金曜日, 6月 14, 2019

Lerner 1951(経済の平衡輪、あるいは人々の新しい着物の物語)


buck rogers destination Saturn épisode1
https://youtu.be/2l-0fkXpnNc

buck rogers  destination saturn 1939 épisode 3 VOSTF



Lerner 1951

雇用の経済学 (1965年) (現代経済学名著選集〈第12 明治大学経済学研究会編〉)  – 古書, 1965

The Economics of Employment, 1951


1951年ラーナーが著作冒頭でSF仕立てで新自由主義と統制経済の問題を寓話化している(1941年の改訂版再録)。
それをフリードマン1962が茶化し、ケルトン2003とミッチェル2009が再評価している。
不完全な新自由主義という自動運転ではなく、財政政策というハンドル操作が必要というメッセージだ。
(ラーナーは裁定的な機関は必要ないという。#14:258頁)
邦訳書で「平衡輪」というのはハンドルの代わりにスティールホイール状のものがあるはずという設定だろう。機械翻訳ではハンドルと訳されるから日本とはスティールホイールの意味が違うのだろう。邦訳もハンドルとした方がわかりやすかった。
章題の着物は章最後で紹介される裸の王様の寓話。こちらの方がわかりやすいと考えたのだろう。
著作の後半でラーナーが紹介した格言の方が新自由主義の問題を指摘してわかりやすい。
「火は良き召使であるが悪しき主人である」



Buck Rogers In The 25th Century Opening Credits and Theme Song

第一部 問題
第一章
経済の平衡輪、あるいは人々の新しい着物の物語(1)

 われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだ
している。バック・ロジャース(Buck Rogers)のようなものの中で、遊星間の冒険を試みるかわりに、「明日と
いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみなさい。その大通りは幅広く真直ぐであって、
その道の端はそり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
叫ぶ。「おや、平衡輪がないではないか」と。

1 本章はザ・ユニヴァーシティ·レヴィユ(カンサス市立大学)、一九四一年六月号から(少し加筆されたうえで)再録さ
れたものである。

 「もちろん、平衡輪などはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。平衡輪
があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するであろう。それはそれとして、われわれはデモクラシイを信じ、誰
かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
 「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
 「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
 残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤーのゴムの種類によるもの か、あるいは天候による
ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。
 安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のディレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。

 不況とインフレーションは支出率を調整することによって防ぎうる。

 現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。戦争やファシズムのような、その他の実際に重要な問題のす
べては、この問題を解決するのに失敗したことにより起こるか、悪化させられるかのいずれかである。何ものに
もまして必要とされるところのことは、経済活動の合理的な度合を維持するために、われわれの経済を調整する


雇用の経済学3~5頁
1965年

19:
19
れら公衆が、道理のない尊敬を抱いているところの)が、公衆のための味方としてでてきてはいないために、か
れらが完全に理解しているところの論議を、受け容れることをおそれるのである。
 一つの重要な相違を認めるならば、この事態は、物語にあるところの、山師 にごまかされて下着だけで、臣下
の前を行進するところの有名な王様の、それに似通っている。山師たちは、つぎきのように主張した。かれらが、
王様のために作った想像上の新しい着物は、何人も感じないほど立派なものであり、自分の職務に対して、愚鈍
であるか、不誠実であるか、不適当であるものは誰しも、その衣服を見ることができないほど立派なものである
といろこと主張した。そして王様も、かれの臣下も、人民も、無邪気な子供によって、着物が見えないといろこ
とを洩らされるまで、そのことを認めようとはしなかった。
 繁栄を組織化することの問題も、それと同じである。それを理解している学者たちは、人びとは理解しないで
あろうという懸念のために、大胆にロを割ることをしない。そのことをきわめて容易に理解している人びとは、
またおそれて口を割ろうとはしない。かれらは、学者がまずロ火を切ることを待っているからである。われわれ
の現在の状態と物語のそれとの間の相違は、それが王様ではなくて、週期的に裸になり、飢え、不安で、不満足
になる人々~文明の破壊のために、不満足なことをとりあげる、いくらか臆病さの少ないオルグたちの格好のえ
じき~である。

#22:412
昔の格言にいう。「火は良き召使であるが悪しき主人である」と。



167:
第9章 倒錯した
経済,または転倒した経済学
が、浪費的な諸活動と非生産的な投資によって、
いっそう豊かになりうるという概念は、あまりにもばかばかし
いものであって、真面目な検討を加えるに値いしないように思われる。その理論全体は、まったく転倒したもの
のように思われ、その表面的にはもっともらしくみえることによって、一時的にさえそそのかされる一種の混乱
だけを多く残している。
転倒した経済学は倒錯した経済に適する。
O
C
実をいえば、機能的財政の経済学は、失業の条件に適用される場合、転倒していることは 否定し えない。だ」
が、
これはまったくの反論というのではない。転倒した経済学は、まさしく、失業に悩む経済に適するものであ
る。
失業に悩む経済は、転倒した経済理論のみが役立つところの倒錯した経済である。
「通常の、
あるいは正しい経済学は、諸資源の経済的な利用に関係する。諸資源は払底している。賭資源が希望
されている目的すべてに、行きわたるほど充分にはない。節約することー仕事がひどい困難なしになされろると一
ころならどこででも、仕事を遂行するために諸
資源をいっそう少なく使用することー、したがって別の用途のた
めに諸資源のいくらかを残しておくことが重要である。
のあるところでは、効率は非経済的である。
このよろなことはもはやありえない。
このような事情のもとでは、諸資源を
167
「しかし、失業のあるところでは、
どのような仕事においても、
いっそう少なく使用することは、重要ではないし有用でさえない。他の用途は、稼


国際的な諸局面
第6部
412
「第二十二章
国際通貨ーあるいは感傷的な国際主蓋
昔の格言にいろ。「火は良き召使であるが悪しき主人である」と。このことは火についてばかりでなく、人間
「がかれの目的を達成するのを助けるために考えられたすべての手段についてもあてはまる。しかし、何か手段を
「用いることが習慣的となった時、人はそれが達成するために作られた目的を忘れる傾向にあり、手段が目的の地
「位にとってかわる。そして、われわれは元来は目的に役立てるために考案された手段のために、目的それ自体を
しばしば犠牲にしてきた。
外国為替の安定化は呪物となってきている。
手段を目的にまで高めることは、狂信あるいは偶像崇拝の悲劇の基礎を形成するであろろ。個人的な領域にお
いて、蓄積は富裕になるための、そしてより良い生活をするためのものであるということを、忘れてしまってい
るけちん坊の無節度には、
人間としての常軌を逸していることがある。かれは蓄積のために生活を犠牲にするも
ので、換言すれば適当な時期に適当な量だけなら、健康と安楽を増すのに役立ちうる酸素とか適温とかを得るた
めに、健康と安楽を犠牲にする野外の魔神かあるいは ヒポコンデリ症の人である。国民経済においても、経済の
健全さのために
一つの役割を果たす手段であった
予算というものを、予算均衡の大原則といろものにまつりあげ
:412


Our economic system is frequently put to shame in being displayed before an imaginary visitor from a strange planet. It is time to reverse the procedure. Imagine yourself instead in a Buck Rogers interplanetary adventure, looking at a highway in a City of Tomorrow. The highway is wide and straight, and its edges are turned up so that it is almost impossible for a car to run off the road. What appears to be a runaway car is speeding along the road and veering off to one side. As it approaches the rising edge of the highway, its front wheels are turned so that it gets back onto the road and goes off at an angle, making for the other side, where the wheels are turned again. This happens many times, the car zigzagging but keeping on the highway until it is out of sight. You are wondering how long it will take for it to crash, when another car appears which behaves in the same fashion. When it comes near you it stops with a jerk. A door is opened, and an occupant asks whether you would like a lift. You look into the car and before you can control yourself you cry out, “Why! There’s no steering wheel!”
“Of course we have no steering wheel!” says one of the occupants rather crossly. “Just think how it would cramp the front seat. It is worse than an old-fashioned gear-shift lever and it is dangerous. Suppose we had a steering wheel and somebody held on to it when we reached a curb! He would prevent the automatic turning of the wheel, and the car would surely be overturned! And besides, we believe in democracy and cannot give anyone the extreme authority of life and death over all the occupants of the care. That would be dictatorship.”
1951年のLernerの著書 『The Economics of Employment』の第1章は、1941年のThe Economic Steering Wheelの記事を書き直したもので、ここで彼はケインズ思想についての彼のバージョンを詳しく述べました。彼はそのように本を始めた(1951:3-5):

私たちの経済システムは、奇妙な惑星からの架空の訪問者の前に表示されることにしばしば恥ずかしい思いをさせます。逆の手順です。代わりにバックロジャーズの惑星間の冒険で、明日の街の高速道路を見ている自分を想像してみてください。高速道路は広くてまっすぐであり、そしてその縁が上がっているので車が道路を走ることはほとんど不可能である。暴走している車のように見えるのは、道路に沿ってスピードを上げて片側に向かって進むことです。高速道路の立ち上がりに近づくと、前輪が回転して道路に戻り、斜めに降りて反対側に向かいます。これは何度も起こりますが、車はジグザグに動いていますが、見えなくなるまで高速道路を走り続けます。あなたはそれがクラッシュするのにどのくらいの時間がかかるのかと疑問に思っています。それがあなたの近くに来るとき、それは急いで止まります。ドアが開き、乗員がエレベーターを希望するかどうかを尋ねます。あなたは車の中を覗き、あなたが自分自身をコントロールする前にあなたは叫びました。ハンドルはありません。」

「もちろんハンドルはありません!」と乗員の一人がややこしく言っています。 「フロントシートを固定する方法を考えてください。それは昔ながらのギアシフトレバーより悪いです、そしてそれは危険です。我々が縁石に達したときに我々がハンドルを持っていて、誰かがそれをつかんだと仮定する!彼は車輪の自動回転を防ぎ、車は確かにひっくり返ったでしょう。そしてそれに加えて、私たちは民主主義を信じており、介護のすべての居住者に対して誰にも生と死の極端な権威を与えることはできません。それは独裁政権でしょう。」

“Down with dictatorship!” chorus the other occupants of the car.
“If you are worried about the way the car goes from side to side,” continues the first speaker, “forget it! We have wonderful brakes so that collisions are prevented nine times out of ten. On our better roads the curb is so effective that one can travel hundreds of miles without going off the road once. We have a very efficient system of carrying survivors of wrecks to nearby hospitals and for rapidly sweeping the remnants from the road to deposit them on nearby fields as a reminder to man of the inevitability.”
You look around to see the piles of wrecks and burned-out automobiles as the man in the car continues. “Impressive, isn’t it. But things are going to improve. See those men marking and photographing the tracks of the car that preceded us? They are going to take those pictures into their laboratories and pictures of our tracks, too, to analyze the cyclical characteristics of the curves, their degree of regularity, the average distance from turn to turn, the amplitude of the swings, and so on. When they have come to an agreement on their true nature we may know whether something can be done about it. At present they are disputing whether this cyclical movement is due to the type of road surface or to its shape or whether it is due to the length of the car or to the kind of rubber in the tires or to the weather. Some of them think that it will be impossible to avoid having cycles unless we go back to the horse and buggy, but we can’t do that because we believe in Progress. Well, want a ride?”
In other words, macroeconomics was all about “steering” the fluctuations in the economy. Fiscal policy was the steering wheel and should be applied for functional purposes. Laissez-faire (free market) was akin to letting the car zigzag all over the road and if you wanted the economy to develop in a stable way you had to control its movement.
This led to the concept of functional finance and the differentiation from what he called sound finance (that proposed by the free market lobby). Sound finance was all about fiscal rules – the type you read about every day even these days. So balance the budget over the course of the business cycle; only increase the money supply in line with the real rate of output growth; etc.
Lerner thought that these rules were based more in conservative morality than being well founded ways to achieve the goals of economic behaviour – full employment and price stability.
He said that once you understood the monetary system you would always employ functional finance – that is, fiscal and monetary policy decisions should be functional – advance public purpose and eschew the moralising concepts that public deficits were profligate and dangerous.
「独裁政権と一緒に!」と車の他の乗員を合唱します。

「あなたが車が左右に動く方法について心配しているならば」、「それを忘れなさい!」私達は衝突が10回のうち9回防止されるように素晴らしいブレーキを持っています。私たちのより良い道路では、縁石は非常に効果的であるので、一度も道を離れずに何百マイルも移動することができます。残骸の生存者を近くの病院に運び、必然性のある人に思い出させるものとして、残骸をすぐに道路から一掃して近くのフィールドに預けるための非常に効率的なシステムがあります。」

あなたは車の中の人が続けている間にあなたが周りに残骸と燃え尽きた自動車の山を見るのを見ます。 「感動的なことではありません。しかし、物事は改善しようとしています。私たちに先行していた車のトラックをマーキングして写真を撮っている人たちを見てください。カーブの周期的な特性、それらの規則性の度合い、ターン間の平均距離、スイングの振幅などを分析するために、彼らは彼らの実験室や私たちのトラックの写真にそれらの写真を取り込むつもりです。彼らが彼らの本当の性質について合意に達したとき、我々はそれについて何かができるかどうかを知るかもしれません。現在、彼らは、この周期的な動きが路面のタイプやその形状によるものなのか、それとも車の長さによるものなのか、タイヤ内のゴムの種類によるものなのか、あるいは天候によるのかについては論争している。私たちが馬に戻ってバギーにならない限り、サイクルを回避することは不可能であろうと彼らの中には考えていますが、私たちはProgressを信じているのでそうすることはできません。まあ、乗車したいですか?」
言い換えれば、マクロ経済学はすべて経済の変動を「操作する」ことでした。財政政策はステアリングホイールであり、機能目的のために適用されるべきです。 Laissez-faire(自由市場)は車を道路の至る所でジグザグにさせるようなもので、安定した方法で経済を発展させたいのならその動きを制御しなければなりませんでした。

これは機能的な金融の概念と彼が健全な金融(自由市場のロビーによって提案されたもの)と呼んだものとの区別へと導いた。健全な資金調達はすべて財政規則に関するものでした - あなたが最近でさえ毎日読むタイプ。そのため、景気循環の過程で予算のバランスを取ります。実際の生産高の伸びに応じてマネーサプライを増やすだけです。等

ラーナー氏は、これらのルールは、完全な雇用と物価の安定という経済的行動の目標を達成するための十分に根拠のある方法ではなく、保守的な道徳に基づいていると考えました。

彼が言ったのは、一旦あなたが常に機能的な財政を採用するという金融システムを理解するならば - すなわち財政と金融政策決定は機能的であるべきです - 公的目的を進め、公的赤字が裕福で危険であるという道徳的概念を避けます。


改訳:
反独裁の設定はバック・ロジャース譲り
3~5頁 平衡輪→ハンドル 他改訳


 われわれの経済制度は、奇妙な遊星から来た想像上の訪問者を前にして、しばしばはずかしい行動をさらけだす。反対に、バック·ロジャース(Buck Rogers)のような遊星間の冒険のなかで「明日と
いう都市」の大通りを見つめているあなたがた自身を想像してみてください。その大通りは幅広く真直ぐであって、
その道の端は[弓形に]そり返っていて、自動車が道の外へ出ることができないようになっている。走り去る自動車らしき
ものは、道に沿って速く走り、一方向に向かっている。それが大通りのそり返っている端に近づくにつれて、そ
の前輪は曲り、自動車が道路の真中へ戻って来る。そして一つの角度で曲り、他の方向へとむきを変える。そこ
で、車輪は再び曲るのである。このことはつねに起こり、自動車はジグザグに進むが、見えなくなるまで大通り
を走り続ける。同じようなことを繰り返しているもう一台の自動車が現われると、それが衝突するのにどれ位時
間がかかるかを、あなたはいぶかしげに考えるであろろ。それは、あなたのそばに来るとぐいと止まる。ドアが
開けられ、乗っている人が、あなたに乗りたいかどうかをたずねる。あなたは車の中を見て、運転する前にこう
叫ぶ。「おや、ハンドルがないではないか」と。
 「もちろん、ハンドルなどはありはしない」と、乗客の一人が意地悪くいう。「前側の座席をどのようにして固
定しておくのか、ちょっと考えたまえ。それは、古風な変速レバーよりももっとわけが悪く危険である。ハンドル
があって、カーブにさしかかった時に、誰かがそれを握っていると考えたまえ、かれは、車輪の自動的な転換を
妨げるまであろうし、自動車は必ずや転覆するだろう。それはそれとして、われわれはデモクラシーを信じ、誰
かに自動車の全乗客の生死についての最高の権限を与えることはできない。それは独裁制であろう」。
 「独裁制をやっつけろ」と、車の他の乗客たちはロをそろえていう。
 「もしあなたが、一方の端から他の端へと曲りくねって進む道について、心配しているのだとしたら、そんな
ことは忘れなさい」と、最初話かけてきた人がいう。「われわれにはすばらしいブレーキがあるのだから、衝突
は十回のうち九回までは防げる。良い道でのカーブは非常に有効なものであって、われわれは道から一度もはみ
出すことなしに、数百マイルも旅をすることができる。われわれは、衝突した自動車の生残りを近くの病院に運
び、残り物を素早く一掃して、人は必ず死ぬものであることを思い出させるために、それらを近くの野辺に始末
するための非常に有効な制度を持っているのだ」。
 残骸や人間が、乗りこんだまま燃えてしまった自動車の積重なりを周囲にみるだろう。「感無量。そうではな
いかね。しかし物事は改善されつつある。われわれを進めてくれる車の進路を記したり、写真をとったりしてい
るのが見えるかね。かれらは、その写真を研究室に持ち込もうというのである。カーブの循環的な特徴、正規性
の度合、曲り角から曲り角までの平均距離、振幅の幅などを分析するためにわれわれの進路の写真をとるのであ
る。かれらが、それらの真実の性格について見解の一致をみるに至った時、われわれは、それについて何がなさ
れうるかを知るでもあろう。現在のところ、かれらは、この循環的な運動が路面の型によるものか、その状態に
よるものか、あるいはそれが車の長さによるものか、タイヤのゴムの種類によるものか、あるいは天候による
ものかを議論しているのである。かれらの幾人かは、われわれが馬か馬車で帰らないとするならば、循環にぶつ
かるのを避けることは、不可能であろうと考えている。しかし、われわれはそうは思わない。なぜなら、われわ
れは進歩を信奉するからである。どうだね、乗らないかね」。

 安全に逃げようとすることと、変人をからかうこととの間のジレンマは、あなたがたが悪夢から醒めること
によって解決される。そしてあなたがたの住む遊星の住人たちは、少しは理性的であるということに、喜びを感
ずるだろう。だが、かれらは自分たちが車を運転しようとする欲望についてと同じように、他のことについても
理性的なのか。悪夢をみている人が、経済制度を操作する時に、その人とまさしく同じように、かれらは行動し
ないのではなかろうか。かれらは、経済という自動車が幅広い無統制の弓形になる不況から、インフレーション
へとはねかえることを許しはしないか。かれらが失業や遊休の工場をもとにもどすことに失敗すれば、かれらは
大量の狂った自動車乗りと同じように、公共への加害と不安について罪はないのか。
 現代社会の顕著な問題は、まさしくこれである。…


#8機能的財政:161

機能的財政の基本的な諸関係:
              /\
             /  \   
            /    \
           /      \
          /        \  
         /   E雇用    \ 
        /            \
       /              \  
      /                \
     /                  \ 
    /____________________\
    |         Y所得        |
    |____________________|
    |      I投資     | |   |
    |______________| |C(Y)
    | i利子率  |  |I(i) |消費 |
    |_______|  |投資 | |性向 |
    |M | |i |  |機会 | |   |
    |貨幣| (M,Y) |___| |___|
         流動性選好


162:
  第八章の附録
 基本的な諸関係は第十五図に要約される。Mは貨幣を、iは利子率を、Iは投資を、Cは消費を、Yは所得
を、Eは雇用を、i(M, Y)は流動性選好(数々の所得水準において与えられる貨幣額を、公衆に保有させよう
とするに必要な利子率で測定される現金保有の意思)を、I(i)は投資機会(投資決意が利子率に依存するところの
方法)を、そしてC(Y)は消費性向(消費決意が所得水準に依存するところの方法)を表わす。
 図の最上部には、所得水準に依存する(あるいは、所得水準によって決定される)雇用量がある。所得水準は
「消費性向と投資とに依存する。投資は投資機会と利子率とに依存する。最後に、利子率は流動性選好と貨幣額と
に依存する。
 地面に接する四つの煉瓦の部分があるこの家で、唯一つのものが単一の文字で表わされていることが、注意さ
れるべきである。その一つのものとは、ここでは、外部から幣当局によって決定されると考えられる貨幣額M
である。地面に接する他の三つの支柱~i(M, Y) I(i)およびC(Y)~は、何か外部当局によって与えられる
独立した額ではなくて、その構築物内のその他の要素の間の関数あるいは諸関係を表わしている。そして、その
すべてはお互いに密接に依存しあうのである。



第2部 解決
162
ーションをひき起こすことから防止する。
  第八章の附録
基本的な諸関係は第十五図に要約される。以は貨幣を、iは利子率を、Iは投資を、Cは消費を、yは所得
を、Eは雇用を、i(M, Y)は流動性選好(数々の所得水準において与えられる貨幣額を、公衆に保有させよう
とするに必要な利子率で測定される現金保有の意思)を、I(i)は投資機会(投資決意が利子率に依存するところの
方法)を、そしてC(Y)は消費性向(消費決意が所得水準に依存するところの方法)を表わす。
 図の最上部には、所得水準に依存する(あるいは、所得水準によって決定される)雇用量がある。所得水準は
消費性向と投資とに依存する。投資は投資機会と利子率とに依存する。最後に、利子率は流動性選好と貨幣額と
に依存する。
 地面に接する四つの煉瓦の部分があるこの家で、唯一つのものが単一の文字で表わされていることが、注意さ
れるべきである。その一つのものとは、ここでは、外部から幣当局によって決定されると考えられる貨幣額M
である。地面に接する他の三つの支柱~i(M, Y) I(i)およびC(Y)~は、何か外部当局によって与えられる
独立した額ではなくて、その構築物内のその他の要素の間の関数あるいは諸関係を表わしている。そして、その
すべてはお互いに密接に依存しあうのである。


ラーナー雇用の経済学
#8機能的財政:161

機能的財政の基本的な諸関係:
              /\
             /  \   
            /    \
           /      \
          /        \  
         /   E雇用    \ 
        /            \
       /              \  
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    /____________________\
    |         Y所得        |
    |____________________|
    |      I投資     | |   |
    |______________| |C(Y)
    | i利子率  |  |I(i) |消費 |
    |_______|  |投資 | |性向 |
    |M | |i |  |機会 | |   |
    |貨幣| (M,Y) |___| |___|
         流動性選好

#5:97:

#7:141 :

#9 MMT: economics for an economy focussed on meeting the needs of mostpeople


#9:144~5関連
#9MMT: economics for an economy focussed on meeting the needs of mostpeople
figure9.1 The Minsky - Foley pyramid
              /\High powered money
             /  \   
            /    \
           /      \
          /        \  
         /          \ Bank money
        /            \
       /              \  
      /                \
     /                  \ 
    /____________________\Other liabilities

The Minsky - Foley pyramid High powered money Bank money Other liabilities

ミンスキー1986#10
284 第10章 資本主義経済での銀行業 
…いるからである.マネタリスト・アプローチも標準的ケインジアン・アプローチも, とも`こ, 貨幣が制度自勺な取り扱い力,ら全く独立に識芳けさ′Lうるとイ反定している。しかし本当は,何が貨幣であるかは経済の作用によって決定されるのである。そして通常,貨幣は階層構造を成しており,異なった諸目的に各々特定の貨幣手段が対応している。貨幣は単にファイナンスの過程の中から生起するというだけで`まない。相異なる多数の種類の貨幣が経済には存在する。つまり,誰でも貨幣を創造することができる.問題は,それを受け入れさせることである.
銀行および金融機関のポートフォリォ選好が,相異なるタイプの資本資産に対する資本化率と, さまざまな投資に対する融資条件とを決定する。われわれの世界は,異質な資本資産,大がかりな金融を必要とする生産技術,おょび事業と金融にかんする多様な組織形態とによって特徴づけられている.このような世界では,金融上の有利あるいは不利が,生産における有利,不利を相殺することもありうる。つまり生産技術の_Lで成功したとしても,それが金融面における有利さを大きく相殺してしまうのであれば,そのような成功は技術的に劣勢になりうる。われわれの経済を理解するには,批判的で,謹直な観察を銀行機能に向ける必要がある。経済の不安定性を誘発し増幅させるものは,ある崩壊的な力である。たとえそれが,投資および経済成長の金融にとって本質的な要因であるとしても.銀行事業銀行業とは,貨幣貸付ではない。貸付を行うためには,貸し手は貨幣をもっていなければならない。基本的な銀行活動とは,ある者が信用するに足るということを受諾する,つまり保証することである.債務証書を受領することによって,銀行は債務者の意思・能力にかかわらず特定された支払をなすことに同意するのである。 このように銀行によって`受領ないしは裏書された手形は,その後公開市場で販売されるようになる.銀行貸付とは,銀行が受諾した手形を銀イ千/_ヾ購買することに等しい。

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 peter論考

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出典不明

But most important, Marx’s law of profitability is not just a secular or long-term gradual thing that has no relevance to the cycle of crises in capitalism.  The law is both secular and cyclical.  When profitability falls to such a point that the mass of profit and even total new value stops rising, a collapse in investment and output ensues.  When capital has been reduced (closures, mergers, layoff of labour) sufficiently to restore profitability, then production recovers and the whole cycle begins again.  This is the cycle of profitability that explains regular booms and slumps in modern capitalist economies.

Capitalism is a profit-making economy so it is profit and profitability that decides investment, then output and employment.  The Keynesians say it is the other way round; investment leads profits. But this is back to front.  In my presentation, I offered causal empirical evidence (not just correlations) that profits lead investment, not vice versa.


MMT: economics for an economy focussed on meeting the needs of most people


Cambridge Journal of Economics 2001, 25, 149-163
The role of the state and the hierarchy of money
Stephanie Bell*

横川論考
Minsky, H. P.(1982)Can “it” Happen Again?, M. E. Sharp.(岩佐代市訳『投資と金融』日本経済評論社,2003年。)
ーー(1986)Stabilizing an unstable economy, New Haven: Yale University Press.(吉野紀・浅田統一郎・内 田和男訳『金融不安定性の経済学:歴史・理論・政策』多賀出版,1989年。)
信用収縮
一般的に信用収縮は、"膨らみ過ぎた"資産の市場価格下落と価格崩壊による金融危機によって生じる[7]。その結果、膨れ上がった資産価格が急激に下落し、投資家や市場に遅れて参入した起業家への幅広い差押え倒産が起こる。対照的に流動性危機(liquidity crisis)は、健全な事業に対して、事業拡大またはキャッシュフロー支払いを円滑化するために必要なつなぎ融資(ブリッジ・ファイナンス、bridge finance)が一時的に実行できない場合に発生する。この場合、追加信用取引により、企業による問題への対処と支払いおよび事業の継続が可能になる。危機の最中には、問題を抱える事業が支払い危機の状態にあるのか、それとも一時的な流動性危機の状態にあるのか、判断することは難しい。
信用収縮が発生した場合、"値洗い"(mark to market、時価評価損益の計算)を行うことが望まれる。そして影響を受けた事業の金融資本信用循環の後退フェーズを生き残るために不十分な場合、その事業は売却または清算される。他方、流動性危機の場合は、追加信用取引を求めることが望まれる。一旦流動性危機が克服されると成長のための機会が期待できる。
長期の信用収縮は、安易で潤沢な融資("あぶく銭"あるいは"信用喪失")とは対極にある。信用循環が上昇フェーズの間は、資産価格の激しい値付け競争、借入金をてこにした入札、特定の資産市場におけるインフレーションなどが生じる。その結果、投機価格"バブル"が発生する。これがまた通貨供給量money supply)を拡大、経済活動を刺激し、経済成長雇用の一時的な上昇をもたらす[8][9]
関係者にとってバブルがいつ崩壊したかは、後から振り返った時にのみ分かる。経済バブルは、ポンジ・スキーム(Ponzi scheme)や無限連鎖講(ピラミッドスキーム、Pyramid scheme)のようではない、ダイナミックな特徴を持っている[10]
世界恐慌最中の1931年ケインズは次のように述べている。「悲しいかな、健全な銀行家とは、危険を予測してそれを回避する人ではなく、破産した時に誰も自分を非難できないように、仲間と一緒にありきたりの方法で破産する人のことだ。」[11]

☆☆


The role of the state and the hierarchy of money - University of ...

 
(Adobe PDF)

cas.umkc.edu/.../ ...
Minsky, 1986; Foley, 1987; Wray, 1990) have recognised as a debt-pyramid or ' ... are positioned higher than others. ... the Currency and Banking Schools serving as the primary participants, and have ...
Cambridge Journal of Economics 2001, 25, 149-163
The role of the state and the hierarchy of money
Stephanie Bell*
Minsky's definition of money as a two-sided balance sheet phenom
on the nature, evolution and role of
opposing theories in the history of monetary
This paper uses
enon to challenge many common positions
money. His definition is applied to two
debates, and it is shown that the Chartalists (as opposed to the Metallists) developed
a general theory of money that can be applied equally convincingly to the entire era of
state money. This theory is then used to show that the state's power to make and
enforce tax laws renders its money the most acceptable form of debt within what can
be considered a 'hierarchy' of monies. This leads to some
tions as well as a
important policy implica
strengthening of the endogenous money position
Key words: Money, Taxes, Chartalist, Metallist, Monetary theory
JEL classifications: B25, E42, E62
1. Introduction
The purpose of this essay is to analyse more thoroughly what several economists (e.g.,
Minsky, 1986; Foley, 1987; Wray, 1990) have recognised
of money', which exists in all modern economies. Because a theory of money is the foun-
dation for an analysis of the 'hierarchy', the paper begins with a definition and discussion
of the manner in which money will be treated in the essay. This definition is then applied
to an analysis of two opposing theories of money, the Metallist and Anti-metallist (or
Chartalist), in order to determine which conforms to the requisite definition of money.
a debt-pyramid or 'hierarchy
as
The most
compatible theory is then used to describe the structure and composition of the
hierarchy. Specifically, the Chartalist theory is used to explain why the various monies are
denominated in a particular unit of account and why certain monies within the hierarchy
are positioned higher than others
The positioning of the state's money at the top of the pyramid implies
lationship between 'the fiscal, tax-raising, authority
on the other (Goodhart, 1997, p. 1). This relationship, when maintained, enables (or, at
an intimate re-
on the one hand and money creation
Manuscript received 23 March 1998; final version received 30 July 1999
Address for correspondence: Stephanie Bell, University of Missouri-Kansas City, Department of Economics,
211 Haag Hall, 5100 Rockhill Road, Kansas City, MO 64110, USA; email BellSA@umkc.edu
*University of Missouri-Kansas City. This paper was written while the author was Cambridge University
Visiting Scholar at the Jerome Levy Economics Institute and was
Eastern Economic Association in New York City. The author would like to
from The Center for Full Employment and Price Stability and to thank John Henry, Jan Kregel, James Tobin,
Douglas Vickers, L. Randall Wray and two anonymous referees for helping
developed in the paper. None, of course, is responsible for what follows
presented
at the 1998 meetings of the
acknowledge financial support
improve the arguments
to
O Cambridge Political Economy Society 2001

Minsky 1986 sta un money 
Foley 
ケンブリッジジャーナルオブエコノミクス2001、25、149-163
国家の役割と
お金
ステファニーベル*
両面バランスシート表現としてのミンスキーの貨幣の定義
の性質、進化および役割
貨幣史における反対論
この論文は
多くの一般的な立場に挑戦するためのエノン
お金。彼の定義は二つに当てはまる
そして、それはチャートリストが(メタリストとは対照的に)発展したことを示しています。
の時代全体に等しく説得力を持って適用することができるお金の一般理論
州のお金この理論は、国家の権力が
税法を執行することで、可能な範囲内で、その資金が最も許容可能な形態の債務となる。
お金の「階層」と見なされます。これはいくつかにつながります
と同様に
重要な政策の意味
内生的な資金ポジションの強化
キーワード:お金、税金、チャートリスト、メタリスト、貨幣理論
JELの分類:B25、E42、E62
はじめに
このエッセイの目的は、何人かのエコノミストがより徹底的に分析することです。
ミンスキー、1986年。フォーリー、1987年。 1990年のWray
これは現代のすべての経済に存在します。お金の理論が創始者だから
「階層」の分析のために、この論文は定義と議論から始まります。
エッセイでお金が扱われる方法の。この定義が適用されます
対立する2つの貨幣理論、メタリストとアンチメタリスト(または
Chartalist)、どちらが必要なお金の定義に準拠しているかを判断するため。
負債ピラミッドまたは「階層」
として
一番
互換性のある理論はそれからの構造そして構成を記述するのに使用されている
階層。具体的には、Chartalist理論は、さまざまな金銭がなぜあるのかを説明するために使用されます。
特定の会計単位で表示され、その階層内の特定の金額
他より高い位置にある
国のお金をピラミッドの一番上に配置することは、暗黙のうちに
財政、増税、権威間の関係
他方では(Goodhart、1997、p。1)。この関係は、維持されると可能になります(または、
親密な再
一方ではお金の創造
原稿は1998年3月23日に受け取りました。 1999年7月30日に受信した最終版
連絡先住所:ミズーリ州カンザスシティ大学ステファニーベル経済学部
211 Haag Hall、5100 Rockhill Road、カンザスシティ、MO 64110、米国; BellSA@umkc.eduに電子メールを送りなさい
*ミズーリ大学カンザスシティ校。この論文は著者がケンブリッジ大学である間に書かれました
Jerome Levy Economics Instituteの奨学金を受けて
ニューヨーク市東部経済協会。作者は
「完全雇用と物価安定のためのセンター」より、John Henry、Jan Kregel、James Tobinに感謝します。
Douglas Vickers、L. Randall Wray、そして2人の匿名のレフェリーが協力しています
論文で開発された。もちろん、それに続くものに対して責任を負うものは誰もいません。
提示された
1998年の会議で
財政支援を認める
引数を改善する
ケンブリッジ政治経済協会2001

Foley (1987 FoleyD1987. “Money in Economic Activity .” In The New Palgrave: Money, edited by J. Eatwell, M. Milgate, and P. Newman, 519–525. New York, NY: W.W. Norton.


THE HIERARCHY OF MONEY by Stephanie Bell Visiting Scholar, The Jerome Levy Economics Institute April 1998 
^
Foley, Duncan.  1989. "Money in Economic Activity."  The New Palgrave: Money , edited by John Eatwell, Murray Milgate, and Peter Newman. New York and London: W.W. Norton, pp. 519-525.
^
Minsky, Hyman P.  1986.  Stabilizing An Unstable Economy , New Haven: Yale University Press.

☆ 
But this means that the Bank of England really should be saying that the third type of money is government created, because it is. Modern monetary theory is explicit about that. MMT recognises that both government created and bank created money exist. Here I will borrow from another post by Charles Adam on Progressive Pulse. As he says:
Money is created either when the government spends, or when a bank makes a loan. We can think of government spending and bank loans as the beginning of two interconnected money circuits. The government and bank circuits form the duopoly of money creation.
The Bank of England acknowledges the bank money circuit, which Charles draws as follows:
The bank lends money into existence. That creates private debt that is cancelled on repayment. I stress the point: repayment of loans does not provide new money for lending. It just cancels debt.
The money lent does not exist before it is lent. It is created by double-entry book-keeping and not by a printing press. Simply recording the debt in the books of the bank and customer creates the money because that is what is required to record the promise which gives fiat money its value. And repaying it reverse the entry and cancels the money. The promise has been fulfilled and is at an end.
And that's it, although interest does create another circuit, part of which leaks into bank profit. But the point is that there is public debt until the loan is repaid matched by public wealth - the deposits held at banks created by the people who receive the lent funds when they are spent by the borrower.
The government circuit is actually remarkably similar to this, and the logic is identical. This is the diagram:
Just as a bank does not wait for someone to deposit money to lend (and could not in the first instance, because until banks lent there would be no money to deposit) so governments don't wait to collect tax before they spend. Instead they tell their own bank (the Bank of England in the UK) to spend for them. And then when they have spent they have created the money that can be paid in tax. And they have also created the money that can be used to buy the bonds the government issues if tax receipts are less than the total spend.


しかしこれは、イングランド銀行が本当に第三の種類のお金は政府が創ったものであると言っているべきだということを意味します。現代の貨幣理論はそれについて明白です。 MMTは、政府が創設したお金と銀行が創設したお金の両方が存在することを認識しています。ここで私はプログレッシブパルスに関するチャールズアダムによる別の記事から借りるつもりです。彼が言うように:

お金は、政府が支出したとき、または銀行が融資したときに作成されます。政府支出と銀行ローンは、相互に関連する2つのマネーサーキットの始まりと考えることができます。政府と銀行の回路が貨幣創造の複占を形成しています。
イングランド銀行は、チャールズが次のように描いている銀行マネーサーキットを認めています。



銀行はお金をかけて存在させる。それは返済時にキャンセルされる民間債務を作成します。私はその点を強調しています。ローンの返済は、融資に新しい資金を提供するものではありません。借金を解消するだけです。

貸したお金は貸し出す前には存在しません。印刷機ではなく複式記帳で作成されています。銀行と顧客の帳簿に負債を記録するだけでお金が生まれます。それが、フィアットお金に価値を与える約束を記録するために必要なことです。そして、それを返済することはエントリーを逆転させ、そしてお金をキャンセルします。約束は果たされてきて、終わりです。

そしてそれはそれです、興味は別の回路を作成しますが、その一部は銀行の利益に漏れます。しかし重要なのは、融資が返済されるまでの間に公的資産 - 借り手が借りた資金を受け取った人が銀行に預けた預金 - が返済されるまでは公的債務があるということです。

政府の回路は実際にはこれと非常によく似ており、論理も同じです。これがダイアグラムです:



銀行が誰かが貸すためにお金を預けるのを待たないのと同じように(そして最初の例では、銀行が貸すまではお金を払うことができないので)、政府は彼らが使う前に税金を集めるのを待ちません。代わりに、彼らは自分たちの銀行(イギリスのイングランド銀行)に彼らに支出するように言います。そして、彼らが過ごしたとき、彼らは税金で支払われることができるお金を生み出しました。そして、彼らはまた、納税額が総支出額よりも少ない場合に政府が発行する債券を購入するために使用できる資金を生み出しました。