水曜日, 2月 16, 2011

ダルビッシュとダルウィーシュ

درویش,

野球選手のダルビッシュ(darvish、元はペルシア語)と2008年に亡くなったパレスチナの詩人のダルウィーシュ(darwish、元はアラビア語)は英語表記は違うが元の語の表記は一緒のようだ。
詩人のダルウィーシュに関しては、ゴダールの『アワーミュージック』ヘの出演が有名だ。
(ゴダールは続けてサッカーについて語っている。)



さらに、ゴダールの近作(『ゴダール・ソシアリズム』)に出たエリアス・サンバーがその記録映画を撮っている。

Mahmoud Darwish, et la terre comme la langue (1997) Pt1
アップロード者 BoleroSonambulo. - アートとアニメーション動画。

Mahmoud Darwish, et la terre comme la langue (1997) Pt2
アップロード者 BoleroSonambulo. - アートとアニメーション動画。

Mahmoud Darwish, et la terre comme la langue (1997) Pt3
アップロード者 BoleroSonambulo. - インディペンデントウエブ動画。
Mahmoud Darwish, et la terre comme la langue (1997) Pt3

Partie 1: http://www.dailymotion.com/video/x5aba3_mahmoud-darwish-et-la-terre-comme-l_creation
Partie 2: http://www.dailymotion.com/video/x5acdl_mahmoud-darwish-et-la-terre-comme-l_creation
Partie 3: http://www.dailymotion.com/video/x5acfr_mahmoud-darwish-et-la-terre-comme-l_creation

彼の詩は『アジア・アフリカ詩集』(世界現代詩文庫 高良留美子 訳) に数編入っていておすすめだが、以下はネット上で紹介されていたもの。



"The Earth is Closing on Us"

The earth is closing on us, pushing us through the last
passage, and we tear off our limbs to pass through.

The earth is squeezing us.
I wish we were its wheat so we could die and live again.
I wish the earth was our mother. So she'd be kind to us.
I wish we were pictures on the rocks for our dreams to carry

As mirrors. We saw the faces of those to be killed by
the last of us in the last defense of the soul.

We cried over their children's feast.
We saw the faces of those who'll throw our children.
Out of the windows of this last space.
Our star will hang up mirrors.

Where should we go after the last frontiers?
Where should the birds fly after the last sky?
Where should the plants sleep after the last breath of air?

We will write our names with scarlet steam.
We will cut off the hand of the song to be finished by our flesh.
We will die here, here in the last passage.
Here and there our blood will plant its olive tree.

「世界がだんだんとじてゆく (The Earth is Closing on US)」
 (詩:マフムード・ダルウィーシュ 訳:イルコモンズ)

 世界がすみっこの方からだんだんとじてきて
 ぼくらをいよいよ最後の小道へ追いつめてゆく
 ぼくらはなんとかそこを通りぬけようとして
 自分の手足までもぎとったというのに
 それでも大地はぼくらを押しつぶそうとする

 いっそのことぼくらが麦だったらよかったのに
 そしたら死んでもまた生きかえることができるから
 でなければ、大地がぼくらの母さんだったらよかったのに
 そしたらきっとやさしくしてくれるだろうから
 あるいは、ぼくらが岩に描かれた絵だったら
 鏡に映して夢のなかへ運んでゆけるのに

 ぼくらは泣いた
 子どもたちの祭りの日のことを思い出して

 ぼくらは見た
 最後に残された土地のひらいた窓から
 子どもたちを外にほうりなげた者たちの顔を
 ぼくらの星はその顔に鏡をつきつけるだろう

 ぼくらが世界の果てにたどりついたとき
 その先ぼくらはどこへ行けばよいのだろう?
 そして最後の空がつきはてたとき
 鳥たちはどこを飛べばよいのだろう?
 草木が最後の息を吐ききったとき
 どこで眠りにつけばよいのだろう?

 僕らはそのわずかな血で
 僕らの名前を記すだろう
 僕らはその翼をもぎとり
 僕らの肉がさえずる歌をききながら
 その命を終えるだろう

 最後に残されたこの小道の上で
 そう ここで この土地で
 僕らが流した血のうえに
 ここからもそこからも
 オリーブの樹がなるだろう

1 Comments:

Blogger yoji said...

パレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュ死去 | Democracy Now!
http://democracynow.jp/video/20080811-1
タグ: 抵抗運動 パレスチナ 中東 作家 文化 難民 アラブ
放送日: 2008/8/11(月)
パレスチナを代表する詩人、マフムード・ダルウィーシュが8月に亡くなりました。持病の心臓病の悪化のため米国で手術を受け、そのまま帰らぬ人となりました。遺体はパレスチナのラマラに運ばれ、ヤセル・アラファートに次ぐパレスチナで2人目の国葬が執り行われました。彼の死を悼み、パレスチナでは3日間の喪服期間が宣言されました。一介の詩人が、これほどまでに人々に敬愛され惜しまれるのはなぜなのでしょう? ダルウィーシュの詩がパレスチナにとって持つ意味、さらにはアラブ世界全体にとっての彼の存在意義について話し合います。
ダルウィーシュが生まれた村は、1948年彼が6歳の時ユダヤ人の軍隊に占領され、400以上の他のアラブの村と共に破壊されました。一家はレバノンに退避した後にこっそり故郷に戻り、イスラエル国内の難民となりました。そこに住んでいるのに、いないものとされ、「滞留不在者」と呼ばれました。パレスチナ人の存在そのものを否定するイスラエル政府に対し、ダルウィーシュは詩の力で抵抗しました――「登録しろ わたしはアラブだ、わたしは存在する」。何度も投獄された挙句、1970年にイスラエルを去り、パレスチナ解放機構(PLO)に参加して長い亡命生活を送りました。
ダルウィーシュは生涯を通じて「抵抗の詩人」でしたが、そこだけにとどまってはいませんでした。パレスチナ人の物語に他の先住民の悲劇も盛り込み、ローカルな抵抗運動を、より広い普遍的なものへと昇華させたのです。
ゴダールの映画の中でダルウィーシュはこう語っています。「私たちはトロイ戦争をギリシャ悲劇で知る。トロイ戦争の犠牲者の声もギリシャ人エウリピデスから聞いた。ではトロイ人の語り部はどこにいるのか?トロイ人は物語を残さなかった。優れた語り部をもつ国は、語り部をもたない人々を支配する権利があるのか?語り部がいなければ敗北して当然なのか?詩は表現なのか、それとも権力の道具なのか?詩人を持たない民は強くなれるのか?わたしを生んだ民は詩人を持つまで認知されなかった。私は不在者の名において語ろうと思った。トロイの語り部になろうとした。創造性や人間らしさは、勝利よりも敗北の中に現れる」
マフムード・ダルウィーシュの詩は、アラブ世界の人々にあまねく知られ、愛されてきました。彼の作品は、35カ国語以上に翻訳されています。 (中野真紀子)
★ ニュースレター第31号(2010.8.10)

4:02 午前  

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