キャンペーンについてのお知らせ

クエツァランの住民たちの希望 メキシコ大統領選

ウインドファーム

2018年7月26日 — キャンペーンへのご賛同、どうもありがとうございます!
進捗状況のご報告が出来ておらず、申し訳ありません。

今回、現地メキシコで7月1日に行われた大統領選についてお伝えしたいと思います。
メキシコでは左派候補のアンドレス・マヌエル・ロペスオブラドール氏が当選確実となり、数十年ぶりに左派政権が誕生することとなりました(発足は2018年12月)。腐敗政治や治安の悪化、貧富の格差など、一向に改善されない状況にメキシコ国民の既存政党への不満が背景にあると言われています。
私たちが署名を呼び掛けているクエツァランでの土地を守る活動を続けているCOTICや住民たちの多くがロペスオブラドール氏を支持しており、彼らにとってもこの結果は大きな喜びとして受け入れられています。
そして何より彼らにとって大きな希望となっているのは、新政権の組閣人事に、COTICの主要な構成団体トセパン協同組合のメンバーが入っているということです。
メキシコでは、大統領になった際の組閣案を事前に発表して大統領選に挑みます。今回、ロペスオブラドール氏の組閣人事の一人(社会開発省の大臣)に選ばれているのが、トセパン協同組合で長年活動してきたマリア・ルイサ・アルボレス・ゴンザレスさんなのです。
クエツァランを始め、メキシコ各地で現政権の下で進んできた住民が望まない開発や不当な行為が、政権交代によってよい方向に進むことを願いながら、今後も現地の動きを注視し、COTCIや住民の皆さんを応援していきたいと思っています。
引き続き、キャンペーンの拡散等のご協力、ぜひよろしくお願いします!

*メキシコの大統領選関連の記事(一部)
(日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO32581690T00C18A7EA1000/

(朝日新聞)
https://www.asahi.com/articles/ASL722RCLL72UHBI00C.html

(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20180702/k00/00e/030/261000c


メキシコの大統領選関連の記事(一部)
(日本経済新聞)
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO32581690T00C18A7EA1000/


メキシコが迎えた歴史的転機 

2018/7/3 23:10

メキシコの大統領選挙で、新興左派の野党、国民再生運動をひきいるアンドレス・マヌエル・ロペスオブラドール氏(64)が地滑り的勝利をおさめた。既存の二大政党に属さない大統領の誕生は1929年以来初めて。

同時に投票のあった国会議員選や地方の首長選でも左派が躍進した。12月に就任する次期大統領は政策推進の強固な足場も得る。

三度目の正直となったロペスオブラドール氏はエリート層の出身でなく、対米批判など過激な言動で知られてきた。トランプ米大統領やベネズエラのチャベス前大統領になぞらえる声もある。

石油産業の開放政策を反転させたり、ばらまき的な福祉政策を進めたりするのでは、といった懸念の声は強い。北米自由貿易協定(NAFTA)の再交渉を含め米国とどう向き合うかも心配だ。

ただ、今回の選挙戦では過激な発言を控え、財政規律や中央銀行の独立を強調するなど、実務的な中道路線への軌道修正がうかがえた。実際の政策を注視したい。

現職のペニャニエト大統領は自由主義的な経済改革を進めたが、主な輸出品である原油の価格低迷などで成長率は伸び悩んだ。夫人の絡んだ汚職疑惑や麻薬カルテルの横行など治安悪化もあり、支持率は低空飛行をたどった。

メキシコでは1929年から2000年まで制度的革命党(PRI)が政権の座にあり、その後は右派の国民行動党(PAN)とPRIが政権をになってきた。

歴史的な左派政権の登場は既存の大政党やエリート層への有権者の失望の表れといえる。根深い汚職に切り込んで治安をたて直し、政治への信頼を取り戻すことは、次期政権の最重要課題だろう。

米国市場をにらんだ自動車産業を軸に、メキシコに進出した日本企業は1000を超える。環太平洋経済連携協定(TPP11)を真っ先に批准した国でもあり、保護主義に対抗する仲間としても日本にとって大切だ。建設的な関係を次期政権と築く必要がある。



>>301


訂正:

以下ではメキシコ史上初の左派政権とある。


(毎日新聞)

https://mainichi.jp/articles/20180702/k00/00e/030/261000c


2大政党以外の政権がおよそ90年ぶりということらしい。


(日本経済新聞)

https://www.nikkei.com/article/DGXKZO32581690T00C18A7EA1000/


エイゼンシュテインの映画の題名ではないが「メキシコ万歳!」である。


ツイッターでは早速大統領へのネガキャン(大統領専用機を使え!とか)が流れている…




メキシコの大統領は左派と言ってもマルクス経由ではない

協同組合と資本論第1部が要請する労働組合は格子のように補強しあえるとは言え現実は対立する

(ラッセルがそれをうまく表現していたと思う)


とはいえ

抽象的にではあれマルクスが(資本論第3部他で)協同組合を推奨したことはもう少し知られていい


http://www.asyura2.com/0411/dispute20/msg/1033.html

 『個々の問題についての暫定中央評議会代議員への指示』1867より

五 協同組合運動(労働)

 国際労働者協会の任務は、労働者階級の自然発生的な運動を結合し、普遍化することであって、なんであろうと、
空論的な学説を運動に指示したり押しつけたりすることではない。したがって、大会は特殊な協同組合制度を唱道
すべきではなく、若干の一般原理を明らかにするだけにとどめるべきである。
 (イ)われわれは、協同組合運動が、階級敵対に基礎をおく現在の社会を改造する諸力のひとつであることを認
める。この運動の大きな功績は、資本に対する労働の隷属にもとずく、窮乏を生み出す現在の専制的制度を、自
由で平等な生産者の連合社会という、福祉をもたらす共和的制度とおきかえることが可能だということを、実地に
証明する点にある。
 (ロ)しかし、協同組合制度が、個々の賃金奴隷の個人的な努力によってつくりだされる程度の零細な形態に限ら
れるかぎり、それは資本主義社会を改造することは決してできないであろう。社会的生産を自由な協同組合労働の
巨大な、調和ある一体系に転化するためには、全般的な社会的変化、社会の全般的条件の変化が必要である。この
変化は、社会の組織された力、すなわち国家権力を、資本家と地主の手から生産者自身の手に移す以外の方法では、
決して実現することはできない。
 (ハ)われわれは労働者に、協同組合商店よりは、むしろ協同組合生産にたずさわることを勧める。前者は現在の
経済制度の表面にふれるだけであるが、後者はこの制度の土台を攻撃するのである。
 (ニ)われわれは、実例と教導との双方によって、言いかえれば、新しい協同組合工場の設立を促進することと、
また説明し説教することの双方によって、協同組合の原理を宣伝するために、すべての協同組合がその協同収入の一
部をさいて基金を作ることを勧告する。
 (ホ)協同組合がふつうの中間的株式会社(societes par actions)に堕落するのを防ぐため、協同組合に
働くすべての労働者は、株主であってもなくても、平等の分けまえを受け取らなければならない。たんに一時的な
便法として、低い率の利子を株主に支払うことには、われわれも同意する。

参考: 大月全集第16巻 189ページ 1866年8月末 ジ・インタナショナル・クリア 1867年2月20日 第6号・第7号





以下柄谷行人『世界史の構造』より


マルクスが協同組合の限界を指摘したことと、協同組合に社会主義のを見出したこととは

背馳するものではない。たとえば、マルクスはプルードン派が主流であった「国際労働者

協会」(第一インターナショナル)の「設立宣言」において、協同組合工場について、つぎの

ように書いた。《これらの偉大な社会的実験の価値は、いくら大きく評価しても評価しすぎる

ことはない(11)》。マルクスにとって、社会主義とは協同組合的なアソシエーションにほかならな

いのである。

国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって

かわるべきだ、とマルクスはいうのだ。


(11)

マルクス「国際労働者協会設立宣言」一八六四年九月、『マルクス=エンゲルス全集』

第一六巻、三頁。




______


4:

4 労働組合と協同組合

 …

 マルクス主義者は、旧ユーゴスラビアのチトー主義者を例外として、一般に生産者=消費者協同組合を否定しないまでも軽視してきた。しかし、マルクスは協同組合をきわめて重視したのである。それは協同組合において、労働力商品の揚棄が実現されるからだ。そこでは、賃労働は存在しない。労働者自身が経営者であるからだ。ゆえに、マルクスはいう。《この協同組合工場の内部では、資本と労働の対立は止揚されている(9)》。

 もちろん、ここで賃金が完全に平等化されるわけではない。労働は「監督労働」をふくめてさまざまであり、また、それに応じて賃金の差がある。つまり、不平等はある程度存在する。しかし、大事なのは、貨幣─商品という関係にもとづく支配─被支配関係がもはや存在しないということである。人々が監督指揮者に従うとしても、後者に雇われたからではない。彼ら自身が選任した者に従うだけである。ここでは、労働する者たちが主権者なのである。ルソーがいうような人民主権が名目的であるのとは違って、これは現実的である。労働する者たちの関係は、互酬的(双務的)である。真の民主主義は政治的なレベルだけでなく経済的レベルで達成されなければならないというプルードンの考えは、協同組合工場において実現されている。それは交換様式Dを現実化する。

  問題はこの先にある。マルクスは協同組合を称賛し、そこに真に資本主義経済を揚棄するを見出した。だが、彼は、協同組合工場が大きくなり資本制企業にとってかわるということはありえない、と考えた。協同組合工場は、資本制株式会社に比べて、あまりにも非力で小規模であった。それは利潤を実現するための競争に向いていない。また、資本を集める力にも乏しい。実際、一八六〇年代以後、資本主義的株式企業の発展、特に重工業への移行とともに、協同組合工場は衰退してしまった。そこで、協同組合運動は、消費協同組合や、資本制企業と競合することがないような小生産者たちの協同組合に限定されるようになった(10)。  



 そのような意味で、マルクスは協同組合の限界を指摘したのである。それは、彼がプルードンの信用銀行や代替貨幣を批判したのと同じことである。後者はローカルには成立するし、有効でありうる。ただ、貨幣にとってかわることはありえない。同様に、協同組合は、資本が及ばないような領域や消費協同組合としては十分に成立するし、有効でありうる。ただ、それによって資本制企業を圧倒することはありえない。要するに、労働者のアソシエートされた生産は、どんなに望ましいものであろうと、資本(貨幣)が労働力商品を集めて結合した生産に敵わないのである。



 しかし、マルクス主義者は、プルードンが企てたような流通過程でのさまざまな試み、あるいは、オーウェン主義者が企てた協同組合の試みを否定するか、もしくはたんに副次的なものとみなすようになった。エンゲルス以後のマルクス主義者は、国営化によって資本主義を越えることを考えたのである。だが、マルクスが協同組合の限界を指摘したことと、協同組合に社会主義のを見出したこととは背馳するものではない。たとえば、マルクスはプルードン派が主流であった「国際労働者協会」(第一インターナショナル)の「設立宣言」において、協同組合工場について、つぎのように書いた。《これらの偉大な社会的実験の価値は、いくら大きく評価しても評価しすぎることはない(11)》。マルクスにとって、社会主義とは協同組合的なアソシエーションにほかならないのである。

 パリ・コンミューン(一八七一年)において、プルードン派はマルクスの反対にもかかわらず、国家権力を奪取する蜂起を決行した。むろんマルクスも事後的にこれを支持し、「プロレタリア独裁」の見本として称賛したことはすでに述べた。


 もし協同組合的生産が欺瞞やわなにとどまるべきでないとすれば、もしそれが資本主義制度にとってかわるべきものとすれば、もし協同組合の連合体(associated co-operative societies)が一つの計画にもとづいて全国の生産を調整し、こうしてそれを自分の統制のもとにおき、資本主義的生産の宿命である不断の無政府状態と周期的痙攣〔恐慌〕とを終わらせるべきものとすれば諸君、それこそは共産主義、「可能な」共産主義でなくてなんであろうか(12)!   


 一方、マルクスが絶対に受け入れなかったのは、ラッサールの「国家社会主義」である。マルクス派とラッサール派が合同で作ったドイツ社会主義労働者党の「ゴータ綱領」(一八七五年)についても、彼は、国家によってアソシエーション(生産者協同組合)を育成するというラッサールの考えを痛烈に批判している。  


  労働者が協同組合的生産の諸条件を社会的な規模で、まず最初は自国に国民的規模でつくりだそうとするのは、現在の生産諸条件の変革のために努力するということにほかならず、国家の補助による協同組合の設立とはなんのかかわりもないものである! また、今日の協同組合についていえば、それは政府からもブルジョアからも保護を受けずに労働者が自主的につくりだしたものであるときに、はじめて価値をもっている(13)。  


  国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとってかわるべきだ、とマルクスはいうのだ。とはいえ、法的規制その他、国家による支援がなければ、生産者協同組合が資本制企業に敗れてしまうことは避けがたい。だから、マルクスはプロレタリアートが国家権力を握ることが不可欠だと考えた。しかし、マルクスがラッサールと対立するのは、つぎの点においてである。ラッサールがヘーゲルにならって国家を理性的なものとみなしているのに、マルクスは国家を消滅すべきものとして見ていた。その点で、マルクスはあくまでプルードン派なのである。一方、ビスマルクの親友でもあったラッサールは、いわばドイツ版のサン=シモン主義者、すなわち、国家社会主義者であった。


、、、


(9)マルクス『資本論』第三巻第五第二七章、岩波文庫、一八一頁。

(10) 協同組合は資本制企業との競争に勝てない。同じことが、ジョン・スチュアート・ミルが『経済学原理』(第七章)で提唱した「労働者管理型企業」についてもいえる。彼は、労働者は賃金が低くてもそのような企業で働くことを好む、ゆえに、生産も効率的となり、資本主義企業との競争に勝ち、それにとってかわるだろう、と予想した。しかし、全くそうなっていない。

(11)マルクス「国際労働者協会設立宣言」一八六四年九月、『マルクス=エンゲルス全集』第一六巻、三頁。

(12)マルクス「フランスにおける内乱」『マルクス=エンゲルス全集』第一七巻、三一九─三二〇頁。

(13)マルクス「ドイツ労働者党綱領評注3」(一八七五年)、「ゴータ綱領草案批判」『マルクス=エンゲルス全集』第一九巻、二七頁。


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トセパンの作った銀行に住民は貯金するので、メキシコ最大手の銀行は

彼ら(トセパン)の地域から撤退した。

工業が特に南米では協同組合化が困難であるのはわかるが、大企業だから有利というわけではない。特に自給自足的な可能性がある地域では。