NAMs出版プロジェクト: フランスの内乱
http://nam-students.blogspot.jp/2017/09/blog-post_27.htmlNAMs出版プロジェクト: パリ・コミューンCommune de Paris 1870
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/paris1870.htmlNAMs出版プロジェクト: マルクスによる協同組合論(1866+1875ゴータ綱領批判):メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post.html「各人の発展が万人の発展のためのひとつの条件であるようなアソシエーション」(『共産党宣言』)
マルクスは、近代国家の解体についての具体的なイメージを、パリ・コミューンからつかみとった。
パリ・コミューンとは、一八七一年三月一八日から五月二八日まで、パリにおいて成立した労働者および民衆による自治政府である。
(カール・マルクス ──「資本主義」と闘った社会思想家 佐々木隆治 筑摩eブックス)
カール・マルクスの『フランスの内乱』は最初1871年6月なかばにロンドンで英語の パンフレットととして刊行される。
《彼らは実現すべき理想をもっているのではない。彼らはただ、崩壊しつつあるブルジョア社会自身が孕んでいる、新しい社会の諸要素を解放しなければならないだけである。》.☆
《労働者階級は、自分自身の解放をなしとげ、それとともに、現在の社会がそれ自身の経済的作用によっていやおうなしに向かっていく、あのより高度な形態をつくりだすためには、長期の闘争、すなわち環境と人間とをつくりかえる一連の歴史的過程をくぐりぬけなければならない。》
《もし協同組合的生産が欺瞞やわなにとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義システムにとって
かわるべきものだとすれば、もし協同組合の連合体が一つの共同計画にもとづいて全国の生産を調整し、
こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣を
終わらせるべきものとすれば──諸君、それこそは共産主義、「可能な」共産主義でなくてなんであろうか?》
カール・マルクス『フランスの内乱』1871年
(p)http://honfleur.sakura.ne.jp/bbs/bbslog/200210.txt
2002年10月27日02時13分
柄谷行人『可能なるコミュニズム』より
田畑稔(『マルクスとアソシエーション』)によれば、『資本論』第三巻の草稿
で、マルクスは次のように書いた。
《資本制的生産諸部門の内部では、(部門間の)均衡は不均衡から脱する不断の
プロセスとしてしか自分をあらわさない。というのは、そこでは、生産の(総社
会的)関連は盲目的法則として生産当事者たちに作用し、彼らがアソシエイディ
ドな悟性として、その関連を彼らの共同のコントロールのもとに服属させていな
いからだ。》
マルクスがいう「アソシエートされた悟性」は奇異に聞こえる。しかし、それ
は、ハーバーマスが理性をコミュニケーションによる公共的合意において捉えな
おそうとしたことと比較するとき、理解できるし、もっと含蓄に富んでいる。と
ころで、田畑稔は、エンゲルスが第三巻を編集するとき、マルクスの原文を次の
ように書き換えたことを指摘している。
《資本制的生産諸部門の内部では、個々の生産部門の均衡は不均衡から脱する不
断のプロセスとしてしか自分をあらわさない。というのは、そこでは、総生産の
関連は盲目的法則として生産当事者たちの上に自分を強制し、彼らのアソシエイ
ディドな悟性によって把握されそれによって支配された法則として、生産過程を
彼らの共同のコントロールのもとに服属させていないからだ。(『資本論』第三
巻3-15-3)》
これはほとんど犯罪的な改稿である。エンゲルスは「客観的法則の認識による支
配=自由」と見なしている。ここでは、「アソシエートされた悟性」はヘーゲル
的な理性にほかならない。それは党=国家官僚=理性が経済過程をコントロール
するという考えに導かれざるをえない。そして、コミュニズム=国家集権主義と
いう考えは、根本的にエンゲルスに由来するのである。マルクスは「アソシエー
トされた悟性」が一挙に成立するなどとは考えなかった。《労働の奴隷制の経済
的条件を、自由で連合した(associated)労働の諸条件によって取り替えること
は、時間を要する漸進的な仕事でしかありえない》(『フランスの内乱』)。大月書店 マルクス=エンゲルス全集 online 第17巻
https://maruen.jugemu-tech.co.jp/VolumeContents?id=BK01_17_00
フランスにおける内乱 国際労働者協会総評議会の呼びかけ 293
1 295
2 304
3 312 ☆
4 327
付注 341
1 341
2 342
…
『フランスにおける内乱』草稿 463
第1草稿 465
国防政府 465
コミューン 500
1 労働者階級のための方策 500
2 労働者階級のための,だが主としては中間階級のための方策 502
3 一般的方策 503
4 公安のための方策 504
5 財政方策 506
コミューン 507
コミューンと中央委員会の成立 507
コミューンの性格 510
農民 518
共和連合(連盟) 521
他人の労働によって生活していないすべての社会諸階級の代表としてのコミューン革命 522
共和制は公然たる社会的共和制としてのみ可能である 523
コミューン(社会的諸方策) 525
田舎地主たちの地方分権主義とコミューン 528
断片 533
第2草稿 542
1 国防政府.パリ選出議員としてのトロシュ,ファーヴル,ピカール,フェリ 542
2 ティエール,デュフォール,プイエ-ケルティエ 546
3 田舎地主議会 549
4 内乱の開始.〔3月〕18日の革命.クレマン・トマ.ルコント.ヴァンドーム事件 552
5 コミューン 560
6 むすび 566
断片 569
フランスの内乱 - 2005-2012
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20100329一八七〇年七月二十三日の第一宣言
一八七〇年九月九日の第二宣言
一
二
三(1)
しかし、労働者階級は単にでき合いの国家機関(2)を掌握して、それを自分自身の目的のために使用することはできない。
(2) the ready-made state machinery. ここは問題になった有名な句で、「共産党宣言」序文註、レーニン「国家と革命」等が参照されねばならぬ。フランス版では単に「国家機関」としてある。
http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20100321
もし、それが資本主義制度にとって代わるべきであるとするならば、もし協同組合聯合会が共同計画(プラン)に従って全国的生産を調整し、こうしてこれを彼ら自身の統制下におき、そして資本主義生産の宿命である不断の無政府状態と周期的な痙攣〔恐慌〕とを終熄させるべきであるとするならば、――諸君よ、それが共産主義以外の――「不可能な」共産主義以外の何ものであったであろうか?
附註
エンゲルスの序文の若干の点について
シャルル・ロンゲ
附録 パリ・コミューン資料文書集
(アメデ・デュノア編ならびに註)
序
アメデ・デュノア
陰謀の朝
第一篇 コミューンの意義
一 三月十八日の勝利
1. 人民へ
二 中央委員会よりその中傷者へ
四 コミューンの成立
1. 家賃に関する布告
2. 支払猶予に関する「法律」
3. 放棄工場の徴発
4. 公設質屋に関する布告
1. 夜業と職業紹介所
2. 賃銀の擁護
3. 罰金の禁止
九 コミューンとその官吏
1. 搾取者的冗職はたくさんだ
2. 盗賊を殺せ
3. 兼職反対
1. 徴兵の廃止
一二 コミューンと婦人
1. 婦人に対するアピール
2. 抗議
一三 コミューンと農民
1. 農民労働者へ
1. ギロチンを焼け!
2. 「あらゆる貧乏人のためにパンを……」
一五 コミューンの綱領
フランス人民に対する宣言
一六 少数派の宣言
第二篇 市民戦
一七 ヴェルサイユ軍の攻撃
一八 人質
1. 宣言
2. 布告
一九 ヴェルサイユ軍の残虐
二一 「それは偉大な闘争である……」
1. 負傷者のために
2. 寡婦および遺児のために
二四 大都市に対するアピール
二五 パリの侵入
1. 市街戦
2. 武器をとれ!
3. 全員バリケードへ!
二六 ヴェルサイユの兵士たちへ
1. コミューンのアピール
2. 公安委員会のアピール
3. 中央委員会のアピール
1. パリの敗北
2. 勝者に呪いあれ
パリ・コミューン第十五週年記念日(一八八六年三月十八日)におけるエンゲルスの演説
F・エンゲルス――パリ・コミューン第二十一週年記念日のためのアピール草案の未発表断片
http://yojiseki.exblog.jp/m2013-02-01/20130207トークイベント終了。
キュロス王の二面性、トルコのアジア性、
探究1への言及が感慨深い。
台湾での囲い込み運動説明の話も興味深かった。
だが、想起説の説明はあれでいいのか?
トラクリは勿論、哲学の起源からも一歩進んだわかりやすい説明だったが(精神分析における非対称性との類似)。
さらに、フランスの内乱の引用だけは納得できない。
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」(全集17.320頁)
内在的な革命は当事者しかわからないはずだが、マルクスは常に外部にいて構造を俯瞰する。
また、プルードンの交換銀行が必要だったことは明白なのにマルクスはそれを圧殺する。
//////////
僕の本には書いてないんですけど…
想起ということの問題を改めて考えました。
思い出すというのは、ソクラテス問答法というのは…
相手が思い出すのを助ける
自分は何もしない…精神分析も医者は関係ない
患者が思い出すだけです…後になって理論的にまとめたのは医学用の話で…
そのことを痛む?しかない…
僕はそのことで思うのは、
それは革命の問題もみな同じではないか。
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品ではないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っているんです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…
それを思い出せばいいだけです。
返信削除《第119回紀伊國屋サザンセミナー》 民主主義を超えて ... - 紀伊國屋書店
www.kinokuniya.co.jp/c/label/20130110100000.html
第119回紀伊國屋サザンセミナー柄谷行人著『哲学の起源』(岩波書店)刊行記念トーク イベント 民主主義を超えて――イソノミアへ 柄谷行人(哲学者) 大澤真幸(社会学者). 現代社会においてデモクラシーは機能しているのか。そこにはどんな問題があるのか。 デモクラシーの起源と未来をめぐって交わされる、いまもっとも刺激的な対話。 日 時| 2013年2月7日(木) 19:00開演 (18:30開場) 会 場|紀伊國屋サザンシアター ( 紀伊國屋書店新宿南店7F) 料 金|1,500円 (税込・全席指定) ...
僕の本には書いてないんですけど…
想起ということの問題を改めて考えました。
思い出すというのは、ソクラテス問答法というのは…
相手が思い出すのを助ける
自分は何もしない…精神分析も医者は関係ない
患者が思い出すだけです…後になって理論的にまとめたのは医学用の話で…
そのことを痛む?しかない…
僕はそのことで思うのは、
それは革命の問題もみな同じではないか。
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品ではないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っているんです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…
それを思い出せばいいだけです。
返信削除《第119回紀伊國屋サザンセミナー》 民主主義を超えて ... 紀伊國屋書店
2013年2月7日
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品では
ないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っている
んです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
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返信削除《第119回紀伊國屋サザンセミナー》 民主主義を超えて ... 紀伊國屋書店
2013年2月7日
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品では
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協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っている
んです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある
古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…それを思い出せばいいだけです。
返信削除《第119回紀伊國屋サザンセミナー》 民主主義を超えて ... 紀伊國屋書店
2013年2月7日
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
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それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品では
ないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っている
んです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつ
ある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
(全集17.320頁)
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…それを思い出せばいいだけです。
返信削除《第119回紀伊國屋サザンセミナー》 民主主義を超えて ... 紀伊國屋書店
2013年2月7日
みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品では
ないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っている
んです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつ
ある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
(フランスの内乱、全集17-320頁)
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…それを思い出せばいいだけです。
《彼らは実現すべき理想をもっているのではない。彼らはただ、崩壊しつつあるブルジョア
返信削除社会自身が孕んでいる、新しい社会の諸要素を解放しなければならないだけである。》
《労働者階級は、自分自身の解放をなしとげ、それとともに、現在の社会がそれ自身の経済的
作用によっていやおうなしに向かっていく、あのより高度な形態をつくりだすためには、長期の
闘争、すなわち環境と人間とをつくりかえる一連の歴史的過程をくぐりぬけなければならない。》
《もし協同組合的生産が欺瞞やわなにとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義
システムにとってかわるべきものだとすれば、もし協同組合の連合体が一つの共同計画に
もとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の
宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣を終わらせるべきものとすれば──諸君、それ
こそは共産主義、「可能な」共産主義でなくてなんであろうか?》
カール・マルクス『フランスの内乱』1871年
《第119回紀伊國屋サザンセミナー》 民主主義を超えて ... 紀伊國屋書店
返信削除2013年2月7日
[台湾で]みんながね、どういう理論で、あるいはどういう社会を実現するんですかときくんですよ。
けどねそれは僕はこう答えるんですよ。
それは君たちは知ってるんだ、と。
現にあるんですよ。イソノミアが現代ならどういう社会ですかと聞かれたら、
協同組合ですよと答えます。
自分が経営者で自分が労働者、あるいは共同所有…。支配関係はありません。労働商品では
ないから。イソノミア、ノールールです。
協同組合が社会全体であるような社会をマルクスは共産主義と呼んだんですよ。
国家がやってはダメですよ。協同組合が国家にとってかわらなければならないと言っている
んです。
マルクスは若いときから言っています‥
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつ
ある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」
(フランスの内乱、全集17-320頁)
解放すべき諸要素はあるんです。それを解放すればいいんです。
要素があるだけで…それを思い出せばいいだけです。
367:
返信削除エンゲルスは来たるべき政治的決戦を前に、
ドイツの革命勢力にどのような忠告をしたか、、、
“われわれ「革命家」「転覆者」は、非合法手段を用いるときより、
合法手段を用いるときのほうが威勢よくさかえる。
先走って事を起こしてはならない。支配者に「合法性」を破らせよ。
支配者は弾圧法をつくり、やがてあらゆるルールをやぶって無法な攻撃に出てくる。
そのときには、支配者が人民との契約を破棄したことになり、
人民が武力反撃に出るのを誰も非難することができなくなる。”
ここでエンゲルスは、1600年前の「転覆党」原始キリスト教団を振り返る、、、
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2012-01-26/2012012609_01_0.html
不破哲三「古典教室」第11回講義/第4課 革命論(2)
エンゲルス「マルクス『フランスにおける階級闘争』1895年版への序文」について
不破哲三 著、新日本出版社
『古典教室 第1巻』 (2013)
・第1課マルクス『賃金、価格および利潤』、第2課マルクス『経済学批判・序言』
『古典教室 第2巻』 (2013)
・第3課エンゲルス『空想から科学へ』
『古典教室 第3巻』 (2013) ※
・第4課エンゲルス『フランスにおける階級闘争』(マルクス)への「序文」、第5課マルクス、エンゲルス以後の理論史
『「古典教室」全3巻を語る』 (2014)
>>367の序文は、マルクスの死後1895年に付与されたエンゲルスの絶筆。
普通選挙の時代となり、バリケード戦が過去のものになったともされている。
“普通選挙権がこのように有効に利用されるとともに、
プロレタリアートのまったくあたらしい闘争方法がもちいられはじめ、〈略〉
あの旧式な暴動、すなわち一八四八年まではいたるところで最後的な勝敗の決をあたえた
バリケードによる市街戦は、おそろしく時代おくれとなっていったのである。”
― エンゲルス 「マルクス『フランスにおける階級闘争』1895年版への序文」
・マルクス 『フランスにおける階級闘争』 中原稔生訳、国民文庫24 (1960) p18
・『マルクス=エンゲルス選集 第4冊』 プログレス出版所 (1969) p120 より引用
・『マルクス=エンゲルス全集 第22巻』 大月書店 (1978) p515
http://d.hatena.ne.jp/chikugetu/20101006/1286382546
返信削除①
『フランスにおける階級闘争』カール・マルクス・中原稔生訳・国民文庫(大月書店)・1960/1981 ほかAdd Star
早稲田・穴八幡宮にて(10/5)
【1】標題の文庫本・・・①,\150/\250。
②『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』,③『フランスにおける内乱』と三部作をなす。
本書①は,フランス二月革命~第二共和政を描き,②がこれに続く。
返信削除http://d.hatena.ne.jp/ima-inat/20101101/1288612131
フランスにおける階級闘争 (国民文庫 24)
作者: カール・マルクス,中原稔生
出版社/メーカー: 大月書店
発売日: 1960/08
メディア: 文庫
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200p
総計23453p
国民文庫版は絶版か。ゼミで読んだ。
フランス三部作(本書(1850)、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』(1852)、『フランスの内乱』(1871))の第一作。
ジャーナリスティックにフランスの二月革命以後を描写するマルクスは、しかし、この当時はまだ「マルクス主義」なるものはどこにも無かったのであるから、誰にも余り共感を示していない。『ブリュメール18日』でもそうだが、本書はいっそう叙述において複雑である。まず、マルクスの理論である、資本家/プロレタリアという二分法がここでは余りうまくいかず、金融ブルジョワジー・産業ブルジョワジー・プチブル・プロレタリアート・ルンペンプロレタリアート・農民といった、様々な階級が登場する。社会階層/政治主体/イデオロギーの対応関係も、あまりはっきりと統一されているわけではない。一般に、本書は、政治の歴史を経済的な原因に求めて叙述したと言われているが、それも国内の社会階層と国際経済の関係など、一筋縄ではいかない。実際、マルクスは自身の理論を何とか当てはめようとしてはいるのだが、あまりうまくいっていないような感じもする。二月革命と六月蜂起をどう捉えるか、ということが問題の焦点になっているが、叙述の中心はプロレタリアートではなく、むしろプチブルや農民、あるいはボナパルトらブルジョワである。
先生が指摘していて興味深かった点は3つ。
第一に、マルクスはルイ・ブランが掲げ、1849年11月4日の第二共和制憲法によって退けられたとされる「労働の権利」をどうみていたのか、ということ。国民作業場のようなところ、あるいはイギリスのworkhouseみたいなところで強制的に労働させるのがそれに当たるのか、それともベーシック・インカムみたいに施設外で労働を保証するようなものなのか、あるいは、そもそも労働は「権利」なのか。
第二に、二月革命は、(労働者革命として成功したと言われる)ロシア革命から見れば、失敗した、過渡的な時代の革命だったかもしれない。しかし、そもそもどうして「二月革命」は成功したのか。逆に言えば、どうして七月王制があっさりと崩壊したのか。二月革命は確かにブルジョアとプロレタリアが手を組んで、王党派の金融貴族に反旗を翻した事件ではあった。だが、「革命」というイメージからすれば、六月蜂起のほうがよっぽどエネルギーに満ちている。ロシア革命という成功した(と言われている)プロレタリア革命が、もはや失敗に他ならなかったことが明確である現代は、ようやく二月革命の歴史における固有性みたいなものを同定できる時期なのではないか。
第三に、果たして、本書『フランスにおける階級闘争』においてマルクスの理論の枠組みで当てはまるようなプロレタリアートは存在するのか。大都市パリにおいて大工場の数は、決して多いものではなかった(し今もそうだ)。本書には確かに空想的社会主義者らは出てくるが、プロレタリアートの存在は、その他の社会階層と比べて、あまり豊かに叙述されてはいない。よっぽどプチブルや農民、ルンペンプロレタリアートの方がvividな叙述がなされている。むしろプチブルが、プロレタリアなのではないかと思われるような叙述さえある。というのも、プチブル(小商店主やカフェの経営者など)は、自分の店を所有してはおらず、土地も持たず、借金まみれである。ロシア革命が資本家vs労働者というはっきりとした対立を孕んでいたとすれば、二月革命から六月蜂起にいたる階級闘争は、俄然すっきりとせず、雑多なのだ。
僕としても、(そしてネグリらも主張するだろうが)ルンペンや農民へのマルクスの厳しいまなざしは、あまり好きではない。少なくとも彼らはマルクスにとって、革命の主体ではなく、むしろこう言っていいならボナパルティズムの主体である。他にも、単純に疑問に思ったのは、資本主義と金融の関係性。金融制度は産業革命以前からも存在した訳だが、どういう風にしてそれが大工業と関係を持つのか、金融資本主義という言い方はいつごろから可能になったのだろうか。もちろん『資本論』の第二巻以降を読めよっていう話ではあるんですが。