googleが最強の将棋ソフトAlphaZeroを開発!!わずか12時間の学習で既存の最強ソフトを上回る - みくにまるのブログ
20171206
http://www.mikunimaru.com/entry/2017/12/06/14275420171205
【将棋】羽生善治永世七冠達成!震える指し手から終局の瞬間まで【竜王戦第5局、渡辺明】
https://youtu.be/8VK0YwuS4u8?t=10m30s
84香
投了
https://youtu.be/8VK0YwuS4u8?t=16m50s
https://youtu.be/X6D2MStwbxA
羽生善治竜王 「永世七冠」獲得記者会見
全27分
弾幕付きバージョン
全87手
https://i.imgur.com/8kyAomb.gif
おまけ
香川さん
https://i.imgur.com/JCRFzMM.gif
山口さん
https://i.imgur.com/bWbnb9T.gif
第30期竜王戦 羽生永世七冠が、今回一番印象に残った一手とは!?
https://youtu.be/qMlqguPrCnE
https://youtu.be/59nyGKWu2uA?t=5m
66飛車
藤井九段終盤解説
https://youtu.be/59nyGKWu2uA
https://youtu.be/oJF3IJdsf_A
https://youtu.be/Y0b_loUpAro
さらに第4局続き
https://youtu.be/VdqhW2rvhUc
https://youtu.be/-xY85rO7DZE
終局まで
坂口安吾 将棋の鬼
http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/42828_26846.html将棋の鬼
坂口安吾
将棋界の通説に、升田は手のないところに手をつくる、という。理窟から考えても、こんなバカな言い方が成り立つ筈のものではない。
手がないところには、手がないにきまっている。手があるから、見つけるのである。つまり、ほかの連中は手がないと思っている。升田は、見つける。つまり、升田は強いのである。
だから、升田が手がないと思っているところに手を見つける者が現れゝば、その人は升田に勝つ、というだけのことだろう。
将棋指しは、勝負は気合いだ、という。これもウソだ。勝負は気合いではない。勝負はたゞ確実でなければならぬ。
確実ということは、石橋を叩いて渡る、ということではない。勝つ、という理にかなっている、ということである。だから、確実であれば、勝つ速力も最短距離、最も早いということでもある。
升田はそういう勝負の本質をハッキリ知りぬいた男で、いわば、升田将棋というものは、勝負の本質を骨子にしている将棋だ。だから理づめの将棋である。
升田を力将棋という人は、まだ勝負の本質を会得せず、理と云い、力というものゝ何たるかを知らざるものだ。
升田は相当以上のハッタリ屋だ。それを見て、升田の将棋もハッタリだと思うのが、間違いの元である。
坂口安吾全集 【ちくま文庫版】 全巻構成
http://u2kobo.in.coocan.jp/ango_works02.htm◇囲碁修業 ◇相撲の放送 ◇島原一揆異聞 ◇講談先生 ◇坂口流の将棋観 ◇男女の交際について ◇観戦記 ◇将棋の鬼 ◇集団見合 ◇◆本因坊・呉清源十番碁観戦記 ◇呉清源論 ◇私の碁 ◇文人囲碁会 ◇碁にも名人戦つくれ |
〈安吾巷談〉 ◇麻薬・自殺・宗教 ◇天光光女史の場合 ◇野坂中尉と中西伍長 ◇今日われ競輪す ◇湯の町エレジー ◇東京ジャングル探検 ◇熱海復興 ◇ストリップ罵倒 ◇田園ハレム ◇世界新記録病 ◇教祖展覧会 ◇巷談師退場 |
〈安吾史譚〉 ◇天草四郎 ◇道鏡童子 ◇柿本人麿 ◇直江山城守 ◇勝夢酔 ◇小西行長 ◇源頼朝 |
◇チャタレイ傍聴記 ◇見事な整理 ◇親が捨てられる世相 ◇世紀の死闘 ◇安吾武者修行 馬庭念流訪問記 ◆安吾下田外史 |
解説:島田雅彦・衛生学としての“安吾文学”/解題:関井光男 |
メンメン第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫
目次
将棋の話 | 大正九年八月 |
碁より将棋の方が好きだ | 大正十年九月 |
将棋と機心 | 大正十二年二月 |
勝負事と心境 | 大正十三年六月 |
大正棋戦一瞥記 | 大正十五年十月五日 |
将棋と麻雀 | 昭和二年一月九日 |
東西八段争覇戦を観る | 昭和二年一月十九日、二十日 |
木村木見対局観戦総評 | 昭和二年二月三日 |
二月雑記 将棋隆盛 | 昭和二年二月二十三日、二十四日 |
将棋讃 | 昭和二年五月 |
秋宵雑記 露店の詰将棋 将棋会館 | 昭和三年十月十八日、十九日、二十一日 |
将棋と人生 | 昭和四年一月 |
将棋のこと | 昭和四年六月 |
自分と各種ゲーム 将棋 | 昭和五年五月 |
菊池寛氏縦横談 将棋で人物をねる | 昭和六年一月 |
将棋の話 | 昭和九年一月十五日 |
駒に教へられる成功の道 | 昭和九年七月 |
将棋 | 昭和十年七月 |
指し過ぎ無理筋 | 昭和十一年一月 |
将棋界の分裂 | 昭和十一年三月 |
(将棋界合同) | 昭和十一年八月 |
坂田氏の棋力 | 昭和十二年三月 |
倉島君の出征 | 昭和十三年七月 |
坂田三吉氏のこと | 昭和十三年七月 |
(坂田三吉名人戦参加) | 昭和十三年七月 |
(坂田三吉名人戦経過) | 昭和十三年八月 |
(将棋大成会の企) | 昭和十四年四月 |
坂田三吉氏 | 昭和十四年八月 |
将棋名人戦 | 昭和十四年十月 |
坂田三吉 | 昭和十五年二月 |
(坂田三吉隠退) | 昭和十五年十月 |
http://www.aozora.gr.jp/cards/000083/files/1344_22315.html
将棋
菊池寛
将棋はとにかく愉快である。盤面の上で、この人生とは違つた別な生活と事業がやれるからである。一手一手が新しい創造である。冒険をやつて見ようか、堅実にやつて見ようかと、いろ/\自分の思ひ通りやつて見られる。
将棋の上達方法は、
長生きするおたく 「雁木」はいつから「雁木」か
http://tochigiyama.blog.fc2.com/blog-entry-41.html以前、30万円前後もしていた高松市・武蔵野書房版の全集も10万円台まで値崩れしてきたが、補巻のうち2以降の4冊の発行部数が400部と少ないので、さらに下がる可能性は低いのではないか。
菊池寛、井伏鱒二が主宰した昭和時代の「文壇将棋」と将棋を愛好した作家たち
大正時代に「文藝春秋」社を創業した作家の菊池寛は、熱心な将棋愛好家でした。孤独な日々を送っていた大学時代に寂しさを紛らわしてくれたのが将棋で、それ以来、将棋にすっかり引かれました。作家として自立して文壇の大御所になってからも、将棋熱はますます高まっていきました。社長室には立派な盤がでんと置かれ、将棋好きの来客があると、どんなに多忙でもまず1局と指しました。菊池は社員にも将棋を奨励し、勤務時間内での将棋を許可したそうです。菊池の影響を受けて、周囲の作家や編集者はこぞって将棋を指し、将棋を知らない編集者は菊池から原稿をもらえないこともありました。そんな菊池が好んだ言葉は「人生は一番勝負なり、指し直し能わず」でした。
昭和時代初期のある週刊誌には「文壇将棋天狗番付」というコラムがあり、10人ほどの作家たちが似顔絵で登場しました。菊池寛と幸田露伴が将棋を指し、久米正雄、山本有三、佐佐木茂索、広津和郎らが盤側で観戦する絵柄でした。前列の対局者、中列・後列の観戦者と、各人の座る位置で作家たちの棋力を格付けしたようです。当時の文壇では菊池と露伴がとくに強く、露伴は時の名人の関根金次郎(十三世名人)から四段の免状を贈呈されました。
菊池寛を中心とした将棋会とは別に、主に東京の中央線沿線に住んでいた作家たちが集まったのが「阿佐ヶ谷将棋会」でした。主宰者は井伏鱒二で、尾崎一雄、滝井孝作、三好達治、中野好夫、亀井勝一郎、火野葦平、太宰治、宇野千代らが参加しました。井伏の棋力は5、6級程度でしたが、指し始めると徹夜で20局も指すほど将棋が大好きでした。なお、太宰の将棋は攻め一本槍だったそうです。
昭和30年代のころには、文藝春秋社の主催で「文壇王将戦」が定期的に開かれました。前記の井伏鱒二、尾崎一雄、滝井孝作らのほかに、永井龍男、有馬頼義、梅崎春生、豊田三郎、五味康祐、柴田錬三郎らが参加しました。
このように昭和初期から中期にかけて、多くの作家たちが将棋を愛好して「文壇将棋」が形成されました。また、作家が名人戦などの観戦記を担当することがよくあり、大岡昇平、坂口安吾、藤沢桓夫、小島政二郎、井伏鱒二、永井龍男、五味康祐らが書きました。
中でも坂口安吾の観戦記がとても面白いです。安吾は終局まで盤側にずっと座り込んで対局者の一挙一動を克明に取材したので、戦いの臨場感がよく表れていました。五味康祐は「自分の剣豪小説みたいに、盤上に血の雨を降らせる」という意気込みで臨みましたが、担当した名人戦の将棋が一方的な内容だったので、思うように書けなかったようです。
ミステリー小説と将棋は、犯人探し・犯行の手口などの謎解きをする過程が、玉を詰め上げることに似ていて共通点があります。そのためかミステリー作家にも将棋愛好家が多く、江戸川乱歩、横溝正史、松本清張らの大御所も将棋を指しました。
菊池寛は1935年(昭和10年)に「新進作家を世に送り出したい」という趣旨で芥川賞と直木賞を創設しました。それ以来、今年の第144回まで綿々と続いています。両賞の受賞者の中には将棋愛好家が数多くいます。次回は、その作家たちを紹介します。
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第5譜1949年名人戦 木村義雄×塚田正夫
http://www.nicovideo.jp/watch/sm25034202?cp_webto=share_iosapp
六三銀(三分)、三六歩、四二王、一六歩[#25]。
塚田、五二桂(三十九分) [#66]
棋士たちが、アッといふ声をあげた。
「エ? ナニ、ナニ?」
大声をあげて、人をかきわけたのは升田であつた。
「五二桂? ホウ。そんな手があつたか」
誰一人、予想しない手であつた。升田の目が、かゞやいた。妙手か悪手かわからないが、人々の意表をついたこの一手に、彼は先づ感嘆を現した。
意表をつかれた棋士一同は、にわかに熱心に駒をうごかしはじめた。
「無筋の手や」と、升田。
「無筋ですな」と、金子。
どういふ意味だか、私には分らない。私は金子八段にきいた。
「無筋の手ッて、どういふことですか」
「つまりですな。相手の読む筈がない手です。手を読むといふのは、要するに、筋を読んでゐるんです。こんな手は、決して相手が読む筈のない手なんですよ」
「時間ぎれを狙うてるんや」
と、升田がズバリと云つた。その時、木村の時間は、あますところ四十四分であつた。木村の読む筈のない手を指した。木村あますところ四十四分といふ時間を相手にしての塚田の賭博なのである。全然読まない手であるから、木村は面食ふ。そして改めて考へはじめなければならない。今まで木村が考へてゐた色々の場合が、みんな当てが外れたわけで、何百何十分かがムダに費されたわけである。そして、あますところ四十四分で、このむつかしい局面を改めて考へ直さなければならないのである。あます時間が少いので、木村はその負担だけでも混乱する。そして思考がまとまらぬ。時間は容赦なく過る。木村はあせる。塚田は、そこを狙つたのだ。
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