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貨幣乗数理論という完全なる虚妄
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貨幣乗数理論というのは、根本的に間違った完全なる虚妄なのだが、教科書含め、未だに大手を振って蔓延して
いるというのが現状である。
かのようなベーシックなところでの誤りがいつまで経っても修正されないのだから、同様にして、財政破綻論が
一向に衰えないのも当然と言えよう。
歴史的に見て、公的教育を含めた広範の教育カリキュラムにおいて誤った事項が教育されてしまうということは、
別に珍しいことでも何でもないのだが、とはいえ、この貨幣乗数理論という現実経済とは全く乖離した完膚なき
までの虚構が、高位の学者に至るまで浸透している様子には深い諦念を覚える。
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端的に言うと、貨幣乗数理論が想定するような「銀行が手元の現金を次々に又貸しして銀行預金を増やしている」
という取引は実在しない。
貨幣乗数理論という完全なる虚妄
…貨幣乗数理論というのは、根本的に間違った完全なる虚妄なのだが、教科書含め、未だに大手を振って蔓延しているというのが現状である。
かのようなベーシックなところでの誤りがいつまで経っても修正されないのだから、同様にして、財政破綻論が一向に衰えないのも当然と言えよう。
歴史的に見て、公的教育を含めた広範の教育カリキュラムにおいて誤った事項が教育されてしまうということは、別に珍しいことでも何でもないのだが、とはいえ、この貨幣乗数理論という現実経済とは全く乖離した完膚なきまでの虚構が、高位の学者に至るまで浸透している様子には深い諦念を覚える。
既に長らく、そして重ね重ね論じてきたことだが、改めて貨幣乗数理論の何が間違いかについて論じておこう。
拙note『「信用創造」(銀行融資による貨幣創造)に関する誤解とその修正』で平易に解説していることだが、端的に言うと、貨幣乗数理論が想定するような「銀行が手元の現金を次々に又貸しして銀行預金を増やしている」という取引は実在しない。
ビル・ミッチェルの「貨幣乗数、及びその他の神話」や、「貨幣乗数 ― 行方不明にて死亡と推定」などもご一読願いたいが、銀行融資というのは、単に銀行負債=銀行預金の新規発行という形を取るのであって、融資自体は現金準備or拠出を必要としない。
そして、銀行預金の増加に応じて、銀行預金決済を通じた現金需要(銀行間決済や対政府決済など)がある程度増える。
ビル・ミッチェル「貨幣乗数 ― 行方不明にて、死亡と推定」(2010年7月16日)
Bill Mitchell, “Money multiplier – missing feared dead“, Bill Mitchell – billy blog, July 16, 2010.
今日はブログ記事を書くつもりではなかったのだが、気が変わった。短い記事を一つだけ書こうと思う。主流派経済学者によって今なお生き残り続けている教条的主張として、「中央銀行が未だにマネーサプライをコントロールしており、貨幣乗数は生きているが、少しの間消えているだけなのだ」というものがあるように思う。この最近の主流派のポストは、金融システムとその運用機関に関して、主流派マクロ経済学者が未だ継続中の誤った主張の典型例である。貨幣乗数は死んだわけではない、というのが事実だ――私はそれを確信を持って言える。なぜなら、貨幣乗数などそもそも存在したことがないということを知っているからだ!
主流派の理論では、貨幣乗数mがマネタリーベース(MB)(準備預金と発行通貨(currency at issue)の合計)の変化をマネーサプライ(M)の変化へと波及させるということが主張されている。学生たちは、彼らの学習レベルに合わせた様々な複雑さの代数学の計算をさせられてmを導出する。(学生たちは、典型的な経済学学位の過程で、このように無意味に何度も虐められる) mは、最も簡単な形では、法定準備率の逆数で表現される。だから、もし中央銀行が民間銀行に対し、預金総額の10%を準備預金として保持しなければならないと指示したら、そのときの法定準備率は0.10であり、mは1/0.1=10となる。人々が銀行預金を一部現金で持とうとした場合は、求められる公式はもう少し複雑になる。しかし、そうした複雑化には話の大筋への影響はない。
マネーサプライを決定する公式はM=m×MBとなる。したがって、もし銀行が新たに1ドルの準備預金を得たら、マネーサプライは(乗数倍されて)増加して、10ドルに増えることになる。(法定準備率が0.10の場合) 貨幣乗数がどのように働くと主張されているかについては、以下のように説明される。(預金総額の10%を準備預金として持つように銀行が要求された場合)
・ある人が銀行に100ドルを預ける。
・貨幣(money)を創造するために、銀行はそのうちの90ドルを顧客に貸し出す。
・その貨幣は支出され、受け取り手が自身の銀行にその90ドルを預金する。
・その銀行は、90ドルのうち0.9倍の81ドルを貸し出す。(法定準備率0.10を維持するため)
・融資がゼロになるほど小さくなるまで続く。
こうしてあなたは、マネタリーベースとマネーサプライ指標との間に極めて安定した関係を予想することになるだろう。実際、主流派の理論は、中央銀行がこの関係を用いてマネーサプライをコントロールすると主張している。
マンキューのPrinciples of Economics(邦題:マンキュー入門経済学)では(私は初版を持っている)、チャプター27で ”金融システム” について論じられている。最新版ではチャプター29だ。いずれにせよ、それを読んで学べることはほとんどないだろう。
連邦準備制度(アメリカの中央銀行)についてのセクションでは、マンキューは連邦準備制度が ”二つの関連した職務” を担っていると主張している。第一の職務は ”銀行を規制し、金融システムの健全性を確保すること” だ。であるならば、私が思うに、マンキューは、大規模金融崩壊を看過した連邦準備制度職員上層部を首にすることを要求すべきではないだろうか。
我々は、貨幣乗数の擁護に関しても、同じタイプのその場しのぎを現在目にしている。
結局は、現在何が起きているかを教えてくれるものが理論の内部に存在しないということだ。
連銀でさえ、このことを渋々認めつつある。2009年7月のペーパー―Why Are Banks Holding So Many Excess Reserves?―で、彼らはそうした疑問に回答している:
銀行システム内の準備預金の全体の水準は、ほぼ全て中央銀行の行動で決定され、民間銀行の貸出判断からは影響を受けない。危機に対応して連銀が導入した流動性ファシリティは大量の準備預金を創造した。銀行の貸出態度の変化は法定準備の水準にわずかな変化しか齎さないので、新しく創造された準備預金の大部分は銀行の対応とはほとんど無関係に超過準備として保有されることになる。言い換えれば、Figure 1に示したような超過準備の量は、連銀の政策イニシアティブの規模を反映しており、超過準備が銀行融資や経済により広く与える影響との関係性に乏しいか、あるいは無関係である。
こうした結論は一見、教科書的な貨幣乗数の説明をよく知っている読者からは奇妙に思えるだろう…我々は、貨幣乗数の伝統的な見方について、及びなぜそれが現在の状況に適用できないかについて議論する。
彼らの結論では、超過準備に目標金利分の付利を支払うという中央銀行の判断が、貨幣乗数理論不適合の根拠となっている。しかし実際は、貨幣乗数の不適合性は中央銀行がサポート金利を実施しているかどうかには依存しない。
それはなぜか?
私がこれまで何度も示してきた通り、マンキューのような教科書に書かれている部分準備-貨幣乗数プロセスの描写は、銀行オペレーションに関する主流派の誤解の典型例だ。
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