【ユヴァル・ノア・ハラリを読む】貨幣の未来――ハラリ・MMT・仮想通貨
単行本 - 人文書
井上智洋(駒澤大学経済学部准教授)
2020.01.15
貨幣の虚構性
誰もが知っていることではあるけれど、一万円札というのはただの紙切れだ。日銀が「一万円」と印字しているから、それだけの価値を持っているに過ぎない。紙幣というのは「紙の約束」(註1)なのである。
世の中に出回っている貨幣は「現金」と「預金」から成り立っていて、預金の方の正体は何かというと、現代ではコンピュータ上のデータに他ならない。
ハラリは、貨幣の持つこの情報性・記号性を「虚構」という言葉で言い表している。この虚構こそが、多数の人々が協力して大きな目的を成し遂げる原動力である。
ホモ・サピエンスの脳の平均容量はおよそ1,350cc で、ネアンデルタール人は1,550ccである。脳の大きさのみが、賢さを決定づけるわけではないにせよ、ホモ・サピエンスの優位性を示す脳科学的な証拠はない。にもかかわらず、ネアンデルタール人は絶滅し、ホモ・サピエンスだけがあらゆる地表を我が物顔で跳梁跋扈している。
繁栄の理由は、私達ホモ・サピエンスが神話や国家、法制度といった現実には存在しないものを生み出せたことにある。貨幣もまたそのような虚構の一つである。貨幣がなければ、私達はこれだけの経済的豊かさを享受することはできなかっただろう。
最近、貨幣の持つこの情報性・記号性を強調する経済理論が注目を浴びている。それは「現代貨幣理論」(Modern Monetary Theory, MMT) である。
貨幣がコンピュータ上のデータであるならば、それは幾らでも無から作り出せることになる。実際、銀行は企業などに貸出を行う際に、コンピュータのキーボードを叩いてその企業の口座に 100 万円などと書き入れるだけで新たに貨幣を作り出すことができる。MMT ではこういう貨幣を「キーストロークマネー」と言っている。
なぜ貨幣は価値を持つのか?
それにしても、ただの紙切れやただのデータに過ぎない貨幣がなぜ価値を持つことができるのか? ハラリは、「これまで考案されたもののうちで、貨幣は最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ」(註2)と言っている。一体なぜ私達はただの紙切れをシャツやバッグと交換してもらえるものと信頼しきっているのだろうか?
貨幣が価値を持つ理由としては、「貨幣の自己循環論法」が広く知られている。貨幣が価値を持つのは貨幣が価値を持つからというものだ。あるいは、日本円に一般受容性があるのは、一般受容性があるからと言うこともできる。貨幣を人々が受け取ってくれることを、経済学では一般受容性という。
しかし、これではどうどう巡りになってしまっており、貨幣が価値付けの自己循環に入るための最初の一歩をどう踏み出したのかが分からない。
MMT派の経済学者ランダル・レイは、貨幣の自己循環論法を「ババ抜き貨幣論」(註3)とか「間抜け比べ」(註4)といって侮蔑している。代わりにMMTが提供しているのは「租税貨幣論」だ。
これは、実質的な価値のない貨幣が価値を持ち得るのは、それを使って税を納められるからだという説である。このようにして価値を持つに至った貨幣を「タックス・ドリブン・マネー」(租税駆動型貨幣)という。
確かに、納税に使えるというのは貨幣に価値を持たせるための強力な手段になり得る。だからといって、貨幣の自己循環論法を切り捨てることはできないのではないか?
というのも、人々がより強く意識するのは、納税の手段としての貨幣ではなく、交換の媒介としての貨幣だからである。一年の内、納税日以外の 364 日は、叙々苑で焼肉を食べたいとか久兵衛で寿司が食べたいといった想いが沸き上がることで、お金の必要性を痛感するのではないか?
そして、私達が給料などのお金を受け取るのは、買い物の際にお店がお金を受け取ってくれるからだろう。一般受容性があるからこそ一般受容性があるというのは、生活の実感に適合している。
要するに、租税貨幣論が正しいとしても、貨幣の自己循環論法を切り捨てる必要はないということだ。貨幣が価値付けの自己循環に入るには、最初の「神の一撃」が必要である。そして租税こそが、最も強力な一撃になり得るのである。
ビットコインと貨幣発行自由化論
租税は確かに強力だが、恐らくは自己循環に入るための唯一の手段ではないだろう。他にも、国家が貨幣に強制通用力を持たせること、金や銀を含むこと、便利なこと、希少価値があることなどなんでも良いかもしれない。
現に、ビットコインのような仮想通貨(暗号資産)は納税に使えないにもかかわらず、普及している。ランダル・レイは、ビットコインを「間抜けをだますための道具」(註5)と言って貨幣として認めていない。
だが、投機目的で保有されることが多いにしても、決済の手段としても若干は使われているので、貨幣ではないと完全に切り捨てることはできないだろう。
それよりも、ビットコインは円やドルといった法定通貨に比べると遥かに流通力は弱いが、利便性と希少価値の 2 点に拠って、かろうじて貨幣たり得ていると見なす方が妥当と思われる。
利便性は海外への送金のしやすさなどが挙げられる。希少価値は 4 年ごとに新規発行量が半減していく仕組みと 2140 年に達する 2100 万Bitcoin という貨幣量の天井によって担保されている。
そもそも、ビットコインの発案者であるサトシ・ナカモト(国籍不明、正体不明の人物ないし集団)は、典型的なリバタリアン(自由至上主義者)で、貨幣の発行を国の機関に任せるべきではないという思想の持ち主だった。
各国で行われていた金融緩和がインフレを引き起こすであろうことを危惧して、インフレを起こさないような貨幣としてビットコインを設計したのである。
これは、オーストリアの経済学者で、リバタリアンの始祖の一人と目されているフリードリッヒ・ハイエクによる『貨幣発行自由化論』(1976年)に沿った動きである。
ハイエクは、この本で公的機関による貨幣発行を廃止して、様々な民間経済主体が自由にそれぞれの貨幣を発行できるようにすべきだと主張している。
金本位制度の時代には、貨幣量は金の採掘量によって限定されていた。そのために、インフレは抑制されていたが、逆に言えばデフレ不況に陥りやすかった。
1930年代に日本を含めた多くの主要国が金本位制度から脱して管理通貨制度を採用し、政府・中央銀行が貨幣量をコントロールするようになった。だが、1970年代、主要国でインフレが進行していたので、ハイエクは貨幣発行自由化論を唱えたのである。
ビットコインは、いわば金本位制度の時代に立ち返るかのように、マイニング(採掘)によって貨幣量を限定することによって、インフレを防ぐ仕組みを備えている。逆に言うと、ビットコインは絶えずデフレ(貨幣価値が上がる)傾向にあり、それがためにもっぱら投機の対象になりがちである。国際会議などの公的な場で、仮想通貨ではなく暗号資産と呼ばれるようになったのはそのためである。
ビットコインはその希少性を高め過ぎたために、決済手段として利用が広がっていない。したがって、ビットコインが法定通貨を駆逐することはないだろう。
それでも今後なんらかの仮想通貨が、法定通貨の地位を脅かすようになるかもしれない。ハイエクの提唱した複数の貨幣が競合するような状態が自然と形作られる可能性もある。
国家 VS. プラットフォーム企業
私は 2019年5月に出版した『純粋機械化経済』という本の中で、グーグルやアマゾンが仮想通貨を発行してばらまくようになるだろうと述べた。そのすぐ後、2019年6月にフェイスブックは仮想通貨「リブラ」を発表している。
リブラは価値を安定させるために、ドルやユーロ、円といった法定通貨のバスケットによって裏付けされる「ステーブルコイン」になりそうだ。そうであれば、リブラは法定通貨を補完する役割を果たすだけだ。
しかしながらこれから、法定通貨とは全く異なった価値の源泉を持つ仮想通貨が、プラットフォーム企業によって発行される可能性も否定はできない。
一方、法定通貨そのものを仮想通貨として発行する動きもある。例えば、スウェーデンの中央銀行リクスバンクは、法定仮想通貨「e-クローナ」を 2021 年から流通させ始める予定だ。
もし、円という法定通貨が仮想通貨になれば、私達は銀行に預金としてお金を預ける必要がなくなり、これまでの貨幣制度・金融制度が抜本的に変革されることになる。そして、国家の発行する仮想通貨と企業などの民間経済主体の作り出した仮想通貨とが競い合うことになる。
貨幣は、利用者が多ければ多いほど利便性が増して、それによってさらに利用者が増えるという「ネットワーク外部性」という性質を持っている。
電話のようなネットワーク外部性を持つ事業は、日本では長らく国営企業(電電公社)によって担われ、アメリカでは独占企業(AT&T) によって担われてきた。検索エンジンやSNSなどのネットワーク外部性を持つサービスも、グーグルや フェイスブックのようなプラットフォーム企業によって、独占(ないし寡占)されてきた。
ネットワーク外部性を持った土台をプラットフォームと呼ぶならば、貨幣もまたプラットフォームであり、それは主に国家によって運営されてきた。国家の重要な役割の一つは、プラットフォームの運営にあったのである。
ハラリに基づいて言えば、国家は人間が作り上げた最も強力な虚構ということになる。それがために貨幣のような大規模なプラットフォームの運営が可能だったのである。
ところが今、プラットフォーム企業が、プラットフォーム運営者としての国家の地位を脅かしている。グーグルやフェイスブックは、独占(ないし寡占)企業であるがために、規模的にも国家に匹敵する。実際のところ、グーグルの 2017 年の売り上げは 1108 億ドルであり、世界で 61 位のウクライナのGDPに相当する。
貨幣というプラットフォームを牛耳るのは国家かプラットフォーム企業か? 租税に拠らない貨幣がタックス・ドリブン・マネーを駆逐することはあり得るだろうか? いずれにしても貨幣は今、千年に一度くらいの大変革にさらされている。
註
(1) Coggan (2012) の題名。
(2) Harari (2014)
(3) Wray (2015
(4) Wray (2015)
(5) Wray (2015)
参考文献
- Coggan, Philip (2012) Paper Promises: Debt, Money and the New World Or- der, Penguin (松本剛史訳『紙の約束 : マネー、債務、新世界秩序』日本経済新聞出版社、2012 年。)
- Harari, Yuval (2015) Sapiens: A Brief History of Humankind, Harper. (柴田裕之訳『サピエンス全史 : 文明の構造と人類の幸福 上・下』河出書房新社、2016 年。)
- Wray, Randall (2015) Modern Money Theory: A Primer on Macroeconomics for Sovereign Monetary Systems, Palgrave (島倉原・鈴木正徳訳『MMT現代貨幣理論入門』東洋経済新報社、2019 年。)
関連ページ【ユヴァル・ノア・ハラリを読む】■「物語」に背を向けるハラリ――『21 Lessons』の読みどころ
5 Comments:
ウィル 『奇跡の経済教室』必読! (@HUANWIL)
2020/01/03 22:00
ミッチェル教授を始めとする海外のMMT学者達はベーシック・インカムはインフレを制御できず、主流派経済学への屈服だとして否定している。MMTを支持しながらもBIを進めようとする日本の一部には注意しなければならない。政府支出は無条件の所得移転ではなく、物やサービスの調達でなければならない。
https://twitter.com/huanwil/status/1213082766532694016?s=21
「MMT 現代貨幣理論とは何か」井上智洋著/講談社選書メチエ|日刊ゲンダイDIGITAL
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/book/267458
「MMT 現代貨幣理論とは何か」井上智洋著/講談社選書メチエ
現代貨幣理論(MMT)が、日本の経済学者を二分し、感情的な対立が続いている。本書は、そのMMTをマクロ経済学者の立場から、冷静に、客観的に、分かりやすく解説したものだ。
著者によると、MMTの論点は、①財政的な予算制約はない②金融政策は有効でない③雇用保障プログラムを導入すべし、の3点だという。著者の見立ては、①については肯定的で、②と③については懐疑的だ。
いま最大の論争になっている①の「自国通貨を発行する国では、財政赤字は問題にならない」という点について、著者は貨幣論の観点から、とても丁寧な説明をしている。著者によれば、貨幣はデータに過ぎない。お札は単なる紙切れで、それを貨幣にしているのは政府なのだから、政府はお金を刷ることでいくらでも借金を返せる。もちろん、それをやり過ぎるとインフレになってしまうから、おのずと限度はあるが、そのこともMMTはきちんと認識している。主流派経済学者たちの大きな間違いは、税収の範囲内に財政支出を抑えようとする財政均衡主義だと著者は言う。これはとても重要な指摘だ。財政均衡主義を外せば、財政政策の自由度が大きく増えるからだ。
一方で、著者は財政の持続可能性について、主流派の経済理論とMMTは、矛盾しないという驚愕の結論を導き出している。詳しい説明をする紙幅がないが、冷静に考えると著者の説明は正しい。つまり、どちらの理論を採るにせよ、ほどほどの財政赤字を出し続けることは可能なのだ。
その財源を使って何をやるのか。MMTは、すべての求職者に政府がもれなく雇用機会を用意する雇用保障プログラムを導入すべきとしているが、著者は例えば月額7万円をすべての国民に一律に給付するベーシックインカムのほうが望ましいという。政府が望ましい仕事を常に用意できるのかという問題があるからだ。
もしMMTを政府が理解し、ベーシックインカムを導入すれば、デフレからの脱却ができるだけでなく、日本社会が根底から変わる。その意味で、本書は日本を閉塞状況から救い出すきっかけになる力を持っている。すべての人に読んで欲しい。
★★★(選者・森永卓郎)
BIはインフレになったら歯止めが効かない
新自由主義に魂を売り渡すのと同じ
労働者の敗北
JGPがなければ世の中の最低賃金を規定できない
MMTerでBIを主張する人はいない
池戸井上はわかってない
BIは他の全てを犠牲にさせる
JGPを完全に浸透させてからでいい
「現金給付」の経済学: 反緊縮で日本はよみがえる (NHK出版新書 653) 新書 – 2021/5/11
井上 智洋 (著)
その他 の形式およ
20世紀のベーシックインカム論 BIの現代的な起源は、クリフォード・ヒュー・ダグラスが提唱した「国民配当」と、ミルトン・フリードマンが提唱した「負の所得税」にある。ダグラスは、BI的制度の提唱者として知られるイギリス生まれの経済思想家であり、フリードマンはノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者だ。 ダグラスは、1924年に『社会信用論』で、テクノロジーの進歩によって生産性が向上すると、供給に対して消費が追いつかなくなり、需要不足が生じると論じている。そして、その需要不足を解消するために、国民のおよそ全員に「国民配当」として、お金を給付することを提案している。 フリードマンが1962年の著作『資本主義と自由』で提唱した「負の所得税」は、低所得者がマイナスの租税、つまり給付が受けられる制度を指す。あとで見るように、負の所得税とBIは似たような制度である。フリードマンは右派の経済学者であり、これを理由に負の所得税やBIに反対する左派の論者は少なくない。 ネットで流布していたBIの起源に関する勘違いというのは、フリードマンをBIの最初の発案者と見なすところから生じていたようだ。だが、すでに見たようにBIの起源はもっと古くに遡ることが可能であり、フリードマンの負の所得税はあくまでも現代的な起源の一つに過ぎない。
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