たとえば『ヒステリー研究』はピエール・ジャネ(Pierre Janet、1859年5月30日 - 1947年2月24日)との争いだったし(フロイド選集版に詳しい)、それだけでなく、例えば、「快感原則の彼岸」(1920)や「マゾヒズムの経済的問題」(1924)に関しては、ジャネの『心理学的医療』(1919)に似た発想(心理的経済)が既にある。ジャネ『心理学的医学』(1923,邦訳あり)もそうだ。また、後期フロイトはリビドーに代表される生理学から離れ、心理学を社会的に位置づけるようになるが、これもジャネがすでに行っていたことだ。しかもフロイトは『モーゼと一神教』で心的外傷モデルというジャネの理論を援用している。
が発見した(『快感原則の彼岸』1920のフロイト自身による注:「ザビーナ・シュピールラインは、内容も思想も豊富な論考で、この思弁をすでに徹底的に進めているが、この論考はわたしにはわかりにくいところがあった。」ちくま文庫『自我論集』186頁より)。
ユングの貢献をフロイトが隠蔽し、結果としてシュピールラインの功績も見えにくくなっている。フロイトの歴史的大きさには変わりがないが大きいがゆえの弊害があるという事だ。
あるいは、
『死の欲動』発見史
ゲーテ |
1808 『ファウスト』第一部 |
1833 第二部 |
潜
シューペンハウアー |
1851「個人の運命に宿る〜意図についての超越的思弁」在
|
ワーグナー 期
1876 「ジークフリート」初演 |
|
ニーチェ |
1883 『ツァラトゥストラ』 |
|
フロイト |
1900 『夢判断』 ?
/\
ユング シュピールライン フロイト
1911 「変容の象徴1」 「分裂病の一症例の心理的内容」 「シュレーバー症例論」
三つ共に初出はJahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
\/
/\
1912 「変容の象徴」 「生成の原因としての破壊」
/
フロイト
1920 『快感原則の彼岸』 通常「シュレーバー症例論」★(1911,年鑑3)が、心的エネルギーとしてのリビドー一元論へ移行するユングと、最終的に生の衝動、死の衝動という二元論を確立するフロイトの分岐点とされる。
★原題はPsychoanalytische Bemerkungen über einen autobiographisch beschriebenen Fall von Paranoia(Dementia paranoides)(「自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察」)
《『年鑑』の同じ巻の他の執筆者も、シュレーバーの自伝に注目を向けるという幸運があった》フロイト,症例論補遺より
(シュレーバー『ある神経病者の回想録』はライプツィヒのオスヴァルト・ムッツェ社より一九〇三年に出版されたが親族が買い占めて燃やしたので入手困難だった。フロイトは自論を読む前に読んでおいて欲しかったが不可能だった。バタイユ、フーコー、ドゥルーズ、浅田彰らによる言及は単なる精神医学症例の枠を超えた文化現象となった。シュピールライン1911もシュレーバーに言及している。)
「死すべき運命にあろうとも、ああ、私はこのままでよいのだ、あなたの愛はあまりにも大きい。神が常に享受すればこそ、私は流転の中に入ったのだ」ワグナータンホイザー、回想録より孫引き
《何らかの仕方で他人の魂を奪い、その魂の犠牲の上にいっそう永い生命か、あるいは何かしら別の、死を超越して到達するような利益を手に入れることが可能であろうという観念が、すべての民族の伝説や詩において流布している。私は、例としてだが、ゲーテの『ファウスト』、バイロン卿の『マンフレッド』、ヴェーバーの《魔弾の射手》などを想い起こす。》回想録#2講談社学術文庫より
3者の論文が同時に載った1911年の年鑑第3巻。キーワードは1でも2でもなくて3だ。
Jahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
https://ia902702.us.archive.org/0/items/JahrbuchFuumlrPsychoanalytischeUndPsychopathologischeForschungen/jahrbuch_III_a_1911.pdf
*
フロイトは
ショーペンハウアーの『個人の運命における〜』↓にも言及している。
影響下に有るのは自明である。
「見えざる、あるかなきかの光のなかに現われるかの操縦は、人生の本来の結果でありま
たそのかぎりで人生の目的である死に至るまで、われわれに随行するわけである。死の時が来ると、
神秘的なすべての力(もともとはわれわれ自身に根を持つのだが)、人間の運命をたえず規定する
力がいっせいに押し寄せてきて行動を起こす。これらの諸力の葛藤からして、彼がいまや歩むべき道
ができあがる。つまり彼の再生(パリンゲネジー*)がいっさいの快苦とともに準備され、これらの快苦は再生のなかに 含まれ、爾後再び撤回を許されぬように定められている。」
(「個人の運命に宿る意図らしきものについての超越的思弁」
Transscendente Spekulation über die anscheinende Absichtlichkeit im Schicksale des Einzelnen.
シューペンハウアー全集10白水社315頁
原書出版1851年)
*注:
パリンゲネジー
Palingenefie googlbooks再生
補足:
「意志は、物自体として人間の内的な、真にして不滅の本質を構成する。けれどもそれ自体においては 意志は無意識的である。というのは意識は知性によって制約されているからである。そしてこの知性は われわれの本質の単なる偶有性である。」
(ショーペンハウアー意志と表象〜続編第19章白水社全集第6巻24頁)
以下、フロイト自身の言葉。
「われわれはおもいがけずも、ショーペンハウアーの哲学の<港>へと舳先を向けてしまったのである。 ショーペンハウアーの哲学によると、死は生命の「本来の結果」であり、目的でさえある。これに対し て性欲動は、生の意志が体現されたものである。」
(フロイト「快感原則の彼岸」(1920)『自我論集』ちくま文庫179頁)
その他、フロイトのショーペンハウアーへの言及は岩波版フロイト全集18巻編注ラスト(395ー7頁)に詳しい(注釈者による続意志と表象42章「類と生命」が近いという指摘も貴重。なお性欲の重要性の指摘とともに、この章ではすでに生物の種に対して個体の死が対比されている)。
なかでも「精神分析への抵抗」(1925)↓が代表的。
「哲学者ショーペンハウアーがすでに、性生活の比類ない重要性を忘れがたい印象的な言葉で力説していた‥」
(フロイト全集18巻岩波版331頁)
「性理論三編第四版序」(1920)にも、
「哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーが、人間の活動が通常の意味での「性」によって、いかに大きく左右されるかを明らかにしたのは、ついこの間のことである。」
(『エロス論集』ちくま文庫21頁)
とある。
以下、その他のフロイトの言葉を追記する。
<あるとき、O・ランクがショーペンハウエアーの『意志と表象の世界』のなかで、
この哲学者が狂気のことを説明しようと苦心惨憺している個所を見せてくれた。あ
の書物で、現実の苦しい一部分を引き受けるのに逆らい抵抗することに関して語ら
れているのは、私の抑圧概念の内容と完全に合致するものであり、またぞろ一つの
発見が可能になったのは、私の無学のおかげと言ってもよかったのである。つまり、
他の人たちはこの個所を読むには読んだけれども、ここをたんに読み流してしまっ
ただけで、私がしたような発見はせずに終わったのである。>
(「精神分析運動史」(1914)、フロイト著作集人文書院第10巻263頁)
<先達として高名な哲人たちの名を、とりわけ偉大なショーペンハウアーの名を挙げ
なければならない。彼の言う無意識的な「意志」とは精神分析が魂の本能と呼んで
いるものと同じである。さらにこの同じ思想家は忘れることの出来ない力強い言葉
によって、いまだに過小評価を受けている性的努力の意義について人間に警告した
のであった。>
(「精神分析に関わるある困難」(1917)、フロイト著作集人文書院第10巻 331−2頁)
以下、トーマス・マンの指摘。
「意志の心理学者としてのショーペンハウアーは、あらゆる現代心理学の父である。かれから出発して、ニーチェの 心理的ラディカリズムをこえてフロイト、およびフロイトの深層心理学を拡大して精神諸科学に適用した人たちに いたる一本のまっすぐな線が走っている。(略)ショーペンハウアーの暗い意志の王国は、フロイトが「無意識」と よび、「エス」と名づけたものとまったく同一であり、他方において、ショーペンハウアーの「知性」は、フロイト の「自我」(つまり、たましいの外界にむけられた部分)と完全に照応している。」
(「ショーペンハウアー」トーマス・マン『ショーペンハウアー全集 別巻』白水社、238−9頁。)
トーマス・マンの講演録「フロイトと未来」にも同様の指摘がある。
<…フロイトの『続精神分析学入門講義』中の一章、「心的人格の分析」と題され
た驚嘆すべき論文には、まことにわが意を得た思いがするのです。そのなかで彼が
魂の無意識の領域、すなわち「エス」の世界を巧みに、激しく、同時に知的で医師
らしく冷静な関心のアクセントをもって語っている言葉などは、ショーペンハウア
ーが彼の暗い意志の領域を記述するために、これをそっくりそのまま使用すること
ができただろうと思われるようなものなのであります。>
(「フロイトと未来」『トーマス・マン全集』新潮社第9巻385頁)
_________________
あるいは、
『死の欲動』発見史
ゲーテ |
1808 『ファウスト』第一部 |
1833 第二部 |
潜
シューペンハウアー* |
1851「個人の運命に宿る〜意図についての超越的思弁」在
|
ニーチェ 期
1883 『ツァラトゥストラ』 |
|
フロイト |
1900 『夢判断』 ?
/\
ユング シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
\/
/\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
/
フロイト
1920 『快感原則の彼岸』
Jahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
あるいは、
『死の欲動』発見史
ゲーテ |
1808 『ファウスト』第一部 |
1833 第二部 |
潜
ニーチェ 在
1883 『ツァラトゥストラ』 期
|
フロイト |
1900 『夢判断』 ?
/\
ユング シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
\/
/\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
/
フロイト
1920 『快感原則の彼岸』
Jahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
通常、「シュレーバー症例論」(1911)が、心的エネルギーとしてのリビドー一元論へ移行するユングと、最終的に生の衝動、死の衝動という二元論を確立するフロイトの分岐点とされる。
参考:
メフィストフェレスは言う。自分は「常に悪を欲して、しかも常に善を成す」あの力であると(J・W・フォン・ゲーテ『ファウスト』第1部3〔相良守峯訳、岩波書店、1958年、92頁〕)
ユングの『変容の象徴』(「六 母から自由になるための戦い」ちくま文庫下35頁)では、『ツァラトゥストラ』の番外編であるニーチェの詩(「猛禽のあいだで」『ディオニソス頌歌』 ちくま文庫だと全集別巻2495頁)がリビドーが自分自身を傷つける例として引用される。
http://yojiseki.exblog.jp/7759962/『続精神分析入門』(1933)より 超自我が入った図の概略
(「自我とエス」(1923)では超自我はない。両者とも抑圧が斜めに入る。
第一局所論は『
夢判断』等で展開される)。
第一 第 二 局 所 論
局所論
__ _____
意識_|__|_|_____|_
前意識_|超_|_|_自我__|_
無意識 | | |_____|
| | _____
|自 | | |
| | | |
| | | イド |
|我 | | |
|__| |_____|
あるいは、
__ _____
意識_|__|_|_____|_
前意識_|超_|_|_自我__|//
無意識 | | |_____//抑圧
| | ____//
|自 | | //|
| | | |
| | | イド |
|我 | | |
|__| |_____|
第一局所論 第 二 局 所 論
『夢判断』 「自我とエス」(1923)
(1900) 『続精神分析入門』(1933、
超自我を追加)
上記図は
マルクスの経済表↓に少し似ている。超自我が本源的蓄積、抑圧が異なる部門間の交換ということになる。
マルクス経済表(部門1と2が逆):
p1
追加的不変資本Mc
_産業利潤_追加的可変資本Mv
_____ | 個人的消費Mk
|第1部門 | P|_利子___単利__|z
|機械と原料| 利潤| 複利 |
|_____| /|_地代___差額地代|r
/ 絶対地代|
不変資本C 可変資本V 剰余価値M 生産物W |
_____\____ / |
/ \ / |
____ / 労賃\ / _産業利潤_ |
|第2部門| / \/ | | |
|生活手段| / /\ 利潤_|_利子___| |
|____ / 労賃__/__\ / | | |
/ / / \\ |_地代___| |
/ / / /\\ | |
不変資本 可変資本/ 剰余価値 生産物______/_/
/ /
____ / /
|第3部門| / /
|総生産物| / /
|____|/ /
____/ _______/__
不変資本 可変資本 剰余価値 生産物
C + V + M = W
あるいは、
_____ (技術革新等 | (労働時間
|第1部門 | 空間的差異)|絶 の延長)1:10 2:21
|機械と原料|___相対的__|対_____ _追加的不変資本___ Mc
|_____| 剰余価値 |的 ___産業利潤_/_追加的可変資本___\ Mv
本 |剰 | \_個人的消費_____/|Mk
固定資本2:9 流動資本 |余 |___利子_____単利_________|
\機械)(原料/\ |価 | \___複利________/|
(土地 消耗品) \ |値 /|___地代_____差額地代_______|
源 \ / (労働力) | / \_絶対地代______/|
不変資本C 可変資本V 剰余価値M 生産物W |
1:6 ____\____ / |
/ \ / |
的 ____1:24/ 労賃\ / _産業利潤___3:1〜____ |
|第2部門| / \/ | \ |
|生活手段| / /\ _|_利子_____3:21〜____| |
|____|/ 労賃__/__\ / | 3:24 | |
蓄 / / / \\ |_地代_____3:37~44__| |
/ / / /\\ 3:45 | |
不変資本 可変資本/ 剰余価値 生産物_____________G___/_/
/ / 四: ◎ 貨幣
積 ____ / / ◯
|第3部門| / / 三: /| 一般的
|総生産物| / / ☆☆☆ 1:1、3、
|____|/ _______/_ ☆☆☆ 3:33
/ 二:|/ 拡大
不変資本 可変資本 剰余価値 生産物 ◯
形態一:◯=☆ 単純
(相対的価値形態 = 等価形態)
さらに、「集団心理学と自我分析(Massenpsychologie und Ich-Analyse)」 (1921)における自我理想の図も参考になるかも知れない。
付記:
フロイトによるカントへの言及は以下がある。
「空間性とは、心的装置の広がりの投射であるのかもしれない。他の[かたちでの]派生は在りそうもない。
カントの言う、われわれの心的装置のアプリオリな条件の代わりに。心(プシュケ)とは延長しており、
そのことについては何も知らない。」(邦訳『フロイト全集22』p.285)
カントの概念のヒエラルキーは凡そ一定である。
◎:範型/象徴×
純粋理性概念→|\ ←理性 ◯:図式
(超越論的理念)| \
| \
|___◎ ←(規定的/反省的)判断力
| |\
| | \
| | \
純粋悟性概念→|___|___\ ←悟性(超越論的統覚)
(カテゴリー)|\ | /|\
| \ | / | \
| \|/ | \
|___◯___|___\ ←構想力
| /|\ | \
| / | \ | \
感性的多様性→|/__|__\|______\ ←感官
(経験的統覚)
追記:ジャネとの関係
フロイトは『ヒステリー研究』でジャネとの無意識の先取権争いを告白している。
もしかりにフロイトのジャネ批判が正しいとしても逆にだからこそジャネのある
程度の先取性は認められるだろう。
http://yojiseki.exblog.jp/4946359/ピエール・ジャネ(Pierre Janet、
1859-1947)
______________
付録: ツタンカーメンをめぐるフロイトの大胆仮説
フロイトとモーセ from
on
Vimeo.
(→
収集家としてのフロイト展)
リンク:
スピノザ ヘーゲル カント マルクス 空海 フロイトプルードン 坂本龍馬 柄谷リンク:
スピノザプルードン ヘーゲル マルクス 空海 カント 坂本龍馬 フロイト 柄谷参考:
ダリによるフロイト
http://nam-students.blogspot.jp/2014/07/freud-by-dali-1938.html
☆
「死の欲動 the death instinct, the death drive ,todestrieb」の発見史において、ゲーテの『ファウスト』は特権的な地位を占める。
《ファウストが現世に訣別する呪いの言葉を吐くと、霊たちの合唱団が歌う。
悲しや、悲しや!
おん身は
美しき世界を
強きこぶしもて砕きぬ!
世界はくつがえり、滅ぶ!
半ば神なる人、そを打ち砕きぬ!
(中略)
地上の子らのうち
力づよきものよ、
前よりもきらびやかに
そを再建せよ、
おん身の胸のうちに打ち建てよ! 〔高橋健二訳〕》
シュレーバー症例論より
痛まし。痛まし。
強き拳もて
美しき世界を
汝毀ちぬ。
世界は倒れ崩れぬ。
半ば神なる人毀ちぬ。
その屑を「無」のうちへ
我等負ひ行きつゝ、
失はれし美しさ
歎く。
下界の子のうちの
力強き汝
先より美しく
そを再び建立せよ。
汝が胸のうちにそを建立せよ。
爽かなる目もて耳もて
新なる生の歩を
始めよ。
さらば新しき歌 [1620]
ファウスト第1部書斎より 森鴎外訳
ウパニシャッド(ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド1:4:3)も同じ箇所がユング、フロイトに引用されている。☆☆
「死の欲動」:メモ その2
http://yojiseki.exblog.jp/11573196/死の欲動をフロイトより先に(『快感原則の彼岸』1920のフロイト自身による注及び、ユング『変容の象徴』1952年版、ちくま文庫下294頁の注を参照)提唱したとされるシュピールライン(S. Spielrein )の論文(ユングを引用した箇所)の原文(1912)は以下。
http://www.archive.org/details/JahrbuchFuumlrPsychoanalytischeUndPsychopathologischeForschungenIv_509
http://www.archive.org/stream/JahrbuchFuumlrPsychoanalytischeUndPsychopathologischeForschungenIv_509/JdP_IV_1912_1_Haelfte#page/n467/mode/2up
466頁〜
Die Destruktion als Ursache des Werdens.
Von Dr. Sabina Snielrein (Wien).
„Die leidenschaftliche Sehnsucht, d. h. die Libido hat zwei Seiten:
sie ist die Kraft, die alles verschönt und unter Umständen alles zerstört.
Man gibt sich öfter den Anschein, als ob man nicht recht verstehen könne,
worin denn die zerstörende Eigenschaft der schaffenden Kraft bestehen
könne. Eine Frau, die sich, zumal unter heutigen Kulturumständen, der
Leidenschaft überläßt, erfährt das Zerstörende nur zu bald. Man muß
sich um ein Weniges aus bürgerlich gesitteten Umständen herausdenken,
um zu versteacn, welch ein Gefühl grenzenloser Unsicherheit den Menschen
befällt, der sich bedingungslos dem Schicksal übergibt. Selbst fruchtbar
sem — heißt sich selber zerstören, denn mit dem Entstehen der folgenden
Generation hat die vorausgehende ihren Höhepunkt überschritten: So
werden unsere Nachkommen unsere gefährlichsten Feinde, mit denen wir
nicht fertig werden, denn sie werden überleben und uns die Macht aus den
entkräfteten Händen nehmen. Die Angst vor dem erotischen Schicksal
ist ganz begreiflich, denn es ist etwas Unabsehbares daran; überhaupt birgt
das Schicksal unbekannte Gefahren, und das beständige Zögern des Neu-
rotischen, das Leben zu wagen, erklärt sich aus dem Wunsche, abse'ts
stehen zu dürfen, um nicht im gefährlichen Kampfe des Lebens mitringen
zu müssen. Wer auf das Wagnis, zu erleben, verzichtet, muß den Wunsch
dazu in sich ersticken, eine Art Selbstmord begehen. Daraus erklären sich
die Todesphantasien, die den Verzicht auf den erotischen Wunsch gerne
begleiten 1 )."
Ich führe absichtlich so ausführlich die Worte Jung's an, weil
seine Bemerkung den von mir gewonnenen Resultaten am meisten ent-
spricht, indem er auf eine unbekannte Gefahr, welche in der erotischen
Betätigung liegt, hinweist; außerdem ist es für mich sehr wichtig,
daß auch ein männliches Individuum sich einer nicht nur sozialen Gefahr
bewußt ist.
(邦訳『秘密のシンメトリー』365頁、「情熱的な憧れとしてのリビドーには二つの面がある。すなわち、リビドーとは、あらゆるものを和解し、かつ状況によってはあらゆるものを破壊する力なのである。‥‥」)
引用元であるユングの原文1911は以下(この機関誌の同じ号に掲載されたシュピールラインの論文Spielrein: "Über den psychologischen Inhalt eines Falles von Schizophrenie (Dementia praecox)"をユングは『変容の象徴』の続編で参照してる。無論両者の源流にフロイト『夢判断』があるがそれ以上にニーチェも両者に影響を与えている)。
ニーチェ
1883 『ツァラトゥストラ』
フロイト
1900 『夢判断』
/\
ユング シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
\/
/\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
/
フロイト
1920 『快感原則の彼岸』
Jahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
http://www.archive.org/details/p2jahrbuchfrpsyc03junguoft
http://www.archive.org/stream/p2jahrbuchfrpsyc03junguoft#page/218/mode/2up
218頁〜
冒頭:
"Die leidenschaftliche Sehnsucht, d. h. die Libido hat zwei Seiten:
sie ist die Kraft, die alles verschönt und unter Umständen alles zerstört.‥ "
(注:d.h.=das heisst=即ち)
「情熱的な欲望にもふたつの面がある。それはすべてを美化するがまた事情によってはすべてを破壊することもある力である。‥」(ちくま学芸文庫『象徴と変容 上』「五 蛾の歌」225頁の訳) Cronenberg’s “A Dangerous Method” :
http://yojiseki.exblog.jp/11467574/ユングの東洋趣味はよく知られているが、フロイトも1920年『快感原則の彼岸』(ちくま文庫『自我論集』191頁)の脚注で、ウパニシャッド(「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」)の以下の部分を孫引きして、プラトン(『響宴』でアリスとファネスに語らせている神話)への影響の可能性を論じている(前出のちくま文庫では「ブリハード・アラニヤーカ・ウパニシャッド」と表記されてしまっている)。
さすがにフロイトはユングのような元型論はとっていない。
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/handle/10487/3311
ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド(Brhadaranyaka-Upanisad)
湯田豊:訳
1:4:3
それ(アートマン)は快として楽しまなかった。
それゆえ,単独でいる時には,人は楽しまない。それは第二者を望んだ。
それは抱擁している夫妻の大きさであった。
それは,自己自身を二つの部分に分割した。
それから,夫と妻が生じた。
それゆえ,われわれ両人は,いわば,この片割れである,とヤージュニャヴァルキヤは言うのを常とした。
それゆえ,この空虚は妻によって満たされる。
彼は妻を抱いた。
それから,人間が生まれた。
http://klibredb.lib.kanagawa-u.ac.jp/dspace/bitstream/10487/3311/1/kana-7-5-0002.pdf
注:
インド哲学の側から見ると、シャンカラが『ウパデーシャ・サーハスリー』で一部このテクストの註釈(不二一元論の源流?)をしていることからもわかるように最重要のテクストである(ただし「世界の名著」1に部分訳があるだけで手近かな邦訳はない)。湯田氏が「ブリハッドアーラニヤカ・ウパニシャッド」として『ウパニシャッド―翻訳および解説』(上記引用箇所は20頁)で全訳しているが、ユングは冒頭の文章も断片的(下259頁等)に引用しているので『変容の象徴』が入手しやすいテクストということになる。
追記:
フロイトの知識はユング経由だと思う。『変容の象徴』上本文321及び345頁の脚注に(「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」ではなく)「ブラダーラニヤカウパニシャド」という書名で同じ箇所の紹介及び同じ指摘がすでにされているからだ。
脚注(プラトンへの影響説=ユングの場合はフロイトのように『響宴』ではなく『ティマイオス』を引用しているが)は1952年版にはじめてつけられたからユングがフロイトを模倣した可能性もあるが、「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド」自体の紹介はドイセン(またはドイッセン)経由で本文(1912年)にあり、ユングの方が早い。
http://nirmukta.com/2009/12/16/the-upanishads-attempt-to-reform-brahmanism/
「実に、感覚器官のかなたに事物があり、事物のかなたに思考がある。
思考のかなたに理解力があり、理解力(buddhi)のかなたに、大いなる自己(mahan atma)がある。」
(カタ・ウパニシャッド3:10、上記書456頁より、湯田豊訳)
湯田豊によればウパニシャッドという言葉の語源は弟子が師匠の下に座っていたことを意味するのではなく、人と事物の属性を規定していることにあるようだ。ネットで拾った上記の図は(西欧的文脈だが)ウパニシャッドの意義を良く指し示している。
125 Comments:
リンク:
スピノザ
プルードン ヘーゲル
マルクス 空海 カント
坂本龍馬 フロイト
柄谷
//徳//感覚学問///学、知///
71. Limitation
知不知上。不知知病。夫唯病病、是以不病。聖人不病、以其病病、是以不病。
知ることのできないものを知るのが最上である。
そして、これを知らないのが欠点である。
欠点を欠点として知れば欠点とはならない。
賢人には欠点がない。
彼は欠点を欠点として理解する。
だから、彼は欠点をもたない。
エチカ3部
定理四 いかなる物も、外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない。
証明 この定理はそれ自体で明白である。なぜなら、おのおのの物の定義はその物の本質を肯定するが否定しない。あるいはその物の本質を定立するが除去しない。だから我々が単に物自身だけを眼中に置いて外部の諸原因を眼中に置かない間は、その物の中にそれを滅ぼしうるようないかなるものも我々は見いだしえないであろう。Q・E・D・
定理五 物は一が他を滅ぼしうる限りにおいて相反する本性を有する。言いかえればそうした物は同じ主体の中に在ることができない。
証明 なぜなら、もしそうした物が相互に一致しあるいは同じ主体の中に同時に在りうるとしたら、同じ主体の中にその主体自身を滅ぼしうる物が在りうることになるであろう。これは(前定理により)不条理である。ゆえに物は云々。Q・E・D
909 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:14:17.52 0
柄谷
去年の秋に『ニューヨーク・ポスト』というタブロイド新聞を読んでいたら、
tattoo/tabooという駄洒落の見出しのついた記事があって、アメリカで今流行している入れ墨のことを特集していた。
親はみんな嫌がっているわけ。子供が何をやっても許すけど、入れ墨だけは困る。痕が残るからです。
ところが、その中で、一人の女の子がこういうことを言っていた。
親は簡単に離婚してしまうし、友達はすぐさよならで、残るものが何もない。
しかし入れ墨だけは残るからやるんだと言うんですよ。僕はなるほどな、と思った。
これは攻撃衝動というか、死の欲動だと思うんですけど、僕が最近考えているのは、フロイトの言う死の欲動というのは、
カントで言うと、永遠になろうとか不死に向かう衝動だと思うんだね。
だから、「入れ墨は残るから」と言う、その女の子は非常に正確なことを言っていると思った。
村上
石原慎太郎はやっぱりいいなと思ったのはね、あの人はピアスをずっと攻撃していたんですよ、意味なく。
ピアスをすると不妊になるとかね、わけのわからないことを言って(笑)。
それで僕が『サンデー毎日』で対談した時に、
「石原さん、ピアスしてる子はね、タトゥーも同じですけど、親を否定したいんだ」と言ったんですよ。
親を否定したいがために、彼らは血縁とかある種の時間の流れを切りたいから、永遠に残るもので身体を加工したいんだと。
そうしたら、あーっと感心して諺を言ったんですよ。僕は忘れましたけど。
「ああ、それを否定したいわけか。わかった、それはわかった。だったらわかる」とか言ってね。
柄谷
「身体髪膚、これを父母に受く、あえて既存せざるは孝の始め也」でしょ。
村上
それです、それです。
柄谷
この言葉には、結構深い意味があるんだなと最近思ったんです。
これはどういうことか昔わからなかったんです。
村上
逆にピアスとかタトゥーとかそういう人が出ないとわからないですよね。 <続>
910 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:15:05.18 0
柄谷
そう。孔子は死の欲動に気づいていたのではないかと思う。
ピアスやタトゥーの根源にあるものに。
それをやめることが孝のはじまりだと言うわけですからね。
村上
うーん。すごい言葉ですね。
柄谷
石原慎太郎はその欲動が強いんじゃないの(笑)。
村上
むしろそっちの方が強いんですよね、きっと。
~~略~~
村上
柄谷さんが、「ネーション・ステート」が機能しなくなって宗教と家族に両極化すると仰る。
その時の家族のイメージというのは、近代になってからのもの、それとも中世のものですか?
柄谷
もちろん近代です。だから、昔と同じ言葉を使うとは思わないけど、やっぱり「孝」というような観念が復活するんじゃないか。
中国人は毛沢東時代に「ネーション・ステート」を強調したけど、市場経済を導入してから、一方で儒教が強くなってるんじゃないかな。
『三国志』を読んでいて、へえーと思ったことがあった。
戦争をしている時に母親が病気だから帰らせてくださいとか言ってさ(笑)。
村上
確かにそうですよね。そうするとみんな帰すんですよね。
「それは帰れ」って、それが忠孝の士として残ったりするんですよね。 <続>
911 :考える名無しさん :sage :2012/03/08(木) 15:16:51.36 0
柄谷
中国では「孝」のほうが大事でしょ。「忠」は契約関係の問題だから、相互的ですね。主君がだめなら去ってよい。
「孝」が大事なのは、親が威張るとかいうことではなくて、やはり魂の永遠にかかわるからですね。
自分の死後祀ってくれる子孫がいないといけない。大衆にはそれしか永遠性の保証がない。
村上
うーん、そうですね。
柄谷
中国だけではなく、プラトンのなかにもそういうことが書いてあります。
一つは創造的であることによってイデア的に永遠性を獲得すること。言いかえれば、歴史に名を残すことですよね。
これは少数の者しかできないから、もう一つは子孫をもつこと。
ところが、『論語』の言葉には、それを合わせたようなことが書いてある。
さっき言った「身体髪膚……」のあとに、「身を立て、名を後世に挙げ、以て父母の名を顕すは孝の終り也」とある。
村上
でも、それすごいですよ。孔子ってすごいね。
それに対比するような生物学的エネルギーがあるとわかってるから言ってるんですよね。
柄谷
さっきも言った、自己破壊衝動というのは昔からあったと思うんですね。
身体髪膚をあえて傷つけるなというのは、昔読んだとき、事故で怪我したらどうするんだよと思ったりしたけど、そういうことじゃない。
自己に向かう攻撃衝動の禁止ですね、入れ墨も含めて。
村上
コンラート・ローレンツなんかよりもはるか昔に孔子が人間の攻撃性を、ね。
あとセックスというのは、それを含んでないとできないでしょうね。バタイユなんか見るまでもなく。
もちろん宗教は今はもう細分化して崩壊しているわけだけど、家族が国家の機能を代替する時に出てくる規範というか、
家族のイメージというのは、絶対反動的ですよね。
(ユリイカ6月臨時増刊号 1997.6.25発行)
「身体髪膚(しんたいはっぷ)これを父母に受く。敢えて毀傷(きしょう)せざるは孝の始めなり(身体髪膚受之父母、不敢毀傷孝之始也)」
《「孝経」から》
人の身体はすべて父母から恵まれたものであるから、傷つけないようにするのが孝行の始めである。
フロイトが1923年に発表した『自我とエス』
フロイトはショーペンハウアーの『個人の運命における〜』にも言及している。
影響下に有るのは自明である。
見えざる、あるかなきかの光のなかに現われるかの操縦は、人生の本来の結果でありま
たそのかぎりで人生の目的である死に至るまで、われわれに随行するわけである。死の時が来ると、
神秘的なすべての力(もともとはわれわれ自身に根を持つのだが)、人間の運命をたえず規定する
力がいっせいに押し寄せてきて行動を起こす。これらの諸力の葛藤からして、彼がいまや歩むべき道
ができあがる。つまり彼の再生(パリンゲネジー)がいっさいの快苦とともに準備され、これらの快苦は再生のなかに
含まれ、爾後再び撤回を許されぬように定められている。
個人の運命に宿る意図らしきものについての超越的思弁
Transscendente Spekulation über die anscheinende Absichtlichkeit im Schicksale des Einzelnen.
シューペンハウアー全集10白水社315頁
原書出版1851年
『死の欲動』発見史
ゲーテ |
1808 『ファウスト』第一部 |
1833 第二部 |
潜
シューペンハウアー |
1851「個人の運命に宿る〜意図についての超越的思弁」在
|
ニーチェ 期
1883 『ツァラトゥストラ』 |
|
フロイト |
1900 『夢判断』 ?
/\
ユング シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
\/
/\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
/
フロイト
1920 『快感原則の彼岸』
Jahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
1976ワーグナー「ジークフリート」初演
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『死の欲動』発見史
ゲーテ |
1808 『ファウスト』第一部 |
1833 第二部 |
潜
シューペンハウアー |
1851「個人の運命に宿る〜意図についての超越的思弁」在
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ワーグナー 期
1976 「ジークフリート」初演 |
|
ニーチェ |
1883 『ツァラトゥストラ』 |
|
フロイト |
1900 『夢判断』 ?
/\
ユング シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
共に初出はJahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
\/
/\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
/
フロイト
1920 『快感原則の彼岸』
『死の欲動』発見史
ゲーテ |
1808 『ファウスト』第一部 |
1833 第二部 |
潜
シューペンハウアー |
1851「個人の運命に宿る〜意図についての超越的思弁」在
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ワーグナー 期
1976 「ジークフリート」初演 |
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ニーチェ |
1883 『ツァラトゥストラ』 |
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フロイト |
1900 『夢判断』 ?
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ユング シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
共に初出はJahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
\/
/\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
/
フロイト
1920 『快感原則の彼岸』
『死の欲動』発見史
ゲーテ |
1808 『ファウスト』第一部 |
1833 第二部 |
潜
シューペンハウアー |
1851「個人の運命に宿る〜意図についての超越的思弁」在
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ワーグナー 期
1976 「ジークフリート」初演 |
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ニーチェ |
1883 『ツァラトゥストラ』 |
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フロイト |
1900 『夢判断』 ?
/\
ユング シュピールライン
1911 『変容の象徴1』 『分裂病(統合失調症)の一症例の心理的内容』(未邦訳)
共に初出はJahrbuch für psychoanalytische und psychopathologische Forschungen (1911)
\/
/\
1912 『変容の象徴2』 『生成の原因としての破壊』
/
フロイト
1920 『快感原則の彼岸』
http://panse.livedoor.biz/archives/52021115.html
2009年09月06日
フロイト
ショーペンハウアー 1788-1860arthur schopenhauer
「ショーペンハウアー」(7)(文庫クセジュ)エドゥアール・サンス<フロイト>「フロイトはショーペンハウアーの影響をはっきり認めて、「精神分析運動史のために」と「我が生涯と精神分析」のなかで、ショーペンハウアーこそ、自分(フロイト)よりも前に、この精神分析という科学の基本原理をうちたて、定式化した唯一の思想家である、と述べている。」<東洋思想に目覚めた西洋>「ショーペンハウアーを通じて、他の多くの思想家や作家たち、トーマス・マン、ヘルマン・ヘッセ、ロマン・ロランに至る作家たちに東洋思想が広がった。」
(註1)ユング派のカロテヌートは「シュピールラインはこの論文(「生成の原因としての破壊」1912年)で、フロイトが1920年に『快感原則の彼岸』の中で提出する概念を、ほとんどそっくり先取りしている」と指摘しており、フロイト派のベッテルハイムは、アニマの概念にとどまらず、ユング心理学の多くの基礎概念が「直接または間接的にシュピールラインに負うものである」ことが明白になったという論旨を展開している。解説者が、互いの属する学派の始祖の思想の核心となるような概念の独創性に疑念をはさんで辛辣にやりあっていることの意味や切実さは、私などにはとうてい了解できない。
http://www.linkclub.or.jp/~kiri/r29.html
フロイトは「快感原則の彼岸」の脚注(ちくま『自我論集』p191)でプラトンが響宴でアリストファネスに語らせている男女生誕の神話の原型を最古のウパニシャッド『ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』にふくまれた『ヤージュニャヴァルキヤ法典』(東洋文庫)に認めている。
さらに、インドからギリシアへの影響を語ることさえしている(直接の影響関係がなければユングのような原型論になってしまうからだろうか)。当時のドイツの東洋研究は進んでいたからその恩恵があるのだが、フロイト自身の考古学趣味の広さをも物語っている。
http://nam-students.blogspot.com/2010/07/battle-of-huns.html
フロイト著作集収録論文一覧
http://www21.ocn.ne.jp/~sfreud/syo/chosaku2.htm
第1巻 精神分析入門(正・続)
精神分析入門
続精神分析入門
第2巻 夢判断
夢判断
第3巻 文化・芸術論
W・イェンゼンの小説『グラディーバ』にみられる妄想と夢
詩人と空想すること
レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期のある思い出
トーテムとタブー
小箱選びのモティーフ
ミケランジェロのモーゼ像
無情ということ
『詩と真実』の中の幼年時代の一記憶
不気味なもの
否定
ある幻想の未来
ユーモア
ドストエフスキーと父親殺し
文化への不満
火の支配について
第4巻 日常生活の精神病理学
日常生活の精神病理学
機知――その無意識との関係――
自己を語る
ある微妙な失策行為
第5巻 性欲論・症例研究
性欲論三篇
幼児期の性理論
ナルシシズム入門
性格と肛門愛
女性の性愛について
リビドー的類型について
解剖学的な性の差別の心的帰結の二、三について
ある五歳男児の恐怖症分析(ハンス)
あるヒステリー患者の分析の断片(ドラ)
子どものうその二例
児童の性教育について
強迫行為と宗教的礼拝
欲動転換、とくに肛門愛の欲動転換について
呪物崇拝
戦争と死に関する時評
第6巻 自我論・不安本能論
防衛-神経精神病
隠蔽記憶について
精神現象の二原則に関する定式
精神分析における無意識の概念に関する二、三の覚書
想起、反復、徹底操作
本能とその運命
抑圧
無意識について
精神分析的研究からみた二、三の性格類型
悲哀とメランコリー
快感原則の彼岸
集団心理学と自我の分析
嫉妬、パラノイア、同性愛に関する二、三の神経症的機制について
自我とエス
マゾヒズムの経済的問題
エディプス・コンプレックスの消滅
神経症および精神病における現実の喪失
制止、症状、不安
終りある分析と終りなき分析
第7巻 ヒステリー研究・他
ヒステリー研究
科学的心理学草稿
第8巻 書簡集(8)
書簡集
第9巻 技法・症例篇
フロイトの精神分析の方法
精神療法について
心的治療(魂の治療)
精神分析療法の今後の可能性
「乱暴な」分析について
精神分析療法中における夢解釈の使用
転移の力動性について
分析医に対する分析治療上の注意
分析治療の開始について
精神分析治療中における誤った再認識(「すでに話した」)について
転移性恋愛について
精神分析療法の道
分析技法前史について
分析技法における構成の仕事
防衛過程における自我の分裂
精神分析概説
強迫神経症の一症例に関する考察(鼠男)
自伝的に記述されたパラノイア(妄想性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察(シュレイバー)
ある幼児期神経症の病歴より(狼男)
ハンス少年分析後日談
第10巻 文学・思想篇Ⅰ
ヒステリーの病因について
神経症の原因としての性
度忘れの心理的メカニズムについて
夢について
神経症病因論における性の役割についての私見
「文化的」性道徳と現代人の神経過敏
ヒステリー症者の空想と両性具有に対するその関係
ノイローゼ患者の出生妄想
精神分析について
「愛情生活の心理学」への諸寄与(男性にみられる愛人選択の特殊な一タイプについて/愛情生活の最も一般的な蔑視について)
精神分析的観点から見た心因性視覚障害
原始言語における単語の意味の相反性について
自慰論
精神分析への関心
夢に出てくる童話素材
証拠としての夢
精神分析運動史
ある象徴と症状
ある具象的強迫観念との神話的類似物
夢理論のメタ心理学的補遺
精神分析に関わるある困難
「愛情生活の心理学」への諸寄与――処女性のタブー
補遺小論集
シャルコー/ヴィルヘルム・シュテーケル『神経的不安状態とその治療』への序言/フリードリヒ・S・クラウス博士への手紙――『アントロポピュテイア』について/オスカー・プフィスター『精神分析的方法――経験科学的=体系的叙述――』への序文/M・シュタイナー博士『男性能力の心理障害』への序言/ヘルミーネ・フォン・フーク=ヘルムート女史宛、1915年4月27日付の手紙/ジェームズ・J・パトナム追想/ヴィクトール・タウスク追想/『戦争神経症の精神分析のために』への序言/テーオドル・ライク博士『宗教心理学の諸問題、第一部・儀礼』への序言/国際精神分析出版社と精神分析に関する業績への賞金授与/ヨーゼフ・ポッパー=リュンコイスと夢の理論/アントン・フォン・フロイント博士
第11巻 文学・思想篇Ⅱ
「子どもが叩かれる」
女性同性愛の一ケースの発生史について
夢とテレパシー
「精神分析」と「リビドー理論」
幼児期の性器体制
十七世紀のある悪魔神経症
精神分析要約
精神分析への抵抗
素人による精神分析の問題
『素人による精神分析の問題』のためのあとがき
精神の分析
『ミケランジェロのモーゼ像』補遺
ある宗教体験
戦争はなぜ
ロマン・ロランへの手紙――アクロポリスでのある記憶障害
人間モーセと一神教
補遺小論集
プトナム『精神分析講話』への序文/J・ファレンドンク『前意識的な空想的思考』への序言/M・アイティゴン『ベルリン精神分析無料診療所に関する報告』への序/フェレンツィ・サンドール博士/アウグスト・アイヒホルン『浮浪児=保護教育における精神分析、最初の手引のための十講』/ヨーゼフ・ブロイアー/「ユダヤ・プレスセンター・チューリヒ」編集人に宛てた書簡/ヘブライ大学開校式に際して/カール・アーブラハム/アーネスト・ジョーンズ五十歳の誕生記念日に/マクシム・ルロワへの手紙――デカルトの夢について/小冊子「ベルリン精神分析研究所の十年」への序言 /「エディカル・レヴュー・オブ・レヴューズ」第三十六巻への序文/エドアルド・ヴァイス『精神分析学要綱』への序言/ゲーテ賞一九三〇年 アルフォンス・パケ博士への手紙/ヨーゼフ・ポッパー=リュンコイスとの接触/サンドール・フェレンツィ/『精神分析入門講義』ヘブライ語版への序言/ルー・アンドレアス=サロメ/ブナイ・ブリース協会会員への挨拶
http://www21.ocn.ne.jp/~sfreud/syo/chosaku2.htm
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フロイト全集収録論文一覧
第1巻 失語論
●失語症の理解にむけて●大学記念留学奨学金によるパリおよびベルリンへの研究旅行(1885年10月-1886年3月末)に関する報告書●J.M.シャルコー著『神経系の疾病をめぐるサルペトリエール講義』への訳者まえがき●あるヒステリー男性における重度片側感覚脱失の観察●アーヴァーベック著『急性神経衰弱』書評●ウィアー・ミッチェル著『ある種の形態の神経衰弱とヒステリーの治療』書評●ベルカン著「聾の改善の試みとその成果」書評●H.ベルネーム著『暗示とその治療効果』への訳者序文●H.ベルネーム著『暗示とその治療効果』ドイツ語訳第二版への序言●オーバーシュタイナー著『催眠法―その臨床的および司法的意義』書評●ヒステリー,ヒステロエピレプシー(事典項目)●オーギュスト・フォレル著『催眠法』についての論評●心的治療(心の治療)●催眠(事典項目)●J.M.シャルコー著『サルペトリエール火曜講義(1887-88年)』翻訳への序言と注解●J.M.シャルコー著『サルペトリエール火曜講義(1887-88年)』翻訳への注解抜粋●講演「催眠と暗示について」についての報告●『ヒステリー研究』に関連す3篇 1,ヨーゼフ・ブロイアー宛書簡 2,ヒステリー発作の理論にむけて(ヨーゼフ・ブロイアーとの共著) 3,覚え書き●症例「ニーナ・R」についての4つの記録文書●ヒステリー諸現象の心的機制について―暫定報告(ヨーゼフ・ブロイアーとの共著)●催眠による治癒の一例―「対抗意志」によるヒステリー症状の発生についての見解●器質性運動麻痺とヒステリー性運動麻痺の比較研究のための2,3の考察●シャルコー●防衛-神経精神症●ある特定の症状複合を「不安神経症」として神経衰弱から分離することの妥当性について●強迫と恐怖症,その心的機制と病因
第2巻 ヒステリー研究
●ヒステリー研究
第3巻 心理学草案・遮蔽想起
●心理学草案●「不安神経症」に対する批判について●三部講演「ヒステリー」についての報告●講演「強迫表象と恐怖症の機制」についての報告●P.J.メービウス著『偏頭痛』についての論評●A.ヘーガル著『性欲動―社会医学的研究』についての論評●神経症の遺伝と病因●防衛-神経精神症再論●ヒステリーの病因論のために●私講師ジークムント・フロイトの学問的業績一覧●神経症の病因論における性●健忘の心的機制について●遮蔽想起について●ある正夢●自伝的覚え書き
第4巻 夢解釈Ⅰ
●夢解釈(前半)
第5巻 夢解釈Ⅱ
●夢解釈(後半)
第6巻 症例「ドーラ」・性理論三篇
●あるヒステリー分析の断片〔ドーラ〕●性理論のための3篇●夢について●フロイトの精神分析の方法●ゲオルク・ビーデンカップ著『脳桿菌との闘い』についての論評●ジョン・ビジェロウ著『睡眠の神秘』についての論評●アルフレート・バウムガルテン著『神経衰弱―本性・治癒・予防』についての論評●レーオポルト・レーヴェンフェルト著『心的強迫現象』についての論評●追悼文「S.ハンマーシュラーク教授」●精神療法について●神経症病因論における性の役割についての私見●『性理論のための3篇』第2版へのまえがき●R.ヴィーヒマン著『神経衰弱患者のための生活規律』についての論評●『神経症小論文集成 1893-1906年』初版へのまえがき
第7巻 日常生活の精神病理学
●日常生活の精神病理学にむけて
第8巻 機知
●機知―その無意識との関係
第9巻 グラディーヴァ論・精神分析について
●W.イェンゼン著『グラディーヴァ』における妄想と夢●精神分析について●舞台上の精神病質的人物●事実状況診断と精神分析●アンケート「読書と良書について」への回答●強迫行為と宗教儀礼●詩人と空想●子供の性教育にむけて●『応用心理学叢書』の告知●ヒステリー性空想,ならびに両性性に対するその関係●「文化的」性道徳と現代の神経質症●性格と肛門性愛●幼児の性理論について●ヒステリー発作についての概略●神経症者たちの家族ロマン●ヴィルヘルム・シュテーケル博士著『神経質性の不安状態とその治療』への序言●フェレンツィ・シャーンドル博士著『心の分析―精神分析関連論文集』への序言
第10巻 症例「ハンス」・症例「鼠男」
●ある5歳男児の恐怖症の分析〔ハンス〕●ハンス少年分析後日談●強迫神経症の一例についての見解〔鼠男〕●強迫神経症の一例(「鼠男」)のための原覚え書き
第11巻 ダ・ヴィンチの想い出・症例「シュレイバー」
●レオナルド・ダ・ヴィンチの幼年期の想い出●自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察〔シュレーバー〕●精神分析療法の将来の見通し●原始語のもつ逆の意味について●『アントロポピュティア』に関するフリードリヒ・S.クラウス博士宛書簡●自殺についての討論のための緒言・閉会の辞●精神分析的観点から見た心因性視覚障害●神経症者たちの病因的空想の露見例●「横暴な」精神分析について●男性における対象選択のある特殊な類型について(『性愛生活の心理学への寄与』 I )●ヴィルヘルム・ノイトラ博士著『神経症の女性たちへの手紙』についての論評●心的生起の二原理に関する定式●精神分析の基本原理ともくろみについて●精神分析における夢解釈の取り扱い●母音列の意義●「偉大なるかな,エペソ人のディアナ」●夢解釈への補遺●G.グレーフェの講演「ある不安状態の心理とその治療」についての論評●ヴィルヘルム・シュテーケル著「露出症の心理学にむけて」へのコメント●ジェームズ・J.パットナム著「精神神経症の病因と治療について」へのコメント●民話の中の夢付 ダーフィト・エルンスト・オッペンハイム宛書簡
第12巻 トーテムとタブー
●トーテムとタブー●転移の力動論にむけて●神経症の発症類型について●性愛生活が誰からも貶められることについて(『性愛生活の心理学への寄与』II)●精神分析治療に際して医師が注意すべきことども●自慰についての討論のための緒言・閉会の辞●精神分析における無意識概念についての若干の見解●幼年期の夢の実例求む―編集者より●「未開人の心の生活と神経症者の心の生活における若干の一致点」への導入の文章●アーネスト・ジョーンズ著「ローズヴェルトを精神分析する」へのコメント●小箱選びのモティーフ
第13巻 ナルシシズム・モーセ像・精神分析運動の歴史
●ミケランジェロのモーセ像●ミケランジェロのモーセ像 補遺●精神分析運動の歴史のために●ナルシシズムの導入にむけて●証拠手段としての夢●オスカル・プフィスター博士著『精神分析的方法』へのはしがき●夢における童話の素材●マクシミリアン・シュタイナー博士著『男性能力の心的障害』への序言●子供のついた2つの嘘●強迫神経症の素因●精神分析への関心●ジョン・グレゴリー・バーク著『諸民族の風俗,慣行,信仰ならびに慣習法における汚物』へのはしがき●治療の開始のために●特殊な意味をもった幼年期の夢●分析実践の経験と事例●分析作業中の誤った再認識(「すでに話した」)について●ギムナジウム生徒の心理学のために●想起,反復,反芻処理●夢における「偉業」の叙述●転移性恋愛についての見解●フレデリク・ヴァン・エーデン宛書簡
第14巻 症例「狼男」・メタサイコロジー諸篇
●ある幼児期神経症の病歴より〔狼男〕●戦争と死についての時評●欲動と欲動運命●抑圧●無意識●夢学説へのメタサイコロジー的補遺●喪とメランコリー●精神分析理論にそぐわないパラノイアの一例の報告●転移神経症展望●無常●欲動変転,特に肛門性愛の欲動変転について●ヘルミーネ・フォン・フーク=ヘルムート博士宛 1915年4月27日付書簡
第15巻 精神分析入門講義
第16巻 処女性のタブー・子供がぶたれる
●精神分析作業で現れる若干の性格類型●ある可塑的な強迫表象の神話的並行現象●ある象徴と症状の関係●アーネスト・ジョーンズ著「ジャネ教授と精神分析」へのコメント●精神分析のある難しさ●『詩と真実』の中の幼年期の想い出●処女性のタブー(『性愛生活の心理学への寄与』III)●精神分析療法の道●精神分析は大学で教えるべきか?●『戦争神経症の精神分析にむけて』への緒言●ジェームズ・J.パットナム追悼●国際精神分析出版社と精神分析に関する業績への賞授与●「子供がぶたれる」●ヴィクトール・タウスク追悼●テーオドール・ライク博士著『宗教心理学の諸問題』第一部「儀礼」への序文
第17巻 不気味なもの・快原理の彼岸・集団心理学
●不気味なもの●快原理の彼岸●集団心理学と自我分析●意識の機能に関するE.T.A.ホフマンの見解●戦争神経症者の電気治療についての所見●夢学説への補遺●女性同性愛の一事例の心的成因について●分析技法の前史にむけて●アントン・フォン・フロイント博士追悼●ある4歳児の連想●J.J.パットナム著『精神分析論集』への序言●クラパレード宛書簡抜粋●精神分析とテレパシー●夢とテレパシー●嫉妬,パラノイア,同性愛に見られる若干の神経症的機制について●ヨーゼフ・ポッパー=リュンコイスと夢の理論●J.ヴァーレンドンク著『白昼夢の心理学』へのはしがき●賞授与●懸賞論文募集●無意識についてひとこと●レーモン・ド・ソシュール著『精神分析の方法』へのはしがき●メドゥーサの首
第18巻 自我とエス・みずからを語る
●自我とエス●みずからを語る●『みずからを語る』補筆●『みずからを語る』その後―1935年●「精神分析」と「リビード理論」●夢解釈の理論と実践についての見解●17世紀のある悪魔神経症●幼児期の性器的編成●神経症と精神病●精神分析梗概●ルイス・ロペス=バイェステロス・イ・デ・トッレス宛書簡●フリッツ・ヴィッテルス宛書簡●M.アイティンゴン著『ベルリン精神分析診療所に関する報告』への序言●フェレンツィ・シャーンドル博士(50歳の誕生日に)●雑誌『ル・ディスク・ヴェール』への寄稿●マゾヒズムの経済論的問題●エディプスコンプレクスの没落●神経症および精神病における現実喪失●「不思議のメモ帳」についての覚え書き●精神分析への抵抗●『国際精神分析雑誌』編者のことば
第19巻 否定・制止、症状、不安・素人分析の問題
●否定●制止,症状,不安●素人分析の問題●解剖学的な性差の若干の心的帰結●精神分析●『ユダヤ・プレスセンター・チューリヒ』編集人宛書簡●ヘブライ大学開校式に際して●アウグスト・アイヒホルン著『不良少年たち』へのはしがき●夢解釈の全体への若干の補遺●ヨーゼフ・ブロイアー追悼●ライク博士ともぐり診療の問題●ブナイ・ブリース協会会員への挨拶●ロマン・ロランに宛てて●カール・アブラハム追悼●E.ピックワース・ファロウ著「生後6カ月の幼年期の想い出」についての見解●エーヴァルト・ヘーリングについてのコメント●フモール●フェティシズム●ある宗教体験●ドストエフスキーと父親殺し●リットン・ストレイチ宛書簡
第20巻 ある錯覚の未来・文化の中の居心地の悪さ
●ある錯覚の未来●文化の中の居心地悪さ●テーオドール・ライク宛書簡抜粋●アーネスト・ジョーンズ50歳の誕生日に寄せて●マクシム・ルロワ宛書簡―デカルトの夢について●「1930年ゲーテ賞」1,アルフォンス・パケ博士宛書簡 2,フランクフルトのゲーテハウスにおける挨拶●ジュリエット・ブトニエ宛書簡●S.フロイト/W.C.ブリット共著『トーマス・ウッドロー・ウィルソン』への緒言●エドアルド・ヴァイス著『精神分析要綱』へのはしがき●ハルスマン裁判における責任能力鑑定●ヘブライ語版『精神分析入門講義』への序文●ヘブライ語版『トーテムとタブー』への序文●冊子『ベルリン精神分析研究所の10年』への序言●『メディカル・レヴュー・オヴ・レヴューズ』第36巻へのはしがき●リビードの類型について●女性の性について●火の獲得について●英語版『夢解釈』第3版(改訂版)へのまえがき●ヘルマン・ヌンベルク著『精神分析的な基盤に基づく神経症総論』へのはしがき●プシーボル市長宛書簡抜粋●タンドラー教授宛書簡抜粋●ゲオルク・フックス宛書簡抜粋●戦争はなぜに?●リヒャルト・シュテルバ著『精神分析事典』への序言●ジークフリート・ヘッシング宛書簡●ヨーゼフ・ポッパー=リュンコイスと私の接点
第21巻 続・精神分析入門講義・終わりのある分析とない分析
●続・精神分析入門講義●終わりのある分析と終わりのない分析●シャーンドル・フェレンツィ追悼●マリー・ボナパルト著『エドガー・ポー―精神分析的研究』への序言●ある微妙な失錯行為●チェコ語版『精神分析入門講義』へのまえがき●トーマス・マン60歳の誕生日に寄せて●ロマン・ロラン宛書簡―アクロポリスでのある想起障害●ゲオルク・ヘルマン宛書簡3通●トーマス・マン宛書簡●ブラウン教授死去に際して●ルー・アンドレアス=ザローメ追悼●分析における構築
第22巻 モーセという男と一神教・精神分析概説
●モーセという男と一神教●「精神分析概説」へのまえがき●精神分析概説●精神分析初歩教程●防衛過程における自我分裂●反ユダヤ主義にひとこと●『タイム・アンド・タイド』女性編集者宛書簡●イスラエル・コーエン宛書簡●イスラエル・ドリュオン著『リュンコイスの新国家―改良された人道的基盤の上に新たな社会秩序を築き上げるためのプラン』への緒言●イスラエル・ドリュオン宛書簡2通抜粋●成果,着想,問題
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索引
Finally, Thomas Mann once made some trenchant observations on the subject. In his view,
Schopenhauer, as psychologist of the will, is the father of all modern psychology. From him the line runs, by way of the psychological
radicalism of Nietzsche, straight to Freud and the men who built up his psychology of the unconscious and applied it to the mental
sciences [1968, 408].
Mann observed many
Mann, T. (1968). Essays of Three Decades. Canada: Random House of Canada Ltd.
また第9巻『倫理学の二つの根本問題』に併録されている「意志の自由について」と「道徳の基礎について」は、ショーペンハウアーの全著作の中でも最も重要な論文であろう。「行為に自由はないが存在には自由がある」と説く前者と「道徳の根拠とは同情である」と結論づける後者には賛否両論あるだろうが、現代においてもその輝きを全く失っていない。ハイデッガーも『存在と時間』の中で、ショーペンハウアーの良心論をヘーゲル、カント、ニーチェのそれと並び注目すべきものの一つとして挙げている。
さらに別巻も見逃せない。ショーペンハウアーに関する論文が収められている同巻の目玉は、やはりニーチェの『教育者としてのショーペンハウアー』とトーマス・マンの『ショーペンハウアー』であろう。またヴィルヘルム・グヴィナーによる『身近に接したショーパンハウアー』は、ショーペンハウアーの側近によって書かれた伝記として歴史的価値も高く、後年書かれた幾多のショーペンハウアー伝が足元にも及ばないリアリティにあふれている。
ショーペンハウアー全集はドイツ本国を除けばロシアと日本以外にはない。大部であり高価でもあるので初心者にはお薦めできないものの、すでにショーペンハウアーの著作に親しんでおりもっと読みたいという読者に対しては自信を持ってお薦めできる。一生の宝物となる全集であり、白水社の偉業に敬意を表したい。
www.amazon.co.jp/dp/4560025584
「われわれはおもいがけずも、ショーペンハウアーの哲学の<港>へと舳先
を向けてしまったのである。ショーペンハウアーの哲学によると、死は生命
の「本来の結果」であり、目的でさえある。これに対して性欲動は、生の意
志が体現されたものである。」
『自我論集』ちくま文庫179頁
フロイトのショーペンハウアーへの言及は岩波版フロイト全集18巻編注ラスト(395ー7頁)に詳しい
続意志と表象42章「類と生命」が近いという指摘も貴重
「精神分析への抵抗」同331頁が代表的
フロイトのショーペンハウアーへの言及は岩波版フロイト全集18巻編注ラスト(395ー7頁)に詳しい
続意志と表象42章「類と生命」が近いという指摘も貴重
「精神分析への抵抗」同331頁↓が代表的
「哲学者ショーペンハウアーがすでに、性生活の比類ない重要性を忘れがたい印象的な言葉で力説していた‥」
「性理論三編第四版序」ちくま文庫「エロス論集」21頁にも
「哲学者アルトゥル・ショーペンハウアーが、人間の活動が通常の意味での「性」によって、いかに大きく左右されるかを明らかにしたのは、ついこの間のことである。」
とある
「意志の心理学者としてのショーペンハウアーは、あらゆる現代心理学の父である。かれから出発して、ニーチェの
心理的ラディカリズムをこえてフロイト、およびフロイトの深層心理学を拡大して精神諸科学に適用した人たちに
いたる一本のまっすぐな線が走っている。(略)ショーペンハウアーの暗い意志の王国は、フロイトが「無意識」と
よび、「エス」と名づけたものとまったく同一であり、他方において、ショーペンハウアーの「知性」は、フロイト
の「自我」(つまり、たましいの外界にむけられた部分)と完全に照応している。」
「ショーペンハウアー」トーマス・マン『ショーペンハウアー全集 別巻』白水社、238−9頁
(トーマス・マンの講演録「フロイトと未来」にも同様の指摘があるという。)
ショーペンハウアー続意志と表象の27、44でも生物の個体の死が語られている
<あるとき、O・ランクがショーペンハウエアーの『意志と表象の世界』のなかで、
この哲学者が狂気のことを説明しようと苦心惨憺している個所を見せてくれた。あ
の書物で、現実の苦しい一部分を引き受けるのに逆らい抵抗することに関して語ら
れているのは、私の抑圧概念の内容と完全に合致するものであり、またぞろ一つの
発見が可能になったのは、私の無学のおかげと言ってもよかったのである。つまり、
他の人たちはこの個所を読むには読んだけれども、ここをたんに読み流してしまっ
ただけで、私がしたような発見はせずに終わったのである。>
(「精神分析運動史」(1914)、フロイト著作集人文書院第10巻263頁)
<先達として高名な哲人たちの名を、とりわけ偉大なショーペンハウアーの名を挙げ
なければならない。彼の言う無意識的な「意志」とは精神分析が魂の本能と呼んで
いるものと同じである。さらにこの同じ思想家は忘れることの出来ない力強い言葉
によって、いまだに過小評価を受けている性的努力の意義について人間に警告した
のであった。>
(「精神分析に関わるある困難」(1917)、フロイト著作集人文書院第10巻
331−2頁)
超自我、夢判断
性欲、、錯誤行為
ショーペンハウアー
スピノザ『エチカ』第4部定理17備考
これでもって私は、なぜ人間が真の理性によってよりもむしろ意見(オビニオ)によって動かされるか、またなぜ善および惑の真の認識が心情の動揺を惹き起こしかつしばしばあらゆる種類の官能欲に征服されるかの原因を示したと信ずる。かの詩人の言葉はここから来ている、「我はより善ぎものを見てこれを可とす、されど我はより悪しきものに従う」。伝道者〔ソロモン〕が「知識を増す者は憂患を増す」と言っているのも同じことを念頭に置いたものと思われる。
しかし私がこうしたことを言うのは、それから無知が知にまさるとか、感情の制御において愚者と智者の間に差別がないとかいうようなことを結論しようと思ってではない。むしろ、理性が感情の制御において何をなしえ、また何をなしえざるかを決定しうるには、我々の本性の能力とともにその無能力をも知ることが必要だからである。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4p17
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孔徳之容、惟道是従。道之為物、惟恍惟惚。惚兮恍兮、其中有象。恍兮惚兮、其中有物。窈兮冥兮、其中有精。其精甚眞、其中有信。 自古及今、其中夫去。以閲衆甫。吾何以知衆甫之状哉、以此。
孔徳の容は惟(た)だ道に是れ従う。道の道たる。惟れ恍惟れ惚。恍たり惚たり、其の中に物あり。恍たり惚たり、其の中に象あり。窈たり冥たり、其の中に精あり。其の精甚だ真、真の中に信あり。
今より古に及ぶまで、其の名は去らず。以って衆甫を閲ぶ。吾れ何を以って衆甫の然るを知るや、此れを以ってなり。
徳に固有のものは「道」のひびきである。 「道」というものはおぼろげで、とらえようがない。 おぼろげでとらえようがないが、そこには形がある。 おぼろげでとらえようがないが、そこには何物かがある。 測りがたく見えにくいが、そこには本質がある。 本質は実に純粋で、そこには生き生きとした真実がある。 昔から今日に到るまで、「道」という名前のものがないわけではなかった。 我々はそれによって万物の始まりを見る。 万物の始まりはこれによってわかるのだ。
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信言不美、美言不信。善者不辯、辯者不善。知者不博、博者不知。聖人不積、既以爲人己愈有、既以與人己愈多。天之道、利而不害。聖人之道、爲而不爭。
信言(しんげん)は美ならず、美言(びげん)は信ならず。善なる者は弁(べん)ぜず、弁ずる者は善ならず。知る者は博(ひろ)からず、博き者は知らず。聖人は積(つ)まず、既(ことごと)くもって人のためにしておのれいよいよ有し、既(ことごと)くもって人に与えておのれいよいよ多し。天の道は、利して害せず。聖人の道は、なして争(あらそ)わず。
老子
http://page.freett.com/dateiwao/ookamisama.htm
原書房「出エジプト記の秘密」モーセと消えたファラオの謎
メソド・サバ、ロジェ・サバ著
エジプトのモーセにとりつかれて熱中した精神分析家のジークムント・フロイトは、新王国時代のエジプトの古代都市、アケトアテンの遺跡エル=アマルナで発掘作業をしたあとに、次のような仮説を提唱している。「ここまでくれば、我々は思い切って、次のような結論を下してもよいだろう。つまりモーセがエジプト人であって、特有の宗教をユダヤ人に伝えたとすれば、それはアクエンアテンの宗教であり、太陽神アテンの宗教だということである。」フロイト「人間モーセと一神教」より
アントワーヌ・ファブリ・ドリヴェはヘブライ語の綿密な研究に着手した法学者だったが、彼は19世紀のはじめに、明確に次のように述べている。「わたしが言ったのは、モーセ五書の巻物に見られるユダヤ人の言葉が、エジプト人の言葉を移植した語派だと思われることだった。・・・・・中略・・・・・ここでは単純な常識があれば十分なはずだと思われる。なぜなら、ユダヤ人たちが、どんな風にエジプトに入って、どんな風に出ていったにしろ、かれらがそこに非常に長く滞在したことは否定できないからである・・・。
紀元2000年頃のギリシャの神学者アレクサンドリアのクレメンスは次のように言っている。「不思議なことは、エジプトの文字がヘブライ人の文字に似ていることである。「雑纂」第5巻より
アブラハム
ヘブライ民族最初の族長(父祖)、唯一無二の神、一神教の創始者と一般的には考えられている。
ヤコブ
ヘブライ第3代の族長。アブラハムの孫。晩年になって、ヤコブは「イスラエル」という名前を神から授かる。エジプトのファラオはヤコブを友人として尊重し、彼の死に際して国を挙げて葬儀を行った。
ヨセフ
ヤコブの11番目の息子。兄たちによってエジプトに売り飛ばされた。彼はエジプトで夢を解くものとして評判を得て、ファラオに宰相(ファラオに次ぐ身分)に任命される。このファラオがアクエンアテンと考えられる。
ヤコブおよびヨセフの息子たち12人は、有名なイスラエルん12部族の始祖である。
モーセ
ヘブライの宗教の創始者とされる。モーセは紀元前1250年ころエジプトで生まれる。
生後まもなく、ナイル川に捨てられ、エジプトの王女にひろわれ、王家でそだつが、ユダヤ人奴隷に同情し、エジプトから脱出し、神から十戒を授かり、唯一神の神を信じる国をつくろうとした。
古代エジプトファラオとヘブライの族長たち
新王国時代
第18王朝
紀元前
アメンホテプ1世
1517-1496
アブラハムとサラのエジプト入り
アメンホテプ4世
アクエンアテン
1349-1332
ヨセフがエジプトに売られる
ヤコブとヘブライ人のエジプト入り
ツタンカーメン
1328-1319
英国エディンバラ大学、元ヘブライ語教授G・W・アンダーソン教授による:
G.W. Anderson, The History and Religion of Israel Oxford: Oxford University Press, 1966.
http://www.biblicalstudies.org.uk/article_exodus_date.html#2
G・Wアンダーソン博士はヤコブのエジプト入りの時期を紀元前14世紀前半、具体的にはおそらく紀元前1350年頃の異端王アクエンアテンの時代と断言している。
アブラハムがエジプトに到着したのは紀元前1500年頃と推定される。これは現代の多数のエジプト学権威や研究家の推定年代とプラスマイナス30年の誤差でほぼ一致する。
p115*アブラハムと妻のサラは第18王朝のアメンホテプ1世と会見したと考えられる。旧約聖書「創世記」第12章、13章にその辺の物語が描かれている。
サラはアメンホテプ1世の招きで、テーベに連れてこられた。このファラオは一般に流布していた主流派の多神教とは1線を画する考え方をしており、彼の一族の後継者が徐々にこの考え方に染まっていき、アメンホテプ4世(アクエンアテン)の時代についに1神教が完成するのである。
サラを介してアメンホテプ1世とアブラハムが出会うことになった。
p117-9*アブラハムが明確な形の一神教を心に抱いてエジプトを出たことは、旧約聖書のアブラハム物語の筋を追えばはっきりわかる。重要なのはアブラハムのエジプト滞在の話が、彼の生涯が初めて語られる章「創世記」第12章に登場していること。アブラハムがアメンホテプ1世と会って初めてエジプトを去り、超党派的な神への献身、故郷の約束、神との明確な契約、彼の子孫によるエジプト帰還の予告等が語られるようになる。その後、アブラハムが、「創世記」第18章2、6節で神に出会ったとき、神は3人の人間の姿で現れた。これはエジプトの3柱神という神の形である。
p138-*ヨセフとアクエンアテンの出会いは「創世記」第41章14-44節に記載されている。ファラオはヨセフの聡明さと魅力に感心し、ファラオに次ぐ地位の宰相に任命しエジプト全土を治めさせている。宰相を務めた14年間、ヨセフはアクエンアテンの信仰の一神教と充分にかかわり、ファラオは彼に、「ツアフェナト・パネア」(神は語りたもう、神はいきたもうの意味)の名を授けている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/イマヌエル・ヴェリコフスキー#.E3.82.A2.E3.83.A1.E3.83.AA.E3.82.AB.E7.A7.BB.E4.BD.8F.E3.81.A8.E4.BD.9C.E5.AE.B6.E3.81.A8.E3.81.97.E3.81.A6.E3.81.AE.E7.B5.8C.E6.AD.B4
フロイト(およびその先駆者)の主張の根拠となっているのは、聖書の賛美歌104番とアケトアテンにあるイクナートンの墓の壁に刻まれていた文章の類似性である。フロイトへの反証と出エジプト記が実際にあったことを証明するため、ヴェリコフスキーはエジプト側の文献に出エジプト記に対応するものがないかを捜した。その1つが Ipuwer Papyrus で、彼は聖書に出てくる伝染病の記述と似ていると考えた。従来のエジプト学では Ipuwer Papyrus の成立年代が非常に古いと想定されており、聖書の出エジプト記の年代(紀元前1500-1450年ごろ)や従来のエジプト史との整合で言われている出エジプト記の年代(紀元前1250年ごろ)よりも古いとされていた。このため、ヴェリコフスキーは従来の歴史の定説が間違っていて、それを訂正する必要があると考えた。
http://www.moses-egypt.net/book-series/ovs_related-articles-c_en.asp
年表
http://www32.ocn.ne.jp/~thkudo/info/life.htm
http://www.freud.org.uk/education/topic/40037/subtopic/40049/
Freud and Archaeology
http://www.freud.org.uk/shop/books-guidecatalogues.html
book
DVD Freud - The Secret Passion
DVD Freud - The Secret Passion This newly restored version of the 1962 John Houston classic movie about Freud is released for the frist time on DVD and stars Montgomery Clift. Please note this a Region 2 release.
Price: £12.00
http://www.freud.org.uk/shop/Freud_Museum_Shop_CDs__DVDs_20.html
フロイトはエジプトの発掘作業には参加していない
http://sekinehideo.blog23.fc2.com/blog-entry-19.html
「健康と教育と旅行に金を惜しんでらならない」が持論で、1901年から7回もローマを訪れ、ギルシャ、ローマ、エジプトの古美術品を蒐集していた。妻は乗物に弱かったので、旅には友人や義妹と出かけたが、その前の何週間かを一家で静かな山荘で過ごしていた。また日曜にはよく母親を訪ねていた。午前8時からの患者の診察には、一人きっかり55分かけていた。
彼の言動を二三拾ってみよう。「古今の傑作“エディプス”、“ハムレット”、“カラマーゾフの兄弟”がすべて、父親殺しを主題としているのは、決して偶然ではない」と言っている。1932年のアイシュタインへの手紙で「人はだれでも生きる権利があるのに、戦争は希望に満ちた人生を断ち切り、個々人を屈辱状態に追いこみ、己れの意思に反して殺人を強制する」と、戦争反対の意思を強く表明している。「運命に逆らっても仕方ない」とも言い、度重なる手術に際し「私は生来ペシミストではない。人生の上でのささやかな事にも喜びを見出せる」と心境を披露しているが、1933年のA・ツヴァイク宛の手紙には「すべてが憂鬱で窒息しそうだ。怒りがこも上げてきて心の芯をかじる。何かすきっとできないものか・・・」とある。最後に読んでいた本はバルザックの「悲しみ肌」で、「この本は私にぴったりだ、肌が縮んで餓死する話だから」と結んでいる。
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フロイトの生地を訪ねた後、その周辺を廻ってみた。東約8キロの隣村フクワルディで彼より2年早く、モラヴィアの大作曲家ヤナーチェク(1854~1928)が生れている。同じく南に8キロ下がるとシュトランベルクという町があり、円形塔が聳える古城の丘に、モンゴル人が削いだ現地人の耳を納めるという「耳塚」がある。また30キロ真西には遺伝学の創始者メンデル(1822~84)の生地ヒンチツェ(ハインツェンドルフ)村がある。オストラヴァ西方40キロに静かな古都オパヴァ(トロパウ)がある。ここは1806年ナポレオン軍将校の前での演奏を拒否したベートーヴェンが、雷雨の夜道を歩いて「熱情ソナタ」の草稿を濡らしてしまった所でもある。オストラヴァとオパヴァとの間には大平原が広がり、その中間点にフラビニェという寒村がある。ここで第二次世界大戦末期の2ヶ月間、独ソ両軍の間で死闘が繰り広げられ(オストラヴァ会戦)、掩蔽壕にたてこもるドイツ軍により、実に2万のソ連兵が戦死したという。今もトーチカの残骸が点々と残る平原の中に、戦車を模した真新しい巨大なコンクリート製モニュメントが2基建ち、ピオニールの少年少女たちが護っていた。
参考文献:
1)E・ジョーンズ「フロイトの生涯」竹友、藤井訳(紀伊国屋書店)
2)M・シュール「フロイト= 生と死」安田、岸田訳(誠信書房)
3)J・Cvekl「 Sigmund Freud 」(Orbis社)
1856年5月6日に生れたフロイトは、シェロモ(ソロモン)・シムハ(学問を究めんとする賢い男の意)と名づけられた。家族が多く、生まれながらにして叔父になっていたなどの家庭環境が、彼の心理に影響を与えたに違いない。カトリックのミサによく連れていってくれた、大好きなチェコ人の乳母が、盗みの疑いで解雇されたことが、のちの彼の無神論に作用したかもしれない。1歳年上の甥ヨハンとはよく遊んだが、友情と敵意に満ちた交わりで、ここに愛憎依存(アンビヴァレンス)の萌芽をみる。2歳の頃よく寝小便をして父に折檻された。好奇心から夫婦の営みの最中に、寝室に入って父に追い出されたり、裸の母親をまじまじ眺めたりしていた。1歳半のとき弟ユリウスが生まれ、ひどい嫉妬にかられ死ねばいいと思ったとか。実際この子は8ヶ月で亡くなり、彼は終生、自責の念にかられたという。
ところで1848年の革命で、チェコ人の間に反ドイツ気運が高まり、1850年代のオーストリア=イタリア戦争の結果、インフレが助長し、近くに毛織物工場が新設されたため、一家はウィーンへの移住を余儀なくされた。彼は3歳にも満たなかったが故郷喪失感に襲われ、旅のある駅のガス灯を見て、魂が焔の中で燃えている“カトリックの地獄”という考えに囚われた。故郷へは16歳のとき短期間帰っている。父が一時勤めた工場主の家に泊り、1歳年下の娘に一目ぼれするが、胸のうちを明かすこともできず、エロチックな空想を描きながら森中をさ迷い、故郷を捨てた父を呪った。
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フロイト一家がウィーンに出てきた頃は、ハプスブルク帝国の強権的なバッハ体制が揺らぎ、町には自由化の風が吹き始めていた。小、中学校を抜群の成績でおえたフロイトは、1873年ユダヤ慈善協会の資金援助を得てウィーン大学に入る。当時の医学界はヘルムホルツ(1821~94)を最高権威とみなされていたが、フロイトは1876年に生理学研究所で、ブリュッケ(1819~92)の助手となり、トリエステに赴き、ウナギの生殖腺の研究をする。79年と81年にはザリガニの神経細胞の研究で「神経細胞と神経突起はまとまった一単位」という、今日の神経元理論の先駆となる理論をうち出した。79年から1年間、病院で待機するだけの軍務についたが、退屈しのぎにミル(1806~73)の翻訳をしていた。81年3月の医学最終試験に成績優秀で合格、1882年から3年間ウィーン総合病院の内科、皮膚科、耳鼻科のアドを廻ったが、一番有意義だったのは、脳解剖学者のノートナーゲル(1841~1905)の精神病理学臨床教室で、この神経科の科長として、副手2名、助手1名、看護婦10名を率いて、100人以上の患者を診察、85年9月には神経病理学の私講師となった。当時の特記すべきことに、コカインの系統的研究がある。この業績は友人の眼科医コラーに超されてしまうが、苦い思出として、これを用いた患者の副作用で裁判沙汰になったことと、三叉神経痛に悩んでモルヒネを常用していた友人、フライシュル(1847~91)をコカイン中毒に追いやったことである。その後ひととき上流社会の私立精神病院に勤めた。
http://booklog.kinokuniya.co.jp/nakayama/archives/2007/06/
「僕は細部にわたるまでよく覚えていたのだが、父が何を言ったのかということだけは、ほとんど思い出せない。覚えているのはただ、魂を破滅させるほどの悲劇に思えていたことが、ほんの数分後には普通のバランスを取り戻していたことだけである」(p.58)。マルティンは父が催眠療法を用いたのか、精神分析をしたのかと自問しながら、アルプスの猟場の番人の譬えで説明する。
「あるときバイエルンのアルプスで、猟場番人が密猟者の網にかかった小さな動物を逃がすところを見た。とても慎重に、一つずつ、小動物を捕らえている網の糸をはずしにかかる。決して急がず、動物が暴れても忍耐強くそっと押さえている。やがて食い込んでいた糸が残らずはずされた。自由になった動物は好きなところへ行き、すべてを忘れることができた」(Ibid.)。これはトラウマの処置のために、まことにわかりやすい譬えだと思う。
【書誌情報】
■父フロイトとその時代
■マルティン・フロイト 著
■藤川芳朗 訳
■白水社 2007.4
■314p 20cm 2800円
■ISBN 9784560024508
20130207トークイベント終了。
キュロス王の二面性、トルコのアジア性、
探究1への言及が感慨深い。
台湾での囲い込み運動説明の話も興味深かった。
だが、想起説の説明はあれでいいのか?
トラクリは勿論、哲学の起源からも一歩進んだわかりやすい説明だったが(精神分析における非対称性との類似)。
さらに、フランスの内乱の引用だけは納得できない。
「彼ら(労働者)は、実現すべき理想を何ももっていない。彼らのなすべきことは、崩壊しつつある古いブルジョア社会そのものの胎内にはらまれている新しい社会の諸要素を解放することである。」(全集17.320頁)
内在的な革命は当事者しかわからないはずだが、マルクスは常に外部にいて構造を俯瞰する。
また、プルードンの交換銀行が必要だったことは明白なのにマルクスはそれを圧殺する。
柄谷からするとシュピールラインは転移の一例になるかもしれない
すっぱい葡萄(すっぱいぶどう)はイソップ寓話の一つ。狐と葡萄ともいう。
注意:以降の記述には物語・作品・登場人物に関するネタバレが含まれます。免責事項もお読みください。
あらすじ [編集]
キツネが、たわわに実ったおいしそうなぶどうを見つける。食べようとして跳び上がるが、ぶどうはみな高い所にあり、届かない。何度跳んでも届かず、キツネは怒りと悔しさで、「どうせこんなぶどうは、すっぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか。」と捨て台詞を残して去る。
解説 [編集]
手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級など、努力しても手が届かない対象がある場合、その対象を価値がない・低級で自分にふさわしくないものとみてあきらめ、心の平安を得る。フロイトの心理学では防衛機制・合理化の例とする。また、英語圏で「Sour Grapes」は「負け惜しみ」を意味する熟語である。
目からウロコ! 伝説のラブホテル「目黒エンペラー」の中の人が教える「ラブホの誘い方」が超実用的だった - ねとらぼ
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1401/27/news085.html
「段階」とは、「行くよと言って手を握る」→「握った手をさらに強く握る」→「ホテルに誘う」の3つ。この3段階をスマートにこなすとホテルに誘えるそうです。さらによりうまく誘うための心理学的なテクニックも教授。
Sigmund Freud - BBC (1938) [Subtítulos Español]: http://youtu.be/vo8y8owfy5w via @youtube
"I started my professional activity as a neurologist trying to bring relief to my neurotic patients.
Under the influence of an older friend and by my own efforts, I discovered some important and new facts about the unconscious in psychic life, the role of instinctual urges and so on.
Out of these findings grew a new science, Psycho-Analysis, a part of psychology and a new method of treatment of the neuroses.
I had to pay heavily for this bit of good luck. People did not believe in my facts and thought my theories unsavoury.
Resistance was strong and unrelenting. In the end I suceeded in acquiring pupils and building up an International Psycho-Analytic Association. But this struggle is not yet over. "
"Im Alter von 82 Jahren verließ ich infolge der deutschen Invasion mein Heim in Wien und kam nach England, wo ich mein Leben in Freiheit zu enden hoffe. My name is Sigmund Freud"
「私は、神経症の患者を治そうと、神経科医として専門的な活動を始めました。年上の友人の影響のもとに、また、自分自身の努力によって、私は、心的生活における無意識や、本能的欲動が果たす役割その他についての、新しくて重要な事実をいくつか発見しました。
これらの発見の中から一つの新しい科学である精神分析が育ちましたが、これは心理学の一部分であって、神経症治療の新しい方法だったのです。
このわずかな幸運を手に入れるために、私は大きな犠牲を払わなければなりませんでした。人々は私が言う事実を信じてくれないし、私の学説を味気ないものだと考えたのです。世間の抵抗は強くて容赦ないものでした。ようやく、私は弟子を持つことが出来、国際精神分析教会を設立できました。けれども、まだ闘いは終わっていないのです。
(以下ドイツ語)
82歳の時、ドイツが侵攻したので、私はウィーンを去り、イギリスへ来ました。自由のなかで生涯を終えたいと願っております。
(英語で)
私の名前はジークムント・フロイト。」
参照:邦訳『フロイト最後の日記』(日本教文社、XXII頁及び261頁)
一部分をドイツ語で語ったのは、この放送をドイツ人に聞かせたいというせめてもの抵抗の姿勢であるようだ(前掲書より)。
当時、すでに顎の癌により人工口蓋をつけていたのでかなり話しにくかったと推察される。
参考:
http://www.pakistan.tv/videos-sigmund-freud-on-the-bbc--%5B_sm5YFnEPBE%5D.cfm
http://www.pakistan.tv/videos-sigmund-freuds-voice-bbc-broadcast-recording-[5jJ6Lhk1pNg].cfm
http://www.freud-museum.at/freud/media/audio-e.htm
http://www.dra.de/online/hinweisdienste/wort/2006/mai06.html
http://books.google.co.jp/books?id=RTfJV3fWXWUC&pg=PA32
なお現在刊行中の邦訳『フロイト全集』には上記の草稿は未収録。
yojisekimoto shared from 人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
さきほど超自我の形成について、すなわち良心の発生について、多くのことを学んできたと申し上げましたので、きっとたんなる説明では満足されないと思います。カントは、わたしたちのうちにある良心を、「星繁き天空」とともに称えたことはよく知られています(1)。ですから信仰心の篤い方なら、この二つのもの[星辰と良心]を、万物を創造した神の偉大な作品として崇めたくなることでしょう。たしかに星辰は崇高なものですが、良心については、神は星辰の場合とは比較にならないほど手際の悪い仕事をしたと言わざるをえません。というのも、大多数の人々は、良心をあまりもち合わせていないか、語る価値のないほどごくわずかしかもち合わせていないからです。
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心的な人格の解明(『精神分析入門・続』第三一講、一九三三年)
1933年の図は本来横向き
超 自 我
知
エ無 自我 前 覚
ス意 意 ・
識 \抑 識 意
\圧 識
\
yojisekimoto shared from 人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
このように自我はエスに追い立てられ、超自我から圧迫され、現実から厳しく拒否されて、自我の内部で、あるいは自我にたいして外部から働きかけるさまざまな力と影響を調和させるというエネルギー論的な任務を遂行しようと、懸命に努力しているのです。わたしたちは「生きることはたやすくない」という嘆きの声を抑えることができないことが多いのですが、それはもっともなことなのです。自我が自分の弱さを示さざるをえなくなると、自我は突発的に不安を起こします。外界にたいしては現実不安を、超自我にたいしては良心の不安を、エスの内部の情熱の強さにたいしては神経症的な不安を起こすのです(12)。 ◆心的装置の構造図 これまでご説明してきた心的な人格の構造的な状況を、分かりやすい図に描いて、ごらんいただきましょう(次ページ)
超 自 我
知
エ無 自我 前 覚
ス意 意 ・
識 \抑 識 意
\圧 識
\
この図からお分かりのように、超自我はエスの中に入りこんでいます。エディプス・コンプレックスの後継者として、超自我はエスと密接な関係にあるからです。超自我は自我よりも知覚システムから遠い場所にあります。エスは自我を媒介しなければ、外界と交渉できません(少なくともこの図ではそうなっています)。この図がどこまで正しいのか、現在のところは確言できません。ただある一点で、この図は不正確になっています。無意識的なエスが占めている場所の容積は、自我や前意識が占めている容積よりもはるかに大きいはずなのです。頭の中でその点を修正していただくよう、お願いします。 さて、このなんとも面倒で、おそらく分かりにくかった講義を終えるにあたって、一つだけご注意しておきたいことがあります。人格はこのように自我、超自我、エスに分割できるとしても、政治地理学で人工的に引くような明確な境界線は描けないということです。心的なものには独特な性質があるために、スケッチや素朴な絵のような線描の輪郭線ではうまく表現できないのです。むしろ現代絵画のような色域のぼやけた絵がふさわしいのです。
心的な人格の解明(『精神分析入門・続』第三一講、一九三三年)
yojisekimoto shared from 人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
このように自我はエスに追い立てられ、超自我から圧迫され、現実から厳しく拒否されて、自我の内部で、あるいは自我にたいして外部から働きかけるさまざまな力と影響を調和させるというエネルギー論的な任務を遂行しようと、懸命に努力しているのです。わたしたちは「生きることはたやすくない」という嘆きの声を抑えることができないことが多いのですが、それはもっともなことなのです。自我が自分の弱さを示さざるをえなくなると、自我は突発的に不安を起こします。外界にたいしては現実不安を、超自我にたいしては良心の不安を、エスの内部の情熱の強さにたいしては神経症的な不安を起こすのです(12)。
◆心的装置の構造図 これまでご説明してきた心的な人格の構造的な状況を、分かりやすい図に描いて、ごらんいただきましょう(次ページ)
超 自 我
知
エ無 自我 前 覚
ス意 意 ・
識 \抑 識 意
\圧 識
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この図からお分かりのように、超自我はエスの中に入りこんでいます。エディプス・コンプレックスの後継者として、超自我はエスと密接な関係にあるからです。超自我は自我よりも知覚システムから遠い場所にあります。エスは自我を媒介しなければ、外界と交渉できません(少なくともこの図ではそうなっています)。この図がどこまで正しいのか、現在のところは確言できません。ただある一点で、この図は不正確になっています。無意識的なエスが占めている場所の容積は、自我や前意識が占めている容積よりもはるかに大きいはずなのです。頭の中でその点を修正していただくよう、お願いします。
さて、このなんとも面倒で、おそらく分かりにくかった講義を終えるにあたって、一つだけご注意しておきたいことがあります。人格はこのように自我、超自我、エスに分割できるとしても、政治地理学で人工的に引くような明確な境界線は描けないということです。心的なものには独特な性質があるために、スケッチや素朴な絵のような線描の輪郭線ではうまく表現できないのです。むしろ現代絵画のような色域のぼやけた絵がふさわしいのです。
心的な人格の解明(『精神分析入門・続』第三一講、一九三三年)
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/ 超 自 我 \
/ l 知
エ無 自我 前 l\覚
ス意 意 ll・
l識 \抑 識 l/意
l \圧 l 識
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/ 超 自 我 \
l l 知
エ無 自我 前 l\覚
ス意 意 ll・
l識 \抑 識 l/意
l \圧 l 識
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/ 超 自 我 \
l l 知
エ無 自我 前 l\覚
ス意 意 ll・
l識 \抑 識 l/意
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/ 超 自 我 \
l l 知
エ無 自我 前 l\ 覚
ス意 意 l l・
l識 \抑 識 l/ 意
l \圧 l 識
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/ 超 自 我 \
l l 知
エ無 自我 前 l\ 覚
ス意 意 l l・
l識\\抑 識 l/ 意
l \\圧 l 識
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| |PC等技術
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/ 超 自 我 \
l l 知
エ無 自我 前 l\ 覚
ス意 意 l l・
l識\\抑 識 l/ 意
l \\圧 l 識
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/ 超 自 我 \
| | 知
エ無 自我 前 |\ 覚
ス意 意 | |・
|識 \抑 識 |/ 意
| \\圧 | 識
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/ 超 自 我 \
| ----- | 知
エ無 自|我 前 |\ 覚
ス意 | 意 | |・
|識 \抑 | 識 |/ 意
| \\圧| | 識
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エ無 自|我 前 |\ 覚
ス意 | 意 | |・
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エ無 自|我 前 |\ 覚
ス意 | 意 | |・
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エ無 自|我 前 |\ 覚
ス意 | 意 | |・
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yojisekimoto shared from 人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
このように自我はエスに追い立てられ、超自我から圧迫され、現実から厳しく拒否されて、自我の内部で、あるいは自我にたいして外部から働きかけるさまざまな力と影響を調和させるというエネルギー論的な任務を遂行しようと、懸命に努力しているのです。わたしたちは「生きることはたやすくない」という嘆きの声を抑えることができないことが多いのですが、それはもっともなことなのです。自我が自分の弱さを示さざるをえなくなると、自我は突発的に不安を起こします。外界にたいしては現実不安を、超自我にたいしては良心の不安を、エスの内部の情熱の強さにたいしては神経症的な不安を起こすのです(12)。
◆心的装置の構造図 これまでご説明してきた心的な人格の構造的な状況を、分かりやすい図に描いて、ごらんいただきましょう(次ページ)
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/ 超 自 我 \
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エ無 自我 前 |\ 覚
ス意 意 | |・
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この図からお分かりのように、超自我はエスの中に入りこんでいます。エディプス・コンプレックスの後継者として、超自我はエスと密接な関係にあるからです。超自我は自我よりも知覚システムから遠い場所にあります。エスは自我を媒介しなければ、外界と交渉できません(少なくともこの図ではそうなっています)。この図がどこまで正しいのか、現在のところは確言できません。ただある一点で、この図は不正確になっています。無意識的なエスが占めている場所の容積は、自我や前意識が占めている容積よりもはるかに大きいはずなのです。頭の中でその点を修正していただくよう、お願いします。
さて、このなんとも面倒で、おそらく分かりにくかった講義を終えるにあたって、一つだけご注意しておきたいことがあります。人格はこのように自我、超自我、エスに分割できるとしても、政治地理学で人工的に引くような明確な境界線は描けないということです。心的なものには独特な性質があるために、スケッチや素朴な絵のような線描の輪郭線ではうまく表現できないのです。むしろ現代絵画のような色域のぼやけた絵がふさわしいのです。
心的な人格の解明(『精神分析入門・続』第三一講、一九三三年)
人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
このように自我はエスに追い立てられ、超自我から圧迫され、現実から厳しく拒否されて、自我の内部で、あるいは自我にたいして外部から働きかけるさまざまな力と影響を調和させるというエネルギー論的な任務を遂行しようと、懸命に努力しているのです。わたしたちは「生きることはたやすくない」という嘆きの声を抑えることができないことが多いのですが、それはもっともなことなのです。自我が自分の弱さを示さざるをえなくなると、自我は突発的に不安を起こします。外界にたいしては現実不安を、超自我にたいしては良心の不安を、エスの内部の情熱の強さにたいしては神経症的な不安を起こすのです(12)。
◆心的装置の構造図
これまでご説明してきた心的な人格の構造的な状況を、分かりやすい図に描いて、ごらんいただきましょう(次ページ)
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/ 超 自 我 \
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エ無 自我 前 |\ 覚
ス意 意 | |・
|識 \抑 識 |/ 意
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この図からお分かりのように、超自我はエスの中に入りこんでいます。エディプス・コンプレックスの後継者として、超自我はエスと密接な関係にあるからです。超自我は自我よりも知覚システムから遠い場所にあります。エスは自我を媒介しなければ、外界と交渉できません(少なくともこの図ではそうなっています)。この図がどこまで正しいのか、現在のところは確言できません。ただある一点で、この図は不正確になっています。無意識的なエスが占めている場所の容積は、自我や前意識が占めている容積よりもはるかに大きいはずなのです。頭の中でその点を修正していただくよう、お願いします。
さて、このなんとも面倒で、おそらく分かりにくかった講義を終えるにあたって、一つだけご注意しておきたいことがあります。人格はこのように自我、超自我、エスに分割できるとしても、政治地理学で人工的に引くような明確な境界線は描けないということです。心的なものには独特な性質があるために、スケッチや素朴な絵のような線描の輪郭線ではうまく表現できないのです。むしろ現代絵画のような色域のぼやけた絵がふさわしいのです。
心的な人格の解明(『精神分析入門・続』第三一講、一九三三年)
http://yojiseki.exblog.jp/11025108/
スピノザは『エチカ』でこう書いている。
「受動の感情は、われわれがその感情についての明瞭・判明な観念を形成れば、ただちに受動の感情でなくなる。」(第5部定理3)
「私は理性のみに導かれる人を自由であると言った。(略)我々のすでに証明したその他のことどもは、モーゼが最初の人間に関するあの物語の中で暗示しているように見える。すなわちその物語の中では、人間を創造したあの能力、言いかえれば人間の利益のみを考慮したあの能力、以外のいかなる神の能力も考えられていない。(略)しかし彼は動物が自分と同類であると思ってからはただちに動物の感情を模倣して自分の自由を失い始めた。この失われた自由を、族長たちが、そのあとでキリストの精神、すなわち神の観念 〜神の観念は人間が自由になるための、また前に証明したように人間が自分に欲する善を他の人々のためにも欲するようになるための、唯一の基礎である 〜に導かれて再び回復したのであった。」
(『エチカ』第4部定理68)
世界史の構造
フロイト.Freud,Sigmund,xvi,173,218,346,(393),414,455,
『モーセという男と一神教』(xvi),82@^477,(83)^478@,(83)^478@,173,414,
『モーセと一神教』209-210,
『トーテムとタブー』(77)^477@,81,209-210,218,
『夢判断』262,
『精神分析入門 続』263@264@^491,
(「自我とエス」?「マゾヒズムの経済的問題」?)346,
(『文化への不満』?)(455^501)
フロイト.Freud,Sigmund,❶J.41,42,82@,180,201-3,321/❷M.27,205-6@,207/❸T.25,57〜 59,59(:カント),57(-とユング),113, 188(-学派,:アドルノ),238(ヒステリー),335,336,346,475@/❹A.71-,88,90-1@/❺H.17@, 18,209@(「詩人と空想すろこと」*)/◉W.91,
『快感原則の彼岸』,❸T.475/❹A.79-80@,80-1@,95,97@,
『精神分析入門続』,❸T.225@/❺H.17@,
『文化への不満』,❸T.475@/❹A.95@102-3@,
『夢判断』,❸T.56,225(夢の仕事,:議会),
「マゾキズムの経済的問題(マゾヒズムの経済的問題)」,❸T.335,(→ヒステリー,欲動)/❹A.94-5@,105@
『ある幻想の未来』,❹A.90-1@,104@
『戦争と死に関する時評』,❹A.72-3@73@74@75-6@82@
『ユーモア』,❶J.82@/❹A.93@93-4@107@
『モーゼと一神教』, ❷M.27-8,(→「抑圧されたものの回帰」)/◉W.91
世界史の構造478頁
yojisekimoto shared from モーセと一神教 (ちくま学芸文庫) (Japanese Edition) by ジークムント・フロイト
個々人の精神分析から経験的に知られることだが、まだ話すこともほとんどできない子供のころに受けたごく早期の印象は、意識的に想起されないままに、いつかあるときになって強迫的性格を帯びた影響力を発揮するようになる。これとまったく同じことを全人類のごく早期の体験において想定してもよいだろう、とわれわれは考えている。
Note: 世界史の構造478頁参照
yojisekimoto shared from モーセと一神教 (ちくま学芸文庫) (Japanese Edition) by ジークムント・フロイト
特にはっきりと言っておかねばならないのは、忘却から回帰したものはまったく独特の力でもって回帰してきた目的を果たしてしまい、比較するものもないほど強力な影響を人間集団に及ぼし、真実にむけて抵抗しがたい要求を突きつけてくるという事実であり、この力に対するならば、論理的な異議申し立てなどいつも無力だ、という事実である。まさしく、不合理ゆえにわれ信ず credo quia absurdum とならざるを得ないかたちで。
Note: 世界史の構造478頁参照
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ダーウィンからは、人類が原初、小さな群れをつくって生活していて、その群れのそれぞれが比較的年齢の高い男の暴力的支配下にあり、この男はすべての女を独占し、若い男たちを彼の息子たちも含めて制圧して懲罰を加え、あるいは殺害して排除してしまった、との仮説を借用した。アトキンソンからは、以上のような記述に続くかたちで、この家父長制度が、父親に抗して団結し父親を圧倒しこれを殺害して皆で喰い尽くしてしまった息子たちの謀叛によって終焉に至った、との仮説を借用した。そしてさらに私は、ロバートソン・スミスのトーテム理論に従って、父親殺害ののち、父親のものであった群れがトーテミズム的兄弟同盟のものになったと考えた。
勝ち誇った兄弟たちは、実のところ女たちが欲しくて父親を打ち殺したのではあるが、互いに平和に生活するために女たちに手を出すのを断念し、族外婚の掟を自分たちに課した。父親の権力は打ち砕かれ、家族は母権にそって組織化された。しかし父親に対する息子たちの両価的な感情の構えはその後のさらなる発展の全経過に力を及ぼし続けた。父親の代わりに特定の動物がトーテムとして据え置かれたのである。この動物は父祖であり守護霊であるとされ、傷つけたり殺したりしてはならぬものとされたが、しかし年に一度、男たちの共同体の全員が饗宴を開くために集まり、普段は崇拝されていたトーテム動物は饗宴のなかでズタズタに引き裂かれ男たち全員によって喰い尽くされた。この饗宴への参加を拒むことは誰であっても許されなかった。これは父親殺害の厳粛な反復だったのであり、この反復とともに社会秩序も道徳律も宗教も生まれたのである。
Note: 世界史の構造82頁
yojisekimoto shared from 幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
ではこの二つの仮説のどちらが正しいのだろうか。生成の歴史からみて反論の余地のないように思われた最初の仮説が正しいのか、理論的にきわめて巧みに構成されている第二の仮説が正しいのか、どちらだろうか。実は直接の観察から証明されるように、どちらの仮説も正しいのである。この二つの仮説は矛盾しているわけではないし、一致しているところもあるのである。というのは、幼児が外部の権威に向ける復讐の攻撃欲動は、父親から罰として加えられると予測される攻撃欲動の量によっても決定されるからである。
ところでこれまでの経験から、幼児のうちで形成される超自我の厳格さは、幼児が実際に経験した厳格さを再現したものでないことが明らかになっているのである(*27)。両者のあいだには直接の関係はないようであり、ごく甘やかされて育った幼児が、成長してきわめて厳しい良心の持ち主になることもある。しかしこれを誇張して、この両者にはまったく関係がないと主張するのも間違いであろう。教育の厳格さが、幼児における超自我の形成に強い影響を及ぼすことは、よく理解できることである。
Note: ネーションと美学100頁参照
yojisekimoto shared from 幻想の未来/文化への不満 (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
ここで別の疑問が心に浮かぶ。文化は、みずからに対立する攻撃を抑制し、無害なものとし、できれば遮断するために、どのような手段を利用しているのだろうか。(中略)この攻撃欲を内側に向け、内面化し、それが発生した場所、すなわち自分の自我に向けるのである。
このようにして自我に向けられた攻撃欲は、超自我として自我のほかの部分と対立している部分に取り込まれ、これが「良心」となるのである。この良心は、ほんらいなら他の見知らぬ個人に発揮したかったはずの強い攻撃性を自我にたいして行使するのである。こうして、厳格な超自我と、超自我に支配された自我のあいだに緊張関係が発生する。これが罪の意識であり、これは自己懲罰の欲求として表現されるのである。このようにして文化は、個人の危険な攻撃欲を弱め、武装解除するのである。征服した都市を占領軍が監視するように、[超自我という]自我の内部の一つの審級に、自我を監視させるのである。
Note: ネーションと美学123~4頁
文化への不満 (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
ではこの二つの仮説のどちらが正しいのだろうか。生成の歴史からみて反論の余地のないように思われた最初の仮説が正しいのか、理論的にきわめて巧みに構成されている第二の仮説が正しいのか、どちらだろうか。実は直接の観察から証明されるように、どちらの仮説も正しいのである。この二つの仮説は矛盾しているわけではないし、一致しているところもあるのである。というのは、幼児が外部の権威に向ける復讐の攻撃欲動は、父親から罰として加えられると予測される攻撃欲動の量によっても決定されるからである。
ところでこれまでの経験から、幼児のうちで形成される超自我の厳格さは、幼児が実際に経験した厳格さを再現したものでないことが明らかになっているのである(*27)。両者のあいだには直接の関係はないようであり、ごく甘やかされて育った幼児が、成長してきわめて厳しい良心の持ち主になることもある。しかしこれを誇張して、この両者にはまったく関係がないと主張するのも間違いであろう。教育の厳格さが、幼児における超自我の形成に強い影響を及ぼすことは、よく理解できることである。
Note: ネーションと美学100頁参照
文化への不満 (光文社古典新訳文庫) (Japanese Edition) by フロイト
ここで別の疑問が心に浮かぶ。文化は、みずからに対立する攻撃を抑制し、無害なものとし、できれば遮断するために、どのような手段を利用しているのだろうか。(中略)この攻撃欲を内側に向け、内面化し、それが発生した場所、すなわち自分の自我に向けるのである。
このようにして自我に向けられた攻撃欲は、超自我として自我のほかの部分と対立している部分に取り込まれ、これが「良心」となるのである。この良心は、ほんらいなら他の見知らぬ個人に発揮したかったはずの強い攻撃性を自我にたいして行使するのである。こうして、厳格な超自我と、超自我に支配された自我のあいだに緊張関係が発生する。これが罪の意識であり、これは自己懲罰の欲求として表現されるのである。このようにして文化は、個人の危険な攻撃欲を弱め、武装解除するのである。征服した都市を占領軍が監視するように、[超自我という]自我の内部の一つの審級に、自我を監視させるのである。
Note: ネーションと美学123~4頁
文化への不満1930年 (光文社古典新訳文庫245~6頁) (Japanese Edition) by フロイト
ここで別の疑問が心に浮かぶ。文化は、みずからに対立する攻撃を抑制し、無害なものとし、
できれば遮断するために、どのような手段を利用しているのだろうか。(中略)この攻撃欲を
内側に向け、内面化し、それが発生した場所、すなわち自分の自我に向けるのである。
このようにして自我に向けられた攻撃欲は、超自我として自我のほかの部分と対立している部
分に取り込まれ、これが「良心」となるのである。この良心は、ほんらいなら他の見知らぬ個人
に発揮したかったはずの強い攻撃性を自我にたいして行使するのである。こうして、厳格な超自
我と、超自我に支配された自我のあいだに緊張関係が発生する。これが罪の意識であり、これは
自己懲罰の欲求として表現されるのである。このようにして文化は、個人の危険な攻撃欲を弱め、
武装解除するのである。征服した都市を占領軍が監視するように、[超自我という]自我の内部
の一つの審級に、自我を監視させるのである。
アメリカが兌換を中止したのは金の流出を防ぐためだし、リーマンショック以降の金の価格上昇は記憶に新しい。
柄谷はヒステリーのような恐慌はもうないと言っているが、、、、
http://www.systemicsarchive.com/ja/a/phallic_money.html
ラカン研究者の福原泰平は、ファルスと貨幣の類似を次のように説明している。
貨幣がその物質的素材である金や銀、そして銅やアルミニウムといったものの現実の使用価値を無化して、そこに等価的な交換への傾きを担わされているように、ファルスもその実体的な内容が問題とされるようなものではない。それはペニスが一方の性に欠如しており、その突出した形態から特権的なものとして選ばれたにしろ、脚でも親指でも何でもかまわなかったことをみれば理解される。
さらにいえば、貨幣の代表選手である金が、地上における現実的なものの次元を離れ、ある日突然、物々交換における価値の尺度へと高められて市場に介入してきたように、ペニスも現実の性的対象であることを離れ、突如あらゆる快を担う幻想的な運び手として世界に介入してくる。
こうした過程を経ることで性的な原器とでもいったものが成立すると、あらゆる性的対象は悦びに対して交換可能なものとなり、人々の間を流通しはじめる。母の欲望も父による禁止もすべてのものが性的等価物として市場に出回り、そこで値を付けて売り買いがなされるようになっていく。
[福原 泰平:ラカン―鏡像段階, p.154-155]
ファルスとはたんなるペニスではない。貨幣はファルスのように振舞うというよりも、むしろファルスそのものなのである。
8:33 午後
yoji さんは書きました...
物々交換が行われている前近代社会を幼児と比べてみよう。生後2-3年の肛門期で、幼児は、排尿・排便に快を感じるようになる。幼児は、母乳のお返しとして、便と尿を母親に与えていると意識する。フロイトによれば、金や銀が物品貨幣として流通したのは、尿が金色で、便が鋳潰した銀のような色をしているためであり、吝嗇、すなわち、資本主義の原動力となった蓄積への欲望は、便を貯めることによって得られる肛門の快楽に由来する。
こうしたフロイトの説明は、物品貨幣の説明としては適切である。肛門期の幼児は、母親との間に鏡像的でシンメトリカルな関係を持ち、そこで体験する取引は物々交換的である。しかし、生後3-5年の男根期になると、子供の関心は、ペニスへと向けられる。そしてシンメトリカルな母子関係に、父親という第三項が加わる。子供は、母親の欲望が、自分の糞尿ではなくて、父親のペニスに向けられていることに気が付く。そして男の子は母親のペニスになることを欲望しつつ、去勢に怯え、女の子はペニスがないことに劣等感を持ち、ペニスを羨望するようになる。こうした男根期の子供が持つ欲望を、ファルスへの欲望と呼ぶことができる。
ファルスとはペニスを意味するギリシャ語である。しかし精神分析では、ファルスは、母親の欲望の対象を意味する象徴的な言葉として使われる。ファルスは肉の塊としてのペニスではないし、現実に存在するみすぼらしい父親のことでもない。だから、「私の母は父親のペニスに欲情していなかった」とか「うちはかかあ天下で、父親に権勢はなかった」などと反論しても的外れである。
8:34 午後
yoji さんは書きました...
2、「わたしがお父さんに叩かれる」
ラカンは、『無意識の形成物』のセミネールにおいて、エディプス・コンプレックスが形成され、そこから自我理想(ラカンの用語で言えば<父の名>)が主体に導入される過程を論じているが、そのなかでもこの幻想の第二段階を特に重視している。この第二段階において、主体は「自分を冒涜しつつも、同時にそれ自体として聖別し価値を高めてくれるものに行き当たった」と感じ、「承認の次元と、主体の父性的主体との関係の禁じられた様態とを同時に示す」としている(Lacan, S5-Ja362)。
つまり、この第二段階において、父が「叩く」という行為は二重の意味作用――メッセージとそのシニフィカシオン――を持っているのである(S5-Ja355)。つまり父親が「ぶった」ということは、「ぶたれる価値があるお前は愛されている」というシニフィカシオンとして主体に理解されるのである。
ということは、この段階には、父と子供である「私」の他に、「私」のライバルである兄弟や姉妹が想像されているということである。ライバルである様々な他者たち[autrui]のなかから「私」が一人だけ選ばれて叩かれることによって、「私」にはぶたれる価値があるというシニフィカシオンが生まれる。
最後に、幻想の第三段階である。これは、<父の名>の導入として理解できる。
…
「子供が叩かれる」とマルクスの価値形態論
ここでラカンは「一般的形式」という言葉を用いているが、この言葉はマルクスのいう「貨幣の一般形式」としてとらえることができるのではないだろうか。
「子供が叩かれる」という幻想の第三段階において、ひとつの主人のシニフィアン[signifiant maitre]が制定されることによって、その他のすべての主体(子供たち)が表現されるという事態は、まさしく貨幣が体現している事態(マルクスのいう「貨幣形態」)に他ならないのである。*4
http://psychanalyse.hatenablog.com/entry/20070522/p1
8:38 午後
yoji さんは書きました...
「子供が叩かれる」とマルクスの価値形態論
ここでラカンは「一般的形式」という言葉を用いているが、この言葉はマルクスのいう「貨幣の一般形式」としてとらえることができるのではないだろうか。
「子供が叩かれる」という幻想の第三段階において、ひとつの主人のシニフィアン[signifiant maitre]が制定されることによって、その他のすべての主体(子供たち)が表現されるという事態は、まさしく貨幣が体現している事態(マルクスのいう「貨幣形態」)に他ならないのである。*4
8:39 午後
yoji さんは書きました...
フロイト 貨幣 糞 著作集 欲動転換、とくに肛門愛の欲動転換について」田中麻知子訳『フロイト著作集 5 』
8:46 午後
yoji さんは書きました...
地下一階に展示された作品に視点を移してみよう。貨幣システム を考察した作品の中でひと際異彩を放っていたのは、地下の金庫室 の鉄格子の奥に展示されたトム・フリードマンの《真実の愛(》2004 年)である。
フリードマンの作品は、黄色い蝶が糞にとまっているものである。 職人芸的に精巧に作られた美しい蝶(北米でよく見かけるオオカバマ ダラを模している)と、同じく本物そっくりに作られた汚らしい糞が、 ともに紙という同じ素材で作られている。糞に群がるのは蝿と思いが ちであるが、実際は蝶も栄養補給のために糞に食らいつく。美しい 蝶と汚らしい糞の間に芽生えた「真実の愛」を形にした作品である。
ゲルトシャイサーは、金を糞のように尻からひり出す存在であった ように、貨幣と糞便の間には密接な関係がある。それを最も説得力 のある形で論じたのはジグムント・フロイトであろう。この精神分析 の創始者は「、欲動転換、とくに肛門愛の欲動転換について(」1917 年)で、肛門期の幼児が、糞便への関心を、贈り物への関心、さら には貨幣への関心へと移行させていく様子を論じている(6)。肛門 期の幼児にとって、糞便を上手に保持したり排泄したりすると褒めら れるので、糞便は母親を喜ばせる贈り物として象徴化され、さらに、 労働に対する対価としての貨幣へと置換されていくのである。
糞便が貨幣に象徴的に置換されるとは、何を意味するのだろうか。 フロイトによれば、清潔でありたいという欲求は、糞便に塗れて汚ら しくありたいとする欲望を転換させたもの、つまり、肛門期の欲動に 対する反動形成である。それがこの論文の表題になっている「欲動 転換」の意味である。フロイトは、成人して吝嗇という性格が生まれ るのも反動形成に他ならないと考える。つまり、貨幣をコツコツと蓄 えようとする欲望は、糞便を自由にぶちまけたいとする欲望を抑圧し た結果生じたものなのである。
この貨幣への関心と糞便への関心が同一視されるのは、個人の性 格発達に関してだけではない「。性格と肛門愛(」1907 年)で、フ ロイトは人類史的な視点から次のように述べている。
実際、太古的な考え方が支配的であったところ、あるいは残って いるところではどこでも、古代文化においても、神話、童話、迷信に おいても、無意識的な思考においても、夢においても、また神経症 においても、貨幣は糞便ともっとも深い関係をもたされている。悪 魔がその情婦に贈る黄金が、彼の立ち去った後、糞に変わってし まうという話はよく知られているが、この悪魔はしかし、抑圧され た無意識の本能生活が擬人化されたものにほかならないのであ る。さらによく知られているのは、宝の発見を糞便と一緒にする迷 信であり、また「ドゥカーテンシャイサー〔金貨をひり出す者〕」の 像は誰にも親しまれているものである(7)。
貨幣と糞便の密接な関係を、神話や童話、迷信の中にも見いだそ うとするフロイトは、ここで「ドゥカーテンシャイサー」というゲルトシャ イサーの別名にも言及している。情婦に気前よく与えていた金は実は 糞便だったという悪魔の所業に「抑圧された無意識の本能生活」を 見るフロイトは、いわば、資本としての貨幣の背後でいかに多形的な 欲動が作動しているかを指摘したのである。
6 Sigmund Freud, “Über Triebumsetzungen, insbesondere der Analerotik” (1917), in Sigmund Freud, Gesammelte Werke: Chronologisch Geordnet, eds. Anna Freud et al., vol. 10 (London: Imago,1946), pp. 401–410〔. フロイト「欲動転換、とくに肛門愛の欲動転換について」田中麻知子訳『フロイト著作集 5(』人文書院、1977年)、 385‒390 ページ〕
7 Sigmund Freud, “Charakter und Analerotik” (1908), in Gesammelte Werke 7 (1955), pp. 203–209.〔ジークムント・フロイト「性格と肛門愛」懸田克躬・吉村博次訳、
『フロイト著作集 5』(人文書院、1969 年)、137 ページ〕。原文を参照しながら、訳文に多少の改変を加えた。
カントのいうアンチノミーの基本は観念論と唯物論の間。
感覚を持つ人間が生きていなければ認識対象もあり得ないはず、、、?
ライプニッツとデカルトの運動論を調停する時も基本は変わらない。
その自律的な運動法則は、自律する人間の判断力、さらに国連憲章まで延長され得る、、、
こうしたヒエラルキーを持つ世界は面白くないから、ラカンのような構造的に
真善美が互いに牽制し合うという世界観がカントの今日的読みだろう。
(ラカンはサドとカントを等価に捉えた。これはニーチェ的な転覆だ)
ラカンより柄谷のようにフロイトとカントをつなげるのが面白いだろう。
カントの父は馬具職人だった
フロイトは無意識を馬に例えた
http://www21.ocn.ne.jp/~sfreud/sem/tyukyu/tyukyu4.htm
自我が機能的に重要なものであることは、通常は運動性への通路を支配するのが自我であるとされていることからも明らかである。自我はエスに対して、自分を上回る大きな力をもつ奔馬を御す騎手のようにふるまう。(中略)自我は騎手の場合と同じように、馬から振り落とされたくなければ、馬が進みたい場所に行くしかない場合が多いのである。すなわち自我は、あたかもそれが自分の意志であるかのように、エスの意志を行動に移すしかないのである。(『自我とエス』)
また、別の所では、自我を、立憲君主制における君主に例えている。つまり、形式的な権力しか持っていないということだ。
エスを支配しているのは、快感原則であり、その内部にうずまく様々な欲動興奮を、すぐに満足させるようとして、自我に圧力をかけてくる。しかし、自我は、現実をみており、現実原則にも配慮して行動しているから、エスの要求のすべてに従うわけにはいかない。つらいところだ。
現実とエスとの板挟み状態のなかで、自我はあの手この手を使ってエスをなだめようとする。エスの要求をそのままでは実現できない場合には、防衛、反動形成、昇華などを行い欲動を変形する。このような自我の働きは、大部分無意識的である。「(前)意識 対 無意識」の図式がそのまま「自我 対 エス」の図式に対応しないのは、ひとつはこの点である。すなわち、
カントのいうアンチノミーの基本は観念論と唯物論の間。
感覚を持つ人間が生きていなければ認識対象もあり得ない、、、?
ライプニッツとデカルトの運動論を調停する時も基本は変わらない。
その自律的な運動法則は、自律する人間の判断力、さらに国連憲章まで延長され得る、、、
こうしたヒエラルキーを持つ世界は面白くないから、ラカンのような構造的に
真善美が互いに牽制し合うという世界観がカントの今日的読みだろう。
(ラカンはサドとカントを等価に捉えた。これはニーチェ的な転覆だ)
ラカンより柄谷のようにフロイトとカントをつなげるのが面白いだろう。
ちなみにフロイトは無意識を馬に例え、カントの父は馬具職人だった。
カントのいうアンチノミーの基本は観念論と唯物論の間。
感覚を持つ人間が生きていなければ認識対象もあり得ない、、、
ライプニッツとデカルトの運動論を調停する時も基本は変わらない。
その自律的な運動法則は、自律する人間の判断力、さらに国連憲章まで延長され得る、、、
こうしたヒエラルキーを持つ世界は面白くないから、ラカンのような構造的に
真善美が互いに牽制し合うという世界観がカントの今日的読みだろう。
(ラカンはサドとカントを等価に捉えた。これはニーチェ的な転覆だ)
ラカンより柄谷のようにフロイトとカントをつなげるのが面白いだろう。
ちなみにフロイトは無意識を馬に例え、カントの父は馬具職人だった。
カントのいうアンチノミーの基本は観念論と唯物論の間。
感覚を持つ人間が生きていなければその認識対象もあり得ない、、、
そもそも物自体は認識出来ないが、、、
ライプニッツとデカルトの運動論を調停する時も基本は変わらない。
その自律的な運動法則は、自律する人間の判断力、さらに国連憲章まで延長され得る、、、
こうしたヒエラルキーを持つ世界は面白くないから、ラカンのような構造的に
真善美が互いに牽制し合うという世界観がカントの今日的読みだろう。
(ラカンはサドとカントを等価に捉えた。これはニーチェ的な転覆だ)
ラカンより柄谷のようにフロイトとカントをつなげるのが面白いだろう。
ちなみにフロイトは無意識を馬に例え、カントの父は馬具職人だった。
カントのいうアンチノミーの基本は観念論と唯物論の間。
感覚を持つ人間が生きていなければその認識対象もあり得ない、、、
そもそも物自体は認識出来ない、、、
ライプニッツとデカルトの運動論を調停する時も基本は変わらない。
その自律的な運動法則は、自律する人間の判断力、さらに国連憲章まで延長され得る、、、
こうしたヒエラルキーを持つ世界は面白くないから、ラカンのような構造的に
真善美が互いに牽制し合うという世界観がカントの今日的読みだろう。
(ラカンはサドとカントを等価に捉えた。これはニーチェ的な転覆だ)
ラカンより柄谷のようにフロイトとカントをつなげるのが面白いだろう。
ちなみにフロイトは無意識を馬に例え、カントの父は馬具職人だった。
カントのいうアンチノミーの基本は観念論と唯物論の間。
感覚を持つ人間が生きていなければその認識対象もあり得ない、、、
そもそも物自体は認識出来ない、、、
ライプニッツとデカルトの運動論を調停する時も基本は変わらない。
その自律的な運動法則は、自律する人間の判断力、さらに国連憲章まで延長され得る、、、
こうしたヒエラルキーを持つ世界は面白くないから、ラカンのような構造的に
真善美が互いに牽制し合うという世界観がカントの今日的読みだろう。
(ラカンはサドとカントを等価に捉えた。これはニーチェ的な転覆だ)
ラカンより柄谷のようにフロイトとカントをつなげるのが面白いだろう。
ちなみにフロイトは無意識を馬に例え、カントの父は馬具職人だった。
比喩的に述べるならカントは暴走しないようにセキュリティーが設定されたOS。
間違いを自ら直す。
サーモスタット付きのエアコンのようでもある。
カントのいうアンチノミーの基本は観念論と唯物論の間。
感覚を持つ人間が生きていなければその認識対象もあり得ない、、、
そもそも物自体は認識出来ない、、、
ライプニッツとデカルトの運動論を調停する時も基本は変わらない。
その自律的な運動法則は、自律する人間の判断力、さらに国連憲章まで延長され得る、、、
こうしたヒエラルキーを持つ世界は面白くないから、ラカンのような構造的に
真善美が互いに牽制し合うという世界観がカントの今日的読みだろう。
(ラカンはサドとカントを等価に捉えた。これはニーチェ的な転覆だ)
ラカンより柄谷のようにフロイトとカントをつなげるのが面白いだろう。
ちなみにフロイトは無意識を馬に例え、カントの父は馬具職人だった。
比喩的に述べるならカントは暴走しないようにセキュリティーが設定されたOS。
間違いを自ら正す。
サーモスタット付きのエアコンのようでもある。
フロイトの「防衛機制」における
「合理化(酸っぱい葡萄方式自己欺瞞)」
あるいは「自己愛的防衛
Examples-Mechanisms-In popular culture-See also
Ironic process theoryとは - goo Wikipedia (ウィキペディア)
wpedia.goo.ne.jp/enwiki/Ironic_process_theory
Ironic process theory (Wegner, 1992, 1994) has two opposing mechanisms (dual process theory as pertaining to social cognition): The first unconsciously and automatically monitors for occurrences (monitoring processes) of the unwanted ...
Ironic Processes of Mental Control (Adobe PDF) -htmlで見る
20150603
ホンマデッカtv
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%80%A7%E7%9A%84%E7%99%BA%E9%81%94%E6%AE%B5%E9%9A%8E
小児性欲論 編集
1、人間の性本能は思春期に初めて発現するのではなく、生後間もなくから存在し、さまざまな活動の中にその満足を求めており、これをリビドーと名付け、人間の生命の原動力である[1]。
2、リビドーの対象の身体部位は発達とともに変わっていく[1]。
⑴口唇期(満1歳ころまで)
母乳を吸うことと関連し、リビドーの満足は主に口唇周辺に求められる。
⑵肛門期(2,3歳)
排泄のしつけと関連し、肛門の感覚を楽しむ。具体的には排泄後の快感である。
⑶男根期(5,6歳まで)
関心が男根に集中する時期。
⑷潜在期(学童期)
小児性欲は一時影をひそめ、子供の関心は知的方面に移行し、比較的感情が安定する時期。
⑸性器期(思春期以降)
初めて性器を中心とした性欲の満足が求められる時期[1]。
これらの各々の時期に十分なリビドーの満足が得られないと、偏った人格や、神経症などの異常が発生しやすくなる[1]。
例として以下のようなものを上げている。
口に関連した異常であるアルコールや薬物の嗜好などは、口唇期の障害に起因する。
不潔恐怖症は肛門期の障害が原因[1]。
また、異常とまではいかなくても、成人後の性格がどの時期の満足をいちばん求めているかによって、人の性格分類ができるとした。
⑴口唇期的性格
依存的、常に人に頼り自主性がなく社交的、寂しがり屋で孤独を怖れる。このタイプは往々にして本来の口唇的欲求も強く、食いしん坊、甘いもの好き、食道楽、嗜癖に陥りやすいなどの傾向がある。
⑵肛門期的性格
几帳面、ケチ、頑固、自分の世界を他人に乱されるのを極端に嫌う。反面、ルーズでだらしない。
⑶男根期的性格
攻撃的、積極的、自己主張が強く人前に出ることを怖れない。リーダーシップを取りたがる。あるいは人を傷つけないことを怖れない。
⑷性器期的性格
具体的な言及はないが、成熟した感情を持ち、人を愛し受容できる、いわば理想的人格[1]。
この学説の発表当時は大きな反対にあった。当時のウィーンの人たちにとって、ショック以外のなにものでもなかった。その後の、生理学、心理学の発展と多くの臨床観察からこれらはかなりの部分受け入れられるようになった。また、この学説は弟子らによって受け継がれ、改善され、発展した。特にアメリカの心理学者、エリック・エリクソンの功績が大きい[1]。
参考文献 編集
『ヒステリー研究』(Studien über Hysterie)ヨーゼフ・ブロイアーとの共著, 1895年
『夢判断』(Die Traumdeutung)1899年(出版1900年)
『性格と肛門愛』(Charakter und Analerotik),1908年
『精神分析入門』(Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse),1917年
『欲動転換、特に肛門愛の欲動転換について』(Über Triebumsetzungen, insbesondere der Analerotik),1917年
脚注 編集
^ a b c d e f g h i j k 相場均『異常の心理学』(講談社現代新書)
ドゥルーズA.O補遺注より(文庫版より。単行本版にはなかった。)
(13) ライヒの生物宇宙論的あるいは生物発生論的な最後の研究の全体は、『オルガスムの機能』の終りにまとめられている。La Fonction de l'orgasme, ch.9. 発生や生殖に対する性の優位は、この場合、細胞分裂を伴う性のサイクル(力学的緊張-電気的充電、等々)を根拠としている (p. 224-227)。しかし、ライヒは彼の著作で、きわめて早い時期から、フロイトが性的な立場を放棄したことを非難している。性的な立場を断念したのは、フロイトの批判者ばかりではない。ある意味ではフロイト自身である。最初は、フロイトが死の本能を導入して、性愛の代りに〈エロス〉について語り始めるときである (Reich, pp. 103-104〔『オルガスムの機能』上、178ページ〕)。ついでフロイトが不安を、性的抑圧の原因とみなし、もはやその結果とはみなさなくなるときである (Reich, pp113-114〔同、上、188-189ページ〕)。もっと一般的にいえば、フロイトが性愛に対する生殖の優位という伝統的見解にもどるときである。(Reich, p. 225.〔同、下、399ページ〕「生殖は性愛の一機能であって、ひとが主張していたように、その逆ではない。性的な観念と生殖的な観念を分けたとき、フロイトは、心理-性愛に関して、すでにこのことを前提としていた。ところが、私には全く不明な理由から、かれは、生殖に奉仕するものとして、思春期の中に性器体制を新たに位置づけたのである」)。ライヒは、明らかに、フロイトのショーペンハウエル的、あるいはワイスマン的なテクストを考えている。そこで性愛は、種と生殖質に依存するものになっているのである。例えば、〈Pour introduire le narcissisme〉, in La Vie sexuelle , P. U. F., pp. 85-86.〔「ナルシシズム入門」懸田克躬・吉村博次訳、『フロイト著作集』5、113-114ページ〕
ライヒ邦訳著作集1,175,192,381頁
知覚意識
_____
__/_____\__
/ / \ \
/ |_ 前意識 \
| 超/ |
|_|_ _自_ _ _ _ _|
|自| _ _ _ _ _//|
| | 我 抑// |
|我| 圧// |
| /\ |
\ 無意識 /
\ エ ス /
ライヒはイド(エス)、および無意識を拡大解釈している。
オルガスムの機能
195頁
フロイトは自我を拡大しようとしている
続講義
31章
知覚意識
_____
__/_____\__
/ / \ \
/ |_ 前意識 \
| 超/ |
|_|_ _自_ _ _ _ _|
|自| _ _ _ _ _//|
| | 我 抑// |
|我| 圧// |
| /\ 無意識 |
| |
\ エ /
\ ス /
(縦書きされているのが主要概念)
フロイトは自我を拡大しようとしている
続講義
31章最終行
ライヒはイド(エス)、および無意識を拡大解釈している。
オルガスムの機能
195頁
続講義31章の比喩
ゾイデル海開発 編集
コルネリス・レリーの像
20世紀前半には、北海の嵐からゾイデル海沿岸の土地を守り、また干拓地を拡大するために、ゾイデル海の出口を閉じる長大なアフシュライトダイクが建設された。
19世紀後半からゾイデル海を締め切るダム事業は構想されていたが議会で通らず、建設が承認されるきっかけになったのは1916年1月の大洪水であった。長年建設を訴え続けてきた土木技師・政治家のコルネリス・レリ(Cornelis Lely, 1854年 - 1929年)の指揮下、1919年よりゾイデル海開発が開始された。1932年のアフシュライトダイク完成後はゾイデル海は淡水化しアイセル湖となり、さらに湖内部に締切堤防が築かれウィーリンゲルメール、北東ポルダー、フレヴォランド東および南の4つのポルダー(干拓地)が誕生し、古代のフレヴォ湖にちなむ「フレヴォラント州」が新たに誕生した。当初の計画ではマルケル湖(アイセル湖の南西部の水面)も干拓することになっていたがこの計画は2000年に無期限延期となり、1986年のフレヴォラント南ポルダー完成でゾイデル海開発は完了したことになる。
ゾイデル海(ゾイデルかい、オランダ語:Zuiderzee ザイデルゼー)は、オランダにかつて存在した湾。北海からオランダ北西部へ向けて100kmほど入り組んだ浅い大きな湾であった。
20世紀に入り、ゾイデル海開発で建設されたアフシュライトダイク(堤防)により外海(北海の一部、ワッデン海)から切り離され淡水のアイセル湖となったため、消滅した。
目次
概要
歴史
フレヴォ湖と北海の拡大
ゾイデル海と生活
ゾイデル海開発
外部リンク
概要 編集
ゾイデル海は、幅50km、奥行100km、海岸線延長300km、面積5,000km2で、平均深さ4から5mの浅い海であった。オランダ語で南の(Zuider)+海(Zee)という意味を持っている。これは北海(Noordzee)と対になった形でのフリースラント地方の命名によると言われている。1932年に完成したアフシュライトダイクによって北海(外海)から切り離され、流入河川(ライン川の分流アイセル川など)の水により次第に淡水湖化されて消滅した。現在では、かつてのゾイデル海の水域をアイセル湖と呼んでいる。
超自我の入った図は横にされることが多いが、
原図を見ると縦が正しいようだ
柄谷行人
憲法の無意識
フロイト 「戦争と死に関する時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
《今次の戦争においては、きわめて優秀な世界市民たちがまるで魔法にでもかかったかのように、論理的に思考できなくなってしまったのであるが、これも二次的な現象であり、感情の動きの結果なのである。こうした感情の動きが姿を消せば、この思考不能の状態も消滅することを期待しよう。》
別訳中山元版
10頁:
フロイト 「戦争と死に関する時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
以下別訳中山元版
《戦争によってわたしたちのうちで後代に形成された文化的な層が剝ぎとられ、中に潜んでいた原始人がふたたび前面に登場するのである。戦争においてわたしたちはふたたび、自分が死ぬことを信じない英雄となることを強強いられる。見知らぬ者を敵とみなし、敵を死にいたらしめ、敵の死を願わせるのである。》
10~11頁:
フロイト 「戦争と死についての時評」(初出1915 『フロイト全集14』岩波書店 2010)
http://blogs.yahoo.co.jp/fktouc18411906/10296956.html
《しかし戦争が廃止されることはないだろう。諸民族の生存条件がこれほどまでに多様であり、諸民族の間の反発がこれほどまでに激しいものである限り、戦争 は存在せざるを得ないだろう。そこで次のような疑問が生ずる。われわれは、膝を屈して戦争に適応するような存在であってはならないのか。われわれは、認め るべきではないだろうか。死に対する文明的な考え方によって、われわれは、心理学的にはむしろ分不相応に生きてきたのだ、と。おそらくわれわれは、改心し て、真実を告白すべきなのだ。》(9~10)
(フロイト全集14,165ページ)
13頁:
http://shigemoto.blog105.fc2.com/blog-entry-173.html
《反復強迫の仮定を正当化するものは十二分に残されているし、反復強迫はわれわれには、それによって脇に押しやられる快原理以上に、根源的で基本的で、欲動的なものとして、現れてくる》
フロイト『快原理の彼岸』(『フロイト全集17』岩波書店74頁)
14頁:
フロイト講義“死の欲動”を読む 単行本 – 2012/6 小林 敏明 (著)
http://book.asahi.com/reviews/reviewer/2012072900019.html
14(8)頁:
『夢判断』1900年、フロイト「自我とエス」1923年
15頁:
フロイト『文化の中の居心地悪さ』1930年
19頁:
《人は通常、倫理的な要求が最初にあり、欲動の断念がその結果として生まれる
と考えがちである。し かし、それでは、倫理性の由来が不明なままである。実際
には、その反対に進行するように思われる。最初の欲動の断念は、外部の力によ
って強制されたものであり、欲動の断念が初めて倫理性を生み出し、これが良心
というかたちで表現され、欲動の断念をさらに求めるのである》
(「マゾヒズムの経済的問 題」)1924年『フロイト全集18』岩波)。本来は2で引用。
110頁:(131頁:)
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html
《自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざる をえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗 させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込 むのである。》
(カント全集14『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。
116~7頁:
http://shigemoto.blog105.fc2.com/blog-entry-220.html
《あと二つの点について...知性の声はか細い。しかしこの声は誰かに聞き取られえるまでは止むことがない。...無限の彼方にあるのではないようだ。》
(フロイト「ある錯覚の未来」全集20-61)
《ここでは次の二つの点を指摘しておくにとどめたい。第一に、わたしの見解の根拠の弱さが、反論する側の根拠の正しさを強めるわけではないということだ。反 論する側は、すでに失われたものを弁護している。たしかにわたしたちは、人間の知性の力は、欲動の生の力と比較すると弱いものだと、繰り返し強調してきた し、それは正しい主張なのである。しかしこの知性の〈弱さ〉には、ある特別な要素があるのだ。知性の声はか細いが、聞きとどけられるまでは、黙すことはないのである。繰り返して拒否されても、やがて聞きとどけられるものなのだ。そこに人類の将来について楽観できる数少ない理由の一つがある。
これは取るに足らぬ根拠ではない。そこにはもっと別の期待を寄せることができるからだ。知性の優位が実現するのは、はるか遠い未来のことかもしれないが、 無限に遠い先のことではないだろう。そしてこの知性の優位が目的とするのは、キリスト教の神に期待するものと異なるものではないのである──もちろん宗教 的にではなく、人間にふさわしい形で、外的な現実が、運命が許すかぎりにおいてということだが。》
(フロイト『幻想の未来』(1927)中山元訳、別訳)
117頁:
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html 2015.12
《文化的な態度と、将来の戦争が及ぼす影響に対する当然の不安、これら二つの契機が働いて、近いうちに戦争遂 行に終止符が打たれるであろうというのは、ひょっとすれば単にユートピア的な希望ではないかもしれません。どのような道を経て、あるいは回り道を経てそれ が実現するのかは、私たちは推し量ることができません。にもかかわらず、文化の発展を促すものはすべて、戦争に立ち向かうことにもなるのだといえます。》
(フロイト「戦争はなぜに」、『フロイト全集20』岩波書店)
130頁:
商業、カント永遠平和
第一補説
永遠平和の保証について
この保証を与えるのは、偉大な技巧家である自然(諸物の巧みな造り手である自然natura daedala rerum*)にほかならない。…
3… 《商業精神は、戦争とは両立できないが、おそかれ早かれあらゆる民族を支配するようになるのは、この商業精神である。つまり国家権力の下にあるあらゆる力 (手段)のなかで、金力こそはもっとも信頼できる力であろうから、そこで諸国家は、自分自身が(もとより道徳性の動機によるのではないが)高貴な平和を促 進するように強いられ、また世界のどこででも戦争が勃発する恐れがあるときは、あたかもそのために恒久的な連合が結ばれているかのように、調停によって戦 争を防止するように強いられている、と考えるのである。実際、戦争にむけての大合同は、事柄の本性から見てきわめてまれにしか生じないし、それが成功する のはさらにまれだからである。このような仕方で、自然は人間の傾向そのものにそなわる機構を通じて、永遠平和を保証する。なるほどこの保証は、永遠平和の 到来を(理論的に)予言するのに十分な確実さはもたないけれども、しかし実践的見地では十分な確実さをもち、この(たんに空想的ではない)目的にむかって 努力することをわれわれに義務づけるのである。》(カント『永遠平和について』第一補説 3「永遠平和の保証について」岩波文庫より)
131頁:
http://www.iwanami.co.jp/shiso/1100/kotoba.html
《自然は人間を、戦争をとおして、また戦争へ向けてのけっして縮小されない過度の軍備、さらにまったく平和状態にある国家でさえも結局はそれぞれ内心抱かざる をえない苦境をとおして、最初は不十分ながらいろいろな試みをさせるが、最終的には、多くの荒廃や国家の転覆を経て、さらに国力をことごとく内部から消耗 させた後に、これほど多くの悲惨な経験をしなくても理性ならば告げることのできたこと、つまり野蛮人の無法状態から抜け出して国際連盟を結ぶ方向へ追い込 むのである。ここで国家はすべて、最小の国家でさえも、自国の軍隊や自国の法律上の判決からではなく、もっぱらこの大きな国際連盟(アンフィクチオン同盟 Foedus Amphictyonum)すなわち統一された権力と統一された意志の法に則った決断から、自国の安全と権利を期待することができる。》(カント全集14 『世界市民的見地における普遍史の理念』もしくは『普遍史』一七八四年,第七命題)。
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201604
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精神分析入門(下)
フロイト, 高橋義孝 & 下坂幸三
カテゴリ: 小説/文学
iBooks
2016年6月第1週号
いつもDLmarketをご利用いただきありがとうございます。
DLmarket店長の【えるま】です♪
6月に入り、2016年の上半期もあとひと月を切りました。
ついこの間2016年を迎えたかと思っていたら、
もうこの時期になり、時の流れは早くて残酷なものです。
年を重ねると時の流れが早く感じられるのは心理学的にも研究されており、
この心理現象は「ジャネの法則」と呼ばれています。19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、その甥の心理学者・ピエール・ジャネが著作で紹介した法則です。
この法則によれば、生涯のある時期における時間の心理的な長さは、年齢に反比例するそうです。例えば、50歳の人間には1年の長さは人生の50分の1ほどですが、5歳の人間にとっては5分の1に相当します。
つまり、50歳の人間にとっての10年間は、5歳の人間にとっての1年間に当たるということです。そう思うと、少し恐ろしさすらも覚えます。
時の流れが早く感じられるのは、年を重ねるにつれて毎日の生活に新鮮味が感じられなくなるのが原因と言われています。ということはつまり、常に新しい経験を積んでいくことが(心理的な)時間の流れを遅らせてくれるのです。
時間が早いと感じている方は、これを機に新しいことにチャレンジしてみてはどうでしょうか。資格取得のために勉強を始めるというのもアリですよ。
本日のお知らせはこちらです。
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1.楽しみながら棋力UP!~囲碁特集~
2.公開中のおすすめ特集ご紹介
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ポールとピエール、ジャネの法則の謎 : 関本洋司のブログ
http://yojiseki.exblog.jp/4946359/
「ジャネの法則(Janet's law)」または「ジャネーの法則」というものがあって、それは「人が感じる時間の長さは、自らの年齢に反比例する」というものです。
この法則それ自体は僕個人の経験からも納得できるから謎でもなんでもありませんが、出典がなかなかわからなかったことが「謎」としてずっと気にかかっていました。
ネット上で「ジャネの法則」の「ジャネ」が、心理学者のピエール・ジャネ(Pierre Janet、1859-1947)のことだという人もいるし、その叔父さんの哲学者ポール・ジャネ( Paul Janet 、1823-1899)のことだという記事もあったからです。日本ではテレビで紹介されて有名になったようですが出典はどのサイトにも正確に紹介されてはいませんでした。
結論から言うと、ピエールが書いた本(『記憶の進化と時間観念L'évolution de la mémoire et la notion du temps』1928)で展開された時間論の中で叔父ポールの説(1876年か1878年に出版されたことは明記されているも正確な出典は未検証)だとして紹介されたものだということがわかりました(フランス語版wikipediaによれば、ポールの書籍もデータ化されているようなので、出典の正確なタイトルも今後の課題として調べていきたいです。以下はデータ化された書籍の一例↓)。
http://gallica.bnf.fr/ark:/12148/CadresFenetre?O=NUMM-77814&M=tdm
参考サイト:http://fr.wikipedia.org/wiki/Paul_Janet
正確にはポールの説ですが、ジャネ(ピエール)がジャネ(ポール)の説として紹介して有名になったのだから、「ジャネの法則」のジャネはどっちのジャネでも正解だということになるでしょう。
まるでパゾリーニの言う「自由間接話法」ですが、これによってフロイトより先に無意識を発見したというピエール・ジャネへの興味が一段と大きくなりました。ピエールは「人格」やそれを束ねる「心的エネルギー」を重視し、フロイトのような歴史的時間軸や性的トラウマを必要以上に重視しなかった人です。ベルグソンなどにも引用されたその時間論は以下で後半部を読むことが出来ます(ジャネの法則が開示されるのは以下のサイトでは53ページ)。
http://classiques.uqac.ca/classiques/janet_pierre/evolution_memoire_temps/janet_memoire_temps.pdf
僕はbabelfishの翻訳サイトとyahoo翻訳サービスを駆使して読み取りましたが、ドッグイヤー?などとも言われるウェブ上の体感時間などにも応用可能な理論で、翻訳が待たれます。
参考:
哲学者ポール・ジャネ(Paul Janet 1823 - 1899)↓。
ポールの甥の心理学者ピエール・ジャネ(Pierre Janet 1859-1947)、十七歳の時(1876)↓。
晩年の心理学者ピエール・ジャネ(Pierre Janet)↓。
////以下、自動翻訳を使った翻訳プロセスです/////
p53の原文は以下、
「On a essayé bien des systèmes polir expliquer la mesure du temps. Il y a déjà bien
dès années (1876 ou 1878) a paru un article du philosophe Paul Janet, qui a eu sa
petite heure de célébrité. Son explication était très ingénieuse et amusante. Il prétend
que le présent, le temps que nous vivons, est toujours apprécié par rapport au reste de
notre vie. Quand nous sommes un enfant de dix ans, une année de notre vie est le
dixième de la vie. Le dixième, c'est une partie importante de la vie ; par conséquent,
pour l'enfant de dix ans, une année, c'est très long. Quand nous avons vécu soixante
ans et plus, une année n'est plus que la soixantième partie de notre vie ; c'est tout
petit, beaucoup plus petit que le dixième. C'est pour cela que les gens qui vieillissent
trouvent que l'année est courte. Cette explication ne tient pas devant les faits patho-
logiques où les choses varient indéfiniment. 」
これを、http://babelfish.altavista.com/ で自動翻訳すると、
「One tried many systems to polish to explain the measurement of time. There is already well as of years (1876 or 1878) appeared an article of the philosopher Paul Janet, who had his small hour of celebrity. Its explanation was very clever and amusing. It claims that the present, time that we live, is always appreciated compared to the remainder of our life. When we are a ten year old child, one year of our life is the tenth of the life. The tenth, it is a great part of the life; consequently, for the ten year old child, one year, it is very long. When we lived sixty years and more, one year is nothing any more but the sixtieth part of our life; it is very small, much smaller than the tenth. It is for that which people who age find that the year is short. This explanation does not hold in front of the logical facts patho- where the things vary indefinitely.」
となり、これをさらにhttp://honyaku.yahoo.co.jp/ で自動翻訳すると以下になりました。
「人は、時間の測定値を説明するために、光沢剤に多くのシステムをためしました。井戸がすでに、年(1876または1878)で哲学者P・ジャネの記事のように見えたので、あります。そして、その人は有名人の彼の小さな時間を持ちました。その説明は非常に賢くて、面白かったです。それは、現在(我々が生きるという時)が我々の人生の残りと比較して常に有り難いと主張します。我々が10才の子供であるとき、我々の人生の1年は生命の第10です。第10、それは生命の大きな部分です;従って、10才の子供のために、1年、それは非常に長いです。我々が生きたとき、60年と、より、1年はよりこれ以上の何も、しかし、我々の人生の第60の一部です;それは非常に小さいです。そして、第10より非常に小さいです。年をとるどの人々が年が短いとわかるかは、それのためです。この説明は、ものが無期限に異なる論理的事実patho-の前で、保ちません。」
ついでに、google翻訳サイト、http://www.google.co.jp/language_tools?hl=jaだと、
「1つは磨くように多くのシステムを説明するために試みた 時間の測定。 年現在によく既にある (1876年か1878年)哲学者の記事は出た 名声の彼の小さい時間を過したポールジャネット。 その 説明は非常に利発、面白かった。 私達が住んでいること現在、時間が、常に認められることを主張する 私達の生命の残りと比較される。 私達が10年の古い子供のとき、1年間の私達の生命は生命の第10である。 第10のそれは生命の大部分である; 従って、10年の古い子供のため、1年、それは非常に長いである。 私達が60年およびもっと住んでいたときに、1年は何ももうしかし私達の生命の第60部分でない; それは非常に小さい、第10より大いに小さい。 それはそれのため年は短いこと年齢の発見かだれにである民を住まわせる。 この説明は論理的な事実のpatho-の前に事がどこに不明確に変わるか保持しない。」
うーん、自分で辞書を引いた方が早いかも。
《超自我の発生史の教えるところでは、自我とエスの対象備給との早期の葛藤が、その対象備給の遺産である超自我との葛藤として受け継がれることがありうる。もし自我がエディプス・コンプレクスを支配するのに成功しなかったならば、エスに由来するコンプレクスのエネルギー備給は、ふたたび自我理想の反動形成となって作用するだろう。この理想とこの無意識的な衝動興奮とのおびただしい交通は、理想自身が大部分は無意識であり、自我に通じることができないままでいるという謎を解くであろう。深層で荒れ狂い、すみやかな昇華作用と同一視によって終りにならなかった戦いは、フン族の戦闘を描いたカウルバハの絵のように、より高い領域でつづいている。》
(フロイト著作者6,284頁)図は273頁
1834~7カウルバッハ、フン族
1846ドイツイデオロギー
1923フロイト自我とエス
参照:フロイト「自我とエス」1923『自我論集』p244,#3(/5)ラスト
図は1/5
高田珠樹はフロイトの翻訳もやっているから、フロイトからの影響がある
能動性の獲得を急ぐことは精神分析的には危険だ
http://yokato41.blogspot.jp/2014/05/bemachtigungstrieb_23.html
…子供は体験の受動性から遊戯の能動性に移行することによって、遊び仲間に自分の
体験した不快を加え、そして、この代理のものに復讐するのである。
(フロイト『快感原則の彼岸』p156-158 人文書院旧訳)
http://yokato41.blogspot.jp/2014/05/bemachtigungstrieb_23.html
子供は体験の受動性から遊戯の能動性に移行することによって、遊び仲間に自分の体験した不快を加え、そして、この代理のものに復讐するのである。(フロイト『快感原則の彼岸』p156-158 人文書院旧訳)
こうなれば遊戯の意味は、ほぼ解かれたもおなじである。それは子供のみごとな躾の効果と関係があった。つまり母親が立ち去るのを、さからわずにゆるすという欲動断念(欲動満足に関する断念)を子供がなしとげたことと関係があった。子どもは自分の手のとどくもので、同じ消失と再来を上演してみて、それでいわば欲動断念を埋め合わせたのである。この遊戯を情動の面から評価するさい、子供がみずから案出したのか、それとも何かに誘発Anregungされてわがものにしたのかは、むろん問題ではない。われわれの関心は、他の一点にむけられるであろう。母親の出発Fortgehenは、子供にとって好ましかったはずはなく、またどうでもよかったこととも考えられない以上、子供が苦痛な体験を遊戯として反復することは、どうして快感原則に一致するのであろうか。出発はよろこばしい再出現の前提条件として演じられるのに相違なく、再出現にこそ本来の遊戯の目的があったはずだ、と答えたくなるかもしれない。しかし、最初の行為、つまり出発が単独で遊戯になって演出され、しかもそれが、快い結果にみちびく完全形よりも、比較にならないほどたびたび演じられたという観察は、その答に矛盾することになるだろう。
このようなただ一つだけの場合の分析から、確実な結論はみちびけない。しかし、偏見なしに観察すれば、子供は別な動機から自分の体験を遊戯にしたてたのだという印象をうける。子供はこの場合、受け身だったのであって、いわば体験に襲われたのであるが、いまや能動的な役割に身を置いて、体験が不快であったにもかかわらず、これを遊戯として反復しているのである。この志向は、記憶そのものが快に充ちていたかどうかには関わりのない、征服Bemaechtigung欲動に帰することもできるかもしれない。しかしまた、別の解釈を試みることもできる。見えなくなるように、物を投げすてることは、子供〈のもと〉から出発fortgehenした母親にたいする、日ごろは禁圧された復讐欲動の満足でもありうる。さあ、出発fortgehenしろよ、お母さんなんかいらない、ぼくがお母さんをあっちへやっちゃうんだ、という反抗的な意味をもっているのかも知れないのだ。(……)ここで論議されたいくつかの例では、この衝迫が不愉快unangenehmな印象を遊戯のなかに反復したのは、この反復に、種類がちがってはいるが、ある直接的な快獲得が結びついているからでしかないかもしれないからである。
(……)子供たちは、生活のうちにあって強い印象をあたえたものを、すべて遊戯の中で反復すること、それによって印象の強さをしずめて、いわば、その場面の支配者になることは、明らかである。しかしこの反面、彼らの遊戯のすべてが、この彼らの年代を支配している願望、つまり大きくなりたい、大人のようにふるまいたいという願望の影響下にあることも充分に明白である。また、体験が不快だからといって、その不快という性格のせいで、体験を遊戯に利用できなくなるとはかぎらないことも観察されている。たとえば医者が子供の喉の中をのぞきこんだり、ちょっとした手術を加えたりすると、この恐ろしい体験は確実にすぐあとの遊戯の内容になるであろうが、そのさい他の理由から快感を獲得することも見落とすわけにはいかない。子供は体験の受動性から遊戯の能動性に移行することによって、遊び仲間に自分の体験した不快を加え、そして、この代理のものに復讐するのである。(フロイト『快感原則の彼岸』p156-158 人文書院旧訳)
《第一章 欲望機械
第一節 欲望的生産
〈それ(エス)〉はいたるところで機能している。中断することなく、あるいは断続的に。〈それ〉は
呼吸し、過熱し、食べる。〈それ〉は排便し、愛撫する。〈それ〉と呼んでしまったことは、
何という誤謬だろう。いたるところに機械があるのだ。決して隠喩的な意味でいうのではない。
連結や接続をともなう様々な機械の機械がある。〈器官機械〉が〈源泉機械〉につながれる。
ある機械は流れを発生させ、別の機械は流れを切断する。乳房はミルクを生産する機械であり、
口はこの機械に連結される機械である。》AO冒頭より
ちなみにエスはドイツ語で非人称の主語「それ」のこと。諸説あるがフロイトがグロデック
経由でニーチェから借りた言葉と言われる。グロデック著『エスとの対話』邦訳の解説(284頁)
でニーチェの言葉が引用されている。
「論理学者たちの迷信に関して言えば、私はこれらの迷信家たちが承認したがらないひとつの
小さな簡短な事実を何度でも繰り返し強調しようーーひとつの思想というものは「それ es」
が欲するときにやって来るもので、「われ ich」が欲するときにやって来るのではない、と。」
(『善悪の彼岸』第17節より)
後にフロイトはインタビューでニーチェへの親近感を語っている(下記の他に、記憶がなければ
永劫回帰に意味はない、とも語っているが)。
「ニーチェは最初の精神分析者の一人です。彼の直感がどれほどわれわれの発見を先取りしてい
たかは驚異的です。それまで誰も人間行動の二重の動機と,終わりのない支配に執着する快感
原則を彼以上に深く認識していませんでした。ツァラトゥストラは言います。
//苦しみは/泣き叫ぶ、なくなれ、と/だが、快楽は永遠を求める/消えない,永遠を」
(文芸春秋『インタヴューズ1』邦訳単行本版382頁より)
[Freud in an interview with G.S. Viereck, 1926]
http://www.psychanalyse.lu/articles/FreudInterview.pdf p.6
Nietzsche was one of the first psychoanalysts. It is amazing to what extent his intuition foreshadows our discoveries. No one has recognized more profoundly the dual motives of human conduct, and the insistence of the pleasure principle upon unending sway. His Zarathustra says:
Woe
Crieth: Go!
But Pleasure craves eternity
Craves quenchless, deep eternity.
「精神分析の作業で確認された二、三の性格類型」(一九一六年)の段階ではフロイトはニーチェに詳しくない。
《…子供たちは「悪い子」になって、おしおきをみずから招いておいて、罰せられると心が穏やかになって満足することがある。…
後になってある友人から、ニーチェもまた「罪責感から罪を犯す者」について検討していたことを教えられた。たしかに『ツァラトゥストラ』の「蒼ざめた犯罪者」の節を読むと、罪責感が犯罪以前に存在することや、罪責感を合理化するために犯罪を犯すことについて読み取れないことはない。犯罪者のうちのどの程度の者が、こうした「蒼ざめた」犯罪者に分類できるかは、将来の研究に待たねばならない。■》
エス:
《〈それ(エス)〉はいたるところで機能している。中断することなく、あるいは断続的に。〈それ〉は
呼吸し、過熱し、食べる。〈それ〉は排便し、愛撫する。〈それ〉と呼んでしまったことは、
何という誤謬だろう。いたるところに機械があるのだ。決して隠喩的な意味でいうのではない。
連結や接続をともなう様々な機械の機械がある。〈器官機械〉が〈源泉機械〉につながれる。
ある機械は流れを発生させ、別の機械は流れを切断する。乳房はミルクを生産する機械であり、
口はこの機械に連結される機械である。》AO冒頭より
周知のようにエスはドイツ語で非人称の主語「それ」のこと。諸説あるがフロイトがグロデック
経由でニーチェから借りた言葉と言われる(グロデック著『エスとの対話』邦訳解説参照)。
《論理学者たちの迷信に関して言えば、私はこれらの迷信家たちが承認したがらないひとつの
小さな簡短な事実を何度でも繰り返し強調しようーーひとつの思想というものは「それ es」
が欲するときにやって来るもので、「われ ich」が欲するときにやって来るのではない、と。》
(ニーチェ『善悪の彼岸』第17節より)
1926年、フロイトはインタビューでニーチェへの親近感を語っている。
《ニーチェは最初の精神分析者の一人です。彼の直感がどれほどわれわれの発見を先取りしてい
たかは驚異的です。それまで誰も人間行動の二重の動機と,終わりのない支配に執着する快感
原則を彼以上に深く認識していませんでした。ツァラトゥストラは言います。
//苦しみは/泣き叫ぶ、なくなれ、と/だが、快楽は永遠を求める/消えない,永遠を》
(文芸春秋『インタヴューズ1』邦訳単行本版382頁より)
[Freud in an interview with G.S. Viereck, 1926]
http://www.psychanalyse.lu/articles/FreudInterview.pdf p.6
《Nietzsche was one of the first psychoanalysts. It is amazing to what extent his intuition
foreshadows our discoveries. No one has recognized more profoundly the dual motives
of human conduct, and the insistence of the pleasure principle upon unending sway.
His Zarathustra says:
Woe
Crieth: Go!
But Pleasure craves eternity
Craves quenchless, deep eternity. 》
精神分析の作業で確認された二、三の性格類型(一九一六年)の段階ではフロイトはニーチェに詳しくない。
《…子供たちは「悪い子」になって、おしおきをみずから招いておいて、罰せられると心が穏やかになって満足することがある。…
後になってある友人から、ニーチェもまた「罪責感から罪を犯す者」について検討していたことを教えられた。たしかに『ツァラトゥストラ』の「蒼ざめた犯罪者」の節を読むと、罪責感が犯罪以前に存在することや、罪責感を合理化するために犯罪を犯すことについて読み取れないことはない。犯罪者のうちのどの程度の者が、こうした「蒼ざめた」犯罪者に分類できるかは、将来の研究に待たねばならない。■》
無生物に生命をあたえることを正当化して、すでにヒュームはその著「宗教の自然
史」において次のように書いている。「すベての存在を自分自身と同じもののように考え、自分が親しく知っていて内心で意
識している性質を、すベての対象に移すというー般的傾向が人間間には存在している」
*ヴント前掲書、一五四頁。
**タイラー『原始文化』第一巻、四七七頁による。
フロイト著作集3:212頁
トーテムとタブー1912~3
無生物に生命をあたえることを正当化して、すでにヒュームはその著「宗教の自然
史」において次のように書いている。「すベての存在を自分自身と同じもののように考え、自分が親しく知っていて内心で意
識している性質を、すベての対象に移すというー般的傾向が人間間には存在している」**
**タイラー『原始文化』第一巻、四七七頁による。
フロイト著作集3:212頁
トーテムとタブー1912~3
フロイトはトーテムとタブー3:1でヒュームに言及している
in his Natural History of Religions, where he said: “There is a universal tendency among mankind to conceive all beings like themselves and to transfer to every object those qualities with which they are familiarly acquainted and of which they are intimately conscious”[95].
1757 David Hume - The Natural History of Religion ヒューム『宗教の自然史』 ... 1913 Sigmund Freud - Totem and Taboo フロイト『トーテムとタブー』. 1912 Émile Durkheim - The Elementary Forms of Religious Life デュルケム『宗教 ...
《無生物に生命をあたえることを正当化して、すでにヒュームはその著「宗教の自然史」において次のように
書いている。「すベての存在を自分自身と同じもののように考え、自分が親しく知っていて内心で意識して
いる性質を、すベての対象に移すというー般的傾向が人間間には存在している**」》
**タイラー『原始文化』第一巻、四七七頁による。
フロイト著作集3:212頁
トーテムとタブー#3:1,1912~3
千葉雅也 Masaya CHIBA ?@masayachiba 17時間
今日、アドラー心理学をベースにした対話篇『嫌われる勇気』、ベストセラーだけど、読んでみて、おもしろかった。
フロイト的に過去のトラウマを「原因」とする考えを決定論であるとして退けているのは間違いだと思うけど、むしろ部分的に、精神分析過程で起こることに対応するテーマがある。
『嫌われる勇気』っていう本で「嫌われる」(部分的にそういうことがあってもよしとする)というテーマは一要素にすぎず、僕が重要と思ったのは「課題の分離」というテーマ。
他人には他人の課題があり、自分には自分の課題があり、ごちゃごちゃに考えないという話。これは僕の切断論と共鳴する。
アドラー的には、承認欲求に(無意識裡に)こだわるのをやめて、不完全な自分でよしとし、自分なりに先に進むよう勇気づけるのだけど、問題は、
そう簡単に承認欲求=他者関係へのこんがらがった意味づけを捨てられないことでしょう。『嫌われる勇気』は、その方法を曖昧にしているのがよくない。
アドラー心理学を実際自分に身につけるには、それまでの人生の半分の年数がさらにかかるとも言われている、なんていう曖昧なことが書かれているのだけど、おそらくその長期間に行われるのは、
他者への諸関係をめぐる自己分析=コンプレクスの解きほぐしで、これに時間がかかるということだと思う。
根本的な疑問として、承認欲求って全廃できると思わないし(それは「悟り」でしょうけど)、また全廃すべきとも思わないな。
おそらく精神分析の場合は、承認欲求にがんじがらめになることからの解放がアドラー同様に行われるけど、承認欲求ナシにはできないことへの折り合い、もテーマになる。
精神分析実践は各々の人生で多様なのだから一般的なゴールはない、と言われるけど、連想分析の途中で出てくる課題はしばしば、自己啓発系の本の様々なスローガンと似てたりする。
自己啓発本のまずい点は、そうしたスローガンを(連想分析なしで)いきなり実践できるかのように見せているところ。
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手続き記憶
手続き記憶(Procedural memory)とは長期記憶の一種で、技能や手続き、ノウハウ(手続き的知識)を保持するもの。手続き的記憶あるいは非陳述記憶とも。他にも「技能記憶」、「連合記憶」といった名称もある。
概要 編集
手続き記憶は簡単には言葉で説明できないことが多く、意識しなくとも使うことができる。いわゆる「体が覚えている」状態である。手続き記憶は、時間をかけて学習した刺激応答などのパターンを反映することができる。一方、宣言的記憶は言葉にするのが容易である。手続き学習の例として、自転車の乗り方の練習、タイピングの練習、楽器の練習、水泳の練習がある。手続き記憶は永続性がある場合もある。
脳に特定の障害を負った人々(例えば海馬に傷を負った人)を研究した結果、手続き記憶とエピソード記憶は脳の中の異なった部位を使用しており、独立して機能していることが示唆された。例えばある患者は、作業の訓練を受けると過去の訓練内容は覚えているが、作業を改善することができない。他の患者に同じ訓練を施すと、訓練内容を思い出せないのだが、作業をさせると改善されている(手続き記憶は機能しているが、宣言的記憶が損傷している)。
関連項目
「シュレーバー症例論」(1911)は、心的エネルギーとしてのリビドー一元論へ移行するユングと、最終的に生の衝動、死の衝動という二元論を確立するフロイトの分岐点である。
フロイトとマーラー | みゆきクリニック
https://mental.or.jp/column/フロイトとマーラー
映画 「マーラー・君に捧げるアダージョ」 を観てきました。
天才作曲家グスタフ・マーラーのセルフィッシュな素顔と、妻の不貞に苦悩する姿、美貌と才能に恵まれたマーラーの若き妻アルマの、不倫と天才に仕える者の苦悩、そしてマーラーが救いを求めて精神分析医フロイトの元を訪れ治療を受ける3つの主題を軸に、マーラーの亡くなる前年の、晩年が描かれています。
ドイツ語の原題は「カウチの上のマーラー」カウチとは、精神分析で使用する寝椅子のことです。
マーラーがフロイトの治療を受けたのは1910年ですが、映画では前額法が用いられていましたが、この時期のフロイトは前額法をやめ、自由連想法に切り替えていたはずですので、映画の資料に問題があったのかどうか分かりませんが、それ以外のところは大体史実に忠実に描かれていた様に思います。
フロイトはマーラーと、診察室ではなく、ホテルで会います。
フロイトはシチリア旅行を切り上げて、忙しいマーラーの公演スケジュールに合わせて、マーラーの滞在先を訪れ、時間を作りますが、マーラーは2度もフロイトとの約束を直前でキャンセルしたばかりか、3度目も逃げ出そうとし、フロイトが追いかけ、強引に治療に引きずり込みます。
フロイトは葉巻をひっきりなしに吸い続けながら、マーラーに心の深淵をのぞく様、乱暴に、執拗にたたみかけます。
耐えきれずにマーラーは部屋を飛び出しますが、深夜戻って来て治療を再開します。
切羽詰まっていたとは言え、短時間で立て直して治療に戻ってくるあたりは、天才の持つ、常人を越えた自我の強さを示していると言えるのでしょう。
映画の中のフロイトは、現代の精神分析のある種体系化された治療技法から見ると、とても稚拙で、お話にならない位、技術的には未熟です。
精神分析医は、1日に同じ患者と何時間も会ったり、一緒に食事をしたり、同じ列車のコンパートメントに乗ったり、自分の家族のことや個人的なことを話したりはしません。映画を見た人に、これが精神分析だと思われたら困るな、と思う様な態度ややりとりばかりです。
もし現代において、同じようなことを若い精神分析を志す医師が行ったとしたら、彼は先輩の上級医師から集中砲火を浴びて、立ち直れない位批判されたでしょう。
精神分析はフロイトが創始したものですが、理論や技法が体系化されたのはむしろフロイト以後ですので、フロイト自身が、精神分析の初心者だったのです。
しかし・・・、患者さんに対しては絶対に行ってはならないことの連続ですが、専門領域は違うけれども、同時代を生きた二人の天才の出会いとして見ると、この映画はまた違った趣を持って胸に迫ってきます。
野戦病院で、消毒も麻酔も十分ではない状況で無理やり行った手術の様な、非常に乱暴な治療ではありましたが、結果的にマーラーは救われます。
どう、救われたのでしょう・・・?
妻・アルマの気持ちが既に離れていることに変わりはなく、マーラーの辛い苦しい状況は、何ら変わっていないのに・・・?
マーラーの「心のあり様」が変わったのです。
妻の心は既に自分から離れている、しかし不貞があったとしても、許せるかどうかなどということではなく、何があったとしても自分の人生からアルマを失うことは出来ない・・・もし起こりうる最大の悲劇があるとしたら、妻を失うことにある・・・そのことにマーラーが気付き、二人の関係性を見つめ直した、苦しい状況に変わりは無くても、その気付きが、マーラーを救ったのでしょう。
フロイトとマーラーの言語的なやり取りは、強引で乱暴なものに終始していたにも関わらず、何故マーラーは短期間の治療で、その様な「心のあり様」が数段高い所へ登ることができたのでしょう・・・?
そこに、言葉の上では表現されてはいないけれども、二人の天才の無意識的コミュニケーションというべき、魂の語らい、の様なものを想像してみます。
私は「魂」とか「スピリチュアル」という言葉が嫌いで、魂とかスピリチュアルと言っただけで、何か崇高なものであるかの様に錯覚している人たちの考え方にはどうしても馴染めず、これらはギリギリまで使いたくない言葉の一つですが、しかし、それでも、他に表現の仕様がない、これ以外に適当な言葉が見つからない…そういう場合があります。
フロイトとマーラーの関係が、恐らく、そうなのでしょう・・・。
乱暴な治療にも関わらず、マーラーが不幸の中にも心の安定を見出すことが出来たのは、言語や時空を越えた何かが作用していたはずです。
フロイトは、言葉ではなく、魂の交流で、マーラーを変えたのでしょう。
そして恐らくフロイトは、終生、魂の治療を続けたのでしょう。
フロイトと出会った人は、どんな出会い方をしたにせよ、好むと好まざるとに関わらず、大きな影響を受けずにはいられなかった、と言われています。
人によっては心の色彩が変わる程の、体験だったのでしょう。
フロイトとマーラーの間に、どのような無意識的コミュニケーションがあったのか、それは誰にも分かりません。
フロイトとマーラー自身、それをどれほど自覚していたのかすら、分かりません。
稀有な天賦の才能が出会い、短時間で人生を変える程の魂の交流があった・・・結果として言えるのは、それだけです。
フロイトは、魂とかミステイックなものを遠ざけ、その様な世界に向かおうとするユングを厳しく戒め、とうとう破門してしまいました。
その為にユングは、精神病状態にまで陥っています。
「天空に飛翔するのはたやすい、しかし勇気を持って地上にとどまれ」とはフロイトの有名な言葉ですが、フロイトは言語表現にこだわり、安易に「魂」などと言う定義不能なものを学問に取り入れることを、嫌いました。
しかし、誰よりもフロイトは、魂の仕事を、していたのでしょう。
誰よりもその能力が優れていたからこそ、その力を恐れたのでしょう。
芸術家は天賦の才能に恵まれているとはいえ、神の啓示に形を与え、それを表現する、いわば自らの才能の従僕です。
マーラーは音楽と言う表現で、フロイトは言葉と言う表現で、自らの才能に仕えたのでしょう。
私の恩師の小此木啓吾先生は古澤平作先生に師事し、古澤平作先生はフロイトに師事しました。
だから私はフロイトの曾孫弟子にあたる・・・ということが、私の密かな誇りです。
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芸術と精神病はいつもとなりあわせ - 鉄割アルバトロスケット
www.tetsuwari.com/bdiary/show/2905
芸術と精神病はいつも隣あわせ」 マーラーの交響曲第5番を聴いていたらこの言葉をおもいだしました。 なぜ当てはまるのかと言いますと、聴いていると僕が精神的においこまれていた状態の精神と曲想が似ているので、当時の精神状態をおもいだすからです。 ああ、こんな感じだったなみたいな。 マーラーも分裂気質でフロイトに強迫神経症の診断をうけていますし。 ブルックナーも統合失調症の軽いのにかかっていたと言う情報もありますし。本当かなあ。
フロイトとマーラー | みゆきクリニック
mental.or.jp/column/フロイトとマーラー
映画 「マーラー・君に捧げるアダージョ」 を観てきました。 天才作曲家グスタフ・マーラー のセルフィッシュな素顔と、妻の不貞に苦悩する姿、美貌と才能に恵まれたマーラーの若き妻アルマの、不倫と天才に仕える者の苦悩、そしてマーラーが救いを求めて精神分析医フロイトの元を訪れ治療を受ける3つの主題を軸に、マーラーの亡くなる前年の、 晩年が描かれています。 ドイツ語の原題は「カウチの上のマーラー」カウチとは、精神分析で使用する寝椅子のことです。 マーラーがフロイトの治療を受けたのは1910年ですが、映画 ...
マーラーを治療するフロイト: 精神分析 Psychoanalysis
winnicott.cocolog-nifty.com/psychoanalysis3/.../post-0c63.ht...
フロイトと出会うマーラー. 映画『マーラー:君に捧げるアダージョ』(⇒マーラー 君に捧げるアダージョ コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD] )の原題は、「カウチの上のマーラー」である。マーラーはそもそもフロイトに出会うことも、そしてカウチの上に横になることに抵抗があったらしいので、この表現は精神分析されるマーラーという意味でのメタファーだ。ご存知の方も多いかもしれないが、マーラーの映画は件・ラッセルが監督した『マーラー』(⇒マーラー [DVD] )があり、この映画もなかなか完成度の高い ...
グスタフ・マーラー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラー
この際クロード・ドビュッシーやポール・デュカスと会う。8月(50歳)、自ら精神分析医ジークムント・フロイトの診察を受け、18歳年下の妻が自分のそばにいることを一晩中確認せざるを得ない強迫症状と、崇高な旋律を作曲している最中に通俗的な音楽が浮かび、心が掻き乱されるという神経症状に悩まされていたが、フロイトによりそれが幼児体験によるものであるとの診断を受け、劇的な改善をみた。ここへきてようやく、 アルマへ彼女の作品出版を勧める。 9月12日にはミュンヘンで交響曲第8番を自らの指揮で初演し、大 ...
生涯-人物-指揮者として-主要作品
フロイト、マーラー、シュンペーターの共通点 | めちゃくちゃわかるよ経済学 ...
フロイトとマーラー | みゆきクリニック
mental.or.jp/column/フロイトとマーラー
映画 「マーラー・君に捧げるアダージョ」 を観てきました。 天才作曲家グスタフ・マーラー のセルフィッシュな素顔と、妻の不貞に苦悩する姿、美貌と才能に恵まれたマーラーの若き妻アルマの、不倫と天才に仕える者の苦悩、そしてマーラーが救いを求めて精神分析医フロイトの元を訪れ治療を受ける3つの主題を軸に、マーラーの亡くなる前年の、 晩年が描かれています。 ドイツ語の原題は「カウチの上のマーラー」カウチとは、精神分析で使用する寝椅子のことです。 マーラーがフロイトの治療を受けたのは1910年ですが、映画 ...
マーラーを治療するフロイト: 精神分析 Psychoanalysis
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フロイトと出会うマーラー. 映画『マーラー:君に捧げるアダージョ』(⇒マーラー 君に捧げるアダージョ コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD] )の原題は、「カウチの上のマーラー」である。マーラーはそもそもフロイトに出会うことも、そしてカウチの上に横になることに抵抗があったらしいので、この表現は精神分析されるマーラーという意味でのメタファーだ。ご存知の方も多いかもしれないが、マーラーの映画は件・ラッセルが監督した『マーラー』(⇒マーラー [DVD] )があり、この映画もなかなか完成度の高い ...
グスタフ・マーラー - Wikipedia
ja.wikipedia.org/wiki/グスタフ・マーラー
この際クロード・ドビュッシーやポール・デュカスと会う。8月(50歳)、自ら精神分析医ジークムント・フロイトの診察を受け、18歳年下の妻が自分のそばにいることを一晩中確認せざるを得ない強迫症状と、崇高な旋律を作曲している最中に通俗的な音楽が浮かび、心が掻き乱されるという神経症状に悩まされていたが、フロイトによりそれが幼児体験によるものであるとの診断を受け、劇的な改善をみた。ここへきてようやく、 アルマへ彼女の作品出版を勧める。 9月12日にはミュンヘンで交響曲第8番を自らの指揮で初演し、大 ...
生涯-人物-指揮者として-主要作品
フロイト、マーラー、シュンペーターの共通点 | めちゃくちゃわかるよ経済学 ...
Freud's Wizard: Ernest Jones and the Transformation of Psychoanalysis
https://books.google.co.jp/books?isbn...
Brenda Maddox - 2009 - プレビュー - 他の版
1910, McGuire, 343. “Mutterbindung'. An account of Mahler's analysis with Freud appears in J–II, 88–9, and also in Gustav Mahler, Letters to His Wife, ed. Henry-Louis de la Grange, Gunther Weiss and Knud Martner, rev. and trans. Antony Beaumont (London: Faber, 2004). “Feeling cheerful'. Gustav Mahler to Alma Mahler, 27 Aug. 1910, Ibid., 380. 'associate in psychiatry". EJ to SF, 6 Nov. 1910, Paskauskas ...
The Life of Mahler - 216 ページ
https://books.google.co.jp/books?isbn...
Peter Franklin - 1997 - プレビュー - 他の版
Mahler's 1910 visit to Freud, see Donald Mitchell's Introduction to the 1968 British edition of Alma Mahler: Memories, reprinted in the most recent, 1991, edition pp. xvii-xviii; for Alma's account of the visit and Mahler's rediscovery of her songs, see ibid., pp. 175-6. 11 Herta Blaukopf (ed.): Mahler's Unknown Letters, p. 88. The two books published by Paul Stefan in Munich in 1910 were Gustav Mahler: eine Studie fiber ...
Gustav Mahler: The Wunderhorn Years : Chronicles and Commentaries
https://books.google.co.jp/books?isbn...
Donald Mitchell - 1980 - 全文表示 - 他の版
49) has become something of a cliché and it is now almost obligatorily accompanied by a reference to Mahler's famous interview with Freud in 1910. Though this incident is common knowledge today, it may be of some interest to record here how the disclosure came to be made. I had always been intrigued by the reference to the meeting with Freud in Frau Mahler's first book (AM5, p. 175) and wrote to the late Dr. Ernest Jones ...
Gustav Mahler: The Wunderhorn Years : Chronicles and Commentaries
https://books.google.co.jp/books?isbn...
Donald Mitchell - 2005 - プレビュー - 他の版
49) has become something of a cliche and it is now almost obligatorily accompanied by a reference to Mahler's famous interview with Freud in 1910. Though this incident is common knowledge today, it may be of some interest to record here how the disclosure came to be made. I had always been intrigued by the reference to the meeting with Freud in Frau Mahler's first book (AM5, p. 175) and wrote to the late Dr. Ernest Jones ...
『マーラー 愛と苦悩の回想』と『グスタフ・マーラー 回想と手紙』の原書は同じもの(Gustav Mahler: Erinnerungen und Briefe)である。なお、『わが愛の遍歴』の原題は"Mein Leben"。
『わが愛の遍歴』(塚越敏、宮下啓三訳/筑摩書房/1963年)
『マーラー 愛と苦悩の回想』(石井宏訳/音楽之友社/1971年) ※1987年、中公文庫に収録された際に『グスタフ・マーラー 愛と苦悩の回想』と改題。
『グスタフ・マーラー 回想と手紙』(酒田健一訳/白水社/1973年) ※1999年に同社から復刊された際、『マーラーの思い出』と改題。
その他 編集
マーラー 君に捧げるアダージョ(プレビュー)
https://youtu.be/HzzoVDNbytE
マーラー 君に捧げるアダージョ(プレビュー)
https://youtu.be/HzzoVDNbytE
フロイト書簡1935
Reik宛にマーラーのライフに興味を持った旨
しかし、マーラーにしてみれば、精神の根底から揺りかえされたのであり、第十交響曲の草稿の余白に、私宛にほとばしり出たような言葉の断片を書きつけたのもその頃であった。彼は自分の送ってきた生活の中に、神経病者的なもののあることを自覚し、突然、ジークムント・フロイトに相談しようと思い立った(そのころフロイトはオランダのライ´アンに住んでいた)。彼がフロイトに自分の心の異様な状態と不安感とを説明すると、フロイトは鮮かに彼の精神を鎮静させてくれた。彼はマーラーの告白をきいて、激しく彼の誤りを責めたという。「どうしてあなたのような身分の方が若い女に一緒にいてくれと頼む気になるんですか」と彼は聞いた。彼の結論は以下のようだった。「私は君の奥さんを知っている。あの人は父親を愛しており、父親に似た人間だけしかえらばないし、愛さないのだ。あなたの年齢は、あなたはひじょうに恐れているようだが、実はあの人にとっては魅力のある年齢だ。だから心配することなどない。一方、あなたは自分の母親を愛している。それで、あらゆる女のうちに自分の母親のイメージを求めている。あなたのお母さんは、生活に疲れ、やつれ果てていた。あなたは無意識のうちに、自分の奥さんを同じ目に会わせたいと望んでいるのだ」
フロイトの言ったこの二つはともに当たっていた。グスタフ・マーラーの母の名はマリーといった。彼の最初の頃の衝動は、私の名前をマリーに変えようということだった。しかも彼はマリーのrの発音が不得意であったにもかかわらずなのである。さらに私を知るにつれ、私の顔がもっと「悩みを持っている」ほうがよいと言った。ある時彼が私の母に、私があまり苦労をしないで育ってきたのは残念なことだ、というと、母はこう答えた、「だいじょうぶよ――いまにそうなるから」と。
私も、求めるのは、小柄で、やせて、頭がよく、精神面の秀でた男性ばかりであった。それは、私が知っており、愛している私の父の面影なのである。
フロイトの診断は、マーラーの精神状態を整えることができた。もっとも当人は母に対する心理的な固定の件は認めようとしなかった。彼はその種のことには目を背けて認めようとしなかった。
第14章 夏ー1910年
マーラー
愛と苦悩の回想
アルマ・マーラー
中公文庫1987年
313~4頁
Mahler and Freud - rodoni.ch (Adobe PDF) -htmlで見る
https://www.rodoni.ch/busoni/neill/aggiunte/mahlerfreud.pdf
www.rodoni.ch/busoni/neill/aggiunte/mahlerfreud.pdf
psychoanalysis, surprised Freud by understanding it with remarkable speed. Perhaps Mahler, in his turn, was surprised by Freud's analysis of himself - as partial as it had to be in the peculiar circumstances of the interview. In a letter of 1935 to Theodor Reik, Freud wrote: "In highly interesting expeditions through [ Mahler's] life history, we discovered his personal conditions for love, especially his Holy Mary complex (mother fixation)".10. Mahler, his wife tells us, "refused to acknowledge" ...
71 名無しさん@お腹いっぱい。[???] 2021/07/20(火) 00:45:36.79 ID:RckPb+ms
心理学では相手を攻撃する際、”コンプレックスがあり、自分が言われたら最
も傷つく言葉で攻撃する”ことが明らかになっている。
つまり、>>70が”アタマが悪い”と連呼するということは・・・
16 考える名無しさん[sage] 2021/10/28(木) 02:29:53.54 ID:0
以下、フロイト「自己を語る」Vより
http://yamatake.chu.jp/01ana/14/post_4.html
《私は思弁のみに身を任せてしまったのではなく、逆に分析による資料を重視し、臨床的な技法的テーマを取り扱うことをやめなかった。私は哲学に近づくことは避け、大切な点ではフェヒナーに頼ることにしていた。》
以下、『夢判断』より
http://yamatake.chu.jp/01ana/2ana_b/1.html
《E 夢の心理学的な諸特異性
フェヒナーは、夢の舞台は覚醒時の表象生活の舞台とは別物だと主張している。》
以下、『快感原則の彼岸』より
《しかし目標に向かう傾向は、つねに目標が達成されることを意味しない。そもそも目標は近似的に達成されるにすぎない》
(『自我論集』「快感原則の彼岸」119頁)
フロイトが快楽原則の起源で引用したのは以下、
* Einige Ideen zur Schopfungs- und Entwickelungsgeschichte der Organismen (1873). Internet Archive (UMich)
『有機体の創造と発展の歴史のためのいくつかのアイデア』1873
参考
フェヒナーの法則は1860年『精神物理学原論』より先に1851年『ゼンド・アヴェスタ』に萌芽があった。
関連、岩渕輝論考:
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/17694/1/jinbunkagakukiyo_76_209.pdf
(近著で岩渕はゼンドの神秘主義を強調しているが閾値の認識など数学的な記述部分を上のpdfでは引用している。
以下と同じ図を使用。)
ヴェーバー・フェヒナーの法則をグラフで表現すると…縦軸:心理量R、y=log2 (x)、横軸:物理量s
https://www.slideshare.net/takehora/web-59093011
https://lh3.googleusercontent.com/-CzpCFtuB98I/XAx5qMtGNGI/AAAAAAABfV4/uUw6kXdksXMhJ7rva6ZmztB4KBxssG9AQCHMYCw/s640/blogger-image--1477458941.jpg
ヴェーバー‐フェヒナーの法則 The Weber–Fechner law
https://nam-students.blogspot.com/2018/12/weberfechner-law.html
『精神分析・精神病理学研究年報』
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