クープマンス KOOPMANS ‘Measurement without theory'1947
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/koopmans-1952-measurement-without-theory.html@
浜田宏一
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/blog-post_14.html
浜田宏一
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クープマンス KOOPMANS 1952 ‘Measurement without theory'1947
https://elaine.ihs.ac.at/~blume/koopmansres.pdf
https://elaine.ihs.ac.at/~blume/koopmansres.pdf
コールズ委員会を追いやる切っ掛けはフリードマンであったことは想像に難くない。両者の対立が表面化したのは、コールズ委員会の中心メンバーであった、クープマンスがアーサー·バーンズとウェスリー・ミッチェル
の共同論文「景気循環の測定(Measuring Business Cycles)』に対して、その背後に何の理論もない
単なる計測にすぎない、と厳しく批判してからである.
クープマンスは「経済理論は時系列データの観察値以外の、つまり、消費者の動機、習慣、企業家の利潤極大化目標についての
知識の上に成り立っている。変数 の相互関係の規則性を単に観測しただけではそのような規則性の間にある行動方程 式を認めたことに
はならない。実験できない場合には、このような識別は、各構造方程式の形が特定された場合にのみ可能となる 。…
この本[アーサー·バーンズとウェスリー・ミッチェルの共同論文「景気循環の測定(Measuring Business Cycles)』]には特に重
要な予測の前提となる構造方程式の識別問題、計測上の問題には何ら触れられていない見たところ、経済的活動の影響を量的に把握
することに焦点がおかれ、そのような活動の動機については全く配慮されていない経済変数の動きはあたかも溯騰するマグマの底が突き破れずに、噴火し続ける神秘的な火山のようにして研究されている。たしかに、火山の歴史を知ることは今後の火山活動を予測す
る上で大事であるとしても、予測の問題、その可能性、限界、構造変化の有るなしが全く議論されていない利用した手法がどうであ
るとか、そこから得られた結果が経済政策の問題にどのような影響をもつか、まったく議論されていない」と批判した。
Koopmans
(1947), p.167
宮川フリードマン論考より
166:
On the other hand, economists do possess more elaborate and better established theories of economic behavior than the theories of mo- tion of material bodies known to Kepler. These economic theories are based on evidence of a different kind than the observations embodied in time series: knowledge of the motives and habits of consumers and of the.profit-making ob- jectives of business enterprise, based partly on introspection, partly on interview or on infer- ences from observed actions of individuals - briefly, a more or less systematized knowledge of man's behavior and its motives. While much in these theories is incomplete and in need of reformulation and elaboration (particularly in regard to behavior over time under conditions of uncertainty), such theory es we have is an indispensable element in understanding in a quantitative way the formation of economic variables. For according to that theory the relevant economic variables are determined by the simultaneous validity of. an equal number of "structural" equations (of behavior, of law or rule, of technology). The very fact that so many relations are simultaneously valid makes the observation of any one of them difficult, and sometimes even impossible. For any ob-
167:
There is no sign in the book of an awareness of the problems of determining the identifi- ability of, and measuring, structural equations as a prerequisite to the practically important types of prediction. Measurable effects of economic actions are scrutinized, to all appear- ance, in almost complete detachment from any knowledge we may have of the motives of such actions. The movements of economic variables are studied as if they were the eruptions of a mysterious volcano whose boiling caldron can never be penetrated. There is no explicit dis- cussion at all of the problem of prediction, its possibilities and limitations, with or without structural change, although surely the history of the volcano is important primarily as a key to its future activities. There is no discussion whatever as to what bearing the methods used, and the provisional results reached, may have on questions of economic policy.
参考:
…米国の経済学界は、1920年代から1930年代に掛けても、ウェズリー・クレア・ミッチェルが先頭に立って実証分析の全盛期を迎えたことがあった、とフォックスは指摘している。しかし、データを十分に収集すれば景気循環をはじめとする経済の謎は解明される、というミッチェルの目論見は外れ、大恐慌は彼を困惑させた。さらに、NBERにおける彼の後継者アーサー・バーンズと共著した1946年の景気循環に関する著書は、チャリング・クープマンスの有名な批判(「理論なき測定(Measurement Without Theory)」*2)によって
The movements of economic variables are studied as if they were the eruptions of a mysterious volcano whose boiling caldron [sic] can never be penetrated.
(拙訳)
経済変数の推移は、恰も煮えたぎる噴火口の中を決して見通すことのできない謎めいた火山の噴火であるかのように分析されている。
とこき下ろされた。
塚本ミッチェル(制度派)関連論考
1/ Weekly lecture was on “what should come first: theory or data?” so here’s tweetstorm on the history of quantitative economics
Focus was on 1952 ‘Measurement w/o theory' debate b/w Cowles & NBER – replayed as structural vs reduced-form in 2000s & uses of machine learning now
9 hours ago 、 28ツイート、14分読んで Twitterで読む
2 /これは計量経済学の歴史に関するスレッドではなく、帰納的/演繹的二分法に取り組むeconに関する詳細ですが、読書リストとして使用されるように書かれています。 また、つぶやきストーミング=大きなトレンドを強調しすぎて似顔絵を描いていますが、それでも重要なことは詳細なことですので、ヒントにすぎません。
Measurement Without Theory Author(s): Tjalling C. Koopmans ... - IHS
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略歴
- 1910年 オランダのグラーヴェランドで生まれた。
- 1927年 ユトレヒト大学に入学し数学を専攻したが、3年後の1930年に理論物理学に転向した。
- 1932年 ユトレヒト大学より物理学と数学のBAを取る。
- 1933年 ユトレヒト大学より物理学と数学のMAを取得する。
- 1936年 ライデン大学より物理学と数学のPh.D.を得る(クープマンスはヤン・ティンバーゲンと知り合い、ティンバーゲンの下で数理経済学の研究し始め、計量経済学や統計学にも研究の手を広げた)。
- 1936年〜1940年 ジュネーブにある国際連合で働く(その期間中に『経済的時系列の線形回帰分析』(1937年)と『タンカー運賃率とタンカー建造』(1939年)を出版)。
- 1940年 アメリカ合衆国に移住。ワシントンD.C.にあった政府の船荷調整局の統計学者として戦時中を過ごす。
- 1944年 シカゴ大学に付属していたコウルズ委員会に加わる。シカゴ大学で教鞭を執り、最適経路選択に重点を置いた交通経済学を発表した。
- 1948年〜1950年 『動学経済学モデルにおける統計的推論』の共同編集にあたる(1950年出版)。
- 1950年 計量経済学会会長となる。
- 1955年 コウルズ財団の本拠がイェール大学に移ると、同大学の教授となる(最適成長やアクティビティ分析に関する研究を重点的に行った)。
- 1975年 クープマンスは「資源の最適配分に関する理論への貢献」が称えられ、レオニード・カントロビッチとともにノーベル経済学賞を受賞。
- 1978年 アメリカ経済学会会長を務めた。
- 1981年 イェール大学を退職、名誉教授となった(他にオランダ、ベルギー、アメリカの数々の大学から名誉学位を授与されている)。
- 1984年 74歳で死去。
業績
- クープマンスの最大の業績は、ノーベル経済学賞の受賞理由としても挙げられた、アクティビティ分析の開発である。アクティビティ分析は1951年に発表された『Activity Analysis of Production and Allocation(生産と配分のアクティビティ分析)』において説明されており、アクティビティとは、ある商品1単位を生産するために必要な各生産要素の技術的な組み合わせのことである。伝統的な経済学の考え方では、ある商品1単位を生産するために必要な各生産要素の技術的な組み合わせは無限に存在することになっているが、現実にはそれは有限であり、それゆえ伝統的な経済学の考え方をそのまま現実に適用することは不可能である。アクティビティ分析は、このような有限のアクティビティをもとに、線形計画法の理論を用いて最適な資源配分の条件を具体的に求め、伝統的な経済理論を現実の資源配分、特に最適生産計画や最適経済計画の問題に応用しようとするものである。
- クープマンスは1930年代以降の、フォン・ノイマンやワシリー・レオンチェフによる、固定的係数での生産に基づいた経済全体の一般均衡の表現の発展や、ジョージ・ダンツィクらによる線形計画の発展を背景にして、固定的係数の生産単位を無限個想定し、それらを定数倍して足し合わせれば、連続的に代替可能な生産関数を想定することと何ら変わりないことを強調し、そうした単位(アクティビティ)の結合に基づく分析をアクティビティ分析と命名した。
- クープマンスが1951年に発表した『Analysis of Production as an Efficient Combination of Activities(アクティビティの効果的組み合わせに関する生産の分析)』では、生産の技術的な効率性が利潤最大化が等価だということを示し、社会主義経済計算論争に対して大きな影響を与えた。
- さらにクープマンスは、1957年の『Three Essays on the State of Economic Science(経済学の現状に関する3つの小論)』において線形計画法やアクティビティ分析の手法を独立に発見して発展させ、それを実際的・理論的な一般均衡モデルに適用した。
生活・意見
- 彼は才能ある音楽家にして作曲家であり、音楽が終生変わらぬ趣味であった。
- 経済学者の浜田宏一は自身の著書の中で「クープマンス教授は、ハンサムな先生で、私もその明晰な講義を受けさせてもらった。彼はソ連のレオニード・カントロヴィチとともに、のちにノーベル賞を受賞した。そのためもあってか、彼はロシア語を勉強していた。私は『先生のお歳で新しい外国語を学ぶのはたいへんでしょう』と聞いてたことがある。私は彼に『コーイチ、そんなに人間の知的能力の射程を見くびってはいけない』と静かにたしなめられた」と述懐している[1]。
- コウルス研究所があったシカゴで、ミルトン・フリードマンと「計画なき理論」か「理論なき計画」かという論争を交わし、フリードマンが「理屈が合っても実証に裏付けられない知識は役に立たない」と主張したのに対し、クープマンスは「いくら統計上の相関があっても、なぜそうなるか理屈がわからないような関係は政策に使えない」と主張した[1]。
脚注
外部リンク
- The Sveriges Riksbank Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel 1975 (英語) - ノーベル財団
- チャリング・クープマンス
チャリング・クープマンス (Tjalling C. Koopmans), 1910-1986.
オランダ生まれのチャリング・クープマンス(注:クープマンズという表記の人もいる)は、数理経済学と計量経済学の発 展におけるパイオニアの一人だ。1948 年から 1967 年までコウルズ経済研究所の所長を務めたクー プマンスは、ローザンヌ学派に源 流を持つ新ワルラス派が近代的な定式化された形態へと発展するとても大事な時期に、主導的な役割を果たした。
クープマンス自身の経済学への貢献は多岐に上る。彼は「線形計画法」やアク ティビティ分析の手法を独立に発見して発展させ、それを実際的・理論的な一 般均衡モデルに適用した (1951, 1957)。彼の Three Essays (1957) は 新ワルラス派一般均衡理論の理論及び 手法的な解説として古典的なものの一つだ。クープマンス (1951)では、「生産の技術効率性」と「利潤最 大化」が等価だということを明らかにして、この発見によって彼は社会主義 計算論争に大きな影響を与えた。一般均衡下での効率性 に関心を持ったクープマンスは、新 古典派成長モデルを異時点間の最適化問題として再定式化した (1965, 1967) し、経時的最適性への関心は彼の仕事の重要な時期を占めることとなる。
クープマンスは計量経済学における 「コウルズアプローチ」 (1937, 1947, 1950) ―― あるいは単に、時系列/VARアプローチが普及する前に一般的だった計量経済学とでも言うべきものを開発、普及させる上で重要な役 割を果たした。1940 年代には、クープマンスは実証研究における「理論な き測定」アプローチをめぐって、アメリカの制度学派と手法論争を繰り広げた。
チャリング・クープマンスの主要著作
- Linear Regression Analysis of Economic Time Series, 1937.
- "The Logic of Econometric Business Cycle Research", 1941, JPE.
- "Statistical Estimation of Simultaneous Economic Relations", 1945, JASA
- "Measurement without Theory", 1947, REStat.
- "A Reply to Vining", 1949, REStat.
- "Identification Problems in Economic Model Construction" 1949, Econometrica
- "Optimum Utilization of the Transportation System", 1949, Proceedings of the International Statistical Conference
- "The Econometric Approach to Business Fluctuations", 1949, AER.
- "Utility Analysis of Decisions Affecting Future Well-Being", 1950, Econometrica
- Editor of Statistical Inference in Dynamic Economic Models, 1950.
- "The Identification of Structural Characteristics" with O. Reiersol, 1950, Annals of Mathematical Statistics
- "Efficient Allocation of Resources", 1951, Econometrica.
- "A Model of Transportation", with S.Reiter, in Koopmans, 1951.
- "Analysis of Production as an Efficient Combination of Activities", in Koopmans, 1951.
- Editor of Activity Analysis of Production and Allocation, 1951.
- "Activity Analysis and Its Applications", 1953, AER.
- Three Essays on the State of Economic Science, 1957.
- "Assignment Problems and the Location of Economic Activities" with M.J. Beckmann, 1957, Econometrica
- "Water Storage Policy in a Simplified Hydroelectric System" 1957, in Proceedings of the First International Conference on Operational Research
- "Selected Topics in Economics Involving Mathematical Reasoning" with A.F. Bausch, 1959, SIAM Review
- "Stationary Ordinal Utility and Impatience", 1960, Econometrica.
- "Convexity Assumptions, Allocative Efficiency and Competitive Equilibrium", 1961, JPE.
- "On Flexibility of Future Preferences", 1964 in Bryan and Shelley, editors, Human Judgments and Optimality.
- "Economic Growth at a Maximal Rate", 1964, QJE.
- "Stationary Utility and Time Preference", with P. Diamond and R.E. Williamson, 1964, Econometrica.
- "On the Existence of a Subinvariant Measure" with R.E. Williamson, 1964, Proceedings of Konnikl. Nederl. Akad. van Wetenschappen
- "On the Concept of Optimal Economic Growth", 1965, Pontificiae Academiae Scientiarum Scripta Varia
- "Intertemporal Distribution and Optimal Aggregate Economic Growth", 1967, in Fellner, editor, Ten Economic Studies in the Tradition of Irving Fisher.
- "Objectives, Constraints and Outcomes in Optimal Growth Models", 1967, Econometrica.
- "Note on a Social System Composed of Hierarchies with Overlapping Personnel", 1969, Orbis Economicus.
- "Maximizing Stationary Utility in a Constant Technology" with R. Beals, 1969, SIAM Journal of Applied Mathematics
- Scientific Papers of Tjalling C. Koopmans, Volume I, 1970.
- "A Model of a Continuing State with Scarce Capital", 1971, ZfN
- "On the Description and Comparison of Economic Systems" with J.M. Montias, 1971, in Eckstein, editor, Comparison of Economic Systems.
- "On the Definition and Computation of a Capital Stock Invariant Under Optimization", with T. Hansen, 1972, JET
- "Representation of Preference Ordering with Independent Components of Consumption", 1972, in McGuire and Radner, editors, Decision and Organization.
- "Representation of Preference Orderings Over Time", 1972, in McGuire and Radner, editors, Decision and Organization.
- "Some Observations on Optimal Economic Growth and Exhaustible Resources", 1973, in Bos et al, editors, Economic Structure and Development.
- "Is the Theory of Competitive Equilibrium With It?", 1974, AER.
- "Proof for a Case where Discounting Advances Doomsday", 1974, RES.
- "Concepts of Optimality and their Uses", 1977, AER.
- "Examples of Production Relations Based on Microdata", 1977, in G.C. Harcourt, editor, Microeconomic Foundations of Macroeconomics
- "Economics Among the Sciences", 1979, AER.
- "The Transition from Exhaustible to Renewable or Inexhaustible Resources", 1981, in Economic Growth and Resources
- "Additively Decomposed Quasiconcave Functions", with G. Debreu, 1982, Mathematical Programming.
- Scientific Papers of Tjalling C. Koopmans, Volume II, 1985.
- "Constancy and Constant Differences of Price Elasticities of Demand" with H. Uzawa, 1990, in Chipman et al., editors, Preferences, Uncertainty, and Optimality
T・C・クープマンスに関するリソース
- HET ページ: ワルラス派一般均衡理論: 生産者, 最適成長理論
- Autobiography of Koopmans at Nobel site.
- Press release of Nobel award (1975).
- Tjalling Koopmans Page at the Cowles Foundation (here's another)
- "Tjalling Charles Koopmans, 1910-1985 Biographical Memoir," by Herbert E. Scarf , 1995, at NAS (pdf file)
- Obituary in the New York Times, Saturday, March 1985
- Koopmans page at Britannica.com
- Koopmans page at Britannica Guide to the Nobel Prizes
- Koopmans Page at Nobel Prize Internet Archive
- Koopmans page at PEI
- Koopmans Page at Laura Forgette
- Tjalling Koopmans Distinguished Lecture Series at IIASA, Austria
- 1985 Koopmans Obituary, Boston Globe
- 1985 Koopmans Obituary, New York Times
- Koopmans page by Thayer Watkins.
- Koopmans at Bartleby
クープマンス教授は、オランダ出身のたいへんハンサムな先生であった。私もその明晰な講義を受けさせてもらった。線形計画法の経済学の適用で、ソ連のカントロヴィッツとともに、 のちにノーベル賞を受賞した。 そのためもあってか、教授はロシア語を勉強していた。私は以前、つい、「先生のお歳で新しい外国語を学ぶのはたいへんでしょう」と、失礼極まりないことを聞いてしまったことがある。先生からは、「コーイチ、そんなに人間の知的能力の射程を見くびってはいけないよ」と静かにたしなめられた。
コウルス研究所は、もともとシカゴにあった。クープマンスはそこで、ミルトン・フリードマンと、「計測なき理論」か「理論なき計測」か、という論争を交わした。フリードマンが「理屈が合っても実証に裏付けられない知識は役に立たない」と主張したのに対し、クープマンスは逆に、「いくら統計上の相関があっても、なぜそうなるか理屈がわからないような関係は政策に使えない」と主張した。私には、「人□減がデフレの原因である」といった主張は、まさに役に立たない「理論なき計測」の最たる例だと思える。
師トービンについては何度も述べた。コウルス研究所での私のもう一人の指導教官は、フィリップス曲線で業績を挙げたエドムンド・フェルプス教授。やはりノーベル経済学賞受賞者で ある。?‐-ヒー・ルームで恩師たちのまなざしを感じながら、自分はこんなにもすばらしい勉学と試練の時を持つことができたのだなと、感慨無量であった。
チャリング・クープマンス (Tjalling C. Koopmans) - Cruel.org
koopmans.gif (25448 bytes). オランダ生まれのチャリング・クープマンス(注: クープマンズという表記の人もいる)は、数理 ... Economic Relations", 1945, JASA; " Measurement without Theory", 1947, REStat .
チャリング・クープマンス - Wikipedia
チャリング・チャールズ・クープマンス(Tjalling Charles Koopmans、1910年8月28日 - 1985年2月26日)は、線形計画法を経済 ...
MEASUREMENT WITHOUT THEORY, ONCE AGAIN
(Adobe PDF)
(2005) theory of the baby boom, to which the discussion now turns. 1.1. Greenwood, Seshadri ..... with Koopmans' (1947) critique of measurement exercises performed without the guidance of economic ...
☆
3/ neither was this lecture on observation, measurement & quantification proper (here’s a reading list on the topic )but on inference, aka how econs derive more general trends (in time and space) from limited data sets
4/Background is quantitative work done in interwar:
-estimating impact of fertilizers through ag experiments
-measuring business cycles (more later)
-measuring supply & demand curves. The mess it was is described in Morgan's landmark book (cambridge.org/core/books/his…)
-estimating impact of fertilizers through ag experiments
-measuring business cycles (more later)
-measuring supply & demand curves. The mess it was is described in Morgan's landmark book (cambridge.org/core/books/his…)
6/ It took Lenoir, Working bros & others to explain that, from set of q/p data, if many supply shifts (as in ag), you in fact estimate demand curve, & vice-versa
Wright’s idea of actively using “curve shifters” gave birth to Instrumental variables method economics.mit.edu/files/18
Wright’s idea of actively using “curve shifters” gave birth to Instrumental variables method economics.mit.edu/files/18
7/Econs were using panel data or time series (taken from nascent national accounting) & regressions WITHOUT probabilistic foundations.
Econ data were not produced through sampling, independently & under homogeneous conditions, so using notion of distribution seemed meaningless
Econ data were not produced through sampling, independently & under homogeneous conditions, so using notion of distribution seemed meaningless
8/ Haavelmo brought conceptual reorientation in Econometrica-length 44 paper fitelson.org/woodward/haave… Lots of nice punchlines –like coining term natural experiment or empirical research as guard against 'futility'– but breakthrough was justification for probabilistic foundations
10/ Some historians have argued such probability turn was thus instrumental, not epistemological (
). Might be true of Koopmans (trained as a physicist), but not of Marschak, whom I document held genuine stochastic worldview (beatricecherrier.files.wordpress.com/2019/03/4-mars… )
11/ Program taken up by Cowles econs, w/ econometricians, following Mann & Wald developing non-biased estimators (from LS to LIML and back global.oup.com/academic/produ… ch3) & econs hunting “structural relations” to be estimated, continuing tradition of looking for “autonomous”....
12/...(Frisch/Haavelmo’s term) invariant econ relationships based on individual behavior - akin to laws of physics jstor.org/stable/1821116.
Overall goal was clear: prediction, for sure, but prediction to help find best policy, Marschak explained (see 1946 letter to Wald below)
Overall goal was clear: prediction, for sure, but prediction to help find best policy, Marschak explained (see 1946 letter to Wald below)
14//Relationships b/w Cowles & NBER initially friendly, but in 1940s, they competed for SSRC & Rockefeller foundation’s funding. Private attempts at dismissing other’s method went public when Koopmans published famous review of Burns-Mitchell’s book elaine.ihs.ac.at/~blume/koopman…
16/As Mitchell had just died & Burns didn’t want to get his hands dirty (which would eventually land him the Fed chair seat), defending NBER fell to young unknown economist: Rutledge Vining jstor.org/stable/1927853…
18/ Vining sought advice to another active NBER-related econ who widely enjoyed crashing Chicago Cowles seminars: Friedman, who went after symbol of successful Cowles method applied: Klein’s model of US economy below (full story elsevier.com/books/a-histor… & halshs.archives-ouvertes.fr/halshs-01364812)
19/ Friedman argued that exhaustive depiction of econ system was impossible task, that model should be “engine” to make sense of reality, not "depiction." He used Christ’s 1951 demonstration that prediction from naïve models were as good as Klein’s as weapon against Cowles method
20/ In spite of sustained resistance (also counted Leontief, Kuznets & time-series econometricians like Orcutt, Sargan & Hendry ), Cowles “structural econometrics” became dominant because:
1) was embodied in macroscale models adopted by central banks (osf.io/preprints/soca… )
1) was embodied in macroscale models adopted by central banks (osf.io/preprints/soca… )
21/
2) scientific appeal
3) PSID-type of data based on sampling, meaning micro data got closer to Haavelmo's idea
3) standardized tests perceived as shield against ideology, entrenched through development of econometric software from 1960s onward (autobox.com/pdfs/50YEARS.P… )
2) scientific appeal
3) PSID-type of data based on sampling, meaning micro data got closer to Haavelmo's idea
3) standardized tests perceived as shield against ideology, entrenched through development of econometric software from 1960s onward (autobox.com/pdfs/50YEARS.P… )
22/ yet Cowles method challenged in 1970s
1. flaship macromodels failed to predict stagflation
2. diverging interpretation of error terms revealed fault lines : measurement errors? Missing variables? Stochastic shocks driving business cycles, as was reconceptualized by macro..
1. flaship macromodels failed to predict stagflation
2. diverging interpretation of error terms revealed fault lines : measurement errors? Missing variables? Stochastic shocks driving business cycles, as was reconceptualized by macro..
23/ Diverging views of stochastic character of econ relations seen in various words used for ε: error, residual, disturbance, random shock (see Qin chapter 8
and Hoover & Duarte papers.ssrn.com/sol3/papers.cf… )
24/3. a priori restrictions on equations to allow identification perceived as unwarranted, even ideological. Throw econometrics into crisis epitomized by famous papers by Leamer, who pushed for Bayesian specification (jstor.org/stable/1803924… ) & Hendry (jstor.org/stable/2553385)
(note for non-economists: to put it simply, pb was w/ what a priori assumptions econs made to ensure they were estimating what they intended – not supply instead of demand as in my intro exemple, not effect of family wealth instead of skills on return on education)
25/ strategies to solve empirical crisis diverged
Micros, led by Ashenfelter’s students & others, drew upon experiments performed by Ross & others since 1970s (nber.org/papers/w14356), “natural experiments” allowed by institutional providing nice instruments to isolate causes
Micros, led by Ashenfelter’s students & others, drew upon experiments performed by Ross & others since 1970s (nber.org/papers/w14356), “natural experiments” allowed by institutional providing nice instruments to isolate causes
26/ John Singleton & @matthewpanhans document & explain rise of quasi-experiments here (papers.ssrn.com/sol3/papers.cf… ), later branded as “credibility revolution” bringing “transparency” to policy evaluation by Angrist & Pischke (aeaweb.org/articles?id=10… )
27/structuralist strike back aeaweb.org/issues/126. Ensued “structural vs reduced-form” debate echoing older arguments abt how theoretical assumption endanger internal validity/ credible identification, yet lack thereof threaten external validity (ability to generalize results)
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☆☆
宮川フリードマン論考
34
The Faculty of Economics and Business Administration Journal, KGU, No.5, November 2017
Resarchin Econoics)が存在し、経済学部に同居する形になっていた当初両者は互いに刺激し、学問
レヴェルを上げる上で、良い影響を及ぼしていたが、1950年代に入ると両者の関係は悪化し、コールズ
委員会はシカゴを去らざるを得ない状況に追い込まれる".
ここでも論争家としてのフリードマンの存在が大きく関わっている。コールズ委員会はコロラド州コ
ロラド スプリングスで投資顧問をしていた、アルフレッド·コールズ(Alfred Cowles)によって設
立された彼は1929年の株価暴落により、自分の経済理論の知識のなさを思い知らされる。それで、
それまで発行してきた投資情報誌の発行を中止し、株価ア想の研究を始めた。その頃、当時の計量経済
学会の会長であった、アービング·フィッシャーの知己を得て、経済研究所の設立と機関誌の発行を勧
められる。彼は資金面でのスポンサーになることを約束し、1932年にコロラド スプリングスにコール
ズ委員会を設立し、1933年にはエコノメトリカ誌を発行する。委員会の目的は「数学および統 を使
った経済理論の科学的研究と発展」であった1939年に委員会はシカゴ大学に移ることになったシカ
ゴ大学の経済学は既存の経済学部と委員会の2本立てになる。
コールズ委員会が本領を発揮するのは、ジェイコブ·マーシャック (Jacob Marschak)がシカゴの
教授に赴任し、コールズ委員会の研究所長になってからである。彼は着任と同時に積極的な人材募集に
取り掛かったアブラハム·ワルド(Abraham Wald)、トリグヴァ·ハーベルモ( Trygve Haavelmo)
チャーリング·クープマンス(Tailing Koopmans)などカ慟れる".ハーベルモとクープマンスは
後にノーベル経済学賞を受ける。ちなみに、この委員会からノーべ礙圣済学賞を受けるのは、他にケネ
ス·アロー(Kenneth Arrow)、ジェラード·デブリュウ (Gerad Debreu)、ローレンス·クライン
( Laurence Klein)、ハリーマルコビッ(Harry Markowitz)、フランコ·モジリアーニ( Franco
Modigliani)
ト·サイモン(Herbert Siomon)である。
フランク·ナイトとその教え子(フリードマンはその中心)から成る経済学部と研究所の関係はかな
りギクシャクしたものになってくる。フリードマンはその直弟子ベッカーと共に、ケインズの消費関数
の推定について、それがOLS推定で高い説明力が出るのは、所得の大部分は消費であるのだから当然
であり、それでもって消費の現実を説明できたとするのは馬鹿げていると批判する3コールズ委員会
を追いやる切っ掛けはフリードマンであったことは想像に難くなぃ両者の対立が表面化したのは、コ
エル
ルズ委員会の中心メンバーであった、クープマンスがアーサー·バーンズとウエスリ
の共同論文「景気循環の測定(Measuring Business Cycles)』に対して、その背後に何の理論もない
単なる計測にすぎない、と厳しく批判してからである". これは理論よりもまず実証結果を重視する
1ただ、この事件について、フリードマン自身の回顧によれば、コールズ委員会のイェー,レ
移転は両派の確執によるものではない。
「学部も大学もシカゴに残ってくれるようにと、アルフレッド·コールズに熱しに説得したが、無駄であったそれはシカゴには無理
な話、コールズがイェールの卒業生であること、またイェールが資金面でサポートを申し出たこと、この2つの理由によると思われる。
その理由が何であれ、この移転はシカゴにとって大きな損失であった」 Friedman. M and Rose Friedman (1998), p.198
12 Christ, Carl F (1994)
13 Friedman, Milton. and Becker Gary (1957)
14.クープマンスは「経済输は時系列デ タの観察値以外の、つまり、消費者の動機 習慣、企業家の利潤極大化目標についての
知識の上に成り立っている。変数 の相互関係の規則性を単に観測しただけではそのような規則性の間にある行動方程 式を認めたことに
はならない実験できない場合には、このような識別は、各構造方賦の形が特定された場合にのみ可能となる この本には特に重
要なア測の 禔となる構造方程式の識別問題、計測上の問題には何ら触れられていない見たところ、経済的活動の影響を量的に把握
することに焦点がおかれ、そのような活動の動機については全く配慮されていない経済変数の動きはあたかも溯騰するマグマの底が突き破れずに、噴火し続ける神秘的な火山のようにして研究されている。たしかに、火山の歴史を知ることは今後の火山活動を予測す
る上で大事であるとしても、ア測の問題、その可能性、限界、構造変化の有るなしが全く議論されていない利用した手法がどうであ
るとか、そこから得られた結果が経済政策の問題にどのような影響をもつか、まったく議論されていない」と批判したKoopmans
(1947), p.167
ミルトン·フリードマンは本当に死んだのか
35
NBAR流の景気循環論と、なによりも理論を重視するコールズ委員会の経済学方法論の対立であった。
これについて、フリードマンは後につぎのように語っている。
「クープマンスはまったくの愚か者です。クープマンスとの論争では、私は完全にバーンズとミッチ
エルの側につきました。彼の攻撃は非常に未熟で、積極的な内容を伴っていない。私が長きにわたって
コールズ委員会の人たちとやりあって来たことはもちろんご存じと思う。ですから、大型の計量モデル
を構築しなければ、経済の動きを捉えることはできない、という彼らの考えにはまったく同調できませ
んでした。事実、彼らがシカゴでおこなっている研究にはいろいろと批判してきました。私は彼らの大
型計量モデルと単純素朴なモデルとではどうような差異がでるのかを調べました。それで、私はクープ
マンスに関しては、彼があの論文を書く前から、まったく共感をもてませんでした。そして、確かにあ
の論文の後、一層彼がい になりましたね15」。また、研究方法の相違以外にもフリードマンとクープマ
ンスはうまく行っていなかったようである。「彼は冷淡で権威主義的な男だった。同時方程式によって
経済をモデル化する研究をしていたが、理論的にも統計的にも非常に細部の問題を考えていた 学
部の運営にも非協力的であった。例えば、学部では毎年JPEに掲載された論文の中から優秀論文を表
彰することにしており、その選考委員会のメンバーの長になった時、学部のメンバー全員から論文を推
薦してもらったが、彼だけはしてくれなかった。そこで、電話をして理由を尋ねると、そのような表彰
には賛成できない、したがって選考にも関与したくない、との回答であったこのことから多数決ル
ルに基づく組織運営の難しさを考えるようになった.
3·
フリードマンの方法論
フリードマンは経済理論の是非はア測が十分できるか否かによって判断されるべきだと考える。ただ、
不幸にして現実には、予測の正確さよりもその理論の仮定が現実的か否かに判断基準が移る傾向にある、
と嘆く。徹底した精緻な理論を求めるコールズ委員会とモデルの正確さよりも実証結果を重視するフリ
ドマンたちの対立が鮮明化するのは当然だったかもしれない。彼は自らの方法論を1953年に「実証
的経済学の方法と展開
(Essays in P stive co nomis)』として出版する。
彼はそとで、徹底して経済学理論の正しさを証拠付けるためのア測能力の重要性を強調する。たとえ
理論的にはきわめて精緻で、よく洗練されていてもそれが現実に役立たなければ興味本位の理論でしか
ない。経済を発展させ、安定させる に貢献する理論の構築こそが、経済学者に課せられた任務であ
る
すでに見たように、彼は研究者としての出発時点で、経済学か数学かの選択を迫られる。もし、大恐
慌という経済現象が起きていなければ数学者としての道を選んでいた可能性は高い このことは彼が経
済学者としての道を目指した時に明確に表れている。彼の経済学を見る目は数学者のそれであり、数学
突き破れずに、噴火し続ける神秘的な火山のようにして研究されている。たしかに、火山の歴史を知ることは今後の火山活動を予測す
る上で大事であるとしても、ア測の問題、その可能性、限界、構造変化の有るなしが全く議論されていない利用した手法がどうであ
るとか、そこから得られた結果が経済政策の問題にどのような影響をもつか、まったく議論されていない」と批判したKoopmans
(1947), p.167
15 Hammond, J.Daniel (1988), p.16
6 Friedman and Rose (1998), p.198
Koopmans (1947), p.167.
... た。1940 年代には、クープマンスは実証研究における「理論なき測定」アプローチをめぐって、アメリカの制度学派と手法論争を ...
チャリング・クープマンスの有名な批判(「理論なき測定(Measurement ...
こちらの記事に対するyasudayasuさんのコメントです → 「チャリング・クープマンスの有名な批判(「理論なき ...
経済学における重力(前編:『ノーベル賞経済学者の大罪』覚え書き ...
... 研究の方法論(methodology)すなわち経済学の科学哲学的検討(「理論なき計測」 という表現はクープマンス ...
政策分析の必要性と 使命についての一省察 - 日本公共政策学会
(Adobe PDF)
このプロセスを,ノーベル経済学賞に輝いたクープマンスは,「ケプラー段階から. ニュートン ... で一喜一憂する「理論なき計測」を強く戒めた。 ... 計測なき理論」はあらたな政策上の「神話」をよみがえらせることにな. る。
初歩からの計量経済学 - DTI
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クープマンス: 新たな推定法の開発. レオンティエフ: 産業連関分析 ... 効用の最大化( 予算制約). 「理論なき計測」に陥らない ...
計量経済モデル分析における時系列解析の復位
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計量経済学が時系列解析法を「理論なき計測」として退けるところからスタートしたことは. よく知られている。 .... T・C・ クープマンスら当時のシカゴ大学コールズミッションのメンバーは,モデルの計測可. 能性を構造 ...
景気加速と需要法則: クラークの ケインズ理解について1
(Adobe PDF)
うとした。 戦後, 計量経済学が発達するなかで, この方法はクープマンスから. 「理論なき 計測」 として批判されることになる。 7.
菊地進「同時方程式モデルとその計測方法の展開について-手法の開発 ...
ホーヴェルモ自身による誘導型最尤法,T.C.クープマンスによる ... 計測方法の選択問題の解決には,推計学者が動員され,理論的 .... たモデルの大型化の操作が,逆に,『 理論なき計測』へと到達し ...
チャリング・クープマンス - Wikipedia
受賞理由:資源の最適配分に関する理論への貢献を称えて. チャリング・チャールズ・ クープマンス(Tjalling Charles Koopmans、1910 .... コウルス研究所があったシカゴで、ミルトン・フリードマンと「計画なき理論」か「 ...
経済学者は如何に理論からデータにシフトしたか - himaginary's diary
... は、チャリング・クープマンスの有名な批判(「理論なき測定(Measurement Without Theory)」*2)によって.
https://himaginary.hatenablog.com/entry/20160117/
how_economics_went_from_theory_to_data
経済学者は如何に理論からデータにシフトしたか
1/11エントリでは、今年の全米経済学会に出席したジャスティン・フォックスがそこで見い出した傾向として、格差問題に関する経済学者の取り組みの変化について書いたブルームバーグ論説を紹介した。表題のブルームバーグ論説(原題は「How Economics Went From Theory to Data」)でフォックスは、彼が全米経済学会で見い出したもう一つ傾向、即ち、理論からデータへの重心の移行について書いている。それによると、昼食会での講演者といった栄えある役割はエリック・マスキンやジャン・ティロールやベングト・ホルムストロムといった古参の理論家が担っていたものの、実際の研究発表では実証系が活況だったとの由。
フォックスが引用したテキサス大学のダニエル・ハマーメッシュ*1の2013年のJournal of Economic Literature論文によると、主要誌に掲載された理論系論文の割合は、1983年のピーク時には6割程度に達していたが、2011年には3割を切ったとのことである。低下のかなりの割合は1993年までに起きているが、その明らかな理由の一つはパソコンの普及である、とフォックスは述べている。その後のインターネット時代の到来と資料のデジタル化によって、公表データをそのまま使うのではなく独自にデータを加工した研究が増え、それが1993年以降の実証系研究の増加の殆どであった、とフォックスは言う。またフォックスは、実験経済学の研究が増えていることも指摘している。
その上でフォックスは、以下の点も指摘している。
Disillusionment with theory has also been an issue. From the late 1930s through the 1970s, economics was full of excitement about grand mathematical models that seemed to explain everything about the world. Then some things happened that the grand models -- particularly the macroeconomic ones -- didn't explain very well, while a new generation of theorists took things in increasingly narrow and convoluted directions. The goal was often to make the theories more realistic, but the result, as Hamermesh puts it, was that:Economic theory may have become so abstruse that editors of the leading general journals, recognizing that very few of their readers could comprehend the theory, have cut back on publishing work of this type.Piketty, who was a promising young theorist at the Massachusetts Institute of Technology in the early 1990s, wrote in the introduction to "Capital in the 21st Century" that he decided to move back to France in part because economists are less respected there and thus must "set aside their contempt for other disciplines and their absurd claim to greater scientific legitimacy, despite the fact that they know almost nothing about anything.” Then he went looking for some data to crunch.
Now that's what all the cool economics kids are doing.
(拙訳)
理論への幻滅も理由となっている。1930年代後半から1970年代に掛けての経済学は、世界のすべてを説明すると思われた壮大な数学モデルで湧き立っていた。しかしその壮大なモデル――特にマクロ経済モデル――が上手く説明できない事態が発生し、一方で新世代の理論家たちは、より狭い範囲で絡み合った方向で物事を捉えるようになった。彼らの多くは、理論をもっと現実的にすることを目的としていたが、ハマーメッシュの言葉を借りれば経済理論はあまりにも難解になったため、主要一般誌の編集者は、読者の殆どがそうした理論を把握できないことを受けて、その種の論文の掲載を減らすようになった。という結果に終わった。
ピケティは、1990年代初頭にはマサチューセッツ工科大学の若き有望な理論家であったが、フランスに戻る決心をした理由の一つは、そこでは経済学者があまり尊敬されておらず、従って「あらゆることについて殆ど何も分かっていないという現実にも関わらず、他分野を軽蔑したり、さらなる科学的正当性という馬鹿げた主張をしていた経済学者の殻を脱ぎ捨て」ざるを得なくなるためだ、と「21世紀の資本」の導入部に書いている。帰国後の彼は、取り組むべきデータを探し求めた。
そして今や、先端を行くすべての若手経済学者が同じことをしている。
なお、米国の経済学界は、1920年代から1930年代に掛けても、ウェズリー・クレア・ミッチェルが先頭に立って実証分析の全盛期を迎えたことがあった、とフォックスは指摘している。しかし、データを十分に収集すれば景気循環をはじめとする経済の謎は解明される、というミッチェルの目論見は外れ、大恐慌は彼を困惑させた。さらに、NBERにおける彼の後継者アーサー・バーンズと共著した1946年の景気循環に関する著書は、チャリング・クープマンスの有名な批判(「理論なき測定(Measurement Without Theory)」*2)によって
The movements of economic variables are studied as if they were the eruptions of a mysterious volcano whose boiling caldron [sic] can never be penetrated.
(拙訳)
経済変数の推移は、恰も煮えたぎる噴火口の中を決して見通すことのできない謎めいた火山の噴火であるかのように分析されている。
とこき下ろされた。
フォックスは、今日の経済学者はミッチェルほど理論を敬遠してはおらず、データに見い出したトレンドや相関の説明の試みも行っているが、その多くは仮説の域を出ていない、と書いている。確かに実証研究ブームによって経済学者の知識は増えたが、まだ学習途上であり、すべてが分かったというには程遠い、と述べてフォックスは記事を結んでいる。
蛇足だが、クープマンズが見通せない喩えに使った火山の中も、今や東京大学地震研究所の田中宏幸氏によるミューオンによって見通す技術が開発されている。経済学の実証手法にもいずれそうした革新が起きる、と期待しても良いのかもしれない。
- 作者: ディアドラ・N.マクロスキー,Deirdre N. McCloskey,赤羽隆夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2009/10/07
- メディア: 文庫
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学説史的背景
本書の著者、ディアドラ・マクロスキー(Deirdre McCloskey)が標榜する、経済学上の学問的系譜は二つある。
ひとつは自らが経済学の教授であるところのシカゴ学派で、もうひとつはオランダの「ティンバーゲン学派」(本稿での仮称)であり、エラスムス大学に招かれた際の講義を基に書かれた本書において、マクロスキーはヤン・ティンバーゲン、チャリング・クープマンスに連なるオランダ経済学の継承者の立場から経済学の現状を批評する。
ティンバーゲンはパウル・エーレンフェストの下で物理学者として訓練を受け、同門にはヘンドリック・カシミールがいる。彼の弟、ニコ・ティンバーゲンは鳥類の動物行動学で知られ、コンラート・ローレンツの同僚であった。
(1)豚肉価格においてみられた定常的不均衡(hog cycle)つまり価格調整のラグの分析から、「くもの巣調整過程」(cobweb process)を提唱し、アルフレッド・マーシャルの数量調整とレオン・ワルラスの価格調整が同時に働いて市場均衡に近づくことを示した
(2)貿易理論における「重力モデル」(gravity model)の提唱。
(3)モデルの変数についての考察から、政策手段の独立性の概念を確立する(マーシャルのいう「方程式と未知数の勘定」を一般化したものともいえる)。これは後にロバート・マンデルの政策割当(policy assignment)の議論に発展する。
これらはいずれも開いた市場の分析において重要な分析用具であって、オランダという小国で発達したことに若干の必然性がある。
クープマンスにはこれらのティンバーゲンの業績の、いわば「フォン=ノイマン後」のアメリカ経済学における一般均衡理論との接続(経済活動の相互作用の線形化によるアクティビティ・アナリシスの提唱)、重力モデルの交通経済学への適用、コウルズ研究所がシカゴにあった時期におけるミルトン・フリードマンとの議論を通じての経済学研究の方法論(methodology)すなわち経済学の科学哲学的検討(「理論なき計測」という表現はクープマンスに由来する)などといった業績がある。彼もティンバーゲン同様に物理学の背景を持っていた。
マクロスキーはこのクープマンスに傾倒し、業績を知悉しており、ティンバーゲンのアイディアのいくつかの発展、特にマンデルの国際マクロ経済学とポール・クルーグマンの経済地理学、新貿易理論への貢献を低く評価している。
細野講演
菊地論考書評
「3.計測方法の展開」。筆者は次に,同時方程式モデルのパラメータの推定方法の展開過程を跡づける。ホーヴェルモ自身による誘導型最尤法,T.C.クープマンスによる認定問題の定式化,T.W.アンダーソン,H.ルビンによる情報制限最尤法の紹介がそれである。これらの展開過程は,要約して言えば,モデルが同時方程式モデルであることを貫けば追加的説明変数の選択基準を設けることができなくなり,追加的説明変数の選択基準を採用すれば同時方程式モデルの枠組みを壊さなければならないというジレンマへの遭遇とその解決の試みの繰り返しである。この問題を克服するものとしてもとめられたのが,同時方程式モデルの枠組みを崩さず個々の構造方程式を実質的に最小二乗法で計測する方法である。H.タイルの二段階最小二乗法は,この方法がである。
___
マクロ経済学と経済政策 (1983年) - – 古書, 1983/8
97 ページ
クープマンスの外生性」22)構造型(化)式において, (^) 2 二。!2 二。?2 二 0 かつ 5(む,む
, )=0 なるとき,ッ 1 は: V?に対してクープマンスの外生性を持つという.ここで注意すべき
点は,データのみを用いて「クープマンスの外生性」をテストすることはできないということ
...
クープマンスの外生性」22)構造型(化)式において, (^) 2 二。!2 二。?2 二 0 かつ 5(む,む
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点は,データのみを用いて「クープマンスの外生性」をテストすることはできないということ
...
99 ページ
すなわち,誘導型によるシミュレーションによって正しい政策評価を行なうためには,因果
関係の成立だけでは不十分で,クープマンスの外生性が必要なのである.ところが,先に
述べたごとく,クープマンスの外生性はデータのみによって検証することはできない.
すなわち,誘導型によるシミュレーションによって正しい政策評価を行なうためには,因果
関係の成立だけでは不十分で,クープマンスの外生性が必要なのである.ところが,先に
述べたごとく,クープマンスの外生性はデータのみによって検証することはできない.
113 ページ
この点に関連して,山本氏がクープマンス外生性(あるいは強い外生性)が全く統計的に
テストできないかのごとくに主張されていることは,多少の誤解を生むかもしれない.もし
構造型が識別可能ならば,クープマンス外生性の検定は実用的に意味のある方法である
.
この点に関連して,山本氏がクープマンス外生性(あるいは強い外生性)が全く統計的に
テストできないかのごとくに主張されていることは,多少の誤解を生むかもしれない.もし
構造型が識別可能ならば,クープマンス外生性の検定は実用的に意味のある方法である
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景気変動と日本経済: 世界・日本・地域の景気分析 - 231 ページ
返信削除https://books.google.co.jp/books?id...
Shōji Tahara - 1983 - スニペット表示
こうしたミッチュルを中心とする^182 尺の研究に対しては,クープマンスによって 1947 年に「理論なき計測」として厳しい批判がなされたが, 1^8211 表 11-1 ^85:なの景気指様リスジョン. では以前と同じ景気変動の実証分析の態度を取り続け,その中から ...
景気変動と日本経済: 世界・日本・地域の景気分析 - 231 ページ
https://books.google.co.jp/books?id...
田原昭四 - 1983 - スニペット表示
長期遡及性, 2 景気転換点に対する規則的先行性, 3 不規則変動が激しくないこと, 4 景気変動が顕著に判別できること, 5 過去の景気循環に対する対応性のよさ,の 5 つが設定された.こうしたミッチヱルを中心とするの研究に対しては,クープマンスによって 1947 ...
社会科学大事典 - 第 5 巻 - 214 ページ
https://books.google.co.jp/books?id...
1968 - プレビューは利用できません - 他の版
經濟學硏究: 一橋大學硏究年報 - 第 16 巻 - 69 ページ
https://books.google.co.jp/books?id=8v4...
1972 - スニペット表示 - 他の版
... Theory", 7ossy、Asszzoss,October 1952, p.417 (4)しかしクープマンスは、統計上の制約は技術的に克服できるとしている。 ... "Measurenent without Theory" Mesess7 Zooss Szssos, August 1947 pp 161 ー 2 一橋大学研究年報経済学研究 3 一一二 6 ...