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日曜日, 10月 27, 2019

日本の依存率の上昇に伴う問題-パート1 –ビルミッチェル–現代通貨理論

What is the problem with rising dependency ratios in Japan – Part 1? – Bill Mitchell – Modern Monetary Theory

http://bilbo.economicoutlook.net/blog/?p=43495


ビル・ミッチェル 「日本の依存人口比率、その何が問題か? パート1」(2019年10月28日) — 経済学101

https://econ101.jp/%E3%83%93%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AB%E3%80%

ビル・ミッチェル 「日本の依存人口比率、その何が問題か? パート1」(2019年10月28日)

Bill Mitchell, “What is the problem with rising dependency ratios in Japan – Part 1?“, –Bill Mitchell – Modern Monetary Theory, October 28, 2019.

(訳者注:ちょっと雑な訳かもですが来日直前と言うことでご容赦ください。パート2も来た。。。)


 

今週の後半からは日本を訪問し、幅広い立場の人々を対象にいくつか会議があったりプレゼンテーションをしたりすることになっている。 各イベントのホストについては水曜日の投稿で告知する予定だが、いずれの組織も日本においてMMTの理解を促進しようとしており、公共政策での「健全財政」という議論を終わらせることにコミットしている皆さんだ。この健全財政という考えこそは、財政赤字の削減を目的としたおかしな政策(最近の消費税の引き上げなど)を導いているものだ。この度自分はプレゼンテーションの準備のため日本の状況をさまざまな観点から調査したので、しっかりした証拠に基づいた議論ができるだろう。健全財政のロビイスト(ここには日本内外の経済専門家の多くが入る)が繰り返し主張するテーマの一つに、「やっかいな」人口動態というものがある。全人口にが就業者に依存する率の上昇するにつれて財政状態は悪化していくから、政府は 「貯蓄」をするため財政黒字が要請されるのだと主張される。もちろん、この問題は日本だけのものではない。日本は他の国よりも少し早く高齢化の道を進んでいるということだ。もちろん依存率の上昇は重要であり注意を要する問題だが、「健全金融」 ロビイストたちの問題設定は完全に的外れで、彼らの「解決策」 によって「問題なし」となるという、まさにそのことによって本当の問題が悪化する。この記事で述べたいのはそのようなことだ。次のパート2では、生産性という課題の本質と、これについてどのような選択肢が提案できるか詳しく説明する予定だ。

日本の人口は縮小中

次のグラフは、1920年から2018年までの日本の総人口だ。第二次大戦(1941〜43)の期間のデータは存在しない。

2010年以降は出生率の低下と死亡率上昇の結果、総人口が減少している。なお国際基準上の純移民は非常に少ない。

出生率の低下にはさまざまな社会的ないし経済的な理由がある(不安定さなど)。

安倍政権は出生率(若い家族への補助金、無料の就学前教育など)を増やす政策を実施しているが、変化の規模が政策介入の効果を上回っている。

上昇する依存人口比率

依存率にもいろいろある。

  • 標準依存率は、通常、(0〜15歳の人口)+(65歳以上の人口)を(15〜64歳の人口)で割った値として定義されている。 従来は64年で退職するのが通常だったのでこれが合理的と考えられてきた。 労働年齢人口(15〜64歳)が、子どもと老人を支えていると見られていたわけだ。
  • 高齢者依存率は、次のように求められる:65歳以上の人の数を労働年齢人口(15-65歳)で割ったもの。
  • 児童依存率は、15歳未満の人数を労働年齢人口(15-65歳)の人数で割ったもの。
  • 総依存率は、高齢者と子供の合計の比率だ。 「退職年齢」を変えて、65歳以上の労働者を分母に追加し、分子から減算してもよい。

次のグラフは、15歳から64歳までの労働年齢人口に基づく1920年から2018年までの日本の標準依存率だ(多くの日本人労働者は60歳で退職していた)。

次のグラフは、同期間の高齢者依存率だ。 1970年代初頭から上昇している。

次のグラフは、同じ期間の児童依存率。

最後に、次のグラフは逆依存率。これは、非生産者人口あたりの生産者人口(労働者)を示している。

日本では、1990年代初頭に2.31でピークに達し、現在は1.48になっている。 次に示すように、2050年までに1.03に低下すると予測されている。

次のグラフは、定年が70歳に引き上げられた場合の標準依存率がどう変わるかを示している。

退職年齢を引き上げようとする理由もわかる。 団塊世代が65歳以上の年齢層に入ることで、2つの線の間隔が広がる。

この種類の救済策の問題は、一般的に職業構造全体として非常に不均等になることだ。 肉体労働者は年を取るほどに仕事をするのが困難になっていくことだ。

依存人口比率は今後も上昇

国連経済社会局の人口部門は、定期的に- 世界人口の見通し -(2019年最新)を公表している。ここは様々な仮定(出生率、移住率など)に基づき2100年までの予測を提供している。

以下のグラフは、そのデータから作成したもので、1950年から2100年までの日本、オーストラリア、米国の標準依存比率(上のグラフ)と、逆依存比率(下のグラフ)を示している。

2015年、扶養者一人当たりの労働者数は日本が1.56人、オーストラリアが1.96人、米国が1.95人だった。

国連の予測では、2050年までにこの比率は日本で1.03、オーストラリアで1.53、米国で1.57に低下するとなっている。

実効依存比率

標準依存率には問題がないわけではない。労働年齢(15〜64歳など)のすべての人が実際に商品やサービスを生産しているわけではない、という最大の問題に対応するために 実効依存率の概念が導入されている。

労働年齢層の中にも、退職者や子供と同様に商品やサービスに「依存している」人々が多く存在する。

たとえば、フルタイムの学生、主婦や主夫、病人や障害者、隠れ失業者、早期退職者がそれに当てはまる。

そこで実効依存率は、経済的な活動をしている労働者と活動していない人の比率として計算するべく、有給の仕事を活動と見做して定義しようというものだ。

これは現在の被雇用者の負担をより正確に示す指標と言えるだろう。

しかし、この概念をもっと押し進めることもできる。

統計は、失業者が経済活動を行っているとみなしているが、失業者はそうでないカテゴリーに含めるべきだ。

失業者も雇用者の生産に「依存」していることは明らかだ。 また、完全失業者ほどではないにせよ、能力を十分に発揮できる仕事についている人々(the underemployed。訳者注:ワープアがここ)についても同じ主張ができる。

そして、今の大規模失業の新自由主義時代においては、依存率の問題に関しまったく異なる状況が起こっている。

国連のデータを使用した場合、2015年の日本の標準依存率の推定値は63.5%だ。

実際の労働力データ(参加率と失業率)を考慮すると、2015年の日本の実効依存率は約184%だ。

2015年の労働参加率は59.6%だが、1970-1990年代に達成された率(約63%)に引き上げ、失業率を以前に達成された低水準(1970年に1.1%)に引き下げると、2015年の実効依存率は163%になる。

2050年を予測すると(国連の人口予測を使用し、参加率と失業率を2018年の水準で一定に保つ)、日本の実効依存率は228%、オーストラリアは164%、米国は169%という大まかなの推定値が得られる。

こうしてまったく異なる姿が見えてきた。政策立案者は、低失業率の維持と不完全雇用の解消の重要性に焦点を当てるべきなのだ。

日本の場合は失業率が比較的低いことを考えると、失業を減らすよりも労働参加を増やすことに余地がある。 

オーストラリアのような国の場合、依存率を減らすためにできる最優先事項は、真の完全雇用を取り戻すことだ。

日本とオーストラリアを比較すると、日本は標準依存率が高く、失業率がはるかに低い。このことを考慮に入れた実効依存率(2018年=日本の2.4%、オーストラリアの5.2%)の差は標準依存率の差に比べて小さくなる。

問題は何なのか?

影響力が大きい米雑誌、Foreign Affairsの1999年1月/ 2月号のOp Ed – Grey Dawn:The Global Aging Crisis –で、Peter G. Peterson氏が、保守陣営の財政出動批判を正当化するべく依存率上昇の問題を声高に叫んでいる。

この人物はウォール街の銀行家(リーマン、ブラックストーン)であり、ニクソン政権に仕えた後、自らの財団に大金をつぎ込んでいるのだが、この財団こそは財政赤字や社会保障や医療といったあらゆる種類の削減を主張して公的債務に反対する声の発信源になっている。

だから氏が高齢化問題に傾倒することは驚くことではない。

氏は1999年の記事では「地球温暖化」については疑問を呈しつつ、「世界の高齢化問題がどのように現れるか、またはいつ現れるかについての議論がほとんどなされていない」と述べていた。

こう言っている:

そして、不安定な新しい民主主義を維持し強化するための闘争であるとしても、世界の高齢化のコストは他の課題とは異なり、退職給付制度が根本的に改革されない限り、世界の最も裕福な国ですら手に負えないものになる。早期かつ十分で大胆に準備を怠ると、経済危機を引き起こし、それは直近のアジアやロシアのメルトダウンをしのぐ規模に発展するだろう。

世界の高齢化にどのように対処するか次第で、次世紀に何千兆ドルもの経済的影響が出ることだろう。この問題が、将来直面する別の主要な課題を管理できるかどうかに大きな影響を与えよう。

氏は依存率の上昇は次のようなものを生み出すとも書いている

…化学兵器、核拡散、民族紛争によってもたらされる脅威よりも深刻で確実な脅威…

主流派経済学者やその他の人々、つまり社会保障費など自分たちの直接的な利益にならないような政府支出を削減することによって利益を得ようとする人々に共通する主張は「いつか政府は破産状態に陥るだろう」というものだ。依存率が上昇すると高齢者の介護(年金・健康等)のために支出が大幅に増加し、政府の税基盤が縮小するのだと言う。

つまり、経済活動をする人口に比べた経済活動をしない人口の比率が高くなれば、財政支出の増加を支えるために経済活動をする人々はもっと多くの税金を払わなければならなくなるという。

だから依存度が上昇すれば、財政赤字に歯止めがかからなくなり、債務が増大し、長期的には持続不可能になるという。

高齢化社会のこの種の問題は結局のところ、「通貨の発行者である政府も支出を制約されており、支出需要が増加するときには財政の持続可能性(支払能力)の問題にさらされる」という主流の通念の一変種と見なすことができる。

こうした主張はは直ちに退けられなければならない。

依存率の上昇はある問題を示唆するものであるが、それは政府の財政的な支払い能力とは全く関係がない。

主流のアプローチが、政府に勧めてくるのは以下のようなことだ。

  1. 人々をもっと長く働かせることを強制する政策を導入する。壮年期以降にハードワークが困難なる肉体労働者、低技能労働者に対して偏ったしわ寄せが行くにも関わらずだ。
  2. 人口の年齢構成を低下させつつ課税ベースを拡大するために、移民を増やす。
  3. 市民社会のバックボーンとなる福祉サービスと年金の資格の質と量を削減。国民が「不相応な暮らしをしている」とされるからだ。

しかし、これらの「救済策」は的を外している。

高齢化問題とは金銭の危機ではなく、リアルの問題である。

本当の問題は生産性、そして実物資源を確保できるかどうかだ。

たとえば、長期にわたって高齢化ケアを提供するのに十分な実物資源が無いと、本当に我々は考えているだろうか?

もちろん、政策の場でそれが語られることは決してない。

彼らが心配されるのはいつもいつも、より多くの実物資源が「公共部門で」必要になるから公的支出が増加するということだけだ。

しかし、実物資源が利用可能であるならば、この問題は、資源がどこで使用されるかという政治問題でしかない。

金銭の問題ではないのだ。

通貨の発行者である政府(日本など)は、ただ政治的な意思さえあれば、利用可能な資源を常に望ましい用途に充てることが可能なのだ。

小学校への投資が減り、高齢者介護の投資が増えるだろう。

人口動態の変化に伴って、就学前のインフラや教育費への投資が減り、年金が増えるだろう。

そして、ここにおいて気候変動問題と高齢化問題がクロスする。

我々がこの世を去る時には子供たちが世界を継承し、彼らも高齢者になっていく。

いま我々が、実物資源の基盤を破壊してしまったら次世代の彼らは、我々より以上に暗い未来に直面することになるだろう。

そして、これは実物資源の利用可能性以上に生産性が課題となる。

生産性という文脈において、財政制約という神話を背景に推進される政策戦略は、たいていの場合、将来の生産性成長と商品やサービスの提供そのものを弱らせてしまう。

目標とすべきなのは明らかに、例えば効率的で効果的な医療システムの維持といったことだ。

実物としての健康管理システムが重要であることは間違いない。私が強調したいのは、健康管理サービスを提供するために充てられる資源の問題と、大学等における、将来の健康を改善するための研究だ。

つまり、効果的な医療システムのための設備と、システムを維持するノウハウを国が保証しなければならない。

さらに言えば生産性の伸びとは、大学その他の研究機関における投資と研究開発から生み出されるものだ。

ところが正反対なことに、現時点の「金銭的問題」(財政の持続可能性、破産の恐れなど)という観点から遠い未来の問題に取り組んでしまうこと自体が、財政緊縮バイアスと重要インフラへの過少投資につながってきた状況だ。

そして、「問題でないもの」を解決しようとすることは、時間の経過とともに本当の問題をさらに悪化させることになる。

結論

パート2では、この観点から、日本政府に提案したい生産性の課題といくつかの政策オプションについてより具体的に記述しよう。

一部のデータは非常に示唆的だ。

今日はこれまで!




日本の依存率の上昇に伴う問題-パート1 –ビルミッチェル–現代通貨理論
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日本の依存率の上昇に伴う問題-パート1

2019年10月28日月曜日
今週後半、私は日本に滞在し、幅広い日本の政治との一連のプレゼンテーションと会議を行います。水曜日のブログ投稿で確認するイベントのさまざまなホストはすべて、日本でMMTの理解を促進し、「健全な金融」が公共政策の議論に持っているホールドを終了し、定期的に不十分な人為的な政策シフトにつながることにコミットしていますより低い財政赤字を追求した最近の消費税増税)。プレゼンテーションの準備の一環として、私は日本の状況のさまざまな側面を研究してきましたので、しっかりした証拠に基づいて問題に対処することができます。 「健全な金融」ロビー(日本国内外の多くの経済学の専門家を含む)によって提起された繰り返しのテーマの1つは、その「挑戦的な」人口統計学が、回避するために「貯蓄」するために余剰に動くことを政府に要求することです依存率の上昇に伴う差し迫った財政災害。もちろん、この問題は日本だけにとどまりません。日本の人口統計は、他の国よりも高齢化の道を少し進んでいるだけです。しかし、依存率の上昇は重要であり、注意が必要ですが、「健全な金融」ロビーによる問題の構築はその点を完全に見逃し、「非問題」に対する「解決策」は実際の問題を悪化させるだけです。それが今日のブログ投稿の目的です。パート2では、生産性の課題の性質と、それに対処するために提案されているいくつかのオプションについて詳しく説明します。

日本の人口は減少しています

次のグラフは、1920年から2018年までの日本の総人口を示しています。WW2年(1941〜43)の間にデータは収集されませんでした。

出生率の低下と死亡率の増加に伴い、2010年以降、総人口は減少しています。国際基準では、純移民は非常に少ないです。

社会的および経済的(不安定など)、出生率の低下と低出生には多くの理由があります。

安倍政権は出生率(若い家族への補助金、無料の就学前教育など)を増やす政策を実施していますが、変化の規模は政策介入の影響を上回っています。



依存率の上昇

計算できるさまざまな依存関係比があります。

標準的な依存率は、通常、100 *(人口0〜15歳)+(65歳以上の人口)をすべて(15〜64歳の人口)で割った値として定義されます。歴史的に、人々は64年後に退職したため、これは合理的であると考えられていました。労働年齢人口(15〜64歳)は、若者と老人をサポートしていると見られていました。
高齢者依存率は、次のように計算されます:100 * 65歳以上の人の数を労働年齢(15-65歳)の人の数で割ったもの。
児童依存率は次のように計算されます:100 * 15歳未満の人数を就業年齢(15-65歳)の人数で割ったもの。
合計依存率は、高齢者と子供の比率の合計です。 「退職年齢」を明確に操作し、65歳以上の労働者を分母に追加し、分子から減算することができます。
次のグラフは、15歳から64歳までの労働年齢人口に基づく1920年から2018年までの日本の標準依存率を示しています(多くの日本人労働者は歴史的に60歳で退職しています)。



次のグラフは、同じ期間の高齢者依存率を示しています。 1970年代初頭から上昇しています。



次のグラフは、同じ期間の子依存率を示しています。



最後に、次のグラフは逆依存率です。これは、人口の非生産的な人あたりの生産的な労働者の数を示しています。

日本では、1990年代初頭に2.31でピークに達し、現在は1.48になっています。次に示すように、2050年までに1.03に低下すると予測されています。



次のグラフは、定年が70歳に引き上げられる場合の標準的な依存率の違いを示しています。

退職年齢を引き上げようとする理由がわかります。より多くの団塊世代が65歳以上の年齢層に入ると、2つのラインのギャップは広がります。

これらの種類の救済策の問題は、それらが一般的に職業構造全体で非常に不公平であることです。肉体労働者は晩年に取り組むのが非常に困難です。



そして、彼らは上昇し続けると予測されています

国連経済社会局の人口部門は、定期的に「世界人口見通し」(2019年最新版)を発行し、さまざまな仮定(出生率、移住率など)に基づいて2100年までの予測を提供しています。

以下のグラフは、そのデータベースから作成され、1950年から2100年までの日本、オーストラリア、米国の標準的な依存率を示しています(上のグラフ)。

ncy比(下のグラフ)。



2015年には、日本のすべての扶養者に1.56人、オーストラリアに1.96人、米国に1.95人の労働者がいました。

2050年までに、国連はこの比率が日本で1.03、オーストラリアで1.53、米国で1.57に低下すると予測しています。



有効な依存率

標準的な依存率には問題がないわけではなく、有効な依存率の概念が導入され、主な問題に対処しています。労働年齢(15〜64歳など)のすべての人が実際に商品やサービスを生産しているわけではありません。

この年齢層には、退職者や子供と同様に商品やサービスにも「依存」している人が多くいます。

たとえば、フルタイムの学生、家の両親、病人または障害者、隠れた失業者、および早期退職者がこの説明に当てはまります。

したがって、有効な依存率は、経済的に活動している労働者と活動していない人の比率として計算され、活動は有給の仕事に関連して定義されます。

これは、おそらく、現在の従業員の負担をより正確に示す指標となります。

ただし、この概念をさらに一歩進めることができます。

また、国家統計学者は失業者を経済的に活発であると数えているが、失業者もこのカテゴリーに含めるべきである。

失業者は雇用者の生産に「依存」していることは明らかです。また、それほど明確ではないものの、失業者についても主張することができます。

しかし、この大規模な失業の新自由主義時代には、依存の問題についてまったく異なる状況が見られます。

国連のデータを使用する場合、2015年の標準的な依存率の日本の推定値は63.5%でした。

実際の労働力データ(参加率と失業率)を考慮すると、2015年の日本の有効な依存率は約184%でした。

参加率を2015年の59.6%から1970年から1990年の間に達成した率(約63%)に引き上げ、失業率を以前に達成した低水準(1970年に1.1%)に下げると、効果的な依存関係が生まれます2015年の163%の割合。

2050年までの予測(国連人口予測を使用し、2018年レベルで参加率と失業率を一定に保つ)は、228パーセント、オーストラリア164パーセント、米国169パーセントの大まかな実効依存率推定値を日本にもたらします。

まったく異なる状況。政策立案者は、低い失業率を維持し、不完全雇用をなくすことの重要性に焦点を当てる必要があります。

日本は、失業率が比較的低いことを考えると、失業を減らすよりも参加を増やす余地があります。オーストラリアのような国にとって、依存率を減らすためにできる最初の最大の利益は、真の完全雇用を回復することです。

日本とオーストラリアを比較すると、日本では標準的な依存率が高いにもかかわらず、日本の失業率がはるかに低いことを考慮すると(2018年=日本の2.4%、オーストラリアの5.2%)、オーストラリアでは、有効率の差は標準比率の差に比べて狭くなります。

何が問題ですか?

影響力のある米国の雑誌Foreign Affairsの1999年1月/ 2月号で、Peter G. PetersonのOp Ed – Grey Dawn:The Global Aging Crisis –は、財政活動に対する保守的な攻撃を正当化するために上昇する依存率。

もちろん、ピーターソンはウォール街の銀行家(レーマン、ブラックストーン)であり、ニクソン政権に勤め、後に財政赤字に対する主要な声となり、社会保障と健康へのあらゆる種類の削減を主張する公的債務になった彼の基金に財産を注ぎ込んだお手入れ。

したがって、彼の高齢化社会問題への傾倒はほとんど驚くことではなかった。

1999年の記事は「地球温暖化」について疑念を表明したが、「地球の老化が現れるかどうか、またはいつ現れるかについてはほとんど議論ができない」と述べた。

彼は言った:

そして、不安定な新しい民主主義を維持し強化するための闘争であっても、他の課題とは異なり、グローバルな高齢化のコストは、退職給付制度が根本的に改革されない限り、世界の最も裕福な国の手段をはるかに超えます。そうしないと、早期かつ十分に大胆に準備を怠ると、経済危機を引き起こし、アジアとロシアの最近のメルトダウンをd小化します。

グローバルな高齢化にどのように対処するかは、次の世紀にわたって莫大な経済的影響をもたらし、数千ドルの費用がかかります。確かに、それは私たちが将来直面する他の主要な課題をどのように管理し、管理する余裕があるかに大きく影響します。

また、依存関係の比率が上昇すると、次のようになったと書いています。

…化学兵器、核拡散、民族紛争によってもたらされる脅威よりも重大かつ確実な脅威…

主流の経済学者やその他の人々から一般的な主張になっている主張は、社会保障やその他の政府支出への削減から利益を得ようとするものであり、直接利益を得ることはできません。

依存率が上昇し、高齢者のケア(年金や健康など)への支出が大幅に増加するにつれて、課税ベースが縮小するため、政府は破産するでしょう。

その結果、経済的に活動していない人と比べて経済的に活動していない人の割合が増加した場合、経済的に活動している人は支出の増加を支えるためにはるかに高い税金を支払わなければなりません。

そのため、依存率が増加すると赤字が吹き飛ばされ、負債の拡大につながります。最終的には持続不可能になります。

言い換えれば、高齢化社会の問題は、通貨発行政府が支出を制限し、その支出に対する需要が増加したときに財政の持続可能性(ソルベンシー)の問題を課す拘束力のある財政的制約に直面しているという全体的な主流の信念のサブセットとして見られています。

これらの申し立ては、すぐに拒否する必要があります。

依存率の上昇は問題を示唆する可能性がありますが、この問題は政府の財政的ソルベンシーとは関係ありません。

主流のアプローチは、政府に以下を勧めます。

1.後の人生で一生懸命働くことができない低スキルの労働者に対して非常に偏っているにもかかわらず、私たちをより長く働かせることを強制する政策を導入する。

2.移民レベルを上げて、人口の年齢構成を下げ、課税ベースを拡大します。

3.市民社会のバックボーンを形成する福祉サービスと年金受給資格の質と量を削減します。これは、彼らが「私たちの手段を超えて生きている」と言われているからです。

ただし、これらすべての救済策およびその他の救済策は全体的なポイントを逃しています。

高齢化問題それは、金融危機ではなく、現実的な問題です。

本当の問題は、生産性と実際のリソースの可用性です。

たとえば、高齢化ケアを長期にわたって提供するのに十分な実リソースがないと本当に言っているのでしょうか?

もちろん、それは決して発言されません。

心配は常に、以前よりも「公共部門」でより多くの実資源が必要とされるため、公共支出支出が増加することです。

しかし、これらの実際のリソースが利用可能である限り、それがどこで使用されているかという点で政治的な問題にとどまっています。

経済的な問題はありません。

政治的意思がある場合、通貨発行政府(日本など)は常に利用可能なリソースを望ましい用途に持ち込むことができます。

小学校への投資は、高齢者介護投資に取って代わります。

就学前のインフラと手当への投資は、人口動態の変化に伴い年金に取って代わります。

そして、これは気候変動問題と高齢化社会の問題が交差する場所です。

私たちがいなくなったとき、私たちの子供たちは世界を継承し、私たちがいなくなったとき、彼らは高齢者になります。

今、実際のリソースベースを破壊すると、彼らは、たとえば、私たちが抱えていたよりも暗い未来に直面するでしょう。

しかし、それは実際のリソースの可用性を超えており、生産性の課題になります。

これに関連して、財政的制約の神話によって推進されているタイプの政策戦略は、通常、将来の生産性の成長と実際の商品とサービスの提供を弱体化させます。

目標は、例えば、効率的で効果的な医療システムを維持することであることは明らかです。

本当の健康管理システムが重要であることは明らかです。つまり、健康管理サービスを提供するために使用されるリソースと、将来の健康の見通しを改善するために大学などで行われる研究です。

つまり、国家は、実際の施設があり、効果的な医療システムを維持する方法を実際に知っていることを保証する必要があります。

さらに、生産性の伸びは、大学や他の研究機関への、少なくとも一部ではなく、研究開発への投資によるものです。

残念ながら、現在の「金銭的」考慮(財政の持続可能性、破産の恐れなど)の観点から遠い未来の問題に取り組むことは、財政緊縮バイアスと重要なインフラへの投資不足につながりました。

そして、「問題なし」を解決しようとすることで、時間の経過とともに実際の問題を悪化させます。

結論

パート2では、この文脈で日本政府に提案された生産性の課題といくつかの政策オプションについてより具体的に記述します。

一部のデータは非常に明らかになっています。

今日はこれで十分です!

(c)Copyright 2019 William Mitchell。全著作権所有。


What is the problem with rising dependency ratios in Japan – Part 1?

Later this week I will be in Japan for a series of presentations and meetings with a broad spectrum of Japanese politics. The various hosts of the events which I will confirm in Wednesday’s blog post are all committed to advancing an MMT understanding in Japan and ending the hold that ‘sound finance’ has on the public policy debates and regularly lead to poorly contrived policy shifts (such as the recent sales tax hike) in pursuit of lower fiscal deficits. As part of my preparation for my presentations I have been studying various aspects of the Japanese situation so that I can address the issues with a solid evidence base. One of the recurring themes put forward by the ‘sound finance’ lobby (which includes much of the economics profession both inside and outside of Japan) is that its ‘challenging’ demography demands that the Government move to surplus to ‘save up’ to avoid the impending fiscal disaster associated with a rising dependency ratio. This issue is not confined to Japan, of course. It is just that Japan’s demography is a little further down the ageing road than other nations. But while rising dependency ratios matter and need attention, the construction of the problem by the ‘sound finance’ lobby misses the point completely and their ‘solution’ to their ‘non problem’ only serves to exacerbate the real problem. That is what today’s blog post is about. In Part 2, I will elaborate more on the nature of the productivity challenge and some of the options that have been suggested to deal with it.

Japan’s population is shrinking

The following graph shows the total Japanese population from 1920 to 2018. During the WW2 years (1941-43) no data was collected.

The total population has been shrinking since 2010 as birth rates decline and death rates increase. Net immigration is very low by international standards.

There are many reasons for the declining and low birth rates – sociological and economic (insecurity etc).

The Abe government has policies in place to increase the birth rates (subsidies to young families, free preschool education, etc) but the scale of the change is outpacing the impacts of the policy interventions.

Rising dependency ratios

There are various dependency ratios that can be calculated:

  • The standard dependency ratio is normally defined as 100*(population 0-15 years) + (population over 65 years) all divided by the (population between 15-64 years). Historically, people retired after 64 years and so this was considered reasonable. The working age population (15-64 year olds) then were seen to be supporting the young and the old.
  • The aged dependency ratio is calculated as: 100*Number of persons over 65 years of age divided by the number of persons of working age (15-65 years).
  • The child dependency ratio is calculated as: 100*Number of persons under 15 years of age divided by the number of persons of working age (15-65 years).
  • The total dependency ratio is the sum of the aged and child ratios. You can clearly manipulate the “retirement age” and add workers older than 65 into the denominator and subtract them from the numerator.

The following graph shows the Standard dependency ratio for Japan from 1920 to 2018 based on a working age population of 15-64 years (even though many Japanese workers have historically retired at 60).

The next graph shows the Aged dependency ratio over the same period. It has been rising since the early 1970s.

The next graph shows the Child dependency ratio over the same period.

Finally, the next graph is the inverse dependency ratio, which tell us how many productive workers there are per non-productive person in the population.

For Japan this peaked at 2.31 in the early 1990s and is now at 1.48. As I show next it is projected to fall to 1.03 by 2050.

The next graph shows the difference in the standard dependency ratio if the retirement age was to be lifted to 70 years of age.

You can see why the push is on to increase the retirement age. The gap between the two lines is diverging as more baby boomers pass into the above 65 years bracket.

The problem with these sorts of remedies is that they are typically very inequitable across the occupational structure. Manual workers face great difficulties working into their later years.

And they are projected to keep rising

The UN Department of Economic and Social Affairs, Population Division publishes regular – World Population Prospects – (latest 2019), which provide projections out to 2100 based on various assumptions (birth and death rates, migration rates, etc).

The following graphs are drawn from that database and show the Standard Dependency Ratios for Japan, Australia and the US from 1950 to 2100 (top graph) and then the inverse dependency ratios (bottom graph).

In 2015, there were 1.56 workers for every dependent person in Japan, 1.96 in Australia and 1.95 in the US.

By 2050, the UN estimates this ratio will fall to 1.03 for Japan, 1.53 for Australia and 1.57 for the US.

Effective dependency ratios

The standard dependency ratio is not without issues and the concept of an Effective dependency ratio was introduced to address a major issue – that not everyone of working age (15-64 or whatever) are actually producing goods and services.

There are many people in this age group who are also as ‘dependent’ for goods and services as are retired persons and children.

For example, full-time students, house parents, sick or disabled, the hidden unemployed, and early retirees fit this description.

The Effective dependency ratio is thus calculated as the ratio of economically active workers to inactive persons, where activity is defined in relation to paid work.

This, arguably, provides a more accurate indicator of the burden on the current workforce.

We can take this concept one step further though.

We should also include the unemployed in this category although national statisticians count them as being economically active.

It is clear that the unemployed are ‘dependent’ on the production of those in employment. One could also make a case for the underemployed, although that is not as clear cut.

But in this neo-liberal era of mass unemployment, we get quite a different picture of the problem of dependency.

If we use the UN data, then our estimate for Japan of the standard dependency ratio for 2015 was 63.5 per cent.

Taking into account the actual labour force data (participation rate and unemployment rate), the effective dependency ratio for Japan in 2015 was approximately 184 per cent.

Increasing participation rates from the low in 2015 of 59.6 per cent to rates achieved during the 1970-1990s period (around 63 per cent) and reducing unemployment rates to the low levels previously attained (1.1 per cent in 1970), would produce an effective dependency ratio of 163 per cent in 2015.

Projecting out to 2050 (using UN population projections and holding participation and unemployment rates constant at the 2018 level) produces rough effective dependency ratio estimates for Japan of 228 per cent, Australia 164 per cent and the US 169 per cent.

Quite a different picture, which should focus policy makers on the importance of maintaining low unemployment and eliminating underemployment.

Japan has more scope to increase participation than reduce unemployment given its relatively low unemployment rates. For a nation such as Australia, the greatest initial gain that can be made to reduce dependency ratios would be to restore true full employment.

When comparing say Japan and Australia, even though the standard dependency ratio is higher for Japan, once we take into account the much lower unemployment rates in Japan (2018 = 2.4 per cent Japan; 5.2 per cent Australia) offset by the higher participation rates in Australia, then the difference between the effective rates narrows relative to the difference between the standard ratios.

What is the problem?

In the January/February 1999 edition of the influential US magazine Foreign Affairs, Peter G. Peterson’s Op Ed – Gray Dawn: The Global Aging Crisis – provided a sort of rallying cry for the use of rising dependency ratios to justify conservative attacks on fiscal activism.

Peterson, of course, was a Wall Street banker (Lehmans, Blackstone) and served in Nixon’s administration and later pumped a fortune into his own foundation which became a leading voice against fiscal deficits, public debt advocating all sorts of cuts to social security and health care.

So his slant on the ageing society issue was hardly surprising.

The 1999 article expressed doubt about “global warming” but said “there can be little debate over whether or when global aging will manifest itself”.

He said that:

And unlike with other challenges, even the struggle to preserve and strengthen unsteady new democracies, the costs of global aging will be far beyond the means of even the world’s wealthiest nations — unless retirement benefit systems are radically reformed. Failure to do so, to prepare early and boldly enough, will spark economic crises that will dwarf the recent meltdowns in Asia and Russia.

How we confront global aging will have vast economic consequences costing quadrillions of dollars over the next century. Indeed, it will greatly influence how we manage, and can afford to manage, the other major challenges that will face us in the future.

He also wrote that the rising dependency ratios created:

… a threat more grave and certain than those posed by chemical weapons, nuclear proliferation, or ethnic strife …

The contention that has become a common claim by mainstream economists and others, who seek to benefit from cuts to social security and other government spending that doesn’t directly benefit them, is that governments will become insolvent as their tax bases shrink as the dependency ratios rise and their expenditure on aged care (pensions and health etc) rise significantly.

As a result, if the ratio of economically inactive rises compared to economically active, then the economically active will have to pay much higher taxes to support the increased spending.

So an increasing dependency ratio will blow the deficit out and lead to escalating debt – which will eventually become unsustainable.

In other words, the ageing society issue is just seen as a subset of the overall mainstream belief that currency-issuing governments face binding financial constraints which limit their spending and impose problems of fiscal sustainability (solvency) when the demands on that spending increase.

These claims should be rejected out of hand.

While rising dependency ratios can signal a problem, the issue is not related to financial solvency of government.

The mainstream approach exhorts governments to:

1. Introduce policies that force us to work longer despite this being very biased against the lower-skilled workers who physically are unable to work hard into later life.

2. Increase our immigration levels to lower the age composition of the population and expand the tax base.

3. Cut back on the quality and quantity of the welfare services and pension entitlements that form the backbone of our civil society because they (allegedly) represent ‘living beyond our means’.

However, all of these remedies and others miss the overall point.

The ageing population problem It is not a financial crisis that beckons but a real one.

The real problems are productivity and real resource availability.

For example, are we really saying that there will not be enough real resources available to provide aged-care at an increasing level over time?

That, of course, is never the statement made.

The worry is always that public spending outlays will rise because more real resources will be required ‘in the public sector’ than previously.

But as long as these real resources are available then it only remains a political problem as to where they are used.

There is no financial problem.

If there is a political will then the currency-issuing government (such as Japan) will always be able to bring the available resources into a desired use.

Primary schools investment will give way to aged care investment.

Investment in pre-school infrastructure and allowances will give way to pensions as the demography changes.

And this is where climate change issues intersect with the ageing society issues.

Our children will inherit the world when we are gone and they will be the aged when we are gone.

If we trash the real resource base now, then they will face a gloomier future than, say, we had.

But it goes beyond real resource availability and becomes a productivity challenge.

In this context, the type of policy strategy that is being driven by the financial constraint myths typically undermine future productivity growth and provision of real goods and services in the future.

It is clear that the goal should be, for example, to maintain efficient and effective medical care systems.

Clearly the real health care system matters by which I mean the resources that are employed to deliver the health care services and the research that is done by universities and elsewhere to improve our future health prospects.

That is, a nation has to ensure that there are real facilities and real know how to maintain an effective health care system.

Further, productivity growth comes from investments in research and development, not the least part, in universities and other research institutions.

Unfortunately, tackling the problems of the distant future in terms of current ‘monetary’ considerations (fiscal sustainability, insolvency fears, etc) have led to the fiscal austerity bias and underinvestment in vital infrastructure.

And by trying to solve the ‘non-problem’ now we worsen the real problem as time unfolds.

Conclusion

In Part 2, I will write more specifically about the productivity challenge and some of the policy options that have been proposed for the Japanese government in this context.

Some of the data is quite revealing.

That is enough for today!

(c) Copyright 2019 William Mitchell. All Rights Reserved.

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