__
SAITO Yasunori (@ysaito_nkk) | |
「我々はいま教養主義を復活させようとしているのではない。現実に立ち向かうときに教養がいるのだ」→柄谷行人×横尾忠則 なんのために読書をするのか:朝日新聞デジタル https://digital.asahi.com/articles/ASKDP636KKDPUCLV013.html (以下と同内容だが写真が追加) |
__
何のため、本を読むのか 柄谷行人さん×横尾忠則さん、書評委員対談:朝日新聞デジタル
https://digital.asahi.com/articles/DA3S13297315.html?rm=150何のため、本を読むのか 柄谷行人さん×横尾忠則さん、書評委員対談
2018年1月1日05時00分
哲学者の柄谷行人さん、13年目。美術家の横尾忠則さん、9年目。本紙書評委員を長く務める二人が、坂口安吾や三島由紀夫、18世紀の思想家カントやスウェーデンボルグらに触れながら、書評や子どもの頃の読書、時代との向き合い方などについて縦横に語りあった、初めての異色対談です。
――お二人にはいくつか共通点がありますね。ともに兵庫県出身で、柄谷さんは文芸批評家から哲学者に、横尾さんはグラフィックデザイナーから画家に転向しました。また昨年は互いに「書評集」を出しました。
横尾 僕と柄谷さん、視覚と言語の違いはありますが、風土的な共通点がありますね。見た目ですが、柄谷さんはちょっと不良っぽい。そこは大事な点。
柄谷 坂口安吾の言葉でいうと「無頼」。頼るものがないという意味で、僕は無頼ですね。
横尾 無頼っていうのは無手勝流で流派がない。創作の根幹は無手勝流と無邪気さですよ。それから関西人の言葉と身体性の一致は重要だと思うんです。お笑い系がそうです。
柄谷 僕は中学生のころ、漫才の台本を書いていたんです。関西人ですね。
横尾 僕ね、二人の職業の共通性に非常に興味があって。日本のグラフィックのモダニズムに対して、僕は自分の作品を通して批評的な行動をとっていましたが、45歳で画家に転向すると、何を描くべきか、いかに描くべきかという当初の問いを超えて、いかに生きるか、私は何者かという哲学的な世界に入っていく。そこが柄谷さんの転向と重なるような気がして。
柄谷 面白いですね。いま転向のことを言われたけど、横尾さんに比べれば、僕なんかはスムーズな移行と思われる。文芸批評をしていたから、書評などすぐやれるだろうと。でも違うんですよ。で、僕が書評委員を依頼されたのは、文学も、大学も、いよいよやめようと思っていたころです。だけど最初は断った。書評は嫌だなという記憶が強かったから。
横尾 どんな記憶ですか。
柄谷 僕の書評集には朝日の書評107本のほか、20代以降の古い書評も入っていますが、当時書評を頼まれた本はたいがい気に入らなかった。それを無理にほめるのも、けなすのも嫌なもんです。しかし、新聞の書評委員は自分で書評したい本を選べる。書いた後味も悪くない。委員を13年も続けられたのは一つにそれがある。ただ、何を選んで書くか常に苦しみますね。自己責任だから。
横尾 僕が本をちゃんと読みだしたのは40代からです。それまではグラフィックの仕事と生活が忙しくて。だから本と無縁の人間だった僕も、書評委員は身の程知らずなので断ったんですが、魔が差してね。この際、自分のテリトリーを拡張することで未知のゾーンの経験がアートの概念を刺激するかもしれないと引き受けました。ただ視覚と対立する言葉の導入は僕には危険な賭けでもあった。というのは、絵の制作時は言葉と思考を排除する必要があるから。
――書評で特に印象に残っているのはどんな本ですか。
柄谷 僕は取り上げないと決めていた文学の本を4冊ほど書評したのが意外でしたね。津島佑子の『黄金の夢の歌』や明星聖子の『カフカらしくないカフカ』などが印象的でした。
横尾 僕はわりと評伝的な本が多かった。ピカソなど、天才の病理的なところも含めて、その人間がどう運命と戦ったか、どう従ったのかに興味がありましたね。それと死にまつわる書評も全133冊中、50冊ほどしました。死は僕にとって生活必需品ですから、死を抜きにして人生も創造も考えられない。
柄谷 ショーン・エリスとペニー・ジューノの『狼(おおかみ)の群れと暮らした男』という本も面白かった。オオカミについて書く人は多いけど、自分がオオカミの群れに入って暮らした人はいないと思う。奥さんが別れて去ろうとすると、遠ぼえで呼び戻そうとするんです。柳田国男の日本オオカミ生存説を思い起こしながら読みましたね。
*
――ところで10代の自我の形成期に読んだ本は何ですか。
柄谷 小学生のころに繰り返し読んだのは、家にあった吉川英治の『三国志』やデュマの『巌窟王(モンテ・クリスト伯)』など。総ルビなので読めたし、意味もだいたいわかりましたね。中学生のころは、ドストエフスキーの主要な小説は文庫でみな読みました。
横尾 中学のときに挿絵にひかれて江戸川乱歩と南洋一郎の小説を読んだくらい。あとは偉人伝かな。人格が形成される10代は僕の原郷です。故郷で経験し、記憶し、思索したことは全て僕のパンドラの箱に封印されていますが、人生の後半になった今、その箱の中の不透明なものは全て創造に変わって、現在の僕の肉体に点滴となって注入されています。そんなわけで10代は自然が図書館で、そこが勉強の場だったと思います。
柄谷 僕も本だけ読んでいた子どもじゃなかったですよ。むしろ運動選手でした。高校のときは、バスケットボールのキャプテンでした。後年、体力が低下したので、野球をやるようになったけど、70歳を過ぎてもピッチャーをやっています。
横尾 そういう柄谷さんの肉体性は三島由紀夫さんが最もほしかったもの。三島さんは文学者として成功してから、肉体と精神を合体させようとした。
柄谷 僕が文壇で批評家になったのは1969年で、三島さんが自決する1年前です。その前に三島論を書いていたから、彼がもう少し生きていたら、僕は会っていたかもしれない。
横尾 会って話されたら、三島さんはうらやましく思ったかもしれない。柄谷さんは、肉体と知をうまく自分の中で統合しているように見えるから。
柄谷 別の次元では分裂があるんですけどね。
*
――肉体と知の統合とは?
横尾 肉体を追究していくと知という問題にぶつかる。五感を含めた肉体感覚が知のレベルに達するかどうかは別として、本当の知は五感の外側と接触すべきだと思います。それは直感、第六感、霊感の世界です。
柄谷 肉体と知が結びつくのは、手仕事ですね。西洋のルネサンスも、結局、手仕事です。それが横尾さんの思考のベースにあると思う。
横尾 そういう意味では、アーティストは同時に職人でもあるわけで、自分は芸術家という思い上がりは間違いですね。
柄谷 僕も自分の文芸批評を振り返ってみると、最初に夏目漱石について書いたときから、近代文学よりルネサンス的な文学を志向していた。だから近現代の文学に対する嫌悪が強まって哲学に転向したんですね。
横尾 僕も古典が好きです。プラトンの『パイドン』やキケローの『老年について』、セネカの『人生の短さについて』や中国の荘子や老子、『菜根譚』とかも好きですね。僕は五感を超えたレベルで出あう宗教的体験に興味があるんです。
柄谷 僕の場合、文学も宗教も社会科学も哲学も、別に違いはありませんね。というか、近年になって、それらを同時に見られる観点をもてるようになった感じがします。
横尾 柄谷さん、スウェーデンボルグはいかがですか。彼は僕が最も大きい影響を受けた神秘主義者ですけど。
柄谷 彼で興味があるのは、カントとのこと。カントはスウェーデンボルグに興味をもち、面会しようとしたんですね。
横尾 カントは彼を批判したと言われていますよね。
柄谷 批判し、同時に、称賛したわけです。否定しかつ肯定する、カントの「二律背反」という考えは、そこから出てきたと思います。
横尾 カントはあくまで理性を優先していたので、スウェーデンボルグの視霊現象が形而上学(けいじじょうがく)の対象になるのかと食いついたんでしょうか。
柄谷 というより、形而上学を批判したんですよ。視霊者の夢と同じじゃないか、と言って。スウェーデンボルグは、他にも、意外な人に影響を与えていますよ。日本でいうと鈴木大拙。
横尾 大拙は若いころにスウェーデンボルグの『天界と地獄』を訳していますね。大拙が語る「日本的霊性」にも僕は興味がありますが。
*
――本が読まれない時代と言われていますが、読書の役割って何でしょう。
横尾 読書は人を自由にさせるという側面と、束縛するという側面があると思うんだけど、それは読む人の問題ですね。何を求めて読むのかという。
柄谷 僕はかつて、『必読書150』という本を編纂(へんさん)したことがあります。その中で、こういうことを言いました。「我々はいま教養主義を復活させようとしているのではない。現実に立ち向かうときに教養がいるのだ」と。カントもマルクスも読まないで何が考えられるのか、と言ったのです。確かに、読む必要のある本がある。しかし、皆が読まなくてもよい。それを必要とする人が読めばいい。それは昔もスマホ時代の現代でも同じことで、本を読む人は読む、読まない人は読みません。世代の問題でもない。
――最後に、現代をどんなふうにとらえていますか。
横尾 終末時計が音を刻んでいるという感じ。戦時中の子ども時代の個人的現実と、今の社会的現実が結びついています。
柄谷 同感です。現代は終末に近づいていると感じている。それは理論的にも言えることですが。
横尾 だから、僕は先のことを考えません。未来は僕が決めるんじゃなくて時代が決める。そんな時代に対して受動的になることで、逆に時代を読むことができ、現実にも対応できると思います。(司会・構成 依田彰)
◇
からたに・こうじん 1941年、兵庫県尼崎市生まれ。哲学者。米コロンビア大学客員教授などを経て2005年度から本紙書評委員。著書に『世界史の構造』『哲学の起源』『帝国の構造』『日本近代文学の起源』『柳田国男論』など多数。海外での講演も多く、主著は英語、中国語、韓国語などに翻訳されている。
◇
よこお・ただのり 1936年、兵庫県西脇市生まれ。美術家。2009年度から本紙書評委員。画集に『全Y字路』『横尾忠則全版画』、小説に『ぶるうらんど』、随筆に『インドへ』『言葉を離れる』『死なないつもり』など多数。72年のニューヨーク近代美術館をはじめ、各国の美術館で個展を開催している。
◇朝日新聞での書評を収めた柄谷行人さんの『柄谷行人 書評集』は読書人から、横尾忠則さんの新書『本を読むのが苦手な僕はこんなふうに本を読んできた』は光文社から、それぞれ刊行されています。
◆「読書」の通常紙面は7日に掲載します。
0 件のコメント:
コメントを投稿