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金曜日, 8月 16, 2019

転載: シルビオ・ゲゼルの「ロビンソン・クルーソー物語」



転載: シルビオ・ゲゼルの「ロビンソン・クルーソー物語」

シルビオ・ゲゼルの「ロビンソン・クルーソー物語」

  

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この文章は1920年5月5日に書かれたが、彼の新たな貨幣、利子理論を平易にかつ簡潔に表明した ものとして評価も高く、主著の『自然的経済秩序』の第二部の冒頭に挿入されることとなった。巷間、 ケインズがこれを読み、目から鱗がおちたと絶賛したといわれている。 

表題は、「この理論の試金石としてのロビンソン・クルーソー物語」。この理論とは自由貨幣に基づく利 子並びに資本の理論を指す。 

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ここで詳述される利子理論の導入部として、また、とりわけ利子問題に関連して強く残っている古くさ い臆断を容易に取り除くためにも、私はロビンソン・クルーソー物語から始めなければならない。 

 よく知られているように、ロビンソン・クルーソーは健康上の配慮から、山の南面に家を建て、これに対 して、北面の湿潤で肥沃な斜面で農作物を栽培した。したがって彼は山を越えて収穫物を運ばざるをえなかった。この労働をしなくて済むようにしようとして、彼は山の周囲に運河を建設しようとした。この企ては沈泥が運河を塞いでしまうのを避けるために中断せずに継続されなければならないが、それに必要な時間を彼は3年間と見積もった。        したがって彼は3年間の蓄えを調達しなければならなかった。数頭の豚を屠殺し、肉を塩漬けにした。地面の穴に穀物をいっぱいに満たし、入念に覆いをした。鹿皮をなめして衣服に仕立て、木箱の中にしまい込み、衣魚除けにくさいスカンク腺で覆った。  要するに彼は自分が考えた通りに、これから三年間のことを考えたのである。  計画した通りに「資本」が間に合うかどうか、最終的な予測を立てていると、一人の男がやってくるのが見えた。 

「やあ」 と、その訪問者は声をかけてきた。 「私の小船が難破してしまったので、この島に上陸してきました。田野を開墾したいのですが、最初の収穫が得られるまでのあいだ、あなたの蓄えで私を救ってくださるわけにはいかないでしょうか」  この言葉を聞くや、ロビンソンの頭には、自分の蓄えが利子と金利生活者の栄光をもたらしてくれる、という考えが閃いた。彼は急ぎその申し出を承諾したのである。 「ありがたい」 と、その訪問者は答えた。そして、 「しかし、あたなたに言っておかなくちゃなりませんが、私は利子を支払いませんよ。払わなければならないくらいなら、狩猟や漁でもして生きていきますよ。私の信仰は利子を取ることも、支払うことも禁じているんです」 

ロビンソン 「それはまた結構な宗教をお持ちだ。でも、あなたが利子をこれっぽっちも支払わないとするなら、いったいどうして、私が蓄えたとっておきの品をですよ、貸し付けると思うんですか」 

訪問者 「それは私利からですよ、ロビンソン。儲かるからですよ、あなたにもわかるでしょう。あなたは利益を得るんです。それもかなりな額ですよ」 

ロビンソン 「そういうなら、まず、あなたがその計算をしてみせてくださいよ。正直いって、蓄えをですよ、無利子で貸し付けて、どれくらい利益が得られるのか、見当がつきませんしね」 

訪問者 「では、全部計算してみましょう。ご自分で計算しなおしてみれば、無利子で貸し付けたうえに、お礼までいうことになりますよ。そうですね、私にはさし当たり衣服が必要です。見ての通り、裸ですから。衣服の蓄えはありますか」 

ロビンソン 「その木箱には、上のほうまで衣服が詰まっています」 

訪問者 「それにしても、ロビンソン。あなたがほんとうに賢ければいいんですけどねえ。誰がいったい木箱なんぞに衣服を三年間もしまっておこうとしますか。それもですよ、鹿皮です。なんと衣魚の好むごちそうですよ。鹿皮でなくとも、衣類というものは風通しをよくして、油脂を擦り込んでおかなくては。そうしておかなければ、傷んだり、蒸れたりしていまいますよ」 

ロビンソン 「おっしゃることはごもっともですが、じゃあ私は他にどうすべきだったというんです。衣装棚にしまっておいたほうがいいなんてことはありません。そんなことしても、ここでは、ネズミがやってきますし、衣魚だって入り込んでくるんですよ」 

訪問者 「ああ、木箱にだってネズミが入ってくるでしょうね。見てください。ほら、もうかじられてしまってますよ」 

ロビンソン 「まさか、そんな。こういう被害というのはまったくどうにも防ぎようがないですね」 

訪問者 「あなたはネズミから身を守る術をご存じないようだ。算術を学んだとはいえませんね。私たちのなかで、あなたのような境遇にあるひとが、ネズミや衣魚、それに腐朽や塵芥、黴から身を守る方法をお話しましょう。私に衣服を貸してください。必要な場合はすぐにでも新しい衣服を、あなたに揃えてあげることをお約束します。あなたは、引き渡したのと同じ程度の衣服を取り戻し、しかもですよ、その衣服は新しいものになっています。必要になって後で木箱の中から引っ張り出してくるものより、はるかに上等ですよ。ましてスカンク油の悪臭なんて付いていません」 

ロビンソン 「わかりました。あなたに木箱ごと、衣服ともどもお渡ししましょう。そうしてみれば、無利子で衣服を貸し渡しても、私の利益になるということが、私にもわかるというものです」(原注1) 

(原注1)事は自明でありながら、自明であればこそ、今日まであらゆる利子理論家は、かかる利益を認めることがなかった。プルードンでさえ見過ごしたのである。 

訪問者 「ところで、小麦をみせてくれませんか。種まきに使うし、パンを作るのにも必要です」 

ロビンソン 「その丘をくだったところに埋めてありますよ」 

訪問者 「あなたというひとは、小麦を三年間も地面の穴のなかに埋めておくのですか。黴や虫はどうするというのですか」 

ロビンソン 「分かっています。でもどうしたらよいんです。どう考えても、これよりよい貯蔵方法など思いつきませんでした」 

訪問者 「かがんで、ご覧になってください。表面に虫がはね回っていますでしょう。塵芥がわかりますか。黴は生えていないですか。すぐにも、小麦を取り出して、風にあてなければなりませんよ」 

ロビンソン 「この資本はもうだめです。自然のもつ、こうした幾重もの破壊力から身を守る方法がわかっていればよかったんですが」 

訪問者 「ロビンソン、私たちのところではどのように家屋を造るかお話しましょう。風通しのよい、湿気のない小屋を建てるんです。床は頑丈な板張りにしますが、そこに小麦を振りまくんです。それからシャベルで全体を掘り返しながら、三週間ごと、定期的に、入念に風にあてるんです。ネズミを捕まえるために猫を飼います。罠も仕掛けますよ。どんなものにも火災保険をかけ、毎年毎年、品質や量目の損失が10%を超えないようにしています」  

ロビンソン 「そうだとしても、その仕事やその費用を考えてみますとね」 

訪問者 「その仕事を恐れることなどないですよ。なにも費用など要らないんです。どうしたらよいかお話しましょうか。あなたの蓄えを私に貸してください。私が収穫が得られたら、新鮮な穀物で、ポンドならポンドで、袋なら袋で、渡してくれたものを返済しますから。あなたは小屋を建てずにその仕事を済ますのです。つまり、シャベルで掘り返すこともないし、猫に餌をやることもないのです。量目でみてもなにも失うものはないんです。 古くなった麦の代わりに、いつも潤いのある、新鮮なパンを手に入れることができるんです。どうでしょうか」 

ロビンソン 「たいへんありがたい。その申し出を受け入れましょう」 

訪問者 「それでは無利子で小麦を貸してくれますね」 

ロビンソン 「よろしいです。無利子で、当方の感謝までそえます」 

訪問者 「でも、私は一部を使うだけです。全部は引き取りませんよ」 

ロビンソン 「それでは、10袋につき9袋を返却してくださればよい、という条件で、あなたに蓄え全部を提供しますが、どうでしょう」 

訪問者 「いや、結構です。それではまるで、利子付きで、しかもですよ、値打ちを引き上げる正の利子ではなくて、引き下げる負の利子のもとで働くようなものですよ。売り方の代わりに資本家の買い方がいるようなもんですよ。でもね、私の信仰は高利を禁じていますが、また、転倒された利子も禁じているんですよ。ではこうしましょう。私が監督しますから、小麦のストックを取り出して、小屋を建て、必要な作業を行うというのはどうでしょう。その代わりに、毎年、10袋につき2袋を私に報酬として支払ってください。それで折り合いをつけましょう」 

ロビンソン 「その支払い分を高利といおうが、仕事と呼ぼうが、そんなことは私にはどうでもいいことです。とにかく、あなたに10袋を渡しましょう。あなたは私に8袋を返す、これで折り合いがつきましたね」 

訪問者 「しかしまだ、私には、別の物も必要です。鋤や荷車や手工具です。これら全部、無利子で貸してくれませんか。返す時はどれも変わらぬ品質で、新しい鋤なら新しい鋤を、新しい鎖なら錆のない鎖を返済することを約束します」 

ロビンソン 「もちろん、ご用意しましょう。今は、どの蓄えも私には労力のかかる物ばかりですから。この間などは、小川が氾濫して小屋は水浸しになり、なにもかにも泥を被ってしまったんですよ。その次はといえば、嵐で、屋根はむしり取られ、全部、雨で台無しになってしまいました。いまどきのように、天気が感想すると、風が小屋の中へ砂や塵を吹き込むんです。錆や腐朽、倒壊、日照り、光と暗闇、木喰虫、白蟻といったなんやかやで仕事には絶え間がありません。泥棒や放火魔がいないことがまだましですけれど。これらの物を、手間もいらずに、費用もかけずに、損失を受けることもなく、よい状態を維持しながら、あとで役立つように保管できるとは、喜ばしいかぎりです」 

訪問者 「それでは蓄えを貸し渡すことが利益になるとわかったのですね」(原注2) 

(原注2) クヌート・ヴィクゼル『価値、資本および利子』83ペイジ。「しかるにベーム・バベルクは現在財は必要とあれば将来のために『保存しうる』のであるから、少なくとも将来財と同等であると主張している。これはおそらく大きな誇張というものである。ベーム・バベルクはこの法則の例外、すなわち、氷や果物などの、損なわれる財に言及している。しかし、どのような食料品にも、そのことは例外なく高かったり低かったりする程度で妥当しているのである。確かに、こうした財は、将来のための保管に特別な労苦や配慮を必要とせず、しかも危険にも会わないような貴金属や宝石類という財とは違っている。しかし、それらにしても火災やこれに類する災難によって失われることもあるのである」(今日、銀行は金や宝石、有価証券保管用に、個人向けの特別な個室を用意している。しかし、それには賃貸料を支払わねばならないのだ。その金額分だけ、「現在財が将来財に」及ぶということはないのである。 

ロビンソン 「率直にそのことを認めましょう。でも、疑問に思うのですが、なぜ海の向こうの故国では、そのような蓄えが所有者に利子をもたらすのでしょうか」 

訪問者 「あなたは、その説明を、海の向こうではこうした取引の仲介をしている貨幣に求めなければなりません」 

ロビンソン 「なんですって!貨幣のうちに利子の成因があるというのでうか。そんな」ことはありえません。マルクスが貨幣と利子について述べているところを聞いてみてください」 

「労働力は利子(剰余価値)の源泉である。貨幣を資本に転化させる利子は貨幣に起因することはありえない。貨幣が交換手段であることに間違いなければ、商品価格を支払い、商品を購入する以外のことをしはしない。貨幣がそのように変わらずにあり続けるならば、価値を付け加えることはない。それゆえ剰余価値(利子)は購入され、より高価で販売された商品に由来する。この変化は購入においても、販売においても発生しない。これらの行為においては、いずれも等価物が交換される。それゆえ、商品を購入して使用し、再び売却することによって、この変化が起こるということは依然、たんなる仮定として任意のものである(マルクス、『資本論』、第6章)」 

訪問者 「この島で暮らし始めて、もうどれくらいになりますか」 

ロビンソン 「30年です」 

訪問者 「人間というのは、忘れないものですね。あなたはそんな価値論をいまだに引き合いにだします。ロビンソンさん、これは片づいてしまいました。彼の価値論は死に絶えたのです。それを主張するひとなどもはや誰一人もいませんよ」 

ロビンソン 「なんですって。利子に関するマルクスの理論が死に絶えたとおっしゃるんですか。そんなことはありえません。たとえ、もはや誰ひとりとしてそう主張する者がいなくても、私はそれを主張します」 

訪問者 「それなら、言葉だけではなく、行為によっても主張するがよいでしょう。そうしたいのなら、私と対立することになりますね。私は、ただいま締結した商取引から身を引きましょう。あなたはここに蓄えを持っています。その蓄えは、その性格と用途からその本当の形態であるとみなされるもの、つまり一般に「資本」と呼ばれるものです。私にはあなたの品物が必要ですが、あなたは資本家のように私に対立しようとします。いま、私はあなたに対峙していますが、労働者が資本家にそんなにもあからさまに立ち向かったことはありません。私たちの対立関係のように、資本の所有者と資本を必要とする者との関係が、こんなにも踏みにじられるとは。私から利子をとることができるかどうか、さあ、試してごらんなさい。それとも、もう一度初めから商取引を始めますか」 

ロビンソン 「いや、あきらめます。ネズミや衣魚、錆が私の資本家的精力を殺いでしまいました。でも、あなたはこのことをどう説明するというのですか」 

訪問者 「説明するのは簡単です。あなたはたったいま私に無利子で貸してくれましたね。しかし、この島に貨幣経済が成立しているとしましょう。その場合、遭難者である私が貸し付けを必要としているとすると、必要としている物を購入するために資金供給者に頼み込む必要がでてきます。資金提供者はネズミや衣魚、錆、火災や屋根の損傷に苦しめられることはありません。ですからあなたとの場合のようには対立しないでしょう。物品の所有に結びついている損失を考えてください。そこでは犬があなたの、そして私の鹿皮を引きずっていっていってしまいます。犬が運んでいってしまうのは犬が保管しているも同然です。どのような配慮も、そしてわたしがあなたを納得させた十分な証明も、資金提供者にとっては関係のないことです。私が利子の支払いを拒んでも、あなたは皮の衣服が入った木箱を閉じはしませんでした。資本の性格があなたをさらなる交渉へと向かわせたのです。しかしです。貨幣資本家は私が利子を支払わないといえば、すげなく私を追い払ってしまうでしょう。私には貨幣そのものが必要だったのではありません。その皮の衣服が必要だったのです。皮の衣服をあなたは無利子で貸し与えてくれます。なのにです。私はそのために貨幣に利子を支払わねばならないんです! 

ロビンソン 「そのように利子の原因が貨幣のうちに求められるなら、マルクスは間違っていたのでしょうか。マルクスはどこかでこう述べていましたね。 『本来の商業資本において、G-W-G(貨幣-商品-増殖した貨幣)形態、より高く売るために購入することが最も純粋に現れる。他方、あらゆる資本の運動は流通の局面の内部で起こる。しかし流通そのものから資本の貨幣への転化を説明することは不可能である。そこで等価物が交換されるや否や、商業資本は不可能であるようにみえる。だからこのことは購入や売却をする商品生産者たちから、それらの間に割って入る商人が二重にだまし取ることからだけ導きだされる。商業資本の換価が商品生産者をたんに詐欺にかけるということから説明されるべきでないとするなら、そこには多くの中間項が必要である』(資本論、第一巻) 

訪問者 「ここでもマルクスは完全に間違ってますね。国民経済学の重要な核心である貨幣について思い違いをしているから、彼はいたるところで誤りを犯しているに違いありません。マルクスは、また、あらゆる彼の信奉者も同様ですが、貨幣の本質をその考察の範囲から除外するという誤りを犯しているのです。 

ロビンソン 「このことは、貸付についての私たちの交渉が実証してくれましたね。貨幣はマルクスによれば交換手段にすぎませんが、貨幣は単なる「購入した商品の価格を支払う」ということ以上であると思われるような働きをしているんですね。利子を支払おうとしないとき、商品(資本)の所有者を苦しめる憂慮も知らないで、貸付を受ける受取人の鼻先で銀行員が金庫をぴしゃりと閉めることは、商品を超えた貨幣それ自体がもつ権力に負っているのですね。そこに商品の弱点があったのですね」 

訪問者 「ネズミや衣魚や錆が、なんという証明力をもっていることでしょう」 

(ロビンソン物語、終わり) 

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