プルードン語録
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プルードン語録
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- <アソシアシオンとは何か——機能と生産物に応じた産業諸力の組織化である>(プルードン)
- <アソシアシオンのあらゆる計画のなかには、何らかの程度でこの権威の観念が見出されるのであり、それはつねに、人間をもっと自由にするために人間を隷従させるという結論に行きつくのである>(プルードン)
- <アソシアシオンは、相互性の原理によってより純化されたより簡単になりより正当なものになれば、容易に支えうるものになり、新たな発展をもたらすであろう>(プルードン)
- <アソシアシオンは断じて指導的原理ではない>(プルードン)
- <アソシアシオンは自由を束縛する>(プルードン)
- <アソシアシオンは友愛と同じく不正確な言葉だ>(プルードン)
<アソシアシオン反対!それは自由を束縛する。……何らかのアソシアシオンへの加入はすべて自由の譲渡である>(プルードン)
- あなたが高い位の人間なら、その職を解いてあげよう。これであなたは自由だ。役職にあてがわれた制服を着ていると、高慢で不遜で怠惰な人間になってしまう。科学が求めるのは自分自身の考えに逆らうことなのだが、要職についたひとが考えることは、自分自身の待遇である。(『貧困の哲学』プロローグ)
- あなたたちが貧乏人の軽率さと人口増加を大声で非難するのであれば、われわれもそれに負けじと大声で、金持ちの偽善と強奪行為を非難しよう。(『貧困の哲学』第13章)
- あなた(民主主義派)にとって必要なのは、権力や政治を消滅させて社会改革をすすめることではなく、権力と政治を再構築することなのである。そのとき、(中略)権力の真実の友である貴族や王党派、つまりあなたの競争相手はそれが幻想であることをよく知っている。(『貧困の哲学』第7章)
- <あまり多くのものを要求しないようにしましょう。獲得したもので満足しましょう。いま重要なことは、この勝利を花火のように消えさせてしまわないことです>(プルードン)
- <あらゆるア・プリオリなドグマチズムを一掃したのちに、こんどはわれわれが人民をわれわれの意志に従わせたりするようなことはけっしてしないようにしましょう>『プルードンからマルクスへの手紙』(プルードン)
- <あらゆる社会問題は分配、流通、交換の問題であって、それ以外ではない>(プルードン)
- <あらゆる政体のうちで、唯一真実なものがあるが、それは普通選挙の組織化に由来するものだと考える>(プルードン)
- あらゆる正しい思考は一定の時間と二つの契機を必要とする。二つの契機はそれぞれ他方の否定であり、そして、より高次の観念のもとでどちらも消えてしまう。したがって、アンチノミーは生命と進歩の法則そのものであり、永久運動の原理なのである。(『貧困の哲学』第14章)
- <いかなる政府もいかなる権威も相互性の原理と両立しない。それだけではなくて、いかなる権威も改革に役立たない。なぜならあらゆる権威は平等と権利に反するからだ>(プルードン)
- イギリスはあちこちの王国からものを取りつくし、地上の金を自分のもとへ吸い寄せた。しかし同時に、地球上のあらゆる地点から貧困がイギリスにやってきた。途方もない財産家が誕生した反面、すべての小所有者が財産を喪失し、人口の三分の二が赤貧階級に変貌した。(『貧困の哲学』第9章)
- いま、あらゆるところで、搾取される側にたいして搾取する側が結託している。そうなると、地上はまもなく奴隷たちの兵舎でしかなくなるだろう。私が望むのは、資本が労働に出資し、労働者一人ひとりが経営者となり、特権者にもなれるようにすることだ……。(『貧困の哲学』第10章)
- いま緊急になされるべきは、消費税を全面的に廃止することである。消費税は民衆を疲労困憊させ、飢えで苦しめる。それは急進的な改革者ばかりでなく、経済学者の結論でもあるのだ。(『貧困の哲学』第7章)
- <階層的構造が原始的社会の存在条件であるように、アナルシーは成熟した社会の存在条件である>(プルードン)
- 科学・技術・組織化により産業が改善されていけばいくほど、世界全体で労働は強度の面でも時間の面でも(つまり量的にも質的にも)増大していく。したがって、生産は相対的に減少する。そして、その行きつく先はこうだ。すなわち、社会において生産物の多さは労働の増加と同義である。(第13章)
- <革命は普遍的にならなければ、フランスにおいてさえ崩壊するであろう>(プルードン)
- <革命は理念なしにおこなわれた>(プルードン)
- <過去二五年間にわたって丹精したわたくしの経済学の全観念は農工連合体ということばに要約される。>(プルードン)
- 貸方と借方、購入と販売の対立は、われわれがすでに定めた信用の将来的な目標、すなわち生産と交換を均衡させるという目標を、きわめて明瞭にしてくれる基本的な対立である。しかし、それに加えて、いわゆる複式簿記がわれわれにもうひとつの対立を明らかにする。ひとと物の対立である。(第10章)
- 価値はつぎの三つの様相であらわれる。まず最初は使用価値、それから交換価値、そして総合的価値ないし社会的価値である。この三つ目が本当の価値である。第一項がその対立物である第二項を生み、この二つが相互に浸透し吸収しあって第三項を生みだすのだ。(『貧困の哲学』第3章)
- <可能なかぎり小さく相互に独立した諸グループによるアソシアシオンの分割——これが自由の原理だ。これが節約と安価の原理でもある>(プルードン)
- <彼(プルードン)は新大陸に、だれも導き手として役立たないほど新しく、未開拓の領域に到達した。矛盾は、彼の思想のなかによりも、それが映しだす対象そのもののなかにあった>(ゲラン)
- 関税の制度は、経済学者のバカげた想像とは異なり、けっして独占に奉仕するものではない。むしろ独占を成り立たせる条件にとっての障害、独占の発達と存立にとっての障害なのである。したがって、そういう制度は廃止しなければならないし、廃止されるであろう。(『貧困の哲学』第9章)
- <管理の集中と、非常に不均衡な産業を単一の指導のもとに結合することが、費用の低減をもたらすと一般に考えられている。これは間違いだ。というのは分割すれば官僚制は必要でなくなるからだ>(プルードン)
- 議会というコメディのへたくそな役者である君主や議員の諸君よ、諸君の正体はつまりは未来を封じようとする魔よけの札にすぎない。毎年、民衆のうめき声があなたの耳にとどく。解決を求められると、それを無視するのがあなたの賢さだ。そういう特権を守る必要があるだろうか。(『貧困の哲学』第4章)
機械はけっしてひとりでには動かない。機械が動き続けるためには、周囲から組織的にたくさんのサービスを受けなければならない。けっきょく、まわりに道具が増えれば増えるほど、人間はますます多くのしごとを自分でつくりだす。(『貧困の哲学』第4章)
- 共産主義は政治経済学のすべての矛盾を、その逆の面において再生産する。共産主義の秘密は、生産・交換・消費・教育・家族といった社会機能のいずれにおいても集合的人間が個人のかわりにあらわれることにある。(『貧困の哲学』第12章)
- 競争が個人的な利益のためにのみおこなわれ、その社会的な成果を科学が確定するわけでもなく、国家が保持するわけでもないばあい、競争は民主主義と同じ道をたどるだろう。すなわち、内乱状態から少数者支配へ、さらには独裁制へ向かい、それが崩壊すると、再び内乱が始まる。(『貧困の哲学』第5章)
- <競争と協同は相互に支えあっており、一方は他方なしには存在しない>(プルードン)
- <競争を破壊することは問題になりえないのであって、自由を破壊することと同じく不可能なことである>(プルードン)
- 競争を否定すれば、二つの選択肢しか残らない。ひとつは奨励、すなわちごまかし、もうひとつは自己犠牲、すなわち偽善、この二つしかない。(『貧困の哲学』第5章)
- <協同組織は決して経済力ではない。それはもっぱら一つの精神的絆、良心に課せられたものであり、労働と富にたいしては何の効果もないし、むしろ有害な結果をもたらすものである>(プルードン)
- 共有とか友愛とかに訴えるのは、まだ早すぎる。分業や機械の使用のなかで育った人間たちのあいだには、共有されるものは何もなく、友愛も存在するわけがない。少なくとも現在のところ、われわれが解決を求めるべきはそちらの方向ではない。(『貧困の哲学』第4章)
- <経済的革命とともに国家は完全に消滅すること、そして国家のこの消滅は信用の組織化と租税の改革の必然的結果である>(プルードン)
- <契約は契約当事者たちに、彼らの個人的約束から結果する以外のいかなる義務も課さない>(プルードン)
- <契約はどのような外的権威の支配も受けない。それはただそれだけで当事者たちの共通の規範を形成する。それは契約当事者たちの自発性からのみその実施を期待する>(プルードン)
- <結合することが少なければ少ないほど、それだけ多く自由である>(プルードン)
- 「結婚は愛の墓場である」すなわち「愛の解放である」という諺が民衆の錯覚をあらわす。民衆はことばをつねに具体的にしか理解せず、愛というものを欲情が胸のなかで暴れること、血がたぎることだと理解していた。愛は結婚とともに消え去ると諺で言う(…)まさしくこうした愛のことである(第13章)
- <権威は、討議し抵抗する、あるいは服従する自由なしには空語である。自由は、その対極をなす権威なしには無意味である>『連合の原理』(プルードン)
- <堅実な基礎の上に立っているすべての協同組織においては、契約の連帯性が最低限の必要性の範囲を決して超えていない>(プルードン)
- 権力がもちいる時間とお金は、納税者からまきあげたもの。没落した業者に税金をつかって補償金を支払うのは、あらたな発明をおさえつけ、銃剣によって共産主義をつくりだすようなものである。それは問題を解決することではない。国家による賠償にこれ以上こだわるのは無益だ。(『貧困の哲学』第4章)
- 権力は集合的な力の道具であり、社会のなかで労働と特権の仲介役としてつくられたものであるから、必然的に資本に服従し、プロレタリアートに対立する方向で操作される。いかなる政治改革もこの矛盾を解決することができない。(『貧困の哲学』第7章)
- 権力は本質的には資本と同様、労働を補助する従属物なのに、社会に敵対関係があることによって、生産的な諸機能を偵察し、判定し、上から支配するものとなる。もともとは劣位にあるものが自分への服従を命じる。王、君主とはこういう権力なのである。(『貧困の哲学』第7章)
- こうしていまも、二つの勢力が覇権を競い、相対立する二つの信仰のために激しく非難しあっている。一方は政治経済学、すなわち伝統、他方は社会主義、すなわちユートピアである。(『貧困の哲学』第1章)
- <個人の数がふえるにつれて社会的紐帯はたえず弛緩してゆくということから、空想家たちは権威や社会的指導権をますます権力や摂政に集中させるように導かれた。>(プルードン)
- <国家とは社会力の外的構成体である>(プルードン)
- <国家の目的は正義を組織し、もたらし、遵守させることである。正義は国家の本質的な属性であり、中心的な機能である>(プルードン)
- <国家の目的は正義を組織し、もたらし、遵守させることである。正義は国家の本質的な属性であり、中心的な機能である>(プルードン)
- 国家は(中略)いかなる形態のものであっても、平等な社会に素直にしたがう機関にならないのであれば、国家とは民衆にとって逃れようのない地獄だということ。私がすでにほのめかしたように、民衆がそういう地獄におちるのは当然の報いである。(『貧困の哲学』第7章)
- <国家は、国民を援け市民やコミューンにつくすかわりに、それらから持物をとりあげ、搾取する強大な株式会社になる。>『連合の原理』(プルードン)
- この争いの結果はご存じのとおりだ。値引き販売合戦、在庫過剰、不景気、輸入禁止、競争の根絶、独占、賃金の下落、最高価格法、財産のはなはだしい不平等、そして貧困。こうしたことが価値のアンチノミーから生じる。(『貧困の哲学』第2章)
- <コミューンがそれ自身の法に基かず、より上位の法を承認せざるをえなくなるや否や、コミューンを部分とする大集団がコミューンの連合の関係の表現ではなくてその上位者である事が明瞭になるや否や、いつの日かコミューンはこの大集団と矛盾に陥り、闘争が勃発する事は避けられない>(プルードン)
- <コミューンは主権者であるか出先機関であるか、すべてであるか無であるかのどちらかであって、その中間はないのである。>(プルードン)
- <産業は哲学と諸科学の母である>(プルードン)
- <漸進的アソシアシオンの大原則は、現物での商品交換の原則である>(プルードン)
- <漸進的組合——その最初の中核が一たび形成されれば、つぎつぎに産業のあらゆる方面に向かい、その販路の重要性がますにつれて、請負業者にさえ販路を提供するという改善が実現するであろう>(プルードン)
- <漸進的組合の組織化に関する私の出発点は何か。それは神権でも力でも情念でも、……権威でも犠牲でも慈善でも献身でも平等でもない。……それは自由である。相互性は自由そのものである>(プルードン)
- <漸進的組合は銀行、貯蓄・保険・互助金庫になるだろう>(プルードン)
- <しかし私は、それ(公益のためにつくられた大規模なもの)がひとたび公衆にひきわたされれば、それらを国家の手中にとどめておく必要を決して認めない。私の考えでは、そのような中央集権化は、あまりにも過度の権力を形成する>(プルードン)
- <自己目的としての協同組織は純然たる宗教行為、超自然的な絆であり、実際的価値のない神話である>(プルードン)
- 司祭がついに得心すべきは、貧困こそが罪だということ、そして、宗教や神と戦うことこそがわれわれを永遠の命に値するものにする真の美徳だということである。(『貧困の哲学』第14章)
- 資本家は労働者を、自分たちの陰謀の使い走りにし、自分たちのどんちゃん騒ぎの仕出し屋にし、自分たちの略奪行為の共犯者にする。資本家は労働者をまったく自分とそっくりにする。そうしたうえで資本家は豪語する。革命の正義など達成されるはずがない、やれるものならやってみろと(第8章)
- <社会革命が政治革命を通じて到来するなら、社会革命は重大な危機にさらされるだろう>(プルードン)
- <社会革命は、政治的団体の全体およびそのあらゆる諸部分において自発的に遂行される、一つの変革である。>(プルードン)
- <(社会革命は)もっとも散文的な事柄であり、革命的エネルギーや偉大な言葉にはもっともふさわしくない事柄>(プルードン)
- 社会主義者たちよ、われわれの最大の敵はユートピアなのだ。経験の光をかざし、決然とした足どりで歩きながら、われわれはただ前に進めという指令のほかには何も知らない。(『貧困の哲学』第10章)
- 社会主義者は「労働者が利害に関心をもつのは良いことだ」と言う。──私はさらに「それは正しいことだ」と言おう。しかし、利害関心は同意にもとづく責務よりも人間を強く動かし、はっきり言えば人間としての義務よりも強いもので、この利害関心をもつからこそ人間は罪を背負わされる(第8章)
- 社会の構造的な矛盾をもちだして、人間の罪をカバーすることはできない。さらに言えば、社会の矛盾それ自体を眺めると、それはヒエラルキー体制の理論にほかならない。ヒエラルキーは社会の基本形態であり、したがって非難することのできないものなのである。(『貧困の哲学』第8章)
- 社会の真理はユートピアのなかにも慣習のなかにも見出しえない。(中略)この地球における人類の最終目的であると思われる決定的な組織化をなしとげるために、残されている課題は、われわれのあらゆる矛盾についての一般方程式を立てることだけである。(『貧困の哲学』第14章)
- <社会の第三の形態、すなわち共産主義と所有権との総合、それを我々は自由となづける。>(プルードン)
- <社会は政府を指導原理と考え、自分の理性を補うものにほかならないと考えた>(プルードン)
- 奢侈を憎んで禁欲を説き、自由を恐れて服従を説き、先の見通しにおびえて静寂主義を説く。共産主義は普遍的な窮乏であり、恒常的な窮乏である。いつもびくびくし、いつもいらいらする。創意工夫に乏しく、実行力に乏しく、風格に乏しい。つまり、共産主義は貧困の宗教なのである。(第12章)
- <自由が救われるためにフランスが敗北し、面目を失うことが必要だとすれば、あなたは躊躇するでしょうか。わたしはこのようなためらいを知りません>(プルードン)
- <(宗教は)われわれの本性のもっとも本源的で、もっとも破壊しがたい本能>(プルードン)
- 自由に放任され、より上位の有効な原理によって導かれることがなければ、競争はあいまいな運動にすぎない。産業の力が無目的のまま振動し、どちらも有害な二つの極のあいだで永遠にゆれ続けることである。(『貧困の哲学』第5章)
- <集権的管理を採用すれば必ずゆきすぎになるであろう>(プルードン)
- 集合的な産業の進歩のおかげで、個人の一労働日あたりの生産量はますます大きくなり、その必然的な結果として、労働者は以前と同じ賃金でも日ごとにますます裕福になっているはずなのに、社会にはますます栄える層と、その反対にますます貧窮する層が存在する。(『貧困の哲学』第2章)
- 収入を超えるほど重たい税を資本に課することはできないのと同様、課税の対象がどう分類されようと、資本家はつねに優遇され、プロレタリアばかりが税の不公正と抑圧で苦しめられる。まちがいは税の割り当てにではなく、財産の割り当てにある。(『貧困の哲学』第7章)
プルードン
恐るべし - 商業において、横領と交換は同一だ。そして、本当に驚かされてしまうのは、その体制をいずれの側の良心も弁解しないことのみでなく、そのような体制がまさに正義によって命じられたものだという点である。(『貧困の哲学』第14章)
- <諸君が労働の組織化について語るとすれば、それはあたかも自由を根こそぎにすることを提案するようなものである>(プルードン)
- 所有という名詞は、原理においては強盗や泥棒と同義語なのだが、この時点から長い年月のうちに、それとわからぬ所有の変化によって、また宗教的なスタイルできわめてしばしば表明される未来への期待によって、まさしく泥棒や強盗の反対語になった。(『貧困の哲学』第11章)
- <所有とは不労収得権、すなわち働かずに利得する力である。>(プルードン)
- 所有の共同化を協同(アソシアシオン)と取りちがえないようにしよう。所有者=個人なら慈悲や正義や恥にたいする感受性を示すことができるが、所有者=団体は情と無縁で、良心の呵責もない。(『貧困の哲学』第11章)
- <所有の深い意味が見出されるのは、とりわけ家族においてである。家族と所有とは相互に支えあいながら、両者を結合する関係によってのみ意味をもちながら、前進する>(プルードン)
- 所有は、使用し乱用する権利、一言でいえば専制である。専制は、ものの破壊を志向していると見なされるものではない。使用し乱用する権利とは、そのように理解されるべきものではない。破壊のための破壊は、けっして所有者があらかじめ狙いとするものではない。(『貧困の哲学』第11章)
- 所有は先占の権利であり、かつ排除の権利である。/所有は労働の対価であり、かつ労働の否定である。/所有は社会の自発性の産物であり、かつ社会の崩壊である。/所有は正義の制度である。が同時に、所有、それは盗みである。(『貧困の哲学』第11章)
- <所有は他の所有にたいして無力である>(プルードン)
- 所有は、ものの保有においてのみならず、ものの生産においても反社会的である。労働用具を絶対的に支配する女主人は、不完全でいんちきでひどい生産物しかつくらない。消費者はもはや、まともなものを与えられず、ただ金を盗まれるだけだ。(『貧困の哲学』第11章)
- <所有を支配し吸収し変革すべき重大な経済的、社会的事実は交換である>(プルードン)
- <人類の組織は共産主義的でも社会主義的でも所有者支配でもない。それは相互主義的である>(プルードン)
- 信用が社会にもたらした環境は、われわれが想像しうる以上の最悪のものであった。そこでの人間は、ものを最大限に乱用できるが、ものを最小限にしか所有しえなかった。(『貧困の哲学』第11章)
- 信用は、その本質からしても目的からしても、宝くじと同様、与える分よりもかならず多くを要求するものである。(中略)それをしなければ信用ではない。したがって、そこにはかならず大衆からの略奪があり、またどのように変装しようとも、それは資本による労働の一方的な搾取なのである。(第10章)
- <すべての生産物は、生産者の手から生じるのだが、あらかじめ社会によって抵当権が設定されている。>(プルードン)
- 税金、したがって警察──われわれはこの二つの概念を今後は区別しない──は、貧困のあらたな源泉である。(『貧困の哲学』第7章)
- <生産者自身、社会を構成する諸個人の数に等しい分母をもつ一分子としてしか、自分の生産物に対して権利をもたない。……労働者は自分の生産物の所持者ですらない。>(プルードン)
- 生産と消費がぴったり同一のものをあらわす二つのことばであるのと同様に、教育は労働を身につけることであり、また豊かさを身につけることであると考えられる。ものを楽しむ能力は、ものを生産する能力と同様に、科学と訓練を必要とするのだ。(『貧困の哲学』第13章)
- <生産の組織化は、社会主義者の会議でおしゃべりをすることによっておこなわれるものではない。それは仕事に参加することによって、働くことによって、生産することによっておこなわれるのである>(プルードン)
- 政治経済学は、そのすべてのカテゴリーにおいて宗教の観念の矛盾を再生する。(『貧困の哲学』第14章)
- <正当性、合法性、寛容という三つの性格が革命の正義を構築する>(プルードン)
- <政府のもっとも古い要素、権威の城砦が宗教であることには異論の余地はない>(プルードン)
- <(政府万能主義的偏見は)もしも政府が一方の手から他方の手に移るならば、……人民のために労働と福祉と自由を確保することが可能になると信じる>(プルードン)
- <たがいに連帯せよ、その自立性を捨てよ、契約の絶対の掟のもとに身を置くべし>(プルードン)
- 誰もが税金は金持ちが払うべきだと言う。税金は贅沢品やムダなものにかけるべきで、生活必需品にはかけるべきではないと言う。要するに、税金は特権者のための一種の特権だとされる。大まちがいの考えかたである。なぜなら、それは事実上、特権の正当性を認めることだからだ。(『貧困の哲学』第7章)
- <抽象的な人民主権ではもはやない、労働者大衆の現実的な一つの主権を我々はもつ。>(プルードン)
- 長期の動乱がくりかえされたおかげで、ここ数年、社会主義に魅力を感ずる人間がわれわれのあいだでも増えてきた。すると、これまで議論には興味も関心もなかったひとびとが、それに恐怖を覚えて、宗教的な思想や君主制の思想に駆け込む。(『貧困の哲学』第1章)
- 貯蓄銀行の経済上の秘密の目的は、貯金という手段で、食糧暴動や同盟やストライキを予防することにある。これは、いつの日にか労働者を襲って労働者を絶望においやるかもしれない不幸を、労働者の人生全体に振り分ける。(『貧困の哲学』第10章)
- 貯蓄銀行の政治的で体制的な目的は、それに求められる信用によって、民衆を事物の秩序にしばりつけることにある。なるほど、社会の安定、市民の平等、産業による権力支配にむけてのあらたな一歩であるが、しかし、同時にそれはエゴイズムの助長であり、信用への失望である。(『貧困の哲学』第10章)
- <手のくぼみに思想をもつものは、頭に思想をもつものよりも、しばしば知的な人間であり、あらゆる場合により完全な人間である>(プルードン)
- <手労働の熟練は整備された設備にとってかわられ、人間と素材の役割は逆転している。精神はもはや労働者のなかにはなく、機械のなかに移っている>(プルードン)
- 同時に同一の視点から肯定もされ否定もされるようなものが真理と言えるのだろうか。矛盾があればそれは誤りの証拠だとした昔の論法はお払い箱にしなければならないのだろうか。(中略)アンチノミーを正しく理解しておかないと、かならずそれはたちまち矛盾とひとつになる。(『貧困の哲学』第2章)
- <闘争がおこれば、論理的に見ても力の点でも勝利するのは中央集権である>(プルードン)
- 独占に独占で対抗することは、盗みに盗みで対抗することだ。(中略)経済学者は、労働者の権利を問題にするばあいには国内における独占を擁護し、有閑階級の消費を問題にするばあいには外国人による独占を擁護する。経済学者は、利害闘争の理論を唱えるために、すべてを利用するのである。(第9章)
- 独占の体制のもとでは、税は純粋にたんなる反発にすぎないものになっている。税は、独占者の保有物に手を出したりはするが、けっきょくは賃労働者の立場をさらに悪化させてしまうような、一種の非合法活動にすぎない。(『貧困の哲学』第7章)
- どんな政治党派の価値についても、まったく幻想をもたなかったのは商人だけである。商人は政治のどの党派についても、ひとしく自分が利用できるもの、すなわちどれもそろってバカだと考える。(『貧困の哲学』第8章)
- <なぜ社会にはかくも多くの苦痛や貧困があるのか。人間は永遠に不幸であらねばならないのだろうか。>(プルードン)
- なぜなら、先人も言うとおり、体系的な矛盾はかならずあらたな構築を予告するものだからである。そのうえ私は、この構築のための土台をすえることはすませた。したがって、経済の矛盾の体系を明らかにすることこそが、普遍的な協同の基盤となるのである。(『貧困の哲学』第3章)
- <二〇年にわたってくり拡げられたわたしの経済思想のすべては、農=工連合という三つの言葉に要約される。私の全政治的見解はおなじような公式に還元される。すなわち政治的連合あるいは分権化>(プルードン)
- <二〇世紀は連合制の時代を開くだろう。>(プルードン)
- <二〇世紀は連合の時代を開くであろう。さもなければ人間は千年にわたる煉獄をくりかえすことであろう>『連合の原理』(プルードン)
- 人間が、子どもができるという結果にはつながらないようにして、快楽だけを望み、追求していくと、結婚はいわば余計な制度となる。青年たちは生殖と無縁の性生活をおくる。家族は消滅する。そして家族の消滅とともに所有が消滅する。経済の運動は解決をもたぬまま、社会は野蛮状態に戻る。(第13章)
- <人間だけが主観的・客観的なあらゆる宿命論から自己を解放しようとし、また実際に解放するのである>(プルードン)
- 人間にかかわる事実はいずれも人間の理念の体現である。したがって、社会経済の法則を研究することは、理性の法則を理論化することであり、哲学を創造することである。ここから、ようやくわれわれは本来の研究のみちすじをたどることができる。(『貧困の哲学』第4章)
- <人間はアソシアシオンに反撥する。協同していないかのように協同すること——これが問題だ>(プルードン)
- 人間は芸術家としての本性によって、自分の労働を理想化する傾向をもつわけだが、自分の性愛を理想化するのも人間には必要なことである……。(『貧困の哲学』第13章)
- <人間は、私的利益と普遍的利益との対立を、本能と理性との対立とおなじく和解しがいたいものと考え、新たな調停者を求めた。国王がそれであった。こうして人間は、自分の道徳性と判断の主体性を脱ぎすて、自分の自主性を放棄した>(プルードン)
- 歯車仕掛けの現代の社会においては、労働も資本もどちらもひとりでには停止しない。資本は利子が二倍になれば増えるのと同じように、労働は分業と機械によって無限に重たくなる。労働と資本は、創造や時間と同じように、果てしもなくずっと追求され続けるものである。(『貧困の哲学』第13章)
- <反動が革命を規定する>『19世紀の革命観』(プルードン)
- ひとは、商工業において、経営者として労働者の賃金からいくばくかを差し引くたびに、あるいは、自分が受けとるべきもの以上の利息を受けとるたびに、盗んでいる。(『貧困の哲学』第11章)
- <人びとは、反動的傾向に反対するために、革命家ではなくて純潔な乙女を求めている>(プルードン)
- 貧困というと経済学者はいつでも労働者自身のせいにする。すなわち、貯蓄心のなさ、怠惰、自尊心の欠如、無知、身持ちの悪さ、早婚などをもちだす。こんな駄弁に何の意味があろう。こうした不道徳、不品行はすべて貧困の外観にすぎないのだ。(『貧困の哲学』第3章)
- 貧困の先行、これは未開状態の特徴でもあったが、所有の体制のきわだった特徴でもある。そして、これこそ私がマルサスに反対し、かれの理論を無価値なものにするもっとも主要な普遍的事実なのである。(『貧困の哲学』第13章)
- 貧乏人を怠け者だと言って非難するのは、まず最初に一般の民衆である。下層階級のひとびとが、一度も救貧院に行ったことがないのを貴族のしるしみたいに自慢したり、生活が一番苦しかったときにも公的な施しをいっさい受けなかったことを自慢したりするのは、きわめてよくある光景だ。(第8章)
- フーリエとその一派は、つねにこのような矛盾した与件にしたがって行動した。つまり、労働者をアンチノミーの総合によって、あるいは資本や所有よりも上位の原理によって解放することを求めず、つねに資本の補助金と権力の恩恵を乞い願うばかりだった。(『貧困の哲学』第13章)
- <普通選挙の不可侵性は、自由の守護神である>(プルードン)
- <普遍的協同組織は協同組織の無効性の同義語である>(プルードン)
- <普遍的協同組織は真の合言葉である>(プルードン)
- <分業がなければ、才能や能力は生まれえないし、産業家は永続的な幼稚さのなかに停滞する。しかもいまや同じ原理が我々を、この根元的な愚鈍にひきもどしている。>(プルードン)
- <分業の結果、労働は創意も理想もない機械的、画一的、単一的、初歩的な操作になり果てた!>(プルードン)
- 平等は社会の最高の法則であるが、しかし、それは固定した形ではまったくない。それは無限につらなる差分の平均である。したがって、平等は経済の進化の第一段階、すなわち分業のときからわれわれの前にあらわれた。こうして、平等は摂理による立法のときからずっとあらわれ続けている。(第14章)
- <平民の解放を要求しながら、平民を叛徒にするか啞にしてしまうことになる選挙の方式を平民の名において受入れること——これは何たる矛盾であろうか>(プルードン)
- <変化は急速である。われわれは、もっとも有力な個人でさえも単に数字で呼ばれるような巨大な株式会社にむかって進んでいる>(プルードン)
- 無一物で、寄る辺もなく、その日暮らしの者たちは、わが身さえ守れず、ましてや結婚することなど話にもならない。何の基盤もないまま結びつくよりは、結びつかないほうがましなのだ。したがって、労働者階級はあさましい生きかたしかできないよう運命づけられている。(『貧困の哲学』第11章)
- <無機的存在においてはもっとも低い段階にあり、動植物においてはより高められた段階にある自発性は、人間において自由の名のもとで完全なものになる>(プルードン)
- <もっとも権威主義的な社会においてさえ、一部は必らず自由のために残されている。もっとも自由な社会においてさえ、一部は権威のために残されている>『連合の原理』(プルードン)
- <もっとも賢明な政策は、人類永遠の進化が大股にではなく、目にも見えず音もなく実現されていくように、一歩一歩革命に道をゆずることである>(プルードン)
- <やがて腐敗が、汚職が、自堕落がこの制度に浸透する。それは、自分を支えること、その特権をふやすこと、業務をふやし、予算を膨張させることに専念し、やがて専制と事なかれ主義に陥る>『連合の原理』(プルードン)
- <友愛のユートピアの作者たちは、集合力、分業または交換のみに属する美徳と効果を、理由も証拠もなしに組合契約に帰属させた>(プルードン)
- <(有機体的とは)あらゆる政治制度、あらゆる国家組織に優越する、社会の内的で古くからある組織を構成するもの>(プルードン)
- <流通は真の普遍的協同組織である>(プルードン)
- <(流通は)全産業と全財産を相互に結びつける>(プルードン)
- <ルイ・ブランは、……彼自身が書いているように、善事をなすために独裁的権威を要求している>(プルードン)
- <労働が個人的自由の同義語であること、交換の正義を別とすれば、労働の自由は絶対的であるべきこと、政府は自由な労働を規制したり制限したりするためではなくて、それを保護するために存在すること、これらのことを人びとは理解しようとしない>(プルードン)
- <労働が分割され、機会が改良されればされるほど、労働者の価値はますます低くなる。したがって彼はより僅かしか支払われなくなる。……それは一つの宿命的な論理であって、いかなる立法もいかなる独裁もその結果をまぬがれることはできない>(プルードン)
- <労働者アソシアシオンは生産の炉床であり、現在の株式会社にとってかわるべき新しい原理、新しいモデルである>(プルードン)
- <労働者の結合と調和とから、かれらの諸努力の集中と合同とから生まれるこの強大な力に対して、資本家は何も支払わない。>(プルードン)
- <労働者は、自分の労働の代価の所有者ですらないし、またそれを完全に処分することすらできないのだ。>(プルードン)
- 労働者は投機的な市場の犠牲となり、手足をしばられて資本の利得のためにいいように使われてきた。ここからもたらされるのが、細分化された労働の悲劇的な帰結、機械による抑圧、競争による破滅的な動乱、税金の不公平と不条理なのだ。(『貧困の哲学』第9章)
- 労働は、自由・愛・野心・才能と同様、そのものとしてはあいまいで、輪郭もはっきりしないが、対象を得てはじめてその性質がはっきりと確定される。すなわち、労働は生産物によって具体的現実となる。(『貧困の哲学』第2章)
- <労働は物質に対する人間の知的活動である。労働は、経済学者にとって、人間と動物とを区別するものである。>(プルードン)
- 私が対決する秘かなプロパガンダは、白日を求めず、批判に挑戦せず、路地裏の薄暗がりに身を隠す。私が対決するのは、その破廉恥な官能主義、卑俗な文学、図々しい乞食根性、労働者階級の一部に拡がりはじめた知性と魂の鈍化である。私は社会主義の汚辱といっさいかかわらない。(第12章)
- <わたしは協同組織が不可欠であるような状況を認める>(プルードン)
- <わたしは僧侶と全抑圧機関を犠牲にする決意をしていますから、文明と自由な思想が要求するばあいには、フランスそのものを犠牲にするでしょう>(プルードン)
- 私は、労働の組織化や富の分配といった大問題に、アプリオリに答えを出さない。私は既存の政治経済学を、人類の奥義が秘められたものとして検討していく。私は、事実が発生した順序にしたがって、事実そのものに語らせよう。(『貧困の哲学』第2章)
- われわれが信用と名づけ、そして一般にすばらしい成果が期待されている社会的なアンチノミーの現段階においては、きちんと組織化されているものはまだひとつもない。労働はこまかく分割されたままであり、工場は親方制と賃労働制に、市場は競争と独占にゆだねられている。(『貧困の哲学』第10章)
- <われわれの世代に欠けているのは、ミラボーのような人物でも、ロベスピエールのような人物でも、ボナパルトのような人物でもない。それはヴォルテールのような人物である>(プルードン)
- <われわれの眼から見れば、その法則にしたがって組織された普通選挙は民主主義の制度そのものである>(プルードン)
- <われわれは運動の先頭にいるのですから、われわれを新しい不寛容の指導者にしたり、たとえ論理の宗教、理性の宗教であるとしても、新しい宗教の使徒を自任したりしないようにしましょう>『プルードンがマルクスへの手紙』(プルードン)
- <われわれは革命的行動(武装蜂起)を社会改革の手段として提起するようなことをしてはなりません。なぜならこの手段なるものは、力に、恣意に訴えることであり、簡単にいえば矛盾だからです>(プルードン)
- <我々は、資本家が彼らの産業を営なむことを妨げはしない。利子つき貸借を禁止するものではない。……我々は自由を侵害するものでもない。……我々はただ、生産物の流通のために資本家に年貢を支払うことを欲しない人びとがそれを支払うことを強制されないことを要求するだけだ>(プルードン)
- <われわれはただ、貨幣によって表現される君主政的で個人主義的な原理と交換銀行によって表現される共和主義的で相互主義的な原則とのあいだに競争が開かれることを要求するだけだ>(プルードン)
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《社会革命が政治革命を通じて到来するなら、社会革命は重大な危機にさらされるだろう》(プルードン)
《アソシアシオンとは何か——機能と生産物に応じた産業諸力の組織化である》(プルードン)
《アソシアシオンのあらゆる計画のなかには、何らかの程度でこの権威の観念が見出されるのであり、それはつねに、人間をもっと自由にするために人間を隷従させるという結論に行きつくのである》(プルードン)
<アソシアシオンは、相互性の原理によってより純化されたより簡単になりより正当なものになれば、容易に支えうるものになり、新たな発展をもたらすであろう>(プルードン)
<人類の組織は共産主義的でも社会主義的でも所有者支配でもない。それは相互主義的である>(プルードン)
<経済的革命とともに国家は完全に消滅すること、そして国家のこの消滅は信用の組織化と租税の改革の必然的結果である>(プルードン)
《権威は、討議し抵抗する、あるいは服従する自由なしには空語である。
自由は、その対極をなす権威なしには無意味である》『連合の原理』プルードン
<競争を破壊することは問題になりえないのであって、自由を破壊することと同じく不可能なことである>(プルードン)
<所有は他の所有にたいして無力である>(プルードン)
<所有とは不労収得権、すなわち働かずに利得する力である。>(プルードン)
<社会革命は、政治的団体の全体およびそのあらゆる諸部分において自発的に遂行される、一つの変革である。>(プルードン)
<人間はアソシアシオンに反撥する。協同していないかのように協同すること——これが問題だ>(プルードン)
<漸進的アソシアシオンの大原則は、現物での商品交換の原則である>(プルードン)
<われわれはただ、貨幣によって表現される君主政的で個人主義的な原理と交換銀行によって表現される共和主義的で相互主義的な原則とのあいだに競争が開かれることを要求するだけだ>(プルードン)
<結合することが少なければ少ないほど、それだけ多く自由である>(プルードン)
<友愛のユートピアの作者たちは、集合力、分業または交換のみに属する美徳と効果を、理由も証拠もなしに組合契約に帰属させた>(プルードン)
<人間はアソシアシオンに反撥する。協同していないかのように協同すること——これが問題だ>(プルードン)
<アソシアシオンのあらゆる計画のなかには、何らかの程度でこの権威の観念が見出されるのであり、それはつねに、人間をもっと自由にするために人間を隷従させるという結論に行きつくのである>(プルードン)
交換銀行によって表現される共和主義的で相互主義的な原則とのあいだに
競争が開かれることを要求するだけだ》
《いかなる政府もいかなる権威も相互性の原理と両立しない。それだけではなくて、
いかなる権威も改革に役立たない。なぜならあらゆる権威は平等と権利に反するからだ》
《漸進的組合の組織化に関する私の出発点は何か。それは神権でも力でも情念でも、
……権威でも犠牲でも慈善でも献身でも平等でもない。……それは自由である。
相互性は自由そのものである》プルードン
自由は、その対極をなす権威なしには無意味である》『連合の原理』プルードン