかった。この意味で、ヒックスの「万能」学者ぶりは経済学者においてまさに空前絶後と言ってよい。

 ジョン・ヒックスはほとんどの生涯をオックスフォード大学教授として過ごし、1972年には ノーベル経済学賞を、これまた珍しく価値の高い人物であるケネス・J・アローと共同受賞した。ノーベル賞選定委員会としても、これ以上のペアは望み得なかっただろう。

ジョン・ヒックス主要著作

  • "Edgeworth, Marshall and the Indeterminateness of Wages", 1930, EJ.
  • "Theory of Uncertainty and Profit", 1931, Economica.
  • The Theory of Wages, 1932.
  • "Marginal Productivity and the Principle of Variation", 1932, Economica
  • "Equilibrium and the Cycle", 1933, ZfN.
  • "A Reconsideration of the Theory of Value", with R.G.D. AllenEconomica.
  • "Leon Walras", 1934, Econometrica.
  • "A Note on the Elasticity of Supply", 1934, RES.
  • "Review of Myrdal, 1934, Economica.
  • "Review of Dupuit", 1935, Economica.
  • "The Theory of Monopoly", 1935, Econometrica.
  • "Wages and Interest: A dynamic problem", 1935, EJ.
  • "A Suggestion for Simplifying the Theory of Money", 1935, Economica.
  • "Mr Keynes's Theory of Employment", 1936, EJ.
  • "Distribution and Economic Progress: a revised version", 1936, RES.
  • "Mr Keynes and the Classics: A suggested simplification", 1937, Econometrica.
  • "The Foundations of Welfare Economics", 1939, EJ.
  • Value and Capital: An inquiry into some fundamental principles of economic theory , 1939.
  • "Mr Hawtrey on Bank Rate and the Long Term Rate of Interest", 1939, Manchester School.
  • "Public Finance in National Income" with Ursula K. Hicks, 1939, RES.
  • "The Valuation of Social Income", 1940, Economica.
  • Taxation and War Wealth, with U.K.Hicks and L. Rostas, 1941.
  • "The Rehabilitation of Consumers' Surplus", 1941, RES.
  • "Saving and the Rate of Interest in War-Time", 1941, Manchester School.
  • "Education in Economics", 1941, Bulletin MSS.
  • "Consumers' Surplus and Index-Numbers", 1942, RES.
  • "The Monetary Theory of D.H.Robertson", 1942, Economica.
  • The Social Framework: An introduction to economics, 1942.
  • "Maintaining Capital Intact", 1942, Economica.
  • "The Beveridge Plan and Local Government Finance", with U.K. Hicks, 1943, Bulletin MSS.
  • "The Four Consumer's Surpus", 1944, RES.
  • "Recent Contributions to General Equilibrum Economics", 1945, Economica.
  • "Theorie de Keynes après neuf ans", 1945, Revue d'Economie Politique.
  • "The Generalised Theory of Consumer's Surplus", 1946, RES.
  • "World Recovery After War", 1947, EJ.
  • "Full Employment in a Period of Reconstruction", 1947, Nationalokonomisk Tidsskrift.
  • "The Empty Economy", 1947, Lloyds BR.
  • The Problem of Budgetary Reform, 1949.
  • "Devaluation and World Trade", 1949, Three Banks Review.
  • "Mr Harrod's Dynamic Economics", 1949, Economica.
  • A Contribution to the Theory of the Trade Cycle , 1950.
  • "Free Trade and Modern Economics", 1951, Bulletin MSS.
  • "Review of Menger", 1951, EJ.
  • "The Long-Term Dollar Problem", 1953, Oxford EP.
  • "The Process of Imperfect Competition", 1954, Oxford EP.
  • A Revision of Demand Theory, 1956.
  • "Methods of Dynamic Analysis", 1956, in 25 Economic Essays in Honor of Erik Lindahl.
  • "A Rehabilitation of `Classical' Economics? Review of Patinkin", 1957, EJ.
  • "The Measurement of Real Income", 1958, Oxford EP.
  • "A Value-and-Capital Growth Model", 1958, RES.
  • "Future of the Rate of Interest", 1958, Bulletin MSS.
  • "World Inflation", 1958, Irish Bank Review.
  • Essays in World Economics, 1959.
  • "Thoughts on the Theory of Capital: The Corfu Conference", 1960, Oxford EP.
  • "Linear Theory", 1960, EJ.
  • "Measurement of Capital in Relation to the Measurement of Other Economic Aggregates", 1961, in Lutz and Hague, editors, Theory of Capital.
  • "Pareto Revealed", 1961, Economica.
  • "Prices and the Turnpike: Story of a Mare's Nest, 1961, RES.
  • "Liquidity", 1962, EJ
  • Capital and Growth, 1965.
  • "Growth and Anti-Growth", 1966, Oxford EP.
  • Critical Essays in Monetary Theory , 1967.
  • "Measurement of Capital - in Practice", 1969, Bulletin of ISI.
  • "Autonomists, Hawtreyans and Keynesians", 1969, JMCB.
  • A Theory of Economic History, 1969.
  • "Direct and Indirect Additivity", 1969, Econometrica.
  • "A Neo-Austrian Growth Theory", 1970, EJ.
  • "Elasticity of Substitution Again: Substitutes and complements", 1970, Oxford EP.
  • "Review of Friedman", 1970, EJ.
  • "The Austrian Theory of Capital and its Rebirth in Modern Economics", 1973, ZfN.
  • "Ricardo's Theory of Distribution", 1972, in Preston and Corry, editors, Essays in Honor of Lord Robbins.
  • Capital and Time: A Neo-Austrian theory , 1973.
  • Editor, Carl Menger and the Austrian School of Economics, with W. Weber, 1973.
  • "Recollections and Documents", 1973, Economica.
  • "The Mainspring of Economic Growth" , 1973, Swedish JE. (repr. 1981, AER)
  • "On the Measurement of Capital", 1973, Economic Science.
  • The Crisis in Keynesian Economics, 1974.
  • "Real and Monetary Factors in Economic Fluctuations", 1974, Scottish JPE.
  • "Industrialism", 1974, International Affairs.
  • "Capital Controversies: Ancient and Modern", 1974, AER.
  • "The Scope and Status of Welfare Economics", 1975, Oxford EP.
  • "What is Wrong with Monetarism", 1975, Lloyds BR.
  • "The Quest for Monetary Stability", 1975, South African JE.
  • "Some Questions of Time in Economics", 1976, in Tang et al, editors, Evolution, Welfare and Time in Economics: Essays in honor of Nicholas Georgescu-Roegen.
  • Economic Perspectives, 1976.
  • "Must Stimulating Demand Stimulate Inflation?", 1976, Econ Record.
  • "`Revolutions' in Economics", 1976, in Latsis, editor, Method and Appraisal in Economics.
  • "The Little that is Right with Monetarism", 1976, Lloyds BR.
  • Economic Perspectives, 1977.
  • "Mr.Ricardo and the Moderns", with S. Hollander, 1977, QJE.
  • Causality in Economics, 1979.
  • "The Formation of an Economist", 1979, BNLQR.
  • "Is Interest the Price of a Factor of Production?", 1979, in Rizzo, editor, Time, Uncertainty and Disequilibrium.
  • "IS-LM: An explanation", 1980, JPKE.
  • Wealth and Welfare: Vol I. of Collected Essays in Economic Theory, 1981.
  • Money, Interest and Wages: Vol. II of Collected Essays in Economic Theory, 1982.
  • Classics and Moderns: Vol. III of Collected Essays in Economic Theory, 1983.
  • "The New Causality: An explanation", 1984, Oxford EP.
  • "Is Economics a Science?", 1984, Interdisciplinary Science Review.
  • "Francis Ysidro Edgeworth", 1984, in Murphy, editor, Economists and the Irish Economy.
  • Methods of Dynamic Economics, 1985.
  • "Sraffa and Ricardo: A critical view", 1985, in Caravale, Legacy of Ricardo.
  • "Loanable Funds and Liquidity Preference", 1986, Greek ER.
  • "Rational Behavior: Observation or assumption?", 1986, in Kirzner, editor, Subjectivism, Intelligibility and Economic Understanding.
  • "Towards a More General Theory", 1988, in Kohn and Tsiang, editor, Finance Constraints, Expectations and Macroeconomics
  • "The Assumption of Constant Returns to Scale", 1989, Cambridge JE.
  • A Market Theory of Money, 1989.
  • "An Accountant Among Economists: Conversations with John Hicks", with A. Klamer, 1989, JEP.
  • "Ricardo and Sraffa", 1990, in Bharadwaj and Schefold, eds., Essays on Piero Sraffa.
  • "The Unification of Macro-Economics", 1990, EJ.
  • "A Self-Survey", 1990, Greek ER.
  • "The Swedish Influence on Value and Capital", 1991, in Jonung, editor, The Stockholm School of Economics Revisited.

ジョン・ヒックスに関するリソース


ひとりでピラミッドを作ることはいくら時間をかけてもできないが

数万人ならできる


この集合力が社会の利益の源泉とシンプルに考えるべき


そうでないと資本家を悪者にしてやっつければ問題が解決すると安易に考えるようになる


歴史的には食料が備蓄できるようになって貧富の差が生まれたが

今は備蓄する倉庫代が高く付くので廃棄した方がいいと資本家は考える


これは貨幣は減価しないが食品などの商品は減価するという非対称性に根本原因がある


これはゲゼルが指摘したが

減価マネーが最適解になる


ちなみにゲゼルも絶賛したプルードンは自分たちの銀行を作ろうとしたが、

あらゆる部署を職場で体験すべきだということも言っている


「…彼が属している全企業の作業の全系列を見とおせるようにさせること…」
プルードン『経済教程』より
(Cours d'economie,未邦訳,藤田勝次郎『プルードンと現代』72頁より孫引き)

正確には、

「もしも、労働者が永続的に同じ初歩的作業にしばられたままであるならば、彼は、労働者に成長し、その技術につい

ての全般的知識に到達するのではなく、その生涯、徒弟奉公にとどまるであろう。彼は、背丈や声や感情では大人であ

るが、精神では子供である。彼は、その類として高まるのではなく、人間の宿命のもとにおちいる。……それゆえ分

割と集合の法則の不利益に、同時にそなえること以上に容易なものはないのである。すなわち、労働者に、幼年から老

年にいたるまで、彼が属している全企業の作業の全系列を見とおせるようにさせることである。私は、これは彼の権利

であるといいそえたい。」


(藤田勝次郎『プルードンと現代』71~2頁より孫引き。引用元はオプマンの仏語研究書。)
P.Haubtmann, Pierre-Joseph Proudhon. Sa vie et sa pense (1809-1849),Paris, 1982.p.775

こうした発想が残念ながらマルクスにはない

(藤田勝次郎『プルードンと現代』71~2頁より孫引き。引用元はオプマンの仏語研究書。)
P.Haubtmann, Pierre-Joseph Proudhon. Sa vie et sa pense (1809-1849),Paris, 1982.p.775

モンドラゴンなどは内部の給与格差が7倍くらいあると昔聞いたが

法的に規制が必要というより

どっちにせよ消費組合が複数の企業のなかから良心的な企業を選ぶ体制が

必要だろう

つまりそれが協同組合社会だ

日本ではそこまで心配する段階にはない

信用組合も足りないし

(既存の地域金融を活かす地域再投資法が必要だろう)


ゲゼルは減価マネーと同時に世界通貨案を提示しているのでその検討が同時に必要だろう

ケインズのバンコール世界通貨案はその案を受け継いでいる



マルクス自身による資本論第一巻には、英語capitalismに対応する

ドイツ語Kapitalismusという文句はただの一度も使われておらず、

エンゲルスが編集した資本論第二巻においてたった一箇所(大月書店p.147)で

その語が使われているのみだということも事実で、

Kapitalismusという語を普及させたのはマックス・ヴェーバーによる

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』だと思われますので、

その対比をする意味で「資本主義」という言い方をあえてしない場合もあります。

置塩さんあたりは「資本制」を使っていらっしゃっいましたね。

マルクスが頻繁に使っているのはKapitalistにそれを形容詞化する接尾辞-ischを付けて

それをさらに格や性によって語形変化させた語ですね。 






1 件のコメント:


  1. ひとりでピラミッドを作ることはいくら時間をかけてもできないが、数万人ならできる

    この集合力が社会の利益の源泉とシンプルに考えるべき

    そうでないと資本家を悪者にしてやっつければ問題が解決すると安易に考えるようになる

    歴史的には食料が備蓄できるようになって貧富の差が生まれたが
    今は備蓄する倉庫代が高く付くので廃棄した方がいいと資本家は考える

    これは貨幣は減価しないが食品などの商品は減価するという非対称性に根本原因がある

    これはゲゼルが指摘したが
    減価マネーが最適解になる

    ちなみにゲゼルも絶賛したプルードンは自分たちの銀行を作ろうとしたが、
    あらゆる部署を職場で体験すべきだということも言っている

    「…彼が属している全企業の作業の全系列を見とおせるようにさせること…」
    プルードン『経済教程』より
    (Cours d'economie,未邦訳,藤田勝次郎『プルードンと現代』72頁より孫引き)

    正確には、
    「もしも、労働者が永続的に同じ初歩的作業にしばられたままであるならば、彼は、労働者に成長し、その技術につい
    ての全般的知識に到達するのではなく、その生涯、徒弟奉公にとどまるであろう。彼は、背丈や声や感情では大人であ
    るが、精神では子供である。彼は、その類として高まるのではなく、人間の宿命のもとにおちいる。……それゆえ分
    割と集合の法則の不利益に、同時にそなえること以上に容易なものはないのである。すなわち、労働者に、幼年から老
    年にいたるまで、彼が属している全企業の作業の全系列を見とおせるようにさせることである。私は、これは彼の権利
    であるといいそえたい。」

    (藤田勝次郎『プルードンと現代』71~2頁より孫引き。引用元はオプマンの仏語研究書。)
    P.Haubtmann, Pierre-Joseph Proudhon. Sa vie et sa pense (1809-1849),Paris, 1982.p.775

    こうした発想が残念ながらマルクスにはない

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