「クルーグマンさん、MMTは破滅のレシピではないって」BY ステファニー・ケルトン(2019年2月21日)
Modern Monetary Theory Is Not a Recipe for Doom - Bloomberg 2019/2/21
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彼は「MMTとは1943年のアバ・ラーナーの『機能的財政論』の教義とほとんど同じものだ」と切り出す。続いて機能的財政論の批判を行い、「これはMMTにも当てはまる」と言う。
MMTがラーナーの機能的財政論とほとんど同じだというのは正確でない。 MMTは確かにラーナーの「国家の創造物としての貨幣」などの仕事から洞察とインスピレーションを受け継いではいる- しかし、MMT関連の研究を主としてしている米国の学者は、ハイマン・ミンスキーとウエイン・ゴドリーの貢献が重要だとも論じている。たいていはラーナー以上にだと。よって機能的財政論に対する批判はMMTに対する批評ではなく、ある一つの、より広範なマクロ的アプローチの考え方に対する批判ということになる。
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クルーグマンの第二の異議は、ラーナーは、インフレと闘う手段として「増税ないし支出削減に必要な技術的もしくは政治的な難しさについて十分なことを言っていない」というものだ。
ところが実際のラーナーは、このことについてかなり多くのことを言っている。彼の1951年の著書「雇用の経済学」の中で、その問題を扱う章の冒頭の文を引用しておく:「ここまでで雇用の経済学の議論は終了だが、政治および雇用政策一般、とりわけ機能的財政の運営に関して一言二言を付け加えておかなくてはならない。」(強調は原著)
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金利は政策変数であるから、FEDがしなければならないこととは、金利が無限に上昇するのを防ぐために金利を成長率以下に抑えることだ(i<g)。 ガルブレイスが言うように「将来の支出計画の抜本的な削減や、社会保障やメディケア給付を削減する必要はない。」
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彼は財政政策と金融政策の間には本質的なトレードオフがあると信じている。いわゆる流動性の罠の中でなければ、財政赤字は民間投資をクラウド・アウトするとする標準的な見解を採用している。財政赤字は民間の借入と競合して限られた貯蓄を奪い合うというものだ。
MMTはこれを認めない。なぜなら政府の赤字が貯蓄の源泉(消費でなく)だと示されている(邦訳あり)からだ。クラウンディング・アウトが発生することがあることは、いくつかの慎重な研究によって示されているが、それが起こりがちなのは、中央銀行を持たない政府で通貨の発行者にはなっていないような国々だ。
この不一致など、実証的にでも直感的にでも解決できているはずの話に思える。しかしわからない。ラーナーも書いていたように「意志に反して納得させられた人は、まだ同じ意見を持っている」のだから。
「クルーグマンさん、MMTは破滅のレシピではないって」BY ステファニー・ケルトン(2019年2月21日)
ttps://www.bloomberg.com/opinion/articles/2019-02-21/modern-monetary-theory-is-not-a-recipe-for-doom
ここでご紹介するコラムでは、これまでの10年近い論争をまったく踏まえないクルーグマンのやり口にケルトン先生が襲い掛かっておいでです。モズラーやミッチェルをバンバン引用する痛快エントリをお楽しみくださいませ。
ただし、クルーグマンに対し「そんなに債務が怖いなら明日から国債やめちゃわないの?」、みたいにMMT全開なので、このあたりの話に不案内な方は、モズラーのこちらのエントリをあらかじめご覧になっていただければ便利とおもいます。
それでは!
ポール・クルーグマンが初めてMMTについて書いたのは2011年3月25日のことだった。ごく最近は、2019年2月12日と13日に2部構成のシリーズを書いた。しかし彼はほぼ10年間、基本的な考え方を誤解し続けたままだ。
このことを取り上げる理由は二つ。まず、2008年にノーベル賞を受賞したポール・クルーグマンの言葉に人々は耳を傾けてしまうこと。もう一つは、彼の議論のアプローチとは、何百万人もの米国人に影響を与える経済政策をデザインするときの核心に位置しているものと同じものだからだ。ここでは彼の関心事項に合わせて議論を進めよう。
彼は「MMTとは1943年のアバ・ラーナーの『機能的財政論』の教義とほとんど同じものだ」と切り出す。続いて機能的財政論の批判を行い、「これはMMTにも当てはまる」と言う。
MMTがラーナーの機能的財政論とほとんど同じだというのは正確でない。 MMTは確かにラーナーの「国家の創造物としての貨幣」などの仕事から洞察とインスピレーションを受け継いではいる- しかし、MMT関連の研究を主としてしている米国の学者は、ハイマン・ミンスキーとウエイン・ゴドリーの貢献が重要だとも論じている。たいていはラーナー以上にだと。よって機能的財政論に対する批判はMMTに対する批評ではなく、ある一つの、より広範なマクロ的アプローチの考え方に対する批判ということになる。
それはさておき、クルーグマンが考えるMMTer(もしくはアバ・ラーナー)の「間違い」なるものについて検討しよう。 ラーナーのアプローチをよく知らない人用に短く書けばこういうことだ。政府はその財政能力(支出、課税および借入)を、完全雇用と物価安定の維持するために最善になるような方法で使うべきである。この二つの任務は基本的に、連邦準備制度ではなく議会が受け持つべきだとラーナーは言う。
ラーナーは、財政赤字を避けるべきとする「健全財政」の原則が大嫌いで、政策立案者は均衡財政ではなく均衡経済の実現に集中するべきだとした。その結果、必然的に財政赤字になるかもしれず、あるいは均衡財政あるいは財政黒字になっても、それ自体は構わないという。
黒字か赤字は結局、民間部門が政府の関与なしで完全雇用の実現にどこまで近づくかにかかっている。いずれにしても政府はインフレに注目しそこに焦点を当てることが重要で、財政赤字や債務について心配するべきではない。
クルーグマンは、このラーナーの考え(拡大解釈してMMTの考え)には二つの問題があると言う。第一に,「ラーナーは金融政策と財政政策のトレードオフをてんで無視している」と。クルーグマンは特にラーナーが金融政策についての議論を「軽視」し過ぎているとする。金利は「投資のもっとものぞましい水準」を達成する水準に設定すべきであると言うが、どうやって率を決められるかを正確に述べないではないかと。
これは奇妙な批評だ。なにしろ金融政策は目に見えない「自然利子率」、つまり景気が低迷しようが過熱しようが存在しているその率なるものを目標とすべきだという考えにクルーグマン自身が賛成している。ちなみに、中立利子は「とんでもなく間違っている」とする研究もあり、FED議長であるジェローム・パウエルもこの「直接は測定できず、その見積もりには大きな不確実性がともなう変数」に依存したために消極的になりすぎてしまったと認めている。
しかしそもそもラーナーは、経済の最適化のために金利を使おうとしてはいなかった。それは財政政策の割り当てになるからだ。 彼は、政府は増税や借入をすることなく完全雇用を維持するために、必要なものは何でも使う用意ができている状態にしておくべきだと主張した。
ラーナーは、インフレ問題を引き起こす可能性を招かない限り、政府が減税するか新たに発行した貨幣を支出し、ただそれを経済の中に置くことだとした。 のみならず彼は、そうすると「金利が引き下がりすぎ…そして投資が過剰になり、ひいてはインフレを引き起こす」可能性があることも理解していた。
そのためにラーナーは、短期金利が過剰な投資を防ぐのに十分なほど上昇するまで、政府が過剰資金(準備金)を回収するべく債券を売却すべきだと提案した。そうしないと財政赤字の増加によってもたらされた低金利の貨幣が、多くの投資に「クラウド・イン」し、経済を過熱させかねない。言い換えればラーナーは、財政赤字と金利および「借入」の目的の関係について、まったく異なる考え方を持っていたのだ。
クルーグマンが心配しているのはクラウディング・アウト効果だ。これは財政政策と金融政策との間には本質的に緊張関係があって両者にはトレードオフがあるという考え方だ。ラーナーが心配したのはそうしたものではなく、財政政策によるクラウド・イン効果だ。ラーナーは、財政赤字が金利を引き下げ、投資を刺激し過ぎる可能性があることを理解していたから、金利を高めに維持するため国債を売却せよとした。このように「借入(国債)」は財政赤字のためのものではなく、金利を望ましい率に設定するためのものだ。 MMTはこれに賛成し、まったく同じ主張をしている。
クルーグマンの第二の異議は、ラーナーは、インフレと闘う手段として「増税ないし支出削減に必要な技術的もしくは政治的な難しさについて十分なことを言っていない」というものだ。
ところが実際のラーナーは、このことについてかなり多くのことを言っている。彼の1951年の著書「雇用の経済学」の中で、その問題を扱う章の冒頭の文を引用しておく:「ここまでで雇用の経済学の議論は終了だが、政治および雇用政策一般、とりわけ機能的財政の運営に関して一言二言を付け加えておかなくてはならない。」(強調は原著)
クルーグマンは次のように心配する:もし議員連中がラーナーの考え通りの政策を実行するはいいが、どこかで脱線してしまって債務のGDP比が300%になり、金利が成長率より高いという事態になったら?
クルーグマンは続ける。「債務のGDP比率を安定させるには、基本的にGDPの4.5%に相当する財政黒字が必要になるだろう」と。そしてどうすればそんな黒字にできるかが心配だという。「メディケアと社会保障を削減することになるのだろか?」
金利は政策変数であるから、FEDがしなければならないこととは、金利が無限に上昇するのを防ぐために金利を成長率以下に抑えることだ(i<g)。 ガルブレイスが言うように「将来の支出計画の抜本的な削減や、社会保障やメディケア給付を削減する必要はない。」
クルーグマンはこの問題を機能的財政のせいにするのではなく、いったいFEDは債務を持続不可能な軌道に乗せるような水準に金利を維持する理由があるかどうかを考えてみることだろう。私には想像できない。 i>gならば、債務返済額はGDPよりも早く大きくなる。クルーグマンが主張するのはそんな事態だ。
だから、彼が想定するシナリオからこんな疑問が出てくる:債務の対GDP比率が300%であるときに、インフレ率を目標としているFEDが i> gを許容するのだろうか?
ここで日本が良い事例になる。債務比率はまもなく300%に達しそうだ。方や金利は日本銀行が設定する目標に収まっており、政府は容易に財政赤字を維持できている。
第二に、債務の持続可能性にそれほどご執心なら、どうして借りたままにしておこうとするのだろうか。思い出そう、ラーナーは借入れは資金調達とは考えなかった。私も上で説明したように、借入れ(国債)は金融政策を実行する道具、すなわち準備金を除去したり、金利をある率に維持する手段と見なしていた。私の論文はここに。
さらにFEDは今や、金利目標のため債券に依存すること(公開市場操作)はなくなっている。準備金残高に対して目標金利の利子を払っているだけだ。ならば国債を廃止すれば良いではないか? 私たちは借金を完済できるのだから。「明日」にでも。
それが極端すぎると思うならば、三カ月物国債の金利が常にオーバーナイト金利の少しだけ上になるように抑えるだけで十分ではないか? もしグリーンニューディールのために第二次世界大戦のような財政出動に乗り出したいのであれば、議会はFEDに対し、第二次世界大戦の際に行ったのと同じ方法で金利を制限するよう指示することが可能だ。 言い換えれば、クルーグマンが心配する技術的あるいは管理上の問題に対処する方法はたくさんある。
最後に。クルーグマンは、いや、ほとんどの経済学のプロがそうなのだが、経済をスローダウンさせるためにFEDが使える道具立ては短期金利だけしかないと考える。 MMTはそれには賛成しないし、世界中の多くの中央銀行も賛成しないだろう。
いま一つだけ選択肢を挙げるなら、FEDは貸出に安全マージン率を乗せることによって、最大ローン・トゥ・バリュー・レシオ(maximum loan-to-value ratios)なりデット・サービス・キャッシュフロー・レシオ(debt service-to-cash flow ratios)を引き下げることができる。信用の拡大を制限することによって、国家債務の金利を上昇させずに経済をスローダウンさせるというFEDの目標を同時に達成することが可能だ。短期金利の引き上げと比較して、安全マージンを引き上げるこの方法の利点の一つはデフォルトのリスクの低減することだ。
結局どういうことだろうか。ポール・クルーグマンと私の間の同意事項は数多いが、根本的な対立点が残る。
彼は財政政策と金融政策の間には本質的なトレードオフがあると信じている。いわゆる流動性の罠の中でなければ、財政赤字は民間投資をクラウド・アウトするとする標準的な見解を採用している。財政赤字は民間の借入と競合して限られた貯蓄を奪い合うというものだ。
MMTはこれを認めない。なぜなら政府の赤字が貯蓄の源泉(消費でなく)だと示されている(邦訳あり)からだ。クラウンディング・アウトが発生することがあることは、いくつかの慎重な研究によって示されているが、それが起こりがちなのは、中央銀行を持たない政府で通貨の発行者にはなっていないような国々だ。
この不一致など、実証的にでも直感的にでも解決できているはずの話に思える。しかしわからない。ラーナーも書いていたように「意志に反して納得させられた人は、まだ同じ意見を持っている」のだから。
Modern Monetary Theory Is Not a Recipe for Doom
There are no inherent tradeoffs between fiscal and monetary policy.
Paul Krugman first wrote about modern monetary theory on March 25, 2011. He last wrote about MMT in a two-part series on February 12-13, 2019. Although he’s had almost a decade to come to terms with the approach, he is still getting some of the basic ideas wrong.
This matters for two reasons: one, because people listen to Paul Krugman, who won the Nobel economics prize in 2008, and, two, because the approach he is discussing is at the heart of how to design economic policies that affect millions of Americans. I’d like to try to move the conversation forward by addressing his concerns.
He begins by saying, “MMT seems to be pretty much the same thing as Abba Lerner’s ‘functional finance’ doctrine from 1943.” Krugman then sets out to critique Lerner’s functional finance, which he says “applies to MMT as well.”
It’s actually not correct to say that modern monetary theory is pretty much the same thing as Lerner’s functional finance. MMT draws insights and inspiration from Lerner’s work — including his “Money as a Creature of the State” — but the American academics who are most associated with MMT would argue that the contributions of Hyman Minskyand Wynne Godley are at least as important to the project, and probably more so. So, a critique of functional finance is not a critique of MMT but a critique of one component part of the broader macro approach.
But let’s go ahead and examine what Krugman thinks MMT — er, Abba Lerner — gets wrong. For those who aren’t familiar with Lerner’s approach, here’s the thumbnail version: The government should use its fiscal powers (spending, taxing and borrowing) in whatever manner best enables it to maintain full employment and price stability. Basically, he’s saying Congress, not the Federal Reserve, should have the dual mandate.
Lerner abhorred the doctrine of “sound finance,” which held that deficits should be avoided, instead urging policymakers to focus on delivering a balanced economy rather than a balanced budget. That might require persistent deficits, but it might also require a balanced budget or even budget surpluses.
It all depends how close the private sector comes to delivering full employment on its own. In any case, the government should focus on inflation and not worry about deficits or debt, per se.
Krugman says there are two problems with Lerner’s thinking and, by extension, MMT. “First, Lerner neglected the tradeoff between monetary and fiscal policy.”
Specifically, Krugman complains that Lerner was too “cavalier” in his discussion of monetary policy since he called for the interest rate to be set at the level that produces “the most desirable level of investment” without saying exactly what that rate should be.
It’s an odd critique, since Krugman himself subscribes to the idea that monetary policy should target an invisible “neutral rate,” a so-called r-star that exists when the economy is neither depressed nor overheating. For what it’s worth, research suggests the neutral rate “may be flat-out wrong,” and Fed Chairman Jerome Powell has admitted that the Fed has been too cavalier in relying “on variables that cannot be measured directly and which can only be estimated with great uncertainty.”
But Lerner wasn’t trying to use interest rates to optimize the economy. That was a job for fiscal policy. He argued that the government should be prepared to spend whatever is necessary to sustain full employment without raising taxes or borrowing.
Unless it risked creating an inflation problem, Lerner wanted the government to cut taxes or spend newly issued money and just leave it in the economy. But he also understood that this could cause interest rates to “be reduced too low...and induce too much investment, thus bringing about inflation.”
For that reason, Lerner suggested that the government might want to sell bonds in order to mop up excess money (reserves) to the point that the short-term interest rate rose enough to prevent excessive investment. Otherwise, the low interest rates brought about by rising deficits might “crowd in” more investment spending and overheat the economy. In other words, Lerner had a completely different way of thinking about the relationship between deficits, interest rates and the purpose of ‘borrowing.’
He was worried about the potential crowding-in effects of fiscal policy, not the crowding-out effects Krugman believes are part of an inherent tension—tradeoff—between fiscal and monetary policy. Lerner understood that deficits could drive interest rates down and spur too much investment, thus his support of bond sales to maintain higher interest rates. In this way, borrowing was not about financing deficits but hitting some desired interest rate. MMT agrees and makes the same point.
Krugman’s other objection is that Lerner “didn’t fully address the limitations, both technical and political, on tax hikes/or spending cuts” as a means of fighting inflation.
In fact, Lerner actually had quite a lot to say about this. Here’s the opening sentence to an entire chapter on the subject in his 1951 book “The Economics of Employment”: “We have now concluded our treatment of the economics of employment, but a word or two must be added on the politics and the administration of employment policies in general and of Functional Finance in particular” (emphasis in original).
Here’s Krugman’s concern: What if lawmakers made policy the way Lerner thought they should, and it put us in a situation where somewhere down the road, we ended up with a debt-to-GDP ratio of 300 percent, and an interest rate that is higher than the growth rate?
Krugman says, “to stabilize the ratio of debt to GDP would require a primary surplus equal to 4.5 percent of GDP.” And then he wonders how we’re going to get there. “Are we going to slash Medicare and Social Security?”
I have three responses.
First, “there is a devil in the interest rate assumption,” as economist James K. Galbraith has explained. Preventing a doomsday scenario is not difficult. As Galbraith explains, “the prudent policy conclusion is: keep the projected interest rate down.” Or, putting it more crudely, “It’s the Interest Rate, Stupid!”
Since interest rates are a policy variable, all the Fed has to do is keep the interest rate below the growth rate (i<g) to prevent the ratio from rising indefinitely. As Galbraith says, “there is no need for radical reductions in future spending plans, or for cuts in Social Security or Medicare benefits to achieve this.”
Rather than presenting this as a problem for functional finance, Krugman should be wondering why the Fed would ever maintain an interest rate that would put the debt on an unsustainable trajectory. I don’t believe it would. If i>g, then debt service grows faster than GDP, which Krugman argues would be inflationary.
So his hypothetical scenario begs the question: Why would an inflation-targeting Fed permit i>g with a debt-to-GDP ratio at 300 percent?
Japan serves as a pretty good example here, with a debt ratio that might well rise to 300 percent one day. Meanwhile, rates sit right where the Bank of Japan sets them, and the government easily sustains its primary deficits.
Second, if we’re so obsessed with debt sustainability, why are we still borrowing? Remember, Lerner didn’t think of borrowing as a financing operation. He saw it as a way to conduct monetary policy – that is, to drain reserves and keep interest rates at some desired rate — as I explained here.
But the Fed no longer relies on bonds (open-market operations) to hit its interest rate target. It just pays interest on reserve balances at the target rate. Why not phase out Treasuries altogether? We could pay off the debt“tomorrow.”
If that seems too extreme, why not restrict duration to three-month T-bills so interest rates always sit within a hair of the overnight rate? And if we wanted to embark on a World War II-like mobilization for a Green New Deal, Congress could instruct the Fed to cap interest rates the way it did during the actual mobilization for WWII. In other words, there are many ways to deal with the technical and administrative problems that concern Krugman.
Finally, Krugman, like most of the economics profession, appears to assume that the short-term interest rate is the only tool available to the Fed to slow the economy. MMT disagrees, and many central banks around the world do, too.
As just one possible alternative, the Fed could raise margins of safety on lending, such as lower maximum loan-to-value or debt service-to-cash flow ratios. Less credit would be extended, consistent with the Fed’s goal of slowing the economy, while the interest rate on the national debt would not rise. A potential benefit to raising margins of safety, compared with raising short-term rates, is that credit extended could come with reduced risks of default.
Where does that leave us? Paul Krugman and I agree on a great many things, but we come at certain questions from a fundamentally different place.
He believes there are inherent tradeoffs between fiscal and monetary policy. Outside of the so-called liquidity trap, Krugman adopts the standard line that budget deficits crowd out private investment because deficits compete with private borrowing for a limited supply of savings.
The MMT framework rejects this, since government deficits are shown to be a source (not a use!) of private savings. Some careful studies show that crowding-out can occur, but that it tends to happen in countries where the government is not a currency issuer with its own central bank.
This seems like a disagreement we should be able to resolve either empirically or intuitively. But who knows? As Lerner wrote, “a man convinced against his will retains the same opinion still.”
This column does not necessarily reflect the opinion of the editorial board or Bloomberg LP and its owners.
To contact the editor responsible for this story:
Katy Roberts at kroberts29@bloomberg.net
http://econdays.net/?p=10437
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Modern Monetary Theory Is Not a Recipe for Doom - Bloomberg 2019/2/21
https://www.bloomberg.com/opinion/articles/2019-02-21/modern-monetary-theory-is-not-a-recipe-for-doom
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彼は「MMTとは1943年のアバ・ラーナーの『機能的財政論』の教義とほとんど同じものだ」と切り出す。
続いて機能的財政論の批判を行い、「これはMMTにも当てはまる」と言う。
MMTがラーナーの機能的財政論とほとんど同じだというのは正確でない。 MMTは確かにラーナーの
「国家の創造物としての貨幣」などの仕事から洞察とインスピレーションを受け継いではいる- しかし、
MMT関連の研究を主としてしている米国の学者は、ハイマン・ミンスキーとウエイン・ゴドリーの貢献
が重要だとも論じている。たいていはラーナー以上にだと。よって機能的財政論に対する批判はMMTに対
する批評ではなく、ある一つの、より広範なマクロ的アプローチの考え方に対する批判ということになる。
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クルーグマンの第二の異議は、ラーナーは、インフレと闘う手段として「増税ないし支出削減に必要な技術
的もしくは政治的な難しさについて十分なことを言っていない」というものだ。
ところが実際のラーナーは、このことについてかなり多くのことを言っている。彼の1951年の著書「雇用の
経済学」の中で、その問題を扱う章の冒頭の文を引用しておく:「ここまでで雇用の経済学の議論は終了だが、
政治および雇用政策一般、とりわけ機能的財政の運営に関して一言二言を付け加えておかなくてはならない。」
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金利は政策変数であるから、FEDがしなければならないこととは、金利が無限に上昇するのを防ぐために金利を
成長率以下に抑えることだ(i<g)。 ガルブレイスが言うように「将来の支出計画の抜本的な削減や、社会保障
やメディケア給付を削減する必要はない。」
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彼は財政政策と金融政策の間には本質的なトレードオフがあると信じている。いわゆる流動性の罠の中でなければ、
財政赤字は民間投資をクラウド・アウトするとする標準的な見解を採用している。財政赤字は民間の借入と競合し
て限られた貯蓄を奪い合うというものだ。
MMTはこれを認めない。なぜなら政府の赤字が貯蓄の源泉(消費でなく)だと示されている(邦訳あり)からだ。
クラウンディング・アウトが発生することがあることは、いくつかの慎重な研究によって示されているが、
それが起こりがちなのは、中央銀行を持たない政府で通貨の発行者にはなっていないような国々だ。
この不一致など、実証的にでも直感的にでも解決できているはずの話に思える。しかしわからない。ラーナーも
書いていたように「意志に反して納得させられた人は、まだ同じ意見を持っている」のだから。