ロラン・バルトは『映像の修辞学』で意味を保留する映画の代表としてブニュエルの『 皆殺しの天使』を挙げていた…
無論最大級の評価である
ロラン・バルト(Roland Barthes、1915年11月12日 - 1980年3月26日)は、フランスの哲学者、批評家。高等研究実習院(École pratique des hautes études)教授、コレージュ・ド・フランス教授。
「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。」
「その中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、
都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制
するために、そこにあるのである」
(ロラン・バルト『表徴の帝国』)
まさに空虚の中心点としてそこにある「皇居」
「表徴の帝国」(『記号の国』)によれば、西洋が「意味の帝国」であるのに対し、
日本は「表徴(記号)の帝国」であり、ヨーロッパの精神世界が記号を意味で満た
そうとするのに対し、日本では意味の欠如を伴う、あるいは意味で満たすことを拒否
する記号が存在する。その記号は、意味から切り離されることにより、独自の輝きを
持つものとなると記されている。
「その中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、
都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制
するために、そこにあるのである」
(ロラン・バルト『表徴の帝国』)
まさに空虚の中心点としてそこにある「皇居」
「表徴の帝国」(『記号の国』)によれば、西洋が「意味の帝国」であるのに対し、
日本は「表徴(記号)の帝国」であり、ヨーロッパの精神世界が記号を意味で満た
そうとするのに対し、日本では意味の欠如を伴う、あるいは意味で満たすことを拒否
する記号が存在する。その記号は、意味から切り離されることにより、独自の輝きを
持つものとなると記されている。
2010年9月10日 (金)
東京の真ん中の「空虚」な空間について
Network23
駅で東京メトロの路線表を見ていたら、当然なのだけれども真ん中の緑色の場所に気がついた。そこはあの「天皇のおわします場所=皇居」であるということは知っているだけど、広いねえ。完全に小さなひとつの「区」ぐらいの大きさがある。結構な広さだ。周囲1周約5km(これは自転車で走った実走行距離)。勿論、そこは天皇の宮殿だけじゃなくて、宮内庁や宮内庁病院、皇宮警察署などの付帯施設もあるわけなのだが、それにしてもその周囲の東京の人口密度に比較してとてつもなく閑散とした場所であることは確かだ。
ロラン・バルトが『表徴の帝国』で書いたとおり『その中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである』というとおり、まさに空虚の中心点としてそこにある「皇居」は、つい65年前(これを「つい」と言ってもいいのかどうか)までは、空虚どころか、政治を司る中心として(無理やり軍部によって)動いていた時期がある。本来は、その時期においても実は「空虚な中心点」でしかない皇居であったが、しかし「密な中心点として」存在させられた。明治憲法(つまり「天皇は神聖にして侵すべからず」という文言によって)のひとことがあったために、「現人神」として衆人から崇めたてまつられ、要は「神」になってしまったのだ。
東京の真ん中の「空虚」な空間について
Network23
駅で東京メトロの路線表を見ていたら、当然なのだけれども真ん中の緑色の場所に気がついた。そこはあの「天皇のおわします場所=皇居」であるということは知っているだけど、広いねえ。完全に小さなひとつの「区」ぐらいの大きさがある。結構な広さだ。周囲1周約5km(これは自転車で走った実走行距離)。勿論、そこは天皇の宮殿だけじゃなくて、宮内庁や宮内庁病院、皇宮警察署などの付帯施設もあるわけなのだが、それにしてもその周囲の東京の人口密度に比較してとてつもなく閑散とした場所であることは確かだ。
ロラン・バルトが『表徴の帝国』で書いたとおり『その中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである』というとおり、まさに空虚の中心点としてそこにある「皇居」は、つい65年前(これを「つい」と言ってもいいのかどうか)までは、空虚どころか、政治を司る中心として(無理やり軍部によって)動いていた時期がある。本来は、その時期においても実は「空虚な中心点」でしかない皇居であったが、しかし「密な中心点として」存在させられた。明治憲法(つまり「天皇は神聖にして侵すべからず」という文言によって)のひとことがあったために、「現人神」として衆人から崇めたてまつられ、要は「神」になってしまったのだ。
ロラン・バルトが『表徴の帝国』で書いたとおり『その中心そのものは、なんらかの力を放射するためにそこにあるのではなく、都市のいっさいの動きに空虚な中心点を与えて、動きの循環に永久の迂回を強制するために、そこにあるのである』というとおり、まさに空虚の中心点としてそこにある「皇居」
23区の中心に存在する皇居に対し「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。」と述べたことで有名な、日本を題材としたバルトによる表徴論。表徴とは裂け目である。しかし、裂け目から覗いているのもまた、神聖なる〈無〉を覆い隠すためのもうひとつの表徴であるーこのような視点から和食や俳句、果てはパチンコや全学連までを論じるバルトの眼差しは時に過度なきらいはあるものの、時にはっとさせられる内容もあり面白く読めた。特に、女方について「内部の男性はただ、不在化されているのである」という指摘は白眉。
ナイス★41
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2016/10/23
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2016/10/23
https://takeone0124.at.webry.info/200803/article_5.html
zoom RSS 空虚な中心 東京の真ん中 太田道灌から徳川家康
<< 作成日時 : 2008/03/08 17:00 >>
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「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。」
この言葉は、フランスの哲学者ロラン・バルトが独自の日本論を記した「表徴ヒョウチョウの帝国」にあり、1970年に発表されている。
「表徴の帝国」(『記号の国』)によれば、西洋が「意味の帝国」であるのに対し、日本は「表徴(記号)の帝国」であり、ヨーロッパの精神世界が記号を意味で満たそうとするのに対し、日本では意味の欠如を伴う、あるいは意味で満たすことを拒否する記号が存在する。その記号は、意味から切り離されることにより、独自の輝きを持つものとなると記されている。
東京のど真ん中にある江戸城跡の皇居はまさしく空虚だ。最後は、必ずここを訪れることを来た時から決めていた。今日は、皇居の周りを歩いてみよう。
太田道濯が江戸城を築城した当時、その城は、関東に広がる巨大な洪積台地が海に向かって突き出した「ミサキ」の場所に建てられていた。その城はまだ小さなものだったが、眼前に広がる雄大な江戸前の海水は、城の足許をたえず洗っていて、自分の立っているのが、ミサキの境界地帯だとすぐにわかった。中世の城は、よくそういう場所に建てられたのである。
ところが徳川氏が太田道濯の城のあった場所を居城にしたとき、まっさきに考えたことは、もう中世じゃないんだから、いつまでも城をミサキのような境界領域に建てるのはやめにして、城というものを都市のエッセンスを象徴する場所に改めようではないか、という近代的な思いつきだった。そのためには、自分の立っている場所がミサキでなくなればいい。こうして、今日の銀座や新橋の基礎をなす、江戸前の海の大規模な埋め立て計画が、進行していった。
ところが、近代天皇の御代になって、江戸城はふたたび森に戻されてしまった。たしかにそこはもう海水の寄せるミサキの境界領域ではなくなって、大都市東京のむしろ中心部にあった。しかし、この新しい皇居は都市の中心部にありながら、その内部に都市性の原理は及んでこないようにつくられた。皇居は都市性のエッセンスをあらわす場所ではなく、めまぐるしく展開していく都市の外にある、不思議な静けさをたたえた自然の森に、変貌をとげてしまったのだ。
中心がそのまま境界である、という不思議な空間が、こうして東京のど真ん中に出現することになった。
アースダイバー 中沢新一 象徴の森 皇居より
いつも通勤では、東京駅 八重洲南口で改札を出るが、今日は反対側の丸ノ内中央口で改札を出る。
画像
ここから行幸ギョウコウ通りを皇居へ向かうと和田倉門跡があり、和田倉噴水公園がある。この噴水は、昭和36年に皇太子(現天皇)の結婚を記念して造成されたものだそうだ。
画像画像
桔梗キキョウ濠に美しい姿を映す桜田二重櫓ヤグラは、城あとに残る唯一の隅櫓で、三の丸の巽タツミ(南東)にあるため、巽櫓ともいう。その西の門が三の丸に入る桔梗門(内桜田門)だ。
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<< 作成日時 : 2008/03/08 17:00 >>
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「いかにもこの都市は中心をもっている。だが、その中心は空虚である。」
この言葉は、フランスの哲学者ロラン・バルトが独自の日本論を記した「表徴ヒョウチョウの帝国」にあり、1970年に発表されている。
「表徴の帝国」(『記号の国』)によれば、西洋が「意味の帝国」であるのに対し、日本は「表徴(記号)の帝国」であり、ヨーロッパの精神世界が記号を意味で満たそうとするのに対し、日本では意味の欠如を伴う、あるいは意味で満たすことを拒否する記号が存在する。その記号は、意味から切り離されることにより、独自の輝きを持つものとなると記されている。
東京のど真ん中にある江戸城跡の皇居はまさしく空虚だ。最後は、必ずここを訪れることを来た時から決めていた。今日は、皇居の周りを歩いてみよう。
太田道濯が江戸城を築城した当時、その城は、関東に広がる巨大な洪積台地が海に向かって突き出した「ミサキ」の場所に建てられていた。その城はまだ小さなものだったが、眼前に広がる雄大な江戸前の海水は、城の足許をたえず洗っていて、自分の立っているのが、ミサキの境界地帯だとすぐにわかった。中世の城は、よくそういう場所に建てられたのである。
ところが徳川氏が太田道濯の城のあった場所を居城にしたとき、まっさきに考えたことは、もう中世じゃないんだから、いつまでも城をミサキのような境界領域に建てるのはやめにして、城というものを都市のエッセンスを象徴する場所に改めようではないか、という近代的な思いつきだった。そのためには、自分の立っている場所がミサキでなくなればいい。こうして、今日の銀座や新橋の基礎をなす、江戸前の海の大規模な埋め立て計画が、進行していった。
ところが、近代天皇の御代になって、江戸城はふたたび森に戻されてしまった。たしかにそこはもう海水の寄せるミサキの境界領域ではなくなって、大都市東京のむしろ中心部にあった。しかし、この新しい皇居は都市の中心部にありながら、その内部に都市性の原理は及んでこないようにつくられた。皇居は都市性のエッセンスをあらわす場所ではなく、めまぐるしく展開していく都市の外にある、不思議な静けさをたたえた自然の森に、変貌をとげてしまったのだ。
中心がそのまま境界である、という不思議な空間が、こうして東京のど真ん中に出現することになった。
アースダイバー 中沢新一 象徴の森 皇居より
いつも通勤では、東京駅 八重洲南口で改札を出るが、今日は反対側の丸ノ内中央口で改札を出る。
画像
ここから行幸ギョウコウ通りを皇居へ向かうと和田倉門跡があり、和田倉噴水公園がある。この噴水は、昭和36年に皇太子(現天皇)の結婚を記念して造成されたものだそうだ。
画像画像
桔梗キキョウ濠に美しい姿を映す桜田二重櫓ヤグラは、城あとに残る唯一の隅櫓で、三の丸の巽タツミ(南東)にあるため、巽櫓ともいう。その西の門が三の丸に入る桔梗門(内桜田門)だ。
64 考える名無しさん[] 2019/04/18(木) 21:33:33.82 ID:0
“表現体(エクリチュール)とは、一種の《悟り》なのである。”
― ロラン・バルト 『表徴の帝国』 宗左近訳、ちくま学芸文庫 (1996) p14
66 考える名無しさん[] 2019/04/19(金) 00:06:54.23 ID:0
>>64の中では、
阿頼耶識や華厳についても触れいてる
はやし (@t_hayashi)
返信削除2019/10/18 5:13
四方田犬彦が下じきにしているのはまずまちがいなくバルトの発言(« [...] le fascisme, ce n’est pas d’empêcher de dire, c’est d’obliger à dire », Leçon inaugurale)で鷲田清一もまずまちがいなくそれを知ってるはずなのになぜバルトをちょくせつ取りあげないのだろう。 twitter.com/oriori_kotoba/…
【今日のことば】
ファシズムにおいて禁じられているのは反ファシズムの発言などではなく、沈黙なのだ。
#折々のことば #鷲田清一
:朝日新聞デジタル