以下ビブン『誰がケインズを殺したか』邦訳35頁より
《…貨幣数量説は経済学において最も古い理論の一つである。この数量説は過去二百年間にわたって経済
学の文献に登場している。数量説の重要性ゆえに、ここでやや堅苦しい議論をしておくのも無駄ではない。
数量説は次のような単純な関係式であらわされる。
MV=PQ
この方程式の左辺のMは通貨(貨幣)の流通量をあらわす。Vは通貨の流通速度あるいは通貨の回転
率である。D・H・ロバートソンは、ケインズの弟子であり同僚でもあった経済学者だが、彼は一九二
〇年代に出版された『貨幣』という著作のなかで、流通速度という概念を非常にうまく説明している。
この本は、面白く書かれているという点で、数少ない経済書の一つである。この本の各章のはじめに実
は、『ふしぎの国のアリス』から引用した文章が掲載されているが、その点でもこの本は有名である。
ロバートソンは流通速度の概念について、二人の英国人、ボブとジョーを登場させて説明する。二人は
会社を興す実業家になる決意をしてお金を貯め、一バレルのビールを買ってダービーの当日に一杯六ペ
ンスで売ろうと、エプソムダウンズに向かった。ビールを買った後、ボブの手元には三ペンスが残った
が、ジョーには残金がなかった。その日はとにかく暑かった。彼らはビールを運びながら、のどが渇い
てたまらなくなった。ボブは一休みしようと立ち止まり、ビールを一杯飲んだ。そしてビール一杯の値
段として、ジョーに彼の三ペンスを支払った。今度はジョーもビールを一杯飲むことにし、三ペンスを
ボブに返した。ここでこの物語の結末は予測可能だ。ビールがなくなるまで、三ペンスは二人の間を行
き来し続けた。つまり、三ペンスが回転し、すべてのビールの供給を購入してしまったのだ。
方程式の右側はどうか。Pは一般物価水準あるいは物価の平均水準を示し、Qは取引量を示してい
る。この方程式を全体として眺めると、左側のMV(通貨流通量に一ドル当たりの平均使用回数を乗じ
たもの)は総支出額になる。右側のPQ(平均価格に販売数量を乗じたもの)は売り手が受け取る所得
額になる。この方程式は、総支出額が総所得額に等しいという、わかり切った事実を示しているにすぎ
ないが、にもかかわらず、経済活動を考える上で有益な方法なのだ。
古典派の経済学者は、わかり切った事実とどまらなかった。彼らは方程式のQを不変と考えた。なぜ
なら、彼らは経済は完全雇用に向かうものと信じていたからだ。生産が一定だとみなしうる短期に、働
きたいと思うすべての人が職に就いていると仮定できれば、ただ一つの生産高が実現される。古典派の
経済学者たちは流通速度は慣習によって決まると考えた。慣習とは、人々が収入を受け取る頻度や支払
いを行う頻度である。また流通速度は、馬の背に乗せて運ぶとか電子ネットワーク上を動くとかの、通
貨の移動に関係する技術によっても変化する。決済の慣習と技術とはそう頻繁に変わるものではないか
ら、流通速度は長期にわたって不変にとどまると仮定できた。こうしたわけで、古典派の論理ではVと
Qは一定と考えられたのである。そうであれば、次のことが成り立つことになる。すなわち、方程式の
左辺にあるマネーサプライ(M)が変化すれば、方程式の右辺の物価水準(P) もまた変わる。もっと
正確にいえば、物価水準はマネーサプライ(通貨供給量)の変化に比例して変わる。もしマネーサプラ
イを二倍に増やせば、物価水準も二倍になる。これが貨幣数量説の議論の核心だ。》
この花見酒経済の小噺は1919年エッジワースも紹介しているという
参考:
ロバートソン『貨幣』邦訳33頁
及び
エッジワース による書評(登場人物の名前がトミーとハリー)
https://academic.oup.com/ej/issue/29/115
https://academic.oup.com/ej/article-abstract/29/115/327/5282182
有料
https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhe-DbVpwRF5UomEzZQuKibpMmCoePAApe4athKz8vbKOj9VBjgo3BwsKBe8uYC07klIEG43AbBTRo_U3ausdjv_8EBC4_xkVurlDtB9YUM2bWJ80qwTqW0CdIKY6cb6rRzyn7X/s1600/IMG_5297.PNG
ロバートソン『貨幣』
https://archive.org/details/cu31924013818145
Here is a little story^ to illustrate this conception of the velocity of circulation of money. On Derby-day two men, Bob and Joe, invested in a barrel of beer, and set off to Epsom with the intention of selling it retail on the race-course at 6d. a pint, the proceeds to be shared equally between them. On the way Bob, who had one threepenny-bit left in the world, began to feel
' Adapted from Edgeworth, Economic Journal, 1919, p. 329.
a great thirst, and drank a pint of the beer, paying Joe 3d. as his share of the market price. A little later Joe yielded to the same desire, and drank a pint of beer, returning the 3d. to Bob. The day was hot, and before long Bob was thirsty again, and so, a little later, was Joe. When they arrived at Epsom, the 3d. was back in Bob's pocket, and each had discharged in full his debts to the other: but the beer was all gone. One single threepenny bit had performed a volume of transactions which would have required many shillings if the beer had been sold to the public in accordance with the original intention.
ビブン『誰がケインズを』で引用
貨幣の価値
《…このような貨幣の流通速度の観念を説明するために、一つの小話がある。ダービー競馬の日に、ボブとジョー
の二人がビール一樽に投資して、それを競馬場で一ぱい六ペンスで小売し、売上げは二人で山分けするつもりで
エプソムへと出発した。途中で、三ペンス銀貨をたった一つだけまだ持っていたボブが、たいへんのどがかわい
てきたので、売り値の分け前としてジョーに三ペンスを払い、ビールを一ぱい飲んだ。すこし経つとジョーも我
慢できなくなり、その三ペンスをボブに返してビールを一ぱい飲んだ。その日は暑かったので、間もなくボブは
もう一度のどがかわき、そうして、すこし経つとジョーものどがかわいた。彼等が エプソムに着いたとき、三ペ
ンスはボブのポケットに戻っていて、二人はお互への債務を完全に払っていたが、ビールは全部なくなっていた。
最初のもくろみに従ってビールを公衆に売ったとすれば、何シリングも要ったはずの取引量を、たった一個の三
ペンス銀貨がなしとげたのである。
われわれの興味をもつのが、貨幣の「取引価値」ではなくて、「所得価値」--実質所得または産出量を構成す
る財貨およびサーヴィスで表わされた貨幣の価値--であるとしても、やはり同じ接近方法を採ることができる。》
ロバートソン『貨幣』邦訳33頁
Money
Pitman Publishing Corporation, 1948 - 223 ページ
古典落語の演目のひとつ。三遊亭小圓馬が得意とした。オチは間抜オチ。主な登場人物は、若い衆。
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
大辞林 第三版の解説
はなみざけ【花見酒】
① 花見をしながら飲む酒。
② 落語の一。花見の場で酒を売ってもうけようと樽たるをかついで出かけた酒好きの二人が、酒屋から釣り銭用に借りた銭を交互に払い合って商売物を飲み尽くしたあげく、残ったのは釣り銭用に借りた銭だけというもの。
出典 三省堂大辞林 第三版について 情報
精選版 日本国語大辞典の解説
はなみ‐ざけ【花見酒】
〘名〙 花見をしながら飲む酒。《季・春》
※俳諧・毛吹草(1638)六「今朝皆はのまじ小嶋の花見酒〈弘永〉」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
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三遊亭 金馬(2代目)
笠 信太郎
古典落語
笠信太郎
泉月花
商売物
各盞
フィッシャー交換方程式をどう捉えるか
MV=PQ
通貨流通量×平均使用回数=平均価格×販売数量
ビブン(誰がケインズを36ページ)、ガルブレイブス、横山による批判
vとqを古典派は一定と捉え
mを増やせばpが決まると考える
ポストケインジアンは逆
The myth of rational expectations
ファーガソンとRational Expectationsの主題の両方を公開する優れた仕事。そして、それはお金の数量理論にもかかっています!
ジョアン・ロビンソンは、カレツキがかつて次のように発表したと報告しています。株式をフローと混同する科学です」(Robinson、「Shedding Darkness」、Cambridge Journal of Economics、6(1982)、295-6を参照)。彼女はこう付け加えます。「今日の金銭理論を生かし続けているのは、この混乱です。特定の市場での取引で使用されるお金の在庫であるMに、循環速度、つまり1週間または1年あたりの回転率Vを適用することにより、当該市場での取引の流れに到達します。その後、彼女は式について謎があることを指摘し続けます。 「MVは、これらのトランザクションに使用される通貨に関して、単位時間あたりのトランザクションの流れですが、実際の用語でMV / Pトランザクションで表される単位は何ですか?」
ジョーン・ロビンソンの質問は頭に釘を打ちます。ユニットに名前を付けられない場合は、式を廃棄します。そして、それは深刻な経済的異議を唱える前です!
貨幣とビールの小話
ロバートソン『貨幣』邦訳33頁
ビブンが引用
元ネタはエッジワース1919らしい
EJ p.329
https://academic.oup.com/ej/issue/29/115
https://academic.oup.com/ej/article-abstract/29/115/327/5282182
有料
1919
329
LEHFELDT: GOLD PRICES AND THE WITWATERSRAND
quantity of work done, without suggesting the idea of estimating
it by time." We shall be pardoned perhaps if we recite an old
anecdote for the purpose of illustrating a point which may not be
familiar to some readers. Tommy and Harry were taking a cask
of beer to the Derby with the intention of retailing its contents
at 6d. per glass; the proceeds to be divided between the two
partners. On the way, Tommy, becoming thirsty, proposed to
purchase a glass for his own consumption. He had not, indeed,
the price of a glass; he had only a threepenny-bit. But he
pointed out that if he handed this coin to Harry he, Harry, would
be as well off as if the glass of beer had been sold to an outsider.
Harry assented, the more readily as his pockets were empty
Presently Harry became thirsty; and the threepenny-bit again
changed hands, in exchange for a half-glass of beer. In short,
the nimble coin circulated with such efficiency that the entire
contents of the cask were bought and sold before the end of the
journey. Now who does not see that the point of the story does
not depend on the duration of the journey? The moral would be
the same whether the partners travelled by express train or in a
donkey cart. To be sure, it comes to the same if, after defining
the velocity of money with respect to the time, we also define
the quantity of business or traffic-of "work done," in Mill's
phrase-with respect to the time. Yet, why drag in the time?
It is less usual, we believe, to drag it in with respect to that
rapidity which is symmetrical with the velocity of currency
namely, the frequency with which the same goods are sold. Thus
Professor Lehfeldt writes: "A piece of iron ore in the ground
is eventually converted to a razor; how many sales are involved
before the transformation is complete?" The answer
tion has little to do with the time occupied. Apropos of this
second species of rapidity, we may recall Professor Lehfeldt's
brilliant suggestion (made in THe EcoNoMic Journal for 1918,
p. 111) that a considerable change in this factor may have con-
tributed to falsify the interpretation of monetary phenomena
during the war. He now dwells upon another incident, the great
increase in difficulty of production caused by the war.
mise that there is something common to these two factors con-
sidered as disturbing monetary calculations. They both form
large unique causes, deficient in that character of sporadic inde-
pendence which is essential to the theory of Probabilities, which
underlies the construction of index-numbers, which are required
for the determination of changes in the level of prices and the
volume of production. We hazard a further conjecture as to the
No. 115.-VOL. XXIX.
this ques-
We sur
Z
1919年
329
LEHFELDT:ゴールド価格とウィットウォーターブランド
推定のアイデアを示唆せずに行われた作業量
私たちはおそらく古いものを暗唱する場合、私たちは赦されるでしょう
そうでないかもしれない点を説明する目的のための逸話
一部の読者にはおなじみです。トミーとハリーは樽を飲んでいました
ビールをその内容を小売する意図でダービーに
6dで。ガラスあたり;収益は2つに分割されます
パートナー。途中、のどが渇いたトミーは
自分で消費するためにグラスを購入します。実際、彼はそうではなかった
ガラスの価格;彼には3ペニービットしかありませんでした。でも彼は
彼がこのコインをハリーに渡せば、ハリーは
ビールのグラスが部外者に売られたかのように、元気になってください。
ハリーは、ポケットが空だったので簡単に同意しました
現在、ハリーはのどが渇いた。そして再び3ペニービット
半分のグラスのビールと引き換えに手を変えた。要するに、
軽快なコインは、全体が
キャスクの内容は、終了前に売買されました
旅。物語の要点が見ていることを誰も知らない
旅の長さに依存しませんか?道徳は
パートナーが急行列車で旅行したか、
ロバカート。確かに、定義した後、同じになる
時間に対するお金の速度、我々も定義します
Mill'sでのビジネスまたはトラフィックの「完了した」作業の量
フレーズ-時間に関して。それでも、なぜ時間内にドラッグしますか?
それに関してドラッグするのはあまり一般的ではないと信じています
通貨の速度と対称的な急速性
つまり、同じ商品が販売される頻度。かくして
レーフェルト教授は次のように書いています。「地中の鉄鉱石
最終的にカミソリに変換されます。関係する販売数
変換が完了する前に?」答え
占有時間とはほとんど関係ありません。これの適切な
急速性の第二の種、レーフェルト教授の
素晴らしい提案(1918年にEcoNoMic Journalで作成、
p。 111)この要因の大幅な変更は、
金融現象の解釈を改ざんするために貢献
戦争中。彼は今、別の事件、偉大な
戦争による生産の難易度の増加。
これらの2つの要因に共通する何かがあるという前提
気がかりな金銭的計算と見なされます。彼らは両方形成する
散発的な独立性の特徴に欠ける大きなユニークな原因
確率の理論に不可欠なペンダント、
必要なインデックス番号の構築の基礎
価格のレベルの変化の決定と
生産量。私たちはさらに推測を危険にさらします
第115巻XXIX。
この質問
私たちは
Z
academic.oup.com/cje/article-pdf/6/3/.../6-3-295.pdf
NOTE. Shedding darkness. Joan Robinson* ... is; it is the science of confusing stocks with flows'. It is this confusion that ...
Joan Robinson reports that Kalecki once announced that “I have found out what economics is; it is the science of confusing stocks with flows” (see Robinson, “Shedding Darkness”, Cambridge Journal of Economics, 6 (1982), 295-6). She adds that “it is this confusion that has kept the Quantity Theory of Money alive until today. By applying V, velocity of circulation, that is turnover say per week or per year, to M, the stock of money used in transactions in a given market, we arrive at the flow of transactions in the market concerned”. She then goes on to point out that there is a mystery about the formula. “MV is the flow of transactions per unit time in terms of whatever currency is used for these transactions, but what is the unit represented by MV/P-transactions in real terms?”
Joan Robinson’s question hits the nail on the head. If you can’t name the unit then scrap the formula. And that’s before we get to serious economic objections!