土曜日, 1月 19, 2019

転載:第二部・1章「移動と批判」梗概~柄谷行人「トランスクリティーク」


984名無しさん@お腹いっぱい。2018/01/31(水) 12:26:46.23ID:xICfWGBr
http://blogs.yahoo.co.jp/countrytown2010/18737706.html 
《マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な私有権は、 
それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたものだ。 
私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、 
私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は 
国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個体的所有」の 
確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていた 
からである。》 
(柄谷行人『トランスクリティーク』柄谷行人itc253)




http://study-capital.la.coocan.jp/hokoku/study-wn-capi-050.html
《資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働に
もとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、
それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は私有を再建しないが、しかし、資本主義
時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによっ
て生産される生産手段の共同占有を基礎とする個人的所有をつくりだす(のである。)》
『資本論』第一巻第24章第7節
itc253
《 一般的なイメージとは逆に、マルクスはアナーキズム的である。マルクスは国家社会主義者ラサールのゴータ綱領を批判し、生産協同組合は国家が育成すべきではなく、共同組合のアソシエーションが国家にとって替わるべきだと主張する。アソシエーションとはいったん共同体から出た者たちが結びつく形態であり、コミュニズムとは、資本制経済において貨幣との交換によって実現される「社会的」諸関係を「自由で平等な生産者たちのアソシエーション」さらに「諸アソシエーションのグローバルなアソシエーション」に転化しようとするものである。
 マルクスは株式会社は資本と経営の分離によってそれまでの「資本家」を消滅させるので、資本主義で私的所有としての資本を廃止させるものとしてみた。しかしそれは資本制の消極的な揚棄であり、マルクスは労働者が株主であるような生産協同組合にその積極的な揚棄を見出した。
 近代的な私有権は、租税支払いを代償に絶対主義的国家によって与えられたものだ。それゆえ私有財産の廃止=国有化ではなく、むしろ私有こそ国有である。資本主義の中で私的所有の廃止が起きる時、それは国家の廃棄につながり、代わりに生産手段や共同所有を基礎とする個人的所有が確立されるとマルクスは考えた。こうした考えはパリ・コミューンに強い影響を与えたプルードンの考えに基づいている。プルードンは「所有とは盗みである」と言い、「所持を保全しながら所有(不労収益権)を廃止せよ」と言った。

 アダム・スミスは資本家の利潤を正当なものとしてみなしたが、プルードンはそれを「盗み」と呼んだ。それがプルードンが「所有」と呼び、マルクスが「私的所有」と呼んだものだ。マルクスの「個人的所有」はプルードンが肯定した「所持」にあたる。それを廃止させるためにイギリスのリカード左派は激しい政治運動を起こしたが、プルードンは労働合資会社を提唱し、そのような倫理ー経済的な変換のシステムの拡大によって資本と国家を解消できると考えた。その背景には1830年代のフランスには産業資本主義も産業労働者もほとんどなかったことがある。当時有力だったサン・シモン主義(国家社会主義)にプルードンは一貫して反対だったが、サン・シモン主義のナポレオン3世の統治下でフランスに産業革命が起き、社会主義者はそこに呑み込まれた。
梗概より






■■第1章 移動と批判
■1.移動
 マルクスの膨大な著作をもとにエンゲルスはその思想を体系化したが、マルクス自身は自分の思想を体系化することをを拒絶した。マルクスの「思想」は、それ以前のものに対する「批判」としてしか存在しない。私の課題は、マルクスにおける「批判」の意味を回復すること、そしてそのことが現在および将来においていかなる認識の光を投げかけるかを示すことだ。マルクスの懐疑論は彼の人生と一体である。すでに考察したように、デカルトやカントは地理的にあるいは精神的に「移動」することにより、システムとシステム、あるいは共同体と共同体の「間」で疑い、思考した。私はこのような超越論的場所を批判的場所(critical space)と名づける。マルクスについても同様で、彼が「移動」したことが彼の思考において決定的に重要だった。彼は言説の「間」で考えたのであり、そこから何か積極的な学説(ドクトリン)を取り出すべきではない。
 マルクスは1843年パリに亡命し、その翌年「経済学・哲学草稿」を書いたが、それはフォイエルバッハの自己疎外論を経済学に適用した考察であり、青年ヘーゲル派と共通の問題意識の中にあった。しかしその後、「神聖家族」「フォイエルバッハに関するテーゼ」「ドイツ・イデオロギー」を書き、ヘーゲル的な問題規制から脱け出し非連続的な変化を遂げた。しかしマルクスにとってこのような転回は一度きりのものではない。
 先に、カントにおける「コペルニクス的転回」について考察した。それは、主観が対象を能動的に構成するという考えへの転回であると同時に、逆にわれわれが世界の中に投げ込まれているということでもある。カントのコペルニクス的転換は一度きりのものではない。カントの批判はたえまない移動をはらみ、決して安定した立場に立ち得ないもので、私はそれをトランスクリティークと呼ぶ。マルクスの転回についても同じことが言える。 フォイエルバッハはヘーゲルの観念論を批判して唯物論を転回したが、初期のマルクスはそれを踏襲していて、ただ宗教に限られていたフォイエルバッハの自己疎外論を貨幣・国家に転化・拡張しただけである。その後マルクスは「フォイエルバッハに関するテーゼ」でこのような唯物論を批判し、逆に観念論の中に能動的契機を見出した。このことのほうが真にコペルニクス的転回と言える。しかしマルクスのこうした転回は一度きりではなく、それ以後もたえず変化し続ける。彼の言説的移動には現実に場所的な移動が伴っている。たとえば「ドイツ・イデオロギー」では、青年ヘーゲル派を「ドイツの外にある足場」から批判したが、それは具体的な場所ではなく、ドイツ的言説とフランス的言説、イギリス的言説との「差異」という意味である。
 エンゲルスと共に書かれた「ドイツ・イデオロギー」は生前には出版することができずマルクスの死後出版されたが、エンゲルスはここで、史的唯物論が最初に定式化された事、それをやったのはマルクスだという事を強調した。しかし後の研究で、この著作は基本的にエンゲルスが書き、史的唯物論はエンゲルスのほうが先に構想していたことが明らかになった。エンゲルスがそれとは逆のことを強調したのは、マルクスの死後、「マルクス主義」を作り上げようとしたからである。しかし「ドイツ・イデオロギー」が重要なのは、それが新たな歴史観を提示したからではなく、マルクスをとらえた「強い視差」が刻印されているからである。
 マルクスは「神聖家族」の中でドイツ観念論を批判したが、それは哲学上の問題ではなく、たとえ唯物論であっても、外界に関心をもっていようと、それが或る閉じられた言説体系の中にあることを問題にしたのだ。マルクスは何か新しい立場から観念論を批判したのではなく、観念論と経験論の「視差」において批判したのであって、この視差を失えば、唯物論はもう一つの「光学的欺瞞」に陥らざるを得ない。「ドイツ・イデオロギー」(1845)でドイツを「外から」見たマルクスは、数年後にフランスを「外から」見ることになる。「ルイ・ナポレオンのブリュメール18日」(1852)はその意味で「フランス・イデオロギー」とでも呼ばれるべき書物である。

■2.代表機構
 フランスのイデオローグは政治的党派としてあらわれていて、ドイツのように思弁的ではなく実践的である。しかし1848年の二月革命によって成立した第2共和制が1851年末に大統領になったナポレオン3世の皇帝就任で終わるという政治過程は、当事者にとっても傍観者にとっても不可解で奇妙な「夢」と映っている。
 エンゲルスはのちに、政治的、宗教的、哲学的その他のイデオロギー的な表象の背後に経済的な諸階級の構造と闘争があるという歴史の法則を発見したことをマルクスの功績とみなしている。しかしマルクスが「ブリュメール18日」で二月革命がいかにボナパルトの皇帝就任に至ったかを考察した時に解明しようとしたのは、そのような階級構造から独立して、あるいはそれに反してさえ進行する事態がいかにして生じたかであった。
 この事件の特徴は、登場人物たちがフランス革命の言語的意匠をまとい、しかもその意匠のもとに事件が収束していったことである。この時期の諸党派は過去の亡霊や観念に支配されていた。マルクスは「ドイツ・イデオロギー」で、ヘーゲル体系という死せる伝統がその後に出てきた青年ヘーゲル派を支配し、みかけだけ壮大で、空虚で不毛な議論に終始したことを指摘したが、「ブリュメール18日」では、ヘーゲルが世界史的個人と呼んだ人物の甥が、その幻影に基づいて権力を獲得したことを指摘した。その意味で、ボナパルトはその後のファシズムを含む対抗革命のプロトタイプとなる。
 二月革命は共和制のもと初めて普通選挙を実施し、議会制を行っていたが、ボナパルトの皇帝就任はこのような中でのみ生じたとマルクスは指摘する。議会制で代表する者は、代表される者たちとは違う種類の人であり、その関係は恣意的でもろく、だから有権者が「代表する者」を見捨ててボナパルトを選ぶということがあり得た。マルクスは「資本論」において、貨幣が一商品であることを見るのはたやすいが、問題は、一商品がいかにして貨幣となるかを明らかにすることだ、と言った。「ブリュメール18日」では、ナポレオンの甥であるということのほか何のとりえもない男がいかにすべてを代表する者として権力を握ったかを示した。ボナパルトを批判するだけなら、それは貨幣がただの紙切れだというのと同じく、何の批判にもならない。しかしそれは、階級闘争を言うだけでも明らかにならない。代表制(又は言説の機構)が自立してあり、「階級」はそれを通してしか意識化されないということと、このシステムには一つの穴があるということ、そこにボナパルトを皇帝たらしめた謎がひそんでいる。
 エンゲルスは、あらゆる歴史上の闘争は、階級闘争の現われである、という歴史上の法則をマルクスが発見したと言ったが、このような認識はエンゲルス自身がマルクスに先駆けて持っていた。重要なのは社会諸階級が、「階級」として現われるのは、言説(代表するもの)によってのみだということである。マルクスは、自分たちの代表者も、利害を擁護する言説も持たない分割地農民という階級の存在を指摘している。第二共和制で採用された普通選挙で彼らは初めて政治的舞台に登場し、そしてボナパルトを支持した。しかし彼らはボナパルトを自らの代表者としてではなく、いわば「皇帝」として支持した。ヒトラー政権や日本の天皇制ファシズムなど20世紀のファシズムの重要な基盤となったのがそのような階級であり、それは普通選挙による代表制民主主義によって初めて可能になった。
 フロイトは、夢の仕事を普通選挙による議会になぞらえているが、マルクスは「ブリュメール18日」でフロイトの「夢判断」を先取りしていて、第二共和制の短期間で起った「夢」のような事態について、「夢の仕事」すなわち、階級的無意識がいかに圧縮・転移されていくかを分析した。マルクスは代表制自体が議会(立法権力)と大統領(行政権力)の二重になっていると指摘する。議会制は、討論を通じての支配という意味で自由主義的で、大統領は一般意志を代表するという意味で民主主義的である。シュミットによれば、独裁形態は自由主義に背反するが、民主主義に背反するものではない。
 大統領と議会という代表制の2つの性格は認識論におけるrepresentationの問題として見れば、前者は真理をアプリオリな明証性から演繹できるというデカルト的な考え方であり、後者は、真理は他者の合意によってある暫定的な仮説でしかないというアングロサクソン的な考え方である。政治的には、前者は「一般意志」は諸階級の利害を超えた存在によって代表されるという考えになり、後者は、討論を通じた合意によって決定して行こうとする考え方になる。どちらも、真理を表象representationにおいて見出す近代的思考である。ハイデガーはそれらを根源的に批判し、真理は詩的思想家や指導者を通して直接に開示されるべきだとした。それは政治的には、総統は国民投票によって選ばれるという「代表する者」ではなく、人々が主人として拝跪すべき「皇帝」でなければならないということである。ボナパルトの皇帝就任はそのような意味があり、最初に現われた代表性の危機であり、その後に出現する政治的な危機の本質的な要素が先取りされている。
 議会でも大統領でもない「皇帝」において現われたのは「国家」そのものである。ブルジョア国家は絶対主義王権を打倒するところに成立し、法治主義と代表制によって国家の実体-官僚と軍-を隠蔽する。
 普段の経済活動において、貨幣は単に商品の価値を表示する手段でしかないと見なされるが、一旦恐慌になると、「貨幣」そのものが出現する。それと同じように、ブルジョア国家では、官僚と軍は、国民を代表する機関に従属しているように見えるが、その危機においては、「国家」そのものが出現し、国家機構は「皇帝」のごとき指導者の下に積極的に介入する。
 「ブリュメール18日」はフランスをモデルにしながら国家と資本の関係に原理的な考察を与えている。「資本論」は「国民国家的経済学批判」だが、「ブリュメール18日」はいわば「国民国家政治学批判」だ。
 普通選挙の特徴として、あらゆる階級の人々が選挙に参加することの他に、諸個人があらゆる階級や生産関係から切り離されることがある。無記名投票は、誰に投票したかという証拠を消し、「代表する者」と「代表される者」は根本的に切断され、「代表する者」は万人を代表するかのように振舞うことができるようになる。マルクスのいう「ブルジョア独裁」とは、現実社会で階級や支配関係の中にある個人を「自由」な諸個人に還元してしまうこのような装置のことを指している。選挙の場を離れると、資本制企業の中に「民主主義」などないし、普通選挙とは、国家機構(軍・官僚)がすでに決定していることに公共的合意を与えるための手の込んだ儀式でしかない。

■3.恐慌としての視差
 マルクスが亡命先のイギリスで出会った重要な問題は恐慌だった。古典経済学にとって原理的に恐慌はありえない。古典経済学はまた、労働価値説によって、前代の重商主義の貨幣への執着を否定し、貨幣は商品の価値を表示するものでしかない、とした。しかし現実にはほぼ十年ごとの周期で恐慌が起き、人々は、単に商品の価値を表示するものでしかないはずの貨幣に殺到した。マルクスが古典経済学批判で再導入したのがこの「貨幣」である。
 資本とは自己増殖する貨幣である。マルクスはそれをG-W-G´(貨幣-商品-貨幣)という商人資本の範式に見出す。それと共に金貸し資本G-G´が可能になる。産業資本の範式は商人資本の範式のW(商品)の部分がPm(生産手段)+A(労働力)となるが、資本を考えるためにはG-W-G´という過程を見ることから始めるべきである。
 この過程は流通過程でもある。アダム・スミスやリカードが解明しようとしたのは、分業と交換を均衡化し調整する市場のメカニズムだが、彼らはこうした分業と交換の拡大が貨幣の自己増殖の運動としてなされることを見落としている。
 G-W-G´のW-G´に於いて、資本は商品が売れたものと見なして運動を続ける。それが「信用」である。恐慌はその決済において売れていなかったことが判明することによって、つまり信用の過熱の結果として生じるものである。
 イギリスにおいてドイツ観念論は嘲笑されていたし、マルクスも、あたかも自己や精神が自己算出的に世界を創造していくかのようにみえるフィヒテ以後の思弁哲学を、現実との接触を欠いた精神錯乱だと批判した。しかしイギリスでは金融資本がそのような自己増殖的なもの(G-G´)となっていて、人は銀行預金から利子を、株式投資から配当を得ることを当り前のように思っていて、スペキュラティブ(思弁的=投機的)な哲学が日常化していた。カントは、綜合的判断を経ずに知識を「拡張」することを形而上学と呼んだが、利子を生む金貸し資本とはそのようなものである。マルクスは利子生み資本G-G´について、この運動の自己目的は使用価値ではなく交換価値であり、G・・・・G´の中間項は必要悪としてあるにすぎない、と言っている。
 信用や投機は二次的な問題であるように見えるが、実際には、それが生産過程を規制している。それを暴力的に露呈させるのが恐慌で、それが開示する「視差」に、古典経済学者は目を塞いだが、マルクスはそこから資本制経済の真実に向おうとした。この「真実」とは資本主義の悪(搾取や疎外)といった、マルクス以前から指摘されていたことではない。
 社会主義者たちは、恐慌が資本主義を破綻させ、革命が起き、計画経済が問題を解決すると考えていたが、1850年代後半までのマルクスも同様に考えていた。マルクスの認識が飛躍的に深化するのは、彼が恐慌待望論を放棄した後である。計画経済は恐慌を避けることができても、別の「病」をもたらす。恐慌はたしかに資本制経済に固有の病であるが、それは「解決」でもあり、それによって崩壊することはなく、平常時において隠されている資本制経済の真実を露呈し、マルクスはそれを見ようとした。
 資本制経済の恐慌は、精神分析のヒステリーに対比できる。ヒステリー症状は患者にとって「解決」でもあり、それによって当面は無事にやっていける。フロイトが注目したのはヒステリーによって普段見えない無意識のメカニズムが露呈するところで、そこからフロイトの精神分析が始まった。
 恐慌とは、カントの言葉でいえば、その限界を超えて自己拡張しようとする資本=理性への批判であり、同じく超越論的なフロイトの精神分析と似てくる。
 フロイトは、精神の正常な発展がいかなる困難の忘却によってなされたかを示したが、マルクスも、重金主義、重商主義といった粗野で素朴な形態が、発達した産業資本主義の基本的前提にあり、普段は抑圧されているそれらが恐慌において露呈すると述べた。
 「資本論」はヘーゲルの論理学に従って叙述されているが、マルクスの叙述において「発展」は矛盾の止揚ではなく、その隠蔽なのだ。ヘーゲルの「法権利の哲学」は、資本制経済が全社会を組織し、資本=ネーション=ステートの三位一体が完成した段階(「歴史の終焉」)において、それを交換と契約から根拠づけようとするものであるが、「資本論」は「国民経済学批判」ではなく「ヘーゲル法哲学批判」と副題されてもよかったのだ。
 マルクスが「資本論」で明らかにしようとしたのは、資本制経済が一つの幻想的な体系であること、そしてそれがG-W-G´という資本の運動によって生じること、さらに、その根源に貨幣を蓄積しようとする欲動があることを示すことである。「資本論」の内的構造は、マルクス自身が意識的に叙述された形式とは全く違っている。
 「資本論」がとらえる歴史は、経済的下部構造から説明することにあるのではなく、貨幣経済が組織するものとしての歴史である。彼は資本制市場経済が全世界を変形すること、そしてその力の源泉が資本の自己増殖の欲動にあることを見出した。
 資本制経済は国家や非資本制生産などの外部にあるものも自らの原理に従わせるような自律的な力を持つ。それは下部構造などではない。その力の謎を解明することがマルクスの生涯の課題だったといっても過言ではない。

■4.微細な差異
 マルクスは初期においてすでに批評家的だった。彼は学位論文で、古代ギリシャの自然哲学において、デモクリトスの機械決定論とアリストテレスの目的論の双方を批判する者としてのエピクロスを描き出した。マルクスがここで解体しようとしたのは、エピクロスをデモクリトスの亜流とみなすような哲学史と同じぐらい古い偏見であり、それらの差異を消してしまうような同一性の場そのものである。マルクスの書いたエピクロスは、ヒュームとライプニッツの「間」で、それらをともに批判しようとしたカントに相似している。
 エピクロスは、デモクリトスの機械決定論的な自然哲学に、原子の運動に偏差が生じるという微細で余り注目されなかった修正を加えたが、マルクスはそこに着目し、総体の大きな差異になって表われることを示した。この「微細な問題」は「資本論」では、マルクスが「経済の細胞形態」と呼ぶ価値形態論である。これは50年代のマルクスにはなかったものだ。マルクスの思想は類似したものの中での「微妙な差異」において読まれるべきである。
 マルクスは動かない体系を作った思想家ではなく、ジャーナリスティックな批評家であり、たえず移動し転回しながら批判をする者である。彼が立っているのは、言説の差異でありその「間」であって、特定の足場を持たない。マルクスに1つのドクトリンを求めようとすることは間違っている。


■5.マルクスとアナーキストたち
 一般的なイメージとは逆に、マルクスはアナーキズム的である。マルクスは国家社会主義者ラサールのゴータ綱領を批判し、生産協同組合は国家が育成すべきではなく、共同組合のアソシエーションが国家にとって替わるべきだと主張する。アソシエーションとはいったん共同体から出た者たちが結びつく形態であり、コミュニズムとは、資本制経済において貨幣との交換によって実現される「社会的」諸関係を「自由で平等な生産者たちのアソシエーション」さらに「諸アソシエーションのグローバルなアソシエーション」に転化しようとするものである。
 マルクスは株式会社は資本と経営の分離によってそれまでの「資本家」を消滅させるので、資本主義で私的所有としての資本を廃止させるものとしてみた。しかしそれは資本制の消極的な揚棄であり、マルクスは労働者が株主であるような生産協同組合にその積極的な揚棄を見出した。
 近代的な私有権は、租税支払いを代償に絶対主義的国家によって与えられたものだ。それゆえ私有財産の廃止=国有化ではなく、むしろ私有こそ国有である。資本主義の中で私的所有の廃止が起きる時、それは国家の廃棄につながり、代わりに生産手段や共同所有を基礎とする個人的所有が確立されるとマルクスは考えた。こうした考えはパリ・コミューンに強い影響を与えたプルードンの考えに基づいている。プルードンは「所有とは盗みである」と言い、「所持を保全しながら所有(不労収益権)を廃止せよ」と言った。
 アダム・スミスは資本家の利潤を正当なものとしてみなしたが、プルードンはそれを「盗み」と呼んだ。それがプルードンが「所有」と呼び、マルクスが「私的所有」と呼んだものだ。マルクスの「個人的所有」はプルードンが肯定した「所持」にあたる。それを廃止させるためにイギリスのリカード左派は激しい政治運動を起こしたが、プルードンは労働合資会社を提唱し、そのような倫理ー経済的な変換のシステムの拡大によって資本と国家を解消できると考えた。その背景には1830年代のフランスには産業資本主義も産業労働者もほとんどなかったことがある。当時有力だったサン・シモン主義(国家社会主義)にプルードンは一貫して反対だったが、サン・シモン主義のナポレオン3世の統治下でフランスに産業革命が起き、社会主義者はそこに呑み込まれた。
 1830年代、フランスよりもさらに遅れていたドイツでは、ヘーゲル左派(フランスの社会主義、共産主義に影響を受け、資本制経済の矛盾を国家(理性)によって越えるというヘーゲル哲学を批判し、ヘーゲル哲学の文脈の中でフランスから来た共産主義を咀嚼しようとするもの)が現われた。その代表がフォイエルバッハである。ヘーゲルは市民経済がもたらす矛盾、対立を調整するのは司法や議会という政治的国家であるとしたのに対し、マルクスは市民社会を社会的国家とみなし、そのレベルでそれら矛盾、対立が解消され、資本制経済が揚棄されると考えた。政治的国家が資本制経済を廃棄するという考えはラサールのような国家社会主義に受け継がれたが、マルクスはこの時期以降から死ぬまでそれらを否定した。マルクスが目指したのは政治的国家の廃棄であり、この考えはプルードンに由来するアナーキズムである。
 シュティルナーは、人はエゴイストであると主張する。エゴイストとは、個ー類(一般性)という枠組みなしの唯一者である。シュティルナーは、プルードンについて国家の代わりにアソシエーションという、個を従属させる枠組みを持ってきたとして批判したが、それは誤解である。プルードンの社会主義はむしろ「エゴイストたちのアソシエーション」だと言ってよい。
 青年ヘーゲル派はヘーゲルを唯物論的に転倒したが、個を常に一般者(類)に於いて見るところはヘーゲルと変らなかった。シュティルナーのエゴイスト(唯一者)はキルケゴールの「単独者」と同じで、キルケゴールは「単独者のみが真にキリスト教徒たりうる」と言ったが、同様に、シュティルナーはエゴイストのみが連合を形成しうると考えた。彼らのエゴイスト、単独者は「単独性―普遍性」の軸で考えられるものであり、彼らは同時代に別々にヘーゲルの「個体性―一般性」という回路から出ようとしていた。シュティルナーの青年ヘーゲル派批判は、マルクスが青年ヘーゲル派の問題意識から抜け出るにあたって決定的に働いた。シュティルナーは他の条件をすべて括弧に入れて「この私」の絶対性を取り出したように、マルクスは他のすべてを括弧に入れて「関係の絶対性」を取り出した。そこから個々人を社会的諸関係においてとらえる視点、そしてそのような諸関係を強いる資本制経済の構造を探求する意志が出てきた。シュティルナーの指摘があったからマルクスは「民衆」という類的本質的存在といった幽霊を斥け、個々人と彼らが置かれている諸関係を見る方向に向った。
 シュティルナー、プルードン、バクーシンというアナーキストたちは同一視されがちだし、マルクスとそれらアナーキストたちは対立する存在だと見られがちだが、実際はそれらアナーキストたちはそれぞれ互いに異質だし、またマルクスはアナーキストたちと対立しているどころか、プルードンやシュティルナーから多大な影響を受けた。
 プルードンは流通過程において資本制経済に対抗しようとしたが、マルクスはそれをいったんは批判し、生産過程から資本制経済の全体系を考えようとしたリカードを評価したが、その後、プルードンに戻って流通過程に注目しはじめた。
 1860年代のマルクスには資本制経済に対抗するのに、生産過程と流通過程の両者を結合させようという視点が確立されている。 
 マルクスは労働者のアソシエーションである協同組合運動を根本的に重要なものとみなし、それは国家によって管理、育成するのではなく、労働者が自主的に作ることが大事だとゴータ綱領批判の中で強調している。しかし、「共産主義=国有化による計画経済」と思い込んだマルクス主義者はこれを軽視した。そのような操作を行なったのはエンゲルスである。
 マルクスは、国家の集権的な権力を否定しながら、同時に、多数のアソシエーションを綜合する「中心」を求めていた。プルードンによれば、アナーキズムはアナーキック(混沌)ではなく、一つの秩序であり統治である。プルードンは、権威と自由を単に対立としてではなく、アンチノミーとしてとらえ、それを解決する原理をアソシエーションに見出した。
 資本制の打倒を目指す革命は労働者自身の自由連合によってなされるべきだが、そこには少数の前衛による先導が不可避であり、問題はそれを固定化しないシステムづくりだが、マルクスはその手がかりをパリ・コミューンに見出した。それは基本的にはプルードンの考えであった。
 デカルトの同一的な自己(A)を否定したヒュームは、「同一的な自己などはなく、観念の連合(アソシエーション)があるだけで、それに応じて多数の自己がある」と主張した(B)。カントはヒュームとデカルトの間に立って、「実体的な自己はないが、多数の自己のアソシエーションを統合する「超越論的統覚X」(C)があると言った。この問題を政治論に置きかえていえば、ラサールのような国家集権主義(A)と、それを否定するバクーニンのようなアナーキズム(B)のアンチノミーの解決としてマルクスはドイツ観念論の用語を使って「アソシエイティッドな悟性」というものを考えた。
 初期マルクスはヘーゲルの「法権利の哲学」の批判から開始している。近代国家においては市民社会(私人)と政治的国家(公人)が分離し、前者の中では人々は階級的上下関係に属し、後者の中では対等だとはいえ、与えられているのは参政権だけで、行政権は持たない。マルクスは市民社会(社会的国家)から固定した権力体制が形成されないようなシステムを確立するという変革によって政治的国家を揚棄することができ、マルクスはそれを「ブルジョワ独裁」(=議会制民主主義)という隠喩に対して、「プロレタリア独裁」と呼んだが、それはのちの歴史の中で共産党の独裁に帰結してしまったため、マルクス主義者はこの概念を放棄してしまった。「プロレタリア独裁」は独裁どころか国家権力そのものを廃棄することを目指すものだ。
 パリ・コミューンは近代社会における市民社会と政治的国家の二重性の揚棄だが、分業の発展した社会では代表制と官僚は不可避かつ不可欠である。問題は、権力の固定化の阻止だが、それについてはアテネが官吏をくじ引きで決めたことが参考になる。くじ引きにより代表を選べば、アソシエーションは中心を持つが、偶然化されているという意味ではないと言ってよく、それはカントの「超越論的統覚X」になる。

11 Comments:

Blogger yoji said...

http://blogs.yahoo.co.jp/countrytown2010/18737706.html
《マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な私有権は、
それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたものだ。
私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、
私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は
国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個体的所有」の
確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていた
からである。》
(柄谷行人『トランスクリティーク』柄谷行人)

プルードンは「所有とは盗みである」と言い、「所持を保全しながら所有(不労収益権)を廃止せよ」と言った…

アダム・スミスは資本家の利潤を正当なものとしてみなしたが、プルードンはそれを「盗み」と呼んだ。
それがプルードンが「所有」と呼び、マルクスが「私的所有」と呼んだものだ。マルクスの「個人的所有」は
プルードンが肯定した「所持」にあたる。

3:57 午後  
Blogger yoji said...

http://blogs.yahoo.co.jp/countrytown2010/18737706.html
《マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは、何を意味するのか。近代的な私有権は、
それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたものだ。
私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、
私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は
国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個体的所有」の
確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていた
からである。》
(柄谷行人『トランスクリティーク』柄谷行人)

アダム・スミスは資本家の利潤を正当なものとしてみなしたが、プルードンはそれを「盗み」と呼んだ。
それ(不労収益権)がプルードンが「所有」と呼び、マルクスが「私的所有」と呼んだものだ。マルクスの「個人的所有」は
プルードンが肯定した「所持」にあたる。

4:01 午後  
Blogger yoji said...

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-13/20060413faq12_01_0.html
 かつては、社会主義・共産主義の運動の目標は「私的所有の廃止」という言葉で表現されるのが普通でした。マルクス、エンゲルスの初期の文章でもブルジョア社会の諸悪の根源は「私的所有」と表現され、新しい社会の中心目標は「私的所有の廃止」として定式化されていました。しかし、マルクスは、『資本論』を仕上げていくなかで、「この否定〔資本主義的私的所有の否定〕は、私的所有を再建するわけではないが、しかし、資本主義時代の成果―すなわち、協業と、土地の共同占有ならびに労働そのものによって生産された生産手段の共同占有―を基礎とする個人的所有を再建する」(新日本出版社『資本論』(4)1306ページ)と、生産手段と個人的所有の二つを区別するようになります。新しい綱領はこうした理論の発展をふまえたものです。

4:02 午後  
Blogger yoji said...

「資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働にもとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし、資本主義的生産は、一つの白然過程の必然性をもって、それ自身の否定を生み出す。それは否定の否定である。この否定は(労働者の)私有を再建しはしないが、しかし、資本主義時代の成果を基礎とするdas individuelle Eigentumを再建する。すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによって生産される生産手段の共同占有とを基礎とするを再建するのである。」(791頁)

(労働者の)とあるのはフランス語版『資本論』で追加されたものである。論争はdas individuelle Eigentumをどう訳すかという問題と、その再建によって生産手段に関する所有が再建されるのか消費財に関する所有が再建されるのかという問題である。

http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Cafe/2663/shihonron/3no3.htm

4:06 午後  
Blogger yoji said...

1:24
第二四章 いわゆる本源的蓄積
第七節 資本制的蓄積の歴史的傾向
 資本制的生産様式から発生する資本制的取得様式は、したがって資本制的な私的所有は、自分の労働を基礎とする個人的な私的所有の第一の否定である。だが、資本制的生産は、自然過程の必然性をもって、それじしんの否定を生みだす。これは否定の否定である。この否定は、私的所有を再建するわけではないが、しかも資本主義時代に達成されたもの──すなわち協業や、土地の・および労働そのものによって生産された生産手段の・共有──を基礎とする個人的所有を生みだす。
 個人の自己労働にもとつく分散的な私的所有の資本制的な私的所有への転化は、もちろん、事実上すでに社会的生産経営にもとづく資本制的所有の社会的所有への転化よりも、比較にならぬほど長くかかる・苦しい・困難な過程である。前の場合には、少数の横奪者による人民大衆の収奪が行なわれたが、後の場合には、人民大衆による少数の横奪者の収奪が行なわれる。

4:11 午後  
Blogger yoji said...

定本トラクリ253 参照

4:12 午後  
Blogger yoji said...

http://blogs.yahoo.co.jp/countrytown2010/18737706.html
《マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは[資本論1:24本源的蓄積#7]、何を意味するのか。近代的な私有権は、
それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたものだ。
私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、
私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は
国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個体的所有」の
確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていた
からである。》
(柄谷行人『トランスクリティーク』柄谷行人)

アダム・スミスは資本家の利潤を正当なものとしてみなしたが、プルードンはそれを「盗み」と呼んだ…
それ(不労収益権)がプルードンが「所有」と呼び、マルクスが「私的所有」と呼んだものだ。マルクスの「個人的所有」は
プルードンが肯定した「所持」にあたる。

4:13 午後  
Blogger yoji said...

1:24
第二四章 いわゆる本源的蓄積
第七節 資本制的蓄積の歴史的傾向

 資本制的生産様式から発生する資本制的取得様式は、したがって資本制的な私的所有は、自分の労働を基礎とする
個人的な私的所有の第一の否定である。だが、資本制的生産は、自然過程の必然性をもって、それじしんの否定を生
みだす。これは否定の否定である。この否定は、私的所有を再建するわけではないが、しかも資本主義時代に達成さ
れたもの──すなわち協業や、土地の・および労働そのものによって生産された生産手段の・共有──を基礎とする
個人的所有を生みだす。
 個人の自己労働にもとつく分散的な私的所有の資本制的な私的所有への転化は、もちろん、事実上すでに社会的生産
経営にもとづく資本制的所有の社会的所有への転化よりも、比較にならぬほど長くかかる・苦しい・困難な過程である。
前の場合には、少数の横奪者による人民大衆の収奪が行なわれたが、後の場合には、人民大衆による少数の横奪者の
収奪が行なわれる。

長谷部訳

4:14 午後  
Blogger yoji said...

http://blogs.yahoo.co.jp/countrytown2010/18737706.html
《マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは[資本論1:24本源的蓄積#7]、何を意味するのか。近代的な私有権は、
それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたものだ。
私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、
私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は
国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個体的所有」の
確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていた
からである。》
(柄谷行人『トランスクリティーク』柄谷行人)

アダム・スミスは資本家の利潤を正当なものとしてみなしたが、プルードンはそれを「盗み」と呼んだ…
それ(不労収益権)がプルードンが「所有」と呼び、マルクスが「私的所有」と呼んだものだ。マルクスの「個人的所有」は
プルードンが肯定した「所持」にあたる。

《第二四章 いわゆる本源的蓄積
第七節 資本制的蓄積の歴史的傾向

 資本制的生産様式から発生する資本制的取得様式は、したがって資本制的な私的所有は、自分の労働を基礎とする
個人的な私的所有の第一の否定である。だが、資本制的生産は、自然過程の必然性をもって、それじしんの否定を生
みだす。これは否定の否定である。この否定は、私的所有を再建するわけではないが、しかも資本主義時代に達成さ
れたもの──すなわち協業や、土地の・および労働そのものによって生産された生産手段の・共有──を基礎とする
個人的所有を生みだす。
 個人の自己労働にもとつく分散的な私的所有の資本制的な私的所有への転化は、もちろん、事実上すでに社会的生産
経営にもとづく資本制的所有の社会的所有への転化よりも、比較にならぬほど長くかかる・苦しい・困難な過程である。
前の場合には、少数の横奪者による人民大衆の収奪が行なわれたが、後の場合には、人民大衆による少数の横奪者の
収奪が行なわれる。》長谷部訳

4:15 午後  
Blogger yoji said...

http://blogs.yahoo.co.jp/countrytown2010/18737706.html
《マルクスが私的所有と個人的所有を区別したのは[資本論1:24:7]、何を意味するのか。近代的な私有権は、
それに対して租税を払うということを代償に、絶対主義的国家によって与えられたものだ。
私有はむしろ国有なのであり、逆にいえば、国有制こそ私有財産制なのである。それゆえに、
私有財産の廃止=国有化と見なすことはまったくまちがっている。むしろ、私有財産の廃棄は
国家の廃棄でなければならない。マルクスにとって、コミュニズムが新たな「個体的所有」の
確立を意味したのは、彼がコミュニズムを生産協同組合のアソシエーションとして見ていた
からである。》
(柄谷行人『トランスクリティーク』柄谷行人)

アダム・スミスは資本家の利潤を正当なものとしてみなしたが、プルードンはそれを「盗み」と呼んだ…
それ(不労収益権)がプルードンが「所有」と呼び、マルクスが「私的所有」と呼んだものだ。マルクスの
「個人的所有」はプルードンが肯定した「所持」にあたる。

参考:
《第二四章 いわゆる本源的蓄積
第七節 資本制的蓄積の歴史的傾向

 資本制的生産様式から発生する資本制的取得様式は、したがって資本制的な私的所有は、自分の労働を基礎とする
個人的な私的所有の第一の否定である。だが、資本制的生産は、自然過程の必然性をもって、それじしんの否定を生
みだす。これは否定の否定である。この否定は、私的所有を再建するわけではないが、しかも資本主義時代に達成さ
れたもの──すなわち協業や、土地の・および労働そのものによって生産された生産手段の・共有──を基礎とする
個人的所有を生みだす。
 個人の自己労働にもとつく分散的な私的所有の資本制的な私的所有への転化は、もちろん、事実上すでに社会的生産
経営にもとづく資本制的所有の社会的所有への転化よりも、比較にならぬほど長くかかる・苦しい・困難な過程である。
前の場合には、少数の横奪者による人民大衆の収奪が行なわれたが、後の場合には、人民大衆による少数の横奪者の
収奪が行なわれる。》『資本論』第1巻長谷部訳

4:17 午後  
Blogger yoji said...


http://study-capital.la.coocan.jp/hokoku/study-wn-capi-050.html
《資本主義的生産様式から生まれる資本主義的取得様式は、したがってまた資本主義的私有も、自分の労働に
もとづく個人的な私有の第一の否定である。しかし資本主義的生産は、一つの自然過程の必然性をもって、
それ自身の否定を生みだす。それは否定の否定である。この否定は私有を再建しないが、しかし、資本主義
時代の成果を基礎とする個人的所有をつくりだす。すなわち、協業と土地の共同占有と労働そのものによっ
て生産される生産手段の共同占有を基礎とする個人的所有をつくりだす(のである。)》
『資本論』第一巻第24章第7節

itc253

5:44 午後  

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