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金曜日, 5月 10, 2013

スピノザ:インデックス

                     ( インデックス:TOPリンク:::::::::

スピノザ『エチカ』
第一部公理六 真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1a6

Spinoza: Ethica Latin

https://freeassociations2020.blogspot.com/2021/06/spinoza.html


スピノザの「マルチチュード」とプルードン:再掲
コナトゥス(羅:Conatus)
https://nam-students.blogspot.com/2019/01/conatus.html
spinoza the way of love
http://nam-students.blogspot.com/2019/03/spinoza-way-of-love.html
verum index sui et falsi
https://nam-students.blogspot.com/2019/04/verum-index-sui-et-falsi-spinoza-marx.html
キルケゴールとスピノザ
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/blog-post_26.html
スピノザの無限:転載
https://nam-students.blogspot.com/2018/08/blog-post_9.html
ヤコービ『スピノザの学説に関する書簡』 2018/4/15 [Über die Lehre des Spinoza 1819]
http://nam-students.blogspot.jp/2018/04/blog-post_23.html
スピノザ補足
http://nam-students.blogspot.jp/2014/10/blog-post.html
100分de名著 スピノザ エチカ
http://nam-students.blogspot.com/2018/12/100de.html?m=0
forclusion・スピノザとデリダ(ネグリ)&ハイデガー『シェリング講義』書評:メモ(再掲)
http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/forclusion.html
(二人の)ホワイトヘッドとスピノザ
http://nam-students.blogspot.jp/2014/07/blog-post_7.html
NAMs出版プロジェクト: モナドロジーとエチカ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_13.html?m=0#m
NAMs出版プロジェクト: ライプニッツとスピノザ:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/10/blog-post_10.html?showComment=1381469076275
NAMs出版プロジェクト: スピノザ『神学政治論』『国家論』:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html
NAMs出版プロジェクト: スピノザ、諸感情の定義:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2010/09/blog-post.html
NAMs出版プロジェクト: 諸感情の定義:再考
http://nam-students.blogspot.jp/2014/12/blog-post_6.html
NAMs出版プロジェクト: スピノザ虹論文
http://nam-students.blogspot.jp/2011/02/blog-post_7335.html
NAMs出版プロジェクト: スピノザと日本古典文法
http://nam-students.blogspot.jp/2015/01/blog-post_28.html

スピノザと動物たち アリエル・シュアミ:著, アリア・ダヴァル 2017 Spinoza par les bêtes, 2008.
http://nam-students.blogspot.jp/2018/01/2017-ariel-suhamy-alia-daval-spinoza.html
簡体字:斯宾诺莎『倫理学』
http://jpkc.sysu.edu.cn/marxism/app_upload/file/2015614/A0104.pdf
スピノザ『エチカ』
http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/

              1実体
               /\
              /無限\
             /_無限定)

    _________2a属性__________
    知 抑制   小←/\→大 完全性  至福
        ___2b様態____     
      受動悲しみ_/\_喜び /能動
        憎しみ \努力/ 愛/  
       対象/ _\/_\ 認識
     所産的自然/物体__欲望__観念    
     /  延長 身体3感情精神 思惟  \能産的
   神/_________\/_第三種認識____\自然
             4理性     
                 /
              \_.
               \/
              5自由


NAMs出版プロジェクト: スピノザの顔:メモ
http://nam-students.blogspot.jp/2012/10/blog-post_1956.html
NAMs出版プロジェクト: Goethe [Studie nach Spinoza]
http://nam-students.blogspot.jp/2011/04/goethe-studie-nach-spinoza.html
NAMs出版プロジェクト: アインシュタインとスピノザ
http://nam-students.blogspot.jp/2011/05/blog-post_25.html
NAMs出版プロジェクト: 「不嘲不欺不呪而唯識」 Non ridere, non ligere, neque detestari, sed intelligere.
(翻訳者畠中尚志について)
http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/non-ridere-non-ligere-neque-detestari.html
NAMs出版プロジェクト: カント三批判書:Z状図解(付:スピノザ『エチカ』図解)
http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/kanntokomennto.html?m=0
宇野弘蔵、またはマルクスとスピノザ
http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_29.html
スピノザ : 別ブログ
http://yojiseki.exblog.jp/i19
Porcile 演劇版『豚小屋』パゾリーニ とスピノザ
http://nam-students.blogspot.jp/2017/05/porcile.html

カルチャーセンター講義録

参考:
実体が中心にある図解バージョン(諸感情の定義にはこちらを採用した)
http://yojiseki.exblog.jp/9036335/
                         2の2様態
                           /\
                          /  \
                         /    \
                  全宇宙の形貌/  間接  \
                       /  無限様態  \
                  運動と静止    直接  無限知性
                     /            \
 悲しみ________________/____2の1属性_____\________________喜び
    \        恐れ    /       /無限      \希望            /
     \    憎しみ     /       /  \       \    愛       /
      \ 絶望    受動的/       /    \       \      完全性(小←→大)
       \       悪/_______/_1実体__\_______\善       /
        \ 怒り   /\      /   /\   \      /\      /
         \    /  \   知/___/__\___\至福=知的愛 \    /
          \  /    \  /\  /    \  /\  /    \  /
           \/      \/  \/  神   \/  \/      \/
           /\      /\  /\      /\  /\      /\
          /  \    /  \本質、本性___/__\/  \    /  \
     所産的自然    \  /全自然 永遠、必然  /(能産的)自然 \  /    \
        /      \/______\___\/__起成、自己原因_\/      \
       /      延長\       \  徳   第三種認識   /思惟      \
      /    個物    \       \5自由 /(直観知)  /    知性    \
     /            \       \  /       /            \
  物体/______________\_______\/_______/______________\観念
       (無際限)      身体\    4道徳、理性  驚き/精神             
                    第二種の個体     第二種認識
                    (複合個体)  表象   /
                       \        /
                        \  努力  /
                         \    /
                          \  /
                           \/
                         3感情、欲望

               有限物体 第一種の個体     第一種認識  有限観念
                    (単純個体)有限様態 (想像知)


デカルトの場合は、

      思惟、精神
        |
      延長、身体

と、精神が上位に来る。

スピノザの場合は、

   思惟、精神*延長、身体

と、両者は並行関係にある。
(スピノザの場合は思惟と延長は神の属性になる。)

NAMs出版プロジェクト: 図解 使える哲学 小川仁志
http://nam-students.blogspot.jp/2017/01/blog-post_28.html

柄谷行人『哲学の起源』でスピノザの先行者として言及されたクセノファネスに関しては、
http://www005.upp.so-net.ne.jp/entartete/miretos.html (ミレトス学派の人々)等を参照。


「しかしもし牛や馬やライオンが手を持っていたとしたら/
 あるいは手によって絵をかき/
 人間たちと同じような作品をつくりえたとしたら/
 馬たちは馬に似た神々の姿を、牛たちは牛に似た神々の姿をえがき/
 それぞれ自分たちの持つ姿と同じような身体をつくることだろう」(断片15)

参考:
「もし三角形が話す能力を持つとしたら、三角形は同様に、神は優越的に三角形であると
言うでしょうし、また円は円で、神的本性は優越的意味において円形であると言うでしょう。
そして、このようにして各人は、自己の諸属性を神に帰し、自己を神と類似のものとし、
その他のものは彼には醜く思われるでありましょう。」
書簡56(スピノザからボクセルへ)『スピノザ書簡集』岩波文庫261頁より 


あらゆる規定は否定である
Every determination is a negation

スピノザが民主制の最高形式において推論した各人の自然権の委譲とは、
ただちにその放棄を意味するものではなかった。各人の力の委譲から
構成された力という概念のなかには、各人の力を超出し、逆にこれを
コントロールする力であると共に、この力が各人の力の実現という目 
的に敵対した場合には、常にそれに対立する力として作動する淵源が
仕組まれているのである。これは、「全ての限定は否定である」
(omnis  determinatio  est  negatio)という命題に照応している(51)。

(51)B.  Spinoza,  Sämtliche  Werke:  Briefwechsel, Bd.Ⅲ.  C.Gebhardt (hrsg.)
 Verlag  von  Felix  Meiner, Leipzig,1914,S.210.
(畠中尚志訳『スピノザ往復書簡集』五〇、岩波書店、1967年、238-9頁)
Cf.  Spinoza Opera,Ⅳ,  p.240.

汎神論論争

スピノザ=無神論者だというレッテルが蔓延し、キリスト教の力が絶大だった1785年、『賢者ナータン』で知られる故レッシングが実はスピノザ主義者であったというヤーコビの証言が発表当時スキャンダルになった。これは、歴史的に言えばゲーテやカントなども巻き込み、汎神論論争というスピノザ評価のきっかけとなった事件である。

肝心のテクストは邦訳が入手困難だが、現在、日本のゲーテ研究者による年会誌『モルフォロギア』にヤコービによるメンデルスゾーン宛の手紙が連載されておりその一部を読むことができる。

なかでもヤコービとレッシングとの会話(1780年7月6日)が再現されている24号(2002年)所収のそれがハイライトだ。

この両者の会話はゲーテの「プロメテウス」という詩*をヤコービが見せるところから始まる。
「死んだ犬」「スピノザ以外の哲学はない」など、有名なフレーズが目をひくが、レッシングが自らをルター派の決定論者として規定している点が見のがせない。
そもそも当たり前のことだが、ヤーコビとスピノザ理解でズレがあるのだ。保守的なメンデルスゾーンとの間での齟齬はなおさらとも言えよう。

メンデルスゾーンによる反論を含め、多くの疑問はあるが、この会話をヤコービによる完全な作り話とは考えにくいし、作り話たとすればそれはそれで逆にヤーコビは凄い才能の持ち主だということになる(A・タルコフスキーがカスタネダのドンファンシリーズに関して、ペヨトル工房が出した本のなかで同じことを言っていた)。

ゲーテは『詩と真実』(第三部-第四部、章で言えば14-15章)でスピノザを称揚しているが、政治的に宗教上の隠れ蓑として利用しているような気もする。反キリスト教的な側面をスピノザのせいにしてゲーテ自身の責任にはならないようにして予防線を張っている節があるのだ。ドゥルーズはゲーテを批判しクライストを称揚したが、連結するテクスト(批判哲学的、ここでは表象論的な予防線を破壊するテクスト?)を称揚した彼らしい態度であり、一理あると思う。

さて、ゲーテを震撼させた「神を愛するものは神から愛されることを期待してはならない」(エチカ5:19より)というスピノザの言葉などは、自己と他者とが非対称的に存在する批判哲学を想起させて興味深い。他者の幸福と自己の完全性とが絶対の義務となるべきでありその逆はないとカントが『人倫の形而上学』で述べるとき、それはスピノザを別の形、別の側から補強していると考えれ得るのだ。

一般に感情的だと看做されがちなヤーコビは、メンデルスゾーンとの論争の後に出したヒューム論(1787)の中で、「物自体を仮定しなければカントの体系の中に入ることはできないし、しかも物自体によればカントの体系の中に留まれない」という有名な言葉を述べ、スピノザの側からカントの弱点を的確に指摘した。これなどは実はカント哲学にスピノザが含まれるというよりスピノザ哲学にカントが含まれることの証明でもあると思う。

というのはヤコービは自らアンチノミーとなることによってカントにとっての他者となりえたと言えなくもないからだ。ヤコービ本人、というよりもスピノザの哲学は批判哲学にとって物自体なのだ。そして、カント側から言えば、ヤコービの言葉通りカントは自らの哲学体系を三批判書はもとより遺稿に至るまで更新し続けたのだから、カントはヤコービの言葉通り(スピノザのエチカの通り?)にアンチノミーを体現し、そのアンチノミーを生きたとも言えるのではないか?

ともかく、カント(思考の方向を定める問題で言及)、ヘーゲル(小論理学で言及)を巻き込んだスピノザ問題は、今日的な課題を含んでいるように思える。

追記:
汎神論論争に関しては理想社版カント全集第12巻所収の「思考の方向を定める問題」とその解説が日本語文献のなかでは一番詳しいだろう。
関連文献は英訳されているので、岩波文庫で復刊された『賢者ナータン』とともに重要だ。
スピノザと批判哲学の相性は悪く、カントにとってスピノザは常に仮想敵だが、『オプス・ポストゥムム』ではスピノザへの接近が見られる(福谷茂の論考以外にこの遺稿の重要性を理解できている論文は見当たらない)。
岩波版新全集に所収されなかったのは本当に残念だ(監修の坂部恵氏の方針なのか?、経済的な問題なのか?)。
スピノザへの言及が多く含まれるカントの『オプス・ポストゥムム(遺稿集)』が邦訳されていない現在の日本はまだカントの批判哲学の文脈が支配的だが、これは哲学の実生活への影響力のなさを同時に意味する。日本ではカント研究が盛んで世界レベルにあると言う人もいるがこの現状を見る限りそうは言えないと思う。
物自体と超越論的仮象との混同を避けるためにも精査するべき遺稿なのだが、、、
さらにヤコービ及び汎神論論争に関してはヘーゲルが『ヘーゲル哲学史講義』(河出書房新社版だと下巻)でも少し触れている。


「プロメテウス」の詩の邦訳は以下で読める。
http://masatobariton.blog85.fc2.com/blog-entry-119.html
原詩↓
http://www.freeinquiry.com/prometheus.html


音声↓は、ヴォルフ作曲、ハンス・ホッター歌唱の「プロメテウス」。
13 Prometheus.mp3


Prometheus プロメテウス   詩:ゲーテ  日本語訳:井上雅人

Bedecke deinen Himmel, Zeus,
Mit Wolkendunst
Und übe, dem Knaben gleich,
Der Disteln köpft,
An Eichen dich und Bergeshöhn;
Mußt mir meine Erde
Doch lassen stehn
Und meine Hütte, die du nicht gebaut,
Und meinen Herd,
Um dessen Glut
Du mich beneidest.

おまえの空を覆うがいい、ゼウスよ 
そしておまえの力を試してみろ
薊の花の首をちぎる子供のように 
おまえの樫の木のそばで、山の頂で!
だが おれの大地はそのままにしておくのだ
おまえが建てたのではない 俺の小屋も
そして その炎のためにおまえが妬んでいる このおれの竃も

Ich kenne nichts Ärmeres
Unter der Sonn als euch, Götter!
Ihr nähret kümmerlich
Von Opfersteuern
Und Gebetshauch
Eure Majestät
Und darbtet, wären
Nicht Kinder und Bettler
Hoffnungsvolle Toren.

おれは 太陽の下で おまえたち神々ほど哀れなものたちを 他に知らぬ!
おまえたちは かろうじて 生贄の貢ぎ物と祈りの吐息とによって
おまえたちの尊厳を養い
もし 子供らや乞食らのような希望に溢れた愚かな者たちがいなければ
惨めなくらしを送ることになるのだ

Da ich ein Kind war,
Nicht wußte, wo aus noch ein,
Kehrt ich mein verirrtes Auge
Zur Sonne, als wenn drüber wär
Ein Ohr, zu hören meine Klage,
Ein Herz wie meins,
Sich des Bedrängten zu erbarmen.

おれが幼かった頃は
何もわからず おれは困惑した目を太陽に向けた
まるで その上に 俺の嘆きを聞き入れてくれる耳と
おれと同じ 苦しむ者を憐れむ心があるかのように ー

Wer half mir
Wider der Titanen Übermut?
Wer rettete vom Tode mich,
Von Sklaverei?
Hast du nicht alles selbst vollendet,
Heilig glühend Herz?
Und glühtest jung und gut,
Betrogen, Rettungsdank
Dem Schlafenden da droben?

だれが おれを高慢なティタンたちとの戦いから 助け出したのか?
だれが おれを奴隷のような暮らしから 死から救い出したのか?
お前自身が全て為し遂げたのではなかったか
神聖に燃えるおれの心よ
そして若々しく 善良に燃えたな?
天上で居眠りをしている者に騙され 救いの感謝を捧げて ー

Ich dich ehren? Wofür?
Hast du die Schmerzen gelindert
Je des Beladenen?
Hast du die Tränen gestillet
Je des Geängsteten?
Hat nicht mich zum Manne geschmiedet
Die allmächtige Zeit
Und das ewige Schicksal,
Meine Herrn und deine?

おれが おまえを敬う? 何のためにだ?
おまえは かつて 苦しむ者の苦痛を和らげたことはあったか?
おまえは かつて 不安におののく者の涙を鎮めた事はあったか?
おれを鍛え上げたのは 全能の時と永遠の運命ではなかったか?
俺の主人であり おまえの主人でもある ー

Wähntest du etwa,
Ich sollte das Leben hassen,
In Wüsten fliehen,
Weil nicht alle
Blütenträume reiften?

おまえは勘違いしているのではないか
おれが人生に嫌気をさして 砂漠にでも逃げ出すだろうなどと
花のような夢が全て実るわけではないからと ー

Hier sitz ich, forme Menschen
Nach meinem Bilde,
Ein Geschlecht, das mir gleich sei,
Zu leiden, zu weinen,
Zu genießen und zu freuen sich,
Und dein nich zu achten,
Wie ich!

おれはここに座り おれの姿をかたどり 人間をつくる
おれと同じような種族を
悩み、泣き、楽しみ、喜び、
そして おまえを敬ったりしない者を
おれと同じように!

Johann Wolfgang von Goethe, 1773


追記:
プルードンやシェリーなどの使用例をみると、西欧ではプロメテウスは反抗のシンボルなのだろうか?それはそれでかまわないがゲーテの詩はスピノザ理解には適当でないかもしれない。 

参考:

http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
ヤコービ『スピノザ書簡』からの引用


http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
a) 伊坂青司氏「有限と無限――あるいはヤコービとヘーゲル」の第2節「ヤコービと『汎神論論争』」(『叢書ドイツ観念論との対話 第5巻』所収、ミネルヴァ書房、1994年)
b) 栗原隆氏「IV ヤコービ/ヘルダー」(『哲学の歴史 第7巻 理性の劇場』所収、中央公論新社、2007年)

  拙訳(LS, S. 54/* 22-23)

 [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングと私(ヤコービ)の会話を、メンデルスゾーンに報告しています。] 
レッシング:神性についての正統派的な考えは、もう私には関係ないものです。そうした考えには、満足できないのです。「ヘン・カイ・パン [一にして全。一即全]」、これしか私は知りません。この [ヤコービが持ってきた] 詩も、またそこへと向かっていますね。この詩は大変気に入ったと、白状せざるをえません。
私:では、あなたはスピノザに、かなり同意できるのかもしれませんね。
レッシング:私が誰かの信奉者ということでしたら、彼以外にいません。
私:私もスピノザは、素晴らしいと思います。しかし、私たちは彼に無い物ねだりをしがちです。
レッシング:ええ、もしそう言いたいのであれば・・・だが・・・よりいいものがあるでしょうか? [省略は原文]

● 『哲学の歴史 第7巻』230-231ページでの引用
  拙訳(LS, S. 55-57/* 23-25)

 [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングとヤコービ(私)のやりとりを報告しています。] 
 翌朝、私は朝食をとった後、服を着るために自室へ戻りました。しばらくして、レッシングがやって来たのです。私がすわって髪を整えさせていたので、その間レッシングは、部屋の片隅の机に静かに体をもたせていました。私たち2人だけになり、レッシングが体をもたせている机の別の側に私がすわると、彼は語りだしました:
「私が来たのは、あなたに私の信じる『ヘン・カイ・パン』について、お話ししたいためです。昨日は、あなたは驚かれたことでしょう」。

私:あなたにはビックリさせられました。さぞかし青ざめたり赤くなったりしたことでしょう。困惑してしまったものですから。でも恐慌をきたしたわけではないのです(注1)。まさかあなたがスピノザ主義者、つまり汎神論者だったとは、思いもよりませんでした。しかも、あっさりとそう打ち明けられたものですから。私がここにやって来たのは、およそあなたからスピノザに抗するための援助を、得るためだったの
http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_6805.html


http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
ヤコービ『スピノザ書簡』からの引用


http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
a) 伊坂青司氏「有限と無限――あるいはヤコービとヘーゲル」の第2節「ヤコービと『汎神論論争』」(『叢書ドイツ観念論との対話 第5巻』所収、ミネルヴァ書房、1994年)
b) 栗原隆氏「IV ヤコービ/ヘルダー」(『哲学の歴史 第7巻 理性の劇場』所収、中央公論新社、2007年)

  拙訳(LS, S. 54/* 22-23)

 [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングと私(ヤコービ)の会話を、メンデルスゾーンに報告しています。] 
レッシング:神性についての正統派的な考えは、もう私には関係ないものです。そうした考えには、満足できないのです。「ヘン・カイ・パン [一にして全。一即全]」、これしか私は知りません。この [ヤコービが持ってきた] 詩も、またそこへと向かっていますね。この詩は大変気に入ったと、白状せざるをえません。
私:では、あなたはスピノザに、かなり同意できるのかもしれませんね。
レッシング:私が誰かの信奉者ということでしたら、彼以外にいません。
私:私もスピノザは、素晴らしいと思います。しかし、私たちは彼に無い物ねだりをしがちです。
レッシング:ええ、もしそう言いたいのであれば・・・だが・・・よりいいものがあるでしょうか? [省略は原文]

● 『哲学の歴史 第7巻』230-231ページでの引用
  拙訳(LS, S. 55-57/* 23-25)

 [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングとヤコービ(私)のやりとりを報告しています。] 
 翌朝、私は朝食をとった後、服を着るために自室へ戻りました。しばらくして、レッシングがやって来たのです。私がすわって髪を整えさせていたので、その間レッシングは、部屋の片隅の机に静かに体をもたせていました。私たち2人だけになり、レッシングが体をもたせている机の別の側に私がすわると、彼は語りだしました:
「私が来たのは、あなたに私の信じる『ヘン・カイ・パン』について、お話ししたいためです。昨日は、あなたは驚かれたことでしょう」。

私:あなたにはビックリさせられました。さぞかし青ざめたり赤くなったりしたことでしょう。困惑してしまったものですから。でも恐慌をきたしたわけではないのです(注1)。まさかあなたがスピノザ主義者、つまり汎神論者だったとは、思いもよりませんでした。しかも、あっさりとそう打ち明けられたものですから。私がここにやって来たのは、およそあなたからスピノザに抗するための援助を、得るためだったのです。

レッシング:では、あなたはスピノザのことを知っているのですね?

私:彼をよく知る数少い一人だと、思っています。

レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。

私:そうかも知れません。決定論者は、自説を貫こうとすれば、宿命論者にならざるをえないのですからね。その後は、自余の問題もおのづと片付こうというものです。(注2)

レッシング:私たちは分かり合えるようですね。あなたがスピノザ主義の根本思想と考えているものを、ますますお聞きしたくなりました。ここでスピノザ主義というのは、スピノザ自身が考えていたもののことですが。

私:彼の根本思想は、おそらく古語にいう「無からは何も生ぜず(a nihilo nihil fit)」だと思います。スピノザは、カバラ哲学者達や彼以前の哲学者達よりも、より抽象的な考え方でもって [nach abgezogenern Begriffen] この古語を考察したのです。この考え方によって、彼が見出したのは、「無限なもののうちに何かが生じるときには、その何かをいかように表現したところで、何かが無から措定されてしまう。また、無限なもののうちに何らかの変化が起きるときも、同様である」ということでした。
 したがってスピノザは、無限なものから有限なものへのいかなる移行も退けたのです。一般的にすべての移行原因 [Causas transitorias] を、それが2次的なもの [secundarias] であろうと遠隔的なもの [remotas] であろうと、退けました。そして彼は、ただ内在的な「神」 [Ensoph, エンソーフ。カバラ主義における無窮の神(英和辞典『リーダーズプラス』)] を、流出するものの代わりに措定したのでした。つまり世界の、内在的にして自らのうちで永遠に変わることなき1つの原因を、措定したのです。この原因は、そのすべての結果ともどもに――、一つの同じものなのでしょう。・・・ [省略記号は原文]
 この内在的で無限な原因そのものは、明らかなことですが、悟性をも意思をも持っていません。なぜならこの原因は、その超越論的一性 [Einheit] と一様な絶対的無限性によって、思考と意欲のいかなる対象も持ちえないからです。それにまた、
・概念 [の存在] 以前の概念を生みだす能力とか、あるいは、
・その概念が対象とするもの以前に存する概念、つまり、自ら自身だけが原因となって [対象が原因となったのではなく] 生じたような概念――こうした概念を生みだす能力とかは、
・意欲に働きかけて、全く自らを規定する意思同様、
まったく馬鹿げたことだからです。

198 件のコメント:


  1. http://yojiseki.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=5748440&i=200706/17/41/a0024841_13484060.jpg
    上はスピノザ自身による無限の説明。『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)、『デカルトの哲学原理』に採用されている。
    円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。
    これは、契約における実定法と自然権、歴史における真理と教義、主体における意識と無意識(またはその代理表象)、証明における思惟と延長といった、即時的(同時的)かつダブルバインド的な二項にそれぞれ相当するだろう。
    「二つの円」と「二つの円の比率」の関係は、「実体」と「人間に認識できる二つの属性(思惟と延長)」の関係ということもできる。
    (参照:『精神の眼は論証そのもの』上野修)
    赤線、青線はドゥルーズ、マシュレーによる任意の教義の恣意性の説明に相応する(参照:『ヘーゲルかスピノザか』マシュレー)。


    スピノザは、『エチカ』では無限について、また少し別の説明をしている。
    『エチカ』に出てくる最初の図(第1部定理15備考より)では、2本の線が無限に延びるとしたら、BとCのあいだと、既存の線と2種類の無限が外在的に存在してしまい、おかしいと説く。

    http://yojiseki.exblog.jp/iv/detail/index.asp?s=5762898&i=200706/20/41/a0024841_12545794.jpg

    次の図(第2部定理8備考より)は任意の線であるDとEの矩形*は無限に存在し得ると説く。こちらでは内在的無限の合理性を説明している。
    これらは、「神はすべてのものの内在的原因であって、超越的原因ではない」(1:18)という神の説明に関係しており、従来のキリスト教における神の説明との違いは明白である。
    二つの図が対になっていることは、記号が順列されていることからも容易にわかる。

    *ユークリッド(3:35)が基礎づけとしてある。

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  2. http://okwave.jp/qa/q7917566.html

    原論3巻命題35について
    間接的な質問(畑違い)からになって恐縮なのですが、よろしくお願いいたします。

    スピノザの「エチカ」第二部定理八備考の中で、ユークリッド「原論」3ー35を用いた解説があります。
    ”円は、その中でたがいに交わるすべての直線の線分から成る矩形が相互に等しいような本性を有する。”
    上記説明について、この画像が添えられているのですが、
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/p2p8fig.gif
    参照元となっているユークリッドの原論の箇所、
    http://euc-elements.matrix.jp/03/E-Elements0335.html
    を読んでみても、数学的素養が全くないため、「矩形」または「2つの部分にかこまれた矩形」というのが、どのような図になるのか、見当がつきません。
    ちなみに、図書館で書籍に当たってみたのですが、「矩形」が図示されておらず、わかりませんでした。
    http://www.amazon.co.jp/ユークリッド原論-追補版-中村-幸四郎/dp/4320019652/ref=sr_1_2?s=books&ie=UTF8&qid=1359453169&sr=1-2

    どなたか、素人にも上記の意味における「矩形」とはどのようなイメージ(図)なのか、教えていただけませんでしょうか。
    投稿日時 - 2013-01-29 18:54:21
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    回答:No.2


    kazuutoo
    お示しいただいたURLにあるユークリッド原論の記述を見ただけでの推測を書きます。
    内容としては、No.1の方の回答と同じです。

    =====

    「2つの部分にかこまれた矩形」というのは、
    「2つの線分(の長さ)を縦横それぞれの長さとする長方形の面積」
    と考えれば良いと思います。

    つまり、円に二つの弦ACとBDがあり、それがEで交わっている時に

    (AEの長さ) × (ECの長さ) = (BEの長さ) × (EDの長さ)

    というのが、命題3-35の述べていることではないでしょうか。

    きっと「原論」では、「矩形」という言葉を「矩形の面積」という意味でも使うのでしょう。
    同様に「線分」という言葉を「線分の長さ」の意味でも使うのだと思います。
    原論をよく読んでいる人からの回答があると良いですが。

    返信削除
  3. エチカ定理八備考
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p8n
     備考 もし誰かがこの事柄をもっと詳細に説明するために例を求めても、私がここに語っている事柄は特殊な事柄だから、これを十分に説明するいかなる例も私は挙げることができないであろう。しかし私はできる限りこの事柄を(一つの例をもって)解説することに努めよう。

     円は、その中でたがいに交わるすべての直線の線分から成る矩形が相互に等しいような本性を有する。ゆえに円の中には、相互に等しい無限に多くの矩形が含まれていることになる。しかしこういう炬形は、どれも、円の存在する限りにおいてでなくては存在すると言われえない。同様にまたこれらの矩形の観念は、どれも、円の観念の中に包容されている限りにおいてでなくては存在すると言われえない。今、かの無限に多くの矩形の中でただ二つだけ、すなわちEおよびDの線分から成る矩形だけが〔現実に〕存在すると仮定しよう。そうすればたしかに、それらの矩形の観念もまた、単に円の観念の中に包容されている限りにおいて存在するだけでなく、さらにまたそれらの矩形の存在を含む限りにおいても存在する。そしてこれによってそれらの矩形の観念は、他の矩形の観念と区別されるのである。

    返信削除
  4. http://piratesandrevolutionaries.blogspot.com/2012/07/difference-sensation-deleuzes.html


    Spinoza writes of the diagram that “all the inequalities of the space lying between the two circles ABCD in the diagram exceed any number, as do all the variations of the speed of matter moving through that area.”

    スピノザの神の定義が妥当かどうかは「無限に多くの属性」における
    無限の説明にかかってくる。

    『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)
    http://3.bp.blogspot.com/-_OmR6fOZ4qg/T_N1cPlZncI/AAAAAAAAJ4g/iEkmEvsX6j4/s1600/letter%2Band%2Bquote.jpg
    エチカ第1部定理15備考 http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p15n
    エチカ第2部定理 8備考 http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p8n

    でそれぞれ別の図を使って説明している。

    返信削除
  5. スピノザの神の定義が妥当かどうかは「無限に多くの属性」における
    無限の説明にかかってくる。

    書簡12(書簡50には無限の説明があるが図はない)
     http://piratesandrevolutionaries.blogspot.com/2012/07/difference-sensation-deleuzes.html
    エチカ第1部定理15備考 http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p15n
    エチカ第2部定理 8備考 http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p8n

    でそれぞれ別の図を使って説明している。

    返信削除
  6. スピノザによる神の定義が妥当かどうかは「無限に多くの属性」における
    無限の説明にかかってくる。

    書簡12(書簡50には無限の説明があるが図はない)
     http://piratesandrevolutionaries.blogspot.com/2012/07/difference-sensation-deleuzes.html
    エチカ第1部定理15備考 http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p15n
    エチカ第2部定理 8備考 http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p8n

    でそれぞれ別の図を使って説明している。

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  7. スピノザのよる神の定義が妥当かどうかは「無限に多くの属性」における
    無限の説明にかかってくると思う。

    スピノザは、

    書簡12(書簡50には無限の説明があるが図はない)
     http://piratesandrevolutionaries.blogspot.com/2012/07/difference-sensation-deleuzes.html
    エチカ第1部定理15備考 http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p15n
    エチカ第2部定理 8備考 http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p8n

    でそれぞれ別の図を使って説明している。
    その重要性がわかる。

    返信削除
  8.  スピノザ『神学・政治論』:図解

            ________自然6
           |   宗教の目的: |
           |    /服従13、|
           |   /  \ 神学|
           |  / (1~15)|
           | /      \ |
           |/ ______ \|    
           | |奇蹟6   | |
        マイモニデス7     | |\
        (超自然的力→比喩)  | | \
        /  | |_預言者__| |  \
       /   | 法4=|=契約12、17 \
      /    |  表象能力2   |    \
     /_____|__________|_____\
           |__国家の___哲学15、政治(16~20)
              目的:自由 理性15、19
                 20

     スピノザ『国家論』:図解

             目的:平和安全1:6、5:2
       悪\                /善4:1
       恐怖\     民主国家11   /希望3:3
          \____________/
       越権行為\   貴族国家8〜10(8:27くじ引き、8:30元老院400人?)  
       4:3、4\________/
             \ 君主国家6〜7(6:15顧問官)
          4:1最高権力  権利(法)2:19、3:5、理性3:6、7
    ___________\__/_______________
       自然状態、自然権 \/ 
       3:2      本性,本能1:7、6:1

    http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html

    返信削除
  9. スピノザ『神学・政治論』と『国家論』とでは国家の位置づけが違う。
    前者では自然権に近かったが、後者では制度となっている(国家の目的設定は自由から安全平和へ移行する)。
    国家の二重性とも言える(平和と自由の二律背反、この克服が『神学政治論』のテーマであり副題☆である)。『エチカ』での前半と後半の態度変更に近い。

    注☆
    副題は、
    「思考の自由を許容することは敬虔の念と国家の平和を損うことにならないばかりでなく、反ってこの自由を奪うことは国家の平和と敬虔の念を危うくする所以であることを示す若干の論文が含まれる」

    返信削除
  10. 宗教!


    自由


    平和


    国家!

    返信削除
  11. 宗教!

    自由


    平和

    国家!

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  12.               1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/  
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然_物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
                   \/
                  5自由


                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \  /\悲しみ_/\_喜び /\  /  
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然_物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 受動3感情/能動 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
                   \/
                  5自由


                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \  /\悲しみ_/\_喜び /\  /  
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然_物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 受動3感情/能動 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
                   \/
                  5自由

    図TOP☆           2b様態
                   /\
                  /無限\
            完全性  /    \
     悲しみ______小←/_2a属性__\→大______喜び
        \      /   /\   \      /
         \   悪/___1実体\___\善   /  
          \  /\  知_/\_至福 /\  /  
         憎しみ/ 経験/ \  第三種/認識\愛
           /\  /\/_\/_\/\  /\
        所産的自然\/ 神\__徳__自然(能産的) \
         /  延長\個体 5自由/ 認識/思惟  \ 
      物体/_____身体___\/___精神_____\観念
                \ 4理性  /  
                 \    /
                  \努力/
                   \/
                   欲望
                  3感情

    返信削除

  13. 神にしろ科学にしろ内在的運動として思考において展開出来るかどうかが鍵だろう
    科学的な「知識」がいくらあっても古くなり得るし金科玉条にしたら意味が無い
    神に関しても同じだ
    外在的な人格神が必ずしも悪だとは思わないが思考停止を招く場合がある
    そこに哲学の意義がある、、、などと無理に持ちあげるつもりもないが

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  14. 602 :考える名無しさん :sage :2013/05/07(火) 13:26:53.97 0
    2013.4.30
    改訂版「スピノザ入門」全12回講義�<1DF版
    先ほどは閲覧できなかったので、変えてみました。

    これでどうかな?

    改訂版「スピノザ入門」全12回講義�<1DF版

    (p)https://www.sugarsync.com/pf/D8067590_898_972093088

    (p)http://pub.ne.jp/foxydog/

    返信削除
  15. 第 3 章 ウルフソンとゲルーの対立
    ウルフソンの観念論的解釈
    ユダヤ及びイスラムを含む中世思想の碩学ウルフソン(Harry Austryn Wolfson: 1887–
    1974)は,その大著『スピノザの哲学――彼の推論の潜在的な諸過程を解明する』第 1 巻 (Wolfson, 1934)の第 5 章・第 4 節「実体に対する属性の関係(Relation of Attribute to Substance)」において観念論的解釈を提示している。彼の典拠は,『エチカ』の内在的議論の みならず,スピノザに影響を与えたであろう中世思想にまで及んでいる。彼の議論の概要を
    以下に再現する。 「スピノザの神ないし実体は,中世合理主義者たちの神と同様に,その本質については不 可知(unknowable in His essence)である」。中世ユダヤ思想家マイモニデスの著書『迷え る者の導き』からウルフソンは,次の箇所を引用する。「神の本質についての知識を獲得す る可能性は無い。......神について人間が認識し得る唯一の事柄は,神が存在するという事実 で あ る 」。 ま さ に こ の 伝 統 の 下 で , ウ ル フ ソ ン は ス ピ ノ ザ の 「 属 性 」 概 念 を 解 釈 し , 次 の よ う に 述 べ る 。「 ス ピ ノ ザ は 『 属 性 』 と い う 伝 統 的 な 術 語 を 採 用 し , そ れ を , そ れ 自 体 に お い ては不可知な実体が人間精神に顕現する仕方(the manner in which substance, unknowable in intself, manifests itself to the human mind)の記述として活用する。」 もっとも,ウルフソンも,エルトマンとフィッシャーによって体現された解釈上の対立に ついて知らないわけではない。すなわち彼も,という解釈(彼が言うところの「主観的解釈」)と, という解釈(「客観 的解釈」)との対立を意識している。彼は言う。「前者の解釈に立てば,〔属性が〕知性によっ て知覚されるというのは知性によって『作出(invent)』されるという謂いであり,......。後 者 の 解 釈 に 立 て ば ,〔 属 性 が 〕 知 性 に よ っ て 知 覚 さ れ る と い う の は 知 性 に よ っ て た だ 『 発 見
    (discover)』されるという謂いである」。しかもウルフソンは,同様の対立は中世ユダヤ哲学 においても存在したということを指摘した上で,スピノザは(そのような歴史的経緯を意識 しつつ)自らの哲学的体系の内在的要求に従って属性を主観的なものと見なしたと主張する。 彼の議論は次のようなものである。

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  16. スピノザ入門第2回(その1) | メディア日記<龍の尾亭>
    2012年5月20日 - これはスピノザの哲学が難解なのではなく、むしろ、今の私達と、スピノザの思考の前提 (いわばOS)が違うのだ。 ... その結果、スピノザは「死せる犬」と呼ばれて論じられること がなかった。 ... ウォルフソン ユダヤ人哲学の側面を指摘。
    blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980363
    スピノザ解釈史における「属性」論争(Adobe PDF) - htmlで見る
    スピノザ解釈史における「属性」論争. 第 3 章 ウルフソンとゲルーの対立. ウルフソンの 観念論的解釈. ユダヤ及びイスラムを含む中世思想の碩学ウルフソン(Harry Austryn Wolfson: 1887–. 1974)は,その大著『スピノザの哲学――彼の推論の潜在的な諸 過程 ...
    shudo-u.repo.nii.ac.jp/?action=repository...

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  17. Cに先取りしていたともいえる。ミシェル・フーコーは『主体の解釈学』においてデカルト以後、真理が認識の対象になってしまった。しかし(古代ギリシャ以来)そういうものではなかった。真理は主体が訓練して、レベルアップしたその水準に見合ったところに到達して初めて分かるものだった。もともと真理はそういうものだった。スピノザは、デカルト以降、ギリシャ以来の、真理における哲学のスタンスを保持していた唯一の人ではないか。☆(國分)フーコーは何度か『知性改善論』を引用している。好きだった(気に入っていた)のかも

    返信削除
  18. 1,その3

    ではスピノザは「何で難しいのだろう?」あることを理解するにあたって、その理解する前提が違っていると難しいと感じる。スピノザが訳が分からない、というのは、ややこしいからではない。むしろ極めてシンプル。それは、考え方のフォーマットがそもそも異なっているから。「OS」自体を変えないと分からない。<つまり、考えが違うのではなく、考え方が違う>

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  19. 바뤼흐 스피노자(1632-1677)
    『에티카』(Ethica)

                  1실체
                   /\
                  /무한\
                 /_무한정_\
        ________/_2a특성__\________
        \知 억제  /작은←/\→큰 완전성  행복/
         \   악/___2b양태\____\善   /  
          수동적/\ 슬픔_/\_기쁨 /\능동/
           \/  증오 \노력/사랑/  \/
           /\대상/ /_\/_\ \인식/\
         소산인자연/사물__욕망__관념\/  \  
         /  연장\ 신체3감정/정신 /사유  \능산으로
       신/______\___\/_제3종인식____\자연
                \ 4이성  /   
                 \    /
                  \_덕_/
                   \/
                  5자유

    返信削除

  20. 바뤼흐 스피노자(1632-1677)
    『에티카』(Ethica)

                  1실체
                   /\
                  /무한\
                 /_무한정_\
        ________/_2a특성__\________
        \知 억제  /작은←/\→큰 완전성  행복/
         \   악/___2b양태\____\善   /  
          수동적/\ 슬픔_/\_기쁨 /\능동/
           \/  증오 \노력/ 사랑  \/
           /\대상/ /_\/_\ \인식/\
         소산인자연/사물__욕망__관념\/  \  
         /  연장\ 신체3감정/정신 /사유  \능산으로
       신/______\___\/_제3종인식____\자연
                \ 4이성  /   
                 \    /
                  \_덕_/
                   \/
                  5자유

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  21. 바뤼흐 스피노자(1632-1677)
    『에티카』(Ethica)

                  1실체
                   /\
                  /무한\
                 /_무한정_\
        ________/_2a특성__\________
        \知 억제  /작은←/\→큰 완전성  행복/
         \   악/___2b양태\____\善   /  
          수동적/\ 슬픔_/\_기쁨 /\능동/
           \/  \증오\노력/사랑/  \/
           /\대상/ /_\/_\ \인식/\
         소산인자연/사물__욕망__관념\/  \  
         /  연장\ 신체3감정/정신 /사유  \능산으로
       신/______\___\/_제3종인식____\자연
                \ 4이성  /   
                 \    /
                  \_덕_/
                   \/
                  5자유

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  22. 「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ! 僕には先駆者がいるのだ、なんという先駆者だろう! 僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザをもとめたというのは、ひとつの「本能的な行為」であったのだ。彼の傾向がすべて、――認識をもっとも力づよい情熱とする――僕の傾向にそっくりというだけではない。彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、――彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的世界秩序を、非利己的なものを、そして悪を否定する。………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を詰まらせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、少なくともいまは、二人連れの孤独なのだ――ふしぎだね!」
    (ニーチェ。1881年、オーヴァーベック宛て書簡。ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

    ヨベル『異端の系譜』によれば、のちにニーチェの力への意志がスピノザのコナトゥスに、運命愛が知的愛に対抗して提出される。

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  23. <根本概念「永劫回帰思想」は、これまで達することのできなかった至高の肯定である。この考えがひらめいたのは、1881年の8月のことであった。わたしは1 枚の紙切れに、大急ぎでメモをとり、追記として「人間と時間とを超えて横たわる六千フィート」と書いた。その日わたしは、シルヴァプラーナ湖のそばの林を散歩していた。わたしはスルライ村からさほど離れていない大きなピラミッド型をした岩のそばで立ち止まった。まさにそのとき、この考えがひらめいたのであった。>
    (『この人を見よ』より 参考:http://blog.tane1q.com/?eid=536744)

    ちなみに、永劫回帰を思いついた直前、ニーチェはスピノザを発見しています。
    ニーチェとスピノザに関しては、(すぐにニーチェがスピノザの理性主義に反発して決別するので無理もないですが)入門書ではほとんど語られないが最重要項目だと思います。
    (それでも講談社学術文庫『ニーチェ』(山崎庸佑)、中公新書『ニーチェ』(藤田健治)は少しスピノザに言及していますが。)

    1881年(7月30日=永劫回帰発見の直前)のニーチェのスピノザ評は以下です。

    <僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ。僕には先駆者がいたんだ、なんという先駆者だろう。
    僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザを(読んで)認めるまで。………彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿を見た。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近いのだ。
    ………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を苦しくさせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、すくなくとも(スピノザを読んだ)いまは、二人連れの孤独になったんだ——不思議だね!>
    (ニーチェ。1881年7月30日、オーヴァーベック宛て書簡、ちくま学芸文庫『ニーチェ全集』別巻一、p500参照)

    スピノザとニーチェには、神への愛と運命への愛、コナトゥスと力への意志、隠者=ツァラツストゥラといった相似点,論点が見出せます。
    以下、ヨベル『異端の系譜』(p460)より。

    <おそらくは両者の印象的な「二人の孤独」のゆえに、スピノザの姿は絶えずニーチェにつきまとっていた。
    「隠者よ、私はあなたの正体を見抜いた[すなわち、仮面を剥ぎ取った]だろうか」
    彼は実際に正体を見抜いたのだろうか。
    と、「スピノザに」という詩のなかで彼は問いかけている。

    「一者こそすべて」に愛の面ざしを向け
    <神への愛>に酔い、知のもたらす至福に浸るーー
    さあ、靴を脱げ! これは至純の聖なる土地なのだからーー
    ーーしかし、この愛の下には秘かに、焼き尽くす、
    復讐の炎が燃えさかっていた、
    ユダヤ人の憎悪によって焼き尽くされたユダヤの神…
    隠者よ! 私はあなたの正体を見抜いただろうか?

          (ニーチェ貢作集[ライプチヒ、クレーナ一社]第八巻、三六九頁
    [邦訳、ニーチェ全詩集、人文書院、二二七頁]、英訳は引用者による)

    スピノザについてのニーチェの評言のいくつかは、彼自身にも同じように当てはまるだろう。「病気の隠者」とニーチェはスピノザのことを呼び、詮索好きな俗世間から自分の最も個人的な哲学を隠すために「仮の衣装」(彼の幾何学的方法)を身につけていた「内気」で「傷つきやすい」人間、とスピノザを評している。比喩の方向を変えて、ニーチェはまたスピノザの仮面を「貞操帯」とも呼び、彼の個人的な哲学を「一人の処女」と称している。性的なほのめかしは再び、この二人の独身哲学者(これはニーチェが他のところで強調している類似点である)の双方に当てはまるのであって、それは「隠者」という言葉にさらに多くの光を投じている。>

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  24. 「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ! 僕には先駆者がいるのだ、なんという先駆者だろう! 僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザをもとめたというのは、ひとつの「本能的な行為」であったのだ。彼の傾向がすべて、――認識をもっとも力づよい情熱とする――僕の傾向にそっくりというだけではない。彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、――彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的世界秩序を、非利己的なものを、そして悪を否定する。………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を詰まらせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、少なくともいまは、二人連れの孤独なのだ――ふしぎだね!」
    (ニーチェ。1881年7月30日、オーヴァーベック宛て書簡。ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

    ヨベル『異端の系譜』によれば、のちにニーチェの力への意志がスピノザのコナトゥスに、運命愛が知的愛に対抗して提出される。

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  25. 永劫回帰を思いつく直前、ニーチェはスピノザを発見しています。
    ニーチェとスピノザに関しては、(すぐにニーチェがスピノザの理性主義に反発して決別するので無理もないですが)入門書ではほとんど語られないが最重要項目だと思います。
    (それでも講談社学術文庫『ニーチェ』(山崎庸佑)、中公新書『ニーチェ』(藤田健治)は少しスピノザに言及していますが。)

    「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ! 僕には先駆者がいるのだ、なんという先駆者だろう! 僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザをもとめたというのは、ひとつの「本能的な行為」であったのだ。彼の傾向がすべて、――認識をもっとも力づよい情熱とする――僕の傾向にそっくりというだけではない。彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、――彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的世界秩序を、非利己的なものを、そして悪を否定する。………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を詰まらせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、少なくともいまは、二人連れの孤独なのだ――ふしぎだね!」
    (ニーチェ。1881年7月30日、オーヴァーベック宛て書簡。ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

    ヨベル『異端の系譜』によれば、のちにニーチェの力への意志がスピノザのコナトゥスに、運命愛が知的愛に対抗して提出される。

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  26. 永劫回帰を思いつく直前、ニーチェはスピノザを発見しています。
    ニーチェとスピノザに関しては、(すぐにニーチェがスピノザの理性主義に反発して決別するので無理もないですが)入門書ではほとんど語られないが最重要項目だと思います。
    (それでも講談社学術文庫『ニーチェ』(山崎庸佑)、中公新書『ニーチェ』(藤田健治)は少しスピノザに言及していますが。)

    「僕はすっかりびっくりして、うっとりしているんだ! 僕には先駆者がいるのだ、なんという先駆者だろう! 僕はほとんどスピノザを知らなかった、僕がいまスピノザをもとめたというのは、ひとつの「本能的な行為」であったのだ。彼の傾向がすべて、――認識をもっとも力づよい情熱とする――僕の傾向にそっくりというだけではない。彼の説の五つの主要な点に僕は僕の姿をみたのだ。この最も異質な最も孤独な思想家は、まさに僕にもっとも近い、――彼は意志の自由を否定する、目的を、道徳的世界秩序を、非利己的なものを、そして悪を否定する。………つまりだね、高い高い山に登った時のように、ときどき僕の息を詰まらせたり、僕の血を流させたりした僕の孤独が、少なくともいまは、二人連れの孤独なのだ――ふしぎだね!」
    (ニーチェ。1881年7月30日、オーヴァーベック宛て書簡。ちくま文庫ニーチェ全集別巻1上500頁より)

    ヨベル『異端の系譜』によれば、のちにニーチェの力への意志がスピノザのコナトゥスに、運命愛が知的愛に対抗して提出される。隠者志向=ツァラツストゥラといった相似点も見出せます。

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  27. スピノザ、ヒューム、フレーゲ
    フレーゲは自らの個数言明の理論に確証をもたらすものとして、(半ば批判的にではあるが)スピノザを引用している(邦訳『算術の基礎』49節、109頁。むろんフレーゲはスピノザとは逆に表象から概念が始まっても構わないと考えていて、この時点では実念論的ではない)。

    「我々は物を共通の類に還元した後でのみその数の概念の下に考えることができる」(邦訳『スピノザ往復書簡集』書簡50、238頁)

    スピノザが硬貨を例に挙げていることが重要なのだがここでは割愛する。
    さらに、フレーゲは63節で数の一意的対応の根拠にヒュームを持ち出している(参考:旧投稿)。

    ここにヒューム、スピノザは経験論、決定論の区別なく、数学の基礎に位置づけられる。
    なお、フレーゲの試みはラッセル、より本質的にはゲーデルに破壊されたとはいえ、ゲーデル数と自然数の対応など、ゲーデルもフレーゲの理論を借り、突き詰めることでフレーゲ理論に反駁したという点が重要である。

    今日まで、スピノザ、ヒュームが、カント(フレーゲは前掲書で「カントの改善」を試みたと言っている)によって神秘主義、懐疑主義者とされてしまった弊害は大きい(なおカントも『遺稿』ではスピノザの土俵に立ち返っているが)。

    追記:
    ネグリ、ハートは『野生のアノマリー』(邦訳297頁)『コモンウェルス』(未邦訳)で上記のスピノザの言説を引用し、政治学的に展開しているようである。
    『野生のアノマリー』はアルチュセールの影響を受け、あまりに政治的だったが(あまりに政治的なので、スピノザが硬貨を例に挙げたことの経済学的な重要さ〜プルードンの相互主義に通じる〜が理解できていないようだが)、それでも書誌的な研究はしっかりしていたし、彼らはそれを続けていることになる。

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  28. 邦訳シェーラー著作集13のスピノザはいい
    15ページほどによくまとまっている

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  29. http://yojiseki.exblog.jp/9036335/
                             2の2様態
                               /\
                              /  \
                             /    \
                      全宇宙の形貌/  間接  \  
                           /  無限様態  \ 
                      運動と静止    直接  無限知性    
                         /            \
     悲しみ________________/____2の1属性_____\________________喜び
        \        恐れ    /       /無限      \希望            /
         \    憎しみ     /       /  \       \    愛       /
          \ 絶望    受動的/       /    \       \      完全性(小←→大)
           \       悪/_______/_1実体__\_______\善       /
            \ 怒り   /\      /   /\   \      /\      /
             \    /  \   知/___/__\___\至福=知的愛 \    /
              \  /    \  /\  /    \  /\  /    \  /
               \/      \/  \/  神   \/  \/      \/      
               /\      /\  /\      /\  /\      /\
              /  \    /  \本質、本性___/__\/  \    /  \
        所産的自然/       /全自然 永遠、必然  /(能産的)自然 \  /    \
            /      \/______\___\/__起成、自己原因_\/      \   
           /      延長\       \  徳   第三種認識   /思惟      \ 
          /    個物    \       \5自由 /(直観知)  /    知性    \
         /            \       \  /       /            \
      物体/______________\_______\/_______/______________\観念
           (無際限)      身体\    4道徳、理性  驚き/精神             
                        第二種の個体     第二種認識  
                        (複合個体)  表象   /
                           \        / 
                            \  努力  /   
                             \    / 
                              \  /
                               \/
                             3感情、欲望
                   有限物体 第一種の個体     第一種認識  有限観念 
                        (単純個体)有限様態 (想像知) 

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  30. 「(道徳)またスピノザは、例の「笑わず、欺かず」を主義とし、まことに素朴にも、情念を滅ぼすには情念の分析と解剖とをもってせよと勧めた 」ニーチェ(1844-1900)

    Twitterentairyaku

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  31. 注目新刊:カリオラート『神の身振り』水声社、ほか



    神の身振り――スピノザ『エチカ』における場について
    アルフォンソ・カリオラート(Alfonso Cariolato, 1963-)+ジャン=リュック・ナンシー(jean-Luc Nancy, 1940-)著 藤井千佳世+的場寿光訳
    水声社 2013年5月 本体3,000円 A5判上製208頁 ISBN978-4-89176-970-3

    帯文より:そのつど来るべき意味の到来に対して、開かれてあるために。スピノザ『エチカ』の一節を綿密に分析することにより、二元論の枠に収まらないその思想を、開かれた存在の可能性として新たな読みを大胆に提示する。倫理と政治に関わるスピノザ哲学の根源に触れる理論的かつ実践的マニフェスト。

    ★まもなく発売。原書は、Le geste de dieu: Sur un lieu de l'Ethique de Spinoza, Marginalia de Jean-Luc Nancy, Les Éditions de la Transparence, 2011です。「訳者あとがき」での説明によれば、本書は「オランダの近世哲学者B・スピノザの主著『エチカ』の一節(nos ex solo Dei nutu agere:われわれは神の身振りのみによって活動する)をめぐって、ラテン語はもちろんのこと、フランス語、オランダ語、ドイツ語、またカリオラートの母国語であるイタリア語の文献を渉猟しつつ詳細な論が展開されるとともに、彼の師であるジャン=リュック・ナンシーがコメントをほどこし、問題点を指摘し、あるいは論をずらしつつ、自らのスピノザ論を披瀝している。カリオラートのスピノザの一節をめぐる解釈もさることながら、ジャン=リュック・ナンシーは、ある講演で、スピノザを「西洋哲学に現れた奇妙な彗星のような存在」と称し、彼の思索のなかでスピノザが重要な位置を占めていることを認めているにもかかわらず、これまでこのオランダの哲学者についてまとまった字句を費やすことがなかっただけに、本書で現代哲学者として彼が、スピノザをどのように自らの論に惹きつけているかを認められるのは貴重であろう」(185-186頁)。

    ★「われわれは神の身振りのみによって活動する」という一節は、『エチカ』第二部定理49の備考(注解)における、4点にわたる「実生活への有用性」の指摘の第1点で語られています。これまで「命令」と訳されるのが通例だったnutusを「身振り」と訳しているのが新鮮です。ハイデガーのWink(合図/ウィンク/瞬き/目配せ」とも通じる概念として捉えなおすことができるこのnutusをめぐって、ナンシーは「この身振りについて、われわれは何も知ることも、前提することも、想像することもできないが、このnutusはわれわれに触れているのであり、この発話(ex solo Dei nutu)においてわれわれはすでに揺さぶられている」(128頁)と述べています。カリオラートの解釈はこの身振りから、運命と自由、倫理と政治をめぐる思考へと展開していき、それらに応答するナンシーのコメントはカリオラートのテクストより段を下げて組まれています。なお、ナンシーがハイデガーとデリダを論じた「神的なウインクについて」は、『脱閉域――キリスト教の脱構築1』(大西雅一郎訳、現代企画室、2009年、207-241頁)で読むことができます。

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  32. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p49n1
     一 この説は、我々が神の命令のみによって行動し・神の本性を分有する者であること、そして我々の行動がより完全でありかつ我々がより多く神を認識するにつれていっそうそうなのであることを教えてくれる。ゆえにこの説は、心情をまったく安らかにしてくれることのほか、さらに、我々の最高の幸福ないし至福がどこに存するかを我々に教えてくれるという効果をもつ。すなわち我々の最高の幸福ないし至福は神に対する認識にのみ存するのであり、我々はこの認識によって、愛と道義心の命ずることのみをなすように導かれる。これからして〜〜徳そのもの、神への奉仕そのものがとりもなおさず幸福であり・最高の自由であることを知らずに、徳と善行を最も困難な奉仕とし、これに対して神から最高の報酬をもって表彰されようと期待する人々は、徳の真の評価からどんなに遠ざかっているかを、我々は明瞭に理解するのである。  163

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  33. http://urag.exblog.jp/17887465

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  34. NAMs出版プロジェクト: スピノザ『エチカ』見取り図:試作
    http://nam-students.blogspot.jp/2009/01/blog-post_08.html

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  35. http://anauresi.web.fc2.com/taketanimituo.htm
     唐木の処女作に『現代日本文学序説』(1932)がある。その中で北村透谷の「内部生命論」をスピノザで説明している箇所がある。唐木はスピノザをかなり読み込んでいたようだ。
    「神(あるいは宇宙の精神、実在)は、造化(ネエチャア)と人性(ヒュウマニテイ)の二系列に於いて自己自身を顕現する。この二系列は各自、種々なる顕象、表象を展開する。従って、自然の一物、人情の一片もみな神の自己顕現にほかならない。また種々なる顕象は、神以外のものよりその制約をうけず、その限りにおいてまったく自由である。従って、それは、時、歴史、社会の諸規定よりも脱している。透谷の次の言葉は以上のことを証明するだろう。<造化もまた宇宙の精神の一発表なり。神の形の象顕なり、その中に至大至粋の美を籠むることあるは疑うべからざる事実なり><彼等(詩人哲学者)が内部の生命を観察するは、沈静不動なる内部の生命を観るにあらざるなり、内部の生命の百般の表顕を観るのほかに彼等が観るべき事は之なきなり。即ち人性人情のvarious manifestationsを観るのほかには、観るべき事は之なきなり。観はどこまでも観なり>詩人の観は、神の顕現の直接認識である。インスピレイションである。スピノザの第三種の認識、永遠の相の下における認識にほかならない。<インスピレイションとは宇宙の精神即ち神なるものにして、人間の精神即ち内部の生命なるものに対する一種の感応に過ぎざるなり。吾人の之を感ずるは、電気の感応を感ずるが如きなり。>このインスピレイションは詩人・及至天才の特権であり、それを感応しうるもののみ、俗界のあらゆる制約を絶って生の秘奥に参ずることができる。」
     唐木の『覚書』は遺作となったが、この処女作からスピノザで一貫しているのは注目に値する。しかも、日本におけるスピノザの受容を北村透谷に認めているのである。この透谷論を読んでいると西田幾多郎の『善の研究』における「純粋経験」を連想するのであるが、京都大学の哲学伝統が確かに感じられる。ところで私がスピノザを知ったのは武谷三男の著作からであった。もちろん武谷三男も京大卒だ。スピノザの影響は文学者ではゲーテとロマン・ロランに認められるが、その汎神論(八百万の神ではなくて)は「自然の一物、人情の一片もみな神の自己顕現にほかならない」というもので、今こうして読んでみると懐かしい。青春の日々が甦ってくるようだ。その武谷三男のスピノザ論を聞いてみよう。『武谷三男著作集6巻 文化論』の中の野間宏との対談があった。「ロラン・マルクス・スピノザ」と小見出しがついている。

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  36. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
                   \/
                  5自由

    文字化けしているかもしれないが肝心なのは縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されている。

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  37. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
                   \/
                  5自由

    文字化けしているかもしれないが肝心なのは縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろう、、
    欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されている。

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  38. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
                   \/
                  5自由

    文字化けしているかもしれないが肝心なのは縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろうが、、、
    欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

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  39. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
                   \/
                  5自由

    文字化けしているかもしれないが肝心なのは縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    (ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろうが、、、)
    欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

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  40. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
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                  5自由

    文字化けしているかもしれないし、妥当性に疑問があるかもしれないが、肝心なのは縦の中心線にある、
    努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    (ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろうが、、、)
    欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

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  41. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
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                  5自由

    文字化けしているかもしれないし、妥当性に疑問があるかもしれないが、
    肝心なのは私見では縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    (ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろうが、、、)
    欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

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  42. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
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                  5自由

    文字化けしているかもしれないし、妥当性に疑問があるかもしれないが、
    肝心なのは私見では縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    (ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろうが、、、)
    系列がなければドゥルーズはニーチェと同じ狂気に陥っていただろう。
    (ドゥルーズはニーチェのツァラトゥストラ最終章の系列的思考を賞賛する)
    欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

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  43. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
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                  5自由

    文字化けしているかもしれないし、妥当性に疑問があるかもしれないが、
    肝心なのは私見では縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    (ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろうが、、、)
    系列がなければドゥルーズはニーチェと同じ狂気に陥っていただろう。
    (ドゥルーズはニーチェのツァラトゥストラ最終章の系列的思考を賞賛する)
    ドゥルーズの欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

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  44. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
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                  5自由

    文字化けしているかもしれないし、妥当性に疑問があるかもしれないが、
    肝心なのは私見では縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    (ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろうが、、、)
    系列がなければドゥルーズはニーチェと同じ狂気に陥っていただろう。
    (ドゥルーズはニーチェのツァラトゥストラ最終章の系列的思考を賞賛する)
    ドゥルーズの欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

    國分のドゥルーズ論も一応ドゥルーズの系列的思考に触れていてその点は優秀だ。

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  45. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
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                  5自由

    文字化けしているかもしれないし、妥当性に疑問があるかもしれないが、
    肝心なのは私見では縦の中心線にある、努力、欲望、徳だ。
    (コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    (ラカンなら欲望とそのシニフィアンが大事だというだろうが、、、)
    系列がなければドゥルーズはニーチェと同じ狂気に陥っていただろう。
    (ドゥルーズはシネマ2第六章「偽なるものの力能」等でニーチェの
    ツァラトゥストラ最終章の系列的思考を賞賛する)
    ドゥルーズの欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

    國分のドゥルーズ論も一応ドゥルーズの系列的思考に触れていてその点は優秀だ。



     

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  46. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
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                  5自由

    文字化けしているかもしれないし、妥当性に疑問があるかもしれないが、
    肝心なのは私見では縦の中心線にある、「努力」、「欲望」、「徳」だ。(コナトゥスを努力ではなく傾力と訳す人もいる。)
    逆にいうとコナトゥスと徳が位置づけられないと欲望もわからない。

    ドゥルーズ的には思惟と延長の平行する系列が重要。
    (ラカンなら欲望とそれに対応するシニフィアンが大事だというだろうが、、、)
    系列がなければドゥルーズはニーチェと同じ狂気に陥っていただろう。
    (ドゥルーズはシネマ2第六章「偽なるものの力能」等でニーチェのツァラトゥストラ最終章の系列的思考を賞賛する。)
    ドゥルーズの欲望も、欲望する諸機械(多元論的延長)vs. 器官なき身体(一元論的思惟)
    ということで実は系列化され、相対化されているのがミソ。

    國分のドゥルーズ論も一応ドゥルーズの系列的思考に触れていてその点は優秀だ。



     

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  47. スピノザ『エチカ』第一部公理六 
    真の観念はその対象(観念されたもの)と一致しなければならぬ。
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1a6

    ドゥルーズならひとつの概念と言っただろうが、基本的にこの倫理は受け継がれている。

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  48. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
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                   \/
                  5自由

    資本             国民           国家

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  49. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
                   \/
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    資本             国民           国家

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  50. スピノザ『エチカ』を図解すると以下になる。

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
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  51.               1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳_/
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  52.               1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
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  53.               1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
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        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
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  54.               1実体
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                  /無限\
                 /_無限定_\
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        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
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         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
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  55.               1実体
                   /\
                  /無限\
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        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
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         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
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  56.               1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
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  57.               1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
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         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
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  58. 大黒、ヘーゲル的にはこちら、



                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定_\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\_____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
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                 \    /
                  \_徳_/
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                  5自由

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                   神学
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                   自由


    こちらもあり得る


                 平和安全平等
                   神学
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  59. yusuke miyazaki ‏@parages 9月29日
    著者のモーゲンス・レルケは、1971年生デンマーク出身のヨーロッパ近世の哲学史家。2003年にソルボンヌで博士号取得、
    現在は英国アバディーン大学。HPをみると、千頁を超える本書に讃辞を寄せる記事が数多く紹介されている。(窓)http://www.abdn.ac.uk/chpstm/people/profiles/m.laerke …
    開く
    yusuke miyazaki ‏@parages 9月29日
    鈴木さんによれば「スピノザ/ライプニッツ問題」は次の研究が決定的だとのこと。Mogens Laerke, Leibniz lecteur de
    Spinoza : La genèse d'une opposition complexe (窓)http://www.amazon.fr/dp/2745316982/
    概要を表示
    yusuke miyazaki ‏@parages 9月29日
    こうしてライプニッツの最初の出会い損ねによって亡霊化していたスピノザの回帰として哲学の歴史は再構成される一方、
    それゆえに哲学史を影で駆動してきた「虚軸」としてスピノザ哲学の巨大さと謎がますます浮き彫りにされることになる。
    「スピノザ/ライプニッツ問題」の重要さがとてもよくわかった。
    開く
    yusuke miyazaki ‏@parages 9月29日
    要するに後世のスピノザ解釈は、スピノザを積極的に評価するにせよしないにせよ、ライプニッツ主義化されたスピノザ
    の様々なヴァージョンとして捉え返すことが可能である。そのことによって、デカルトからカントを経てフッサール、ハ
    イデガーに至る超越論哲学の系譜は相対化することができる。
    開く
    yusuke miyazaki ‏@parages 9月29日
    金曜の鈴木泉さんのセミナー。哲学の歴史を、スピノザとの出会い損ねの反復として捉え直すという興味深いお話。西洋
    哲学は、ドイツ観念論の前哨たる汎神論論争からドゥルーズのスピノザ解釈に至るまで、スピノザの核心を取り逃がす罠
    に捕らわれており、その原型がライプニッツのスピノザ解釈にある。

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  60. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note3p13n
    スピノザ『エチカ』第三部
     定理三八 ある人がその愛するものを憎み始めてついに愛がまったく消滅するに至る場合、
    彼は、それを全然愛していなかった場合よりも~~もしその憎む原因が両方の場合相等しい
    としたら~~より大なる憎しみに捉われるであろう。そしてこの憎しみは以前の愛がより大で
    あったに従ってそれだけ大であるであろう。
    197 :
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note3p38
    …言いかえれば、憎しみの原因であった悲しみのほかに、なお他の悲しみが、そのものを愛した
    ことから生ずるのである。したがって彼はそのものを愛さなかった場合に比べ、より大なる
    悲しみの感情をもって愛するものを観想するであろう。言いかえればより大なる憎しみに捉わ
    れるであろう。そしてこの憎しみは以前の愛がより大であったに従ってそれだけ大であるで
    あろう。Q・E・D・

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  61. 5つ星のうち 5.0 岩波文庫『エチカ』正誤表:
    岩波文庫『エチカ』(2004年版)正誤表:

    上144頁9行目  系二→備考二
    (第二部定理42記述内)

    上177頁 8行目 第一部定理二四→三四
    (第三部定理6記述内)

    下105頁16行目 第四部定理二一→一一
    (第五部定理5記述内)

    (註)
    下144頁13行目 詩編六四の一一→詩編六四の二
    (第四部定理五〇備考に関する註二四)

    追記:
    2011年の新版は一番上だけ直っていた。
    ルビに小文字が採用されているので新版はやはり読みやすい。

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  62.   国家
      資本
    ではなく

    資本  国家


    と以下のように考えられる

      神学
    資本  国家
      国民





    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf#
    search='%E4%B8%96%E7%95%8C%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB
    %E7%BE%A9%E3%81%AE%E5%85%B1%E7%9A%84%E6%A7%8B%E9%80%A0'
    宇野自身によるその説明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールに よれば,「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。これは 並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実現する。しかしスピノ ザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの制圧=改善を期待するところにあるの ではない。「心身二元論」「心身並行論」の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身 体から切り離されているということでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであ り,一方の他方に対する優越を禁じているのである。

    この関係は,国家と資本とのあいだにおいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本 (身体)から切り離されえないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「と もに」思考する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を展開 するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本の動向に対して,外 からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「ともに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。


    宇野理論形成の思想的背景* ―純粋と模倣―


    目次

    はじめに .................................................................................................................................. 2 (1) 日本資本主義論争批判(1935) -グローバリズム批判-.......................................6 (2) 原理論・段階論と理念型(1936)-ヴェーバーとスピノザ-.................................. 11 (3) 自由銀行論と中央銀行論(1941)-バジョット翻訳の意味-.................................. 14 (4) 循環の弁証法と移行の弁証法-純粋資本主義論の「矛盾」-................................... 16 (5) 価値形態における「人間」(1948)-近代化批判のかなめ.....................................18


    5:13 午前
    yoji said...
    大黒弘慈

    5:14 午前
    yoji said...
    大黒弘慈[1999],「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」『批評空間』第Ⅱ期第20号,太田出版。 大黒弘慈[2003],「原理論における『純粋』の意味」SGCIME編『資本主義原理像の再構築』所収,御茶の水書房。 大黒弘慈[2007],「貨幣に顕れた近代の光と闇-近代日本の経済学者-」『大航海』64号,新書館

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  63. @yojisekimoto: スピノザは名誉欲を批判したが(「最もすぐれた人々も特に名誉欲には支配される」)名誉を否定していない。
    エチカ 第三部感情の定義三〇 名誉とは他人から賞讃されると我々の表象する我々のある行為の観念を伴った喜びである…
    第四部定理五八 名誉は理性に矛盾せず、理性から生ずることができる

    @yojisekimoto: さらにスピノザは主知主義一辺倒でもない。
    http://t.co/VIzctDvF50
     エチカ第五部定理四一 たとえ我々が我々の精神の永遠であることを知らないとしても、我々はやはり道義心および宗教心を…何より重要なものと見なすであろう。

    @yojisekimoto: 「交通事故や薬物中毒で
    多くの人々が亡くなる場面に立ち会った
    …でもこの早朝に行われる手術に
    きみの生死を委ねるのには堪え難いものがある
    施術することはきみに死をもたらすもの
    ダモクレスの剣はきみの頭上にあるのだ」 http://t.co/XZREpBsGu9

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  64. スピノザ『エチカ』第三部
     定理三八 ある人がその愛するものを憎み始めてついに愛がまったく消滅するに至る場合、
    彼は、それを全然愛していなかった場合よりも~~もしその憎む原因が両方の場合相等しい
    としたら~~より大なる憎しみに捉われるであろう。そしてこの憎しみは以前の愛がより大で
    あったに従ってそれだけ大であるであろう。

    …言いかえれば、憎しみの原因であった悲しみのほかに、なお他の悲しみが、そのものを愛した
    ことから生ずるのである。したがって彼はそのものを愛さなかった場合に比べ、より大なる
    悲しみの感情をもって愛するものを観想するであろう。言いかえればより大なる憎しみに捉わ
    れるであろう。そしてこの憎しみは以前の愛がより大であったに従ってそれだけ大であるで
    あろう。Q・E・D・
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note3p38

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  65. http://www.let.osaka-u.ac.jp/philosophy/spinoza/20121124-25.pdf



    スピノザにおける無限性と ヘーゲルにおける自己関係性 栗原 隆(新潟大学)

    ヘーゲルがスピノザに触発されたと思われる論 点、たとえば、「自己原因」であったり、「外面的 な論証」をとらず「展開」によって体系を構成しよ うとした方法論であれ、「規定的な否定」はもちろ ん、「自己関係」でさえも、ヤコービを経由したも のであったことを明らかにしたい。

    ヘーゲルは、スピノザ哲学の「実体」を「主 体」として理解することを通して、「自己原因」そ して「規定的否定」さらには「自己関係」という発 想を、自らの「思弁哲学」のの核心へと取り入れ た。自己展開を欠くスピノザの実体にあっては、外 面的な機械的な論証の連鎖を通して実体に到らざる を得ないとヘーゲルが捉える時、実体の非人格性を 嘆いたヤコービに通じあうものを看取せざるを得な いことに、私たちは驚きを禁じえない。実体の主体 化を、主体の実体化が担保する構造のなかで、自ら の制約を自己超出しつつ生き延びる「主体」が、思 弁に到る認識の展開主体として構想された。そうで あるなら

    ヘーゲルにとって、実体を主体化することがで きると考えるに到った要因を、有限なものが自らを 超出する契機としての「否定態」に見ることができ よう。そしてヘーゲル自身、「否定」の論理も、実 は、スピノザからヤコービを経て受け継いだので あった。「〈規定性は否定態である〉がスピノザ哲学 の絶対的な原理である」(GW.XI,376)と認めたにも かかわらず、ヘーゲルの見るところ、「スピノザは 規定性としての否定態(Negation als Bestimmtheit) も しくは質としての否定態に留まっている。彼は、絶 対的な、すなわち自らを否定する否定態として、否 定態を認識するまでには到っていない。であるから して、スピノザの実体は絶対的な形式さえも含んで はいず、実体の認識は内在的な認識ではない」 (ibid.)。否定態としての制約されたものが自らを 否定するところに、制約からの自己超出が図られる ことになろう。そこに、ヘーゲルにとって内在的な 認識が拓かれる。




    またしても、ヤコービの『スピノザ書簡』に目 を向けてみると、〈規定は否定〉に論及している箇所 がある。スピノザによる書簡五〇の「規定は否定で すから、形態は私の申したように否定以外の何物で もあり得ないということになります」(『スピノザ 往復書簡集』岩波文庫、二三九頁)を引きながら、 ヤコービは説明を加える。「従って、個々の事物は、ただ一定の規定された様態において存在する限 り、非―存在者(non-entia)である。そして規定さ れざる無限な実在は、唯一の真の実在的なものであ る」(Spi.Br.131:Jacobi,I-1,100)。続けて『知性改善 論』からの次の言葉を引くのである。「それは一切 の有であり、それを外にしてはいかなる有も存在し ないのである」(『知性改善論』岩波文庫、六三 頁)。ヘーゲルによるスピノザ理解の柱は、ほとん どイェーナ時代初期に形成されていて、誤解を招く ことを怖れなければ、そのいずれも、ヤコービのス ピノザ理解によって深く媒介されたものであったこ とを、私たちは確認せざるを得ない。それならば、 ヘーゲルをして、ヤコービではなく、ヘーゲルたら しめた要因をどこに求めたらいいのであろうか。ス ピノザの『デカルトの哲学原理』と「マイエル宛て 書簡」に掲げられていた、中心が異なった二つの円 の図は、ヘーゲルの目には「自己関連」を具現化し た象徴として映じたに違いない。しかし、ヤコービ にとって無限性は、禍々しいものでしかなかった。 無や否定もまたヤコービにとっては呪わしいもので あった。見てきたように、ヘーゲルによるスピノザ 理解を先導したのがヤコービによるスピノザ把握で あったことには間違いない。ところが、ヤコービ は、主観的な「心胸」の独断論に留まり、自己関係 する否定の論理は、到底、受け入れ難いどころか、 想到することさえなかったであろう。両者を分けた ものは、自己原因としての無限な実体を、自己関連 するものとして受け止めるとともに、〈規定は否定〉 をその自己関係性のうちで捉え返したところにあっ た。

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  66. http://www.let.osaka-u.ac.jp/philosophy/spinoza/20121124-25.pdf

    スピノザにおける無限性と ヘーゲルにおける自己関係性 栗原 隆(新潟大学)

    …ヤコービの『スピノザ書簡』に目 を向けてみると、〈規定は否定〉に論及している箇所 がある。スピノザによる書簡五〇の「規定は否定で すから、形態は私の申したように否定以外の何物で もあり得ないということになります」(『スピノザ 往復書簡集』岩波文庫、二三九頁)を引きながら、 ヤコービは説明を加える。「従って、個々の事物は、ただ一定の規定された様態において存在する限 り、非―存在者(non-entia)である。そして規定さ れざる無限な実在は、唯一の真の実在的なものであ る」(Spi.Br.131:Jacobi,I-1,100)。続けて『知性改善 論』からの次の言葉を引くのである。「それは一切 の有であり、それを外にしてはいかなる有も存在し ないのである」(『知性改善論』岩波文庫、六三 頁)。

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  67. http://hegel.jp/Frank(jap).pdf

    シェリングが自分の生徒、バイエルン公国皇太子マクシミリアンのためにわざわざ目を通 した、一八三〇年のある講義の筆記ノート(『哲学入門』)のなかで、以下のような一節が見出 されるが、私はここでこの節をそのきわめて興味深い文脈から切り離さなければならない。
    自由な単純性 (Bloßheit) あるいは a0 のうちにある自我によっては、決定された a も b も存在 しない、なぜなら a はまだ b になりうるが、その当のものにはまだ成っていないからである。そ れは無差別のうちにある自我であり、a と b とに同等とされているが、自我は a としてもあるい は b としても存在しないのであろう、もっとも自我は a としての自我である可能性だけでなく、 b としての自我である可能性も、自己のうちに含んでいるのだが。しかし自我がいまや決定を下 し、現実に存在を身につけるが、この存在は結果的に身につけられたものとして、その純粋な本 質とは異なるものであるならば、自我はもはや a0 として存在するのではなく、b に成ったのであ るから、a として存在する。自我のなかに存する二つの可能性のうちで、一つの可能性が今や満 たされた。以前には両方の可能性が自我のうちで同等であったが、今や a として定立された a が 自己自身と二重化されている。この表現は、もはや最近の論理学のなかには見出されないとして も、ヴォルフの論理学においては|通常のものだった。この論理学においては、反復的定立とい う表現が、a は隠伏的に b でありうることから抜け出て、さらに a として結果的に自己自身と掛 け合わされた a である、ということを意味するのである。それゆえ A は同時に a として存在する ことなしには、b であることはできない。さて私たちは一方で a = b を、他方で対立と緊張のう ちにある a を持つことになるのであろうが、こうして a は a2に成るのである (Schelling 1989, 49 f.)。
    
 この節は、数学的な乗べき化〔ポテンツ化〕をメタファー提供者として利用する、シェリング の動機に光を投げかけてくれる。a も b も根本的に無差別であるのだから、どの視点も他の視点 よりも優勢ではない(「自由な単純性のうちにある」)。だが私が B という視点のもとで (respectu) a を定立するならば、a は b と掛け合わされる:Ba。したがって A は、自分自身の視点のもとで 定立されると(〈a が A である限りの a〉)、Aa すなわち= a2 である。シェリングが言うように、 反復 (Reduplikation) が、あるいはここでは同じことを意味するのだが、a と自己自身との乗法 が生じている(シェリングは同時代の人々と同様に、対象と性質との表記における図表上の区別 を知らない)。

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  68. 「同一性と非同一性との同一性」
    「絶対的同一性体系」へと至るシェリングの道程 マンフレート・フランク(テュービンゲン大学)

    訳
 渋谷
 繁明(鎌倉女子大学)

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  69. 「君が肯定することにおいて君は正しいし 、君が否定する.ことにおいて君は間違っている」
    (vgl. Leibniz' Briefe an N. Remond vom 10. Jan. und vom 14. Aug. 1714 [PS 5.2, 322, 340 ff.]; Schulthess 2008)。
    hegel.jp/Frank(jap).pdf‎ 10頁

    「同一性と非同一性との同一性」
    「絶対的同一性体系」へと至るシェリングの道程 マンフレート・フランク(テュービンゲン大学)
    訳
 渋谷
 繁明(鎌倉女子大学)

    hegel.jp/Frank(jap).pdf‎
    10頁


    「君が肯定することにおいて君は正しいし 、君が否定する. ことにおいて君は間違っている」
    (vgl. Leibniz' Briefe an N. Remond vom 10. Jan. und vom 14. Aug. 1714 [PS 5.2, 322, 340 ff.]; Schulthess 2008)。

    「同一性と非同一性との同一性」
    「絶対的同一性体系」へと至るシェリングの道程 マンフレート・フランク(テュービンゲン大学)
    訳
 渋谷
 繁明(鎌倉女子大学)

    hegel.jp/Frank(jap).pdf‎
    10頁

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  70. …スピノザによる書簡五〇の「規定は否定ですから、形態は私の申したように否定以外の何物で もあり得ないと
    いうことになります」(『スピノザ 往復書簡集』岩波文庫、二三九頁)を引きながら、 ヤコービは説明を加える。
    「従って、個々の事物は、ただ一定の規定された様態において存在する限 り、非―存在者(non-entia)である。
    そして規定さ れざる無限な実在は、唯一の真の実在的なものであ る」(Spi.Br.131:Jacobi,I-1,100)。続けて『知
    性改善 論』からの次の言葉を引くのである。「それは一切 の有であり、それを外にしてはいかなる有も存在し
    ないのである」(『知性改善論』岩波文庫、六三頁)。
    http://www.let.osaka-u.ac.jp/philosophy/spinoza/20121124-25.pdf
    スピノザにおける無限性と ヘーゲルにおける自己関係性 栗原 隆(新潟大学)

    「君が肯定することにおいて君は正しいし 、君が否定する.ことにおいて君は間違っている」
    (vgl. Leibniz' Briefe an N. Remond vom 10. Jan. und vom 14. Aug. 1714 [PS 5.2, 322, 340 ff.]; Schulthess 2008)。
    hegel.jp/Frank(jap).pdf‎ 10頁
    「同一性と非同一性との同一性」
    「絶対的同一性体系」へと至るシェリングの道程 マンフレート・フランク(テュービンゲン大学)
    訳
 渋谷
 繁明(鎌倉女子大学)


    「規定は否定ですから、形態は私の申したように否定以外の何物でもあり得ないということになります」
    (『スピノザ 往復書簡集』書簡五〇 岩波文庫、二三九頁)

    「それは一切の有であり、それを外にしてはいかなる有も存在しないのである」
    (『知性改善論』岩波文庫、六三頁)
    http://www.let.osaka-u.ac.jp/philosophy/spinoza/20121124-25.pdf p.7

    「君が肯定することにおいて君は正しいし 、君が否定することにおいて君は間違っている」
    (vgl. Leibniz' Briefe an N. Remond vom 10. Jan. und vom 14. Aug. 1714 [PS 5.2, 322, 340 ff.]; Schulthess 2008)。
    hegel.jp/Frank(jap).pdf‎ p.10

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  71. スピノザ『エチカ』
    第四部定理六八 もし人々が自由なものとして生まれたとしたら、
    彼らは自由である間は善悪の概念を形成しなかったであろう。
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4p68

    ここからニーチェの善悪の彼岸につながる
    ライプニッツ、カント以外の系譜

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  72. …宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
    化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
    この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
    によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
    明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
    「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
    これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
    現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
    制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
    の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
    いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
    他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
    おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
    えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
    する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
    展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
    の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
    もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
    理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
    身体との関係になぞらえるのである
    (宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版局1973]:476)。
    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
    「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」大黒弘慈

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  73. http://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I6999147-00?ar=4e1f

    宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て」--スピノザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照
    中川 清

    詳細情報
    タイトル 宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て」--スピノザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照
    著者 中川 清
    出版年 2004-02
    対象利用者 一般
    資料の種別 記事・論文
    掲載誌情報(ISSN形式) 09165681
    掲載誌情報(ISSNL形式) 09165681
    掲載誌情報(URI形式) http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000071619-00
    掲載誌名 経済論集
    掲載号 164
    掲載ページ 107~111
    言語(ISO639-2形式) jpn : 日本語

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  74. 宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て」

    『資本論』と私

    所収

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  75. 『資本論』と私 [単行本]
    宇野 弘蔵 (著), 櫻井 毅

    単行本: 374ページ
    出版社: 御茶の水書房 (2008/01)
    ISBN-10: 4275005570
    ISBN-13: 978-4275005571
    発売日: 2008/01
    商品パッケージの寸法: 19.4 x 13.8 x 3 cm

    目次
    1 『資本論』と社会主義
    2 インテリゲンチャ
    3 社会科学はどうしてできたか
    4 座談会 社会科学はどうあるべきか
    5 恐慌論
    6 経済学の方法について
    7 経済政策の起源及性質に就て―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照
    8 マルクス経済学と私―宇野弘蔵氏に聞く
    9 『資本論』と私




    最も参考になったカスタマーレビュー
    25 人中、24人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
    5つ星のうち 5.0 30年ぶりの名著 2008/1/27
    By laissez-faire
    形式:単行本
    宇野弘蔵没後30年を記念して故人の未発表原稿を1冊に
    まとめたものとして出版された。

    正直なところ生前に出版された宇野の著作は難解だった。
    しかし、その反面座談の名手とも評されていた。
    本書は、インタビュー原稿などから起こされた遺稿を含んでおり、
    生前の出版ではほとんど見ることのできなかった
    座談の名手としての宇野を垣間見ることができる。
    その意味でも没後の出版として十分意義があると思う。

    また、忘れてならないのは、本書巻末の解説である。
    さほど長いものではないが、各稿に対する行き届いた解説であり、
    これなくしては本書の価値は半減したかもしれない。

    宇野弘蔵は、宇野理論と呼ばれる経済学の重要な
    領域の基礎を構築した者として知られているが、
    経済学に縁のない人でもその語り口は楽しめるはずである。
    その場合には、まず巻末の解説から読み進められると良い
    と思う。
    一読に値する書。

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  76. ,興味深い発言が聞かれる。

    第7章「経済政策の起源及性質に就て」は,スピノーザの『エチカ』における「感情の起源及性 質に就て」に模して,経済政策と商品経済との関連を述べたものである。2頁ほどの短文であるが, 本書の口絵にあるヘーゲル『小論理学』との対照も含めて,宇野の意外なパロディ家としての一面を 窺い知ることができよう。

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  77. http://www.unotheory.org/files/Newsletter1-8.pdf#search='宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て」'

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  78. なるほど、大学で法律と哲学を学んだマルクスは、その当時栄華を誇っていたイギリスが17世紀、18世紀、19世紀と、200~300年の歳月を経て熟成させてきた“資本主義”においては後進国とされるドイツに在って、単純にそれ(イギリスの資本主義)を真似して、そのままに導入してみたところで、ドイツの現状やら歴史的背景やらの、イギリスとの相違から鑑みて、どうあったとしても上手く機能し得ないと想像できるとするならば、想像でき得るからこそ、法律学と政治学と経済学のすべてを横断した社会科学として、歴史的な考慮を加えて分析して、さらには思想までもを籠めて説く論理、それでもそんなに簡単に一筋縄ではいかない。


    宇野弘蔵の理論の特徴としてあげられる、イデオロギーと社会科学、歴史と倫理、三段階論。原理論、段階論、現状分析の3分野にわたる方法論の提起。


    ≪目次: ≫
     1 『資本論』と社会主義
        (1948年12月号 経済社 雑誌「経済」掲載)
     2 インテリゲンチャ
        (1951年 岩波書店 雑誌「文庫」第2号掲載)
     3 社会科学はどうしてできたか
        (1950年 論文「社会科学講座」Ⅱ〈社会科学の諸系譜〉掲載)
     4 座談会 社会科学はどうあるべきか
        (1952年 弘文堂 小冊子「社会科学のために」)
     5 恐慌論
        (1977年8月号 雑誌「思想」に遺稿として掲載、
         1955年10月8日,法政大学大学院 公開講義の原稿))
     6 経済学の方法について
        (1963年1月23日,農業総合研究所にて、報告と質疑応答)
     7 経済政策の起源及性質に就て
       ―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照
        (1935年 東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号掲載)
     8 マルクス経済学と私
       ―宇野弘蔵氏に聞く
        (1953年3月7日号から4回 経済雑誌「エコノミスト」掲載)
     9 『資本論』と私
        (1976年春季号 時潮社「社会科学のために」掲載
         1976年3月9日,自宅にて口述 エッセイ)
     宇野弘蔵「『資本論』と私」解説  櫻井毅

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  79. http://blog.livedoor.jp/ppdwy632/archives/50923114.html

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  80. 純粋と模倣―宇野理論形成の背景― 宇野弘蔵没後30年研究集会―宇野理論を現代にどう活かすか― 武蔵大学 2007/12/01 日本語

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  81. http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf#search='「宇野理論形成の思想的背景+―純粋と模倣―+」大黒弘慈'
    大黒弘慈[1999],「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」『批評空間』第II期第 20 号,太田出版。
    大黒弘慈[2003],「原理論における『純粋』の意味」SGCIME 編『資本主義原理像の再構築』 所収,御茶の水書房。
    大黒弘慈[2007],「貨幣に顕れた近代の光と闇-近代日本の経済学者-」『大航海』64 号,新 書館。

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  82. …宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
    化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
    この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
    によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
    明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
    「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
    これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
    現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
    制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
    の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
    いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
    他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
    おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
    えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
    する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
    展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
    の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
    もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
    理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
    身体との関係になぞらえるのである
    (宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版局1973]:476)。
    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
    「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」大黒弘慈 2007
    これは、大黒弘慈[1999],「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」
    『批評空間』第II期第 20 号,太田出版 他を纏めたもの。

    参考:
     「経済政策の起源及性質に就て
       ―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」
        (1935年 東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号掲載)
    『『資本論』と私 』宇野 弘蔵 (著), 櫻井 毅 御茶の水書房 (2008/01)に再録。

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  83. 「…宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
    化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
    この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
    によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
    明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
    「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
    これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
    現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
    制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
    の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
    いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
    他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
    おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
    えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
    する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
    展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
    の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
    もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
    理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
    身体との関係になぞらえるのである
    (宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版局1973]:476)。」

    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
    大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007より
    これは、大黒弘慈[1999],「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」
    『批評空間』第II期第 20 号,太田出版 他を纏めたもの。

    参考:
    宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
       ―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」
        (1935年 東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号掲載)
    『『資本論』と私 』宇野 弘蔵 (著), 櫻井 毅 御茶の水書房 (2008/01)に再録。

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  84. 「…宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
    化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
    この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
    によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
    明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
    「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
    これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
    現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
    制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
    の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
    いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
    他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
    おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
    えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
    する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
    展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
    の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
    もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
    理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
    身体との関係になぞらえるのである(宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版
    局1973]:476)。」

    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
    大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007より
    これは、大黒弘慈[1999],「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」
    『批評空間』第II期第 20 号,太田出版 他を纏めたもの。

    参考:
    宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
       ―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」
        (1935年 東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号掲載)
    『『資本論』と私 』宇野 弘蔵 (著), 櫻井 毅 御茶の水書房 (2008/01)に再録。

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  85. 「…宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
    化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
    この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
    によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
    明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
    「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
    これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
    現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
    制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
    の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
    いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
    他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
    おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
    えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
    する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
    展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
    の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
    もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
    理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
    身体との関係になぞらえるのである(宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版
    局1973]:476)。」

    大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007より
    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
    これは、大黒弘慈[1999],「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」
    『批評空間』第II期第 20 号,太田出版 他を纏めたもの。

    参考:
    宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
       ―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」
        (1935年 東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号掲載)
    『『資本論』と私 』宇野 弘蔵 (著), 櫻井 毅 御茶の水書房 (2008/01)に再録。

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  86. 「…宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
    化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
    この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
    によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
    明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
    「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
    これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
    現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
    制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
    の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
    いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
    他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
    おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
    えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
    する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
    展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
    の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
    もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
    理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
    身体との関係になぞらえるのである(宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版
    局1973]:476)。」

    大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007より
    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
    これは、大黒弘慈「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」1999
    『批評空間』第II期第 20 号,太田出版 他を纏めたもの。

    参考:
    宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
       ―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」
        (1935年 東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号掲載)
    『『資本論』と私 』宇野 弘蔵 (著), 櫻井 毅 御茶の水書房 (2008/01)に再録。

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  87. マルクスはスピノザに学びつつスピノザの体系に異議を唱えた
    (「たとえばスピノザの場合でさえ、彼の体系の本当の内的構造は、
    彼によって体系が意識的に叙述された形式 とはまったく違っている」
    大月全集29巻、438頁)。
    https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK03_29_00&p=486
    (会員のみ閲覧可能)
    しかし、マルクスの体系こそスピノザに従属する(べきな)のである。

    マルクスの理論を貫徹するなら外側から倫理を再導入する必要がある。
    柄谷がカントを導入したように。

    ドゥルーズも精神分析を批判的に導入したが、そもそもスピノザの
    「受動という感情は、我々がそれについて明瞭判然たる観念を形成
    するや否や、受動であることを止める」(エチカ第5部定理3)
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p3
    という理論は精神分析を先取りするものなので、(スピノザを基礎に
    置くならば)マルクスのように倫理の不在を外から補完する必要はない。

    リカード経済学を呑み込みつつも租税を無視した点や、プルードン批判の
    非合理性も、マルクスの持つ無意識に原因の一つがあるのは精神分析的に
    明白だ。
    ユダヤ的出自を隠蔽したことと、影響された元ネタの排除もパラレルだ。

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  88. マルクスはスピノザに学びつつスピノザの体系に異議を唱えた

    「たとえばスピノザの場合でさえ、彼の体系の本当の内的構造は、
    彼によって体系が意識的に叙述された形式 とはまったく違っている」
    (ラサール宛書簡1858年5月31日 大月全集29巻、438頁)
    https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK03_29_00&p=486
    (会員のみ閲覧可能)
    しかし、マルクスの体系こそスピノザに従属する(べきな)のである。

    マルクスの理論を貫徹するなら外側から倫理を再導入する必要がある。
    柄谷がカントを導入したように。

    ドゥルーズも精神分析を批判的に導入したが、そもそもスピノザの
    「受動という感情は、我々がそれについて明瞭判然たる観念を形成
    するや否や、受動であることを止める」(エチカ第5部定理3)
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p3
    という理論は精神分析を先取りするものなので、(スピノザを基礎に
    置くならば)マルクスのように倫理の不在を外から補完する必要はない。

    リカード経済学を呑み込みつつも租税を無視した点や、プルードン批判の
    非合理性も、マルクスの持つ無意識に原因の一つがあるのは精神分析的に
    明白だ。
    ユダヤ的出自を隠蔽したことと、影響された元ネタの排除もパラレルだ。

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  89. マルクスはスピノザに学びつつスピノザの体系に異議を唱えた

    「たとえばスピノザの場合でさえ、彼の体系の本当の内的構造は、
    彼によって体系が意識的に叙述された形式 とはまったく違っている」
    (ラサール宛書簡1858年5月31日 大月全集29巻、438頁)
    https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK03_29_00&p=486
    (会員のみ閲覧可能)
    しかし、マルクスの体系こそスピノザに従属する(べきな)のである。

    マルクスの理論を貫徹するなら外側から倫理を再導入する必要がある。
    柄谷がカントを導入したように。

    ドゥルーズも精神分析を批判的に導入したが、そもそもスピノザの
    「受動という感情は、我々がそれについて明瞭判然たる観念を形成
    するや否や、受動であることを止める」(エチカ第5部定理3)
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p3
    という理論は精神分析を先取りするものなので、(スピノザを基礎に
    置くならば)マルクスのように倫理の不在を外から補完する必要はない。

    スピノザからマルクスを見た人物に宇野弘蔵がいる。
    宇野は東北大学で教えている時、ライプニッツ研究者の河野与一と知り合い。スピノザを経済学に応用する視座を得た。
    大黒弘慈が以下のように指摘している。

    「…宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
    化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
    この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
    によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
    明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
    「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
    これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
    現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
    制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
    の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
    いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
    他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
    おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
    えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
    する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
    展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
    の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
    もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
    理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
    身体との関係になぞらえるのである(宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版
    局1973]:476)。」

    大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007より
    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
    これは、大黒弘慈「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」1999
    『批評空間』第II期第 20 号,太田出版 他を纏めたもの。

    参考:
    宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
       ―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」
        (1935年 東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号掲載)
    『『資本論』と私 』宇野 弘蔵 (著), 櫻井 毅 御茶の水書房 (2008/01)に再録。


    これだけでは何のことかわからない人もいるだろうが、プルードンがヘーゲルの弁証法を否定したこと。

    マルクスの欠点がヘーゲルの弁証法を引きづったことにあること。

    柄谷行人が先の講演でも強調したように、具体的にはそこに国家と資本を双頭として見ることを可能にする視座があるのである。

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  90. マルクスとスピノザ



    マルクスはスピノザに学びつつスピノザの体系に異議を唱えた。

    「たとえばスピノザの場合でさえ、彼の体系の本当の内的構造は、
    彼によって体系が意識的に叙述された形式 とはまったく違っている」
    (ラサール宛書簡1858年5月31日 大月全集29巻、438頁)
    https://maruen.jugemu-tech.co.jp/ImageView?vol=BK03_29_00&p=486
    (会員のみ閲覧可能)
    しかし、マルクスの体系こそスピノザに従属する(べきな)のである。

    マルクスの理論を貫徹するなら外側から倫理を再導入する必要がある。
    柄谷がカントを導入したように。

    ドゥルーズも精神分析を批判的に導入したが、そもそもスピノザの 、

    「受動という感情は、我々がそれについて明瞭判然たる観念を形成
    するや否や、受動であることを止める」(エチカ第5部定理3)
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p3

    という理論は精神分析を先取りするものなので、(スピノザを基礎に
    置くならば)マルクスのように倫理の不在を外から補完する必要はない。

    そこで本題だが、スピノザからマルクスを見た人物に宇野弘蔵がいる。
    宇野は東北大学で教えている時、ライプニッツ研究者の河野与一と知り合い。スピノザを経済学に応用する視座を得た。
    大黒弘慈が以下のように指摘している。

    「…宇野は,資本の物質的過程に則した原理の純粋化(方法の模写)と,その純粋
    化によって要請される政策目標設定との「同時並行性」を指摘するのであるが,
    この種の「唯物論」がスピノザの「心身二元論」に着想をえていると,宇野自身
    によって述懐されていることは,十分に注意されてよい。 宇野自身によるその説
    明がない以上,その真意は測りかねるが,たとえばアルチュセールによれば,
    「無神論者」スピノザは,敵のもっとも強い陣地たる神=無限実体から始める。
    これは並行する二つの属性,思惟(精神)と延長(身体)の無限様態に自己を実
    現する。しかしスピノザの方法は,情念(身体)に対して,知性(精神)からの
    制圧=改善を期待するところにあるのではない。「心身二元論」「心身並行論」
    の名で知られるスピノザのテーゼは,しかし精神が身体から切り離されていると
    いうことでもない。精神が身体と「ともに」思考するということであり,一方の
    他方に対する優越を禁じているのである。 この関係は,国家と資本とのあいだに
    おいても想定可能である。つまり国家(精神)は,資本(身体)から切り離され
    えないばかりか,資本(身体)と「ともに」ありながら,資本と「ともに」思考
    する。国家と資本もまた,厳密に「並行関係」を保ちながら,際限のない過程を
    展開するのである。国家という「精神」は,ヴェーバーの認識とは反対に,資本
    の動向に対して,外からその行程を歪めることなく,資本という「身体」と「と
    もに」,あるいは資本という「身体」 に「おいて」 しか思考できない。 こうした
    理解を示すかのように,宇野は政策と原理との関係を,スピノザにおける精神と
    身体との関係になぞらえるのである(宇野弘蔵『資本論五十年』上,法政大学出版
    局1973]:476)。」

    大黒弘慈 「宇野理論形成の思想的背景 ―純粋と模倣― 」2007より
    http://www.unotheory.org/files/daikoku.pdf
    これは、大黒弘慈「宇野弘蔵の『純粋』-戦前・戦中の思想形成-」1999
    『批評空間』第II期第 20 号,太田出版 他を纏めたもの。

    参考:
    宇野弘蔵「経済政策の起源及性質に就て
       ―スピノーザ哲学体系第三部「感情の起源及性質に就て」参照」
        (1935年 東北帝国大学 研究年報「経済学」第2号掲載)
    『『資本論』と私 』宇野 弘蔵 (著), 櫻井 毅 御茶の水書房 (2008/01)に再録。


    これだけでは何のことかわからない人もいるだろうが、プルードンがヘーゲルの弁証法を否定したこと、マルクスの欠点がヘーゲルの弁証法を引きづったことにあること、ソ連や中国の政治体制が弁証法による止揚の政治的適用であること等を考え合わせると、その重要性がわかるだろう。

    柄谷行人が先の講演でも強調したように、具体的にはそこに国家と資本を双頭として見ることを可能にする視座があるのである。これは新たなアソシエーション、平等と自由を併せ持ったそれを具体化する際にも必要な視座だ。

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  91. ギリシア哲学以来、無限はたんに限定の否定を意味し、神の無限性すらスコラ学者にとって
    は消極的なものと見なされていた。だがスピノザは無限を積極的なものと考え、有限をその
    否定と考えた。ここでとくに思い出されるのは、スピノザの『書簡』50の「限定は否定で
    ある」Determinatio est negatioという、有名なことばであろう。

    『エチカ』中公クラッシックス
    第一部定理8注解(備考)1における訳者注(1)より

    参考:
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p8n1
     備考一 有限であるということは実はある本性の存在の部分的否定であり、無限であるということはその絶対的肯定である…

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  92. <ギリシア哲学以来、無限はたんに限定の否定を意味し、神の無限性すらスコラ学者にとって
    は消極的なものと見なされていた。だがスピノザは無限を積極的なものと考え、有限をその
    否定と考えた。ここでとくに思い出されるのは、スピノザの『書簡』50の「限定は否定で
    ある」Determinatio est negatioという、有名なことばであろう。>

    『エチカ』中公クラッシックス
    第一部定理8注解(備考)1における訳者注(1)より

    参考:
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1p8n1
     備考一 有限であるということは実はある本性の存在の部分的否定であり、無限であるとい
    うことはその絶対的肯定である…

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  93. http://www.iwanami.co.jp/shiso/1080/shiso.html
    スピノザというトラウマ
    思想の言葉 上野 修 (3)
    《座談会》虚軸としてのスピノザ(Ⅰ)――近世と現代――
    (7)
    松田 毅・合田正人・鈴木 泉・上野 修
    《座談会》虚軸としてのスピノザ(Ⅱ)――ドイツ観念論とその後――
    (45)
    栗原 隆・須藤訓任・加藤泰史・平尾昌宏・上野 修
    虚軸としてのスピノザ,あるいは石像の宴 上野 修 (80)

    ライプニッツのアンビバレンス
      ――スピノザとの創造的葛藤―― 松田 毅 (95)
    啓蒙主義の厄介物としてのスピノザ
      ――スピノザとベール―― 三井吉俊 (115)

    カントとスピノザ(主義)
      ――スピノザ主義の哲学的挑戦と批判哲学の危機―― 加藤泰史 (138)
    カント『遺稿』における「スピノザ」
      ――「カントにおけるスピノザ問題」への寄与として―― 福谷 茂 (169)
    ドイツ観念論におけるスピノザ主義
      ――ヘーゲルの,失われた「フィッシュハーバー批評」,「ヘルダー批評」に照らして―― 栗原 隆 (180)
    フィヒテによるスピノザ批判 入江幸男 (200)
    ライプニッツの影
      ――あるいは無世界論をめぐるスピノザ受容のドイツ的イデオシンクラシー―― 平尾昌宏 (219)

    「運命」について
      ――スピノザ,ショーペンハウアー,ニーチェ―― 須藤訓任 (237)
    ユダヤ思想はスピノザをいかに受けとめたか
      ――破門からコーヘンによる批判まで―― 高木久夫 (270)
    レヴィナスとラカン
      ――スピノザの徴しのもとに――

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  94. 『思想』No.1080
    http://www.iwanami.co.jp/shiso/1080/shiso.html

    研究者の顔写真が面白い
    論文としては以下が気になった
    カント『遺稿』における「スピノザ」
      ――「カントにおけるスピノザ問題」への寄与として―― 福谷 茂 (169)


    同著者のカント哲学試論や中公哲学の歴史から進歩はないような、、、

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  95. これも気になった


    レヴィナスとラカン
      ――スピノザの徴しのもとに―― 合田正人 (288)

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  96. 着眼点はいいが独自性はない
    海外研究の紹介である

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  97. kztk_wtnb ‏@am_not 2 時間
    京都大学キリスト教学研究室紀要がWeb上にアップされた。
    https://sites.google.com/site/kyotouchristianstudiesreports/home/kiyou …
    ユダヤ思想という観点から有賀のハヤトロギアを検証する手島勲矢「有賀流ヘブライズムとユダヤ思想」が面白い。おそらくスピノザのヘブライ語文法に言及している唯一の日本語文献だろう。

    返信削除
  98. http://yojiseki.exblog.jp/8199914/
    アガンベンのスピノザ論
    現代イタリアの思想家であるアガンベンは、そのドゥルーズ論のなかで、通常無視されることの多いスピノザのヘブライ語文法論に関して以下のように述べている。

     <現存するスピノザ著作集の中に、彼がセファルディー(スペイン系ユダヤ人) の母語であるラディン語で書いた唯一の文が収録されている。それは、『ヘブライ語文法綱要』[Compendium grammatices linguae hebraeae]の一節である。ここでこの哲学者は、能動的再帰動詞の意味を、ひとつの内在因の表現、つまり、作用者と受動者が唯一にして同一の人称であるようなひとつの行為の表現として説明している。この動詞の変化形(ヘブライ語で、接頭辞を標準形ではなく強意形に付け加えて形成されるので、すでにそれ自体で他動詞的=横断的[transitivo]な意味をもっている)の意味を解き明かすには、スピノザが最初に提供しているラテン語の同義語「自己を訪れる」[Se visitare]は、明らかに不適切である。そのためにスピノザは、このラテン語をすぐに 「訪れるものとして自己を構成する」[se visitantem constituere]という特異な表現で限定している。さらにもう二つの例が続く。しかし、そのラテン語の同義語(「自己を立てる=出頭する」[se sistere]と「自己を散歩に与える=散歩に耽る」[se ambulationi dare])もスピノザにはどうやら不満らしく、自分の民族の母語に頼らざるをえなくなるのだ。「散歩する」[passeggiare]は、ラディン語(つまり、セファルディーたちがスペインから追放されたときに話していた古スペイン語)では、pasearse(「自分を散歩につれてゆく」[passeggia-se]は、現代スペイン語ならばむしろ、pasearあるいはdar un paseoというだろう)といわれる。内在困に相当する語、すなわち同一の作用者に帰される行為に相当する語としては、このラディン語の単語は格好の例である。実際、この語が示す行為、すなわち、「自分を散歩につれてゆくこと」[passeggiar-se]としての「散歩[passeggiata]の中では、作用者と受動者が絶対的な不明瞭性の闘(ソリア)に入りこんでいて判然とは区別しがたくなっている。
     第一二章で、スピノザは不定名詞(不定法は、ヘブライ語ではひとつの名詞として語形変化する)がとる対応形の意味についても同じ問題に着手する。スピノザはこう記している。「作用者と受動者とが唯一にして同一の人称であるということは往々にしてあるので、ユダヤ人には第七の新しい不定法をつくることが必要だったのである。この不定法によって、ユダヤ人は、作用者と受動者に同時にかかわるような行為を言い表すことができた。つまり、能動形と受動形を同時にもつわけである。…だからこそ、内在困としての作用困にかかわる行為を表現するような、もうひとつ別の種類の不定法を発明する必要があった。…すでに述べたように、これによって「自分自身を訪れるものとして自己を構成する」[visitare se stesso]、あるいは「構成すること」、要するに「訪れるものとして自己を提示する」(constituere se visitantem,vel denique praebere se visitantem)が意味されるのである」。
     つまり、内在困が問題として呼び出してくるひとつの意味論的な星座こそ、哲学者=文法家スピノザが数多くの例(contituir se visitante,mostrar se visitante, pasearseパセアルセ)によって懸命に把握しようとしたものなのであり、内在性の問題を理解する上でそれがもっている重要性は、けっして軽視されるべきではない。パセアルセが指し示す行為にあっては、たんに作用者と受動者を区別できない(誰が何を散歩につれていくのか)ーーそれゆえ、ここでは、能動と受動、主語=主観と目的語=客観、他動詞と自 動詞といった文法のカテゴリーは失効してしまうーーだけではなく、手段と目的、可能態と現実態、能力と行使といった対概念も絶対的な不確定領域の中に入り込んでしまう。だからこそスピノザは、可能態と現実態、無活動と活動性が一致する(訪れるものとしての自己を構成する、訪れるものとしての自己を提示する)という表現を使ったのである。要するに、内在の目眩とは、内在が、存在の自己構成と自己提示の無限運動を記述する、すなわち、パセアルセとしての存在を記述する、ということなのだ。
     さまざまな様態や出来事が実体に内在することを示すために、ストア派の哲学者がまさに散歩の譬喩を使うのも、けっして単なる偶然ではない(クレアンテス [ストア派の哲学者。ゼノンの後継者]とクリュシッボス[同じくストア派の哲学者。クレアンテスの後継者] はこう問答する。散歩するのはいったい誰なのか。魂の主導権を握る部分によって動かされた肉体なのか、それとも主導権を握っている部分そのものなのか)。のちにエビクテトスが卓越した着想で道破するように、存在様態は、存在の(体操をする)[fanno la ginnastica] のだ(gymnasaiには、語源上、「むきだしの=裸の」[gymnos]という形容詞も感じとられるべきだろう)。>
    (アガンベン「絶対的内在」『現代思想2002.8』所収より)

    こうした文法論と哲学的汎神論をつなげて論じることは、日本人が日本語を論じる際にも参考になる(チョムスキーも影響を受けたフンボルトの文法論も同様の示唆を与えるだろう)。また、スピノザのヘブライ語文法論は唯一邦訳されていない著作なので、その邦訳も待たれる。

    さて、紹介したいのはアガンベンが、若いとき、パゾリーニの『奇跡の丘』にキリストの十二使徒の一人フィリポ役で出演しているということだ。
    Il Vangelo secondo Matteo

    アガンベン出演は3分27秒ごろ
    アガンベンはベンヤミン的でもある暴力と神的なものの問題意識をパゾリーニから引き継いでいる(パゾリーニが生前最後に企画していたのは正パウロ伝だが、これなどはアガンベンなどの問題意識を先取りしたものだろう)。

    おなじ論考でアガンベンは以下のような哲学史的見取り図を提出している。

     超越           内在

    カント          スピノザ
      |            |
    フッサール        ニーチェ
        \       /
          ハイデガー
         /     \
    レヴィナス、デリダ  フーコー、ドゥルーズ

    「(略)彼(引用者注:ドゥルーズ)の遺書を哲学の使命として引き受けるとともに、近代哲学〜その大部分は、新たな意味での「生の哲学」である〜を内在の線と超越の線ではっきり区別するような系譜図を遡及的に再構成してゆくという仕事も、その一端として必然的に課されるのである。それはたとえば、このような概略的な系統図が目安になるだろう。」(アガンベン「絶対的内在」『現代思想2002.8』)

    スピノザとニーチェをつなげているあたり、的確であると言える。

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  99. http://yojiseki.exblog.jp/7019174/
    汎神論論争
    スピノザ=無神論者だというレッテルが蔓延し、キリスト教の力が絶大だった1785年、『賢者ナータン』で知られる故レッシングが実はスピノザ主義者であったというヤーコビの証言が発表当時スキャンダルになった。これは、歴史的に言えばゲーテやカントなども巻き込み、汎神論論争というスピノザ評価のきっかけとなった事件である。

    肝心のテクストは邦訳が入手困難だが、現在、日本のゲーテ研究者による年会誌『モルフォロギア』にヤコービによるメンデルスゾーン宛の手紙が連載されておりその一部を読むことができる。

    なかでもヤコービとレッシングとの会話(1780年7月6日)が再現されている24号(2002年)所収のそれがハイライトだ。

    この両者の会話はゲーテの「プロメテウス」という詩*をヤコービが見せるところから始まる。
    「死んだ犬」「スピノザ以外の哲学はない」など、有名なフレーズが目をひくが、レッシングが自らをルター派の決定論者として規定している点が見のがせない。
    そもそも当たり前のことだが、ヤーコビとスピノザ理解でズレがあるのだ。保守的なメンデルスゾーンとの間での齟齬はなおさらとも言えよう。

    メンデルスゾーンによる反論を含め、多くの疑問はあるが、この会話をヤコービによる完全な作り話とは考えにくいし、作り話たとすればそれはそれで逆にヤーコビは凄い才能の持ち主だということになる(A・タルコフスキーがカスタネダのドンファンシリーズに関して、ペヨトル工房が出した本のなかで同じことを言っていた)。

    ゲーテは『詩と真実』(第三部-第四部、章で言えば14-15章)でスピノザを称揚しているが、政治的に宗教上の隠れ蓑として利用しているような気もする。反キリスト教的な側面をスピノザのせいにしてゲーテ自身の責任にはならないようにして予防線を張っている節があるのだ。ドゥルーズはゲーテを批判しクライストを称揚したが、連結するテクスト(批判哲学的、ここでは表象論的な予防線を破壊するテクスト?)を称揚した彼らしい態度であり、一理あると思う。

    さて、ゲーテを震撼させた「神を愛するものは神から愛されることを期待してはならない」(エチカ5:19より)というスピノザの言葉などは、自己と他者とが非対称的に存在する批判哲学を想起させて興味深い。他者の幸福と自己の完全性とが絶対の義務となるべきでありその逆はないとカントが『人倫の形而上学』で述べるとき、それはスピノザを別の形、別の側から補強していると考えれ得るのだ。

    一般に感情的だと看做されがちなヤーコビは、メンデルスゾーンとの論争の後に出したヒューム論(1787)の中で、「物自体を仮定しなければカントの体系の中に入ることはできないし、しかも物自体によればカントの体系の中に留まれない」という有名な言葉を述べ、スピノザの側からカントの弱点を的確に指摘した。これなどは実はカント哲学にスピノザが含まれるというよりスピノザ哲学にカントが含まれることの証明でもあると思う。

    というのはヤコービは自らアンチノミーとなることによってカントにとっての他者となりえたと言えなくもないからだ。ヤコービ本人、というよりもスピノザの哲学は批判哲学にとって物自体なのだ。そして、カント側から言えば、ヤコービの言葉通りカントは自らの哲学体系を三批判書はもとより遺稿に至るまで更新し続けたのだから、カントはヤコービの言葉通り(スピノザのエチカの通り?)にアンチノミーを体現し、そのアンチノミーを生きたとも言えるのではないか?

    ともかく、カント(思考の方向を定める問題で言及)、ヘーゲル(小論理学で言及)を巻き込んだスピノザ問題は、今日的な課題を含んでいるように思える。

    追記:
    汎神論論争に関しては理想社版カント全集第12巻所収の「思考の方向を定める問題」とその解説が日本語文献のなかでは一番詳しいだろう。
    関連文献は英訳されているので、岩波文庫で復刊された『賢者ナータン』とともに重要だ。
    スピノザと批判哲学の相性は悪く、カントにとってスピノザは常に仮想敵だが、『オプス・ポストゥムム』ではスピノザへの接近が見られる(福谷茂の論考以外にこの遺稿の重要性を理解できている論文は見当たらない)。
    岩波版新全集に所収されなかったのは本当に残念だ(監修の坂部恵氏の方針なのか?、経済的な問題なのか?)。
    スピノザへの言及が多く含まれるカントの『オプス・ポストゥムム(遺稿集)』が邦訳されていない現在の日本はまだカントの批判哲学の文脈が支配的だが、これは哲学の実生活への影響力のなさを同時に意味する。日本ではカント研究が盛んで世界レベルにあると言う人もいるがこの現状を見る限りそうは言えないと思う。
    物自体と超越論的仮象との混同を避けるためにも精査するべき遺稿なのだが、、、
    さらにヤコービ及び汎神論論争に関してはヘーゲルが『ヘーゲル哲学史講義』(河出書房新社版だと下巻)でも少し触れている。

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  100. http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
    ヤコービ『スピノザ書簡』からの引用


    http://ntaki.net/di/In/goya_8.htm
    a) 伊坂青司氏「有限と無限――あるいはヤコービとヘーゲル」の第2節「ヤコービと『汎神論論争』」(『叢書ドイツ観念論との対話 第5巻』所収、ミネルヴァ書房、1994年)
    b) 栗原隆氏「IV ヤコービ/ヘルダー」(『哲学の歴史 第7巻 理性の劇場』所収、中央公論新社、2007年)

      拙訳(LS, S. 54/* 22-23)

     [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングと私(ヤコービ)の会話を、メンデルスゾーンに報告しています。] 
    レッシング:神性についての正統派的な考えは、もう私には関係ないものです。そうした考えには、満足できないのです。「ヘン・カイ・パン [一にして全。一即全]」、これしか私は知りません。この [ヤコービが持ってきた] 詩も、またそこへと向かっていますね。この詩は大変気に入ったと、白状せざるをえません。
    私:では、あなたはスピノザに、かなり同意できるのかもしれませんね。
    レッシング:私が誰かの信奉者ということでしたら、彼以外にいません。
    私:私もスピノザは、素晴らしいと思います。しかし、私たちは彼に無い物ねだりをしがちです。
    レッシング:ええ、もしそう言いたいのであれば・・・だが・・・よりいいものがあるでしょうか? [省略は原文]

    ● 『哲学の歴史 第7巻』230-231ページでの引用
      拙訳(LS, S. 55-57/* 23-25)

     [以下は、ヤコービのメンデルスゾーン宛の手紙(1783年9月4日)からの抜粋です。レッシングとヤコービ(私)のやりとりを報告しています。] 
     翌朝、私は朝食をとった後、服を着るために自室へ戻りました。しばらくして、レッシングがやって来たのです。私がすわって髪を整えさせていたので、その間レッシングは、部屋の片隅の机に静かに体をもたせていました。私たち2人だけになり、レッシングが体をもたせている机の別の側に私がすわると、彼は語りだしました:
    「私が来たのは、あなたに私の信じる『ヘン・カイ・パン』について、お話ししたいためです。昨日は、あなたは驚かれたことでしょう」。

    私:あなたにはビックリさせられました。さぞかし青ざめたり赤くなったりしたことでしょう。困惑してしまったものですから。でも恐慌をきたしたわけではないのです(注1)。まさかあなたがスピノザ主義者、つまり汎神論者だったとは、思いもよりませんでした。しかも、あっさりとそう打ち明けられたものですから。私がここにやって来たのは、およそあなたからスピノザに抗するための援助を、得るためだったのです。

    レッシング:では、あなたはスピノザのことを知っているのですね?

    私:彼をよく知る数少い一人だと、思っています。

    レッシング:それなら、あなたにはそのような援助など、必要ないでしょう。むしろ、完全にスピノザの友人になりなさい。スピノザ哲学以外に、哲学はありません。

    私:そうかも知れません。決定論者は、自説を貫こうとすれば、宿命論者にならざるをえないのですからね。その後は、自余の問題もおのづと片付こうというものです。(注2)

    レッシング:私たちは分かり合えるようですね。あなたがスピノザ主義の根本思想と考えているものを、ますますお聞きしたくなりました。ここでスピノザ主義というのは、スピノザ自身が考えていたもののことですが。

    私:彼の根本思想は、おそらく古語にいう「無からは何も生ぜず(a nihilo nihil fit)」だと思います。スピノザは、カバラ哲学者達や彼以前の哲学者達よりも、より抽象的な考え方でもって [nach abgezogenern Begriffen] この古語を考察したのです。この考え方によって、彼が見出したのは、「無限なもののうちに何かが生じるときには、その何かをいかように表現したところで、何かが無から措定されてしまう。また、無限なもののうちに何らかの変化が起きるときも、同様である」ということでした。
     したがってスピノザは、無限なものから有限なものへのいかなる移行も退けたのです。一般的にすべての移行原因 [Causas transitorias] を、それが2次的なもの [secundarias] であろうと遠隔的なもの [remotas] であろうと、退けました。そして彼は、ただ内在的な「神」 [Ensoph, エンソーフ。カバラ主義における無窮の神(英和辞典『リーダーズプラス』)] を、流出するものの代わりに措定したのでした。つまり世界の、内在的にして自らのうちで永遠に変わることなき1つの原因を、措定したのです。この原因は、そのすべての結果ともどもに――、一つの同じものなのでしょう。・・・ [省略記号は原文]
     この内在的で無限な原因そのものは、明らかなことですが、悟性をも意思をも持っていません。なぜならこの原因は、その超越論的一性 [Einheit] と一様な絶対的無限性によって、思考と意欲のいかなる対象も持ちえないからです。それにまた、
    ・概念 [の存在] 以前の概念を生みだす能力とか、あるいは、
    ・その概念が対象とするもの以前に存する概念、つまり、自ら自身だけが原因となって [対象が原因となったのではなく] 生じたような概念――こうした概念を生みだす能力とかは、
    ・意欲に働きかけて、全く自らを規定する意思同様、
    まったく馬鹿げたことだからです。

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  101. 「思想」No.1080 スピノザというトラウマ

    カント遺稿関連論考が個人的には一番興味深かった。
    ただしこのあたりは今後ニュートンあたりと一緒に総合的に検証するべきだろう。
    対ユダヤ思想、対ライプニッツ、対カント、対現代フランス思想との関係等々、スピノザ自体よりも
    こうした外側から切り崩した論考が集まるのは、日本の知識人に取り付いたカント批判哲学の
    無意識の適用だろう。上野修編集ならホッブズあたりとの比較がもっと集まってよかった。

    具体的にはところどころにあるスピノザ批判が興味深い。
    マイモニデスの影響は検討するべきだろうが、、、ライプニッツによる批判は以下(本邦初訳のはず)、

    <神だけが実体であり、他の一切は神の様態ないし偶有性である、と言いたい人々の誤謬をスピ
    ノザが新たに呼び覚ましたが、この主張を洞察できたのがパルメニデスだった。かれらは、奇妙
    にも、第一原因だけが活動し、第二原因は、その道具、もっとはっきり言えば、第一原因の機会
    であると考える。>
    Leibniz:N.421.De Religione Magnorum Virorum,偉大な人々の宗教について 1686
    (邦訳は「思想」No.1080,松田毅「ライプニッツのアンビバレンス」107頁より)
    原文 http://www.uni-muenster.de/Leibniz/DatenVI4/VI4c1.pdf http://www.uni-muenster.de/Leibniz/bd_6_4_2009.html

    <すべて無くなるものは、本性上、それが変化する実体であることが帰結し、その理由によって、
    われわれはスピノザとアヴェロエスの教条に陥る。かれらは、神だけが実体ないし自然であると
    考え、被造物は神の様態に他ならないとする。しかし、それが正しいなら、被造実体を無にする
    変化を神にも移しおくことにならざるをえない。神も持続せず、たえず生成消滅する。それゆえ、
    何も全体として存在しない。すべてが同時に無になるなら、ここからそれを修復するものもない
    からである。無から無が生じ、何も自発的には生じない。>
    ライプニッツ N. 209 De realitate accidentium 偶有性の実在性について 1688
    (邦訳は「思想」No.1080,松田毅「ライプニッツのアンビバレンス」108頁より)
    http://www.uni-muenster.de/Leibniz/DatenVI4/VI4a2.pdf http://www.uni-muenster.de/Leibniz/bd_6_4_2009.html

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  102. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/ 2
     そこで第一の点から始めるとして、私は読者に、観念あるいは精神の概念と、我々が表象する事物の表象像とを、正確に区別すべきことを注意する。それから観念と、我々が事物を表現する言葉とを、区別することが必要である。なぜなら、この三者すなわち表象像、言葉、観念を多くの人々がまったく混同しているか、そうでなければ十分正確に区別していないか、あるいはまた十分慎重に区別していないかのために、意志に関するこの説は、思索のためにも、(学問のためにも、)賢明な生活法樹立のためにも、ぜひ知らなくてはならぬことであるにもかかわらず、まるで彼らに知られていなかったのである。

    言葉(認識)-対象

    精神-身体

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  103. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p49n
     そこで第一の点から始めるとして、私は読者に、観念あるいは精神の概念と、我々が表象する事物の表象像とを、正確に区別すべきことを注意する。それから観念と、我々が事物を表現する言葉とを、区別することが必要である。なぜなら、この三者すなわち表象像、言葉、観念を多くの人々がまったく混同しているか、そうでなければ十分正確に区別していないか、あるいはまた十分慎重に区別していないかのために、意志に関するこの説は、思索のためにも、(学問のためにも、)賢明な生活法樹立のためにも、ぜひ知らなくてはならぬことであるにもかかわらず、まるで彼らに知られていなかったのである。実に彼らは、観念を、物体との接触によって我々の中に形成される表象像であると思っているがゆえに、(我々の脳髄に何の痕跡も印しえない事物、すなわち)我々がそれについて何ら類似の表象像を形成しえない事物、の観念は、実は観念でなく、我々が自由意志によって勝手に造り出す想像物にすぎないと信じ込んでいる。だから彼らは観念をあたかも画板の上の無言の絵のごとくに見ているのである。そしてこの偏見に捉われて彼らは、観念は観念である限りにおいて肯定ないし否定を含んでいるということに気づかないのである。次に言葉を、観念あるいは観念が含む肯定と混同する人々は、自分が感覚するのと反対のことを単なる言葉だけで肯定ないし否定するたびに自分は自分の感覚するのと反対のことを意志することができると信ずるのである。


    事物ー言葉
    身体ー精神

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  104. 対象ー認識
    物体ー観念

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  105. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p49n
     そこで第一の点から始めるとして、私は読者に、観念あるいは精神の概念と、
    我々が表象する事物の表象像とを、正確に区別すべきことを注意する。それから
    観念と、我々が事物を表現する言葉とを、区別することが必要である。


    物体ー観念
    対象ー認識
    事物ー言葉
    身体ー精神

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  106. https://itunes.apple.com/jp/book/etika/id815490231?mt=11
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    ワイド版世界の大思想 第1期〈4〉スピノザ
    スピノザ, 高桑純夫 & 井上庄七
    2004年9月1日 ¥3400
    アイテムを表示
    ゲーテ、マルクス、サルトルなどに多大の影響を与えた弧高の哲学者スピノザ
    の著作は、彼らを通してもいまも生き続ける。ユダヤ教的一神論とデカルト
    哲学を綜合し、市民の自由と平和を守るための知性の改善と真の認識にいたる
    道を追求した。
    〈収録タイトル〉
    倫理学(エティカ)/知性改善論他 ※この電子書籍は、オンデマンド本「ワイド版
    世界の大思想」を底本としております。

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  107. 訂正
    https://itunes.apple.com/jp/book/waido-ban-shi-jieno-da-si/id862362490?mt=11

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  108. https://itunes.apple.com/jp/book/waido-ban-shi-jieno-da-si/id862362490?mt=11

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    スピノザ, 高桑純夫 & 井上庄七
    2004年9月1日 ¥3400
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    ゲーテ、マルクス、サルトルなどに多大の影響を与えた弧高の哲学者スピノザ
    の著作は、彼らを通してもいまも生き続ける。ユダヤ教的一神論とデカルト
    哲学を綜合し、市民の自由と平和を守るための知性の改善と真の認識にいたる
    道を追求した。
    〈収録タイトル〉
    倫理学(エティカ)/知性改善論/政治論 ※この電子書籍は、オンデマンド本「ワイド版
    世界の大思想」を底本としております。

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  109. 目 次
    ◆倫理学(エティカ) 高桑純夫訳
    ◆知性改善論 森 啓訳
    ◆政治論 井上庄七訳
     ◆解 題
     ◆解 説 桂寿一
     ◆スピノザ年表

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  110. https://itunes.apple.com/jp/book/waido-ban-shi-jieno-da-si/id862362490?mt=11

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    ワイド版世界の大思想 第1期〈4〉スピノザ
    スピノザ, 高桑純夫 & 井上庄七
    2004年9月1日 ¥3400
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    ゲーテ、マルクス、サルトルなどに多大の影響を与えた弧高の哲学者スピノザ
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    倫理学(エティカ)/知性改善論/政治論 ※この電子書籍は、オンデマンド本「ワイド版
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    目 次
    ◆倫理学(エティカ) 高桑純夫訳
    ◆知性改善論 森 啓訳
    ◆政治論 井上庄七訳
     ◆解 題
     ◆解 説 桂寿一
     ◆スピノザ年表

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  111. ワイド版世界の大思想 第1期〈4〉スピノザ http://viewer.bookstore.yahoo.co.jp/?cid=281903&adr=1006185&u0=1
    yahooブックスでも検索は出来るが、ibooks版のような裏技は使えない。アプリ未対応、ブラウザ閲覧なのでなんとも言えない。ただし『知性改善論』『政治学』電子版は貴重。

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  112. 確かにホワイトヘッドは集合論を数字に適応したがトポロジーの人でもある。
    離散の人なのだ。
    以下の図は弁証法とは何の関係もない。

             _
       _    / \   _  
      / \  /   \ / \ 
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     \   /|     |   /
      \_/  \   / \_/
            \_/   



    http://mathworld.wolfram.com/images/eps-gif/WhiteheadLink_1000.gif
    http://en.wikipedia.org/wiki/Whitehead_link


             
         ____A____   
        /    |    \   
       /     |     \
      /    __|__    \ 
     |    /  B  \    |
     |   /       \   |
     |  |         |  |
     |  |         |  |
     |  |         |  |
     |   \       /   |
      \   \__C__/   / 
       \     |     / 
        \____|____/ 
             D





    スピノザによる無限の説明(書簡12,50より)   
    http://yojiseki.exblog.jp/5748440/
      

    上はスピノザ自身による無限の説明。『書簡12』(書簡50には無限の説明があるが図はない)、『デカルトの哲学原理』に採用されている。
    円と円の比率が無限に存在するということは、実体に対して様相が無限に存在するということでもある。
    これは、契約における実定法と自然権、歴史における真理と教義、主体における意識と無意識(またはその代理表象)、証明における思惟と延長といった、即時的(同時的)かつダブルバインド的な二項にそれぞれ相当するだろう。
    「二つの円」と「二つの円の比率」の関係は、「実体」と「人間に認識できる二つの属性(思惟と延長)」の関係ということもできる。
    (参照:『精神の眼は論証そのもの』上野修)
    赤線、青線はドゥルーズ、マシュレーによる任意の教義の恣意性の説明に対応する(参照:『ヘーゲルかスピノザか』マシュレー)。

    下は『論理学史』(山下正男)p208より。


             I(全論理空間)
             ◯
            / \ 
           /   \
          /     \ 
    a=b=S/       \a/=b/=M
        ◯         ◯
     Sは実体\       /Mは様態
          \     / 
           \   / 
            \ / 
             ◯
             O(空なるクラス)




    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    上の図と下の図との対照に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。

    追記;
    冒頭の図は『デカルトの哲学原理』の表紙↓にも使われている。



    デカルトは力学的、スピノザは数学的だが、後者は光学的とも言える。



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  113. ドゥルーズによれば平行論なる命名はライプニッツが初めて行ったもので、スピノザ自身の用語ではない。
    (ドゥルーズ『スピノザ 表現の問題』邦訳単行本103,390頁参照)
    さらにライプニッツの並行論は悪口ではない。ライプニッツも自身を並行論者と考えていたからだ。
    ただスピノザには個体による実体の分有を説明出来ないと考えていた(「唯一の普遍的精神の説に
    ついての考察」8巻132頁)。

    ライプニッツはこんな図式を描いている。

      瞬間Aにおける肉体の状態       | 瞬間Aにおける魂の状態 
      次の瞬間Bにおける肉体の状態(チクリ)| 瞬間Bにおける肉体の状態(痛み)

    「魂がチクリにかならず気がつくのは、関係の法則によっている。」
    「魂は、いつもかならずしも判明に、チクリだの、その直後にやってくるはずの痛みだのが、
    いったいなんで起こるのか、気がついているとはかぎりません。」
    (アルノー宛書簡20邦訳ライプニッツ著作集第八巻361~362頁)

    http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/docs/F.%20IMAI.pdf
    ライプニッツは、物体は延長だとするデカルトの考え方のみをアルノーが前提としており、
    物体が自身の力で運動することを否定しているといって批判する(書簡16『ライプニッツ著作集 8』320 頁)。

    返信削除

  114. ドゥルーズによれば平行論なる命名はライプニッツが初めて行ったもので、スピノザ自身の用語ではない。
    さらにライプニッツの並行論は悪口ではない。
    ライプニッツも自身を並行論者と考えていたからだ。
    ただスピノザには個体による実体の分有を説明出来ないと考えていた(8:132)。

    ライプニッツはこんな図を描いている。

      瞬間Aにおける肉体の状態       | 瞬間Aにおける魂の状態 
      次の瞬間Bにおける肉体の状態(チクリ)| 瞬間Bにおける肉体の状態(痛み)

    「魂がチクリにかならず気がつくのは、関係の法則によっている。」
    「魂は、いつもかならずしも判明に、チクリだの、その直後にやってくるはずの痛みだのが、
    いったいなんで起こるのか、気がついているとはかぎりません。」
    (アルノー宛書簡20邦訳ライプニッツ著作集第八巻361~362頁)

    http://www2.human.niigata-u.ac.jp/~mt/ningen/docs/F.%20IMAI.pdf
    『...事物相互間の感歎すべきしかも間違いのない一致によって、この身体自身の法
    則は、意志が丁度そのことへ向かう瞬間に、同時にはたらく。...』私にはこれは、
    「私の意志が私の手の運動の機会原因で、神がその事象的原因である」と称する人々
    の言っているのと同じことをただ違う言葉で言っているように思われる。あの人々
    も「私が手を挙げようと思うごとに、神は新しい意志をもち、その意志によって神
    は丁度その時に手を挙げさせる」とは言っていない(107 G II 84, C.A. 15(『形而上学叙説』342–343 頁) )。

    機会原因説を主張する人たちは、誰かが手を上げようとする度ごとに神がそのつど新た
    に決心しなおして、人間に手を上げるよう命じていると主張しているわけではない。むし
    ろ、彼らは、神は宇宙に必要だと予見したすべてのことを一貫した永遠の意志に基づいて
    行うといっているとアルノーは述べる(『形而上学叙説』342–343 頁)。


    ライプニッツは1687年4月の書簡で、アルノーが機会原因説と予定調和説を同一視する
    理由を、物体は延長だとするデカルトの考え方のみをアルノーが前提としており、物体が
    自身の力で運動することを否定しているからだと指摘する(『ライプニッツ著作集 8』320 頁)。

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  115. 下は『論理学史』(山下正男)p208より。


             I(全論理空間)
             ◯
            / \ 
           /   \
    a=b=S /     \  a/=b/=M
        ◯/       \◯
     Sは実体\       / Mは様態
          \     / 
           \   / 
            \ / 
             ◯
             O(空なるクラス)



    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    上の図と下の図との対照に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。

    追記;
    冒頭の図は『デカルトの哲学原理』の表紙↓にも使われている。

    デカルトは力学的、スピノザは数学的だが、後者は光学的とも言える。

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  116. 下は『論理学史』(山下正男)p208より。


             I(全論理空間)
              o
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
         o/        \o
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
           \    / 
            \  /
             \/ 
              o
             O(空なるクラス)

    下は『論理学史』(山下正男)p208より。


             I(全論理空間)
              ◯
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
        ◯/        \◯
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
           \    / 
            \  /
             \/ 
              ◯
             O(空なるクラス)

    返信削除

  117. デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、

    スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    上の図と下の図との対照に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。

    デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを呼んだ。
    上を延長、下を思惟ととらえれば両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまう。

    スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
    様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論にはならない。

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  118. 下は『論理学史』(山下正男)p208より。


             I(全論理空間)
              ◯
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
        ◯/        \◯
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
           \    / 
            \  /
             \/ 
              ◯
             O(空なるクラス)

    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    上の図に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
    デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを呼んだ。
    上を延長、下を思惟ととらえれば両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまう。
    スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
    様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定しかも思惟の優越にはならない。ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。

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  119. 以下の図は『論理学史』(山下正男)p208より。


             I(全論理空間)
              ◯
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
        ◯/        \◯
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
           \    / 
            \  /
             \/ 
              ◯
             O(空なるクラス)

    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    上の図に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
    デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを呼んだ。
    上を延長、下を思惟ととらえれば両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまう。
    スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
    様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定しかも思惟の優越にはならない。ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。

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  120.          I(全論理空間)
              ◯
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
        ◯/        \◯
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
           \    / 
            \  /
             \/ 
              ◯
             O(空なるクラス)

    図は『論理学史』(山下正男)p208より。

    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    上の図に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
    デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを呼んだ。
    上を延長、下を思惟ととらえれば両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまう。
    スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
    様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定しかも思惟の優越にはならない。ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。

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  121.          I(全論理空間)
              ◯
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
        ◯/        \◯
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
           \    / 
            \  /
             \/ 
              ◯
             O(空なるクラス)

    図は『論理学史』(山下正男)p208より。

    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    上の図に関して言えば、S実体が二つの円、M様態が無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
    デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを呼んだ。
    上を延長、下を思惟ととらえれば両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
    スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
    様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定しかも思惟の優越にはならない。ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。

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  122.          I(全論理空間)
              ◯
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
        ◯/        \◯
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
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              ◯
             O(空なるクラス)

    図は『論理学史』(山下正男)p208より。

    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    例を挙げれば(スピノザ往復書簡の無限の説明)、実体Sが二つの円、様態Mが無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
    デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを呼んだ。
    上を延長、下を思惟ととらえれば両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
    スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
    様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定しかも思惟の優越にはならない。ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。

    返信削除
  123.          I(全論理空間)
              ◯
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
        ◯/        \◯
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
           \    / 
            \  /
             \/ 
              ◯
             O(空なるクラス)

    図は『論理学史』(山下正男)p208より。

    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    例を挙げれば(スピノザ往復書簡の無限の説明)、実体Sが二つの円、様態Mが無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
    デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを呼んだ。
    上を延長、下を思惟ととらえれば両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
    スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
    様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定しかも思惟の優越にはならない。空なるクラスも定義としての否定において維持される。
    ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。

    返信削除
  124.          I(全論理空間)
              ◯
             /\
            /  \ 
           /    \
    a=b=S /      \  a/=b/=M
        ◯/        \◯
     Sは実体\        / Mは様態
          \      / 
           \    / 
            \  /
             \/ 
              ◯
             O(空なるクラス)

    図は『論理学史』(山下正男)p208より。

    デカルトの場合、属性はS(=実体)に連なり、スピノザの場合、属性はM(=様態)に連なる。
    例を挙げれば(スピノザ往復書簡の無限の説明)、実体Sが二つの円、様態Mが無限にある両円の比率ということになる。山下氏によればヘーゲルはその両者を混同してしまっているという。
    デカルトの、属性がS(=実体)に連ながる部分がヘーゲルの過ちを呼んだ。
    上を延長、下を思惟ととらえれば(逆でもいい)両者の結合が神秘主義的思考回路と同じになってしまうということだ。
    スピノザは属性を様態寄りに考えたとはいえ、実体から無限の属性が生じることを想定しかつ、思惟と延長に優越をつけなかった。
    様態から属性を通って実体につながっているとはいえ、実体側からの属性を無視したわけではなく、属性は思惟と延長に限られず無限にあるというだけである。だから二項対立の変奏はあっても二元論の固定しかも思惟の優越にはならない。空なるクラスも定義としての否定において維持される。
    ヘーゲルは(論理的思考が後退した場合における)デカルトの必然的帰結である。

    返信削除
  125.     我
        思
        う
    疑いつつ↓→ある スピノザ
        我
        あ
        り
       デカルト

    返信削除
  126. 2:18備考ポームム果実
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/


    http://users.telenet.be/rwmeijer/spinoza/works.htm?lang=E

    pomum

    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p18n

    pomme ポム りんご?

    返信削除

  127.  さらにこれから我々は、なにゆえに精神が一つの物の思いからただちにそれとは少しも類似性のない他の物の思いへ移るかを明瞭に理解する。例えばローマ人はポームム〔くだもの〕という言葉の思いからただちにある果実の思いへ移るであろう。この果実はあの発音された音声とは何の類似性もなくまた何の共通点もない。ただ同じ人間の身体がこの両者からしばしば刺激されただけにすぎない。言いかえれば、人間がその果実自体を目にしながら同時に幾度もポームムという言葉を聞いたというにすぎない。このようにして各人は、自分の習慣が事物の表象像を身体の中で秩序づけているのに応じて一つの思いから他の思いへ移るであろう。例えば軍人は、砂の中に残された馬の足跡を見て、ただちに馬の思いから騎士の思いへ、また騎士の思いから戦争その他の思いへ移るであろう。ところが農夫は、馬の思いから鋤や畑その他の思いへ移るであろう。このようにして各人は、自分が事物の表象像をこのあるいはかの仕方で結合し、連結するように習慣づけられているのに応じて一つの思いからこのあるいはかの思いへ移るであろう。

    返信削除

  128. http://d.hatena.ne.jp/sasaki_makoto/20110523
    スピノザその可能性の中心, 2011/2/13 by yojisekimoto
    スピノザの方法 國分功一郎
    本書では、定義あるいは規範(p262)が起成原因(p233)たり得る条件が、『知性改善論』、対デカルト、『エチカ』第一部の中に丁寧に探究される。唯一残念なのは柄谷行人が『探究2』(p280等に端的にみられる本書の基本アイデアはすべてここにある)で示した無限(p223)と無際限(p44?)の区別が明確でないことだ。本書ではそれらはそれぞれ創出的方法と創出された方法(p89) に対応するのだろうが、、。 ネグリよりもスピノザの可能性を捉えてはいるが、本書はデカルト(自然の光が無限のアポリアを解消する)というよりも直観ではなく反省(p263)を重んじるという意味でカント的である。 『エチカ』第一部の分析も肝心のアイデアの出自=ドゥルーズが、『思想』掲載論文にはあったのに、なぜか曖昧にされている。十全な観念重視の柄谷と判例重視のドゥルーズの解釈の立場の相違が補完的に作用することを確認するいい機会だったのに。 追記: とにかく結論としては、本書より先に『探究2』を読むべきである。

    返信削除
  129. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p13n
    …すべての個体は程度の差こそあれ精神を有しているのである。なぜならあらゆ
    る物について必然的に神の中に観念があって、その観念は、人間身体の観念と同様
    に神を原因とするのであり、したがって我々が人間身体の観念について述べたこと
    はあらゆる物の観念についても必然的に言われうるからである。…

    返信削除

  130. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1f
    …さらになぜ神はすペての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふう
    に創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとする
    ほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでの
    すべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと
    本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、
    ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ
    包括的なものであったからである、と。…

    返信削除

  131. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1f
    …さらになぜ神はすペての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふう
    に創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとする
    ほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでの
    すべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと
    本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、
    ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ
    包括的なものであったからである、と。…

    返信削除
  132. >>942…
    しかし私は同時に次のことも否定しえない。すなわちもろもろの観念はその対象
    自身と同様に相互に異なっているということ、そしてある観念の対象が他の観念
    の対象よりもより優秀でより多くの実在性を含むにつれてその観念も他の観念よ
    りもより優秀でより多くの実在性を含むということである。このゆえにいかなる
    点で人間精神が他の精神と異なるか、またいかなる点で人間精神が他の精神より
    優秀であるかを決定するためには、すでに述べたように、その対象の本性を、言
    いかえれば人間身体の本性を認識することが必要である。…

    返信削除

  133. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note4pr

     最後に私は、一般的には、完全性を、すでに述べたように、実在性のこと
    と解するであろう。言いかえれば、おのおのの物がある仕方で存在し作用
    する限りにおいて、その物の本質のことと解するであろう。そしてこの際
    その物の持続ということは考慮に入れない。なぜなら、いかなる個物も、
    それがより長い時間のあいだ存在に固執したゆえをもってより完全だとは
    言われえないからである。事物の本質には何ら一定の存在時間が含まれて
    いない以上、事物の持続はその本質からは決定されえないのだから。むしろ
    おのおのの事物は、より多く完全であってもより少なく完全であっても、
    それが存在し始めたのと同一の力をもって常に存在に固執することができる
    であろう。したがってこの点においてはすべての物が同等なのである。

    返信削除
  134. >>922
    エチカ第四部付録全32項からが読みやすい。ここが最後に執筆された部分らしい。
    3,4,5で一冊になっていれば第三部へ遡行しやすいのだが、、、、岩波版は3と4の間で
    分冊になっている。電子書籍版は合本を新たに出すべきだ。

    返信削除
  135. 多くの人々は次のように論ずるのが常である。もし万物が神の最完全な本性の必然性から起
    こったとするなら自然におけるあれほど多くの不完全性は一体どこから生じたのか。例えば悪臭
    を発するにいたるまでの物の腐敗、嘔吐を催させるような物の醜怪、混乱、害悪、罪過などなど
    はどうかと。しかし、今も言ったように、これを反駁することは容易である。なぜなら、物の完全
    性は単に物の本性ならびに能力によってのみ評価されるべきであり、したがって物は人間の感
    覚を喜ばせ、あるいは悩ますからといって、また人間の本性に適合しあるいはそれと反撥する
    からといって、そのゆえに完全性の度を増減しはしないからである。さらになぜ神はすペての
    人間を理性の導きのみによって導かれるようなふうに創造しなかったかと問う人々にたいしては、
    次のことをもって答えとするほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低
    程度にいたるまでのすべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは
    (もっと本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、ある無
    限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ包括的なものであったから
    である、と。

    エチカ第一部付録より

    返信削除
  136. …すべての個体は程度の差こそあれ精神を有しているのである。なぜならあらゆる物につい
    て必然的に神の中に観念があって、その観念は、人間身体の観念と同様に神を原因とするの
    であり、したがって我々が人間身体の観念について述べたことはあらゆる物の観念についても
    必然的に言われうるからである。

    エチカ2定理13備考より

    返信削除
  137.  スピノザ.B.D『スピノザ往復書簡集』(3) - はぐれ思想史学徒純情派
    http://n-shikata.hatenablog.com/entry/20110119/1292354200
     スピノザ.B.D『スピノザ往復書簡集』(3)
    スピノザ
    「書簡十七 スピノザからピーテル・バリングへ」より。

    お手紙にあった前兆について申しましょう。あなたはお子さんがその亡くなる少し前に病床で発したと同じような泣き声を、お子さんがまだ健康で元気でおられた時にも聞いたと言われます。私の考えではそれは本当の泣き声ではなく、単にあなたの表象力の産物ではなかったかと思います。その証拠に、あなたが起き上ってそれを聞き定めようと身がまえた時、それは前ほどはっきりは聞えず、その後で眠りに入ったらはっきり聞えたというではありませんか。確かにこのことは、その泣き声があなたの単なる表象であったことを物語っています。表象力は、あなたが立ち上って耳を一定の場所に向けた時よりも、それが何の束縛も受けずに自由である時の方が、一定の泣き声をはっきり生き生きと表象し得たのです。(p86-p87)

    返信削除
  138. http://m.sanmin.com.tw/Product/Index/004205212

    斯賓諾莎(Benedictus de Spinoza,1632-1677)是近代最重要的哲學家之一。他運用笛卡兒(Rene Descartes)的形上學及知識論研究方法,結合斯多葛學派(Stoicism)與猶太教理性教義,形成了他個人獨創的哲學體系。神、世界、人三者是他心中最重要的關注對象。斯賓諾莎的《倫理學》(Ethics)一書,便是透過哲學思辨,提供對於神的理解、對世界的認識,以及對人類德性與幸福的把握。
      《倫理學》一書,共分五部份,分別為:一、論神;二、論心靈的本性及起源;三、論情感的起源及本性;四、論人的苦役,或說情感的力量;五、論理智的力量,或說人的自由。本書的目標宏大,試圖以一簡潔明瞭的公理演繹系統證明上述五部份,並據以昭示一套確實的道德信念。斯賓諾莎在前三部份中,不盡其煩地檢視及推演歷來重要的形上學、知識論與心理學主張,並嘗試從這基礎導出理性生活是指引人類獲致幸福的普遍原理。可見,《倫理學》一書確實正如書名所示,是一本昭顯如何通往幸福人生的道德經典。


    緣起
    總序
    李震:「斯賓諾莎哲學導論」推薦序
    陳文團:和諧與仁慈的哲學家錢志純教授

    錢志純:斯賓諾莎哲學導讀
     一、斯賓諾莎傳略及著作
     二、斯賓諾莎在哲學史上之地位
     三、斯賓諾莎哲學思想想之起點
     四、倫理學研究之一:神
     五、倫理學研究之二:理智
     六、倫理學研究之三:情緒
     七、倫理學研究之四:桎梏
     八、倫理學研究之五:自由
     年譜與著作

    《倫理學》正文

    第一部份 論神
    第二部份 論心靈的本性及起源
    第三部份 論情感的起源及本性
    第四部份 論人的苦役,或說情感的力量
    第五部份 論理智的力量,或說人的自由

    李匡郎:人師.經師

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  139. 第一部份 論神

    定義

    一、我把自因(causa sui)理解為本質包括存在的事物,或者說是其本性除了存在之外無法被設想的事物。

    二、能被相同本性事物所限制的東西,就被稱為在自類中有限(in suo genere finita)。
       舉例來說,物體是有限的,因為我們總是可以設想有另一個更大的物體。而思想則同樣被另一個思想所限制。但物體不能被思想所限制,思想也無法被物體所限制。

    三、我把實體(Substantia)理解為存在於自身之中,並且藉其自身而被設想的事物;亦即,形成實體的概念不需要其他事物的概念。

    四、我把屬性(attributum)理解為由理智看來,就是構成實體本質的事物。【2】

    五、我把模態(modus)理解為實體的應變(affectio)*,或是存在於他物之中,並藉由他物而能被設想的事物。

    *Affectio一詞並無固定中文譯法。賀麟譯本採「理一分殊」概念,譯為「分殊」;錢志純譯本譯為「感受(或變化)」。按此詞衍自ad (at, to) 與facere (do) 而來,故依「隨機應變」、「應物變化」概念譯為「應變」。

    六、我將神(Deus)理解為絕對無限的存有,也就是擁有無限多屬性的實體,而其每一個屬性都表現出一種【3】永恆與無限的本質。
       說明:我所謂絕對無限,就不是在自類中無限;因為若有事物只是在自類中無限,我們仍可對它做出無限多種屬性的否定{亦即,我們可設想有無限多種屬性不屬於這事物的本性}*【4】;但若有事物是絕對的無限,那它所擁有的本質就可以為一切所展現,而不包括否定。

    *根據荷蘭文本《遺著》增補處以{}標示,以下例同。

    七、事物若只依照自身本性的必然而存在,而且只受自己決定而行動,就被稱為自由(liberta)。事物受其他事物所決定而存在,並且依確定與限定的方式產生結果,則被稱為必然(necessaria),或者說是受迫(coacta)。

    八、我將永恆([ae]ternitas)理解為單從永恆事物之定義所必然得出的存在本身。
       說明:因為這種存在,就如一個事物的本質一樣【5】,會被設想成永恆的真,因此不能藉由存續時段(duratio)或時刻(tempus)來說明【6】,雖然存續時段可被設想為沒有終始。


    公理

    一、凡存在物,若不是存在其自身之中,就是存在於他者之中。

    二、一事物若無法藉由他者而被設想,必藉由其自身而被設想。

    三、若有確定原因,必然得出結果;相反地,若無確定原因,不可能得出結果。

    四、關於一個結果的知識有賴於對其原因的知識,也包括了對其原因的知識。

    五、彼此毫無共通點的事物,不能藉由理解一事物而理解另一事物,或者說,對一事物的設想不包括對另一事物的設想。

    六、真觀念必定與其對象相合。

    七、任何能被設想為不存在的事物,其本質不包括存在。

    命題一:實體【7】在本性上先於其應變。
    證明:自定義三及定義五即可明白。

    命題二:兩個具有不同屬性的實體,彼此無共通點。【8】
    證明:同樣自定義三即可明白。因為實體必在自身之中,並藉由自身而被設想,或者說對一實體的設想不包括對另一實體的設想。

    命題三:若事物彼此無共通點,其中任一均不能為其他事物的原因。
    證明:若他們彼此無共通點,那麼(根據公理五)他們就不能藉由彼此而被理解,也因此(根據公理四)不能成為其原因。得證。

    命題四:兩個以上的不同事物,其分別若不是由於實體屬性不同,就是由於它們應變相異。
    證明:凡存在物,若不是存在自身之中,就是在他者之中(根據公理一),亦即(根據定義三及定義五)在理智之外,除了實體與其應變,沒有其他事物。因此,理智之外沒有他物;除了不同實體,或也可說(根據定義四)除了實體的不同屬性與其應變之外,沒有可藉由理智區分的事物。【9】得證。

    命題五:在事物本性中,具有同樣本性或屬性的實體不能夠有兩個以上。
    證明:若有兩個以上的不同實體,他們必定因為其屬性或應變有所不同而彼此區分(根據命題四)。若只是因其屬性相異,就必須接受同樣的屬性只能為其一所有。但若是因其應變相異,那麼由於實體在本性上先於應變(根據命題一),若擱置應變,就〔實體〕*其本身加以考慮,亦即(根據定義三與公理六)真正考慮,此一實體將無法被設想為與另一實體有所區分,亦即(根據前一命題),〔具有同樣本性或屬性的〕實體只有唯一一個,而不能有多個【10】。得證。

    *根據柯爾里譯本補足句意之處,以〔〕標示。以下例同。

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  140. https://book.douban.com/subject/1274953/

    伦理学 (豆瓣)
    https://book.douban.com/subject/1274953/
    作者: 斯宾诺莎
    出版社: 商务印书馆
    原作名: Ethica Ordine Geometrico Demonstrata
    译者: 贺麟
    出版年: 1998-01
    页数: 270
    定价: 20.00元
    装帧: 平装
    丛书: 汉译世界学术名著丛书·哲学
    ISBN: 9787100011631


    《伦理学》一书是斯宾诺莎的主要著作,他的哲学思想基本上都表述在这本书中。他写这部著作花费了十多年的功夫,从1662年写起,到1675年才完成。斯宾诺莎的世界观是在尼德兰资本主义生产关系急剧发展的时期形成的,反映了新兴资产阶级的利益和要求,他的哲学思想应该看作是对资产阶级自由的论证。
    举报
    作者简介 · · · · · ·
    斯宾诺莎(163—1677),十七世纪“典型资本主义国家”——荷兰的伟大哲学家,唯物主义者和战斗的无神论者,同时又是一位理性主义的先驱。斯宾诺莎的世界观是在尼德兰资本主义生产关系急剧发展的时期形成的,反映了新兴资产阶级的利益和要求,他的哲学思想应该看作是对资产阶级自由的论证。
    目录 · · · · · ·
    第一部分 论神
    第二部分 论心灵的性质和起源
    第三部分 论情感的起源和性质
    第四部分 论人的奴役或情感的力量
    第五部分 论理智的力量或人的自由
    译后记
    精彩书摘
    这个实体就会与神无共同之点(据命题二),因而既不能肯定神的存在,也不能否定神的存在。据此,否定神存在的理由或原因,既然不在神的本性之外,所以假如实际上神不存在,则这个理由或原因就必定在神的本性之内。说神的本性具有否定它自身存在的理由,这是自相矛盾的。但是断言绝对无限无上圆满的东西具有自己否定其自身存在的理由,却是不通的。所以无论在神之内,或在神之外,都不能有任何原因或理由可以否定神的存在。因此神必然存在。此证。
    别证不能够存在就是无力,反之,能够存在就是有力(这是自明的)。因此假如说除了有限之物以外,没有别的事物必然存在;那就无异于说有限之物较绝对无限之物更为强而有力。这(显然无疑)是不通的;所以如果不是无物存在,就是有一个绝对无限之物存在。但是我们存在却是事实,而我们的存在如果不在我们自身内,就必定在必然存在之他物内(参看公则一及命题七)。所以绝对无限的东西(据界说六),亦即神,必然存在。此证。
    附释在前面这个证明里,我是从后天方面(a posteriori)来证明神的存在,为的是使人易于了解;这并不是说不能根据同样的原理从先天方面(a priori)去证明神的存在。因为,既然能够存在就是有力,那么一物具有实在性愈多,它能够存在的力量也必定愈多;所以绝对无限之物或神其自身也必定具有绝对无限的能够存在的力量;所以它绝对地存在。
    · · · · · · (收起)

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  141. http://nam-students.blogspot.jp/2015/11/forclusion.html?m=1

    スピノザとデリダ(:メモ)
    http://yojiseki.exblog.jp/8762350
    NAMs出版プロジェクト: スピノザ『神学政治論』『国家論』:メモ及び目次
    http://nam-students.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html


    「スピノザはハイデガーを全面的に転倒させる。」
    (「力能と存在論ーハイデッガーかスピノザか」『スピノザとわたしたち』ネグリ、
    邦訳では102頁より)

    以下、ネグリの指摘をリストにしてみる。

     A        B
    ハイデガー    スピノザ
     不安       愛
     配視       精神
     決意性      欲望
     現前       コナトゥス
     配慮       衝動
     可能性      力能


    要はハイデガーのAにスピノザはBを対置するというのである。
    「愛は配慮の場を占める」という指摘もあるようなので必ずしも左右は一対一対応
    ではないらしい。
    同様の記述が講演録「スピノザの反近代」(邦訳『68年のスピノザ』78頁)
    にもある。
    これらはハイデガーを先に読んでいた現代の読者がスピノザから受ける衝撃を上手く
    説明するものかも知れない。


    ハイデガー自身はスピノザにほとんど言及しなかったことが指摘されている。

    それをデリダは「ハイデッガーにおけるスピノザの排除(去勢)(forclusion)」と言っ ていた。
    (「正しく食べなくてはならない」あるいは主体の計算――ジャン=リュック・ナンシーとの対話」
    『主体の後に誰が来るのか?』157頁参照)


    スピノザとデリダ(:メモ)
    http://yojiseki.exblog.jp/8762350

    デリダはハイデガーを批判的に受け継いでいると言われるが、ハイデガーと同じくスピノザへの言及は少ない。
    スピノザと同じユダヤ人異教徒=マラーノでも戦略が逆なのだ。

    批判哲学を受け継ぐハイデガー=デリダのラインは、時間軸を大切にする。
    一挙に(幾何学的に)真理を把握するスピノザのような実在論は危険なのだ。スピノザの哲学を導入すればハイデガー、デリダの哲学は一瞬で終わってしまう。極端に言えば、ハイデガーはスピノザを無視することで膨大な講義が可能となり、デリダもスピノザを無視することで物書きとして延々と書き続けられたのだ。

    しかし、原理的に外部のないデリダのエクリチュールが体現するのは、後述するように、スピノザ的心身並行論以外の何ものでもない。

    歴史的にはニーチェはスピノザに親近感を覚え、ヘーゲルはスピノザの心身並行論を一挙に解消しようとし、ラカンはスピノザの決定論と平行論を精神分析の基礎に据えるなど、スピノザはカント的批判哲学の外部からは常に宵の明星のような座標であった。

    こんな重要な存在をどうして無視して来たかと言えば、スピノザを安易に援用するとそこで差異が解消し、発生論的な矛盾が解消されてしまうからであるからだが、両者が真逆であるがゆえに、ここにある種の歴史の皮肉が見出せる。

    つまり、フッサールにおける発生論の取り扱いを論ずるデリダは自らの生の条件を負の条件から逆に照射しているが、逆にテクストに外部がないというデリダのテクストは(ドゥルーズとは違って)外部と連結するスピノザのテクストとは正反対であるがゆえに、スピノザ哲学はデリダを明確に浮き彫りにするのだ。

    「いかなる物も、外部の原因によってでなくては滅ぼされることができない。」(『エチカ』3:4)

    テクスト内部においてそこに内在する権力をひっくり返そうとするデリダの脱構築はハイデッガーの存在論史の読み直し(=解体、『存在と時間』より)を受け継いだものであるが、これはスピノザの言う物質が持続して存在しつづけようとする性質(=努力、コナトゥス)を浮かび上がらせる。
    むしろディコンストラクションとは、行為としては終わることのないコナトゥス(努力)そのもののことだと言ってもいい。スピノザの終わることのない心身並行論は、デリダのテクストにこそそのサンプルを見出す。

    ハーバーマスとさえ共闘したデリダは「理性に導かれる人間」として「共同の決定にしたがって生活する国家」(『エチカ』4:73)を統整的に求めたし、そのために戦ったことにおいてはスピノザと同じだと言えるし、その存在は異なるポジションにおいてお互いを照射し合う。

    デリダの死は、デリダをそのテクストから引きはがし、デリダを生物学的にユダヤ人としてスピノザと同じ引き出しに入れるだろうが、デリダのテクストは、スピノザのテクストの逆を表現するものとして隣同士に並べてもいいかも知れない。


    追記:
    本文と関係ありませんが、デリダの遺言の画像を紹介しす。

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  142. 検索ツール▼



    「人間の絆」の原題について - 文学 解決済 | 教えて!goo
    oshiete.goo.ne.jp > 教えて!goo > 学問・教育 > 文学 - キャッシュ

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    "人間の絆ようやく読み終える。原題of human bondageはスピノザ『エチカ』第四部の章 名であり、bondageは隷属servitusの訳語と。で、この隷属servitusは感情を統御し 抑制する上での人間の無能力を指すらしい。隷属からの解放はありえないが観測は できる ...
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    ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 人間の絆の用語解説 - イギリスの作家 S. モームの小説。 1915年刊。主人公 ... 題名は、オランダの哲学者スピノザの『エチカ』 など四部の題名『人間の隷属的状態について』を借用したものである。[瀬尾 裕] 『中野 好夫 ...

    辞書別に見る:日本大百科全書(ニッポニカ)-世界大百科事典 第2版-デジタル大辞泉
    「人間の絆」の原題について - BIGLOBEなんでも相談室
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    altmetrics.ceek.jp/article/ci.nii.ac.jp/naid/40019436801 - キャッシュ

    スピノザーナ : スピノザ協会年報. ... 1 0 0 0 スピノザ『エチカ』における動物との関わりか た : 人間の絆と動物の利用についての考察を中心に. 著者: 食見 文彦; 出版者: スピノザ 協会 ; 1999-; 雑誌: スピノザーナ : スピノザ協会年報; 巻号頁・発行 ...
    CiNii 論文 - スピノザ『エチカ』における動物との関わりかた : 人間の絆と ...
    ci.nii.ac.jp/naid/40019436801 - キャッシュ

    スピノザ『エチカ』における動物との関わりかた : 人間の絆と動物の利用についての考察 を中心に The relationship with animals in Spinoza's Ethica : A consideration on the human ties and the use of animals. 食見 文彦 ...
    人間の絆 上巻 (新潮文庫 モ 5-11) | モーム, 中野 好夫 | 本 | Amazon.co.jp
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    価格:907円 (2016年6月21日現在)
    スピノザ 実践の哲学 ジル・ドゥルーズ 平凡社ライブラリー - 信州読書会 ...
    sphinx44.seesaa.net/article/366417612.html - キャッシュ

    なんて思った。 最近モームの『サミング・アップ』をよんでいたら彼もスピノザが大好きだ と述べていた。 『人間の絆』というモームの代表作のタイトルはスピノザの『エチカ』から 採ったそうである。 スピノザ―実践の哲学 (平凡社ライブラリー (440))
    急ぎです。サマセット・モームの人間の絆の訳について質問です ...
    detail.chiebukuro.yahoo.co.jp > ... > 文学、古典 - キャッシュ

    私は最初人間の絆を、岩波文庫の行方昭夫訳で読もうと思い、アマゾンで買ったのです が上中下巻なのに気が付かず、上下巻だけ ... 17世紀のオランダの哲学者スピノザの「 エチカ」という本のなかにある章題に、「人間の隷属について」とされた文章があり、そこ ...
    マイケル考察あれこれ| Dancing the Dream -69ページ目
    ameblo.jp/et-eo/theme69-10060712168.html - キャッシュ

    さて、17世紀のオランダの哲学者スピノザの「エチカ」という本のなかにモームの本の タイトルと同じ、「人間の隷属 ... 人間の絆 Of Human Bondage」は、スピノザの「エチカ (倫理学)」の4部目のタイトル(Of Human Bondage)からとっている ...

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  143. http://blog.livedoor.jp/kannon0018/archives/36369374.html
    本・読書の話

    モーム『サミング・アップ』からの抜粋②
    ◎長い文の抜粋が多いので、長文には私が特に良いと思った所に下線を引きたいと思います。
    本来すべきことでないと思いますが、アクセント的に捉えて下さい。

    ⑧ 若い人の意見に思う

    若い作家に同時代人を書くのに必要な知識がないというのは真実ではない。

    子ども時代や思春期を共に過ごした仲間について人はその内面まで深く知るのだが、

    そういう事はそれ以後の人生のどの時期にもあり得ないと思う。自分の家族や、子ども

    が生活の大部分を過ごす召使い、学校の先生、友人である少年や少女など、こういう人

    たちのことを少年は何でも知っているのである。少年はこれらの人々を真っ直ぐに見る。

    大人も、非常に若い人には、意識的か無意識的かは分からないが、他の人には決して見

    せない真実の顔を見せるのだ。

    ⑨ 成功が奪うもの

    成功が人を、自惚れ、自己中心、自己満足に陥らせて駄目にするという、よく言われる考え

    は間違いだ。逆に成功によって、大多数の人は謙虚、寛大、親切になる。人を辛辣に、性悪

    にするのは失敗である。成功は人の性質を改善するが、必ずしも作家の性質を改善するもの

    ではない。成功は、成功をもたらした原動力を作家から奪うことが十分にあり得る。

    ⑩ 自己実現に必要なこと

    自己実現は多くの無慈悲さと自己への没入を要するので、他人には不快であるし、それゆえ

    に恥を曝すことになる。

    ⑪ この世で生きる覚悟

    世に弱者と強者がいる限り、弱者は窮地に陥れられる羽目になる。人間が所有欲を持つ限り

    (おそらく人間が存在する限り変わらないだろう)、人は弱者から奪うであろう。自己主張の本能

    があれば、他人の幸福を犠牲にして自分勝手な主張を通すのに躍起となるだろう。要するに、

    人間が人間であり続ける限り、考え得る限りの苦しみに直面する覚悟が要る。

    ⑫ 自殺に対する考え方

    自殺というとどうして多くの人が驚いてそっぽを向くのか私には分からない。卑怯だというのはナ

    ンセンスだ。人生が苦悩と不幸以外何も与えないとき、自分の意志で自分の命を絶つ人を私は

    是認するのみである。自分の好きなときに死ぬ力は、人生の全ての苦悩の最中に神が人間に

    与えた最善のものだと言ったのは、大プリニウスではなかったか。自殺は神の掟を破ることだか

    ら罪だという人はともかくとして、自殺にひどく腹を立てる人が多い理由は、どうやら自殺が生命

    力を蔑ろにするためのようだ。人間の最も強い本能である生命力を無に帰することにより、自殺

    は生命力が人間を保護する力を本当に持つかどうかに恐ろしい疑問を投げかけるのだ。

    ⑬ 賢明に生きるコツ

    ゲーテは、生前展開できなかった自分の色々な面を実現したいからと死後の生を願った。

    だが、ゲーテ自身、何事にせよ、達成したいと願う者は限界を心得るべきだとも言っている。

    ゲーテの伝記を読むと、つまらぬことに時間を無駄遣いしていることに驚く。生前もっと注意深く

    なすべきことを限定していたならば、彼しか出来なかった全てを達成できていたかもしれない。

    そうすれば、死後の生は必要なかったであろう。

    ⑭ 死に対する心構え

    スピノザは自由な人は死のことをくよくよ考えないものだ、と述べた。確かに、死について

    くよくよ考える必要はない。しかし死についての考察は一切避けると言う人も多いが、これ

    は愚かである。死についての考えを決めていくことはよいことである。自分が死を恐れるか

    どうか、それは死に直面するときまでは分からない。医師に、あなたは不治の病だからもう

    長くは生きられないと告知されたら、自分がどう思うか、私はこれまで何度も想像してみた。

    想像したことを自分の作中人物の口から言わせたこともある。だが、それは創作の世界で

    あり、いざ自分のことになったときに同じことを言うかどうかは分からない。自分が特に命に

    しがみついているとは思わない。これまで重病になったことは何度もあるが、あと少しで死の

    瀬戸際というところまで行ったのは一度だけである。そのときは、余りに疲れ果てていて死の

    恐怖を感じることが出来なかった。早くもがくのをやめたいと思っただけだった。死は避けが

    たく、人がどのようにそれに立ち向かうかはあまり問題でない。死が迫っていることに気付か

    ず、苦痛なく死ねるように希望しても許されると思う。

    ⑮ 芸術について

    美が人生の大きな価値だというのなら、美がそれを味わうことの出来る美的感覚を持つ階級

    のみの特権だというのは信じがたいことだ。。エリートだけが分かち持っている感性を人生の

    必需品だと主張するのは変だ。だが、美学者はそのように主張する。白状するが、愚かな若造

    だった私は、芸術が、人間の努力の最高の成果であり、人間存在を正当化すると考えていて、

    芸術が分かるのはエリートだけだと思うと、言うに言われない満足感を覚えたものだった。その

    後、かなり以前からこの考え方は変だと気付いている。美が一部の人の専有物だとは信じられ

    ない。特殊な教育を受けた人にしか意味を持たないような芸術作品は、それを好む一部の連中

    と同じく、くだらないと思いたい。芸術は皆が楽しめる作品である場合にのみ偉大であり、意味を

    持つ。

    芸術作品の歴史的、文化的、考古学的な曰くを考察することによって、作品に生命を与えようと

    する試みは無意味である。ある彫像を作ったのが古代ギリシャ人であろうと現代フランス人であ

    ろうと、そんなことはどうでもいい。大事なのは彫像が今ここで人に美的感度を与え、感動によっ

    て人を仕事へと駆り立てると言うことである。

    ⑯ 偉人に対して取るべき態度

    私は尊敬心に乏しい。世間には尊敬心が多すぎる。尊敬に値しない多くの対象に尊敬が求めら

    れる。尊敬といっても、我々が進んで興味を示したくないものへの形ばかりの敬意である事が多

    い。ダンテ、ティツィアーノ、シェイクスピア、スピノザといった過去の偉人に敬意を表すよい方法

    は、尊敬することではではなく、彼らが同時代人であるかのように親しみの態度で接することで

    ある。

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  144. Martial Gueroult — Wikipédia
    https://fr.wikipedia.org/wiki/Martial_Gueroult

    Martial Gueroult[1], né au Havre le 15 décembre 1891 et mort à Paris le 13 août 1976, est un philosophe et historien de la philosophie, notamment de la philosophie du xviiesiècle.

    L'œuvre de Gueroult est traversée par deux caractéristiques : un grand soin apporté à l’histoire de la philosophie[2], qui n'est pas « moins noble » que la production philosophique, et une grande rigueur et une forte exigence systématique (ou structurale, ou encore, selon le mot de Canguilhem, « internaliste »), refusant tout recours philosophique à la transcendance.



    Auber-Montaigne (livre inachevé, Gueroult ayant rencontré des problèmes à construire le passage du livre II au livre III de l'Éthique)
    tome 1 : Dieu (Éthique, livre I), 1968
    tome 2 : L'Âme (Éthique, livre II), 1974

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  145. 岩波文庫『エチカ』正誤表:
    投稿日 2011/6/22
    形式: 文庫 Amazonで購入
    岩波文庫『エチカ』(2004年版)正誤表:

    上144頁9行目  系二→備考二
    (第二部定理42記述内)

    上177頁 8行目 第一部定理二四→三四
    (第三部定理6記述内)

    下105頁16行目 第四部定理二一→一一
    (第五部定理5記述内)

    (註)
    下144頁13行目 詩編六四の一一→詩編六四の二
    (第四部定理五〇備考に関する註二四)

    追記:
    2011年の新版は一番上だけ直っていた(再追記:2015年刊行の電子書籍版も同様)。
    ルビに小文字が採用されているので新版はやはり読みやすい。

    ちなみに2015年刊行の岩波文庫電子書籍版(kindle,iBooks)は、邦訳註にワンクリックで飛び、戻れるのが便利だが、検索を考えると河出書房新社版や中公クラシックス版のように上下巻を一冊にして欲しかった。

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               自 由

    『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。

    柄谷行人の上の図式があって、これでスピノザの著作は分類できる。
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    |   知識改善論   エチカ         |       
    |   資本      | アソシエーション  |          
    |   C       | D   X     |          
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               自 由

    『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。

    柄谷行人の上の図式があって、これでスピノザの著作は分類できる。
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             自 由


    『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。

    柄谷行人の上の図式があって、これでスピノザの著作は分類できる。
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             自 由


    柄谷も『世界史の構造』で引用している、
    プルードンのマルクスへの返信に今もすべての問題点が内包されている。
    http://nam-students.blogspot.jp/2012/11/blog-post_10.html#proudhon

    参考:
    http://ittokutomano.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html
     世界史上、4つの交換様式が起こってきた。まず柄谷はそのように言う。

     互酬性を原理とする「交換様式A」。略取=支配を原理とする「交換様式B」。
    そして、資本主義的な合意に基づく商品交換、すなわち「交換様式C」である。

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              自 由

    『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。

    マルクスの場合、ユダヤ人論でAを、ブリュメール〜でBを、
    資本論でCを論じていると言えるが、総合的な著作はない。

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  149. スピノザ『エチカ』2:13n
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note2p13n
    …すべての個体は程度の差こそあれ精神を有しているのである。なぜならあらゆる物に
    ついて必然的に神の中に観念があって、その観念は、人間身体の観念と同様に神を原因
    とするのであり、したがって我々が人間身体の観念について述べたことはあらゆる物の
    観念についても必然的に言われうるからである。しかし私は同時に次のことも否定しえ
    ない。すなわちもろもろの観念はその対象自身と同様に相互に異なっているということ、
    そしてある観念の対象が他の観念の対象よりもより優秀でより多くの実在性を含むにつ
    れてその観念も他の観念よりもより優秀でより多くの実在性を含むということである。

    返信削除

  150. 正直に言っておくと、たしかに、こうした自由から不都合が生じる時もある。しかし、
    不都合が何一つ生じえないほど賢く組み上げられた制度など、かつて一度でも存在し
    たことがあったろうか。
    すべてを法律によって定めようとする人は、悪癖を正すよりもむしろ呼び起こして
    しまうだろう。禁じるのが不可能なことは、たとえそこから往々にして害悪が生じ
    るとしても、やはり認めるしかないのである。たとえば見栄やねたみや貪欲や泥酔
    や、その他似たようなことからどれほどの災いが生じることだろうか。にもかかわ
    らず、こうしたことは大目に見られている。これらは本当に悪癖だけれども、法律
    上の命令で禁じるのが不可能だからである。だとすると判断の自由は、なおのこと
    認められなければならない。こちらは間違いなく美徳であり、しかも抑圧すること
    ができないからである。

    神学・政治論 下 光文社文庫 20:10

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  151. アントニオ・タブッキについての覚え書き① - 間のページ
    afro1125.hatenablog.com/entry/2013/08/31/082232
    (後日訂正を加えるかもです、あまりにもまとまっていないので) アントニオ・タブッキ - Wikipedia ユリイカで彼の特集号が二冊 ... 私がスピノザについてよく知らないので、 ちゃんと解釈を進めることができませんが、スピノザはデカルト以来の物心 ...
    スピノザ - 2ちゃんねる
    awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1298297727/436
    436 :考える名無しさん:2012/03/31(土) 03:10:50.48 0: 2012.3.29『スピノザ ある哲学 者の人生』訳者からのメッセージ スピノザの残像──タブッキの死に寄せて イタリア人 の作家アントニオ・タブッキ(Antonio Tabucchi)が死去したことを、今朝の新聞で知った ...
    遠い水平線 | 愛書家の楽園 THE LIBRARY AT NIGHT - ヤプログ!
    yaplog.jp/y0131/archive/1289
    『遠い水平線 IL filo dell'orizzonte』、アントニオ・タブッキ著、須賀敦子訳、白水u ブックス《存在した》という状態は、いわば《第三類》に属していて、《 ... そして、タブッキが スピノザを好きだということを、本書最後の方に掲載された「余白につけられた註」で知っ た。

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  152.         /\   
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  153. ダビデの星:

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  154. 東京堂書店@神保町
    唐突ですが。スピノザが『エチカ』で「創造」の語を避け「産出」を用いたことと、
    『短論文』の「摂理」が『エチカ』の「コナトゥス」概念に変容したことは恐らく深くつながっている。
    産出の現在と産出物(現実存在existentia)の様態をどうとらえたらよいのか考えることで糸口がつかめそう。
    20 Nov 2016

    余形お屁居
    おそらく「自尊心」は、「自己を保持するもの」と言っていい。
    中島敦がスピノザを読んでいたことを考えると「コナトゥス」と解釈してもいいのではないか。
    最後の抵抗のようなもの、喘息で朦朧とする意識に対する最後の砦のようなものではないか。
    7 Jun 2016

    清水高志
    コナトゥスとか、物理の概念も微積も、そういう風に「隙間を埋めていく」ものとして理解できるし、
    そもそもバロックそのものがそうした意匠だ。
    そんな風に数学の対象が出来ちゃっていいのかという点については、当時はまだまだ議論があったが、
    ライプニッツはその点パイオニアだった。
    24 May 2016

    返信削除
  155. スピノザ『エチカ』2:13n
    http://nam21.sak ura.ne.jp/spinoza/#note2p13n
    …すべての個体は程度の差こそあれ精神を有しているのである。なぜならあらゆる物に
    ついて必然的に神の中に観念があって、その観念は、人間身体の観念と同様に神を原因
    とするのであり、したがって我々が人間身体の観念について述べたことはあらゆる物の
    観念についても必然的に言われうるからである。しかし私は同時に次のことも否定しえ
    ない。すなわちもろもろの観念はその対象自身と同様に相互に異なっているということ、
    そしてある観念の対象が他の観念の対象よりもより優秀でより多くの実在性を含むにつ
    れてその観念も他の観念よりもより優秀でより多くの実在性を含むということである。

    返信削除
  156. 違反を報告
    5つ星のうち5.0岩波文庫『エチカ』正誤表:
    投稿者yojiseki2011年6月22日
    形式: 文庫|Amazonで購入
    岩波文庫『エチカ』(2004年版)正誤表:

    上144頁9行目  系二→備考二
    (第二部定理42記述内)

    上177頁 8行目 第一部定理二四→三四
    (第三部定理6記述内)

    下105頁16行目 第四部定理二一→一一
    (第五部定理5記述内)

    (註)
    下144頁13行目 詩編六四の一一→詩編六四の二
    (第四部定理五〇備考に関する註二四)

    追記:
    2011年の新版は一番上だけ直っていた(再追記:2015年刊行の電子書籍版も同様)。
    ルビに小文字が採用されているので新版はやはり読みやすい。

    ちなみに2015年刊行の岩波文庫電子書籍版(kindle,iBooks)は、邦訳註にワンクリックで飛び、戻れるのが便利だが、検索を考えると河出書房新社版や中公クラシックス版のように上下巻を一冊にして欲しかった。

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  157. スピノザ『エチカ』第三部
     定理三八 ある人がその愛するものを憎み始めてついに愛がまったく消滅するに至る場合、
    彼は、それを全然愛していなかった場合よりも~~もしその憎む原因が両方の場合相等しい
    としたら~~より大なる憎しみに捉われるであろう。そしてこの憎しみは以前の愛がより大で
    あったに従ってそれだけ大であるであろう。

    …言いかえれば、憎しみの原因であった悲しみのほかに、なお他の悲しみが、そのものを愛した
    ことから生ずるのである。したがって彼はそのものを愛さなかった場合に比べ、より大なる
    悲しみの感情をもって愛するものを観想するであろう。言いかえればより大なる憎しみに捉わ
    れるであろう。そしてこの憎しみは以前の愛がより大であったに従ってそれだけ大であるで
    あろう。Q・E・D・
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note3p38

    返信削除
  158. 関本洋司
    @yojisekimoto
    ·
    2011年2月4日
    「スピノザの方法 」では、定義が起成原因たり得る条件が、対デカルト、知性改善論、エチカ第一部の中に丁寧に探究される。唯一残念なのは柄谷が探究2で指摘した無限と無際限の区別が明確でないことだ。ネグリよりもスピノザの可能性を捉えてはいるが、本書はデカルトというよりもカント的である。

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  159. ドゥルーズが実践の哲学で引用


    芸術家や学者あるいは哲学者はレンズを磨くことに一生懸命だ。彼らは将来決して起こらない出来事のために一生懸命準備をしているようなものだ。もしもある日こうして磨かれたレンズが完成すれば、僕たちは皆驚くばかりの素晴らしい美しさのこの世界を見ることだろうよ。
    https://ameblo.jp/atelier-myriad-happiness/entry-11903582379.html

    ヘンリー・ミラー

    https://books.google.co.jp/books?id=tYiEtOWlXKEC&pg=PA14&dq=henry+miller+spinoza&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwiojLDbmo7aAhVDXrwKHQFBA1AQ6AEIJDAA#v=onepage&q=henry%20miller%20spinoza&f=false

    You see, to me it seems as though the artists, the scientists, the philosophers were grinding lenses. It's all a grand preparation for something that never comes off. Someday the lens is going to be perfect and then we're all going to see clearly, see what a staggering, wonderful, beautiful world it is...

    Henry Miller, quoted from Gilles Deleuze: Spinoza. Practical Philosophy (1970)



    Henry Miller, Sexus.


    セクサス―薔薇色の十字架刑1

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  160. スピノザの学説に関する書簡
    Friedrich Heinrich Jacobi (原著), F.H. ヤコービ (著), 田中 光 (翻訳)
    出版社: 知泉書館 (2018/4/15)

    本書は1785年に刊行され、ヘーゲルなどに大きな影響を与え、
    カント、ゲーテをはじめドイツ思想界を巻き込んだ「汎神論論争(スピノザ論争)」発端の書である。
    巻末には訳者によるヤコービの紹介と年譜、『スピノザ書簡』各版の異同情報を付す。

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  161. http://www.chisen.co.jp/book/b351639.html
    スピノザの学説に関する書簡

    凡例
    日本語版への序言(ビルギッド・ザントカウレン)

     第 I 部 スピノザの学説に関する書簡

    第三版序文

    スピノザの学説に関するモーゼス・メンデルスゾーン氏宛の書簡
     献呈の詞
     第一版への序文
     第二版への序文

    人間の拘束性と自由についての予備的命題
     第一章 人間は自由ではない
     第二章 人間は自由である

    スピノザの学説に関して
     一 エリーゼ・ライマールスとヤコービの書簡
     二 レッシングとヤコービ
     三 メンデルスゾーンとヤコービ
     四 メンデルスゾーンの異論
     五 スピノザの学説の第一の叙述
     六 スピノザの学説の第二の叙述
     七 スピノザ主義に関する六つの命題

     第 II 部 スピノザの学説に関する書簡へのもろもろの付録

    第一付録 ノラのジルダーノ・ブルーノからの抜粋――『原因・原理・一者について』
    第二付録 無神論について――ディオクレスからディオティーマへ
    第三付録 「別の世界の事物」――ハーマンの言葉
    第四付録 ヘルダーの「神」について
    第五付録 ヘルダーのスピノザ主義への批判
    第六付録 スピノザとライプニッツ
    第七付録 思弁哲学の歴史――スピノザ主義の成立
    第八付録 キケロ『義務について』

    『スピノザ書簡』第三版と第一版・第二版との異同について

    ヤコービの生涯と著作(田中 光)
     一 生い立ちとジュネーヴ留学
     二 留学からの帰国と結婚
     三 『ドイツ・メルクール』誌とゲーテとの出会い
     四 八〇年のレッシングとの対話
     五 『スピノザ書簡』出版
     六 革命を逃れて
     七 北からミュンヘンへ

    訳者あとがき
    文献表
    ヤコービ年譜
    索引


    本書は1785年に刊行され,ヘーゲルなどに大きな影響を与え,カント,ゲーテをはじめドイツ思想界を巻き込んだ「汎神論論争(スピノザ論争)」発端の書である。

    ヤコービ(1743-1819)との対話において,レッシング(1729-81)が〈一にして全〉を支持したことにより,「スピノザ主義者」であることを告白した。汎神論的立場を表すスピノザ主義を標榜することは無神論者と見なされかねなかった。レッシングの死後,ヤコービがメンデルスゾーン(1729-86)に「レッシングはスピノザ主義者だった」と書き送った。それに対しレッシングの友人であったメンデルスゾーンが異論を呈し,「レッシングはスピノザ主義者だったのか?」,さらに「スピノザ主義とは何か?」という問題へ発展していった。本書はこれら一連の書簡と関連する8つの付録からなる。

    フィヒテからシェリングを経てヘーゲルへ,といった従来の「ドイツ観念論」という見方は再検討されており,同時代の他の思想家との関連をも含めて「ドイツ古典哲学」という新たな枠組みが示されつつある。そのような状況のなか,本書はドイツ近世哲学を見直すために必読の文献となろう。

    巻末には訳者によるヤコービの紹介と年譜,『スピノザ書簡』各版の異同情報を付す。

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  162. F.H.ヤコービ 著
    田中 光 訳
    ジャンル 哲学・思想
    出版年月日 2018/04/15
    ISBN 9784862852731
    判型・ページ数 A5・496ページ
    定価 本体7,000円+税
    在庫 在庫あり

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  163. https://www.amazon.co.jp/dp/4862852734/

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  164. https://yojiseki.exblog.jp/12754007/
    「スピノザは神に酔った人間である」(ノヴァーリス)
    「スピノザは神に酔った人間である。[562]( intoxicated with God,”der Gottbetrunkene Mensch)」というノヴァーリスの有名な言葉は、「断章と研究」1799−1800 『ノヴァーリス作品集3』(ちくま文庫342頁)に所収されている。ノヴァーリスはベンヤミンがドイツロマン派の天才と呼んだだけあって、論理的に興味深い点を含む。単なるアンチヘーゲルではない。ベンヤミン的でもある。アウフヘーベンを、天才的(228頁)とも錯覚(242頁)とも解釈し、両義的に捉えているのだ。

    前掲書の一般草稿には「脱自」(エクスターゼ)をスピノザの目的(神への知的愛)と結びつける記述があり興味深い(291頁)。ハイデガーはカント的立場からこれらを無視したが、基本的には(ヘルダーリン経由だが)近い位置にいる。
    その他、以下の様な記述もある。

    「スピノザ主義ー流出論の体系」(278頁)

    「快楽的な知(あらゆる神秘主義の根底にあるもの)というスピノザの観念は、最高に興味深いものである。」(282頁)

    Cf. Fragmente und Studien 1799/1800 in which Novalis famously remarks, "Spinoza
    is a God-intoxicated man" (HKA III, no. 562, p. 651).

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  165. たしかに、すべて高貴なものは稀であるとともに困難である。  
    スピノザ エチカ5:42
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note5p42

    理性的なものは現実的なものであり、現実的なものは理性的である
    ヘーゲル法哲学序論
    http://libcom.org/files/Philosophy_of_Right_0.pdf p.18 en

    世界の中に奇跡があるのではない。この世界があることが奇跡だ
    ヴィトゲンシュタイン論理哲学論考6.44
    http://tractatus-online.appspot.com/Tractatus/jp/4.html

    現実はいつも稀有なものなのです
    カトリーエイル・レイトン

    第2弾「レイトン ミステリー探偵社」PV
    https://youtu.be/NE_DzSPNUP4?t=1m

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  166.   スピノザ   https://lavender.2ch.net/test/read.cgi/philo/1430362778/ https://itun.es/i6Dm5F9 #2tch

    第1部
    公理三 与えられた一定の原因から必然的にある結果が生ずる。これに反して
    なんら一定の原因が与えられなければ結果の生ずることは不可能である。

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  167. http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note1f

    導かれるようなふうに創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとするほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでのすべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ包括的なものであったからである、と。
    スピノザ『エチカ』
    今も言ったように、これを反駁することは容易である。なぜなら、物の完全性は単に物の本性ならびに能力によってのみ評価されるべきであり、したがって物は人間の感覚を喜ばせ、あるいは悩ますからといって、また人間の本性に適合しあるいはそれと反撥するからといって、そのゆえに完全性の度を増減しはしないからである。

    さらになぜ神はすべての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふうに創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとするほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでのすべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ包括的なものであったからである、と。
     これが私のここで述べようと思った諸偏見である。もしこうした偏見の粉末がいくらかまだ残っているとしても、誰でも少しく考察すれば、その誤りを正しうるであろう〈ゆえに私はこうした事柄にこれ以上留まっている理由はない、云々〉。

                                         第一部 終り

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  168. エチカ1付録
    今も言ったように、これを反駁することは容易である。なぜなら、物の完全性は単に物の本性ならびに能力によってのみ評価されるべきであり、したがって物は人間の感覚を喜ばせ、あるいは悩ますからといって、また人間の本性に適合しあるいはそれと反撥するからといって、そのゆえに完全性の度を増減しはしないからである。さらに

    なぜ神はすべての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふうに創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとするほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでのすべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ包括的なものであったからである、と。
     これが私のここで述べようと思った諸偏見である。もしこうした偏見の粉末がいくらかまだ残っているとしても、誰でも少しく考察すれば、その誤りを正しうるであろう〈ゆえに私はこうした事柄にこれ以上留まっている理由はない、云々〉。

                                         第一部 終り




    第三十九章
    昔之得一者。天得一以清、地得一以寧、神得一以靈、谷得一以盈、萬物得一以生、侯王得一以爲天下貞。其致之、一也。天無以清將恐裂。地無以寧將恐廢。神無以靈將恐歇。谷無以盈將恐竭。萬物無以生將恐滅。侯王無以貴?將恐蹷。故貴以賤爲本、?必以下爲基。是以侯王自謂孤寡不轂。此非以賤爲本耶。非乎。故致數譽無譽。不欲琭琭如玉、落落如石。

    昔(はじめ)の一を得たるもの。天は一を得てもって清く、地は一を得てもって寧(やす)く、神は一を得てもって霊に、谷は一を得てもって盈(み)ち、万物は一を得てもって生じ、侯王(こうおう)は一を得てもって天下の貞(てい)たり。そのこれを致すは、一なればなり。天もって清きことなければはた恐らくは裂(さ)けん。地もって寧(やす)きことなければはた恐らくは発(ひら)かん。神もって霊なることなければはた恐らくは歇(や)まん。谷もって盈つることなければはた恐らくは竭(つ)きん。万物もって生ずることなければはた恐らくは滅びん。侯王もって貴高(きこう)なることなければはた恐らくは蹶(たお)れん。故に貴は賤をもって本となし、高はかならず下をもって基となす。ここをもって侯王は自ら孤・寡・不穀(ふこく)と謂う。これ賤をもって本となすにあらずや。あらざるか。故に誉(よ)を数うるを致せば誉(ほまれ)なし。琭琭(ろくろく)として玉のごとく、落落(らくらく)として石のごときを欲せず。

    昔、「一」を得たものがいた。 「一」を得て、天は清らかに、 「一」を得て、地は穏やかになった。 「一」を得て、神は霊的になった。 「一」を得て、海は充満している。 「一」を得て、万物は生きかえった。 「一」を得て、統治者は天下の模範となった。 これらすべては、「一」によってこうなったのである。 清らかでなければ、天は裂かれるだろうし、 穏やかでなければ、地は揺れるだろう。 霊的でなければ、神は砕けてしまい、 充満してなければ、海は干上がってしまうだろう。 生きかえることがなければ、万物は消滅するだろうし、 天下の模範でなければ、統治者はつまずいてしまうだろう。 だから、価値なきものは価値あるものの基礎として役立ち、 劣っているものは優れているものの基礎として役立つ。 このように、統治者は自らを長所のない、 価値のない、孤立した者を呼ぶのである。 これは価値なきものが価値あるものの基礎として役立つことを証明しているのではないだろうか。 だから、最高の名誉はほめられないことである。 統治者は優美な翡翠のようの尊ばれることを望まない。 彼らは平たくて堅い岩石のようである。

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  169. 第2部
    定理49備考
    …三角形の本質からその三つの角の和が二直角に等しいことが生ずるのと同一の必然性をもって、
    一切のことは神の永遠なる決定から生ずるからである。

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  170.  1:25「神は(略)物の本質の起成原因でもある。」
     1:29注解「われわれは能産的自然を、それ自身において存在しそれ自身によって考えられるもの、(略)と理解しなければならない。(略)これに反して所産的自然とは神の諸属性のすべての様態のことである。」

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  171. 左が身体、右が精神
    スピノザの哲学はこうした対義語を有機的に構成するためのレッスン


    スピノザ『エチカ』
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定)\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳./
                   \/
                  5自由

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  172. 左が身体、右が精神
    スピノザの哲学はこうした対義語を有機的に構成するためのレッスン


    スピノザ『エチカ』
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定)\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳./
                   \/
                  5自由

    ダビデの星ではなくバラの花だと思ってほしいcaute!

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  173. 左に身体、右に精神
    スピノザの哲学はこうした対義語を有機的に構成するためのレッスン


    スピノザ『エチカ』
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                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定)\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
                 \    /
                  \_徳./
                   \/
                  5自由

    ダビデの星ではなくバラの花だと思ってほしいcaute!

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  174. 左が身体、右が精神
    スピノザの哲学はこうした対義語を有機的に構成するためのレッスン


    スピノザ『エチカ』
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/caute.jpg

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  175. 左に身体、右に精神
    スピノザの哲学はこうした対義語を有機的に構成するためのレッスン


    スピノザ『エチカ』
    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/

                  1実体
                   /\
                  /無限\
                 /_無限定)\
        ________/_2a属性__\________
        \知 抑制  / 小←/\→大 完全性  至福/
         \   悪/___2b様態\____\善   /  
          \受動/\悲しみ_/\_喜び /\能動/
           \/ 憎しみ \努力/ 愛/  \/
           /\対象/ /_\/_\ \認識/\
         所産的自然/物体__欲望__観念\/  \  
         /  延長\ 身体3感情/精神 /思惟  \能産的
       神/______\___\/_第三種認識____\自然
                \ 4理性  /   
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                  5自由

    ダビデの星ではなくバラの花だと思ってほしいcaute!
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  176. アリストテレスが紹介したタレスの儲け話のエピソードもスピノザ書簡で紹介されている
    44?

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  177. 古代ローマ哲学を、デカルト風に書いたのがスピノザ

    古代インド哲学を、カント風に書いたのがショーペンハウアー

    肉体的快楽を全否定せずにいかに凡庸な快楽主義から脱するか?

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  178. スピノザ哲学の要点は

    デカルトが

    精神
    身体


    確立させたヒエラルキーを


    身体ー精神

    並行に捉えたということ


    これはデカルト哲学の根本的な読み直しでかつ
    デカルトへの最大評価でもある

    歴史的な第一歩で
    人類にとって不可逆的な進歩なのだ

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  179.  私はスピノザ哲学を講じる際 、学生に向けて 、よくこんなたとえ話をします 。
     ─ ─たくさんの哲学者がいて 、たくさんの哲学がある 。それらをそれぞれ 、スマホやパソコンのアプリ (アプリケ ーション )として考えることができる 。ある哲学を勉強して理解すれば 、すなわち 、そのアプリをあなたたちの頭の中に入れれば 、それが動いていろいろなことを教えてくれる 。ところが 、スピノザ哲学の場合はうまくそうならない 。なぜかというと 、スピノザの場合 、 O S (オペレ ーション ・システム )が違うからだ 。頭の中でスピノザ哲学を作動させるためには 、思考の O S自体を入れ替えなければならない … … 。

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  180. 上野無神論肯定

    そして 、ある日おかみさんから 、いまの自分の宗教で幸福になれるだろうかと尋ねられて 、こう答えたという 。

    あなたの宗教は立派です 。あなたは静かに信心深い生活に専念なさりさえすれば 、幸福になるために何も他の宗教を求めるには及びません 。 (リュカス 、コレルス 『スピノザの生涯と精神 』 )

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  181. 特集 *現代思想の総展望 2 0 2 0

    エバとアダムの完全化性的 (不 )平等をめぐるスピノザの見解
    ハザナ ・シャ ープ /山口尚訳

    女性が劣っているのは自然なことなので 、政治の職務から女性を排除すべきだ ― ―スピノザの最晩年の文章に 、こうした排除を正当化する言葉があることはよく知られている 。未完の著書 『国家論 』の現存する最後のパラグラフは次のように言う 。 「反論の余地なく主張できることは 、女性が男性と等しい権利を有さないのは自然だ 、そして女性が男性に道を譲らねばならないのは必然だということである 」 ( 1 ) 。スピノザが性的不平等を擁護していることは意外であるが 、それでも事実として疑うことはできない 。彼の考えによれば女性の劣位性は 、社会が適切に組織されていないことの結果ではなく 、女性の生まれつきの克服不能な弱さの結果である 。大衆の愚かさについてスピノザはそれを 〈知性の行使を妨げられていることの結果 〉と説明するが ( 2 ) 、彼は 、女性についてはそんなこと

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  182. :
       Think globally,      
         /◣
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        act locally

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  183. 45 :考える名無しさん:2011/03/25(金) 12:17:18.84 P

       Think globally,      
         /?
    ____/_??______
    ????_/?_\Joy    
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     /\/_??????
    Nature__???? 
        ?? /
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        act locally

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  184. from:TiikituukaHana since:2011-03-01 until:2011-04-01

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  185. :
       Think globally,      
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         ◥/
        act locally


    https://nam-students.blogspot.com/2011/02/blog-post_7335.html

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  186.  以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より
    Kindle: http://www.amazon.co.jp/dp/B00PRK11PG
    iBooks : https://itunes.apple.com/jp/book/shen-xue-zheng-zhi-lun-shang/id942883345?mt=11

    《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう
    義務付けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に
    見出せる。》(上巻第五章)

    以下、上野修『「無神論者」は宗教を肯定できるか』#4より

    スピノザは自分は教会には行かなかったけれども、下宿のおかみさん家族には
    毎週説教を聞くようにすすめていたらしい。そして、ある日おかみさんから、
    いまの自分の宗教で幸福になれるだろうかと尋ねられて、こう答えたという。

    「あなたの宗教は立派です。あなたは静かに信心深い生活に専念なさりさえすれば、
    幸福になるために何も他の宗教を求めるには及びません。」
    (リュカス、コレルス『スピノザの生涯と精神』)

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  187. 654 考える名無しさん[] 2021/01/19(火) 02:33:34.57 ID:0
    以下、スピノザ『神学・政治論』 (光文社古典新訳文庫) より

    《…キリスト教が禁じられている国に暮らす人は、こうした儀礼を行わないよう
    義務付けられる。それでも彼らは幸福に生きられるのだ。この例は日本という王国に
    見出せる。》(上巻第五章)

    以下、上野修『「無神論者」は宗教を肯定できるか』#4より

    《スピノザは自分は教会には行かなかったけれども、下宿のおかみさん家族には
    毎週説教を聞くようにすすめていたらしい。そして、ある日おかみさんから、
    いまの自分の宗教で幸福になれるだろうかと尋ねられて、こう答えたという。

    「あなたの宗教は立派です。あなたは静かに信心深い生活に専念なさりさえすれば、
    幸福になるために何も他の宗教を求めるには及びません。」
    (リュカス、コレルス『スピノザの生涯と精神』)》

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  188. 悲観することも楽観することもできない。
    ただ祈るだけだ。
    我々は身体について知らない

    《身体が何をなしうるかをこれまでまだ誰も規定しなかった…身体が何をなしうるかまた身体の本性の単なる考察だけから何が導き出されうるかを全然知らない…》
    スピノザ

    エチカ3定理2備考

    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note3p2

    これというのも、身体が何をなしうるかをこれまでまだ誰も規定しなかったからである。言いかえれば、身体が、単に物体的と見られる限りにおける自然の法則のみによって何をなしうるか、また精神から決定されなくては何をなしえないかを、これまで誰も経験によって確定しなかったからである。

    身体が何をなしうるかまた身体の本性の単なる考察だけから何が導き出されうるかを全然知らない

    返信削除
  189. 悲観することも楽観することもできない。
    ただ祈るだけだ。
    我々は身体について知らない

    《身体が何をなしうるかをこれまでまだ誰も規定しなかった…

    実際、今日まで、誰も身体の機能のすべてを説明しうるほど正確には身体の組織を知らなかった。

    身体が何をなしうるかまた身体の本性の単なる考察だけから何が導き出されうるかを全然知らない…》
    スピノザ

    エチカ3定理2備考

    http://nam21.sakura.ne.jp/spinoza/#note3p2

    これというのも、身体が何をなしうるかをこれまでまだ誰も規定しなかったからである。言いかえれば、身体が、単に物体的と見られる限りにおける自然の法則のみによって何をなしうるか、また精神から決定されなくては何をなしえないかを、これまで誰も経験によって確定しなかったからである。

    身体が何をなしうるかまた身体の本性の単なる考察だけから何が導き出されうるかを全然知らない

    実際、今日まで、誰も身体の機能のすべてを説明しうるほど正確には身体の組織を知らなかった。

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  190. モーム『人間の絆』(Of Human Bondage)1915は、スピノザの「エチカ」の第4部「人間の隷属について」からとられたそうだ。スピノザ原語(ラテン語)は De Servitute Humana。
    しがらみ、というのはいい訳語かと。

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  191. エチカ第一部付録末尾
…さらになぜ神はすべての人間を理性の導きのみによって導かれるようなふう
に創造しなかったかと問う人々にたいしては、次のことをもって答えとする
ほかはない。すなわち神には完全性の最高程度から最低程度にいたるまでの
すべてのものを創造する資料が欠けていなかったからである、あるいは(もっと
本源的な言いかたをすれば)、神の本性の諸法則は、定理一六で示したように、
ある無限の知性によって概念されうるすべてのものを産出するに足るだけ
包括的なものであったからである、と。…

      スピノザ   [転載禁止]©2ch.net
    https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1430362778/




    765 考える名無しさん[] 2022/02/17(木) 11:19:36.99 ID:0
    みなさんカズさんの新著『スピノザ』を読むのです。いい本です。
    まあ、最後の最後で祈ってしまうところなど、カズさんが必ずしも
    スピノジストでないことを意味するのかもしれないけれど、
    それはともかく、エティカの最後のtam difficilia quam raraは、
    やはりカズさんの言うように(p.324)「滅多に見かけないが、
    それくらいむずかしい」ってことなんでしょうね。
    ちなみにスピノザはここで、キケロの友情論にある、名高い、
    omnia praeclara raraを踏まえているみたいですね。
    ただ、この文の冒頭のSedは、Butではなく(Curleyはそうしているけれど)
    Indeedってことじゃないかな? フランス語ならMaisで間に合うけどね。
    畠中さんの「たしかに」なんかの方がいいんじゃないか。
    「実に、(キケロの言ったとおり)何であれ価値あるものは世に希だが、
    それはそのくらい達成困難だということなのである」

    768 考える名無しさん[sage] 2022/02/18(金) 18:15:38.34 ID:0
    >この文の冒頭のSedは、Butではなく(Curleyはそうしているけれど)
    Indeedってことじゃないかな? フランス語ならMaisで間に合うけどね。<

    英語の"But"そのものがフランス語の《Mais》と同様に、「それにしても~」
    という意味合いで感慨を表現するように用いられるから、そのように
    解釈すると"But"と"Indeed"も互換的になって、結局は、どのように
    読み取るかという問題になるのでわ。私は、ラテン語は読めないし、
    原文を見たり、訳文を比べて見たりしたわけではないので、よく知らないけど。

    769 考える名無しさん[] 2022/02/18(金) 21:25:01.33 ID:0
    ↑ 大阪弁なんかの「しかし」についてもそれは言えるけど、
    でもエティカの最後の sed が「しかし」でよいかは別問題かな。

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  192. 777 考える名無しさん[] 2022/02/22(火) 13:22:05.67 ID:0
    >>776
    昨日の岩波書店のTwitter

    今日はオランダの哲学者スピノザの命日(1677年)。アカデミズムの傍流にありながら、ヨーロッパ思想史のなかで常に重要な位置を占めてきました。9月には、小社より「スピノザ全集」(全6巻・別巻1)を刊行予定です。どうぞご期待ください。

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  193. モーム『人間のしがらみ(人間の隷属、人間の絆) Of Human Bondage』は、
    スピノザの「エチカ (倫理学)」の4部目のタイトル(Of Human Bondage、
    De Servitute Humana)からとっている。

    以下、モーム『サミング・アップ』からの抜粋

    《ダンテ、ティツィアーノ、シェイクスピア、スピノザといった過去の偉人に
    敬意を表すよい方法は、尊敬することではではなく、彼らが同時代人であるか
    のように親しみの態度で接することである。》

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  194. https://ja.wikipedia.org>wiki>サマセット・モーム
    サマセット・モーム - Wikipedia

    サマセット・モーム - Wikipediaの画像
    ウィリアム・サマセット・モーム(William Somerset Maugham、1874年1月25日 - 1965年12月16日)は、イギリスの小説家、劇作家。

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  195. 人間の絆 新潮文庫上
     フィリップがパリで得た最高のものは、精神の完全な自由だ。やっと自分は完璧に自由だと感じることができた。それまでも気が向くまま多くの哲学書を読んできたが、これから好きなように使える数ヶ月が楽しみだった。そして手当たり次第に読み始めた。新しい考えに触れるたびに、かすかに気持ちが揺れて興奮した。ひとつひとつの体系に、自分を律することのできる指針をみつけられればと思った。まるで旅人になって知らない国々を旅行しているような気分で、進めば進むほど、その困難な旅に魅了された。感情にまかせて読んでいった。ほかの人が文学を読むように。そして自分がぼんやり感じていたことを見事に表現している言葉に出会うと心が震えた。もともと具体的な思考をするほうだったので、抽象的な話になるとなかなか前に進めなかった。しかし理解できなくても、曲がりくねった難解な思想──理解不能な領域の周辺を巧みに縫うように進む思想──を読むときには知的な喜びを感じた。偉大な哲学者から何も得られないこともあれば、取るに足りない哲学者の作品を読んで心から打ち解けることもある。まるで中央アフリカの探検家のようだ。突然、高台の上に出てくると、そこには広大な森林と草原が広がっていて、ふとイギリスの公園を思い出したりする。トマス・ホッブズの頑健なコモンセンスは楽しかった。スピノザには畏敬を感じた。これほど気高く、近づきがたく、厳しい精神にはそれまで出会ったことがなかったのだ。ロダンの「青銅時代」を思わせる。これはフィリップの大好きな彫刻だった。それからヒューム。この魅力的な哲学者の懐疑主義には深く共鳴するところがあった。明晰な語り口で、複雑な考えをシンプルな言葉で、音楽的に的確に表現してくれた。フィリップは小説を読むように彼の作品を読みながら、楽しくて口元に笑みが浮かぶのだった。しかし、これこそ自分の求めていたものだと確信させてくれる作品には出会えなかった。どこかでこんな言葉を読んだことがある。すべての人間は、プラトン派、アリストテレス派、ストア学派、エピクロス派のどれかに生まれついている。また、ジョージ・ヘンリー・ルイス〔一九世紀英国の批評家〕の人生は(哲学などすべて戯言にすぎないといっているうえに)、哲学者の考えはすべて本人その人と不可分だということを証明している。それさえわかれば、その哲学者の書いたものはかなりの部分が類推できる。いってみれば、人はそう考えるからそう行動するのではなく、そうできているから、そう考える、ということだ。真理など関係がない。というか、真理など存在しない。人間はひとりひとりが自分の哲学者なのであって、過去の偉大な哲学者が作った複雑な考えは、それを考えだした人にしか意味がない。

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  196. 人間の絆 新潮文庫上
    53

     フィリップがパリで得た最高のものは、精神の完全な自由だ。やっと自分は完璧に自由だと感じることができた。それまでも気が向くまま多くの哲学書を読んできたが、これから好きなように使える数ヶ月が楽しみだった。そして手当たり次第に読み始めた。新しい考えに触れるたびに、かすかに気持ちが揺れて興奮した。ひとつひとつの体系に、自分を律することのできる指針をみつけられればと思った。まるで旅人になって知らない国々を旅行しているような気分で、進めば進むほど、その困難な旅に魅了された。感情にまかせて読んでいった。ほかの人が文学を読むように。そして自分がぼんやり感じていたことを見事に表現している言葉に出会うと心が震えた。もともと具体的な思考をするほうだったので、抽象的な話になるとなかなか前に進めなかった。しかし理解できなくても、曲がりくねった難解な思想──理解不能な領域の周辺を巧みに縫うように進む思想──を読むときには知的な喜びを感じた。偉大な哲学者から何も得られないこともあれば、取るに足りない哲学者の作品を読んで心から打ち解けることもある。まるで中央アフリカの探検家のようだ。突然、高台の上に出てくると、そこには広大な森林と草原が広がっていて、ふとイギリスの公園を思い出したりする。トマス・ホッブズの頑健なコモンセンスは楽しかった。スピノザには畏敬を感じた。これほど気高く、近づきがたく、厳しい精神にはそれまで出会ったことがなかったのだ。ロダンの「青銅時代」を思わせる。これはフィリップの大好きな彫刻だった。それからヒューム。この魅力的な哲学者の懐疑主義には深く共鳴するところがあった。明晰な語り口で、複雑な考えをシンプルな言葉で、音楽的に的確に表現してくれた。フィリップは小説を読むように彼の作品を読みながら、楽しくて口元に笑みが浮かぶのだった。しかし、これこそ自分の求めていたものだと確信させてくれる作品には出会えなかった。どこかでこんな言葉を読んだことがある。すべての人間は、プラトン派、アリストテレス派、ストア学派、エピクロス派のどれかに生まれついている。また、ジョージ・ヘンリー・ルイス〔一九世紀英国の批評家〕の人生は(哲学などすべて戯言にすぎないといっているうえに)、哲学者の考えはすべて本人その人と不可分だということを証明している。それさえわかれば、その哲学者の書いたものはかなりの部分が類推できる。いってみれば、人はそう考えるからそう行動するのではなく、そうできているから、そう考える、ということだ。真理など関係がない。というか、真理など存在しない。人間はひとりひとりが自分の哲学者なのであって、過去の偉大な哲学者が作った複雑な考えは、それを考えだした人にしか意味がない。

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  197. スピノザをめぐって : モームとアーノルド、そしてエリオット著者中井 晨雑誌名同志社大学英語英文学研究号56ページ134-167発行年1992-03権利同志社大学人文学会URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000001701

    『エチカ』によれば, “人間の絆” とは人間を拘束する “情念” にほかならない。 しかし, 『エチカ』はそれで終るのではない。 第4部で“情念” に拘束された人間の隷属状態を分析したあと, スピノザは、つづく最終の第5部に,情念を克服し解放される方法を, 知性に求めるのだ。 その標題は,ホワイトとスターリングの訳では “OF THE POWER OF THE INTEL.
    LECT, OR OF HUMAN LIBERTY.” ここで,その “知性”は最終的に“神への知的な愛” とされる。 人間の知性と神と愛のかかわり,『エチカ』 の幾何学的証明が到達するこの地平は、情念の彼方に “大きな山嶺を仰ぎ見る”感があっただろう。 ただし, "絶対" なるものと “神” を同一視することを拒否するモームにとって, スピノザの成果は綱渡り的論証の繁張を与えるにとどまり、“ペルシャ絨毯” の謎を解明するフィリップの方法へ転化されたと想像できる。

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  198. 下付録

    わたしはプロの作家になってから長いこと、小説作法を身につけようと、じつに退屈な訓練をした。それは文体を磨くためだった。しかし自分の脚本が上演されるようになると、そういう努力を放棄した。そしてふたたび小説を書き始めたときは、別のことに注意して書くようになった。それまでは美しく含蓄のある文体を求めて無駄な努力を続けたのだが、それとは対照的に、平易でシンプルな文体を目指すようになったのだ。自分の表現したいことを一定の長さにまとめるには、無駄を省き、最小限の言葉を使って、伝えたいことを明確に伝えるべきだ。文章を飾る必要はない。演劇界での経験で学んだことは、簡潔に表現することの大切さだった。こうして二年間、ひたすら書いた。タイトルをどうするかではずいぶん思い悩んだが、『灰から生まれた美』というタイトルを思いついた。これは「イザヤ書」の言葉で、この作品にぴったりだと思った。ところが、ちょうどその頃、このタイトルの本が出版されたことがわかり、ほかのタイトルをさがさなくてはならなくなった。そこで最終的に、スピノザの『エチカ』からタイトルをもらって、『人間の絆』とした。ここでもまた、最初に思いついたタイトルをつけられなかったのは運がよかったと思う。

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