水曜日, 7月 03, 2019

dylan 1985 interview


1985年

Spin, December 1985 (Scott Cohen) [late Sept]

[https://www.interferenza.net/bcs/interw/85-dec.htm 原文全文 邦訳が当時雑誌ロッキングオン1986.4に載った]



インタビューしたいのですか?どうぞ。


 プレスは僕とインタビューしたがってるそうですが、実行しようとしないんで

す。そして、僕のせいにして、インタビュー嫌いという神話を作り上げてしまっ

たんです。僕が神話という言葉から連想するのはボブ·ディランなんかじゃなく、

宇宙です。なぜ日が沈むと月が登るのかとか、なぜさなぎが蝶になるのか、とか

ね。

 僕は世捨人なんかじゃありませんよ、本当に。ただ、長い間プレスと話をしな

かったのは、個人的な問題が山積していて、それらの解決の方を優先させていた

からです。それに、自分自身についてしゃべるのは好きじゃないし、かといって

僕がしゃべりたい事、~ゲット-のボス、罪と救済、 人間の欲、希望のない子供達

などについてしゃべったところで、プレスは掲載してくれないでしょう?

 僕がインタビューするとしたら、既にこの世にいない人々と話したいですね。

ハンク·ウィリアムス、アポリネール、聖書のヨゼフ、マリリン・モンロー、ジョ

ン・F・ケネディ、マホメット、使徒パウロ、ロシアの小説家ゴーゴリー、リ

ンカーン大統領を殺したジョン・W・ブース。こうした、この世になぞと混乱を

残して死んでいった人々には非常に興味を覚えます。

 生きている人達で、インタビューに値する者がいますかね。政治家はうそしか

しゃべらないし、世界一の金持ちにも関心がないし、尊敬している人達はそっと

しておいてあげたい。とすると、 残るのはごく普通の人々のごく普通の生活だけ。

しかし、"なぜあなたは魚を食べないのですか"なんて質問したところで、僕の

人生の疑問は解けないんです。


ダーク·サングラス


 黒メガネをかけるのは近視だから。夜、車を運転する時は、色なしのメガネにか

えます。一番好きなサングラスは、黒ビニール製マスクのついたオートバイ

のヘルメット。これだと頭の後も隠せるからです。今探してるのは、 色つきでも

色なしでもいいから、壁の向ら側まで見通せるメガネ。


追憶のハイウェイ61


 60年代について知りたいのなら、ノーメイラーの『夜の兵隊』とかマーシャル

· マクルーハンを読めばいいんです。30年代の真実を書き残している人々

は大勢いますし、シンガーはその一部にすぎません。 僕ひとりでは、あまり多く

の事は語れませんよ。はっきり憶えていることもあれば、いないこともある。そ

の点、ギンズバーグやケルアックは、全てを鮮明に思い出せる才能に恵まれてい

る稀有の人達ですね。


マイ·バック·ページ (ニュース性に乏しいかもしれませんが……) 


 僕がクールだと思うのはマイルス·デイビス。小さなクラブで、しばらくッロ

を吹いてから、 観客に背を向けて楽器を置き、ステージを去る。バンドにはその

まま演奏させておいて、最後に再び現われてほんの少し吹く。 僕もこういう演奏

をまねてみたことがあるんです。そしたら、観客は僕が病気かなんかと思ったら

しいですよ。

 僕の最初の ヒーローはジョニー・レー。彼には今も生きていてほしいと思います。

彼がどんなに偉大であったか、世間は忘れてしまっていますから。

 僕が電話して返事をもらえなかったのは、CBSの社長のウォル ター·イエト

ニュフだけ。僕が、午前三時に長距離電話を入れたというのにですよ。

 最近買ったレコードは、ルシール·ホーガンのブルースです。コンテンポラリ

ー・レコードはあまり買 いません。レコードを買う時は、レコード屋に電話して

取っておいてもらい、誰かに取りにいかせます。

 運転免許証に載っている名前はボブ・ディラン。数千年前にフォーク·シティ

ーという "会社"に就職した時、ユダヤ人の名前じゃ労働組合に入れないから変

えろと言われたんです。

 テレビでスポーッを観戦することはないんですが、~一度だけイギリス·ツアー

中に、ウインブルドンでマッケンローがコナーズを破った試合を見ました。楽屋

にテレビがあったので、早めに出かけて行って、試合中ずっと見ていました。い

つもは、あれ程長く何かに熱中しないんですけどね。

 ミネソタ育ちだから、スケートとホッケーは得意ですよ。野球は近視だからあ

まりやりませんし、バスケットも子供達とやる位。 フットボールは、ボールに触

ったことすらないな。

 僕の人生にかかわった女性達については、今は全然会わなくなった人達も含め

て親友だと思っています。


ブルーにこんがらかって


 ナサニエル・ホーソンの書簡集を読だことがあります。手紙は全部ある女性

に宛てたもので、非常にパーソナルですが、僕には彼の意味するところが推測できま

したね。僕の歌,僕自身とオーバーラップするものがかなりあります。しかし、

パーソナルな詞を書いたとして、他人がそこから僕の性格を詮索しようと構わな

いという気持ちから、それをパーソナルなままにしておく場合もあれば、自分の

考えていることを他人に考えてもらいたくないんで、パーソナルでない詞に書き

変える場合もあります。


ヤンキー・パワーの話


 最もいい歌とは、未知の事柄についての歌です。しかし、それは現実逃避です。

僕は、想像の世界より現実の出来事を歌う方が重要だと思いますから、 そういう

曲はほとんど作りませんね。それに、自分で体験したことのない未知の事柄を書

いても、それを体験したことのある人が必ずどこかにいるものです。

 エドガー・アラン・ポーの短編小説は、彼の伝記を読めば想像の所産であること

は明らかです。人々はポーを変人だと言いますが、作品からそういう風に判断す

るのは不合理です。ハーマン·メルビルについてはどうでしょう。「白鯨」や「ペ

テン師」は体験に基づいた小説とされていますが、想像で書いた部分もあると思

いますね。彼が鯨の背にまたがったことがあるなんて、考えられませんからね。

 僕は物を書くことを熟知している人間だと思われているらしく、よく質問を受

けるんですが、実際にはたいして知っちゃいないんです。また、知っていたとこ

ろで意味ないですしね。僕が物を書くようになったのは、自分が歌手だからです。

このことは重要だと思うんです。変化する世の中にあって、特定の事柄は書きと

め、歌い継いでゆく必要がある。そう考えて書き始めたんです。もし他に誰かそ

うした事柄を歌ってくれる人がいたら、僕は物を書くなんてことを始めなかった

と思います。

 詞を書き始めたのは高校を出てからで、18才かそこらの頃です。まず、ギンズバ

ーグ、ゲイリー・スナイダ ー, フィリップ・ウォーレン、フランク·オハラなん

かを知るようになり、次にランボーとかバイロンなどのフランスの詩人を読みま

した。そして、彼等の詩に合わせて曲を書き始めたんです。当時はフォーク・ソ

ングとジャズが全盛で、またこの二つのシーンは密接につながっていましたね。

クラブなんかに行くと、詩人が小編成の楽団に合わせて詩を朗読していました。

僕の詞は、本で読んだ詞よりはジャズ·バンドに合わせて詩人が読んだ詩からょよ

り多くの影響を受けました。


シーング·ザ·リアル·ユー·アット·ラスト(おまえは誰だ?)


 僕の詞に登場する"おまえ は、僕が話しかけている僕の場合もあれば、他人

の場合もあります。あいまいにしておくのが僕流で、誰が誰かは読む人に勝手に

決めてもらえばいいんです。"おまえが おまえ"に話しかけている場合だっ

て多いんですから。"僕と僕"という時の"僕"も同様にさまざまです。僕自身

の時もあれば、僕が創造した "僕"の時もある。“僕"と称している他人の時だ

ってある。それはそうと、今ここで僕が“僕"と言っているのは、誰のことでし

ょう?


オール·アイ·リアリー·ウォント(ピート·シガーになりたい)


 レコードを作り、ライブを続けている限り、その時々のシーンを無視すること

はできません。僕はピート· シガーじゃありませんからね。時々、彼のまねをし

て、二、三千人の人々をリードして合唱させてみたりするんですが、うまくゆき

ません。彼はこういうことにかけては天才でしたね。群集を四つのパートに分け

て、時には外国語ですら歌わせることができたんですから。彼は、未開社会の祈

藤師と同じです。群集は彼を信頼していました。ロックン・ローラーはそうじゃ

ない。群集の幻想をかき立てているだけです。ティアーズ·フォー·フィアーズ

を見ていると、まるでフットボールの試合を見ているような気になります。


ボブ·ディランの115番目の夢


 一九六一年にコロムビア·レコードと契約を結んだ時は、すごくうれしかった

ですね。それ迄に、フォークウェイズ、トラディション、プレステージ、ヴァ ン

カードといった多くのフォーク·レーベルから拒否されてきましたから。

ボブ·ディランの13番目の夢は、アルバムの『フリーホィーリング」です。ジ

ャケットで僕と腕を組んでいるのは、当時一緒に住んでいたスーズ ·ロトロ

です。


ニューポート


 エレキ·ギターを群集の前で初めて弾いたのは、弱年のニューポート・フォー

ク· フェスティバルにおいてでした。も、その前にエレクトリック·サウンド

による『ブリンギング。く ·ホーム』というヒッ.L.セーミ

L.トミバムを出していましたから、人々が騒ぎ出すなんて想像すらしてませんでしたね。

あの時は、絶対に観客の方が間違っていたんです。人間というものは、 人生に一

度や二度は思い出すのすら嫌な大失敗をやらかすものですが、そんな時人々はし

らん顔している。なのに、あの時のようにごく自然なことをしても、暴動のよう

なリアクションを示す。なぜたなんです?ま、どうでもいいですが。


悪夢のドライブ


 66年にオートバイ事故で大けがをして、しばらく病床に伏していました。それ以

前からものすごく傷ついていましたから、物事をじっくり考えてみるいいチャンス

でした。あの事故がなければ、ひょっとして僕は自殺していたかもしれません。


ゴスペル·ブラウ(神称、ヘルブ!)


『スロー·トレイン·カミング』を出した後、未発表の曲が20曲ほどあったので、

四年のツアーではそれだけを歌うことにしたんです。観客は、僕が宣伝のためで

なく愉しみのために小さなクラブで演奏している、みたいに見てくれました。と

ころが、宣伝、しかも否定的たな宣伝になってしまったんですね。ある評論家が、

徹底的にアンチ·ボブ·ディランのレヴューを書いたんです。その人は、ショー

のコンセプトを全く理解していませんでしたし、ボブ·ディランのファンと称し

ていましたが、昔から僕を嫌っていたんじゃないかなと思いましたね。

 他にも多くの評論家が「以前は我々の生き方を変えたディランなのに、なぜ今

それができないのか」と書き立てました。言い訳がましいですね。彼等の期待はあ

まりにも大きすぎて、彼等自身でそれに応えられない。だから、他人にそれを期

待するんです。

 けなされるのは意に介さないんですが、人的憎しみは別ですからね。 最

初に出たレヴューが、人々の自由な判宏を妨げるほど否定的だったため、八週間

ブッキングされていたツアーのチケットはどこに行っても売れず、かなりの負債

をかかえてしまいました。今でも、あのショーは当時のシーンの動きと密接な関

係があったと思っているんです。


寂しき4番街


『寂しき4番街』は非常に一次元的な曲で、自分では気に入っているんですが、

これは、 いわゆる男女関係について歌ことで自分の無罪を証明しようとした唯

一の曲です。僕は虚偽の関係を結んだことは一度もないんです。もちろん、他の

男性と同じ位にはいろんな関係を持ってきましたよ。でも、マスコミに書き立て

られるんで、 常に長続きしないんです。


ハート·オブ·ゴールド


 たった一度だけ、他人が僕そっくりに歌うのを聞いて嫌な気分になったことが

あります。 22年頃、ニール·ヤングの『ハート·オブ·ゴールド』が大ヒットして

いたんです。ニール·ヤングは以前から好きだったんですが、あの曲を聞いた時、

「なんてことだ、まるで僕じゃないか」と思いましたよ。その頃アリゾナのフェ

ニックスに住んでいたんです。衆人環視|のニューヨークやウッドストックでの生

活に疲れてしまい、フェニックスでしばらく何もかも、自分自身さえも忘れて寛一

ぎたかったんです。ところが、ラジオのスイッチをひねった途端、僕じゃない僕

が聞えてくるじゃないですか。印象は強烈で、誰かが僕のものを盗んで逃げたよ

うな感じがしましたね。そのショックからまだ完全には立ち直ってません。


ハズ·エニボディー·シーン·マイ·ラブ?(愛した女性達のこと)


『タイト·コネク ション』は僕の作品の中で最もビジュァルな曲で、映画を作り

たいと思ったりします。また、これは登場人物が誰かはっきり分る唯一の曲でも

あるんです。それがどうしたって言われても答えようがありませんが.·おそら

く、この曲を必要以上に重要に見せたいという心理が働いていたんでしょう。『ア

イム·ア·ラン ブラー、アイム·ア·ギャンブラー」を知ってますか? かつて

恋人がいた。年は十六。彼女はべルトンの花、セイリーンのバラ" という曲です。

同じ女性の、少し若い頃を歌っているんです。

 75年から今日まで、僕の曲に直接ないしは間接的に登場する人物はとてもリア

ルで、はっきりと認識できます。しかし、それ以前の人物は霧の彼方に消えてしま

いました。僕のライブを聞いたことがある人ならご存じのように、僕は74、75、

76年頃の曲はほとんど歌いません。その当時の曲について、今は身近かに感じな

いからです。「欲望」(現在は離婚してしまった妻に宛てたラブ·ソング『サラ」が

収録されていることで有名なルバム)の曲は、どれもぼんやりとしか思い出せ

ません。


百万ドルさわぎ


 グラミー賞のセレモニーに出席するなんて僕らしくないのは分っていますが、

スティービー·ワンダーと一緒なら面白いかもしれないと思ったんです。 あの夜、

僕はとりたてて何もしませんでしたし、スピーチもさっぱりだったと思います。

僕にとって、あれは会場に出かけてゆき、ふだん着から仕事着に着替えた、ただそ

れだけのことです。


愚かな風


 ビデオも僕の性に合っていません。デイブ·スチュアートと録った最新ビデオ

は良い作品です。しかし、他は命ぜられるままに作ったにすぎません。ビデオに

関心はないし、レコードを出すための義務としてやっているまでです。しかし、

ビデオを作ったからといって、ビデオの陰に隠れているわけにはゆかない。ライ

ブもちゃんとやらなくちゃならないんですよ。


Xレイテッド(レコードの自主検関について)


 トップ40のレコードならいざ知らず、僕のレコードがレコード倫理の検閲にひ

っかかるなんて、まず考えられませんね。ヒット·レ ードを出す ミ ージシ ャン

は、いつも検問のことを心配していなくちゃならないんでしょうが、僕の詞は安

全です。これからだって、自分の書きたい古いタイブの歌を書き続けてゆくこと

でしょうしね。最近のヒット曲は好きになれないんで、ラジオでかかる曲がXレ

イテッド(成人向き)であろうとRレイテッド(準成人向き)であろうとどうで

しかし、 そういうラ ン クづけには反対なんです。どんな曲でも、別の角

度から見ることも出来るはずです。

 人々は、 僕の詞を深読みしすぎるんですね。たぶん、僕のレコードにはF&B

の格印が押されているんじゃないかと思いますよ。ええ、地獄の黙示録的(聖書の

黙示録に、地獄の責め苦として火(ファイア)と硫黄(ブリムスーン)が出てくる)という意味。いや、待って

くださいよ、Bはひょっとして退屈(ボアリング)かもしれません。


Which letter?

F and B, Fire and Brimstone. But I don't know about the B, that could stand for Boring. Certainly a lot of stuff today would fall into that category.


雨の日の女


 僕が心惹かれる女性には特徴があって、それは声なんです。まず、女性の声に関

心を持ちますね。子供の頃聞いた音は、絶えず僕に話しかけてくる声でした。何

っかもが空虚に感じられる時は、スティプル・シンガースのレコードに何時間も

耳を傾けます。あるいは、クリスタルズの『ゼン·ヒー·キスド·ミー』、クライ

ド・キング、メンフィス·ミニーなど。これらの声には不思議な魅力があって、

聴くたびに我を忘れます。

 身体と声とがマッチしない時ですか? 身体は身体にすぎません。たとえ身体に

障害がある女性でも、ソウルと同情心は持てるはずです。それだけが僕にとって

大切なことなんです。そして、それは声に出るんです。


忘却の彼方に


 巷間でいわれているように、 僕とエディ・セッジウィックとが深い仲だったとい

のは、何かの間違いです。たしかに、周辺にいた人でしたし、物事に熱中する

素晴らしい女性だったと記憶しています。彼女はアンディ·ウォーホルの シーンに

出入りしていて、僕も一時期そうでした。でも、僕はその後チェルシー·ホテルを

出たんです。僕と妻は、二人の間の最初の子供が生まれた、えーっと、5年か6

年にあのホテルの三階に住んでいました。そして、あの「チェルシー·ガールズ』

(ホテルの住人の生活を二面スクリーンで延々映し出した、ウォーホル の衝撃的

な映画)の一年前にはホテルを出ました。エディは『チェルシー·ガールズ』に

登場しますが、僕とは既に音信不通になっていました。あの頃はさまざまなハブ

ニングが流行っていましたから、僕がエディと知り合ったとしたら、そういう機

会でだったんでしょう。でも、彼女と関係があったとは信じられないんです。も

し関係があったなら、憶えているはずですよ。


アイ·スリュウ·イット·オール·アウェイ(貴重なものを捨ててしまって)


 昔、アンディ·ウォーホルの "エルビス·プレスリー" アートをソファーと交

換したことがあって、今とてもそれを悔やんでいるんです。今度彼が別の作品をく

れることがあったら、絶対に大事にしたいですね。


アナザー·サイド·オブ·ボブ·ディラン (ディランの精神分折)


 フロイトを読んだことも、その説に共鳴したこともありません。彼は、精神医

学とか諸々の馬鹿げたことを始めた張本人なのです。 精神医学が人々を救ったこ

とがありますか?アメリカ人は精神分析医に莫大な金を費やしていますが、もっと

ましな目的に使うべきですよ。

 多くの人々が親との関係で心理的な問題を抱えています。彼等は親離れできな

いんです。ジョン·レノンが『マザー』の中でなんと歌っているか。"母さん、あ

なたは僕を自分のもののように扱ってきたけど、僕はそんな風に思ったことはな

いより。僕には信じられないですよ。きっと世間には"孤児"が多いんでしょうね。

関僕も孤児です。他の人々と全く逆の意味でね。なぜなら、僕は両親||そして、

特に祖母の 愛情を十分に受けて育ったからです。僕も祖母を心から愛してい

ましたし、今でも恋しいと思います。しかし、必要とあらば、僕は自分の愛して

いる人さえふり切り、のり超えることができるんです。もし僕に他人に優る長所

があるとすれば、自分が完全に孤独で、そのため好きなように考え、好きなこと

ができることだと思います。それは、きっと僕がミネソタ北部で育ったことと関

係があるんでしょう。ブロンクス、エチオピア、南アメリカ、カリフォルニアな

どで育ったら、自分がどんな人間になっていたか、考えてみるとぞっとします。

 ところで、パティー·スミスによると、僕は前世でランボーだったとか。どうで

しょうか。もちろん、彼女は僕には分らない心霊術をよく知っている人だから、

なんらかの根拠があってそう言ってるのかもしれません。僕は、前世でシバの女

王だったと言っている女性を少くとも十三人は知っています。ナポレオンは三人、

ジャンヌ·ダルクは二人、アインシュタインは一人知ってます。


見張塔からずっと


 ミネソタのヒビングには、ユダヤ人があまり住んでいないため、ラビがいなか

ったんです。ところが、僕が十三才になって、バル=ミツバー(成人式)を受ける

頃になって、突然どこからともなくやってきました。彼が滞在していた所~~な

んとロックン・ロール・カフェの二階だったんです~~に毎日放課後か夕食後

に行って、ユダヤの成人男子として守らなければならない宗教上の義務と責任に

ついて一時間ばかり教わりました。そして、僕の成人式がすむと、ラビはまた風

のようにどこかに去ってゆきました。


(All Along the Watchtower

There weren't too many Jews in Hibbing, Minnesota. Most of them I was related to. The town didn't have a rabbi, and it was time for me to be bar mitzvahed. Suddenly a rabbi showed up under strange circumstances for only a year. He and his wife got off the bus in the middle of winter. He showed up just in time for me to learn this stuff. He was an old man from Brooklyn who had a white beard and wore a black hat and black clothes. They put him upstairs of the cafe, which was the local hangout. It was a rock 'n' roll cafe where I used to hang out, too. I used to go up there every day to learn this stuff, either after school or after dinner. After studying with him an hour or so, I'd come down and boogie. The rabbi taught me what I had to learn, and after he conducted this bar mitzvah, he just disappeared. The people didn't want him. He didn't look like anybody's idea of a rabbi. He was an embarrassment. All the Jews up there shaved their heads and, I think, worked on Saturday. And I never saw him again. It's like he came and went like a ghost. Later I found out he was Orthodox. Jews separate themselves like that. Orthodox, Conservative, Reform, as if God calls them that. Christians, too. Baptists, Assembly of God, Methodists, Calvinists. God has no respect for a person's title. He don't care what you call yourself.

:tr:

ものみの塔に沿って

ミネソタ州ヒビングにはユダヤ人はあまりいませんでした。それらのほとんどは私が関係していました。町にはラビがありませんでした。突然ラビがたった1年の間奇妙な状況の下で現れました。彼と彼の妻は冬の真中にバスを降りた。彼は私がこのことを学ぶのにちょうど間に合うように現れた。彼はブルックリンから来た老人で、白いあごひげと黒い帽子と黒い服を着ていました。彼らは彼を地元のたまり場だったカフェの2階に置いた。ロックンロールのカフェでもありました。私は学校の後か夕食の後に、このことを学ぶために毎日そこに上がっていました。 1時間かそこらで彼と一緒に勉強した後、私は降りてブギとなります。ラビは私が学ばなければならないことを私に教えました、そして、彼がこのバーmitzvahを実行した後に、彼はただ消えました。人々は彼を望んでいませんでした。彼は誰かのラビの考えのようには見えませんでした。彼は当惑した。そこにいるすべてのユダヤ人は彼らの頭を剃りました、そして、私は、土曜日に働きました。そして私は二度と彼に会わなかった。彼が来て幽霊のようになったようです。後で彼が正統派であることがわかった。ユダヤ人はそのように自分自身を分離します。正統派、保守的、改革、あたかも神がそれらをそれを呼ぶかのように。クリスチャンも。バプテスト、神の集まり、メソジスト、カルヴィニスト。神は人の称号を尊重しません。彼はあなたがあなた自身と呼ぶものを気にしません。)


パフ·オブ·スモーク(空の空)


 人々がプライドを保つことになぜあれほど熱心なのか、僕には理解できないん

です。まるで自分達は死ぬことなどないみたいに話し、行動し、暮している。そ

の挙句、何を残すと思います?正体を隠すためにかぶっていたマスクだけ。


天国への扉


 何かを仰々しくやる者は、本国では拒絶され、他国で受け入れられるのが世の

ならいです。インドに生まれた釈迦がそうですし、ユダヤ人のキリストもそう。

キリストがョーロッパ人に受け入れられたのは、仰々しく天国に入りたい彼等に

アッピールしたからです。それが煙のように虚しいことを、今声だかにふれて歩

く必要はないんです。最後の審判の日が来れば、必ず真実が語られるのですから。


ビイア·ノット·ショーイング·エニーライツ·トゥナイト(ボブ·ディランの黙示録)


 キリスト教会に付属するバイブル·スクールに通ったことがありますが、例の

ボーン·アゲイン(生まれ変わる)思想の信奉者じゃありません。イエスはニコ

デ モ に語った。「人は新たに生まれないと、神の国を見ることができない」と。

そこで、ニコデモは、「既に年をとっている私がどうしたら、もう一度母の胎内に

入って生まれることができるのですか」とたずねた。すると、イエスは、「あなた

は霊によって生まれなければならない」と答えた。ボーン·アゲインの思想は1

ハネ福音書のこの箇所に由来する一つの解釈なんでしょうが、それにしても、人

々はあまりにも由々しい失態を演じているのです。

 不正直な人間は、多額の金を寄付します。しかし、善行の陰に悪がひそんでい

るのなら、その行為は善ではないのです。全てまやかしにすぎません。こういうま

やかしを煙のような空しさ、虚栄の極というんです。僕がバイブル·スクールで

学んだことは、 それ以前から確信していたけれど、言葉でうまく表現できなかっ

たことと表裏一体をなすものでした。イエスを救世主と信じるかどうかはどうで

もいいのです。重要なのは、救世主強迫観念(メシアニック・コンプレックス)を意識しているかどうかということ

です。

 救世主強迫観念とはつまりこういうことです。永遠に生きられるのは霊だけで

す。そして、 霊から生まれた人だけが霊なのです。 霊から生まれるために、この

肉体の世を経なければなりません。この世で生まれ変わらなければならないので

す。

 この世界は七千年続くことになっていて、そのうちの六千年は、人間が司り、

最後の千年は、神の子である救世主が司ります。これは至福の千年と呼ばれ、充

溢した生のうちに、生に反する一切の悪-かんばつ、飢僅、難病、戦争、地震、

無知などが去って、新しい"エル サレムが各自の心を永遠の平安と歓喜で満たす

神の国です。以上は、聖書の黙示録に述べられていることですが、 そこに向う地

上の人生は、 最終に向ら旅路であるがゆえに、あらゆる力と知と技をもって挑ん

でくる悪魔との対決です。そして、悪魔に与する人々も、救世主強迫観念から、

まやかしの善行を重ねるのです。空しいことです。 救世主の再臨を心から信じて

いる人は、もう既に救世主が現われているかのように、 正しい生活をしています。

 人々は、"ボブ·ディランのたわごと"と言うでしょうね。でも、はっきりと書

かれているんです。目に見える文字でも、目に見えない文字でも。僕は、こうした

ことを、人生のさまざまな段階での体験を通して徐々に学んできました。あとは、

単なるロックン・ローラー、フォークの詩人、ゴスペル/ブルース/プロテスト

・ギタリストにすぎません。


風に吹かれて


 政治も問題も変わりました。80年代には、政治意識を持った教授から政治を学

んだ学生が街にあふれていました。政治が環境の一部になっていたんです。

政治について学んだのも街頭においてでした。また、当時は人々が団結していま

した。現在は、プエルトリコ人、ポーランド人、メキシコ人……各々が各々の権

利を主張し、 統一がありません。それも当然でしょうがね。周囲を見わたして目

につくのは不均衝ばかりですからね。


時代は変わる


 子供の頃、子供のように話し、子供のように考えました。大人になったら、子

供らしいものを捨ててしまいました。

 時代は刻々と変わってゆきます。その変わりようのあまりの速さに、僕は逆に

毎日スロー·ダウンしようとしています。