1987/12
叢書・ウニベルシタス
正常と病理 (新装版)
1 正常と病理に関するいくつかの問題についての試論(一九四三年)(病理的状態は、正常な状態の量的変化にすぎないか?;正常と病理の科学は存在するか?)
2 正常と病理に関する新考(一九六三年‐一九六六年)(二十年後…;社会的なものから生命的なものへ;人間の有機的規範について;病理学における新しい概念―“誤謬”;結語)
著者紹介
カンギレム,ジョルジュ[カンギレム,ジョルジュ] [Canguilhem,Georges]
1904年フランス西南部のカステルノダリーに生まれる。ソルボンヌで哲学を、ストラスブール大学で医学を修め、バシュラールに師事して科学哲学研究者の道を歩む。バシュラールの後任としてパリ大学科学史・技術史研究所長をつとめ、1955年から71年までソルボンヌの教壇に立ち、科学史・科学哲学を講じた。科学哲学、医学、生物学にわたる深い学殖をもとに、概念の生成を歴史的に究明し、アルチュセール派、ラカンの後継者たち、さらにはフーコー、ダゴニェ、ブルデュー、セールらに大きな影響を与えた。1995年死去
滝沢武久[タキザワタケヒサ]
1931年東京生まれ。東京大学教育学部教育心理学科卒業。電気通信大学教授、大妻女子大学教授を経て、電気通信大学名誉教授。2015年死去(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
出版社内容情報
医学の基礎をなす認識論上の問題を哲学・心理学・生物学・社会学等の広範な視野から検討し,生命科学の意味を根底から問う。科学批判の認識論の立場から生命科学の根本問題を問いなおし、生命を物理・化学現象に解消させる機械論を徹底的に批判しつつ、正常と病理の概念を「生命に内在する規範」をもとに定義しなおして、現代医学・生命科学はもとより、科学哲学に新たな展望をひらく。エピステモロジーの古典的名著にしてフランス現代思想のオリジンとして必読書!
- 緒言
Ⅰ 正常と病理に関するいくつかの問題についての試論(1943年)
第二版の序
序論
第一章 病理的状態は、正常な状態の量的変化にすぎないか?
Ⅰ 問題への導入
Ⅱ オーギュスト・コントおよび《プルセの原理》
Ⅲ クロード・ベルナールおよび実験病理学
Ⅳ ルリッシュの考え
Ⅴ 理論の意味
第二章 正常と病理の科学は存在するか?
Ⅰ 問題への導入
Ⅱ いくつかの概念の批判的検討
――正常と病理および病気、正常なものと事件的なもの
Ⅲ 規範と平均
Ⅳ 病気、回復、健康
Ⅴ 生理学と病理学
結論
Ⅱ 正常と病理に関する新考(1963年―1966年)
二十年後
社会的なものから生命的なものへ
人間の有機的規範について
病理学における新しい概念――《誤謬》
結語
原註
訳註
訳者あとがき
人名牽引
文献目録
参考文献一覧
ジョルジュ・カンギレム[カンギレム ジョルジュ]
(Georges Canguilhem)
1904年フランス西南部のカステルノダリーに生まれる。ソルボンヌで哲学を、ストラスブール大学で医学を修め、バシュラールに師事して科学哲学研究者の道を歩む。バシュラールの後任としてパリ大学科学史・技術史研究所長をつとめ、1955年から71年までソルボンヌの教壇に立ち、科学史・科学哲学を講じた。科学哲学、医学、生物学にわたる深い学殖をもとに、概念の生成を歴史的に究明し、アルチュセール派、ラカンの後継者たち、さらにはフーコー、ダゴニェ、ブルデュー、セールらに大きな影響を与えた。1995年死去。邦訳書に、本書『正常と病理』、『生命の認識』、『反射概念の形成』、『科学史・科学哲学研究』、『生命科学の歴史』(以上、法政大学出版局)がある。
滝沢 武久[タキザワ タケヒサ]
1931年東京生まれ。東京大学教育学部教育心理学科卒業。電気通信大学教授、大妻女子大学教授を経て、電気通信大学名誉教授。2015年死去。著書に、『知能指数』(中公新書)、『認知発達の心理学』(白水社)、『子どもの思考力』(岩波新書)、『子どもの思考と認知発達』(大日本図書)、訳書に、ピアジェ『心理学と認識論』(誠信書房)、ピアジェ『思考の誕生』(朝日出版社)などがある。
NAMs出版プロジェクト: 『ミシェル・フーコー思考集成 全10巻』筑摩書房 目次:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2014/03/10.html■内容
1978
219 フーコーによる序文 廣瀬浩司訳
G・カンギレム『正常と病理』(ボストン、D・リーデル、一九七八年、9-20ページ)所収。
「カヴァイエス、コイレ、バシュラール、カンギレムなどの作品の等価物をフランス以外に求めるとするならば、それはおそらくフランクフルト学派のなかに見いだされることだろう。もちろん文体はかなり違うし、研究方法や研究分野も異なる。一方はデカルトの記憶につきまとわれ、他方はルターの亡霊におびやかされてはいるが、最終的にはどちらも同じ種類の問題を提起している。(…)フランスの科学史とドイツの批判理論のどちらにおいても、根底から検討すべきものは理性である。理性は、その構造的な自律性そのものにおいて、独断論と専制主義の歴史をかかえこんでいる。したがって理性が解放の効果を持つことができるのは、おのれ自身から解放されたときだけなのだ。」(本文8頁より)
正常と病理 / ジョルジュ・カンギレム[著] ;
滝沢武久訳. -- 法政大学出版 局, 1987. -- (叢書・ウニベルシタス ; 225) 読書メモ
[使用上の注意]馬鹿で無思慮な人間のノートですので内容は保証しません。
- Angèle Kremer Marietti, LES CONCEPTS DE NORMAL ET DE PATHOLOGIQUE DEPUIS GEORGES CANGUILHEM
正常と病理 / ジョルジュ・カンギレム[著] ; 滝沢武久訳. -- 法政大学出版 局, 1987. -- (叢書・ウニベルシタス ; 225)
Le normal et le pathologique / par Georges Canguilhem. -- Presses univ ersitaires de France, 1966. -- (Galien : histoire et philosophie de la biologie et de la medecine)
Le normal et le pathologique / Georges Canguilhem. -- 9e ed. -- Paris : PUF, c2003.
著者: Canguilhem, Georges, 1904-
●疾病論上の二項対立
「医学者たちの考えは、病気についてのこうした二つの表象(病原体のような〈存在論〉と調和の攪乱のような〈全体論〉のこと――引用者註) の一方から他方へ、二つのかたちの楽観論の一方から他方へ揺れ動き続けた。そして揺れ動くたびごとに、必ずどちらかの側にとっての何かしらもっともな理由 を、新しく明らかにされた病因の中に、見つけたのだった。欠乏症の病気およびいっさいの伝染病や寄生病は、存在論的理由に軍配を挙げ、内分泌障害および不 十分、困難、異常、障害などを示す接頭辞dysのついたあらゆる病気は、ダイナミズムの理論つまり機能的理論に軍配を挙げる。にもかかわらず、これら二つ の考え方には一つの共通点がある。すなわち、いずれも病気の中に――病/気であるという経験の中にといった方がいい――戦いの場をみている。一方は有機体 と外部のものとの戦いであり、もう一方は内部のせめぎ合う力同士の戦いである。一方は一定の本源的要素の存在や欠如によって、もう一方は有機体全体の配置 替えによって、病気は健康状態から区別される。一つの性質が他の性質とは異なるように、病理的なものは正常なものと異なるのである」(カンギレム 1987:15-16)。
●規範の哲学/規範の不在
「完全なものはあらゆる完全さをもっているものだから、自己を存在させることの完全さももっているだろうと考えて、その完全さの性質から出 発して、完全なるものの存在を証明できるかどうかを、人は長い間追求してきた。完全な健康が事実上存在するかという問題もこれと同様である。まるで完全な 健康が、批判的な概念ないし理想型ではないかのようではないか? 厳密にいえば規範は存在しない。規範は、存在するものを低く評価して修正可能とならしめ る役割を果たしている、完全な健康が存在しないということは、単に、健康の概念が存在概念ではなくて、規範概念だということだ。規範の役割と価値は、存在 するものにかかわり合って、これを変更させることにある。このことは、健康が空虚な概念だということを意味しない」(カンギレム 1987:55)。
●衛生の規範
「衛生の規範の定義は、政治的見地からすると、統計的に見た住民の健康や、生活条件の衛生や、医学に焦点を合わせた予防と治療の処置の均等 な拡張などに向けられた関心を前提とする。オーストラリアでは、マリア・テレジアとヨゼフ二世とか、帝国健康委員会(Sanita~ts- Hofdeputation. 1753)を創設して「主要衛生規則」(Haupt Medizinal Ordnung)を公布することによって、公衆衛生の制度に法律的規定を与えている。主要衛生規則は、一七七〇年、「衛生規範」(Sanita~ts- normativ)に置き代えられた。それは、医学や獣医技術や薬局や外科医養成や人口統計や医学統計などに関連する四十の規定から成る。ここで/は規範 と規格化に関して、実体とともに言葉をもつわけである」(カンギレム 1987:228-229)。
●規範・規格化
「……正常という用語そのものは、教育制度と衛生制度という二つの制度特有の語彙から出発して、通俗語の中を通って、そこへ移植されたので ある。そして、これらの制度の改革も少なくともフランスに関する限り、フランス革命という同じ原因の影響のもとで、同時におこった。正常というものは十九 世紀に、学校の模範や身体器官の健康状態をさし示す用語だった。理論としての医学の改革それ自体が、実地としての医学の改革にもとづいている。すなわち、 理論としての医学の改革は、フランスでも、オーストラリアでも、病院の改革と密接に結びついている。病院の改革と教育改革とは、合理化の要請を表してい る。合理化の要請は、出現し始めた工業機械化の影響のもとに、経済にも政治にも現れている。そして結局は、それ以後、規格化 (normalisation)と呼ばれたものに帰着することになる」(カンギレム 1987:219)。
●規範概念が、病理概念を相対化する
「もし病気がやはり一種の生物学的規範だということが認められるなら、病理的状態はけっして異常といわれることはできず、一定の場面との関 係の中で異常だといえることになる。逆に病理的なものは一種の正常なものなのだから、健康であることと正常であることとはまったく同じではない。健康であ ることは、一定の場面で正常であるということだけでなく、その場面でも、また偶然出会う別の場面でも、規範的であるということでもある。健康を特徴づける ものは、一時的に正常と定義されている規範をはみ出る可能性であり、通常の規範に対する侵害を許容する可能性、または新しい場面で新しい規範/を設ける可 能性である」(カンギレム 1987:175-176)。
●クロード・ベルナールの平均・嫌悪
「クロード・ベルナールは、平均で表された生物学的分析や生物学的実験のすべての結果に対して、嫌悪感を示していた」(カンギレム 1987:130)。
●健康の2つの意味
「正常なものと異常なものとを、相対的な統計的頻度で定義して、病理的なものを正常とみなすやり方は、おそらく存在する。ある意味で、完全 な健康が続くことは異常なことといわれている。しかし、それは健康という言葉には2つの意味があるということである。絶対的な意味での健康は、有機体の構 造と行動の理想型を示す規範概念である。この意味では、よい健康を語ることはひとつの冗語法(redundancy?:引用者)である。なぜなら、健康と は器官がよいことだからだ、資格ありとされる健康は、可能な病気に対する個々の有機体のある種の傾向と反応を示す記述概念である」(カンギレム 1987:116)。
●ベルナールとコント
「クロード・ベルナールは『実験医学研究序説』(仏語省略)を著すにあたって、効果的作用が科学と同じだということを主張しようとしただけ でなく、同時にこれと並行して、科学は現象の法則の発見と同じだということも主張しようとした。この点で、コントと完全に一致している。コントが彼の生物 哲学において生存条件の学説と呼んでいるものを、クロード・ベルナールは決定論とよんでいる。彼はこの用語をフランスの科学的言説の中に、最初にもち込ん だと自負している」(カンギレム 1987:86)。
●ジョン・ライル(John A. Ryle*)論文「正常の意味」
The meaning of normal. 1947
「オックスフォード大学の社会医学の教授であるこの著者は、何よりもまず、生理的規範とくらべて個人にある種の偏りがみられたとしても、そ れだけでは病理的指標ではありえないことを証明しようと努めている。生理的変異性が存在することは正常である。それは順応にとって、したがって生存にとっ て、必要なのである」(カンギレム 1987:252)Canguilhem G. Le Normal et le Pathologique, Paris, P.U.F., 1966.
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*John Alfred Ryle (1889–1950) was a British physician and epidemiologist.
"He was born the son of Brighton doctor R J Ryle and brother of the Oxford philosopher Gilbert Ryle. He was educated at Brighton College and Guys Hospital where he qualified in 1913. He served in the military during WWI and afterwards qualified MD at the University of London. After teaching at Guys Hospital he was appointed in 1935 Regius Professor of Physic [not Physics; "Physic" here is an archaic term for Medicine] at the University of Cambridge. In 1943 he was appointed chair of the newly created Institute of Social Medicine at the University of Oxford, initiating the academic discipline of Social Medicine (Epidemiology).[1] He was elected a Fellow of the Royal College of Physicians in 1924 and delivered their Goulstonian Lecture in 1925 and their Croonian Lecture in 1939.From 1932 to 1936 he was Physician to King George V's household and then Physician Extraordinary to the king.Ryle was politically active at Cambridge, helping Jewish scholars emigrate from Germany and Austria before World War II. During World War II, he was working at Guy's Hospital to help them prepare for the Blitz. He had married Miriam P Scully in London in 1914. They had several children, including astronomer Martin Ryle"(from Wikipedia in English).
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