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金曜日, 12月 14, 2012

『視霊者の夢』カント(1766年):メモ

(参考:→パーソンズが思想家を分類した図カント:インデックス、→リンク::::::

参考:


正確にいうと、『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』(Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik, 1766というタイトル。第一部で提出された形而上学的説明理論によって、第二部で、視霊者スウェーデンボリの不思議な行いと著作を解明する、という体裁を取っている。スウェーデンボリの視霊現象に一方では強く心惹かれながらも、他方ではそれをうさん臭いもののようにも思うという、みずからの心の動揺を、二つのたがいに正反対の方向からし、たがいにあいいれぬ説明理論の対立という、のちの二律背反論の原型となる形で定着し、そのいずれをもいわば経験概念の限界を越える「形而上学の夢」として断罪するという、文字通り身を切るような自己解剖の作業の果てに、ここでカントがあらたに到達したのは、「人間の理性の限界に関する学」としての形而上学という構想にほかならなかった。「……たとえ私が何か新たな洞察を提供しなかったとしても、私は、妄想と、悟性を膨らませてその狭い空間の中で、知恵と有効な指導の学説が占有しうるべき場所を充満させている空虚な知とを根絶した。」(坂部恵カントより要約)


カントの独断論と懐疑論という思考回路が見られる。後者は歴史主義の形をとる。
カンディードの引用で終わることから懐疑論をカントは擁護する。
講談社学術文庫版は書簡(カントの後援者の娘クノープロッホ嬢宛)付き。


カント『視霊者の夢』1766年

Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik

 形而上学の夢によって解明されたる
 視霊者の夢

     0:0 夢想的
     前置き  |
   (霊とは何か)|(霊的世界)
     1:1  |  1:2
否定的__独断的__|________肯定的
          |1:42:1
     1:3  |___歴史的__
    (精神錯乱)| (方法論)
          |2:22:3
         現実的

   目 次

前置き 本文に対しては甚だ僅かなことしか約束
    しないところの

第一部 独断的であるところの
 第一章 随意に解いたり切り離したりすることのできるもつれた
     形而上学的結び目
 第二章 霊界との交互関係を開示すべき神秘哲学の断片
 第三章 反カバラ。霊界との交互関係を止揚する一般哲学の断片
 第四章 第一部の考察全体からの理論的結論

第二部 歴史的なる
 第一章 その真理性が読者の任意の照会にゆだねられる一つの物語
 第二章 霊界を行く一狂信家の忘我的旅行
 第三章 本書全休の実践的結論


          __________________________________ 
         /|               /|      (教育論/認識)/|オ
        / (//預言)         / |              / |
       / |             /  |             /  |プ
      /___|_______________|____________/   |
     /|  霊|           /|   |   (/快、不快) /|   |ス
    / |   |          / | 個人、民族    感性的 / |   |
   /(/欲求)者|        /(性格論/ +  )   知性的/  |   |・
  /___|___|________/___|_両性、人類______/   |   |
 |    |  の|       |    |   |       |    |   |ポ
 |永   |   |       |    |   |       |    |  論|
 |遠   |  夢|       |    |   |       |    |   |ス
 |平   |   |_______|____|___|_______|____|__理|
 |和   |  /|       |    |  /|       |    |  /|ト
 |の   | / |  自   然| の  |形/ |而   上  |学   | /学|
 |た   |/  |       |    |/  |       |    |/  |ゥ
 |め   |___|_______|____|___|_______|____|   |
 |に  /|   |     (徳|論) /|   |       |   /|   |ム
 |  / |人 倫|の      |  / |理性の限界内における |  / |   |
 | /(法学)  |形 而 上 学| /宗教(目的論)       | /  |   |ム
 |/___|___|_______|/___|___|_______|/   |   |
 |    |   |       |    |   |       |    |   |
 |    |啓 蒙|と は 何 か|    |   |       |    |   |
 |    |   |_______|____|___|_______|____|___|
 |    |  /        |    |  /(空間)(時間)|(数学)|  / 
 |    | /   純   粋 | 理  |性/  批   判  |    | /
 |    |/          |    |/(物理学)     |    |/
 |    |___________|____|___________|____/
 |   /         (倫理|学) /          (美|学) /
 |  / 実 践 理 性 批 判 |  /  判 断 力 批 判  |  /
 | /              | /(目的論)         | /
 |/_______________|/_______________|/

カント『視霊者の夢』1766年

- 『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』Träume eines Geistersehers, erläutert durch Träume der Metaphysik

カントは『視霊者の夢』を「形而上学的結び目」としての霊の考察から始めている。霊とは何か。霊は存在するのか、霊という語は何を意味しているか。これらの問いに対して、カントは「大学の方法的な饒舌」を否定することから始め、「私は何も知らない」というソクラテス的無知を出発点としている。
しかし霊という言葉は、それが幻影であれ、現実的なものであれ一般 に使用されていることは事実である 。 したがってその 「隠れた意味」が開示されなければならない。カントは「霊的」という語を「物質的」という語との対比において考察を進める。「物質的」とは、(1)ある空間内において存在 (延長)し 、(2)他の物質の侵入に 抵抗する何かがある (不可入的)場合をいう。
それらの合成が、不可入的かつ延長的な全体を与える単純な諸実体は、物質的統一と称されるが、それらの全体は、物質と呼ばれる。
これに対 して 「霊的」とは、(1)不可入性の特性を具有せず、(2)それをどんなに集め合わせても一つの固い全体を形づくることはない。
この種の単純な存在者は非物質的存在者と名づけられ、またもしそれらが理性を持つ場合は、霊と名づけられる。 霊は、(1)単純な実体として空間内に現存し、活動性を持つが空間の充実としての抵抗をもたず、物質的存在者に対しても可入的である。(2)直接的現在の場所は点ではなく、それ自体一空間であるが延長を持たない。延長の限界が形を定めるのであるから、霊は如何なる形も考えられない。
ところで、いま「人間の魂」が一つの霊であるとすれば、それは次のように考えなければならない。(1)物体 界における人間の魂の場所は、その変化が私の変化があるような物体である。すなわち私の身体が私の魂の場所 である。 (2)身体内の私の魂の場所については、「私が感覚するところに私は在る」とされている。カントは 霊の活動性、可入性、無延長性等の特性から推測して、人間の魂についても、それを脳髄の極小部分に閉じ込め るような物体的考え方をせず、私の身体において私の感ずるところに在るという考え方をしている。
以上がカントの霊の規定であるが、この際問題は、霊という超経験的概念に対するカントの認識論的基本姿勢にある。注目すべき特徴をあげると、まず「普通の経験を頼りにして」考察が進められていることである。それは端的には 「常識の立場」である。「常識は、真理を証明し、また解明しうる諸根拠を洞察する以前に、しばしば真理に気づく」からである。次に、この経験を頼 りにする常識の立場が、直ちに経験論の立場を意味する ものではないことである。この点に関しては、カントは極めて慎重である。「霊的と名づけられるような種類の 存在者が一体可能であるかどうか」。カントは自問して、次のように自戒している。
この際私はこの最も深遠で最も不分明な問題において、最も容易に切迫してくる性急な決定を警戒せざるをえない。
http://www.fukushima-nct.ac.jp/~welfare/lib/arc_fnct/47/06-008.PDF


「悟性の秤りは、やはりまったく偏りがないわけではない、つまり未来への希 望という銘をもつその腕木は、その腕木についている皿に乗る軽い根拠でも、他の側のそ れ自身ではより大きな重みの思弁を高くはね上げるような機構的な利点をもっている。これは、私が恐らく除きえない、また実際決して除こうとは思わない唯一の不正である」

「しかし、死とともにすべてが終わるという思想に堪えることができ、また その高貴な心術が未来への希望にまで高められなかったような誠実な心は、いまだかって なかったであろう。したがって、来世への期待を善良な心の感情の上に基礎づける方が、 逆に心の正しい態度を来世への希望の上に基礎づけるより、人間性と道徳の純粋さに一層 適合しているようにおもわれる」

http://www.kochinet.ed.jp/ko-rinri/pdf_data/

近代批判の鍵 - 柄谷行人
http://www.kojinkaratani.com/jp/essay/post-36.html>
カント論に関して、私はこの本(『理性の不安』)から決定的な影響を受けた。私の『トランスクリティーク…カントとマルクス』という著作は、『視霊者の夢』からカントの可能性を見る坂部氏の本なしにありえなかった、といっても過言ではない。しかし、最初に『理性の不安』を読んだとき、私はむしろそれを文学評論として読んだのである。というのも、坂部氏は、カントの『視霊者の夢』に関して何よりも、「自己を嘲笑する」ことから始めるカントの書き方に注目していたからである。氏はそこに、ディドロやスターンの文学との共時的な類似を見出している。一八世紀の小説では、サタイヤや書簡体など多種多様な表現形式がとられたが、一九世紀に「三人称客観」の手法が確立したとき、それらは未熟な形式として抑圧されてしまった。 「三人称客観」の視点は仮構であるが、それはカントでいえば、「超越論的主体」という仮構に対応するものである。逆にいうと、カントが超越論的主体を仮構した時点で、小説に生じたのと同じことが哲学におこった。坂部氏がとらえたのはそのような変化である。『視霊者の夢』に見られるカントの「理性の不安」や多元的分散性は、『純粋理性批判』では致命的にうしなわれてしまった、と坂部氏はいう。カントの柔軟な思考と文体は、「学校の文体といわば妥協し、伝統的な形而上学の枠どりに何らかの程度復帰して、自己の思考の社会化に乗り出すと同時に、必然的にうち捨てられることになる」(「カントとルソー」{坂部恵集第2巻}p232)。 とはいえ、坂部氏は、『純粋理性批判』よりも『視霊者の夢』のほうが重要だといっているわけではない。坂部氏がいいたいのは、『純粋理性批判』あるいは「批判哲学」は、それよりも前の『視霊者の夢』から見るとき、別の可能性、つまり、近代哲学を超える可能性をもちうるということである。すなわち、坂部氏は、近代批判の鍵を、近代以前にさかのぼるかわりに、十八世紀半ば、すなわち、啓蒙主義とロマン主義の境目の一時期に求めたのである。そこでは、もはや啓蒙的合理性が成り立たなくなっている。にもかかわらず、そこであくまで啓蒙的スタンスを維持しようとするならば、「自己嘲笑」的なスタイルによってしかありえない。カントが『視霊者の夢』でとった文体は、そのような苦境が強いたものである。
「近代批判の鍵」・『坂部恵集1』月報(岩波書店)より



___________________

以下、本文より抜粋

0:0、130頁)
「…理由もなく何も信じないというのも、また一般の風評のいうところについては、吟味もせずに一切を信じるのも、同じように愚かな先入見である…」

1:1、132頁)
「…私は霊が在るか否かを知らない、実際それ以上に、霊という語が何を意味するかを、私は少しも知らない。」

(1:1、134頁)
「…この種の単純な存在者は非物質的存在者と呼ばれ、またそれらが理性を有するならば、霊と名づけられるであろう。だがそれらの合成が、不可入的かつ延長的な全体を与える単純な諸実体は、物質的統一と称されるが、それらの全体は、物質と呼ばれる。」

(1:1、135頁)
「この際私はこの最も深遠で最も不分明な問題において、最も容易に切迫してくる性急な決定を警戒せざるをえない。」

1:2、140頁) 「われわれはコーヒーを飲むとき、人間の生命がそれから成るべき原子を呑みくだすのだという、ライプニッツの 冗談めいた思いつきも、もはや笑うべき思想ではないであろう。」

1:3、167頁)
「…哲学は、かくて悪い仲間関係において振り懸かる嫌疑につつまれる。なるほど私は上の箇所でその ような現象における精神錯乱に異議をとなえなかった、むしろ精神錯乱をなるほど空想的な霊の交互関係の原因とし てではないが、その当然の結果としてそれと結びつけはした、しかし極まるところを知らない哲学と一致点にもち来 たらせられ得ないような、いかなる種類の愚事が存するであろうか? それゆえ読者が、視霊者をもう一つの世界の 半公民と見なす代わりに、簡単にそして立派に彼らを入院候補者として片づけ、それによってそれ以上の一切の探索 をまぬがれるとしても、私は決して読者をそのことで恨みはしない。」

1:4、169頁)
「以前には私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のでない外的な理性の位置 において、自分の判断をその最もひそかなる動機もろとも、他人の視点から考察する。両方の考察の比較はたしかに 強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真 の位置におくための、唯一の手段でもある。」

(1:4、169頁) 「悟性の秤りは、やはりまったく偏りがないわけではない、つまり未来への希 望という銘をもつその腕木は、その腕木についている皿に乗る軽い根拠でも、他の側のそ れ自身ではより大きな重みの思弁を高くはね上げるような機構的な利点をもっている。これは、私が恐らく除きえない、また実際決して除こうとは思わない唯一の不正である」

2:1、178頁)
「あ る種の背理的な事物が、単に一般にそれについて話されるというだけの理由で、分別のある人々に受け入れられるということは、いつでもそうだったしまた恐ら く将来もそうあり続けるだろうからである。交感、占い棒、予感、妊婦の構想力の霊能、月相の動植物への影響等々は上の背理的事物に属する。」

(2:1、178頁)
「のみならず、先日一般地方民が、普通学者たちが軽信性のゆえに彼ら に投げかけるのを常とする冷笑の返報を、立派に学者たちにしたのではなかったであろうか? なぜなら、多くの風説によって、子供や女たちがとうとう怜悧な 男どもの大部分をして、ありふれた狼をはいえなだと思うに至らしめたからである、もっとも今ではフランスの森の中をアフリカの猛獣が走り廻ることはない、 ということを分別のある人なら誰でも容易に洞察するけれども、われわれが初めは真理と欺瞞を差別なしに掻き集めるのは、その好奇心と結びついた人間悟性の 弱さの然らしめるところである。だが次第に諸概念が純化され、僅かな部分が残り、残りのものは掃き寄せられた塵芥として投げ捨てられる。」

2:2、183頁)
「というのは後者の根拠は十分に知られており、また大部分、心の諸力の選択意志的な志向と、空虚な好奇心をいくらか多く制御することによって防止す ることができもするが、他方それに反して前者はすべての判断の第一の基礎にかかわり、それが正しくなければ、論理学の諸規則はそれに逆らってほとんど何も なし得ないからである! そこで私はわれらの著者において感官の妄想を知力の妄想から分離して、彼が彼の幻想のもとに立ち止まらずに、背理的な仕方でこじ つけたようなことを省略する。(中略)似非経験でさえ大部分理性からの似非根拠よりも一層ためになる。」

2:3、198頁)
「しかし、死とともにすべてが終わるという思想に堪えることができ、また その高貴な心術が未来への希望にまで高められなかったような誠実な心は、いまだかって なかったであろう。したがって、来世への期待を善良な心の感情の上に基礎づける方が、 逆に心の正しい態度を来世への希望の上に基礎づけるより、人間性と道徳の純粋さに一層適合しているようにおもわれる」

(2:3、199頁) 「カンディード…『さあわれわれの幸福をおもんばかり、庭に出て働こうではないか』」


参考:

http://ja.wikipedia.org/wiki/エマヌエル・スヴェーデンボリ#.E8.A9.95.E4.BE.A1

スヴェーデンボリへの反応は当時の知識人の中にも散見され、例えば哲学者イマヌエル・カントは『視霊者の夢』中で彼について多数の批判を試みている。一方で、限定的に「スヴェーデンボリの考え方はこの点において崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である」(K・ ペーリツ編『カントの形而上学講義』から)と評価も下している。


http://ja.wikipedia.org/wiki/イマヌエル・カント#cite_note-10

1766年、『視霊者の夢』を出版[注釈 3][6]。カントはエマヌエル・スヴェーデンボリについてこう述べている[7]。 「別の世界とは別の場所ではなく、別種の直感にすぎないのである。-(中略)-別の世界についての以上の見解は論証することはできないが、理性の必然的な仮説である。スエーデンボルグの考え方はこの点において非常に崇高なものである。-(中略)-スエーデンボルグが主張したように、私は、〔身体から〕分離した心と、私の心の共同体を、すでにこの世界で、ある程度は直感することはできるのであろうか。-(中略)-。私はこの世界と別の世界を同時に往することはできない。-(中略)-。来世についての予見はわれわれに鎖されている。」

3^ エマヌエル・スヴェーデンボリ(英語読みではスウェーデンボルグ)の千里眼という超常現象については、それが存在するのか自分は判断できないとして、読者に判断を委ねている。
6^ 須田朗『視霊者の夢のカント』(哲学会誌17、1982)pp.1‐20
7^ K・ペーリツ編、甲斐実道、斎藤義一訳、『カントの形而上学講義』(三修社、1979)pp222-227

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カントのスウェーデンボルグ批判の真相

http://www.geocities.jp/ixtutou144/kant1.htm
(絶版になっているので入手困難につき勝手に引用させていただきます)
「スウェーデンボルグの思想」1995年
高橋和夫
講談社現代新書1235番   第一刷発行
P200-P206 

2 カントによる千里眼批判 

超能カ者スウェーデンボルグ
 スウェーデンボルグの心霊的な能力は社会生活においてもしばしば発揮され、多くの逸
話を生んだ。霊媒として故人の消息を家族に伝えるとか、ちょっとした未来予知とか、現
在PSI(超常現象)として知られている出来事が、彼に関して報告されている。
 彼自身はこうした異常な出来事に好奇の目で関心を示す態度を、人間の健全な精神生活
にとって有害かつ危険なものと考え、他人から頼まれ、それが正当な理由を持つ場合以外
は、こうした超常能力を行使することはなかった。
 友人ロブサーム(82ぺージ参照)があるときスウェーデンボルグに、一般の人々も他界と交
流できるかどうかを尋ねた。その際スウェーデンボルグは、断固としてこう答えている。
「こうした交流は狂気へ直通する道ですから、注意してください。というのは、人間に隠さ
れている霊的な事柄を注視する状態において、人間は地獄の妄想から自らを引き離してお
く方法を知らないうえ、そうした妄想は、人間が自分の把握を超えた天界の事柄をひとり
よがりの思索によって発見しようとすると、その人間を混乱させてしまうからです。あな
たは、不必要な探究によって自分を見失ってしまう神学生や、とりわけそうしたことをし
たがる神学者たちが、どれほどしばしば理解力を損なうことになったかを、十分ご存知で
しょう」(ターフェル、前掲書1)。 

ストックホルム大火災を見通した千里眼
 スウェーデンボルグのPSI能力に深い関心を示した同時代者のひとりが、ドイツの哲
学者、若きカントだった。批判哲学を確立し後世の哲学や神学に強力な影響を及ぼしたカ
ントの、スウェーデンボルグヘの接近は興味深い問題なので、ここで取り上げてみたい。
『天界の秘義』の出版完了後わずか二年して、スウェーデンボルグは第七次外国旅行に発
ちロンドンヘ行った。そこで一年間に五冊の著作(「ロンドン五部作」と言われる)を出版して、
一七五九年に帰国した。「スウェーデンボルグの千里眼」として後世の語り種となった事件
は、この帰国の途次に起こったのである。
 七月一九日土曜の夕方のことであった。スウェーデンボルグはイギリスから帆船に乗
って、スウェーデン西海岸の都市イェーテボリに到着した。そして同市の商人だった友人、
ウィリアム・カーステルの夕食会に招かれた。現在もサールグレン家として残っているカ
ーステルの家には、ほかにも一五人の客が招かれていた。
 食事中、スウェーデンボルグは極度に興奮し、顔面が蒼白となった。不安と焦燥に満ち
た様子で、彼は幾度となく食卓を離れた。そして、騒然となった一同に向かって、
「今、ストックホルムで大火災が猛威を振るっている」
と、告げたのである。そして落ち着きを失ったまま再び外へ出て行き、戻って来ると、ひ
とりの友人に向かって言った。
「あなたの家は灰になった。私の家も危険だ」
 その晩八時頃、もう一度外へ出て戻って来た彼は、大声で叫んだ。
「ありがたい!火は私の家から三軒目で消えた」
 同夜、来客のひとりが州知事にこの話をしたため、知事の依頼に応じて翌日、スウェー
デンボルグは火事の詳細を話した。火事のあった二日後、通商局の使者がストックホルム
からイェーテボリに到着した。両都市は約四八○キロメートルも離れていたが、この使者
の火災報告とスウェーデンボルグの語った内容とは、薄気味悪いほど一致していたのであ
る。 

カントによる批判と評価
 ヨーロッパ中に知れ渡ったこの出来事に深い関心を抱いたカントは、かなり大がかりな
調査を姶めた。三九歳のカントが、その後援者の娘クノープロッホ嬢宛の手紙でこの事件
の詳細な調査報告をしたのは、大火の四年後である。彼はその中で、スウェーデンボルグ
の千里眼は「何よりも強力な証明力を持ち、およそ考えられる一切の疑念を一掃してしま
うように思われる」(『視霊者の夢』B版収録のカントの手紙)と述べている。
 この手紙の中でカントはまた、スウェーデンボルグに手紙を書き、自分の質問事項にス
ウェーデンボルグが新刊書の中で答えるという約束をとりつけた、とも述べている。カン
トの依頼を受け実際にスウェーデンボルグに会った友人の伝えるところによると、スウェ
ーデンボルグは「理性的で、親切で、率直な」人物であったという。
 ところが二年経っても、スウェーデンボルグが新刊書の中でカントの質問に答えた形跡
もなく(おそらく単純な失念と思われる)、またスウェーデンボルグの著作を送るという前述の
友人の約束も果たされなかった。苛立った(いらだった)カントは八巻もの分厚い『天界の秘義』を自ら
買い込んで読み、一七六六年にスウェーデンボルグヘの枇判書『視霊者の夢』の出版に踏み切ったのである。
 カントの批判の痛烈さは、次のような言葉に反映している。「この著者の大著はナンセン
スに満ち」「完全に空で理性の一滴も含まない」。実際、カント学者K・フィッシャーは『視
霊者の夢』を評して、カントにとって形而上学とスウェーデンボルグは「一撃でぴしゃり
と殺されるべき二匹のハエ」だった、と述べている。
 しかしカントは、表面上はともかく、スウェーデンボルグの心霊能力や思想に対しての
みならず、霊的な存在一般に対して終始、両面価値的(アンビヴアレント)な態度を見せている。すなわち、カ
ント自身、超自然的なものをどう処理してよいか、まだ確信が持てなかったのである。だ
からこそカントは、スウェーデンボルグの「大著は理性の一滴も含まない。それにもかか
わらず、その中には、同様の対象に関して理性の最も精細な思弁がなしうる思考との、驚
くべき一致が見られる」(『視霊者の夢』B版)と述べざるをえなかったのである。この批判書
において彼はまた、スウェーデンボルグの千里眼に関して、「真実であるという完全な証明
が容易に与えられるに違いない種類」の出来事である、と明言している。
 その思索の方法は異なるものの、カントの哲学とスウェーデンボルグの思想には、英知
界と感性界(スウェーデンボルグでは霊界と自然界)というニ世界の分立、時間と空間の観念性、
霊魂の不死に関する思索、宗教における道徳性の強調などの点で、本質的に共通している
部分がある。
 カントは『視霊者の夢』出版の四年後、ケーニヒスベルク大学の教授になり、そののち
一〇年以上の長い沈黙期間を経て『純粋理性批判』を出版し、不動の名声を確立した。こ
の沈黙の期間の講義で彼が再びスウェーデンボルグに言及し、次のように評したことは注
目に値しよう。
「スウェーデンボルグの思想は崇高である。霊界は特別な、実在的宇宙を構成しており、
この実在的宇宙は感性界から区別されねばならない英知界である、と彼は述べている」(K・
ぺーリツ編『カントの形而上学講義』)。
 



Web評論誌「コーラ」13/<心霊現象の解釈学>第1回:心霊現象への非哲学的考察
広坂朋信
http://homepage1.canvas.ne.jp/sogets-syobo/sinrei-1.html


 1766年、カントは、当時話題になっていたスウェーデンの神秘家、スウェーデンボリ(1688~1772、スウェーデンボルグとも表記される)の著作や伝え聞く言動を検討し、『形而上学の夢によって解明された視霊者の夢』(以下『視霊者の夢』)を発表した。
 カントが取り上げた「視霊者」、スウェーデンボリは、自然科学を学び、スウェーデン王国鉱山局の幹部として勤めるかたわら、自然科学について、また、自然(宇宙)についての思弁哲学的論文などを発表していたが、神秘体験を経て神学研究に転向、カントが読んだ『天界の秘義』をはじめ、多くの神秘主義的著作を刊行した。それらの中で彼は、肉体から離脱してもなお人格と(霊感によってのみ感知される)実体を持った霊と、そうした霊たちが住まう霊界の実在を説き、霊界の有様や霊界と現実世界の関係について述べている。
 これまでのアカデミズムにおけるカント研究では、この著作は、いわゆる「独断のまどろみ」から抜け出しつつあったカントが、後に彼の哲学の代名詞となる批判哲学へ向かう途中のステップボードとして評価されてきた。同書の中に後の批判哲学に結実する着想があることはすでに幾人もの論者の指摘していることである。代表的なものとしてL.ゴルドマン『カントにおける人間・共同体・世界』(三島・伊藤訳、木鐸社)、浜田義文『若きカントの思想形成』(勁草書房)、坂部恵『理性の不安』(勁草書房)などを挙げることができる。
 とりわけ坂部恵『理性の不安』は名著の誉れ高く、『視霊者の夢』の思想的含意を余すところなく描き出しており、私としても讃嘆するばかりで、坂部が論じている範囲のことについては、坂部以上のことはもちろん、以下のことですら述べることはできないだろうと思わざるをえない。したがって、くだらない心霊話につきあう気もヒマもない読者は、今すぐ私の駄文を読むのをやめて、坂部の名著をひもとくことをお奨めする。
 それでは、坂部『理性の不安』の論じている以下すら述べられない私に何が言えるというのか。それは坂部が論じていない事柄、すなわち『視霊者の夢』の非哲学的側面、有り体に言ってしまえば、「心霊学」的側面についてしかない(「心霊学」とカッコで括るのにはわけがあるが説明していると長くなるので省略する)。とはいえ、『視霊者の夢』は哲学者による心霊現象への取組みの記録としても貴重であり、批判哲学の萠芽という点に読みの視点を限定する必要はない。それどころか、心霊現象の解明という観点から同書を読むことは、むしろ、カント自身の同書執筆の動機にかなったことでさえある。
 もっとも私は、カントのこの著作に対するときたま見られる誤解、カントはスウェーデンボリを認めた云々という誤解に与するつもりはない。それはカントがはっきりと否定している。このスウェーデンボリについてカントは『人間学』で次のように断じている。
感官に現前している現実的な世界の諸現象を、(スヴェーデンボルクの言うごとく)背後に隠されている可想的世界の象徴に過ぎぬと称するのがすなわち狂信である。(『人間学』岩波文庫、122頁)
 しかし、『視霊者の夢』を執筆するまでは、カントはまだ態度を決めかねていた。すなわち、「理由もなく何も信じないというのも、また、一般の風評の言うところについては、吟味もせずに一切を信じるのも、同じように愚かな先入見である」(『視霊者の夢』の引用は理想社版『カント全集 三』より、以下同じ)。
『視霊者の夢』は、「独断的であるところの」と題された第一部と、「歴史的なる」と題された第二部よりなり、哲学の専門研究者が『純粋理性批判』の前段階として注目する第一部は形而上学批判にあてられており、私が注目するスウェーデンボリの視霊現象についての批判は第二部にある。
 『視霊者の夢』におけるカントのスウェーデンボリ評を、1763年8月10日付のクノープロッホ嬢宛てのカントの書簡と読み比べてみると、トーンがずいぶんと違うことに気がつく。この書簡でカントは、後で『視霊者の夢』では「分別のある人なら辛抱して耳を傾けるのをためらうようなお伽噺」として冷笑的に扱っているスウェーデンボリの霊能力の逸話と同じ事例を挙げて、「これはいちばん強力な証拠だと私には思われますし、じっさいどんな疑いを思いついたとしても、これにつけいる余地はありません」、「この出来事の信憑性についてどのような反論を申し立てることができるでしょうか」と手放しで承認したうえに、「私は、この奇妙な人物に自ら質問できたらと願わずにはいられません」、「私は、スウェーデンボリがロンドンで出版しようとしている本を待ちこがれています」と好奇心をむき出しにしていた(書簡の引用は岩波版『カント全集 書簡Ⅰ』より、以下同じ)。
 ところが、『視霊者の夢』出版後、同時代の哲学者メンデルスゾーンに宛てた書簡では、がらりと態度が変わっている。そこでは、このような通俗的な書物を書いたからといって軽蔑しないでほしいと弁明しているのである。
 これはどうしたことだろう。邪推をすれば、一般人であるクノープロッホ嬢に対しては、その好奇心を満足させてやるべく自ら信じているわけでもないスウェーデンボリの逸話を面白おかしく語ってやり、一目置いている同業者であるメンデルスゾーンに対しては、大人の事情を察してほしいと言いわけにこれつとめた、という可能性がある。しかし、相手によって言うことを変えるような二枚舌をカントが使ったと考えるのは、道徳率の普遍的たるべきことを主張したこの哲学者に対する敬意と理解を欠いていると誹られることになるだろうし、私としてもそうは思いたくない。
 そこで残る可能性は、クノープロッホ嬢宛ての書簡は『視霊者の夢』を執筆する以前のものであり、メンデルスゾーン宛ての書簡は執筆後のものであることから、カントは『視霊者の夢』を執筆するなかで、スウェーデンボリの視霊現象を狂信のなせるわざと確信するだけの何かを掴んだのだろうということである。
 カントはどの時点でスウェーデンボリを見切ったのか。坂部はスウェーデンボリの著作『天界の秘儀』をカントが読んだ時点だとしている。「カントはこの著作を興味をもって読んでみたが、大方失望する。すこし強くいってしまえば、すこし頭のおかしくなった人が書いた書物としか自分には思えない。」(『坂部恵集1』岩波書店、p345)、と身も蓋もない(引用文中の「自分」はカントのこと)。
 それでは、カントをがっかりさせて、その評価を一八〇度反転させてしまったスウェーデンボリの著作の特徴とは何だったのか。批判哲学の系譜に立つカッシーラーに簡潔な指摘があるのでそれを引く。
十八世紀になってもなお、スウェーデンボルグがArcana coelestia(『天界の神秘』)で、普遍的対応というこのカテゴリーにしたがって、英知界の「体系」を打ち立てようと試みている。ここでは、いっさいの空間的限界がついに否認される。――それというのも、人間が世界に写しとられるように、一般に、最小のものが最大のものに、もっとも隔たったものがもっとも身近なものに写しとられうるのであり、したがって本質を同じくしているからである。こうして、人体の特定の部分を世界の特定の部分になぞらえる独特の「呪術的解剖学」が成立することになり、大地の構造が同じ基本的見方にしたがって記述され規定される神話的地理学と宇宙誌とが成立することになる。(カッシーラー『シンボル形式の哲学』(二)、岩波文庫、p186。なお引用文中の『天界の神秘』は『天界の秘儀』のこと。)
こうした神話的世界観の古典的典型として、カッシーラーは占星術を挙げている。
占星術では、世界中のすべての出来事、すべての改造や新たな発生は、実はただの仮象にすぎない。このような出来事に表現されているもの、その出来事の背後にあるもの、それはあらかじめ定められた運命であり、個々の時間契機を貫いてあくまで自己同一性を貫こうとする同形的な存在のさだめなのである。(カッシーラー、p181-182)
このカッシーラーによる占星術的世界像の特徴描写が、先に引いたカント『人間学』における狂信の定義、「感官に現前している現実的な世界の諸現象を、(スヴェーデンボルクの言うごとく)背後に隠されている可想的世界の象徴に過ぎぬと称する」こと、を継承し共鳴していることは容易にみてとれるだろう。
 

再び柄谷『トランス・クリティーク』から、先に引いた箇所の続きを引く。

たとえばヴォルテールは数年後に『カンディード』を書いてライプニッツ的予定調和の観念を嘲笑し、ルソーも、地震が人間が自然を忘れたことへの裁きであると書いた。しかし、カントは、一七五六年にリスボンの地震についての三つの研究報告を書き、地震について一切の宗教的意味はないこと、それがまったく自然的原因によることを強調し、さらに地震発生についての仮説と耐震対策を説いた。経験論的な立場に立つ者さえ、この出来事に何らかの意味を見出したのに対して、カントがまったくそれを拒否したのに注意すべきである。(柄谷、p70)

 しかし、カントは単なる科学主義者でも、単なる経験論者でもない。だからこそスウェーデンボリに強い関心を示したのである。いったいカントはスウェーデンボリに何を期待していたのか。
 ゴルドマンは『カントにおける人間・共同体・世界』で次のように指摘している。

カントにとって、人間における道徳的なものが、人間的魂を自己の下に帰属させているかの自然的かつ完全なる霊の共同体の単なる結果にすぎぬものであるということは、充分に可能であると見なされる。(ゴルドマン、p104)

 意外にも、これは先にみたカッシーラーによる占星術的世界観の特徴「世界中のすべての出来事、すべての改造や新たな発生は、実はただの仮象にすぎない」や、カント自身による狂信の定義「感官に現前している現実的な世界の諸現象を、(略)背後に隠されている可想的世界の象徴に過ぎぬと称する」と、あまりに似た世界像である。
 さて、もし経験の対象である現実の人間の姿と霊界(霊の共同体)との関係がカントのいうようなものであるならば「その時には、感性界における共同態および道徳的なものの不充分さは説明しうるものとなるだろうし、他方、死後においてわれわれの魂は自然的かつ不可解消的な霊的共同体の中でその現存在を保持し続け、そして完全な道徳性を実現するだろう」(ゴルドマン、p105)という、ある種の希望、形而上学者の希望が可能になる。
そしてカントがわれわれに示していることは、もしこの希望が真実だとすれば、その場合には例外的に次のような人間、すなわちこの霊界と何らかのつながりをもち、霊界への洞察力を示しうるような人間が存在しうるだろう、ということである。このような人間は、他の普通の人々からは、夢想家や空想家と見られもしよう。だが、彼らこそまさしく、形而上学的希望の最も価値ある確証なのである。それだからこそカントはあれほど立ち入ってスェーデンボリと関わりをもったのであった。(ゴルドマン、p105)
 つまり、カントの構想とスウェーデンボリの夢想には類似点が認められる。もちろんこれはゴルドマン一人の特殊な解釈ではなく、他のカント研究者もおおむね認めている事柄である。ここからゴルドマンは『視霊者の夢』、それも、スウェーデンボリに帰せられるべき霊界の観念にドイツ観念論の主要な諸概念の萌芽が見られると論じるのだが、そこに深入りするのは脱線がすぎるのでやめておこう。
 ともあれ、カントはスウェーデンボリの夢想に自らの世界観と似たものがあることを察知したからこそ、「形而上学的希望の最も価値ある確証」が得られるのではないか、スウェーデンボリが「霊界と何らかのつながりをもち、霊界への洞察力を示しうるような」例外的な人間ではないかと期待したのだった、というのがゴルドマンの見立てである。
 しかし、ゴルドマンの解釈はいささかロマン主義的にすぎるように思われる。カントには、地震論に見られるように神話的発想をきっぱりと拒否する側面もある。このカントの二つの側面に注目して、『視霊者の夢』には「スウェーデンボリへの執着と反発」という相反する二つの契機があり、「形而上学的説明と生理学的説明という視霊者に対する肯定と否定という正反対の見方に帰着する二つの説明理論を、最終的にどちらに決定するということなく並列して提出」したところに「後年の「二律背反」の発想の原型」を見てとり、批判哲学の構築へと向かうカントの内面のドラマを描き出したのが、坂部恵『理性の不安』の名著たるゆえんであった。その詳細については、くどいようだが坂部の著作を読んでいただきたい。
 …
 さて、前置きが長くなりすぎたが、私の関心は『視霊者の夢』の「心霊学」的側面についてである。カントは『視霊者の夢』において、スウェーデンボリの心霊能力の証拠と思われる事例を三つ取り上げている。それは世に喧伝されているうちで「たいていの人においてなおいくらかの信用を得ているようなもの」だという。以下、順次検討していく。
 
【第一例】
一七六一年の終わり頃スウェーデンボリ氏は一人の公爵夫人のもとに呼び寄せられた。彼女はそのすぐれた悟性と洞察とが、そのような場合に欺かれることを不可能ならしめるようなお方である。そのことへの機会を与えたのは、この人物の申し立てる幻に関する一般の風聞であった。あの世からの現実的報告を聞くというより、彼の構想で楽しむことを狙った二三の質問の後で、公妃は彼を帰した、他方公妃は前もって彼に彼の霊との交わりに関係する一つの内密な委託をしておいたのである。二三日後スウェーデンボリ氏は返答をもって現われたが、それは公妃自身の告白によれば、彼女を極度に驚嘆させたような種類のものであった、というのは彼女はそれが真であることを認めたが、その返答がしかも存命中のいかなる人間によっても彼に授けられることのできぬものだったからである。この話は当時い合わせたかの地の宮廷つき公使のコペンハーゲン駐在の別の外国公使への報告から引用されたが、それがそのことに関する特別な問い合わせで知り得たこととも精密に一致している。
 
【第二例】
以下の物語は、その証明がきわめて覚束ない一般の風説以外の保証を有していない。スウェーデン宮廷つきオランダ公使の未亡人であるマルトヴィーユ夫人がある金細工師の家族から、制作した一組の銀食器に対する未払金の支払を催促された。彼女の亡くなった夫の規則正しい経済を知悉していたその貴婦人は、この債務が彼の在世中に片づけられているに違いないと確信していた、しかし彼女は彼の遺した書類の中にその証明を全然見いださなかった。その婦人はことに占い、夢判断その他あらゆる種類の物語を信ずる傾きがある。そこで彼女は、スウェーデンボリ氏が死者の魂と交際していると人びとが彼について言っていることが本当だったら、上述の請求についてどういう事情にあるか、あの世から彼女の亡くなった夫の報告を彼女に与えてくれるようにとの依頼をもって、彼女の切望を同氏に打ち明けた。スウェーデンボリ氏はそうしたことをやってくれると約束して、二三日後同婦人に彼女の家で、彼が求められた情報を手に入れたこと、彼が通報し、彼女の考えでは完全に取り片づけられていたはずの一つの戸棚の中に、なお一つの隠れた抽き出しがあって、その中に必要な領収書がはいっている、と報告した。即座に彼の叙述に従って探して見ると、秘密のオランダ語の交換文書とともに領収書が見つかり、それによって、なされたすべての請求は無効にされた。
 
【第三例】
三番目の物語は、それが本当かどうかの完全な証明が極めて容易に与えられるに相違ないような種類のものである。私の受けた報告が正しければ、それは一七五九年の終わり頃、スウェーデンボリ氏がイギリスからやって来て、ある午後ゴーテンブルクに上陸したときであった。彼は同日の夕方その地のある商人のもとでのある集会に招かれて、しばらく滞在した後、驚愕のあらゆる仕草をして、ちょうど今ストックホルムのズューデルマルムで恐ろしい大火災が荒れ狂っていると一同に知らせた。数時間たった後、その間彼はときどき見えなくなったが、彼は一同に、火災が阻止されたこと、また同様に、火事がどれほどひどかったかを知らせた。まさに同じ夕方にはすでにこの不思議な報告が広まり、そして翌朝には全市に広まっていた、ところが二日後になってはじめてそれについての報知がストックホルムからゴーテンブルクに到着したが、人々の言うところでは、それはスウェーデンボリの幻と完全に一致していた。
 
 以上がカントの挙げたスウェーデンボリの霊能力の事例である。便宜上、間に【第一例】、【第二例】、【第三例】という小見出しをはさんだほかは省略もせずにそのまま引用してある。
 これらの不思議なエピソードに、カントはどのような分析を行なったのか。三批判書のくどいほど精緻な議論や、『人間学』で示されたモラリスト的洞察を知っている読者としては、カント先生が見事な推理をはたらかせて解決してくれるのではないかと期待してもおかしくはない。ところがカントはこれらの興味深いエピソードについて「分別のある人なら辛抱して耳を傾けるのをためらうようなお伽噺」と実にそっけない。それどころか、具体的には何も言及していないに等しいのである。
 しかし、『視霊者の夢』執筆以前の段階では、クノープロッホ嬢宛て書簡に見られるように、カントはここに引いた三つの事例と同じ逸話を挙げて、これこそ疑う余地のない証拠だと熱烈に説いていたのだった。仮にスウェーデンボリの著作が「理性の一滴も含まない」荒唐無稽な夢想だったとしても、理性的能力と霊能力は別のものだろうから、著作が残念な内容だったからといってスウェーデンボリの逸話を検討しない理由にはならないはずである。実際、『視霊者の夢』の序文でカントは、スウェーデンボリの「真理性を探索するほど純真であったことを、ある種の卑下をもって告白」している。つまり、カントはスウェーデンボリの「真理性を探索」したのだ。
 しかし、『天界の秘儀』を大いなる期待をもって読み始めたカントは、やがて「残念」という感想を抱いた。カント自身「私の哲学的空想に異常なほど似てもいる証言が、絶望的にぶざまかつばかばかしいように見え」たと言っている。そこに自分の形而上学の構想のオカルト的にデフォルメされた戯画を見いだして頭を抱えたのだろう。それが『視霊者の夢』第一部の「自己批評的」(坂部)トーンの背景である。「残念」なのはスウェーデンボリだけでなく自分自身についてもそうだった。スウェーデンボリ熱にあてられていた頭は、冷水を浴びせられたように一気に冷めた。冷静な目で霊界の「証拠」を眺めてみれば、そこには真理性のかけらもなかった、というのがカントの結論だったろうと思われる。
 それでは、私も頭を冷やして、三つの事例をもう一度眺めてみることにしよう。
 【第一例】と【第二例】は、死者しか知らないはずの秘密の察知である。
 まず、【第一例】の場合、このケースだけはクノープロッホ嬢宛書簡に具体的な記述がない。どうやらクノープロッホ嬢の側からこの話が持ち出され、本当かどうか調べてくれるようにカントが依頼された様子である。ただし、同書簡には情報の入手経路について次のように詳しく書かれている。
私はこの報告を、私の友人であり以前私の聴講者でもあったデンマーク士官を通じて手にしました。彼は、コペンハーゲンにいるオーストリア公使ディートリヒシュタインの宴席で、ある手紙を他の客といっしょに自分の目で読みました。その手紙とは、ディートリヒシュタイン氏がストックホルム駐在のメクレンブルク公使であるフォン・リュッツォウ男爵からそのときにもらった手紙です。その手紙でフォン・リュッツォウが彼に報告しているところによれば、恵み深きお嬢様であられるあなたがフォン・スウェーデンボリ氏についておそらくすでにご存じのこの奇妙な物語は、スウェーデン王妃のもとでオランダ公使と同席したおりに、自分の耳でそれを聞いたというのです。このような報告は、驚いたことに信頼に足るものでありました。それというのも、公使たるものが別の公使に対して、名高いその集まりに同席することを望んでいたにもかかわらず自分が駐在している宮廷の王妃についてなにか虚偽のことを伝える報告を公用で書き送るなどということが、生じるとは考えにくいからです。
 この書簡からは『視霊者の夢』では「公爵夫人」とだけあって名は伏せられていた人物がスウェーデン王妃のことであり、「かの地の宮廷つき公使」とはストックホルム駐在のメクレンブルク公使であるフォン・リュッツォウ男爵であったことが知れる。またフォン・リュッツォウが「自分の耳でそれを聞いた」と書いていることも注目される。もし彼がその場に立ち会ったのであれば、たいていの場合「自分の目でそれを見た」と表現するのではないだろうか。つまりこれはスウェーデン王妃とオランダ公使との会話を、同席したフォン・リュッツォウが側聞した話なのであって、王妃にまでさかのぼって確認をとらない限り、最初から伝聞なのであった。
 カントはこの話を、外交官同士がその駐在国の王妃について虚偽の報告をするはずがないだろうという理由から信用しているかのように見える。仮に、伝聞とはいえ、情報は正確に伝えられたのだとしよう。それでも、王妃とスウェーデンボリとのあいだでどのようなやり取りがあったのかは伏せられたままである以上、第三者にはその真偽を確認できない。スウェーデンボリの回答を、それは死者しか知るはずのないものだと王妃が認定するかどうかは、ひとえに王妃の感じ方一つにかかっている。つまり、スウェーデンボリは、死者にしか知られていないはずの事柄だと王妃がそう思うものであれば何を言ってもよかったのだ。あるいは、それが王妃にとって公にはしたくないような事柄であればなおのこと、それは誰も知らないはずの秘密だ、という意味の誇張表現だったとも考えられる。
 以上のことから、この事例は疑いをいれる余地のない証拠とまでは言えない。
 次の【第二例】の場合はどうか。『視霊者の夢』では「きわめて覚束ない一般の風説以外の保証を有していない」とされているうえ、マルトヴィーユ夫人は「ことに占い、夢判断その他あらゆる種類の物語を信ずる傾きがある」と信憑性に疑いがあることが暗示されているから、カント自身、この事例をさほど重視していないことは明らかだ。
 おそらくスウェーデンボリは「引き出しの奥をもう一度よく探してご覧なさい。故人があなたのおっしゃるようなお人柄であれば、必ず領収書があるでしょうから」と言ったのではないだろうか。そして、案の定、領収書は見つかり、夫人は自らの信じたいように信じた、というのがことの真相だったように私は思う。「隠れた抽き出し」云々は、風説につきものの尾鰭の部分だろう。
 なお、【第二例】については、すぐに気がついた方も多いだろうが、トリックを用いれば同様の事柄を容易に再現できる。本職の奇術師なら造作もないことだろう。ただ、私はトリック説を採ることにいささか躊躇をおぼえる。トリックだったとした場合、その仕掛け人がスウェーデンボリだとは考えにくいからである。スウェーデンボリは神秘家としてすでに著名であり、今さら「奇跡」を小出しにして世間の評判を集める必要はなかったはずだ。何よりも、彼は鉱山技師としての業績により裕福であったから、職業霊媒のように、占いやお告げ、失せ物探しなどの営業をする必要がない。また伝記や、当時カントが人に頼んで調べさせたスウェーデンボリの評判(「分別があり、愛想がよく、腹蔵のない人物」)からも、仕掛けを見破られれば名声を失いかねない悪戯をあえてするような人物とは思えない。そうすると、夫人かその場に居合わせた誰かが金細工師と示しあわせて一芝居打ったことになるが、今度は、なぜそんな手の込んだことをしなければならなかったのか、その動機の詮索をしなければならなくなる。これはもはや物語作者の想像力にゆだねるべき範疇である。
 さて、いよいよ【第三例】である。テレビも電話もインターネットもない時代のことだ。遠隔地で起きている事件をどうやってリアルタイムで感知したのか。カントが当初、つけいる余地のない強力な証拠だと驚いたのも当然だ。しかし、『視霊者の夢』では「私の受けた報告が正しければ」と留保をつけている。カントはこの事例のニュースソースを確認したのではなかったか。クノープロッホ嬢宛書簡を見てみよう。
このことを私に書き送ってきた友人は、これらすべてのことを、ストックホルムで調査しただけでなく、約二ヶ月前に自らゴーテンブルクに足を運んで調査してくれました。彼は、ゴーテンブルクで、いくつかの名家の人々とたいへん深い知り合いになりました。そして、なにしろ一七五六年からほんの少ししかたっておらず、その町には目撃者の大多数がまだ住んでいるものですから、町じゅうの人々から、あの出来事について余すところなく教えてもらうこともできました。彼は、同時に、フォン・スウェーデンボリ氏が他の霊との交わりをどのようにおこなったと証言しているのか、そしてまた、この世を離れた霊の状態についてどのような考え方を示したか、ちょっとした報告を私にくれました。
 一見すると、調査は充分になされたように見える。当初はカントもそう思ったのに違いない。しかし、この時点でもまったく信じ切っていたわけでもなさそうだ。というのも、次のような断りをつけ加えているからだ。
私は、この奇妙な人物(スウェーデンボリのこと・引用者)に自ら質問できたらと願わずにはいられません。と申しますのも、私の友人は、このような出来事の解明にもっとも助けとなる事柄を聞き出す方法にそれほど精通していないからです。
「このような出来事」とは何を指しているのか、文脈からすると直接には「霊との交わり」についてのようだが、この事件全体のことでもあるだろう。この火事の一件が驚異的であるのは、その報告が事実であった場合だけであり、そうでなければ「お伽噺」である。そして報告者の調査ぶりをもう一度よく読み返すなら、何があったか、ではなく、何があったと語られているか、有り体に言えば、彼はスウェーデンボリについての町の人々の評判を聞き込んできたのにすぎないことがわかる。
 カントはこの第三の事例について、「それが本当かどうかの完全な証明が極めて容易に与えられるに相違ないような種類のもの」だとするばかりで、是非を断じていない。しかし、カントがどのように考えたかは、第二部第一章の終わりで示唆されている。
ある種の背理的な事物が、単に一般にそれについて話されるというだけの理由で、分別のある人々に受け入れられるということは、いつでもそうだったしまた恐らく将来もそうあり続けるだろうからである。交感、占い棒、予感、妊婦の構想力の霊能、月相の動植物への影響等々は上の背理的事物に属する。
 ここで言う「分別のある人々」にはもちろんカント自身も含まれており、彼は自らの純真を自嘲している。そして、「そのすぐれた悟性と洞察とが、そのような場合に欺かれることを不可能ならしめるようなお方」や「公使たるもの」、「名家の人々」など、地位と教養のある人々として挙げられていたすべての人々も含まれるだろうことは間違いない。これまでカントは、関係者たちが知的であることを、あたかも情報の信憑性が高い理由であるかのように扱ってきたが、どんでん返しが用意されていたというわけだ。さらにカントはだめ押しをする。
のみならず、先日一般地方民が、普通学者たちが軽信性のゆえに彼らに投げかけるのを常とする冷笑の返報を、立派に学者たちにしたのではなかったであろうか? なぜなら、多くの風説によって、子供や女たちがとうとう怜悧な男どもの大部分をして、ありふれた狼をはいえなだと思うに至らしめたからである、もっとも今ではフランスの森の中をアフリカの猛獣が走り廻ることはない、ということを分別のある人なら誰でも容易に洞察するけれども、われわれが初めは真理と欺瞞を差別なしに掻き集めるのは、その好奇心と結びついた人間悟性の弱さの然らしめるところである。だが次第に諸概念が純化され、僅かな部分が残り、残りのものは掃き寄せられた塵芥として投げ捨てられる。
 カントが例に挙げたのは「ジェヴォーダンの獣」として知られる事件のことである。当時、フランスのジェヴォーダン地方で正体不明の「獣」に人々が襲われる事件が頻発していた。カントがクノープロッホ嬢宛書簡を書いた一七六三年の翌年、一七六四年に最初の被害者を出して以来、この「獣」に襲われて命を落とした人は一説にはおよそ百人前後にのぼるとされる。ちょうどカントがスウェーデンボリ問題に取り組んでいるあいだ、隣国のフランスではこの「ジェヴォーダンの獣」の話題でもちきりだった。
 フランス国王が賞金を懸け、幾度も山狩りが行なわれたのにもかかわらず被害がなかなかやまなかったため、「獣」の正体について憶測が憶測を呼び、流言飛語が飛び交った。人々は「獣」を何か恐ろしい怪物のように想像し、人間の手によってアフリカからつれてこられたハイエナだという説がまことしやかに語られたほか、さまざまな奇怪な風説が流布された。しかし、討伐隊によって大型の狼が仕留められてから噂は収束にむかう。
 この「ジェヴォーダンの獣」事件はカントに示唆を与えただろう。不安と動揺、あるいは熱狂や過度の好奇心の渦中にあっては、「分別のある人」であっても風説に惑わされる。カント自身がそうだったのだ。しかし、頭を冷やして検討し直せば、報告された事例はすべて伝聞によるものであり、それらはいわば「スウェーデンボリ伝説」とでも言うべき事柄であった。仮に見かけ上は事実と一致していたとしても、「それはちょうど詩人が譫言を言っているのに、ときどき結果と一致するときには、人びとがそう信じ、あるいは少なくとも彼ら自身そう言うように、彼らが時折予言すると思われる」ようなものだ。哲学的含蓄に富んだ議論を期待した読者は肩すかしをくらったような気分になるかもしれないが、これが、スウェーデンボリの心霊現象と伝えられたものについて、カントのくだした事実上の結論であった。私自身は、ことによると伝説の発端には、立ち会った人々に奇異な感じを抱かせるような何かがあったかもしれない、とも思う。しかし、それも世に広まっていく過程で、それを語る人々の期待と好奇心によって何倍にも誇張されていったのだろう。ジェヴォーダンの人々がありふれた狼をハイエナに類した怪物と思い込んだように。
 …
 霊能力の証拠と巷間喧伝されていた事例を「お伽噺」としりぞけた後、カントはスウェーデンボリの大著「四つ折判八巻」(邦訳では全28巻、静思社刊)からなる『天界の秘儀』の検討に移る。しかし、カントが要約してくれるスウェーデンボリの世界観の特徴は、先にカッシーラーから引いたとおりだし、カントにとっては「私の哲学的空想に異常に似てもいる証言」との対決は重要だったろうが「心霊学」的には大きな問題ではないのでここで繰り返す必要はないだろう。
 ただし、カントが『天界の秘儀』を読むにあたって採ったスタンスは、私の「心霊学」にとって有益な教訓を含んでいそうだから、ここに書き留めておく。
 まず、『天界の秘儀』全体についての印象のうち、次の指摘は重要だ。
「彼の物語とそれらのまとめ方は実際に狂信的な直観から生まれたように思われ、背理的な穿さくをする理性の思弁的な幻影が彼を動かしてそうした物語を虚構し、欺瞞のために使ったのではないかという疑念をほとんど与えない。」
つまり、世間の評判を当て込んだ作為は見られないし、屁理屈を高じさせた挙げ句つじつま合わせのため霊界を幻視したと強弁しているのではない、とカントは判断したのだ。事実ではないかも知れないがウソではない、ここを見極めることが「心霊学」にとって肝要だ。そうでなければ、無数の神話や幻想文学のすべてを対象としなければならなくなる。
 事実ではないかも知れないがウソではないという基準は感覚や経験にしか当てはまらない。事実ではない理屈はあくまでもウソだ。それに対して、錯覚や幻覚は必ずしも嘘ではない、少なくとも故意の嘘ではない。「心霊学」が嘘に居直った強弁以外のものであろうとするなら、「背理的な穿さくをする理性の思弁」の手前にある経験を手がかりにするほかない。
 カントは「感官一般の錯覚は、理性の欺瞞よりもずっと注目すべき現象だ」という。
というのは後者の根拠は十分に知られており、また大部分、心の諸力の選択意志的な志向と、空虚な好奇心をいくらか多く制御することによって防止することができもするが、他方それに反して前者はすべての判断の第一の基礎にかかわり、それが正しくなければ、論理学の諸規則はそれに逆らってほとんど何もなし得ないからである! そこで私はわれらの著者において感官の妄想を知力の妄想から分離して、彼が彼の幻想のもとに立ち止まらずに、背理的な仕方でこじつけたようなことを省略する。(中略)似非経験でさえ大部分理性からの似非根拠よりも一層ためになる。
 後の『純粋理性批判』における超越論的仮象や誤謬推理のアイデアが認められる箇所であるが、そうした哲学史的含意はさておいて、「心霊学」的観点からは、後付けの理屈は捨ててその出発点となった幻想のもとに立ち止まり、それを検討することこそ価値のあることだと指摘されていることに留意すべきである。カントはこの方針のもとに視霊者スウェーデンボリに取り組んだのだった。しかし、その結果は「探究すべきものが何もない場合、通例そうであるように──何も見いださなかった」のであった。
その書の私的幻像と称するものがそれ自身を証明することができないので、それらに関係する動機は、著者がそれらの認証のためには、恐らく、生きている証人によって実証され得るような、上述の種類の例外的出来事に依拠するのであろう、という推測に存し得たに過ぎない。ところがそのようなものはどこにも見いだされない。
こうしてカントはスウェーデンボリに別れを告げたのである。
 よく知られているように、この『視霊者の夢』はヴォルテール『カンディード』から「さあわれわれの幸福のために、庭に出て働こうではないか」という言葉を引いて締めくくられている。いま、報道の中心は原発事故関連に移っている。新聞になどによると、政府は原発から半径20~30キロの住民に屋内待避を指示したそうだ。被害がひろがらずに問題が解決されることを願うが、われわれが働く庭はどこにあるのか、混沌とした日々がなおしばらく続きそうである。
 
*追記 本稿執筆にあたってはたまたま手元にあった理想社版『カント全集』から引用したが、執筆後、岩波版『カント全集』におさめられた植村恒一郎氏の訳文にふれて、その明晰さに驚いた。本稿を読んでも何のことかわからぬと感じられた多くの方が『カント全集3前批判期論集』(岩波書店)の植村氏の新訳で『視霊者の夢』の面白さにふれられることを期待する。
 
★プロフィール★ 広坂朋信(ひろさか・とものぶ)1963年生まれ。ライター。著書に『東京怪談ディテクション』、『怪談の解釈学』(いずれも希林館)など。ブログ「恐妻家の献立表」

 
Web評論誌「コーラ」13号(2011.04.15)
<心霊現象の解釈学>第1回:心霊現象への非哲学的考察(広坂朋信)
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11 件のコメント:

  1. 理想社3

    p183
    2:2


    http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/sinrei-1.html
     カントは「感官一般の錯覚は、理性の欺瞞よりもずっと注目すべき現象だ」という。

    というのは後者の根拠は十分に知られており、また大部分、心の諸力の選択意志的な志向と、空虚な好奇心をいくらか多く制御することによって防止することができもするが、他方それに反して前者はすべての判断の第一の基礎にかかわり、それが正しくなければ、論理学の諸規則はそれに逆らってほとんど何もなし得ないからである! そこで私はわれらの著者において感官の妄想を知力の妄想から分離して、彼が彼の幻想のもとに立ち止まらずに、背理的な仕方でこじつけたようなことを省略する。(中略)似非経験でさえ大部分理性からの似非根拠よりも一層ためになる。

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  2.  カントはこの第三の事例について、「それが本当かどうかの完全な証明が極めて容易に与えられるに相違ないような種類のもの」だとするばかりで、是非を断じていない。しかし、カントがどのように考えたかは、第二部第一章の終わりで示唆されている。

    ある種の背理的な事物が、単に一般にそれについて話されるというだけの理由で、分別のある人々に受け入れられるということは、いつでもそうだったしまた恐らく将来もそうあり続けるだろうからである。交感、占い棒、予感、妊婦の構想力の霊能、月相の動植物への影響等々は上の背理的事物に属する。p178

     ここで言う「分別のある人々」にはもちろんカント自身も含まれており、彼は自らの純真を自嘲している。そして、「そのすぐれた悟性と洞察とが、そのような場合に欺かれることを不可能ならしめるようなお方」や「公使たるもの」、「名家の人々」など、地位と教養のある人々として挙げられていたすべての人々も含まれるだろうことは間違いない。これまでカントは、関係者たちが知的であることを、あたかも情報の信憑性が高い理由であるかのように扱ってきたが、どんでん返しが用意されていたというわけだ。さらにカントはだめ押しをする。

    のみならず、先日一般地方民が、普通学者たちが軽信性のゆえに彼らに投げかけるのを常とする冷笑の返報を、立派に学者たちにしたのではなかったであろうか? なぜなら、多くの風説によって、子供や女たちがとうとう怜悧な男どもの大部分をして、ありふれた狼をはいえなだと思うに至らしめたからである、もっとも今ではフランスの森の中をアフリカの猛獣が走り廻ることはない、ということを分別のある人なら誰でも容易に洞察するけれども、われわれが初めは真理と欺瞞を差別なしに掻き集めるのは、その好奇心と結びついた人間悟性の弱さの然らしめるところである。だが次第に諸概念が純化され、僅かな部分が残り、残りのものは掃き寄せられた塵芥として投げ捨てられる。
    p178

     カントが例に挙げたのは「ジェヴォーダンの獣」として知られる事件のことである。当時、フランスのジェヴォーダン地方で正体不明の「獣」に人々が襲われる事件が頻発していた。カントがクノープロッホ嬢宛書簡を書いた一七六三年の翌年、一七六四年に最初の被害者を出して以来、この「獣」に襲われて命を落とした人は一説にはおよそ百人前後にのぼるとされる。ちょうどカントがスウェーデンボリ問題に取り組んでいるあいだ、隣国のフランスではこの「ジェヴォーダンの獣」の話題でもちきりだった。
     フランス国王が賞金を懸け、幾度も山狩りが行なわれたのにもかかわらず被害がなかなかやまなかったため、「獣」の正体について憶測が憶測を呼び、流言飛語が飛び交った。人々は「獣」を何か恐ろしい怪物のように想像し、人間の手によってアフリカからつれてこられたハイエナだという説がまことしやかに語られたほか、さまざまな奇怪な風説が流布された。しかし、討伐隊によって大型の狼が仕留められてから噂は収束にむかう。
     この「ジェヴォーダンの獣」事件はカントに示唆を与えただろう。不安と動揺、あるいは熱狂や過度の好奇心の渦中にあっては、「分別のある人」であっても風説に惑わされる。カント自身がそうだったのだ。しかし、頭を冷やして検討し直せば、報告された事例はすべて伝聞によるものであり、それらはいわば「スウェーデンボリ伝説」とでも言うべき事柄であった。仮に見かけ上は事実と一致していたとしても、「それはちょうど詩人が譫言を言っているのに、ときどき結果と一致するときには、人びとがそう信じ、あるいは少なくとも彼ら自身そう言うように、彼らが時折予言すると思われる」ようなものだ。哲学的含蓄に富んだ議論を期待した読者は肩すかしをくらったような気分になるかもしれないが、これが、スウェーデンボリの心霊現象と伝えられたものについて、カントのくだした事実上の結論であった。私自身は、ことによると伝説の発端には、立ち会った人々に奇異な感じを抱かせるような何かがあったかもしれない、とも思う。しかし、それも世に広まっていく過程で、それを語る人々の期待と好奇心によって何倍にも誇張されていったのだろう。ジェヴォーダンの人々がありふれた狼をハイエナに類した怪物と思い込んだように。

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  3. 「…哲学は、かくて悪い仲間関係において振り懸かる嫌疑につつまれる。なるほど私は上の箇所でその
    ような現象における精神錯乱に異議をとなえなかった、むしろ精神錯乱をなるほど空想的な霊の交互関係の原因とし
    てではないが、その当然の結果としてそれと結びつけはした、しかし極まるところを知らない哲学と一致点にもち来
    たらせられ得ないような、いかなる種類の愚事が存するであろうか? それゆえ読者が、視霊者をもう一つの世界の
    半公民と見なす代わりに、簡単にそして立派に彼らを入院候補者として片づけ、それによってそれ以上の一切の探索
    をまぬがれるとしても、私は決して読者をそのことで恨みはしない。」(1:3 p167)

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  4. (1:4 p169)

    「以前には私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のでない外的な理性の位置
    において、自分の判断をその最もひそかなる動機もろとも、他人の視点から考察する。両方の考察の比較はたしかに
    強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真
    の位置におくための、唯一の手段でもある。」

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  5. (1:2、140頁) 「われわれはコーヒーを飲むとき、人間の生命がそれから成るべき原子を呑みくだすのだという、ライプニッツの 冗談めいた思いつきも、もはや笑うべき思想ではないであろう。」

    (1:3、167頁)
    「…哲学は、かくて悪い仲間関係において振り懸かる嫌疑につつまれる。なるほど私は上の箇所でその ような現象における精神錯乱に異議をとなえなかった、むしろ精神錯乱をなるほど空想的な霊の交互関係の原因とし てではないが、その当然の結果としてそれと結びつけはした、しかし極まるところを知らない哲学と一致点にもち来 たらせられ得ないような、いかなる種類の愚事が存するであろうか? それゆえ読者が、視霊者をもう一つの世界の 半公民と見なす代わりに、簡単にそして立派に彼らを入院候補者として片づけ、それによってそれ以上の一切の探索 をまぬがれるとしても、私は決して読者をそのことで恨みはしない。」

    (1:4、169頁)
    「以前には私は一般的人間悟性を単に私の悟性の立場から考察した、今私は自分を自分のでない外的な理性の位置 において、自分の判断をその最もひそかなる動機もろとも、他人の視点から考察する。両方の考察の比較はたしかに 強い視差を生じはするが、それは光学的欺瞞を避けて、諸概念を、それらが人間性の認識能力に関して立っている真 の位置におくための、唯一の手段でもある。」

    後者2つはトラクリに引用された

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  6. http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2921618

    講談社学術文庫
    カントシレイシャノユメ
    カント「視霊者の夢」
    著者: イマヌエル・カント
    翻訳者: 金森誠也

    発行年月日:2013/03/11
    サイズ:A6判
    ページ数:174
    シリーズ通巻番号:2161
    ISBN:978-4-06-292161-9

    定価(税込):714円




    内容紹介
    <心霊現象>に哲学者が挑む
    霊界は空想家がでっち上げた楽園である――。
    哲学者として「霊魂」への見解を示し、『純粋理性批判』へのステップとなった重要著作を初めて文庫化。
    解説=三浦雅士

    理性によって認識できないものは、形而上学の対象になりうるか――。哲学者カントが、同時代の神秘思想家スヴェーデンボリの「視霊現象」を徹底的に検証。当時高い世評を得ていた霊能者へのシニカルかつ鋭利な批判を通して、人間の「霊魂」に対する哲学者としての見解を示す。『純粋理性批判』に至るステップとなった、重要著作。

    ところでわたしは、霊があるかどうかを知らない。いやそればかりか、霊という言葉が何を意味するかすら、まったくわかっていない。そうはいっても、わたし自身この言葉をしばしば用いているし、あるいは他の人たちが使っているのを聞いている。だから、たとえそれがいかなる幻想であろうと、あるいは何か実在するものであろうと「霊」という言葉によって何事かが理解されねばなるまい。――<本書 第一部第一章より>

    ※本書は、1991年に論創社より刊行された『霊界と哲学の対話――カントとスヴェーデンボリ』(金森誠也編訳)所収の「視霊者の夢」その他を文庫化したものです。

    目次
    訳者まえがき
    詳述する前に、きわめてわずかなことしか約束しないまえがき
    第一部 独断編
     第一章 好き勝手に解きほぐしたりあるいは断ち切ることが
         できる混乱した形而上学的な糸の結び目
     第二章 霊界との連帯を開くための隠秘哲学の断片
     第三章 反カバラ。霊界との共同体をとりこわそうとする通俗哲学の断片
     第四章 第一部の全考察からの理論的結論
    第二部 歴史編
     第一章 それが本当かどうかは読者の皆さんの随意の探究にお委せする一つの物語
     第二章 夢想家の有頂天になった霊界旅行
     第三章 本論文全体の実践的結末
    参考資料1 『神秘な天体』(抜粋)――エマニュエル・スヴェーデンボリ
    参考資料2 シャルロッテ・フォン・クノープロッホ嬢への手紙――イマヌエル・カント
    訳者あとがき
    学術文庫版の訳者あとがき
    解説 批評家の夢 三浦雅士

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  7. 視霊者の夢、おもろいカント - 風船子迷想録
    d.hatena.ne.jp/fusen55/20101117/1289949977
    カッシーラーは「カントの生涯と学説」において、カントの「視霊者の夢」と「感性界と英知 界との形式と原理」のあいだの驚くべき飛躍に注意を促している。前者は1766年、後者 は1770年。簡単に言えば、あの世の話を面白おかしくからかって ...


    カント「視霊者の夢」 (講談社学術文庫) | イマヌエル・カント, 金森誠也 | 哲学・思想 | Kindleストア | Amazon
    2013
    https://www.amazon.co.jp/dp/B01MYYX3NJ/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1
    トップカスタマーレビュー

    5つ星のうち 3.0視霊者の腸内を下剤で浄化せよ(P79より)
    投稿者 tenbun 投稿日 2013/6/8
    形式: 文庫
    哲学者カントが、同時代の神秘思想家スヴェーデンボリの「視霊現象」を考察した批判本になります。
    スヴェーデンボリは生きたまま、あの世に幽体離脱して死者と語ったり、霊界の様子を多くの著書に表しました。
    内容は、スヴェーデンボリが、夫人しか知らないことを透視したこと、亡夫しか知らない領収書の在り処を聞き出し婦人に証明したこと、遠方の大火事を千里眼しその事実を証明したことについての、カントの考察が書かれています。
    カントは、この本を「友人のおしつけがましい要望に応じた」ものP116といい、その結果に友人は満足していないだろうという。友人は、スヴェーデンボリの超能力をカントが認めてくれると期待したのだろうが、カントはこの本で、結論は待とう、「他者の判断の方が重いということがわかれば、他者の判断をおのれの判断とする」P80といいながらも、明らかにスヴェーデンボリの超能力を「否定」P135しています。

    カントは、スヴェーデンボリを「われらの夢想家」P112、または「著述家の夢想」P114と呼び、「彼の個人的幻視はそもそも証明できない」といい、この問題(幽霊物語、死霊の出現、霊的存在)は、「哲学的学説の洞察の限界」P86を超えている、「憶測するだけで、積極的に考えられない」感覚的からかけはなれた事物ゆえに否定で対処せざるを得ないというのである。<...続きを読む ›
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  8. カント全集 3 前批判期論集
    著者名等  カント/〔著〕  ≪再検索≫
    著者名等  坂部恵/編  ≪再検索≫
    著者名等  有福孝岳/編  ≪再検索≫
    著者名等  牧野英二/編  ≪再検索≫
    出版者   岩波書店
    出版年   2001.10
    大きさ等  22cm 588,12p
    NDC分類 134.2
    目次    神の存在の唯一可能な証明根拠;負量概念の哲学への導入;自然神学と道徳の原則の判明
    性;1765‐66年冬学期講義計画公告;視霊者の夢;空間における方位の区別の第一
    根拠について;可感界と可想界の形式と原理;モスカティ著『動物と人間の構造の身体上
    の本質的相違について』の論評;さまざまな人種について;汎愛学舎論
    内容    内容:神の存在の唯一可能な証明根拠 福谷茂/訳. 負量概念の哲学への導入 田山令
    史/訳. 自然神学と道徳の原則の判明性 植村恒一郎/訳. 一七六五-六六年冬学期
    講義計画公告 田山令史/訳. 視霊者の夢 植村恒一郎/訳. 空間における方位の区
    別の第一根拠について 植村恒一郎/訳. 可感界と可想界の形式と原理 山本道雄/訳
    . モスカティ著『動物と人間の構造の身体上の本質的相違について』の論評 福田喜一
    郎/訳. さまざまな人種について 福田喜一郎/訳. 汎愛学舎論 福田喜一郎/訳.
     解説.  索引あり
    ISBN等 4-00-092343-9
    書誌番号  3-0201067517

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  9. Kant, Immanuel, 1724-1804

    詳細情報

    タイトル カント全集
    著者標目 Kant, Immanuel, 1724-1804
    出版地(国名コード) JP
    出版地 東京
    出版社 理想社
    出版年 1966
    大きさ、容量等 363p 図版 ; 22cm
    価格 1500円 (税込)
    JP番号 51004188
    巻次 第1巻
    別タイトル 自然哲学論集
    部分タイトル 活力測定考,地震論,物理的単子論,自然地理学講義草案,月の火山,天候におよぼす月の影響
    部分タイトル 自然哲学論集 / 亀井裕 訳
    出版年月日等 1966
    NDC 134.2
    対象利用者 一般
    資料の種別 図書
    言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語

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  10. 「カント全集」(岩波書店版)収録作品リスト | Philosophy Guides
    https://www.philosophyguides.org/data/kant-complete-works/
    カント全集1 前批判期論集1

    活力測定考(大橋容一郎訳)
    地球自転論(大橋容一郎訳)
    地球老化論(大橋容一郎訳)
    火について(松山壽一訳)
    地震原因論(松山壽一訳)
    地震の歴史と博物誌(松山壽一訳)
    地震再考(松山壽一訳)

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  11. 以下カント判断力批判#28より
    《力 Macht とは大きな障害に優越している能力である。その同じ力は、力をそれ自身所持しているもの
    の抵抗にもまた優越しているとき威力 Gewalt と称せられる。…
    われわれは雷雨、暴風雨、地震などにおいて神が憤怒しており、しかも同時に神の崇高性が表出されて
    いると表象するのをつねとするが……
    われわれの職分がその力を超えて崇高であると考えるところのわれわれの内に存する能力によって、深い
    畏敬をわれわれの内に起こさせる存在者の崇高性の理念へ達することができる》

    カントは判断力批判#28で地震に触れその節の末尾を柄谷は定本一で引用している。
    カントの思考がここまで行きつくには、
    スウエーデンボルグルソーヒュームを経なければならなかった。
    そうでなければ1750年代の自然科学論文で満足したままだったろう。

    1756年地震論文(リスボン地震に触発された)では唯物論、
    夢は独断論に対して批判哲学ではなく懐疑主義的歴史観で対抗しているが弱いし、
    1766夢論文でスウエーデンボルグを独断論/懐疑論で切るが十分ではない。

    カントの強みは自然科学、論理学、倫理学が渾然としているところだ。
    (だからそれらを整理するカテゴリーが逆に意味を持つ)

    柄谷行人の地震論での錯誤でその渾然としたカントを体現してしまっている。
    2000年代マルクスの唯物論に物足りなくなった柄谷と、
    1760年代自然科学に物足りなくなったカントとはパラレルだ。

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