Partie 1: http://www.dailymotion.com/video/x5aba3_mahmoud-darwish-et-la-terre-comme-l_creation Partie 2: http://www.dailymotion.com/video/x5acdl_mahmoud-darwish-et-la-terre-comme-l_creation Partie 3: http://www.dailymotion.com/video/x5acfr_mahmoud-darwish-et-la-terre-comme-l_creation
The earth is closing on us, pushing us through the last passage, and we tear off our limbs to pass through.
The earth is squeezing us. I wish we were its wheat so we could die and live again. I wish the earth was our mother. So she'd be kind to us. I wish we were pictures on the rocks for our dreams to carry
As mirrors. We saw the faces of those to be killed by the last of us in the last defense of the soul.
We cried over their children's feast. We saw the faces of those who'll throw our children. Out of the windows of this last space. Our star will hang up mirrors.
Where should we go after the last frontiers? Where should the birds fly after the last sky? Where should the plants sleep after the last breath of air?
We will write our names with scarlet steam. We will cut off the hand of the song to be finished by our flesh. We will die here, here in the last passage. Here and there our blood will plant its olive tree.
「世界がだんだんとじてゆく (The Earth is Closing on US)」 (詩:マフムード・ダルウィーシュ 訳:イルコモンズ)
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パレスチナの詩人マフムード・ダルウィーシュ死去 | Democracy Now!
http://democracynow.jp/video/20080811-1
タグ: 抵抗運動 パレスチナ 中東 作家 文化 難民 アラブ
放送日: 2008/8/11(月)
パレスチナを代表する詩人、マフムード・ダルウィーシュが8月に亡くなりました。持病の心臓病の悪化のため米国で手術を受け、そのまま帰らぬ人となりました。遺体はパレスチナのラマラに運ばれ、ヤセル・アラファートに次ぐパレスチナで2人目の国葬が執り行われました。彼の死を悼み、パレスチナでは3日間の喪服期間が宣言されました。一介の詩人が、これほどまでに人々に敬愛され惜しまれるのはなぜなのでしょう? ダルウィーシュの詩がパレスチナにとって持つ意味、さらにはアラブ世界全体にとっての彼の存在意義について話し合います。
ダルウィーシュが生まれた村は、1948年彼が6歳の時ユダヤ人の軍隊に占領され、400以上の他のアラブの村と共に破壊されました。一家はレバノンに退避した後にこっそり故郷に戻り、イスラエル国内の難民となりました。そこに住んでいるのに、いないものとされ、「滞留不在者」と呼ばれました。パレスチナ人の存在そのものを否定するイスラエル政府に対し、ダルウィーシュは詩の力で抵抗しました――「登録しろ わたしはアラブだ、わたしは存在する」。何度も投獄された挙句、1970年にイスラエルを去り、パレスチナ解放機構(PLO)に参加して長い亡命生活を送りました。
ダルウィーシュは生涯を通じて「抵抗の詩人」でしたが、そこだけにとどまってはいませんでした。パレスチナ人の物語に他の先住民の悲劇も盛り込み、ローカルな抵抗運動を、より広い普遍的なものへと昇華させたのです。
ゴダールの映画の中でダルウィーシュはこう語っています。「私たちはトロイ戦争をギリシャ悲劇で知る。トロイ戦争の犠牲者の声もギリシャ人エウリピデスから聞いた。ではトロイ人の語り部はどこにいるのか?トロイ人は物語を残さなかった。優れた語り部をもつ国は、語り部をもたない人々を支配する権利があるのか?語り部がいなければ敗北して当然なのか?詩は表現なのか、それとも権力の道具なのか?詩人を持たない民は強くなれるのか?わたしを生んだ民は詩人を持つまで認知されなかった。私は不在者の名において語ろうと思った。トロイの語り部になろうとした。創造性や人間らしさは、勝利よりも敗北の中に現れる」
マフムード・ダルウィーシュの詩は、アラブ世界の人々にあまねく知られ、愛されてきました。彼の作品は、35カ国語以上に翻訳されています。 (中野真紀子)
★ ニュースレター第31号(2010.8.10)
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