転形問題:メモ(&ツガン=バラノフスキー関連)
(マルクス、経済学、リンク::::::::::)
転形問題:メモ
http://nam-students.blogspot.com/2016/06/blog-post_11.html(本頁)
マルクス『資本論』:メモ及び目次
http://nam-students.blogspot.jp/2011/10/blog-post_29.html?m=0
http://nam-students.blogspot.com/2016/07/blog-post.html
ベーム=バヴェルク
https://nam-students.blogspot.com/2018/11/eugen-von-bohm-bawerk1851-19141896.html
ツガン-バラノフスキー『英国恐慌史論』1901
https://nam-students.blogspot.com/2019/03/1901tugan-baranowsky-von-m-studien-zur.html
http://nam-students.blogspot.jp/2015/10/piero-sraffa.html
http://nam-students.blogspot.jp/2012/01/blog-post_17.html
http://nam-students.blogspot.com/2016/06/john-von-neumann-1903-1957.html
http://nam-students.blogspot.jp/2016/08/blog-post_5.html
転形問題とは?
そして市場価格は、それらの生産価格のまわりを変動することになる。転形問
題は、それゆえ、価値を価格に転形する問題でなくて、代わりに、それは直
接価格を生産価格に転形する問題である。》『価値と価格の理論』リヒテンシュタイン著202頁
第二篇第九章
(浅田彰が逃走論(単行本188頁)で推奨するのが「転形手続きの数学的構造」 / 塩沢由典/basic数学1979年1月44~49頁)
転形問題における単一体系解釈
ボルトキェヴィッチが三分割創始
なお、 『資本主義発展の理論』を書いたスウィージーの指摘ではマルクスの貢献は価値と価格の平行関係を認めたことにある。表で言えば、
玉野井芳郎・石垣博美訳[1969]ポール・スィージー編『論争・マルクス経済学』○
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1183857
(ツガン=バラノフスキーと呼ぶひとも多い。)
ミハイル・イワノヴィッチ・トゥガン=バラノフスキー (Mikhail Ivanovich Tugan-Baranovsky), 1865-1919.

ウクライナの経済学者ミハイル・トゥガン=バラノフスキーの貢献は、二つの関連する分野でのものだ:景気循環論とマルクス派危機理論だ。
景気循環をめぐるトゥガン=バラノフスキーの理論は 1894 年著書で解説されており、初めて一貫性のある完全に「経済学的」な景気循環の理論として有名だ。この理論は、セイの法則を否定する信用理論と、ケインズ的な乗数理論の原始的なものに基づいており、景気循環は独立した投資関数によるもので、最終的には不景気の原因は「過剰投資」であると論じた。この画期的な研究のおかげで、ヨーロッパでは多種多様な景気循環論、たとえばシュピートホフ から カッセル やロバートソン、果てはキール学派 や ハイエクまでが登場した。
この景気循環理論を基盤として、 1905 年には マルクスの 資本主義危機理論に対する批判が生まれた。景気循環論で、すでに資本主義においては「破壊/崩壊」に向かう動きが必ずしもあるわけではなく、単に波となる パターンがあるだけなのだ、ということは示された。1905 年の著作では、この議論を拡張し、資本主義経済は条件次第で「定常状態」に達して崩壊への動きが止まることもあり得ることが示された。
トゥガン=バラノフスキーの批判は、 マルクス派の中で、支持者 (e.g. ヒルファディング) と、崩壊必然という古い協議の信奉者 (e.g. カウツキー や アードラー) との大論争を巻き起こした。これは後に、帝国主義に関する論争にまで発展した。やがてトゥガン=バラノフスキーはルーツであるマルクス主義を放棄して、かつての論敵だったナロードニキたちの社会主義的な見方である協同主義的経済を支持するようになった。
ミハイル・トゥガン=バラノフスキーの主要著作
- The Industrial Crises in England, 1894.
- The Russian Factory, 1898.
- Theoretical Groundwork of Marxism, 1905.
- Modern Socialism in its Historical Development, 1906.
ミハイル・トゥガン=バラノフスキーに関するリソース
- HET Pages: Overinvestment Theories of the Cycle
- "Review of Tugan-Baranowsky's Modern Socialism", by F.H. Hankins, 1913, AER
- "Review of Tugan-Baranovsky Les Crises Industrielles en Angleterre" by Henry Emery, 1914, AER
- " Dal sottoconsumo alle sproporzioni: il caso Tugan-Baranvskij", Giorgio Colacchio, 1998, SdPE
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経済学と数学利用 (1979年) 関 恒義; でツガンは批判されている。 |
Bohm-Bawerk,E.[1896]Zum Abschluss des Marxschen Systems,in Sweezy[1949](P.,M.,スウィージー編,玉野井・石垣訳[1969]).
「『資本論』の第三巻でマルクスは、商品の範疇に何らの区別を設けていないが、別のところで彼は、生産手段産業と消費対象間の区別を行っている。しかしながら、1907年にボルトキェヴィッチが転形問題の公式化を始めるようになって以来、代わって三部門モデルを提供することが、標準的になってきた。 」
(リヒテンシュタイン『価値と価格の理論 』邦訳222頁)☆
著者名等 P.M.リヒテンシュタイン/著
著者名等 川島章/訳
出版者 日本経済評論社 出版年 1986.6 大きさ等 22cm 254p
注記
An Introduction to Post-Keynesian and Marxian Theories of Value and Price: Peter Lichtenstein (原著1983): 洋書./の翻訳
NDC分類 331.84 件名 価値論(経済学上) ≪再検索≫ 件名 価格
目次
第1編 競合する伝統
1 方法論入門
2 代替論ポスト・ケインジアンとマルクス学派
第2編 2つの価値論の伝統
3 客観的価値論
4 主観的価値論
第3編 経済的余剰の構成原理
5 経済的余剰の歴史的考察
6 現代的な余剰の概念
第4編 ポスト・ケインジアンの価値と価格の理論
7 ポスト・ケインジアン―新リカードウ派の価値と価格の理論
8 賃金,利潤及び価格
9 リカードウ派不変価値尺度の問題
10 基礎モデルの拡張
第5編 マルクス派の価値と価格の理論
11 マルクスの価値と価格概論
12 価値から価格へ
第6編 総括及び比較
13 マルクス派対ポスト・ケインジアン―新リカードウ派)☆
内容 参考文献:p228~234 ISBN等 4-8188-0102-X
そして市場価格は、それらの生産価格のまわりを変動することになる。転形問
題は、それゆえ、価値を価格に転形する問題でなくて、代わりに、それは直
接価格を生産価格に転形する問題である。》『価値と価格の理論』リヒテンシュタイン著202頁
タームで規定されている時には生産価格と利潤率を決定するのに、十分なもの
となり、何らの需要の理論も要求されない——との立場をとる「ポスト・ケイ
ンジアン」あるいは新リカードウ派の経済分析を開陳している。》訳者解説248頁
http://chikyuza.net/xoops/modules/news2/article.php?storyid=67
石垣博美・上野昌美編訳[1982]『転形論アンソロジー』法政大学出版局○
伊藤誠・桜井毅・山口重克編訳[1978]『論争・転形問題』東京大学出版会
置塩信雄[1978]『資本制経済の基礎理論増補版』創文社(初版1965)
置塩信雄[1977]『マルクス経済学』筑摩書房
玉野井芳郎・石垣博美訳[1969]ポール・スィージー編『論争・マルクス経済学』○
1.転形問題論争とは
マ ルクスは『資本論』第三部第二編「利潤の平均利潤への転形」、とりわけ第九章「平均利潤と生産価格」で、一般的利潤率の形成にともない価値が生産価格に転 形し、また剰余価値が平均利潤に転形することを説いた。しかし、総価値=総生産価格であり、総剰余価値=総利潤の関係は保たれるとした「総計一致の二命 題」に対し、それは成り立たない、あるいは価値と生産価格との関係についての論証は十分に為されていない、論証に失敗しているとして、マルクス経済学の虚 構性や崩壊を主張したり、その修正を図ろうとしたりする主張が現れた。それに対する反批判、等々の論争。
2.転形問題論争の歴史
・1894年 『資本論』第三巻の刊行
・1896年 ベェーム=バヴェルク「マルクスの体系の終結に寄せて」を発表
・1904年 ヒルファディング「ベェーム=バヴェルクのマルクス批判」を発表
・1906-07年 ボルトキェヴィッチ「価値計算と価格計算」を発表
・1907年 ボルトキェヴィッチ「資本論第三巻におけるマルクスの基本的理論構造
の修正について」を発表
・1949年 スウィージーによる上記論争の紹介
(日本語訳、『論争・マルクス経済学』1969年、法政大学出版会)
・1960年 ピエロ=スラッファ『商品による商品の生産』出版
● ベェーム=バヴェルク(1851-1914、オーストリア)
メンガーらと並びオーストリア学派の創始者の一人。『資本論』第一巻と第三巻の間
には矛盾がある(価値と生産価格の「二つの価値理論」)と主張し、そしてその原因
は労働価値説そのものの不可能性にあると、主観的価値論(限界効用学説)の立場
からマルクスを批判。
● ヒルファディング(1877-1941、ドイツ)
ベェーム=バヴェルクらの主観的価値論の立場は、経済学の出発点を個人(の欲望、
等々)におき経済現象を非歴史的・非社会的にとらえている。これにたいしてマルクス
は社会から出発する。労働は人と人とを結びつける「人間社会の本質的要素」である。
それは、単に商品交換の基準(価値決定の基準)であるだけではなく、「労働の生産
性の程度および労働の組織上の様式は、社会生活の性格を決定するものである。」
<生産価格はたんに価値の「修正」にすぎず、したがって二つの理論は論理的に関連
していて、どんな意味でも矛盾するものではない>と反批判。(<>内はスウィージー
からの引用。以下のボルトキェヴィッチについての部分も同様)
● ボルトキェヴィッチ(1868-1931、ロシア生まれ。ドイツで統計学者として活躍)
ベェーム=バヴェルクは<価値の生産価格への転嫁という全操作を無意味なものと見
なした・・・ヒルファディングのほうはどうかというと、一度もマルクスの手続き上の確か
さを疑ってみたことがない・・・ボルトキェヴィッチにのこされた仕事は、この問題をとり
あげて、マルクスの価値論および剰余価値論のワク組のなかでこれを解決しようと企
てることであった。><近代的リカードウ主義者>
● ピエロ=スラッファ(1898-1983、イタリア生まれ。ケンブリッジ大学の経済学者)
新リカードウ学派的な立場から、マーシャルを代表とする新古典学派と論争。筑波大学
の藤田晋吾は『スラッファの沈黙』(2001年、東海大学出版会)で置塩信雄の経済学等
とも関連させて転形問題論争についてのスラッファのアプローチについて論考している。
3.現代日本のマルクス経済学内における二つの傾向
(1)松石勝彦、見田石介、等の正統マルクス学派
松石勝彦は『マルクス経済学』(1990年、青木書店)で、マルクスの叙述に即
しながら『資本論』の生産価格論を分析し、それを「二段階転化論」として整
理することによって、この問題は既にマルクスによって解決されていると主張。
したがって、価値と生産価格との間には矛盾があるとか、総計一致二命題は成
立しないというような議論そのものが間違っていると主張している。
確かに、マルクスは「二段階転化論」(価値の生産価格への転化→生産価格の
費用価格への繰り込み)的に問題を処理しているといってよいと思うが、はたし
て「二段階」だけで済む問題なのか疑問は残る。また、マルクス自身「一般的法
則が支配的傾向として自己を貫徹するのは、つねにただ、極めて複雑で近似的
な仕方でのみであり、永遠の動揺のけっして確定されえない平均としてのみであ
る。」(角川文庫版、第六分冊P.258)ともいっている。
(2)置塩信雄、関恒義、等の数理マルクス学派
置塩信雄は『資本制経済の基礎理論』(1965年、創文社)において、総計一致
二命題は成立しないが、「正の剰余価値が存在することが、正の利潤が存在す
る必要十分条件である」として、数理経済学的立場から労働の搾取の存在を「証
明」した。関恒義も『経済学と数学利用』(1979年、大月書店)において、置塩に言
及し、同様の立場を取っている。また上記の藤田晋吾も、数理経済学的な手法そ
のものについてはそれを前提して考えている。
しかし、この手法は「価値決定方程式」の正当性・正しさを大前提としている。
【資 料】
<マ ルクスに対するこのベーム・バベルクの批判が、その後、労働価値を否定するブルジョア的批判の基本となるだけに、総価値=総価格の命題は、マルクス主義経 済学の根幹としてはっきりと確認しておく必要がある。ところで、マルクスの示す総剰余価値=総利潤は、マルクスが転形問題を途中で打ち切ることなく、いっ そうくわしく展開していれば、一般に成立しないことを確認できた命題である。なぜなら、剰余価値部分を構成する諸商品それ自体が生産価格で表示されなけれ ばならず、あとでみるように、生産価格で表示された総利潤が価値表示の総剰余価値に一致しなけれbならない必然性は存在しないからである。ここでは、置塩 信雄『マルクス経済学』(1977年)が示すように、「利潤が存在するための条件は剰余労働が存在すること」という命題が確認ないし論証されていれば、そ れで十分なのである。> (関恒義『経済学と数学利用』p.74)
「投資は, 支 出 としてみると,繁栄の源泉であり,投資の増加は景気を好転させ,投資を刺激して,さらにそれを増大せしめる.しかし投資は同時に,資 本 設 備 の 増 加 であり,したがって,生れたときから,この設備の旧式のものと競争する.投資の悲劇はそれが有用であるという理由から恐慌を生ぜしめる点にある.多くの人たちは,この理論をたしかにパラドクシカルと考えるであろう.しかしパラドタシカルなのは,理論ではない,その主題一資本主義経済一そのものである.」(Essays in the Theory of Economic Fluctuations pp189-9,傍 点 筆者)
正確には、
《...カレツキーの投資観はつぎのよく引用される1節にきわめて明瞭である.「投資は,支出としてみると,繁栄の源泉であり,投資の増加は景気を好転させ,投資を刺激して,さらにそれを増大せしめる.しかし投資は同時に,資本設備の増加であり,したがって,生れたときから,この設備の旧式のものと競争する.投資の悲劇はそれが有用であるという理由から恐慌を生ぜしめる点にある.多くの人たちは,この理論をたしかにパラドクシカルと考えるであろう.しかしパラドタシカルなのは,理論ではない,その主題一資本主義経済一そのものである.」(Essays in the Theory of Economic Fluctuations pp189-9,傍点筆者)これは,明らかに,カレツキーが投資をたんに有効需要の両面から把握するにとどまらず,資本設備の増加として理解し,この投資のパラドタタカルな2面性の中に恐慌の原因を見出だしていることを物語っている.だから,かれは,J.E.Meade,J.R.Hicks,0.Langeの組立てたケインズ・モデルを批判して,「かれらは,投資決意と投資の区別を無視し,」(op.cit.,p.139)「資本設備の変動の影響を考慮に入れなかった.](op.dt.p.140)と述べることができたのである.》
邦訳経済変動の理論
訳者あとがき 248-9頁
Essays in the Theory of Economic Fluctuations 1939自体は未邦訳
上記あとがき執筆者は宮崎か伊東か不明。
宮崎は『近代経済学の史的展開—「ケインズ革命」以後の現代資本主義像』で同箇所を引用。
否定的引用なのであとがき執筆は伊東かも知れない。
←_____________| |___________→
| ___________→| | |
| ⇧ ←_________|消費財市場 | |
| | | _______→| |←_______ |
|必|労|必⇧所 |______| ⇧消 |収
| |働|需|有 |費 |
|需|者|品|者 |財 |入
| |の|や|の |や |
|品|支|贅|支 ______ |サ |
| |出|沢|出 | | |l |
| | |品| 蓄 →| 金融市場 |_ 投 |ビ |
| | | |_/\ 貯_/ |______| \_資 |ス ⇩
| | ⇩ / \/ _↘︎_________
| | _/所有者 \←_____利潤_____| |
| | /_⇧_⇩__\ | |
| |_/ \←___賃金_____| |
|_→/ 労 働 者 \__労働(時間)_→| 企 業 |
/____⇧_⇩_____\ | |
/ 失業労働者 \ | |
/________________\ |___________|
図:ポスト・ケインジアンとマルクス派の循環的流れ
『価値と価格の理論』P.M.リヒテンシュタイン 1986年(原著1983年)32頁より
上記書籍では、転形問題とスラッファの定式の類似性が説明される。
マルクスやスラッファと違い、新古典派は階級の問題を見ていない。
《要約すれば、価値は直接価格を決定し,直接価格は生産価格に転形される。
そして市場価格は、それらの生産価格のまわりを変動することになる。転形問
題は、それゆえ、価値を価格に転形する問題でなくて、代わりに、それは直
接価格を生産価格に転形する問題である。》同202頁
http://nam-students.blogspot.com/2016/06/john-von-neumann-1903-1957.html(本頁)
_ー ̄ | |A
 ̄-_ | |
均斉成長経路(の定式化とブラウワーの定理の一般化)
"A Model of General Economic Equilibrium", 1937, in K. Menger, editor,Ergebnisse eines mathematischen Kolloquiums, 1935-36. (Translated and reprinted in RES, 1945).
→ http://piketty.pse.ens.fr/files/VonNeumann1945.pdf

吉原直毅著『労働搾取の厚生理論序説』について
p.1 p.2 p.3 p.4 p.5 p.6 p.7 p.8 p.9 p.10 p.11
歴史説[ソースを編集]
論理説[ソースを編集]
- 量的転化説
- マルクスが『資本論』第Ⅲ巻で説いたもので、総価値は総生産価格に等しく、総剰余価値は利潤の総額に等しいという総計一致の二命題に依拠する。
- 総計一致の命題は、転形計算の仕方により、一命題はつねに成立するようにできる。そのとき、なにを一致させるかについて主張が分かれた。また両者ともに成立ないならば、総計一致命題は棄却されるべきであるという意見もある。[7]。
- 単純な価値形成過程説
- 「単純な価値形成過程」とは、「資本によって支払われた労働力の価値が新たな等価物によって補填されるま転までしか継続しない」(『資本論』第Ⅰ巻国民文庫版訳pp.340-41)価値形成、すなわち労働者が必要労働時間のみ働く経済をいう。このような経済においては、価値法則が厳密に成立することを主張する。宇野弘蔵が「労働価値説の論証」は「資本の生産過程において行なわれなければならない」として、考えたものはこの事態であると考えられる[9]。
- なお、単純単純な価値形成過程のみからなる経済は剰余のない生産体系となる。この体系は、P.スラッファの『商品による商品の生産』第1章「生存のための生産」(あるいは自己補填)と基本的に同型と考えられる[10]。
- 転化不要説
- 置塩信雄は、(上記反復計算論などを唱えたことがあるが)総計一致二命題が維持しがたいことを認めて、価値から生産価格への転形を意義のないこととし、各産業が正の利潤率をもつとき、労働価値で計算すれば搾取率が正となることを示す(置塩によるマルクスの基本定理)だけで、転形にこだわる必要はないとした。
- 標準体系転化説
- 高須賀義博が唱えた。経済がフォンノイマン成長径路あるいはスラッファの標準体系にあると考えると、総計一致の二命題が成立する。マルクスは、暗にこうした経済での転化を考えていたと主張した[11]。
- ^ 高須賀義博「転化論の展望」高須賀義博『マルクス経済学研究』新評論、1979年、第4章。
- ^ 森嶋通夫・カテフォレス『価値・搾取・成長』高須賀義博・池尾和人訳、創文社、1980年、p.234。
- ^ 櫛田民蔵『社会問題講座: 商品価値の批判序説』新潮社、1926-27年。Googleによりデジタル化されている。http://books.google.co.jp/books?id=F8fTeMtLlDcC&printsec=frontcover&hl=ja&source=gbs_ge_summary_r&cad=0#v=onepage&q&f=false
- ^ マルクス『資本論』第三巻、向坂逸郎訳、岩波書店、1967年、p.1114。
- ^ マルクス『資本論』第三巻、向坂逸郎訳、岩波書店、1967年、p.1115。
- ^ マルクス『資本論』第三巻、向坂逸郎訳、岩波書店、1967年、p.1113-5。森嶋通夫・カテフォレス『価値・搾取・成長』高須賀義博・池尾和人訳、創文社、1980年、p.233。
- ^ この点について、梅沢直樹『価値論のポテンシャル』昭和堂、1991年、第1章を見よ。
- ^ 置塩信雄「マルクスの生産価格について」『経済学研究』(神戸大学)、1972年。A. Shaikh, "The So-called Transoformation Pribelm: Marx vindicated,"(mimeo) New School for Social Research。森嶋通夫・カテフォレス『価値・搾取・成長』高須賀義博・池尾和人訳、創文社、1980年、第6章「転化問題:マルコフ過程」にも収束の証明がある。
- ^ 宇野弘蔵『経済原論』岩波書店、1964年、p.59。小幡道昭『価値論の展開』東京大学出版会、1988年、第2章第3節。
- ^ 小幡道昭『価値論の展開』東京大学出版会、1988年、第2章注24(p.187)。
- ^ 高須賀義博「転化論の展望」高須賀義博『マルクス経済学研究』新評論、1979年、第4章。高須賀義博『マルクス経済学の解体と再生 』御茶の水書房1985年。
『資本論第一巻草稿──直接的生産過程の諸結果』(マルクス/森田成也・訳)
内容説明
http://blog.goo.ne.jp/sekiseima/e/a863e997550323e25014394ead35d777
第一に、“マルクス経済学者”が理解しなければならないのは、「古典派経済学の欠陥はここではただ次の点にあるだけである。すなわち、第一には、このようなより多くの生きている労働とより少ない対象化された労働(貨幣のこと)との交換が、どのようにして商品交換の法則に、つまり労働時間による商品価値の規定に、合致するのかということを論証することができなかったということであり、したがってまた、第二には、流通過程における一定量の対象化された労働(貨幣のこと)と労働能力との交換と、生産過程で行われるところの生産手段の姿で存在する対象化された労働による生きている労働の吸収とを、直接に混同していることである。可変資本と労働能力との交換過程を、古典派経済学は不変資本による生きている労働の吸収過程(価値増殖過程のこと)と混同しているのである。」(1863~5『直接的生産過程の諸結果』、国民文庫、P62)というマルクスの言葉である。
「プルードンを困惑させるのも、やはりこれ(労働の生産性の増大は個々の商品の価格を低下させるにもかかわらず全体の剰余価値量は増大すること)に似たパズルである。というのは、彼はただ個々の独立な商品の価格を見るだけで、総資本の生産物としての商品を見ず、したがってまた、総生産物がその各個の成分の価格によって概念的に分けられる割合を考察しないからである。
「商品の価格を構成するために、商業において労働者の賃金に資本の利子(これは剰余価値中の特別に命名された一部分でしかない)がつけ加えられるので、労働者が自分の生産したものを買いもどしうるということはありえない。労働によって生活するということは、利子制度のもとでは、矛盾を含んでいる原則である。」(『信用の無償性。フレデリック・バスティア氏とプルードン氏との論争』*、パリ、1850年、P105) 光文社新訳2016年では166頁。**
http://bastiat.org/fr/lettre14.html
Gratuité du crédit - Quatorzième lettre - Frédéric Bastiatà PJ Proudhon
《SEPTIÈME LETTRE. P. J. PROUDHON À F. BASTIAT.
17 décembre 1849.
…
Il est impossible, dis-je, que, l’intérêt du capital s’ajoutant, dans le commerce, au salaire de l’ouvrier pour composer le prix de la marchandise, l’ouvrier puisse racheter ce qu’il a lui-même produit. Vivre en travaillant est un principe qui, sous le régime de l’intérêt, implique contradiction. 》
訳者は解説(光文社新訳解説421頁~)で草稿集邦訳2(大月書店45頁~%)の説明を図入りで再現するが、プルードンの真意を理解していない。
プルードンが総生産を無視しているというのは間違いだ。マルクスが引用した箇所のすぐ後でプルードンはフランスの労働者の日当の年間総量を二千億フランと仮定している。さらに要素として「所有権」「利子」「地代」等を挙げている(『プルードン3 所有とは何か』三一書房208頁)。
プルードンは集合力を重視する。だから剰余価値もそこから生まれるし、剰余価値内に生産した分が換算されるのは当然だ。
所有権に不変資本は入るだろう(マルクスがプルードン批判の為に展開した再生産表式自体がプルードンのテキストに内在する)。
ちなみに資本論第一部フランス語版(1872年)にはプルードンの名前が一つもない。マルクスが削除した。
マルクスはプルードンからアイデアを得て1850年以降経済学を勉強してリカード流価値論で体裁を整えたにすぎない。アイデアを得てその後で隠蔽したのだ。
その再生産表式はレオンチェフ、より本質的にはカレツキによる読解を待つ必要があった(カレツキは転形論争からヒントを得ている)。
http://nam-students.blogspot.com/2016/07/blog-post.html
http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/133090/1/eca0965_331.pdf
ちなみに、同じ「利潤の決定要因」(1935年初稿、これもケインズに先駆ける重要論考)や「費用と価格」が所収されていて、本人が改訂 した版を生前翻訳した1958年の新評論版邦訳『経済変動の理論』とは間違い易いが、内容が違う。新評論版は本書第II部がその抜粋に当てられているが、 1933年版「景気循環理論概説」は所収されていない。新評論版との重複のない第I部が本書の価値を高めている。第III部はアクチュアルなその他の論考 ということになろうか。
以下、目次
『資本主義経済の動態理論』M・カレツキ 日本経済新聞評論社 1984年
目次
序文
第 I 部
第1章 景気循環理論概説 3
第2章 外国貿易と「国内輸出」について 16
第3章 景気上昇のメカニズム 26
第4章 商品税,所得税および資本税の理論 34
第II部
第5章 費用と価恪 45
第6章 国民所得の分配 64
第7章 利潤の决定要因 79
第8章 国民所得の決定と消費の決定 94
第9章 企業者資本と投資 106
第10章 投資の決定要因 111
第11章 景気循環 125
第lll部
第12章 完全雇用の政治的側面 141
第13章 ツガン-パラノフスキーとローザ・ルクセンブルグにおける有効需要の問題 148
第14章 階級闘争と国民所得の分配 158
第15章 趨勢と景気循環 167
統計付録 186
訳註 195
カレツキからポスト・ケインジアンへのマクロ分配理論の系譜
--訳者解説に代えて-- 209
索引 227