NAM 2017/11/25
2017年11月25日明治大学での柄谷行人講演予定タイトルは、
「NAM再考」(http://www.kojinkaratani.com/jp/ )へ変更。
タイトルは二転三転し、最終的には「資本の力に抵抗する力」に…
追記:
講演は「現代思想」2018/1に採録された。
以下会場でのメモ:
安吾論に続いてNAM原理も中国語へ訳された。それを機に安吾論の日本語版が出た流れでNAM原理を改訂した。汪暉(おうき)教授及び丸山哲史によれば中国では都市部での落ちこぼれエリート層と農村出身者の二層と貧困層が交わらないままあるという。そこにNAM原理の必要性があるようだ。
柄谷は史的唯物論を目的論とし、観念的だと批判した。そして生産ではなく交換を見ることで展望を得た。
探究3がトランスクリティークになった。
(私見ではカレツキが下部上部双方向の史的唯物論を考察したことが関連すると思う。カレツキは史的唯物論の関数自体に時間軸を入れた。関数BをBtとしたのだ。Bは経済状態を特徴づける変数の総体。柄谷はAt,Bt,Ct,Dtを考えたと言えなくもない。)
F・ジェイムソンが言ったというようにトランスクリティークはカントとマルクスの和解であり、マルクス主義とアナーキズムの和解だった。
SNSなどの発展がアソシエーションに寄与するかとの紙面での質問に柄谷は即座に寄与しないと答えた。
改訂された原理綱領4に関わる部分だ。実際に会わないとアソシエーションは不可能だという。
共食が大事だ。
「キリストは一緒に飯ばかり食べている」
会場に太田出版社長がいた。『Dの研究』は太田出版社から出るようだ。
@明大前
柄谷行人講演資料[冒頭]
1 『NAMの原理』改定版への序文(二〇一七年)
私は二〇〇〇年に『NAMの原理』を発表し、同時に、NAMの運動を開始したが、二〇〇二年に解散した。すなわち、個々のアソシエーションは存続し、その相互連絡を維持するとしても、それらを統合する組織(アソシエーションのアソシエーション)を断念したのである。そうなると、『NAMの原理』にあった組織原則は大幅に変更されなければならない。したがって、私は出版されていた『NAMの原理』を絶版にした。また、『NAMの原理』は組織的に承認されたものであったが、以後は、私個人の著作として改訂することにしてもらった。
私が解散と改訂を考えるにいたったのは、たんに組織原則の問題ではない。解散にいたった理由は、主として二つの観点から考えることができる。第一に、NAMが「地域通貨」を唱えながら、「地域」に向かう動きをまったく欠いていたことである。もう一つは、二〇〇一年に起こった9・11事件とイラク戦争に対応できなかったことである。これらは、たんに情勢認識の欠陥ではなく、理論上の欠陥として見なければならない。そこでは、資本に対抗する運動として、その内部での闘争(内在的闘争)と外部(超出的闘争)との闘争が区別され、そして、それらを同時的におこなうことが強調されていた。しかし、国家に対抗する運動という点では、国家の内と外の区別をめぐる認識が欠けていた。したがって、新しい「原理」において、私が追加した重要な項目は、プログラム(綱領)の(4)、およびその解説である。
(4)NAMはまた、国家の内と外、すなわち、小さな地域と大きな国際世界に向かう。
いいかえれば、NAMは一方で地域の自治に向かい、他方で「世界共和国」(カント)を
目指す。それらはいずれも、国家と資本を超える基盤となるものである。
すなわち、ミニマルな地域レベルでの運動と、国家を越える国際的レベル(具体的には国連)での運動を、それぞれ重視し、同時的におこなうこと。これは、二〇〇〇年の段階になかった視点である。これについては、新たに付した「解説」を参照されたい。
また、組織原則もこれにあわせて改定される。新たな原則は、NAMは「アソシエーションのアソシエーション」だということである。つまり、そのベースは小さいローカルな集団である。それは地域、関心、階層などによって形成される。これらのアソシエーションが「アソシエーションのアソシエーション」を形成する。後者は、各アソシエーションの代表者たちの協議によって運営される。この代表制を維持する原則は、「選挙とくじ引きの併用」である。
カレツキ(カレッキ)「計量経済学モデルと史的唯物論」1964〔"Econometric Model and Historical Materialism"
http://nam-students.blogspot.jp/2017/07/1964-econometric-model-and-historical.html
追記:
講演は以下に採録された。
現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018 ムック – 2017/12/27
資本の 「力 」とそれを越える 「力 」
N A M再考
柄谷行人
1
私は二〇一一年 、汪暉教授に頼まれて 、清華大学の客員教授として三ヶ月滞在し講義をしました 。今日 、汪暉教授がここに講演に来られた 。私が今日ここで話すことにしたのは 、返礼という気持があったからです 。しかし 、それとは別に 、私はこのところ 、中国とのつながりを強く感じています 。そして 、実は 、それが今 、自分がやっている仕事に深く影響しているのです 。それについて話すことから始めたい 。
…
(講演内容は1~5。1の半分まではサンプルで読める)
参考:
SAITO Yasunori (@ysaito_nkk) | |
「我々はいま教養主義を復活させようとしているのではない。現実に立ち向かうときに教養がいるのだ」→柄谷行人×横尾忠則 なんのために読書をするのか:朝日新聞デジタル asahi.com/articles/ASKDP…
|
<アソシアシオンは、相互性の原理によってより純化されたより簡単になりより正当なものになれば、容易に支えうるものになり、新たな発展をもたらすであろう>(プルードン)
2017年11月25日
返信削除http://nam21.org/2017.pdf
柄谷行人講演資料
1 『NAMの原理』改定版への序文(二〇一七年)
私は二〇〇〇年に『NAMの原理』を発表し、同時に、NAMの運動を開始したが、
二〇〇二年に解散した。すなわち、個々のアソシエーションは存続し、その相互連絡を
維持するとしても、それらを統合する組織(アソシエーションのアソシエーション)を
断念したのである。そうなると、『NAMの原理』にあった組織原則は大幅に変更され
なければならない。したがって、私は出版されていた『NAMの原理』を絶版にした。
また、『NAMの原理』は組織的に承認されたものであったが、以後は、私個人の著作
として改訂することにしてもらった。
私が解散と改訂を考えるにいたったのは、たんに組織原則の問題ではない。解散にい
たった理由は、主として二つの観点から考えることができる。第一に、NAMが「地域
通貨」を唱えながら、「地域」に向かう動きをまったく欠いていたことである。もう一
つは、二〇〇一年に起こった9・11事件とイラク戦争に対応できなかったことである。
これらは、たんに情勢認識の欠陥ではなく、理論上の欠陥として見なければならない。
そこでは、資本に対抗する運動として、その内部での闘争(内在的闘争)と外部(超出
的闘争)との闘争が区別され、そして、それらを同時的におこなうことが強調されてい
た。しかし、国家に対抗する運動という点では、国家の内と外の区別をめぐる認識が欠
けていた。したがって、新しい「原理」において、私が追加した重要な項目は、プログ
ラム(綱領)の(4)、およびその解説である。
(4)NAMはまた、国家の内と外、すなわち、小さな地域と大きな国際世界に向かう。
いいかえれば、NAMは一方で地域の自治に向かい、他方で「世界共和国」(カント)を
目指す。それらはいずれも、国家と資本を超える基盤となるものである。
すなわち、ミニマルな地域レベルでの運動と、国家を越える国際的レベル(具体的には国
連)での運動を、それぞれ重視し、同時的におこなうこと。これは、二〇〇〇年の段階にな
かった視点である。これについては、新たに付した「解説」を参照されたい。
また、組織原則もこれにあわせて改定される。新たな原則は、NAMは「アソシエーショ
ンのアソシエーション」だということである。つまり、そのベースは小さいローカルな集団
である。それは地域、関心、階層などによって形成される。これらのアソシエーションが
「アソシエーションのアソシエーション」を形成する。後者は、各アソシエーションの代表
者たちの協議によって運営される。この代表制を維持する原則は、「選挙とくじ引きの併用」
である。
返信削除https://www.amazon.co.jp/dp/4791713575/
現代思想 2018年1月号 特集=現代思想の総展望2018 ムック – 2017/12/27
養老孟司 (著), 柄谷行人 (著), 中沢新一 (著), 大澤真幸 (著), 千葉雅也 (著), 信田さよ子 (著), 松本卓也 (著), グレアム・ハーマン (著), マルクス・ガブリエル (著), ニック・スルニチェク (著), エドゥアルド・ヴィヴェイロス・デ・カストロ (著), 汪暉 (著), 野村泰紀 (著)
資本の 「力 」とそれを越える 「力 」
N A M再考
柄谷行人
1
私は二〇一一年 、汪暉教授に頼まれて 、清華大学の客員教授として三ヶ月滞在し講義をしました 。今日 、汪暉教授がここに講演に来られた 。私が今日ここで話すことにしたのは 、返礼という気持があったからです 。しかし 、それとは別に 、私はこのところ 、中国とのつながりを強く感じています 。そして 、実は 、それが今 、自分がやっている仕事に深く影響しているのです 。それについて話すことから始めたい 。
第一に 、昨年 、丸川哲史教授のセミナ ーに参加している中国人留学生たちが 『帝国の構造 』を翻訳してくれた 。それは来年の初めに中国の三聯書店 (趙京華監修 )から出版されることになっています 。第二に 、昨年 、北京の人民文学出版社から 、私の 『坂口安吾論 』を出したいといってきました 。それは二〇年前に 、筑摩書房版 『坂口安吾全集 』全一八巻を刊行したとき 、毎回月報に連載したものです 。これにはびっくりしました 。刊行当初は別としても 、今ではそれを知っている人は少ないし 、私自身も忘れていたからです 。そこで 、念のために 、読んでみたのですが 、なかなか面白い 、これなら 、日本語でも本にしてもいいか 、と思いました 。実は 、以前にも本にするつもりだったのですが 、他の仕事が忙しくて延期している間に忘れてしまったのです 。私が若いときから坂口安吾に関心を抱いていたことは事実ですが 、近年における安吾への関心は 、私個人あるいは日本の状況からではなく 、中国人から喚起されたものです 。また私は 、翻訳者とのやりとりを通して 、全体を丁寧に検討しました 。その結果 、今年の九月に 『坂口安吾論 』 (インスクリプト )を刊行することになったのです 。だから 、この安吾論は 、私の意志というよりも 、外からの誘い 、導きによるものです 。そして 、それが他ならぬ中国であった 。
さらに 、中国に関連するできごとがもう一つありました 。私は昨秋香港に行きました 。 「柄谷行人に関する国際会議 」があったからです 。香港だから 、世界各地から多様な参加者がいました 。しかし 、私にとって印象深かったのは 、その前に 、広州の中山大学に呼ばれたときに見聞したことのほうです 。それは香港から電車で一時間程度の所にあります 。そこで開かれた会議は 「 Dの研究 」に関するものでした 。簡単にいうと 、これは交換様式 Dを論じたもので 、当時 、 『 a t 』 (太田出版 )という雑誌で連載中でした 。それはまだ本として刊行されていないだけでなく 、雑誌でこれを読んだ人も少ないし 、反響もなかった 。私自身 、連載を続ける意欲を無くし 、中断していたのです 。ところが 、中山大学では 、私がそれまでに書いた部分をいち早く翻訳して 、討議する会議を開いていた 。そして 、私に続きを早く書いてくれというのです 。そのあと 、私は 「 Dの研究 」の執筆を再開しました 。それは書き終わるまで 、どこにも発表しない 。できれば 、中国語で先に発表したいと思っています 。
さらに 、私は中山大学で 、多くの人たちに出会いました 。その一人は 、先ほど述べた安吾論の翻訳者です 。さらに 、日本では 「素人の乱 」で知られる松本哉の影響を受けた中国の活動家グル ープにも会いました 。私はその人たちと高円寺で会ったことがありました 。松本哉は高円寺商店街で独自のアソシエ ーションを作っています 。彼は 「マヌケ 」と自称し 、理論的なことは一切いいませんが 、彼の考えでは 、今日 、 「勝ち組 」を目指して頑張る人たちが利口だとすると 、最初から 「負け組 」に向かい 、したがって 、負けたとも思っていないような人たちが 「マヌケ 」です 。彼の運動は 、日本でよりむしろ 、中国や韓国で知られています 。
そのつぎに 、まったく予期しなかった人たちが来ました 。それは 「 N A Mの原理 」を翻訳したいという人たちです 。 N A Mとは 、 N e w A s s o c i a t i o n i s t M o v e m e n tのことで 、私が二〇〇〇年に創始した社会運動です 。ちなみに 、 「 N A Mの原理 」は 、中国語では 「新联合主义运动原则 」です 。それから半年後に 、彼らはその翻訳を終えただけでなく 、実際の運動を開始したことを伝えてきました 。
返信削除これには本当に驚きました 。このことは 、他の何よりも中国の社会的変化を示すものです 。私は中国でいかに資本主義経済が深く浸透したかを感じました 。それを示すのは 、経済的発展のデ ータなどではなく 、まさに 、このような資本主義への対抗運動が始まったという事実です 。それ以前にも中国では 、資本主義に対抗する考えは支配的ではありましたが 、それは第三世界としての中国が 、外の資本主義国家に対して 、自らを護りつつ産業を発展させるというようなものでした 。しかるに 、現在の中国はもはやそんな状態にあるのではない 。グロ ーバルな資本主義の中心に位置しているのですから 。だから 、それに対抗する運動が内在的に始まっているのです 。
私の所に連絡してきた人たちは 、資本主義に対抗する運動を明確に意識しています 。彼らが求めるのは社会主義ですが 、習近平がいうような社会主義 (国家資本主義 )とは違います 。それは資本と国家に対抗する運動です 。それはある意味で 、アナ ーキズムです 。事実 、先に述べた 、坂口安吾 、高円寺のマヌケ派 、そして 、 N A Mに共通するのは 、アナ ーキズムです 。しかし 、それは一般に知られているようなタイプのアナ ーキズムとは違います 。たとえば 、パンク的な美的アナ ーキズム 、あるいは 、アナルコキャピタリズムとは異質です 。それらはむしろ新自由主義とつながるものです 。一方 、アナ ーキズムは本来 、社会主義的です 。事実 、初期の社会主義者は (マルクスをふくめて )アナ ーキストであり 、アソシエ ーショニストでした 。今や 、社会主義というと社会民主主義 、共産主義というと国家主義的な感じになります 。だから 、私にとっては 、社会主義 、共産主義 、アナ ーキズムといっても同じことになるのですが 、昔からのイメ ージが残っているため 、いちいち説明しないといけない 。そこで 、私は一括して 、アソシエ ーショニズムと呼ぶことにしたのです 。交換様式の観点からいえば 、もっと簡単です 。それは Dです 。
私は二〇〇〇年に N A Mの運動を開始しました 。それは唐突なことではありません 。たとえば 、私はその直前に 、 『トランスクリティ ーク ― ―カントとマルクス 』という本を書き終えていました 。そこでおこなったのは 、カントとマルクスのトランスクリティ ークですが 、実は 、それはマルクス主義とアナ ーキズムのトランスクリティ ークでもあった 。ちなみに 、アメリカのマルクス主義者フレドリック ・ジェイムソンは 、この本の英訳版に寄せた帯の文で 、本書はマルクスとカントのみならず 、マルクス主義とアナ ーキズムを綜合する企てだと書いてくれたのですが 、我が意を得たり 、という感じです 。ただ 、 『トランスクリティ ーク 』や 『世界史の構造 』といった本はあくまで理論的な本です 。 『 N A M ‐原理 』はそれらとは違って 、実践的な本です 。そもそも運動のプログラムとして書いたのですから 。しかし 、実践的な運動は挫折します 。 N A Mは二〇〇二年の末に消え 、今は残っていません 。ただ 、そのとき提起した 「 N A Mの原理 」だけが残っている 。といっても 、本は絶版にしたので手に入りませんが 。
一般には 、 N A Mが組織として解散した経緯 ・事情は知られていません 。それはたんに昔話として片づけられている 。しかし 、たとえば 、今年アメリカのオハイオ大学で 、活動家の会議に呼ばれて行ったのですが 、彼らは 『世界史の構造 』を読んでいるだけではなく 、 「 N A Mの原理 」を読んでいました 。これは英語訳がウェブに出ているので 、簡単に手に入ります 。私は大分前から 「 N A Mの創設者 」として知られているのです 。しかし 、中国で N A Mを実行するという人たちが出てきたのには 、驚いた 。彼らも最初 、それを英文で読んだといっていましたが 。
私はもともと 「 N A Mの原理 」の改定版を出すことを考えてはいたのですが 、むしろそのような外国での動きに触発されてその仕事を再開しました 。それについて述べる前に 、 N A Mの始まりと 、その解散について簡単に説明しておきます 。先に 、解散のほうから述べましょう 。その際 、私はつぎのような解散宣言をしました 。なお 、 「 F A 」というのは 、フリ ー ・アソシエ ーションという意味です 。これは 、哲学者ヒュ ームが唱えていた自由連想とつながるものですが 、のみならず 、その当時プロ野球選手の間で流行していた 「フリ ー ・エ ージェント宣言 」をもじったものです 。
…
3
…
具体的にいうと 、私は N A Mで 、中央で全国的な電子的地域通貨を作ろうとしたことに反対でした 。 「地域 」では通貨は紙幣のようなものでよい 。 L E T Sを考案したリントンが尼崎の私の家に来たことがあるのですが 、彼も電子的通貨に反対でした 。地域通貨が地域に根づいたあとで 、それらが自然につながるのはよいが 、最初から全国的なものを目指すべきでない 、と 。私は N A Mの運動を東京ではなく大阪で始めました 。それはある意味で 、地域を重視したといえるのですが 、にもかかわらず 、それはすぐに 、全国的な運動 、つまり 、東京が中心となる運動となってしまった 。地域通貨といいながら 、まさに 「地域 」が欠けていました 。実は 、 N A Mのメンバ ーの中に 、本当に地域で地域通貨をやっている人たちがいたのですが 、相手にされなかった 。
「地域 」とは 、人が人と現実に出会うことを意味します 。電子的なコミュニケ ーションや交換では 、アソシエ ーションは成り立たない 。私は当初 、未発達であったインタ ーネットに期待していましたが 、それはまちがいだということをすぐに悟った 。それはたんに連絡手段として使うべきで 、会ったこともない人たちの討議に用いるべきではない 。同様に 、その後に発達した S N Sのようなものに 、私はまったく期待していません 。それは Cの原理に従うもので 、アソシエ ーションとは無縁です 。
アソシエ ーションは元来 、小さなものです 。だから 、人が出会うことができる 。そして 、 N A Mはそのような 「アソシエ ーションのアソシエ ーション 」として想定されたものです 。しかるに 、小さな多数のアソシエ ーションがなくて 、 N A Mという組織だけがあった 。これではアソシエ ーションとはいえない 。だから 、私は 、 N A Mを解散して 、小さなアソシエ ーションから再出発することにした 。それが F A宣言だったのです 。
このときの経験から 、私は上記の項目を加えました 。と同時に 、それと対極的に見えるような観点を付け加えた 。それはインタ ーナショナルな運動の観点です 。私は N A Mの運動を開始したとき 、外国のことを考えなかった 。もちろん 、日本のことだけを考えていたのではありません 。実際 、英語版を作っていたのですから 。ただ 、私は 、日本でやっている運動が 、他国で行われている運動と自然に連合することになるだろうと 、漠然と考えていたのです。
…
返信削除これには本当に驚きました 。このことは 、他の何よりも中国の社会的変化を示すものです 。私は中国でいかに資本主義経済が深く浸透したかを感じました 。それを示すのは 、経済的発展のデ ータなどではなく 、まさに 、このような資本主義への対抗運動が始まったという事実です 。それ以前にも中国では 、資本主義に対抗する考えは支配的ではありましたが 、それは第三世界としての中国が 、外の資本主義国家に対して 、自らを護りつつ産業を発展させるというようなものでした 。しかるに 、現在の中国はもはやそんな状態にあるのではない 。グロ ーバルな資本主義の中心に位置しているのですから 。だから 、それに対抗する運動が内在的に始まっているのです 。
私の所に連絡してきた人たちは 、資本主義に対抗する運動を明確に意識しています 。彼らが求めるのは社会主義ですが 、習近平がいうような社会主義 (国家資本主義 )とは違います 。それは資本と国家に対抗する運動です 。それはある意味で 、アナ ーキズムです 。事実 、先に述べた 、坂口安吾 、高円寺のマヌケ派 、そして 、 N A Mに共通するのは 、アナ ーキズムです 。しかし 、それは一般に知られているようなタイプのアナ ーキズムとは違います 。たとえば 、パンク的な美的アナ ーキズム 、あるいは 、アナルコキャピタリズムとは異質です 。それらはむしろ新自由主義とつながるものです 。一方 、アナ ーキズムは本来 、社会主義的です 。事実 、初期の社会主義者は (マルクスをふくめて )アナ ーキストであり 、アソシエ ーショニストでした 。今や 、社会主義というと社会民主主義 、共産主義というと国家主義的な感じになります 。だから 、私にとっては 、社会主義 、共産主義 、アナ ーキズムといっても同じことになるのですが 、昔からのイメ ージが残っているため 、いちいち説明しないといけない 。そこで 、私は一括して 、アソシエ ーショニズムと呼ぶことにしたのです 。交換様式の観点からいえば 、もっと簡単です 。それは Dです 。
私は二〇〇〇年に N A Mの運動を開始しました 。それは唐突なことではありません 。たとえば 、私はその直前に 、 『トランスクリティ ーク ― ―カントとマルクス 』という本を書き終えていました 。そこでおこなったのは 、カントとマルクスのトランスクリティ ークですが 、実は 、それはマルクス主義とアナ ーキズムのトランスクリティ ークでもあった 。ちなみに 、アメリカのマルクス主義者フレドリック ・ジェイムソンは 、この本の英訳版に寄せた帯の文で 、本書はマルクスとカントのみならず 、マルクス主義とアナ ーキズムを綜合する企てだと書いてくれたのですが 、我が意を得たり 、という感じです 。ただ 、 『トランスクリティ ーク 』や 『世界史の構造 』といった本はあくまで理論的な本です 。 『 N A M ‐原理 』はそれらとは違って 、実践的な本です 。そもそも運動のプログラムとして書いたのですから 。しかし 、実践的な運動は挫折します 。 N A Mは二〇〇二年の末に消え 、今は残っていません 。ただ 、そのとき提起した 「 N A Mの原理 」だけが残っている 。といっても 、本は絶版にしたので手に入りませんが 。
一般には 、 N A Mが組織として解散した経緯 ・事情は知られていません 。それはたんに昔話として片づけられている 。しかし 、たとえば 、今年アメリカのオハイオ大学で 、活動家の会議に呼ばれて行ったのですが 、彼らは 『世界史の構造 』を読んでいるだけではなく 、 「 N A Mの原理 」を読んでいました 。これは英語訳がウェブに出ているので 、簡単に手に入ります 。私は大分前から 「 N A Mの創設者 」として知られているのです 。しかし 、中国で N A Mを実行するという人たちが出てきたのには 、驚いた 。彼らも最初 、それを英文で読んだといっていましたが 。
私はもともと 「 N A Mの原理 」の改定版を出すことを考えてはいたのですが 、むしろそのような外国での動きに触発されてその仕事を再開しました 。それについて述べる前に 、 N A Mの始まりと 、その解散について簡単に説明しておきます 。先に 、解散のほうから述べましょう 。その際 、私はつぎのような解散宣言をしました 。なお 、 「 F A 」というのは 、フリ ー ・アソシエ ーションという意味です 。これは 、哲学者ヒュ ームが唱えていた自由連想とつながるものですが 、のみならず 、その当時プロ野球選手の間で流行していた 「フリ ー ・エ ージェント宣言 」をもじったものです 。
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具体的にいうと 、私は N A Mで 、中央で全国的な電子的地域通貨を作ろうとしたことに反対でした 。 「地域 」では通貨は紙幣のようなものでよい 。 L E T Sを考案したリントンが尼崎の私の家に来たことがあるのですが 、彼も電子的通貨に反対でした 。地域通貨が地域に根づいたあとで 、それらが自然につながるのはよいが 、最初から全国的なものを目指すべきでない 、と 。私は N A Mの運動を東京ではなく大阪で始めました 。それはある意味で 、地域を重視したといえるのですが 、にもかかわらず 、それはすぐに 、全国的な運動 、つまり 、東京が中心となる運動となってしまった 。地域通貨といいながら 、まさに 「地域 」が欠けていました 。実は 、 N A Mのメンバ ーの中に 、本当に地域で地域通貨をやっている人たちがいたのですが 、相手にされなかった 。
「地域 」とは 、人が人と現実に出会うことを意味します 。電子的なコミュニケ ーションや交換では 、アソシエ ーションは成り立たない 。私は当初 、未発達であったインタ ーネットに期待していましたが 、それはまちがいだということをすぐに悟った 。それはたんに連絡手段として使うべきで 、会ったこともない人たちの討議に用いるべきではない 。同様に 、その後に発達した S N Sのようなものに 、私はまったく期待していません 。それは Cの原理に従うもので 、アソシエ ーションとは無縁です 。
アソシエ ーションは元来 、小さなものです 。だから 、人が出会うことができる 。そして 、 N A Mはそのような 「アソシエ ーションのアソシエ ーション 」として想定されたものです 。しかるに 、小さな多数のアソシエ ーションがなくて 、 N A Mという組織だけがあった 。これではアソシエ ーションとはいえない 。だから 、私は 、 N A Mを解散して 、小さなアソシエ ーションから再出発することにした 。それが F A宣言だったのです 。
このときの経験から 、私は上記の項目を加えました 。と同時に 、それと対極的に見えるような観点を付け加えた 。それはインタ ーナショナルな運動の観点です 。私は N A Mの運動を開始したとき 、外国のことを考えなかった 。もちろん 、日本のことだけを考えていたのではありません 。実際 、英語版を作っていたのですから 。ただ 、私は 、日本でやっている運動が 、他国で行われている運動と自然に連合することになるだろうと 、漠然と考えていたのです。
…
返信削除新自由主義の下で 、貧富の差が広がっているといわれます 。それは事実ですが 、この格差は 「階級闘争 」をもたらさない 。なぜなら 、富んだほうは 、支配階級というよりも 「勝ち組 」であり 、貧しい方はプロレタリア ートというよりも 、たんに 「負け組 」だからです 。つまり 、勝ち組になりたかったがなれなかった者です 。彼らは 、子供のころからたたき込まれた中産階級の規範的意識を出られない 。したがって 、互いに連帯することができない 。そのような人たちが闘争的になると 、大概 、排外主義的な運動になります 。それに対して 、非資本主義的な経済空間は 、勝ち組になるための愚劣な競争を意識的に放棄した人たち 、すなわち 、松本哉がいう 「マヌケ 」たちによって形成されます 。それが 、私のいうアソシエ ーションです 。
資本主義は今後 、それ自体の限界に直面します 。蓄積 (自己増殖 )ができなくなるからです 。しかし 、そこから自動的に 、社会主義に導かれるのではありません 。むしろ 、逆に 、野蛮な社会に導かれます 。つまり 、 Bと Aが露骨にあらわれる 。だから 、われわれは 、資本主義に対する内在的対抗運動と同時に 、超出的な対抗運動を必要とするのです 。私は近年 、 『世界史の構造 』 (二〇一〇年 )をはじめとして 、理論的な書物を書いてきました 。しかし 、それは N A Mの実践を通して考えた問題です 。私が考えているのは 、いつも 、実践的 ゠倫理的な問題です 。 N A Mの問題が消滅することはありえません 。
(からたにこうじん ・哲学 )
*本論考は二〇一七年一一月二五日に開催された明治大学大学院教養デザイン研究科主催によるシンポジウム 、 「越境する知 ― ―現代社会の危機と学問の未来 」において報告された内容に基づいたもので 、同教養デザイン研究科の紀要 『いすみあ 』第一〇号 (二〇一七年度 )に掲載される予定稿を転載させていただいたものである 。 ― ―編集部
返信削除新自由主義の下で 、貧富の差が広がっているといわれます 。それは事実ですが 、この格差は
「階級闘争 」をもたらさない 。なぜなら 、富んだほうは 、支配階級というよりも 「勝ち組 」で
あり 、貧しい方はプロレタリア ートというよりも 、たんに 「負け組 」だからです 。つまり 、
勝ち組になりたかったがなれなかった者です 。彼らは 、子供のころからたたき込まれた中産階級の
規範的意識を出られない 。したがって 、互いに連帯することができない 。そのような人たちが闘争
的になると 、大概 、排外主義的な運動になります 。それに対して 、非資本主義的な経済空間は 、
勝ち組になるための愚劣な競争を意識的に放棄した人たち 、すなわち 、松本哉がいう 「マヌケ 」
たちによって形成されます 。それが 、私のいうアソシエ ーションです 。
資本主義は今後 、それ自体の限界に直面します 。蓄積 (自己増殖 )ができなくなるからです 。
しかし 、そこから自動的に 、社会主義に導かれるのではありません 。むしろ 、逆に 、野蛮な社会に
導かれます 。つまり 、 Bと Aが露骨にあらわれる 。だから 、われわれは 、資本主義に対する内在
的対抗運動と同時に 、超出的な対抗運動を必要とするのです 。私は近年 、 『世界史の構造 』
(二〇一〇年 )をはじめとして 、理論的な書物を書いてきました 。しかし 、それは N A Mの
実践を通して考えた問題です 。私が考えているのは 、いつも 、実践的 ゠倫理的な問題です 。
N A Mの問題が消滅することはありえません 。
(からたにこうじん ・哲学 )
*本論考は二〇一七年一一月二五日に開催された明治大学大学院教養デザイン研究科主催によるシンポジウム 、 「越境する知 ― ―現代社会の危機と学問の未来 」において報告された内容に基づいたもので 、同教養デザイン研究科の紀要 『いすみあ 』第一〇号 (二〇一七年度 )に掲載される予定稿を転載させていただいたものである 。 ― ―編集部
返信削除新自由主義の下で 、貧富の差が広がっているといわれます 。それは事実ですが 、この格差は
「階級闘争 」をもたらさない 。なぜなら 、富んだほうは 、支配階級というよりも 「勝ち組 」で
あり 、貧しい方はプロレタリア ートというよりも 、たんに 「負け組 」だからです 。つまり 、
勝ち組になりたかったがなれなかった者です 。彼らは 、子供のころからたたき込まれた中産階級の
規範的意識を出られない 。したがって 、互いに連帯することができない 。そのような人たちが闘争
的になると 、大概 、排外主義的な運動になります 。それに対して 、非資本主義的な経済空間は 、
勝ち組になるための愚劣な競争を意識的に放棄した人たち 、すなわち 、松本哉がいう 「マヌケ 」
たちによって形成されます 。それが 、私のいうアソシエ ーションです 。
資本主義は今後 、それ自体の限界に直面します 。蓄積 (自己増殖 )ができなくなるからです 。
しかし 、そこから自動的に 、社会主義に導かれるのではありません 。むしろ 、逆に 、野蛮な社会に
導かれます 。つまり 、 Bと Aが露骨にあらわれる 。だから 、われわれは 、資本主義に対する内在
的対抗運動と同時に 、超出的な対抗運動を必要とするのです 。私は近年 、 『世界史の構造 』
(二〇一〇年 )をはじめとして 、理論的な書物を書いてきました 。しかし 、それは N A Mの
実践を通して考えた問題です 。私が考えているのは 、いつも 、実践的=倫理的な問題です 。
N A Mの問題が消滅することはありえません 。
(からたにこうじん ・哲学 )
*本論考は二〇一七年一一月二五日に開催された明治大学大学院教養デザイン研究科主催によるシンポジウム 、 「越境する知 ― ―現代社会の危機と学問の未来 」において報告された内容に基づいたもので 、同教養デザイン研究科の紀要 『いすみあ 』第一〇号 (二〇一七年度 )に掲載される予定稿を転載させていただいたものである 。 ― ―編集部
竹島だったら漁民同士
返信削除尖閣だったら石油業者同士
同業者組合が国家を超えてなければならない
サッカーのFIFAをイメージしてもいい
理想はあくまで自給自足だが
自給自足にたどりつくためにはまず各分野関心系ごとに世界的なユニオンが必要になる
返信削除~からの自由と~への自由とがある
マルクス的には二重に自由な労働者は自由を強いられていることになるし
カント的には自由で自律的な意思決定が倫理的には最高善の条件ということになる
バーリン自由論的にはカントは消極的自由、マルクスは積極的自由だろうが
この関係は逆転し得る
(柄谷行人というペンネームはトイレで思いついたというが
自由であれという至上命題は歯医者で思いついたそうだ
その形式主義的なダブルバインドが時代を先取りしている)
くじ引きが平等を実現するとしたら
多重所属とLETSが自由を実現する
その位相は生産様式では測れず
交換様式として定位される
返信削除内省と遡行(講談社文芸文庫)柄谷行人 Kindle
2018/4/20
https://www.amazon.co.jp/dp/B07C21PV81/
https://itunes.apple.com/jp/book/id1369849396?mt=11
アメリカのユートピア~二重権力と国民皆兵制 2018/4/30
フレドリック・ジェイムソン,スラヴォイ・ジジェク,柄谷行人ほか
https://www.amazon.co.jp/dp/490691778X/
2018/5/18
返信削除柄谷行人公演会
https://twitter.com/suzume10201/status/997450324691464192
森 哲子 @suzume10201
代官山にて、『柄谷行人公演会』<マルクスは、ハイネが大好きといっている。柳田国男は、二人が共通することがわかっていた。
私は、あの世と霊に慣れている。私は、マルクスの『資本論』以外に面白い本はない。商品は、交換できまる。商品には何かがクッツイテいる。それは霊だ。>
21:14 - 2018年5月18日
佐々木真 @sasaki_makoto ・ 今
返信先: @suzume10201さん
質問で盛り上がりましたね。柄谷氏は「貨幣には見えない力がある。
物理学は以前、見えない力を認めていなかった。だが後の物理学は磁力・重力という見えない力を認めるようになった」と発言してましたが、人間が「見えない」と言っているのであって、全ての動物に磁力・重力は作用しますよね。
https://honto.jp/store/news/detail_041000026107.html
返信削除イベント ジュンク堂書店 池袋本店
開催日時:2018年06月23日(土) 14:00~
「作家書店」27代目店長 柄谷行人書店
「作家書店」27代目店長 柄谷行人書店
イベント予定
オープニング記念イベント
2018年6月23日(土)
◆第一部 14:00~
オープニングセレモニーと柄谷店長による柄谷行人書店ツアー
◆第二部 15:00~
出張版本棚会議 柄谷店長による人文書ツアー at 4階フロア
満員御礼 お申込ありがとうございました
※第二部は予約が必要です。当店1Fサービスコーナーもしくはお電話にて承ります。
池袋本店 TEL 03-5956-6111
2018/06/08 掲載
https://book.asahi.com/article/11578240
返信削除2018.05.30
定住がもたらす社会の葛藤 柄谷行人「遊動論 柳田国男と山人」
写真・山本友来
「遊動論 柳田国男と山人」(2014年)
民俗学の枠を超えた思想家、柳田国男。初期の「山人」説を捨てて「常民」「一国民俗学」に向かったと批判された柳田は「山人」を捨てていなかった。著者は柳田の「山人」を定住以前の未開社会に生きた「原遊動民」と重ね、長年考察してきた「資本=ネーション=国家」を超える理想の社会を多角的に探る。示唆に富む一冊。
この記事の連載は・・・・・・
時代のしるし
お話を聞いた⼈
柄谷行人(からたに・こうじん)
思想家
1941年、兵庫県生まれ。69年、「〈意識〉と〈自然〉 漱石試論」(群像新人賞)でデビュー。著書に『探究Ⅰ・Ⅱ』『トランスクリティーク』『世界共和国へ』『世界史の構造』『哲学の起源』『帝国の構造』『柳田国男論』『倫理21』など多数。著書の多くは英語、中国語などに翻訳されている。
僕は1960年代の末に文芸批評家になりましたが、文芸以外の仕事を始めたのは73年ごろです。雑誌で連載した「柳田国男試論」と「マルクスその可能性の中心」は後年、『日本近代文学の起源』と『世界史の構造』につながり、この二つの流れから『遊動論 柳田国男と山人(やまびと)』が生まれました。
柳田国男は国木田独歩や森鷗外ら近代文学者とも交流があり、もともと僕にとって大きな意味をもっていましたが、2011年、東日本大震災や福島の原発事故を機に彼の『先祖の話』を読み返しました。多くの方が亡くなり、先祖の土地を離れざるをえない人たちが大勢いましたからね。
その翌年、北京の中央民族大学から「遊動民」について講演を頼まれました。この大学は先生も生徒も雲南省などの山地や遊牧地の出身者が多く、柳田が『山の人生』や『遠野物語』で語った幻の未開の民、「山人」を思い出しました。
柳田は山の民を調べましたが、「山人」は「山地民」ではなかった。山人は定住以前の狩猟採集遊動民ですが、山地民は定住後の狩猟焼畑(やきはた)農民です。僕はこれまで、『世界史の構造』などで現代の国家と資本を超える理論を研究してきました。一番最初の未開社会の構造を「原遊動性」と呼んでいますが、柳田の「山人」はヒントになりました。柳田の「山人」とは「原遊動民」なんだと。
忘れられた原遊動民の平等な社会
ノマドとも呼ばれる遊動民には遊牧民や山地民が含まれますが、彼らは原遊動民とは違います。彼らはしばしば定住社会に侵入し、国家を作りました。80年代のバブル時代にも「ノマドロジー」という思想が流行しましたが、結局、国家や資本を補完し、グローバリズムを拡大しました。これでは国家や資本を超えられない。
国家という枠組みができると、必ず戦争などの葛藤を生みます。現代社会は資本と国家が密接に絡み、経済格差や差別を生み、権力や富の不平等が当たり前になる。それを克服するには、定住以前の社会の形、国家ができる以前の状態を考える必要があります。
柳田は山人の存在を証明するため、元の形態を調べようと妖怪などとして伝承されてきた山地民を訪ねました。しかし、ついに見つからなかった。山人説は否定されたけど、柳田はなおも山人を定住以前の固有信仰(先祖信仰の祖型)に結びつけ、その存在を追究したんです。
いまの人は慣れているから逆に思っているかもしれませんが、定住社会はストレスが多く、いやなものなんですよ。原遊動民の世界は、自由かつ平等な社会です。しかし、それは定住後に、抑圧され忘却されています。
フロイトの基本テーゼは、「抑圧されたものは必ず回帰する」です。つまり、原遊動性は忘却されていますが、強迫的に回帰してきます。普遍宗教がそういうものです。たとえば、原始キリスト教も原始仏教も遊動生活をしています。ただ、山人=原遊動民を実証的に見いだすことはできないので、学者は考えない。見える形で証明できませんから。
僕はかつて近代文学は終わったと言いましたが、理論的な仕事を続けてきた僕の根本には文学があるんですね。それは柳田であり、坂口安吾ですが、この人たちには何か学者にはない夢を見いだせるんですよ。(聞き手・依田彰)=朝日新聞2015年11月24日掲載
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この記事で紹介した本
遊動論 柳田国男と山人 (文春新書)
著者:柄谷 行人
出版社:文藝春秋
価格(紙書籍):864円
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大江柄谷全対話
返信削除2018/6/30
1996
1995
大江 …
自然と、自然の中に含まれるすべてのもの、僕のようなもののサブスタンスも実在
も、全部神という大きい実在のうちにあるもので、自然イコール神であると同時に
神は実在全体に対する認識を持っていて、その認識の一部として僕の認識もあると考
えれば、むしろ歴史の対極にあるものだと思います。
ところが、そのような僕たちの実在、神の認識の中で動いて生きている僕たちの実
在が、じつは歴史を構成している。そうすると、あなたがおっしゃったマルキシズム
も、あるいはポスト構造主義も、スピノザの考え方の展開の中にある。その意味で、
僕は決して矛盾しないと思うんです。
それをはっきり具体的に示していた人はドゥルーズです。マルクス主義との関係、
あるいはポスト構造主義との関係においてスピノザを考えれば、ドゥルーズはこれか
らも非常に意味のある人だろうと思います。
118
柄谷
…スピノザは人格神を想像物と見なしています。
しかし、神=世界=自然=唯一実体という考えの中には、ヘブライ的なものが入って
いると思います。それが伝統的な形而上学、あるいはデカルトの実体論とは異質な点
です。スピノザが永遠と呼ぶのは、この歴史的世界を越えるものではなくて、この歴
史的世界そのものだと思うんです。
一見すると、それは矛盾するようですが、このような矛盾は、スピノザが自由意思
を否定したことについてもいえます。つまり、それなら、彼の行動は、自由な決断で
はなかったのか、というような。もちろん、彼の決断は自由になされています。しか
し、それは彼がこの世界を越えてあることではないし、さまざまな諸原因によってい
るわけです。すべてが自然的原因によって決定されているから自由はない。しかし、
自由はある。この問題を徹底的に考えたのはカントだと思うんです。いわゆる第三ア
ンチノミー(二律背反)というのがそうですが、彼は、これは第一 ・第二のアンチノ
ミーと違って、矛盾しないと考えました。彼は、この二つの次元が違うというふうに
考えたと思うんです。片一方から見れば、すべて自然に決定されているともいえる。
しかし、片一方から見れば自由であるともいえる。永遠と歴史にかんしても同じこと
がいえると思います。
120
柄谷 …ヘーゲルは西洋の人だといって簡単に片づけて
しまう。僕はそういう時空をとっぱらって考えたい。いまカントとヘーゲルの間に立
って、といいましたけど、実はそれはマルクスのことなんです。普通はそんな時間的
な配置は成立しないんですが、時空の配置と無関係に僕はそのように考えています。
僕がカントを読むようになったのは、やはり八九年以後です。それは「理念」の問
題と関係しています。たとえば、歴史の理念なんてないんだという人がいるでしょ
う。というより、あらゆる理念を嘲笑するというシニシズムが蔓延してい す。しか
し、これは一度、理念に飛びついてそれに裏切られた結果、理念そのものを一般的に
否定するという、まさにambivalentな態度です。しかし、僕は、構成的な理念
を否定するが統整的な理念を認めるというカントに、ambiguousな態度を見いだすのです。
163
返信削除《ここでマルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な
私有権は、それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えら
れたものだ。私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのであ
る。それゆえに、私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むし
ろ、私有財産の廃棄は国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズム
が新たな「個体的所有」の確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソ
シエーションとして見ていたからである。
こうした考えは、明らかにプルードンの考えにもとづいている。若いマルクスが絶賛し
たプルードンの『所有とは何か』という著作は、「所有とは盗みである」という言葉で有
名である。しかし、プルードンは所有一般を否定したのではない。彼が否定したのは、
「不労収益権、すなわち働かずに利得する力」である。よって厳密には、彼は所持と所有
を分ける。《所持を保全しながら所有を廃止せよ。ただそれだけの修正によって諸君は法
律、政治、経済、諸制度の一切を変えるだろう。諸君は地上の悪を除きさるのだ》(『所
有とは何か』「ブルードン」長谷川進・江口幹訳、三一書房)。さらに、彼は「不労収益」を封
建的収奪と同一視したのではない。むしろ、彼のいう「不労収益」とは、資本制生産に固
有のものである。たとえば、個々の労働者は資本家から労働に対して賃金を支払われるが、
彼らの協業、すなわち「集合力」によって得られる利益の増加分は、資本家によって奪わ
れる。アダム・スミスはこれを正当な利潤の源泉と見なしたが、プルードンはそれを「盗
み」と呼んだのである。すでにイギリスのリカード左派はそれを剰余価値と呼んでおり、
そこから激しい政治的労働運動が生じた。それに対して、プルードンは政治的活動に反対
し、むしろ分業と協業によって生産力を上げながら同時にそれが「盗み」を生み出さない
ような、労働合資会社を作ることを提唱した。そのような倫理ー経済的な交換システムの
拡大が、資本と国家を死滅させる、と。
このように見ると、実際上、マルクスが初期にブルードンから学んだ考えを一度も放棄
したことがないことがわかる。彼が「私的所有」に対立させる「個体的所有」は、プルー
ドンが「所持」と呼んだものに他ならないのである。》
(柄谷行人『トランスクリティーク』現代文庫246−8頁、定本253-4頁)
返信削除http://study-capital.la.coocan.jp/hokoku/study-wn-capi-050.html
《資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働に
もとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、
それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は私有を再建しないが、しかし、資本主義
時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによっ
て生産される生産手段の共同占有を基礎とする個人的所有をつくりだす(のである。)》
『資本論』第一巻第24章第7節
itc253
“从资本主义生产方式产生的资本主义占有方式,从而资本主义的私有制,是对个人的、以自己劳动为基础的私有制的第一个否定。但资本主义生产由于自然过程的必然性,造成了对自身的否定。这是否定之否定。这种否定不是重新建立私有制,而是在资本主义时代的成就的基础上,也就是说,在协作和对土地及靠劳动本身生产的生产资料的共同占有的基础上,重新建立个人所有制。”〔36〕
返信削除〔36〕《资本论》第1卷第7篇第24章第7节,见《马克思恩格斯全集》中文版第23卷第832页,北京:人民出版社,1972。
ibooks
ちなみに、ギリシアのアルファベットが作られ普及したのは、イオニアです。エジプトでは、文字修得が難しくて、それが
返信削除できた書記が権力をもったのですが、イオニアでは、ほとんどの人が読み書きできた。さらに、彼らは鋳貨を作り、食料など
の価格を市場に任せた。したがって、官僚にもとづく国家体制を必要としなかった。ギリシア文化は全体にホメロスの叙事詩
を共有するものですが、それが書かれたのもイオニアでした。これは、題材がミケーネの時代からとられているのに、イオニア
社会を反映したものです。つまり、イソノミア的なのです。
イオニアで植民者が最初に作ったポリスはミレトスですが、それが一杯になると、植民してつぎつぎと別のポリスを作って
いった。その一つであるエフェソスから出た思想家がヘラクレイトスです。さらに、イオニアのポリスが一杯になると、南
イタリアに植民した。それとともに、イオニアの文化もイタリアに広がった。パルメニデスのようなエレア学派がその代表
です。ヘラクレイトスもパルメニデスも、イオニア的な思想を受けついでいます。彼らはそれぞれ異なったポリスに所属し
たが、同時に、いわば「コスモポリス」に生きていたのです。
一方、ギリシア本島ではどうか。イオニアと違って、本島のポリスは、牧畜や農業が中心で、貨幣経済が浸透するにつれ
て、階級格差と対立が生じた。それに対して、二つの対策がありえた。その一つの極は、スパルタの「共産主義」です。彼
らは貨幣経済を停止し、軍国主義的な体制を築いた。ここでは、平等は確保されたが、個人の自由はありません。他方で、
その対極が、アテネのデモクラシーです。つまり、アテネでは、貨幣経済を維持しつつ、同時に階級格差を防ごうとした。
それがデモクラシーなのです。
柄谷行人思想的地震より
「歴史と実験1、2」が雑誌に掲載後、単行本になりそう。
返信削除見えない体系(を明らかにする実験。マルクス、柳田国男)/見える体系(吉本隆明)
同じ島だが元フランス領で貧しいハイチ/元スペイン領で比較的豊かなドミニカ
日清戦争後、戦勝国の国木田独歩/敗戦国の魯迅 (日中で読まれる「日本近代文学の起源」)
親が平田神道で幼い頃に家を出された、柳田国男/島崎藤村
これらの二項対立は話術としては面白い。
明石健五 @kengoa1965
単行本の校了間際、合間を縫って、池袋ジュンク堂に取材。
21:02 - 2018年8月25日
https://twitter.com/kengoa1965/status/1033323739738329088
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin
ジュンク堂池袋本店で柄谷行人氏の新テーマの素描を聴いた。
ジャレッドの実験史観による柳田國男の方法論の再構築。柄谷氏らしい明瞭な指摘は今後、いろんなものにつながっていくと思う。
とはいえまだ未発表。
貴重な1時間半であった。
21:16 - 2018年8月25日
https://twitter.com/rhenin/status/1033327187368140805
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account)
柄谷行人氏喜寿の小宴にて、
返信削除コツコツ貯めている『柄谷アネクドート(すべて本当の話)』の一部を発表。
例えば「柄谷さんは五才の孫にカントに関する新説を話していた」など。
すると新しい逸話が幾つか集まってきた。
「柄谷さんが自然な大アクビをするとカラスの群れが集まってくる」など。
2018/9/5 柄谷行人「交換と社会史」
『続・中学生からの大学講義2 歴史の読み方』 ちくまプリマー新書
返信削除191~2:
ガキ大将を例にとります。彼に服従すると、保護してくれる。最近は、
ガキ大将がいないようなので、『ドラえもん』に出てくる、ジャイアンを
思い浮かべてください。彼は凶暴ですが、服従するかぎりは優しくて、
弱者をかばう。また、ヤクザを例にとってもいいでしょう。ヤクザは普通の
人にとっては恐ろしい連中ですが、ある種の人々には頼りになるのです。
例えば、被害を受けたとき、警察を呼びたくない。警察が来ると、こちら 困る
事情があるからです。例えば、バーなどで酔っ払いが暴れたとき、ヤクザが
来てさっさと片づけてくれる。また、その店を、他の暴力団から守ってくれる、
などなど。こういうことは、交換には見えないけれども、一種の交換です。
すなわち、交換様式Bです
191:
1911
交換と社会史
別のタイプの交換について話します。
それは、服従と保護というような交換です。ある者に服従
する代わりに、その保護を受ける。私は、これを交換様式B
と呼びます。歴史的には、Aの後に出てきたものだから。こ
のような交換は、ふつう、交換とはみなされません。という
のは、この交換の根底に、暴力あるいは暴力的強制があるか
らです。しかし、これは一時的な暴力あるいは略奪とは違い
ます。服従する側にも、一定の見返りがあるのです。
ガキ大将を例にとります。彼に服従すると、保護してくれ
る。最近は、ガキ大将がいないようなので、『ドラえもん』
に出てくる、ジャイアンを思い浮かべてください。彼は凶暴
ですが、服従するかぎりは優しくて、弱者をかばう。また、
ヤクザを例にとってもいいでしょう。ヤクザは普通の人にと
っては恐ろしい連中ですが、ある種の人々には頼りになるの
192
です。例えば、被害を受けたとき、警察を呼びたくない。警察が来ると、こちら 困る
事情があるからです。例えば、バーなどで酔っ払いが暴れたとき、ヤクザが来てさっさ
と片づけてくれる。
また、
その店を、
他の暴力団から守ってくれる、
などなど。こういうことは、交換には見えないけれども、一種の交換です。すなわち、交換様式
Bです。例えば、武士はかつて、ヤクザのようなものでした。鎌倉時代では、「切り取
り強盗は武士のならい」といわれたぐらいです。奈良·平安時代では律令制国家があり
ましたが、徐々に、地方の荘園などで、公的権力が及ばない、規制できないような対立
紛争が生じた。それを処理したのが武士です。だから、武士は、顔役,地回りのような
ものです。そこで、武士と農民の間に、次のような関係ができた。農民が武士に服従す
る、と、武士は農民を保護する。農民はその代わりに年貢を払う。こうして、律令制国家
しょうえん
にかわって、封建国家ができたのです。
鎌倉幕府ですね。
こうみると、鎌倉時代の国家が交換様式Bに根ざしていることがわかります。しかし
実は、その前の律令制国家もそうなのです。あるいは、現在の国家もそうです。国家は
交換様式Bにもとづく。急に、日本史の講義になってしまいましたが、交換の問題に戻
交奐羡弍all寬將交奐とは娓質な交奐
わたしがつくる物語 13歳からの大学授業 (桐光学園特別授業) 単行本(ソフトカバー) – 2014/10/1
返信削除柄谷 行人 (著), 加藤 幹郎 (著), 中島 義道 (著), 東 浩紀 (著), 村山 斉 (著), 西澤 立衛 (著), 佐々木 中 (著), 清水 穣 (著), 酒井 直樹 (著), 堀江 敏幸 (著)
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返信削除図2
世界史における交換様式
世界史の段階 ドミナントな交換様式
遊動的狩猟採集民 -
氏族社会·首長制 A
国家社会(官僚制専制国家) B1
(ギリシア·ローマ型国家) B2
(封建制国家) B3
資本主義社会 C
図3
日本史における交換様式
日本史の段階 ドミナントな交換様式
狩猟採集民(縄文人) -
氏族社会(弥生人) A
奈良以後の律令制国家 B1
鎌倉以後の封建制国家 B2
明治維新後の国家 C
図4
近代資本主義社会における交換様式の結合体
B A
国家 ネーション(国民)
C D
資本 x
205頁 交換と社会史
返信削除2018/9/5 柄谷行人「交換と社会史」
『続・中学生からの大学講義2 歴史の読み方』 ちくまプリマー新書
《 ガキ大将を例にとります。彼に服従すると、保護してくれる。最近は、
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例えば、被害を受けたとき、警察を呼びたくない。警察が来ると、こちら 困る
事情があるからです。例えば、バーなどで酔っ払いが暴れたとき、ヤクザが
来てさっさと片づけてくれる。また、その店を、他の暴力団から守ってくれる、
などなど。こういうことは、交換には見えないけれども、一種の交換です。
すなわち、交換様式Bです。例えば、武士はかつて、ヤクザのようなものでし
た。鎌倉時代では、「切り取り強盗は武士のならい」といわれたぐらいです。…》
191~2頁
初出
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17頁
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返信削除2018/9/5 柄谷行人「交換と社会史」
『続・中学生からの大学講義2 歴史の読み方』 ちくまプリマー新書
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191~2頁
初出
わたしがつくる物語 13歳からの大学授業 (桐光学園特別授業) 単行本(ソフトカバー) – 2014/10/1
17頁
未来ある君たちへ ー 先生からのメッセージ
検索せずに
思索せよ
https://i.gyazo.com/804b2f3130e54fdecbc5daec17633bde.jpg
返信削除>2018/9/5 柄谷行人「交換と社会史」
>『続・中学生からの大学講義2 歴史の読み方』 ちくまプリマー新書
>《 ガキ大将を例にとります。彼に服従すると、保護してくれる。最近は、
>ガキ大将がいないようなので、『ドラえもん』に出てくる、ジャイアンを
>思い浮かべてください。彼は凶暴ですが、服従するかぎりは優しくて、
>弱者をかばう。…
初出
わたしがつくる物語 13歳からの大学授業 (桐光学園特別授業) 単行本(ソフトカバー) – 2014/10/1
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未来ある君たちへ ー 先生からのメッセージ
検索せずに
思索せよ
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返信削除>2018/9/5 柄谷行人「交換と社会史」
>『続・中学生からの大学講義2 歴史の読み方』 ちくまプリマー新書
>《 ガキ大将を例にとります。彼に服従すると、保護してくれる。最近は、
>ガキ大将がいないようなので、『ドラえもん』に出てくる、ジャイアンを
>思い浮かべてください。彼は凶暴ですが、服従するかぎりは優しくて、
>弱者をかばう。…
初出
わたしがつくる物語 13歳からの大学授業 (桐光学園特別授業) 2014/10/1
17頁
未来ある君たちへ ー 先生からのメッセージ
検索せずに
思索せよ
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柄谷はドゥルーズから影響を受けていると自身で述べているが
返信削除具体的にはよくわからない
思索の方向性は真逆だ
スピノザ理解に接点があるとは言える
観 念
:
普遍性
|
概 一 | 特
・・般___|___殊
念 性 | 性
|
単独性
http://3.bp.blogspot.com/-USYylEMx12o/TyNS1ue7j0I/AAAAAAAAFig/6O7dT3SOsAk/s1600/a0024841_1351018.jpg
(柄谷行人『探究2』より)
《たとえば、ドゥルーズは、キルケゴールの反復にかんして、「反復は、単独なものの
普遍性であり、 特殊なものの一般性としての一般性と対立する」といっている(『差異と反復』)。
つまり、彼は特殊性 (個)ー一般性(類)の対と、単独性ー普遍性の対を対立させてい
る(図参照)。だが、すでに明らかなように、 これはスピノザが概念と観念を区別したのと
ほとんど同じことである。》
(柄谷行人『探究2』文庫版150頁)
《…わたしたちは、個別的なものに関する一般性であるかぎりでの一般性と、 特異
(サンギュリエ)な ものに関する普遍性としての反復を対立したものとみなす…》
http://blog.livedoor.jp/captainahab/archives/50551139.html
(『差異と反復』邦訳単行本20頁、文庫上22頁)
(『トランスクリティーク』定本版単行本156頁、文庫150頁)
NAMはマルクス主義者8割、アナーキスト2割。
返信削除アナーキストは東京だと栗原摂津和気あと数名くらいか。
小森陽一さんが労働団体と勘違いした人達をたくさん連れて来たがみんなすぐに去っていった。
プルードンの思想をマルクスの看板で展開したから無理があった。
くじ引きはプルードンの発案ではないが、多重所属、地域通貨をアナーキズムではなく
マルクス主義というのは無理だ。
無論柄谷の貢献は両者の理論的統合にあるとしても。
トラクリがなぜ探究3ではないのか?
プルードンを柄谷が発見したからだ。そこで実践の芽がはじめて出た。
ただしNAM原理にプルードンの名は一箇所だけ。
要するに第1期NAMはマルクス主義の延命装置だった。
NAMはマルクス主義者8割、アナーキスト2割。
返信削除アナーキストは東京だと栗原さん摂津さん和気さんとあと数名くらいか。
小森陽一さんが労働団体と勘違いした人達をたくさん連れて来たがみんなすぐに去っていった。
プルードンの思想をマルクスの看板で展開したから無理があった。
くじ引きはプルードンの発案ではないが、多重所属、地域通貨をアナーキズムではなく
マルクス主義というのは無理だ(岡崎さんなどはうまく使い分けていたが…)。
無論柄谷の貢献は両者の理論的統合にあるとしても。
トラクリがなぜ探究3ではないのか?
プルードンを柄谷が発見したからだ。そこで実践の芽がはじめて出た。
ただしNAM原理にプルードンの名は一箇所だけ。そこでマルクスでいいという誤解が会員に生じた。
マルクス主義には自主管理の組織論はない。労働組合は敵を措定するしかない。
要するに第1期NAMはマルクス主義の延命装置だった。
NAMはマルクス主義者8割、アナーキスト2割。
返信削除アナーキストは東京だとピエールさんリンダさんワケさんとあと数名くらいか。
小森陽一さんが労働団体と勘違いした人達をたくさん連れて来たがみんなすぐに去っていった。
プルードンの思想をマルクスの看板で展開したから無理があった。
くじ引きはプルードンの発案ではないが、多重所属、地域通貨をアナーキズムではなく
マルクス主義というのは無理だ(岡崎さんなどはうまく使い分けていたが…)。
無論柄谷の貢献は両者の理論的統合にあるとしても。
トラクリがなぜ探究3ではないのか?
プルードンを柄谷が発見したからだ。そこで実践の芽がはじめて出た。
ただしNAM原理にプルードンの名は一箇所だけ。そこでマルクスでいいという誤解が会員に生じた。
マルクス主義には自主管理の組織論はない。労働組合は敵を措定するしかない。
要するに第1期NAMはマルクス主義の延命装置だった。
NAMはマルクス主義者8割、アナーキスト2割。
返信削除労働団体と勘違いした人達が沢山来たがみんなすぐに去っていった。
プルードンの思想をマルクスの看板で展開したから無理があった。
くじ引きはプルードンの発案ではないが、多重所属、地域通貨をアナーキズムではなく
マルクス主義というのは無理だ。
無論柄谷の貢献は両者の理論的統合にあるとしても。
トラクリがなぜ探究3ではないのか?
プルードンを柄谷が発見したからだ。そこで実践の芽がはじめて出た。
ただしNAM原理にプルードンの名は一箇所だけ。そこでマルクスでいいという誤解が会員に生じた。
マルクス主義には自主管理の組織論はない。労働組合も一元的になる。
要するに第1期NAMはマルクス主義の延命装置だった。
NAMはマルクス主義者8割、アナーキスト2割。
返信削除労働団体と勘違いした人達が沢山来たがみんなすぐに去っていった。
プルードンの思想をマルクスの看板で展開したから無理があった。
くじ引きはプルードンの発案ではないが、多重所属、地域通貨をアナーキズムではなく
マルクス主義というのは無理だ。
無論柄谷の貢献は両者の理論的統合にあるとしても。
トラクリがなぜ探究3ではないのか?
プルードンを柄谷が発見したからだ。そこで実践の芽がはじめて出た。
ただしNAM原理にプルードンの名は一箇所だけ。そこでマルクス主義でいいという誤解が会員に生じた。
マルクス主義には自主管理の組織論はない。労働組合もなぜか一元的になる。
要するに第1期NAMはマルクス主義の延命装置だった。
NAMはマルクス主義者8割、アナーキスト2割。
返信削除労働団体と勘違いした人達が沢山来たがみんなすぐに去っていった。
プルードンの思想をマルクスの看板で展開したから無理があった。
くじ引きはプルードンの発案ではないが、多重所属、地域通貨をアナーキズムではなく
マルクス主義というのは無理だ。
無論柄谷の貢献は両者の理論的総合にあるとしても。
トラクリがなぜ探究3ではないのか?
プルードンを柄谷が発見したからだ。そこで実践の芽がはじめて出た。
ただしNAM原理にプルードンの名は一箇所だけ。そこでマルクス主義でいいという誤解が会員に生じた。
マルクス主義には自主管理の組織論はない。労働組合もなぜか一元的になる。
要するに第1期NAMはマルクス主義の延命装置だった。
NAMはマルクス主義者8割、アナーキスト2割。
返信削除労働団体と勘違いした人達が沢山来たがみんなすぐに去っていった。
プルードンの思想をマルクスの看板で展開したから無理があった。
くじ引きはプルードンの発案ではないが、多重所属、地域通貨をアナーキズムではなく
マルクス主義というのは無理だ。
無論柄谷の功績は両者の理論的総合にあるとしても。
トラクリがなぜ探究3ではないのか?
プルードンを柄谷が発見したからだ。そこで実践の芽がはじめて出た。
ただしNAM原理にプルードンの名は一箇所だけ。そこでマルクス主義でいいという誤解が会員に生じた。
マルクス主義には自主管理の組織論はない。労働組合もなぜか一元的になる。
要するに第1期NAMはマルクス主義の延命装置だった。
返信削除二つの妖怪 思想の散策17
柳田が民俗学に向かった時期、「怪談」が流行し、また、「妖怪」のブームがあった。しかし、彼が民俗学に向かい、「山人」に関心を抱いたのは、そのためではない。また、それは先住民が山に残っているという観点からだけでもなかった。彼は農政学者、農商務省官僚として、実際に「山」にかかわったのであZつ。
先に述べたように、柳田の民俗学は、むしろ神道研究であった。その意味で、彼は貧しい神官であった父松岡約斎の志を継ごうとしたといえる。この点で、島崎藤村が『夜明け前』を書いたことと似ている。ただ、藤村が五七歳でそのような仕事にとりかかったのに対して、柳田は若くしてそれに取り組んだ。しかも、興味深いことに、彼はある意味で、藤村の父の志をし実践的に受け継いだ、といってよい。
『夜明け前』の主人公、青山半蔵が王政復古を渇望したのは、山林を古代のように共有地とすることを実現するためであった。彼は森林の使用を制限する尾張藩を批判し、明治維新に希望を抱いた。しかし、維新後に彼が見たのは、近代西洋化(文明開化)であり、山林の国有化によって一切の伐採を禁じるという仕打ち柄谷行人であった。しかも、ここには、藤村が書かなかった問題がある。それは、山林の国有化が皇室財産である御料林を増やすためになされたということにある。村上重良は、つぎのようにいっている。
たとえば尾張藩では、本曾のヒノキの山は御留め山という扱いで藩の所有であり、周辺の住民はそこへ入って下草を刈ったり下枝を取ったりする入会権を伝統的に認められていた。しかし御料林への編入にさいしては、そういう既得権をいっさい認めず、立ち入り禁止とした。また所有関係が曖昧なも贅:17のも、御料林に編入してしまった。そういうことで、北は北海道から南は九州まで、広大な面積の御料林が設定された。3日本史の中の天皇』講談社学術文庫)
村上によれば、明治初期に「ごく小規模の資産しかなかった皇室は、明治維新からわずか七十数年のうちに、世界有数の富豪といわれるまでに資産を拡大した」のである。明治維新のころ、国学者も農民も、王政復古によって尾張藩時代からあった山林問題が解決されるだろうと期待した。が、復古した「王政」は、古代を復古させるどころではなかった。近年まで存在した「古代」の痕跡である共同所有を一掃したのである。
このことで私が想起するのは、若いマルクスが学者の道を断念して「ライン新聞」の記者となったときに書いた論説2八四二年)である。彼は当時ライン州で頻発した「木材窃盗」事件をとりあげた。窃盗といっても、貧しい人々が森で木材や枯れ枝を集める慣習的行為が、私有財産制の発達の下で、窃盗として取り締まられるようになっただけである。マルクスはむろん農民を擁護しようとしたのだが、この問題をたんに法律的に考えたため、有効な結論を出せなかった。しかし、後に彼自身が述べているように、この事件が、彼の視点を経済学の分野に向ける一契機となった。つまり、これは貨幣経済の一般的浸透によって生じた事件なのである。
したがって、このような事件は、別にドイツに限定されない。日本でも、明治以後、各地で「入会地」にかかわる紛争が起こった。今でも続いているところがある。『夜明け前』のケースでは、森林は国有化された。が、国有は私有財産制に反するのではなく、逆に、後者の一形態なのだ。私有。国有の反対概念は、共同所有である。島崎藤村の父にとって、この共同所有をとり戻すことが、「復古」であり平田神道の道であった。
一方、柳田国男は農政学者として最初から、「協同組合」に取り組んだ。本来、協同組合は産業資本主義に対抗する「協同自助」的な運動であり、 一九世紀の半ばに、イギリスでロバート・オーウェンなどによって推進され、他の地域にも広がった。だが、ドイツでは、それは国家主導で組織されるものとなり、それが「産業組合法」として日本に導入されたのである。それに対して、柳田の考えはイギリスの協同組合論に立ち帰るものである。また、それは晩年に社会主義を唱えた自由主義者、J。S・ミルの考えに近いものであった。ただ、重要なのは、柳田がそれをたんに輸入するのではなく、同様の試みを日本や中国の近代以前の社会に見ようとしたことである。
先に述べたように、柳田は大学卒業論文で、ヨ一倉沿革」という題で、ヨ一倉」、すなわち、義倉、社倉、常平倉の歴史と機能について論じた。これらは、元来中
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin 10月27日
返信削除本日の柄谷行人氏はジャレド ダイアモンドの実験史学と柳田の方法論の近似性を紹介しつつ、その例に従って柳田国男を読解してしまうという離れ業だった。
批評家、思想家とは剣岳の尾根を落ちずに渡りきるものだが、柄谷氏はそれにも増して力業で山自体を持ってくる。そこが予測不能で素晴らしい。
中谷礼仁NorihitoNAKATANI @rhenin 10月27日
今日の柄谷行人氏の講話は柳田国男、島崎藤村の違いを介して、霊と日本国憲法の関係を問うものでした。とはいえ現場にいないと全くその脈絡がわからないと思いますが、切れ味が素晴らしかった。新書で出るみたい。
返信削除二つの妖怪 思想の散策17
柳田が民俗学に向かった時期、「怪談」が流行し、また、「妖怪」のブームがあった。しかし、彼が民俗学に向かい、「山人」に関心を抱いたのは、そのためではない。また、それは先住民が山に残っているという観点からだけでもなかった。彼は農政学者、農商務省官僚として、実際に「山」にかかわったのであZつ。
先に述べたように、柳田の民俗学は、むしろ神道研究であった。その意味で、彼は貧しい神官であった父松岡約斎の志を継ごうとしたといえる。この点で、島崎藤村が『夜明け前』を書いたことと似ている。ただ、藤村が五七歳でそのような仕事にとりかかったのに対して、柳田は若くしてそれに取り組んだ。しかも、興味深いことに、彼はある意味で、藤村の父の志をし実践的に受け継いだ、といってよい。
『夜明け前』の主人公、青山半蔵が王政復古を渇望したのは、山林を古代のように共有地とすることを実現するためであった。彼は森林の使用を制限する尾張藩を批判し、明治維新に希望を抱いた。しかし、維新後に彼が見たのは、近代西洋化(文明開化)であり、山林の国有化によって一切の伐採を禁じるという仕打ち柄谷行人であった。しかも、ここには、藤村が書かなかった問題がある。それは、山林の国有化が皇室財産である御料林を増やすためになされたということにある。村上重良は、つぎのようにいっている。
たとえば尾張藩では、本曾のヒノキの山は御留め山という扱いで藩の所有であり、周辺の住民はそこへ入って下草を刈ったり下枝を取ったりする入会権を伝統的に認められていた。しかし御料林への編入にさいしては、そういう既得権をいっさい認めず、立ち入り禁止とした。また所有関係が曖昧なものも、御料林に編入してしまった。そういうことで、北は北海道から南は九州まで、広大な面積の御料林が設定された。(『日本史の中の天皇』講談社学術文庫)
村上[重良]によれば、明治初期に「ごく小規模の資産しかなかった皇室は、明治維新からわずか七十数年のうちに、世界有数の富豪といわれるまでに資産を拡大した」のである。明治維新のころ、国学者も農民も、王政復古によって尾張藩時代からあった山林問題が解決されるだろうと期待した。が、復古した「王政」は、古代を復古させるどころではなかった。近年まで存在した「古代」の痕跡である共同所有を一掃したのである。
このことで私が想起するのは、若いマルクスが学者の道を断念して「ライン新聞」の記者となったときに書いた論説(一八四二年)である。彼は当時ライン州で頻発した「木材窃盗」事件をとりあげた。窃盗といっても、貧しい人々が森で木材や枯れ枝を集める慣習的行為が、私有財産制の発達の下で、窃盗として取り締まられるようになっただけである。マルクスはむろん農民を擁護しようとしたのだが、この問題をたんに法律的に考えたため、有効な結論を出せなかった。しかし、後に彼自身が述べているように、この事件が、彼の視点を経済学の分野に向ける一契機となった。つまり、これは貨幣経済の一般的浸透によって生じた事件なのである。
したがって、このような事件は、別にドイツに限定されない。日本でも、明治以後、各地で「入会地」にかかわる紛争が起こった。今でも続いているところがある。『夜明け前』のケースでは、森林は国有化された。が、国有は私有財産制に反するのではなく、逆に、後者の一形態なのだ。私有・国有の反対概念は、共同所有である。島崎藤村の父にとって、この共同所有をとり戻すことが、「復古」であり平田神道の道であった。
一方、柳田国男は農政学者として最初から、「協同組合」に取り組んだ。本来、協同組合は産業資本主義に対抗する「協同自助」的な運動であり、 一九世紀の半ばに、イギリスでロバート・オーウェンなどによって推進され、他の地域にも広がった。だが、ドイツでは、それは国家主導で組織されるものとなり、それが「産業組合法」として日本に導入されたのである。それに対して、柳田の考えはイギリスの協同組合論に立ち帰るものである。また、それは晩年に社会主義を唱えた自由主義者、J・S・ミルの考えに近いものであった。ただ、重要なのは、柳田がそれをたんに輸入するのではなく、同様の試みを日本や中国の近代以前の社会に見ようとしたことである。
先に述べたように、柳田は大学卒業論文で、ヨ一倉沿革」という題で、ヨ一倉」、すなわち、義倉、社倉、常平倉の歴史と機能について論じた。これらは、元来中
力と交換様式
返信削除【新設】力と交換様式
Dの研究
講師名 哲学者 柄谷 行人
講座内容
私はこの講義で、これまで『世界史の構造』などに書いてきた「交換様式」の問題を「力」という観点から再考したい。力といえば、通常、物理的な力だと考えられる。しかし、むしろ観念的な力のほうが重要だ。たとえば、貨幣には物と交換できる力がある。マルクスはそれを物神と呼んだ。それは交換様式Cから生じる力だ。同様に、贈与―お返しという交換様式Aにも、モースが指摘したように霊的な力が働いている。同様に、国家の力(権力)も、たんなる暴力とは違って、支配者に服従するとともに保護を得る、という交換Bから来る観念的な力である。であれば、A・B・Cを越える交換様式Dが、「神の力」とともに開示されるのは、当然である。(講師・記)
日時・期間 土曜 13:00-14:30 2/16 1回
日程 2019年 2/16
受講料(税込み)
2月(1回)
会員 3,240円
一般 3,888円
注意事項 ・教室は変わる場合があります。10階と11階の変更もあります。当日の案内表示をご確認ください。
315 考える名無しさん[] 2018/12/04(火) 22:39:21.96 ID:0
力と交換様式| 新宿教室 | 朝日カルチャーセンター https://www.asahiculture.jp/shinjuku/course/8288e672-0e8e-9598-0379-5bc54a999fc6?fbclid=IwAR34B1eVB_XO9YkFN3VxqSR079A0js7TwGwvArLSukfDsInaViRZidGQtPs
2018/12/29
返信削除350 a[sage] 2018/12/30(日) 21:11:56.24 ID:0
柄谷行人 書評委員が選ぶ「今年の3点」
(1)歴史は実験できるのか 自然実験が解き明かす人類史(ジャレド・ダイアモンドら編著、小坂恵理訳、
慶応義塾大学出版会・3024円)
(2)ラテンアメリカ五〇〇年 歴史のトルソー(清水透著、岩波現代文庫・1296円)
(3)中井久夫集6 1996-1998 いじめの政治学(中井久夫著、みすず書房・3672円)
(1)「歴史は実験できるのか」という場合、実験とは、多くの面で似ているが、その一部が異なるような
複数のシステムを比較して、その差異がもたらした歴史を見ることを意味する。たとえば、太平洋のポリネシア
の島々を比較して、国家形成の過程と原因を探ること。その点で、(2)『ラテンアメリカ五〇〇年』も
「実験」だといえる。著者は40年におよぶ定点観測にもとづいて、ラテンアメリカの歴史と構造を示した。
(3)「いじめの政治学」は精神医学者によって書かれたが、著者によれば、いじめは他人を隷従化するもの
であり、したがって「政治学」の問題である。いじめは、三つの段階を通して完成するのだが、これを見る
ためには、多くのケースの比較考察が不可欠だ。その意味で、本書は実験である。(哲学者)
返信削除346 考える名無しさん[] 2018/12/30(日) 20:40:47.38 ID:0
2019年2月、岩波新書から「世界共和国へ」「憲法の無意識」に続く新刊
『世界史の実験』発売決定
https://www.asahi.com/articles/DA3S13831626.html
>◆柄谷行人 今年書評した本に触発されて、『世界史の実験』(岩波新書)という本を書いた。来年2月刊行予定
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13831607.html
柄谷行人 書評委員が選ぶ「今年の3点」
作家
返信削除「これもまた一つの実験だ。実験とやらを重ねて、事実を見つけ出
すつもりか? 事実なんてものは、ありゃしない。ゾーンだって、そう
だ。すべて誰かの、ばかげた思いつきさ。誰の思いつきか知りたいか?
ばからしい。そんな知識など、何の役にも立たん。誰の良心が知識を求
めて痛む?俺になんぞ良心はない。神経だけだ。どこかの阿呆に罵られ
て傷つき、別の阿呆に褒められて傷つく。奴らは俺の魂も心も食いつく
すんだ。俺の捨てた恥まで食らう。一人一人は教養もあるが、皆、感覚
的に飢えてるんだ。シャーナリストや編集者、批評家、次々と現われる
女たち、皆がまわりで騒ぎ立てる。"原稿をよこせ、よこせ"だ。俺が
作家だなんて。書くことを嫌悪している、この俺が。苦しみだ。病的で
恥ずべき行為だ。痔を押しつぶすような。俺は必要な人間だと思ってい
たが、全くの誤りだった。死ねば二日後には忘れられる存在でしかない。
俺は世界を作り直そうとしたが反対に作り直された。以前は未来が現
在の続きにすぎなかったが、地平線のあたりで混乱して、未来は現在に
合流した。それが分ってるのか?連中は食らうだけで知ろうとしない。」
…
ストーカー(作家に向って)
「どうやら、あなたは素晴らしい人なんですね…」
418 考える名無しさん[] 2019/02/06(水) 23:51:13.20 ID:0
返信削除人間理性の万能を否定し、性の魔力を主張するフロイトの精神分析学は、ダーウィンの進化論、マルクスの資本論とともに、近代の人間観に大きな変革をもたらした。
この『精神分析学入門』は、フロイト自らが精神分析学の全体系とその真髄をわかりやすく詳述した代表的著作である。
〈巻末エッセイ〉柄谷行人
423 考える名無しさん[] 2019/02/09(土) 01:27:01.02 ID:0
返信削除ダイアモンド、ロビンソン編著『歴史は実験できるのか』
(小浜恵理訳、慶應義塾大学出版会)で、次の箇所が示唆的だった。
ダイアモンド「ひとつの島はなぜ豊かな国と貧しい国にわかれたか
――島の中と島と島の間の比較」
太平洋の島々の政治制度を比較したカーチの研究(第1章)によれば、
大きくて生産性の高い島ほど多くの住民を養うことができるので、
最終的に首長の権力が強くなるという。
列島や大陸の首長の権力についても、同様な事が言えるのではないだろうか。
柄谷行人氏は、この著書で述べられた歴史実験と、柳田国男が述べた実験に
共通点を見出し、新著『世界史の実験』(岩波新書)でその論考を発表するようである。
だが、この『歴史は実験できるのか』は、新しい歴史研究の手法として、
ナラティブ(物語)ではない計量的方法を指向している。柄谷氏が、最近、
語ってきた交換様式やイソノミアは、計量的根拠に乏しく、どちらかといえば
ナラティブという事になるだろう。書評や参考文献として、多くの人類学や歴史学の
計量的な研究を参照してはいるが、柄谷氏自身の議論は決して計量的ではない。
柄谷氏は「自分は歴史学者ではなく、構造を考えている」というが、その構造とは
結局、物語の構造ではないだろうか。
イソノミアは確かに不在の中心だが物語の中心ではない
返信削除そもそも複数の物語が小説なのだから
物語批判は共同体批判と同じく批判される対象に依拠しているにすぎない
柄谷はイオニアは植民地だとはっきり述べている
周辺から革命は始まるというわけだ
ただしそれらは偶然に決まる
くじ引きの起源を柄谷は明確にしていないが
イオニアはくじ引きを広めたと思う
返信削除イソノミアは確かに不在の中心だが物語の中心ではない
そもそも複数の物語を柄谷は見ている
複数の物語が長年柄谷が対峙した小説そのものなのだから
物語批判は共同体批判と同じく批判される対象に依拠しているにすぎない
柄谷はイオニアは植民地だとはっきり述べている
周辺から革命は始まるというわけだ
ただしそれらは偶然に決まる
くじ引きの起源を柄谷は明確にしていないが
イオニアはくじ引きを広めたと思う
返信削除イソノミアは確かに不在の中心だが物語の中心ではない
そもそも複数の物語を柄谷は見ている
複数の物語が長年柄谷が対峙した小説そのものなのだから
物語批判は共同体批判と同じく批判される対象に依拠しているにすぎない
柄谷はイオニアは植民地だとはっきり述べている
周辺から革命は始まるというわけだ
ただしそれら実存は偶然に決まる
くじ引きの起源を柄谷は明確にしていないが
イオニアはくじ引きを広めたと思う
返信削除イソノミアは確かに不在の中心だが物語の中心ではない
そもそも複数の物語を柄谷は見ている
複数の物語ことが長年柄谷が対峙した小説の構造そのものなのだから
物語批判は共同体批判と同じく批判される対象に依拠しているにすぎない
柄谷はイオニアは植民地だとはっきり述べている
周辺から革命は始まるというわけだ
ただしそれらの実存は偶然に決まる
くじ引きの起源を柄谷は明確にしていないが
イオニアはくじ引きを広めたと思う
返信削除イソノミアは確かに不在の中心だが物語の中心ではない
そもそも複数の物語を柄谷は見ている
複数の物語こそが長年柄谷が対峙した小説の構造そのものなのだから
物語批判は共同体批判と同じく批判される対象に依拠しているにすぎない
柄谷はイオニアは植民地だとはっきり述べている
周辺から革命は始まるというわけだ
ただしそれらの実存は偶然に決まる
くじ引きの起源を柄谷は明確にしていないが
イオニアはくじ引きを広めたと思う
返信削除イソノミアは確かに不在の中心だが物語の中心ではない
そもそも複数の物語を柄谷は見ている
複数の物語こそが長年柄谷が対峙した小説の構造そのものなのだから
物語批判は共同体批判と同じく批判される対象に依拠しているにすぎない
柄谷はイオニアは植民地だとはっきり述べている
周辺から革命は始まるというわけだ
ただしそれらの実存は偶然に決まる
くじ引きの起源を柄谷は明確にしていないが
イオニアはくじ引きを広めたと思う
イソノミア=くじ引きと言っていい
ポセイドンが海を支配することになったのもくじ引き…
返信削除イソノミアは確かに不在の中心だが物語の中心ではない
そもそも複数の物語を柄谷は見ている
複数の物語こそが長年柄谷が対峙した小説の構造そのものなのだから
物語批判は共同体批判と同じく批判される対象に依拠しているにすぎない
柄谷はイオニアは植民地だとはっきり述べている
周辺から革命は始まるというわけだ
ただしそれらの実存は偶然に決まる
くじ引きの起源を柄谷は明確にしていないが
イオニアはくじ引きを広めたと思う
イソノミア=くじ引きと言っていい
ポセイドンが海を支配することになったのもくじ引き…
柳田は沖縄の王朝史観と島々の間のヒエラルキーを批判するが無理がある
柳田自身が官僚という中心、ヒエラルキーの高みから発言しているからだ
柳田の限界は官僚の限界だ
返信削除そもそも複数の物語を柄谷は見ている
複数の物語こそが長年柄谷が対峙した小説の構造そのものなのだから
物語批判は共同体批判と同じく批判される対象に依拠しているにすぎない
柄谷はイオニアは植民地だとはっきり述べている
周辺から革命は始まるというわけだ
ただしそれらの実存は偶然に決まる
くじ引きの起源を柄谷は明確にしていないが
イオニアはくじ引きを広めたと思う
イソノミア=くじ引きと言っていい
ホメーロスによればポセイドンが海を支配することになったのもくじ引き…
実存の偶然性を忘れるとどうなるか?
柳田は沖縄の王朝史観と島々の間のヒエラルキーを批判するが無理がある
柳田自身が官僚という中心、ヒエラルキーの高みから発言しているからだ
柳田の限界は官僚の限界だ