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第Ⅰ表式 社会的資本の単純再生産 第一部門 720p + 360a + 360r = 1,440 第二部門 360p + 180a + 180r = 720 第三部門 360p + 180a + 180r = 720 ――――――――――――――――――――――――――― 1,440 720 720 2,880 第Ⅱ表式 社会的資本の拡大再生産(資本蓄積) 第一年度 第一部門 840p + 420a + 420r = 1,680 (+240) 第二部門 420p + 210a + 210r = 840 (+120) 第三部門 180p + 90a + 90r = 360 (-360) ―――――――――――――――――――――――― 1,440 720 720 2,880 第二年度 第一部門 980p + 490a + 490r = 1,960 (+280) 第二部門 490p + 245a + 245r = 980 (+140) 第三部門 210p + 105a + 105r = 420 (-420) ―――――――――――――――――――――――――――――――― 1,680 840 840 3,360 第三年度 第一部門 1,143・1/3p + 571・2/3a + 571・2/3r = 2,286・2/3 (+326・2/3) 第二部門 571・2/3p + 285・5/6a + 285・5/6r = 1,143・1/2 (+163・1/3) 第三部門 245p + 122・1/2a + 122・1/2r = 490 (-490) ―――――――――――――――――――――――――――――― 1,980 980 980 3,920 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ (参考表式) [記者作成] 第二年度 第一部門 770p + 385a + 385r = 1,540 (+200) 第二部門 385p + 192・1/2a + 192・1/2r = 770 (+100) 第三部門 165p + 82・1/2a + 82・1/2r = 330 (-300) ――――――――――――――――――――――――――――― 1,320 660 660 2,640 * x・y/z は、x と z 分の y を表す(分数表示がうまく表せないため)。 * 各行の最後の()内は、投入量と比べての増加額である。 *ツガンの表には、()や合計額表示はない。 |
(注1) 経済学辞典等には、ラーダを反革命評議会、臨時政府を中央評議会反革命政府等記されているが、余りに「官軍」用語だと思えるため、こう表記した。
(注2) 蔵相就任を、訳本の救仁郷の「解説」では1918年と、『経済思想史辞典』は1919年と記載されている。ラーダの活動は1917年が最盛期で、1918年4月には終焉しているので、ここでは、1917年とした。
なお、最高執行委員の辞任が蔵相辞任と同時であるかはよく解らなかった。
(注3) 鍵本博訳の仏訳本は、見られなかった。救仁郷の解説によると、仏訳版では、ツガンの理論部分は第二篇第三章部分のみである。
(注4) 「私は通例のマルクスの用語法(不変資本、可変資本、剰余価値)を用いない。というのは、私はマルクスの剰余価値説を基礎としていないからである。」(p.26)
(注5) 青山(1950、p.3)参照。但し、この本には仮定3は書かれていない。
青山によると(p.13-14),
(1) pi + ai + ri = wi
(2) pi : ai : ri = 2 : 1 : 1 (i=1,2,3) {仮定(1)}
(3) (w1 - Σpi) + (w2 -Σai) = 1/2Σri {仮定(2)}
(4) (今年度の Σpi) - (前年度の Σpi) = 前年度の (w1 - Σpi)
(今年度の Σai) - (前年度の Σai) = 前年度の (w2 - Σai)
の式から、w1 : w2 = 2 : 1 および w2 : w3 = 7 : 3 が導出できる。
むしろ、(4)を仮定とすべきかも知れない。そうすれば、(下記の)置塩の「トートロジー」の意味が明確になるのかも知れない。
(注6) ついでながら、置塩はツガンを論じた2ページの文章の中、その4分の1ほどを費やして、『英国産業恐慌史』邦訳 p.215 からとする興味い記述を長々と引用をしている。しかし、この文章は、本書には見当たらない。市原の本を参考するに、ツガンの雑誌論文「国民経済学から見た資本主義経済制度の崩壊」(1904:詳細は本文で後述及び(注8)参照)中の文章と思われる。
(注7) 市原の本(2000、p.69)には「各年度の部門Ⅰ、Ⅱの総生産物はそれぞれ、次年度の p (不変資本)、a (可変資本)総額と等しく、また、剰余価値の半分が蓄積されるとの前提から、部門Ⅲの総生産物は次年度の r (剰余価値)総額の半分に等しくなるように作成されている。」(下線は引用者)と書かれている。利潤(市原は剰余価値と表記)も、次年度と関連付けているのである。しかしながら、ツガンの表式の数値はそのようになっていない。勘違いだと思われる。
なお、山田盛太郎『再生産過程表式分析』においても、第三部門生産財の次年度に消費されることを書いているが、結論的には「ツガンの表式は維持しがたい」としている(中田、2011参照)。山田の対象としたのは、雑誌論文掲載の表式である。
(注8) ツガンの修正された雑誌論文中の表式は下記の通り。市原と中田の本を参照して作成。第二部門の資本の消耗および利潤の中資本家消費財生産に用いられない貯蓄で、第一部門の資本蓄積がなされている。
第Ⅱ表式 社会的資本の拡大再生産第二表
第一年度
第一部門 1632p + 544a + 544r = 2720 (+320)
第二部門 408p + 136a + 136r = 680 (-120)
第三部門 360p + 120a + 120r = 600 (-200)
―――――――――――――――――――――――――
2400 800 800 4000
第二年度
第一部門 1987.4p + 496.8a + 828.1r = 3312.3 (+592.3)
第二部門 372.6p + 93.2a + 155.2r = 621 (- 59)
第三部門 360p + 90a + 150r = 600 (-533.3)
――――――――――――――――――――――――――――
2720 680 1133.3 4533.3
第三年度
第一部門 2585.6p +484.6a + 123.9r = 4309 (996.7)
第二部門 366.9p + 68.9a + 177.5r = 611.3 (-9.7)
第三部門 360p + 67.5a + 177.5r = 600 ( -987)
――――――――――――――――――――――――――――
3312.3 621 1587 5520.3
*()内は、その年度の投入量との比較した増減額。原表にはない。
(注9) ツガンは、第Ⅰ表式と第Ⅱ表式第二年度とを比較してこの結論を出した。しかし、第Ⅱ表の第一年度と第二年度、第二年度と第三年度等拡大再生産の場合を比較すると、総需要と消費財需要が共に拡大する。消費財消費が減少するのは、単純再生から拡大再生産への移行期だけであって、拡大再生産へ入ればツガンの云うようなことは起こらない。こうカウツキーは批判(波多野も同じことを指摘している)した。この批判に答えて、ツガンは拡大再生産においても、消費財消費が減少する表式を作成した。これが、(注7)にあげた論文である。
(拡大可能) |
(H24.6.30記) |
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唯物史観の改造 [128] |
標題 |
目次 |
序文 |
第一章 唯物史觀の根本觀念/3 |
一 生產力の槪念/3 |
二 經濟の物的因子/10 |
三 階級鬪爭說/25 |
第二章 唯物史觀の心理的起點/43 |
一 マルクスとヘーゲル/43 |
二 歷史の起動力としての意志と悟性/45 |
三 心理學上の主意的傾向/49 |
四 十八世紀啓蒙學派とマルクス/53 |
第三章 社會的發展の起動力としての欲望/56 |
一 自己保存慾/56 |
二 性的衝動/66 |
三 同情的衝動/72 |
四 優越的衝動/80 |
五 超利害的欲望/86 |
第四章 經濟及び社會生活/106 |
一 生物界竝びに人類史上における生存競爭/106 |
二 經濟の槪念/109 |
三 一切の活動の基礎としての經濟/115 |
四 多數人民の最重要なる活動部面としての經濟/124 |
五 經濟の物的要素/128 |
六 意識と社會的存在/139 |
第五章 社會階級及び階級鬪爭/146 |
一 現社會の階級組成/146 |
二 社會的鬪爭の働因/147 |
三 階級鬪爭と精神的活動/160 |
四 階級鬪爭竝びに近時の社會運動/170 |
第六章 資本主義經濟制度の崩壞/182 |
一 經濟的發達と社會主義/182 |
二 販路缺乏の學說/183 |
三 利潤率低減の法則/219 |
四 社會主義制度の實現/225 |
Mikhail Tugan-Baranovsky Mykhaylo Tuhan-Baranovsky Михайло Іванович Туган-Барановський | |
---|---|
ウクライナ財務大臣 | |
任期 1917年8月13日 – 1917年11月20日 | |
首相 | Volodymyr Vynnychenko |
前任者 | Khrystofor Baranovsky |
後任者 | Vasyl Mazurenko |
個人情報 | |
生誕 | 1865年1月20日 village of Solonom, ロシア帝国 |
死没 | 1919年1月21日(54歳) オデッサ, Kherson Governorate, ウクライナ |
政党 | 立憲民主党 (カデット) (until 1917) ウクライナ社会主義・連邦党員 (UPSF) |
出身校 | ハルキウ大学 |
職業 | 経済学者, 政治家, 活動家 |
影響を与えた人物 ニコライ・ドミートリエヴィチ・コンドラチエフ |
ミハイル・トゥガン=バラノフスキー(Mikhail Ivanovich Tugan-Baranovsky、Михайло Туган-Барановський、1865年1月8日 - 1919年1月21日)は、ウクライナ出身、ロシアの経済学者。
(ツガン=バラノフスキーと呼ぶひとも多い。)
この項目は、経済学者(経済評論家を含む)に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています(ウィキポータル 経済学、ウィキプロジェクト 経済)。 |
もトゥガンを論理的に一貫していないといって、非難することはできない。彼は再生産表式をいろいろに操作する
不作業にとりかかり、いくつかの前提を設けたうえで、数字の行をつぎからつぎへと書きながら論理を徹底させると
まことに驚くべき結果が出てくることを発見したのである。トゥガンにとってさえ、彼の表式の特徴を現実の世界
のそれとみなすという最後のステップをふむことは、容易ではなかった。しかし彼は、瞬時のためらいののち、あ
えてそれをしたのである。
このこといっさいは、きわめて奇異にみえるかもしれぬ。あるいは、この上もなく非常識のようにみえもし
よう。おそらくーー真理というのは、かならずしもその理解がやさしくはないのだ。にもかかわらず、右で述
べたことは真理である。もちろんわたくしが真理と言うとき、それは、機械による手労働の代置が、労働者数
の絶対的減少にまでいたるというまったく悲意的で非現実的な前提(この仮説は、わたくしの理論がたとえ非現実
性の極限にまで押し進められても崩壊はしないということを示すためだけのものである)を指しているのではなく、 む
しろ、社会的生産の比例的配分が与えられるならば、社会的消費自体のどのような減少も、過剰生産物を生み
出すことはできない、という命題を指しているのである。(9)
けれども、この見解をとるという点において、トゥガンが著名な経済学者のあいだで例外をなすと考えるのは、まち
がっていよう。ドップが指摘した章句だが、J.B.クラークは、かつてこう書いた。「もしも質本家が、……現在お
よび将来にわたる彼らの所得のうち、ある一定額を別にして、のこりの全部を貯蕃する決心をするとすれば、彼らはま
ず現在の資産の一部を資本化し、しかるのち、かくしてつくり出された資本からのその後の全所得を資本化するであろ
う。彼らは、際限なくより多くの工場をつくるために、より多くの工場をつくるであろう。このばあいには、供給過剰
は生じない。しかし、 それは非現実的な場合である。」 Introduction to Karl Rodbertus, Overproduction and Crisis
(English trans. 1898), p. 15. さらに最近では、ナイトがこう述べている。「正確な計画化が行なわれるならば、
第一一章 崩壊 論 争
241
理論は、エンゲル スが一般向きに書いた著作の一部に、そのよりどころを見出しうるかもしれないが、それはけっ
してマルクスに基礎を置くものではない。
ベルンシュタインにたいするカウツキーの反応は、クノーのそれとはまったく異なっていた。カウツキーは、資
本主義崩壊の問題点の功罪を論ずるかわりに、問題点それ自体を無視しようとした。すなわち、カウツキーによる
と、マルクスやエンゲルスは、ベルンシュタインの意味における崩壊理論-
すなわち、「社会主義社会への不可
(~)
避的道程」としての「大がかりな全面的な経済恐慌」の理論-
-をもたなかったのであり、それとは逆に、資本主
義の下で経済状態がますます悪化せざるをえないことは信じていたけれど、彼らの理論の本質的かつ独創的な要素
(0)
は、社会主義への転化をもたらす決定的な要因が「プロレタリァートの成熟と実力との増大」にあるということで
あった、とする。社会民主主義運動の戦術については、カウツキーは、ベルンシュタインの漸進主義を排して、極
度の柔軟性なるものを主張した。「あらゆる不測事にそなえる」ことが必要なのであって、「社会民主主義は、恐慌
と同じく繁栄を、革命と同じく反動を、そして破局と同じく緩慢な平和的発展を考慮に入れる」というのが、彼の
(の)
立場であった。
トゥガン= バラノフスキー
ベルンシュタインは、崩壊理論を正統派マルクス主義者たちの頭上に加える梶棒のように振りまわそうとした。
この武器から力を抜き去ろうとしたカウツキーの企図は、見事に失敗に終った。修正主義者の攻勢は、ますます資
本主義崩壊の不可避性を否定するという形をとったのであり、その楯の反面は、つねに資本主義の無限の拡大可能
性であり、したがって革命の邪悪と破壊性ということであった。われわれは、トゥガン = バラノフスキーが修正主
不義者の主張のためになした貢献について、すでにかなり詳しく検討する機会をもった。ーーそれは、経済学者の立
場からすれば、確かにきわめて興味あるものである。トゥガンによれば、マルクスは一つではなく、ニつの崩壊理
恐論をもっていた。すなわち、一つは利潤率の低下傾向にもとづくものであり、他の一つは過少消費を基礎とするも
のである。トゥガンは、これらの理論を二つとも否定することに成功したと考えた。したがって、彼の最終的な結
論は、資本主義の崩壊なるものは、どのような意味においても、経済的必然ではないということであった。「人類
は、盲目的な、不可抗的な経済諸力の贈り物として社会主義をわがものとするのではなく、目標を意識しつつ新し
い社会秩序のために実践し、ーーそしてそれをたたかいとらなければならない。」かくして、トゥガンの場合には、
問題は、「人類」がついに社会主義を採択する用意をもつにいたるような前途遼遠の将来に委ねられたのである。
トゥガンは、崩壊理論と恐慌理論とを区別しようとはしなかった。恐慌理論と恐慌史にかんする彼の初期の著作
中の「マルクス恐慌理論」という表題の一章は、マルクス主義の原理にかんする後の著書のなかの「資本主義的経
済秩序の崩壊」という表題の一章と、その内容においてほとんど一致している。思うにトゥガンは、マルクスの理
論は、恐慌の激しさが着実に増大し、ついには崩壊を招くほどに強烈な恐慌が起こるはずであると見た、と信じて
いたようである。本質においては、この見解は、おそらくベルンシュタインのそれと大差ないだろう。それが具体
的にはっきりした崩壊論、ないしはたやすく利用できるような崩壊論を提供したものでないことは、言うまでもな
い。
第三編 恐慌と不況
241~242
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