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土曜日, 5月 25, 2019

信用創造(&マクラウド)


信用創造(&マクラウド)
 

ミンスキー『金融不安定性の経済学》#10「資本主義経済の銀行業」
ポスト・ケインズ派ハイマン・ミンスキーは「貨幣がユニークなのは、それが銀行による融資活動の中で創造され、銀行が保有する負債証書の約定が履行されると破壊される点にある。貨幣はビジネスの通常の過程の中で創造され、破壊されるのだから、その発行額は金融需要に応じたものになる。銀行が重要なのは、貸し手の制約にとらわれずに活動するからにほかならない。銀行は資金を貸すのに、手元に資金を持っている必要がないのである。この銀行の弾力性は、長期間にわたって資金を必要とする事業が、そのような資金を必要なだけ入手できるということを意味する」と述べている[18]。邦訳#10:309頁別訳

Henry Dunning Macleod (March 31, 1821 – July 16, 1902) was a Scottish economist.

Contents

LifeEdit


Italian translation of Elements of political economy, 1877
Henry Dunning Macleod was born in Edinburgh, and educated at EtonEdinburgh University, and Trinity College, Cambridge, where he graduated in 1843.[1] Macleod traveled in Europe, and in 1849 was called to the English bar. He was employed in Scotland on the work of poor-law reform, and devoted himself to the study of economics. In 1856 he published his Theory and Practice of Banking,[2][3] in 1858 Elements of Political Economy,[4] and in 1859 A Dictionary of Political Economy.[5] In 1873 his Principles of Economical Philosophy[6][7] appeared, and in 1889 his The Theory of Credit.[8][9][10] Between 1868 and 1870 he was employed by the government in digesting and codifying the law of bills of exchange. In 1896, he published The History of Economics.[11]
Macleod's principal contribution to the study of economics consists in his work on the theory of credit, to which he was the first to give due prominence. A major feature of his work was to create a theory of money starting from a theory of credit instead of the usual reverse path. In The Theory of Credit he says: "Money and Credit are essentially of the same nature: Money being only the highest and most general form of Credit" (p. 82). Macleod's Credit Theory of Money influenced Alfred Mitchell-Innes and later work of the modern ChartalistsJohn R. Commons considered Macleod's work to be the foundation of Institutional economics.[12]
In his magnum opus, History of Economic AnalysisJoseph Schumpeter tells us: "The English leaders from Thornton to Mill did explore the credit structure, and in doing so made discoveries that constitute their chief contributions to monetary analysis but could not be adequately stated in terms of the monetary theory of credit. But they failed to go through with the theoretical implications of these discoveries, that is, to build up a systematic credit theory of money..." Then, he adds a footnote: "We might see the outlines of such a theory in the works of Macleod. But they remained so completely outside of the pale of recognized economics..." (Page 718). Then, in page 1,115 Schumpeter concludes: "Henry Dunning Macleod [...] was an economist of many merits who somehow failed to achieve recognition, or even to be taken quite seriously, owing to his inability to put his many good ideas in a professionally acceptable form."
It was Macleod who coined in 1858 the term "Gresham's law".
For a judicious discussion of the value of Macleod's writings, see an article on "The Revolt against Orthodox Economics" in the Quarterly Review for October 1901 (no. 388).[13]

See alsoEdit

ReferencesEdit

  1. ^ "Macleod, Henry Dunning (MLT838HD)"A Cambridge Alumni Database. University of Cambridge.
  2. ^ Macleod, Henry Dunning (1855). The Theory and Practice of Banking. Volume 1. Longman, Brown, Green, and Longmans.
  3. ^ Macleod, Henry Dunning (1866). The Theory and Practice of Banking. Volume 2. Longmans, Green, Reader, & Dyer.
  4. ^ Macleod, Henry Dunning (1858). The Elements of Political Economy. Longman, Brown, Green, Longmans, and Roberts.
  5. ^ Macleod, Henry Dunning (1863). A Dictionary of Political Economy: Biographical, Bibliographical, Historical, and Practical. Longman, Green, Longman, Roberts, and Green.
  6. ^ Macleod, Henry Dunning (1872). The Principles of Economical Philosophy. Volume 1. Longmans, Green, Reader, and Dyer.
  7. ^ Macleod, Henry Dunning (1879). The Principles of Economical Philosophy. Volume 2. Longmans, Green.
  8. ^ Macleod, Henry Dunning (1889). The Theory of Credit. Volume 1. Longmans, Green, and Company.
  9. ^ Macleod, Henry Dunning (1890). The Theory of Credit. Volume 2, Part 1. Longmans, Green, and Company.
  10. ^ Macleod, Henry Dunning (1891). The Theory of Credit. Volume 2, Part 2. Longmans, Green, and Company.
  11. ^ Macleod, Henry Dunning (1896). The History of Economics. London: Bliss, Sands and Co. Retrieved 17 July 2018 – via Internet Archive.
  12. ^ Commons, John Rogers (1990). Institutional Economics: Its Place in Political Economy. New Brunswick, N.J., U.S.A: Transaction Publishers. p. 399. ISBN 0-88738-797-7.
  13. ^ "The Revolt against Orthodox Economics"The Quarterly Review. New York and London: Leonard Scott Publication Company and John Murray (388): 345–371. October 1901. Retrieved 17 July 2018 – via Internet Archive.

External linksEdit


 This article incorporates text from a publication now in the public domainChisholm, Hugh, ed. (1911). "Macleod, Henry Dunning" Encyclopædia Britannica (11th ed.). Cambridge University Press.

信用創造(&マクラウド)
信用創造(しんようそうぞう、money creation)とは、銀行が初めに受入れた預金 (本源的預金) の貸し付けによって預金通貨を創造できる仕組みを表す[1]。簡易には準備預金制度のもとで、銀行のみが有する「貨幣を生み出す」機能を指し、創造される信用貨幣の量は準備預金制度に依存する[2][1]銀行貨幣経済において果たしている重要な機能のひとつ。預金創造とも呼ばれる[1]
一方で異説として、銀行は集めた預金を元手に貸出しを行っているのではなく、信用創造とは、銀行が貸出しの際、借り手の預金口座に貸出金相当額を入金記帳することで、何もないところから、新たに預金通貨を生み出すこと。この預金通貨は借り手が返済すると消滅する[3][4]
銀行は自己にとって債務となる信用貨幣を発行することによって、受け入れた預金を受動的に貸し付ける場合よりも多額の貸付を行うことができる。この追加的架空資本の形成を信用創造という。信用創造の主要な方法は、銀行券発行と預金通貨の発行である[5]

目次

概要編集

信用創造とは、銀行は受け入れた預金以上に貸付けることができるか否かを問うものであって、それを肯定するもの(マクラウド)、否定するもの(リーフ(Walter Leaf))の論争の後、今日では個々の銀行は預金以上には貸付け得ないが、一国の銀行群全体としては本源的預金に数倍する貸付けを行いうる(C.A.フィリップス)というのが通説となっている[6]
預金準備率が10%の時、銀行が融資を行う過程で以下の通り信用創造が行われる[2]
  1. A銀行はW社から預金1,000円を預かる(そのうち900円を貸し出すことができる)。
  2. A銀行がX社に900円を貸出、X社が900円をB銀行に預金する(そのうち810円を貸し出すことができる)。
  3. B銀行がY社に810円を貸出、Y社が810円をC銀行に預金する(そのうち729円を貸し出すことができる)。
  4. C銀行は729円をZ社に貸し出す。
A銀行は1,000円の預金のうち、100円だけを準備として残り900円を貸し出す。A銀行が貸し出しを行うと貨幣供給量は900円増加する。貸出が実施される前は貨幣供給量はA銀行の預金総量1,000円のみであったが、貸出が実施された後の貨幣供給量はA銀行預金1,000円+B銀行預金900円=合計1,900円に増加している。このとき、W社は1,000円の預金を保有しており、借り入れたX社も900円の現金通貨を保有している。この信用創造はA銀行だけの話ではない。X社がB銀行に900円預金することで、B銀行が10%の90円の準備を保有し残りの810円をY社に貸し出す。さらに、Y社がC銀行に810円預金することで、C銀行が10%の81円の準備を保有し残りの729円をZ社に貸し出す。このように、預金と貸出が繰り返されることで、貨幣供給量が増加していく。[2]
以下の図は、1,000円の本源的預金が、預金と貸出がされるたびにその何倍もの預金額となり、貨幣供給量が増えていくことを示している[2]
A銀行の貸借対照表
資産負債
準備 100円預金 1,000円
貸出 900円
B銀行の貸借対照表
資産負債
準備  90円預金 900円
貸出  810円
C銀行の貸借対照表
資産負債
準備  81円預金 810円
貸出  729円
このとき、総貨幣供給量は、以下の通りである[2]。(準備・預金比率:{\displaystyle rr}
本源的預金=1000円
A銀行 貸出{\displaystyle =(1-rr)}×1000円
B銀行 貸出{\displaystyle =(1-rr)^{2}}×1000円
C銀行 貸出{\displaystyle =(1-rr)^{3}}×1000円
{\displaystyle \cdots }
総貨幣供給量={{\displaystyle {1+(1-rr)+(1-rr)^{2}+(1-rr)^{3}+\cdots }}}×1000円
      {\displaystyle ={\frac {1}{rr}}}×1000円

歴史編集

スコットランドの経済学者H・D・マクラウド英語版は、銀行の本質を「要求払いの信用を創造し発行すること」と主張し、シュンペーターアルバート・ハーンドイツ語版フィリップス英語版らにより理論が発展した[1]。マクラウドは従来の経済学の考え方を根底から覆し、信用創造論を中心とする銀行信用の役割について、きわめて斬新な視点を提供したが、その後のフィリップスによる大きな影響のもとに変質を遂げ、貨幣乗数アプローチに基づく貨幣供給理論が現在のマクロ経済学金融論の主流を占めている[7]
ヘンリー・マクラウドの信用創造論の概要は、次の通りである。顧客が取引銀行に1万ポンドの現金を預金として預け入れるとすると、銀行の貸借対照表は、銀行の資産側に現金が1万ポンドが計上され、その負債側に同額の預金が計上され、表1のように表される。マクラウドの言葉によれば、「銀行はその顧客から貨幣を購入し、それと引き換えに銀行は顧客にその帳簿に信用を与える。すなわち、銀行は自分自身に対する同額の請求権を創造する」。銀行は社会的信頼を得ている限り、一方で現金を引き出そうとする顧客もあれば、他方で現金を預けようとする顧客もあるので、大数の法則として預け入れられた預金の一部分だけを手元に支払準備として保有するだけで良いので、ここでは、銀行が3か月払いの4万ポンドの為替手形を買い入れたとする。この場合、割引率を年4%とすれば、銀行の利益は400ポンドであり、この分が手形の買い入れ代金より差し引かれる。つまり、4万ポンドの手形に対して、39,600ポンドの預金が増加することになる。利益の400ポンドは銀行の自己資本として負債(および資本)欄に計上される。この結果、銀行の貸借対照表は表2の通りとなる。銀行は4万ポンドの手形の購入と引き換えに、39,600ポンドの預金(信用)を創造したのである。銀行が貸出しを行った場合も同様である。マクラウドは以上の事例に基づいて、銀行は当初に預かった預金の数倍の収益資産の購入(手形の購入や貸出し)を行うことができると主張し、銀行は信用の製造所であると述べた。そして、銀行によって創造された信用は、小切手その他の支払指図によって、銀行の預金勘定間を自由に移転可能であるから、その性質や効果などあらゆる点において、貨幣と同様であり、信用の創出は貨幣の追加にほかならないとみなした[8]
表1 銀行の貸借対照表(単位:ポンド)
資産負債
現金   10,000預金   10,000
計    10,000計    10,000
表2 銀行の貸借対照表(単位:ポンド)
資産負債
現金   10,000預金   10,000
為替手形 40,000預金   39,600
    利潤    400
計    50,000計    50,000

フィリップスは、「本源的預金 (primary de- posits) 」をもとにその乗数倍の貸し出しかできるため、その乗数的な預金である「派生的預金 (derivative deposits)」 が創出されると主張した[9]。フィリップスにより提示された「本源的預金と派生的預金の区別、個別銀行と銀行システムとの関係、貸し出し拡張の限界」に関する理論は信用創造の通説となり、部分的修正や精緻化を行う研究者が後に続いた[8]
フィリップスの公式(X:貸出限度、C:現金、R:支払準備率)[1]
{\displaystyle X={C\times (1-R) \over R}}
1930年代になると、貨幣乗数の理論が登場し、合わせて理解されるようになる[1]
ハートレー・ウィザーズ(Hartley Withers)はその主著『貨幣の意味』において、「あらゆる貸出しは預金をつくる」と述べ、銀行貸出の増加も、銀行の政府証券の購入も、銀行預金を増加させるという点では同一の効果をもたらすと指摘した[10]ジョン・メイナード・ケインズは 『貨幣論1』において「本源的預金」に対応する「受動的に創造する預金」 、「派生的預金」に対応する 「能動的に創造する預金」という概念を用いてフィリップスと同様の理論を提唱し、さらに、信用創造能力は理論上は無限であると主張した[11]クヌート・ヴィクセルもケインズと同様銀行の信用創造能力は無限であるとし、さらに、その能力は貨幣に対する市場の需要によって決定されるとした[12]。また、イギリスの経済学者であるR.G.ホートレー英語版は、「銀行貸出こそが貨幣供給の源泉」であるとした[13]

信用創造と景気循環編集

設備投資による借り入れなどが増加する景気のよい時期には、自然と貨幣が増加する。一方、設備投資が一巡し、新たな借入よりも返済が多くなれば、景気は落ち着き、貨幣は減少する。
このように信用創造は、貨幣需要(資金需要)にあわせて変動し、景気(名目GDP)と正の相関をもつことが想定される。マネーサプライ(現金+預金)と名目GDP(物価×実質GDP)の比をあらわすものには貨幣の所得速度がある。

内生的貨幣供給理論編集

イングランド銀行の季刊誌(2014年春号)は「現代経済における貨幣の創造」の中で、銀行は、民間主体が貯蓄するために設けた銀行預金を原資として、貸出しを行っているのは、通俗的な誤解であると指摘している[14]。銀行による貸出しは、借り手の預金口座への記帳によって行われるに過ぎず、銀行は何もないところから、預金通貨を作り出している。銀行は預金という貨幣を元手に貸出しを行うのではなく、その逆に、貸出しによって預金という貨幣を創造している。貨幣を負債の一種とみなす信用貨幣論を前提とし、需要に応じて銀行によって貨幣が供給されるとする理論は内生的貨幣供給論と呼ばれている[15]
さらにイングランド銀行の季刊誌(2014年春号)は「現代経済における貨幣の創造」の中で、中央銀行がベースマネーの量を操作し、経済における融資や預金の量を決定しているという見解は通俗的な誤解である[16]と指摘している。中野剛志によれば企業などの資金需要の増大が銀行の貸出・預金を増やし、そしてベースマネーを増やすのであって、ベースマネーの増加が銀行の貸出しを増やすのではない[17]
また中野は、現代経済において銀行は元手となる資金の量的な制約を受けることなく潜在的には無限に貸出しを行うことができ、制約があるとすれば、貸し手側の資金力にではなく、借り手側の返済能力にあるとする。銀行は借り手に返済能力があると判断する限り、いくらでも貸出しに応じることができる。現代のような複雑かつ大規模な資本主義経済が可能になったのは、その中心に、銀行による信用創造があるからである。銀行は貸出しを増やせば、それに応じた準備預金を増やさなければならないので、金利を調節すれば、銀行の融資活動に影響を及ぼし、貨幣供給を調整することができる[15]としている。
ポスト・ケインズ派ハイマン・ミンスキーは「貨幣がユニークなのは、それが銀行による融資活動の中で創造され、銀行が保有する負債証書の約定が履行されると破壊される点にある。貨幣はビジネスの通常の過程の中で創造され、破壊されるのだから、その発行額は金融需要に応じたものになる。銀行が重要なのは、貸し手の制約にとらわれずに活動するからにほかならない。銀行は資金を貸すのに、手元に資金を持っている必要がないのである。この銀行の弾力性は、長期間にわたって資金を必要とする事業が、そのような資金を必要なだけ入手できるということを意味する」と述べている[18]

国債と内生的貨幣供給理論編集

日本政府は私企業とは異なり、民間銀行に口座を保有しておらず、円に関する預金口座は日本銀行のみに開設している。また銀行が国債を購入するには、銀行が日本銀行に保有する当座預金残高を利用している。その具体的な過程は以下の通りである。
  1. 銀行が国債(新発債)を購入すると、銀行保有の日銀当座預金は、政府が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
  2. 政府は、たとえば公共事業の発注にあたり、請負企業に政府小切手によってその代金を支払う
  3. 企業は、政府小切手を自己の取引銀行に持ち込み、代金の取立を依頼する
  4. 取立を依頼された銀行は、それに相当する金額を企業の口座に記帳する(ここで新たな民間預金が生まれる)と同時に、代金の取立を日本銀行に依頼する
  5. この結果、政府保有の日銀当座預金(これは国債の銀行への売却によって入手されたものである)が、銀行が開設する日銀当座預金勘定に振り替えられる
  6. 銀行は戻ってきた日銀当座預金でふたたび国債を(新発債)を購入することができる
  7. したがって、銀行の国債消化ないし購入能力は、日本銀行による銀行にたいする当座預金の供給の仕振りによって規定されている
赤字国債の発行にもとづく政府支出の場合であれ、建設国債の発行にもとづく政府支出の場合であれ、銀行は受け入れた預金を基礎に国債を購入するわけではなく、逆に、政府が国債を発行し、銀行がそれを購入することによって、預金が創造される[19]。1から6までの過程自体は、少なくとも論理的には無限に続き得るものであり、この過程が示すように政府の支出は民間企業の貯蓄となる。政府の財政赤字は民間貯蓄によってファイナンスされているのではなく、その反対に、政府の財政赤字が民間貯蓄を生み出している[20]

出典編集

  1. a b c d e f 信用創造』 - コトバンク
  2. a b c d e マンキュー 1996, pp. 248-249.
  3. ^ 中野剛志『奇跡の経済教室』KKベストセラーズ、2019年、pp.96-105
  4. ^ 建部正義『はじめて学ぶ金融論』第2版、大月書店、2005年、pp.45-51
  5. ^ 川崎誠一「信用創造」編集代表 荒憲治郎種瀬茂『経済学用語の基礎知識〔増補版〕』有斐閣、1981年、p.134
  6. ^ 川合一郎「信用創造」大阪市立大学経済研究所 編集『経済学辞典』第3版、岩波書店、1992年、p.742
  7. ^ 古川 2014, pp. 25-26.
  8. a b 古川 2014, pp. 34-39.
  9. ^ 古川 2014, p. 32.
  10. ^ 古川 2014, pp. 32-33.
  11. ^ 古川 2014, pp. 39-41.
  12. ^ 古川 2014, pp. 40-41.
  13. ^ 古川 2014, pp. 43-47.
  14. ^ Michael Mcleay, Amar Radia and Ryland Thomas, 'Money Creation in the Modern Economy' 『Quarterly Bulletin』2014b, Q1, Bank of England, pp.14-27
  15. a b 中野 2016, pp. 67-70.
  16. ^ Michael Mcleay, Amar Radia and Ryland Thomas, 'Money Creation in the Modern Economy' 『Quarterly Bulletin』2014b, Q1, Bank of England, pp.14-27
  17. ^ 中野 2016, p. 69.
  18. ^ Hyman Minsky, 『Stabilzing an Unstable Economy』McGraw-Hill Education, 2008, p.278
  19. ^ 建部正義「国債と内生的貨幣供給理論」『商学論簒』55(3)、2014年、pp.598-599
  20. ^ 中野 2016, p. 102.

参考文献編集

関連項目編集

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