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水曜日, 4月 17, 2019

シュメール人

666 金持ち名無しさん、貧乏名無しさん (ワッチョイ ea12-9/md)[] 2020/05/07(木) 10:09:07.22  ID:OzJPbP+Q0
マーチン ウルフ  レバレッジ志向、危険露呈    5月1日金 日経朝刊
金融市場に大混乱が発生したのは、今回の経済ショックの規模があまりにも大きかったことも一因だ。このこ
とは経済学者故ハイマン・ミンスキーの教え「債務は虚弱性の原因となる」を思いださせる。

2011年6月22日水曜日
メソポタミアの金融取引
http://ningyocho.blogspot.com/2011/06/blog-post_22.html

古代メソポタミアにおける市場,国家,貨幣
―商人的経済再考―   明石茂生
https://www.seijo.ac.jp/research/economics/publications/annual-report/jtmo420000000mtr-att/keiken_nenpo28_akashi.pdf

ウォール街の物理学者 Kindle版
ジェイムズ オーウェン ウェザーオール
人類は4000年も前からデリバティブ取引をおこなっている。メソポタミア文明の遺跡からも、当時の先物取引について
記した粘土板がみつかっている。

愚者の黄金 | ジリアン テット
原始的な先物やオプション契約の例は、紀元前1750年のメソポタミアの粘土板にも。



https://twitter.com/makotosaito0724/status/1119584352768274433?s=21
アッシリアのタブレット(右)とその封筒(ケース、左)、やっと両方の写真が見つかった。封筒の表裏には文言の他にシリンダーで印章が刻まれている。この図では、印章が上下にあって楔文字の文言を挟んでいる。
https://www.alamy.com/stock-photo-assyrian-cuneiform-na-tablet-with-its-clay-envelope-a-business-letter-95453568.html

アッシリア:
北部メソポタミアのチグリス川沿いの地域。古くから文化が開けていたことで知られる。最古は遊牧や農業によるスバル人社会がありシュメール人と交渉をもっていたともいわれる
https://55096962.at.webry.info/201506/article_12.html






https://video.twimg.com/ext_tw_video/1118511939846455297/pu/vid/1280x720/eFQH3_I-j6A4qMdh.mp4


                       
『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史』(2012 講談社)

 原著:"What on Earth Happened?:
    The Complete Story of the Planet, Life and People from the Big Bang to the Present Day "(2008)

参考
TV東京版
https://ja.wikipedia.org/wiki/137%E5%84%84%E5%B9%B4%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E
バックナンバー(シュメール人、文字を発明 2013/5/26 )
https://www.tv-tokyo.co.jp/137/backnumber/130526.html
https://ameblo.jp/k-kiku1192/entry-12077666826.html ☆

【著者】
ロイド,クリストファー(Lloyd,Christopher)

前略


『137億年の物語』から。

第7回の放送です。


世界で4つの大きな川川で文明が生まれた。

ナイル川道で生まれたエジプト文明
チグリスユーフラテス川川で生まれたメソポタミア文明
インダス川川で生まれたインダス文明
黄河橋で生まれた黄河文明


そのうち、最古の文明であるメソポタミア文明で文字が生まれた。

5,500年前、現在のイラクの南部、当時シュメールと呼ばれた地域に住んでいたシュメール人が使い始めた。

農耕うねを発展させ、収穫したものを市場に持って行き、売っていた。


そこで売買を記録書くするために使ったのが文字の始まり。



5,500年前、物の貸し借りをするためにトークントークンとよばれる小さな粘土細工が使われだした。

牛を借りたら牛のトークントークンを、羊を借りたら羊のトークントークンを。

トークントークンは借用書の代わりに使われていた。

その後、複数のトークントークンを粘土板油粘土1押し付けて使い、物の管理をするようになった。








5,200年前、模様や形を直接粘土板に書くようになった。





人が描かれ、麦を渡した。


そんな絵文字の粘土板も使われたのは200年ほど。


絵文字ニコを進化させ、さらに直線だけ黒い枠黒い枠黒い枠 / 波線*m で意味を表す文字を作り出した。

これが楔(くさび)文字。

シュメール人の大発明でありますひらめき






古代オリエンタル博物館には4,000年以上前の粘土板オセロ板が保管されており、役人が物品を管理し記録していたことが分かった。


紀元前2035年『役人がパンや油、タマネギを配給した』
とか、
紀元前1995年に『牛車やイスがウエンキの町から運ばれた』という粘土板オセロ枠8があり、
これらの受領証の粘土板オセロ枠1もある。


これは、王様キングに説明するためにあったもので、この時代には既に、上司に報告する説明責任があった。


文字が発明されると、物語も書かれた本



ギルガメッシュ叙事詩書くには、洪水にあった例えの物語が書かれてあり、旧約聖書の『ノアの方舟』と同じような物語で、聖書が最古の書物の信じていたキリスト教徒の間では、発見された時に大問題になった。


シュメール人は大変なアイデアマンで、様々な発明をした。

①文字
②学校制度
③60進法
④星座(天文学)
⑤一週間を7日にした

60進法時計は割り切れやすいので、取引には便利で運用し易い。

星座オリオン座は、夜空に輝く星の中で、異なる動きをする星座を見つけて名前をつけた。

それが、火星、水星、木星、金星、土星であり、それに月と太陽(日)を加えた7つの暦は現在でも使われている。




シュメール人は『なぞなぞ』も作っていた。


『目を閉じた人が目を開いて出てくる家は?』





答えは


『粘土板の家』



学校である。

この頃の学校は先生の家に行って学ぶ、いわゆる寺子屋家のようなもので、ノート代わりに使う粘土板の作り方から文字の書き方を教わった。

なので、勉強して知識を得る前は暗かったのに、学んだ後は明るくなるので、学校を出ると目が開く、という事が表されている。




また、この頃から、シュメール人は多くの穀物を作り、中でも大麦麦を大量に作り、なんとビールビールを作っていた。

大きな壺に大麦麦を入れて発酵させ、上澄みをストローFで飲んでいたようだ。



このビールビールはパンパンと合わせて労働者の給料として配給されていた。
 

そんなシュメール人も後に勢力を伸ばしてきた民族に吸収され、忽然と歴史から姿を消してしまいました。

今回はここまで。


シュメール人、すごいヾ(@^▽^@)ノ

そうそう

3 件のコメント:

  1. 古代メソポタミアの金融では債務証書の陶器プレートが陶器ケースに封じられていた。返済時までケースは破られなかった。債務者印章はケースの面面に刻まれていたがプレートにはなかった。流通の中途でプレートが盗まれ後でケースが偽造されるのを防ぐため。物理的存在があると偽造防止が比較的簡単。
    https://twitter.com/makotosaito0724/status/1117548037289545728?s=21
    バビロニアの債務証書のタブレット(特に譲渡可能な)を研究したPruessnerの論文、そもそもタブレットは誰が作成したのか…を丁寧に論じている。タブレットは契約当事者でなく第三者の証人が作成。金融契約行為は依然公共空間だったが、そのために引受はできなくなった。
    jstor.org/stable/528493?…

    https://www.jstor.org/stable/528493?seq=1#metadata_info_tab_contents
    返済時に割ってしまうのにタブレットが残った理由も書かれていた。

    返信削除
  2. 653 考える名無しさん[sage] 2019/08/10(土) 13:35:15.39 ID:0
    また、上の話は歴史による反証もできる。アケメネス朝ペルシアのキュロス大王の円筒印章は、あらゆる奴隷制や強制労働の廃止が記されていたことから、世界最初の人権宣言とみなされている(そのレプリカは、国連本部の安全保障理事会議場の横に置かれている)。

    つまり、実際には、「人権」は「取り決め」以前に成立しえたもので、キュロス大王の時代には当然近代哲学は成立していないから、当然「人権」が近代以降の哲学に依存しているかのように語るのは間違い、ということになる。

    「暗黒啓蒙」の誤りは、「ファクトでもエビデンスでもないもの」を全て否定することにあるのではなく、そもそも「ファクト」「エビデンス」として認めるべき対象を誤認させることにある(ファクト以前に理論的に誤っている)。

    人権は人間的な必要性から擁護できれば、それで合意するに足る観念で、それについて科学主義的に問う解釈態度は、端的に理論的に間違っていると批判すべきである。

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  3. 明石

    ソポタミアにおいて市場は存在せず,交易は非市場的な管理交易であると主張していた166)。しかし,その後の粘土板資料の発掘と解読,それらに応じた研究成果によりポランニーの根拠は崩されてきている167)。古アッシリアの商人は明らかに利潤動機が大きく働いた商人であり,受動的な仲買人ではなかった168)。同時代にあった古バビロニアの商人たちも利潤動機が働いていなかったと断定するのは難しいであろう169)。ウル第三王朝時代にさかのぼっても,その商人たち(dam-gàr) は身分動機に基づく仲買人の性格を十分持っていたと判断しうる170)。しかし,そのような状況にあって彼らは取り巻く環境を巧妙に利用して貸し付けや請負耕作などを通じて富を蓄積していた。利潤動機が欠落していたとは断定できないであろう。身分という枠組みの中でも利潤動機を持った商人ないし企業家が存在しうることを古代メソポタミア社会で認めることはけっして的外れではない。本稿の冒頭でもふれたように,ポランニーとは別に市場の生成と商人の関係を正面から扱った経済学者にJ. ヒックスがいる。彼は『経済史の理論』のなかで「慣習経済」と「指令経済」の狭間の中で商人が交換の領域を作り出していく状況をとりあげ,商人たちが共同体をつくり商人的国家ならびに植民地を形成して商人的(mercantile) 経済=市場経済の領域を拡大していく過程を描いていった171)。市場の発展は制度的に他の経済領域の仲介者である商人が互いに集合して拡大していく過程であり,市場取引の円滑化を図るため種々の制度(貨幣,法,制裁,信用,銀行など)を発展させていき,最終的には市場経済(商人的経済)の範囲がほかの経済に浸透し拡大していくというシナリオを提示したのである。そしてそのダイナミックな過程には一貫して利潤動機が働いていたのである。市場の領域が商人的経済と重なり,商人の役割をクローズアップさせ,慣習ならびに指令経済の境界部分にあって当初は周辺的な位置にあった点,さらには地中海地域のギリシャ人都市やフェニキア人都市の展開を念頭にあったかも166) Polanyi (1957, 1963)167) Powell (1999)168) Veenhof (1972: 348-51)169) Adams (2009: §6.13), Goddeeris (2002: 392-96)170) Polanyi(1977:訳164-65)171) Hicks (1969)

    人間の文明史

    経済史の理論

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