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木曜日, 5月 02, 2019

ビル・ミッチェルによるマンキュー批判


いったい誰がこれらが「原則」だと言っているのか? それはどうやって決めたのか?いつ? 現実との対応関係はあるのか? 要するにかの言明群は、「これは最も洗練された車です」というような言明と似ている。そうである可能性はあるが、他社のセールスマンは違った見方をしているだろう。

ギッティンズは言う。

経済学とは、人々(そして社会)が織りなすトレードオフについて、また直面するトレードオフを人々が解決する時の手助けについてものだ。社会が直面する典型的なトレードオフは、効率性と公平性の対立だ。 資源配分の効率性とは、限られた資源から社会が最大限の利益を得ることを目指すものだ。 一方、公平性は、資源から得られる利益が社会の構成員の間で公平に分配されることを目指す。 しばしば、ケーキを大きくする(効率の向上)ためにできることが、ケーキのスライスを不均等にする(不公平にする)してしまったり、そのちょうど逆のことが起こる。

このナンセンスを無知なわれわれが聞き流していると、次はこう言われる。経済学とは、競争的主体の間における限られた資源の分配についてのもので、私たちはいつも公平と効率の間の厳しい選択に迫られているのだが、合理的個人である我々はどうすれば最善の選択ができるかがわかるという。

これらの概念そのものは常も漠然としている – いつも上の引用のような感じだ。ところがこれらのメッセージはすぐに政治的になものに進化し、公共的な討論に登場するようになる(それを推すのはこの教義を教える経済学者たちだろう)。

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