MMTをめぐる議論で欠けている「供給力」の視点 | 令和の新教養 | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
2019/11/12
MMTをめぐる議論で欠けている「供給力」の視点
完全雇用をめざす「就業保証プログラム」問題
前回、経済評論家で株式会社クレディセゾン主任研究員の島倉原氏が監訳をつとめた『MMT現代貨幣理論入門』を基に、MMTの概要を解説した。
今回は、同氏と中野剛志(評論家)、佐藤健志(評論家・作家)、施光恒(九州大学大学院教授)、柴山桂太(京都大学大学院准教授)の気鋭の論客4人が、同書をめぐって徹底討議する。
納税動機とMMT
島倉原(以下、島倉):本書『MMT現代貨幣理論入門』で監訳を担当した島倉です。ご覧いただいていかがでしたか。
施光恒(以下、施):私が面白いと思ったのは、「貨幣より先に、まず国家ありき」という経済の捉え方です。国家が自らの債務証書としての貨幣を出し、「これで税金を払え」と命じることで普及させる。それにより経済が動いていくという順序ですね。最初に主権を打ち立てることによってゼロから有を生み出すという意味で、ドイツの政治学者のカール・シュミットなどの考え方に近いと感じました。
佐藤健志(以下、佐藤):著者のランダル・レイは149ページで、FRB議長だったベン・バーナンキの言葉を引用します。「政府はキーストローク、つまりバランスシートへの電子的な記帳を行うことで支出する。そうするための能力に、技術的なあるいはオペレーション上の限界はない」。
貨幣に関しては無から有が生み出せる以上、政府は財政赤字を気にしなくていい。通貨発行権という経済的主権が、積極財政による経世済民という政治的主権を支えるんですね。
中野剛志(以下、中野):政府支出に納税額が追いつかなくても、何も問題はない。なぜなら政府は自分が必要なだけのお金をいつでも創り出せるからです。みんな錯覚しているんですよ。本当は、政府は自分が創った金で運営されているのに、「政府は国民の税金で運営されている」と思い込んでいる。国民も公務員もね。
MMTをめぐる議論で欠けている「供給力」の視点
完全雇用をめざす「就業保証プログラム」問題
柴山桂太(以下、柴山):そんな話を聞いたら、誰も納税しなくなるのでは(笑)。
中野:それは別の意味でまずいんです。納税こそが貨幣の根拠なので、国民が納税義務を果たさなくなると、通貨は通貨として存在できない。そうなると国家も成り立たない。
柴山:僕はMMTの1つの問題は、人々の納税動機を軽視していることだと思うんです。国民が納税の義務に応じるのは、税金が国の活動の原資となっていると考えるからです。MMTによればフィクションなのでしょうが、そのフィクションなしに「納税は社会的責任」という考え方をどこまで維持できるのか。
実際、企業経営者や高額納税者の話を聞くと、「われわれの税金が国を成り立たせているんだ」という自負が非常に強い。レイも師匠のハイマン・ミンスキーも法人税廃止論者ですね。法人所得をすべて配当に回して、株主から税を取るべきだと言うんですが、アメリカはともかく、日本でそれをやると企業経営者のモチベーションを相当削ぐことになりますよ。
今の先進国がどうやって近代国家になっていったか
中野:経済理論による分析と、社会人類学的にどうして人が税金を払うのかというのは、また別な問題だと思うんですよ。人々が納税するのは、おそらく交通ルールを守るのと同じで、「そういう決まりだから」という理由がいちばん大きいんじゃないでしょうか。
世の中のいろいろな決まりを守るとき、いちいちその正当性の確認まではしない。税金の使われ方にしても、問題があったときには気にするけれども、普段はルーティンとして、「納税は国民の義務」という感覚で払っている。
柴山:もちろん義務に従っているんですが、その義務感を正当化しているのは、やはり「自分たちの支払う税金が世の中の役に立っている」という意識だと思うんです。例えば消費税を上げるときにも、「これは社会福祉に使われます」と言われて、多くの人が「そうなんだ」と納得して賛成したりするわけですよ。
中野:しかし、実際は税金の種類と使途が必ずしもひも付いているわけじゃない。現実の社会制度は事実と社会的幻想がないまぜになって動いている。MMTを知ると、そのことがよく見えてきます。
柴山:でもね、今の先進国がどうやって近代国家になっていったかを考えると、国民の納税者意識が高まってきた、というのは大きいのではないでしょうか。権力に「逆らえないから払う」というレベルから、「納税が社会に役立っている」という認識に変わり、ある程度自発的に政府に協力するようになった。それによって国としてのまとまりができてきたんじゃないでしょうか。
MMTをめぐる議論で欠けている「供給力」の視点
完全雇用をめざす「就業保証プログラム」問題
佐藤:中野さんの『富国と強兵』ではありませんが、徴税を義務として受け入れるうえでは、対外戦争が大きな意味を持つのかもしれません。日露戦争のときは死刑囚までが、刑務所内の労働でもらった賃金を、処刑前に戦費として全額差し出したのです。
施:日本に限らず安定した国や安定した通貨は、そういうある種の物語をうまく使うことで、制度を支えているのかもしれませんね。それが必要なことだと思ってみんなが納税するから、日本の通貨は盤石になっている。企業でいえば、「企業の社会的責任」という物語が生きているからこそ、社会がうまく動いている。物語や人々の思いに、社会を機能させる力があるということですね。
ゴッドリーのマクロ会計の恒等式
柴山:この本で僕が面白いと思ったのは、民間部門と政府部門と海外部門、この3部門の期間内収支を足すとゼロになるという、ストックフロー・アプローチの話です。
島倉:本の冒頭で説明されていた、ワイン・ゴッドリーのマクロ会計の恒等式ですね。
柴山:この議論だと、日本政府の財政が赤字続きなのは当然のことなんですね。日本の経常収支は若干の黒字ですが、それを差し引いても民間収支が大幅な黒字なので、政府部門はどうしても赤字にならざるをえない。
島倉:実際に日本における財政収支と、家計、企業、海外それぞれの部門収支を名目GDP比でグラフに取ってみると、財政収支と企業の収支は完全に裏返しになっています。
名目GDPが頭打ちとなった1997年を振り返ると、政府が消費税増税や公共投資の削減といった緊縮財政を始めたことをきっかけに、国全体で民間の所得が伸びなくなった。企業の営業利益も民間所得の一部ですから、国内での利益成長期待が失われた結果として、企業は投資を減らして借金の返済を優先するようになった。
企業の資金収支は本来、先行投資によって赤字になるのが正常なのですが、日本の企業部門は黒字を積み上げている。そんな異常な状況がもう20年以上続いています。
柴山:さらにこの理論を詰めていくと、財政赤字を減らす目的の消費税増税もやってはいけないことになる。というのも消費増税すると、家計は一段と消費を控えて貯蓄に回すようになって、民間の黒字が増えてしまう。すると自動的に財政赤字が増える。
中野:消費増税で民間の消費が減る限り、財政赤字の削減はできない。「やるべきじゃない」というだけではなくて、できないわけです。
MMTをめぐる議論で欠けている「供給力」の視点
完全雇用をめざす「就業保証プログラム」問題
柴山:財政均衡を目指すと、かえって財政赤字を悪化させてしまうわけです。現に日本では平成の30年間、消費増税のたびに財政赤字が増えてきた。
ただこれは恒等式なので、どちらが原因でどちらが結果かはわからない。だから逆に解釈される可能性もありますね。「民間が投資を増やさないから財政も黒字化しないし、デフレからも脱出できないんだ」というふうに。
佐藤:景気が悪かろうと、家計が貯蓄せずに消費を増やし、企業も借金して投資を増やせば、緊縮財政のもとでもデフレ脱却は可能でしょう。しかしそれは、民間部門に非合理的な行動を取れと要求するにひとしい。言い換えれば、できるわけがない。
中野:おっしゃるとおり、デフレのときには企業は、合理的な判断として、支出を減らして貯蓄を増やそうとするんです。
一方、政府はデフレでも支出できる。だからデフレから脱出するには、政府が支出を増やさないとどうにもならない。
施:財政支出の拡大でデフレから脱出できるのでしょうか。
島倉:こんなことを言っても誰も信じないでしょうが、私は日本政府がバカみたいに財政支出を拡大して民間所得が急増すれば、企業の投資が活発化して、逆に財政は黒字になると思っています。実際、高度成長期はそんな時代でしたから。
財政支出はインフレの原因にはならない
柴山:MMTの議論でもう1つ面白かったのは、商品貨幣説を否定したところです。商品貨幣説では貨幣が数ある商品の一つにすぎないと考える。すると、その価値は需要と供給のバランスで決まることになる。「貨幣の供給を増やせばインフレが起こる」というマネタリズムの考え方も、ここから来ている。
ところがMMTでは貨幣は商品ではなく債権債務の記録である、と考える。銀行が信用創造するか、政府が債務を増やせば貨幣は増えていくけれども、貨幣量そのものは物価と直接的な関係はない。インフレは、例えば政府の過大な支出が原因で、実物資源の需給が逼迫することによって起きるという、ここがMMTをめぐる議論の焦点だと思うんです。
中野:よく「財政支出のやりすぎでインフレになったら、どうやって止めるんだ」と言われるんですが、財政出動のせいでインフレが止まらなくなったという例は、実はほとんどない。そんなことが起きたのは戦争のときやその直後ぐらいです。
インフレとしてイメージされるものに、70年代の狂乱物価があります。このときはインフレ率が一時2桁台に達しましたが、3年ぐらいで1桁台に戻っています。対処としては金融の引き締めをやり、労働組合と話をして賃金が上がらないよう交渉し、もう1つは予定していた公共投資を後ろ倒しにした。
MMTをめぐる議論で欠けている「供給力」の視点
完全雇用をめざす「就業保証プログラム」問題
島倉:この本の著者のランダル・レイは、「そんなことをしなくてもよかった」という立場です。結局、あの当時のインフレの原因は、オイル・ショックによる国際商品価格の値上がりだったので。
中野:70年代のインフレは、石油危機による典型的なコストプッシュ型インフレですから、財政はインフレの原因とはさして関係がない。その証拠に日本だけでなく世界中でインフレになった。
島倉:コストプッシュ型インフレに対してマクロ経済政策の引き締めで反応する必要はなかったというレイの指摘は、確かに当たっていると思います。おかげで各国でインフレと不況が同時進行する、スタグフレーションになってしまった。
中野:失業者を増やしてまで金利を上げて物価を下げる必要はなかったということですね。
佐藤:さりとて、政府はインフレを放っておけるのか。「ご安心を。制御不能になりさえしなければ狂乱物価でも大丈夫です」と言って、どれだけ納得してもらえるかですね。
島倉:レイは「年率40%未満のインフレであれば、経済はそんなにおかしくならない」とも言っていますね。
柴山:アバウトだなあ(笑)。
「投資は供給力を増やす」
中野:40%はともかく、たとえ財政支出過多が理由でインフレが起きたとしても、そう長くは続きません。理由の1つは財政民主主義です。よく「増税や歳出削減をするのは国民が嫌がるから」と言うけれども、国民はハイパーインフレも嫌がりますので、高インフレを放置する政権は見切りをつけられてしまう。
財政支出過多によるインフレが続かないもう1つの理由は、「投資は供給力を増やす」という事実です。
供給に対して需要が増えて需給ギャップが広がるとインフレになるのだけれども、民間の設備投資でも公共投資でも、投資は供給力を増やすために行われます。
だから投資した瞬間には需要が増えても、それからしばらくすると設備が稼働して供給が増えるので、時間差で需要を追い上げることになる。供給が需要を追い続けているかぎり、一定以上のインフレにはならず、一方で経済の規模は拡大してゆく。これを「経済成長」と称するわけです。
ただしMMTはその名のとおり「貨幣理論」であるせいか、投資による供給の拡大についてはちゃんと議論されていないように思う。
MMTをめぐる議論で欠けている「供給力」の視点
完全雇用をめざす「就業保証プログラム」問題
柴山:MMTでは、完全雇用を実現する政策として「就業保証プログラム」を推奨していますね。それによって失業は減りますが、供給力が増えるかどうかはわからない。
中野:供給の分析が不十分というのはケインズの理論の欠陥でもあったんです。僕はMMTをめぐる議論に欠けているのはこの視点だと思っています。MMTを批判する人たちは供給力の議論を欠いたまま、目先の需要の増減だけ考えて、「財政支出増でインフレが起きる」という議論をしている。
移民の自由とJGP
柴山:MMTは現代貨幣システムの理論としてはよくできているんですが、政策提言については実現が難しいのではないかと感じるところが多い。典型がJGP、すなわち「就業保証プログラム」ですね。
佐藤:『MMT現代貨幣理論入門』は全10章ですが、7章と8章の間に大きな溝があります。7章までは一般的な貨幣理論の話で、非常に面白い。ところが8章以後はもっぱら「完全雇用と物価安定のためにJGPをすべきだ」という話になる。JGPはMMTから導き出しうる政策の1つにすぎません。その結果、議論が普遍性を失い、スケールダウンしてしまっている。
柴山:政府支出を安定化させる目的でJGPを導入するというアイデアは面白いんですが、具体的な制度設計という段になると問題がありますね。例えば、移民の問題をどう考えるのか。ここを緩くしてしまうと、好景気の国に失業者が殺到してしまうので、政府支出は減るどころか増えてしまう。そういう問題については、この本で触れられていない。
佐藤:わが国ではMMTについて、「政府の役割を重視しているからナショナリズム的な理論だ」という受け止め方が強い。けれども欧米のMMT論者は、内心ではグローバリズム的な理想を信奉しているふしがある。
レイと並ぶMMTの論客、ステファニー・ケルトンが来日したとき、「すべての国がJGPをやったら、各国内で雇用が確保されるから、労働者が外国に行く必要はなくなりますね」と聞いた人がいたそうです。理論的にはそのとおりなんですが、ケルトンは何とも渋い顔をしたとか。
MMTをめぐる議論で欠けている「供給力」の視点
完全雇用をめざす「就業保証プログラム」問題
柴山:MMTの提唱者は、レイやケルトンを含めて民主党左派なので、移民に関しては寛容な立場だと思うんですよ。今の左派は思想的に2つの柱があって、1つは福祉を拡充する「大きな政府」の志向、もう1つは移動の自由を普遍的な権利として認める「グローバリズム」です。ただ、この2つを同時に追求すると、政府支出が際限なく拡大してしまうおそれがある。
それを避けるには、福祉の対象をあくまで「国民」の範囲に限るという国民国家の原則を、現実的に取らざるをえないと思うんですが、そうなると右派の主張に近づいてしまうので、そこは民主的な決定に任せると言うほかないのでしょう。でも民衆はトランプを選んでしまったりするわけで(笑)。いずれにせよ、JGPはMMTから導かれる必然というより、著者の政治的な立場から導かれた主張というふうに見えてしまいます。
佐藤:「JGPを提唱しない者はMMT論者にあらず!」というぐらいの勢いですよね。資本主義経済の中に、社会主義的なセクターをつくりたがっている印象を受けます。
垣間見える著者の理念
中野:ただ完全雇用は別に左翼の専売特許ではないですよ。創出される雇用は介護であってもいいし、軍隊であってもいい(笑)。その意味ではMMT自体、政治的には本来、ニュートラルな理論です。
施:MMTが非思想的な理論であるとすると、では何を政策目標とすべきかという話になりますよね。著者はケインズ風に「完全雇用と物価安定」と言っているけれども、私が読んだ印象では、ある種の動機づけをすることによって、人々の活力を引き出すという理念があるのかなと感じました。
中野:それはありますね。だから、ベーシック・インカムには反対している。
施:人々や社会には隠れた力があり、それを政府が納税制度や雇用プログラムなどいろいろな手段によって引き出していく。著者は要は「財政が政策の制約にならないのなら、政府はもっといろいろなことができるはずだ」と言いたいのでしょうね。
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