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水曜日, 12月 04, 2013

発起人代表の浅田彰さんの声明文です。:表現人の会(特定秘密保護法案に反対 する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会)

                      (法論リンク::::::::::) 

発起人代表の浅田彰さんの声明文です。:表現人の会(特定秘密保護法案に反対 する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会)


参考:
We'll Meet Again 202004024

マーシャルプラン関連


https://www.facebook.com/antisecrecy/posts/604980372901141
[2013年12月5日の記事]

表現人の会(特定秘密保護法案に反対する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会)

    発起人代表の浅田彰さんの声明文です。

    浅田彰(京都造形芸術大学教授)

    特定秘密保護法案に反対する

    特定秘密保護法案が問題だらけで、ただちに廃案にすべきものであることは、多くの専門家が指摘し、より多くの国民が感じている通りです。

    ここではこの問題を世界的な視野で考えてみましょう。

    2013年の最大のニュースのひとつはスノーデン事件でした。
    アメリカ国家安全保障局(NSA)の契約社員だったエドワード・スノーデンは、NSAをはじめとするアメリカの諜報機関がインターネットなどでのコミュニケーションを世界的規模で傍受していたこと――秘密を秘密裡に盗聴していたことを曝露した。
    世界的規模で自由な情報交換を可能にするインターネットが、同時に世界的規模での超監視社会を招来しうる、いや現にそうなりつつあるということを、具体的な形で明らかにしたのです。

    この問題に対する日本の反応は異様に鈍いものでしたが、世界の多くの国々は敏感に反応しました。
    ナチスや旧社会主義の体制下で秘密警察による盗聴に苦しんだドイツが、強い拒否反応を示したのは、その好例です。
    2013年というのは、世界の人々が世界的な秘密盗聴・監視社会の問題を強く意識し、それに対する反対の声を上げ始めた年だと言っていいでしょう(もちろんこの問題は以前から論じられていたとはいえ)。

    そのような時に、「政府が秘密指定する情報を漏らした者は官民を問わず厳罰に処すが、何を秘密指定するかは秘密だ」というカフカ的不条理を帯びた法案が国会で強行採決されようとしている。悪い冗談としか思えません。
    ついでに言えば、この法案は、日本政府が同様な秘密保護体制をもつ国(さしずめアメリカ)の政府に情報を流す――つまり世界的な盗聴・監視のお先棒を担ぐことを可能にするものでもあります(こうした規定がなかったので、民主党政権はアメリカからの情報提供要請に応じなかったことがありますが、この法案ができればそういう情報提供を秘密裡に行なうことも合法化されるのです)。

    こうした観点からみても、特定秘密保護法案がただちに廃案にすべきものであることは明らかです。それを国会で強行採決するなら、安部政権は、右翼的法案の強行採決を連発して国民の総スカンを食い選挙に負けて退陣した前回の安倍政権と同じ道を歩むことになるでしょう。

    (end)

_____
20140222「素直がいちばん」
https://youtu.be/0zh60wTxN2g


 _________________
|        |\       |
| [社会思想] | \ [宗教] |
|        |  \     |
|   国家   | ネーション  |
|   B    | A  \   |
|        | [文化]\  |
|        |      \ |平
|________|_______\|
|        |        |等   
|  [経済学] |        |          
|        |        |       
|   資本   |アソシエーション|          
|   C    | D   X  |          
|        |        |          
|        |        |         
|________|________|
        自 由

文化(宗教) http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/984
社会思想 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/982
経済学 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/983


>part86
>http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/981
ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 eBook 2016/12
https://www.amazon.co.jp/dp/B01NBP7AFZ/

注解:浅田彰インタビュー2016 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 より[削除済み]
http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/2016-4.html

注解:浅田彰インタビュー2016 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 より[原文未使用改訂版]

203 件のコメント:

  1. https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1

    Les rideaux cland ‏@Kren2rideauxUFO
    千葉雅也 浅田彰 逃走論と切断論 おもしろかった けど、、 pic.twitter.com/LmlCpZJh7F


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

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  2. https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1
    千葉雅也 浅田彰 逃走論と切断論 おもしろかった けど、、 pic.twitter.com/LmlCpZJh7F


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

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  3. 「私には、浅田氏は徹底した革命家のように思えます。それは、天上の秩序の変化に伴っ
    て、地上の秩序を適合させていくという易姓革命ではなく、地上の秩序を変容させること
    で、むしろ天を変化させようとする革命です。私の理解では、レーニンと浅田氏は親和性
    がとても高い革命家です。『構造と力』は革命の書なのです。恐らく、浅田氏は、このよ
    うな解釈を忌避するでしょう。しかし、私はそのように読みます。
     その後の浅田氏の軌跡も革命的です。既成のアカデミズムの中心に行くことも、あるい
    は既成のアカデミズムから飛び出して、商業主義的な知の消費市場の中心に行くことも浅
    田氏の能力をもってすれば、容易です。しかし、浅田氏は、アカデミズム、商業主義的な
    論壇のあえて周縁にいるようにつとめています。臨界点にいながら、それを超えてシステ
    ム全体を破壊するような言動や行動は慎重に避けています。知識人としてきわめて禁欲的
    な姿勢です。強靭な思想の力がないとできない選択です。私は、浅田氏の姿勢を見ている
    と、世界の変容を真剣に考えているロシアの修道司祭を想起します。」

    (佐藤優『帝国の時代をどう生きるか』163-4頁より)

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  4. が可能と思います。悪と悪をいくつも掛け合わせることで、勢力均衡を達成し、結果とし ゛“
    て平和を維持するのです。                                 
     思想が生活に埋没していった理由
     さて、話を冒頭、・1983年の「浅田革命」にもどします。
     あの当時は、社会主義体制の神話が機能していました。日本共産党がスターリン主義的
    体質をもっていたことは、そもそもの出自がコミンテルンなのですから、当然のことです。
    日本共産党と対立する労農派マルクス有義を継承する社公有蓋協会も、ソ連に対する忌避
    感情をもった山川均が死去した後は、急速に親ソ的傾向を強めます。1960年代に日本
    共産党とソ連共産党が対立した後は、むしろ社会主義協会がソ連との窓口になりました。
    社会主義協会代表の向坂逸郎は、「財界でもっとも好きな国はドイツ民主共和国(東独)」
    と公言するようになり、親ソ路線を突き速みました。西欧社会民主主義の伝統では、まず
    想像できないような杜氏スターリ丹スムが生まれたのです。
     スターリン主義を批判する新左翼の諸党派(セクト)も、体質はきわめてスターリン主
    義的で、専従(職業革命家)は百僚化していきました。セクトの自己絶対化と官僚化が化
    ??I
    学変化を起こし、官僚の指令によって、敵対するセクトの活動家を文字通り殲滅(殺害)
    する上うな、内ゲバの時代がやってきました。
     その上うな状況で、新旧両左翼が掲げる社会主義革命という「大きな物語」に対して異
    議中し立てをするということは、勇気のいる行動でした。特に浅田彰氏が、京都大学出身
    の知識人であったことは重要です。学生運動に関して、東京と京都の間には時差がありま
    した。1980年代前半も京都では学園紛争の余韻がト分ありました。新左翼運動の中に
    ある思想的怠惰、思考停庄を浅川氏は鋭く衝いたのです。「逃走」ということばを使いな
    がら、浅川氏は闘争を継続していたのだと私は思います。


    「私には、浅田氏は徹底した革命家のように思えます。それは、天上の秩序の変化に伴っ
    て、地上の秩序を適合させていくという易姓革命ではなく、地上の秩序を変容させること
    で、むしろ天を変化させようとする革命です。私の理解では、レーニンと浅田氏は親和性
    がとても高い革命家です。『構造と力』は革命の書なのです。恐らく、浅田氏は、このよ
    うな解釈を忌避するでしょう。しかし、私はその上うに読みます。
     その後の浅田氏の軌跡も革命的です。既成のアカデミズムの中心に行くことも、あるい
    は既成のアカデミズムから飛び出して、商業主義的な知の消費市場の中心に行くことも浅
    田氏の能力をもってすれば、容易です。しかし、浅田氏は、アカデミズム、商業主義的な
    論壇のあえて周縁にいるようにつとめています。臨界点にいながら、それを超えてシステ
    ム全体を破壊するような言動や行動は慎重に避けています。知識人としてきわめて禁欲的
    な姿勢です。強靭な思想の力がないとできない選択です。私は、浅田氏の姿勢を見ている
    と、世界の変容を真剣に考えているロシアの修道司祭を想起します。」

    (佐藤優『帝国の時代をどう生きるか』163-4頁より)


     しかし、浅川氏のこの姿勢は、彼以外の左派こ巾民派陣営の「ポスト・モダン」の論客
    には継承されていないように思えます、ソ連型社会主義体制が崩壊した後、「ポスト・モ
    ダン」には、対抗すべき対象である「大きな物語」がなくなりました。その状況で小さな
    差毀の追求、日常レベルでの常識と思われる行為のなかに隠れ九権力関係の弾劾などに熱
    中し、それが現実と隔絶したアカデミズムの中では仕事として成りをつようになりました.
    そして、思想が生活に埋没していきました。
     知らないことにいい加減なことを言わないのがインテリだ
     1987年から1995年まで、モスクワにいた私は、体感としてバブル経済と「ポス
    ト・モダン」がわからないのです。「ポスト・モダン」の言説は、資本の運動の自由を最
    天眼に担保する宇野氏がいうところの「純粋な資本主義」を言い換えただけに過ぎないよ
    うに思えるのです。例えば、一部の「ポスト・モダン」の論客が行っていた福祉国家批判
    を見てみればそれは明らかです。その結果、現れてきたのは、国家から再分配的機能が削
    がれた剥き出しの暴力を特徴とする国家ではないでしょうか。この状況を抜け出すために、
    私はもう一度、宇野弘蔵に還ることが有意義と思うのです。特に宇野の知識人(インテリ
    ゲンチャ)論を再考する必要があると思います。
     宇野は、〈肌に物ごとに関する知識をちっているというだけでは、インテリゲンチャと
    はいえないと思うし(宇野弘蔵ツ資本論」と私』御茶の水書房、2008年、20頁)といい
    ます。知識人になるためには一万の道があると宇野氏は考えます。
     第一の道は、『資本論』によって切り聞かれた経済学を体得し、自らがいる状況を客観
    的に認識することです。しかし、すべての人が経済学を学ぶ機会や時間をもっているわけ
    ではありません。第一.の道は、その場合、非日常的状況について書いた小説や思想書を読
    むことによって、現下のわれわれの常識を疑うことです。〈(筆者註*読淋によって、)思想
    的には日常生活から吾々のもつ常識的な思想的立場を破られるところに真実を見る眼が開 ’゛
    かれるのであって、それは全くインテリ入門の第フタといってよい。インテリが実際的に 1





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  5. >>198 は『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    <こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立
    〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集
    約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体と
    しての個体が、イマジネールに肯定される。
    ( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の
    総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの
    形而上学に対応する。
    ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、
    ( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。>

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

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  6. https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1
    千葉雅也 浅田彰 逃走論と切断論 おもしろかった けど、、 pic.twitter.com/LmlCpZJh7F


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)


    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 

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  7. <自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。>

    動いけ52頁

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  8. 動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学

    http://www.amazon.co.jp/product-reviews/4309246354

    76 人中、33人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
    5つ星のうち 2.0 竜頭蛇尾。章の順番にも疑問あり。, 2013/11/23
    By
    乳仙人 - レビューをすべて見る
    レビュー対象商品: 動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 (単行本)
    ぼく自身は、ドゥルーズの著作はよく読んでいます。

    『アンチ・オイディプス』『千のプラトー』『意味の論理学』『差異と反復』フーコー』『ニーチェと哲学』『カントの批判哲学』は読了済み。レヴィナス『全体性と無限』も読んでいます。その上での「2回読んだ時点」での感想です。

    序章はすばらしい。東大卒らしく、手早くドゥルーズの考えをまとめ、興味深い問題を提示している。その中でもキーとなるのは、次の一節かな。

    《もっと動けばもっと良くなると、ひとはしばしば思いがちである。ひとは動きすぎになり多くのことに関係しすぎて身動きがとれなくなる。創造的になるには、「すぎない」程に動くのでなければならない。動きすぎの手前に留まること。そのためには、自分が他者から部分的に切り離されてしまうに任せるのである》

    「動きすぎ」「多くのことに関係しすぎ」のことを、著者は「接続過剰」と表現している。
    それに対して、切断すること。切断によって、接続過剰を抑えること。

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  9. 5つ星のうち 5.0 ゼロ年代の若き俊英による斬新なドゥルーズ論!, 2013/10/28
    By
    mountainside - レビューをすべて見る
    レビュー対象商品: 動きすぎてはいけない: ジル・ドゥルーズと生成変化の哲学 (単行本)
    浅田 彰『構造と力』―東 浩紀『存在論的郵便的―ジャック・デリダについて』―千葉雅也『動きすぎてはいけないージル・ドゥルーズと生成変化の哲学』
    この流れは日本の思想界にひとつの画期をなした現代思想論を示しています。著者について、前二者と違う斬新さは、ポップでリズミカルな文体、映像や音楽等の表象文化を積極的に導入した具体的なイメージを重視する傾向に見られると思います。このような傾向は、ドゥルーズにもそのまま当てはまるものです。そして、私が一番感心したのは、ドゥルーズの思想を哲学史の流れに位置づけ、根源的に論じようとする著者のアプローチです。
     著者の分析はドゥルーズ思想の源泉をなすヒュームの経験論から始まります。ヒュームは、経験に基づく「知覚の束」が観念の「連合」として形成されることを説きますが、著者はその連合を「解離」する思想がドゥルーズ思想の源泉にあることを指摘します。この着想はとても斬新で啓発される視点です。従来の解説者はベルクソンのドゥルーズへの思想的影響を重視するあまり、純粋持続や哲学的直観、思想の「流れ」を重視してきました。もちろんそれらの視点は重要ですが、ツリーのように一本の幹に位置づけられる体系的な思想ではなく、リゾームのようにさまざまなものに接続すると同時に無意味に切断して他のものに移行する思想がドゥルーズ思想の戦略であることを指摘する著者の視点はユニーク・斬新です。そして接続・断絶を繰り返す過程のうちに主体は生成変化する。ここがドゥルーズ思想の核心だと著者は主張します。こうした著者の斬新な主張に対して私は全面的に同感しますが、あえて疑問点を二つあげるとすれば、(1)生成変化する主体はどこへ行くのか、そもそも生成変化する主体とは何なのか、目的も終わりもなく生成変化するのみなのか?これは浅田彰の逃走論と同一の思想ではないか。 (2)『差異と反復』を初期のドゥルーズ思想の到達点とすれば、体系化されないものに価値を見出し、否定を媒介にして同一性に究極的価値を見出すヘーゲル哲学=西洋形而上学に対する異議申し立てを「差異」と「反復」の視点から徹底抗戦する反哲学的な戦略、ここにドゥルーズ哲学の価値があるのではないか?―このような疑問が提起されうると思います。著者もドゥルーズに関する著書の引用でしばしば紹介しているアラン・バディウの数学的=集合論的無限からの主体論へのアプローチ、さらにはジャック・ラカンが展開した主体論の徹底批判、こうしたアプローチを今後の著者に期待したいところです。とはいえ、これほど面白く、しかも大胆にドゥルーズを読み込んだ著者の力量に脱帽です。浅田、東以来の思想界の大型新人であることは間違いありません。思想に関心のある若者にお薦めの一冊です。

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  10. pixel

    ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)

    ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書)
    國分 功一郎著
    エディション: 単行本(ソフトカバー)
    価格: ¥ 2,205


    3 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
    5つ星のうち 5.0 ドゥルーズの遭難者を救う救世主的な一冊, 2013/12/4
    レビュー対象商品: ドゥルーズの哲学原理 (岩波現代全書) (単行本(ソフトカバー))
    「ドゥルーズを何度も読んできたけど、いまいち理解が進まない」という人にとっては、本当にわかりやすい一冊。

    ドゥルーズに関連してヒュームの連合説を説明する時でも、凄く丁寧なんだよね。決してはしょらない。
    そして、説明の中に具体性を入れてくれる。

    研究者の説明は、高度な抽象レベルのまま進んでしまって、「なんだかよくわからない」ということが多いけど、本書ではそういうことがない。

    難しい言葉に置き換えている時も、かっこで元の意味を記して、ドゥルーズに遭難しかけている人がついてこられるようにケアーをしてくれたりする。

    たとえば、ドゥルーズの用語で、思考のイメージとか内在平面とか分析平面いうものがある。
    平面?
    なんじゃそりゃって感じだけど、國府氏はこう説明する。

    まず、思考のイメージについて。

    《彼らは哲学者が語ったことしか読まない。そして、哲学者の思考は哲学者の意識のコントロール下にあると考えている。しかし、哲学者の思考は哲学者の意識を超え出ている。
     哲学者の意識を超えるものとしての思考、つまり、語られたこととは別に捉えられうる、語られたこと以上のものを含み、語られたこと以前に位置するものとしての思考――ドゥルーズはそれを一つのイメージとして捉え、「思考のイメージ」と呼んでいる》

    それから、しばらく後で内在平面について、「思考のイメージは、晩年の『哲学とは何か)1991年)では「内在平面」とも呼ばれるようになり」》って書いている。

    ついていけるでしょ?
    さらに分析平面については、

    《「分析平面」は、これ以後は使われなくなる言葉だが、「内在平面」に相当するものと考えて間違いないだろう(おそらく、ここで平面という形象は、哲学史を一本の直線として捉えることを避けるために導入されている)》

    かっこの中がポイントね。「おそらく、ここで」というくだりがあるおかげで「平面」というドゥルーズの言い回しに「ああ、なるほど」ってうなずけちゃうんだよね。

    ドゥルーズを読んだことのある人ならわかると思うけど、自分の知力が足りないと、1頁目でついていけなくなって遭難したりするんだよね。

    そういう経験がある人を、本書は救ってくれる。
    まさに救世主的な一冊だ。

    こういうのが、入門書だよね。
    帯文に入門はついていないけど、千葉雅也のものではなく、これこそが入門書です。

    ただ、救世主といっても、それは「ドゥルーズを齧ったことがある人にとって」という意味。ドゥルーズの遭難者にはわかりやすいし、救世主。

    でも、ドゥルーズを齧ったことがないという人には、たぶん、歯が立たない。そういう人は,小坂修平『はじめて読む現代思想』から始めた方がいいと思う。そしてドゥルーズの著作に齧りついて「ぎゃあ、わからん! 歯が欠けた!」って叫んでから本書に取りかかるといい。

    わかりやすい! って感激することになる。

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  11. 5つ星のうち 5.0

    明晰で誰でもわかる形で書かれた随一の入門書~「何故人々は自ら進んで従属するのか」を追求したドゥルーズ 2013/9/8
    By choe1990

    とにかく重要だが難しいとされるドゥルーズ。その全体像が、誰にでも分かる形で整理された初めての本と言っていいと思います。
    ドゥルーズときたら、『アンチ・オイディプス』の冒頭、いきなり「人間は欲望する諸機械である。ここで言う機械はメタファー(隠喩)ではない」ですからね。「???」「いや、人間は機械じゃないよね…」となります。
    何度も挫折した自分としては感謝の一言です。
    とは言え、本書を読んでそう言わざるを得なかったドゥルーズの立場がやっとわかりました。

    ドゥルーズのすごさは近代を切り拓いた近代哲学の教祖的な存在であるカントによる人間理性を否定したところです。
    ドゥルーズはカントが考えに考えぬいてたどり着いた人間理性を「無人島」の比喩を用いて否定します。
    ドゥルーズはありとあらゆる「想定」「前提条件」を許容せず、全ての発生の源に遡って考えようとします。カントが神をも否定してたどりついた根源としての自らの自我でさえ、前提条件とみなし許容しないのです。
    カントを破却し、イギリス経験論に拠ることにより、構造主義を乗り越えようとしたドゥルーズは、しかし、実践を構想する段階でつまづきます。そこで苦闘の末、宿命的に生み出されたのが、ガタリとの共著です。著者はドゥルーズとドゥルーズ=ガタリは厳然と区別すべきだと言います。

    以後ドゥルーズは、「欲望」概念を追求します。ここで言う欲望はフーコーの権力論への応答として生み出されたものです。
    フーコーは「監獄の誕生」で中世の見世物のような刑罰が、監獄という近代的な刑罰に切り替わった事実に注目して、「君主型権力」が「監視型権力」へと権力の作動方式を変えたことを描き出しました。
    ドゥルーズはフーコーに依拠して権力は実は上から来るのではなく、下から作動するものだとして、それを権力ではなく、「欲望」と規定しました。人々は自ら進んで従属することを「欲望」しているというのです。
    「人々は何故自ら進んで従属するのか」=「欲望」はドゥルーズの終生のテーマとなりましたが、最終的な回答は提示されず彼は世を去りました。

    著者は終始冷静な筆致ですが「何故人々は自ら進んで従属するのか」を引用した箇所で「ここにドゥルーズの全てがある」と一段アツくなっていて著者の思い入れの程が感じられ、嬉しかったです。

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  12. どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」
    を説いているのは千葉の方。
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは
    『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥ
    ルーズ研究者は千葉しかいない。

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  13. スピノザ(國分)vs.ライプニッツ(千葉)

    で代理戦争を希望する。

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  14. どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」
    を説いているのは千葉の方。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは
    『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥ
    ルーズ研究者は千葉しかいない。

    スピノザ(國分)vs.ライプニッツ(千葉)

    で代理戦争を希望する。

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  15. <自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。>
    動いけ52頁



    どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」
    を説いているのは千葉の方。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは
    『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥ
    ルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)


    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 


    『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    <こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立
    〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集
    約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体と
    しての個体が、イマジネールに肯定される。
    ( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の
    総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの
    形而上学に対応する。
    ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、
    ( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。>

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)


    スピノザ(國分)vs.ライプニッツ(千葉)

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  16. <自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。>
    (動いけ52頁)

    実は,どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)


    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 


    『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    <こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。>

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)


    スピノザ(國分)vs.ライプニッツ(千葉)

    の論争、代理戦争を希望する。

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  17. <自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。>
    (『動いけ』52頁)

    國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 


    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    <こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。>

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)


    スピノザ(國分)vs.ライプニッツ(千葉)

    の論争、代理戦争を希望する。

    返信削除


  18. <自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。>
    (『動いけ』52頁)

    國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 


    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    <こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。>

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)


    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を希望する。

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  19. <自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。>
    (『動いけ』52頁)

    國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 


    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    <こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。>

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を希望する。

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  20. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。》
    (『動いけ』52頁)

    國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 


    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を希望する。


    《》

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  21. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    しきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 


    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を希望する。

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  22. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    しきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)

     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を希望する。

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  23. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

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  24. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

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  25. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    しきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?


    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》

    (『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。

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  26. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    しきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ。
    (ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない。)
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》(『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。

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  27. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、
    どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    しきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ(ガタリをドゥルーズから切り離すのは中庸以外の何ものでもない)。
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》(『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。

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  28. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    しきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ(ガタリをドゥルーズから切り離す〜一応リゾームへの切断ではあるが〜のは中庸以外の何ものでもない)。
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》(『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。

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  29. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    世間的にはしきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ(ガタリをドゥルーズから切り離す〜一応リゾームへの切断ではあるが〜のは中庸以外の何ものでもない)。
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    ( i i i )       ( i )           ( i i ) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |( i i i )
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|( i i )
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |( i )
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、( i )バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、( i i i )超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、( i i )器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。( i )はヒューム主義に、( i i i )はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、( i i )は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、( i )は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、( i i i )は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、( i i )は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》(『動きすぎてはいけない』188頁より。図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。

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  30. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ(Amazonレビュー等)

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  31. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より。例を追加)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ(例:Amazonレビュー等)

    返信削除
  32. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より。例を追加)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ (例:Amazonレビュー等)

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  33. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より。例を追加)

     A 知識人=代表者の動きすぎ (例:國分功一郎)
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ (例:Amazonレビュー等)

    返信削除
  34. こういうことか、、、

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より。例を追加)

     A 知識人=代表者の動きすぎ (例:國分功一郎)
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ (例:Amazonレビュー等)


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  35. こういうことですか?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より。例を追加)

     A 知識人=代表者の動きすぎ (例:國分功一郎)
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ (例:Amazonレビュー等)


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  36. (窓)http://anti-secrecy.jimdo.com/
    「特定秘密保護法案」に反対する声明
    【声明文】

     去る11月26日に衆議院で可決された「特定秘密保護法案」は、表現の自由や思想・信
    条の自由、さらには、基本的人権の尊重、国民主権、平和主義といった憲法の骨格をなす
    原理原則に反する法案であり、自律的な市民生活を脅かす怖れがきわめて大きなもので
    す。そして、平和で民主的な社会を基盤として成り立つ、音楽・芸能、美術、文学、映
    画、写真などの創造的な営みや、出版・報道・放送など、さまざまな表現活動の自由を損
    なうものです。
     国連人権理事会や海外のメディア・人権団体からも強い懸念が表明されているこの法案
    は、さらに、以下のような見過ごすことのできない多くの問題と欠点を抱えています。

    ・「特定秘密」の範囲が不明確であること
    ・政府の裁量・権限が大きすぎ、恣意的な運用が可能であること
    ・独立した第三者機関によるチェック体制がないこと
    ・将来の情報開示について義務規定がなく、情報公開の流れに逆行していること
    ・罰が重すぎること
    ・立法の趣旨には現行法で対応できること
    ・国会で十分な議論がなされていないこと
    ・国民の広範な反対の声を無視していること

    以上の理由により、私たちは同法の衆議院における強行採決に強く抗議するとともに、す
    みやかに廃案とすることをすべての国会議員に求めます。

     2013年12月2日
    「特定秘密保護法案に反対する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会(略称:表現人の会)」
    賛同人募集

    「表現人の会」では、声明の趣旨に賛同いただける方を広く募集しています。
    条件は、「声明に賛同する」ことと、「あなた自身が、何らかの表現者」であること。プ
    ロ・アマ・経歴・国籍は問いません。

    返信削除
  37. http://anti-secrecy.jimdo.com/
    「特定秘密保護法案」に反対する声明
    【声明文】


    ・「特定秘密」の範囲が不明確であること
    ・政府の裁量・権限が大きすぎ、恣意的な運用が可能であること
    ・独立した第三者機関によるチェック体制がないこと
    ・将来の情報開示について義務規定がなく、情報公開の流れに逆行していること
    ・罰が重すぎること
    ・立法の趣旨には現行法で対応できること
    ・国会で十分な議論がなされていないこと
    ・国民の広範な反対の声を無視していること

    以上の理由により、私たちは同法の衆議院における強行採決に強く抗議するとともに、す
    みやかに廃案とすることをすべての国会議員に求めます。

     2013年12月2日
    「特定秘密保護法案に反対する音楽・美術・演劇・映像・出版など表現に関わる人の会(略称:表現人の会)」

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  38. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    世間的にはしきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ(ガタリをドゥルーズから切り離す〜一応リゾームへの切断ではあるが〜のは中庸以外の何ものでもない)。
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    (3)       (1)           (2) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|(2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |(1)
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、(1)バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、(3)超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、(2)器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。(1)はヒューム主義に、(3)はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、(2)は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、(1)は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、(3)は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、(2)は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》(『動きすぎてはいけない』188頁より。数字を算用数字に変え、図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。

    返信削除
  39.  _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的  エス (1)
    |________|______|
    188を

    282と繋げると


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  40. 《欠如》、良き対象、象徴的ファルス


    《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    返信削除
  41. 象徴界
    想像界
    現実界

    返信削除
  42. 188の図を282の図と繋げると、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス* |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的 エス (1)
    |________|______|


    《欠如》、良き対象、象徴的ファルス


    《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    返信削除
  43. 188の図を282の図と繋げると、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス* |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的 エス (1)
    |________|______|


    《欠如》、良き対象、象徴的ファルス


    象徴界
    想像界
    現実界

    に対応するだろう。

    返信削除
  44. 188頁の図を282頁の図と繋げると、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス* |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的 エス (1)
    |________|______|


    《欠如》、良き対象、象徴的ファルス

    上記は、

    象徴界
    想像界
    現実界

    に対応するだろう。

    返信削除
  45. 188頁の図を282頁の図と繋げると、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス* |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的 エス (1)
    |________|______|


    《欠如》、良き対象、象徴的ファルス

    上記は、

    象徴界
    想像界
    現実界

    に対応するだろう。

    返信削除
  46. 中庸の称揚というよりも通底するイマジネーションの称揚

    返信削除
  47. http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf


    動いけ51頁
    記号と事件277頁
    旅行というのは何かしゃべりに出かけて行っ て、戻ってみれば今度はこっちでまたしゃべ るといった、そんなものです。行ったきり戻っ てこないとか、向こうで小屋でも作るなら別 ですが。だから私としては旅行には気が向 かないし、生成変化を乱したくなければ、動 き過ぎてはいけない(il ne faut pas trop bouger)。 驚いたことにトインビーはこう述べました―

    「 遊 牧 民 と は 動 か な い 者 た ち の こ と で あ る 。 彼 らは立ち去ることを拒むからこそ、遊牧民に なるのだ」と3。


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  48. 生成変化を乱したくなければ、動 き過ぎてはいけない(il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)

    Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p. 185-212.
    3 Ibid.,p.188.


    4 この立場については、とりわけ次を参照。Gilles Deleuze
    et Félix Guattari, Qu’est-ce que la philosophie ?, Paris, Minuit, 1991, p. 32.「誰かが何らか意見を持って、あれよ りこれを考えるにしても、肝心の問題が言われていないと すれば哲学にとって何だというのか。けれども当の問題が 言われたならば、肝心なことはもはや議論をすることではな い。自らに割り当てた問題のために、議論の余地なきいく
    つかの概念を創造することである」。
    5 Gilles Deleuze, Différence et répétition, Paris, PUF, 1968,

    返信削除
  49. 生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない(il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)

    記号と事件277頁
    Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    動いけ51頁
    http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf

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  50. http://1libertaire.free.fr/Deleuze01.html

    Didier Eribon, Le Nouvel Observateur, 6 novembre 2003

    Gilles Deleuze
    Gilles Deleuze est né en 1925 à Paris où il est mort le 4 novembre 1995, le même jour que l'assassinat de Yitzhak Rabin. Il se tua en se jetant par la fenêtre, ce qui ne manqua pas de surprendre ceux qui croyaient à l'interdit spinoziste visant le suicide : tout être vivant cherche à se perpétuer dans son être, et ne peut donc pas vouloir cesser d'être. Mais Deleuze, à qui on avait déjà retiré un poumon en 1969, était très malade ; il avait déjà annoncé son « retrait » du monde physique dans un texte portant officiellement sur Beckett (« L'épuisé », dans S. Beckett, Quad et autre pièces pour la télévision, 1992) ainsi que dans son dernier « vrai » texte philosophique, « L'immanence, une vie » (Philosophie n° 47, septembre 1995). Deleuze voyagea très peu (« il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs », dit-il dans l'entretien paru dans le Magazine littéraire en 1988), ne fut jamais membre du Parti Communiste, et se consacra principalement à son enseignement et ses livres, évitant les colloques et autres apparitions publiques.

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  51. らくごDE枝雀_ちくま文庫
    http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-73.html
    …この本は、何と言っても「サゲ」についての考察が際立っている。従来の数多くの落語解説書などで非論理的なサゲの種類の羅列ばかりだったことに比べると、ある意味で「革命的」な分析を提示した書である。…

    __離れ領域_不安_
     ホンマ領域 ↑
           ↓
     合わせ領域 安心
           ↑
    _ホンマ領域_↓__
      離れ領域 不安

    まず、この図については、次のように説明してくれる。

    桂枝雀 次の図を見とくなはれ。いろの濃いとこがフツーというかホンマの
        領域なんです。この「ホンマ領域」の内外に「ウソ領域」がるわけ
        です。で、外側を「離れ領域」と申しまして、ホンマの世界から離
        れる、さいぜん言いました「ヘン」の領域なわけです。常識の枠を
        出るわけですからウソの領域ですわね。しかもとりとめがありません
        から極く不安定な世界です。対して内側にあるのが「合わせ領域」
        です。これもさいぜん言いましたとおり「人為的に合わせる」という
        ウソの領域です。「合う」という状況も、あんまりぴったり合いすぎ
        ると「こしらえた」ということでウソになってしまいますわね。但し、
        「離れ領域」とちごうて「合う」ということは型ができるということ
        やさかい安定してますわ。

    返信削除

  52. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    返信削除
  53. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)


    生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない(il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)

    記号と事件277頁
    Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    動いけ51頁
    http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf

    返信削除
  54. __離れ領域_不安_
           /\
     ホンマ領域 ||
           \/
     合わせ領域 安心
           /\
     ホンマ領域 ||
    _______\/_
      離れ領域 不安

    返信削除
  55. らくごDE枝雀_ちくま文庫
    http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-73.html

    __離れ領域_不安_
           /\
     ホンマ領域 ||
           \/
     合わせ領域 安心
           /\
     ホンマ領域 ||
    _______\/_
      離れ領域 不安


    以下の図に実によく似ている。

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    返信削除






  56. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ


    以下の図に実によく似ている。


    __離れ領域_不安_
           /\
     ホンマ領域 ||
           \/
     合わせ領域 安心
           /\
     ホンマ領域 ||
    _______\/_
      離れ領域 不安

    らくごDE枝雀_ちくま文庫
    http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-73.html

    返信削除
  57. http://nam-students.blogspot.jp/2013/11/blog-post_28.html?m=0

    返信削除







  58.  A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)


    以下の図に実によく似ている。


    __離れ領域_不安_
           /\
     ホンマ領域 ||
           \/
     合わせ領域 安心
           /\
     ホンマ領域 ||
    _______\/_
      離れ領域 不安

    らくごDE枝雀_ちくま文庫
    http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-73.html

    4種類の「サゲ」がここから分類される。

    返信削除

  59.  A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)


    上の図は以下の図に実によく似ている。


    __離れ領域_不安_
           /\
     ホンマ領域 ||
           \/
     合わせ領域 安心
           /\
     ホンマ領域 ||
    _______\/_
      離れ領域 不安

    らくごDE枝雀_ちくま文庫
    http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-73.html

    4種類の「サゲ」がここから分類される。

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  60. 最初の図は、







    とすべきかもしれない。

    返信削除
  61. 枝雀には二種類の離れがあることが啓示となり、
    千葉には静的3種ではなく動的4種の分類可能性が啓示となるだろう。

    返信削除
  62. 枝雀には二種類の離れがあることが啓示となり、
    千葉には静的3種ではなく動的4種の分類可能性が啓示となるだろう。

    返信削除

  63.  A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)


    上の図は以下の図に実によく似ている。


    __離れ領域_不安_
           /\
     ホンマ領域 ||
           \/
     合わせ領域 安心
           /\
     ホンマ領域 ||
    _______\/_
      離れ領域 不安

    らくごDE枝雀_ちくま文庫
    http://kogotokoubei.blog39.fc2.com/blog-entry-73.html

    4種類の「サゲ」がここから分類される。

    両者の比較は、
    枝雀には二種類の離れがあることが啓示となり、
    千葉には静的3種ではなく動的4種の分類可能性が啓示となるだろう。

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  64. http://ameblo.jp/boomooo/entry-11295181567.html


    この動画をYouTubeでチェック:
    The Beatles- 06- The Inner Light (2009 Mono Remaster)
    http://youtu.be/DORTbu44PNY

    僕は
    ドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    君も
    ドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    旅することなく到達しよう
    見ることなくすべてを理解しよう
    することなくすべてをなしとげよう




    この歌詞は
    ジョージが
    ケンブリッジ大学で
    サンスクリット語を教えていた
    先生からプレゼントされた本から引用し
    一部、手直ししたもの

    ジョージ曰く
    「すばらしい、すべてを語りつくしているんだ」


    さて
    映画「ハード・デイズ・ナイト」(64年)の撮影で
    ジョージは19歳のパティ・ボイドと出会い
    一目惚れしたそうです


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  65. http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4105.html#note47
    不出戸、知天下、不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。

    返信削除
  66. ドゥルーズ自身は千のプラトーで老子に触れている
    荘子の相対主義は人間的すぎるのだ

    返信削除
  67. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)


    「生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない」
    (il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)

    記号と事件277頁
    Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    動いけ51頁
    http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf

    http://ameblo.jp/boomooo/entry-11295181567.html

    The Beatles- 06- The Inner Light (2009 Mono Remaster)
    http://youtu.be/DORTbu44PNY

    僕は
    ドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    君も
    ドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    旅することなく到達しよう
    見ることなくすべてを理解しよう
    することなくすべてをなしとげよう

    http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4105.html#note47
    老子47
    不出戸、知天下、不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。

    ドゥルーズ自身は千のプラトーで老子に触れている
    荘子の相対主義は人間的すぎるのだ


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  68. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)


    「生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない」
    (il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)

    (記号と事件277頁) Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    (動いけ51頁) http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf

    http://ameblo.jp/boomooo/entry-11295181567.html

    The Beatles- 06- The Inner Light (2009 Mono Remaster)
    http://youtu.be/DORTbu44PNY

    僕は
    ドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    君も
    ドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    旅することなく到達しよう
    見ることなくすべてを理解しよう
    することなくすべてをなしとげよう

    http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4105.html#note47
    老子47
    不出戸、知天下、不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。

    ドゥルーズ自身は千のプラトーで老子に触れている
    荘子の相対主義は人間的すぎるのだ


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  69. 「生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない」
    (il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)
    (記号と事件277頁) Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    (動いけ51頁) http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf

    http://ameblo.jp/boomooo/entry-11295181567.html
    The Beatles- 06- The Inner Light (2009 Mono Remaster)
    http://youtu.be/DORTbu44PNY

    僕は
    ドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    君も
    ドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    旅することなく到達しよう
    見ることなくすべてを理解しよう
    することなくすべてをなしとげよう

    http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4105.html#note47
    老子47
    不出戸、知天下、不闚牖、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。

    ドゥルーズ自身は千のプラトーで老子に触れている。
    荘子の相対主義は人間的すぎるのだ。


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  70. 「生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない」
    (il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)
    (記号と事件277頁) Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    (動いけ51頁) (窓)http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf

    (窓)http://ameblo.jp/boomooo/entry-11295181567.html
    The Beatles- 06- The Inner Light (2009 Mono Remaster) (窓)http://youtu.be/DORTbu44PNY

    僕はドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    君もドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    旅することなく到達しよう
    見ることなくすべてを理解しよう
    することなくすべてをなしとげよう

    (窓)http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4105.html#note47 老子47
    不出戸、知天下、不??、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。

    ドゥルーズ自身は千のプラトーで老子に触れている。荘子の相対主義は人間的すぎるのだ。

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  71. 129 つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん 12/11(水)14:21 0
    電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。
    今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で
    消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。

     【接続過剰とは?】
     ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。

     千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで「共有」され「可視化」
    されている。スマホも普及し、生活の細部と細部がかつてない規模でつながる。「接続過剰」とは
    そういう意味です。
     接続が過剰になると、相互監視に等しくなってしまう。ネット上での「楽しい相互監視」が、国家や企業
    が推進する「監視・管理社会」化を暗にサポートすることになっていないかと考えています。
     SNSは、適度に参加すれば、アイデアを得たり、共に考えたりできますが、重要なのは「適度」で、
    これが難しい。適度に放っておかれるというのは、互いの自律性を確保することを意味しますが、
    どんどん難しくなっている。接続過剰でも、切断過剰(引きこもり、見捨てること)でもない共生の術を
    情報社会においてどう考えるかが問題です。

     今、ネットで発言すると、データベースに保存されるので、消去の操作をしなければ、時につれて
    「記憶が劣化し忘れられる」ことがありえない。また、拡散した情報を消去して回ることはきわめて困難です。
     「接続過剰」なネット社会では、コミュニケーションの形骸化も進んでいます。常に「つながりのアピール」
    が求められる。メッセージが来れば、できるだけ早く返信する。相手からの返信が遅ければ、嫌われてい
    ないかと不安になる。
     最小限でも反応を返すことが「思いやり」として目的化し、形骸化する。以前の携帯メールもそうでしたが、
    SNSとスマホの普及は、視聴覚を総動員し、ほとんど依存症のような状態を広げています。

     浅田 「接続過剰」な社会では「無視」が許されない。店の冷蔵庫でアルバイトが寝転がった写真が
    ネット上で公開されて「炎上」する「バカッター問題」でも、無視すればいいのに、企業がネット上の批判
    を配慮して本人を解雇し、さらに損害賠償を求めるなんてことが起きる。昔なら「バカだな」ですんだ冗談なのに。
    130 12/11(水)16:10 0↓
    【情報社会の変化】

     千葉 こうした状況下で僕は、個であるための「切断」の哲学を考えていますが、これは、浅田さんが
    1980年代に主張した「逃走」論をふまえてのことです。「逃走」は、フランスの哲学者ドゥルーズの言葉で、
    「漏れてしまう」とか「落ちこぼれる」といった意味もありますね。

     浅田 30年前、『構造と力』や『逃走論』で提案したのは、学校や企業にせよ、反体制セクトにせよ、
    一丸となって前進しようとする、そういうパラノ(妄想症)的なドライブ(力)から「逃げること」でした。
    逃げた後で横につながればいい、と。

     千葉 80、90年代には、横の多様なつながりの方へ逃走するという希望があった。

     浅田 そのころはやっと使いものになるパソコンが出てきた時代です(マッキントッシュの発売が84年)。
    他方、ウィンドウズ95が出た95年が、インターネット普及の画期でしょう。それによって、実際に個人が
    横につながる可能性が広がった。98年に発表された東浩紀さんの『存在論的、郵便的』は、デリダの思想
    を「誤配」という鍵概念に注目して論じた本ですが、背景にはネットのもたらす新しい接続の可能性への期待
    も見て取れます。

     ところが、さらに15年経った今は、「誤配」の可能性よりも、昔つぶやいて忘れられたはずの問題発言さえ
    事後的に検索されてしまう、つまりいや応なくメッセージが届いてしまうことが問題になっている。そこまで
    発達したネットが、千葉さんの言う「接続過剰」の病理を生むばかりか、アメリカ国家安全保障局の契約職員
    だったエドワード・スノーデンが暴露したように、当局が望めば裏からすべてを見られる65億総監視社会
    を招来しつつある。ドゥルーズの言葉で言うなら「規律(ディシプリン)から監視(コントロール)へ」。
    個人に規範を内面化させずとも、個人をネットで監視し制御すればよくなったわけです。

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  72. 129 つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん 12/11(水)14:21 0
    電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。
    今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で
    消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。

     【接続過剰とは?】
     ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。

     千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで「共有」され「可視化」
    されている。スマホも普及し、生活の細部と細部がかつてない規模でつながる。「接続過剰」とは
    そういう意味です。
     接続が過剰になると、相互監視に等しくなってしまう。ネット上での「楽しい相互監視」が、国家や企業
    が推進する「監視・管理社会」化を暗にサポートすることになっていないかと考えています。
     SNSは、適度に参加すれば、アイデアを得たり、共に考えたりできますが、重要なのは「適度」で、
    これが難しい。適度に放っておかれるというのは、互いの自律性を確保することを意味しますが、
    どんどん難しくなっている。接続過剰でも、切断過剰(引きこもり、見捨てること)でもない共生の術を
    情報社会においてどう考えるかが問題です。

     今、ネットで発言すると、データベースに保存されるので、消去の操作をしなければ、時につれて
    「記憶が劣化し忘れられる」ことがありえない。また、拡散した情報を消去して回ることはきわめて困難です。
     「接続過剰」なネット社会では、コミュニケーションの形骸化も進んでいます。常に「つながりのアピール」
    が求められる。メッセージが来れば、できるだけ早く返信する。相手からの返信が遅ければ、嫌われてい
    ないかと不安になる。
     最小限でも反応を返すことが「思いやり」として目的化し、形骸化する。以前の携帯メールもそうでしたが、
    SNSとスマホの普及は、視聴覚を総動員し、ほとんど依存症のような状態を広げています。

     浅田 「接続過剰」な社会では「無視」が許されない。店の冷蔵庫でアルバイトが寝転がった写真が
    ネット上で公開されて「炎上」する「バカッター問題」でも、無視すればいいのに、企業がネット上の批判
    を配慮して本人を解雇し、さらに損害賠償を求めるなんてことが起きる。昔なら「バカだな」ですんだ冗談なのに。
    130 12/11(水)16:10 0↓
    【情報社会の変化】

     千葉 こうした状況下で僕は、個であるための「切断」の哲学を考えていますが、これは、浅田さんが
    1980年代に主張した「逃走」論をふまえてのことです。「逃走」は、フランスの哲学者ドゥルーズの言葉で、
    「漏れてしまう」とか「落ちこぼれる」といった意味もありますね。

     浅田 30年前、『構造と力』や『逃走論』で提案したのは、学校や企業にせよ、反体制セクトにせよ、
    一丸となって前進しようとする、そういうパラノ(妄想症)的なドライブ(力)から「逃げること」でした。
    逃げた後で横につながればいい、と。

     千葉 80、90年代には、横の多様なつながりの方へ逃走するという希望があった。

     浅田 そのころはやっと使いものになるパソコンが出てきた時代です(マッキントッシュの発売が84年)。
    他方、ウィンドウズ95が出た95年が、インターネット普及の画期でしょう。それによって、実際に個人が
    横につながる可能性が広がった。98年に発表された東浩紀さんの『存在論的、郵便的』は、デリダの思想
    を「誤配」という鍵概念に注目して論じた本ですが、背景にはネットのもたらす新しい接続の可能性への期待
    も見て取れます。

     ところが、さらに15年経った今は、「誤配」の可能性よりも、昔つぶやいて忘れられたはずの問題発言さえ
    事後的に検索されてしまう、つまりいや応なくメッセージが届いてしまうことが問題になっている。そこまで
    発達したネットが、千葉さんの言う「接続過剰」の病理を生むばかりか、アメリカ国家安全保障局の契約職員
    だったエドワード・スノーデンが暴露したように、当局が望めば裏からすべてを見られる65億総監視社会
    を招来しつつある。ドゥルーズの言葉で言うなら「規律(ディシプリン)から監視(コントロール)へ」。
    個人に規範を内面化させずとも、個人をネットで監視し制御すればよくなったわけです。

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  73. http://digital.asahi.com/articles/OSK201312100159.html?_requesturl=articles/OSK201312100159.html&ref=comkiji_txt_end_s_kjid_OSK201312100159
    (談)つながりすぎ社会を生きる 哲学者・千葉雅也×批評家・浅田彰
    2013年12月11日05時00分
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    哲学者・千葉雅也

     電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。

     ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。

     千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで共有され可視化されている。コミュニケーションの形骸化も進む。常に「つながりのアピール」が求められ、メッセージが来ればできるだけ早く返信することが「思いやり」として目的化する。SNSとスマホの普及は、視聴覚を総動員し、依存症のような状態を広げている。僕が考えているのは、個であるための「切断」の哲学。浅田さんが1980年代に主張した「逃走」論をふまえたものだ。今は、「逃走」の行方だった横へのつながりが、過剰化している。

     浅田 30年前に提案したのは学校や企業、反体制セクトにせよ、一丸となって前進しようとするパラノ(妄想症)的なドライブ(力)から「逃げること」。その後横につながればいい、と。

     ネットの発達で横につながる可能性は広がったが、今は逆に忘れられたはずの問題発言さえ、ネットで事後的に検索される。当局が望めば、裏からすべてを見られる65億総監視社会を招きつつある。ドゥルーズの言葉で言うなら「規律(ディシプリン)から監視(コントロール)へ」。個人に規範を内面化させずとも個人をネットで監視し制御すればよくなった。

     千葉 深刻なのは、重要性の程度を判断する「仁義」が失われていること。「不良」の存在を許さない「仁義なき優等生社会」になっている。程度問題が成立しない。規範から外れても許される「適度なグレーゾーン」が失われ、不良はシステムからの「落伍(らくご)者」にされる。一方では形骸化したコミュニケーション、他方では残酷なまでの落伍者の排除という両極端に。そこからの「切断」を考えたのが、『動きすぎてはいけない』だ。

     浅田 今の若手論客と呼ばれる人たちが総じて優等生的ななか、千葉さんの「切断論」はいわば、「不良の思想」であるところが面白い。「優等生」は、ネットを使ってマイノリティーの声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論に堪えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」だ。「逃走」とは「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

     千葉 優等生的な議論では、他者への配慮と言いながら、大前提として許容できない他者を考えないようにしていることが多い。マジョリティーの思考パターンを裏切ることをやめてはならない。

     浅田 この30年の情報社会の発展を振り返ると、べき乗(累乗)的とも言える急速な変化に改めて驚かされる。

     千葉 でも、行われたことは実に単純だ。「情報をためる」→「検索できる」ということだけ。なのに、今は情報社会の底が突然、がらっと崩壊するかもしれないという不安がある。LINEでの頻繁なやりとりは、不安な社会での「祈り」のようにも見える。

     浅田 全ての情報が一瞬で検索されてしまう万能のシステムに見えながら、一瞬で壊れてしまうかもしれない脆弱(ぜいじゃく)性を抱えている。日々の生活がそんなシステムに依存していることを考えても、「切断」の思想の意味は大きいと思う。

     (構成・高久潤、写真・伊藤菜々子)

         *

     ちば・まさや 1978年生まれ。立命館大准教授。10月にジル・ドゥルーズ論『動きすぎてはいけない』(河出書房新社)を発表。

         *

     あさだ・あきら 1957年生まれ。批評家。京都造形芸術大教授。著書に『構造と力』『20世紀文化の臨界』など。

     〈+d〉デジタル版に詳しく

     

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  74. https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/660770013945854
    (朝日新聞デジタルより)
    つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん

    『仁義なき優等生社会。接続過剰の状況では、過敏に「道徳」がチェックされていると言える。一方では形骸化した「思いやり」のコミュニケーション、他方では残酷なまでの落伍者の排除という両極端になっている』

    --------------------------------------------

    【構成・高久潤】電車に乗って周囲を見回すとスマートフォンをいじってどこかにつながる人ばかり。今の社会の特徴を「接続過剰」と呼ぶ哲学者の千葉雅也さんと、かつて「逃走」という言葉で消費社会の最先端を語った批評家の浅田彰さんに「つながる」社会の行方を聞いた。

    【接続過剰とは?】

     ――「接続過剰」とは、どういう意味ですか。

     千葉 今のネット社会では、ささいなことまでソーシャルネットワーク(SNS)などで「共有」され「可視化」されている。スマホも普及し、生活の細部と細部がかつてない規模でつながる。「接続過剰」とはそういう意味です。

     接続が過剰になると、相互監視に等しくなってしまう。ネット上での「楽しい相互監視」が、国家や企業が推進する「監視・管理社会」化を暗にサポートすることになっていないかと考えています。

     SNSは、適度に参加すれば、アイデアを得たり、共に考えたりできますが、重要なのは「適度」で、これが難しい。適度に放っておかれるというのは、互いの自律性を確保することを意味しますが、どんどん難しくなっている。接続過剰でも、切断過剰(引きこもり、見捨てること)でもない共生の術を情報社会においてどう考えるかが問題です。

     今、ネットで発言すると、データベースに保存されるので、消去の操作をしなければ、時につれて「記憶が劣化し忘れられる」ことがありえない。また、拡散した情報を消去して回ることはきわめて困難です。 「接続過剰」なネット社会では、コミュニケーションの形骸化も進んでいます。常に「つながりのアピール」が求められる。メッセージが来れば、できるだけ早く返信する。相手からの返信が遅ければ、嫌われていないかと不安になる。

     最小限でも反応を返すことが「思いやり」として目的化し、形骸化する。以前の携帯メールもそうでしたが、SNSとスマホの普及は、視聴覚を総動員し、ほとんど依存症のような状態を広げています。

     浅田 「接続過剰」な社会では「無視」が許されない。店の冷蔵庫でアルバイトが寝転がった写真がネット上で公開されて「炎上」する「バカッター問題」でも、無視すればいいのに、企業がネット上の批判を配慮して本人を解雇し、さらに損害賠償を求めるなんてことが起きる。昔なら「バカだな」ですんだ冗談なのに。

    【情報社会の変化】

     千葉 こうした状況下で僕は、個であるための「切断」の哲学を考えていますが、これは、浅田さんが1980年代に主張した「逃走」論をふまえてのことです。「逃走」は、フランスの哲学者ドゥルーズの言葉で、「漏れてしまう」とか「落ちこぼれる」といった意味もありますね。

     浅田 30年前、『構造と力』や『逃走論』で提案したのは、学校や企業にせよ、反体制セクトにせよ、一丸となって前進しようとする、そういうパラノ(妄想症)的なドライブ(力)から「逃げること」でした。逃げた後で横につながればいい、と。

     千葉 80、90年代には、横の多様なつながりの方へ逃走するという希望があった。

     浅田 そのころはやっと使いものになるパソコンが出てきた時代です(マッキントッシュの発売が84年)。他方、ウィンドウズ95が出た95年が、インターネット普及の画期でしょう。それによって、実際に個人が横につながる可能性が広がった。98年に発表された東浩紀さんの『存在論的、郵便的』は、デリダの思想を「誤配」という鍵概念に注目して論じた本ですが、背景にはネットのもたらす新しい接続の可能性への期待も見て取れます。

     ところが、さらに15年経った今は、「誤配」の可能性よりも、昔つぶやいて忘れられたはずの問題発言さえ事後的に検索されてしまう、つまりいや応なくメッセージが届いてしまうことが問題になっている。そこまで発達したネットが、千葉さんの言う「接続過剰」の病理を生むばかりか、アメリカ国家安全保障局の契約職員だったエドワード・スノーデンが暴露したように、当局が望めば裏からすべてを見られる65億総監視社会を招来しつつある。ドゥルーズの言葉で言うなら「規律(ディシプリン)から監視(コントロール)へ」。個人に規範を内面化させずとも、個人をネットで監視し制御すればよくなったわけです。

     千葉 ネットによって実質化された横へのつながりは、旧来のヒエラルキー(縦の権力構造)をかいくぐって広がるという意味で解放的であるけれども、今日では、その横へのつながりによって監視社会がグローバル化するに至っている。「縦から横へ」というフラット化は、抑圧的にもなる。ですから僕は、「逃走」の行方であったはずの横へのつながりが、今や過剰化してしまった状況から、部分的に「切断」されることが必要だ、と強調しています。

     浅田 「逃走」というのは縦の統合からも横の連結からも逃れることなので、大きくはそこに含まれると思うけれど、「切断」の必要については同意見ですね。

    【仁義なき優等生社会】

     千葉 東さんが言う「誤配」には、メッセージが「届かないかもしれない」と「間違ったところに届く」という二つの意味がありました。ネット社会の高度化によって、後者ばかりが全面化し、何でもかんでも文字通りに蒸し返され、毎日あちこちで「炎上」している。

     深刻なのは、ことの重要性の程度を判断できなくなっていることです。バカッター問題にしても、どうでもいいことですよ。熟慮するべき問題は他にたくさんある。重要性の程度を判断する「仁義」が失われている。何でもかんでも可視化されるから、何でもかんでもを「シロ」にしないと気が済まない。これは「仁義なき優等生社会」ですね。いわば「不良」の存在を許さない社会になった。かつて「不良」は、規範から外れても「適度なグレーゾーン」で生き生きしていたのに、今日の「仁義なき優等生社会」では、システムからの単なる「落伍者(らくごしゃ)」にされてしまう。

     接続過剰の状況では、過敏に「道徳」がチェックされていると言える。一方では形骸化した「思いやり」のコミュニケーション、他方では残酷なまでの落伍者の排除という両極端になっている。

     シロかクロかという単純化です。僕は、こうしたことが、かつての消費社会からの変化だと思います。90年代末の若者のコミュニケーションを「毛づくろい的」と評する見方がありましたが、その後のネット社会では、他者への配慮が形骸化し、消費の対象にまでなったかのようです。企業のカスタマーサービスのように、未然にトラブルの種を気にすることが過剰化する。現代哲学で議論されてきた「他者への応答責任」が形骸化されているともいえる。思いやりのサインを消費する社会、道徳の消費社会です。そこからの「切断」について考えたのが、10月に発表したドゥルーズ論『動きすぎてはいけない』です。

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  75. 【批評と接続過剰】

     浅田 「接続過剰」な社会では、相手を傷つけてはいけないという予防的な「思いやり」(それは相手に反発されたくないという自己防衛でもある)がコミュニケーションを貧しくしてしまいます。

     そこでは批評が不可能になる。「仲良くけんかしな」というルールの下でほめると同時にけなすのが批評なので、けなすとコミュニケーションが断絶するのでは批評は成り立たない。「壮大な失敗作だ」というのは最高のほめ言葉でもあるのに、そのニュアンスが伝わらなくなる。

     かわって、書店員の書く「ポップ」やネット書店の読者によるレビューが重視されるけれど、それは商品の紹介や消費者の感想であって批評ではない。

     千葉 そもそも批評は、ハラスメンタルなものですからね。

    【切断と逃走】

     千葉 形骸化したコミュニケーションから分離された思考をどうやって確保するか。しかし完全な「引きこもり」になるのでもない。これまた程度問題ですが、それこそが難しい。たとえて言えば、「発達障害」的な独自のこだわりによって世間から「切断」される、部分的に隠れるということです。

     浅田 『逃走論』の次に出した『ヘルメスの音楽』で、ピアニストのグレン・グールドを取り上げました。彼はライブでの聴衆の盛り上がりが音楽をゆがめるという理由で、演奏会をやめてスタジオに引きこもった。そこでの自由なプレーを、情報技術を使って直接リスナーのもとに届けようとした。まずは「切断」があり、それがシンギュラー(特異)なメッセージの伝達を可能にするわけです。

     グールドは元祖「引きこもり」とはいえ健常者でしたが、しいて言えばドゥルーズの言う「スキゾ(分裂症=統合失調症者)」より「アスペルガー症候群」に近いかもしれない。そういう積極的な「発達障害」の可能性も考えられますね。

    【不良の哲学】

     浅田 千葉さんの「切断論」はいわば「不良の思想」であるところが面白い。例えば、デリダの責任論というのは、「責任が取れないことに責任を取る」という思弁的な議論だけれど、それを現実に適用しようとすると、おおむね優等生の生徒会長みたいな議論になる。

     千葉 もっともっと細かく気をつかいましょう、みたいな話。

     浅田 今の「若手論客」と呼ばれる人たちも総じてそんな感じでしょう。ネットを通じて、これまで無視されてきたマイノリティーの声なき声にも耳を傾けよう、うんぬん。

     そもそも、「社会や人間のラディカルな変革を構想する左翼思想はもう古い、問題があればそのつどパッチを当てて処理する部分的社会工学しかない」という前提の上で、たとえば代議制民主主義が十分にマイノリティーの声を反映できないなら、ネットでの絶えざる国民投票で補完していこうといったことを考えるわけですね。

     ちなみに、マルクス=レーニン主義のようなラディカルな外来思想への拝跪(はいき)を批判し、日本なら日本の「大衆の原像」を重視したのが吉本隆明の思想だったけれど、今それに対応するのが「オタク文化論」で、そういうソフトな大衆文化論がハードな社会工学を補完する形になっている。その「オタク文化論」も、「普通」の異性愛に固執し、フェミニズムや、多様な性のあり方を肯定するクイア(変態)理論からの批判を外来思想として退ける、保守的な側面をもっています。

     もちろん、具体的には部分的情報社会工学でやれることはどんどんやったらいいと思う。しかし、それは哲学や思想の問題ではない。哲学や思想とは、可能な範囲で工夫することではなく、可能な範囲そのものを考え直す過激な試みだったはずだから。

     千葉 優等生的な議論では、他者への配慮と言いながらも、大前提として許容できない何らかの他者を考えないようにしていることが多い。グーグルの社是は「Don’t be evil」ですが、考えたくもない「悪」に対しては、アレルギー反応を持っているような印象があります。

     特定の規範に照らして「悪」と認定されるだろうことも含め、実験的に人間と世界のあらゆる姿を思考することを止めてはならないと思う。マジョリティーの思考パターンを裏切ることを止めてはならない。

     浅田 「逃走」とは簡単に言うと「マイノリティーになること」。在日韓国・朝鮮人へのヘイトスピーチのように、自分を「日本人」というマジョリティーに同化しようとすることで、激烈な排除が生まれる。しかし、自分も別の次元ではマイノリティーだと気づけば、対話や合意なしでも共存は可能になる。

     そこで、「優等生」は、ネットを使って声なき声を拾い上げ対話を密にするなど、民主主義のバージョンアップを目指す。それはそれでいい。しかし、「優等生」が「マイノリティーの声に耳を傾けよう」と熱弁をふるっているとき、そんな議論自体に耐えられなくて黙って出て行くのが真のマイノリティーたる「不良」でしょう。「切断」の思想は、そうやって対話から逃げる自由を重視する「不良」のすすめだと思います。

     千葉 そうですね。「不良」というのは、社会の多様性の別名ですから。対話を工夫することは必要だとしても、そもそも必要なのは、誰だって様々な面で「不良」でありうる、マイノリティーでありうるという自覚を活性化することである、と。「優等生」の良かれと思っての接続拡大の訴えからも「切断」される自由を認めなければ、「優等生」のその「良かれ」は機能しないということになるでしょう。多様な「不良」を擁護する、それが「切断」の哲学ですね。

    【情報社会の行方】

     浅田 この30年の情報社会の発展を振り返ってみると、「べき乗」(累乗)的とも言える急速な変化にあらためて驚かされる。

     千葉 でも、行われたことは実に単純です。「情報をためる」→「検索できる」ということだけ。

     浅田 まさに量が質に転化したわけですね。

     ただ、そこで成立したネット社会は、「接続過剰」な「監視社会」であると同時に、きわめて不安定な社会でもある。かくいうわれわれも暗証番号一つで自分の財産をネットに託しているわけだけれども、今の暗号だっていつまでもつかわからない。

     千葉 世界がフィクション化されつつあるような感覚です。かつて私たちは、大地の上に立っていたけれども、今では電子の紙の上、必ず痕跡が残される平面の上に立ち、大地が見えにくくなっている。そういう情報社会の底が、突然、がらっと崩壊するかもしれないという不安。

     頻繁に繰り返されるLINEでのメッセージのやりとりは、そんな不安な社会での「祈り」のやりとりのようにも見えてきます。信じてないのに、信じたふりをし続けないといけない。

     浅田 かつてSF作家のJ・Gバラードと話した時に、彼は「社会は一瞬にして変わりうる」と言っていた。その感覚こそがSFの基礎だ、と。幼年期に中国で日本軍による占領と戦争を体験した人ならではの感覚です。その感覚を今のわれわれも必要としているのではないか。

     千葉 最近のフランスの哲学者メイヤスーは、「世界の物理法則は突然、偶然に変化するかもしれない」という過激な主張をしていますが、それもまた、情報社会の不安を反映しているように思えます。根底的に偶然性にさらされているという感覚が、広く共有されている時代です。

     浅田 過剰に接続され、すべての情報が一瞬で検索されてしまう万能のシステムに見えながら、一瞬で壊れてしまうかもしれない脆弱(ぜいじゃく)性を抱えている。われわれの日々の生活がそんなシステムに依存していることを考えても、「切断」の思想の意味は大きいと思います。

    http://digital.asahi.com/articles/TKY201312100317.html?iref=comkiji_redirect&ref=com_top_pickup
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  76. https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/660770013945854
    (朝日新聞デジタルより)
    つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん


     千葉 形骸化したコミュニケーションから分離された思考をどうやって確保するか。
    しかし完全な「引きこもり」になるのでもない。これまた程度問題ですが、それこそが難
    しい。たとえて言えば、「発達障害」的な独自のこだわりによって世間から「切断」され
    る、部分的に隠れるということです。

     浅田 『逃走論』の次に出した『ヘルメスの音楽』で、ピアニストのグレン・グールドを
    取り上げました。彼はライブでの聴衆の盛り上がりが音楽をゆがめるという理由で、演奏会を
    やめてスタジオに引きこもった。そこでの自由なプレーを、情報技術を使って直接リスナーの
    もとに届けようとした。まずは「切断」があり、それがシンギュラー(特異)なメッセージの
    伝達を可能にするわけです。

     グールドは元祖「引きこもり」とはいえ健常者でしたが、しいて言えばドゥルーズの
    言う「スキゾ(分裂症=統合失調症者)」より「アスペルガー症候群」に近いかもしれ
    ない。そういう積極的な「発達障害」の可能性も考えられますね。

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  77. https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/660770013945854
    (朝日新聞デジタルより)
    つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん


     千葉 形骸化したコミュニケーションから分離された思考をどうやって確保するか。
    しかし完全な「引きこもり」になるのでもない。これまた程度問題ですが、それこそが難
    しい。たとえて言えば、「発達障害」的な独自のこだわりによって世間から「切断」され
    る、部分的に隠れるということです。

     浅田 『逃走論』の次に出した『ヘルメスの音楽』で、ピアニストのグレン・グールドを
    取り上げました。彼はライブでの聴衆の盛り上がりが音楽をゆがめるという理由で、演奏会を
    やめてスタジオに引きこもった。そこでの自由なプレーを、情報技術を使って直接リスナーの
    もとに届けようとした。まずは「切断」があり、それがシンギュラー(特異)なメッセージの
    伝達を可能にするわけです。

     グールドは元祖「引きこもり」とはいえ健常者でしたが、しいて言えばドゥルーズの
    言う「スキゾ(分裂症=統合失調症者)」より「アスペルガー症候群」に近いかもしれ
    ない。そういう積極的な「発達障害」の可能性も考えられますね。


    http://digital.asahi.com/articles/TKY201312100317.html?iref=comkiji_redirect&ref=com_top_pickup

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  78. 朝日新聞読書面 ?@asahi_book 2時間
    浅田彰さん「ところが、さらに15年経った今は、「誤配」の可能性よりも、昔つぶやいて
    忘れられたはずの問題発言さえ事後的に検索されてしまう、つまりいや応なくメッセージが届いてしまうことが問題になっている」
    千葉雅也さん「僕は、「逃走」の行方であったはずの横へのつながりが、今や過剰化してしまった状況から、
    部分的に「切断」されることが必要だ、と強調しています」


     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)


    https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/660770013945854
    (朝日新聞デジタルより)
    つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん


     千葉 形骸化したコミュニケーションから分離された思考をどうやって確保するか。
    しかし完全な「引きこもり」になるのでもない。これまた程度問題ですが、それこそが難
    しい。たとえて言えば、「発達障害」的な独自のこだわりによって世間から「切断」され
    る、部分的に隠れるということです。

     浅田 『逃走論』の次に出した『ヘルメスの音楽』で、ピアニストのグレン・グールドを
    取り上げました。彼はライブでの聴衆の盛り上がりが音楽をゆがめるという理由で、演奏会を
    やめてスタジオに引きこもった。そこでの自由なプレーを、情報技術を使って直接リスナーの
    もとに届けようとした。まずは「切断」があり、それがシンギュラー(特異)なメッセージの
    伝達を可能にするわけです。

     グールドは元祖「引きこもり」とはいえ健常者でしたが、しいて言えばドゥルーズの
    言う「スキゾ(分裂症=統合失調症者)」より「アスペルガー症候群」に近いかもしれ
    ない。そういう積極的な「発達障害」の可能性も考えられますね。


    http://digital.asahi.com/articles/TKY201312100317.html?iref=comkiji_redirect&ref=com_top_pickup


    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1

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  79. 朝日新聞読書面 @asahi_book 2時間
    浅田彰さん「ところが、さらに15年経った今は、「誤配」の可能性よりも、昔つぶやいて
    忘れられたはずの問題発言さえ事後的に検索されてしまう、つまりいや応なくメッセージが
    届いてしまうことが問題になっている」
    千葉雅也さん「僕は、「逃走」の行方であったはずの横へのつながりが、今や過剰化してし
    まった状況から、 部分的に「切断」されることが必要だ、と強調しています」


     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)


    https://www.facebook.com/sports.instructor.support/posts/660770013945854
    (朝日新聞デジタルより)
    つながりすぎ社会を生きる 浅田彰さん×千葉雅也さん


     千葉 形骸化したコミュニケーションから分離された思考をどうやって確保するか。
    しかし完全な「引きこもり」になるのでもない。これまた程度問題ですが、それこそが難
    しい。たとえて言えば、「発達障害」的な独自のこだわりによって世間から「切断」され
    る、部分的に隠れるということです。

     浅田 『逃走論』の次に出した『ヘルメスの音楽』で、ピアニストのグレン・グールドを
    取り上げました。彼はライブでの聴衆の盛り上がりが音楽をゆがめるという理由で、演奏会を
    やめてスタジオに引きこもった。そこでの自由なプレーを、情報技術を使って直接リスナーの
    もとに届けようとした。まずは「切断」があり、それがシンギュラー(特異)なメッセージの
    伝達を可能にするわけです。

     グールドは元祖「引きこもり」とはいえ健常者でしたが、しいて言えばドゥルーズの
    言う「スキゾ(分裂症=統合失調症者)」より「アスペルガー症候群」に近いかもしれ
    ない。そういう積極的な「発達障害」の可能性も考えられますね。


    http://digital.asahi.com/articles/TKY201312100317.html?iref=comkiji_redirect&ref=com_top_pickup


    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1

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  80. 「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)


    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)


    「動きすぎてはいけない」の二方向
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
     B ジャンキーの動きすぎ

    (千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁より)



    jisekimoto)
    2013/12/11 17:42
    A知識人=代表者の動きすぎ
     ↓ 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
     動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
     ↑ 節約B(=切断B:リゾームの切断)
    Bジャンキーの動きすぎ
    千葉雅也『動きすぎてはいけない』52頁
    twitter.com/asahi_book/sta…

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  81. クィア理論 - Wikipedia
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%A3%E3%82%A2%E7%90%86%E8%AB%96
    反動は、一方では、保守的な男・女の役割への回帰、非異性愛者の排除という形で現れたが、同時に、ゲイ/レズビアンという同性愛者内での男/女の差異を強調するゲイ・アイデンティティやレズビアン・アイデンティティへの疑義も含まれていた。しかし、性的少数者への政治的な攻撃や、レズビアンやゲイへの反動的な世論が形成されたために、男性同性愛者と女性同性愛者との間での軋轢や、性的少数者が分断され細分化されつつあった中で、セクシュアル・マイノリティの連帯を目指したことがクィア理論が生まれたきっかけである。

    ラウリティスがクィア理論という語を提唱した後、異性愛中心主義の社会において、抑圧されたり、弾劾されたり、無視されてきた多様な性を生きる者が連帯するための画期的な理論として受け入れられた。具体的には、性的なアイデンティティを脱構築的な手法で考えることで、異性愛と非異性愛という二項対立について再考することで、規範的な性やセクシュアル・アイデンティティにおける同一性を問い始めた。また、ヘテロセクシュアル内にも、様々な性のありようはあり、常態、あるいは規範に対する「変態(クィア)」という概念が取り入れられたことにより、性は個人的なことであるという言説に対して、異性愛中心主義として公的に構築さえてきたかもしれないという、アイデンティティの政治(アイデンティティ・ポリティクス)にも影響を与えた。また、ゲイやレズビアンを代表、表象できるのかといった問題についてもクィア理論は影響を与えた。

    同じ年(1990年)には、ジュディス・バトラーが、『ジェンダー・トラブル』("Gender Trouble")を刊行し、1985年に『男同士の絆―イギリス文学とホモソーシャルな欲望』("Between Men: English Literature and Male Homosocial Desire") を出版していたイヴ・コゾフスキー・セジウィックが、1991年に『クローゼットの認識論』("Epistemology of the Closet")を刊行し、クィア理論の担い手として注目された。また、1990年に、デヴィッド・ハルプリンは『同性愛の百年間』("One Hundred Years of Homosexuality")を刊行した。これら、1990年前後に、クィア理論の担い手が多く現れた。

    思想的な背景[編集]

    クィア理論の誕生に大きな影響を与えた思想家の一人がジャック・デリダである。脱構築によって、音声言語 / 文字言語、男 / 女、人間 / 動物、文明 / 野蛮などの二項のうち、前項が優位に立ち、第二項がそれを補っているとするデリダの論に大きな影響を受けている。

    ジュディス・バトラーは、ヘーゲルの精神現象学の研究(主に主人と召使の弁証法)から出発し、ミシェル・フーコーやジャック・デリダの論、ジョン・L・オースティンのパフォーマティヴィティや言語行為論、ルイ・アルチュセールの、いわゆる「呼びかけ」理論などを資源として、言語と権力、社会と主体の問題について活発に発言している。『ジェンダー・トラブル』においては、モニク・ウィティッグやジュリア・クリステヴァらへの批判を行った。

    とりわけ、「セックスはつねにすでにジェンダーである」という『ジェンダー・トラブル』(竹村和子 訳・青土社)での議論は、セックスという生物学的な原因と、ジェンダーという社会的文化的な結果の区別を無効にし、原因と結果の転倒を行った。また、バトラーは、同一性を保ち続けるオリジナルな(起源としての)主体に対して、行為体(エイジェンシー)という概念を用いて、言語のまえやあとに想定される「主体」の否定、「同一性」やアイデンティティがパフォーマティヴな行為の結果であるという撹乱的な理論を行ったことは、その後のクィア理論に大きく影響している。

    クィア理論の方法[編集]

    クィア理論における「理論」という言葉は、「ある学問分野において行われた、ある事柄についての考察・研究が、他の分野でも援用できる」という意味合いを帯びている。

    ジョナサン・カラーがまとめた理論の要点をもとに以下、四点にまとめる。

    学際的でもとの学問分野(ディシプリン)を越えて影響力を持つ言説である。
    分析的で思弁的。性や言語、エクリチュール、意味、主体と呼ばれるものには何が関与しているのか、関係性をたどり、解きほぐそうとする。
    常識や規範、自然と考えられている諸所の概念を批判的に検証する。
    考えることについて考える行為である。ものを理解するさいに使うカテゴリーを考え直す試みである。
    [4]

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  82. クィア理論(クィアりろん Queer theory)は、第三波フェミニズムやゲイ・レズビアンスタディーズとして知られる、ジェンダー・セクシュアリティの、思想的、理論的研究から派生し、構築された理論である。クイア理論とも表記する。
    目次 [非表示]
    1 概要
    2 問題意識
    3 歴史
    4 思想的な背景
    5 クィア理論の方法
    6 注釈
    7 関連項目
    8 参考文献
    9 映像資料
    概要[編集]

    1990年代初頭まで、「クィア(Queer)」とは「奇妙な」という意味から転じて「男性同性愛者」、「ホモセクシュアル」、「変態」、「おかま」などの意味で使用された侮蔑語、差別語であった。[1][2][3]しかし、LGBTといった細分化されたセクシュアリティの分類に対して、テレサ・デ・ラウレティスやジュディス・バトラー、イブ・コゾフスキー・セジウィックらの思想家が新たな理論的な可能性の模索をはじめ、「クィア」という言葉は、非異性愛者の連帯として新たな意味として肯定的に用いられるようになった。
    1990年代以降、クィア理論は、学問領域を横断する思想として広く受容されるようになり、「本質」、「生成」、「根源」といった概念に対して、「構築」、「行為遂行性(パフォーマティヴ)」、「経路」といった観点から、「性」(セックス、ジェンダー、セクシュアリティ)を問い直している。
    問題意識[編集]

    クィア理論の主要な研究企図は、現在進行中の、ジェンダーとセクシュアリティ、性科学の類型化、分類について再考することである。例えば、「ホモセクシュアルとは何であるか?」という問いは、ホモセクシュアルの範疇を再考したり、ホモセクシュアルの構築過程について本質はあるのかという問いを可能にする。また、「黒人系の英国籍をもったレズビアンは、南アジアのゲイの男性と異なった生活経験をしているのか」など、これまで一面的にとらえてきたゲイやレズビアンなどの範疇(カテゴリー)の中にある差異を問い直すことも行われている。

    クィア理論は、もともと、ジェンダー・セクシュアリティの諸問題において、自然的、必然的、本質的な立場をとらず、ジェンダーやセクシュアリティは文化的に構築されているという地点・地平・時空から出発した。言語自体が恣意的な差異の体系であるという、20世紀の言語論的転回を受けて、「言語は恣意的に構築された差異の体系であること(構築主義的な見方)」、「規範的な性にあてはまらないものは、排除されるか、言説の増産によって、一定の位置に追いやられること(ミシェル・フーコーが『性の歴史I 知への意志』で指摘)といった問題意識に基づき、同一性や規範、主体の産出の問題について活発に論を展開している。
    歴史[編集]



    理論家イブ・コゾフスキー・セジウィック
    クィア理論は、1990年2月に、カリフォルニア大学サンタクルーズ校において行われた、レズビアンやゲイのセクシュアリティを理論的に考える研究会議「クィア・セオリー」において、テレサ・デ・ラウリティス(テレサ・デ・ローティス)によって、「クィア」と「理論」を組み合わせて作られ、同会議では、クィア概念が提唱された。
    ラウレティスの問題意識は、1960年代から進んでいたレズビアンやゲイの権利を確保するための解放運動の後、1980年代以降、反動(バックラッシュ)が起きたことに対して、セクシュアルマイノリティの間での連帯を呼びかけるものだった。風間孝、河口和也、キース・ヴィンセント『別冊id研』(動くゲイとレズビアンの会1997年13ページ/河口和也『クイア・スタディーズ』2003年・57-58ページにも採録)によると、ラウレティスは、アメリカ合衆国において、「ゲイとレズビアン」というひとかたまりの集団として扱われることについて、セクシュアリティについての差異がないかのように捉えられていることについて話す機会として1990年のカリフォルニア大学サンタクルーズ校での学会を主催したという。そのときには、アメリカ合衆国の背景を考えて、人種とセクシュアリティの関係について話す機会が欲しかったという。セクシュアリティという単一な概念から、複数的で多様なセクシュアリティーズや様々な概念を組み入れてアプローチできる方法であるとしている。この場合、取り込み(アプロープリエーション)との関係、体内化という概念も結びつくき、クィアは、要素のひとつであったり、アイデンティティとしての本質的なクィアという陥穽に陥らないために、動詞的、形容詞的に使用された。

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  83. 【不良の哲学】

     浅田 千葉さんの「切断論」はいわば「不良の思想」であるところが面白い。例えば、デリダの責任論というのは、「責任が取れないことに責任を取る」という思弁的な議論だけれど、それを現実に適用しようとすると、おおむね優等生の生徒会長みたいな議論になる。

     千葉 もっともっと細かく気をつかいましょう、みたいな話。

     浅田 今の「若手論客」と呼ばれる人たちも総じてそんな感じでしょう。ネットを通じて、これまで無視されてきたマイノリティーの声なき声にも耳を傾けよう、うんぬん。

     そもそも、「社会や人間のラディカルな変革を構想する左翼思想はもう古い、問題があればそのつどパッチを当てて処理する部分的社会工学しかない」という前提の上で、たとえば代議制民主主義が十分にマイノリティーの声を反映できないなら、ネットでの絶えざる国民投票で補完していこうといったことを考えるわけですね。

     ちなみに、マルクス=レーニン主義のようなラディカルな外来思想への拝跪(はいき)を批判し、日本なら日本の「大衆の原像」を重視したのが吉本隆明の思想だったけれど、今それに対応するのが「オタク文化論」で、そういうソフトな大衆文化論がハードな社会工学を補完する形になっている。その「オタク文化論」も、「普通」の異性愛に固執し、フェミニズムや、多様な性のあり方を肯定するクイア(変態)理論からの批判を外来思想として退ける、保守的な側面をもっています。

     もちろん、具体的には部分的情報社会工学でやれることはどんどんやったらいいと思う。しかし、それは哲学や思想の問題ではない。哲学や思想とは、可能な範囲で工夫することではなく、可能な範囲そのものを考え直す過激な試みだったはずだから。

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  84. 竹取物語とか桃太郎の冒頭には高齢者のセックスが隠蔽されている。
    だからセックスを主題に考える(連想する)のはあながち間違いではないが、
    (物語内容に関しては)現代の性描写とは地層が違うということは認識すべきだろう。

    さて、國分より千葉本の方が優れている点を探すなら、性への問題意識がある点だ。

    『動いけ』188頁の図を282頁の図と繋げると、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス* |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的 エス (1)
    |________|______|

    *=《欠如》、良き対象、象徴的ファルス

    上記は、

    象徴界
    想像界
    現実界

    に対応するだろう。

    ただし単純に(2)が称揚されるのではなく。1と3をつなぐ、通底する
    イマジネーションとして(2)は称揚されている。
    想像力は寓話にも自慰にも使われ得る危険な概念だが、、、、そこは楽観的
    のようだ。

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  85. 竹取物語とか桃太郎の冒頭には高齢者のセックスが隠蔽されている。
    だからセックスを主題に考える(連想する)のはあながち間違いではないが、
    (物語内容に関して)現代の性描写とは地層が違うということは認識すべきだろう。

    さて、國分より千葉本の方が優れている点を探すなら、性への問題意識がある点だ。

    『動いけ』188頁の図と282頁の図では凡そ以下のように概念規定されている、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス* |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的 エス (1)
    |________|______|

    *=《欠如》、良き対象、象徴的ファルス

    上記は、

    象徴界
    想像界
    現実界

    に対応するだろう。

    単純に(2)が称揚されるのではなく。(1)と(3)をつなぐ、通底す
    るイマジネーションとして(2)は称揚されている。
    想像力は寓話にも自慰にも使われ得る危険な概念だが、、、、そこは楽観的
    のようだ。

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  86. 竹取物語とか桃太郎の冒頭には高齢者のセックスが隠蔽されている。
    だからセックスを主題に考える(連想する)のはあながち間違いではないが、
    (物語内容に関して)現代の性描写とは地層が違うということは認識すべきだろう。

    さて、國分より千葉本の方が優れている点を探すなら、性への問題意識がある点だ。

    『動いけ』188頁の図と282頁の図では凡そ以下のように概念規定されている、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス* |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的 エス (1)
    |________|______|

    *=《欠如》、良き対象、象徴的ファルス

    上記は、

    象徴界
    想像界
    現実界

    に対応するだろう。

    単純に(2)が称揚されるのではなく。(1)と(3)をつなぐ、通底するイマジ
    ネーションとして(2)は称揚されている。
    想像力は寓話にも自慰にも使われ得る危険な概念だが、、、、そこは楽観的のようだ。

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  87. 竹取物語とか桃太郎の冒頭には高齢者のセックスが隠蔽されている。
    だからセックスを主題に考える(連想する)のはあながち間違いではないが、
    (物語内容に関して)現代の性描写とは地層が違うということは認識すべきだろう。

    さて、國分より千葉本の方が優れている点を探すなら、性への問題意識がある点だ。

    『動いけ』188頁の図と282頁の図では凡そ以下のように概念規定されている、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス* |性器的 超自我(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|尿道的 自我 (2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |肛門的 エス (1)
    |________|______|

    *=《欠如》、良き対象、象徴的ファルス

    上記は、

    象徴界
    想像界
    現実界

    に対応するだろう。

    単純に実体として(2)が称揚されるのではなく。(1)と(3)をつなぐ、通底す
    るイマジネーションとして(2)は称揚されている。
    想像力は寓話にも自慰にも使われ得る危険な概念だが、、、、そこは楽観的のようだ。

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  88. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    世間的にはしきりに國分本と比較されるが、実は、どちらかというと中庸を説いているのは國分の方で、「哲学原理」を説いているのは千葉の方だ(ガタリをドゥルーズから切り離す〜一応リゾームへの切断ではあるが〜のは中庸以外の何ものでもない)。
    千葉の方は優秀な大学院生のレポートレベルだが、触発されるのは『動いけ』の方で間違いない。
    成功しているかどうかは別として、性の問題に取り組んでいるドゥルーズ研究者は千葉しかいない。

    以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    (3)       (1)           (2) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |(3)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|(2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |(1)
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、(1)バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、(3)超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、(2)器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。(1)はヒューム主義に、(3)はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、(2)は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、(1)は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、(3)は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、(2)は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》(『動きすぎてはいけない』188頁より。数字を算用数字に変え、図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。



    「生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない」
    (il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)
    (記号と事件277頁) Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    (動いけ51頁) (窓)http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf

    (窓)http://ameblo.jp/boomooo/entry-11295181567.html
    The Beatles- 06- The Inner Light (2009 Mono Remaster) (窓)http://youtu.be/DORTbu44PNY

    僕はドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    君もドアから外に出なくても
    世界のあらゆることがわかる
    窓から外をみなくても
    極楽への道がわかる
    旅するほど
    わかっていることがなくなっていく
    本当に理解していることがなくなっていく

    旅することなく到達しよう
    見ることなくすべてを理解しよう
    することなくすべてをなしとげよう

    (窓)http://nam-students.blogspot.jp/2013/05/blog-post_4105.html#note47 老子47
    不出戸、知天下、不??、見天道。其出彌遠、其知彌少。是以聖人不行而知、不見而名、不爲而成。

    ドゥルーズ自身は千のプラトーで老子に触れている。荘子の相対主義は人間的すぎるのだ。

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  89. 千葉雅也×國分功一郎『動きすぎてはいけない』出版記念トークイベントのメモです | メディア日記<龍の尾亭>
    http://blog.foxydog.pepper.jp/?eid=980453
    千葉君がスピノザに言及したところで紹介したいのは
    P148にエチカが言及されている。これはこの通り。

    簡単には反論できなかった。

    でも、ちょっと言っておくと、僕が博論でやったのは『知性改善論』という失敗作。

    この『知性改善論』という本の冒頭(失敗した方法論なんだけれど)、自分は名誉欲・金銭欲・性欲から抜け出したいと思った、という。
    でも、やろうと思ったけど、日常生活を大変革しなきゃならないから、無理だと。
    もう一回やろうと思って、考えを変えて、それを捨てて絶対善を求めようとした、と。
    そのとき、名誉欲・金銭欲・性欲は本性上不確かだけど、「絶対善」は本性上確かだ。あるとすればね。
    だから前者を捨てて後者を取るんだ、と。

    でも、やっぱりうまくいかなかった。スピノザは二回挫折している。
    しかしながら、その挫折の中からそこを抜け出せる考えを見いだした。

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  90. savoir-faire 【サヴォアフェール】
    2010年02月09日 (火) | 編集 |
    savoir-faire はフランス語由来の外来語で、手元の英和辞典には「臨機応変の才、気転、世才」という訳が出ていました。検索してみたところ、アパレル業界では「サヴォアフェール」というカタカナ語が使われているようなので、私のようにファッション関係に疎い翻訳者はあえて漢語に訳さず、カタカナ語にしておいたほうが無難かもしれません。

    ちなみに、仏英辞典のウェブサイトで savoir-faire を引くと know-how とか expertise という訳語が出てきますが、「ノウハウ」とか「専門知識」と訳すのも、少し違っているような気もします。知識があるだけでなく機転が利くという意味も含めて漢語にするなら、「才覚」あたりが近いように思います(しかし、フランス語に無知な私は、それが適訳と言い切る自信はありません…)。


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  91. ドゥルーズの哲学の定義はこうで「も」ある、ということですね。

    今までとは全く違った、応用でも変奏でもなく、読み替えでもない、新たな論理水準。
    突拍子もないんだが実はそうじゃなくて、それを作り出しているのが千葉雅也の本の新しさであり、(繰り返すが)ポップな読み替えではないよ、ということ。

    これが一つ目の方法。

    さらに、千葉君は
    自由間接話法「的」にドゥルーズを読んでいる。

    直接話法と間接話法の間にあるようなもの。

    要するに間接話法は、語っている側と語られている側の区別がなくなっちゃう話法。



    「うまくやっていくこと」
    Savoir y faire


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  92. 池田剛介さんはこの本を「インスタレーション的」といっている。
    あちこににいろいろ飛ぶようにできている。

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  93. 今思えば『構造と力』は68年の敗北を美学に回収するものだった。
    ドゥルーズにとって68年は政治革命から社会革命への転換だったのに、
    浅田はプルードンを読んでいないからそれがわからない。
    地域主義も直接行動もマルクスの論理で抑圧すればいいと思っている。
    東の『存在論的郵便的』(これはデリダ論であるとともに柄谷論でもある)
    における可能世界論も美ではなく崇高への回収ったが似たようなものだ、、、
    (カントが言うように美は数学的で崇高は力学的である。)

    地域主義は世界共和国とフラクタルになるのだが、このフラクタルなる概念を
    かつて浅田から学んだ身としては現状は情けないの一言である。

    今後天皇制が京都帰還という解消策をとるうえで地域主義は重要だし、
    浅田の知性は京都において唯一頼りになるものでは依然ある。

    返信削除
  94. 今思えば『構造と力』は68年の敗北を美学に回収するものだった。
    ドゥルーズにとって68年は政治革命から社会革命への転換だったのに、
    浅田はプルードンを読んでいないからそれがわからない。
    地域主義も直接行動もマルクスの論理で抑圧すればいいと思っている。
    東の『存在論的郵便的』(これはデリダ論であるとともに柄谷論でもある)
    における可能世界論も美ではなく崇高への回収だったが似たようなものだ、、、
    (カントが言うように美は数学的で崇高は力学的だ)

    地域主義は世界共和国とフラクタルになるのだが、このフラクタルなる概念を
    かつて浅田から学んだ身としては現状は情けないの一言である。

    今後天皇制が京都帰還という解消策をとるうえで地域主義は重要だし、
    浅田の知性は京都において唯一頼りになるものでは依然あるが。

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  95. 浅田・柄谷・岡崎・奥泉・島田・スガ・渡部による参考テクスト70の内の人文社会科学編

    ルイ・アルチュセール『マルクスのために』平凡社ライブラリー
    レイモンド・ウィリアムズ『キイワード辞典』晶文社
    ロジェ・カイヨワ『聖なるものの社会学』ちくま学芸文庫
    アントニオ・グラムシ『新編-現代の君主』青木書店
    スラヴォイ・ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』河出書房新社
    ディドロ&ダランベール編『百科全書』岩波文庫
    フランツ・ファノン『黒い皮膚・白い仮面』みすず書房
    ヤーコブ・ブルクハルト『ブルクハルト文化史講演集』筑摩書房
    フェルナン・ブローデル『歴史入門』太田出版
    ダニエル・ベル『資本主義の文化的矛盾』講談社学術文庫
    ダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ-あるいは不思議の環』白揚社
    メルロ=ポンティ『メルロ=ポンティ・コレクション』ちくま学芸文庫
    ユング『変容の象徴-精神分裂病の前駆症状』ちくま学芸文庫
    ジャン=フランソワ・リオタール『ポスト・モダンの条件-知・社会・言語ゲーム』白馬書房
    G・ルカーチ『歴史と階級意識』未来社
    浅田彰『構造と力-記号論を超えて』勁草書房
    網野善彦『日本社会の歴史』岩波新書
    岩田弘『現代社会主義と世界資本主義』批評社
    上野千鶴子『ナショナリズムとジェンダー』青土社
    大塚久雄『欧州経済史』岩波現代文庫
    木村敏『時間と自己』中公新書
    遠山啓『無限と連続-現代数学の展望』岩波新書
    中井久夫『分裂病と人間』東京大学出版
    林達夫『林達夫セレクション2-文芸復興』平凡社ライブラリー
    廣松渉『マルクス主義の地平』講談社学術文庫
    丸山真男『日本の思想』岩波新書
    山口昌男『道化の民俗学』ちくま学芸文庫
    湯川秀樹『物理講義』講談社学術文庫

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  96. 以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より 図に番号を追加

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    (1)       (3)           (2) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |(1)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|(2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |(3)
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、(3)バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、(1)超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、(2)器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。(3)はヒューム主義に、(1)はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、(2)は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、(3)は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、(1)は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、(2)は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》(『動きすぎてはいけない』188頁より。数字を算用数字に変え、図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。



    「生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない」
    (il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)
    (記号と事件277頁) Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    (動いけ51頁) (窓)http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf


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  97. 以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より 図に番号を追加

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)

    (1)       (3)           (2) 

    上記表は、『動いけ』本文では18頁の浅田彰評と共に以下のチャート図とも呼応するだろう。
    これだと東浩紀は「ジャンキーの動きすぎ」になってしまう?

    「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    さらに、
     _______________
    |ひとつの穴の輪郭|ファルス  |(1)
    |________|______|
    |個体の輪郭   |器官なき身体|(2)
    |________|______|
    |分子状の散乱  |部分対象  |(3)
    |________|______|

    《こうして、三層の図を示すことができるだろう。すなわち、(3)バラバラの部分対象の乱立〜〜東の言う「複数的な超越性」〜〜が、(1)超越論的シニフィアン(ファルス)によって集約され〜〜構造主義的ホーリズム〜〜、否定神学化される途中において、(2)器官なき身体としての個体が、イマジネールに肯定される。(3)はヒューム主義に、(1)はベルクソン主義 → 構造主義〜〜時間の第二の総合から第三の総合へ〜〜に対応し、(2)は、ヒューム主義とベルクソン主義に通底するイマジネーションの形而上学に対応する。ドゥルーズ哲学に対する精神分析を擬するならば、(3)は〈ドゥルーズ哲学の幼年期〉であり、(1)は〈ドゥルーズ哲学の青年期〉であり、(2)は〈ドゥルーズ哲学の少年期〉である。》(『動きすぎてはいけない』188頁より。数字を算用数字に変え、1と3を逆にし、図に記号を追加した。)

    このドゥルーズの擬似的変遷図はわかり易い。

    スピノザ(二項対立的一元論的=國分)vs.ライプニッツ(多元論=千葉)の論争、代理戦争を切望する。



    「生成変化を乱したくなければ、動き過ぎてはいけない」
    (il ne faut pas trop bouger, pour ne pas effrayer les devenirs)
    (記号と事件277頁) Gilles Deleuze, Pourparlers, Paris, Minuit, 1990, p.188.
    (動いけ51頁) (窓)http://langue-fr.c.u-tokyo.ac.jp/resonances/resonances03/resonances2004_note_j.pdf


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  98. これらは帰納と演繹に対応する。


     A 知識人           B ジャンキーの動きすぎ
      =代表者の動きすぎ    


     演繹(deduction)        帰納( induction)
             普 遍 法 則
             ↓(大前提)
    deduction  /|\  induction
        演 繹 法 / | \↑帰 納 法
             /__|__\
          (事実)  ←  (事実)
             真 の 推 理 

    (「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)

    返信削除
  99. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    これらは帰納と演繹に対応する。

     A 知識人           B ジャンキーの動きすぎ
      =代表者の動きすぎ    


     演繹(deduction)        帰納( induction)
             普 遍 法 則
             ↓(大前提)
    deduction  /|\  induction
        演 繹 法 / | \↑帰 納 法
             /__|__\
          (事実)  ←  (事実)
             真 の 推 理 

    (「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)

    返信削除

  100. 「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    これらは演繹と帰納に対応する。

     A 知識人           B ジャンキーの動きすぎ
      =代表者の動きすぎ    


     演繹(deduction)        帰納( induction)
             普 遍 法 則
             ↓(大前提)
    deduction  /|\  induction
        演 繹 法 / | \↑帰 納 法
             /__|__\
          (事実)  ←  (事実)
             真 の 推 理 

    (「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)

    返信削除

  101. 以下、「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ

    これらは演繹と帰納に対応する。

     A 知識人           B ジャンキーの動きすぎ
      =代表者の動きすぎ    


     演繹(deduction)        帰納( induction)
             普 遍 法 則
             ↓(大前提)
    deduction  /|\  induction
        演 繹 法 / | \↑帰 納 法
             /__|__\
          (事実)  ←  (事実)
             真 の 推 理 

    (「分析論」後篇1部18章、白水社『ミル推理論』35、38頁より、竹田加壽雄作成の図を参照)

    返信削除
  102. AのベルクソンとBのヒュームを総合したドゥルーズは偉大だ。

    返信削除

  103. https://twitter.com/Kren2rideauxUFO/status/406391982907326464/photo/1
    千葉雅也 浅田彰 逃走論と切断論 おもしろかった けど、、 pic.twitter.com/LmlCpZJh7F


              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)


    (1)       (3)           (2) 
    (A)       (B)      

    これらを以下の柄谷の交換図に変換する、

      _______________________
    |           |           |
    |           |           | 
    |   S       | I         | 
    |   国家      | ネーション     |  
    |   B       | A         |           
    |           |           |     
    |           |           |平
    |___________|___________|
    |           |           |等   
    |           |           |          
    |   R       |           |       
    |   資本      | アソシエーション  |          
    |   C       | D   X     |          
    |           |           |          
    |           |           |          
    |___________|___________|
               自 由

    『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。    

    すると以下になる。

    スキゾ|カッペ
    ---+---
    パラノ|アスペ

    返信削除

  104.           逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)


    (1)       (3)           (2) 
    (B)       (C)           (D) 
    これらを以下の柄谷の交換図に変換する、

      _______________________
    |           |           |
    |           |           | 
    |           |           | 
    |   国家      | ネーション     |  
    |   B       | A         |           
    |           |           |     
    |           |           |平
    |___________|___________|
    |           |           |等   
    |           |           |          
    |           |           |       
    |   資本      | アソシエーション  |          
    |   C       | D   X     |          
    |           |           |          
    |           |           |          
    |___________|___________|
               自 由

    『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。    

    すると以下になる。

    スキゾ|カッペ
    ---+---
    パラノ|アスペ

    Aが空くのでとりあえずカッペと命名した。

    返信削除
  105. 以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より 図に番号を追加

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)


    (1)       (3)           (2) 
    (B)       (C)           (D) 

    これらを以下の柄谷の交換図に変換する、

      _______________________
    |           |           |
    |           |           | 
    |           |           | 
    |   国家      | ネーション     |  
    |   B       | A         |           
    |           |           |     
    |           |           |平
    |___________|___________|
    |           |           |等   
    |           |           |          
    |           |           |       
    |   資本      | アソシエーション  |          
    |   C       | D   X     |          
    |           |           |          
    |           |           |          
    |___________|___________|
               自 由

    『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照。    

    すると以下になる。

    パラノ|カッペ
    ---+---
    スキゾ|アスペ

    Aが空くのでとりあえずカッペと命名した。

    返信削除
  106. 以下、2013年11月、千葉雅也 浅田彰 シンポジウム 逃走論と切断論 より 図に番号を追加

              逃走論と切断論

    パラノ        スキゾ           アスペ
    インテグレーション  ディファレンシエーション  アイソレーション
    蓄積         ギャンブル         節約
    定住         逃走            仮住まい
    セントラル      マージナル         パーシャル
    メジャー       マイナー          メジャーとマイナーの混乱
    ドメスティック    ワイルド          ワイルズ
    〈内〉の思考     〈外〉の思考        〈傍〉の思考
    トータリティ     インフィニティ       フィニチュード
    ヘテロ        ゲイ            クィア
    ウェット       ドライ           クリスプ(?)
    ピュアブレッド    ハイブリッド        クローン(分身)


    (1)       (3)           (2) 
    (A)       (C)           (D) 

    これらを以下の柄谷の交換図に変換する、

      _______________________
    |           |           |
    |           |           | 
    |           |           | 
    |   国家      | ネーション     |  
    |   B       | A         |           
    |           |           |     
    |           |           |平
    |___________|___________|
    |           |           |等   
    |           |           |          
    |           |           |       
    |   資本      | アソシエーション  |          
    |   C       | D   X     |          
    |           |           |          
    |           |           |          
    |___________|___________|
               自 由

    (『世界史の構造』15頁、定本『トランスクリティーク』425頁(文庫版415頁)参照)

    すると以下になる。

    エリート|パラノ
    ----+---
     スキゾ|アスペ

    Bが空くのでとりあえずエリートと命名した。

    返信削除
  107. パラノ|
    ---+---
    スキゾ|アスペ

    この方が正しい。

    返信削除
  108. http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/philo/1391616147/8-9
    ●○● Aquirax: 浅田彰 part75●○●
    8 :考える名無しさん:2014/02/06(木) 17:23:48.47 0
    SPA抜粋 2/11・18合併号  前


    浅田彰
    東浩紀さんなんてとても優秀な人だと思うし、柄谷行人さんと僕で編集していた『批評空間』でデリダ論(『存在論的,郵便的』)を
    書いてくれたことはありがたいですよ。あれは単行本で一万部くらい出て、15年たった今でも本屋で売れている。それが最大の承認でしょ?
    ところが、例えばアニメについてツイートしたら、すぐにレスポンスが来る。それが承認だと思っちゃったんじゃないか-そんなの、翌日にはなかったも同然なのに。
    そういう即時的レスポンスを求めて、彼は情報社会論とおたく文化論に行った。彼の時代認識に基づく決断だったから反対はしないけど、
    何十年も読まれる本を書ける人なのにもったいない気がするんだな。やっぱり、反時代的な孤高の姿勢を、演技でもいいから貫かないと、思想や文学なんて不可能じゃないですか。

    ツイッターなんかでの評価を気にしすぎなんですよ。千葉さんのドゥルーズ論『動きすぎてはいけない』について、僕は「不良の思想であるところが面白い」と褒めたけれど、
    不良なんだからもっと偉そうにしてりゃいいじゃないですか。もっとも、東浩紀がオタクをデータベース的動物として評価したのに対し、単に動物的なものとして切り捨てられた
    ヤンキーの一部であるギャル男も実はデータベース消費をしてるってのが千葉さんの論点なんで、どうしてもネットでのコミュニケーションを過剰に意識しちゃうのかもしれない。
    NHKの討論番組に若手論客と呼ばれう人たちがよく出てくるじゃないですか。2、3分しか見ないけれど、情報の整理も討論もなかなか上手だと思いますよ。
    しかし、あれではほとんど学級会でしょう。「良心的」な「優等生」が、ネットも駆使してマイノリティの声を取り入れましょう、民主主義をヴァージョン・アップしましょう、と。
    僕は國分功一郎というのに驚いたんだけど、「議会制民主主義には限界があるからデモや住民投票で補完しましょう」と。
    21世紀にもなってそんなことを得々と言うか、と。あそこまでいくと、優等生どころかバカですね。

    福田和也
    「それ、本気で言ってんの?」という。最初はジョークかと思ってたけれど。

    浅田彰
    代議制の可能性と限界については昔からいやというほど論じられてきた。そういう記憶が失われているのかもしれない・・・。



    9 :考える名無しさん:2014/02/06(木) 17:24:18.57 0
    SPA 2/11・18合併号  後


    浅田彰
    京大の人文研にいる、東浩紀の同級生でディドロ研究者の王寺賢太が、國分を呼んでスピノザ論を聞いたことがあるんです。
    僕は昔から、先行研究を踏まえた手堅い優等生研究ってのは好きじゃなかったんだけど、國分は、驚くべきことに、ドゥルーズやネグリのみならず、
    古典的なスピノザ研究の蓄積についてもほとんど言及せず、ひたすら「僕のスピノザ」を大声で得々と語るわけ-腐っても人文研の研究会で。
    思わず「あなた、バカって言われない?」と聞いちゃった。

    もちろん、先行研究うんぬんで既存の記憶に押しつぶされるより、ちょっとは蛮勇を奮ったほうがいい。でも、逆に言えば、蛮勇は過去の蓄積を突き破るように
    生まれるわけですよ。哲学の理論体系はだいたいヘーゲルで完成されており、それと現実とのずれの中でヘーゲル的な円環を突き破るようにして
    マルクスの意味での批判=批評というのが始まり、我々もその前提の上でやってきた。ところが、國分なんかは自前の哲学を語りたいらしい。
    じゃあ何を言うのかと思えば、住民投票による「来るべき民主主義」とか、おおむね情報社会工学ですむ話じゃないですか。哲学や思想というのは、
    何が可能で何が不可能かという前提そのものを考え直す試みなんで、可能な範囲での修正を目指すものじゃないはずです。

    ともかく國分のような「似非優等生」よりは千葉のような「不良」のほうが面白い。
    ただ、自己批判しておくと、僕はガキのアナーキーをあえて肯定する立場だったんだけど、その前提をもっと強調しておくべきだったかもしれない。
    ドゥルーズ&ガタリの概念に「マイナーになる」-女性に、子供に、動物に、知覚不能になる、というのがありますね。
    しかし、子供に「なる」のと、子供で「ある」ことに居直るのは、全然別のことです。
    大江健三郎がアドルノやサイードを踏まえて言う「晩年様式」じゃないけれど、老人が子供に「なる」ときに
    新鮮な驚きを感じたりするのであって、子供で「ある」ことに居直ったままでは子供に「なる」ことはできない。
    というわけで、死にそびれたことでもあり、ここは潔く転向して・・・。福田さんは昔から一貫して、「成熟が必要だ」と。
    僕は僕で、子供に「なる」ためにこそ成熟が必要である、という当たり前のことを言っておかざるをえない、と。

    返信削除
  109. 劣化というからには、優れていたことがある、期待されていたことがある、
    ということか。
    木の周りを回る虎がバターになるような消尽=潜在性/(忘却ではなく)

    返信削除
  110. カントとかアランとか小林秀雄は、思索それ自体に経験主義を
    適用しているから、症例としてであれ、その文章が残っている
    そこに強みがある
    柄谷が柳田やモンテーニュを褒める時もそれが念頭にある
    浅田の世代は経験を信じていない
    ただテクノロジーは信じているからニヒリストではない

    返信削除

  111. http://realkyoto.jp/article/asada-akira_kurose-yohei_5/
    ついでに思い出せば、ポンピドー・センターで開催された『前衛芸術の日本』展
    (1986-1987)のシンポジウムに蓮實重彦・柄谷行人・中上健次とともに参加した、
    ちょうどそのとき、中上健次を興奮させた学生デモの盛り上がりにコアビタシオン
    (保革共存)相手である右派のシラク首相が手を焼いているのを尻目に、左派のミ
    ッテラン大統領がオルセー美術館の開館式を執り行ったのでしたが、当時の関係者の
    話では、右派のジスカール・デスタン前大統領はオルセー美術館を(つまり19世紀フ
    ランス美術を)本当はドラクロワの《民衆を率いる自由の女神》から(つまり1830年
    革命で成立した金融ブルジョワジー支配から)始めたがったのに対し、ミッテラン大
    統領はクールベの《オルナンの埋葬》から(つまり1848年の社会主義革命から)始め
    るよう主張し、実際にドーミエ(七月王政批判)とクールベ(1848年革命)が起点に
    置かれることになった、ということでした。美術史がそこまで政治的な意味をもつこ
    とが日本には十分に伝わっていないように思っていたのですが、久松知子のような若
    い画学生がオルセー美術館を訪ねてまさにそのポイントに敏感に反応したというのは
    嬉しい驚きです。

    返信削除
  112. もちろん、幕末から明治初期を生きた高橋由一の中に伝統的な日本的感性と新しい西洋美術の衝突を見る従来の見方(高階秀爾に代表され、黒瀬さんの依拠する北澤憲昭にも見られる)は自然な見方であって、かなりの程度まで正しいでしょう。それは承知の上で、僕は(また、はるかに精密な仕方で岡﨑乾二郎も)高橋由一を西洋/東洋の比較文化史にとらわれない真っ当なモダニストとして見直せないかと考えてきました。先にワーグマン/高橋をドーミエ/クールベに擬したのも、その一環です。

    もちろん、ナポレオンIII世の第二帝政を批判し、1855年、体制側の万国博覧会に対抗して単独で個展(そこで《オルナンの埋葬》や《画家のアトリエ》が展示された)を開催した、そして1871年のパリ・コミューンで人民委員を務め、その敗北後、スイスに亡命して死ぬことになるクールベに対し、明治維新前後を生きた高橋由一は、琴平山博覧会(1879)に37点もの作品を出品したり(その多くはいまも金刀比羅宮で見られる)、東北各県で自由民権運動を弾圧しつつ土木工事を進めた東北の小ナポレオンIII世とも言うべき県令・三島通庸の下でその土木事業を記録したりしている(螺旋展画閣建設の斡旋を依頼したこともある)。体制側の——というか体制/反体制がはっきりしない時代のクールベと言うべきかもしれない。ただ、それらの作品自体はいたって真っ当なレアリスム絵画と見ることができるというのが僕の考えです。

    返信削除
  113. NAMs出版プロジェクト: 定本柄谷行人集(付『世界共和国へ』『NAM原理』)総合索引


    http://nam-students.blogspot.jp/2006/05/nam_31.html
    本文訂正:

    5p49
    近衛文麿 皇軍派

    近衛文麿 皇道派

    4:00 午前
    yoji said...
    http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/kindaishico/2.26zikenco/ideoroguco/kokutairon4.html
    北一輝の「国体論及び純正社会主義」
    「第四編 いわゆる国体論の復古的革命主義」第9章

     国体論中の『天皇』は迷信の捏造による土偶にして天皇に非ず

     すなわち、今日の憲法国の大日本天皇陛下に非ずして、国家の本質及び法理に
    対する無知と、神道的迷信と、奴隷道徳と、転倒せる虚妄の歴史解釈とを以て捏
    造せる土人部落の土偶なるなればなり。土人部落の土偶はたとえ社会主義の前面
    に敵として横わるとも、また陣営の後に転がり来るとも、社会主義の世界と運動
    とには不用にして天皇は外に在り。土偶を恐怖するは南洋の土人部落にして東洋
    の土人部落中また之を争奪して各々利する所あらんとするものありとも、社会主
    義はただ真理の下に大踏歩して進めば足る。

    参考:
    ダイアローグ4 浅田彰柄谷行人対談「昭和の終焉に」
    早稲田文学2007年6月浅田彰高澤秀次対談「中上と三島、或いは80年代をめぐって」
    http://www.bungaku.net/wasebun/freepaper/vol095_0624.html
    19頁

    4:18 午前
    yoji said...


    高澤◉井上陽水が「みなさん、お元気ですか」とにやけて車のなかから手を振ってるCMも、中止になったりね。
    国民がお元気でどこが悪いんだよ(笑)。
    浅田◉それで、これではポストモダンどころかプレモダンじゃないか、という話が出てきたわけです。ちょうど
    天皇の死んだ1月7日発売の「文學界」に、中上健次と岡野弘彦の対談と、柄谷行人とぼくの対談が並んで出て
    たんですよ。われわれのほうは、最低限モダニティを確立するために天皇制の廃止と共和制の樹立が必要だと言
    っているんだけれど、ぼくの「土人」発言だけか有名になってしまった(笑)。あれは本当を言うと編集の段階
    でちょっと変わっているんです。その前の段階で、北一輝すら「天皇は土人部落の土偶ではない」と言い、天皇
    機関説的な立場からほとんど大統領制に近いような天皇制を考えていた、という話があり、ぼくがそれを踏まえ
    て、皇居前広場で土下座している連中を見るとなんという「土人」の国かと思う、と言ったのに、北一輝に関す
    る部分がカットされて、ぼくの「土人」発言だけが残ってしまった。もちろん、それでもぜんぜんOKですけど
    ね(笑)。それに対して中上健次は、宮中の歌会始の常連である岡野弘彦と、「いや、天皇こそが日本という国
    の言の葉の連綿たるつらなりを支えているのだ」というような話をしている。ここではぼくと岡野弘彦はたんな
    る当て馬で、柄谷行人と中上健次があえて反発しあっているわけです。

    返信削除
  114. Yokoyama Takuya @yoko_deco 2015-01-17 19:48:23
    名言候補『マイルドなニヒリズム 』nico.ms/lv203860355#48… #nicoch2580193 #genroncafe
    tokada @tokada 2015-01-17 19:49:50
    浅田「自分が自分を承認できればいい。本当は皆が自分みたいになればいいと思っている。マイルドなニヒリズムですよ」 nico.ms/lv203860355#49… #nicoch2580193 #genroncafe
    たれごじらん @taregodzilan 2015-01-17 19:50:43
    ピケティの話。なんであんなに受けているか… 東「経済ではなく、やはり心の問題では」浅田「資本主義でいいでしょ&再分配と承認で多文化主義」→ その程度ではダメ。中沢「ピケティはアメリカ人が読んで安心できるから。マルクスは安心できない。でも読んだら飽きる本」#genroncafe

    返信削除
  115. ドストエフスキーの影響:
    タルコフスキー『ノスタルジア』キリーロフ
    ゴダール『中国女』キリーロフ
    黒澤明『赤ひげ』ネルリ
    ヴィスコンティ『地獄に堕ちた勇者ども』スタブローギン
    大島渚『戦場のメリークリスマス』大審問官

    20150117
    20150203
    浅田中沢東鼎談

    東ドストエフスキールソー、不気味なもの
    浅田ケインズウェルベック、モリス、谷崎、マイルドなニヒリズム
    中沢緑の資本論、移民、森のバロック、自然とのインターフェイス

    資本主義と宗教とネット社会
    ピケティ
    ケインズ贈与、ドイツとロシア
    モラル、
    エチカ
    ドストエフスキー
    美と崇高
    ヴォルテール
    ウェルベック
    フロイト
    ゴダールとバディウ
    マイノリティーとドゥルーズ
    アナボル論争
    モリスこそ主流、谷崎
    1984年『知性改善論』未完
    東は自意識が強すぎる
    ルソーのいいところを抑え損ねている、浅田がカバーしていた

    モリスも谷崎も資本をよくわかっていた
    ドストエフスキーは一人三役できた
    (自分を承認する自分を見る自分)
    ゲゼルの減価マネーが答えだろう
    ピケティとマルクスは共存する
    柄谷の交換図だけがこの混乱を収めることが出来る

    返信削除
  116. ピケティの累進課税はカント的な整制的理念で、
    一応グランドデザインがある。


    中沢l東
    --十--
    浅田l

    東は経済がわからないし、
    中沢は文明論しかないし、
    浅田はニヒリストだから

    みんなピケティと相性が悪い

    分配は生産の現場で行われるべきだし、
    減価マネーと自給自足を目指すべきだ

    返信削除
  117. ピケティの累進課税はカント的な整制的理念で、
    一応グランドデザインがある。
    集合知を駆使しているのだから東は支持してもいいはずだが、柄谷の交換図的には、


    中沢l東
    --十--
    浅田l

    のようになり、
    東は経済がわからないし、
    中沢は文明論しかないし、
    浅田はニヒリストだから

    みんなピケティと相性が悪い

    分配は生産の現場で行われるべきだし、
    減価マネーと自給自足を目指すべきだ

    返信削除
  118. ピケティの累進課税はカント的な整制的理念で、
    一応グランドデザインになっている。
    集合知を駆使しているのだから東は支持してもいいはずだが、先の鼎談は、
    柄谷の交換図的には、

    中沢l東
    --十--
    浅田l

    のようになっている。
    東は経済がわからないし、
    中沢は文明論しかないし、
    浅田はニヒリストだから
    みんなピケティと相性が悪い。

    分配は生産の現場で行われるべきだし、
    減価マネーと自給自足を目指すべきだろうが。

    返信削除
  119. ピケティの累進課税はカント的な整制的理念で、
    一応グランドデザインを提出している。
    集合知を駆使しているのだから東は支持してもいいはずだが、先の鼎談では、
    柄谷の交換図的には、

    中沢l東
    --十--
    浅田l

    のようになってしまっていて、
    東は経済がわからないし、
    中沢は文明論しかないし、
    浅田はニヒリストだから
    みんなピケティと相性が悪い。

    分配は生産の現場で行われるべきだし、
    減価マネーと自給自足を目指すべきだろうが。

    返信削除
  120. ピケティの累進課税はカント的な整制的理念であり、
    一応グランドデザインを提出している。
    集合知を駆使しているのだから東は支持してもいいはずだが、先の鼎談では、
    柄谷の交換図で言えば、

    中沢l東
    --十--
    浅田l

    のようになってしまっていて、
    東は経済がわからないし、
    中沢は文明論しかないし、
    浅田はニヒリストだから
    みんなピケティと相性が悪い。

    分配は生産の現場で行われるべきだし、
    減価マネーと自給自足を目指すべきだろうが。

    返信削除
  121. ピケティの累進課税はカント的な整制的理念であり、
    一応グランドデザインを提出している。
    集合知を駆使しているのだから東は支持してもいいはずだが、先の鼎談では、
    柄谷の交換図で言えば、

    中沢l東
    --十--
    浅田l

    のようになってしまっていて、
    東は経済がわからないし、
    中沢は文明論しかないし、
    浅田はニヒリストだから
    みんなピケティと相性が悪い。

    分配は生産の現場で行われるべきだし、
    減価マネーと自給自足を目指すべきだろうが。


    /////////

    あと誤解されているがフランスは官僚国家だから
    それに対する抵抗も進化した。
    日本も官僚国家だが、その自覚がない。

    返信削除
  122. 20150221
    ピケティの話。なんであんなに受けているか…

    東「経済ではなく、やはり心の問題では」
    浅田「資本主義でいいでしょ&再分配と承認で多文化主義」→ その程度ではダメ。
    中沢「ピケティはアメリカ人が読んで安心できるから。マルクスは安心できない。でも読んだら飽きる本」

    中沢「世界が全て”モラル”で縛ろうとする傾向がある」
    「唯物史観が今かけているのでは。ピケティはそこがなく、内部のデータだけでやっている」

    あずまん司会その2。ピケティ的な再分配だけではうまくいかないというときに、
    その外にはなにが必要なのか?

    「資本主義による再分配は限界、その外側を考えなければいけないが、
    ピケティとか市場原理主義+累進課税では済まない。では何

    返信削除
  123. ピケティの累進課税はカント的な整制的理念であり、
    一応グランドデザインを提出している。
    集合知を駆使しているのだから東は支持してもいいはずだが、先の鼎談では、
    柄谷の交換図で言えば、

    中沢l東
    --十--
    浅田l

    のようになってしまっていて、
    東は経済がわからないし、
    中沢は文明論しかないし、
    浅田はニヒリストだから
    みんなピケティと相性が悪い。

    分配は生産の現場で行われるべきだし、
    減価マネーと自給自足を目指すべきだろうが。

    訂正:
    →統整的理念

    返信削除


  124.  A 知識人=代表者の動きすぎ【持論】
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ【趣味】


    参照:「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)



     【持論】
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ
     【趣味】


    参照:「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

    返信削除

  125.   【持論】
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ
      【趣味】


    参照:「動きすぎてはいけない」の二方向(『動きすぎてはいけない』52頁より)

    返信削除
  126.   【持論】
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅(トリップ)
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ
      【趣味】

    『動きすぎてはいけない』52頁より 【】を加筆

    返信削除
  127.   【持論】
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での【ハーゲン/ダッツ】
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ
      【趣味】

    『動きすぎてはいけない』52頁より 【】を加筆

    返信削除
  128. ハーゲンダッツの「華もち きなこ黒みつ」ってまったくハーゲンでもダッツでもない感じだな。


      【ハーゲン】
     A 知識人=代表者の動きすぎ
       || 
       || 節約A(=切断A:リゾームへの切断)
       \/
      動きすぎない生成変化:その場での旅【華もち きなこ黒みつ】
       /\
       || 節約B(=切断B:リゾームの切断)
       || 
     B ジャンキーの動きすぎ
      【ダッツ】

    『動きすぎてはいけない』52頁より 【】を加筆

    返信削除
  129. 《自意識の暴走(知識人の動きすぎ)と、無意識の暴走(ジャンキーの動きすぎ)を、どちらも節約(エコノマイズ)すること。》(『動いけ』52頁)

    返信削除
  130. 自称「イスラム国」が宗教の名に値しないといった浅田は正しい。
    それ以上は柄谷の帝国論を援用した佐藤優『世界史の極意』で十分。
    佐藤によれば、ISはオスマントルコ帝国を目指しているという。

    返信削除
  131. 右翼に在日が多いのは
    周辺にいる人間は他者を排除することで中心に入ろうとするから
    まだ異民族共存を訴える帝国主義の方がいい
    浅田は共和国論者だから関係ないが

    返信削除
  132. 北一輝に代表させるのは間違っているかもしれないが、大日本帝国にも一応建前はあった。
    アジア主義的なものが。
    だから今の排他的な右翼は「帝国」たり得ないのは言うまでもなく、「帝国主義」にも劣る。
    「資本主義」の産物もしくは、「新帝国主義」(by柄谷)の奴隷と言うべきだ。

    返信削除
  133. 東らとの鼎談で承認欲求をどうしたらいいかという問いに
    浅田もすぐには答えられなかった
    その鼎談の中でしばらくして出した答えが
    自分で自分を承認すればいい
    (マイルドなニヒリストである)自分のようにみんななればいい、
    というものだった

    三島由紀夫とかパゾリーニとか、同性愛者による論理的明晰性を
    もう少し日本の一般社会は大事にした方がいい
    彼らを抑圧し、ものを考えさせるのも我々一般社会だが

    返信削除
  134. 東らとの鼎談で承認欲求をどうしたらいいかという問いに
    浅田もすぐには答えられなかった
    その鼎談の中でしばらくして出した答えが
    自分で自分を承認すればいい
    (マイルドなニヒリストである)自分のようにみんななればいい、
    というものだった

    三島由紀夫とかパゾリーニとか、同性愛者による論理的明晰性を
    もう少し日本の一般社会は大事にした方がいい
    彼らを抑圧し、ものを考えることを強いるのも我々一般社会だが

    返信削除
  135. 東らとの鼎談で承認欲求をどうしたらいいかという問いに
    浅田もすぐには答えられなかった
    その鼎談の中でしばらくして出した答えが
    自分で自分を承認すればいい
    (マイルドなニヒリストである)自分のようにみんななればいい、
    というものだった

    三島由紀夫とかパゾリーニとか、同性愛者による論理的明晰性を
    もう少し日本の一般社会は大事にした方がいい
    彼らを抑圧し、ものを考えることを強いるのも我々一般社会だが

    返信削除
  136. パゾリーニは自分の生徒に好きな詩を見つけ、その理由を説明出来るようにしなさいと
    教えたらしい(「パゾリーニファイル」)。
    浅田も自分の嗜好の理由を明確にしている。そこがネトウヨと違う。

    返信削除
  137. 蓮実自体が大正の人で歴史の産物だ。
    歴史が物語に過ぎないと否定するなら、
    自分を否定していることになる。

    返信削除
  138. 新潮201504
    参照

    OUTSIDE IN TOKYO / ジャン=リュック・ゴダール 『ゴダール・ソシアリスム』レビュー
    2015年1月7日
    イスラムテロ、チャーリー、に巻き込まれた経済学者
    ゴダール映画に出ていた

    OUTSIDE IN TOKYO / ジャン=リュック・ゴダール 『ゴダール・ソシアリスム』レビュー
    〈1〉
    http://www.outsideintokyo.jp/j/review/jeanlucgodard/
    地中海の月明かりで黒光りする海面を微動だにしないフィックスのキャメラで捉えた、漆喰の黒が印象的な映像に続いて交わされる「お金は公共財産だ。」「水と同じ?」「そうだ。」という経済学者ベルナール・マリスとゴダール的美女アリッサ(アガタ・クーチュール)との会話で始まる<第1楽章 こんな事ども>は、マリスの「我々の前に開かれているものは、不可能な歴史に似ている。ゼロ地点のようなものに直面しているのだ」との発言に、「私は一度、無に出会った。ところが、思っていたよりもずっとつまらんものだった」とナチス・ドイツの崩壊とイスラエル建国の1948年を振り返る"フランスのジェームス・ボンド"と呼ばれる実在の元スパイ、ロベール・マルビエによる不穏な発言を豪華客船の船上で捉えながら、ゴダール一流のハードボイル探偵風ダイアローグと、船上を吹きすさぶ風の轟音、船内のディスコ(!)を捉えた低解像度の暴力的なデジタル映像&音像などが、いつも通りのぶっきらぼうさでソニマージュ的に編集され、そうした映像のどれもが、時間とともに足早に過ぎ去っていく。そんな中で目を引くのが、ゴダール曰く"帝国主義者ではない善きアメリカ人"パティ・スミスの存在感であり、「目的が帝国建設であれ、観光であれ」平面上を移動する「自己を主張する空間的フォルム」豪華客船ゴールデン・ウエブ号、そのものであるだろう。

    返信削除
  139. シャーリーへのテロで巻き込まれ殺された経済学者ベルナール・マリス(『資本主義と死の欲動』)はゴダールソシアリスム冒頭に出演していたそうだ。
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Bernard_Maris
    http://www.outsideintokyo.jp/j/review/jeanlucgodard/

    返信削除
  140. 浅田
    「他者と仲よく共生しよう」っていう道徳も、他者との批判の応酬で互いに傷つきたくないっていうナルシシズムから来る部分が多い。それだと、
    ある種のやさしさと残酷さが背中合わせになった関係を超えられない、他者と真っ向から論争することでしか真の関係は築けないってのが弁証法だ
    よね。『シャルリー・エブド』襲撃事件以後、言論と表現の自由を擁護する意見とともに、過激な風刺で他者を傷つけちゃいけないって意見もよく
    聞く。確かに、批判されるとすぐ傷つくひ弱なナルシシストたちの社会では、そういう配慮も必要かもしれない。だけど、風刺されてもかえって面
    白がれるってのが大人なんで、大人の社会では原則として何を言ってもいいんだよ。ぼくはやっぱりそれを目指すべきだと思うんで、社会全体が幼
    児化してきたから言論や表現の自由にも一定の枠をはめるべきだって議論には与(くみ)したくない。



    これが浅田の言論の自由論の核心だけどこれをそのまま適用すると遺族も大人の対応しようよって話になるわけだけども…

    返信削除
  141. ウィリアム王子の来日から、曾野綾子の人種差別発言、福島原発の汚染水流出、日本人のナルシシズムまで。 | 田中康夫と浅田 彰の憂国呆談2 | ソトコト
    https://www.sotokoto.net/jp/talk/index.php?id=88&page=3
    ウィリアム王子の来日から、曾野綾子の人種差別発言、福島原発の汚染水流出、日本人のナルシシズムまで。 photographs by Hiroshi Takaoka text by Kentaro Matsui


    東京・清澄白河にオープンした『gift_lab GARAGE』で、“soundtrip”プロジェクトの展示作品を鑑賞し、コーヒーとケーキを味わった田中・浅田両氏。アンダーコントロールされている日本で、「マイルドなニヒリズム」で生きる術すべを語り合った。
    田中
    偽装米を販売しただけで逮捕されるのに、東京電力福島第一原子力発電所の建屋の屋根から排水路を通じて高濃度汚染水が外洋に流出しているのを把握しながら1年近くも隠蔽していたのがお咎めなしとは、法治国家とは呼べないよ。
    浅田
    バレないと思ってること自体が信じられない。僕が担当者だったら責任逃れのためにすぐ発表するな。正しい戦況を伝えない大本営発表と同じ。だいたい首相がIOC総会で「アンダー・コントロール」(コントロールされてる)って公言しちゃったわけだし(苦笑)。
    田中
    「人生いろいろ」だと、うそぶいていた小泉純一郎に「政府は嘘を言っている」と吠える機会を与えてしまった。年度内に完了すると公言していた汚染水の処理は一向に終わらず、アウト・オブ・コントロールなわけだ。実はアンダー・コントロールされているのは原発でなく、国民だったと。法治国家がすべてを放置する“放置国家”となり、さらには“呆痴国家”になっている。メディアも“鈍感力”を発揮しているし、その状況に怒りもしない国民の民度は“眠度”と表記を改めるべきかもしれない。
    浅田
    汚染水を凍土壁で遮る計画にしても、水が凍らないから大量に氷を入れたっていうから苦笑するほかない。それがまたすべて汚染水になるわけだよ。そんなの空想的なアーティストの妄想みたいだって言ったら、「今どきのアーティストはもっとちゃんとフィージビリティ・スタディをやる」ってアーティストに叱られた(笑)。

    そもそも震災から4年もたってまだ被災者が仮設住宅に住んでるってどういうこと? 田中さんが前から言ってるように、福島原発周辺にはもう住めないんだから、中間処分場とか言って誤魔化さず、そこに最終処分場を設けるしかない。代わりに、そこに暮らしてた住民の集団移住を強力にサポートする。旧・ソ連がチェルノブイリ周辺の住民を強制的に移住させた、それは独裁国家ならではの強引な手法だけど、いつか故郷に帰還できるかのように言って具体的な将来設計もなく生殺しにするのは、それより残酷だよ。
    田中
    除染は移染に過ぎないのだから、フクイチ周辺30キロ圏内は「放射能に占領された領土」だと冷静冷徹に認識し、閑古鳥が鳴くゴルフ場をはじめとする遊休地に「新しい村」を造営すべきと「3.11」直後から提案していたんだけどね(涙)。4年を経て、フクイチ周辺4町(富岡・大熊・双葉・浪江)の避難住民で「戻りたい」と帰還を希望するのは1割台にとどまると復興庁の調査で判明した。それは帰還困難区域だけでなく、居住制限、避難指示解除準備の区域を含めての数値。

    他方で岩手・宮城被災2県に限っても3万6079戸の仮設住宅の撤去は震災5年の来年2016年3月末でも全体の10%にとどまると発表された。同じく5年で4万8300戸の仮設住宅が全撤去された阪神・淡路大震災とは雲泥の差。福島県の1万6800戸に関しては撤去の目処すら発表し得ぬ状況だ。他方で通算10年間の復興予算は30兆円を超えると政府は見込んでいる。仮に23万人の避難者に1人5000万円を渡しても、その3分の1の11兆円。家族4人で2億円。これで衣食住ならぬ「意職住」の仕事と住居を整えて、意欲を持って新天地で再スタートを切るべく支援したほうがはるかに短期間に裾野の広い経済効果も見込める。なのに、そうはならない。最初は全員反対だったダム建設予定地の住民が次第に諦めてしまうのと同じで、時間をかけて諦めさせる手法は行政の常套手段なんだよ。実は数値が全ての新自由主義は社会主義でもあるんだから、チェルノブイリ事故の際に住民を強制移住させたソビエトに学ぶべきでしょ。

    話は変わるけど、僕も寄稿した『現代思想』(2015年3月臨時増刊号総特集・宇沢弘文)で柄谷行人が、柳田国男の農政学の継承者は東畑精一でなく、実は宇沢弘文だ、と書いていた。宇沢の唱えたコモンズは柳田が示す「社倉」という集落のあり方と似ているのだと。奇しくも僕と同じような考えを柄谷が書いていて不思議な気がしたよ。
    浅田
    柄谷行人は、共産党が国家権力を奪取することで資本主義を解体し、ひいては国家そのものを解体するっていうロシア型マルクス主義──とくにボルシェヴィズムの根源的批判を進めてきた。カール・ポラニーが整理したとおり、市場の交換と、国家による再分配のほかに、共同体における贈与のネットワークってものがあるわけだけど、ロシア型マルクス主義のように国家で市場を統制するだけではダメで、むしろ贈与のネットワークを高次のアソシエーションとして回復することが社会主義の本道だ、と。マルクスが達成すべき理想としての社会主義・共産主義像を描くことを禁欲したのはいいんだけど、大体は最も資本主義の発達したイギリスでさらなる社会化の果てに社会主義が実現されると考えてた、しかし、ロシアで前近代の共同体をバネに脱近代に飛躍するって議論が出てきたとき、それを頭から否定しようとはしなかったために、ロシアや中国や北朝鮮はまさしく前近代的な一党独裁から個人崇拝へという最悪の道をたどることになっちゃった。

    イギリスでは資本の集積が進む一方でウィリアム・モリスのアーツ&クラフツのような運動もあった。小さなアトリエのネットワークを基礎として、質的に豊かで美しい労働と生活を実現しよう、と。そのモリスも実はマルクス主義者で、『資本論』をきれいに装丁したりしてるわけ。われわれはマルクス主義というとボルシェヴィズムを考えちゃうからモリスなんてのは趣味人にしか見えないけれど、モリスのような人こそマルクス主義者だと考えればまったく違った社会主義像が見えてくる。近年の柄谷行人はそういうことを強調してるんだよね。
    田中
    なるほどね。その辺りのことが、先日『ゲンロンカフェ』で行われた浅田さんと中沢新一、東浩紀の鼎談(『新潮』4月号に採録)では、後の二人には今ひとつピンときていない印象だった。
    浅田
    中沢新一はむしろモリス寄りだけど、東浩紀はそういうものだけでは過激派に走るような人々の情念をすくい上げきれないって言うわけね。

    ともかく、重厚長大産業が主役だった時代は、巨大な資本に対して労働組合をつくり、それを前衛党に集約し、階級闘争を革命的に勝ち抜くほかない、アナーキストみたいに小さなアトリエのネットワークみたいなことを言ってるのは呑気な趣味に過ぎない、と言われた。しかし、情報産業が主役になったいまは、むしろ小さなアトリエのネットワークが経済全体を変えるような力を発揮しつつある。そこではたとえばモリス的なヴィジョンもかえってアクチュアルになるんじゃないか。もちろん、それですぐ世界が変わるわけじゃないけどね。
    田中
    あのなかで浅田さんは「マイルドなニヒリズム」と言っていたけど。
    浅田
    前々回に話題にしたミシェル・ウエルベックの『服従』に即しての話で、それを声高に主張するわけじゃないけどね。

    ともかく、ナルシシズムを捨てるってことが第一でしょう。若い頃はナルシシスティックな自意識の病いに苦しみ、自己顕示のためにわざと過激な道を選んだりもする。大人になるってのはそういうナルシシズムの病いを乗り超えることだったわけ。しかし、いまは大人になってもナルシシストのまま。ネットを見ても、みんな自己宣伝ばっかりでしょう。で、フォロワーが増えると喜ぶ半面、ちょっと批判されると逆上して関係を切る。
    田中
    弁証法の発想すら持ち合わせぬ、いや持ち得ぬ、余裕のない風潮の時代。
    浅田
    まさにそのとおり。「他者と仲よく共生しよう」っていう道徳も、他者との批判の応酬で互いに傷つきたくないっていうナルシシズムから来る部分が多い。それだと、ある種のやさしさと残酷さが背中合わせになった関係を超えられない、他者と真っ向から論争することでしか真の関係は築けないってのが弁証法だよね。『シャルリー・エブド』襲撃事件以後、言論と表現の自由を擁護する意見とともに、過激な風刺で他者を傷つけちゃいけないって意見もよく聞く。確かに、批判されるとすぐ傷つくひ弱なナルシシストたちの社会では、そういう配慮も必要かもしれない。だけど、風刺されてもかえって面白がれるってのが大人なんで、大人の社会では原則として何を言ってもいいんだよ。ぼくはやっぱりそれを目指すべきだと思うんで、社会全体が幼児化してきたから言論や表現の自由にも一定の枠をはめるべきだって議論には与くみしたくない。

    しかし、さらに言えば、論争すら成り立たない相手とは、今西錦司的に言えば住み分けるほかないってこともあって、東浩紀はむしろそういうことを強調してたんだけど……。
    田中
    その昔から述べてきているように“矜恃きょうじと諦観”を一人ひとりが併せ持ってこそ進歩や成熟も期待できるのに、今日的ナルシシズムの空威張りな日本凄いぞ論が幅を利かせていて、困ったもんだね(苦笑)。
    協力:gift_lab GARAGE www.giftlab.jp/garage
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  142. シャーリーへのテロで巻き込まれ殺された経済学者ベルナール・マリス(『資本主義と死の欲動』)はゴダールソシアリスム冒頭に出演していたそうだ。
    http://fr.wikipedia.org/wiki/Bernard_Maris
    http://www.outsideintokyo.jp/j/review/jeanlucgodard/

    <第1楽章 こんな事ども>
    地中海の月明かりで黒光りする海面を微動だにしないフィックスのキャメラで捉えた、漆喰の黒が印象的な映像に続いて交わされる「お金は公共財産だ。」「水と同じ?」「そうだ。」という経済学者ベルナール・マリスとゴダール的美女アリッサ(アガタ・クーチュール)との会話で始まる<第1楽章 こんな事ども>は、マリスの「我々の前に開かれているものは、不可能な歴史に似ている。ゼロ地点のようなものに直面しているのだ」との発言に、「私は一度、無に出会った。ところが、思っていたよりもずっとつまらんものだった」とナチス・ドイツの崩壊とイスラエル建国の1948年を振り返る"フランスのジェームス・ボンド"と呼ばれる実在の元スパイ、ロベール・マルビエによる不穏な発言を豪華客船の船上で捉えながら、ゴダール一流のハードボイル探偵風ダイアローグと、船上を吹きすさぶ風の轟音、船内のディスコ(!)を捉えた低解像度の暴力的なデジタル映像&音像などが、いつも通りのぶっきらぼうさでソニマージュ的に編集され、そうした映像のどれもが、時間とともに足早に過ぎ去っていく。そんな中で目を引くのが、ゴダール曰く"帝国主義者ではない善きアメリカ人"パティ・スミスの存在感であり、「目的が帝国建設であれ、観光であれ」平面上を移動する「自己を主張する空間的フォルム」豪華客船ゴールデン・ウエブ号、そのものであるだろう。

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  143. 352 : 考える名無しさん[sage] 投稿日:2010/09/01(水) 23:11:39 P
    『構造と力』で言及されたTakashi Ito - Spacy (1981)

    spacy 【日本】伊藤高志实验映像—在线播放—优酷网,视频高清在线观看
    http://v.youku.com/v_show/id_XMTkxMDQwNTg0.html?x=1



    http://www.youtube.com/watch?v=2aPeSKuj1Rg

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  144. Spacy 1981 - Takashi Ito
    https://youtu.be/Mf18mahEAjo

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  145. ゲンロン4(2016年内にkindle化されたら購入すべき)の浅田彰インタビューもいいが、基本的に状況論だ。
    1990年のこちらの浅田彰の方が自分史を率直に語っている。
    プレイボーイ・インタビューセレクテッド 単行本 – 1990/10
    https://www.amazon.co.jp/dp/4087801330/
    田中角栄やタモリのインタビューもあってオススメ。

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  146. 浅田彰

    浅田彰4万字インタビュー「マルクスから(ゴルバチョフを経由して)カントへ」・現代日本の批評・完結ほか)


     最後の質問ですが 、そのような二極化の状況下で 、仮にこれからも 、浅田さんが戦後啓蒙
    の果実として受け取った文学や政治と切り結ぶような批評的言説が残りうるとすれば 、その
    かたちはどのようなものになるべきだとお考えですか 。

    浅田 ぼくは 、古いと言われようとも 、柄谷行人が 『トランスクリティーク 』 (〇一年 )
    で取り出したカント - マルクスの批評的 ・批判的知性はいまも重要であり 、その先を目指す
    にせよまずはきちんと踏まえておくべきものだと 、ここではあえて言っておきたいですね 。

    こういう状況を見ていると 、動物的な反応速度が上がっただけで 、知能が進歩したという
    より 、みんながバカになっていっているような気さえする 。言い換えれば 、こうした量的な
    拡大だけにとどまらず 、なんらかの質的なジャンプを遂げることができなければ 、本当に
    その名に値する人工知能はできないでしょう 。また逆に 、人間自身がそういう動物的コン
    ピューターと同じになっていくとすれば 、たしかにカントもマルクスも出る幕はなくなる 。
    しかし 、ぼくにはそれはやはり退屈なディストピアとしか思えませんね 。

    二〇一六年七月二三日京都造形芸術大学

    ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 eBook
    https://www.amazon.co.jp/dp/B01NBP7AFZ/



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  147. 浅田彰 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 eBook https://www.amazon.co.jp/dp/B01NBP7AFZ/


    ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 eBook
    https://www.amazon.co.jp/dp/B01NBP7AFZ/

    インタビュ ー マルクスから (ゴルバチョフを経て )カントへ ─ ─戦後啓蒙の果てに
    F r o m M a r x ( v i a G o r b a c h e v ) t o K a n t : A f t e r t h e R i s e a n d F a l l o f P o s t w a r E n l i g h t e n m e n t
    浅田彰 A k i r a A s a d a 聞き手 │東浩紀

    浅田
    …ネグリ &ハ ートにしても 、 「グロ ーバルな帝国のポテスタス (顕在的権力 )は即ちマルチ
    チュ ードのポテンチア (潜在的力能 )にほかならない 」という言い方で 、この両極をスピノザ
    的な 「即 」によって結びつけてしまうわけですが 、その間の相転移が理論的に解き明かされ
    ないので 、下手をするとほとんど宗教的な話 、 「色即是空 、空即是色 」みたいな話にさえ
    なりかねない ─ ─彼らは他方で具体的な議論もしているので 、そちらの方が有益だと思います
    が 。また 、この両極図式を批判する柄谷行人が市場 ─共同体 ─国家 (資本制 =国民 =国家
    に統合される )に対するオルタナティヴとして 「アソシエ ーション 」という言葉で語ろうと
    しているものも 、具体的な例がいまひとつ説得力に欠けるぶん 、原型とされる世界宗教のイメ
    ージが強くならざるをえない 。
    ここではアトランダムにいくつかの例を挙げただけですが 、そこここで政治が宗教に回帰して
    いく傾向はどうも気になりますね 。

    ─ ─トマ ・ピケティやエマニュエル ・トッドはどうですか 。
    浅田 こちらは逆に実証主義への回帰であって 、そういう仕事としては一定の意味がある 。
    ピケティの 『 2 1世紀の資本 』 (一三年 )への唯一の批判は 、タイトルがまちがっていると
    いうことです 。あれだけの量のデ ータを集めて所得や資産の不平等を実証的に研究したのは
    たいしたもので 、経済学部出身者としては細部にいろいろ批判もあるとはいえ 、 『 2 1世紀の
    不平等 』というタイトルだったら推薦してもよかった 。しかし 、マルクスの 『資本 (論 ) 』
    にあやかって 『資本 』と銘打ったのは 、あきらかに誇大広告です 。マルクスがやったのは経済
    の実証研究ではなく 、その背後にある資本主義の構造分析なのであって (そこでの労働価値説
    による搾取論を批判するといったことはいくらでもできるし現になされてきたとしても ) 、
    そうした構造分析なしの実証研究を 『資本 』と銘打つというのは 、無責任な宣伝戦略と言う
    ほかありません 。トッドの場合も 、ポピュレ ーションの歴史社会学ということで幅広い研究を
    精力的に行ってきたけれど 、結局は経験主義でしょう 。家族制度 ・相続制度がそれぞれの社会
    でア ・プリオリな価値観を決定しており 、それにフィットしない政治制度はうまく機能しない 、
    というような決めつけは 、あきらかに単純すぎます 。


     最後の質問ですが 、そのような二極化の状況下で 、仮にこれからも 、浅田さんが戦後啓蒙
    の果実として受け取った文学や政治と切り結ぶような批評的言説が残りうるとすれば 、その
    かたちはどのようなものになるべきだとお考えですか 。

    浅田 ぼくは 、古いと言われようとも 、柄谷行人が 『トランスクリティーク 』 (〇一年 )
    で取り出したカント - マルクスの批評的 ・批判的知性はいまも重要であり 、その先を目指す
    にせよまずはきちんと踏まえておくべきものだと 、ここではあえて言っておきたいですね 。

    こういう状況を見ていると 、動物的な反応速度が上がっただけで 、知能が進歩したという
    より 、みんながバカになっていっているような気さえする 。言い換えれば 、こうした量的な
    拡大だけにとどまらず 、なんらかの質的なジャンプを遂げることができなければ 、本当に
    その名に値する人工知能はできないでしょう 。また逆に 、人間自身がそういう動物的コン
    ピューターと同じになっていくとすれば 、たしかにカントもマルクスも出る幕はなくなる 。
    しかし 、ぼくにはそれはやはり退屈なディストピアとしか思えませんね 。

    二〇一六年七月二三日京都造形芸術大学

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  148. F r o m M a r x ( v i a G o r b a c h e v ) t o K a n t : A f t e r t h e R i s e a n d F a l l o f P o s t w a r E n l i g h t e n m e n t

    From Marx (via Gorbachev) to Kant : After the Rise and Fall of Post war Enlightenment

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  149. 浅田彰 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 eBook https://www.amazon.co.jp/dp/B01NBP7AFZ/


    ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 eBook
    https://www.amazon.co.jp/dp/B01NBP7AFZ/

    インタビュ ー マルクスから (ゴルバチョフを経て )カントへ ─ ─戦後啓蒙の果てに
    From Marx (via Gorbachev) to Kant : After the Rise and Fall of Post war Enlightenment
    浅田彰 Akira Asada 聞き手 │東浩紀

    浅田
    …ネグリ &ハ ートにしても 、 「グロ ーバルな帝国のポテスタス (顕在的権力 )は即ちマルチ
    チュ ードのポテンチア (潜在的力能 )にほかならない 」という言い方で 、この両極をスピノザ
    的な 「即 」によって結びつけてしまうわけですが 、その間の相転移が理論的に解き明かされ
    ないので 、下手をするとほとんど宗教的な話 、 「色即是空 、空即是色 」みたいな話にさえ
    なりかねない ─ ─彼らは他方で具体的な議論もしているので 、そちらの方が有益だと思います
    が 。また 、この両極図式を批判する柄谷行人が市場 ─共同体 ─国家 (資本制 =国民 =国家
    に統合される )に対するオルタナティヴとして 「アソシエ ーション 」という言葉で語ろうと
    しているものも 、具体的な例がいまひとつ説得力に欠けるぶん 、原型とされる世界宗教のイメ
    ージが強くならざるをえない 。
    ここではアトランダムにいくつかの例を挙げただけですが 、そこここで政治が宗教に回帰して
    いく傾向はどうも気になりますね 。

    ─ ─トマ ・ピケティやエマニュエル ・トッドはどうですか 。
    浅田 こちらは逆に実証主義への回帰であって 、そういう仕事としては一定の意味がある 。
    ピケティの 『 2 1世紀の資本 』 (一三年 )への唯一の批判は 、タイトルがまちがっていると
    いうことです 。あれだけの量のデ ータを集めて所得や資産の不平等を実証的に研究したのは
    たいしたもので 、経済学部出身者としては細部にいろいろ批判もあるとはいえ 、 『 2 1世紀の
    不平等 』というタイトルだったら推薦してもよかった 。しかし 、マルクスの 『資本 (論 ) 』
    にあやかって 『資本 』と銘打ったのは 、あきらかに誇大広告です 。マルクスがやったのは経済
    の実証研究ではなく 、その背後にある資本主義の構造分析なのであって (そこでの労働価値説
    による搾取論を批判するといったことはいくらでもできるし現になされてきたとしても ) 、
    そうした構造分析なしの実証研究を 『資本 』と銘打つというのは 、無責任な宣伝戦略と言う
    ほかありません 。トッドの場合も 、ポピュレ ーションの歴史社会学ということで幅広い研究を
    精力的に行ってきたけれど 、結局は経験主義でしょう 。家族制度 ・相続制度がそれぞれの社会
    でア ・プリオリな価値観を決定しており 、それにフィットしない政治制度はうまく機能しない 、
    というような決めつけは 、あきらかに単純すぎます 。


     最後の質問ですが 、そのような二極化の状況下で 、仮にこれからも 、浅田さんが戦後啓蒙
    の果実として受け取った文学や政治と切り結ぶような批評的言説が残りうるとすれば 、その
    かたちはどのようなものになるべきだとお考えですか 。

    浅田 ぼくは 、古いと言われようとも 、柄谷行人が 『トランスクリティーク 』 (〇一年 )
    で取り出したカント - マルクスの批評的 ・批判的知性はいまも重要であり 、その先を目指す
    にせよまずはきちんと踏まえておくべきものだと 、ここではあえて言っておきたいですね 。

    こういう状況を見ていると 、動物的な反応速度が上がっただけで 、知能が進歩したという
    より 、みんながバカになっていっているような気さえする 。言い換えれば 、こうした量的な
    拡大だけにとどまらず 、なんらかの質的なジャンプを遂げることができなければ 、本当に
    その名に値する人工知能はできないでしょう 。また逆に 、人間自身がそういう動物的コン
    ピューターと同じになっていくとすれば 、たしかにカントもマルクスも出る幕はなくなる 。
    しかし 、ぼくにはそれはやはり退屈なディストピアとしか思えませんね 。

    二〇一六年七月二三日京都造形芸術大学

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  150. 本当はそこで 、 N T Tの部長とときどき飲みに行くといった努力が必要で 、なんとしてもいいものを作ろうと思ったら 、プロデュ ーサ ーやキュレ ータ ーはそこまで泥をかぶる覚悟がいるのでしょう 。もちろん 、ぼくはそんなくだらないことはいっさいやらない 。まあ 、それがぼくの限界なんだろうとは思います 。

    ─ ─浅田彰の限界は飲み会にあった 。

    浅田 そのとおり (笑 ) 。そういえば 、東さんも交えた座談会で鈴木謙介が I C Cに関して 「浅田彰的な金の動き 」を云々していたけれど ★ 1 2 、なんのことを言っているのかさっぱりわからない 。夜の社交でも平気で付き合うようなタイプだったら 、それなりの 「金の動き 」を生み出せたかもしれないけれど 、むしろ 、手を汚す覚悟がないのでそういうものとまったく無縁だというのがぼくの限界でしょう 。

    返信削除
  151. ─ ─たとえ主体が幻想だとしても 、ぼくたちがその幻想を持つという事実は残る 。浅田そう 、その事実は無視できないでしょう 。そもそも 、自然科学的な説明に関してさえ 、旧世代の人間としてはどうしても原理から演繹して説明してほしいと思うので 、すべてがフラットなデ ータの集積に還元されるだけでは説明された気にならないんですよ 。笑い話のようだけれど 、昨年 、山本太郎が国会で安保法案の可決に抵抗すべくひとりで牛歩戦術を行ったら 、それが話題になって 「牛 」という言葉のツイッタ ー上の出現回数が急上昇した結果 、ツイッタ ー分析と連動する自動株取引アルゴリズムが作動してしまったためか 、牛丼の松屋フ ーズの株価が突然高騰したという出来事がありました ★ 1 8 。かつては 、計量経済学でも 、一応は経済理論に基づく因果関係のネットワ ークを連立方程式モデルで定式化し 、統計デ ータからパラメ ータを推定したうえで 、予測値を計算していた 。背後にある構造の理解に基づく説明と予測を目指していたわけです 。しかし 、それはなかなかうまくいかず 、むしろ 、さまざまなデ ータの時系列を追い 、それらの統計的な相関を見出して予測に応用したほうが手っ取り早いということになる 。たとえば 、特定の言葉の使用頻度が上がったら 、特定の株価が上がる確率が高い 、と 。 「牛 」と牛丼屋ならまだ因果関係がはっきり説明できるほうで 、一般的には因果関係はわからないけれど 、とにかく統計的相関が高いというので割り切ってしまうわけです 。こういうのは 「了解 」どころか 「説明 」ですらないのではないか 。そういう懐疑は 、しかし 、時代遅れの雑音とみなされ 、自動株取引アルゴリズムはひたすらに高速化していく 。マイクロセカンド単位で勝負する取引になっていくので 、株式取引所のコンピュ ータ ーにできるだけ近いところから大容量の回線でアクセスすることが求められるほどです 。しかし 、その結果 、時にある種のポジティヴ ・フィ ードバックによる暴走が生じて 、突然あっという間に株価が暴落したりする 。なぜそうなったかは結局よくわからない 。こういう状況を見ていると 、動物的な反応速度が上がっただけで 、知能が進歩したというより 、みんながバカになっていっているような気さえする 。

    返信削除


  152. >>302には経済学的な脚注が必要だ。以下は高橋洋一による関連記事。


    《…近い将来、増税するに違いないと思って、かえって消費を控えてしまう。これが、あるんだ
    ね。…当然、消費性向cが小さくなれば、乗数の1/(1−c)は1に近づいちゃうから、経済的
    波及効果が薄れてしまう。そういう具合に、いろいろな係数は心理的な要因で変わるから一定
    じゃない、ってサージェントさんなんかは言い出した…
    …シムズさんは、従来の関係式のようなモデルを一所懸命解いて精緻な解を求めても、係数が
    しょっちゅう変わるんじゃ役に立たない、と考えたわけ。それは、サージェントさんなんかと同じ。
    実際問題、さっきの外生変数、内生変数っていう区分にしても、日々の経済活動のなかでは、
    外生も内生も互いに関係し合って、わからなくなっちゃうしね。日銀だって、景気の動きとか
    GDPの動きを見てMBを決めるんだし。
    …どっちが先でどっちが後だみたいな関係式を追い求めてもムダだと。だったら、それぞれの
    変数をデータとして時系列的に集めれば、将来の予測ができるようなマクロ経済分析用のツー
    ルをつくっちゃえばいい、って考えたんだ。そうして、「多変量自己回帰(VAR)モデル」と「一般
    化モーメント法(GMM)」っていう、二つの分析ツールを開発したのね。これらは、いまでもマク
    ロ動学モデルの実証研究には欠かせない…

    >>305続き…
    次の期の実データがとれたら、また、モデルが更新されて、さらに次の期の予測をする。そうい
    うモデルをつくったわけね。それが「多変量自己回帰(VAR)モデル」。
    …Vector Autoregressive Model。Autoregressiveっていうのは自己回帰っていう意味なんだけ
    ど、自分の昔でいまが決まるっていう話だよ。このモデルでは、MB、r、P、e、IP、GDP、それ
    ぞれの変数のからみあいみたいなのがわかるわけ。ほとんどの場合は昔に遡ると無関係という
    ことでゼロになるんだけど。なかにはゼロじゃないのも何個か出てくる。すると「あ、これとこれ
    は多少関係関係があるのかな」ってわかる。たとえば、Pを見たら、五年前のMBとのからみを
    示す係数がゼロになっていなかったとする。ということは……。
    S君 いまMBが増えれば、五年後、Pも増えるかもしれない?》
    (『経済のしくみがわかる「数学の話」』高橋洋一より)

    マネタリーベース(MB)=市場に流通できる(現金化できる)すべてのお金の量。
    国債金利(r)。物価(P)。為替レート(e)、設備投資(IP)

    ちなみにシムズは最近話題になっている
    http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20160831/Sims_Jackson_Hole_paper_2016
    《必要なのは、財政政策がインフレ率を上昇させることを狙っている、と見做されることで
    ある。その際、その目標達成に向かって金融財政政策が協調する必要がある。日本では、
    将来の消費増税計画を明示的にインフレ目標の達成と維持に結び付けることによって、
    それが果たされるであろう。》

    返信削除
  153. 考える名無しさん
    2017/01/14(土) 02:31:06.14 0
    浅田 …本当はそこで 、 N T Tの部長とときどき飲みに行くといった努力が必要で 、なんとし
    てもいいものを作ろうと思ったら 、プロデュ ーサ ーやキュレ ータ ーはそこまで泥をかぶる
    覚悟がいるのでしょう 。もちろん 、ぼくはそんなくだらないことはいっさいやらない 。まあ 、
    それがぼくの限界なんだろうとは思います 。

    ─ ─浅田彰の限界は飲み会にあった 。

    浅田 そのとおり (笑 ) 。そういえば 、東さんも交えた座談会で鈴木謙介が I C Cに関し
    て 「浅田彰的な金の動き 」を云々していたけれど 、なんのことを言っているのか
    さっぱりわからない 。夜の社交でも平気で付き合うようなタイプだったら 、それなりの 「金
    の動き 」を生み出せたかもしれないけれど 、むしろ 、手を汚す覚悟がないのでそういう
    ものとまったく無縁だというのがぼくの限界でしょう 。

    301 :
    考える名無しさん
    2017/01/14(土) 02:37:39.26 0

    ─ ─たとえ主体が幻想だとしても 、ぼくたちがその幻想を持つという事実は残る 。

    浅田 そう 、その事実は無視できないでしょう 。そもそも 、自然科学的な説明に関してさえ 、
    旧世代の人間としてはどうしても原理から演繹して説明してほしいと思うので 、すべてがフラ
    ットなデ ータの集積に還元されるだけでは説明された気にならないんですよ 。笑い話のようだ
    けれど 、昨年 、山本太郎が国会で安保法案の可決に抵抗すべくひとりで牛歩戦術を行ったら 、
    それが話題になって 「牛 」という言葉のツイッタ ー上の出現回数が急上昇した結果 、ツイッタ
    ー分析と連動する自動株取引アルゴリズムが作動してしまったためか 、牛丼の松屋フ ーズの
    株価が突然高騰したという出来事がありました 。
    302 :
    考える名無しさん
    2017/01/14(土) 02:38:08.38 0
    かつては 、計量経済学でも 、一応は
    経済理論に基づく因果関係のネットワ ークを連立方程式モデルで定式化し 、統計デ ータから
    パラメ ータを推定したうえで 、予測値を計算していた 。背後にある構造の理解に基づく説明と
    予測を目指していたわけです 。しかし 、それはなかなかうまくいかず 、むしろ 、さまざまなデ
    ータの時系列を追い 、それらの統計的な相関を見出して予測に応用したほうが手っ取り早いと
    いうことになる 。たとえば 、特定の言葉の使用頻度が上がったら 、特定の株価が上がる確率
    が高い 、と 。 「牛 」と牛丼屋ならまだ因果関係がはっきり説明できるほうで 、一般的には
    因果関係はわからないけれど 、とにかく統計的相関が高いというので割り切ってしまうわけで
    す 。こういうのは 「了解 」どころか 「説明 」ですらないのではないか 。そういう懐疑は 、しか
    し 、時代遅れの雑音とみなされ 、自動株取引アルゴリズムはひたすらに高速化していく 。マ
    イクロセカンド単位で勝負する取引になっていくので 、株式取引所のコンピュ ータ ーにできる
    だけ近いところから大容量の回線でアクセスすることが求められるほどです 。しかし 、その結
    果 、時にある種のポジティヴ ・フィ ードバックによる暴走が生じて 、突然あっという間に株価が
    暴落したりする 。なぜそうなったかは結局よくわからない 。こういう状況を見ていると 、動物的な
    反応速度が上がっただけで 、知能が進歩したというより 、みんながバカになっていっているよう
    な気さえする 。…
    303 :
    考える名無しさん

    ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 eBook
    https://www.amazon.co.jp/dp/B01NBP7AFZ/


    101 : 考える名無しさん2017/01/02(月) 16:44:52.10 0
     最後の質問ですが 、そのような二極化の状況下で 、仮にこれからも 、浅田さんが戦後啓蒙
    の果実として受け取った文学や政治と切り結ぶような批評的言説が残りうるとすれば 、その
    かたちはどのようなものになるべきだとお考えですか 。

    浅田 ぼくは 、古いと言われようとも 、柄谷行人が 『トランスクリティーク 』 (〇一年)
    で取り出したカント-マルクスの批評的 ・批判的知性はいまも重要であり 、その先を目指す
    にせよまずはきちんと踏まえておくべきものだと 、ここではあえて言っておきたいですね 。

    こういう状況を見ていると 、動物的な反応速度が上がっただけで 、知能が進歩したという
    より 、みんながバカになっていっているような気さえする 。言い換えれば 、こうした量的な
    拡大だけにとどまらず 、なんらかの質的なジャンプを遂げることができなければ 、本当に
    その名に値する人工知能はできないでしょう 。また逆に 、人間自身がそういう動物的コン
    ピューターと同じになっていくとすれば 、たしかにカントもマルクスも出る幕はなくなる 。
    しかし 、ぼくにはそれはやはり退屈なディストピアとしか思えませんね 。

    二〇一六年七月二三日京都造形芸術大学
    167KB

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  154. マルクス主義の再構築

    浅田 他方 、ぼくの中学 ・高校時代は 、左翼運動の挫折が露呈される時期でもありました 。
    共産党に代表される旧左翼は頭が固くてどうしようもない 。しかし他方で 、いわゆる新左翼の
    学生運動もさらに古い疎外論に戻っている節があるし 、現に自己の 「総括 」と称して不毛な
    「内ゲバ 」に陥ったりもしている 。フランスの六八年革命で 「構造が街路に降りた 」と言
    われたけれど 、フレドリック ・ジェイムソンがアドルノ論の序文で言うとおり 、あの時点で
    支配的だったのは 、構造主義ではなく 、疎外された自然 (外なる自然のみならず内なる自然
    としての共同性も含めて )を取り戻すという初期マルクスやヘルベルト ・マルク ーゼ流の
    疎外論 ─ ─さらに付け加えればそのまえに流行していたジャン =ポ ール ・サルトルの実存
    主義 ─ ─ですよ 。

    七五年に京都大学に入って正門近くの書店に行くと 、表紙に 「思考の大地に大いなる亀裂よ
    走れ ! 」と書いた 『エピステ ーメ ー 』創刊準備号が平積みになっていて 、 「なんか大時代
    的だな 」と思ったのを覚えています (笑 )図 2 。ただ 、中身を見てみると 、非常に刺激的
    である ─ ─と同時に 、翻訳の質が低く 、論理もまともに追えていないので 、読んでもよくわ
    からない 。そういう苛立ちが 、フ ーコ ーのジル ・ドゥル ーズ論 『劇場としての哲学 』
    (七〇年 )の誤訳リストを訳者の蓮實重彥に送りつけるという悪趣味なふるまいへとつながり
    もする ★ 3 。これはもっときちんと整理して見通しをよくしないとダメだという思いが 、や
    がてぼくに 『構造と力 』を書かせることになりました。

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  155. マルクス主義の再構築

    浅田 他方 、ぼくの中学・高校時代は 、左翼運動の挫折が露呈される時期でもありました 。
    共産党に代表される旧左翼は頭が固くてどうしようもない 。しかし他方で 、いわゆる新左翼の
    学生運動もさらに古い疎外論に戻っている節があるし 、現に自己の 「総括 」と称して不毛な
    「内ゲバ 」に陥ったりもしている 。フランスの六八年革命で 「構造が街路に降りた 」と言
    われたけれど 、フレドリック・ジェイムソンがアドルノ論の序文で言うとおり 、あの時点で
    支配的だったのは 、構造主義ではなく 、疎外された自然 (外なる自然のみならず内なる自然
    としての共同性も含めて )を取り戻すという初期マルクスやヘルベルト ・マルク ーゼ流の
    疎外論 ─ ─さらに付け加えればそのまえに流行していたジャン =ポ ール ・サルトルの実存
    主義 ─ ─ですよ 。

    七五年に京都大学に入って正門近くの書店に行くと 、表紙に 「思考の大地に大いなる亀裂よ
    走れ !」と書いた 『エピステ ーメ ー 』創刊準備号が平積みになっていて 、 「なんか大時代
    的だな 」と思ったのを覚えています (笑 )。ただ 、中身を見てみると 、非常に刺激的
    である ─ ─と同時に 、翻訳の質が低く 、論理もまともに追えていないので 、読んでもよくわ
    からない 。そういう苛立ちが 、フ ーコ ーのジル ・ドゥル ーズ論 『劇場としての哲学 』
    (七〇年 )の誤訳リストを訳者の蓮實重彦に送りつけるという悪趣味なふるまいへとつながり
    もする 。これはもっときちんと整理して見通しをよくしないとダメだという思いが 、やがて
    ぼくに 『構造と力 』を書かせることになりました。

    返信削除

  156. …じつは 、もう亡くなったぼくの両親は 、どちらも一九二五年生まれで 、三島由紀夫と
    同い年 、四五年の敗戦を二〇歳で迎えた世代なんですね 。この世代 (すこし下の北杜夫や
    辻邦生らまで含めて )は 、ト ーマス ・マンの影響が大きい 。 『ブッデンブロ ーク家の
    人々 』で家系図を見せられた少年時代の主人公が 、無意識に自分の下のところに家系の
    断絶を示す線を引いてしまうシ ーンがあって 、父がよくぼくにその話をしたんですが 、
    ここまで露骨だと無意識のうちに欲望が伝達されたとは言いがたいですね 。こうした
    「終わり 」の意識は三島由紀夫も共有していると思います 。非常に大ざっぱに言えば 、
    それにいかに抗うかというのが大江健三郎の問題であり 、のちの中上健次の問題でもあっ
    たといえるのではないか 。
     話が逸れるけれど 、マンは 『ヴェニスに死す 』に見られるような同性愛的欲望を持った
    ひとなのに結婚して子どもを六人ももうける (そのひとりのクラウス ・マンはゲイ作家と
    して有名になる ) 。大江健三郎にもじつはそういう側面があるような気がします ─ ─エク
    スプリシットにはマンよりサルトルの影響のほうが大きいと言うべきでしょうが 。大江の
    小説では 、女性との関係はしばしば苦行として描かれる一方 、男性のホモエロティックな
    魅力が強調される 。…
    …『われらの時代 』でも 、主人公の大学生は年上の女性に飼われている
    のだけれど 、プ ールで精悍なアラブ人の若者に出会い 、自分もエジプト革命を機に燃え上がる
    アラブ社会主義運動に身を投ずることを夢見る 。ちなみに 、大江はのちにエドワ ード ・サイ
    ードに傾倒することになるけれど 、カッコいい紳士だったサイ ードは 、まさにあのアラブ人
    の再来だったのかもしれない ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
    ─ ─おお
    ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。浅田ぼくはいわゆるゲイ文学のファンではなかったけれど 、むしろ大江の初期
    作品に見られるヘテロセクシュアルなものとホモセクシュアルなものとのアマルガムに衝撃を
    受けました 。大江の 『セブンティ ーン 』 (六一年 )の続編 、 『政治少年死す 』 (六一年 )
    に右翼があれだけ暴力的に反応したのも 、自分たちのいちばん隠したい性的な核に直に触れら
    れた感覚があったからではないか 。だから 、日本のゲイ文学の代表は三島由紀夫より大江
    健三郎であるというのがぼくの意見なんですが ・ ・ ・ ・ ・ ・こんなことを言っちゃうと怒られ
    そうですね (笑 )

    返信削除

  157. …じつは 、もう亡くなったぼくの両親は 、どちらも一九二五年生まれで 、三島由紀夫と
    同い年 、四五年の敗戦を二〇歳で迎えた世代なんですね 。この世代 (すこし下の北杜夫や
    辻邦生らまで含めて )は 、ト ーマス ・マンの影響が大きい 。 『ブッデンブロ ーク家の
    人々 』で家系図を見せられた少年時代の主人公が 、無意識に自分の下のところに家系の
    断絶を示す線を引いてしまうシ ーンがあって 、父がよくぼくにその話をしたんですが 、
    ここまで露骨だと無意識のうちに欲望が伝達されたとは言いがたいですね 。こうした
    「終わり 」の意識は三島由紀夫も共有していると思います 。非常に大ざっぱに言えば 、
    それにいかに抗うかというのが大江健三郎の問題であり 、のちの中上健次の問題でもあっ
    たといえるのではないか 。
     話が逸れるけれど 、マンは 『ヴェニスに死す 』に見られるような同性愛的欲望を持った
    ひとなのに結婚して子どもを六人ももうける (そのひとりのクラウス ・マンはゲイ作家と
    して有名になる ) 。大江健三郎にもじつはそういう側面があるような気がします ─ ─エク
    スプリシットにはマンよりサルトルの影響のほうが大きいと言うべきでしょうが 。大江の
    小説では 、女性との関係はしばしば苦行として描かれる一方 、男性のホモエロティックな
    魅力が強調される 。…
    …日本のゲイ文学の代表は三島由紀夫より大江健三郎であるというのがぼくの意見なん
    ですが ・・・・・・こんなことを言っちゃうと怒られそうですね (笑 )

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  158. explicit
    【形】
    〔話などが細部まで〕はっきりと述べられた、曖昧さのない、明確な、明白な
    〔考えなどが〕系統立てられた、しっかり練り上げられた
    〔表現が〕率直な、あけすけな
    〔性的表現などが〕露骨な、どぎつい
    《音楽》〔ポピュラー・ソングの歌詞が〕エクスプリシットな、不適切な表現がある◆【対】clean
    《数学》陽の
    レベル8、発音iksplísit、カナイクスプリシット、エクスプリシット、分節ex・plic・it
    単語帳
    explicit about
    ~に関して明白な、~に関して率直な
    単語帳
    explicit about one's future plans
    《be ~》明確な[はっきりした]将来計画を立てている
    単語帳
    explicit address
    明示アドレス
    単語帳
    explicit agreement
    《an ~》明確な[明白な・明示の]同意[合意・承諾]◆【参考】implicit agreement ; implicit consent
    表現パターンexplicit [express] agreement [consent]
    単語帳
    explicit antecedent
    明示的先行詞単語帳
    explicit argument
    顕在項単語帳
    explicit authorisation
    〈英〉= explicit authorization
    単語帳
    explicit authority
    明示的な権威[権限]
    単語帳
    explicit authorization
    《an ~》明示の認可[承認]◆【対】tacit authorization
    単語帳
    explicit behavior
    顕在行動単語帳
    explicit behaviour
    〈英〉→ explicit behavior
    単語帳
    explicit cast
    《コ》明示的な型変換単語帳
    explicit comment
    《an ~》明確な意見[コメント]
    単語帳
    explicit communication
    明示的コミュニケーション
    単語帳
    explicit consensus
    明白な合意単語帳
    explicit consensus on
    ~についての明示的な合意[コンセンサス]
    単語帳
    explicit consent
    《an ~》明確な[明白な・明示の]同意[合意・承諾]◆【参考】implicit agreement ; implicit consent
    表現パターンexplicit [express] agreement [consent]
    単語帳
    explicit construction
    明示的構成単語帳
    explicit content
    露骨な内容単語帳
    explicit control
    明示制御単語帳
    explicit conversion
    明示的変換

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  159. 浅田

    382

    >>98
    ク ールの美学と土俗的前衛

    それから 、なぜぼくがジャズを好んだかというと 、まさにそれがモダンだったからです 。
    アドルノは 、アメリカの大衆音楽はすべて悪しき商業主義の産物だと言ってジャズも切り
    捨てたけれど 、否定によってどんどん先鋭化してゆくという否定弁証法的過程を 、ジャズ
    はチャ ーリ ー ・パ ーカ ーからマイルス ・デイヴィスを経てオ ーネット ・コ ールマンら
    にいたる行程で 、クラシックより急速に反復したともいえる 。しかも 、それをマイノリ
    ティである黒人たちがおもに担った 。一種 、音楽史上の奇蹟ですよ 。



    やはり 、ジャズ 、とくにマイルス ・デイヴィスに代表されるク ールの美学というのは 、
    モダニズムの精髄だと思いますね 。マイルス ・デイヴィスに 「 S o W h a t 」 ( 「それが
    なにか ? 」 )という有名な曲があります 。いまでいえば 、ウォ ール街の白人エリ ートが
    金融危機だとか言って騒いでいるときに 、黒人のタクシ ー運転手のおっちゃんが 「それが
    なにか ? 」と言う 。 「金融危機で大変だっていうけど 、それがどうしたんだい ?おれには
    もともと失うものなんてないし 、どうだっていいんだけど 」と 。そういうディタッチメントと
    無関心こそがク ールの美学を生む 。それはいまの例からもわかるように 、ある種の階級闘争
    なんだけれど 、熱く盛り上がる闘争ではないんです 。

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  160. 浅田

    1 『構造と力 』ができるまで
    浅田孝と万博
    浅田 ぼくは一九五七年に神戸で生まれ 、松山で育ったあと 、六八年に関西に戻り 、翌年に
    京都の洛星中 ・高等学校に入学 、七五年に京都大学に進学しました 。成長期は高度経済成長
    の真っただ中 。とくに 、ぼくの伯父の浅田孝は六〇年代まで丹下健三の右腕だった人物なの
    で 、テクノクラティックな近代主義の最前線の雰囲気を身近に感じながら育ったといえるで
    しょう 。浅田孝は 、建築や都市計画だけではなく 、計量経済モデルなどにも早くから関心を
    示していた 。とはいえ 、資本主義万能論ではなく 、いまでいう資源問題や環境問題にも注目
    していて 、七〇年の大阪万博よりまえに 、ロ ーマ ・クラブの 『成長の限界 』 (七二年 )に
    つながるような話をよく聞かされた 。ぼくはそのときにはすでに万博に象徴される成長路線に
    批判的だったものの 、伯父の日本浪曼派ふうの大言壮語には魅了されましたね 。いまにして思
    えば 、彼の建築家としての態度にはぼくに近いところがあったかもしれない 。建築家であれ
    ば 、なんとしても自分の建物をつくりたい 、そのためには多少妥協したり手を汚したりするの
    もやむをえないと思うところだけれど 、彼はそういうタイプではなかった 。彼の代表作のひと
    つは五七年に建てられた南極の昭和基地ですが 、これはプレハブ住宅の原型ともいえる文字
    どおりの最小限住宅で 、隊員たちの手のみで建てても何十年ももつように設計され 、実際に
    九〇年に伯父が死ぬときまでもっていた 。それからもうひとつの代表作は 、六五年に
    横浜市につくられたこどもの国で ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。 402
    (>>98)
    >>402
    ─ ─こどもの国ですか !ぼくは子どものころ近くに住んでいて 、よく行きました 。

    浅田あそこはもともと入り組んだ谷に旧日本軍の弾薬製造貯蔵施設があって 、敗戦後 、米軍に
    接収されていた 。そこを子どもたちの遊び場へと変えるにあたって 、浅田孝は 、自然との触れ
    合いを重視し 、なにかを建てるというより余計なものは建てないことを基本とした 。この両極
    が代表作で 、中途半端な妥協は嫌ったんですね 。言い換えれば 、妥協してまでつくりたいもの
    がないという意味で 、建築家として才能がなかったと言ってもいい 。だからこそ丹下研究室の
    マネ ージャ ーとして優秀だったのかもしれないと思います 。じつは 、浅田孝については 、
    ぼくよりも 、丹下研究室の後輩である磯崎新のほうがよく知っているんですよ 。彼の話では 、
    浅田孝が東京大学の建築学科で書いた国民建築様式論に関する卒業論文は 、当時の文脈では
    重要なものだったらしい 。…

    返信削除

  161. 405:
    >>98,


    1 『構造と力 』ができるまで
     浅田孝と万博
       (浅田孝>>402,>>403)
     マルクス主義の再構築
     今村仁司との出会い
     クールの美学と土俗的前衛
       (ジャズ>>38,)
       (マルクス>>354)
     小林秀雄に抗して
       (大江>>355)
     戦後啓蒙の到達点
    2 二一世紀の啓蒙に向けて
     逃走派の憂鬱
     『 G S 』と 『 Z O N E 』
       (デリダ)
     「反戦声明 」と 『批評空間 』
     N T Tの部長とは飲まない
       (飲み会>>300)
     ニュータイプのパトロン
     神学と統計学のはざまで
       (主体と経済学>>301,>>302(>>305,>>306))
       (最後>>101 )

    :
    …こんなことを言っても詮無い床屋政談にしかならないけれど 、八九年に冷戦が終結した
    あと 、西側はゴルバチョフを経済面などで 、もっと支援すべきでした 。第一次世界大戦後に
    ドイツを叩きすぎたため 、ドイツを経済破綻からナチズムという道に追い込んだことへの
    反省から 、第二次大戦後 、アメリカをはじめとする連合国はマ ーシャル ・プランという
    大規模な贈与を行うことでヨ ーロッパの復興を助け 、とくに旧ファシズム陣営をうまく手な
    ずけた 。ところが冷戦終結時にはふたたびその反省が忘れられ 、ゴルバチョフがコケてソ連
    が元に戻った場合 (たしかにその可能性は小さくなかった )はいつでも叩けるようにしてお
    こうという警戒心ばかりが先行して 、経済危機にあえぐ彼を助けようとしなかった 。結果 、
    彼は追い詰められ 、九一年にク ーデタ ーが起こり 、それを鎮圧して新たに大統領になった
    エリツィンがソ連を解体し 、いまのロシアをつくるわけです 。しかし 、エリツィンが急激な
    自由化 ・民営化というショック ・セラピ ー (ナオミ ・クライン )を強行した結果 、オリガ
    ルヒと呼ばれる新興財閥に富が集中する一方で 、民衆は飢えてめちゃめちゃな混乱状態になり 、
    結局それを収拾して秩序を再建するストロング ・マンとしてプ ーチンが登場するんですね 。

    アメリカはいまプ ーチンを目の敵にしているけれど 、かつて自分たちがゴルバチョフを見捨て 、
    エリツィンに性急な資本主義的 「改革 」を押し付けた 、その結果としてプ ーチンが現れたと
    いうことを 、もっとよく考えるべきでしょう 。むろんプ ーチンは乱暴すぎると思うけれど 、
    ロシアから見れば 、冷戦終結後 、アメリカを中心とする N A T Oがどんどん迫ってきた
    わけで 、危機感をつのらせるのは当然ですよ 。九一年にソ連でク ーデタ ーが起こったとき 、
    ぼくはたまたまベルリンにいて 、ダニエル ・リベスキンドやジャック ・デリダとアインシュ
    タイン ・カフェでランチを食べていたんです 。冷戦下のベルリンでは国際建築展 〈 I B A 〉
    と称して外国の建築家も招いての都市再開発が行われており 、 「 I B A 1 9 8 7 」の最後
    には 、リベスキンドのベルリン ・ユダヤ博物館増築案が採択された 。ところが 、冷戦終結
    で 、それをいったんペンディングにしようという話が出てくる 。ベルリンを首都とするドイツ
    再統一が可能だとしたら 、その時点で考え直したほうがいい 、というわけですが 、そこで
    どうしても 「ドイツの建築家によるベルリンの復興を 」というナショナリズムも出てくるん
    ですね 。そこで 、あくまでリベスキンド案の実現を求める運動が組織され 、結果的にベルリン
    ・ユダヤ博物館は建設に漕ぎ着けるんですが 、そのためのシンポジウムで 、ヴォルフ ・レペニ
    ースやヴィム ・ヴェンダ ースとともにデリダやぼくのような外国人も呼ばれて話をしたわけ
    です 。そのときデリダは 「ペレストロイカはディコンストラクション (脱構築 )である 」
    と繰り返していて ★ 1 0 、ぼくは半ば冗談として受けとめましたけれど 、あとになってあれ
    は案外まじめな話だったのかもしれないと思うようになりました 。

    「 A n y w h e r e 」の
    サテライト ・イヴェントとして磯崎新とぼくがデリダにインタヴュ ーしたときは 、彼は 「ディ
    コンストラクション (脱構築 )はリビルディング (建て直し )である 」とも言っている 。
    ゴルバチョフのペレストロイカがそういう意味における社会主義のディコンストラクション
    =リビルディングの試みだったとして 、エリツィンがやったのはむしろその急激なディストラ
    クション (破壊 )であり 、そのショック ・セラピ ーのもたらした混乱が逆にプ ーチンの
    独裁的権威主義体制につながってしまう 。デリダはあのときそういう展開を危惧していたん
    だと思います 。
     これはべつにロシアに限った話ではありません 。ネグリ &ハ ートがポスト冷戦世界の
    状況を帝国 v s .マルチチュ ードという明快な両極に整理してみせたけれど 、やや
    もすれば中間の重層的な構造をすっとばしてしまうおそれがある 。それは政治的にみて危険
    です 。実際 、マルチチュ ードの側でエルネスト ・ラクラウが言うのは 、多種多様なマイ
    ノリティの運動を適当なキ ーワ ード m a s t e r s i g n i f i e rを軸に連接してヘゲモニ ーを形成
    すればいい 、たとえばバラク ・オバマの 「 Y e s W e C a n 」というスロ ーガンが当たったの
    ならスペインの左翼は 「 P o d e m o s 」と言えばいい 、というようなレヴェルの話でしか
    ないように見える 。それはグラムシ主義というよりボナパルティズムですよ 。イタリアの
    ベルルスコ ーニやフランスのサルコジがやっていたことを左翼がもっとうまくやればいい 、
    と 。いや 、左翼でそれをやった例として 、ベルルスコ ーニに匹敵する T V司会者でもあっ
    たベネズエラのチャベスを挙げられるかもしれない 。そして 、右翼でいまそれをやっている
    のがアメリカのトランプですよ ─ ─さすがにやりすぎで自爆しそうだけれど 。…


    406:
    佐藤優による浅田評>>259

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  162. クラインの壺 - Wikipedia
    https://ja.wikipedia.org/wiki/クラインの壺
    クラインの壺

    曖昧さ回避 この項目では、数学者フェリックス・クラインにより考案された立体について説明しています。岡嶋二人の小説については「クラインの壺 (小説)」をご覧ください。

    クラインの壺
    クラインの壺(くらいんのつぼ、英語: Klein bottle)は、境界も表裏の区別も持たない(2次元)曲面の一種で、主に位相幾何学で扱われる。

    ユークリッド空間に埋め込むには4次元、曲率0とすると5次元が必要である。3次元空間には通常の方法では埋め込み不可能だが、射影して強引に埋め込むと、自己交差する3次元空間内の曲面になる。その形を壺になぞらえたものである。

    ドイツの数学者フェリックス・クラインにより考案された。クラインの管、クラインの瓶とも呼ばれる。この通称は英語に翻訳する際の錯誤によるものである。原語であるドイツ語では「Kleinsche Fläche(クラインの面)」であり、これが英語に翻訳される際、Fläche(面)がFlasche(瓶)と取り違えられ、bottleと訳された。現在ではドイツ語圏でも、Kleinsche Flascheのほうで定着している。

    クラインの壺は、下図のように矢印を付けた正方形の対辺を矢印の向きが合うように貼り合わせて作ることができる。


    Klein Bottle Folding 1.svg


    Klein Bottle Folding 2.svg


    Klein Bottle Folding 3.svg


    Klein Bottle Folding 4.svg


    Klein Bottle Folding 5.svg


    Klein Bottle Folding 6.svg
    前述のように3次元空間内に実現するためには自己交差が必要であるが、クラインの壺そのものに交差はない。そのことを強調するために自己交差の部分をぼかして図示されることがある。

    表裏の区別を持たない2次元曲面には他にメビウスの帯がある。メビウスの帯が2次元のテープ状のものをひねり表をたどっていくとそのまま裏に行き着くようにしたのに対し、クラインの壺は3次元のチューブをひねり内部をたどると外部に行き着くようにしたものである。また二つのメビウスの帯をそのふちに沿って貼り合わせるとクラインの壺ができる(上の図で、ここで示した順序とは逆に、青いほうの辺を先に貼り合わせるとメビウスの帯になる)。

    関連項目 編集
    クライン体 - クラインの壷を境界として持つ3次元多様体。
    外部リンク 編集

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  163.  今村仁司との出会い

    ─ ─ 『構造と力 』のあとがきには 「本書の中核を成す第一章は 、今村仁司氏の勧めがなければ書かれえなかった 」とあります ★ 5 。その講演会がきっかけで声をかけられたのでしょうか 。
    浅田 ええ 。今村仁司はもともと 、さきほど言った京都大学人文科学研究所の河野健二グル ープの周辺でアルチュセ ールの研究をしていたけれど 、当時はすでに東京経済大学に移っていた 。人文研には阪上孝が残っていて 、のちにぼくを助手に採用してくれるのですが 、彼のおもな関心はむしろ社会主義思想史のような手堅い歴史研究のほうにあったのに対し 、今村仁司はご存じのように思弁的な関心の持ち主だから 、彼の話も聞いてみたいと思って講演会に招き 、そこから交流が始まったのだと思います 。
     ともかく 、京都大学経済学部自体は日本共産党系マルクス経済学の牙城になっていて 、ほとんど知的廃墟だったけれど 、学生運動の周辺で 、おもしろいと思えることを勝手にいろいろやっていたんですね 。他方 、京都大学には近代経済学系の人々が中心になって作った経済研究所という附置機関もあって 、学部から大学院にかけて 、ぼくもそこによく出入りしていました 。そこには経済計画論や比較制度分析の青木昌彦 (六〇年安保の時代には姫岡玲治というペンネ ームでブントのリ ーダ ーとして活躍した )や 、社会的選択理論の鈴村興太郎のような優秀な経済学者がいて 、いまでいうメカニズム ・デザインのような問題 ─ ─市場経済を相対化しつつ 、社会主義計画経済をより効率的でしかも個人のインセンティヴと両立しうる (つまり個人がズルをするインセンティヴが少ない )かたちに組み替えることは可能か 、そこではどういう論理的不可能性を意識しておく必要があるか 、といったことを考えていた ・ ・ ・ ・ ・ ・ 。
     ─ ─シカゴ学派や 「法と経済学 」などにつながる研究ですか 。
    浅田 むしろ 、二〇年代から三〇年代にかけての社会主義経済計算論争に由来する問題意識だと言ったほうがいいでしょう 。計画経済をやろうにも 、コンピュ ータ ーがなかった時代には 、市場こそもっとも優秀なコンピュ ータ ーであるという反論に対抗しにくかったのを 、市場メカニズムや計画経済メカニズムを含むメカニズム一般を分析し 、比較検討しようというわけですね 。対してシカゴ学派の主流は 、市場を主体に分解して考えるという意味で 、よりアトミスティックなものです 。
     ─ ─浅田さんは 、七九年に経済学部を卒業して大学院に進学し 、八一年に人文科学研究所の助手になったあと 、八九年にはまさにその経済研究所の助教授になられる 。
    浅田 そう 、でも経済研究所とのつながりは学部生のころからあって 、森口親司が作った計量経済モデルの計算のアルバイトなどもしていた 。計算機室でひたすらパンチカ ードに穴を開けるというような 、いまから思えば原始的な時代ですよ (笑 ) ─ ─マッキントッシュが登場して 、使いものになるパ ーソナルコンピュ ータ ーが普及するのは八四年以降ですからね 。さらに 、ロ ーレンス ・クラインらを中心に 、各国の計量経済モデルをリンクして動かそうというプロジェクトもあった 。ただ 、やはり経済研究所にいた佐和隆光は 、いまのようなビッグデ ータ時代ならともかく 、四半期デ ータくらいしかない当時 、限られたデ ータから 、やたらに複雑な計量経済モデルを推定するのはそもそも無理があるという批判を展開していた 。言ってみれば計量経済学的理性批判ですね 。ぼくは彼とも親しくなり 、のちに彼が 『中央公論 』に推薦してくれて 『構造と力 』の序章にあたるエッセイが掲載されることになるわけです 。じつは 、ぼくは大学に入ったときから教養部で森毅と井上健 (湯川秀樹スク ールの物理学者 )が共催していた自然科学史のゼミナ ールに参加し 、森毅とさまざまな分野のひとたちの対談 ( 『現代数学 』に連載され 、のち 『世話噺数理巷談 』 、さらに 『森毅の学問のススメ 』にまとめられた )を編集したりもしていたんですが 、佐和隆光も多分野の研究者を招いた研究会を開いていて 、ここでもいろいろな話を聞くことができました 。他方 、青木昌彦が 、市場経済における不均衡累積過程を考える岩井克人を招いたセミナ ーも 、非常に刺激的でしたね 。もうひとつ付け加えれば 、経済研究所には塩沢由典も助手として勤めていて 、マルクス経済学の数理的再定式化を試みていた 。こういう優秀な経済学者たちと触れ合い 、他分野の研究者たちの話も聞く機会を得たのは 、たいへん幸運だったと思います 。ただ 、そういう理論経済学というのがしょせん小手先の論理ゲ ームにすぎないんじゃないかという印象もだんだん強くなっていくんですね 。たとえば青木昌彦というのは晩年ノ ーベル経済学賞候補に擬せられていたほどで本当に頭がよくしかもスタイリッシュだったけれど 、鎌倉の少年時代から高橋悠治と親しかったにもかかわらずア ートの話をすると 、率直に言って実に浅薄な好みだったし 、ブント時代に彼の影響を受けた西部邁がやがて幻滅したように 、人間としての深みを感ずるとは言いがたかった 。やはり本当に思考と呼ぶに足るものはマルクスやアルチュセ ールの側にあると思ったし 、そんなこともあって 、今村仁司なり 、あるいは西部邁ではないにせよ彼の年少の友人だった柄谷行人なりの側に近づいていったんだろうと思います 。

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  164. >>579
    >グランドホテル深淵
    ルカーチが『小説の理論』序文でアドルノを揶揄した言葉。
    Preface to The Theory of the Novel by Georg Lukacs
    https://www.marxists.org/archive/lukacs/works/theory-novel/preface.htm

    A considerable part of the leading German intelligentsia, including Adorno, have taken up residence in the ‘Grand Hotel Abyss’ which I described in connection with my critique of Schopenhauer as ‘a beautiful hotel,


    (>>579の続き)>>580の前

    (>>579と>>580の間)
    …この点について柄谷行人と議論を詰めたことはないんですが 、 「政治に回帰する柄谷と
    アドルノ的エリ ート主義に回帰する浅田が呉越同舟で 『批評空間 』に同居していた 」と
    いう見立てがあるとすれば 、 「そう見えたとしてもしかたないだろう 」と答えるべきかも
    しれません 。
     ただ 、いまから振り返ると 、 『批評空間 』に意義があったとすれば 、それは
    なによりもまず 、東浩紀とスラヴォイ ・ジジェクを導入したことでしょう 。東さんが
    『批評空間 』に連載したデリダ論 ( 『存在論的 、郵便的 』の原型 )は 、いわゆる 「シス
    テムの自己脱構築 」を 、閉じたかたちではなく 、ある種のコミュニケ ーションの問題として 、
    つまりある種の実践の問題として捉え直すもので 、一方における理論信仰 、他方における
    実践信仰というあまりに単純な両極化に対するオルタナティヴをはっきりと示してくれました 。
     また 、 『批評空間 』はジジェクを日本で最初に訳したわけですね 。ジジェクのことは
    最初のフランス語の本 ( 『最も崇高なヒステリ ー者 L e p l u s s u b l i m e d e s h y s t é r i q u e s 』
    〈原著八八年 〉というヘ ーゲル論 )が出たときから知っていたけれど 、最初の英語の本
    ( 『イデオロギ ーの崇高な対象 T h e S u b l i m e O b j e c t o f I d e o l o g y 』 、原著八九
    年 )はアルチュセ ールから出発していて (ラカンもそこから出てくる )われわれの文脈
    とも接合しやすかったし 、なによりアクロバティックな理論展開とレトリカルな見栄の切り
    方がおもしろいので 、ぜひ日本に紹介しようと考えたんです 。もちろんアラも多いので理論
    的に批判しようと思えばいくらでも批判できる 。しかし 、彼のトリッキ ーな言説は 、理論を
    超えて 、ある種の政治的な効果を持つのではないか 、と 。ここでもやはり理論信仰と実践
    信仰の単純な両極化に抗うことが問題だったといえるでしょう 。
     こういう文脈から振り返れば 、「文学者の反戦声明 」に参加しなかったのもぼくとしては当
    然の選択だった 。のちに柄谷行人が N A Mを始めたときも 、ぼくは最初は参加していなかっ
    た 。経済研究所でメカニズム ・デザイン論や社会的選択理論に触れたときからすでに 、むしろ不
    可能性から出発して考える癖がついていて 、新しいアソシエ ーションにせよ地域通貨のようなシ
    ステムにせよ 、そう簡単にはいかないだろうということが先に見えてしまうわけですよ 。ただ 、 N A Mでいろいろと問題が起こり 、柄谷行人から事態の収拾に協力してくれと頼まれて最終盤に
    参加した 、あれはいまにして思えば過った妥協でした 。実際 、参加はしたものの 、問題はなんら
    解決できなかった 。あのとき参加していなければ 、自分のふるまいは一貫していると言うことも
    できたんですけどね 。

    ラカン
    --nam
    メカニズム ・デザイン論


    (>580の続き)
     ─ ─最近では S E A L D sも丸山眞男を必読書に挙げています 。
    浅田 もちろん 、ポスト冷戦世界がグロ ーバル資本主義のヘゲモニ ーの下で焼け野原のようになってしまった以上 、
    もういちど敗戦直後の焼け跡に戻って戦後民主主義から再出発するのもいいだろうし 、そのためにも丸山眞男は高校
    を卒業するまでにはぜひ読むべきだと思いますよ 。戦後民主主義がいかに古く見えても 、そこで提起された問題が
    解決されていない以上 、それはいまも新しい 。ただ 、丸山眞男のいう 「無責任の体系 」の克服にせよ 、あるいは
    立憲制の擁護にせよ 、対米従属の解消にせよ 、大昔からいわれてきた議論であることははっきりさせておくべきで 、
    そういう議論をさも新しいものであるかのように言い立てる連中や 、それをもてはやす連中は 、どうかしていると
    しか思えません 。

    >丸山眞男のいう 「無責任の体系 」

    「軍国支配者の精神形態」より
    〔新装版〕 現代政治の思想と行動 | 丸山 眞男
    https://www.amazon.co.jp/dp/462430103X
    丸山眞男 & 杉田敦「丸山眞男セレクション」
    https://itun.es/jp/_1249.l
    五 
    むすび
     ほぼ以上のごときが日本ファシズム支配の厖大なる「無責任の体系」の素描である。いま一度ふりかえって
    そのなかに躍った政治的人間像を抽出してみるならば、そこにはほぼ三つの基本的類型が見出される
    一は「神輿」であり二は「役人」であり三は「無法者」(或は「浪人」)である。神輿は「権威」を、役人は「権力」を、浪人は「暴力」をそれぞれ代表する。
    …これは昔々ある国に起ったお伽話ではない。 (潮流、一九四九年五月号、潮流社)

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  165.  _________________
    |        |\       |
    | [社会思想] | \ [宗教] |
    |        |  \     |
    |   国家   | ネーション  |
    |   B    | A  \   |
    |        | [文化]\  |
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    |        |        |等   
    |  [経済学] |        |          
    |        |        |       
    |   資本   |アソシエーション|          
    |   C    | D   X  |          
    |        |        |          
    |        |        |         
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            自 由

    文化(宗教) http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/984
    社会思想 htts://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/982
    経済学 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/983


    前スレ
    >http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/981

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            自 由

    文化(宗教) http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/984
    グールド関連 http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/23681.html
    社会思想 htts://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/982
    経済学 http://mint.2ch.net/test/read.cgi/philo/1482497288/983

    グールド関連:
    國分功一郎 @lethal_notion 先生の『浅田彰が語るグレン・グールドの世界』を観たい!
    - Togetterまとめ
    https://togetter.com/li/588572
    KoichiroKOKUBUN國分功一郎 @lethal_notion2013-11-05 10:43:52
    俺はあの番組で初めて浅田彰という人を知ったと思う。なんか面白い喋り方の人だなぁって
    思った。グールドの解説が笑えた。一番笑えたのが、ピアノを弾きながら身体でとっている
    リズムが曲のリズムとあってないってやつ。映像観ると確かにあってないんだよな(笑)。

              ●浅田彰氏によるまとめ~グールドの5大特徴
              (1)行儀の悪い座り方
              (2)極端に低い椅子・高さ35cm
              (3)弾きながら歌う
              (4)曲のリズムと合わない体の揺れ
              (5)自分の演奏への指揮


    検討中「浅田彰が語るグレン・グールドの世界(教育テレビスペシャル)」
    http://www.nhk.or.jp/e-tele/onegai/detail/23681.html
    NHK教育で1992年の9月にO.Aされました、『浅田彰が語るグレン・グールドの世界』を
    リクエストさせて頂きます。現在もなおクラシックのピアニストとして異端であり、最
    先端であり続ける天才の軌跡を、浅田彰氏の解説とインタビューで構成する内容の番組
    だったと思います。是非、検討をお願い致します。(黒川さん)
    2013年11月5日(火)投稿 30代 男性

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  167. 月刊PLAYBOY1984年8月号掲載(聞き手=吉岡忍・ノンフィクション作家)
    (『プレイボーイ インタビューセレクテッド』1990年10月24日 再録)

    PLAYBOYインタビュー:浅田彰

     ″浅田彰現象″を総括する>>93,>>94
     『構造と力』の使用上の注意>>95,96
     知的エイリアンの生い立ち>>121,122,123,124,125,>>126
     知識人の原型は旅芸人
     エレクトロニック・マザーから逃れて
     亡命のための知識

    >>124訂正
    →エリート化するのがいやだから、いいかげんでいいんだ

    >>125
    >アーサー・ランサム

    参考:
    宮崎駿や小沢健二も影響を受けた児童向け海洋小説の作者。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/アーサー・ランサム
    アーサー・ランサム(Arthur Ransome、1884年1月18日 - 1967年6月3日)は、
    イギリスの児童文学作家、ジャーナリスト。『ツバメ号とアマゾン号』シリーズで
    知られる。 カーネギー賞の第1回受賞者(1937年 Pigeon Post )。

    >>125
    >ランサムのいいところは、変に文学的に
    >人間関係や心理状態を描くのではなくて、とにかく冒険に行って見知らぬところの
    >地図をつくるんだというふうな、いい意味でイギリス的な実用精神で書かれている。
    >それがとっても魅力だったんです。その延長上で、ぼくはいわゆる文学的なものが
    >嫌いだったんですよ。

    返信削除
  168. NAMs出版プロジェクト: アーサー・ランサム(Arthur Ransome)
    http://nam-students.blogspot.jp/2017/02/arthur-ransome.html

    アーサー・ランサム

    宮崎駿や小沢健二も影響を受けた児童向け海洋小説の作者。

    https://ja.wikipedia.org/wiki/アーサー・ランサム
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%
    A9%E3%83%B3%E3%82%B5%E3%83%A0
    アーサー・ランサム(Arthur Ransome、1884年1月18日 - 1967年6月3日)は、
    イギリスの児童文学作家、ジャーナリスト。『ツバメ号とアマゾン号』シリーズで
    知られる。 カーネギー賞の第1回受賞者(1937年 Pigeon Post )。 →☆

    >ランサムのいいところは、変に文学的に
    >人間関係や心理状態を描くのではなくて、とにかく冒険に行って見知らぬところの
    >地図をつくるんだというふうな、いい意味でイギリス的な実用精神で書かれている。
    >それがとっても魅力だったんです。その延長上で、ぼくはいわゆる文学的なものが
    >嫌いだったんですよ。

    PLAYBOYインタビュー:浅田彰 より
    月刊PLAYBOY1984年8月号掲載(聞き手=吉岡忍・ノンフィクション作家)
    (『プレイボーイ インタビューセレクテッド』1990年10月24日 再録)


    アーサー・ランサムの世界 - アマゾン号に乗りたい!
    http://kayak9.matrix.jp/index.php?アーサー・ランサムの世界
    http://kayak9.matrix.jp/index.php?%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B5%
    E3%83%A0%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C
     アーサー・ランサム(Arthur Michell Ransome, 1884-1967)が残した12冊(サーガと呼ばれることも)の1作目『ツバメ号とアマゾン号(Swallows and Amazons)』は"スリッパのお返しに6人に"捧げられています。アルトゥニアン家の6人、アーネストとドーラ夫妻、そしてタキ、スージー、ティティ、ロジャの4人の子どもたち。ランサムが彼らと一緒に過ごした1928年という年がなかったらこのサーガはおそらく誕生せず、ランサムの作家としてのキャリアも違ったものになっていたことでしょう。ジャーナリストとして一層名を馳せたかも知れませんし、あるいは「少年と釣りと老いた教師」の物語が代表作になっていたかも知れません。
     でもあの1928年の夏と秋のおかげで、私たちは『ツバメ号とアマゾン号』に始まる12冊の物語を読むことができます。1929年3月24日にランサムはこの物語に取りかかり、3月29日には『せっせと物語を書いています(I am hammering at a story)』と母親に書き送っています*1。
     12冊の物語誕生の背景をたずねて80年余を遡ってみます。



    参考:
    宮崎駿が薦める本(や映画) その2: 本、映画、音楽
    http://dokushoburogu.seesaa.net/article/1389912.html


    (宮崎駿)コミック・ボックス 1995年1月号のインタビューから
    アーサー・ランサム『ツバメ号とアマゾン号』について
    《アーサー・ランサムという戦前にイギリスの子供の読み物を書いた人の作品で『ツバメ号と
    アマゾン号』という本があるんです。(中略)この前読み直してみたら、面白いんだよね。
    ひたすらこのめくるめく夏休みを味わおうっていうことを見せているの。二巻目を読んだら
    それは次の年の夏休み。(聞き手笑い)三冊目を読んだらそれもいつかの休み。夏休みだけな
    の。これは本当に感心した。若い時には船乗りになって、全国歩き回ったりしてやってきた人
    が、お爺さんになって書いているんですよ。イギリスでも戦後の児童文学の潮流の中ではあまり
    にも金持ちの世界すぎると、つまり一九三〇年の頃にヨットに乗ってたりした子供たちですから。
    その湖水地方というのは、今、ピーターラビットの故郷で、ナショナルトラストの本拠地にな
    っているウィンダミア湖というところを舞台にしてね。
     とにかく自分達の船を持っている子供たちが、親は岸に住んでいるんだけれど小さな島に
    キャンプをしてその一週間の間とか十日の間の話なんだけど、本当に人生を味わおう、楽しもう
    ということに満ちているの。これは大変な哲学ですよ。ちゃんと活劇になっていますよ。かすか
    な、わずかなことだけれど。二巻目読んだら、ものすごく口やかましい大おばさまが来て、ライバルであり、友人である女の子二人の姉妹がヨットに乗って出て来られないんですよ。主人公の少年
    たちが道で見かけたら、馬車の上にその大おばさまが日傘をさして座っていて、謹厳な顔をして
    いる。その前に夏の帽子を被って、フリルのついた服を着せられて、手袋をした手をきちんと膝の
    上においた少女たちを目撃するんです。そこに書いてある言葉が面白いの。「恐るべき光景だっ
    た」って(笑い)。これ、いいですね。きっと、僕らだったらかわいいなと思うような格好をし
    ていたに違いないんだけれど、そのアーサーランサムという人は、それを「恐るべき光景だった」
    って、全然似合ってないって書いてあるのね。これは本当にいいですね。…》


    http://msworks.dreamlog.jp/archives/2095647.html
    フリッパーズギター、大好きでした。
    さっき、1stアルバムを見たら、1989年のアルバムだということに気づいてショック。

    もしかしたらフリッパーズギター、知らないかも?小沢健二くんがやっていたバンド
    ですが、小沢健二くんは知ってます?

    はまったきっかけは1stアルバム副題の『海へ行くつもりじゃなかった』でした。
    大好きな児童文学のタイトルと同じで、絶対この人もこの本が好きに違いない、と思
    ったから。ジャケ買いならぬタイトル買い(笑)!でも、大当たりでしたけれど。

    ちなみに、児童文学はアーサー・ランサム全集。この7冊目が『海に出るつもりじゃ
    なかった』というんです。…

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  169. 浅田彰 - Wikipedia
    https://ja.m.wikipedia.org/wiki/浅田彰
    「噂の眞相」2000年4月号のP.144-153「90年代の論壇・文壇状況の検証!! "身の程を知らない文化人"を斬る! 鼎談 浅田彰/田中康夫/中森明夫」において、中森に「浅田さん、ゲイなの?(笑)」と問われた浅田は「僕はカミング・アウトっていうコンセプトに反対だから。性的アイデンティティを明らかにするなんて馬鹿げてるじゃない? もっとも、バイセクシュアルだってことは、昔から言ってるよ。そんなことをいちいち申告していく必要なんてないってだけでね」と答えている。

    返信削除
  170. 「噂の眞相」2000年4月号のP.144-153「90年代の論壇・文壇状況の検証!! "身の程を知らない文化人"を斬る! 
    鼎談 浅田彰/田中康夫/中森明夫」において、中森に「浅田さん、ゲイなの?(笑)」と問われた浅田は「僕は
    カミング・アウトっていうコンセプトに反対だから。性的アイデンティティを明らかにするなんて馬鹿げてる
    じゃない? もっとも、バイセクシュアルだってことは、昔から言ってるよ。そんなことをいちいち申告していく
    必要なんてないってだけでね」と答えている。

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  171. 2001年に行われた共同討議『トラウマと解離』(斉藤環・中井久夫・浅田彰)における浅田彰の発言は、あきらかに『トランスクリティーク』の変奏である。

    メディア環境がどんどん解離的な状況を作り出す方向に向かっているのは、よく言われるとおりで、かなりの程度まで事実だろうと思います。メディアに接続することで、ここにいる自分とメディア空間の中の自分が多数多様なペルソナーー場合によっては性を年齢も異なったーーを演じ分けることができる、云々。

    また逆に、そこから人間自身の捉え方も変わってくるんですね。統一性のもった心身で手ごたえのある世界を体験する、それこそがリアリティだと言うけれど、哲学的に反省してみれば、実はそれもヴァーチュアル・リアリティのひとつに過ぎない、と。

    そもそも、人工知能のパイオニアのミンスキーが『心の社会』という表現を使っているように、心というのは多数のモジュールないしエージェントが統一的なプログラムなしに並列して走っているようなもので、その中には意識としてドミナントになるものもあるけれど、それとは別のリズムで意識には上らないまま動いているものもある、その総体が心なんだ、と。(……)人口知能で複数のモジュールを並列的に走らせる実験から逆に類推して、人間だって同じようなものだと考えるわけです。

    こうした流れが、フロイトからジャネへの退行にもつながるわけでしょうし、柄谷行人流に言えばカントからヒュームへの退行につながるわけでしょう。ヒュームは、自己というのは多数の知覚の束だ、いわば蚊柱のようなものだ、と考えている。自己の一貫性と言ったって、選挙で内閣が替わっても外国との約束は引き継ぐという程度のものだ、と。ヒュームによるそういう徹底的な解体の後に、カントが、超越論的統覚Xという、いわばどこにもないものを持ってきて、新たな統合を図るわけですね。(……)

    まあ、ヒュームからプラグマティズムに至るアングロ=サクソン的な伝統が再び優位になっているということでしょう。およそ、ファウンデーショナリズム(基礎付け主義)というのは、いわば神学の世俗化に過ぎず、有害でしかない。そのようなファウンデーションを自己言及的なパラドクスに追い込んで脱構築するなどと言っても、いわば否定神学的な観念の遊戯を出ない。そもそも、ファウンデーションなしに、複数の独立したゲームを並列的にプレイしてみて、それぞれがそこそこうまくいけばいいではないか、と。そういうローティ流のプラグマティズムが、いまもっとも支配的な哲学――というか反哲学でしょう。それが人工知能論などから見た「心の社会」論などともフィットするわけですね。

    しかし、多少とも哲学的な立場からすると、それですべてが片付くとはとても思えません。もちろん、いまさら超越論的なものを天下り式に持ってくることはできない。けれども、カントの言った超越論的統覚だって、予定調和的に与えられているのではなく、あくまでXとしてあるわけですからね。あるいは、時代は下るけれど、ジャネが水平の解離を強調したのに対して、フロイトは強引に垂直も抑圧によって無意識まで含めた統合を図ろうとし、ラカンはそれをされに徹底して体系化しようとした、それを思弁的に過ぎると言って批判するのは簡単だけれど、逆にそれなしではものすごく単純な経験論とプラグマティズムに戻ってしまうという危惧があるわけです。
     Les yeux clos: 「強い視差 parallax」、あるいは「超越論的」
    http://yokato41.blogspot.jp/2014/06/parallax.html

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  172. 逃走論文庫版1986,1984
    237頁

    岩井 ぼくが最近読んだSFの本で「Hitchhikers' guide to the garaxy」(邦訳『銀河のヒッチハイクガイド』
    新潮社)というのがありまして、その本自体は面白くなしんですけど、ただーつ面白いところがある。コンピ
    ューターが何千年かの計算をして、世界の大問題の答えが出たんですね。
    答えは何かというと「42」というんですね。ただ間題はその答えのクエスチョンが何であるかわか
    らない、(笑)そういうエピソードが入っていた。マルクスもそういうところがあると思う。「古典
    派」というものがあって、それが「42」という答えを出している。しかし、それが何に対する答え
    かというのがわからないからあれだけー生懸命ガチャガチャやって、S Fだったら物語になるし、
    マルクスだったら大英博物館の椅子が薄くなるほどー生懸命できたということになるんだと思いま
    す。そして、そういうプロセスのうちに答えの「42」なんてどうでもよくなってしまうんですよ。

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  173. 171
    186
    の柄谷行人の

    価値形態論
    集合論解釈が重要

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  174. 今月は京大系の経済思想に関する本を主に読み進めたが、
    その延長で西部邁と浅田彰が対談している『理想』1985年4月号を手に入れたら、
    巻頭論文に「東洋的無」を取り上げた秋月龍珉の論文があった。

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  175. 《ジル・ドゥルーズのわかりやすい言葉でいえば、この現実のほかにいろんな可能性があるということではなく、ほかならぬこの現実が潜在性においていかに多層的で豊かであるかを発見することが重要なんだ、と。そこのところを、そのあとで出てきたSFやアニメやコンピュータ・ゲームの類は全部間違えている。(略)本当はこの現実しかない、言い換えればメタロジックなんてものはないんだから。》浅田彰

    http://frequency123.tumblr.com/post/144546614 リンク切れ
    「オウムとは何だったのか」 『諸君! 1995年8月号』(文藝春秋)所収
    http://d.hatena.ne.jp/kataru2000/20060616
    『「オウム事件」をどう読むか』 (文藝春秋)再録 リンク切れ


    この浅田の発言に呼応するものとして、以下の言説がある。
    《クリプキが現実社会から出発して可能世界を考えるとき、その現実社会とは、素朴な経験的世界ではなく、すでに可能性から見られた現実性の世界である。ここに一種の循環がある。クリプキの批判者はこの論理的循環を衝く。しかし、この循環は、「現実性」が「可能性」なしに考えられないということにすぎない。最初にのべた多数世界論に欠けているのは、この現実性なのである。》(『探究2』(単行本版p52)

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  176. 《ジル・ドゥルーズのわかりやすい言葉でいえば、この現実のほかにいろんな可能性があるという
    ことではなく、ほかならぬこの現実が潜在性においていかに多層的で豊かであるかを発見するこ
    とが重要なんだ、と。そこのところを、そのあとで出てきたSFやアニメやコンピュータ・ゲームの類
    は全部間違えている。(略)本当はこの現実しかない、言い換えればメタロジックなんてものはな
    いんだから。》浅田彰
    「オウムとは何だったのか」 『諸君! 1995年8月号』(文藝春秋)所収
    『「オウム事件」をどう読むか』 (文藝春秋)再録


    この浅田の発言に呼応するものとして、以下の言説がある。
    《クリプキが現実社会から出発して可能世界を考えるとき、その現実社会とは、素朴な経験的世
    界ではなく、すでに可能性から見られた現実性の世界である。ここに一種の循環がある。クリプ
    キの批判者はこの論理的循環を衝く。しかし、この循環は、「現実性」が「可能性」なしに考えられ
    ないということにすぎない。最初にのべた多数世界論に欠けているのは、この現実性なのであ
    る。》(柄谷行人『探究2』(単行本版p52)

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  177. https://www.sotokoto.net/jp/talk/index.php?id=86&page=3
    ドイツは第一次大戦後のハイパーインフレーションが社会不安からファシズムを導いた記憶があるんで財政規律を重視する、それは当然なんだけど、ヨーロッパ全体としてはその厳格主義が逆に経済と政治の危機を招きかねない。

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  178. 逃走論文庫版1986,1984
    237頁

    岩井 ぼくが最近読んだSFの本で「Hitchhikers' guide to the garaxy」(邦訳『銀河のヒッチハイクガイド』
    新潮社)というのがありまして、その本自体は面白くなしんですけど、ただーつ面白いところがある。コンピ
    ューターが何千年かの計算をして、世界の大問題の答えが出たんですね。
    答えは何かというと「42」というんですね。ただ問題はその答えのクエスチョンが何であるかわか
    らない、(笑)そういうエピソードが入っていた。マルクスもそういうところがあると思う。「古典
    派」というものがあって、それが「42」という答えを出している。しかし、それが何に対する答え
    かというのがわからないからあれだけー生懸命ガチャガチャやって、S Fだったら物語になるし、
    マルクスだったら大英博物館の椅子が薄くなるほどー生懸命できたということになるんだと思いま
    す。そして、そういうプロセスのうちに答えの「42」なんてどうでもよくなってしまうんですよ。

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  179. 批評空間社の立ち上げ
    http://song-deborah.com/copyright/copycoop/criticalspace/010714criticalspace.html

    
4、具体的な検討:理念と現実(法律)との相克
     そこで、問題は、「自由で平等な生産者たちのアソシエーション」を現在の法律制度の
    中でいかに具体化していくかということでした。
     ところで、「自由で平等な生産者たちのアソシエーション」つまり他者を単なる手段と
    してのみならず、目的(自由な主体)として扱うということは、次の2つの面において
    確保されなければなりません。

    α.ひとつは、組織の内的な面における自由平等でして、生産者たち同士は、組合への
    出資額の多少に拘らず、組合の運営について全て平等な議決権を有すること(一人一票の
    議決権)。

    β.もうひとつは、組織の外的な面における自由平等でして、生産者たちは、生産に従事し
    ない組合への出資者に対し、自らの運営決定権を失って彼らの支配の下に置かれるような
    ことがないこと。

     そこでこの2つの問題を具体的に考えるためには、組織を立ち上げるに際して、一体
    いかなる規模の資金を必要とするのかを検討することがポイントとなります。…

     具体的には、先ほどの例で言えば次の通りです。
     予定している出資額(Aは100万円、Bは150万円、Cは200万円、Dは250万円、Eは300
    万円)のうち、全員が10株50万円分ずつ株式会社の株を保有することにする。

     そして、残りの出資額(Aは50万円、Bは100万円、Cは150万円、Dは200万円、Eは250万
    円)は、資金援助者の人たちと一緒に、有限投資組合に出資する。

    http://song-deborah.com/copyright/copycoop/criticalspace/0107140criticalspace_files/010714criticalspace6.JPG
     以上のようにして、
    一方では、批評空間主導の有限投資組合を設立し、そこに、生産者全員の各自10株分を
    引いた出資金と有志の人たちの出資金全額を出資し、
    他方で、生産者全員が発起人になって同数(10株分=50万円)の株式を引き受けて株式
    会社を設立し、生産者以外には上記有限投資組合が唯一の株式引受人となることにより、

    αとβの両方の問題を解決したのです。

    返信削除
  180. 批評空間社の立ち上げ
    http://song-deborah.com/copyright/copycoop/criticalspace/010714criticalspace.html

    α.ひとつは、組織の内的な面における自由平等でして、生産者たち同士は、組合への
    出資額の多少に拘らず、組合の運営について全て平等な議決権を有すること(一人一票の
    議決権)。
    β.もうひとつは、組織の外的な面における自由平等でして、生産者たちは、生産に従事し
    ない組合への出資者に対し、自らの運営決定権を失って彼らの支配の下に置かれるような
    ことがないこと。

     具体的には、先ほどの例で言えば次の通りです。
     予定している出資額(Aは100万円、Bは150万円、Cは200万円、Dは250万円、Eは300
    万円)のうち、全員が10株50万円分ずつ株式会社の株を保有することにする。
     そして、残りの出資額(Aは50万円、Bは100万円、Cは150万円、Dは200万円、Eは250万
    円)は、資金援助者の人たちと一緒に、有限投資組合に出資する。
    http://song-deborah.com/copyright/copycoop/criticalspace/0107140criticalspace_files/010714criticalspace6.JPG
     以上のようにして、
    一方では、批評空間主導の有限投資組合を設立し、そこに、生産者全員の各自10株分を
    引いた出資金と有志の人たちの出資金全額を出資し、
    他方で、生産者全員が発起人になって同数(10株分=50万円)の株式を引き受けて株式
    会社を設立し、生産者以外には上記有限投資組合が唯一の株式引受人となることにより、
    αとβの両方の問題を解決したのです。

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  181. 岩井 ぼくが最近読んだSFの本で「Hitchhikers' guide to the garaxy」(邦訳『銀河のヒッチハイクガイド』
    新潮社)というのがありまして、その本自体は面白くないんですけど、ただーつ面白いところがある。コンピ
    ューターが何千年かの計算をして、世界の大問題の答えが出たんですね。
    答えは何かというと「42」というんですね。ただ問題はその答えのクエスチョンが何であるかわか
    らない、(笑)そういうエピソードが入っていた。マルクスもそういうところがあると思う。「古典
    派」というものがあって、それが「42」という答えを出している。しかし、それが何に対する答え
    かというのがわからないからあれだけー生懸命ガチャガチャやって、S Fだったら物語になるし、
    マルクスだったら大英博物館の椅子が薄くなるほどー生懸命できたということになるんだと思いま
    す。そして、そういうプロセスのうちに答えの「42」なんてどうでもよくなってしまうんですよ。

    逃走論文庫版1986[1984]
    237頁

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  182. >丸山眞男のいう 「無責任の体系 」

    「軍国支配者の精神形態」より
    〔新装版〕 現代政治の思想と行動 | 丸山 眞男  
    https://www.amazon.co.jp/dp/462430103X
    丸山眞男 & 杉田敦「丸山眞男セレクション」
    https://itun.es/jp/_1249.l
    《五  むすび 
     ほぼ以上のごときが日本ファシズム支配の厖大なる「無責任の体系」の素描である。いま一度ふりかえって
    そのなかに躍った政治的人間像を抽出してみるならば、そこにはほぼ三つの基本的類型が見出される
    一は「神輿」であり二は「役人」であり三は「無法者」(或は「浪人」)である。神輿は「権威」を、役人は「権力」を、浪人は「暴力」をそれぞれ代表する。
    …これは昔々ある国に起ったお伽話ではない。 (潮流、一九四九年五月号)》
    参考:
    《いまではわれわれはみな、経済主義者が棒をー方に曲げたことを知っている。棒をまっ
    すぐに伸ばすためには、棒を他のがわに曲げかえす必要があった。そこで私はそうしたの
    である。私は、あらゆる種類の日和見主義によって曲げられる棒を、ロシア社会民主党は
    いつでも精力的にまっすぐに伸ばすだろうということ、そこで、われわれの棒はつねに
    いちばんまっすぐであり、いちばん行動の役にたつだろうということを、確信している。》
    レーニン「党綱領の問題にかんする演説」 1903年7月22日( 8月4日)
    邦訳レーニン全集第6巻506頁より

    浅田 ぼくは基本的にいわゆるアングラ (アンダーグラウンド )系の土俗的な前衛
    には否定的でした 。とにかくダサい 。しかし 、たとえば寺山修司には土俗的なもの
    に還元できない部分 、たとえばドアひとつで次元を反転させるような仕掛けがあって 、
    それはおもしろいと思ったし 、じつは 、さきほど言った経済学部同好会の自主講座に
    寺山修司を招いて話を聞いたこともあるんです 。 
    (ゲンロン2016)

    参考:
    寺山修司 迷宮譚 (1975)
    https://i.imgur.com/cC4JQGh.gif
    https://i.imgur.com/TChCxXt.gif
    https://movie.douban.com/subject/1418464/
    https://img3.doubanio.com/lpic/s1431130.jpg

    横尾忠則twitter:
    https://twitter.com/tadanoriyokoo/status/326153225487147008
    「久し振りで、当時の「少年マガジン」の表紙を見たけれど、
    今じゃ採用されないだろうと痛感。(写真参照) 
    https://pbs.twimg.com/media/BIa6oWvCYAAOqGk.jpg

    返信削除
  183. (半歩遅れの読書術)哲学志したマクロン大統領 忘却との闘いにこそ歴史が 浅田彰 :日本経済新聞
    https://www.nikkei.com/article/DGKKZO36968080W8A021C1MY6000/

    半歩遅れの読書術哲学志したマクロン大統領 忘却との闘いにこそ歴史が 浅田彰
    2018/10/27付日本経済新聞 朝刊
    保存 共有 印刷その他
    世界で愛聴されるシャンソン歌手の最後の1人だったシャルル・アズナヴールが10月1日に94年の生涯を閉じ、パリで行われた国葬ではフランスのマクロン大統領がアルメニアのパシニャン首相に続いて弔辞を述べた。そう、アズナヴールはパリ生まれでも両親はアルメニア人であり、同じアルメニア人のアトム・エゴヤン監督の「アララトの聖母」でトルコによるアルメニア人虐殺の映画化を目指す監督の役を演ずるなど、出自を強く意識していた。彼の葬儀は、EUの中心的存在であるフランスが、近年距離を増すトルコに改めてアルメニア人虐殺の責任を認めるよう迫る機会でもあったと言えよう。


    画像の拡大
    しかし、他者に過去と直面するよう求めるのなら、まず自らが過去と直面せねばならない。少し前の9月13日、マクロンはアルジェリア独立戦争の渦中25歳で殺された独立運動家モーリス・オーダンの夫人を訪ね、フランスがかつて独立派に対し組織的に拷問を行って多くの死者を出した責任を大統領として初めて認め謝罪した(他方、大統領選挙で争ったマリーヌ・ルペンの父であるジャン=マリー・ルペンは、志願してアルジェリアに行き、拷問にも手を染めたと言われる人物だ)。大統領選挙前、アルジェリアでフランスの植民地主義は「人道に対する罪」だと言って謝罪に追い込まれたマクロンにとって、これは長年の課題を果たす第一歩なのではないか。

    経済官僚から投資銀行副社長をへてオランド前大統領から経済相に抜擢(ばってき)されたマクロンは大統領になってからも新自由主義寄りの「改革」を進め、国民の強い反発を受けて、遅まきながら貧困層対策に力を入れ始めている。しかし、彼はもともと哲学を志し、ポール・リクールが最晩年に『記憶・歴史・忘却』(久米博訳、新曜社)をまとめる手助けをしたほどだった。ただ、哲学への道は険しく、行政や金融へと転身したのである。この題名が示唆するように、歴史は記憶から自然に生まれるのではなく、無意識の、あるいは意図的な忘却との闘いの中で書かれるものであり、その闘いなくして赦(ゆる)しと和解はない。マクロンは師の教えを忘れず、現代の欧州でもポピュリズムとともに横行し始めた歴史の忘却や捏造(ねつぞう)に抵抗しようとしているのだ。

    さて、去年マクロンに招かれて訪仏したトランプが持ち帰った教訓は? 「パリ祭の軍事パレードはすごい。ワシントンでもああいうのを派手にやろう」。救い難いと言うほかはない。

    (批評家)

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  184. 浅田彰は誰よりもスピノザを理解している
    ただし浅田彰自身はライプニッツ的多元論の人だからスピノザを
    理解しているとしたらスピノザを批判せざるを得なくなる
    だから理解できないということにしているのだろう


    《ジル・ドゥルーズのわかりやすい言葉でいえば、この現実のほかにいろんな可能性があるという
    ことではなく、ほかならぬこの現実が潜在性においていかに多層的で豊かであるかを発見するこ
    とが重要なんだ、と。そこのところを、そのあとで出てきたSFやアニメやコンピュータ・ゲームの類
    は全部間違えている。(略)本当はこの現実しかない、言い換えればメタロジックなんてものはな
    いんだから。》浅田彰
    「オウムとは何だったのか」 『諸君! 1995年8月号』(文藝春秋)所収
    『「オウム事件」をどう読むか』 (文藝春秋)再録


    この浅田の発言に呼応するものとして、以下の言説がある。
    《クリプキが現実社会から出発して可能世界を考えるとき、その現実社会とは、素朴な経験的世
    界ではなく、すでに可能性から見られた現実性の世界である。ここに一種の循環がある。クリプ
    キの批判者はこの論理的循環を衝く。しかし、この循環は、「現実性」が「可能性」なしに考えられ
    ないということにすぎない。最初にのべた多数世界論に欠けているのは、この現実性なのであ
    る。》(柄谷行人『探究2』(単行本版p52)

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  185. スピノザとライプニッツの調停法は一つしかない。可能世界のない世界が可能世界的に一つだけあるということだ。

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  186. 参考:
    タイターの予言

    返信削除
  187. 世界に一つが無限にある
    永劫回帰
    これはニーチェの解決策


    柄谷も浅田も福田の天皇京都回帰説に同意したはず

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  188. 柄谷も浅田も福田和也の天皇京都回帰説に同意していたはず

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  189. インパクション - 第 118 号 - 136 ページ
    https://books.google.co.jp/books?id...

    2000 - ‎スニペット表示 - ‎他の版
    伊藤公雄は「戰後保守と天皇制」(『反天皇制運動ジャ—ナル」; ; ;〈二月十五日〉号)で、 このように論じている。「しかし、^年代に入ると、日本においても、天皇を語ることのない右派.保守派が登場 ... 一部で評判になった福田和也氏と大塚英志氏の「諸君! ... の徹底論(それを体現しているのが、『天皇を京都へ」という主張だ)に近いものだし、 そもそも、おちよくりの感じられる部分以外では、「天皇陛下』ではなく『天皇』と呼びすてにしている」。
    だいたいで、いいじゃない。 - 185 ページ
    https://books.google.co.jp/books?id...

    吉本隆明, ‎大塚英志 - 2000 - ‎スニペット表示
    福田和也と大月隆寛は教科書問題では対立しているけれど、興味深いことに、天皇抜きのナショナリズムでは一致しています。そして、天皇は酎用年数は終わったんだから文化財として京都にでも残ればいい、もう象徴的な宗主としては機能しないという本音を ...
    空間の行間 - 68 ページ
    https://books.google.co.jp/books?id...

    磯崎新, ‎福田和也 - 2004 - ‎スニペット表示
    磯崎新, 福田和也. ( : ^ )上皇の御所。一八五四年焼失。庭園は京都市中京区の京都 御苑内に残っている。 ... これは別問題として考えないと宮はブル I ノ^タウトが言うような遠州作ではなかろうとなるわけですが、現実に天皇家側からは、彼を引っ張り出す ...

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  190. インパクション, 第 118 号

    前表紙
    インパクト出版会, 2000
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    検索結果1-1 / 1
    136 ページ
    伊藤公雄は「戰後保守と天皇制」(『反天皇制運動ジャ—ナル」; ; ;〈二月十五日〉号)で、
    このように論じている。「しかし、^年代に入ると、日本においても、天皇を語ることのない
    右派.保守派が登場 ... 一部で評判になった福田和也氏と大塚英志氏の「諸君! ... の
    徹底論(それを体現しているのが、『天皇を京都へ」という主張だ)に近いものだし、
    そもそも、おちよくりの感じられる部分以外では、「天皇陛下』ではなく『天皇』と呼びすて
    にしている」。
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  191. http://www.shonan.ne.jp/~kuri/aala/aala_25.html
     しかし、90年代に入ると、日本においても、天皇を語ることのない右派・保守派が登場し始めている(この辺は、天野さんと論争になったところだが)。天野さんには「そんな動きはない」といわれたが、「自由主義史観」や小林よしのりといった、新たな右派・保守派が、(少なくとも登場しつつあった時期には)、意識的に「天皇」を避けてきたのは明らかだ。一部で評判になった福田和也氏と大塚英志氏の『諸君』での対談(「天皇抜きのナショナリズム」)でも、政治機構としての天皇制評価はむしろ「戦後民主主義派」の大塚氏の方が高いくらいだ。福田氏の主張は、天皇主義右派のものというより、反共リベラル派のいう天皇の政治からの排除=文化装置としての徹底論(それを体現しているのが、「天皇を京都へ」という主張だ)に近いものだし、そもそも、おちょくりが感じられる部分以外では、「天皇陛下」ではなく、「天皇」と呼び捨てにしている。
     こうした天皇抜きのナショナリズムという新たな動きへの反応は、日本共産党系の人たちにも影響を生み出しつつあるようだ。たとえば日本共産党の路線において、日本の政治文化という面での代表的なイデオローグといってもいい渡辺治氏は、全日本教職員組合(全教)の機関誌『エデュカス』の「日の丸・君が代」特集で、こんな風にまとめている。

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  192. 最後の対話―ナショナリズムと戦後民主主義 単行本 – 2001/12
    福田 和也 (著), 大塚 英志 (著)
    5つ星のうち 2.6 2件のカスタマーレビュー
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    「憲法」「教科書」「靖国参拝」「日本とアジア」等の問題をめぐる昨今の議論が、旧態依然たるイデオロギー闘争に終始するのはなぜか。それは、冷戦崩壊から十年経たいまなお、われわれ日本人の思考が停止しているからではないか。さらにいえば、旧来の「右」「左」を象徴する言葉としての「ナショナリズム」「戦後民主主義」ときちんと対峙し、総括してこなかったからではないか。

    福田和也氏と大塚英志氏はまさに、それぞれに「ナショナリズム」「戦後民主主義」という看板を背負いながらも、自身の立場に安住することなく、対話を重ねてきた。そこから仄見えてくるものは、覇を争う駆け引きではなく、日本および日本人の輪郭である。

    その両著者が、本書をもって、長い対話に終止符を打つ。それはおそらく、両著者、そして日本人全体が「新しい日本のかたち」を模索するうえで不可避なことなのだろう。混迷の新世紀に考える、日本の「これまで」と「これから」。
    内容(「MARC」データベースより)
    戦後、当たり前のように享受してきた「民主主義」に今どう対峙すべきか。イデオロギーを超えた言論を展開する両雄の新世紀論。同時多発テロ、湾岸戦争、柄谷行人、江藤淳、朝日新聞、日本国憲法、愛国心などをめぐる対談。

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  193. 支持される「露悪」に抗するには 現実的な「再分配の政治」を
    浅田 彰(半歩遅れの読書術)
    2018/10/20 2:00日本経済新聞 朝刊

    https://www.nikkei.com/article/DGXKZO36689610Z11C18A0MY6000/

    支持される「露悪」に抗するには 現実的な「再分配の政治」を 浅田 彰(半歩遅れの読書術)

    去る8月、アレサ・フランクリンの訃報を伝えるアメリカのTVは、2015年のケネディ・センター名誉賞授賞式でアレサが受賞者キャロル・キングのつくった「ナチュラル・ウーマン」を歌い、貴賓席のオバマ大統領(当時)が思わず涙を拭うシーンを競って再放送した。

    黒人解放運動の同伴者としてアンジェラ・デイヴィス(ブラック・パンサー党)の保釈金支払いを申し出る一方、男が女に敬意を求める歌「リスペクト」を女が男に敬意を求める歌に変えたフェミニストでもあったアレサ。この「ソウルの女王」が史上初の黒人大統領の前で「あなたのおかげでありのままの女と感じられる」と熱唱し、礼装の聴衆が総立ちで喝采する光景は、黒人や女性の解放運動の結果、すべてのマイノリティーの存在と権利の承認が求められるところまで来た、輝かしい勝利の証だったのかもしれない。翌年の大統領選でヒラリー・クリントンがビヨンセやJAY Zを集会に招いて再現しようとしたこの光景こそ、ドナルド・トランプとその支持者が何よりも憎むものだったのではないか。

    アメリカのN・フレイザーとドイツのA・ホネットが『再配分か承認か?』(加藤泰史監訳、法政大学出版局)で議論するように、政治経済的な所得の再分配のみならず、マイノリティーの存在と権利を認める社会文化的な承認が重要性を増している。むろん富裕層や大企業の減税を求める共和党と富裕層から貧困層への再分配を求める民主党は明確に対立するが、たとえばウォール街との距離ではいまや五十歩百歩に見えてしまう。

    その分、民主党はマイノリティーの承認とその成果としての多文化主義を強調し、共和党、とくにトランプが時代遅れの醜く愚かな人種差別や女性差別を匂わせてそれと対決するという「承認の政治」の前景化が生じたのだ。そこでは明らかに民主党が進歩派、共和党が反動派なのだが、だからこそトランプが醜く愚かであればあるほど支持者たちが彼の下に結集するという困った状況になっている。

    しかし、民主党側にも問題はある。オバマやクリントンが社会文化面でマイノリティーの承認を強調しながら政治経済面ではウォール街べったりに見えるとき、彼らの姿勢は「偽善」と映り、対するトランプの「露悪」が逆に多文化主義の波に乗り遅れた大衆を惹きつけてしまうのだ。この「露悪」の大波に抗するには、リベラル派は多文化主義の自画自賛を超え、現実的な「再分配の政治」を再構築する必要がある。

    (批評家)

    返信削除
  194. 哲学書新刊情報++ (@Philo_Shinkan)
    2019/09/17 7:15
    【10月15日発売予定】
    『柄谷行人浅田彰全対話』(柄谷 行人、浅田 彰著 講談社文芸文庫)
    【Amazon紹介文】「本書では、思想や芸術など多様な話題を次々繰り出しつつ、かならず世界そして日本はいかにあるべきかという問いかけに戻っていく。」
    【Amazon】→ amazon.co.jp/gp/product/406…

    Twitterアプリをダウンロード

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  195. 【毎日新聞】「誰も傷つけない表現に意味ない」 浅田彰氏、複雑化する自主規制に警鐘 「不自由展」問題★2 

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    1Toy Soldiers ★2019/10/01(火) 13:49:49.46ID:2TCsXx1t9>>13>>23>>41>>46>>60>>78>>89>>98>>99
     国際芸術祭「あいちトリエンナーレ」内の企画展「表現の不自由展・その後」が中止に追い込まれている問題。
    批評家で京都造形芸術大大学院学術研究センター所長の浅田彰さんが今月、京都市内の小規模な集まりで自身の見方を語った。
    4年前のギャラリー展が基になった今回の企画展について、浅田さんは「望むらくは、より幅広い文脈を含むように(芸術監督の)津田大介さんが主体的に再編すればよかったが、展示をパブリックなミュージアムに持ち込んだことには価値があった」と評価。
    また、日本社会の右傾化やメディア環境の変化を指摘したうえで、海外も含め近年の美術展示を巡る複雑な状況に注意を促し、表現・展示する側が自主規制しないことが重要だと訴えた。【森田真潮】

    続きソース
    https://mainichi.jp/articles/20190925/k00/00m/040/159000c

    画像
    京都造形芸術大大学院学術研究センター所長の浅田彰さん
    https://i.imgur.com/l59tEeK.jpg



    ★1:2019/10/01(火) 12:25:55.92
    ※前スレ
    【毎日新聞】「誰も傷つけない表現に意味ない」 浅田彰氏、複雑化する自主規制に警鐘 「不自由展」問題 
    http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1569900355/

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  196. 347 考える名無しさん[] 2019/10/20(日) 00:41:23.06 ID:0
    柄谷行人・浅田彰「昭和の終焉に」
    『柄谷行人浅田彰全対話』(講談社文芸文庫)
    「昭和精神史を検証する」文學界 一九八九年二月号
    柄谷行人『ダイアローグ 4』(第三文明社)
    浅田 昨年(一九八八年)の九月このかた、連日ニュースで皇居前で土下座する連中
    を見せられて、自分はなんという「土人(注1)」の国にいるんだろうと思ってゾッ
    とするばかりです。

    注1 (二〇一九年九月一日 浅田彰追記)
    対論の現場では、天皇は憲法で規定された「国家の機関」であって国体論者が神輿に
    のせて担ぐ「土人部落の土偶」のごときものではない、という北一輝の言葉(『国体
    論及び純正社会主義』)について語り合っており、慌ただしい編集の過程でその部分
    がカットされたため、「土人」がこの右翼イデオローグの言葉の引用であることがわ
    かりにくくなったのだ。

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  197. 97 考える名無しさん[sage] 2019/11/16(土) 22:17:09.55 ID:0
    浅田は法的以前に社会的に取り締まるべきという考え方
    まあその社会の判断力に悲観的になってるような気はするが

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  198.  こんなことを言っても詮無い床屋政談にしかならないけれど 、八九年に冷戦が終結したあと 、西側はゴルバチョフを
    経済面などで 、もっと支援すべきでした 。第一次世界大戦後にドイツを叩きすぎたため 、ドイツを経済破綻からナチズム
    という道に追い込んだことへの反省から 、第二次大戦後 、アメリカをはじめとする連合国はマーシャル・プランという
    大規模な贈与を行うことでヨーロッパの復興を助け 、とくに旧ファシズム陣営をうまく手なずけた 。ところが冷戦終結
    時にはふたたびその反省が忘れられ 、ゴルバチョフがコケてソ連が元に戻った場合 (たしかにその可能性は小さくなか
    った )はいつでも叩けるようにしておこうという警戒心ばかりが先行して 、経済危機にあえぐ彼を助けようとしなかっ
    た 。結果 、彼は追い詰められ 、九一年にクーデターが起こり 、それを鎮圧して新たに大統領になったエリツィンがソ連
    を解体し 、いまのロシアをつくるわけです 。しかし 、エリツィンが急激な自由化・民営化というショック・セラピー
    (ナオミ・クライン )を強行した結果 、オリガルヒと呼ばれる新興財閥に富が集中する一方で 、民衆は飢えてめちゃ
    めちゃな混乱状態になり 、結局それを収拾して秩序を再建するストロング・マンとしてプーチンが登場するんですね 。
    アメリカはいまプーチンを目の敵にしているけれど 、かつて自分たちがゴルバチョフを見捨て 、エリツィンに性急な
    資本主義的 「改革 」を押し付けた 、その結果としてプーチンが現れたということを 、もっとよく考えるべきでしょう 。
    むろんプーチンは乱暴すぎると思うけれど 、ロシアから見れば 、冷戦終結後 、アメリカを中心とする N A T Oがど
    んどん迫ってきたわけで 、危機感をつのらせるのは当然ですよ 。

    浅田彰インタビュー2016 ゲンロン4 現代日本の批評Ⅲ 上 より

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  199.  こんなことを言っても詮無い床屋政談にしかならないけれど、八九年に冷戦が終結したあと、西側はゴルバチョフを
    経済面などで、もっと支援すべきでした。第一次世界大戦後にドイツを叩きすぎたため、ドイツを経済破綻からナチズム
    という道に追い込んだことへの反省から、第二次大戦後、アメリカをはじめとする連合国はマーシャル・プランという
    大規模な贈与を行うことでヨーロッパの復興を助け、とくに旧ファシズム陣営をうまく手なずけた。ところが冷戦終結
    時にはふたたびその反省が忘れられ、ゴルバチョフがコケてソ連が元に戻った場合(たしかにその可能性は小さくなか
    った)はいつでも叩けるようにしておこうという警戒心ばかりが先行して、経済危機にあえぐ彼を助けようとしなかっ
    た。結果、彼は追い詰められ、九一年にクーデターが起こり、それを鎮圧して新たに大統領になったエリツィンがソ連
    を解体し、いまのロシアをつくるわけです。しかし、エリツィンが急激な自由化・民営化というショック・セラピー
    (ナオミ・クライン)を強行した結果、オリガルヒと呼ばれる新興財閥に富が集中する一方で、民衆は飢えてめちゃ
    めちゃな混乱状態になり、結局それを収拾して秩序を再建するストロング・マンとしてプーチンが登場するんですね。
    アメリカはいまプーチンを目の敵にしているけれど、かつて自分たちがゴルバチョフを見捨て、エリツィンに性急な
    資本主義的「改革」を押し付けた、その結果としてプーチンが現れたということを、もっとよく考えるべきでしょう。
    むろんプーチンは乱暴すぎると思うけれど、ロシアから見れば、冷戦終結後、アメリカを中心とするNATOがど
    んどん迫ってきたわけで、危機感をつのらせるのは当然ですよ。

    浅田彰インタビュー2016ゲンロン4現代日本の批評Ⅲ上より

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  200. Ryouji Ishizuka (@ISHIZUKA_R)
    2020/08/20 15:31
    新古典派が公理主義だと学んだのは、浅田彰「公理主義的経済学の誕生――ウィーンとケンブリッジ」。彼が若いときの論文で、天才か、との衝撃を受けた。まあ藤井聡太みたいなインパクト。ただし、上だけで下が書かれていない。彼のなかでは済んでしまったのかもしれないが、読者は置いてかれてしまった。

    https://twitter.com/ishizuka_r/status/1296333955298279425?s=21

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