http://www.freeassociations.org/
ヴェーラ・イヴァノーヴナ・ザスーリチ(ザスーリッチとも;ロシア語:Вера Ивановна Засуличヴィェーラ・イヴァーナヴナ・ザスーリチュ;ラテン文字転写の例:Vera Ivanovna Zasulich、1849年8月8日(ユリウス暦7月27日)- 1919年5月8日)は、ロシアの女性革命家。
目次 [非表示]
1 生い立ち
2 ナロードニキ運動に参加
3 トレポフ狙撃事件
4 マルクス主義に転向
5 メンシェヴィキの指導者
6 関連事項
7 参考
8 外部リンク
生い立ち [編集]
1849年8月8日(ユリウス暦7月27日)ロシア帝国西部のスモレンスク県ミハイロフカ村に生まれる。生家は小貴族で、3歳の時に父親が死去する。母親の計らいでビャコロヴォに住む裕福な親族(従兄弟の関係にあたるミクーリチ家)に姉二人とともに預けられた。1866年女学校を卒業し二人の姉とともにサンクトペテルブルクの寄宿女学校に入学する。ザスーリチは、姉の影響で革命思想に共鳴し、ナロードニキ運動に参加する。寄宿女学校卒業後、モスクワ大学に合格するが、大学にはいかずにモスクワ郊外の判事の事務所で助手として働く。様々な訴訟を扱う中、特に当時の農村の悲惨な状態に触れることになる。
ナロードニキ運動に参加 [編集]
1868年再びペテルブルクに出て裁縫や製本の仕事の傍ら、夜間学校で工場労働者に読み書きを教えた。ザスーリチがセルゲイ・ネチャーエフと出会ったのはこの時期である。ネチャーエフの活動をザスーリチは助けるが、1869年3月ネチャーエフがスイスに亡命した後、ザスーリチと姉はネチャーエフ事件に連座し逮捕、投獄された。
ネチャーエフ事件の裁判で証人として出廷した後、1871年3月釈放される。しかし数日後、再び拘束され、以後、警察の監視下、いくつかの地方で拘束される行政流刑処分となる。ザスーリチは、拘禁中に意識的な革命家に変貌したと考えられる。
1873年に釈放され、1875年9月キエフに移る。キエフでナロードニキ組織「南のブンターリ(反乱者)」に参加する。この団体は、バクーニン主義の影響の強いグループで、ここで終生の友人であるレフ・デイチに出会う。デイチは、このころのザスーリチについて、知的で博識であり、注目に値する女性であると記している。
しかし、ほかのナロードニキが農民との軋轢で運動が挫折したのと同様、ザスーリチも、農民に受け入れられず運動は行き詰まりを見せていた。
トレポフ狙撃事件 [編集]
1876年、ペテルブルクに出てナロードニキ組織「土地と自由」に参加する。1877年7月、76年12月のデモに参加し逮捕された大学生で政治犯のアレクセイ・ボゴリューボフが、監獄を視察したペテルブルク特別市長官フョードル・トレポフ将軍に対して脱帽を拒否、報復として鞭刑とされたことに囚人が怒り暴動が発生したという新聞記事を読む。この事件は革命派、過激派のみならず、多くのインテリゲンツィアも憤激させた。ザスーリチもその一人であった。1878年1月24日、ザスーリチはコズローヴァの偽名を名乗り請願のためとトレポフ将軍に面会し、将軍を狙撃した。ザスーリチの放った弾丸のうち、二発目がトレポフの左脇腹に命中し負傷させた。ザスーリチはその場で逮捕され、裁判にかけられるが、事件は世界的に知られることとなり、普通法による陪審裁判所で取り扱われ無罪となった。無罪判決が下った瞬間、法廷内は歓喜の声が充満し、裁判所の外で判決を見守っていた群衆は、ザスーリチを歓呼をもって迎えた。さらに各地で専制に対する勝利のデモが勃発した。ザスーリチは、再逮捕を恐れ、他の多くの革命家がしたようにスイスに亡命した。
「土地と自由」派が、革命の手段をめぐりテロによる要人暗殺を肯定する「人民の意志」派と、テロの否定と農村での宣撫を重視するゲオルギー・プレハーノフ率いる「黒い割替」派に分裂する。1879年「黒い割替」派に参加し、1881年の皇帝アレクサンドル2世の暗殺につながるテロリズムには反対した。
マルクス主義に転向 [編集]
スイス亡命後、マルクス主義に転向する。この間、ロシアの共同体をめぐり、カール・マルクスとの間に書簡を往復させる。1883年、プレハーノフ、パーヴェル・アクセリロードとジュネーヴにおいてロシア最初のマルクス主義組織「労働解放団」を結成する。労働解放団の依頼でザスーリチは、マルクスの作品をロシア語に翻訳する。1890年代にインテリゲンツィアの間に急速にマルクス主義が浸透すると、1898年の社会民主労働党結成の遠因を作った。1900年、ユーリー・マルトフ、ウラジーミル・レーニン、アレキサンドル・ポトレソフら新世代に属する急進的なグループとザスーリチ、プレハーノフ、アクセルロードらの間には、ある種の対立関係が生じるようになっていた。しかし6人は、共同して「イスクラ」を創刊し編集局員として働いた。1900年から1903年にかけて、「イスクラ」紙上で、「合法マルクス主義」として知られるピョートル・ストルーヴェや、セルゲイ・ブルガーコフと論争を展開した。
メンシェヴィキの指導者 [編集]
1903年「イスクラ」編集局は、ブリュッセルとロンドンで社会民主労働党第2回党大会開催に漕ぎつけた。しかし、第2回ロンドン大会で社会民主労働党は、レーニンのボリシェヴィキとマルトフのメンシェヴィキの両派に分裂する。ザスーリチはメンシェヴィキに参加し同派指導者のひとりとなる。1905年の第一次ロシア革命の後、ロシアに帰国した。しかし、革命に対する彼女の情熱は次第に冷めていく。1914年第一次世界大戦が勃発すると、プレハーノフとともにロシアの参戦を支持した。1917年の十月革命には反対した。1919年5月8日にペトログラードで死去した。
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/marxismco/marxism_genriron_gensyo_gotakoryo1.htm
労働はあらゆる富の源泉ではない。
自然は、労働と丁度同じほど、使用価値の源泉であり(そして確かに、物質的富を成り立たせているものは使用価値である)、労働そのものが、人間の労働力という、自然力の現われに過ぎない。
先の決まり文句はどんな子供向け入門書で見受けられるものである。そして、労働がそれに必要な諸対象と諸手段とで遂行されていると仮定される限りで、正しい。
ゴータ綱領批判大月19:15
世界史の構造30頁参照
マルクスの国家社会主義批判
一方、マルクスが絶対に受け入れなかったのは、ラッサールの「国家社会主義」でした。マルクス派とラッサール派が合同で作ったドイツ社会民主労働党の「ゴータ綱領」(一八七五年)についても、彼は、国家によってアソシエーション(生産者協同組合)を育成するというラッサールの考えを痛烈に批判しています。
労働者が協同組合的生産の諸条件を社会的規模で、まず最初は自国に国民的規模でつくりだそうとするのは、現在の生産諸条件の変革のために努力することにほかならず、国家の補助による協同組合の設立とはなんのかかわりもないものである! 今日の協同組合についていえば、それらは政府からもブルジョアからも保護を受けずに労働者が自主的につくりだしたものであるときに、はじめて価値をもっているのだ。(『ゴータ綱領草案批判』、山辺健太郎訳)
国家によって協同組合を育成するのではなく、協同組合のアソシエーションが国家にとって替わるべきだと、マルクスはいっているのです。しかし、何らかの国家の補助がないならば、生産者協同組合が資本制企業に敗れてしまうこと
世界共和国へ
楽天ブックス: カール・マルクス - 「資本主義」と闘った社会思想家 - 佐々木隆治 - 4480068899 : 本
http://books.rakuten.co.jp/rb/13858288/
カール・マルクス[佐々木隆治]
本
トップ > 本 > 新書 > その他
カール・マルクス 「資本主義」と闘った社会思想家 (ちくま新書)
佐々木隆治
ユーザ評価0.0(0件) | レビューを書く
928円(税込)860円(税抜) 送料無料
獲得ポイント: 3倍 27ポイント 内訳
楽天ブックス初めてご利用の方限定!
Welcomeキャンペーン!初めて利用&条件達成でポイント最大5倍!
電子書籍版でもご購入可能です!
???絖??膠???ゃ?????ゃ???0?? width=
Kobo logo電子書籍版
810円
紙書籍版
928円
楽天Kobo電子書籍ストアについて / iPhone、iPad版アプリ / Androidアプリ / 電子ブックリーダー
商品基本情報
発売日: 2016年04月05日頃
著者/編集: 佐々木隆治
出版社: 筑摩書房
サイズ: 新書
ページ数: 263p
ISBNコード: 9784480068897
商品説明
【内容情報】(「BOOK」データベースより)
マルクスの理論はさまざまな悪罵を投げつけられてきた。だが、カール・マルクスその人の理論は、今なお社会変革の最強の武器であり続けている。本書は最新の文献研究からカール・マルクスの実像に迫り、その思想の核心を明らかにする。これまで知られてこなかった晩期マルクスの経済学批判のアクチュアリティが、今ここに甦る!
【目次】(「BOOK」データベースより)
第1章 資本主義を問うに至るまで(1818~1848年)-初期マルクスの新しい唯物論(人間カール・マルクスの実像/多感な大学時代/文学から哲学へ ほか)/第2章 資本主義の見方を変える(1848~1867年)-マルクスの経済学批判(『資本論』の見方1-商品の秘密/『資本論』の見方2-貨幣の力の源泉/『資本論』の見方3-資本の力と賃労働という特殊な働き方 ほか)/第3章 資本主義とどう闘うか(1867~1883年)-晩期マルクスの物質代謝の思想(変化したマルクスのヴィジョン/改良闘争への高い評価/アソシエーションとしての共産主義社会 ほか)
【著者情報】(「BOOK」データベースより)
佐々木隆治(ササキリュウジ)
1974年生まれ。立教大学経済学部准教授。一橋大学社会学研究科博士課程修了、博士(社会学)。現在、MEGA(新マルクス・エンゲルス全集)の編集に携わり、『資本論』草稿や抜粋ノートの研究に取り組んでいる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
第 3章資本主義とどう闘うか [ 1 8 6 7 ~ 1 8 8 3年 ] ─ ─晩期マルクスの物質代謝の思想変化したマルクスのヴィジョン /改良闘争への高い評価 /アソシエ ーションとしての共産主義社会 /鍵となる 「物質代謝 」という概念 / 「人間は自然の一部である 」という大前提 /資本による物質代謝の攪乱 /抵抗の拠点としての物質代謝 /晩期マルクスの変革構想と抜粋ノ ート /エコロジ ー問題と物質代謝論 /農学者フラ ースの気候変動論と物質代謝 /物質代謝論から共同体研究へ /共同体論の到達点としての 「ザス ーリチへの手紙 」 /共同体論研究からジェンダ ーへ /晩期マルクスのジェンダ ーへの注目 /老マルクスの最後の闘争
目次はじめに第 1章資本主義を問うに至るまで [ 1 8 1 8 ~ 1 8 4 8年 ] ─ ─初期マルクスの新しい唯物論人間カ ール ・マルクスの実像 /多感な大学時代 /文学から哲学へ /青年ヘ ーゲル派との出会い /青年ヘ ーゲル派とはどのようなグル ープか /マルクスに与えたバウア ーのインパクト /ジャ ーナリストへの転身 /宗教批判から政治批判へ / 『ヘ ーゲル国法論批判 』と近代国家批判 /フォイエルバッハの与えた影響 / 『ヘ ーゲル国法論批判 』の限界 / 『独仏年誌 』に掲載した二つの論文 /一変するマルクスの変革構想 / 『経済学哲学草稿 』 /私的所有と 「疎外された労働 」 /啓蒙主義のヴィジョンを乗り越えて /エンゲルスとの再会とバウア ーとの最終的な決裂 /フォイエルバッハ批判へ / 「フォイエルバッハ ・テ ーゼ 」の 「新しい唯物論 」 /哲学からの離脱 /新たな変革構想と 「唯物史観 」 /ブルジョア的生産様式の限界 /自由の条件としてのアソシエ ーション /経済学批判へ第 2章資本主義の見方を変える [ 1 8 4 8 ~ 1 8 6 7年 ] ─ ─マルクスの経済学批判四八年革命の動乱から資本主義の中心地へ /経済学研究の日々 /経済学批判としての 『資本論 』 『資本論 』の見方 ① ─ ─商品の秘密
商品には資本主義の謎が隠されている /商品の価格はどう決まるのか /なぜ商品の価値の大きさは労働によって決まるのか /労働の二面的性格 /市場システムはどのように成立しているのか /価値論の意義 /なぜ商品が存在するのか /物象化と物神崇拝 『資本論 』の見方 ② ─ ─貨幣の力の源泉値札の謎 /値札のメカニズム /貨幣の力 /物象の人格化
~⑥
このコメントは投稿者によって削除されました。
「自己労働にもとづく私的所有……は、やがて、他人の労働の搾取にもとづく、賃金制度にもとづく資本主義的私的所有によってとって代わられるであろう。」(前掲書、三四一ページ)
1:24:7 仏版1:32
みずから働いてえた・いわば個々独立の労働個人と彼の労働諸条件との癒着にもとづく・私的所有は、他人の・しかし形式的には自由な・労働の搾取にもとつく資本制的私的所有によって、駆逐される。
「資本主義制度の根本には、それゆえ、生産者と生産手段との根底的な分離が存在する。……この発展全体の基礎は、耕作者の収奪である。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである。……だが、西ヨーロッパの他のすべての国も、これと同一の運動を経過する。」
(『資本論』フランス語版、三一五ページ)
1:24:1?
(1:26)
このコメントは投稿者によって削除されました。
「資本主義制度の根本には、それゆえ、生産者と生産手段との根底的な分離が存在する。……この発展全体の基礎は、耕作者の収奪である。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである。……だが、西ヨーロッパの他のすべての国も、これと同一の運動を経過する。」
(『資本論』フランス語版、三一五ページ)
現行版にはない
林訳129,131頁
仏版1:26
レーニンの党組織論/「なにをなすべきか」に学ぼう
http://www.mcg-j.org/mcgtext/naninasu/naninasu.htm
5 ●自然発生性との闘い
レーニンは労働運動の白然発生性に拝跪してはならないこと、社会主義的意識のいかなる軽視もブルジョア・イデオロギーの影響を強めることになると主張した。なぜなら、マルクス主義は労働運動と独立して形成された科学(それまでの哲学、経済学、歴史学を止揚したもの)であり、科学である以上学習されなければならないこと、しかもブルジョア・イデオロギーがその起源においても古く、いっそう全面的に仕上げられ、はかりしれない普及手段を有している中では、労働者大衆は自然に社会主義意識をもつことはできないこと、従って自然発生性へのいかなる追従も有害であるとした。そして、このレーニンの主張は、労働運動の歴史をみれば、反駁の余地もない真理であることを前回みた。
しかし、この自然発生性と社会主義的意識についてのレーニンの明解な(しかし深刻な)主張を、ロシアの日和見主義者やその後の“共産主義者”は何一つ理解しようとはしなかったのである――いわく、労働者を信用していない、大衆の革命性を過小視し、官僚主義的だ、“代行主義”だ、レーニンの中央集権党は「保守的役割」しか果せない、等と。
まずロシアでは、おなじみの経済主義者はレーニンが「大衆の自然発生性を軽視している」として次のように言った。
「政治的理想をたえず忘れまいとする努力のために経済的基礎がぼかされる」、労働運動の標語は「締済状態のための闘争である」、「政治は経済のあとにつき従うべきだ」、「自己の経済的利益のための闘いの第一義性」等々。
こうした「自然発生性に屈伏」した主張は、何も我々にとって目新しくはないだろう。組合主義者や急進派の諸君から経済闘争の重要性とか現実にある闘争にまず介入すべきとか、マル労同は大衆運動を無視しているとかいった非難を、我々はいつも聞かされてきたのである。(そして、我々を批判した諸君の九〇%以上が、実はこうした言葉で自らの「自然発生性への拝跪」を、社会主義的闘いの無理解をかくしてきたのである)。
そして「自己の経済的利益のための闘争」こそ「第一義的重要性をもつ」という自然発生性を賛美する人々の主張は、ベルンシュタインの修正主義と見事に結びつくことは明らかである。つまり、運動(目前の経済闘争)がすべてであって、終局目標は無であるというベルンシュタイン主義を経済主義者はくり返したに他ならなかったのである。
レーニンのこの「自然発生性と社会主義的意識」についての評価は、社会主義運動の二つの潮流(革命派と日和見派)を厳しく峻別するものであっただけに、動揺的な人々からの多くの反発や批判をうけることになった――ローザ・ルクセンブルグやトロツキー、そして彼らの後継者(マンデルや日本の急進派)。
ここでは、ローザの主張を紹介しておきたい(スターリン主義者によってローザの評価は徹底して歪曲されているが、それはローザの以下にみるような主張を正当化するものではない)。
「社会主義的諸組織の主導性や意識的指導は、そこ(ロシアでの労働運動の高揚の時代)では……とるにたりない役割しか果たさなかった。このことはそれら諸組織が事態について特別に準備をしていなかったという事実によって説明されうるものではないし、またレーニンが吹聴するように全能の中央指導部が欠けていたことによってもうまく説明できるものではない。問題は逆であって、そのような指導が存在しても、それは大衆の激しい進撃と計会主義のためらいがちな立場の対照的なことが強調されるだけ……」
社会主義政党の指導性は「革命の膨大なる貸借対照表のなかでは、あたかも大海の一滴のようなものである」
いうまでもなくローザは共産主義政党の存在一般を否定した訳ではなかった。しかし、彼女は党の役割を軽視し、大衆の自然発生性を「過大視」することで、共産主義者が労働運動と社会主義の結合のためにねばり強く闘う意義をあいまいにしたのである。まただからこそ、レーニンの党組織論への「官僚主義的」といった自由主義的評価も生まれてきたのである。
ローザは不当にもレーニンが革命期において大衆の偉大な革命性を軽視しているかに主張するが、むしろ問題はその時期こそ共産主義政党の“指導性”が問われていることを無視してしまっている。レーニンが指導したロシア革命が勝利をおさめ、ドイツ革命が流産したことは、果たして偶然だったであろうか!そして、この経験からレーニン主義の正しさを読みとらず、「自然発生性の意義」について今だにおしゃべりしている諸君の愚かさよ!
マルクスとエンゲルスによって共産党マニフェストが
共産主義同盟の検閲を経て発表されたのが1848年。
このころ、世界にはまだ普通選挙制度がなかった。
選挙があったにしても
プロレタリアートを事実上参政権から締め出す制限選挙だった。
こうした中でプロレタリアートの代表政党が政権をとれるとしたら
革命か資本家らの良心に訴えるしかありません。
マルクスは晩年、USAとイングランドとそしてホラント(今のオランダ西部)では
暴力革命なしに平和的に共産社会への政治的目的が果たせる可能性があると
認めています。
その理由はどうやら、
1. 普通選挙権が実現されている
2. プロレタリアートが人口の多数派を占めている
ということであるようですね。
この二つ条件は非常に分かりやすい。
要するに、普通選挙でプロレタリアートを代弁する候補者の議席が
過半数を占めることが実現可能であることの条件そのものです。
「ヴェ・イ・ザスーリチへの手紙」
1881年3月8日
…
資本主義的生産の創生を分析するにあたって、私は次のように言いました。
「資本主義制度の根本には、それゆえ、生産者と生産手段との根底的な分離が存在する。
……この発展全体の基礎は、耕作者の収奪である。これが根底的に遂行されたのは、まだ
イギリスにおいてだけである。……だが、西ヨーロッパの他のすべての国も、これと同一の
運動を経過する。」(『資本論』フランス語版、三一五ページ)
だから、この運動の「歴史的宿命性」は、西ヨーロッパ諸国に明示的に限定されているの
です。このように限定した理由は、第三二章の次の一節のなかに示されています。
「自己労働にもとづく私的所有……は、やがて、他人の労働の搾取にもとづく、賃金制度に
もとづく資本主義的私的所有によってとって代わられるであろう。」(前掲書、三四一ページ)
こういうしだいで、この西ヨーロッパの運動においては、私的所有の一つの形態から私的所
有の他の一つの形態への転化が問題となっているのです。これに反して、ロシアの農民にあっ
ては、彼らの共同所有を私的所有に転化させるということが問題なのでしょう。
こういうわけで、『資本論』に示されている分析は、農村共同体の生命力についての賛否
いずれの議論にたいしても、論拠を提供してはいません。しかしながら、私はこの問題につい
て特殊研究をおこない、しかもその素材を原資料のなかに求めたのですが、その結果として、
次のことを確信するようになりました。すなわち、この共同体はロシアにおける社会的再生の
拠点であるが、それがそのようなものとして機能しうるためには、まずはじめに、あらゆる側面
からこの共同体におそいかかっている有害な諸影響を除去すること、ついで自然発生的発展
の正常な諸条件をこの共同体に確保することが必要であろう、と。
親愛な市民よ、あなたの忠実な
カール・マルクス
『マルクス=エンゲルス全集』第19巻238-239頁大月書店より
ロシア革命前のロシアは、人口の7割以上が農民であった農業国だり、
工場プロレタリアートは都市部で増え始めている程度でした。
マルクスが資本論のモデルにしたイギリスとは産業の発展段階が違いました。
そのころ、ロシア・マルクス主義の父といわれたプレハーノフは
二段階革命論に立ってロシアの資本主義化は不可避であると論じることで
資本主義なしに農民による共産主義革命(一段階革命)を唱えて帝政ロシアに
ゲリラ的武力闘争を仕掛けていたナロードニキと論争したと言われています。
Marxism and "Really Existing Socialism", (Harwood Academic Publishers, 1986)
によれば、{
“A premature socialist revolution could lead to a political monster similar to
the ancient Chinese and Peruvian empires, i.e. to a renewal of tsarist despotism
with a communist lining.” }
「早産の社会主義革命は、古代中国やペルビアン帝国のような政治的なモンスター、
すなわち共産主義の裏地をまとった皇帝の専制政治に繋がる恐れがある。」
とプレハーノフはロシア革命以前に述べていたといいます。
この二段階革命論は、当時のロシアのマルクス主義者たち(のちのメンシェヴィキと
ボリシェヴィキの大半)にとっての自明な共通理解だったと言われています。
ザスーリチという人です。この人はもともとナロードニキでマルクスに手紙を書いています。
そこで、ロシアのマルクス主義者たちはマルクスが二段階革命論を唱えているというが、
本当ですか、とマルクスに直接尋ねたわけです。
>>291
訂正:農業国だり、=> 農業国であり、
訂正:ただし例外的な人がいます。ザスーリチという人です。・・・
ザスーリチという人はもとはナロードニキなので一段階革命論者です。
帝政ロシアを打倒するロシア革命は農本共産主義革命になるという立場です。
しかしロシアのマルクス主義者たちが二段階革命論を唱えてそれに反対しました。
その論拠がマルクスだというのですから、ザスーリチはマルクス自身に直接問いました。
マルクスはそれに答えて自分の書いた資本論はイングランドと西ヨーロッパに
限定した史観を描いているので、その他の諸国に適用できるものではないとし、
どちらかといえばザスーリチに対して好意的と見られるような返答をしました。
これがのちにマルクス主義者の間の論争の火種になりました。
トロツキーによれば、レーニンはロシア革命をあるところではブルジョワ革命だとし、
別のところではブルジョワ革命でも社会主義革命でもないとし、揺れています。
エンゲルスは特に晩年は政治革命から社会革命へ傾斜した
マルクスもザスーリチへの手紙を読む限り社会革命へ傾斜していると解釈出来る
共産党宣言は政治革命の書だが
資本論は社会革命の書だ
https://blogs.yahoo.co.jp/ebi3des/59491613.html?__ysp=5YCL5Lq655qE5omA5pyJIOafhOiwtyDjg57jg6vjgq%2Fjgrkg56eB55qE
マルクスは『経・哲草稿』の第三手稿「私的所有と共産主義」のなかで、私的所有における人間と対象との関係を「ハーベン[Haben]」と表現しています。これについて、大月書店版『経済学・哲学手稿』、藤野渉訳では「持つこと」、岩波書店版『経済学・哲学草稿』、城塚登・田中吉六訳では「所有」となっています。私は「所有[Eigentum]」と区別して「持つこと[Haben]」と訳すべきだと思っています。
ちなみに、この[Haben]というカテゴリーについてマルクスは「ヘスを見よ」と書いており、それは「ヘスの論文『行為の哲学』の一節」だと言われている、またマルクス『聖家族』のなかでも取り扱われています。
マルクスはここで、「私的所有はわれわれを非常に愚かで一面的なものにしてしまった」ということを、人間が対象にたいして、「感性的に我がものとする獲得」と対比して述べています。
「感性的に我がものとする獲得」とは、それぞれの対象に固有な多様で具体的な質にたいして、人間の「全面的な本質を全面的な仕方で」、人間の「個性のすべての器官」(「見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触感する、思考する、直感する、感覚する、意欲する、活動する、愛する」等の人間的諸器官)を働かせて、「対象にたいするそれら人間的諸器官の関係行為[Verhalten]」において「対象を我がものとする獲得」のことです。
具体的な例をあげてみましょう。昔、読んだ、須長茂夫『息子よここで翔べ』という本のなかに、チャボ君というあだ名の、勉強が不得意で、貧しくて、しかし皆をホットさせる雰囲気をもった子供が登場する。ある日、チャボ君が仲間に「俺の山を案内するよ」と言ってその山へ行くことになる。
第二部・1章「移動と批判」梗概~柄谷行人「トランスクリティーク」
blog.livedoor.jp/mineallmine/archives/52083417.html
2018年6月15日 ... それがプルードンが「所有」と呼び、マルクスが「私的所有」と呼んだものだ。マルクスの「 個人的所有」は ...
生きてる感想 : 柄谷行人「トランスクリティーク」梗概~全体 - livedoor Blog
blog.livedoor.jp/mineallmine/archives/52086384.html
2018年6月25日 ... 柄谷行人「トランスクリティーク」梗概~全体 ... 序文 トランスクリティークとは、カントとマルクスをそれぞれを通じて読む企てである。 私 ...... や共同所有を基礎とする個人的 所有が確立されると考えた。
林田力 書評『トランスクリティーク』『世界史の構造』
www.hayariki.net/poli/trans.html
柄谷行人『トランスクリティーク――カントとマルクス』は、カントとマルクスの思想的基盤 ... 私的所有と個人的所有は区別される。
984名無しさん@お腹いっぱい。2018/01/31(水) 12:26:46.23ID:xICfWGBr
http://blogs.yahoo.co.jp/countrytown2010/18737706.html
《マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な私有権は、
それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたものだ。
私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、
私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は
国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個体的所有」の
確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていた
からである。》
(柄谷行人『トランスクリティーク』柄谷行人)
「資本主義制度の根本には、それゆえ、生産者と生産手段との根底的な分離が存在する。……この発展全体の基礎は、耕作者の収奪である。これが根底的に遂行されたのは、まだイギリスにおいてだけである。……だが、西ヨーロッパの他のすべての国も、これと同一の運動を経過する。」
(『資本論』フランス語版、三一五ページ)
内容的に現行版1:24:1に対応するが、そのものズバリは現行版にはない
正確には、林訳129,131頁を参照
仏版1:26
1:24:7 仏版1:32
「みずから働いてえた・いわば個々独立の労働個人と彼の労働諸条件との癒着にもとづく・私的所有は、他人の・しかし形式的には自由な・労働の搾取にもとつく資本制的私的所有によって、駆逐される。」河出
佐々木隆治 より