実際、スミスも、たとえ農業のみが「純生産物」を生み出すという重農主義の思想がや
や偏狭だとしても、ケネーが「富=貴金属」と考える重商主義の誤謬を抉り出し、彼以前
の誰よりも「経済学の真理」(簡単にいえば、富とは労働によって年々生産される消費財であ
り、その再生産を円滑にするには自由競争や自由貿易が必要だと主張したことに近づいた功
績を高く評価しているのです。それゆえ、私には、先に指摘した「先陣争い」よりは、二
人の天才[アダム・スミスとケネー]がお互いをよく理解し合っていたことのほうがよほど注目すべき事実であるよう
に思えます。
『資本論』の再生産表式
ケネーによる「経済循環の発見」は、マルクスの『資本論』(第1巻は一八六七年、第二
巻と第三巻は、彼の死後、エンゲルスの編集によって、それぞれ一八八五年、 一八九四年に出版
されました)における「再生産表式」(第二巻) へとつながっていきます。『資本論』(第一
巻) のメインテーマである「資本主義崩壊の論理」については、のちに取り上げるつもり
なので、ここでは、マルクスがケネーによる「経済循環の発見」というアイデアをどのよ
うに発展させていったかに焦点を合わせることにしましょう。
マルクスは、経済の年々の再生産が同じ規模で繰り返されることを「単純再生産」と呼
びましたが、彼は、その経済が「生産財」と「消費財」を生産する二つの部門から構成さ
れるものとして捉え、独自の「再生産表式」を考案しました。ここでは、生産財を生産す
る部門を第1部門、消費財を生産する部門を第Ⅱ部門と呼びましょう。
マルクスは、商品の価値Wは、「不変資本」C (「生産手段」、または「原料や補助材料や労
働手段に転換される資本部分」のことで、「不変」とあるのは、「生産過程でその価値量を変えな
い」からです) +「可変資本」V (「労働力に転換された資本部分」のことで、「可変」とある
のは、「生産過程でその価値量を変えるからです) +「剰余価値」M(資本家が労働者からの
「搾取」によって手に入れたもの)に等しいと考えましたが、生産財部門と消費財部門を区
別するために、以下のように下付の添字をつけることにしましょう。
I W1=C1+V1+M1
II W1=C2+V2+M2
さて、「単純再生産」が持続されるためには、第1部門である生産財の価値が、両部門
の生産手段の合計に等しい (言い換えれば、生産手段の置換を超える「純投資」は存在しな
い)という条件が満たされなければなりません。
C1+V1+M1=C1+C2 (1)
あるいは、見方を変えれば、第II部門である消費財の価値が、両部門の可変資本と剰余
価値の合計(イメージがつかみにくいならば、この段階では、賃金と利潤の合計と考えても許
されるでしょう)に等しくならなければならないということもできます。
C2+V2+M2=V1+V2+M1+M2 (2)
(1)式と(2)式を整理すると、どちらも
V1+M1=C2 (3)
となりますが、これが「単純再生産」の条件です。すなわち、第1部門の可変資本と剰余
価値の合計が第1部門の不変資本に等しくならなければならないのです。これが、ケネ
の『経済表』の世界を、マルクス独自の「再生産表式」によって描き直したものです。
もし(3)式が等式ではない場合は、「単純再生産」は成り立ちませんが、具体的にどのよ
うな場合なのかを、「拡大再生産」を例にとって説明しましょう。「拡大再生産」が実現す
るには、第1部門で生産された生産財の価値が、C1+C2にすべて吸収されるのではなく
資本設備を増加させ、生産を拡大する(「純投資」がプラスになる)ために用いられる部分
が残されなければなりません。
C1+V1+M1>C1+C2 (4)
あるいは、見方を変えれば、第Ⅱ部門の消費財の価値は、両部門の可変資本と剰余価値
の合計(前と同じく、賃金と利潤の合計と考えても、この段階ではよいでしょう)よりも小で
なければなりません。というのは、可変資本と剰余価値のすべてが消費財に費やされてし
まったら、資本設備の増加のために使う部分(もちろん、資本設備の増加に使われるのは
資本家が労働者を「搾取」することによって獲得した剰余価値の一部ですが)がなくなるから
です。
C2+V2+M2<V1+V2+M1+M2 (5)
(4)式と(5)式を整理すると、どちらも
C2<V1+M2 (6)
となりますが、これが「拡大再生産」の条件です。すなわち、第Ⅱ部門の不変資本は、
1部門の可変資本と剰余価値の合計よりも小でなければならないのです。
マルクスの剰余価値論
経済学史の講義でマルクス経済学を教えるとき、初心者には退屈な「唯物史観」や「疎
外された労働」などよりは、第二巻の「再生産表式」から教えてみるのも一つの方法では
ないでしょうか。そこから、第一巻に立ち戻ると、労働生産力の発展を図るには、剰余価
値を資本に再転化するという意味での「資本の蓄積」がおこなわれなければならないとい
う件にぶつかりますが、これが「再生産表式」でいう「拡大再生産」であることはすぐに
わかります。
生産手段が私有されている「資本主義」の下では、資本家は「労働力」という商品を購
入しますが、資本家の目的は、資本としての貨幣を増殖させることにあります。マルクス
は、これをG-W-G'として簡潔に表現しました(ここで、Gは貨幣、Wは商品、G'=G+
G△はより多くの貨幣を意味しています。英語の文献では、M-C-M'と表現されることが多い
でしょう)。
留意すべきは、商品としての労働力が、他の商品と同じように価値法則に従って交換さ
れる(すなわち、その価値は、労働力を再生産するのに必要な労働時間によって決定される)と
いうことです。しかし、労働力をその価値どおりに手に入れた資本家は、その労働を自由
に処分することができるので、ここに「剰余価値」が生み出される鍵が隠されることにな
ります。
根井入門33~9頁
『わかる現代経済学』根井 雅弘【編著】朝日新書 2007
『「ケインズ革命」の群像』根井 雅弘【著】中公新書 1991(2000年第4版が電子書籍化)
両書にあるカレツキ関連の記述が貴重。上の方が初心者向け
下はKoboなどで電子書籍版がある。kindle版はない
以下#6「一般理論」同時発見? 奇妙な訪問者(根井『「ケインズ革命」…』中公新書147~8頁)より
《…カレツキは、ケインズとは対照的に、マーシャルやピグーに代表
のされる正統派経済学との対決を意識する必要は当初からなかったのである。その証拠に、カレツ
キは、前に説明した利潤決定に関する命題(P=I+C)を、カール・マルクスの再生産表式を利
用することによっていとも簡単に導き出した。
いま、経済体系を投資財を生産する第1部門、資本家の消費財を生産する第2部門、および賃
金財を生産する第3部門の三つに分割しよう(*p.154)。
各部門の産出量の価値Vは、利潤Pと賃金Wの和に等しい。すなわち、
Vi=Pi+Wi (i=1,2,3)
第3部門の産出量は、一部はそれを生産した労働者によって消費され、残りは他の部門におけ
る労働者によって消費されるから、
P3=W1+W2 (5)
が成り立つ。
ここで、第1部門と第2部門の産出量の価値を合計すると、
V 1 + V2=P 1+ P2+ W 1+ W2 (6)
となるが、(5)式を(6)式に代入すると、ただちに次の式が得られる。
V 1+ V2=P 1+ P2 + P3 (7)
(7)式は、経済全体の利潤が、投資財の産出量の価値と資本家の消費財の産出量の価値の和に等
しいことを示している。利潤決定に関する命題は、こうして得られるわけである。》
*
Shackelton and Gareth
Twelve Contemporary Economists 1981
カレツキ「国民所得の経済表」(tableau economique of the national income)
("The Marxian equations of reproduction and modern economics"「マルクスの再生産の方程式と近代経済学」1968,1991未邦訳より)
| 1 2 3| |
|________|__|
|P1 P2 P3| P|
|W1 W2 W3| W|
|________|__|
|I Ck Cw| Y|
|________|__|
P1、P2、P3・・・粗利潤
W1、W2、W3・・・賃金
(栗田康之『資本主義経済の動態』116頁、参照)
http://www.deepdyve.com/lp/sage/the-marxian-equations-of-reproduction-and-modern-economics-42VMtJ8FgO
45度
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《…1933年末にはケインズが有効需要論を新しい理論体系の中心に据えることを明示的に表明するに至ったことを確認しておこう。
この章[1933年草稿#2]では,ケインズはさらに,有効需要問題を処理する際の彼の新しい分析視角のひとつを明確化している。それはこうである。
この年アメリカの経済学者H.L.マクラッケンは,経済学説史に関する著書『価値論と景気循環』を出版したが,たぶんみずからの理論の想源を調べていたケインズはただちにこれを読み,そのなかのマルクス理論の解説部分からヒントを得て,草稿でつぎのように書いていた。「協同体経済と企業家経済の間の区別はカール・マルクスによってなされた意味深長な観察と若干の関係をもっている。」31)それによると,マルクスは,現実世界の生産の性格が,経済学者たちがしばしば想定しているようなC一M-C′(商品一貨幣一他の商品という交換)のケース――これは私的消費者の観点からのものである一一ではなく,M-C一M′(貨幣一商品一より多くの貨幣という交換)のケース――これが事業の態度である――であることを指摘したが,この指摘はケインズの想定する企業家経済を分析する際の重要な視点を提供している,というのである。
この商品と貨幣との交換過程に関する範式は,もともとマクラッケンが,剰余価値の源泉を流通過程ではなく生産過程に求めていったマルクスの説明を,『資本論』第1巻第2篇第4章「貨幣の資本への転化」の叙述に即しながら解説したものであり,マクラッケン自身はマルクスに忠実にこの範式を使用していたのであるが,ケインズは,この範式に独自の解釈を施し,それにマクラッケンの著書では触れられていなかった『資本論』第2巻の三つの資本循環に関する分析の内容を盛り込んで,つぎのように主張する。それによれば,前者の範式は古典派理論の想定する経済像を表現したものであり,そこでは,「企業家の生産過程開始への意欲は,彼の取り分となると期待されるものの生産物表示での価値量に依存する,すなわち,彼に帰属するより多くの生産物への期待のみが彼にとっての雇用増大への誘因となる」と考えられている。しかし,「企業家経済の下では,これは企業打算の性格についての間違った分析である。企業家の関心は,彼の取り分となる生産物の量ではなく,貨幣の量にある。彼は,産出量を増加させることによってその貨幣利潤を増加させることができると期待するならば,たとえこの利潤が以前よりも少ない生産物量を示すとしても,その産出量を増加させるであろう。」32)
…
31)ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,.,p. 81
32)ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,.,p. 82[未邦訳]》
浅野栄一135~6頁
The Collected Writings of John Maynard Keynes, The General Theory and After: A Supplement, Vol. 29:
John Maynard Keynes, Elizabeth Johnson, Donald Moggridge: 洋書
https://www.amazon.co.jp/dp/1107634997/
The Collected Writings of John Maynard Keynes, The General Theory and After: A Supplement, Vol. 29 (英語)ペーパーバック – 2012/11/8
John Maynard Keynes (著)
ケインズの有効需要理論発見におけるマルクスの影響
『ケインズ「一般理論」形成史』(浅野栄一135~6頁)によると、1933年末には
ケインズが有効需要論を新しい理論体系の中心に据えることを明示的に表明す
るに至ったという。
この全集第29巻に収められた[1933年『一般理論』草稿#2]では、
ケインズはさらに、有効需要問題を処理する際の彼の新しい分析視角のひとつ
を明確化している。
1933年アメリカの経済学者H.L.マクラッケンは、経済学説史に関す
る著書『価値論と景気循環』を出版したが、たぶんみずからの理論の想源を調
べていたケインズはただちにこれを読み、そのなかのマルクス理論の解説部分
からヒントを得て、草稿でつぎのように書いていた。
《協同体経済と企業家経済の間の区別はカール・マルクスによってなされた意
味深長な観察と若干の関係をもっている。》
The distinction between a co-operative economy and an entrepreneur economy bears some relation to a pregnant observation made by Karl Marx,-
それによると、マルクスは、現実世界の生産の性格が、経済学者たちがしばし
ば想定しているようなC一M-C′(商品一貨幣一他の商品という交換)のケ
ース――これは私的消費者の観点からのものである一一ではなく、M-C一M
′(貨幣一商品一より多くの貨幣という交換)のケース――これが事業の態度
である――であることを指摘したが、この指摘はケインズの想定する企業家経
済を分析する際の重要な視点を提供している、というのである。
この商品と貨幣との交換過程に関する範式は、もともとマクラッケンが、剰
余価値の源泉を流通過程ではなく生産過程に求めていったマルクスの説明を、
『資本論』第1巻第2篇第4章「貨幣の資本への転化」の叙述に即しながら解
説したものであり、マクラッケン自身はマルクスに忠実にこの範式を使用して
いたのであるが、ケインズは、この範式に独自の解釈を施し、それにマクラッ
ケンの著書では触れられていなかった『資本論』第2巻の三つの資本循環に関
する分析の内容を盛り込んで、つぎのように主張する。それによれば、前者の
範式は古典派理論の想定する経済像を表現したものであり、そこでは、
《企業家の生産過程開始への意欲は、彼の取り分となると期待されるものの生
産物表示での価値量に依存する、すなわち、彼に帰属するより多くの生産物へ
の期待のみが彼にとっての雇用増大への誘因となる》
(The classical theory supposes that ) the readiness of the entrepreneur to start up a productive process depends on the amount of value in terms of product which he expects to fall to his share; i.e. that only an expectation of more product for himself will induce him to offer more employment.
と考えられている。しかし、
《企業家経済の下では、これは企業打算の性格についての間違った分析である
。企業家の関心は、彼の取り分となる生産物の量ではなく、貨幣の量にある。
彼は、産出量を増加させることによってその貨幣利潤を増加させることができ
ると期待するならば、たとえこの利潤が以前よりも少ない生産物量を示すとし
ても、その産出量を増加させるであろう。》
But in an entrepreneur economy this is a wrong analysis of the nature of business calculation. An entrepreneur is interested, not in the amount of product, but in the amount of money which will fall to his share. He will increase his output if by so doing he expects to increase his money profit, even though this profit represents a smaller quantity of product than before.
The classical theory supposes thaj the readiness of the (参照:ケインズ全集・J.M.K Vol.XXIX,p. 81~2)
マルクスのケインズへの影響はカレツキと似ている。バーナード・ショーへの
手紙におけるマルクス批判(邦訳ケインズ全集28巻)などは擬態だったということ
になる。全集残り約3分の1。邦訳が待たれる。