http://www.freeassociations.org/
第二四章 いわゆる本源的蓄積
第一節 本源的蓄積の秘密
…注
一八九 資本制的生産が最も早く発展したイタリーでは、農奴制諸関係の解消も最も早く行なわれた。ここでは農奴が、土地にたいする何らの時効的権利も確保しない前に解放された。だから、彼の解放はただちに彼を無一物なプロレタリアに転化したが、そのうえにこのプロレタリアは、すでにローマ時代からつづいてきたたいていの都市では、新たな主人がちゃんと出来ているのを見いだした。一五世紀末いらいの世界市場革命が北イタリーの商業的優越をくつがえしたとき、反対の方向に運動がおこった。都市労働者が大量的に農村へ駆逐され、そしてそこで、園芸方式で経営される小規模耕作に未曾有の隆盛をもたらした。
…
第六節 産業資本家の創生記
…
公信用すなわち国債の制度──その起原は、ゲヌアやヴェネチア〔いずれも北イタリーの古い共和国〕ではすでに中世に発見される──は、マニュファクチュア時代中に全ヨーロッパに普及した。海上貿易や商業戦争をともなう植民制度が、この制度の温室として役だった。かくして、この制度はまずオランダで確立された。 》(世界の大思想版)
1:13
第一三章 機械と大工業 第一節 機械の発達
…
注
八九 すでに彼以前に、きわめて不完全なものだったとはいえ機械が、前紡に──おそらく最初にはイタリーで──使用された。批判的な技術学史は、総じて、一八世紀のどんな発明も一個人に属することのいかに少ないかを証明するはずである。今までには、こうした著作はあらわれていない。ダーウィンは、自然的技術学の歴史、すなわち、動植物の生活のための生産用具としての動植物の諸器官の形成に、関心を向けた。社会的人間の生産…
Chapter 15: Machinery and Large-Scale Industry 1. THE DEVELOPMENT OF MACHINERY
…
happened. In his programme it was called a machine ‘to spin without fingers’.4
^
CHAPTER 15:
4. Spinning machines had already been used before his time, although very imperfect ones, and Italy was probably the country where they first appeared. A critical history of technology would show how
CHAPTER 26: THE SECRET OF PRIMITIVE ACCUMULATION
注
1. In Italy, where capitalist production developed earliest,
876(1976年)というが未確認
3:36
第三六章 先資本制的なるもの
…
一二世紀および一四世紀にヴェネチアやゲヌアでつくられた信用組合は、古風な高利の支配と貨幣取扱の独占とから自らを解放するという、海上貿易およびこれにもとづく卸売業の必要から生じたものである。
http://www.mlwerke.de/me/me23/me23_741.htm#M189
(189) In Italien. wo die kapitalistische Produktion sich am frühsten entwickelt, findet auch die Auflösung der Leibeigenschaftsverhältnisse am frühsten statt. Der Leibeigne wird hier emanzipiert, bevor er irgendein Recht der Verjährung an Grund und Boden gesichert hat. Seine Emanzipation verwandelt ihn also sofort in einen vogelfreien Proletarier, der überdem in den meist schon aus der Römerzeit überlieferten Städten die neuen Herren fertig vorfindet. Als die Revolution des Weltmarkts seit Ende des 15. Jahrhunderts die Handelssuprematie Norditaliens vernichtete, entstand eine Bewegung in umgekehrter Richtung. Die Arbeiter der Städte wurden massenweise aufs Land getrieben und gaben dort der nach Art des Gartenbaus getriebnen, kleinen Kultur einen nie gesehenen Aufschwung. <=
http://postcapitalistproject.org/node/39
Marx picks up and develops these multilinear threads of argument in new ways during his last decade, 1872-83. Three strands of his writings are important here. The first of these strands is found in the changes he introduced to the 1872-75 French edition of Capital. I confine myself here to one passage that bears on the issue of multilinearism and which cannot be found in standard English or German editions, this one from the section on primitive accumulation, where he discussed the origin of capitalism in the expropriation of the peasantry. In the standard English and German editions, Marx writes: "The expropriation of the agricultural producer, of the peasant, from the soil, is the basis of the whole process.... Only in England, which we therefore take as our example, has it the classic form" (Marx 1976: 876; emphasis added). However, in the later French edition, this passage reads: "But the basis of this whole development is the expropriation of the peasants. So far, it has been carried out in a radical manner only in England.... But all the countries of Western Europe are going through the same development" (Marx 1963: 1170-71; emphasis added). Here, he left room for an alternative development for societies outside Western Europe, including India, China, and Russia.[3]
アナール学派(仏: L'école des Annales、英: Annales School)は、20世紀 ... 雑誌『 アナール』は伝統的な歴史学への批判から出発したが、1930年代にフェーヴルが .... ドイツやイギリスの史学者の多くはアナール学派には懐疑的であった一方、構造面に着目 ...
歴史学派(れきしがくは / 独:Historische Schule)は、19世紀初めのドイツにおいて法学・経済学の分野で起こった学派で、啓蒙 ...
新聞、雑誌はあたかもそれがフランスのアナール学派の影響下に起っているかのように説いている。そういう側面がばあい ... 歴史と社会』が現代ドイツ史とナチスの社会構造に力点を置いていた。大野さんはその中心 ...
(Adobe PDF)
アナール学派の研究方法がドイツ歴史学界ではどのように議論され,. ドイツの社会史的な歴史学の成立にどのように関連した ...
ドイツ歴史学派は、19 世紀終わりにカール・メンガーやオーストリア学派との長い Methodenstreit 論争を開始するまでは、自分 ...
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歴史を語る32ページ
同質化し、帝国主義が他民族に同質性を強要するのと対照的である。これはローマ帝国に固有の原
理ではない。たとえば、二〇世紀まで続いたオスマン帝国について、アナール学派のロベール·マン
トランは述べている。
オスマン帝国時代には、地方住民をイスラム化することも、オスマン化することもけっしてな
かったのです。この現実を現代政治の諸問題がいかに押し隠そうとも、事実はそうなのです。地
方住民は、自分たち固有の民族性や宗教、 、ときには政治体制や独立性、経済活動までも、
独自に保持していたのです。トルコ人たちは金や産物や奴隷を要求しましたが、各住民や各集団
を、是が非でもオスマン化·トルコ化しようとはしませんでした。各地域は固有の性格を保って
いたのです。このことは、一八世紀ととりわけ一九世紀における民族主義の勃興を、説明してく
れるでしょう。(Tブローデル歴史を語る?』福井憲彦、松本雅弘訳、新曜社)32ページ
オスマン·トルコというr帝国」の解体、アラビアの諸民族の独立は、西欧諸国家の「帝国主義」
の下になされた。しかし、そのとき、西欧の諸国家は、オスマン·トルコの帝国主義から諸民族を解
放するのだ、と思念していたのである。そして、そのことが近代の帝国主義の特徴なのだ。つまり、
「帝国主義」とは、「帝国」の原理なしに、ネーション=ステートが他のネーションを支配することである。
したがって、オスマン・トルコを解体させた西洋列強は、たちまちアラブの民族主義者の反抗に出会うほかなかった。
定本4-44ページ
「帝国
世界共和国へ
国民国家の延長としての帝国は 、旧来の 「帝国 」ではなく 、 「帝国主義 」と呼ばれるべきものです 。ここ
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