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木曜日, 4月 04, 2013

カント:インデックス

                     ( インデックス:TOPリンク:::::::::
イマヌエル・カント(Immanuel Kant, 1724年4月22日 - 1804年2月12日)

アンチノミー朗読
NAMs出版プロジェクト: カントの遺稿集(再投稿版)
カント『純粋理性批判』:メモ及び目次
 http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_27.html
二律背反:訳語比較
 https://nam-students.blogspot.com/2019/04/blog-post_90.html
実践理性批判:付リンク
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/09/blog-post_3.html?m=0
NAMs出版プロジェクト: カント『道徳形而上学原論』『人倫の形而上学の基礎づけ』
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/blog-post_11.html
判断力批判:メモ、付リンク
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/09/blog-post_6351.html?m=0
KANT判断表、カテゴリー表
 https://nam-students.blogspot.com/2010/03/kant.html

熊野純彦訳『純粋理性批判』:目次(転載)
 http://nam-students.blogspot.jp/2015/05/blog-post.html
石川文康訳『純粋理性批判』(上下)筑摩書房:目次
 http://nam-students.blogspot.jp/2014/04/blog-post_7976.html?m=0
NAMs出版プロジェクト: 光文社文庫版『純粋理性批判』全体目次:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2014/04/blog-post_8966.html
NAMs出版プロジェクト: カントと建築(「カント図解:別バージョン」を改題) : 再掲
 http://nam-students.blogspot.jp/2014/04/blog-post_18.html
NAMs出版プロジェクト: 「悟性」と「知性」
 http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/blog-post_26.html?m=0
NAMs出版プロジェクト: L'antinomie ne se resout pas; (アンチノミーは解消されない)
 http://nam-students.blogspot.jp/2014/05/l-ne-se-resout-pas.html
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   /(:欲求)者|        /  |   |         /  |   |・
  /________________/_________(性格論:)_/   |   |
 |    |  の|       |    |   |       |    |   |ポ
 |  |   |       |    |   |       | 地理学|  
 |遠  史|  夢|       |    |   |       |    |   |ス
 |平  学|   |_______|____|___|_______|____|__
 |和   |  /|       |    |  /|       |    |  /|ト
 |の   | / | 自   然 | の  |形/ |而   上  |学   | /
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 |め   |___________|____|___________|____|   |
 |に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |ム
 |  / |人 倫|の      |  / |理性の限界内における |  / |   |
 | /(法|論) |形 而 上 学| /  |   |   宗教  | /  |   |ム
 |/___________(原論)|/_______________|/   |   |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |
 |    |啓 蒙|と は 何 か|    |   |       |    |   |  
      |   |_______|____|___|_______|___|___|
 |    |  /(テリックシステ|ム)  |  /(空間)(時間)|(数学)|  / 
 |    | /  純   粋 | 理  |性/  批   判  |カテゴリ|ー/
 |    |/(ス ピ ノ ザ )|    |/(物理学)     |    |/
 |    |___________|____アンチノミー______|____/
 |   /            |   /    (美 学)   |   /
 |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
 | /(倫理学/徳or幸福)   | /              | /
 |/_______________|/__________(目的論)|/

カント体系
 http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post_5252.html
カント『人間学』:メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_23.html?m=0
『視霊者の夢』カント(1766年):メモ
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/12/blog-post_14.html?m=0
人倫の形而上学:付リンク
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/08/blog-post_2934.html?m=0
道徳形而上学原論(人倫の形而上学:付リンク内)
(1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten)
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/08/blog-post_2934.html?m=0#ref4

教育学と教育術
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カントと自然科学:メモ
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カント『啓蒙とは何か』:メモ(「公と私」、再送)
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チョムスキーとカント(『たんなる理性の限界内における宗教』)
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デリダとカント(『永遠平和のために』)
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カントの遺稿集(再考):付リンク::::
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カントの遺稿集(再考) : 別ブログ
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(フーコーと行動システム)
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レビュー:カント全集〈17〉論理学・教育学
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カント『自然地理学』:メモ
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カント『世界公民的見地における一般史の構想』(1784):メモ
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「箭の喩えの経」とカント
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カント:インデックス(改訂版)
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カント三批判書:Z状図解(付:スピノザ『エチカ』図解)
 http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/kanntokomennto.html?m=0

 ______________________________純_粋_理_性_批_判______
|                       緒 言◯  |     |     |量   質|判断表
|                       |     |     |  緒言 |概念分析 |範疇表
|                       | 空間  |  時間 |     |関係 様相|
|                       |  (感 性 論)  |__(論 理 学)_演繹◯
|                       |     |     |  /分 析 論   |
|                       |     |     |   図式| 付録: |
|                       |     |     |原則分析 |反省概念 |
|                       |_原  理  論___|体系_根拠◯___(無)
|                       |  (感性論と論理学)|独断|論争|     |
|                       | 概 念 |  霊魂 |_訓練__| 規準  |
|                       |     |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
|                       |(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善| ◯=
|                       |/弁 証 論  存在論|  (図式)     |初版と
|                       量 世界 質|  神  | 建築術 | 歴史  |第二版
|                       |二律背反 |宇  神学(体系)  |     |に異同
|_______________________関係__様相|宙論___|_____|_____|
|           |     |量   質|           |量   質|量   質|
|  序        | 一原則 |二善悪の概念           |  崇高 |  美  |
|           |     |関係 様相|           |関係 様相|関係 様相|
|    緒論     |___1分析論_自由の範疇表   序論    |___美学、分析論__|
|           |     |     |           |     |     |
|           | 三動機 |     |           | 演繹  | (分類)|
|           |道徳的法則=神聖性/義務           共通感覚  |     |
|一、原  理  論__|_____|_____|___________|__天才論|_____|
|     |     |     |     |     |     |     |  |  |
|     |一理性一般|     |     |     (イントロ)|     |_分析論_|
|     | の弁証論|     |     |     |     |     |  |  |
|___2弁証論____|___二、方法論___|___美学、弁証論__|___目 的 論|__|
|   二最高善    |     |     |     |     |  |  |  |  |
|二律背反 |     |  宇宙/道徳的法則 |二律背反 |     |_弁証論_|_方法論_|
|徳と幸福 |     |     |     |(概念/)|     二律背反  |  |自由|
|_____|_神、自由|_究極目的:最高善__|_____|_____(機械論/)|__|__|
       実 践 理 性 批 判              判 断 力 批 判


     分 析
      |
   量  |  質
 規____|____反
 定    |    省
   関係 | 様相
      |
     総 合

『カントの批判哲学』ドゥルーズ La philosophie critique de Kant par Gilles Deleuze 1963
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/blog-post_8.html

138 件のコメント:


  1. 以下は『論理哲学論考』より

    六・三六一  右手と左手を重ね合わせることができない、というカントの問題は、平面の場合に既に存立しており、

    それどころか次のような一次元の空間においても存立しているのである。


    …………〇━━━━━━ ×…………×━━━━━━ ○…………
              a       b

      ここで二つの合同な図形a、bを、この空間の外へと動かすことなくしては、重ね合わせることはできない。
     右手と左手とは実際に完全に合同である。そして両者が重ね合わされないことは、このこととは全く関係がない。
       右手の手袋を仮に四次元空間で回転できるとすれば、それを左手にはめることも可能であろう。

    『論理哲学論考』(邦訳全集第1巻p.114より)




    カントに批判の数式化及び上記のような単純化(三次元から二次元へ)において、ウィトは
    カントの6批判を書いたとさえ言いたい。
    第5批判はむろんニーチェではなくショーペンハウアーが書いたのだ。

    追記:
    カントは学部の構成の正当性について書いている
    カントの再帰的反省的体系批判は大学にも当てはまるし、国家や国連にも当てはまる。

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  2. カント再読 - 柄谷行人
    http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-42.html
    『判断力批判』においてカントが考えていたのは、実は、進化論の問題だった。いうまでもないが、進化論はダーウィン以前からあった。たとえば、ライプニッツも進化論的であった。カントはそれを批判的に吟味したのである。ついでにいうと、カントは『判断力批判』以後も、人間史(一般史)における「進化」の問題について、同様の観点から考えた。《ところで我々はこの場合に、作用する様々な原因の集合をエピクロス風の考えに従って、――諸国家は物質の微塵すなわち原子と同じく、偶然的な衝突に依って有りとある形態をとるが、これらの形態はまたもや新たな衝撃に依って破壊され、このような過程が何度となく繰返されたあげく、その形態を永く保持しうるような形態をいつかは偶然に獲得する(これはとうてい起こりそうもない僥倖である)、というふうに考えてよいのだろうか。それとも、自然は、この場合にも規則正しい経過を辿り、われわれ人類を導いて動物性という低い段階から人間性という最高の段階に到らしめ、しかもその方法としては、なるほど人間から無理取りしたにせよ、しかしもともと自然の意図に出づる巧みな手段を用い、こうして一見したところ野放図な無秩序のさなかに、自然が人間に与えた根源的素質を、極めて規則正しく開展する、というふうに考えてよいのだろうか》(「世界公民的見地における一般史の構想」)。

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  3. 【書評】 グンナー・ベック著『自由、権利、そして法におけるフィヒテとカント』
    A Book Review of Gunnar Beck’s “Fichte and Kant on Freedom, Rights, and law”
    栩木 憲一郎
    Microsoft Word - 0015-書評グンナー・ベック著-219.doc
    http://www.shd.chiba-u.jp/wp-content/themes/twentyten/kiyou/kiyou1103_15.pdf
    以上見てきたようなフィヒテの政治思想の展開に対し、ベックが改めて目を向けるのが カントの法理論であり、それが第五章「イマヌエル・カントの法と権利論」において取り 扱われている。この章においてまずベックは一般的なカントの法理論や国家論の見解につ いての批判を展開していく。ベックによれば、カントの自律の理念から、それが外的自由 を要請し、そこからカントの法理論や政治理論を導出して考えていくのが一般的であると される。これに対して、ベックによればカントの自律性の概念はあくまで内的な自由であ り、いかなる圧政の下でも成立するものである。むしろベックはカントの法理論や政治理 論はむしろ一七八四年『世界公民的見地における一般史の構想』といった歴史哲学の構想 から理解されるべきとしている。ベックによればカントの法哲学や政治理論は歴史哲学と の関係で考えられるべきなのであり、特にベックが『世界公民的見地における一般史の構 想』において見ているのが理性の使用に向けられた全ての自然の能力や力、才能を発展さ せるための条件として外的な自由が正当化されている点である。そしてこのような歴史的 発展の条件として、人々の文化的、知的発展を守るものとして政治や法の意義が考えられ ているのである。カントには人間の進歩や完成についての確信が存在していた

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  4. カント著作・論文・講義

    1747年04月22日 - 『活力測定考』Gedanken von der wahren Schätzung der lebendigen Kräfte
    1754年06月 - 「地球が自転作用によって受けた変化の研究」
    1754年09月 - 「地球は老化するか、物理学的考察」Die Frage, ob die Erde veralte, physikalisch erwogen
    1755年03月 - 『天界の一般的自然史と理論』Allgemeine Naturgeschichte und Theorie des Himmels
    1755年04月 - 学位論文「火に関する若干の考察の略述」
    1755年09月 - 就職論文「形而上学的認識の第一原理の新しい解釈」Principiorum primorum cognitionis metaphysicae nova dilucidatio
    1756年01月 - 「地震原因論」Von den Ursachen der Erdenschütterungen bei Gelegenheit des Unglücks, Welches die westliche Länder von Europa gegen das Ende des vorigen Jahres betroffen hat
    1756年 - 「地震におけるきわめて注目すべき出来事について」
    1756年 - 「続地震論」
    1756年04月 - 「物理的単子論」Metaphysicae cum geometria iunctae usus in philosohia naturali, cuius specimen I. continet monadologiam physicam
    1756年04月 - 「風の理論の説明のための新たな註解」
    1757年04月 - 「自然地理学講義草案および予告」Entwurf und Ankündigung eines collegii der physischen Geographie nebst dem Anhange einer kurzen Betrachtung über die Frage: ob die Westwinde in unsern Gegenden darum feucht seinen, weil sie über ein großes Meer streichen.
    1758年04月 - 「運動および静止の新説」
    1758年10月 - 「オプティミズム試論」
    1762年 - 「三段論法の四つの格」
    1763年 - 『神の存在証明の唯一の可能な証明根拠』Der mögliche Beweisgrund zu einer Demonstration des Daseins Gottes
    1763年 - 「負量の概念を哲学に導入する試み」Versuch den Begriff der negativen Größen in die Weltweisheit einzuführen
    1764年 - 『美と崇高の感情に関する観察』Beobachtungen über das Gefühl des Schönen und Erhabenen
    1764年 - 「頭脳の病気に関する試論」Versuch über die Krankheiten des Kopfes
    1764年 - 『自然神学と道徳の原則の判明性』Untersuchung über die Deutlichkeit der Grundsätze der natürlichen Theologie und der Moral
    1766年 - 『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik
    1768年 - 「空間における方位の区別の第一根拠」Von dem ersten Grunde des Unterschiedes der Gegenden im Raum
    1770年 - 『可感界と可想界の形式と原理』De mundi sensibilis atque intelligibilis forma et principiis
    1781年 - 『純粋理性批判』第一版 1. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
    1782年 - 『学として現れるであろうあらゆる将来の形而上学のための序論』 Prolegomena zu einer jeden künftigen Metaphysik, die als Wissenschaft wird auftreten können
    1784年 - 『啓蒙とは何か』Beantwortung der Frage: Was ist Aufklärung
    1784年 - 「世界市民的見地における一般史の構想」Idee zu einer allgemeinen Geschichte in weltbürgerlicher Absicht
    1785年 - 『人倫の形而上学の基礎付け』Grundlegung zur Metaphysik der Sitten
    1786年 - 『自然科学の形而上学的原理』
    1786年 - 『人類史の憶測的起源』Mutmaßlicher Anfang der Menschengeschichte
    1787年 - 『純粋理性批判』第二版 2. Auflage der Kritik der reinen Vernunft
    1788年 - 『実践理性批判』 Kritik der praktischen Vernunft
    1790年 - 『判断力批判』 Kritik der Urteilskraft
    1791年09月 - 『弁神論の哲学的試みの失敗について』
    1792年04月 - 「根本悪について」
    1793年04月 - 『単なる理性の限界内での宗教』 Die Religion innerhalb der Grenzen der bloßen Vernunft
    1793年09月 - 「理論と実践に関する俗言について」
    1794年05月 - 「天候に及ぼす月の影響」
    1794年06月 - 「万物の終焉」Das Ende aller Dinge
    1795年 - 『永遠平和のために』 Zum ewigen Frieden. Ein philosophischer Entwurf  
    1797年 - 『人倫の形而上学』 Die Metaphysik der Sitten
    1798年 - 『学部の争い』Der Streit der Fakultäten
    1798年 - 『実用的見地における人間学』
    1800年9月 - 『論理学』 Logik
    1802年 - 『自然地理学』
    1803年 - 『教育学』
    1804年 - 「オプス・ポストムム」 遺稿
    岩波書店 - 新訳版『カント全集』 全22巻、2000年-2006年

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  5.                        
    『人間学』メモより:
              __________________________________ 
             /|               /|    人  (教育論/認識)/|オ
            / (/認識/預言)       / |           感官 / |
           / 視|             /  |   悟性     構想力/  |プ
          /___|____________間___|____________/   |
         /|  霊|           /|   |   (/快、不快) /|   |ス
        / |   |          / | 個人、国民    感性的 / |   |
       /(/欲求)者|  学      /(性格論/ +民族)   知性的/  |   |・
      /___|___|________/___|_両性、人類______/   |   |
     |    |  の|       |    |   |       |    |   |ポ
     |永   |   |       |    |   |       |    |  論|
     |遠   |  夢|       |    |   |       |    |   |ス
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     |の   | / | 自   然 | の  |形/ |而   上  |学   | /学|
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     |め   |___|_______|____|___|_______|____|   |
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     |  / |人 倫|の      |  / |理性の限界内における |  / |   |
     | /(法学)  |形 而 上 学| /宗教(目的論)       | /  |   |ム
     |/___|___|_______|/___|___|_______|/   |   |
     |    |   |       |    |   |       |    |   |
     |    |啓 蒙|と は 何 か|    |   |       |    |   |
     |    |   |_______|____|___|_______|____|___|
     |    |  /        |    |  /(空間)(時間)|(数学)|  / 
     |    | /   純   粋 | 理  |性/  批   判  |    | /
     |    |/          |    |/(物理学)     |    |/
     |    |___________|____|___________|____/
     |   /         (倫理|学) /          (美|学) /
     |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
     | /              | /(目的論)         | /
     |/_______________|/_______________|/

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  6. ちなみに、上山春平によると、カントのカテゴリー、量、質、関係、様相は外的/内的、形式的/質料的に区別できる(世界の名著48パース他,解説p41)。これを図にすると以下になる。

                 質料的
          量                質     
    「外            _|_            「内
     的」             |             的」
          関係              様相
                  形式的

    質料的は分析、形式的は総合、外的は規定、内的は反省と、カントの言葉に置換し得る。

    パースはカントの4つのカテゴリ-を、(量、質)(関係)(様相)といったように3つに区分けし直した(パース著作集『現象学』)。他方、岩崎武雄は実質上、(量)(質)(関係)といったように3つに区分けし直した。岩崎は(様相)における3契機は他の3つのカテゴリーに振り分けられると指摘している(『カント『純粋理性批判』の研究』p343、純理b223参照)。

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  7.  ______純_粋_理_性_批_判______
    緒 言◯  |     |     |  手引き=判断表
    |     |     |  緒言 |概念分析 |範疇表
    | 空間  |  時間 |     |演繹◯  |
    |  (感 性 論)  |__(論 理 学)__|
    |     |     |  /分 析 論   |  
    |     |     |   図式| 付録: |
    |     |     |原則分析 |反省概念 |
    |_原  理  論___|体系_根拠◯___(無)
    |  (感性論と論理学)|独断|論争|     |
    | 概 念 |  霊魂 |_訓練__| 規準  |
    |     |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
    |(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善|
    |/弁 証 論  存在論|  (図式)     | 
    量 世界 質|  神  | 建築術 | 歴史  |
    |二律背反 |宇  神学(体系)  |     |
    関係__様相|宙論___|_____|_____|

    ◯=初版と第二版に異同がある。


     ______実 践 理 性 批 判______
    |           |     |量   質|
    |  序        | 一原則 |二善悪の概念
    |           |     |関係 様相|
    |    緒論     |___1分析論_自由の範疇表
    |           |     |     |
    |           | 三動機 |     |
    |           |道徳的法則=神聖性/義務
    |一、原  理  論__|_____|_____|
    |     |     |     |     |
    |     |一理性一般|     |     |
    |     | の弁証論|     |     |
    |___2弁証論____|___二、方法論___|
    |   二最高善    |     |     |
    |二律背反 |     |  宇宙/道徳的法則 |
    |徳と幸福 |     |     |     |
    |_____|_神、自由|_究極目的:最高善__|


     _______判 断 力 批 判_______
    |           |量   質|量   質|
    |           |  崇高 |  美  |
    |           |関係 様相|関係 様相|
    |     序論    |___美学、分析論__|
    |           |     |     |
    |           | 演繹  | (分類)|
    |           共通感覚  |     |
    |___________|__天才論|_____|
    |     |     |     |  |  |
    |     | イントロ|     |_分析論_|
    |     |     |     |  |  |
    |___美学、弁証論__|___目 的 論|__|
    |     |     |  |  |  |  |
    |二律背反 |     |_弁証論_|_方法論_|
    |(概念/)|     二律背反  |  |自由|
    |_____|_____(機械論/)|__|__|

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  8. 岩崎武雄は実質的にカントの4つのカテゴリ-範疇を(量)(質)(関係)といったように3つに区分けし直した。
    岩崎は(様相)における3契機は他の3つのカテゴリーに振り分けられると指摘している(『カント『純粋理性批
    判』の研究』p343、純理b223参照)。
    ちなみに、パースはカントの4つのカテゴリ-を、(量、質)(関係)(様相)といったように3つに区分けし直
    した(パース著作集『現象学』)。

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  9.                             物自体
                                 |
               理性______独断論?______|  
                       アンチノミー    |
               /\                |
              /||\               |  
               ||                |
          _________________      |  
         /   量    /  質    /      |  
        /________/_______/  悟性   |
       /   関係   /   様相  / タブララサ? |
      /________/_______/         |
                          /______|
               /\         \
              /||\
               ||
               感性

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  10.                             
                                 
               理性______独断論?______
                       アンチノミー    |
               /\                |___
              /||\               |   |
               ||                |   |
          _________________      |  物自体
         /   量    /  質    /      |  
        /________/_______/  悟性   |
       /   関係   /   様相  / タブララサ? |
      /________/_______/         |
                          /______|
               /\         \
              /||\
               ||
               感性

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  11.            理性______独断論?______
                                 |
               /\          アンチノミー|___
              /||\               |   |
               ||                |   |
          _________________      |  物自体
         /   量    /  質    /      |  
        /________/_______/  悟性   |
       /   関係   /   様相  / タブララサ? |
      /________/_______/         |
                          /______|
               /\         \
              /||\
               ||
               感性

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  12.                              
               理性______独断論?______
                                 |
               /\          アンチノミー|___
              /||\               |   |
               ||                |   |
         __________________      |  物自体
        /   量    /  質     /      |  
       /______カテゴリー______/ 悟性    |
      /   関係   /   様相   /タブララサ?  |
     /________/________/         |
                          /______|
               /\         \
              /||\
               ||
               感性

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  13.  
                 ______独断論?______
                |                |
               理性                |
               /\          アンチノミー|___
              /||\               |   |
               ||                |   |
         __________________      |  物自体
        /   量    /  質     /      |  
       /______カテゴリー______/ 悟性    |
      /   関係   /   様相   /タブララサ?  |
     /________/________/         |
                          /______|
               /\         \
              /||\
               ||
               感性

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  14. ロックとライプニッツの論争
    ヒュームの懐疑論


    第二批判はカテゴリーが義務に
    徳福のアンチノミーになる


    第三批判は複数になる

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  15.  
                 ______独断論?________
                |                  |
               理性                  |
               /\          アンチノミー _|_
              /||\               |   |
               ||                |   |
         __________________      |  物自体
        /   量    /  質     /      |  
       /______カテゴリー______/ 悟性    |
      /   関係   /   様相   /タブララサ?  |
     /________/________/         |
                          /______|
               /\         \
              /||\
               ||
               感性

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  16. 定本トラクリ
    フォイエルバッハ、カント崇高論=剰余価値 334-5頁

    ヘーゲル>マルクス国家観 423頁

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  17. カントの実践哲学について、正しくない箇所(全体中1つのみ)を訂正す...

    tenable_theoristさん 2011/03/15 10:50:52
    カントの実践哲学について、正しくない箇所(全体中1つのみ)を訂正する問題です。答を教えて下さい。①カントは現象の世界を越えて、理性の推論を働かせても、空虚な独断的妄想しかうまれないとして、合理主義的形而上学を批判した。
    ②自由こそは、道徳法則の存在根拠であり、道徳法則こそは、自由の認識根拠である。
    ③人間の人格性は自然の必然的法則に操られずに、自由をもって、道徳的法則に従い、義務を実践するところに成立する。
    ④カントは、自由と霊魂不滅と神の存在を要請する理性信仰を、理論理性の優位の証しと見た。
    回答数:1 閲覧数:269 お礼:知恵コイン25
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    ベストアンサー

    parole_lalaさん 2011/03/15 11:21:56
    ④が「理論理性」ではなく「実践理性」です。

    自由や霊魂不滅、神の存在は理論理性では限界を超えてしまうけれど、実践理性においては要請されるとカントは考えていました。

    http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1157697846

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  18. yojisekimoto shared from カント入門 (ちくま新書) (Japanese Edition) by 石川文康
    合理的認識能力であり、真理の最高決定機関であるはずの理性が、それ固有の仮象の温床になっているとすれば、これこそ科学が不問に付してきた哲学固有の課題であろう。カントが発見したのは、このような理性固有の仮象にほかならない。このような理性固有の仮象、それをカントは――感覚的・光学的錯覚等、経験的仮象と区別して――「超越論的仮象」と呼んだ(「超越論的」とは、ここでは「経験的」の反対語で、対応するいかなる感覚データをももたないものを称する概念である。なお「超越論的」の他の意味はそのつど説明する)。わかりやすくいえば、理性固有の関心である絶対者とか究極に関して理性的に推論を進めれば進めるほど、まちがいなく仮象におちいり、すなわち不合理におちいる、そのようなテーマが存在するということである。
    yojisekimoto shared from カント入門 (ちくま新書) (Japanese Edition) by 石川文康
    理性固有の関心である絶対者とか究極に関して理性的に推論を進めれば進めるほど、まちがいなく仮象におちいり、すなわち不合理におちいる、そのようなテーマが存在するということである。合理性が合理性に反するというパラドックスが存在するということである。それは、理性が理性自身の法則にのっとって推論を進めた結果、理性に反する結論に到達するという皮肉な現象である。したがってそこは、理性が自分の限界をみずから露呈する地点である。「運命」などという言葉の安易な使用を戒めたカント自身が、『純粋理性批判』第一版の序文の冒頭で、「人間理性の特殊な運命」と言ったのはこのことである。 「人間の理性はある種の認識において特殊な運命を担っている。すなわち、理性が退けることもできず、かといって答えることもできないような問いに煩わされるという運命である」。 『純粋理性批判』はこのことばでもって開始されるのである。
    yojisekimoto shared from カント入門 (ちくま新書) (Japanese Edition) by 石川文康
    「ヒュームの問題は、原因の概念が正しいかどうか、有用であるかどうか、また自然認識の全体に関して不可欠であるかどうかにあったのではない。じっさい、ヒュームといえどこれらのことをいまだかつて疑ったことはないのである。そうではなくて彼の問題は、……この概念がおよそ一切の経験にかかわりない内的真理を含み、したがってその使用は経験の対象だけに限定されることなく、さらにいっそう広い範囲におよぶのかどうかということにある 。」(『プロレゴーメナ』、序文)

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  19. 注目新刊:石川文康さんの遺稿『純粋理性批判』新訳本、など : ウラゲツ☆ブログ
    http://urag.exblog.jp/19549500/
    上巻帯文より:真理への探究の結晶! 理性自身が生みだす仮象(まやかし!)の発見とその解説に粉じんするカントの思想遍歴の到達点。『実践理性批判』『判断力批判』へとつづく三大批判の第一の書。哲学史に聳える最高峰。
    下巻帯文より:思考のダイナミズム! 主要な基本用語をラテン語の原義にたちかえり現代にふさわしい平明な訳語にあらためた、ちくま新書『カント入門』の著者による待望の新訳! 下巻巻末に訳者による解説「ある哲学書の物語」(遺稿)を付録。カント哲学のエッセンス!

    ★発売済。版元ウェブサイトに曰く「わが国における数少ない国際派カント研究の第一人者であった石川文康氏が、最新の研究成果をふまえ、畢生の仕事として全身全霊を賭けて取り組んだ全面新訳」。石川さんは東北学院大学の元教授で、昨年二月にお亡くなりになっています。複数冊のカント論に加え、『そば打ちの哲学』(ちくま新書、1996年;ちくま文庫、2013年)でも知られる篤実な研究者でした。下巻に記載されている編集部の特記によれば、石川さんは「翻訳のスタートから2013年にいたるまで十数年のあいだ、訳語・訳文の彫琢と研鑽に打ちこむ日々を送ることを厭わず、加えて一作年発覚した重篤なる病とも闘いつつ、大著の全訳を完成されたが、本書の刊行を見ることなく永眠された。刊行にあたっては、生前のご遺志を最大限尊重し、語句やかなづかいの統一など最小限の原稿整理をおこなった。また原ページ付けやゲシュペルト(分綴)など原典との照合において、埼玉大学教授渋谷治美氏のお力添えをいただいたことに多大の謝意を表したい」とのことです。遺稿の整理というのは実際のところたいへん骨の折れる作業で、出版までこぎつけることはけっして容易ではなかったと思われるだけに、協力者の先生や編集者の方に深い敬意を表さずにはいられません。

    ★上巻には冒頭に底本などを記した「訳者あとがき」を置き、続けて「専門用語の訳語について」で従来訳とは異なる新訳をあてた主な専門用語や、新訳をあてた理由を説明しておられます。理由というのは下巻の帯文にある「ラテン語の原義にたちかえり現代にふさわしい平明な訳語にあらため」るためということです。訳文の印象は確かに平明で読みやすく、数々の既訳書を前にしてもなお出版したその意義に共感を覚えます。上巻には「超越論的原理論」の第二部第一部門第二編「原則の分析論」までを収録。下巻には第二部門から「超越論的方法論」の最後までを収録し、訳者解説と事項索引、人名索引が付されています。読者としてはいきなりちくま学芸文庫あたりで出していただく方が嬉しかったのですが、学芸文庫ではカント自身の訳書が実は一冊もないことに今さらながら気づきました。将来的に文庫化される時は、他社ではなしえていない「全一冊」をぜひ実現されることを期待したいです。

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  20. http://yojiseki.exblog.jp/10415296/
    悟性と理性
              「悟性」     |    「理性」 
            :知的=意志に対立  |:反省する認識=信仰に対立          
           (Verstand=intellectus)| (Vernunft=ratio)   
    ___________________|_______________  
    スピノザ      ◯知性的認識   | 第2種認識
    ___________________|_______________
    ロック       ◯understanding  | ratio / reason は
               =論証能力   | 悟性に含まれる。
                       |
    _________________価値観の逆転______________     
    ヴォルフ・     下位       | ◯上位          
    カント                | (知的直観はない)     
    ___________________|_______________
              経験主義     | 理性主義 


    + 《 ドイツ語の〈理性 Vernunft〉と〈悟性 Verstand〉とは古高ドイツ語にさかのぼる。ルターは悟性は知的なもののいっさいを含んで意志に対立し,理性は吟味し反省する認識として信仰に対立するとした。ドイツでは16世紀以来,中世的な〈知性intellectus〉に悟性を,〈論証的理性 ratio〉に理性を当て,悟性は心の最高で内的な働きとして理性より上位に置かれた(カント以降と逆である)。他方,デカルトは精神の機能を〈知能 ingenium〉と〈意志〉に分かち,前者の中で〈知性 intellectus〉には洞察・直観・演繹(えんえき)の働きを認めるが,この知性を〈理性 ratio〉とも呼ぶ。ロックのunderstanding は,外的・内的な知覚と〈論証能力〉としての ratio すなわち reason を含み,全体としては中世的な〈論証的理性〉の系統に属する。ライプニッツは〈事実の真理〉と〈理性の真理〉を認め,〈理性 raison〉は諸真理の連関を覚知し推論する能力とし,C. ウォルフは悟性は知的なものを包括して意志に対立し,理性は諸真理の連関の洞察であるとした。また18世紀にはイギリスの〈常識 common sense〉がドイツで悟性に結びつけられ,無反省に生活で使用される〈通俗的悟性gemeiner Verstand〉よりも〈論究的理性räsonierende Vernunft〉が上位に置かれるようになった。
     カントは認識能力を諸対象を直観する受容的な〈感性〉と,諸対象を概念で思考する自発的な広義の〈悟性〉とに分かち,後者を狭義の〈悟性(概念・規則の能力)〉〈判断力(判断の能力)〉〈理性(理念・推論の能力)〉に分けた。理論的な理性はこの広義の悟性と一致し,感性によって与えられる現象界を超越しえず,自由を説きえないが,実践的には理性は意志を規定する原因性として,感性的衝動の克服を命令し,自由を要請しうる。カントの理性は,理論的認識面では古代の〈分別知〉と中世の〈論証的理性〉に連なる悟性であり,実践的行為面では古代の〈直覚知〉と中世の〈知性〉に連なる理性である。ただしカントは直観を悟性・理性には許さず,〈知的直観〉を拒否した。
     カントは〈実践理性の優位〉を説き,理性の悟性に対する優位を実践面で示したが,フィヒテとシェリングはカントの拒否した〈知的直観〉を認め,理性の伝統面を復権させた(シェリングは一時ドイツの伝統に立ち戻り,悟性を理性の上位に置いた)。他方ヘーゲルは,カントやフィヒテを〈悟性形而上学〉として批判し,分析的な悟性が固守する有限なものの対立を融解させ,相互の一面性を否定して制限から解き放ち,高次の統一の新たな契機としてそれらを高め保存する働きを理性とした。ヘーゲルは心の能力としての静的で同一な従来の理性を,歴史においてみずからを展開し実現する理性へと転換させ,悟性をこの生成する理性の契機とみなした。カントの開拓した〈理性の優位〉はヘーゲルで頂点に達したのである。》(日立デジタル平凡社『世界大百科事典 第2版』「理性」の項(執筆者:茅野良男)より)

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  21. カント以前                カント以後

    上位                   上位
     ヌース、intellectus 、           ロゴス、ratio,
     悟性(知性)、Verstand 、         理性 、Vernunft 
     能動知性、直観的知性           受動知性、論弁的 
                   →                  →実は理性の凋落?  
             (オッカム唯名論、
              イギリス経験論etcの影響)

    下位                   下位
     ロゴス、ratio,              ヌース、intellectus 、
     理性 、Vernunft              悟性(知性)、Verstand 、
     受動知性、論弁的             能動知性、直観的知性


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  22. 341 :337,追記:2011/10/28(金) 22:56:36.74 P
    金子武蔵推しは同一人物です。
    同著者のヘーゲルは文庫化されたので文庫化に(しつこく)希望を持って
    いるのです。

    知性、悟性云々は、悟性が日本語として疑問(神秘化され得る)なので、
    光文社文庫訳でもいいと思いますが、インテレクチュアルを知性ではなく
    別の言葉で訳す必要が出てきます(光文社版はここがダメ。よって序文
    以降、全体的には平凡社版を推す。中島義道の訂正的解説を併読するなら
    岩波文庫でもいいかも)。

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  23. 悟性を推す

    神の知性という
    神の悟性とは言わない

    悟性は神を排し
    知性は神を召喚する
    あくまでカントの神学絡みの文脈での話だが

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  24. 悟性を推す

    神と知性は繋がるが
    神の悟性とは言わない

    悟性は神を排し
    知性なる言葉は神を召喚してしまう
    あくまでカントの神学絡みの文脈での話だが

    スピノザ、ライプニッツの場合、神を召喚するべきだ

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  25. 訳語として悟性を推す

    神と知性は繋がるが
    神の悟性とは言わない

    悟性は神を排し
    知性なる言葉は神を召喚してしまう
    あくまでカントの神学絡みの文脈での話だが

    スピノザ、ライプニッツの場合、神を召喚するべきだ

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  26. 石川訳も光文社文庫と同じでVerstandの訳語に悟性を使わず知性を採用しているらしい。
    そうなるとintellectusは単に知性ではなく訳し分けるかルビを振るべきだ、、、

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  27. http://yojiseki.exblog.jp/13332921/
    馬具と馬
    カント『純粋理性批判』の邦訳において、日本語の悟性は普段使わない言葉だから、神秘的な響きが伴ってしまう。
    逆に知性という用語から現在の日本人は神的知性を読み取ったりはしない。
    結論としては、Verstandを知性と訳し、intellectusを知能あるいは知能的と訳すのがいい。
    後者にはもっといい訳語があるかも知れないし、知能と知性の認識が逆転したと、後世には言われてしまうだろうが。


    知性(直観知、知能、全能?)
    理性
    _________
    判断力(分析/
         総合)
    構想力(想像力。産出的=生産的/
             再生的=再生産的)↓
    悟性(知性?)↑
    _________
    感性


                                  @:範型(×象徴)
     純粋理性概念→|\ ←理性                口:図式
    (超越論的理念)| \
            |  \                                 
            |___@ ←(規定的/反省的)判断力       
            |   |\ 
            |   | \                          
            |   |  \         
     純粋悟性概念→|___|___\ ←悟性(超越論的統覚)    
     (カテゴリー)|\  |  /|\
            | \ | / | \       
            |  \|/  |  \     
            |___口___|___\ ←構想力
            |  /|\  |    \
            | / | \ |     \
     感性的多様性→|/__|__\|______\ ←感官
                             (経験的統覚)
    図:カントにおける媒介的第三者の位置
    http://www.nagaitosiya.com/b/ethische_analytik.html
    http://www.nagaitosiya.com/b/kant008.png


    そもそも、このヒエラルキー自体に無理がある。
    カントは理性の越権行為を禁じることに注力するが、それはエアコンでいえばサーモスタット機能、自動車でいえばブレーキ研究ばかりしていて、モーターとエンジンの研究がおろそかになった開発者のようなものだ。
    父親の真似をして哲学における馬具をカントは完成させたが、同時に馬の研究が抑圧された。

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  28. https://opac.lib.city.yokohama.lg.jp/opac/OPP1500?ID=11&SELDATA=TOSHO&SEARCHID=4&START=11&ORDER=DESC&ORDER_ITEM=SORT4-F&LISTCNT=10&MAXCNT=1000&SEARCHMETHOD=SP_SEARCH&MENUNO=0
    カント全集 13 批判期論集
    著者名等  カント/〔著〕  ≪再検索≫
    著者名等  坂部恵/編  ≪再検索≫
    著者名等  有福孝岳/編  ≪再検索≫
    著者名等  牧野英二/編  ≪再検索≫
    出版者   岩波書店
    出版年   2002.03
    大きさ等  22cm 508,9p
    NDC分類 134.2
    内容    内容:
    ランベルト往復書簡集の公告 谷田信一/訳. 
    医師たちへの告示 谷田信一/訳. 
    七つの公開声明 北尾宏之/訳. 
    シュルツ著『宗教の区別なき万人のための人倫論試論』についての論評 福谷茂/訳. 
    偽版の違法性について 円谷裕二/訳. 
    G・フーフェラント著『自然法の原則にかんする試論』についての論評 円谷裕二/訳. 
    L・H・ヤーコプの『メンデルスゾーンの「暁」の検討』に対する二、三の覚え書き 円谷裕
    二/訳. 思考の方向を定めるとはどういうことか 円谷裕二/訳. 
    純粋理性批判の無用論 福谷茂/訳. 
    弁神論の哲学的試みの失敗 福谷茂/訳. 
    哲学における最近の高慢な口調 福谷茂/訳. 
    誤解から生じた数学論争の解消 田山令史/訳. 
    魂の器官について 谷田信一/訳. 
    哲学における永遠平和条約の締結が間近いことの告示
    内容    遠山義孝/訳. 
    人間愛からの嘘 谷田信一/訳. 
    出版稼業について 谷田信一/訳.
    R・B・ヤッハマン著『カントの宗教哲学の検討』への序文 谷田信一/訳. 
    Ch・G・ミールケ編『リトアニア語=ドイツ語辞典』へのあとがき 谷田信一/訳. 
    形而上学の進歩にかんする懸賞論文 円谷裕二/訳. 解説.  索引あり

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  29. 形而上学の

    考古学への言及
    フーコー思考集成3:155

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  30. ◆ カント             →【参考文献】

    Kant,Immanuel (1724-1804) ドイツの哲学者



     『カント全集』(全18巻)理想社、1965-1988

      第 一 巻 『自然哲学論集』亀井裕訳、1966

           活力測定考/地震論/物理的単子論/自然地理学講義草案/月の火山/天候におよぼす月の影

           響

      第 二 巻 『前批判期論集(一)』山下正男訳、1965

           形而上学認識の第一原理/オプティミズム試論/三段論法の四つの格/神の現存在の論証/負量の概念

      第 三 巻 『前批判期論集(二)』川戸好武訳、1965

           美と崇高の感情に関する考察/自然神学と道徳の原則の判明性/1765-1766年冬学期講義計画

           公告/視霊者の夢/空間における方位/可感界と可想界との形式と原理/さまざまな人種

      第 四 巻 『純粋理性批判(上)』原佑訳、1966

      第 五 巻 『純粋理性批判(中)』原佑訳、1966

      第 六 巻 『純粋理性批判(下)/プロレゴメナ』原佑/湯本和男訳、1973

      第 七 巻 『人倫の形而上学の基礎付け/実践理性批判/実践理性批判準備原稿』深作守文訳、1965

      第 八 巻 『判断力批判/判断力批判第一序論』原佑訳、1965

      第 九 巻 『宗教論』飯島宗亨/宇都宮芳明訳、1974

           宗教論/宗教哲学序文草案/宗教論準備草稿

      第十巻 『自然の形而上学』高峯一禺訳、1966

           天界の一般自然史と理論/自然神学の形而上学的原理

      第十一巻 『人倫の形而上学』吉澤傳三郎/尾田幸雄訳、1969

      第十二巻 『批判期論集』門脇卓爾訳、1966

            思考の方向を定める問題/哲学の目的論的原理/純粋理性批判の無用論/弁神論の哲学的試

            みの失敗/哲学における最近の尊大な語調/形而上学の進歩に関する懸賞論文/論理学・緒論

      第十三巻 『歴史哲学論集』小倉志祥訳、1988

            世界市民的意図における普遍史野ための理念/啓蒙とは何か?この問いの答え/ヨハン・ゴ

            ットフリ-ト・ヘルダ-「人類の歴史哲学考」についての論評/人種の概念の規定/人間歴

            史の推測的起源/理論と実践に関する俗言/万物の終末/永遠平和のために/哲学における

            永遠平和条約の近い締結の告示/学部の争い

      第十四巻 『人間学/人間学遺稿』山下太郎/坂部恵訳、1966

      第十五巻 『自然地理学/自然地理学補遺』三枝充悳訳、1966

      第十六巻 『教育学/小論集/遺稿集』尾渡達雄訳、1966

            教育学/小論集・フランク君の早世をいたんで・脳病試論・モスカティ論評・汎愛哲学舎論・

            シュルツ論評・偽版の違法について・フ-フェラント論評・ヤ-コブ論評・1788-91

            年の七小篇・数学上の論争の調停・魂の器官にかんして・人間愛からの虚言・出版業に関し

            て・ヤッハマンのための序文・ミ-ルケのための後記・声明/遺稿集・『美と崇高の感情に

            関する考察』覚え書き・『理論と実践に関する俗言』準備原稿・『永遠平和論』準備原稿・

            『人倫の形而上学』準備原稿・『学部の争い』準備原稿

      第十七巻 『書簡集Ⅰ』門脇卓爾/磯江景孜訳、1977

      第十八巻 『書簡集Ⅱ』観山雪陽/石崎宏平訳、1987

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  31.  『カント全集』(全22巻・別巻)岩波書店、1999-

      第一巻  『前批判期論集Ⅰ』2000

            活力測定考(大橋容一郎訳)/地球自転論(大橋容一郎訳)/地球老化論(大橋容一郎訳)

            火について(松山壽一訳)/地震原因論(松山壽一訳)/地震の歴史と博物誌(松山壽一訳)

            地震再考(松山壽一訳)

    第二巻  『前批判期論集Ⅱ』2000

            天界の一般自然史と理論(宮武昭訳)/形而上学的認識の第一原理(山本道雄訳)/自然モナド論

            (松山壽一訳)/自然地理学講義要綱および公告 付録西風論(植村恒一朗訳)/オプティミズム論

            (加藤泰史訳)/フンク君の早世を悼んで(加藤泰史訳)/三段論法の四つの格(田山令史訳)/

            美と崇高の感情にかんする観察(久保光志訳)/脳病試論(加藤泰史訳)/ジルバーシュラーク著

            『火球の理論』についての論評(加藤泰史訳) 

      第三巻  『前批判期論集Ⅲ』2001

            神の存在の唯一可能な証明根拠(福谷茂)/負量概念の哲学への導入(田山令史)/自然神学と道徳の

            原則の判明性(植村恒一郎)/一七六五ー六六年冬楽器講義計画公告(田山令史)/視霊者の夢(植村恒一郎)

            空間における方位の区別の第一根拠について(植村恒一郎)/可感界と可想界の形式と原理(山本道雄)/

            モスカティ著『動物と人間の構造の身体上の本質的相違について』の論評(福田喜一郎)/

            さまざまな人種について(福田喜一郎)/汎愛学舎論(福田喜一郎)

    第四巻  『純粋理性批判 上』2001

            純粋理性批判 上(有福孝岳訳)

    第五巻  『純粋理性批判 中』2003

            純粋理性批判 中(有福孝岳訳)

    第六巻  『純粋理性批判 下 プロレゴーメナ』2006

            純粋理性批判 下(有福孝岳訳)/純粋理性批判(第一版)補遺/プロレゴーメナ(久呉高之)/プロレゴーメナ準備原稿

      第七巻  『実践理性批判/人倫の形而上学の基礎づけ』2000

            人倫の形而上学の基礎づけ(平田俊博訳)/実践理性批判(坂部恵/伊古田理訳)

            実践理性批判準備原稿(坂部恵/伊古田理訳)

      第八巻  『判断力批判 上』1999

            判断力批判 上(牧野英二訳)

      第九巻  『判断力批判 下』2000

            判断力批判 下(牧野英二訳)/判断力批判への第一序論(牧野英二訳)

      第十巻  『たんなる理性の限界内の宗教』2000

            たんなる理性の限界内の宗教(北岡武司訳)/宗教哲学序文準備原稿(北岡武司訳)

            たんなる理性の限界内の宗教のための準備原稿(北岡武司訳)

    第十一巻 『人倫の形而上学』2002

          人倫の形而上学(樽井正義/池尾恭一訳) 

    第十二巻 『自然の形而上学』2000

            自然科学の形而上学的原理(犬竹正幸訳)/風の理論(犬竹正幸訳)/運動と静止(犬竹正幸訳)/

            月の火山(犬竹正幸訳)/天候におよぼす月の影響について(犬竹正幸訳) 

      第十三巻 『批判期論集』2002

            欄ベルト往復書簡の公告(谷田信一訳)/医師たちへの告示(谷田信一訳)/七つの公開声明(北尾宏之訳)

            シュルツ著『宗教の区別なき万人のための人倫論試論』についての論評(福谷茂訳)/偽版の違法性について        (円谷祐二訳)/G.フーフェラント著『自然法の原則にかんする試論』についての論評(円谷祐二訳)/

            L.H.ヤーコブの『メンデルスゾーンの「暁」の検討』に対する二、三の覚え書き(円谷祐二訳)/思考の方向

            をさだめるとはどういうことか(円谷祐二訳)/純粋理性批判の無用論(福谷茂訳)/弁神論の哲学的試みの

            失敗(福谷茂訳)/哲学における最近の高慢な口調(福谷茂訳)/誤解から生じた数学論争の解消(田中令史訳)

            魂の器官について(谷田信一訳)/哲学における永遠平和条約の締結が間近いことの告示(遠山義孝訳)/人間

            愛からの嘘(谷田信一訳)/出版稼業について(谷田信一訳)/R.B.ヤッハマン著『カントの宗教哲学の検討』

            への序文(谷田信一訳)/Ch.G.ミールケ編『リトアニア語=ドイツ語辞典』へのあとがき(谷田信一訳)/形而

            上学の進歩にかんする懸賞論文(円谷祐二訳)

    第十四巻 『歴史哲学論集』2000

            世界市民的見地における普遍史の理念(福田喜一郎訳)/啓蒙とは何か(福田喜一郎訳)

            J.G.ヘルダー著『人類史の哲学考』についての論評(福田喜一郎訳)/人種の概念の規定

            (望月俊孝訳)/人間の歴史の推測的始元(望月俊孝訳)/哲学における目的論的原理の使用について

            (望月俊孝訳)/理論と実践(北尾宏之訳)/万物の終わり(酒井潔訳)/永遠平和のために

            (遠山義孝訳)

      第十五巻 『人間学』2003

            実用的見地における人間学(渋谷治美訳)/人間学遺稿(高橋克美訳)
      第十六巻 『自然地理学』宮島光志訳、2001

      第十七巻 『論理学/教育学』2001

            論理学(湯浅正彦/井上義彦訳)/教育学(加藤泰史訳)

      第十八巻 『諸学部の争い/遺稿集』2002

            諸学部の争い(角忍/竹山重光訳)/『美と崇高の感情にかんする観察』への覚え書き(久保光志訳)

            『理論と実践』準備原稿(北尾宏之訳)/『永遠平和のために』準備原稿(遠山義孝訳)

            『人倫の形而上学』準備原稿(樽井正義/池尾恭一訳)/『諸学部の争い』準備送稿(角忍訳)

            『自然地理学』補遺(宮島光志訳

      第十九巻 『講義録 I』2002

            形而上学L1(八幡英幸/永見潔訳)/形而上学L2(永見潔訳)

      第二十巻 『講義録 II』2002

            コリンズ道徳哲学(御子柴善之訳)/人間学講義(中島徹訳)/ペーリッツ論理学(湯浅正彦訳)
        
      第二一巻 『書簡』北尾宏之/竹山重光/望月俊孝訳、岩波書店 , 2003

      第二二巻 『書簡』木阪貴行/木阪貴行訳、岩波書店 , 2005

      別巻   『カント哲学案内』坂部恵/有福孝岳/牧野英二編 、岩波書店, 2006


    http://www5b.biglobe.ne.jp/~biblio/classic.htm#kant

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  32. 石川訳も光文社文庫と同じでVerstandの訳語に悟性を使わず知性を採用している
    光文社では理性となっていたintellektuelleを知的として訳し分けている、、、

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  33. 石川訳も光文社文庫と同じで「Verstand」の訳語に「悟性」を使わず「知性」を採用している。
    ただし、光文社では同じく「知性的」となっていた「intellektuelle」を「知的」として訳し分けている。
    合理的な訳し分けといえる。

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  34. 法哲学の流派の歴史的な解釈に際しても
    大きく言ってカントの考え方が大事になる。すなわち
    アンチノミーは維持される
    ということだ

    返信削除
  35. プルードンはこう書いている。

    「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところは
    ここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな
    二項との間でバランスをとる」
    (プルードン『革命と教会における正義』斉藤悦則氏のHPより)

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  36. ただしこうした考え方は法哲学ではなくその後、経済において展開された。

    返信削除
  37. 二宮尊徳の思想もカント経由で解釈、人口に膾炙された

    「道徳なき経済は 罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」

    返信削除
  38. 法哲学の流派の歴史的な解釈に際しても
    大きく言ってカントの考え方が大事になる。すなわち
    アンチノミーは維持される
    ということだ。

    プルードンはこう書いている。

    「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところは
    ここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな
    二項との間でバランスをとる」
    (プルードン『革命と教会における正義』斉藤悦則氏のHPより)

    ただしこうした考え方は法哲学ではなく、その後、経済において展開された。

    二宮尊徳の社会改革もカント経由で解釈、人口に膾炙された。

    「道徳なき経済は 罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」

    返信削除
  39. 法哲学の流派の歴史的な解釈に際しても
    大きく言ってカントの考え方が大事になる。すなわち
    アンチノミーは維持される
    ということだ。

    プルードンはこう書いている。

    「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところは
    ここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな
    二項との間でバランスをとる」
    (プルードン『革命と教会における正義』斉藤悦則氏のHPより)

    ただしこうした考え方は法哲学ではなく、その後、経済において展開された。

    二宮尊徳の経済思想、社会改革もカント経由で解釈、人口に膾炙された。

    「道徳なき経済は 罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」

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  40. 法哲学の流派の歴史的な解釈に際しても
    大きく言ってカントの考え方が大事になる。すなわち
    アンチノミーは維持される
    ということだ。

    プルードンはこう書いている。

    「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところは
    ここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな
    二項との間でバランスをとる」
    (プルードン『革命と教会における正義』斉藤悦則氏のHPより)

    ただしこうした考え方は法哲学ではなく、その後、経済において展開された。

    二宮尊徳の経済思想、社会改革もカント経由で解釈、人口に膾炙された。

    「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」

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  41. 法哲学の流派の歴史的な解釈に際しても、大きく言ってカントの考え方が大事になる。
    すなわち、アンチノミーは維持される、ということだ。

    プルードンはこう書いている。

    「アンチノミーは解消されない。ヘーゲル哲学が全体として根本的にダメなところは
    ここだ。アンチノミーをなす二つの項は互いに、あるいは、他のアンチノミックな
    二項との間でバランスをとる」
    (プルードン『革命と教会における正義』斉藤悦則氏のHPより)

    ただしこうした考え方は法哲学ではなく、その後、経済において展開された。

    二宮尊徳の経済思想、社会改革もカント経由で解釈、人口に膾炙された。

    「道徳なき経済は罪悪であり、経済なき道徳は寝言である」

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  42. 良くも悪くも日本は中国と違い封建制が維持された
    ただし、天皇制の解消法もそこにしか見出されない
    すなわち天皇家は京都に戻り、京都の一名誉市民に収まるべきなのだ
    多分、将来的には皇室の中からこうした動きが出てくるに違いない
    そこで参照されるのもやはりカント(『啓蒙とは何か』)だ、、、

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  43. 物自体は観念論の枠外にあるし
    理性の越権行為を禁じる批判哲学は
    サンデルも参照している
    ヘーゲルではなくカント哲学をもとに
    日本の官僚制が築かれていたら
    原発事故も起きなかっただろう



    日本の官僚制はドイツを手本にしていて
    ドイツ哲学はヘーゲルに代表されるということ
    天皇=絶対精神になってしまった

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  44. プルードンに関してはマルクスが批判した『貧困の哲学/経済的諸矛盾の体系』
    の本邦初訳が平凡社ライブラリーからもうすぐ出るはず。
    それを読んで欲しい。
    ヘーゲル、マルクスの系譜とは違う、ドゥルーズに先駆ける系列の哲学がそこに
    ある。

    カントは官僚の無謬性といった神話を内側から解体する思考回路を持っていて、
    そこが貴重だ。日本の検察にも読んでもらいたいが、東大というより日本の大学は
    ヘーゲルが主流だからカントは影が薄い。

    カントを活かしているのは実学だろう。
    例えば国連もカント哲学(『永遠平和のために』)の延長だ。

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  45. “直観空間の内容規定の内に尽きない点に於て仮構に過ぎぬと考えられるかも知れない。併し直観空間に対して仮構であるものが総ての意味に於て仮構であるのではない。寧ろこれは物理的空間としては正当な存在を持つものの一つであると私は思う。空間に感覚的内容が真に結び付くためには物の時間上の変化が更に一つの独立な次元となって付け加えられるということは寧ろ物理的空間の重大な特質と云わなければならぬ。吾々が普通常識的に空間と呼んでいるものは正しくこのような物理的空間の素朴なものであると思う。ミンコーフスキーの世界の如きはその最も精錬された成果であると云うべきである。物理的空間は空間の直観とあくまで区別されねばならぬ。次に又物理的空間”

    抜粋: : 潤、戸坂. “物理的空間の成立まで.” iBooks.
    この素材は著作権で保護されている可能性があります。

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  46. “物理的空間はもとより直観空間から由来するには相違ない。併しそれは第一に直観空間に於ては消極的と考えられる感覚の積極化を含むことによって直観空間とはその材料を異にしている。第二にそれは感覚の積極化を含む時幾何学の数量的規定を必然的に測定としてその内容にとり入れなければならなかった。而も直観空間にはこのような数量的規定は必ずしも本質的ではない。第三に幾何学の数量的規定は直観空間の三次元性を超えたものである以上物理的空間も亦三次元に限定される理由を必ずしも持たない。ミンコーフスキーの四次元の世界はその一例である。勿論人も云うようにミンコーフスキーの世界空間は”

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  47. ライプニッツとヴォルフに固有で特殊な、哲学するための独断論的な方法についていうならば、それはきわめて欠陥の多いものであった。しかもそのうちには非

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  48. 常に多くの欺瞞的なものがある。そのやり方全体を中止して、その代わりに別のやり方、批判的に哲学すする方法を始めることが確かに必要である。その方法は、理性そのものの振舞いを探究し、人間の認識能力の全体を分析して、そうした能力の限界ががどこまで及ぶであろうかを吟味することにおいて成り立つ[14]。
    [3]カント『論理学』序論。邦訳は湯浅正彦・井上義彦訳『カント全集 17』岩波書店、三六ページ。
    [14]同、序論。邦訳は同、四五ページ。

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  49. このことを『純粋理性批判』の序文では、次のように言い換えています。「この批判は、形而上学一般がそもそも可能なのか、それとも不可能なのか、形而上学の起源およびその範囲と境界はどのように規定されるかを、すべて原理に基づいて考察しようとする[15]」のである、と。

    [15]カント『純粋理性批判』初版序文。邦訳は前掲書、二〇六ページ。

    中山著自由57~

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  50. わたしの出発点となったのは、神の存在、[霊魂の]不死性などの探究ではなく、純粋理性のアンチノミーでした。すなわち「世界には始まりがある、世界には始まりがないなどから始まり、第四アンチノミー、すなわち人間には自由がある、これに反対で、自由はない、一切は人間において自然必然性である、までです」。このアンチノミーこそが、わたしを独断論のまどろみからはじめて目覚めさせ、理性批判そのものへと駆り立て、こうして理性の見かけ上の自己矛盾というスキャンダルをとりのぞいたのです[37]。  カントは第三のアンチノミーと第四のアンチノミーをとりちがえているようですが、この書簡はカントにとっての自由の問題の重要性を示しています。すでに確認したように、第四のアンチノミーを含むすべてのアンチノミーで、自由が問題になっているのです。


    [37]カントの一七九八年九月二一日づけのガルヴェ宛ての書簡。邦訳は前掲の『カント全集 22』山本精一訳、岩波書店、三八一ページ。


    ニュートンは原子論を採用していて、「あらゆる物体を構成する最小部分もすべて拡がりをもち、硬く、不可入であり、可動的であり、慣性力を授けられている[39]」と主張しました。

    [39]ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』。邦訳は河辺六男訳、中央公論社、四一六ページ。


    中山181,五章

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  51. 中山元
    自由の哲学者カント

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  52. Amazon.co.jp: 自由の哲学者カント~カント哲学入門「連続講義」~ eBook: 中山 元: Kindleストア

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  53. 5つ星のうち 3.0 理性は善にあらず、悪なり? (P105より) 2014/3/12
    By tenbun
    形式:単行本(ソフトカバー)
    この本は、ドイツの哲学者カントの著書、三批判書と道徳形而上学の基礎づけ、および宗教論、政治論を主な題材に、カント哲学の命題でもある「自由」についてスポットをあて説明している。
    自由、道徳、概念、カテゴリー、アンチノミー、物自体、カントのコペルニクス的転回についての説明もわかりやすく、プラトン、エピクテトス、アリストテレス、ソクラテス、ライプニッツ、ロック、デカルト、スピノザ、ヒューム、ルソーなどの哲学者の思想も説明し、カントとの違いもわかりやすく説明している。
    個人的におもしろかったところを列記してみる。

    ・P90人間は神の時計か?
    ・P104人間は叡智的な物自体
    ・P104理性は必ずしも道徳的な行為を選択するわけではない
    ・P105理性は自分が幸福となるためにさまざまな行為を選択をする任務がある。場合によっては、理性は悪に近いことを選択するかもしれない
    ・P154偽証の問題
    ・P168道徳的な人間における自愛の妄想に懸念
    ・P173義務を無視し、自分の幸福を選択することは、道徳法則への尊敬として許されない
    ・P182純粋理性批判ではたんなる要請であり、仮説であった三つの概念「自由」「不死」「神」が、実践理性批判では「客観的な実在性」を獲得した、という
    ・P229人間の目的が幸福にあるのではなく、実践的な自由を人間が発揮し、人間の心的な開発(道徳的な存在者)が人間の目的となると考えるという
    ・P250自己愛によって人間は悪になる
    ・P284言論の自由の重要性と国家の統治者に求められる義務
    ・P294カントの考える国家は、善人たちの国家ではなく、他者を支配し、自分の利益を第一に考えるような悪魔たちの国家である
    ・P322啓蒙と議論の自由を否定し禁じることは「人間性にたいする犯罪」にもひとしいものだと力説。人間に言論の自由を与え「その時代に存在している制度の欠陥について自分の意見を公表する自由をあたえることが必要であり、啓蒙の放棄は、人間の神聖な権利を侵害し、踏みにじる行為である

    カントは、戦争を必要悪としてみていたようである。以下、

    P234「国家のあいだの対立関係を解決するためには、国家連合のような組織のもとで、「世界公民的な全体」的な体制が必要となります。しかしすぐにはこれは実現されず、名誉欲などのさまざまな欲望に支配された国家は、やがてはたがいに戦争になるとカントは考えています。しかしこれは悪ではあっても、世界公民的な体制にいたるまでに必要なステップであり、「至高の智恵によるきわめて隠微な、そしてまたおそらく意図的な企てである」とされています。戦争の悪を経験した諸国は、やがては世界公民的な体制に到達し、「諸国家のそれぞれの自由を共存させる合法則性と、またこれによって諸国家のあいだに道徳的に確立された体系のおける統一」が、やがては実現するとカントは考えるのです。」
    また、P317には必要悪としての戦争を説明している。

    しかし、こんにちの戦争においては、長引く戦争がいやになり、早く戦争を終わらせるために大国が核の使用の可能性を誰が否定できるだろうか?
    カントの世界公民的な体制に到達する前に、人類滅亡にならぬことを願うばかりである。

    読んでいて、ひとつ疑問があった。
    P62に、「概念とは、言葉のこと」とあり、「カントは言語そのものについて、概念がどのように言葉によって生まれてきたかについては考察していません」という。
    これは、逆で概念が言葉によって生まれてきたのではなく、概念によって言葉が生まれてきた、が正しくないだろうか?
    まず概念が与えられ思考し判断され、言葉がその思考し判断の結果であるなら、概念が言葉によって生まれてくるはずはない。
    P68には「判断とは概念によって思考されること」とあるのだから。※(著者は前文の「木の概念」と「木」を同一視している。「木の概念」は「木」とまだ名づけられていない状態、「木」は名づけられた状態と別々に解するべきである)

    この本は、324ページとボリュームもあり労作と思う。なお、この本は著者の翻訳した「光文社古典新訳文庫」の解説を一部参考にしているようなので、「光文社古典新訳文庫」を持っている方は、重複箇所があると思われる。

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  54. カントは「彼らがその道徳的な素質を腐敗させ、たがいに他を悪くさせるには、彼らがそこにいる、彼らが彼を取り巻いている、そして彼らは人間であるということだけで十分である[38]」とまで語ります。

    [36]カント「たんなる理性の限界内における宗教」第三篇。邦訳は飯島宗享・宇都宮芳明訳、『カント全集』第九巻、理想社、一三四ページ。 [37]同。38同。

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  55. 99頁

    第二のアンチノミーでは、定立命題の側は世界は単純なものか、単純なものから構成されたものしかないと主張します。反定立命題の側は、世界には単純なものはないと主張します。ニュートンは原子論を採用していて、「あらゆる物体を構成する最小部分もすべて拡がりをもち、硬く、不可入であり、可動的であり、慣性力を授けられている[39]」と主張しました。

    [39]ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』。邦訳は河辺六男訳、中央公論社、四一六ページ。

    これにたいしてライプニッツは、原子のような物質を認めることは、「神がとても不完全な生産をしたと認めることです[40]」と反論します。同じくニュートンが定立命題の側で、ライプニッツが反定立命題の側です。

    [40]ライプニッツの第四の手紙。邦訳は前掲書、三一一ページ。

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  56. 154
    第一と第二のアンチノミー
     第一のアンチノミーで定立命題の側は世界は有限であり、端緒をもつと主張したのでした。反定立命題は世界は無限であり、端緒をもたないと主張したのです。この論争でクラークは空間は無限であるが、世界は有限であると主張しました。これにたいしてライプニッツは世界は無限であると主張しました。またクラークは、世界は端緒をもつと主張しましたが、ライプニッツは「何百万年か前に、神が世界を造ったと仮定すること[38]」は、不可能な虚構であると指摘します。世界がある時点から始まるというのは奇妙なことだというわけです。ニュートンが定立命題、ライプニッツが反定立命題の側です。  
     第二のアンチノミーでは、定立命題の側は世界は単純なものか、単純なものから構成されたものしかないと主張します。反定立命題の側は、世界には単純なものはないと主張します。ニュートンは原子論を採用していて、「あらゆる物体を構成する最小部分もすべて拡がりをもち、硬く、不可入であり、可動的であり、慣性力を授けられている[39]」と主張しました。

    [38]ライプニッツの第四の手紙。邦訳は前掲の『ライプニッツ著作集 9』、三〇三ページ。

    [39]ニュートン『自然哲学の数学的諸原理』。邦訳は河辺六男訳、中央公論社、四一六ページ。



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  57. さらにこの利己愛は一面では、人間の平等を求めるものとなります。この比較において「平等という価値を与える心の傾き[51]」が生まれるのであり、究極的にはこれは人間を手段として使用せず、目的としてのみ使用することを求める定言命法につながるものです。この意味でもその素質は善なるものと考えることができます。
    250?
    [36]カント「たんなる理性の限界内における宗教」第三篇。邦訳は飯島宗享・宇都宮芳明訳、『カント全集』第九巻、理想社、一三四ページ。
    [51]同。邦訳は同、四五ページ。

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  58. カントは「自然の歴史は善から始まる。それは神の業だからである。しかし自由の歴史は悪から始まる。それは人間の業だからである[28]」と、このプロセスを要約しています。人間の歴史は悪によって始まる自由の歴史なのです。

    問題を考察するためにカントは、人間の「素質[44]」と「傾き[45]」という概念を提起します。素質という概念は、人間の生まれつきの潜在的な可能性を示します。傾きというのは、人間の心の自然的な傾きです。

    ます。善は人間の本性の素質であって傾きではないし、悪は人間の本性の傾きであって、素質ではないのです。素質に善を、傾きに悪を割り当てるというのは、よく考えられていると思います。


    。自己保存の本能から生まれる悪徳は、身体の自然を損ねるほどに過度の飲食をすることだとカントは考えます。子孫を求める本能から生まれる悪徳は、淫乱です、社交的な本能から生まれる悪徳は、他者にたいする無法です。


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  59. 22]カント「人類の歴史の憶測的な起源」。邦訳は前掲の『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』七六ページ。[28]同。邦訳は同、八五ページ。

    カント「たんなる理性の限界内における宗教」第三篇。邦訳は飯島宗享・宇都宮芳明訳、『カント全集』第九巻、理想社、一三四ページ。
    [44]同、第一篇。邦訳は同、四三ページ。 [45]同。邦訳は同、四七ページ。

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  60. 9


    5
    [73]カント「人類の歴史の憶測的な起源」。『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』中山元訳、光文社古典新訳文庫、八四ページ。

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  61. http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/cat_50024532.html
    カントとニーチェ
    ライプツィヒ大学に復学した時、「カント以来の有機的なものの概念について」という学位論文を考えてたというニーチェにとって(講談社学術文庫『ニーチェ』p168)、カント批判は気まぐれから生まれたものではなかった。論理学が前提として持つの自己同一性への批判を考えていたニーチェはカントの核心に、カントに批判的であるがゆえに近づいているのだ(『これがニーチェだ』永井均p132)。
    「カントのやり方においてせよ、世界を「真の」世界と「仮象の」世界とに分けることは、デカダンスの暗示にすぎない」(筑摩全集14『偶像の黄昏』p45)とニーチェが指摘する時、ニーチェはそのアフォリズムのカで、自然と自由の相克を芸術という趣味の世界で克服しようとしている。だがこれはカントがその第一批判と第二批判の矛盾を第三批判で解消しようとしたことと相似形をなしているとは言えないだろうか?
    カントの場合は体系というニーチェの嫌う形式をとっていたこと違うだけだ。
    ニーチェは自然(現象)と自由(物自体)とを分けることを拒否したが(『トランスクリティーク』参照)、カントの第三批判を見る限り、両者の問題意識は重なっていると言える。
    『権力の意志』でニーチェは量を質に回収しようとしたとき、カントの読解としては充分示唆的なものを提示し得た。ドゥルーズも注目したようにここに近代の同一性の哲学から現代の差異の哲学への第一歩が始まったのだ。

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  62. http://yojiseki.exblog.jp/7709357/
    カントのカテゴリー論:再々考
    以前も紹介したが、上山春平によると、カントのカテゴリー、量、質、関係、様相は外的/内的、形式的/質料的に区別できる(世界の名著48パース他,解説p41)。
    これを図にすると以下になる。

                
          量                質     
    「外            _|_            「内
     的」             |             的」
          関係              様相
                 

    さらに、これを応用すると以下の図ができる。

                 
                定義/方法
          量                質     
    判「規   スピノザ     |     デカルト    「反 判
    断 定           ー十ー             省  断
    力 的」           |              的」 力  
          関係              様相    
    実 事   ライプニッツ     カント      事 唯
    在 前          定義/方法               後 名
    論                                  論



    反省的と総合的を単純にイコールにしなかったのが味噌だ。
    (分析的事後反省、総合的事前規定もあり得るからだ。)
    また、規定的が事前、反省的が事後的という定義(定本『トランスクリティーク』p292)を、実在論/観念論の定義(『普遍論争』平凡社ライブラリー)と合わせ、主要哲学者の位置づけと重ねた。
    デカルトとスピノザは逆の印象があるが、幾何学のスピノザ、コギトのデカルトと考えれば納得できる。

    ちなみに、ハイデガーは、以下のカテゴリーの実在性*(デアル)と現実存在*(ガアル)の混同を批判した(この区別を意図的に統合させた先駆者はライプニッツだが)。

    量(単一性、多数性、全体性)
    質(実在性*、否定性、限界性)
    関係(実体性、因果性、相互性)
    様態(可能性、現実存在*、必然性)

    ハイデガー哲学もカントのカテゴリー論の枠内にあるとさえ言えるのだ。

    さらにまた、先の図は、柄谷の4つの交換図等とも対応すると思う。
    その際、様相=アソシエーションと位置づけると、契約が分析的ではなく総合的ということになる。
    図による分析は、自己満足がほとんどだが、普段気付かない発見が多い。

    追記:
    カントのカテゴリーはカント哲学のほとんどに偏在しており、それを自己言及的にカント哲学の再解釈に使うと面白いと思う(そうでなければカント哲学の単なるフェティッシュな追認になってしまう)。

    カントのカテゴリーについての追記:
    以前、カテゴリーに関しては以下のように書いたことがある。
    http://blog.livedoor.jp/yojisekimoto/archives/51076231.html
    パースはカントの4つのカテゴリ-を、(量、質)(関係)(様相)といったように3つに区分けし直した(パース著作集『現象学』)。他方、岩崎武雄は実質上、(量)(質)(関係)といったように3つに区分けし直した。岩崎は(様相)における3契機は他の3つのカテゴリーに振り分けられると指摘している(『カント『純粋理性批判』の研究』343、純理b223参照)。
    岩崎の立論は説得力はあるが、「総合」という役割を(関係)というカテゴリーのみに振り分けることには弊害もある。パースのように記述論理学的見地から「様相」を重視する視点があっても良いだろう。
    3か?4か?ーーーサッカーのディフェンスではないが、思考の状況及び「相手」次第ということになるのではないだろうか?

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  63. パースはヘーゲルを評価したが
    三分割の区分は岩崎の方がヘーゲル的だ
    様相の三分割自体はカント自身に元ネタがある

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  64. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空(>>173 >>610)を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    無論、これはあくまでもカント哲学の方が物理学より心理面での説明が優れていることを明確にするた
    めだが、逆に物理学側から言えば心理面=時間認識での課題(とその場所)が明確にされたとも言える。

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ。この場合、物自体への探究心が哲学にではなく物理学にあることを示す。戸坂はあくまで唯
    物論を擁護するのだ。

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  65. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ。この場合、物自体への探究心が哲学にではなく物理学にあることを示す。戸坂はあくまで唯
    物論を擁護するのだ。

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  66. ★★ カント読解 ★★ - READ2CH
    http://read2ch.net/philo/1347106587/

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  67. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ。
    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  68. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ(『物理的空間の成立まで』1924の方が分かりやすいかも)。
    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  69. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ(『物理的空間の成立まで(カントの空間論)』1924の方が分かりやすいかも)。
    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  70. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ(『物理的空間の成立まで(カントの空間論)』1924↓の方が分かりやすいかも)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html
    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  71. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ(その点は『物理的空間の成立まで(カントの空間論)』1924↓の方が分かりやすいかも)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html
    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  72. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ(そのへんは『物理的空間の成立まで(カントの空間論)』1924↓の方が分かりやすいかも)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html
    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  73. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだ(その点は『物理的空間の成立まで(カントの空間論)』1924↓の方が分かりやすいかも)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html

    「二、…カントの空間は飽くまで現象又は経験の制約と解釈されるべきものである。それ故かかる制約
    としての空間がユークリッド的であるとか非ユークリッド的であるとかいうことは本来意味のないこと
    と云わねばならぬ。」

    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  74. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    彼は「カントと現代の科学」1924年(「戸坂潤全集第一巻」勁草書房)のなかで、J. v. Kries の
    『カント、及び現代の自然研究に対するカントの意味』の要約を紹介し、その第二節「カントの数学
    の説」のなかでカントとミンコフスキー時空を比較している。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだが、同時に両者を最大限擁護し、その利点を認める(その点は『物理的空間の成立まで(カント
    の空間論)』1924↓の方が分かりやすいかも)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html

    「二、…カントの空間は飽くまで現象又は経験の制約と解釈されるべきものである。それ故かかる制約
    としての空間がユークリッド的であるとか非ユークリッド的であるとかいうことは本来意味のないこと
    と云わねばならぬ。」

    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  75. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだが、同時に両者を最大限擁護し、その利点を認める(そのへんは『物理的空間の成立まで(カント
    の空間論)』1924↓の方が詳しい)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html

    「二、…カントの空間は飽くまで現象又は経験の制約と解釈されるべきものである。それ故かかる制約
    としての空間がユークリッド的であるとか非ユークリッド的であるとかいうことは本来意味のないこと
    と云わねばならぬ。」

    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  76. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだが、同時に両者を最大限擁護し、その利点を認める(そのへんは『物理的空間の成立まで(カント
    の空間論)』1924↓の方が詳しい)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html

    「二、…カントの空間は飽くまで現象又は経験の制約と解釈されるべきものである。それ故かかる制約
    としての空間がユークリッド的であるとか非ユークリッド的であるとかいうことは本来意味のないこと
    と云わねばならぬ。」

    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  77. ちなみに、カントとミンコフスキーを日本ではじめて比較したのは『日本イデオロギー論』で著名
    な戸坂潤だ。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだが、同時に両者を最大限擁護し、その利点を認める(そのへんは『物理的空間の成立まで
    (カントの空間論)』1924↓の方が詳しい)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html

    「二、…カントの空間は飽くまで現象又は経験の制約と解釈されるべきものである。それ故かかる制約
    としての空間がユークリッド的であるとか非ユークリッド的であるとかいうことは本来意味のないこと
    と云わねばならぬ。」

    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  78. ちなみに、カントとミンコフスキー(参考:湯川秀樹「物理講義」)を日本ではじめて比較したのは
    『日本イデオロギー論』で著名 な戸坂潤だ。

    「…ミンコーフスキーは抽象的な四次元座標をとって三つを空間に一つを時間に配した。即ち之に
    よれば世界形像から時間表象が除外されて抽象的な軸によって置き換えられるのであるからそれは
    恰も吾々の主張に一致するかの如く見えるであろう。」
    (戸坂潤「カントと現代の科学」1924年)
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43267_26537.html

    戸坂潤は物理学には心理的洞察が足りず、カント批判哲学には空間的知覚が足りないとも言っている
    ようだが、同時に両者を最大限擁護し、その利点を認める(そのへんは『物理的空間の成立まで
    (カントの空間論)』1924↓の方が詳しい)。
    http://www.aozora.gr.jp/cards/000281/files/43261_42029.html

    「二、…カントの空間は飽くまで現象又は経験の制約と解釈されるべきものである。それ故かかる制約
    としての空間がユークリッド的であるとか非ユークリッド的であるとかいうことは本来意味のないこと
    と云わねばならぬ。」

    戸坂潤は科学と哲学(観念論)のアンチノミーを指摘し得た数少ない知識人だったと思う。

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  79. >>920
    柄谷行人の指摘を思い出させる。
    柄谷は、カントを批判した数学者たちの努力が数学を総合的だとみなすカントの正しさを逆に歴史的に
    証明したのだという。



    この点においては柄谷行人の指摘が示唆的だ(カントを批判した数学者たちの努力が数学を総合的だとみなすカントの正しさを逆に歴史的に証明したのだという)。

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  85. 七年戦争
    七年戦争

    ロイテンの戦いの夜のフリードリヒ大王
    戦争:七年戦争
    年月日:1756年 - 1763年
    場所:ヨーロッパ、アフリカ、インド、北アメリカ、フィリピン
    結果:イギリスとスペインがフランス領北米植民地を獲得
    プロイセンのシレジア領有が固定化
    交戦勢力
    プロイセン王国
    グレートブリテン王国および植民地
    ブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯
    ポルトガル王国
    ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル
    ヘッセン=カッセル
    イロコイ連邦 フランス王国および植民地
    神聖ローマ帝国
    ロシア帝国
    スウェーデン
    スペイン帝国および植民地
    ザクセン選帝侯国
    サルデーニャ王国
    指揮官
    フリードリヒ2世
    フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツ
    ジョン・マナーズ
    エドワード・ボスコーエン
    ロバート・クライブ
    ジェームズ・ウルフ
    ジェフリー・アマースト
    エドワード・ブラドック
    ブラウンシュヴァイク公フェルディナント ルイ15世
    ルイ=ジョゼフ・ド・モンカルム
    レオポルト・フォン・ダウン
    フランツ・モーリッツ・フォン・ラシー
    カール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲン
    エルンスト・ギデオン・フォン・ラウドン
    エリザヴェータ
    ピョートル・サルトゥイコフ
    アウグスト3世
    七年戦争 ヨーロッパにおける戦い
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    七年戦争(しちねんせんそう、英: Seven Years' War、独: Siebenjähriger Krieg、1756年-1763年)は、プロイセン及びそれを支援するグレートブリテン王国(イギリス)と、オーストリア・ロシア・フランスなどのヨーロッパ諸国との間で行われた戦争である。


    フリードリヒ2世 (プロイセン王)


    フリードリヒ2世
    フリードリヒ2世(Friedrich II., 1712年1月24日 - 1786年8月17日)は、第3代プロイセン王(在位:1740年5月31日 - 1786年8月17日)。優れた軍事的才能と合理的な国家経営でプロイセンの強大化に努め、啓蒙専制君主の典型とされる。また、フルート演奏をはじめとする芸術的才能の持ち主でもあり、ロココ的な宮廷人らしい万能ぶりを発揮した。学問と芸術に明るく、哲学者のヴォルテールと親密に交際し、自ら書を著し哲人王とも呼ばれ、功績を称えてフリードリヒ大王(Friedrich der Große)と尊称されている。ドイツにジャガイモ栽培を広げたことでも知られる。


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  86. ◆王国国務大臣フォン・ツェドリッツ男爵閣下に

    Karl Abraham,Freiherr von Zedlitz(1731─1793)はフリードリッヒ二世(大王)(1712-1876, 即位 1740)の下に国務大臣となり、一七七一年から一七八八年までプロイセンの教育制度を監督指導した。かねてからカントを最も尊敬し、一七七八年二月に彼は、カントの地理学講義のノートを非常に興味をもって読んだ旨をカントに書き送り、その講義の完全なコピイを求めてい

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  87. ◆王国国務大臣フォン・ツェドリッツ男爵閣下に

    Karl Abraham,Freiherr von Zedlitz(1731─1793)はフリードリッヒ二世(大王)(1712-1876, 即位 1740)の下に国務大臣となり、一七七一年から一七八八年までプロイセンの教育制度を監督指導した。かねてからカントを最も尊敬し、一七七八年二月に彼は、カントの地理学講義のノートを非常に興味をもって読んだ旨をカントに書き送り、その講義の完全なコピイを求めてい

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  88. http://yojiseki.exblog.jp/8236423
    フリードリッヒ大王
    カントは第三批判でフリードリッヒ大王が書いた詩を引用しているし、ヘーゲルも歴史哲学講義でフリードリヒ大王の教養と人間性を絶賛している*。
    調べたら、伝記映画が戦前から戦中にかけて何本か映画化されている。

    紹介した上の映画は晩年(七年戦争の勝利)を描いたもので、ナチスのプロパガンダ映画と見なされているため、あまり見る機会がない。
    戦前にも同じ役者がフリードリヒ大王を演じていてこちらは『ラインの悲愴曲』というタイトルで日本公開もされているようだ。

    描かれた歴史を中心に映画を見るのは、従来の映画史と違った価値観が発見されて面白い。
    クラブミュージックが音楽の聞き方を変えたのと同じくらいの変化だと個人的に思う。

    以下、参考動画(フリ−ドリヒ大王関連映画は4、5本あるようだ)。

    Fridericus - 1937



    http://www.youtube.com/watch?v=aQzYUxRRhPw
    ライン悲愴曲?
    Fridericus Rex

    *追記:

    1779年、フリードリッヒ2世は ダランベールのすすめで「国民を欺くことは許されているかどうか 」というベルリンのアカデミーからの懸賞問題を出しており、ヘーゲルは『法の哲学#317』と『精神現象学』精神の章、教養の節で引用している。
    国民及び民族は、精神の本質においては欺かれないが、行動や出来事を評価する方法に関してはおのれ自身によって欺かれるというのがヘーゲルの見解らしい。
    その他、フリードリッヒ2世とバッハ、オイラーとの関係も興味深い。

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  89. カントのアンチノミーは法廷モデルではなく戦争モデルかも

    七年戦争1756~63は大きかったろう

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  91. カントのいうアンチノミーの基本は観念論と唯物論の間。
    感覚を持つ人間が生きていなければその認識対象もあり得ない、、、
    そもそも物自体は認識出来ない、、、

    ライプニッツとデカルトの運動論を調停する時も基本は変わらない。
    その自律的な運動法則は、自律する人間の判断力、さらに国連憲章まで延長され得る、、、

    こうしたヒエラルキーを持つ世界は面白くないから、ラカンのような構造的に
    真善美が互いに牽制し合うという世界観がカントの今日的読みだろう。
    (ラカンはサドとカントを等価に捉えた。これはニーチェ的な転覆だ)

    ラカンより柄谷のようにフロイトとカントをつなげるのが面白いだろう。

    ちなみにフロイトは無意識を馬に例え、カントの父は馬具職人だった。

    比喩的に述べるならカントは暴走しないようにセキュリティーが設定されたOS。
    間違いを自ら正す。
    サーモスタット付きのエアコンのようでもある。

    返信削除
  92. 2010年5月14日金曜日

    http://g-clef.blogspot.jp/2010/05/4.html
    『カントを要約する4つの詩的表現』について(論考)
    ジル・ドゥルーズによるこの論考は、一見した所、題名どおりに「カント哲学を要約する」という位置付けでカントの諸説を記述しているように見える。しかしながら、これは実際には単純な要約だけにとどまっていない。ドゥルーズはカントの諸説を記述する為にランボー、カフカ、シェークスピア等の作品から表現を持ち出しているが、これは単に象徴の為だけではなく、カントの中に隠れている彼独自のテーマを浮かび上がらせる為に利用している。ドゥルーズが彼自身のテーマについて述べている場所は、カントの自我論とカントの法論とに関連した部分である。ここでは自我論に限って述べる。

    カントによる自我論では、コギト(いわゆる超越論的統覚、)と自己意識(いわゆる経験的統覚、)と呼ばれる2つが重要な役割を持つ。自己意識はコギトの働きによって成立する。コギトは時間を触発する事が出来、これによって直観の多様を生み出す。或いは、時間とはコギトによって直観を作ることが可能になるような心性であると言ってもよい。この直観が悟性によって概念に統一される事によって、初めて認識すなわち自己意識が成立するのである。つまり、認識されるのはコギトそのものではなく、コギトによる時間の触発によって概念化されるものとしての自己意識である。ここでコギトの認識論的位置付けは物自体のそれと相似であると言える。また以上の意味において、コギトは「自己意識の規定作用である」と言われる。

    このようなコギトを説明する為に、ドゥルーズはアルチュール・ランボーの「ひとりのである」という表現を持ち出す。じっさいコギトの認識論的布置は感性の触発という点で物自体或いは他者のそれと同一である為、このランボーの表現には真実性がある。しかしながらランボーの表現だけでは感性の形式にまで踏み込んでいない。確かに他者もも感性を通じて入ってくるが、他者による触発は外官の形式によってであり、の方は内官の形式であるところの時間によってである。他者ととの認識論的構造ははっきりと違いがある。さもなければは他者と区別できなくなってしまうだろう。

    それでは何故、このような不十分な表現を承知の上で、ドゥルーズはランボーを持ち出したのだろうか。時間を浮き彫りにするためにランボーを引き合いにしたように思える。

    ----以下、未編集部分----

    カントにおいては、自我はその構成上、能動性と受動性という互いに対立する2概念を内包している:
    「私は思考する」は時間を触発するのであり、時間の中で変化し、一瞬ごとに意識のある度合いを呈示する、そんな自己の実存のみを規定するのである。は[...]、時間の中でさまざまな変化を経験する受動的な自己、というよりもむしろ受容的な自己である。はと言えば、それは私の実存(私は存在する)を能動的に規定する行為(私は思考する)であり[...]
    カントにとっては、反対に、とは概念ではなく、すべての概念を伴う表象である。そしてとは対象ではなく、すべての対象がまるでそれ自身の継起的諸状態の持続的変動に、そして瞬間におけるそのさまざまな度合いの無限の変調にそうするようにしてみずからを関係づけるところのものである。

    ランボーは書簡の中で、「とは他者である」と表現した。
    また、彼は同時に他の箇所で
    「木がバイオリンになるのも仕方がないことなのです!」と表現する。
    つまり、ランボーは、私と自己の関係に関して
    まだ概念-対象関係から脱出していない事を意味する。

    一方、カントの確立した自我論では、

    ドゥルーズは、カントの真意は「変調」にあるとする。

    ランボーは両義的に扱われる。

    それにしてもカントに対してドゥルーズはどうしてこのような、いわば消極的な態度を取ることしか出来なかったのだろう。ここでも然り、ドゥルーズはカントの要約という態度を崩していない。但し最後の文章に何かの暗示を残しているのを除く。非常にゲリラ的というかテロ的というか。

    返信削除
  93. カントによる自我論では、コギト(いわゆる超越論的統覚、)と自己意識(いわゆる経験的統覚、)と呼ばれる2つが重要な役割を持つ。…このようなコギトを説明する為に、ドゥルーズはアルチュール・ランボーの「ひとりのである」という表現を持ち出す(『カントを要約する4つの詩的表現』)。

    カントにおいては、自我はその構成上、能動性と受動性という互いに対立する2概念を内包している:
    「私は思考する」は時間を触発するのであり、時間の中で変化し、一瞬ごとに意識のある度合いを呈示する、そんな自己の実存のみを規定するのである。は[...]、時間の中でさまざまな変化を経験する受動的な自己、というよりもむしろ受容的な自己である。はと言えば、それは私の実存(私は存在する)を能動的に規定する行為(私は思考する)であり[...]
    カントにとっては、反対に、とは概念ではなく、すべての概念を伴う表象である。そしてとは対象ではなく、すべての対象がまるでそれ自身の継起的諸状態の持続的変動に、そして瞬間におけるそのさまざまな度合いの無限の変調にそうするようにしてみずからを関係づけるところのものである。

    ランボーは書簡の中で、「とは他者である」と表現した。
    また、彼は同時に他の箇所で
    「木がバイオリンになるのも仕方がないことなのです!」と表現する。
    つまり、ランボーは、私と自己の関係に関して
    まだ概念-対象関係から脱出していない事を意味する。

    一方、カントの確立した自我論では、

    ドゥルーズは、カントの真意は「変調」にあるとする。

    ランボーは両義的に扱われる。

    http://g-clef.blogspot.jp/2010/05/4.html

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  94. カントによる自我論では、コギト(いわゆる超越論的統覚、〈私〉)と自己意識(いわゆる経験的統覚、〈自己〉)と呼ばれる2つが重要な役割を持つ。…このようなコギトを説明する為に、ドゥルーズはアルチュール・ランボーの「ひとりの〈他者〉である」という表現を持ち出す(『カントを要約する4つの詩的表現』)。

    カントにおいては、自我はその構成上、能動性と受動性という互いに対立する2概念を内包している:

    「私は思考する」は時間を触発するのであり、時間の中で変化し、一瞬ごとに意識のある度合いを呈示する、そんな自己の実存のみを規定するのである。〈自己〉は[...]、時間の中でさまざまな変化を経験する受動的な自己、というよりもむしろ受容的な自己である。はと言えば、それは私の実存(私は存在する)を能動的に規定する行為(私は思考する)であり[...]

    カントにとっては、反対に、〈私〉とは概念ではなく、すべての概念を伴う表象である。そし〈自我〉とは対象ではなく、すべての対象がまるでそれ自身の継起的諸状態の持続的変動に、そして瞬間におけるそのさまざまな度合いの無限の変調にそうするようにしてみずからを関係づけるところのものである。

    ランボーは書簡の中で、「〈私〉とは他者である」と表現した。
    また、彼は同時に他の箇所で
    「木がバイオリンになるのも仕方がないことなのです!」と表現する。
    つまり、ランボーは、私と自己の関係に関して
    まだ概念-対象関係から脱出していない事を意味する。

    一方、カントの確立した自我論では、

    ドゥルーズは、カントの真意は「変調」にあるとする。

    ランボーは両義的に扱われる。

    http://g-clef.blogspot.jp/2010/05/4.html

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  95. カントによる自我論では、コギト(いわゆる超越論的統覚、〈私〉)と自己意識(いわゆる経験的統覚、〈自己〉)と呼ばれる2つが重要な役割を持つ。…このようなコギトを説明する為に、ドゥルーズはアルチュール・ランボーの「ひとりの〈他者〉である」という表現を持ち出す(『カントを要約する4つの詩的表現』)。

    カントにおいては、自我はその構成上、能動性と受動性という互いに対立する2概念を内包している:

    「私は思考する」は時間を触発するのであり、時間の中で変化し、一瞬ごとに意識のある度合いを呈示する、そんな自己の実存のみを規定するのである。〈自己〉は[...]、時間の中でさまざまな変化を経験する受動的な自己、というよりもむしろ受容的な自己である。〈私〉はと言えば、それは私の実存(私は存在する)を能動的に規定する行為(私は思考する)であり[...]

    カントにとっては、反対に、〈私〉とは概念ではなく、すべての概念を伴う表象である。そし〈自我〉とは対象ではなく、すべての対象がまるでそれ自身の継起的諸状態の持続的変動に、そして瞬間におけるそのさまざまな度合いの無限の変調にそうするようにしてみずからを関係づけるところのものである。

    ランボーは書簡の中で、「〈私〉とは他者である」と表現した。
    また、彼は同時に他の箇所で
    「木がバイオリンになるのも仕方がないことなのです!」と表現する。
    つまり、ランボーは、私と自己の関係に関して
    まだ概念-対象関係から脱出していない事を意味する。

    一方、カントの確立した自我論では、
    ドゥルーズは、カントの真意は「変調」にあるとする。
    ランボーは両義的に扱われる。
    http://g-clef.blogspot.jp/2010/05/4.html

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  96. カントによる自我論では、コギト(いわゆる超越論的統覚、〈私〉)と自己意識(いわゆる経験的統覚、〈自
    己〉)と呼ばれる2つが重要な役割を持つ。…このようなコギトを説明する為に、ドゥルーズはアルチュー
    ル・ランボーの「ひとりの〈他者〉である」という表現を持ち出す(『カントを要約する4つの詩的表現』)。

    カントにおいては、自我はその構成上、能動性と受動性という互いに対立する2概念を内包している:

    《「私は思考する」は時間を触発するのであり、時間の中で変化し、一瞬ごとに意識のある度合いを呈示す
    る、そんな自己の実存のみを規定するのである。〈自己〉は[...]、時間の中でさまざまな変化を経験する受
    動的な自己、というよりもむしろ受容的な自己である。〈私〉はと言えば、それは私の実存(私は存在す
    る)を能動的に規定する行為(私は思考する)であり[...]》

    《カントにとっては、反対に、〈私〉とは概念ではなく、すべての概念を伴う表象である。そし〈自我〉と
    は対象ではなく、すべての対象がまるでそれ自身の継起的諸状態の持続的変動に、そして瞬間におけるその
    さまざまな度合いの無限の変調にそうするようにしてみずからを関係づけるところのものである。》

    ランボーは書簡の中で、「〈私〉とは他者である」と表現した。
    また、彼は同時に他の箇所で
    「木がバイオリンになるのも仕方がないことなのです!」と表現する。
    つまり、ランボーは、私と自己の関係に関して
    まだ概念-対象関係から脱出していない事を意味する。

    一方、カントの確立した自我論では、
    ドゥルーズは、カントの真意は「変調」にあるとする。
    ランボーは両義的に扱われる。
    http://g-clef.blogspot.jp/2010/05/4.html

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  97. ドゥルーズの超越論的経験論の浅田彰解釈(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」
    (財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)より)。

    《ドゥルーズは「超越論的経験論」という一見逆説的なことを言っている。ただちに経験論につく前に、い
    ちど徹底的に超越論的であれねばならない、というわけです。

    その立場から見たときに、カントはたしかに超越論的領野を発見したけれども、それを経験的領野の引き写
    しにしてしまうことで、超越論的な探求を中途半端に終えてしまった、ということになる。

    つまり、「私とは一個の他者である」というランボーの言葉を先取りするような形で、超越論的な自己と経
    験的な自己の分裂、見方を変えれば自己の諸能力の分裂を発見しながらも、経験的領野において前提されて
    いたデカルトの「良識(ボン・サンス)」につながるような「共通感官(コモン・サンス)」における諸能
    力の調和を密輸入することで、そのような分裂をあまりに性急に縫い合わせてしまった、ということになる
    わけです。

    ただし、カント自身、晩年の『判断力批判』において、「美」の共通感官を論じたあと、「崇高」を論じ
    たところで、それを超える方向を示している。その方向を徹底的に突き進めなければならない。》

    《このように呼び方はさまざまですが、ともあれ、カオス的な領野があって、そこでは私も世界も多数多様
    な粒子と流束の群れになっているというわけです。したがって、それは独我論の対極に見える。

    しかし、すべてがひとつの「内在平面」の内にあって、私も複数、他者も複数なのだから、そこに他者性
    はない。その意味で、ドゥルーズの哲学は、過激な独我論―――自我さえ必要としないほど過激な独我論だ
    と言ってもいいのではないかと思うんです。》

    《ドゥルーズは、他者というのは「可能世界の表現」だと言う。私の知覚野は狭いけれども、他者は私に見
    えないものが見えているかもしれないし、私に感じられないものが感じられているかもしれないし、そもそ
    も、そのような他者がいるからこそ知覚野が共同主観的構造として整然と秩序化されているのだ、と。しか
    し、それは現象のレヴェルの問題にすぎない。たしかに、そういう他者がいなくなると、最初、世界の秩序
    が崩壊して、ロビンソンは非常な苦しみを体験する。しかし、それを突き抜けていくと、ロビンソン自身も
    島全体がエレマン(諸元素)の群れとなって立ち上がり、コスミックなロンドを踊り始める。フライデーが
    出てきても、他者としてではなく、すでにエレマンテールなものとして出てくるにすぎない。それがトゥル
    ニエの偉大な独我論的ファンタスムなのだ、というわけです。》
    http://yokato41.blogspot.jp/2014/06/parallax.html

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  98. ドゥルーズの超越論的経験論の浅田彰解釈(『批評空間』1996Ⅱー9 共同討議「ドゥルーズと哲学」
    (財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰・柄谷行人)より)。

    《ドゥルーズは「超越論的経験論」という一見逆説的なことを言っている。ただちに経験論につく前に、い
    ちど徹底的に超越論的であれねばならない、というわけです。
    その立場から見たときに、カントはたしかに超越論的領野を発見したけれども、それを経験的領野の引き写
    しにしてしまうことで、超越論的な探求を中途半端に終えてしまった、ということになる。
    つまり、「私とは一個の他者である」というランボーの言葉を先取りするような形で、超越論的な自己と経
    験的な自己の分裂、見方を変えれば自己の諸能力の分裂を発見しながらも、経験的領野において前提されて
    いたデカルトの「良識(ボン・サンス)」につながるような「共通感官(コモン・サンス)」における諸能
    力の調和を密輸入することで、そのような分裂をあまりに性急に縫い合わせてしまった、ということになる
    わけです。》

    《ともあれ、カオス的な領野があって、そこでは私も世界も多数多様
    な粒子と流束の群れになっているというわけです。したがって、それは独我論の対極に見える。
    しかし、すべてがひとつの「内在平面」の内にあって、私も複数、他者も複数なのだから、そこに他者性
    はない。その意味で、ドゥルーズの哲学は、過激な独我論―――自我さえ必要としないほど過激な独我論だ
    と言ってもいいのではないかと思うんです。》

    《ドゥルーズは、他者というのは「可能世界の表現」だと言う。私の知覚野は狭いけれども、他者は私に見
    えないものが見えているかもしれないし、私に感じられないものが感じられているかもしれないし、そもそ
    も、そのような他者がいるからこそ知覚野が共同主観的構造として整然と秩序化されているのだ、と。しか
    し、それは現象のレヴェルの問題にすぎない。たしかに、そういう他者がいなくなると、最初、世界の秩序
    が崩壊して、ロビンソンは非常な苦しみを体験する。しかし、それを突き抜けていくと、ロビンソン自身も
    島全体がエレマン(諸元素)の群れとなって立ち上がり、コスミックなロンドを踊り始める。フライデーが
    出てきても、他者としてではなく、すでにエレマンテールなものとして出てくるにすぎない。それがトゥル
    ニエの偉大な独我論的ファンタスムなのだ、というわけです。》
    http://yokato41.blogspot.jp/2014/06/parallax.html

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  100. イマヌエル・カント / 思想 - グリ辞書 | GREE
    dic.gree.net/entry/イマヌエル・カント/思想
    道徳法則は「なんじの意志の格率がつねに同時に普遍的立法の原理として妥当するよう に行為せよ(Handle so, da die Maxime deines Willens jederzeit zugleich als Prinzip einer allgemeinen ... カントは、哲学には、「わたしは何を知ることができるの だろうか」(Was kann ich wissen?)、「わたしは何をすべきなのであろうか」(Was soll ich tun?)、「わたしは何を望むのがよいのだろうか」(Was darf ich hoffen?

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  101. カント三批判書は、

    哲学の3つの基本的な問い(「私の理性のあらゆる関心は次の3つの問いに集約される」 ). KRV, A804-805/B832-833.
    (1)「私は何を知りうるか」:形而上学、理論的.
    (2)「私は 何を為すべきか」:道徳、実践的.
    (3)「私は何を望むことが許されるか」

    に集約され
    それぞれ宇宙、霊魂、神の問題と言えます。
    ですから神だけを抽出するのは誤解を与えます。
    統制的理念としての神なのでしょうが。
    またこれらの問いの総合として人間学があり、その要約としてならわかりますがやはり、宇宙と霊魂の問題は別にあると見るべきでしょう。

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  102. III 宗教哲学の観点から見た思想の全体像(概観)
    0.理性の三つの問い
    哲学の3つの基本的な問い(「私の理性のあらゆる関心は次の3つの問いに集約される」)
    KRV, A804-805/B832-833
    (1)「私は何を知りうるか」:形而上学、理論的 (2)「私は何を為すべきか」:道徳、実践的 (3)「私は何を望むことが許されるか(そもそも私が私の為すべきことを為す場合には)」
    :宗教、理論的かつ実践的 [(4)「人間とは何か」:人間学]

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  103. カント三批判書は、

    哲学の3つの基本的な問い(「私の理性のあらゆる関心は次の3つの問いに集約される」 ). KRV, A804-805/B832-833.
    (1)「私は何を知りうるか」:形而上学、理論的.真、 宇宙
    (2)「私は 何を為すべきか」:道徳、実践的. 善、魂
    (3)「私は何を望むことが許されるか」:宗教、理論的かつ実践的 .美、神

    に集約され
    それぞれ宇宙、霊魂、神の問題と言えます。
    ですから神だけを抽出するのは誤解を与えます。
    統制的理念としての神なのでしょうが。
    またこれらの問いの総合として人間学(「人間とは何か」)があり、その要約としてならわかりますがやはり、
    宇宙と霊魂の問題は別にあると見るべきでしょう。
    真善美は互いに牽制し合うというのがカントの現代的読みになります。

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  104. カント三批判書は、

    (1)「私は何を知りうるか」:形而上学、理論的.真、 宇宙
    (2)「私は 何を為すべきか」:道徳、実践的. 善、魂
    (3)「私は何を望むことが許されるか」:宗教、理論的かつ実践的 .美、神

    に集約され
    それぞれ宇宙、霊魂、神の問題と言えます。
    ですから神だけを抽出するのは誤解を与えます。
    統制的理念としての神なのでしょうが。
    またこれらの問いの総合として人間学(「人間とは何か」)があり、その要約としてならわかりますがやはり、
    宇宙と霊魂の問題は別にあると見るべきでしょう。
    真善美は互いに牽制し合うというのがカントの現代的読みになります。
    ちなみにカント進化論の肝は自由とは何かの問題になり、構成的神の理念は退けられます。

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  105. カント三批判書は、

    (1)「私は何を知りうるか」:形而上学、理論的.真、 宇宙
    (2)「私は 何を為すべきか」:道徳、実践的. 善、魂
    (3)「私は何を望むことが許されるか」:宗教、理論的かつ実践的 .美、神

    に集約され
    それぞれ宇宙、霊魂、神の問題と言えます。
    ですから神だけを抽出するのは誤解を与えます。
    統制的理念としての神なのでしょうが。
    またこれらの問いの総合として人間学(「人間とは何か」)があり、その要約としてならわかりますがやはり、
    宇宙と霊魂の問題は別にあると見るべきでしょう。
    つまり、真善美は互いに牽制し合うというのがカントの現代的読みになります。
    ちなみにカント進化論の肝は自由とは何かの問題になり、構成的神の理念は退けられます。

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  106. http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=applpd&x=wrt&p=%E3%
    82%AB%E3%83%B3%E3%83%88+%E7%A7%81%E3%81%AF%E4%BD%95%E3%82%
    92%E6%9C%9B%E3%82%80%E3%81%
    93%E3%81%A8%E3%81%8C%E8%
    A8%B1%E3%81%95%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%8B

    I・カントの宗教哲学 - 哲学・思想学系 (Adobe PDF) -htmlで見る
    www.logos.tsukuba.ac.jp/~horoatsu/handoutphr6kant2.pdf
    哲学の3つの基本的な問い(「私の理性のあらゆる関心は次の3つの問いに集約される」 ). KRV, A804-805/B832-833. (1)「私は何を知りうるか」:形而上学、理論的. (2)「私は 何を為すべきか」:道徳、実践的. (3)「私は何を望むことが許されるか(そもそも私が私 ...
    カント教育思想研究序説(その一) : "Idee"と"philosophieren" (Adobe PDF)
    koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/.../download.php?file_id...
    私達がここに試みる論述は, イマヌエル・ カント (ーmmanueー Kant,. ' ー724~ー804) の教育思想 .... 〝3・ 私は何を望むことが許されるか. さらに 『論理学』(L0gik, ー800) では,. 4. 人間とは何か. を加え, 次のように説明する』ー ~ ~ ~ ~- ~. 丶丶`第一の問いに は ...
    宇宙



    イマヌエル・カント - Wikipedia
    ja.wikipedia.org/wiki/イマヌエル・カント

    カントは、哲学には、「わたしは何を知ることができるのだろうか」(Was kann ich wissen ?)、「わたしは何をすべきなのであろうか」(Was soll ich tun?)、「わたしは何を望むの がよいのだろうか」(Was da...
    生涯-思想-概説-前批判期

    返信削除
  107. http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%AB%A5%F3%A5%C8%A1%BE%A5%E9%A5%D7%A5%
    E9%A5%B9%A4%CE%C0%B1%B1%C0%C0%E2
    カント‐ラプラスの星雲説かんとらぷらすのせいうんせつ
    目次
    カント‐ラプラスの星雲説とは
    言及しているブログ
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    概説
    「宇宙の塵が集まり星雲になり、更にそれが集まって星が誕生する」という説。
    詳細
    ニュートン物理学の影響を受けたイマニュエル・カント(1724~1804)は1755年、太陽系の起源を解き明かす『天界の一般自然史と理論』を書いた。宇宙の生成を力学的に説き明かすことを試みたもので、宇宙が機械として純力学的に説明されることは神の存在の証明として認識され、画期的な学説であった。
    歴史的背景1
    既にニュートンが天体運動を支配する法則を発見していたが、実際の天体観測では、惑星の軌道運行に不規則運動;つまり「摂動」があり、これが徐々に進行して蓄積していけば最終的には太陽系の規則的運行は崩壊してしまう。この説明を求められてニュートンは、「神がそれを正してくれる筈である」と弱々しく述べただけだった。
    歴史的背景2
    これに対してラプラスは、ある惑星の運動不規則性(惑星の運動中心の軌道中心からのズレ、離心率で与えられる)が増加すれば、他の惑星のそれは減少するのであり、長期的に、かつ全体的に見て、不規則性は進行し、累積して行くのではなくて、変動は周期的に生じていることを明らかにし、確率論的に太陽系の安定性を立証したのだった。
    逸話
    この研究論文を手にしたナポレオンが「どこにも神の御名がないようだが?」と尋ねた時、ラプラスは昴然とこう答えた;「陛下、私は神の如き仮説は必要としないのです!」。
    業績
    「ラプラス方程式」という偏微分方程式を考察し、2個ないし3個の未知数を持つ偏微分方程式を、一個の未知倍の方程式に置き換えるという、いわゆる「ラプラス変換」に途を開いたのだった。これは運動を扱うあらゆる問題に有益なものであり、これが存在しなければ、電気磁気学や流体力学などはその入口で止まり、そこから奥へは発展しなかったに違いない。
    補足
    エール・シモン・ラプラスは、「ラプラース」とも表記される。従って『カント‐ラプラースの星雲説』とも言う。

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  108. 差異と反復
    ジル・ドゥルーズ
    財津 理 訳
    河出書房新社 ISBN4-309-23029-6
    pp.143-144.

    第二章 それ自身へ向かう反復

    ひび割れた《私》、受動的な自我、そして時間の空虚な形式

    デカルトは、《コギト》を瞬間に帰し、時間を排除することによって、あるいは連続創造を行う神にその時間を委ねることによって、はじめて結論を出すことができた。 一般的に言うなら、〔デカルトにおける〕《私》の前提的な同一性の保証は、神自身の一性にほかならないのである。 そのようなわけで、《私》が、まさしく神に負っている同一性を保持するかぎり、〔中世的な〕「神」の視点のかわりに〔近代的な〕《私》の視点を〔デカルトが〕用いたということの重要性は、世間で言われているよりもはるかに小さいのである。 《私》が、神との類似を余すところなく表現するおのれの存続、単純性、同一性を所有するかぎり、神は生き続けるということになる。 逆に言うなら、神が死ねば、《私》の同一性は存続せず、反対に、《私》のうちにおいて、本質的な非類似が、「印の消去(デマルク)〔投げ売り用の商標外し〕」が、神の印(マルク)〔商標〕あるいは刻印のかわりに創設され内化されるのである。 これこそ、カントが、少なくとも一度は、つまり『純粋理性批判』において、きわめて深く見抜いたことである。 すなわち、合理的神学と合理的心理学の同時的消滅、および神の思弁的な死が《私》の亀裂を惹起するその仕方。 〔『純粋理性批判』における〕先験的哲学の最高の主導性が、思考そのものに時間の形式を持ち込むことにあるとするならば、今度はこの形式が、純粋で空虚な形式であるかぎりにおいて、死んだ神と、ひび割れた《私》と、受動的な自我を、破棄できないかたちで意味するのである。 カントはその主導性を徹底していない、というのは確かである。 というのも、神と《私》は、〔『実践理性批判』における〕実践的な復活を体験するからである。 しかも〔『純粋理性批判』における〕思弁的な領域においてさえ、その亀裂は、新たな形式の同一性によって、つまり能動的な総合的同一性によってたちまち埋め合わされてしまい、その一方において受動的な自我は、受容性によって定義されるにすぎず、そのかぎりにおいて、いかなる総合の力能もそなえていないからである。 反対に、すでにわたしたちが見たとおり、もろもろの触発を受け取るキャパシティーとしての受容性は、ひとつの結果でしかなく、そして、受動的な自我は、それ自体受動的な総合(観照-縮約)によって、さらに深いところで構成されるのである。 もろもろの印象や感覚を受け取る可能性は、そうした受動的な総合に由来しているのだ。 カントによる総合と受動性の割りふりは、表象=再現前化の世界を救うための至高の努力である以上、それを維持するわけにはいかないのである。 すなわち、カントによるそのような割りふりにおいて、総合は、能動的なものとして考えられ、《私》における新しい形式の同一性に依拠し、受動性は、総合なき単純な受容性として考えられている。 いま言及したカント的な主導性が繰り返されうるのは、そして時間の形式が死んだ神とひび割れた《私》を同時に維持するのは、受動的な自我に関するまったく別の評価においてである。 そうした意味において、カント哲学の帰趨は、フィヒテあるいはヘーゲルにではなく、ひとりへルダーリンのみにあると言ってよい。 というのも、ヘルダーリンは、純粋時間の空虚〔な形式〕を発見し、この空虚のなかに、神的なものからの連続的な逸脱〔転回〕と、《私》に走る長い亀裂と、そして《自我》を構成する受苦〔受動〕を同時に発見しているからである。ヘルダーリンは、そのような時間の形式のなかで、オイディプスの悲劇と冒険の本質とを、相補的な諸形態をそなえたひとつの死の本能として見てとったのである。 してみると、カント哲学はもしかして、オイディプスの後継者ではないだろうか。

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  109. 物自体を認識する先験的観念性は感性ではなく理性に対応するということか?

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  110. 柄谷行人「トランスクリティーク」(2004,2010) -
    http://d.hatena.ne.jp/mokohei/20130131/1359632561
    P329 《カントは、貨幣は、ある物品を生産する労働と他の物品を生産する労働の
    取引関係を示すものであると考える。しかし彼は、なぜいかにして違った労働が等値
    されるかを問うていない。職人の子であったカントは古典経済学者と同様に、商人
    資本あるいは重商主義を嫌っていた。彼が「綜合的判断」が拡張的であることをいっ
    たのは、利潤(剰余価値)がいわば生産過程においてあるべきであり、けっして流通
    過程における差額をめざした「投機」であってはならないという意味に理解できる
    だろう。カントが考えていたのは、まだドイツにはほとんど存在していなかった産業
    資本制生産ではなく、独立小生産者たちのアソシエーションである。その意味で彼が
    考えていた貨幣は、資本に転化しないような貨幣である。私はそれについて後に述べ
    るだろう。しかし、今貨幣について考えるとき参照すべきなのは、カントの貨幣論
    自体ではなく、むしろ『純粋理性批判』である。というのも、貨幣はたんなる仮象
    ではなくて、いわば超越論的仮象であり、われわれはそれを容易に取り除くことは
    できないからである。》

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  111. http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4675909.html
    「われわれの見る遊星の少なくともどれか一つに人間が住んでいることが何らかの経験によって決定
    づけることができるとすれば、わたくしは実にこのことにわたくしの全財産を賭けたいと思う〔この
    ような場合が理説的信仰である〕。」

    「ところでわれわれは、神の現実的存在を主張する説が理説的信仰に属するものであることを、承認
    せざるをえない」
    (カント『純粋理性批判』のおしまいの方、「二、先験的方法論」の第二章第三節「臆見と知と信仰に
    ついて」より)

    《これは、科学認識(綜合的判断)はスペキュレーション(思弁)ではないが、ある種のスペキュレー
    ション(投機)をはらんでいるということを示している。だからこそ、それは「拡張的」でありうるの
    である。同様に、理論的/実践的を簡単に分けることができないように、物自体を物と他我(主観)に分
    けて考えることはできない。科学的仮説(現象)を否定(反証)するのは、物ではない。物は語らな
    い。未来の他者が語るのだ。しかし、この他者は、反証するためには、必ず感性的なデータ(物)を
    伴っていなければならない。したがって、物自体は他者であるということが、それが物であるというこ
    とと矛盾するのではない。肝心なのは、それゆえ、物であれ、他者であれ、その「他者性」である。と
    はいえ、それは何ら神秘的なものではない。「物自体」によって、カントは、われわれが先取りで
    きないような、そして勝手に内面化できないような他者の他者性を意味している。したがって、カント
    は、われわれが現象しか知りえないということを嘆いているのではない。「現象」(綜合判断)の普
    遍性は、むしろそのような他者性を前提するかぎりで成立しうるのである。》
    (柄谷行人『トランスクリティーク』p.79-80)


    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4675909.html
    「われわれの見る遊星の少なくともどれか一つに人間が住んでいることが何らかの経験によって決定づけることができるとすれば、わたくしは実にこのことにわたくしの全財産を賭けたいと思う〔このような場合が理説的信仰である〕。」

    「ところでわれわれは、神の現実的存在を主張する説が理説的信仰に属するものであることを、承認せざるをえない」
    (カント『純粋理性批判』のおしまいの方、「二、先験的方法論」の第二章第三節「臆見と知と信仰について」より)

    《これは、科学認識(綜合的判断)はスペキュレーション(思弁)ではないが、ある種のスペキュレーション(投機)をはらんでいるということを示している。だからこそ、それは「拡張的」でありうるのである。同様に、理論的/実践的を簡単に分けることができないように、物自体を物と他我(主観)に分けて考えることはできない。科学的仮説(現象)を否定(反証)するのは、物ではない。物は語らない。未来の他者が語るのだ。しかし、この他者は、反証するためには、必ず感性的なデータ(物)を伴っていなければならない。したがって、物自体は他者であるということが、それが物であるということと矛盾するのではない。肝心なのは、それゆえ、物であれ、他者であれ、その「他者性」である。とはいえ、それは何ら神秘的なものではない。「物自体」によって、カントは、われわれが先取りできないような、そして勝手に内面化できないような他者の他者性を意味している。したがって、カントは、われわれが現象しか知りえないということを嘆いているのではない。「現象」(綜合判断)の普遍性は、むしろそのような他者性を前提するかぎりで成立しうるのである。》(柄谷行人『トランスクリティーク』p.79-80)

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  112. 「ところで実践的判断の意見には信という語が適合するから、これに倣って理論的判断における信を理論的信と名づけてもよい。」
    「われわれの見る遊星の少なくともどれか一つに人間が住んでいることが何らかの経験によって決定づけることができるとすれば、わたくしは実にこのことにわたくしの全財産を賭けたいと思う〔このような場合が理説的信仰である〕。」

    「ところでわれわれは、神の現実的存在を主張する説が理説的信仰に属するものであることを、承認せざるをえない」
    (カント『純粋理性批判』のおしまいの方、「二、先験的方法論」の第二章第三節「臆見と知と信仰について」より)
    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4675909.html

    《これは、科学認識(綜合的判断)はスペキュレーション(思弁)ではないが、ある種のスペキュレーション(投機)をはらんでいるということを示している。だからこそ、それは「拡張的」でありうるのである。同様に、理論的/実践的を簡単に分けることができないように、物自体を物と他我(主観)に分けて考えることはできない。科学的仮説(現象)を否定(反証)するのは、物ではない。物は語らない。未来の他者が語るのだ。しかし、この他者は、反証するためには、必ず感性的なデータ(物)を伴っていなければならない。したがって、物自体は他者であるということが、それが物であるということと矛盾するのではない。肝心なのは、それゆえ、物であれ、他者であれ、その「他者性」である。とはいえ、それは何ら神秘的なものではない。「物自体」によって、カントは、われわれが先取りできないような、そして勝手に内面化できないような他者の他者性を意味している。したがって、カントは、われわれが現象しか知りえないということを嘆いているのではない。「現象」(綜合判断)の普遍性は、むしろそのような他者性を前提するかぎりで成立しうるのである。》(柄谷行人『トランスクリティーク』文庫版79-80頁、定本82~3頁)

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  113. 「ところで実践的判断の意見には信という語が適合するから、これに倣って理論的判断における信を
    理論的信と名づけてもよい。」

    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4675909.html
    「われわれの見る遊星の少なくともどれか一つに人間が住んでいることが何らかの経験によって決定
    づけることができるとすれば、わたくしは実にこのことにわたくしの全財産を賭けたいと思う〔この
    ような場合が理説的信仰である〕。」

    「ところでわれわれは、神の現実的存在を主張する説が理説的信仰に属するものであることを、承認
    せざるをえない」
    (カント『純粋理性批判』のおしまいの方、「二、先験的方法論」の第二章第三節「臆見と知と信仰に
    ついて」より)

    《これは、科学認識(綜合的判断)はスペキュレーション(思弁)ではないが、ある種のスペキュレー
    ション(投機)をはらんでいるということを示している。だからこそ、それは「拡張的」でありうるの
    である。同様に、理論的/実践的を簡単に分けることができないように、物自体を物と他我(主観)に分
    けて考えることはできない。科学的仮説(現象)を否定(反証)するのは、物ではない。物は語らな
    い。未来の他者が語るのだ。しかし、この他者は、反証するためには、必ず感性的なデータ(物)を
    伴っていなければならない。したがって、物自体は他者であるということが、それが物であるというこ
    とと矛盾するのではない。肝心なのは、それゆえ、物であれ、他者であれ、その「他者性」である。と
    はいえ、それは何ら神秘的なものではない。「物自体」によって、カントは、われわれが先取りで
    きないような、そして勝手に内面化できないような他者の他者性を意味している。したがって、カント
    は、われわれが現象しか知りえないということを嘆いているのではない。「現象」(綜合判断)の普
    遍性は、むしろそのような他者性を前提するかぎりで成立しうるのである。》
    (柄谷行人『トランスクリティーク』文庫版79-80頁、定本82~3頁)

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  114. 「ところで実践的判断の意見には信という語が適合するから、これに倣って理論的判断における信を
    理論的信と名づけてもよい。」

    http://oshiete.goo.ne.jp/qa/4675909.html
    「われわれの見る遊星の少なくともどれか一つに人間が住んでいることが何らかの経験によって決定
    づけることができるとすれば、わたくしは実にこのことにわたくしの全財産を賭けたいと思う〔この
    ような場合が理説的信仰である〕。」
    (カント『純粋理性批判』のおしまいの方、「二、先験的方法論」の第二章第三節「臆見と知と信仰に
    ついて」より)

    《これは、科学認識(綜合的判断)はスペキュレーション(思弁)ではないが、ある種のスペキュレー
    ション(投機)をはらんでいるということを示している。だからこそ、それは「拡張的」でありうるの
    である。同様に、理論的/実践的を簡単に分けることができないように、物自体を物と他我(主観)に分
    けて考えることはできない。科学的仮説(現象)を否定(反証)するのは、物ではない。物は語らな
    い。未来の他者が語るのだ。しかし、この他者は、反証するためには、必ず感性的なデータ(物)を
    伴っていなければならない。したがって、物自体は他者であるということが、それが物であるというこ
    とと矛盾するのではない。肝心なのは、それゆえ、物であれ、他者であれ、その「他者性」である。と
    はいえ、それは何ら神秘的なものではない。「物自体」によって、カントは、われわれが先取りで
    きないような、そして勝手に内面化できないような他者の他者性を意味している。したがって、カント
    は、われわれが現象しか知りえないということを嘆いているのではない。「現象」(綜合判断)の普
    遍性は、むしろそのような他者性を前提するかぎりで成立しうるのである。》
    (柄谷行人『トランスクリティーク』文庫版79-80頁、定本82~3頁)

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  115. http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp/dspace/handle/10191/6565
    1-65.pdf 4151Kb Adobe PDF
    タイトル : 哲学的エンチュクロペディー講義
    著者 : イマヌエル, カント[著] / 城戸, 淳[訳]
    公開者・出版者 : 新潟大学大学院現代社会文化研究科共同研究プロジェクト「世界の視点をめぐる思想史的研究」

    1770年代?講義録

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  116. 理性の限界、カント『純粋理性批判』図説・標準 哲学史 貫成人97頁より


     _____理性の限界______________
    |        _______________ |
    |       |      合理論的独断論  ||
    |       | _________     ||
    | 信     |/  |宇宙の無限 \    ||
    |  =二律背反←理性< 宇宙の構成要素\   ||
    | 仰↖   /|   |人間の自由   \  ||
    |   \ | |   |神の存在     | ||    関係 様相
    |    \| |_____________|_||
    |     |ー→知性=経験←ーーーーーーー|←ー|←ーアプリオリなカテゴリー
    |     |  _____________|_ |
    |     | |             | ||    量   質
    |      \|感性=感覚と習慣    /  ||
    |       |           /   ||
    |       |\_________/    ||
    |       |               ||
    |       |      ヒュームの懐疑論 ||
    |       |_______________||
    |________________________|
      (『図説・標準 哲学史』貫成人97頁より)


    カントの三批判の関係

    純粋理性
    における ←理性____________道徳的判断
    二律背反                『実践理性批判』
          判断力_______
                    |___美的判断/自然の合目的性
          知性(悟性)____|_  『判断力批判』
                    | |
          想像力(構想力)__| |_認識
                      | 『純粋理性批判』
          感性__________|

    同103頁より


     _____理性の限界______________
    |        _______________ |
    |       |      合理論的独断論  ||
    |       | _________     ||
    | 信     |/  |宇宙の無限 \    ||
    |  =二律背反←理性< 宇宙の構成要素\   ||
    | 仰↖   /|   |人間の自由   \  ||
    |   \ | |   |神の存在     | ||    関係 様相
    |    \| |_____________|_||
    |     |ー→知性=経験ーーーーーーー→|ー→|ー→アプリオリなカテゴリー
    |     |  _____________|_ |
    |     | |             | ||    量   質
    |      \|感性=感覚と習慣    /  ||
    |       |           /   ||
    |       |\_________/    ||
    |       |               ||
    |       |      ヒュームの懐疑論 ||
    |       |_______________||
    |________________________|
      図説・標準 哲学史 貫成人97頁より


     _____理性の限界______________
    |        _______________ |
    |       |      合理論的独断論  ||
    |       | _________     ||
    | 信     |/  |宇宙の無限 \    ||
    |  =二律背反←理性< 宇宙の構成要素\   ||
    | 仰↖   /|   |人間の自由   \  ||
    |   \ | |   |神の存在     | ||
    |    \| |_____________|_||
    |     |ー→知性=経験        |  |
    |     |  _____________|_ |
    |     | |             | ||
    |      \|感性=感覚と習慣    /  ||
    |       |           /   ||
    |       |\_________/    ||
    |       |               ||
    |       |      ヒュームの懐疑論 ||
    |       |_______________||
    |________________________|
      図説・標準 哲学史 貫成人97頁より




    理性の限界

                 合理論的
                 独断論

               宇宙の無限
    信仰 二律背反 理性 宇宙の構戍要素
               人間の自由
               神の存在

            知性=経験

            感性=感覚と習慣

                 ヒュームの
                 镶疑論

    図説・標準 哲学史 貫成人97頁




    理性の限界
     ________________________
    |        _______________ |
    |       |         合理論的  ||
    |       |         独断論   ||
    |       | _________     ||
    | 信     |/  |宇宙の無限 \    ||
    |  =二律背反←理性< 宇宙の構成要素\   ||
    | 仰↖   /|   |人間の自由   \  ||
    |   \ | |   |神の存在     | ||
    |    \| |_____________|_||
    |     |ー→知性=経験        |  |
    |     |  _____________|_ |
    |     | |             | ||
    |      \|感性=感覚と習慣    /  ||
    |       |           /   ||
    |       |\_________/    ||
    |       |               ||
    |       |         ヒュームの ||
    |       |         镶疑論   ||
    |       |_______________||
    |________________________|
      図説・標準 哲学史 貫成人97頁より



    理性の限界
     _______________________
    |        ______________ |
    |       |        合理論的  ||
    |       |        独断論   ||
    |       | ________     ||
    | 信     |/  宇宙の無限 \    ||
    |  =二律背反←理性 宇宙の構成要素\   ||
    | 仰↖   /|   人間の自由   \  ||
    |   \ | |   神の存在     | ||
    |    \| |____________|_||
    |     |ー→知性=経験       |  |
    |     |  ____________|_ |
    |     | |感性=感覚と習慣    | ||
    |      \|           /  ||
    |       |          /   ||
    |       |\________/    ||
    |       |              ||
    |       |        ヒュームの ||
    |       |        镶疑論   ||
    |       |______________||
    |_______________________|
      図説・標準 哲学史 貫成人97頁より


    POSTED BY YOJI AT 1:48 午前

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  117. 以下、脱線。
     ~カント、調停者による収奪~
    第一批判中では、ヒュームの懐疑論を武器に、プラトン、メンデルスゾーン、デカルト、ライプニッツ、が論難される。
    特にライプニッツは仮想敵として最大だ。
    ライプニッツを矮小化した上での批判は疑問も有る。クラーク=ニュートンとの論争を念頭に置いているが自分を調停者に見せかけて収奪をしている。ただし世界ではなく自然を扱ったスピノザはテーゼ、アンチテーゼ両方にまたがるので収奪不可能だった。これは判断力批判に持ち越される。

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  118. カテゴリーと関連し得る

    四則演算
    http://itdoc.hitachi.co.jp/manuals/3020/3020645740/W4570093.HTM
    (1) 四則演算の種類と機能
    SQLの値式中に四則演算を使用した検索ができます。四則演算の種類と機能を次の表に示します。

    表2-13 四則演算の種類と機能
    四則演算 意味 機能
    + (単項演算) 正符号 符号を反転しません。
    (2項演算) 加算 第1演算項に第2演算項を加えます。
    - (単項演算) 負符号 符号を反転します。
    (2項演算) 減算 第1演算項から第2演算項を減らします。
    * (2項演算) 乗算 第1演算項に第2演算項を掛けます。
    / (2項演算) 除算 第1演算項を第2演算項で割ります。
    (2) 四則演算結果のデータ型
    第1演算項データ型が,SMALLINT,INTEGER,DECIMAL,SMALLFLT,及びFLOATの場合の,四則演算(2項演算)の演算項のデータ型と演算結果のデータ型の関係を次の表に示します。

    表2-14 四則演算(2項演算)の演算項のデータ型と演算結果のデータ型の関係
    第1演算項データ型 第2演算項データ型
    SMALLINT INTEGER DECIMAL SMALLFLT FLOAT
    SMALLINT INTEGER INTEGER DECIMAL SMALLFLT FLOAT
    INTEGER INTEGER INTEGER DECIMAL FLOAT FLOAT
    DECIMAL DECIMAL DECIMAL DECIMAL FLOAT FLOAT
    SMALLFLT SMALLFLT FLOAT FLOAT SMALLFLT FLOAT
    FLOAT FLOAT FLOAT FLOAT FLOAT FLOAT

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  119. カントの4カテゴリーは一見恣意的だが
    四則演算は恣意的ではない

    カテゴリーと四則演算は対応する
    量 質 関係 様相
    + -  ×  ÷

    カテゴリーも恣意的とは言えない

    これらは循環構造を作っている


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  120. 5つ星のうち3.0入門書というより簡易入門書という感じ カント『純粋理性批判』入門 (講談社選書メチエ) | 黒崎 政男 | 本 | Amazon.co.jp
    投稿者tenbun2013年7月13日
    形式: 単行本(ソフトカバー)
    カントの『純粋理性批判』について、わかりやすく説明したという入門書になります。個人的には、他本では重視した「弁証論」がばっさりと省略されており、入門書というより簡易入門書という感じです。カントについての雑学的なことも書かれ、読みやすい本になっていますが、たった200ページとボリューム感も乏しいのに(前置きは83ページあり)、カント哲学とハイデガー、ヘーゲル、ヒュームの哲学とが比較され理解の助長なのでしょうが、若干脱線している感じがしました。

    はじめに、『純粋理性批判』の「コペルニクス的転回」の主張について説明されています。

    「カントが『純粋理性批判』で明らかにしたのは、をとらえられると考えるのはおろかな妄想にすぎず、認識は徹頭徹尾、主観的な条件で成立しており、そのことによってのみ、認識は客観性を有する、という主張」P11であり、「カントの『純粋理性批判』は、対象が認識に従う、という主張をつらぬき通す、しかも、こう考えることによってのみ、認識は初めて客観性を得る、とカントは主張している」P12

    面白かったのが、カントについての雑学的なことで、「カントはあまり読書家ではなかったらしい。蔵書は大したものではなかったし、新刊書は極めてわずかしか持たず、大部分は人にあげてしまった。一つには、カントは死んだ活字よりも生きた人間が研究対象だった」P16という。
    これなんかは、ショーペンハウアーの『読書について』の理想そのままであり、
    また、「カントは、自分の思想が強烈過ぎて、人の書いた思想を理解することができなかった」らしく、「カントはよくこのことをまわりに告白し、友人たちには、とにかく、他人の哲学を自分に代わって読んでもらい、自分の哲学とどこが違うか要点だけを教えてほしい、と注文していた」という。
    カントは、他人の文章に対して、読解力がなかったようです。
    「ランベルトやメンデルスゾーンの手紙への返事」P71を出さなかったのも、もしや、その意味がわからなかったりしてと勘繰りたくもなり、「便秘により医者ヘルツに薬の処方箋を依頼」P83したりしたとあり、思わず笑いました。

    P62には、Verstandの翻訳が「知性」でなく、「悟性」と訳されたか、興味深い事情について説明してくれてます。

    後半では、『純粋理性批判』の初版と二版を比較し、綜合をになう役目が、初版では「構想力」が、二版では「悟性」に書きかえられP151、カントが「超越論的構想力」に苦悩した、退避と、あいまいさを指摘しています。

    著書は、カントの主張の破綻をも指摘し、「カントにおいてその思想的なピークは『純粋理性批判』第一版であると考える」といい、その後は「堕落とまでは言わないが、ある種のが衰退していく」P189という。

    私の読後感は、少し、カントが哀れに思えました。

    脱字
    P39「成っているではない」→「成っているのではない」

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  121. カントは数学的なアンチノミーと力学的なアンチノミーとを分けている

    量質は前者 (不増不滅、不垢不浄)
    関係様相は後者(不生不滅、諸法空相)

    前者は排中律が適応され、
    後者は共立可能

    これだけでも進歩だ
    というか数学と科学の進歩に余地を残している

    ゲーデルもハッブルもカントに言及しているのは偶然ではない

    「信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった」(2版序)という
    カント自身の言葉をもじって言えば、
    「信仰に余地を求めるために、論理学を除去しなかった」と言えるのだ。

    返信削除
  122. カントはアンチノミーを
    数学的なアンチノミーと力学的なアンチノミーとに分けている

    量質は前者 (不増不滅、不垢不浄)
    関係様相は後者(不生不滅、諸法空相)

    前者は排中律が適応され、
    後者は共立可能

    これだけでも進歩だ
    というか数学と科学に進歩の余地を残している

    ゲーデルもハッブルもカントに言及しているのは偶然ではない

    「信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった」(2版序)という
    カント自身の言葉をもじって言えば、
    「信仰に余地を求めるために、論理学を除去しなかった」と言えるのだ。

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  123. カントはアンチノミーを
    数学的なアンチノミーと力学的なアンチノミーとに分けている

    量質は前者 (不増不滅、不垢不浄)
    関係様相は後者(不生不滅、諸法空相)

    前者は排中律が適応され、
    後者は共立可能

    これだけでも進歩だ
    というか数学と科学に進歩の余地を残している

    ゲーデルもハッブルもカントに言及しているのは偶然ではない

    「信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった」(純理2版序)という
    カント自身の言葉をもじって言えば、
    「信仰に余地を求めるために、論理学を除去しなかった」と言えるのだ。

    返信削除

  124. カントはアンチノミーを
    数学的なアンチノミーと力学的なアンチノミーとに分けている

    量質は前者 (不増不滅、不垢不浄)
    関係様相は後者(不生不滅、諸法空相)

    前者はそれぞれ排中律が適応され、
    後者は共立可能

    これだけでも進歩だ
    というか数学と科学に進歩の余地を残している

    ゲーデルもハッブルもカントに言及しているのは偶然ではない

    「信仰に余地を求めるために、知識を除去しなければならなかった」(純理2版序)という
    カント自身の言葉をもじって言えば、
    「信仰に余地を求めるために、論理学を除去しなかった」と言えるのだ。

    返信削除

  125. http://tenhare.hatenablog.com/entry/2015/06/30/154812
    事実問題と権利問題というのがあって、カント哲学では区別して考える。
    事実問題は事実の確定に関わる問題で、権利問題は法律がその一例で、所謂べき論である。
    僕は哲学も法律も専門ではないが、「働いていない」は事実問題で、「働いていないからダメだ」は権利問題になる。
    働いていないかどうかは調べればわかるが、働いていないからダメかどうかは議論の余地がある。
    両者を混同すると、話しがかみ合わない。
    (だから事実と意見は区別しなければならない。)

    返信削除
  126. 真実は事実問題、
    意味は権利問題、ということになる

    ドゥルーズは後者を重視した

    これはドゥルーズのヴィトゲンシュタイン(分析哲学)嫌いを上手く説明する
    『哲学とは何か?』ではもう少し踏み込んで可能世界の問題として論じている

    潜在性は事実としてある、というのがドゥルーズの主張だ

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  127. カントのアンチノミーもカテゴリーに分けられる

    以下wikiより
    量・質の二律背反は数学的、関係・様相の二律背反は力学的といわれる。後者の力学的
    二律背反においては、物自体と現象とを区別する限り、定立と反定立の双方が真であり、
    現象における経験的性格の必然性と当為における自由による原因性が両立…
    https://ja.wikipedia.org/wiki/純粋理性批判

    二元論というよりも二進法的に二分割を律儀に重ねることで新たな認識に到達する


         分 析
          |
       量  |  質
     規____|____反
     定    |    省
       関係 | 様相
          |
         総 合


    バラモンやスピノザだとこれが三角形になる

    ちなみに、般若心経にもカントのカテゴリーと同じものが出てくる


    是諸法空相a、不生不滅b、不垢不浄c、不増不減d。

    参考:
    カント、純粋理性のカテゴリー
    量(単一性、多数性、全体性d)
    質( 実在性c、否定性、限界性)
    関係(実体性、 因果性b、相互性)
    様態(可能性、現実存在、必然性a)

    カントが挙げているアンチノミーには、(カテゴリー順に)四つ(a-d)ある(それぞれのテーゼにアンチテーゼが対応)。
    1 世界は有限(時間的、空間的に)である。←→世界は無限である。d
    2 世界におけるどんな実体も単純な部分から出来ている。←→単純なものなど存在しない。c
    3 世界には自由な原因が存在する。←→自由は存在せず、世界における一切は自然法則に従って生起する。b
    4 世界の内か外に必然的な存在者がその原因として存在する。←→必然的な存在者など存在しない。a
    http://www.ne.jp/asahi/village/good/kant.html

    1量 2質
    3関係4様相

    1不増不減d2不垢不浄c
    3不生不滅b4諸法空相a




    先験的弁証論 編集
    真理の論理学である分析論に対し、先験的弁証論は仮象の論理学であるといわれる。この仮象は理性にとって不可避的かつ固有のものである。純粋理性概念あるいは理念は可能的経験の限界を超えて絶対者にまで (B436) 拡張された純粋悟性概念である。経験においては理念に完全に合致する対象が現れることは決してありえない (B384) 。理念は心・自由・神であり、定言的推理における実体性・仮言的推理における原因性・選言的推理における相互性がおのおの対応する。

    第一類の弁証的推論は、まったく多様を含まない主観の先験的概念から、この主観の絶対的統一そのものを推理する先験的誤謬推理(paralogismus) である。そこでは心は実体・単純・同一的・相互作用的であるといわれる。

    実体性の誤謬推理
    単純性の誤謬推理
    人格性の誤謬推理
    観念性の誤謬推理
    上記の諸推理は、実体性の誤謬推理に帰着される。そこでは「心は実体である」といわれる。しかしその推論における媒概念である絶対的主語に対しては、大前提にあっては実在的主体、小前提にあっては論理的主体が意味される媒概念曖昧の虚偽が明かされる。実体が理念である限りでなければ、「心は実体である」とはいいえない(A351)。

    第二類の弁証的推論は、現象一般に対する制約系列の総体性を問題とする純粋理性の二律背反 (antinomie) である。


    世界には時間的空間的に始まりがある。
    世界には時間的空間的に始まりはない。

    世界にあるものはすべて単純なものからなる。
    世界にあるものはすべて複合的である。
    関係
    世界には自由による原因性がある。
    世界には自由なものはない。
    様相
    世界原因の系列において必然的存在がある。
    世界における一切は偶然的である。
    二律背反の解決は、あくまでも課題である理念に客観的実在性を帰する先験的すりかえ (transzendentale Subreption) を避け、理性の原則は可能的経験を超え出る構成的原理でなく、経験をできるかぎり拡張するための統制的原理であることを認めることを必要とする。なお、量・質の二律背反は数学的、関係・様相の二律背反は力学的といわれる。後者の力学的二律背反においては、物自体と現象とを区別する限り、定立と反定立の双方が真であり、現象における経験的性格の必然性と当為における自由による原因性が両立し、また、現象の彼岸における目的の王国 (Reich der Zwecke) に関係する可想的存在者が想定される。

    第三類の弁証的推論は、そのたんなる先験的概念からすれば知られることがない諸物から一切存在体の存在体を推論する純粋理性の理想(ideal) である。

    実体論的証明
    宇宙論的証明
    自然神学的証明
    上記の諸証明は、概念から最高存在の現存在を証明する実体論的証明に帰着される。神の概念は矛盾を含まないため、その存在の不可能性は先天的には証明されない。しかし経験的対象でもないため後天的にも証明されない。その存在をその概念によっていっそう知ることはなく、また、その絶対的必然性について何らかの概念を得ることもない。

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  128. ちなみにカントのアンチノミーもカテゴリーごとに分類される

    以下wikiより
    量・質の二律背反は数学的、関係・様相の二律背反は力学的といわれる。後者の力学的
    二律背反においては、物自体と現象とを区別する限り、定立と反定立の双方が真であり、
    現象における経験的性格の必然性と当為における自由による原因性が両立…
    https://ja.wikipedia.org/wiki/純粋理性批判

    カントは二元論というよりも二進法的に二分割を律儀に重ねることで新たな認識に到達する

         分 析
          |
       量  |  質
     規____|____反
     定    |    省
       関係 | 様相
          |
         総 合


    バラモンやスピノザだとこれが三角形になる
    ちなみに、般若心経にもカントのカテゴリーと同じものが出てくる

    是諸法空相[様相]、不生不滅[関係]、不垢不浄[質]、不増不減[量]。


    より詳細には、

    是諸法空相a、不生不滅b、不垢不浄c、不増不減d。

    参考:
    カント、純粋理性のカテゴリー
    量(単一性、多数性、全体性d)
    質( 実在性c、否定性、限界性)
    関係(実体性、 因果性b、相互性)
    様態(可能性、現実存在、必然性a)

    カントが挙げているアンチノミーには、(カテゴリー順に)四つ(a-d)ある(それぞれのテーゼにアンチテーゼが対応)。
    1 世界は有限(時間的、空間的に)である。←→世界は無限である。d
    2 世界におけるどんな実体も単純な部分から出来ている。←→単純なものなど存在しない。c
    3 世界には自由な原因が存在する。←→自由は存在せず、世界における一切は自然法則に従って生起する。b
    4 世界の内か外に必然的な存在者がその原因として存在する。←→必然的な存在者など存在しない。a
    http://www.ne.jp/asahi/village/good/kant.html

    1量 2質
    3関係4様相

    1不増不減d2不垢不浄c
    3不生不滅b4諸法空相a

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  129. 参考までに、
    カントのアンチノミーもカテゴリーごとに分類される

    以下wikiより
    量・質の二律背反は数学的、関係・様相の二律背反は力学的といわれる。後者の力学的
    二律背反においては、物自体と現象とを区別する限り、定立と反定立の双方が真であり、
    現象における経験的性格の必然性と当為における自由による原因性が両立…
    https://ja.wikipedia.org/wiki/純粋理性批判

    カントは二元論というよりも二進法的に二分割を律儀に重ねることで新たな認識に到達する

         分 析
          |
       量  |  質
     規____|____反
     定    |    省
       関係 | 様相
          |
         総 合


    バラモンやスピノザだとこれが(主体化を急ぐために)三角形になる
    ちなみに、般若心経にもカントのカテゴリーと同じものが出てくる

    是諸法空相[様相]、不生不滅[関係]、不垢不浄[質]、不増不減[量]。

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  130. 下の関係と様相は逆でした

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  131. 仏教はアンチノミーを倫理的次元で活用する


    《ダブルバインドの作用
     禅の修業において、師は弟子を悟りに導くために、さまざまな手口を使う。そのなかの一つ
    に、こういうのがある。師が弟子の頭上に棒をかざし、厳しい口調でこう言うのだ。「この棒が
    現実にここにあると言うのなら、これでお前を打つ。この棒が実在しないと言うのなら、お前を
    これで打つ。何も言わなければ、これでお前を打つ。」分裂症者の人間はたえずこの弟子と
    同じ状況に身を置いているという感触をわれわれは抱いている。しかし彼は「悟り」とは逆
    の、「混乱」の方向へと導かれる。禅の修業僧なら、師から棒を奪い取るという策にも出られる
    だろう。そしてこの対応を、師が「よし」と認めることもあるだろう。しかし分裂症者がそのよう
    な選択をとることは不可能だ。相手との関係に対して大胆になることは彼は許されていないし、
    彼の母親と禅師とでは、その目的も意識も大きく違っているのだ。》
    (ベイトソン「精神分裂病の理論化に向けて」『精神の生態学』2000年297頁)

    参考:
    《…徳山 (宣鑑 ・七八〇 ―八六五 )は堂に来る時 、必ず長い棒を携えていた 。そして言う 、
    「道い得るも三十棒 、道い得ざるも三十棒 」と 。これが彼の弟子達に言ったすべてであって 、
    彼はこれ以外何事も言わなかった 。》
    (鈴木大拙「大肯定の禅」『禅学入門』より)

    臨済録勘弁
    http://marihouse.biz/kokoro/rinzai/rinzaiR4.htm
    師聞第二代徳山埀示云、道得也三十棒、道不得也三十棒。

    返信削除

  132.   ______________
     |         |    |  
     |  感性論    |    |
     |         |    |
     |___原理論___|方法論 |
     |    |    |    |  
     |    |    |    |
     |    |    |    |
     |  論理学    |    | 
     |    |    |    |
     |分析論 |弁証論 |    |
     |____|____|____|


     ______純_粋_理_性_批_判______
    緒 言◯  |     |     |  手引き=判断表
    |     |     |  緒言 |概念分析 |範疇表
    | 空間  |  時間 |     |演繹◯  |
    |  (感 性 論)  |__(論 理 学)__|
    |     |     |  /分 析 論   |  
    |     |     |   図式| 付録: |
    |     |     |原則分析 |反省概念 |
    |_原  理  論___|体系_根拠◯___(無)
    |  (感性論と論理学)|独断|論争|     |
    | 概 念 |  霊魂 |_訓練__| 規準  |
    |     |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
    |(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善|
    |/弁 証 論  存在論|  (図式)     | 
    量 世界 質|  神  | 建築術 | 歴史  |
    |二律背反 |宇  神学(体系)  |     |
    関係__様相|宙論___|_____|_____|

    ◯=初版と第二版に異同がある。

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  133.   ___原理論____方法論_
     |         |    |  
     |  感性論    |    |
     |         |    |
     |_________|    |
     |    |    |    |  
     |    |    |    |
     |    |    |    |
     |  論理学    |    | 
     |    |    |    |
     |分析論 |弁証論 |    |
     |____|____|____|


     ______純_粋_理_性_批_判______
    緒 言◯  |     |     |  手引き=判断表
    |     |     |  緒言 |概念分析 |範疇表
    | 空間  |  時間 |     |演繹◯  |
    |  (感 性 論)  |__(論 理 学)__|
    |     |     |  /分 析 論   |  
    |     |     |   図式| 付録: |
    |     |     |原則分析 |反省概念 |
    |_原  理  論___|体系_根拠◯___(無)
    |  (感性論と論理学)|独断|論争|     |
    | 概 念 |  霊魂 |_訓練__| 規準  |
    |     |誤謬推理◯|仮説|証明|目的、理想|
    |(論 理 学)推 理_|__|方 法 論__善|
    |/弁 証 論  存在論|  (図式)     | 
    量 世界 質|  神  | 建築術 | 歴史  |
    |二律背反 |宇  神学(体系)  |     |
    関係__様相|宙論___|_____|_____|

    ◯=初版と第二版に異同がある。

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  134. 悟性(知性)intellectusと理性ratioの序列 : 河野與一と河野与一
    https://essentia.exblog.jp/176812/
    悟性(知性)intellectusと理性ratioの序列
    河野與一『哲学講話』から。

    カント的には、「1階に感性Sinnlichkeitがあって、2階に悟性Verstandがあって、3階に理性Vernunftがある」というイメージ。感性と悟性の枠内で理性を働かせていれば問題はないのですが、感性と悟性を離れて理性が暴走すると、認識に失敗します。だから理性が形而上学を扱うのは無理。

    トマス・アクィナス的には、「1階に感性sensusがあって、2階に悟性intellectus/intelligentiaがあって、その間をつなぐのが理性ratio」というイメージ。天使の悟性intelligentiaは純粋なので、一瞬にして物事を理解します。一方、人間の悟性intellectusは不純なので、物事を理解するのに時間が掛かります。この時間を掛けて推論(reason)していく際に悟性の補助的に働くのが、理性ratioなのだとか。

    ドイツ語のVerstehenからくる悟性Verstandは、人間の心の働きを重視しています。英語で考えればUnderstandであり、「理解力」というニュアンスかと。

    一方、ラテン語のRatioやフランス語のRaisonには、心の働きというニュアンスはなく、むしろ「比Ratio」という数学的・自明的なイメージが強くなります。このあたり、数学的自明性から出発したデカルトから近代哲学が始まることと、符合しているように思えます。

    最近「悟性」は「知性」と安直に訳される傾向がありますが、ますます分かりにくくなる一方。

    ということで、坂部恵がその引退講義集である『ヨーロッパ精神史入門-カロリング・ルネサンスの残光-』で、スコトゥス・エリウゲナ以来の伝統によれば、intellectus-ratio-sensusというのが元の序列だった、と書いているのはまさにその通りです。

    カントは、バウムガルテン『形而上学』のintellectusの概念の内、神のintellectus(実質はintelligentia)を切り離して人間の有限なintellectusのみを取り扱った結果、intellectusはratioの下位に転ずることとなった、と書いているのだとか。

    黒崎政男は、Verstandが認識能力のヒエラルヒーの中でVernunftより偉かった時、すなわち中世哲学の文脈では「知性」と訳され、Vernunftにその首位を取って代わられた後、すなわちカント哲学の文脈では「悟性」と訳される、と言っているらしいです。

    ちょっと脱線しますが、さらに良く分からないのは、いわゆる直観intuitionl直感instinctとの関係。取り敢えずintuitionはintelligentiaに近いモノで、reasoningなしで到達する認識と考えております。

    カントの文脈では、直観とは、下級認識能力である感性において、物自体に触発されて表象を行う能力のことであり、詰まるところ、直観は感性に含まれます。また、悟性と理性をつなぐ架け橋として、判断力Urteilskraft(power of judgement)があります。

    河野與一は、明治時代に作られた「悟性」という訳語には「考えずに悟る」という、というニュアンスが籠められていて、なかなかの秀作だ、という評価しています。

    元に戻ってintellectusとratioの問題ですが、そもそも古代ギリシャ哲学においては理性が勝っていました。これを「神の知性>人間の理性」と反転させたのはアウグスティヌスです。「理性は曖昧で彷徨いやすい。それ故に、啓示に従うことが真理への道である」というようなことを、『告白』で書いているのだとか。流石、碩学カッシーラーにとっては常識のようでした。


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  135. 論語15:30
    子曰、過而不改、是謂過矣、

    子の曰わく、過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂う。

    先生が言われた、「過ちを改めない、これを[本当の]過ちというのだ。」

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  136. あなたは「ソラ・アメ・カサ」を聞いたことがありますか?

     これはマッキンゼーの日本支社が開発したフレームワークという問題解決の一つの「型」で、問題解決というよりも、日々の仕事やコミュニケーションの改善に使える万能ツールなのです。外資系コンサルタントでは誰も知っており、使いこなしていますが小学生でもすぐ活用できるくらい簡単かつ便利なものなのです。

    ソラ・アメ・カサがコミュニケーションの課題の9割を救う

     早速紹介しましょう。ソラ・アメ・カサは、

    ソラ「空を見ると曇ってきた(事実)」
    アメ「雨が降りそうだ(解釈)」
    カサ「傘を持っていこう(判断)
    というシンプルな構造です。

     事実を整理する時(ソラ)、「どうなりそうか?」(アメ)、「ゆえに、どんな判断を下し、打ち手や行動を提案するか」(カサ)の頭文字を取ったものが「ソラ・アメ・カサ」です。この3つをセットにして考えると、複雑にからみ合った事象のつながりがシンプルに整理されます。論理的にムリも飛躍もない判断ができるのです。

     本当にそうなるか検証してみましょう。

     ソラ「空を見ると曇ってきた(事実)」

     のように、ソラ・アメ・カサの要素1つだけでは伝わりません。

     では、2つの要素ではどうなるか。

     ソラ「空を見ると曇ってきた(事実)」

     アメ「雨が降りそうだ(解釈)」

     だと、「そうですね。だから何でしょうか?」と相手は考えるでしょう。

     ソラ「空を見ると曇ってきた(事実)」

     カサ「傘を持っていこう(判断)」

     だと、「大げさだな」「心配性だな」「確かに」と相手の意見はブレるでしょう。

     アメ「雨が降りそうだ(解釈)」

     カサ「傘を持っていこう(判断)」

     だと、「そうかな?」「私はそう思わない」と意見が割れるでしょう。

     いかがでしょう。ソラ・アメ・カサの2つの要素だけでは正しく伝わらないのは明白ですよね。

    松本利明



    https://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1811/01/news012.html

    マッキンゼー式「ソラ・アメ・カサ」は報連相を超える

    返信削除

  137.  最後に確認のためソラ・アメ・カサの3つの要素を並べてみます。

     ソラ「空を見ると曇ってきた(事実)」

     アメ「雨が降りそうだ(解釈)」

     カサ「傘を持っていこう(判断)」

     こう言われると素直に違和感なく頭が整理され、自然に正しく判断できます。ソラ・アメ・カサで相手に話すと正しく伝わり、判断してもらえます。

     そう、物事を決めるには「伝えることを話す方が決める」「聞いた内容で相手が判断する」の2段階があります。このプロセスは外せません。この2段階をソラ・アメ・カサは1つのツールで行えるので優れたツールなのです。

     ソフトバンクの孫正義氏を含め、経営者が重要な意思決定を行うには、「ソラ」「アメ」「カサ」の3つがセットでないと行えないといいます。

     キーになるのはアメ(解釈)です。事実をどう解釈するかで想定されるゴール像が変わります。ゴール像が変われば打ち手の判断も変わります。事実の解釈により、アメは無数に存在します。しかし、アメは日本語のやりとりをしている時は省略されてしまいがちなのです。つき合い始めのカップルの会話例で見てみましょう。

     「夜空がきれいだね」

     「うん、そうね」

     一見通じているように見えるでしょう。しかし、突っ込んでみると「星がたくさん出ていてきれい」「満月が大きくくっきり見えてきれい」「夜空に関係なく実は浴衣姿の君がきれい」など、同じ夜空という事実は一緒でも、解釈により、きれいと感じるところが違うことは日常的に発生します。

    事実は「どこに焦点」を当てるか
    焦点を当てた事実を「どう解釈」するか
     プライベートならまだしも、この解釈のズレはビジネスでは致命傷になることがあります。 解釈のズレは上司や取引先とのやりとりの中で多く発生するので注意が必要です。

     ソラ(事実)「加湿器が欲しいというお客さまが来た。相見積もりして安い方を買うと言っている」

     アメ(1)(解釈)「壊れず長期間、安定的に使える商品を望んでいそうだ」

     アメ(2)(解釈)「経費予算がなく、価格が安い方を選択せざるを得ないのかもしれない」

     アメ(3)(解釈)「加湿器だけでなく、実は保湿機能付きを欲しいのかもしれない」

     アメによって、それぞれ打ち手も変わります。(1)であれば「品質がよく壊れないのでランニングコストを考えて10年使うならお得」という提案が考えられます。

     (2)であれば、「安く導入してもらい、部品や手入れなどのメンテナンスコストで調整して回収する」となるでしょう。(3)になると、加湿器が欲しい理由を確認する必要がありますが、仮に喉が弱くいたわりたいのでしたら、加湿と保湿機能に加えハウスダストやカビ除去ができるクーラーなどの製品を提案する方向が見えてきます。

     ソラ・アメ・カサを身につけるのは簡単です。「ソラ」「アメ」「カサ」の3つがそろっていればいいのですぐ習慣化できます。

     実は、この3つというシンプルな構造がいいのです。人はたくさんのポイントを言われると記憶できず判断ができません。「ポイントは7つあります」と言われても実際は覚えられないでしょう。「ポイントは3つまで」と心得ておけば、相手にも理解されやすくなります。そして、「ソラ・アメ・カサ」はそれにぴったりだということです。

     ソラ・アメ・カサは順番ではなくセットです。「結論から話せ」と言われれば、カサから話してからアメとソラを伝えればいいなどコミュニケーションの効率がぐっとあがります。

     報連相はあなたもご存じでしょう。報連相をしても「意図と違う」と怒られる。上司や先輩の指示が間違っていて「報連相できてない」と怒られた経験は誰しもあることです。その原因はソラ・アメ・カサで考えれば一発です。報連相は全て「ソラ」。上司がアメを洞察し、打ち手である「カサ」を指示するので「アメ」の解釈があなたに伝わらず、解釈や意図のズレが発生してしまうのです。アメを確認すれば一発で報連相も問題も解決します。

     というように、ソラ・アメ・カサはコミュニケーションのヌケ・モレ・ズレをなくすだけではなく、報連相をはじめとしたマネジメント上の課題解決も簡単に行える万能ツールなのです。

     この本は現場でよく起きるコミュニケーションが難しい場面をソラ・アメ・カサで解決する、そのコツと事例をたくさん紹介し、すぐ活用できるようにしてあります。加えて、頭を悩ますマトリクスなどのチャートもソラ・アメ・カサを基軸にすることで誰でも簡単にできる方法も解説しました。トラブル発生、PDCAが機能しないなどマネジメント面でしんどい場面をさらりと整理して乗り越える方法を解説しました。ぜひ、あなたもソラ・アメ・カサを手に入れ生産性をラクして速く手に入れてください。

    著者プロフィール:松本利明

    人事戦略コンサルタント HRストラテジー代表 日本人材マネジメント協会(JSHRM)執行役員
    PwC、マーサー、アクセンチュアなどのプリンシパル(部長級)を経て現職。日系・外資系の大企業から中堅企業まで600社以上の「人事」と「働き方」改革を実施。5万人のリストラと6000人以上のリーダーの選抜と育成を行った「人の目利き」。
    『「ラクして速い」が一番すごい』(ダイヤモンド社)、『「稼げる男」と「稼げない男」の習慣』(明日香出版社)もベストセラー。英国BBC、ロイター通信、日経、AERA、週刊SPA!などメディア実績多数、講演多数。

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  138. ソラアメカサ


    純粋理性
    判断力
    実践理性

    カサは判断力ではなく実践理性にあたる

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