「ストーカー」パンフレット 目次「ストーカー」シナリオhttps://t.co/5GMI7kRKJn
— luminous woman (@_luminous_woman) January 1, 2021
タイトル・第二部
…
作家(嘆息まじりに)「やれやれ。あの調子では、また説教を聞かされるぞ。」
…
ストーカー(モノローグ)「人が生れ
る時は軟弱で/死ぬ時に枯れ固まる
….
76. Flexibilityhttps://t.co/B8o0N8a3wQ
人之生也柔弱、其死也堅強… pic.twitter.com/rLX2Xo6SJB
http://russiaeigasha.fc2web.com/arc/pamph/stalker/index.htm
http://russiaeigasha.fc2web.com/arc/pamph/stalker/19.htm
●クレジット・タイトル
バーの内部のモノクロ画面に黄文字のクレジット・タイトルがかぶる。
バーの内部――奥の部屋からバーに入ってきたマスターが、明りをつ
けて、カウンターのなかに入る。折しも毛編みの帽子を被った教授が現
われ、窓際の丸テープルの足もとにリュックを置き、カウンターヘ歩み
寄って何か注文すると、再ぴテーブルに戻り、凭れかかるように立つ。
マスターがコーヒーをテーブルに運んで来る。教授はコーヒーを飲み始
める。
●タイトル
"慣石が落ちたのか宇宙人が来たのかわからない。とにかく、ある地域
に奇怪な現象が起きた。そこがゾーンだ。軍隊を派遣したが、かれらは
全減してしまった。それ以来、ゾーンは立入禁上になっている。手の打
ちようがないんだ…… ノーベル賞受賞物理学者ウォーレス博士がライ
記者に語った言葉より"
●ストーカーの部屋
半ば開かれた両開きのドアから、壁際中央に置かれたベットに向って
ズーム・イン
ベッドには娘をはさんでストーカーと妻が寝ている。かすかに汽笛が
聞こえてくる。
ベットの傍の椅子の上には綿や水を入れたコップが置いてある。列車
の近づく音と振動につれて、コップが静かにずり動く。
横になったまま、傍の妻や娘の寝顔を見つめているストーカー。列車
の音が一段と高くなり、また静まる。
ストーカー、立ちあがると、ベッドの背もたれの上から時計を取る。
ズボンを穿くと、忍ぴ足で部屋を出て、ドアを両側から閉じる。閉めき
っていない両開きのドアの隙間から、妻がベットから起きあがるのが見え
る。
●台所
ストーカー、ガス湯沸し器に点火すると、顔を洗い始める。壁の電燈
がぱっと閃めいて、またすぐに消える。
●ストーカーの部屋の入口
部屋のドアの前で消毒器を手にした妻が、電燈のスイッチから手を離
して――、
妻(気持を抑えきれないように)「時計を返して。また行っちゃうの?
約束したはずよ。信じてたのに。家族はどうなるの? 子供のことを考
えて。あの子はあなたになつく暇もないわ。」
●台所
ストーカーは顔を洗っている。
妻の声「私たちに苦労ばっかりさせて。」
ストーカー(顔を上げながら)「子供 が目をさます。」
ストーカー、窓辺に歩み寄り、皿を手にして、立ったまま何かを食べ
始める。
妻の声「帰るまで特ってろと言うの?嘘つき。」
妻はストーカーの傍まで来ると、必死になって訴える。
妻「仕事につくと言ったくせに。」
ストーカー「すぐに帰るさ。」
妻「今度捕まったら、当分出られないわよ。最低10年よ。その頃にはゾ
ーンも何もなくなってるわ。(泣きながら)私だって多分、生きちゃい
ないわよ。」
ストーカー(妻に背を向けて)「俺にはどこだって牢獄だ。」
振り返り、出て行こうとするストーカー。
妻(ストーカーに取りすがって)「離さない。」
●ストーカーの部屋の入口
ストーカー、部屋から上衣を取って、出て行く。
●台所
妻(立ちつくしたまま、涙ながらに)「いいわ、ゾーンに行って死になさい。
あんたと結婚したのが間違いよ。だから呪われた子供が生れて――。私
には何の希望もないわ。」
妻、慟哭しながら傍の椅子に崩れ折れ、そのまま床に倒れる。
19
20
妻は床にあお向けに倒れたまま、激しく身を震わせて煩悶する。汽笛
が聞こえ、列車の轟音が響いてくる。
●ストーカーの家の側にある線路
ストーカーが、話声が聞こえる方角に向って、列車が何本も止まって
いる線路を横切って歩いていく。
作家の声「この世界は退屈でやりきれん。幽霊か宇宙人でも現れればい
いが、その望みもない。世界は鈍重な法則によって動くだけなんだ。法
則は犯されることがない。」
●線路脇の道路
自動車の傍で作家と美しい婦人が立ち話をしている。婦人は時々、手
にしたコップを玩んでいる。
作家「UFOなんて希望の幻影にすぎん。」
婦人「バミューダの三角形は?」
作家(婦人のまわりを肩を寄せあうように、ゆっくりと回りながら)「あん
なものは謎でも何でもない。ただの三角形ABCにすぎんよ。とにかく、
現代世界は憂うつだ。中世は、まだよかった。家々には霊が住み、教会
には神がいた。昔は若者が多かったが、今は年寄りばかり。退屈でたま
らんよ。」
婦人(ストーカーの表情を覗うように)「"ゾーンは、超文明の延長だ"
ってあなたが言ったわ。」
作家「あまり自信ないね。多分、あそこも法則の領域だ。神も霊もいや
しないだろう。もし神がいるなら、三角形の法則と……」
車を背にして凭れかかり、作家の話を聞いていた婦人が、ふと冷笑する。
作家「どうも頭が混乱してきた。(ストーカーに気づいて)迎えがきたよ
うだから、失札するよ。(婦人を手で指し示しながら)このご婦人もゾー
ンに興味を持ってるんだ。名前は…(婦人の方を振り返り)失札、何だ
ったっけ?」
ストーカーが二人のもとへ歩み寄ってくる。
婦人(興味深げに)「あなたがストーカー?」
ストーカー(車をはさんで反対側に立ち、婦人に向ってそっけなく)「行
きなさい。」
婦人(作家を一瞥すると、自動車に乗りこみ、窓からはきすてるように
つぶやく)「バカ!」
作家は呆然と車を見送り、吸いかけの煙草を投げ棄て、ストーカーの
方へ歩み寄る。
ストーカー「酔ってますね。」
作家「ほんの一杯、やっただけだよ。一杯くらいは女子供だってひっかけ
る。酒びたりが人口の半分はいるんだ。」
作家、酒壜からラッパ飲みする。
●バーの入口
ガラス張りのドアを透かして、まずストーカー、つづいて片手に白い
袋を手にした作家の姿が見え、中へ入ってくる。作家はドアの手前で足
を滑らせ蹟く。
●パー
教授はテーブルに寄っかかりながら、コーヒーを飲んでいる。カウン
ターの前ではストーカーとマスターが挨拶を交わしている。教授はスト
ーカーに気がついて、足もとのリュックを一度、手にする。
ストーカー(教授に)「飲んでて下さい。まだ早いですから。」
作家、テープルに近づいてきて、酒壜を置く。
作家「出発前にもう一杯、いかが?」
作家はカウンターにコップを取りに行くが、ストーカーがそれを遮ぎ
り、二人はテープルに戻る。
ストーカー(テーブルの酒壜を作家に手渡し)「ダメです」
作家「なるほど、"アルコールは人民の敵"ね。じゃ、ピールでも。」
作家は一人、カウンターでビールを飲み始める。
教授(傍のストーカーに)「彼も一緒かね?」
ストーカー「ええ、じきに酔いもさめるでしょう。」
作家(カウンターの前で、テーブルの方を見て)「あなたが教授ですか?」
教授(コーヒーを飲みながら)「そうです。」
作家「では自己紹介させていただきます。私は……」
ストーカー(言葉を挟んで)「"作家"でいいですよ。」
作家は、ビールのコップを二つ、テーブルに運んで来て、一つをスト
ーカーの前に置く。二人はテーブルを囲み、暫く話を交わす。
教授「それじや、私は?」
ストーカー「あなたは"教授"。」
作家「なるほど、作家か。まあ、作家に違いない。」
教授「何をお書きです?」
作家「読者について。」
教授「それは面白いですな。」
作家「書くことに意味なんかありませんよ。あなたのご専攻は化学です
か?」
教授「物理学です。」
作家「法則ずくめで退屈でしょうな。あちこちと真理を探求なさるのでし
ょうが――。物質をほじくれば原子核が出てくるし、そうかと思えば、
三角形ABCは他の三角形ABCと等しいとかね。私は違うんです。私
が真理らしいものを堀り出してみると、それが変化を始めて、見るに耐
えない醜悪なものになってしまう。」
作家は一息入れ、ビールを飲む。傍で、ストーカーはせきこんでいる。
作家「あなた方はまだいい。博物館に古い壷がある。昔は残飯でも入れ
たんでしょうが、今じゃ、その簡潔な絵柄と形で、絶品ともてはやされ
ている。ある日、それが真赤なニセ物と判明します。誰かが考古学者を
かついだと言うことですね。感嘆の声は一瞬にして消えてしまいますね」
教授「よく頭が回りますな。」
作家「いや、めったに考えたりしません。健康に悪いから。」
教授「あんまり気を使いすぎても書けんでしょう。」
作家「100年後には私の本など読まれますまい。それなら書く意味もな
い。ところで教授、あなたはなぜ、ゾーンに関心をお持ちなのです?」
教授(ちょっと身を乗り出すようにして)「物理学者だからですよ。あな
たこそ、女性にもてる流行作家が、なぜ、ゾーンなどに?」
作家「失ったインスピレーションを取戻すためです。」
教授「すると取材ですか?」
作家「まあ、そんなとこですな。」
ストーカー(汽笛の音に気づき、腕時計に眼をやると)「来ましたよ。最
終列車です。ジープの屋根ははずしてありますね。」
教授(硬貨を机に置きながら)「はずしておいた。」
教授と作家、立ち去る。
ストーカー(マスターを呼んで)「おい! もし帰らなかったら、家内の
ところへ寄ってやってくれ。」
●バーの入口
作家は、教授が立っている戸口ヘ歩み寄り、先に立ってドアを開け、
外に出る。
作家(敷居を跨ぐや、また後に引き返して)「タバコ、買うのを忘れた。」
教授(手で作家を差し止め)「戻らないで。」
作家「どうして?」
教授「不吉です。」
作家(なかへ入るのをあきらめて、)
「あきれたな。くだらん迷信を信じて。(吸いかけの煙草の火を消しなが
ら) 取っておこう。」
作家と教授、連れだって出て行く。作家(歩きながら教授に)「本当に学
者かね?」
ストーカーも外に出る。
●路地
建物の傍に屋根をはずした"レンドローバー"が置いてある。ぬかる
みの道を作家と教授が、跡を追ってストーカーが急ぎ足でジープに近づ
く。三人がシープに乗ると、ストーカーが運転して、夜が明けやらぬ、
人気のない、廃境のような路地を走りだす。
●ぬかるみの路地
路地を走ってきたジープは角を出ると、前方に警備兵のモーターバイ
クの気配を感じて急停車する。ストーカーは運転席を飛び出し、地面に
伏せる。教授と作家も座席で身を低くする。
ストーカー(地に伏したまま)「伏せて! 静かに!」
●路地の角
モーターバイクの警備兵が姿を現わすが、路地裏に止まっているジー
プに気づかず、立ち去る。ストーカー、再ぴハンドルを握り、出発する。
●線路沿いの倉庫
ジープは倉庫の開け放たれた戸の前に止まり、作家がジープを下り、
急ぎ倉庫を抜けて、反対側の道の様子を覗いに行く。
ストーカー「誰もいませんか?早く調べて下さい。」
作家(シープの方に戻りながら)「誰もおらん。」
ストーカー(発車させながら)「そっちへ回って。」
シープが去ると、傍の線路をディーゼル機関車が通過する。
倉庫の反対側に回って、作家を乗せると、ジープは塵介が散らばった
通りを抜け、裏通りに出るが、また、モーターバイクを見つける。
ストーカー(慌てて革をバックさせ)「まずい!」
警備兵が現われ、モーターバイクに乗って去る。
●路地
ストーカー、建物の窓枠ごしに、警備兵が去るのを認めると、ジープ
に引き返し、急ぎ発車する。
●鉄道ゲート
広く開かれた門。ディーゼル機関車が通過した直後、横道から"レン
ドローバー"が現われ、機関車の後に隠れてゲートを通る。
怪訝な表情の鉄道員がジープを眼で追いながら、金網の間を開じて、
立ち去る。
●路地
モーターバイクの警備兵が走り過ぎる。
●地下室
廃墟と化した建物の地下室。三人が乗ったジープが、中へ突っこむよ
うにして止まる。
ストーカー(下車しながら)「ここで待ってて下さい。」
ストーカー、地下室の奥の破れた窓から外を見あげる。
●鉄道ゲート
線路を鉄道員が急いで走り去る。
●地下室
ジープに乗ったままの教授と作家。ストーカーの声「ガソリン缶は?」
教授「持って来た。」
教授、下車する。
作家(組み合せた両手を膝に載せ、バーで交わした話を続けて)「さっき、
私が言ったことは全部でたらめですよ。インスピレーションなんか関係
ない。何のために行くのか……。私にも分りません。自分が何を望んで
いるのか、何を望んでいないのかが明確でないんです。何か考えついて
も、その名を口に出すと、すぐ、氷のように溶けて消えてしまう。私は
菜食主義者であるけれども、肉のうまさは忘れられない。一体、私は何
を欲しているのか?」
教授(地下室の窓の方に歩きながら)「世界制覇でしょ。」
ストーカー(振り返って)「静かに!」
教授(窓の外を見ながら)「機関革がゾーンに入る。」
ストーカー「監視所までですよ。その先は恐がって、誰も行きません。」
●監視所
警備員が一人、線路を走り去る。遮断機が上がる。投光器が明るくな
り、ディーゼル列車が進入してきて、停車する。両側から警備員たちが集
って来て、機関車や無蓋貨革を取り囲んでいる。
警備員の一人「配置につけ。」
●地下室
外の様子を見ていたストーカー、急ぎジープに引き返し、数授も慌て
て跡を追い、ジープに乗る。
ストーカー(教授を急かし)「早く。」
ジープは監視所に向って発革する。
●監視所
監視所を通過するディーゼル列車。その陰に隠れるようにして、"レンド
ローバー"が走って行く。ジープに気づいた警備兵の銃が火を噴き、サ
イレンが鳴って騒然となる。
射撃を受けた無蓋貨革は、積荷の陶器の碍子が次々と砕け散る。
なお射撃は止まず、碍子が砕け落ちて、電線がぶらぶらしている。
●廃墟の建物
二人が乗車したジープは、警備兵の射撃を除けながら、もはや廃墟と
なった建物のなかを早いスピードで逃走する。
●石油貯臓所
ジープは荒れはてた石油貯臓所の前で停車する。
ストーカー(作家に)「見てきて下さい。軌道車が線路にあるかどうか。」
作家「軌道車?」
作家は言われるままにジープを下り、草の茂みを掻き分けて、軌道車
の方へ行く。
だが、射撃の音にひるみ、草叢に身を伏す作家。
リュックを手にした教授、周囲を警戒しながら、草叢に忍び寄って来
る。
教授(作家に)「私が行きます。」
教授はあちこちに水溜りのある、荒れすさんだ廃墟を、足元を気づか
いながら進む。
水溜りに警備兵の射ちこんだ弾が落ち、波紋が浮かぶ。
軌道車にまでたどりつくと、教授 は手を振って二人に合図する。"レン
ドローバー"が軌道車の近くまで来て止まり、ストーカーと作家が下
車する。
ストーカー「ガソリンを。」
ストーカーと、片手に袋、片手にガソリン缶を持った作家が軌道車に
走り寄って来る。
ストーカーがまず、軌動車に乗る。
作家「荷物は要らんでしょう。」
教授「散歩じゃありませんよ。」
ストーカー「もし、弾に当ったら、騒がずに引き返すんですよ。見つかれ
ば本当に殺されてしまいますから。」
ストーカーが軌道車のエンジンをかけ、教授と作家も乗る。
●軌道車
塵捨て場や、壊れた建物がえんえんと並ぶ荒涼たる境界地帯を進んで
行く軌道車。
監視所の方を見つめる作家の横顔のクローズ・アップ。
作家「追ってこないか?」
ストーカーの声「警備兵だって恐がっていますから。」
作家「誰を?」
作家の顔にうっすらと涙の跡が見える。
周囲に気を取られている風情の教授の顔、つづいて、前方に注意を集
中しているストーカーの顔のクローズ・アップ。
やがて軌動車は湖の傍を過ぎる。
作家がまどろんでいる横顔のクローズ・アップ。周囲は森閑として、
軌道車の規則正しい音だけがこだましている。
緊張した面持ちのストーカーのクローズ・アップ。
再び、まどろんでいる作家の顔のクローズ・アップ。目を覚ますと、
今度はゾーンの方向に目をやる。
●ゾーン(カラー画面となる)・堤緑の本立が鮮やかなゾーンヘと延
ぴている軌動車の線路。木立ごしに川の流れが見え、そこここには電柱
が倒れかかっている。
二人は一瞬、息づまるような思いで緑深い光景に眺め入っているが、
各々、思い思いにゾーンに下り立つ。
ストーカー「さあ、着きました。この静けさ。ここが一番ですよ。いま、
ご案内します。きれいな所で、人ひとりいません。」
作家「私らがいる。」
ストーカー「三人では何も変らんでしょう。」
作家「変えられるさ。」
ストーカー「おかしいな。花の香りがしない。あなた方にはどうですか?」
作家「沼地の匂いがする。」
ストーカー「向うに川があるんです。ここには花壇もありましたが、ジカ
プラスが踏みにじって。でも花の香りは何年も残ってたんですがね。」 21
22
教授「なぜ踏みにじった?」
ストーカー、堤に腰を下ろし、白い布をいじっている。教授がストー
カーの方へ歩み寄る。
ストーカー「分りません。理由は教えてくれませんでした。"いずれ分る"
と言って。ゾーンを憎んでいたようです。」
作家「そのジカプラスとは何者だね?」
ストーカー「"ヤマアラシ"という仇名で、ゾーンをよく知っていました。
私も彼から、いろいろ教わったんです。当時は皆に"先生"と呼ばれて
いました。その後、彼に変ったことが起りましてね。(立ちあがりながら)
罰を受けたようです。(教授に自分のバックと白い布を渡し)ナットをリ
ボンに結びつけて下さい。私はちょっと歩いて来ます。必要なもんで。
ここから動いちゃ、ダメですよ。」
ストーカー、堤の斜面を下りて木立のなかに姿を消す。
作家「どこへ行くんですか?」
教授「一人になりたいのさ。」
作家「私らだけ残して行くことはなかろうに。」
教授「あの男は特別ですよ。」
作家「どうして?」
教授「ゾーンと心が通い合う人間ですから。」
作家(教授の傍に近づき)「それにしては。蛇使いみたいな男を想像して
たんですがね。」
教授は枕木に腰を下ろし、ナットに白い布を結びつける。
教授「暗い過去を持つ男です。何度も刑務所に入って痛めつけられて。
最近、生れた娘も気の毒にね、足がないらしい。」
作家「"ヤマアラシ"とか言う男は罰を受けたとか……。何のことかごぞ
んじですか?」
教授「あの時、彼はゾーンから帰って来ると、金持になったのです。大
金持にね。」
作家「それが罰ですか?」
教授「一週間後、首を吊りました。」
作家「どうして?」
教授(物音に気づき)「しっ!」
作家(坐ろうとして及び腰で)「何ですか?」
教授と作家、立ちあがって周囲を見回わす。
●ゾーン・発電所跡
草叢にはくもの巣がからみついた機械の部品が転がり、その向うには
見捨てられた発電所の建物がある。
●ゾーン・草叢
ストーカー、草叢に膝まずいて、嘆息をもらす。やがて草蔭に顔をう
ずめ、大地にうつ伏せになる。そして静かにあおむけになり、額に手を
当てて何か瞑想している。
●ゾーン・堤
再び、枕木に腰を下ろし、ナット に白い布を結びつける教授。作家は
教授の傍に立ち、ゾーンを眺めている。
教授「20年ほど前、ここに隕石が落ちたらしく、村が焼けました。隕石
を捜してもなかったんですよ。」
作家(教授を振り返りながら)「どう言うことです?」
教授「それから人々が消え、連絡が絶えました。隕石と言われたのが、
どうも違うらしいと言うことになって。手始めに、鉄条網が張られたん
す。危険地域というわけでね。すると変なもので、反対の噂が立ちまし
た。ゾーンに宝が埋っているような話にね。それ以来警戒厳重ですよ。
バカ者が入るといかんと言うので。」
作家「隕石でないとすると何んですか?」
教授「まだ分ってません。」
教授、相変らず白い布でナットを締めつけている。
作家の声「あなたのお考えは?」
教授「どうにでも考えられますからな。同僚の考えでは人類へのメッセ
ージ、または贈物だそうです。」
教授は立ちあがり、作家は腰を下ろして考え込む。
作家「贈物ならありがたいが、何のためです?」
ストーカーの声「幸福のためでしょう。」
ストーカー、倒れかかった電柱や足もとに転がる何かの残骸を避けな
がら、斜面を上ってくる。
ストーカー「なぜか花の香りがありません。お待たせいたしました。し
お時を測っていたんです。」
ストーカーが作家と教授のもとヘ寄ってくるや、犬の遠吠えに似た声
が聞こえる。
作家(立ちあがりながら)「何の声だ?」
教授「生きてたんじゃないか? ここに来たハイカーたちだよ。ゾーン
が出現した当時に。」
ストーカー「誰も残っていません。さあ、時間だ。」
●野原を横切る軌道車の線路
タンク・ローリーが一台、放置されたままである。
ストーカーが、乗り棄てた軌道車にエンシンをかけ、押し返す。無人
の軌道車は静かに線路を引き返し、霧のなかに消える。
●ゾーン・堤
引き返して行く軌道車を見送る三人。
作家(枕木に腰を下ろし)「どうやって帰る?」
ストーカー「帰れないきまりです。」
ストーカー、バックを肩にかけ、教授はリュックを背負う。
作家「何だって?」
ストーカー「私に任せて下さい。道筋は私が決めます。それると危険で
すよ。(眼で電性を指し示しながら)まず、端の電桂を目標に、教授から
行って下さい。(作家の方を振り向き)どうぞ、彼の跡について。」
教授と作家、斜面を下りて行く。
●ゾーン・草深い野原
朽ち果て、錆びついたバスの残骸が草に埋もれている。バスには人影
と思われる痕跡がある。ストーカーと教授の姿がバスの窓ごしに見え、
続いて作家も現われる。
作家(バスに見入って)「すさまじい。…一体、乗っていた人たちはどうな
ったんだ?」
川を挟んで、バスの残骸とはちょうど反対側に、戦車が幾台も、やは
り苔むしたままである。ストーカーと教授は対岸の戦車に眼を奪われて
いる。
ストーカー(振り返り)「知りません。彼らがバスに乗る所は見ましたがね。
私が子供の時です?皆、威勢よくゾ―ンヘ向って行きました。さあ、教
授。(作家を促し)あなたも。」
●ゾーン・発電所跡
森に囲まれた広い野面のロング・ショット。ストーカーがナットを投
げ、それを作家が拾いに行く。教授も作家に歩み寄り、二人のもとヘス
トーカーが走り寄ってくる。
二人は揃って発電所の建物に注意を集中する。
ストーカー「"部屋"はあの建物の中です。行きましよう。」
作家「あそこへ行くんなら簡単なことだ。」
ストーカー「そう見えるだけです。大変ですよ。」
ストーカー、横を振り向いてナットを投げる。
草叢の建物の土台石の側に落ちるナット。近寄って拾いあげる教授。
作家も口笛を吹きながら土台石の方へ駆け寄ると、腰を屈めて、草をむ
しり取ろうとする。
ストーカーの声「やめなさい!」
ストーカー、近くの土台石の上に鉄棒があるのに気づき、思わず手に
握る。
ストーカー「草を抜かないで」
ストーカーは教授の傍にいた作家めがけて、興奮のあまり、鉄棒を投
げつける。
ストーカー「やめろ!」
作家(体を屈め、ストーカーを睨みつけながら)「何するんだ!危ない
じゃないか!」
ストーカー(急ぎ、作家に近寄り)「ゾーンは神聖な場所です。罰が当
りますよ。」
作家「鉄棒なんか投げるな。口で言えば分る。」
ストーカー「言いましたよ。」
教授「あそこか?」
三人が一斉に建物の方を見ている。
ストーカー「ええ、しかし、一直線には行けません。回り道をしないと。」
作家「何のためかね?」
ストーカー「まっすぐが一番近道とは限りません。危険が大きくて。」
作家「生死にかかわるのか?」
教授「そうですよ。」
作家(土台石に足を載せ、靴のひもを直しながら)「回り道は?」
ストーカー「危険が少ないんです。」
作家「そんなことは信じられない。」
教授「いいかね。」
作家「わざわざ遠回りするとはな。一体、何が危険だというんだ?」
ストーカー「軽卒なことはしないで下さいよ。」
作家(ポケットから酒壜を取り出しながら)「リボンつきのナットに何が
分る? まっすぐ行くぞ。」
教授「まあ、落着きなさい。」
ストーカー(酒壜を作家から取りあげ)「それを。」
教授と作家、ストーカーが壜の中味を明けるのを見ている。
ストーカー「風が出てきた。草が揺れてるでしょう。」
ストーカー、空になった酒堆を土台石に置く。
思い詰めたような作家の顔のクローズ・アップ。
作家「そうか、俺は本当に怒ったぞ。」
教授の声「どうします?」
立ち尽している作家を促すように、教授が先に立って歩き出す。ストー
カーが跡を追う。
ストーカー「待ちなさい。」
作家「さわるな。」
ストーカー「それなら教授に証人になって頂きます。私が止めても、ま
っすぐ行きたいんですね?」
作家「そうだ、文句あるか?」
ストーカー「ありません。どうぞ。」
作家が一人、発電所の方へ歩き出
す。 ストーカー「幸運を祈ります。もし、何かに気づいたり、何か特別なもの
を感じたりしたら、すぐ戻っていらっしゃい。」
作家(振り返りながら)「鉄棒なんか投げるなよ。」
野原をおそるおそる建物へと近寄って行く作家、一瞬、後を振り返っ
てストーカーを見る。
大木の側まで来て立ち止まる作家。草叢を風がそよぎ、建物の前は蕭然
とした寡囲気に包まれている。
人の声「止まれ! 動くな。」
ストーカーと教授、じっとして作家の行く手を注視している。
ストーカー「何だね?」
教授「なぜ止めたんです?」
ストーカー(傍の土台石に上って、教授を見下ろしながら)「君じゃなか
ったのか?」
教授「何です?」
いったん、建物の直前にまで達した作家、ストーカーと教授のもとヘ
息せき切りながら、取って返して来て、傍の土台石に腰を下ろす。
作家「なぜ、止めた?」
ストーカー「私じゃありません。」
作家「じゃ誰だ? (教授に)あんたか? 誰だろう?」
教授「うまいね。進むのは恐ろしいし、戻るのは気がひける。そこで変
な声を出して行かずにすませたな。」
作家「何だと?」
ストーカー「やめなさい。」
作家(ストーカーに恨めしげに)「なぜ、酒を捨てた?」
ストーカー(ヒステリックに体を震わせながら)「黙んなさい。」
ストーカーの不安げな、だが壮重な面持ちのクローズ・アップ
ストーカー(時折、二人の方を振り返りながら)「ゾーンは…… いわば
複雑な罠ですよ。その罠にかかれば命がない。無人の時は知りませんが、
人が入って来ると、ゾーンは活動を始めます。古い罠が消えて、新しい
罠が生れ、道だった所が通れなくなる。何でもなく見えた原っばが混乱
の渦に変る。本当です。ゾーンは気まぐれのようですが、実は私たちの
精神状態の反映です。私は、ここで苦しむ人たちを何度も見ました。目
的地の前で死んだ人も。でも、すべて自分次第なのです。」
作家の声「善人を通して、悪人を殺すのか?」
ストーカー「よく分りませんが、ゾーンは絶望した人間を通すように思
えます。善悪に関係なく、不幸な者を……。不幸な者でも無茶をすると
ダメです。あなたは警告を受けたのです。」
教授、リュックを肩から下ろし、土台石に腰かける。
教授「私は、ここで待とう。行ってきなさい。幸福を求めて。」
ストーカーの声「いけません。」
教授「食べものも水も持っている。」
ストーカーの声「動かないと死にますよ。」
教授(ストーカーの方へ振り向き)
「それに?」
ストーカーの声「それに同じ道は戻りません。」
教授「動きたくないな。」
ストーカーの声「では帰りましょう。料金はお返しします。手間賃を少し
差引きますがね。」
作家「どうします?」
作家が後を振り返ると、既に辺りは白い霧がたちこめ、建物の輪郭も
はっきり見えない。
教授は立ちあがり、再びリュックを背負う。
教授「進もう。ナットを投げてくれ。」
ストーカー、二人の近くまで来ると、ナットを投げる。
23
24
■第二部■
●ゾーン・発電所跡
ストーカー、周囲に気を配りながら、川へ下りて行く。
タイトル・第二部
ストーカー
●ゾーン・発電所のダム
建物の入口の枠ごしにストーカーが見える。
ストーカー「そこで何をしてるんです? 行きますよ。」
●ゾーン・ダム
トンネルの出日の薄汚れた石に作家が凭れかかるように腰を下ろし、
直ぐ後に教授も腰かけている。
ストーカーの声「疲れましたか?」
教授、立ちあがりながら、ため息を洩らし、リュックを置いたまま、
そこを離れる。
作家(嘆息まじりに)「やれやれ。あの調子では、また説教を聞かされる
ぞ。」
●ゾーン・井戸
何か落ちる音に続き、銀に被われ
た水面がはね、波紋を描く。
ストーカーの声「希望はかなうもの
だ/信じて欲しい/情熱など頼りに
ならぬ/彼らの言わゆる情熱は心の
活力でない/塊と外界の軋轢なのだ
/大切なのは自分を信じること/幼
な子のように無力であること/なぜ
なら無力こそ偉大であって、力は空
しい……。」
●ゾーン・ダム
ストーカー、窓枠を越えて外に出ると、外壁に這いつくばるようにし
て管(パイプ)までたどりつく。
ストーカー(モノローグ)「人が生れ
る時は軟弱で/死ぬ時に枯れ固まる
/木も成長する時に軟らかく/乾き
固くなるのは死ぬ時なのだ/硬直と
力は死と隣りあっている/弾力と軟
弱こそ若さの象徴だ/凝結したもの
に希望はない。」
ストーカー、管の入口を伝って建物の内部に入る。教授と作家が近づい
て来て、薄闇のなかで話を交わす。
ストーカー「こっちです。もうじき"乾燥"トンネルに入ります。あとは楽
ですよ。」
作家「そう願いたいな。」
教授「先へ進むのか?」
ストーカー「ええ、もちろん。」
教授「待ってくれ。そのつもりじゃなかった。(建物の外の方を振り返り
ながら)リュックを置いてきてしまったんだよ。」
作家は一人、腰を下ろす。
ストーカー「リュック?」
教授「そうとは知らなかったからな。
置いてきてしまったんだ。」 ストーカー「残念でした。」
教授(引き返そうとして)「取りに戻らなくては。」
ストーカー「不可能です!」
教授「ないと困る。」
ストーカー「ここでは同じ道を戻ってはならないんです。」
作家「リュックが何ですか。」
ストーカー「望みのかなう部屋へ向ってるんですよ。」
作家「命より大切なリュックらしいな。」
教授「まだ遠いのかね。」
ストーカーと作家は管の入口まで出て来る。
ストーカー「直線距離だと200メートルですが、 回り道しますから。」
作家「経験主義はおやめなさい。奇蹟が逃げて行きますよ。聖ペテロで
さえ溺れかけた。」
ストーカー、ナットを投げ、落ちる先に注意を払っている。
ストーカー「行きなさい。」
作家「どっちかな?」
ストーカー「この梯子を伝って。(教授を振り向き)教授も早く。」
作家に続き、ストーカーも壁に掛かった鉄梯子を伝って下りる。
●ゾーン・ダムの川
流れ落ちる水しぶきで霞んで見える川面。
●ゾーン・ダム
水しぶきに霞む川面に下り立ち、あたりに眼を配っているストーカー、
つづいて、傍で周囲の光景を怪訪そうに眺めている作家の顔のクローズ
・アップ。
ニ人はダムから落ちる、激しい水の流れが渦まく、トンネルの出口を
見ながら、"乾燥"トンネルの入口にたどりつく。
ストーカー「ここが"乾燥"トンネル。」
作家「悪い冗談だ。」
ストーカー「まあね。いつもは泳いで渡るんだが。」
二人は激しい水流のなかを歩み始める。
作家(後を振り向き、水の音に掻き消されないように大きな声で)「教授
はどこだ?」
ストーカー(一層大声で)「えっ?」
作家「いないぞ。」
ストーカー(大声で呼ぶ)「教授!教授!(作家に向って)一緒じゃなか
ったんですか?」
作家「どこかではぐれたんだな。」
ストーカー「リュックを取りに戻ったんでしょう。もう、ダメです。」
作家「待ってみよう。」
二人はさらにトンネルに深く入って行く。
ストーカー「ここは一刻一刻変化するんです。待てません。」
●ゾーン・ダムの底 流れる水の傍であかあかと燃える
石炭。
作家の声「こんな所にどうして火が……」
ストーカーの声「分るでしょう?」
作家の声(驚きで声を詰まらせながら)「分るって?」
ストーカーの声「ゾーンだからですよ。さあ急いで下さい。」
水面を透かして、タイル張りのダムの底や、底に散らばった注射器、
古びたカレンダーなどが見える。流れ落ちる水音がなお激しく聞こえる。
●ゾーン・ダムのトンネル
作家とストーカーが"乾燥"トンネルを脱け出るや、そこに教授がいる。
作家「いた!」
教授は出口の崩れかけた石に腰かけ、コーヒーを飲んでいる。足もと
では焚火が燃えている。ストーカーが訝しげに教授の横にしゃがみこむ。
教授「わざわざ、お迎えとはどうも。」
ストーカー「どうしてここに?」
周囲は霧が漂い、作家は焚火に両手をかざして暖めている。
教授「やっとたどりついた。這うようにして。」
ストーカー「私らを追いこすとは…」
教授「追いこす?リュックを取りに戻っただけだよ。」
作家がふと、トンネルの出口に下がっているナットに気づいて――
作家「ナットがある。」
ストーカー(驚いて立ちあがり)「何と云うことだ。これは罠ですぞ。ヤ
マアラシが残したナットです。なぜ、私らがここに出られたのか?(ため
息まじりに)恐ろしい。今は一歩も動けません。そうですよ。(思い立っ
たように歩き始めて)そうだ、休みましょう。」
教授が食物や飲物を片づけて、リュックにしまい、焚火に水をかける。
作家は休む場所を捜しに行く。
ストーカーの声「念の為、ナットから離れて下さい。もう教授は助かる
まいと思ってましたよ。(せきこみながら)どんな人かはここで分るんで
す。分った時には遅いこともありますがね。」
作家の声「まあ、よかった。よっぽど大事なリュックらしいから。」
教授(リュックを取りあげ、歩き出しながら)「イヤミを言いなさんな。
何も分らんくせに。」
作家の声「もったいぶりなさんな。」
教授が立ち去ったあと、水をかけていったん消えた焚火が再び、小さ
く燃えあがる。
●ゾーン・水路
作家は水溜りにある小さな島に身を横たえ、肘まくらで体を休める。
作家「どうせ探険費も出るまいから。気圧計なんかを詰めこんできたんだ。
……ゾーンに忍びこんで調べるつもりでしよう。」
●ゾーン・ダムのゆるやかな壁
壁に凭れるように横になって休息している教授。ちよっと体をもたげ
て辺りを見回し、また、横になる。
作家の声「初めてゾーンを踏査した。これはビッグ・ニュースだ。テレビ
は騒ぐ。評判は高まる。月桂冠が運ばれてくる。」
●ゾーン・ダム
ストーカー、水の流れが激しい堰の傍の岩にうつ伏せに横になりなが
ら、ちょっとせきこんでいる。
作家の声「われわれの教授は白衣をまとって現れ、厳粛な顔で神託を
お伝えになる。」
●ゾーン・ダムのゆるやかな壁
斜面に横になって体を休めている教授。
作家の声「口あんぐりで聞いていた皆は、やがて、ノーベル賞だと騒ぎ
だす。」
教授(横になったまま)「あきれたもんだ。あんたは三文小説家にすぎん
よ。そんな発想ではね。便所の落書きにも及ばない。」
作家の声「あんたの皮肉も、できが悪いよ。」
●ゾーン・水路
黒い犬が水溜りを走って来る。
作家の声「的はずれだよ。」
教授の声「私がノーベル賞なら、君は何だ?ゾーンで拾ったインスピレ
ーションを人類に贈りたいと言うのか?」
●ゾーン・ダム
ストーカー、腕の上に顔を置き、岩にうつ伏せになったままである。
作家の声「人類だなんて。その中の一人にしか関心ないね……」
●ゾーン・水路
水面を透かして白い布や鏡の破片が見える。
作家の声「自分のことさ。自分に何か価値があるのか屑なのかって。」
手の甲で額を支え、うつ伏せになっているストーカー。
教授の声「屑だと分ったら、どうするのかね?」
作家の声「アインシユタインの亜流は黙っててくれ。あんたと論争なん
かしたくない。おい、そこの大将!」
ストーカー、うつ伏せのまま、顔を巡らす。
●ゾーン・ダム
苔むした石の上にあお向けになっているストーカーの顔のクローズ・
アップ。やがて眼を開ける。
作家の声「ここには大勢、連れて来ただろう。」
ストーカー「大勢じゃありません。」
作家の声「その連中は何をしにここへ来た?何を求めてだ?」
ストーカー「幸福のためでしよう。」
作家の声「幸福と言っても、いろいろあるぞ。」
ストーカー「そこまでは分りません。個人の問題ですから。」
作家の声「君は恵まれてるよ。俺は幸せな人間に会ったことがない。」
ストーカー(作家の方へ頭を巡らして)「私もです。"部屋"に入った人だ
って、瞬間に幸せになりませんし、(再び、あお向けになって)帰った
ら、もう会いませんから。」
作家の声「君自身は入らないのかね?幸せになれるのに。」
ストーカー「今のままでいいです。」
●ゾーン・水路
小さな島に横たわるストーカー。
黒い犬が近づいて来て、擦り寄るように脇に座る。
横たわるストーカーの顔のクローズ・アップ。寝返りを打つ。顔の回
りの水面を透かして、青銅の壜や新間の紙片が見える。
作家は顔の下に手を敷き、横向きに寝たまま、時々まどろみながら話
をしている。
作家「ねえ、教授さん。さっき、インスピレーションの話をしたね。も
し私が、その"部屋"に入って、天才作家となったとしようか。人間が
物を書くのは苦しみ、疑うからだ。自分や周囲に、自分の価値を証明し
ようとするからだよ。自分が天才だと知れ渡ったら、何のため書く?
必要なかろう。私に言わせるなら、そもそも、人間の存在は……」
教授の声「静かにしてくれ。眠りたい。昨晩は一睡もしてないのでね。
そう言う話はもう……」
作家「いずれにせよ、あんたらの科学技術など、溶鉱炉や車輪、その他
もろもろは、より少く働き、より多く食らうための二次的なものだよ。
人類が存在するのは創造するためだ。芸術作品をだよ。それは人間の他の
活動に較べれば無欲に近い。真理の探求なんて無意味だ。錯党だよ。聞
いているのか?教授。」
教授の声「まだ飢えのために死ぬ人間もいるんだぞ。君は地球の人間か?」
●ゾーン・ダム
教授は帽子を被ったまま横になり、眼は閉じている。
作家の声「こんなのが頭脳貴族かい。抽象思考に欠けてるよ。」
教授「さっきから、人生の意義を説いてくれた上に思考法もかね。」
作家の声「説いても無駄さ。教授のくせに無知だよ。」
●ゾーン・川
泡だらけの川。風が泡を吹き散らし、川に点在するあしの茂みが揺れ
ている。
●ゾーン・水路
頭の下に腕をあてがい、あお向けに休んでいるストーカーの顔のクロ
ーズ・アップ。
妻の声「"私が見ていると大地震が起
って、太陽は毛織の荒布のように
黒くなり、月は血のようになり……」
●ゾーン・水路
ストーカー、うつ伏せになって眠っている。
(画面は変ってモノクロとなる)
――ストーカーのあお向けの寝顔のクローズ・アツプ。つづいて、水面
を透かして注射器、硬貨、聖像画、白い布、古いカレンダーの紙片など
さまざまな物が映る。
妻の声「天の星は、いちじくの青い
実が、大風に揺られて振り落される
ように地に落ちた。天は巻物が巻か
れるように消えて行き、すべての山
と島とはその場所から移されてしま
った。(冷笑しながら)地の王たち、
高官、千卒長、富ある者、勇者、奴
隷、自由人らはほら穴や山の岩がげ
に身を隠した。そして山と岩とに向
って言った。御座にいます方の御顔
と小羊の怒りから、かくまってくれ。
御怒りの大いなる日が来たのだ。そ
の前に立つことができようか?」
水面に見えるストーカーの手のクローズ・アップ。
●ゾーン・水路(画面は再びカラーとなる)
コンクリートの広場に座っていた黒い犬、突然、立ちあがる。
眠っているストーカー、夢うつつでため息をつきながら、日を覚まし、
上目づかいにちよつと見て、起きあがる。
ストーカー(つぶやく)「この日、ふたりの弟子が……」
●ゾーン・ダム
眠っている教授に重なるようにして横になっている作家。
ストーカーの声(つぶやくように)「エルサレムから7マイルばかり離
れたエマオと云う村へ行きながら、語りあい、論じあっていると、イエ
ス自身が近づいて来られた。しかし彼らの目がさえぎられて、イエスを
認めることができなかった。」
折り重なるように横たわっていた作家と教授、すっかり目を党まし、
ストーカーに注視している。
ストーカーの声「イエスは彼らに言われた。互いに語りあつているその
話は、何のことなのか?」
●ゾーン・水路
起きあがつて水面を見ていたストーカー、いったん、後を振り返り、
また水面に眼をやる。
ストーカー「お目ざめですか?」
●ゾーン・ダム
苔むした岩と淀んだ流れから、カメラは水面に両岸の森の影を映した
川下へとパン。
ストーカーの声「さっき、あなた方は芸術の無欲性についてお話しでし
たね。たとえば音楽です。現実と最も関係が薄いし、主義主張もなく、
25
26
全く機械的な意味のない音で、連想も呼び起しません。それなのに音楽
は、人の魂に直接ひびくのです。体内の何かが共鳴するのでしょう?
何が単なる音のつながりを喜びに変えて。」
●ゾーン・水路
教授と作家、起きあがって、驚いた表情でストーカーの言葉に耳を傾
けている。
ストーカーの声「何のために私らを感動させるのでしょうか? 誰のた
めでしょう? 何のためでも誰のためでもなく、"無欲"なのですか?
そんなはずはない。すべて必ず、価値を持っているはずです。価値と理
由を。」
●ゾーン・管(パイプ)の廊下
廊下のようにぐるっと巡っている管のなか。ところどころ、外の明り
が天井から洩れている。戸を開ける重いきしみが聞こえる。
作家の声「それは、あそこへ行くと言うことか?」
ストーカーの声「今の私らには、それしかありません。」
●ゾーン・管
ドアが開いた入口に作家と教授、後にストーカーが立ち、管の奥の方
に眼を疑らしている。
作家「気味わるいトンネルだね、教授。先に行きたくはないよ。少くと
も志願はしない。」
作家と教授、後のストーカーを振り返る。
ストーカー「それじゃ、クジで決めましょう。」
作家「教授が志願しなければね。」
ストーカー「マッチを。(教授からマッチを受取る)どうも……」
ストーカー、二人に見られぬように、2本のマッチ棒を挙に握ると、
作家にその手を差し出す。
ストーカー「長いのが先です。どうぞ。」
作家、マッチ棒をストーカーの挙から引き抜く。
ストーカー「長いほうだ……。ついてませんね。」
作家「せめて何か投げてくれ。」
作家、管の奥を不安げに見ている。
ストーカーの声「いいですよ。」
ストーカー、石を拾って、入口から中へ向って投げると、埃まみれの
汚い、部厚いドアをいったん閉め、再びそっと開ける。
ストーカー(作家を促すように)「さあ。」
作家、一度、ストーカーを振り返り、意を決して、薄暗い管の廊下に
入って行く。
作家「行くよ…。行けばよかろう。」
●ゾーン・管の中
入口で作家の後姿に見入っているストーカーと教授。
作家はおそるおそる、ゆっくりと、時に後を振り返りながら、管の中を
進み、瓦礫を踏みしめる足音だけが響く。
作家の姿がカーブを出るや、教授が先に、つづいてストーカーが荒々
しく息づかいながら、早足で跡を追う。
ストーカーの声「早く、教授!」
作家は一度、何かに躓ずいて転ぶが、起きあがって、なお歩み続ける。
教授とストーカーはカーブで立ち止まっては作家の様子を覗い、再び
走るようにして作家の跡を追う。
天井からは水がしたたり落ちている。立ち止まって、跡をつけて来るス
トーカーと教授を振り返って見る作家の不安げな表情のクローズ・アッ
プ。
カーブまで来て、立ち止まってじっと作家を注視するストーカーと教授。
作家は再び、深く息づきながら、ゆっくりと進む。管の中は天井から
煤が下がり、ところどころ明りが洩れている。
天井から落ちる水に濡れながら進んでいた作家、出口近くまで来て、
立ちすくむ。
作家「ここだ。……変なドアがあるぞ」
●ゾーン・管のカーブ
ストーカーと教授が立っている。
足もとを水が流れている。
ストーカー「進んで。ドアを開けて入るんです。」
●ゾーン・管の出口
閉じたドアの前に立ち尽くしている作家。
作家「また、俺が先に入るのか?」
ストーカーの声「そうですよ。急がないとダメです。」
作家はポケットからビストルを取り出し、遊底を動かす。
ストーカーの声「いけません。武器なんか出しては。破滅ですよ。戦車
を見たでしょう。」
●ゾーン・管のカーブ
立ち尽くしている教授とストーカー
ストーカー「早く捨てなさい。」
教授(激しい調子で)「捨てたまえ!」
ストーカー(体を屈めて作家の様子を覗い)「どうせ銃なんか役に立ちま
せん。お願いだから捨ててください。一体、誰を、誰を撃つつもりですか?」
●ゾーン・管の出口
作家がビストルを手にしてドアの前に立っている。
ストーカーの声「時間がない。急いで。」
作家は思い直してビストルを捨てると、ドアを開け、外の階段を下り
始める。
作家「水があるぞ。」
ストーカーの声「手摺りに掴まって。」
作家は階段を下りると胸まで水につかりながら、向う側の出口へ通ず
る階段まで渡り、今度は階段をゆっくりと上り始める。
ストーカーの声「出口で動かずに待ってて下さいよ。」
教授、管の出口まで来て、手すりに掴まりながら階段を下りる。
ストーカーの声「お持ちでないでしょうね。」
教授(階段を下りながら、振り向き)
「えっ?」
ストーカーの声「銃などは。」
教授、リュックを両手で差しあげながら、水の中を渡っている。
教授「アンプルだけ持って来た。」
ストーカーの声「えっ?」
教授「毒薬さ。」
ストーカー(教授につづいて階段の方へ来て)「死ぬために来たんですか
?」
教授「万一の用意だよ。」
足もとの石の上に捨てられてあるビストルを見詰めていたストーカー、
手で慎重にビストルを水の中に落す。
ホールヘ通ずる出口を黙々と上っていく作家。
ストーカーの声「危ない!戻って!」
●ゾーン・ホール
作家はホールの中を数歩進み、後を振り返る。
ストーカーの声「動かないで待つように言ったでしょう。動かないで!」
●ゾーン・ホールの入口
ホールの入口近くに立っている教授とストーカー。眼前には小さい砂
丘が渡紋を描いて連なっている。ストーカーがナットを投げるや、二人
は地面に身を伏せる。
●ゾーン・小山
ゆっくりと弧を描き、砂ぼこりをあげて落ちていくナット。
●ゾーン・ホール
顔を手で拭う作家のクローズ・アップ。
わしが二羽、小山の上を砂ぼこりを舞いあげながら、飛び去る。
砂丘の陰に並んで身を伏していた教授とストーカー、頭をおもむろに
あげ、作家の様子を覗う。
教授「まずい!」
ストーカー「何です?」
教授「君が先頭に行くべきだったんだ。」
●ゾーン・ホールの水溜リ
水溜りに横になっていた作家、やっとのことで起きあがり、井戸の縁
に腰かける。が、深呼吸をして立ちあがり、傍の石を拾って来て、井戸
に投げ入れると、再び、体を屈めるようにして井戸の縁に腰を下ろす。
落ちていく石の音が鈍くこだまする。
作家は喘ぎながら、そしてだんだんと自嘲的に、ひとりごとのように話
す。
27
28
作家「これもまた一つの実験だ。実験とやらを重ねて、事実を見つけ出
すつもりか? 事実なんてものは、ありゃしない。ゾーンだって、そう
だ。すべて誰かの、ばかげた思いつきさ。誰の思いつきか知りたいか?
ばからしい。そんな知識など、何の役にも立たん。誰の良心が知識を求
めて痛む?俺になんぞ良心はない。神経だけだ。どこかの阿呆に罵られ
て傷つき、別の阿呆に褒められて傷つく。奴らは俺の魂も心も食いつく
すんだ。俺の捨てた恥まで食らう。一人一人は教養もあるが、皆、感覚
的に飢えてるんだ。シャーナリストや編集者、批評家、次々と現われる
女たち、皆がまわりで騒ぎ立てる。"原稿をよこせ、よこせ"だ。俺が
作家だなんて。書くことを嫌悪している、この俺が。苦しみだ。病的で
恥ずべき行為だ。痔を押しつぶすような。俺は必要な人間だと思ってい
たが、全くの誤りだった。死ねば二日後には忘れられる存在でしかない。
俺は世界を作り直そうとしたが反対に作り直された。以前は未来が現
在の続きにすぎなかったが、地平線のあたりで混乱して、未来は現在に
合流した。それが分ってるのか?連中は食らうだけで知ろうとしない。」
●ゾーン・ホール
遠くに並んで立っている教授とストーカー、作家の話を聞いている。
ストーカー「運がいいですね。ここまで来られた……。百年は生きられ
ますよ。」
作家(立ちあがりながら)「永遠にではあるまいな。永遠は恐ろしい。」
作家、砂山の間を縫うようにして、ストーカーと教授のもとへ歩み寄っ
て行く。
●ゾーン・電話のある部屋の前
荒んだ建物のなか。小窓の傍に立つストーカー。
ストーカー(作家に向って)「どうやら、あなたは素晴らしい人なんです
ね。あなたは苦難を乗り越えました。あのパイプは恐ろしい場所です。肉
挽き機と呼ばれるほど。何人も殺されました。(大きな窓のあるコンクリ
ートの壁に凭れかかりながら)ヤマアラシの弟もです。やさしい詩人で
した。彼の詩です。 "ひっそりと夏
は去った/暖いと言うだけでは淋し
い/楽しい夢が吐えられるとしても
/ただ、それだけでは淋しい/(壁
を背にして凭れ、朗誦するように)
善も悪も明るく燃え上る/ただ、そ
れだけでは淋しい/生は私をやさし
く包んでくれる/幸せと言うだけで
は淋しい/葉は焼かれず、枝も折ら
れないで/さわやかと言うだけでは
淋" とてもいい詩ではありません
か?」
作家の声「なぜ、そんな詩を聞かせる? くだらん。」
ストーカー(あらためて作家の方へ向き直り)「嬉しいんですよ。皆が無
事にたどりつけるなんて、めったにないことなんです。」
作家(ストーカーの傍へ寄ってきて)「うまく乗せたつもりでいるよ。お
だててもダメだ。知ってるぞ。マッチは二本とも長かった。」
ストーカー「いえ、おわかりになってない……」
作家(ひとり、歩きながら)「分ってるさ。このろくでなしはあんたが気
に入ってるらしい……」
ストーカー(作家のま近に寄り、説得するように)「どうしてそんなこと
を!」
●ゾーン・電話のある部屋の傍
レトルトが幾つも浮いている水面に沿って黒い犬が走っている。
作家の声「気に入らん俺を、肉挽き機に押しこんだってわけさ。貴様に
人の運命を決める権利があるのか?」
●ゾーン・電話のある部屋
窓際に作家とストーカーが立ち、部屋の真ん中の椅子に教授が腰かけ
ている。二人の足もとには電話器がある。
ストーカー「そうじゃありません。」
ストーカー、教授の横にしゃがみこむ。
作家(ストーカーに向って)「どうして長いマッチをつかませた?」
ストーカー「その前にゾーンが、あなたを通したからです。ゾーンがあ
なたを選んだんですよ。(突然、電話のベルが鳴る)本当です。」
作家「だけど、そんなこと……」
電話のベル、鳴りやまない。
ストーカー(話を続けて)「間違うと恐ろしいので、私は人を選びません。
伝えるだけです。」
作家(受話器を取って)「違う。診療所じゃない。(受話器を置き、再びス
トーカーに向かって)うまい言訳もあるもんだな。」
作家と教授、一瞬、電話が通じたのにあらためて驚き、顔を見合わせ
ている。
教授、電話器に手をかけようとする。
ストーカー(声を荒らげて)「いけません!」
教授がダイヤルを回すと、電話が通じる。教授は電話器を手に抱え、
部屋から外に出て、しゃがみこんで通話する。
教授「第九研究室を頼む。」
女の声「ちょっと、お待ち下さい。」
男の声「もしもし…」
教授「私だ。分るか?」
男の声「何だ?」
教授「君らが隠したものを見つけたよ。古い建物の第四貯蔵庫でな。聞
いているか?」
男の声「保安部に通報するぞ。」 教授「ああ、いいとも。勝手に密告
でも何でもするがいい。ただし、もう手遅れだよ。あと数歩の所へ来て
るんだ。聞いてるか?」
男の声「研究所はクピだぞ。」
教授「けっこう。」
男の声「どうなるか分ってるのか?」
教授「勝手にしろ。私は今まで遠慮ばかりしてきた。君にもだ。今はも
う何も恐れてない。」
教授は暫く、受話器を耳にあてたまま、電話器の向こうの声に聞き入
っている。
男の声「大それたことをするな。奥さんのことだろう。私と昔、関係が
あったから、今頃いやがらせする気なんだな。卑劣な行為で気がすむな
ら勝手にしろ。」
教授、受話器を耳から遠ざけて聞いている。
男の声「だが、よく聞け。懲役なんかではすまんぞ。一生、良心がとが
めるからな。便所で首を吊ってる姿を思い浮かべるがいい。」
教授、受話器を置いて電話を切る。
作家の声「何をする気だね?教授。」
教授はその場で、急に雄弁になって、確信ありげにしゃべりだす。
教授「皆が "部屋" を信じはじめたら、どうなる? ここへ殺到するだ
ろう。それは時間の問題だ。(二人がいる部屋に戻りながら)それも千単
位で押しかける。没落した王や宗教裁判官やヒトラーの同類や、それに、
さまざまな慈善家たちも、世界を改良しようとして押しかけるだろう。」
ストーカー「そんな違中は……」
教授は興奮気味に、部屋を歩き回りながら話している。
教授「君だけがストーカーじゃない。それに誰が何の目的で来るか、君ら
には分らんのだ。犯罪が増えているのは君らのせいかもしれん。軍事ク
ーデター、政府内のマフイア、関係ないか?レーザーに超バクテリア、
金庫に隠されている汚らわしいもろもろ、関係ないか?」
作家(窓の外に顔をそむけながら)「いい加減にしてくれ。そんなこと
信じてるのか?」
教授「いい話は信じないが、恐ろしい話だからね。」
作家「ばかばかしい。個々の人間の愛や憎しみはそんなに強くはないよ。
全人類に及ぼすほどはね。せいぜい金や女を欲しがり(窓辺で冠のよう
に輪になった針金を拾い、手で玩びながら)、意地悪な上司をのろうくら
いさ。正義が行われる社会や神の国を求めるなんてのは、もう、個人の
望みじゃなくてイデオロギーだ。無我の愛なんか成立するはずがない。
本能的な欲望ほどはね。」
ストーカー(立ちあがりながら)「他人の不幸をもとにした幸せがありま
すか?」
作家(相変らず窓際で)「あんたは全人類のために、何かしでかそうと思
ってるね。おどろかんよ。人類なんてどうなっても構わんが、あんたは
何もできん。せいぜい、ノーベル賞を貫うくらいさ。どうせ、あんたが
思ってるようには、何一つ行くはずはないんだ。くだらん。望んだもの
と全く違うものが出てくるよ。」
ストーカー「どうして…」
作家が傍の壁のナイフ・スイッチを入れると、明りがパッと閃めく。
作家「電話と…電気か…。(窓辺の何かを手にして)ほう、珍しいものが
ある。どうして、こんな物が。」
ストーカー(二人を促すように)「行きましょう。暗くなる前に "部屋"
へ入らないと」
教授がまづ、先に立って部屋を出る。ストーカーもつづいて部屋の戸
口まで出てくる。
作家(窓辺を離れて歩き出す)「そうだったか。詩の朗読やら、遠回りや
ら、すべて許しを乞う形式だったんだな。分るよ。(部屋の外に出ると、
手に持っていた鋼のいばらの冠を被って)同情はできるがね。いい気に
なるな。俺は許さんぞ。」
ストーカー(戸口に凭れて)「止めなさい。」
●ゾーン・電話のある部屋の前
下の方を見ている教授の顔のクローズ・アップ。犬が鼻を鳴らす音が
問こえる。
●ゾーン・電話のある部屋の傍窓の近くの床に黒い犬が横たわっ
て、鼻を鳴らしている。
窓の揺れ動く鎧扉を通して光が洩れると、抱き合ったままの二体の骸
が挨にまみれて片隅に放置されているのが見える。
ストーカーの声「教授、こちらです。」
●ゾーン・電話のある部屋の前
窓の下にある骸を見ていた教授、ストーカーと作家が立っている所ま
で歩み寄る。
ストーカーは "部屋" の前まで来ると、両膝をついて、崩れるように
坐りこむ。その様子を見ていた教授と作家も静かに"部屋"の方へ近づく。
ストーカー「ちょっと待って下さい」
作家「別に急いじゃおらん。」
ストーカー「お怒りでしょうが、言わせて下さい。」
●ゾーン・"部屋"の前
"部屋" との境界には何の造作もなく、なかは水びたしである。
ストーカー、立ちあがると、"部屋"を熟視しながら、緊張した面持で-
ストーカー「今、ここが入口です…。最も重大な瞬問ですよ。胸に秘めた
夢が、この部屋に入れば叶えられるのです。最も切実な望みだけです。
(後を振り向き、二人の方へ歩み寄って)言う必要はありません。ただ、
精神を集中して、すべてを思いだして下さい。人は過去を思う時、より
善良になります。("部屋"の前へ立ち戻り、額に汗をにじませながら、
深刻に)いいですね? 逃わず、信じることです。さあ、どうぞ。どな
たから?(作家に)あなた?」
作家の無表情な顔、クローズ・アップ。
作家(きっばりと)「いや、俺はご免だ。」
作家、壁際へ歩いて行く。
ストーカーの声「ご心配なく、すぐに終りますから。」
作家(コンクリートの壁に凭れ)「すぐだと? そうは思えん。それに過
去を回想したって、善良にはなるまい。(壁を離れ、足もとの何かを拾う
が投げ捨てながら)こんなことをして恥ずかしいと思わんか?卑屈にふ
るまったり、鼻水たらして祈ったり。」
作家もストーカーと教授の方へ近づき、三人は揃って、"部屋"の前に
いる。
ストーカー「そんなこと、自意識過剰ですよ。心の準備ができてないん
でしょう。分ります。(教授に)あなたが先に。」
教授(1、2歩、前へ進み出て)
「よし。」
教授は一度、後へ退り、リュックから筒状の爆弾を取り出して持って
来る。
作家「出たぞ。われらが教授の大発明。インスタント精神分折メーター
だな。」
教授「これは爆弾だ。」
作家「何だって? ご冗談を。」
教授「爆弾だよ。20キロトンの…」
作家「なぜ?」
教授、しゃがみこんで爆弾の安全装置をはずす。
爆弾のスイッチを入れている教授の手のクローズ・アップ。
教授、坐りこんだままで話を続ける。
教授「自家製だ。友達と作った。かつての同僚たちと。ここは誰のプラ
スにもならない。だが悪い奴に利用されるといけないから、これを作っ
たんだ。だが、その後、皆の意見が変ってね。ひょっとして奇蹟かもしれ
ないし、希望を残しておこうと言うことになった。それで友人たちは爆
弾を隠したが、私が見つけ出したのさ。(一瞬、笑みを浮かべ)破壊する
のが本当だと思ってね。これでも、私は偏執狂じゃないつもりだが、あ
らゆる無頼の徒にこの病巣が開放されている間は、眠りも安らぎもない。
(考えこみながら、作家を振り向き)それともゾーンが自衛してくれるか
ね。」
教授を見つめている作家。傍をストーカーがす早く通り過ぎる。
作家「あんたも苦労性だな。」
教授は爆弾を手にしたまま立ちあがると、ちょっと作家の方を覗って
から、"部屋"の前へ行く。
教授の一挙一動を注視していたストーカー、突然、教授に飛びかかり、
爆弾を取りあげようとする。
ストーカー「よこしなさい。」
ストーカーと教授、縺れ合いながら倒れる。作家、二人を引き分ける
ように飛び掛かり、ストーカーを押し倒す。
教授(起きあがり、作家の方を見ながら)「乱暴はよしたまえ。」
ストーカー、立ちあがって再び、教授に組みつく。作家がなお激しく、
ストーカーを水溜りに突き飛ばす。
作家「何だ!偽善者ぶりやがって」
ストーカー、水溜りから起きあがり、泣きながら訴える。
ストーカー「どうして私を殴るんです。あなたの希望が破壊されるんで
すよ。」
作家は興奮してなお、ストーカーに殴りかかり、突き飛ばす。起きあ
がると手で口もとを拭い、むせびながら話し始めるストーカーの顔のク
ローズ・アップ。
ストーカー「世間に希望は残されてません。絶望した時に来られる場所
は、ここだけなんです。あなた方も来た。(再び教授に向って行こうとす
る)どうして破壊するんですか?」
教授は"部屋"の前に膝まづいたまま、じっとしている。
作家(しつこく、ストーカーを突き離し)「もういい、黙ってろ。貴様の
正体は読めてるんだ。親切ごかしやがって。他人の不幸で食ってる。(怒
りと興奮でけわしい表情を浮かベ)楽しんでいやがるんだ。ここでは貴
様は王だし、神だからな。汚らわしい偽善者め。他人の命を玩びやがって。
お前らストーカーは部屋に入らんそうだな。」
教授がおもむろに立ちあがる。
作家(ストーカーを振り返って)「当然だ。秘密の権力を楽しんでるから
だ。そうだろう。」
●ゾーン・水溜リ
水溜りに膝をついたまま、涙と血と水に汚れた顔で、むせびながら訴
えるように話すストーカー。
ストーカー「それは違う。違います。(手で涙を拭い)ストーカーは利得
を目的にしてはならないのです。許されないんですよ。私は確かにろく
でなしでさ。世間では何もできません。妻も幸せにできず、友達もあり
ません。ただ私には、ここがある。
外には何もない。ここだけです。ゾーンの中だけに私の幸福も自由も尊
厳も全部あるんです。私と同じように痛めつけられた人たちを、ここに
連れてきて助けることもできます。希望を与えるんです。(泣きながら、
29
30
身を振るわせ、作家の方を向いて)私にはできる。人助けできるのは幸
せです。無上の幸せですよ。」
●ゾーン・電話のある部屋の傍
ストーカーの話に聞き入っていた教授、窓辺へと歩いて行き、濡れた
上衣の裾を引っ張っている。
ストーカーの喘ぐような息づかいが聞こえる。
●ゾーン・"部屋"の前
"部屋"の前に立っている教授の方へ、うつむき加減に歩いていくスト
ーカー。
作家「そうかもしれん。しかし君の話は、つじつまが合わんよ。君自身、
理解していないんだろう。なぜヤマアラシは首を吊った?」
ストーカーの声「利得を目的にゾーンに入ったからです。だから弟を肉
挽き機で。」
作家の冷ややかな表情のクローズ・アップ。
作家「どうして首を吊ったんだ?弟を取戻しにくればよかったのに。
後悔のためか?」
ストーカーの声「そうしたかったのでしょうが……分りません。」
作家(ストーカーに問い正すように)「ここで叶えられる望みは、無意識
のものなんだよ。頼んでもダメなんだ。」
"部屋"の前へ進んで行く作家、ストーカーも"部屋"の前まで来て坐り
こむ。
作家("部屋"の前に立って)「多分、自分の本性が現れるんだろう。人は
自分の本性を知らずに一生振り回される。ヤマアラシは食欲に負けたん
じゃない。弟を返してくれと哀願したのに、ゾーンが彼に与えたのは大
金だったのだ。本性にそぐわしいものだ。」
教授がストーカーの横に坐る。
作家("部屋"の方を見つめながら)「彼は最後にそれを理解したんだよ。
だから首を吊ったんだ。俺は中に入らんぞ。自分の本性の腐肉など欲し
くないし、他人にも見せたくない。首を吊りたくもない。自分の家で飲
んだくれているほうがましだよ。俺みたいな男を連れてくるようじゃ、
君も人を見る目がないぞ。それに、(ストーカーと教授に問いたずねる
ように)奇蹟が存在すると言う証拠があるか? ここで望みが叶えられ
ると誰に問いた? ここで幸福になった人間を知ってるかね? ヤマア
ラシか?ゾーンやヤマアラシや"部屋"のことをそもそも誰が君に話し
たんだね?」
教授「彼だ。」
この時、作家が思わず、"部屋"に倒れかかるが、慌ててストーカーが
すがりついて止める。
電話のベルが鳴っている。
教授は立ちあがり、爆弾を解体し始める。傍では作家とストーカーが
背中を寄せ合って坐りこんでいる。
教授、解体した爆弾の部品を水溜りに投げこむ。水がはねる大きな音
がする。
教授「私も分からなくなった。ここへ来る意味が……」
爆弾をいじっていた教授も二人の傍に腰を下ろし、三人は互に背中あ
わせに寄り沿って坐りこみ、暫く黙して語らない。
周囲に光が曳れて、水面が輝き、やがて再び、あたりは暗くなる。
ストーカー「妻や娘と一緒に、ここへ移って来ようかな。ここで暮そう
か…… 誰もいないし…… 面倒もない。」
三人の男たちは、"部屋"の前に、互いに背を向けあったまま坐り、考
えこんでいる。
ひとしきり雨が降って、"部屋"の中の水面が波紋で光る。
教授は相変らず、爆弾の部品を"部屋"の水溜りに向って投げ棄ててい
る。
●ゾーン・"部屋″(画面はモノクロに変る)
水面を透かして映るタイル張りの床のクローズ・アップ。水底には爆
弾の文字盤や部品が転がり、魚が泳ぎまわっている。列車が通過する音
が聞こえ、水面がかすかに揺れる。
重油が斑らに水面に拡がり始める。汽車の轟音が大きくなり、それを掻
き消すように、ラヴェルのボレロの調べがかぶる。
●バーの入口
汽車の音、遠去かる。
ドアを開け放した戸口を通して、ストーカーの妻が子供の松葉杖を外
のベンチの傍に立てかけ、女の子を腰かけさせているのが見える。
バーのマスターがカウンターに入る。
妻は入口へ通ずる階段を上って、バーに入って来て、髪を整えながら、
奥のストーカーを見ている。
●バー
丸テープルに凭れている作家と教授。傍の窓際にストーカーが立って
おり、犬に餌を与えている。
かすかに汽笛が問こえる。
妻は男たちの方へ歩み寄って来る。
妻「帰ったのね。どこの大?」
ストーカー「ついて来た。捨てるわけにもいくまい。」
妻は夫の方へなお近づいて行く。
●バーの入口
ドアが開いた入口から、外のベンチに腰かけた少女が見える。そのベ
ンチには松葉杖が立てかけてある。
妻はカウンターのマスターの眼前を通り過ぎて戸口へ行く。その後姿
をじっと見送るマスター。
ニ人の男たち、黙々とテープルを囲んでいる。作家はビールを飲む。
妻の声「犬は要りませんか?」
作家「家にも5、6匹いるよ。」
ストーカー、外に出て行こうとする。
●バーの入口
ベンチに腰かけている少女の姿が見える。妻は戸口まで来ると、後を
振り返る。
妻「犬がお好きなんですね。」
黒い犬も戸口の方へ走り寄って来る。
作家の声「えっ?」
妻「いいことですわ。」
ストーカーは戸口でバックを妻に渡し、二人は連れ立って外に出て行く
ストーカー「もういい、行こう。」
●パー
妻と一緒に立ち去るストーカーを、テープルに凭れたまま見送る作家と
教授のクローズ・アップ。
作家は煙草に火をつけ、テープルを離れると、静かに窓辺に寄って行
く。窓際で煙草を吹かしながら、立ち去る二人を疲れた表情で見送る作
家。
●バーの前(画面はカラーに変る)
スカーフを被った少女の顔のクローズ・アップ。
ストーカーは娘を肩車に乗せて先に立ち、妻は片手にバックを片手に
松葉杖を持って夫の後に従い、バーの前の斜面の道を下りて行く。眼前
には沼のようにぬかるみが拡がり、黒い犬がかれらの足もとをまるでじ
ゃれつく様に追っている。遠くには工場の煙突が立ち並び、煙を吐いて
いる。
●ストーカーの部屋
深皿に妻がミルクを注いでいる。犬が寄って来て、飲み始める。傍を
妻と、つづいてストーカーが通り過ぎる。
ストーカーはそこで、いきなり床にあお向けに倒れて、息を詰まらせ
ながら話し始める。
ストーカー(寝たまま)「今度ばかりは疲れた。苦しかったよ。あんな作
家や学者ども、何がインテリだ!(挙で激しく床をたたく)」
妻の声「落着いて。」
横になったストーカーの傍に膝まづき、不安そうに夫を見ている妻。
ストーカー「何も信じてないんだ。奴らの体中の器官は委縮しちまって
るんだ。」
妻(膝まずいたまま)「落着いて。」
ストーカー「骨折り損だった。」
妻はなだめるように話しかけながら、夫を抱え起す。
妻「さあ、ベットに寝てちょうだい。
起きてよ。こんな所に寝ないで。」
ストーカー、妻に肩を支えられながら歩きだす。
妻(上衣を脱がせながら)「脱いで。」
ストーカー、ベットまで来ると、ベットに腰かけ、妻に助けられなが
ら、靴とズボンを脱いで横になる。妻は夫にそっと毛布をかけ、夫の傍
に自分も腰を下ろし、夫の顔に見入る。
ストーカー「何て奴らだ!」
妻「かわいそうな人たちなのよ。同情してあげなくちゃ。」
妻はポケットから薬を取り出し、ストーカーに飲ませる。
妻はハンカチで夫の額の汗を拭い、いたわるように頬をさすっている。
ストーカー(むせびながら)「うつろな眼だったろう。自分を売りこむこ
としか、奴らは考えてないんだ。考えるのも金づくだ。それで妙な使命
感を持ってやがる。あんな浅知恵で何が信じられるもんか?」
枕に横たえたストーカーの顔のクローズ・アップ。妻の手が頼を伝う
汗と涙を拭っている。
妻の声「さあ、もう落着いて。少し眠ったほうがいいわ。」
ストーカー(絶望的な表情で、むせびつつ)「誰も信じようとしない。あ
の二人だけじゃない。誰を連れて行く? いちばん恐ろしいことは、誰
にもあの"部屋"が必要ないことだ。俺の努力は無駄なんだ。」
妻の声「そんなふうに考えないで。」
ストーカー「もう、誰も違れて行かん。」
妻の声「私が一緒に行ってあげてもいい。」
ストーカー「一緒に行く?」
妻の声「別に望みはないけど。」
ストーカー「ダメだ。ダメだよ。」
妻の声「どうして?」
ストーカー(眼差を大きく見開いて)
「絶対ダメだ。お前に、もしものことが起ったら……」
ストーカー、寝返りを打って顔をそむける。
●ストーカーの部屋の片隅
妻は帰宅した時のまま、外套も脱がず、窓辺に行き、そこから壁の前
まで戻り、椅子に腰かけると、煙草を取り出し、訴えるように話し始める。
妻「母は、とっても反対したんです。夫はああいう変った人でしょう。皆
の笑い者になって。のろまで哀れな人でした。(口にくわえた煙草にマッ
チで火をつけようとしながら)母は言いました。"ストーカーよ。かれは
呪われた永遠の囚人よ。ろくな子供は生れない"って。私は答えられま
せんでした。(マッチ箱を手で玩びながら)彼と結婚したら大変だろうっ
て言うことも、覚悟していました。でも好きになったんだから仕方あり
ません。苦しむだろうけど、苦しみの中の幸せのほうが単調な暮しより、
31
ましだろうなんて、あとで無理にこじつけました。(立ちあがって窓の前
まで来ると、窓のしきいに腰を下ろし)ある時、かれが"一緒になろう"
と言ったんです。私は後悔していません。本当です。恐ろしい思いも恥
ずかしい思いもしました。でも後悔は一度もしていません。私たちって
そういう運命なんです。生活に苦しみがなかったら、味気ないでしょう。
苦しみがなければ幸せもないでしょうし、希望もありませんから。」
●台所
机の脇に少女が本を読みながら腰かけている。やがて少女はふと眼を
あげ、本を膝に置いて、じっと窓の方を見すえる。
少女のモノローグ「ふと、まなざし
を上げ、まわりを閃光のごとく、君
が眺めやる時/その燃える魅惑の瞳
を、私はいつくしむ/だが一層まさ
るのは、情熱の口づけに目を伏せ/
そのまつ毛の間から、気むずかしげ
でほの暗い、欲望の火を見る時……」
犬が鼻を鳴らす声が聞こえる。
少女はいったん、窓の外に眼をやると、その眼差を机に置かれたコッ
プに注ぐ。コップはひとりでに静かに机の上を滑りだす。少女は机の上
のコップと花びんに次々と視線を向ける。視線を受けると、コップが静
かに動きだし、床に落ちる。
少女は机の上に頬を載せて、眼を凝らしている。
ベートーヴェンの"歓喜の歌"が響き、やがて消える。
(シナリオ採録 野原まち子)
●
ソビエト映画/1979年作品/カラー
上映時間2時間40分
ソヴエクスポルトフィルム提供
日本海映画配給
「ストーカー」パンフレット(1981年発行)より転載
作家
返信削除「これもまた一つの実験だ。実験とやらを重ねて、事実を見つけ出
すつもりか? 事実なんてものは、ありゃしない。ゾーンだって、そう
だ。すべて誰かの、ばかげた思いつきさ。誰の思いつきか知りたいか?
ばからしい。そんな知識など、何の役にも立たん。誰の良心が知識を求
めて痛む?俺になんぞ良心はない。神経だけだ。どこかの阿呆に罵られ
て傷つき、別の阿呆に褒められて傷つく。奴らは俺の魂も心も食いつく
すんだ。俺の捨てた恥まで食らう。一人一人は教養もあるが、皆、感覚
的に飢えてるんだ。シャーナリストや編集者、批評家、次々と現われる
女たち、皆がまわりで騒ぎ立てる。"原稿をよこせ、よこせ"だ。俺が
作家だなんて。書くことを嫌悪している、この俺が。苦しみだ。病的で
恥ずべき行為だ。痔を押しつぶすような。俺は必要な人間だと思ってい
たが、全くの誤りだった。死ねば二日後には忘れられる存在でしかない。
俺は世界を作り直そうとしたが反対に作り直された。以前は未来が現
在の続きにすぎなかったが、地平線のあたりで混乱して、未来は現在に
合流した。それが分ってるのか?連中は食らうだけで知ろうとしない。」
…
ストーカー(作家に向って)
「どうやら、あなたは素晴らしい人なんですね…」
返信削除NAMs出版プロジェクト: 「ストーカー」シナリオ(校正済み)
http://nam-students.blogspot.jp/2014/12/blog-post_85.html
タイトル・第二部
ストーカー
●ゾーン・発電所のダム
建物の入口の枠ごしにストーカーが見える。
ストーカー「そこで何をしてるんです? 行きますよ。」
●ゾーン・ダム
トンネルの出日の薄汚れた石に作家が凭れかかるように腰を下ろし、
直ぐ後に教授も腰かけている。
ストーカーの声「疲れましたか?」
教授、立ちあがりながら、ため息を洩らし、リュックを置いたまま、
そこを離れる。
作家(嘆息まじりに)「やれやれ。あの調子では、また説教を聞かされる
ぞ。」
●ゾーン・井戸
何か落ちる音に続き、銀に被われ
た水面がはね、波紋を描く。
ストーカーの声「希望はかなうもの
だ/信じて欲しい/情熱など頼りに
ならぬ/彼らの言わゆる情熱は心の
活力でない/塊と外界の軋轢なのだ
/大切なのは自分を信じること/幼
な子のように無力であること/なぜ
なら無力こそ偉大であって、力は空
しい……。」
●ゾーン・ダム
ストーカー、窓枠を越えて外に出ると、外壁に這いつくばるようにし
て管(パイプ)までたどりつく。
ストーカー(モノローグ)「人が生れ
る時は軟弱で/死ぬ時に枯れ固まる
/木も成長する時に軟らかく/乾き
固くなるのは死ぬ時なのだ/硬直と
力は死と隣りあっている/弾力と軟
弱こそ若さの象徴だ/凝結したもの
に希望はない。」
ストーカー、管の入口を伝って建物の内部に入る。教授と作家が近づい
て来て、薄闇のなかで話を交わす。
ストーカー「こっちです。もうじき"乾燥"トンネルに入ります。あとは楽
ですよ。」
作家「そう願いたいな。」
教授「先へ進むのか?」
ストーカー「ええ、もちろん。」
教授「待ってくれ。そのつもりじゃなかった。(建物の外の方を振り返り
ながら)リュックを置いてきてしまったんだよ。」
作家は一人、腰を下ろす。
ストーカー「リュック?」
教授「そうとは知らなかったからな。
置いてきてしまったんだ。」 ストーカー「残念でした。」
教授(引き返そうとして)「取りに戻らなくては。」
ストーカー「不可能です!」
教授「ないと困る。」
76. Flexibility
http://nam-students.blogspot.com/2013/05/blog-post_4105.html?m=1#note76
人之生也柔弱、其死也堅強。萬物草木之生也柔脆、其死也枯槁。故堅強者死之徒、柔弱者生之徒。
是以兵強則不勝、木強則折。強大処下。柔弱処上。
人が生きているときは、身体は柔らかく、かよわい。
死ぬときには、堅くてこわばっている。
草木が生きているときは、柔らかく、かよわい。
死ぬときには、しなびれて枯れている。
それ故に、堅いものは死に近く、柔らかいものは生に近い。
このように、軍隊は柔軟でなければ戦いに負ける。
板がかたく乾けば、それは砕ける。
強くて堅いものは低いままにあり、
柔らかくてしなやかなものは高いところにある。
返信削除/ 271
navigate_beforenavigate_next
« 終了
〈死〉への/からの転回としての映画, アンドレイ・タルコフスキーの後期作品を中心に – 亀井克朗
41.42
ことを詫び、許しを請い、「そうだ、おまえは全くユロージヴィだ!」24と言う
返信削除のである(図 3)。作家の言葉は、自己卑下し、自己を無化し、自己を捨て、他
者の幸福のために献身するストーカーの姿に、中世ロシア以来の聖なる愚者の
姿が観取されていることを示している。
図1
図2
図3
第2項 人生の理想としての柔弱さ
『老子』からの引用を含む、ストーカーのモノローグは、ストーカーの人物
像をタルコフスキーがどのように造形しようとしていたか、そこにどのような
思想が託されているかを知るうえで重要である。そのモノローグは、三人がゾ
ーンに入り、いくつかの危機を乗り越えた後、「乾いたトンネル cyxoi TOHHEIE」
と呼ばれる場所にたどり着く少し前の場面でストーカーの姿を追う画面、井戸
の底の水面の映像にかぶさる形で、オフボイスで語られる。
「彼らが思いついたことが実現されるように。 彼らが信じるようになるように。 そし
て、自分の情熱(恐怖)を笑うようになるように。なぜなら、a. 彼らが情熱と呼ぶも
のは、実際は、心的エネルギーではなく、心と外界の軌傑にすぎない
からだ。重要な
のは、自分自身のことを信じるように、子供のように無力になるように。 なぜなら b. 弱
さは偉大であり、力は取るに足らないからである。c.人間は生れるとき、弱くて柔ら
かい。死ぬとき、人間は固くこわばる。木が育つとき、 弱々しく柔らかい。木が乾き
固くなるとき、木は枯れる。こわばりと力は、死の伴侶である。柔らかさと弱さは、
存在の生気を表している。それゆえ、凝固したものは勝たない。」25
Aa ThI mpocrO IopoAuBLIi! (“Crankep"377) 字幕はこの一文を「(君の話は)つじつまが合
わないよ」と意訳している。ユロージヴィについては中村喜和(1990)付論第二章「癒
顕行者覚書」のは、タルコフスキーにおけるユロージヴィについては本書第2章も参照。
В Пусть исполнится то, что задумано. Пусть они поверят. И пусть посмеются над своими
24
43
第1章 信仰,死,共同体
返信削除下線部 a. のところは、ヘッセの『ガラス玉遊戯』 Das Glasperlenspiel からの引
用である。そして、下線部 c.が、老子(B.C.5C 頃)『道徳経』の第76 章の前
半部分である?。下線部 b.は老子の原文にはないが、タルコフスキーが『老子』
をそこから引用したニコライ·レスコフの『旅芸人パンファロン』(Ckonopox
lanpanon, 1887) 28のエピグラムでは冒頭に含まれており、タルコフスキーはb.
の部分を含めて『老子』のテキストとして理解していたと考えられる。
ヘッセと老子のテキストをはめ込んで新たに形成されたテクスト全体を見渡
すとき注目されるのは、都合4回繰り返される nycTb である。nycTbは、一人称
または三人称と共に用いて命令法の形式をとり、指示·当為、許容,許可·同
意·放任,警告、希望·願望等の意味を持つ語である。「彼ら」という代名詞
страстями; ведь то, что они называют страстью, на самом деле не душевная энергия, а лишь
трение между душой и внешним миром. А главное, пусть поверят в себя и станут
беспомощными, как дети, потому что слабость велика, а сила ничтожна... Когда человек
родится, он слаб и гибок, когда умирает, он крепок и черств. Когда дерево растет, оно
нежно и гибко, а когда оно сухо и жестко, оно умирает. Черствость и сила спутники смерти,
гибкость и слабость выражают свежесть бытия. Поэтому что отвердело, то
победит.("Сталкер"361)
26 タルコフスキーは『ガラス玉遊戯』を1970年に読み、強い感銘を受けている。(1970/9/14
(Mapmupono2:38-40,『日記』:59)、9/20(Mapmupono2:41-2, 日記』:64)、9/26(Mapmupono2:44,
『日記』67)。また、日本語版『日記』では、『ノスタルジア』完成後、ローマ滞在中の
1983年2月6日から3月16日にかけての日記にも、『ガラス玉遊戯』が数節抜粋されて
いる。『日記II』71-6(ロシア語版には記載なし)。邦訳では、ヘッセ(1955:90)
27 老子の原文及び読み下し文を記す。「人之生也柔弱、其死也堅強、草木之生也柔弱、其
死也枯橋、故堅強者、死之徒、柔弱者、生之徒、是以兵強則不勝、(木強則折、強大処下、
柔弱処上)」(人の生ずるや柔弱にして、其の死するや堅強なり。草木の生ずるや柔脆に
して、其の死するや枯橋なり。故に堅強なる者は死の徒にして、柔弱なる者は生の徒な
り。是を以て兵は強ければ則ち勝たず。(木は強ければ則折る。強大なるは下に処り、柔
弱なるは上に処る。))『老子』(1973:136-7)。最後の(〉の部分はレスコフの引用及び映
画では省かれている。また、ロシア語訳では「生之徒」の「生」が“CBexeCTb 65ITHA"(存
在の生気)と訳されている。
28 レスコフは、この小説を最初、『魅せられた旅人』 bozonoóesnbiù CKOMOPOX(邦訳、レ
スコーフ,1960)という題で書いたが、検閲を通らず、改題して発表した。同書の出版を
めぐる顛末については、岩浅(1982)を参照。『魅せられた旅人』には、老子の引用のエ
ピグラムは付されていない。
29 タルコフスキーが、レスコフの小説のエピグラムから『老子』のテキストを借りたこ
とは、タルコフスキーの 1977年12月28日の日記に当該箇所の写しがあり、老子の名の
後に「レスコフ『旅芸人パンファロン』のエピグラフから」と括弧書きしていることか
ら判る。Mapmuporo2 (177, 『日記』:250)。レスコフのエピグラムでも、『老子』のテキス
トの後半は省かれており、ロシア語訳も一致する。上の『日記』の日付は、『ストーカー』
の製作がトラブルに見舞われて、構想を練り直し撮影再開の準備をしている時期の日記
であり、『老子』の引用は、製作し直す段階で加えられたものと思われる。
30 『研究社露和辞典』(1988)
не
44
は「作家」「教授」の二人を指す。ストーカーのせりふは、ストーカーが二人を
返信削除ゾーンの中を導くにあたって必要なことを表しているとまずは考えられる。
老子の文章は、まず生と死それぞれに、柔弱さと強硬さという具体的で対照
的なイメージを与えている。そしてそこから見方を翻して、生と死が持つ正負
の価値を挺子として、柔弱さの優位が語られる。
そのような柔弱な態度を身に着けることは、さしあたりはゾーンを行くため
の方法乃至手段である。しかし、老子の引用はゾーンを行く心構えを説明する
ための借り物にすぎないのではない。老子のテクストは、単なる実践的·具体
的な兵法や処世訓にとどまるものではなく、人為を退け無為自然を説く老子の
根本思想につながっている。ストーカーのせりふも、それに応じて、ゾーンと
いう虚構上の設定にとどまらず、人生一般の理想への志向性を持つ。老子のテ
クストを軸として、目的と手段の関係は反転し、柔弱な態度を身につけること
こそが目的であり、ゾーンを行くことはそのための手段であるとする解釈が開
かれる。柔弱であらなければならないのは、ゾーンを行くためというだけでな
く、それが人生の理想だからである。
老子のテクストに先立ち、呼応する「子供のように、無力になることだ。な
ぜなら、弱さは偉大だからであり、力はとるに足らないものだからという一節
は、また、「神の国は子供のような人たちのものだ」という聖書の一節”を想起
させる。そこには、ユロージヴィに代表されるロシアの霊性史における自己無
化 kenoticism の伝統”が連なっている。
救済という他者に向かうベクトルと、信仰という超越的存在へと向かうベク
トルが、柔弱さ、あるいは自己無化を理想とするストーカーの生き方において
結びついている。
但し、この場合、信仰は、ゾーンという特殊な場所に結びついており、救済
も、ゾーンに案内すること以外によるのではない。したがって、ストーカーに
ついての考察は、ゾーンについての考察へと必然的に導かれる。次飾では、ゾ
ーンの中の部屋に焦点を合わせ、信仰という主題にアプローチする。もうひと
つのベクトルである他者の問題は、第三節の考察の中で、再び取り上げる。
31 「マルコ福音書」10 章13-16 節、他。
32 Fedotov (1946: 94-131)
45
マルコ
返信削除http://bible.salterrae.net/kougo/html/mark.html
10:13イエスにさわっていただくために、人々が幼な子らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちは彼らをたしなめた。 10:14それを見てイエスは憤り、彼らに言われた、「幼な子らをわたしの所に来るままにしておきなさい。止めてはならない。神の国はこのような者の国である。 10:15よく聞いておくがよい。だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない」。 10:16そして彼らを抱き、手をその上において祝福された。
ヘッセ老子引用井戸シーンは
返信削除実験だ
のシーンに繋がる
レスコフ『旅芸人パンファロン
返信削除