ページ

金曜日, 12月 12, 2014

「惑星ソラリス」採録シナリオ(校正済み)

 「惑星ソラリス」採録シナリオ
http://russiaeigasha.fc2web.com/arc/pamph/solaris/18.htm
ロシア映画社アーカイブス[パンフレット図書館]
http://russiaeigasha.fc2web.com/arc/pamph/index.htm



●シナリオ● 惑星ソラリス
アンドレイ・タルコフスキー フリードリヒ・ガレンシュテイン

〈キャスト〉
クリス・ケルヴィン(心理学者………………………ドナータス・バニオニス
クリスの父…………………………………………………ニコライ・グリエコ
アンナ(クリスの伯母)……………………………………………0・キジノフ
バートン(父の友人,宇宙パイロット)……ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー
ハリー(クリスの死んだ妻)…………………………ナタリヤ・ボンダルチュク
 ステーションで研究活動を続ける科学者                     
ギバリャン(物理学者)……………………………………ソス・サルキシャン
スナウト(サイバネティックス学者)……………………ユーリー・ヤルヴェト
サルトリウス(天体生物学者)……………………アナトリー・ソロニーツィン

● 川の水面
 水草が揺れ,木の葉が流れていく.
● 川岸(早朝)
 草深い川岸に,金属製の箱を持ったクリスがいる.
● 水草が揺れる川
● 草の茂み
 暫く立ちどまっていたクリスは,林に向かって歩き,林を抜けると,
池に向かう.
● 池
 向こう岸にクリスの家が見える.池沿いに歩いていたクリス,立ち止
まる。向こう岸を走り抜ける馬.クリス再び歩き,金属製の箱を石の上
におくと,池で手を洗い始める。

●庭先の高みを走る車
 車がとまる。客のアンリ・バートンとその孫ディークを出迎え,挨拶
を交わす父親,クリスを見つけて叫ぶ.
父ケルヴィン「クリス,こちらへ来なさい! ちょうどよかった!」
振り返るクリス.車,去る.
● 道路から庭ヘ
 父親とバートンがブランコのある庭に降りて行く.
父「あいつは毎朝1時間以上は散歩しているんだ.わたしがそれより早
く帰ってはいけないと言ってるんでね。あれは仕事がたくさんあって,
夜は遅くまでやっている.あのソラリス研究とやらには参ったよ! 決
算報告を作っている会計係みたいなもんだ.君,昨夜来るのかと思っと

ったが……。」
バートン「彼はあたしを見たとき,逃げ出そうとしたな」
● ケルヴィン家の前
 庭に立っている隣家の少女に近づくディーク.
ディーク「こんにちわ」
少女「こんにちわ」
●ケルヴィン家の一階の部屋
 父親が,庭に面した戸日に立っている.
バートン「今日はお邪魔しない方がよかったようだな」
父「(部屋の中に入って)お互い年をとったね!いまやっと気づいたよ.
いや.何もあんたが悪いんじゃない」
バートン「すべてはステーションからの,クリスの第一報にかかってい
ることを,彼はよく分っていますよ.乗組員はずっと,わけのわからない
とんちんかんなデータを送ってきているんだ。もし彼が,何らかの原因
で研究続行が困難だと確認すれば,ステーションはソラリスの軌道から
外されるかもしれない」
父「あいつは,それを分っているよ」
バートン「あなたが息子さんと話をしようと言われたんですよ.わたし
はビデオ・テープを持ってきました。そのためにわざわざやって来た
んですよ」
父「それはそうだ!」
バートン「子供を2,3日預かってもらえませんか? わたしは仕事が忙
がしいし,家には誰もいないもんで」
父「アンナに面倒見させよう。彼女も暇になるから(と戸日から庭に出
る)」
バートン「彼は何時に発つんですか」
父「(庭から窓ごしに)明朝はもうここにはいないだろうな」
バートン「ここはいいな!」
父「(戸日にもどって)この家はあたしの祖父さんの家に似てるんだ。あ
の家がとても気に入ってたから,お袋と二人で同じような家を建てるこ
とに決めてね.わたしは新式は好きじゃないんだな」
 雨.
● 庭
 雨の中を犬を連れたディークと隣家の少女が,高い道路の影に走り出
す。
少女「(犬に)メタン!おいで!」
● ベランダ
 雨の中にクリスが立っている.クリスは降りしきる雨に首をすくめな
がら,椅子にかける.雷鳴.
● 池
 雨がやみ,木立の滴が池に落ちる。

● ケルヴィンの部屋(二階)
 クリス,濡れた頭をタオルで拭う.
父「(出日の方へ向かいながら)じゃ,わたしは行くとしようか。まだ
仕事が一杯あるから」
クリス「ここにいてくれるんじゃないんですか?」
 クリスの伯母アンナが腰かけ,ビデオのプラウン管を見ている。ブラ
ウン管に,若い頃のパートンの姿が映る.ビデオから声が聞こえる。
父「これはもう何回も見たから……」
● プラウン管(大理石のホール)
 大ぜいの科学者たち.その中に探検隊々長チモリスがいる。
チモリス「我々探険隊が,上陸後21日目に,生物学者ヴィンニャコフと
物理学者フェフナーがエア・クッションで進む滑走艇でソラリスの海上
の調査飛行を行いました.ところが16時間経過しても帰隊しないため,
我々は非常警報を発せざるを得なくなりました」
● プラウン管(ガラス張リホール)
 科学者たち.そのうちの一人,トラヒエが時計を見る。
チモリスの声「だが,霧が濃くなってきたので,捜索はやむを得ず打ち
切られました」
● プラウン管(大理石のホール)
チモリス「そして救援機は全部ステーションに帰還したが,アンリ・バ
―トンが乗った貨物用のヘリコプターだけが戻らなかったのです」
● ケルヴィンの部屋
 バートン,クリス,アンナが椅子にかけ,じっとブラウン管を見ている.
チモリスの声「バートンは暗くなって1時間後に戻ってきました。ヘリ
コプターから下りるや,彼は逃げるように走り出しました。神経にショ
ックを受けていたのです」
● プラウン管(大理石のホール)
チモリス「11年の宇宙旅行のキャリアを持ち,ときには非常に困難な条
件に直面したこともある男にとっても,それは驚くべきことだったので
す.二日後,パートンは良くなったが,しかしそれ以後一度も宇宙ステ
ーションから出ようとせず,海が見える窓にも,近づかないようにして
いました.その後,彼は療養所からの手紙で,非常に重要なこと,おそ
らくソラリス研究の運命を決するであろう事柄について述べた声明を出
すつもりであると言ってきたのです」
● プラウン管(ガラス張リホール)
トラヒエ「(椅子にかけて)よろしい.バートンに一部始終を話させま
しょう。それじゃ,話してもらいましょうか」
● プラウン管(会議室)
 バートン立ち上がる.
● ケルヴィンの部屋
 立ち上がり,壁に近づき,肘で壁に寄りかかるパートン.
バートンの声「わたしが初めて300メートル降下したとき,風が吹き上
げてきて,高度を保つことが難しくなりました」
● ブラウン管(会議室)
バートン「操縦に全神経を集中しなければならなかったので,暫くの
閲,窓から外を見れなかったのです」
● ケルヴィンの部屋
 ブラウン管を見つめるアンナ.バートンの声「そのため,そんなつ
もりはなかったんですが霧の中に入り込んでしまったんです」
● ブラウン管(会議室)
 机を前にして立っているパートン.
学者の声「それはごく普通の霧で
すか?」
バートン「もちろん,違います.普通の霧ではなく,コロイド状の,と
てもねばねばした混合物のようなものです.それが窓のガラスをすっか
り蔽ってしまいました.この霧による抵抗のためにプロペラの回転が落
ちて,高度が下がり始めました。大陽は見えませんでしたが,その方角
は霧が赤く輝やいていました。30分後,わたしはやっと霧の切れ日に脱
け出ることができました。それは直径が数百メートルもある,ほぼ円筒
のようなものでした。その瞬閲,わたしは,海の状態が変化し始めてい
るのに気づいたんです.波は全く消え去り,濁りもありましたが,表面
は殆ど透明になりました。海の底には黄色い泥が集まっていて,それは
細く帯状に浮き上がり,浮き上がるとガラスのように輝やき始めまし
た。やがてそれはたぎりだし,泡立ち,凝固しました。まるで煮つめた
砂糖のシロップのようでした.その泥,というか粘液は集まって,大き
な塊となり,だんだんとさまざまな形を作っていきました。わたしは霧
の方へ引き寄せられ,暫くの間はヘリコプターを元の位置に引き戻すの
に必死でした」
● ケルヴィンの部屋
 ブラウン管を見つめるクリス.バートンの声「わたしが再び下を見
たとき,わたしは公園のような光景を見ました」
クリス「(バートンに向かって)公園だって?」
 バートンが顔でブラウン管を指す。

● ブラウン管(会議室)
 ガヤガヤ言う声.
学者B「(静めるように)ちょっと,聞いて下さい」
パートン「(報告を続け)小さな木立ちとか生垣とかアカシヤとか小路
も見えました.これがすべて本物ではないんです!」
● ブラウン管(ガラス張りホール)
トラヒエ「(パートンに向かって)
あなたが見たというその木や植物は葉をつけていましたか?灌木です
か?アカシヤですか?」
● ブラウン管(会議室)
パートン「いや,今言ったとおり,すべて石膏のようなものからできて
おり,大きさだけが実物大なんです.やがてすべてにひびが入り,殴れ始
め,裂け目から黄色い泥が噴き出してきました」
● ケルヴィンの部屋
 ブラウン管を見るクリスとアンナ.
バートンの声「そして全体が強くたぎり始め,泡に覆われました」
● ブラウン管(会議室)
パートン「(席に腰を下ろして)皆さんもすべて納得がいくと思います.
時々カメラのシャッターを切ってましたから」
● ケルヴィンの部屋
 ブラウン管に眼を凝らすクリス.視線を伏せるパートン.
パートンの声「それまでと,そのあとにわたしが見たものはすべてフィ
ルムに収められているはずです」
学者Bの声「では話はこのくらいにして,すべてはこの眼で見ることに
しましよう」
 会議室のざわめき
● ブラウン管(委員長の部屋)
 科学者たちの中にシェソノン委員長がいる.
シェンノン「じゃ,フィルムを見せて下さい.大変面白そうですな」
● ブラウン管(会議室)
 書記がボタンを押す.部屋の明りが消えると,委員が各々席につく.
ざわめきが静まり,中央スクリーンに流れる雲が映る.スクリーンに眼
を凝らす委員.一人が興味深げにスクリーンに近づいて行く.
● 会議室のスクリーンの雲と海
● ケルヴィンの部屋
 ビデオに見入るアンナとクリス.パートンはスイッチを切ろうとする
が思い直す.
● 会議室のスクリーンの雲
● ブラウン管(会議室)
 笑いを浮かべるメッセンジャー教授.ざわめきが広がり,灯がつく.
メッセンジャー教授「これですべてですか?フィルムはこれで全部で
すか?」
書記「はい,全部です」
● ブラウン管(委員長の部屋)
シェンノン「(立ち上がって)しかしさっぱりわかりませんな.あなた
は雲を撮った.どうして雲ばかり写したのですか?」
パートンの声「これは多分――」
● ブラウン管(会議室)
 ざわめきの中で,バートンは茫然として椅子にかけている.
パートン「わたしが報告した霧です.
わたしにも,これは全く予想外です」
● ケルヴィンの部屋
 バートン,立って,アンナとクリスの後を歩いて行く.
学者Cの声「これはソラリスの海の粒子線がパートンの意識に作用した
結果かもしれない.その海は現在判明しているとおり、巨大な頭脳であ
るだけでなく――」
 バートン,ブラウン管の前を横切る.
学者Cの声「思考能力を持った実体でもあるのだ」
学者Dの声「しかし,その仮説は非常に疑わしい」
● ブラウン管(会議室)
 席についているバートン.カナダの学者の声「その日,あなた
は具合が悪いような感じはなかったですか?」
● ケルヴィンの部屋
バートン「(足早にビデオに近づいてスイッチをいじり)この先は大し
て意味がない.この辺からだ」
バートンの声「――窓から,海に何か浮かんでいるものを見つけまし
た」
● ブラウン管(会議室)
パートン「(報告を続けて)それはわたしにはフェフナーの宇宙服に思
えました.そして形が人間に似ていたのです.わたしはヘリコプターの
向きを変えました.そこを通りすぎたら見失ってしまうのではないかと
思ったからです.その時,その姿が少し浮きあがりましたが,まるで波
間を泳いでいるようであり,腰のあたりまでつかって立っているようで
もありました.その人は宇宙服を着ていませんでしたが,動いていまし
た(立ち上がり,興奮した様子で隅の方に行く)」
● ブラウン管(大理石のホール)
チモリス「(びっくりした表情で)どういう意味かな?人間ですか?」
● ブラウン管(会議室)
パートン「(コップを手にして,部屋を横切りながら)そうです」
● ブラウン管(ガラス張りホール)
トラヒエ「(たばこを喫い始めて)ちょっと待って下さい.その人の顔を
見たんですね?」
● プラウン管〈会議室)
バートン「(ふるえながら錠剤と水を呑む)そうです」
● ケルヴィンの部屋
クリス「(驚いてバートンを見ながら)どんな人だったんですか?J
● プラウン管〈会議室)
バートンは自分の席へもどる。
ポーランドの学者の声「それは誰でしたか?」
バートン「赤ん坊でした」
アメリカの学者「どんな赤ん坊ですか?今迄に見たことありますか?J
バートン「いえ全然,何れにしても――」
● ケルヴィンの部屋
ブラウン管を見るアンナとクリス.
バートンの声「こんな赤ん坊を見た覚えはありません.わたしは近くま
で飛んだとき,何となく気味悪さを感じました……」
アンナ「(後にいるパートンに)どういうことなの?J
● プラウン管(会議室)
バートン「(報告を続け)わたしはそれが何だか分りませんでした。だが
その後すぐ,赤ん坊は背丈が4メートルもあることに気づきました。赤
ん坊は,眼は青く,髪は黒でした」
● プラウン管(委員長の部屋)
シェンノン「(バートンに向かって)気分が悪いんではありませんか?」
● プラウン管(会議室)
シェンノンの声「じゃ,会議は延期しましょうか?」
バートン「(さっと立ち上がり,急いで襟のボタンを外して)続けます.
赤ん坊は裸で,1生まれたばかりのように,丸裸でした。そして濡れてい
て,いや,すべすべしていました。皮膚は輝やいていました。波に乗っ
て上下するかと思えば,それとは無関係に進んでもいるんです。 とても
無気味でしたJ
● プラウン管(ガラス張リホール)
バートンに耳を傾けるトラヒエ.
● ケルヴィンの部屋
バートン「(ビデオに近づき,テープを早送りしながら)すみません,
途中をとばします.あとはほんのわずかですから」
シェンノンの声「バートンによって報告された情報は幻覚症状である.
それは麻輝症候を伴う惑星大気の作用によって引き起こされたものであ
り,その麻輝症候は,大脳皮質の連想城が興奮することで,起きるもの
である」
● ブラウン管(委員長の部屋)
シェンノン「(委員会の結論を読み上げる)従ってこれらの情報は全然,
あるいは殆ど,現実には即さないものである」
● ブラウン管(会議室)
バートン「(腰かけたまま?伏目がちに)“殆ど”というのはどの程度
ですか?」
● ブラウン管(委員長の部屋)
シェンノン「いや,最後まで聞いて下さい.(委員会の結論を続けて読
む)なお,物理学博士メッセンジャー教授の特別意見を別記する。同教
授はバートンがもたらした報告が事実に即しているかもしれないので,
充分研究する必要があると考えている.以上です」
● ブラウン管〈会議室)
バートン「(腰かけたまま)すべて,わたしはこの眼で見たんだ!」
● ケルヴィンの部屋
 ビデオの横に腰かけていたバートンは立ち上がる。
メッセンジャー教授の声「この点ではわたしは……」
● プラウン管(会議室)
メッセンジャー教授「(ホールを歩きながら)別の意見を持っています。
我々は偉大な発見の入日にいるのです.しかも我々の結論が,観察者が
学位を持っているかどうかという事実に左右されるとは,わたしは思い
ません。このパイロットのことを,そして彼の精神力や彼の観察の鋭さ
を,羨ましく思っている研究者は一人や二人ではないのです。そして更
に最後の情報から見ても,我々が研究を打ち切る権利は全然ないと思わ
れます」
● プラウン管(委員長の部屋)
シェンノン「(歩きまわりながら)メッセンジャー教授のお気持ちはわか
りますし,おっしゃっていることもわかります。しかし,我々が通って
来た道を振り返ってみましょう.ソラリス研究はスタートした瞬問と同
じ場所に足踏みしているのです。ここ何年間かの仕事は無駄でもありま
した.いま,我々がソラリスについて知っている事は,否定的な性格の
ものであり,いかなる概念にも当てはめられないような,ばらばらな事
実の山のようなものです」
● ケルヴィンの部屋
 ブラウン管を見つめるクリス.
クリス「いまだに我々は同じ状態にあるわけだ.ソラリス研究は退化し
つつある」
メッセンジャー教授の声「しかし,ソラリス研究よりももっと重要なこ
とを言っているのです。人間の認識の限界について話しているのです」
● ブラウン管(会議室)
メッセンジャー教授「(発言を続けて)そのような限界を人為的に定め
ることで,思考の無限性という考え方に打撃を与え,前進する動きを妨
げ,後退する動きを助けることになると思われませんか?」
バートン「(腰かけたまま)ですが,もう一度お聞きします。“わたしが
もたらした報告が殆ど事実に即さない”というのは,どういうことです
か? わたしはこの眼ですべて見たんです.“殆ど”というのはどうい
う意味でしょうか?」
● ブラウン管(委員長の部屋)
シェンノン「(バートンに返答して)“殆ど”というのは,何か,ある実
際の現象が,あなたの幻覚を引き起こしたに違いないという意味です.
その……風のある時など,揺れる茂みを生物と間違えることもあります
よ.他の惑星のことですからね.だからこれは何もあなたに失礼なこと
を申しあげているのではないのです」
● ブラウン管(会議室)
バートン「(席に坐ったまま)わたしとしてはメッセンジャー教授の特別
意見がどんな扱いを受けるか,知りたいのですが」
● ブラウン管(委員長の部屋)
 騒然とする学者達,退出し始める.
シェンノン「(退出しながら)実際にはどうにもなりません.つまり,こ
の点での研究はもう行なわれません.(声のする方に向かって)いま,行
きます!」
バートンの声「そのことについて,まだ申し上げたいことがあります」
● スクリーン(会議室)
 退出する学者達のざわめき.
バートン「(席についたまま)委員会はわたしを侮序したのではないし,
わたしなど,ここでは問題じゃないです.委員会が侮犀したのは探険の
精神です.ですからわたしは発言します……」
● ケルヴィンの部屋
バートン「(スイッチを切り,立ち上がって)ま,そういうわけです。
今ではバートン報告を笑い話にしても,失礼にはならんというわけです
よ」
アンナ「(立ち上がり,部屋の戸口の方に歩きながら)ありがとう,パ
ートン,長いおつきあいなのに,わたし,あなたのことを何も知らなか
ったわ。とても美男子だったわね」
バートン「ご冗談でしょう,どっちにしてもありがとうございます」
アンナ「(出て行こうとして,戸口で入ってきた父親とがつかり)まあ!
ごめんなさい」
父「(入って来て)クリス,おまえの印象はどうかな?」
バートン「もし君が承知するなら,クリスと二人きりで話してみたいん
だが,あたしは今回だけは馬鹿者扱いされたくないんだ。下のプランコ
のところで待っているから(と出て行く)」
クリス「変な人だ」
父「そんなに言うもんじゃない.自分でもきまり悪そうにしている。別
れを言うのも邪魔になると思ってるんだ」
 壁にクリスの母の写真.
父「バートンはデリケートなんだ.お前に会いに来たんだから,自分の
仕事を大事だと考えているんだよ.正直なところ,わたしはいま誰とも
会いたくないよ。お前ともしょっちゅう話をする方ではないしな」

● 一階の客間
 窓の外を走る子供たち,クリスと父,鳥寵が下がった窓の前で
クリス「そう言ってもらうとうれしいです。もう最後の日ですが……」
父「最後の日だな.特に別れる時となるとな,あとからいやな思いがす
るもんだ.おばさんが来る。じゃ,クリス,昼から話そう。話したいこ
とがある」
クリス「それじゃどうして今日,バートンを呼んだんです?」
アンナ「(部屋に入ってきて)お客さまはどこに寝ていただきます? あ
なたの隣ですか? それとも上の部屋ですか?」
父「上の部屋がいい」
クリス「じゃ,わたしはブランコのところに行きます(と去る)」
アンナ「そうすると……?」
父「わたしが行く.部屋で待っててくれ.(椅子にかけながらクリスに)
あのな,クリス!」

● 庭
 ガレージが見える。犬を連れてガレージの方から逃げるように走って
くるディーク.
● 馬のいるガレージ
● ガレージヘの道
 アンナがディークを通れてガレージに近づく.
アンナ「いったいどうしたの?」
ディーク「あそこに変なのがいる!」
アンナ「恐いの?」
ディーク「ガレージの中でこっちを見てる」
アンナ「(ディークを引っ張って行きながら)馬よ」
ディーク「いいよ,もう見たから」
アンナ「行きましょう!」

-P22- 
● 馬のいるガレージ
アンナ「やさしい馬よ,ごらんなさい。きれいでしょう?」
● 庭
 クリスとバートン,ガレージの傍には,ディークを連れたアンナがい
る。
クリス「あたしの言うことを理解して下さい.ソラリス研究は無責任な
空想の結果,行き詰まってしまったように思います.わたしは真実が知
りたいんです。(木造の小屋の方へ行きながら)だがあなたはわたしに
先入観を与えて味方にしようとしている.(階段を上り)わたしには激
情に駆られて決定を下す資格はありません.わたしは詩人ではないし,
非常に具体的な目的を持っているんです.ソラリス研究が行き詰まって
危機に瀕していることを認めて研究を打切り,ステーションを軌道から
外してしまうべきか,(立ち止まり,振り返って)非常手段を取るべきか,
を決めねばならないのです。海に強い放射線をかけることもあり得ま
す」
 池の方へ歩くバートン.
バートン「それだけは,やめるべきだ!」
クリス「どうしてです? あなた自身どんな犠牲を払っても研究を続け
るよう提案したじゃないですか!」
バートン「何を言うんだ,まだ我々が理解できてないものを消滅させた
いんですか? 失礼だが,どんな犠牲を払っても認識しようというのは
賛成できませんよ.認識は道徳的である場合にのみ真実なんだ……」
クリス「(階段を上り乍ら)学問を道徳的にするのも非道徳にするのも人
間です.広島を思い出して下さい」
バートン「ですから(池の縁に立ち)学問を非道徳的なものにしないこと
だ.不思議だ!」
クリス「(階段の最上階でこちらを向き,肩をすばめ,腰を下ろして)
不思議だって? 不思議なことは何もないでしょ? あそこであなたが
見たものは,すべて幻覚ではないと,あなた自身も信じきれないんですか
ら.わたしには分りますよ」
● 庭
 さっときびすを返し,家の方へ歩き出すバートン.途中でこちらに来
るクリスの父とすれちがう。
バートン「ありがとう! ずいぶんおしゃべりしたな!」
父「(立ち止まり)どうしたんだ?」
バートン「帰るよ!」
父「どこへ?」
バートン「クリスは会計係で,学者ではない! あんたが言ったとおり
だ!」
父「(バートンの方を振り返り)親友とはいえ,そんな風に言うことはあ
るまい。!」
バートン「結構だ.もう20年のつきあいだがな.それもいつかは終わる
んだ!」
父「(叫んで)子供はおいていくのか!(クリスに近寄り)何でバート
ンを怒らせた? 言っておくが,おまえは厳しすぎるんだ! おまえの
ような人間を宇宙に送るのは危険だな.あそこでは何もかもが非常に脆
くなるんだ! そうだ! 本当に脆くなるんだ! 地球ではおまえのよ
うな人間でもどうにかなってるが,それだって大変な犠牲が払われてる
んだ.(池面を見つめながら)……おまえはわたしを葬ってくれるのが,
おまえでなくてバートンだというので,嫉いてるのか?」
● ケルヴィンの部屋
 椅子にかけたアンナがテレビを見
ている.
アナウンサー「……こうしてソラリスの海は独特な頭脳であることが判
明しました.そこで初めて思い切った仮説が打ちたてられましたが」
 クリスの父が入って来てアンナの横に腰かける.
アナウンサー「……それによると,海は思考力を持った実体であると考
えられています。そしてこの仮説がたてられて,もう何年にもなります
が,これを確証する論拠も,反駁する論拠もないのであります」
アンナ「ソラリスについての放送ね」
 テレビ放送を椅子にかけて見ているアンナの後姿.
● プラウン管(ステーション全景)
アナウンサーの声「その仮説を信じる側の人も僅かになりました.先鋒
はソラリスの軌道ステーションと運命をともにしている人たちです.85
人乗りのこの巨大なステーションでいま働いているのは3人です。(ブ
ラウン管にその3人のポートレートを次々と映し)天体生物学者サルト
リウスと,サイパネティックス学者スナウトであり,物理学者のギバリ
ャンはステーションで相対性理論に取り組んでいます……」
 ブラウン管にバートンが映り,テレビ電話が入る。
バートン「町から電話してます」
● ケルヴィンの部屋
 ブラウン管を見ているアンナと父.
アンナ「バートン!」
父「アンナ,ちょっと席を外してくれないか?僕らは話がしたいので」
● 町を走る車中
 バートンとディークが乗っている.
バートン「わたしはクリスとは別のことを話して,一番重要なことを言
わなかった。あの会議で特別意見を述べたメッセンジャー教授のことな
のだが,教授はソフリスの海で亡くなったフェフナーに興味を持ってい
た.フェフナーが息子を置きざりにして家庭を棄てていた事実もわかっ
た.わたしも教授と未亡人を訪ねてみた。そして自分で……」
● ケルヴィンの部屋
 バートンに聞き入るアンナ.入口にクリスが立っている.
バートン「子供にも会ったんだ」
父「そのことは,わたしに話さなかったね?」
バートン「チャンスがなかったんで」
父「いいだろう。で,どうなったんだ?」
バートン「それが,その赤ん坊が,あのときわたしがソラリスで見た赤
ん坊とそっくりなんだ。勿論,4メートルはなかった。いま出発をひか
えて,彼がこのことをあまり深く考えるには及ばないが……」
● 町
 車,トンネルに入る。
バートン「だが,向こうに行ったら思い出すといい」
● 車中
 考え込みながら,ハンドルにかがみこむバートン.
● 町
 トンネルを行く車の流れ.バートンとディークの車が走り去る。トン
ネルと高架橋を走る車の群れ.
● 車中
 疲れたディークがバートンにもたれかかる。
● 町
 トンネルを走る車の流れ.
● 町(夕暮)
 道路と高架橋を走る事の流れ.
● 町(夕暮)
 走り去る車のライトの洪水.

● 庭(夕暮)
 家の前で焚火をするクリス.父が彼に近寄って来る.犬を連れたアン
ナもクリスに歩み寄る.クリス,書類を火に投げ入れている.傍を通り
過ぎて池に向かう父.
クリス「これは要らない書類です.取っておくべきものは自分の部屋に
ありますから.(書類を火に投げ入れながら)学位論文や研究論文は残
しておきました」
父「(火に近づきながら)もし何か起こったら,それをよく検討してもら
おう。何か考えつくだろう」
クリス「あのフィルムは持って行きますから,探がさないように.あれ
-P22-   

-P23- 
は草と一緒に持って行きますよ」
父「ああ,ああ,もちろん持っていけ……」
 アンナ,草むらに去る。
● 草むらの斜面
 アンナ,涙を拭っている。
● 庭
 火に書類を投げ入れるクリス.燃える書類の中にハリーのポートレー
トが見える.
● 客間
 机の上に本,小石,上が入った金属製の箱が置いてある。クリスは箱
に蓋をし,それを持ってテラスヘ出て行く.テラスの前を横切って走る
馬.

● 星空
 クリスのカプセルを表わす小さな点が,だんだん明るく大きく輝やき
始める。
モダルドの声「ケルヴィン,用意はどうだ?」
クリスの声「準備完了.モダルド!」
モダルドの声「心配は無用だ.無事を祈る.皆によろしく!」
クリスの声「発進はいつだ?」
モダルドの声「もう飛んでるよ,クリス.元気でな!」
● カプセル
 ガラス越しのクリスの顔が揺れる.
クリス「ソラリス・ステーション!ソラリス・ステーション! 何とか
してくれ!安定を失いそうだ。こちら,ケルヴィン.受け入れ,頼む!」
 窓越しに雲が流れる。ステーションが現われ,だんだん近づいてくる。
海の上にステーションの姿が見える。
● ステーションのロケット発射室
 投光器が点滅する.換気口が煙を吸い取る.リュックサックを取りあ
げ,基地を眺め廻すクリス,何かにつまずく.
クリス「(叫んで)皆,どこだ!ここか? 客だ!」
 クリスは手をついて倒れ,起き上がると,靴の紐を結び直す。リュッ
クサックを持ってステエションの入口に近づく.扉が開き,クリスは廊
下に出る.

● ―階の廊下
 クリス,左右の壁にステーションの計器がびっしり並んだ直線廊下を
じっと見まわす。計器の電線がショートし,火花が飛んでいる.静かに
歩き出し,左右に計器が並が円形の廻り廊下に出る.廊下は物が散らば
り,雑然としている.くスナウト博士〉と書いた札のある扉に近づく.
クリス「(ドアを少し開けてみながら)スナウト博士?」
 廊下の奥にサルトリウスの姿.クリス,足元に転がってきたボールを
足で止める.ドイツ語の歌声が聞こえる.ボールを取りあげたクリスは
少しドアが開かれたスナウトの部屋を見る.歌っているスナウトの姿.
クリス「(ドアのところで)スナウト博士ですか?」
● スナウトの部屋
 全体に雑然とした部屋.
クリス「(部屋に入りながら)わたしは心理学者ケルブィンです.どうも
わたしが来るのをご存じなかったようですね?」
 スナウト,あとずさりし,頭でハンモックを隠すようにしながら椅子
にかける。
クリス「無電は受け取ってますね?」
スナウト「そう,そう,勿論……」
 クリスはスナウトに近より,ハンモックに手をかける。スナウトは椅
子から立ち上がってクリスをハンモックから押し離そうとする。それを
さえぎるクリス.
クリス「一体どうしたんですか?」
スナウト「(戸日の方へ行きながら)
失礼……失礼……」
クリス「ギバリャンはどこですか?
サルトリウスはどこに?」
スナウト「(煙草を喫もうとライターを持ち)サルトリウスは自分の部
屋です。ギバリャンは死にました」
クリス「どうして死んだんですか?」
スナウト「自殺です……」
クリス「(うろたえて,顎に手をやりながら)失礼ですが……わたしは
ギバリャンを知ってますが,決してそんなことは……」
スナウト「ギバリャンはいつもひどい憂欝状態にありました……(ライ
ターを神経質にカチカチ鳴らせたり,ライターの炎を吹き消したりしなが
ら)こんな無秩序になってからはね…….そうだ,あなたは休んで下さ
い.風呂に入ってね.部屋はどれでも使いなさい.そして,1時間後に
来て下さい」
クリス「(かすかに揺れているハンモックを肩ごしに振り返りながら)
わたしはギバリャンに……。いやサルトリウスに会いたいのだが」
スナウト「もう少しあとの方がいい.彼はドアを開けてくれないかもしれ
ないから.上の実験室にいますよ」
クリス「何か異常なことが起こっているようですが……,もしかすると
……」
 スナウト,驚いてクリスを見つめる.視線をそらすクリス.
スナウト「ケルヴィン博士……(クリスを戸日の方に引き寄せるように
連れ出して,ハンモックを気にしながら話を続ける)いいですか.そう
……,1時間したら来て下さい。どうぞ,行って休んで下さい.今は我
々はサルトリウスを含めて三人です.サルトリウスはわたしと同様に写真
でご存じですね? わたしでもサルトリウスでもない,何か変わったも
のに出っくわしても,努めて自制することですよ」
クリス「(戸日のところで)何かに会うって?」
スナウト「わかりません.ある意味ではそれはあなた次第ですから」
クリス「幻覚のことですか?」
スナウト「いや,襲ったりしないで下さい…….覚えてて下さい」
クリス「何をですか?」
スナウト「ここは地球じゃないんです.夕方か夜,また来て下さい…….
いや,明朝の方がいい!」
● ハンモック
 寝ている少年の大きな耳.
● 廊下
 リュックサックを持ったクリス,ドアに近づいて行き,それを押し開
く.
● クリスの部屋
 ビデオのブラウン管のついた本棚,作り付けのベッドがある.クリスは
部屋を見廻し,中に宇宙服がぶら下がっている鏡のある戸棚にリュック
サックをしまい,そして部屋の中を一瞥して出て行く.
● 一階の廊下
 クリス,辺りを眺め廻しながら歩いている。<人間>という題の子供の
絵を貼った A・ギバリャン の名札のあるドアに近づき,そっと開く.

● ギパリャンの部屋
 雑然と散らかった内部.いろいろなものがかけてある壁.壁ぎわのブ
ラウン管に C・ケルヴィンヘ という書き置きが貼ってある。クリス
は書き置きをはずし,ブラウン管の前に置いてあるビデオのスイッチを
入れる。本の上にピストル.ブラウン管にギバリャンが映る.
ギバリャン「クリス,こんにちわ!」
 驚いて,あとずさりするクリス.


-P23-   

-P24- 

ギバリャンの声「まだ少し時間がある.そこで僕は君に話しておきたい
ことがある。そして警告しておきたいこともある…….君はもう――」
● ブラウン管
ギバリャン「(椅子にかけたままで)ステーションに着いたから,僕がど
うなったかお分りだろう.もし,知らないとしても,スナウトかサルト
リウみがいずれ話すだろう.僕に何が起こったかは――大したことでは
ないが――いや,クリス,それは説明のつけようがないことなんだ.僕
が恐れているのは,僕の事件は発端にすぎないということだ。勿論そう
あって欲しくないと思っているが,同じことが君にも,あとの全員にも
起こり得る.ここでは,それは誰にでも起こり得るのだ。僕の気が狂っ
たなどとは,どうか思わないでくれ僕は正気だ.クリス,信じてくれ!
君は僕をよく知っているだろう.もし時間があれば,なぜこうなったか
を話すよ」
● ギバリャンの部屋
 ギバリャンに聞き入るクリス.
ギパリャンの声「君にも同じことが起こった場合のためにこんなことを
言うのだが,狂気などではない.重要なことはね……,今後の調査につ
いてだが――」
● プラウン管
ギバリャン「僕は海のプラズマに強力なレントゲン線を照射するという
サルトリウスの提案に賛成する。それは禁止されていることを知ってい
るが,ほかに方法はない.もう我々は,いや君たちは,泥沼に入り込む
ばかりなんだから.あるいは,この方法がすべてをはかどらせることに
なるかもしれない……」
● ギバリャンの部屋
 聞き入っていたクリスは,戸口に気配を感じ,急にビデオに近づいて
スイッチを切ろうとする。
ギバリャンの声「それが奇怪なものと接触する唯―のチャンスだ.ほか
に方法はないし,クリス,もし……」
 ビデオ,止まる. クリス,少しずつ開きかかったドアに飛んで行き,
閉める。ビデオからカセットを抜きとってポケットに入れる。驚いた表
情であたりを見廻すと,ドアの方へ向かいながら,窓の方に眼をやる.
と,その窓には恐怖を感じさせる黒い空間が見える.気を落ち着けるよ
うに,ため息を洩らすと,クリスは机からピストルを取り上げ,戸日へ.
● 一階の廊下
 ドアが開き,クリスは廊下に出る.
スナウトの部屋の前でちょっと立ち止まるが,思い直して歩き始める.
● 二階の廊下
 片側に円形の窓が並が廊下,配電盤が傾いて立っている.クリス,廊
下を歩きながら窓を覗いて闇を見る.
ソラリスの暗闇が広がっている。クリス,実験室に近づき,ドアをノッ
クしながら――
クリス「あのう,サルトリウス博士! ケルヴィンです。2時間前に着
きました。どうも僕を馬鹿にしているようだが――開けてくれなければ,
ドアを破りますよ!」
サルトリウス「(ドアの向こうから)よろしい! わたしが開ける.君は
部屋に入らないでくれ.わたしが出て行く」
クリス「ああ,いいでしょう。(出て来たサルトリウスに)ケルヴィン
です」
サルトリウス「(部屋を出ると,閉めたドアの前に立ちはだかり)どう
も」
クリス「あなたはわたしのことをお聞きでしょうが,わたしはつまり,
ギバリャンとは同僚でして……」
サルトリウス「それで?」
クリス「スナウトから聞きましたが,ギバリャンが,死んだそうで」
サルトリウス「それじゃ,この話はもうご存じなんですね」
クリス「ええ,恐ろしいことです.詳細は知らないが,彼は死んでしま
った……」
サルトリウス「問題はそこにあるんじゃない。我々もいずれは死ぬんで
すが…….ギバリャンは地球に葬ってくれと遺言しています.一体彼に
は宇宙は墓にならんというんですかね.ギバリャンは地球に帰りたがっ
た.わたしはそれを無視したかったが,スナウトが固執してね」
クリス「あなたは前にバートンのことを聞いたことがおありですか?」
サルトリウス「あのパイロットですね?」
クリス「ええ,フェフナー捜索に参加しました」
サルトリウス「フェフナーは立派に死んだ.ギバリャンは怖じ気づいた
んだ」
クリス「いまさら,ギバリャンを悪く言うことはないでしょう」
サルトリウス「あなたはそんなことよりも,義務についてだけ考えるべ
きです」
クリス「誰に対しての義務ですか?」
サルトリウス「真実に対してです」
クリス「つまり,人間に対してということですね」
サルトリウス「あなたが探がしておられるところには,真実は見つかり
ませんよ。(海の見える窓の方を顔で指し示しながら)つまりね……」
クリス「あなたのその気どりはおかしいですよ! あなたの男気とやら
は残忍です! 聞いているんですか?」
 サルトリウスの後のドアを押し開いて,異常な小人が出てくる.サル
トリウス,慌てて小人を抱きかかえ,部屋にもどす.
サルトリウス「(部屋に入り乍ら)もう行ってくれ,あたしが見るところ
あなたは神経質すぎる.慣れなければいけませんな! じゃ,元気で」

● ソラリスの海

● 二階の廊下
 クリス,洋服の襟をゆるめながら,海の見える窓に近づく,手に鈴をつ
けた青い服の若い女が歩いて行く.あとを追うクリス.
● 一階の直線廊下
 スナウトの部屋の前を通り過ぎ,女は冷凍室のドアの中に消える.ク
リス,あとを追って入る.
● 冷凍室
 横たわるギバリャン,クリス,ギバリャンの亡骸を見て出て行く.
● 一階の廊下
 ピストルを手にしたクリスが,あ在りを見廻しながら歩いて行く.
● スナウトの部屋
 スナウトが椅子にかけている.開かれたドアから中に入るクリス.
クリス「サルトリウスと話しましたが,彼はどうも俗っぼいタイプに思
えるな」
スナウト「サルトリウスは非常に優秀な学者ですよ」
クリス「どうやら,わたしは少し病気のようだ」
スナウト「(鉄を手に,手の織帯の糸くずを切りながら)あなたは全く
健康ですよ,ただ忠告をよくきかなかっただけです」
クリス「ステーションには我々三人りほかに,まだ誰かいますか?」
スナウト「見たんですか?」
クリス「あなたはわたしに注意するよう言って下さったが……一体何を
注意するのですか?」
スナウト「……誰を見たんですか?」
-P24-   

-P25- 
クリス「あれは人間じゃないですか? 青い服の女は人間だ.触ること
もできるし,傷つけることもできるんですね? 今日が,君があの女に
会った最後なんですね」
スナウト「(歩きながら)君は?君は一体誰だ?」
 スナウト,狼狽して,歩くはずみに,机に積み重ねられた物の上から
ピンセットを落とす.
クリス「(ドアの隙問から,廊下を通り過ぎる女を覗きながら)静かに
…….あの女はどこから現われたんですか?」
スナウト「わたしに構わないでくれたまえ!」
クリス「恐がっているんですか?恐れることはありませんよ。わたし
は君を気違い扱いはしませんから」
スナウト「(食べ残しが散らかった机の傍を歩きまわり)気違いだと!
何を言ってるんだ。君は何も……,全然何も……,気違いだとはね!」
 スナウト,椅子にかける。
スナウト「まっぴらごめんだ!」
クリス「スナウト,まあ聞いてくれ」

● クリスの部屋
 戸棚の自動ドアが閉まり,明りが消える.クリス,部屋のドアを大き
な金属箱で押さえる.ビデオをセットし,ブラウン管に顔を向ける。
ギバリャンの声「万事,意味がないのだ……」
 ベッドに腰を下ろすクリス,ブラウン管にギバリャンと,彼に近づい
て行く若い女が映る.
ギバリャン「いずれにしても彼らには分るまい。彼らは本当にわたしが
気が狂ったと思っている」
 ブラウン管を見つめるクリス.
● プラウン管
 ギバリャン,女を押し離して,こちらを見つめる。
ギバリャン「クリス,全くあらゆることが奇怪だというのではないのだ.
わたしは彼らがここに入ってくるのが恐いから,こうしなければならな
いんだ.スナウトとサルトリウスのニ人のことを言ってるんだよ。彼ら
は自分がやってることがわかってない…….恐ろしいことだ.クリス,
わたしは耐えられない。誰にもこの気持ちは理解できまい……」
サルトリウスの声「開けろ!」
● クリスの部屋
 ベッドに腰かけたクリスはサルトリウスの声に驚き,ドアの方を振り
返るが,思い直してブラウン管を見る.
サルトリウスの声「聞いてくれ,ギバリャン! 開けてくれ! 馬鹿な
真似はやめてくれ! スナウトとサルトリウスだよ。僕らは……」
● ブラウン管
 ギバリャン,サルトリウスの叫び声に軽く笑いを浮かべ,注射器を取
る。
サルトリウスの声「君を助けたい!」
ギバリャン「わたしを助けたいだと? いますぐ行く,ドアを叩かない
でくれ!」
ギバリャン「わたしは自分で自分を裁くよ.(クリスに)「君はあの女を
見たろうか? クリス,これは狂気ではないのだ.ここではむしろ……」
● クリスの部屋
 眼を伏せ,再びブラウン管に視線を送るクリス.
ギバリャンの声「良心にかかわることなのだ」
● ブラウン管
 クリスを見つめるギバリャンの顔.
ギバリャン「クリス,君がもっと早く来てくれると良かったんだが」
ブラウン管,一瞬,空白となる.
● クリスの部屋
 ベッドに腰かけたクリス,暫くして仰向けになる.再び起き上がり,
靴の紐を結び直す.突然何かを思いつき.戸棚の方へ行く.戸棚の鏡に
映る自分を眺めたあと,机に近寄る.机からピストルを手にとり,ベッド
にもどって腰をかけ,また仰向けになる。ピストルを両手で交互に持ち
かえたりしているが,そのうち眠ってしまう。眠っているクリスは,夢
を見て苦しそうな息づかいをする。ハリーが現われ,じっと椅子に腰か
けている.クリス,手を枕にのせたまま,うつろな眼でハリーを見てい
る。櫛を手に,椅子に腰をかけ,クリスをじっと見つめるハリー,立ち
上がってペッドに近寄り,クリスの傍に腰かける.接吻するクリスとハ
リー,並んで横になる。クリス,起き上がリ……
クリス「君はどこから……?」
ハリー「(横になったまま,クリスの手に自分の手を寄せながら)良か
ったわ……」
クリス「でも,本当に……,僕がここにいるのがどうしてわかった?」
ハリー「どうしてって,なぜ?」
 クリスはハリーの足の傍にあるピストルを取ろうと手を伸ばす。
ハリー「ダメよ,クリス,くすぐったいわ」
 ハリー,起き上がったはずみにピストルを足で床に蹴落とす.
ハリー「(立ち上がって,クリスのリュックサックに歩み寄り)あたし
のスリッパはどこ?」
クリス「(ハリーの方をじっと見ながら)スリッパ? ないな,そこに
はないよ」
 ハリーが床に広げた荷物の中に,ハリーのポートレートがある。ハリ
ー,ポートレートを拾いあげ,戸棚の鏡の前で自分と見較べる。
ハリー「これは誰? クリス,これはあたしのよね?」
 クリス,寝台から立ち上がる.
ハリー「(クリスに近寄り)ねえ,あたし,何だか忘れてしまったよう
な気がするの。(額に手をやりながら)わからないわ……(クリスに近
寄ってかれの肩に手をやり)あなた,わたしを愛している?」
クリス「馬鹿なこと言うもんじゃないよ,ハリー,そんなことわかりき
ってるだろう。ちょっと行ってくるが,待ってるんだよ.いいね?」
ハリー「(懇願するような眼差しで,クリスのあとを追いながら)それな
らあたしも一緒に……」
クリス「いや,ダメだ,すぐ来るから」
ハリー「いやよ!」
クリス「どうしたんだ?何故だ?」
ハリー「分らないわ……,いやよ!」
クリス「どうして?」
ハリー「あたしね,あたし,いつもあなたを見てないと……」
クリス「君は,子供じゃあるまい?
ハリー,仕事があるんだよ」
ハリー「あたしは馬鹿でもいいわ.あなただって…….スナウトみたい
に髪ふり乱して走り廻ってるのに」
クリス「(ハリーの方に近寄り)誰だって?」
ハリー「スナウトよ」
クリス「スナウトだって? 君どうして彼を?……行かなきゃならん.
行きたければ一緒に行こう.(戸棚から宇宙服を出し)その服のままで
は宇宙服は着られないな.脱ぎなさい」
ハリー「(服の背中の紐をほどきながら)クリス,手伝って! ほどけ
ないわ!……」
 クリス,ハリーの暇の紐をほどくが,服の背中はもともと開いていな
いのに気づく.破れた袖から覗いているハリーの腕の注射の痕を見つめ
-P25-   

-P26- 
ながら,鋏でハリーの服の背を切り裂く.
ハリー「どうして,そんなに見てるの?」
 クリス,いぶかしげにドアの前に並べられた金属製の箱の方を見る.

● ロケット発射室
 投光器が点滅する。昇降機にスイッチを入れるクリス.ハッチからゆ
っくりせり上がってくるロケット.ロケットに近づくハリー.
クリス「(ロケットの入口を開き,ハリーに)中に入れ!」
ハリー「あなたは?」
クリス「後から続いて行くよ.ハッチを閉めなければいけないから……
さ,OKだね?」
ハリー「(ロケットのなかに坐りながら)ええ,クリス!早く来てよ.
クリス!」
 クリス,ロケットの入口を閉じ,打ち上げ装置にスイッチを入れる.
噴射上昇し始めたロケットを見上げるクリス.背後の閉まりかかった発
射室の扉を慌てて振り返る。扉閉じる.クリスはやむなく防護壁に隠れ,
石綿の敷物を自分の方に引き寄せ,頭に被る.ロケットの噴射で床に火
が広がり,やがて下火になる。宇宙服の火を消そうと,床を転げ廻るク
リス,発射室を離れるロケット.煙が漂い,炎が残るロケット発射室の
床.

● クリスの部屋
 窓に,遠く消え去るロケットが映る。くすぶる宇宙服を着たクリス,
浴室でシャワーを浴び,部屋に戻ると,ハリーのケープが背にかかった
椅子に腰掛ける.ドアを開け,スナウトが入ってきてクリスに近づく.
クリス「ノック位したらどうだ?」
スナウト「ここで誰かの話し声がしたような気がしたんで……」
クリス「それなら,なおさらだ!」
スナウト「  客 がいたのか?だいがひどいことをやったようだな.ま   〈〉
あいいさ.傷はじきに直るよ.しかし初めは控えめにしたらどうだ?
いろいろな麻酔剤とか,毒物とか,睡眠剤とかあるだろう? えっ?」
クリス「ふざけたことを言うつもりなら,早く出て行った方がいい!」
スナウト「やりたくなくても,ときには道化役をやらなきゃならならな
いこともあるさ.君が縄や金槌でためさなかったと言い張ってもダメだ
よ! ルーテルのようにインク壜を偶然投げた,とでもいうのか? そ
うじゃないだろう?(笑いながら)そうだ。やっばりそうだ! ワン,
ツー! ロケットに坐らせ,スイッチを押してやっつけたというわけだ
! この次は勇気を出して,廊下から打ち上げスイッチを押すんだ。そ
のまま燃えつきてしまうぞ!」
クリス「(椅子にかけたまま)何があったんだ?」
スナウト「(薬を持って来て,クリスの顔の火傷に塗りながら)知らな
いが,ある程度は想像がつくな.誰が来ていたんだ?」
クリス「彼女は10年前に死んだのに」
スナウト「君が見たのは,君が彼女について描いていた観念が物体化さ
れたんだ.名前は何というんだ?」
クリス「ハリーだ」
スナウト「すべては,我々がX線を使って実験を行なったあとに始まっ
たんだ。海の表面にX線の強力なビ―ムを作用させた」
クリス「(椅子から立ち上がり)しかし,それは……」
スナウト「それに君は運が良かった.その女性は君の過去の人だからな.
もし,君が全然知らない,考えついたり,想像したりしただけのものが
現われたら一体どうする?」
クリス「(地球から持ってきた金属製の箱が置いてある窓の前で)しか
し,わからないな」
スナウト「海は明らかにその強い放射に何か別のやり方で返答して来た
んだ。海は我々の脳髄を探査し,そこから,いわば記憶の一部分を取り
出したのだ!」
クリス「彼女は戻らないだろうか?」
スナウト「戻るか,戻らないか」
クリス「ふん,ハリー2号か!」
スナウト「コピーの数は無限かもしれない」
クリス「何故,あらかじめわたしに教えてくれなかったんですか?」
スナウト「君は信じなかったろうよ!」
クリス「(顔の火傷の痕をさすりながら)わたしはうろたえて,ちょっ
と早まったかな?」
スナウト「気に病むな.ギバリャンだけでたくさんだよ」
クリス「問題はステーションを閉鎖するかどうかです.わたしはその間
題のために派遣されて来たんですから.もしわたしが報告を書いたら,
署名してくれますか?」
スナウト「突然,海と待望の接触が起きるんですかね?」
クリス「ここは夜の方がいいですね? なんだか地球を思い出させるも
のがあるな」
スナウト「通風機に紙切れをつけるんだ.すると,夜,それが木の葉ず
れのように聞こえる.これはギバリャンの発明でね.かれは全くすべて
に天才的だ.わたしもすぐやってみた。サルトリウスは僕らのことを嘲
笑したが,彼のところにも同じものがある.彼はそれを戸棚に隠してる
んだよ.君は休まなきゃだめだ.もし来れるようになったら,あとで図
書室に来て下さい。本のリストを作ってあるので(と出て行く)」
 紙切れで取り囲まれた通風機。その下のベッドに眠っているクリスは,
眼を覚ますと起き上がってみて,再び横になる.
クリス「スナウト,君か?」
 夜の闇.鏡の前の椅子にハリー2号が腰かけている,椅子から立ち上
がり,服を脱ぎかけるが,思い直して机に近づき,鋏を取り,服の背中
を自分で切る.
ハリー「クリス,どこにいるの?」
クリス「こっちだよ」
 ベッドに起き上がったクリス,また横になり,眼を閉じる。暗闇の中
を歩きながらクリスを探すハリー.
ハリー「暗いわね」
クリス「ここに来なさい。恐がることはないよ」
 クリス,自分の傍に身を寄せてきたハリーを抱く.
● 一階の廊下
 ドアを開けて廊下の様子を眺め,部屋に戻るクリス.ハリー2号の服
を抱えると再び廊下に出て,ドアを閉める.中からドアを開けようと引
っぱるハリー.
クリス「(ドアの方へ飛んで行き)ハリー! ハリー! ドアはそっちへ
引くんじゃない,ハリー!」
 血まみれになって,呻き声をあげながら,ドアを破って倒れるハリー.
ハリー「クリス! クリス!」
 ハリー,床に倒れ,クリスの足を掴む.両手でハリーを抱え起こし,
部屋から持ってきたハリーの服を片足で壁際の箱の後に突っ込むクリス.
● クリスの部屋
 ベッドにハリーを寝かせて,腕の傷をみるクリス.
クリス「ハリー! ハリー!(締帯を取りに浴室に行きながら)我慢す
るんだ.いま手当てするから!」
 クリスが戻ってくると,すでにハリーの腕の傷は殆ど癒っている.
ハリー「あなたがいなくなったと思って,びっくりしたの」
 電話のベルが鳴る.受話器を取るクリス.
スナウト「(電話で)やあ,クリス!」
クリス「ああ」
スナウト「(電話で)よく聞こえないが,もっと大きな声で話してくれ!
いま何をしてる?」
-P26-   

-P27-
クリス「別に何も……」
スナウト「(電話で)サルトリウスが実験室に来るように言ってるんだ.
どうかね?」
クリス「いいでしょう.結構です.行ってみましょう」
 ハリー,ベッドに起き上がって泣きながら,腕の血を拭う.
ハリー「クリス,あたし,どうしたの?ひょっとすると癲癇じゃない
かしら?」
 クリスに,後ろからすがりつくハリー.海が見える窓に眼をやるクリ
ス.
● 実験室
 クリスを待っているスナウトとサルトリウスが,実験室から廊下に出
る.
● 二階の廊下(実験室の前)
 クリスと,紐を持ったハリー,現われる.
クリス「(二人に)わたしの妻です」
ハリー「こんにちわ」
スナウト「(ハリーと握手しながら)こんにちわ」
サルトリウス「(ハリーを無視してクリスに)お待ちしてました!」
クリス「今,やっと暇になりました」
ハリー「(飾ってあった子供の写真を見乍ら)まあ,可愛い! あなた
の?」
サルトリウス「(カーテンを引いて写真を被い隠し)いいえ,スナウト
に)」
ハリー「ああそう」
サルトリウス「……そういうわけです.判明した限りでは,それらは作
られたものだ!」
スナウト「それを簡単に〈客〉と呼ぶことにしましょう」
サルトリウス「結構ですな.原子から成り立っている我々と違って,彼
らはニュートリノから成っている」
スナウト「だがニュートリノ系では不安定ですがね」
サルトリウス「あたしはソラリスの力の場がそれを安定させていると考
えます.(ハリーの手から紐を取り上げ,クリスに向かって)あなたに
も,ここに立派な見本があります!」
クリス「これはわたしの妻だ!」
サルトリウス「結構ですな,素晴らしい。まあ,奥さんの血液分析をや
ってご覧なさい」
クリス「何のために?」
サルトリウス「そうすれば,君も少しは迷いから醒めるだろう.(スナ
ウトに)君はどう考えるかね?」
スナウト「君たちの好きなように!」
● 実験室
 椅子に掛けたハリーから血液を取るクリス.
● 廊下
 実験室から出るハリーとクリス.
クリス「わたしは血液を酸で焼いてみたが,血液はもとどおりになるん
だ!」
サルトリウス「組織再生ですね?どうなんですか? 本質的には不滅
ということは――これはファウストの問題だな」
サルトリウス「(ハリーの腕にあてがってあった綿を取り)失礼.綿は
必要ないですな.(クリスに)あなたは本格的に解剖をやりますか?」
クリス「妻だと申したじゃないですか。分らないんですか?」
サルトリウス「この実験は地球でやるモルモットの実験よりもヒューマ
ニスティックです。そう思いませんか ?」
クリス「どっちみち,自分の足を鋸で切り取るようなもんですよ.(後
から近寄ってきたハリーに)ドアにぶつかって切ったとき,痛くなかっ
た?」
ハリー「もちろん!痛かったわ!」
クリス「そうだろう.(サルトリウスに)もしいつかこの仕事の事であた
しがあなたを責めるとしたら――」
サルトリウス「(廊下の真ん中の,傾いた配電盤にもたれ)君に有利な
のは――」
クリス「と言うと?」
サルトリウス「君の脅し文句は意味ないが,君が〈客〉と感情的に接触
しているのは良いことかもしれんな」
クリス「あなたは羨ましがっているんですか?」
サルトリウス「そうかもしれない」
クリス「いや,あなたは羨むことはないんだ.本当にあなたには責任は
ないんだから」
サルトリウス「そりゃそうですよ!」
クリス「責任があるのは僕の方だ」
サルトリウス「どういうことで?」
クリス「あなたが手足の不自由な身障者にでもなったら,いつでも呼ん
で下さい.あなたのためならどんなお世話でもしましょう」
サルトリウス「一体,あなたは誰に対して責任があると言うんです?」
クリス「あなたに対してもね……」
クリスとハリー,去る。

● ソラリスの海

● クリスの部屋
 ハリーとクリス,ベッドに腰かけ,クリスが地球から持ってきたフィル
ムを見ている。
クリス「これは父が撮ったものだ.わたしが撮ったものもある」
● フィルム(ブラウン管)
 冬.焚火に近づき,木の枝を投げ入れる子供時代のクリス.
 秋.木立ちを背にしたクリスの母.
 冬.森の中を行く父と幼いクリス.
クリスが転び,石塀の前に小犬を抱いている母.幼いクリスが枯枝を抱
えて母の方へ駆け寄る。森の中を行く母.
 池の岸で燃えている焚火.池の畔に立つ少年クリス.池の畔に立つ母.
 家の傍の草むらに立つ,ケープをはおったハリー.
 木にもたれかかるハリー.
● クリスの部屋
 フィルムを見終わって,顔を見交わす二人.立ち上がり,クリスはス
イッチを切る.
ハリー「ねえ――」
● 浴室
 鏡に近づくハリー,つづくクリス.
ハリー「あたし全然自分のことがわからない.覚えてないの.眼を閉じ
ても,自分の顔も思い出せないのよ.あなたは?」
クリス「何のことだ?」
ハリー「自分のことがわかるの?」
クリス「あたりまえにはな」
ハリー「ねえ! 白い服を着た人はあたしを憎んでた人でしょ?」
クリス「そんなことはない.おふくろは僕らが知り合う前に死んだん
だ」
ハリー「あなたが何故あたしを混乱させるようなことを言うのかわから
ない。あたしはね,あたしたちがお茶を飲んでいた時にね,お母さんが
あたしを追い出そうとしたのをはっきり覚えているわ.勿論あたしは出
て行ったのよ.はっきり覚えているわ.その後どうなったの?」
クリス「その後僕はあそこを出て,それきり,わたしたちはもう会って
もいない」
ハリー「どこへ行ったの?」
クリス「別の町へ行ったんだ」
ハリー「なぜ?」
クリス「転勤だよ」
ハリー「あたしをおいてどうして行
ったの?」
クリス「君は行きたがらなかった」
 クリス,出て行く.
ハリー「ああ,それは覚えてるわ!」
 水が滴るシャワー.
● ベッド
 ハリーが眠っている.
● クリスの部屋

-P27-   

-P28- 
 部屋着を着て壁にもたれかかっているクリス.ドアのノックの音.ク
リスはドアに近寄り,洋服で穴をふさいだ壊れたドアを開ける.
スナウト「(入口の前で)失礼! 側を通ったら,あなたが寝ていないよ
うだったので」
クリス「何かあったんですか?」
スナウト「再生が遅れていてね.2,3時間は暇になりそうだ」
クリス「それを報告するために,この夜中にここに来たんですか?」
● べッド
 眠っていたハリー,眼を覚まし,聞いている.
スナウト「まあ,聞いてくれ.わけがあるんだ.サルトリウスとも考え
たんだが,海は我々が眠っている間に,脳髄から <客> を引き出すのだ
から,海に我々の昼間の考えを伝えておくのも意味があるかもしれな
い」
クリス「どんな方法で?」
スナウト「放射線ビームでだ.海がそれを理解し,我々をこんな現象か
ら解放してくれるかもしれない」
クリス「また馬鹿げたレントゲンの説教で,科学の偉大さを説こうとい
うのか?」
スナウト「我々の誰かの脳電流で,このビームを変調させるのだ」
クリス「その誰かというのは勿論わたしだろ? 脳電図だ! わたしの
考えていることを全部記録するんだな! もしわたしが,突然,彼女が
死んで消えてしまったらいいと思ったとしたら?」
● クリスの部屋の入口
 ドアの横で立ち話をしているクリスとスナウト.
クリス「このゼリー状のものをすべて信頼することですよ。それはもう
わたしの心の中にまで,それほど入り込んでいるんだ」
スナウト「クリス,もう,時間がない! ついでだが,サルトリウスは
もう一つ,素粒子消滅の計画を提案している.ニュートリノ系だけをな
くしてしまおうと言うのだ」
クリス「それは何だ? 脅すつもりか?」
スナウト「いや,僕は彼を脳電図から始めるように説得した.この話は
忘れてくれたまえ.明日は僕の誕生日だ.君を招待するよ」
クリス「嘘だ! 我々を仲直りさせたいんだな?」
スナウト「ああ,仲直りさせたいさ」
クリス「大きな声を出さないで下さい,ハリーが眠ってるんだから」
スナウト「(部屋の中を覗きながら)眠っているって? もう眠ることを
覚えたのか? これはまずいことになりそうだ」
クリス「君はわたしに何を言いたいんだ?」
スナウト「いや別に.じゃあ来てくれるか? 明日,図書室で.ご馳走
を用意するよ.せめてあの部屋に窓があればいいんだが,ところで,サ
ルトリウスが待っているから行こう」
クリス「ハリーは眠っているが,あとをつけて来ないだろうな?」
スナウト「ドアの鍵をかけなければいいさ」
クリス「このドアはないも同じなんだよ」
● クリスの部屋
 着替えを済ませて浴室から出てくるクリス、ベッドのハリーが部屋を
出て行くクリスをじっと眼で追う.
クリスの姿が見えなくなると,シーツを頭から被るハリー.
● 一階の廊下
 クリスの部屋の前の廊下を,スナウトとクリスが歩いてもヽる.
● 二階の廊下
 実験室のドア近くにスナウト.クリスは突然振り返って走り去る。
クリス「待ってくれ,すぐ来る!」
スナウト「どこへ行くんだ?」
● クリスの部屋
 駈けこむクリス.ベッドに気を失って倒れているハリー.ベッドが乱
れている.
クリス「(ベッドに飛び上がり,ハリーを両手で抱きあげながら)ごめ
ん,ごめん!」
 少しずつ気を取りもどすハリー.

● 変色しつつある海

● クリスの部屋(ベッド)
 ベッドにクリスとハリーが眠っている.
 起き上がるハリー.クリスもランプの明りで眼を覚ます.
クリス「どうして眠らないんだ?」
ハリー「あなた,あたしを愛していないでしょ?」
クリス「やめろ! ハリー!」
ハリー「あたしたち,もっと話さなきゃいけないわ」
クリス「何について?」
ハリー「(涙を浮かべながら)クリス.
あたしがどこから来たのか,あたしには分らないってこと,あなたも分
ってるでしょ? それとも,あなた知ってるの?」
クリス「何を考えついたんだ?」
ハリー「待って! あたしに言わせて! もし知ってるなら,いまは言
えなくてもいつかは言うんでしょう? ねえ? クリス!」,
クリス「(起き上がって)何を言ってるんだ? さっぱりわからん,ほん
とうにわからない!」
ハリー「言いたくないんでしょ?恐いんだわ.それじゃ,あたしが言
います.あたしはハリーじゃない.あなたのハリーは死んだの.毒を飲
んで死んだの.そしてあたしは――あたしは別者なのよ!」
クリス「誰が君にそんなことを言ったんだ?」
ハリー「サルトリウスよ.彼と話したばかりなの」
クリス「この夜中にね」
ハリー「あなたが言ってくれれば良かったのに。そうでしょう?」
クリス「困ったもんだ! どっちに転んでも同じだ!」
ハリー「あなた,あれからずっとどうして暮らしていたの? 誰か好き
な人いた?」
クリス「わからない」
ハリー「あたしのこと,覚えていてくれた?」
クリス「覚えていたよ.いつもというわけじゃないが.わたしの具合が
悪いときに限ってかな」
ハリー「ネエ,わたしたちは誰かにだまされているんじゃないかしら?
これが長く続けば続くほど,あなたにとって,クリス,それこそあなた
にとって恐ろしいことになるわ!どうやって,あなたを助けたらいいの
かしら? 話して! その女の人はどうなったの?」
 ハリー,泣いている.
クリス「(ベッドに坐ったまま)僕らは口喧嘩をしてね.しまいにはたび
たび彼女と口争いをしていたんだ.僕は荷物をまとめて家を出た.彼女
はストレートに言ったわけではないが,言おうとしたことは僕にも何と
なくわかった.何年も暮らしていれば,わかるもんだ。僕はそれが口先
だけだと信じた.ところが翌日冷蔵庫に劇薬を残してきたことを思い出
したんだ。あれを実験室から持ってきたとき,僕はその効き目を彼女に
説明したんだ.僕は恐ろしくなった.すぐ彼女を訪ねたかったが,それじ
ゃまるで僕が彼女の言葉を真に受けたようにとられると思ったんだ.三
日目にもう我慢ができなくなって出かけて行った。着いたときには,既
に死んでいたよ.腕に注射の痕が残っていた……」
ハリー「これね? どうして彼女はそんなことしたのかしら?」
クリス「きっと,わたしに愛されていないと思ったんだな.いまは愛し
ているんだが」
-P28-  

-P29- 
ハリー「(横になり,クリスの手に自分の手を添えながら)クリス!」
クリス「何?」
ハリー「あなたを愛しているわ」
クリス「眠りなさい,眠りなさい」
ハリー「あたし,眠れないの.本当にこれは眠りじゃないわ.でも,そ
れは何だか眠りのようで,まるであたしの頭の中だけじゃなくて,もっ
と逢か遠くまで――」
クリス「きっと,やはり眠りなんだよ」

● 図書室
 中央に大きな円形のテーブル.壁際の台の上に本が雑然と積んである.
テーブルに開かれた本.その前で椅子にかけているクリスとハリー.開
いた本を手にしたまま歩き廻るサルトリウス.
サルトリウス「さてと,僕は祝われるご本人はもう来ないと思うよ」
クリス「どうして?」
サルトリウス「ひょっとするとスナウトのところには〈客〉がいるんじ
ゃないかな?」
燭台の蝋燭が燃えている.テーブルの前に,ハリーとクリス.立った
まま本に眼を通していたサルトリウスが,椅子にかける.スナウト,背
広のネクタイを整えながら入ってくる.
スナウト「お! 皆揃ってるな!」
サルトリウス「(立ち上がりながら)1時間半も遅刻だ」
 ハリーは燭台をテーブルに置く.スナウト「(クリスに近づいて)何を
読んでるんだ?(クリスが見ていた本を取り上げ)これはくだらん,く
だらんよ! (本の山を掻き廻しながら)どこだ?どこだ? これだ!
彼らは夜毎やってくるからな.だがいつかは眠らなきゃならない.人が
眠れなくなったら,これは問題だ.(別の本をクリスに渡して,傍のハ
リーの手に接吻し)しかし,読みたまえ,わたしは少し興奮してるんだ」
クリス「(本を読み上げてくおれは,〈セニョール,一つだけ知っている… 
….おれは眠っている時は恐怖も希望も苦労も幸福も感じない.眠りを
発明した人に感謝しよう.これはすべての人に共通の宝物であり,牧童
にも王様にも,馬鹿にも賢者にも平等に同じ重さなのだ.ただ一つ困る
のは深い眠りだ――それは死ととても似ているそうだ〉」
スナウト「(グラスを手にしたまま陪論して)〈サンチョよ,いまだか 
つて,おまえはこんな優雅な言葉を言ったことがなかった〉」
サルトリウス「(グラスを手にしたまま)結構ですな.が,今度はわた
しにも言わせてくれ.わたしはスナウトのため,彼の勇気のため,義務
を忘れたりしない優れた能力のため,学問のため,そしてスナウトのため
に乾杯しようと思う!」
スナウト「学問のためか? 馬鹿馬鹿しい! こんな状況では凡人も天
才も同じように無力だよ.我々はどんな宇宙も征服したくないと言うべ
きなんだ.我々は地球をその限界まで広げたいと望んでいる.我々は別
の世界にどう対処したら良いのか分らない.我々には別の世界は必要な
いんだ.我々には,そうだ――必要なのは鏡だ! 我々は接触しようと
してあくせく奮闘しているが,どうしても手がかりが見つからない.恐
れているが,自分には全く必要ない的を目ざして闘志を燃やしている人
間の馬鹿げた立場に我々は置かれているわけだ.人間に必要なのは人間
だ!ギバリャンのために! 彼を忘れないために乾杯しよう! 彼は驚
いたに過ぎないかもしれないがな」
クリス「いや! ギバリャンは驚いたんじゃないんですよ!(開かれた
本を自分の方に引き寄せて)もっと恐ろしいことだってありますから.
彼はどうしようもなくなって死んだ.彼はすべてこうしたことが自分だけ
に起こると考えたんです」
サルトリウス「何だって! 何のことを言ってるんだ? そうした痛ま
しい異常は〈ドストエフスキーの心理葛藤〉に過ぎないのだ.そう長く
は続かない」
 二人の話に聞き入るスナウト.
クリス「あなたはあんまり責任を取りたくないんだ」
サルトリウス「僕は身のほどはわきまえている.人間は自然を認識する
ために自然によって造られたんだ.はてしなく真実をめざして前進すれ
ば,人間は真実を認識できるんだ(眼鏡を持った手で厳しくテーブル
を叩き,そのはずみで眼鏡の玉がはずれる)他のことはすべて愚劣なん
だ.ところで,尊敬する皆さんに質間しますがね.何のためにあなたが
たはソラリスに飛んで来たんです?」
スナウト「何のためとは,どういうことだ?」
サルトリウス「(クリス)にあなたは仕事をしてますか? 失礼だが,昔
の奥さんとのロマンスのほかにあなたは何も興味を持っていない.一日
中ベッドでごろごろして,あれこれ考えごとをして,そんな方法で自分
の義務をはたしているわけですな?あなたは現実的な感情を失ってしま
った.失礼だが,あなたは全く怠け者だ!」
スナウト「やめろよ!(部屋を歩き廻りながら)少しは,ましなことも
言えよ! ギバリャンのために飲もう!」
サルトリウス「ギバリャンのためでなく,人間のためにだ!」
クリス「あなたはギバリャンが人間でないとでも言いたいのですか?」
スナウト「クリス, よしてくれ!まだ口論したりないのか? 今日は
僕の誕生日なんだ.今日は僕の日だ!」
ハリー「そのとおりだわ!」
 壁ぎわを歩くハリー.クリスに近より,再び壁ぎわに戻る.
ハリー「(泣きながら)クリス・ケルヴィンはあなた方二人よりもずっと
一貫しているとわたしは思います.ひどい状態の時でも彼は人間的です.
でも,あなた方はすべて自分に関係ないような風をして,自分の〈客〉
を,そう,わたしたちを〈客〉と呼びましたよね.わたしたちを何か外
部の邪魔者のように考えてるんです.けれど〈客〉はあなた方自身なので
す.あなた方の良心なのです.クリスはわたしを愛しています.もしか
すると愛しているのじゃなくて,ただわたしを傷つけないようにしてい
るのかもしれない.そうなんです.人間としてわたしを…….そのこと
は問題ではないんです.なぜ愛しているのかは重要ではないんです.そ
れは人によって様々なんですから.クリスは悪くない.彼は別に関係な
いのに,あなた方ときたら! あたしはあなた方,皆を憎みます!」
サルトリウス「あなたにお願いしたい――」
ハリー「最後まで言わせて下さい!
――あたしはこれでも女です……」
 椅子に腰かけているクリス.
 サルトリウス,椅子から立ち上がり,部屋を歩き廻る.
サルトリウス「あなたは女でも人間でもない.大体あなたに理解力があ
るというのなら,もうそろそろ分ったらどうです! ハリーはいない,
彼女は死んだ.あなたはハリーの再生に過ぎないんだ.機械的な再生な
んだ! コピーなんだ! 鋳型なのだ!」
 泣いているハリー,水が入ったコップを取るが,そのとき,燭台を床
に落とす.
ハリー「そう! そうかも知れません!でもあたしは人間になります.
感じることも,あたしはあなた方に少しも劣ってはいません.もうあた
しは,クリスなしではいられない!あたしは,クリスを愛しています!
あたしは人間です! あなた方は,本当に残酷です!」
-P29-  
-P30- 

 コップを手にしたまま歩いて行くハリー.壁ぎわで飲みほそうとする
が飲めない.彼女に近づいて,彼女の前に跪くクリス.
サルトリウス「立ちなさい!」
 クリスを見つめるサルトリウス.クリスの横にスナウトが立っている.
やがて立ち上がるクリス.
サルトリウス「ねえ,君(出て行きながら),本当にそれが一番簡単な
のにな」
スナウト「口論しても無駄だな.品位も,人間らしさもなくなるからな」
ハリー「(壁の方を向いて駿り泣きながら)いいえ! あなた方は各人
各様に人間だわ.だから口論するんです」
スナウト「僕はお邪魔じゃないんでしょうな?」
クリス「あなたはいい人だ.見かけは良くないけど」
 図書室の入口に立っていたスナウトは,廊下に出て行く.クリス,あ
とから追いつく.
● 一階の廊下
 スナウトとクリスが歩いている.時を告げる時計.少し酔っ払って,
足許がふらつく.
スナウト「僕は本当に参った.ちょっと一緒にいてくれ.自分がどんな
値打ちがあるか知りたいばっかりに,こんな不幸な接触のために,命を賭
けている男が,酔っ払っちゃいけないとでも言うのか? 道徳的にも全
く資格はあるさ.君は我々の使命を信じているか? えっ?(自分の部
屋の前まで来て)僕は自分の部屋には行かない.眠ることができないの
は問題だがな,ファウストのところへ行くよ.あの実験室では我らがフ
ァウスト――サルトリウスが不死をなくする薬を探がしているんだ.だ
が我々はどうだ?」
 スナウト,ドイツ語で“おおスザンナ”を歌う.
● 二階の廊下
 ゆっくり歩きながら,歌い続けているスナウト.彼のあとについて来
るクリス.
スナウト「おい! 床のハッチを開けて,下に向って叫ぼうじゃない
か? もしかすると,聞きつけてくるかもしれないぞ.ただな,(笑いな
がら)何と呼べばいいのかな? 笞で懲らしめるべきか? それとも祈
りを捧げる方が良いのか? どうしたんだ?」
クリス「(走り出して)図書室のドアが閉まったような気がする! あそ
こにはハリーが一人きりだから!」
スナウト「行ってくれ.僕はもう大丈夫だから.ステーションは今,点
検中だ.17時かっきりで30秒間無重力になる.覚えておけよ!」
● 一階の廊下
 図書室に走って行くクリス.
● 図書室
 机の上に腰かけて煙草を喫むハリーが,壁にかかった絵を見ている.
近づくクリス.
● プリューゲルの絵
 《雪中の狩人》の部分――冬の田園風景.
● フィルム
 ブランコの傍に立つ幼小のクリス.
● 図書室
 ハリー,絵に見とれている.
クリス「ハリー! ハリー!」
 クリスが近づいたのに気づかない.
ハリー「あなた, ごめんなさい!あたし,ちょっと考えこんでいたの.
何か起きたの?」
クリス「いや,別に.万事変わりなしだ」
 無重力状態.空中に浮かが燭台.
空中に浮かがクリスとハリー.浮遊している一冊の本.
● プリューゲルの絵
 《雪中の狩人》の部分
● 図書室
 絵の前を浮遊するクリスとハリー.
● プリューゲルの絵
 《雪中の狩人》の部分
● 図書室
 無重力状態終わる.長椅子に腰かけたハリー.ハリーの膝に頭を埋め
るクリス.ハリー,クリスに接吻する.
● フィルム
 少年クリスが火に枯枝を投げると明るく燃え上がる焚火.

● ソラリスの海
 白く波が立ち始めている.

● 床
 壊れた魔法瓶の容器から,蒸気が立ち上っている.その傍に横たわる
死んだハリー.ハリーを仰向けにするクリス.仰向けになったハリー.
廊下の鏡にハリーの顔が歪んで映っている.
● 一階の廊下の床
 横たわるハリー.傍の箱に茫然として腰かけているクリス.スナウト
が自分の部屋から出て来てクリスに近づく.立ち上がるクリス.
クリス「(死んだハリーに身を屈めながら)液体酸素を飲んだんだ.彼
女は絶望してやってしまった」
スナウト「これからはもっとひどいことになる.彼女は君といればいる
ほど,人間らしくなるんだ.サルトリウスの例を見るがいい!」
クリス「ご忠告ありがとう」
スナウト「君はどうするつもりだ?」
クリス「蘇生するまで,待ちます」
スナウト「その後は? ステーションを離れるのか? クリス! 彼女
はこのステーションでしか生きられないんだ.君も分ってるだろう」
クリス「一体どうすればいいんだ?わたしは彼女が好きだ」
スナウト「どの彼女を? この人をか? それともロケットの方かな?
彼女を軌道上から引っ張ってくることもできるんだ.彼女は必ず現われ
るし,それもいつでも現われるだろう.科学の問題をすり変えないでく
れたまえ」
クリス「これはまずい結末になると感じてはいたんだ……」
スナウト「(死んだハリーに近づきながら)君は彼女を助けるべきだ!」
 死んだハリーの傍に坐るクリス.ハリー,少しずつ蘇る.クリス,ハ
リーの胸に耳をあてがう.
スナウト「(遠ざかりながら)気味が悪いな.こうした蘇生にはどうして
も慣れっこにはなれない」
 呼吸がもどり始めたハリー,体を痙攣させる.クリス,身を屈めてハ
リーの日の血を拭う.部屋に洋服を取りに行くクリス.床に横たわった
まま痙攣し続けるハリー.床から起き上がろうとするハリーに服を着せ
かけ,後から支えるように抱くクリス.喘ぎながら,クリスの腕から逃
れようとするハリー.
ハリー「(苦しげに)これはあたし?…….あたしはハリー…….何なの,
何なの?……どうして,どうしてなの?(うつろな眼で自分の手をじっと
見て)いいえ,これはあたしではない,これは…….あたしは…….ハリーで
はない.あなたは…….ねえ,あなたは……?もしかするとあなたも?」
クリス「やめなさい,ハリー」
ハリー「(叫んで)あたしはハリーではないわ!」
クリス「(もがくハリーをしっかり抱きしめて)もう,いいんだ.いい
よ.もしかすると君が現われたのは責苦かもしれないし,海がわざわざ
送ってくれたのかもしれない.だがもしも,かつて世の中にあったとか
いう学問の真実よりも,もっと君が僕に大切だとすれば,そんなことは
どっちでもいいんだ」
ハリー「あたしは彼女によく似ている?」
クリス「いや,君は似ていた.が,いまでは君が彼女なのではなくて,
本物のハリーなんだ」


-P30-   

-P31- 

ハリー「(涙ながら)に言って頂戴言って…….あたしはあなたに,あ
なたに嫌われているんでしょう?こんなあたしは,嫌なんでしょ?」
クリス「ハリー,違う.それは違う!」
ハリー「嘘だわ……」
クリス「違うんだ!」
ハリー「嘘よ」
クリス「やめなさい」
ハリー「嘘よ」
 スナウト,自分の部屋から走り出ようとしてドアに上衣を一度引っ掛
ける.廊下を走り去るが,反対側から金属箱を手にして現われ,床に並
んで坐っているクリスとハリーの傍を走り過じる.
クリス「やめなさい」
ハリー「嫌いに決まってるわ!」
クリス「何を言ってるんだ」
ハリー「あたしに触らないで!」
 ハリー,だんだん気をとり戻す.
● ソラリスの海
 変色し,波が渦まいている.
● クリスの部屋
 水をたたえた水差し.底にいろいろなものが沈んでいる.ケープを肩
にかけたまま,くずれるようにべッドに身を投げるハリー.クリスも重
なるように横たわる.
ハリー「(泣き乍ら)好きよ」
クリス「ハリー,一体どうしたんだ?」
ハリー「(泣いている)別に……」
クリス「(ハリーを抱き寄せて)僕は地球へは帰らない.僕は君と一緒に
ステーションで暮らすよ」
ハリー「あのね,あたし恐いわ」
 夢でうなされているクリス.ハリーの枕の上に彼女のケープがあるが,
ハリーはいない.汗ばみ,苦しそうに呻くクリス.ハリーがベッドに現
われ,眠っている.やっと起き上がったクリスが,部屋を出て行く.

● 一階の廊下
 裸足で廊下に立ちつくすクリス.その後姿.大儀そうに廊下を歩き,
床に落ちている絵を拾い上げ,眺め,投げ捨てる.床に落ちる犬の絵.な
おも歩き続けるクリス.
● 二階の廊下
 廊下を歩いて行ったクリスは,窓際に立っているスナウトに近づく.
スナウトがクリスに手を貸す.スナウトに支えられながら,別の窓の前
に立ち止まって海を覗くクリス.
スナウト「海は活動を始めたようだな.これは君の脳電図が役に立った
んだ」
クリス「同情心を起こすと,我々はダメですな.苦しむと人生は暗く,
疑り深いものになっていくというが,もしかすると,それは本当かもしれ
ない.(窓に手をかけ)しかし,僕は賛成できない.そうだ,認められな
い……,我々の生活に必要がないものは,生活に有害だと言えるだろう
か? いや,そんなことはない,害にはならないんだ.勿論だ.トルス
トイをわかっているかな? 彼の苦悩は人類を愛することができないと
いうことにあった.そうだ…….あれからどれ位たったんだ? わたし
はどうしても分らないんだ…….助けてくれ……」
● ソラリスの海の泡立つ海面
クリスの声「つまり僕は君を愛している.だが,この愛は体験すること
はできるが,説明できないような感情だ.観念としては説明できるがね.
失うかもしれないものを――自分とか,女とか,祖国とかを愛するとか
ね.今日まで,人類とか地球とかまでは愛は届いていないんだ.何を言
っているかわかるか? スナウト,我々は本当に僅かなものだ.たかだ
か何十億位じゃないか! もしかすると,我々がここにいるのは,人々
をそうした愛の根源として初めて実感するためかもしれないんだな?」
● 一階の廊下
 クリス,ハリーとスナウトに支えられて歩いて行く.
スナウト「熱があるようだな」
クリス「ギバリャンはどんな風に死んだんだ? 君はこれまで話してく
れなかったじゃないか」
スナウト「話して聞かせるから.あとで……」
クリス「ギバリャンは恐ろしくて死んだのではない…….彼は恥じて死
んだんだ! 恥のためだ!(スナウトとハリーに支えられたまま)これ
が人類を救う感情なのだ!」
● 地球(クリスの幻覚)
 夕暮れ.ケルヴィン家の客間.
● 鏡の間(クリスの幻覚)
 ベッドに横たわり,うわごとを言うクリス.ベッドの傍に花瓶.
● クリスの部屋(ステーション)
 うわごとを言うクリス.クリスの枕辺に寄り,傍に屈んで不安げに見
つめるハリー.
● クリスの部屋(クリスの幻覚)
 ケープを脱ぐハリー.同じケープを肩にかけたクリスの母.ハリーは
浴室に行く.窓際には別のハリーがいる.花瓶の横を通りすぎる第三の
ハリー.椅子に腰かけたハリーの傍をもう一人のハリーが通る.
● 地球(クリスの幻覚)
 ケルブィン家の寝室.ベッドから起き上がったクリス,若い頃の母親
に近づき,彼女と抱き合う.
● 地球(クリスの幻覚)
 クリスの部屋.ステーションから持ち帰った品々が置いてある.机の
上に花を差した小瓶,周りにお金や品物が雑然と散らばっている.机の
横にクリスと母.
クリス「ママ,わたしは……わたしは2時間遅れました」
母「(本をめくりながら)知ってるわ.どうだったの,道中は?」
クリス「無事です.少し疲れましたけど,まあ大したことはないです」
母「(出て行こうとして)まあまあ!あの人達も遅いわね.行って通れて
来ましょう」
クリス「あわてなくてもいいんですよ……」
 ブラウン管の傍に立つクリスと母.
クリス「それがね,とても困った話だが,僕はどうしてか……,お母さ
んの顔を全然覚えていないんです」
母「顔色がさえないけれど.幸せなのかい?」
クリス「何だかいまは,そういうことは考えられませんね」
母「それは困ったわね」
 ベッドに腰かけるクリス.
クリス「僕はいま,独りぼっちです」
母「だけど,何のためにわたしたちを困らせるの? おまえは何を待っ
ているの? どうして電話してくれなかったの? 何だか変な生活をし
てるようね.汚らしいこと! どこでそんなに汚れてきたの?(腕をと
って)これはどうしたの? こちらへ来なさい! いま洗ってあげまし
ょう」
 水差しを運んできて,クリスの手を洗う母.母,暗闇に去る.
クリス「(涙ながらに,母を探し求める眼差しで)ああ,ママ!」
● クリスの部屋(ステーション)
 クリス,意識をとり戻す.
クリス「ハリー!」
 机の上のガラス製の湯沸しがたぎっている.スナウトが洋服のポケッ
トから封筒を取り出し,ベッドに横たわるクリスの胸の上に置く.
スナウト「ええ,どうだ? もう大丈夫か?」
クリス「ハリーはどこだ? これは何だ?」
スナウト「もうハリーはいない.(眼鏡をかけて手紙を読む)〈クリス,
あなたを裏切らなきゃならないのは恐ろしい.でも,他にどうしようも
なかったのです.こうなるのがあたしたち二人にとって良かったのです.
あたしの方からこれはお願いしました.誰も責めないでください.ハリ
ー〉(手紙の文面をクリスに示し)彼女は,君のためにこうしたんだ」.
-P31-   

-P32- 

クリス「(ベッドに横になったまま)
スナウト,聞いてくれ!」
スナウト「あとからな,クリス.心配するな」
クリス「ああ,いったい,どうなってるんだ?」
スナウト「幻覚だよ! 光と風の閃きさ」
クリス「(胸苦しそうに)そう,最近は彼女とうまくいってなかったん
だ」
 母がクリスの手を洗うのに使った水差しとタオルが,椅子の上にある.
クリス「聞いてくれ! スナウト!海は何故我々をこんなに苦しめるん
だ?」
スナウト「それはな! 我々が宇宙の感情を失ってしまったからだな」

● 一階の廊下
 壊れたドア越しに,クリスの部屋を覗くサルトリウス.だがそのまま
去り,途中で床に転がっているボールを拾う.
スナウト「――昔はもっとそういう感情になりやすかった.連中は決し
て何のためにとか,なぜかなどと論争しなかった.シジーフの神話を想
い出してみたまえ.そうなんだ.我々が海に君の脳電図を送って以来,
お客は誰ももう戻って来なくなった。海では何かわからない事が起こり始
めた.表面に島ができ始めたよ」
● 二階の廊下(ステーション)
スナウト「最初にひとつ,1日後にさらに数個……」
クリス「海が我々を理解したと君は言いたいんだろう?」
スナウト「いや,そんなに早急にはな! だが我々には希望が湧いてき
た.そうだろう?」

● 図書室
 椅子に腰かけるクリス.スナウトが立っている.
クリス「あなたはお幾つですか?」
スナウト「52歳.それがどうした?」
クリス「向こうから来てどの位になりますか?」
スナウト「君はわたしの調書を見てないのか?」
クリス「見ましたよ.ちょっと聞きますが,ここに何年か住んだあとで
も,向こうの生活との関連をはっきり感じられるんですか?」
スナウト「君は極端な質問をするのが好きだな.今に人生の意義につい
て問題にするんじゃないか」
クリス「待って下さい.からかわないでくれ」
スナウト「それは月並みな質問だ.
人間は幸せなときはね,人生の意義とか,その他永遠のテーマとかには
興味を持たないものだ.そういうことは死にぎわに考えればいいんだ」
クリス「(椅子に坐っている)その最期がいつ来るか,我々にはわからな
い.だから焦っているんだ」
スナウト「君は急ぐことはない.幸せな人とは,決してこうした忌わし
い問題に興味を示さない連中をいうのだ」
クリス「問題は,知りたいという絶えざる願望にあるんだな.だが,平
凡な人間の真実を守るためには,秘密も必要だ.幸せの秘密,死の秘密,
愛の秘密!」
スナウト「もしかすると君は正しいのかもしれない.しかし,そういう
ことは考えないようにしたまえ」
クリス「だが,それを考えることは,自分の死の時を知ることでもある.
それを知らなければ,実際には我々は不死になってしまうんだな」
● 雲が広がるソラリスの海
クリス「まあ,いい.ともかくわたしの使命は終わった.これからどう
するか? 地球に戻るべきなのか?少しずつ総てはもとどおりになるだ
ろう.そして新しい関心も湧き,新しい知人も出来る.しかし僕は,そ
れにとことんまで没頭することは出来ないだろう.仮にこの巨大な海と
接触できるとなったら,わたしは拒む理由があるだうか? 我々人間は
何十年もあの海に探索の糸を延ばしているんだ.ここに残るべきだろう
か? 僕ら二人が手を触れてきた品々の中に残るべきだろうか? まだ
僕らの息づかいを感じさせる物の中にだ.何のためにだろうか? 彼女
が帰って来るのを待つためにだろうか? だが僕にはその望みはない.
僕に残されているのは,待つことだけだ.何をかは分らない…….新し
い奇蹟だろうか?……」
● クリスの部屋
 窓の傍にスナウトが立っている.
窓辺に,地球から持ってきた金属製の箱.傍の椅子にかけたクリス.
スナウト「疲れないか?」
クリス「いや,爽快ですよ」
スナウト「ところでクリス,君はもう地球に帰るべきだ」
クリス「あなたはそう思いますか?」

● 地球のクリスの部屋
 窓辺に,小さな緑色の茎が,外に向かって生えている金属製の箱.
● 水の流れ
 水面に浮かが長い水草.
● 池のほとり
 クリス,池の傍に近づき,池の縁を歩き,水際に近づき,じっと静止
している水面を見つめる.
● 庭
 クリス,家の傍を通りかかる.家の方から燃える焚火の横を通って走
り寄ってくる犬.クリス,犬を連れて家へ向かう.
● 家の中
 窓から家に近づくクリスが見える.
● 一階(客間)
 天井から雨が漏っている.雨にはおかまいなく,机の上の本を調べて
いる父.息子に気づくと,微笑しながら,ドアの方へ行く.窓ごしにク
リスの淋し気な顔.
● 玄関
 父が出てくる.クリス,父の前に跪く.カメラ,遠ざかる.流れる雲.
● 島(ソラリスの海)
 雲間に,小さくなって行くケルヴィン家.流れる雲.雲がちぎれると,
ソラリスの海の波間に島が見える.島の上に,クリスの家と,池のある
庭がある.
              ――終――

色彩Cinemascope / 上映時間165分
シナリオ訳・採録●野原まち子

『惑星ソラリス』は1977年4月29日より東京・岩波ホールにて
ロードショウ公開され,ソビエト初の本格SF映画の話題作と
して反響を呼び,全国的な上映を望む声が高くなっています.
名古屋にひきつづき大阪,札幌,福岡でも公開される予定で
す.このプログラム作成にあたり,岩波ホール,エキプ・ド・
シネマのご協力をえました.

1977年6月18日発行 / 定価300円
(C)発行所 日本海映画株式会社
  中央区日本橋本石町3の4ストークビル

-P32-  
「惑星ソラリス」パンフレット(1977年)より転載



0 件のコメント:

コメントを投稿